駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

服部まゆみ『この闇と光』(角川文庫)

2016年12月23日 | 乱読記/書名か行
 森の奥に囚われた盲目の王女レイアは、父王の愛と美しいドレスや花、物語に囲まれて育てられていた…はずだった。ある日そのすべてが奪われ、混乱の中で明らかになった事実とは…随所に張り巡らされた緻密な伏線と、予測不可能な「本当の」真相。至上の美を誇るゴシックミステリ。

 初めて読んだ作家さんでしたが、2007年に亡くなっている方だそうですね。なかなかおもしろく読みました。
 ただ、「真相」が明かされてからも、そこにはもっと深いドラマがありそうだったので、そこをもう少し読みたかったかな。基本的には一方の主観から描かれているので、もう一方のドラマも知りたかった、というか。このままだと、ややギミック先行にも思えるので、そこに肉付けが欲しかった、というか。
 それができていたら、こういうものが好きな人はけっこういると思うし、もっと世に知られた、そして読み継がれていく、こうしたジャンルの金字塔のひとつみたいな作品になったのではないかしらん、と思いました。そこがちょっと残念です。

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直人と倉持の会VOL.2『磁場』

2016年12月17日 | 観劇記/タイトルさ行
 本多劇場、2016年12月13日19時。

 あるホテルのスイートルーム。売り出し中の脚本家・柳井(渡部豪太)が映画のシナリオ執筆のために缶詰にされている。映画の題材は日系アメリカ人の芸術家マコト・ヒライ。映画の出資者で資産家の加賀谷(竹中直人)は柳井を非常に買っていて、過剰に期待をかけている。柳井は加賀谷の期待に応えようとするが…
 作・演出/倉持裕、美術/中根聡子、音響/高塩顕、衣装/兼子潤子。倉持裕と竹中直人が本多劇場で芝居を打つことを目的に結成された企画の第二弾。前1幕。

 第一弾は女優だけの舞台だったそうで、なので今回は逆に男優ばかりで女優はひとり、という構造にしてみたそうです。そこに呼ばれる大空さん、いいなあ。
 てかもちろん東宝ミュージカルとかのヒロインとかもやってくださるなら観てみたいですけれど、本人は今のところはストレート・プレイ志向のようですし、だとしたら主役とかヒロインとかいうよりこういう作品のこういうポジションで演じるのが似合うんじゃないのかな、と思いました。演技力ももちろん、普通の女優さんとは違う不思議な雰囲気があるのが強みですし、硬質ででもなんとも言えない色気がある、年齢不詳の風情、胸もあるけど肩もある、骨盤が狭いので腰も細いが尻もないというブロポーション、背の高さなどのさまざまな特異さが、いい方に出ることが多い気がします。
 初日が宙全ツ千秋楽とかぶって私はさくっと後者を取りましたし、現役応援ライフが楽しすぎて大空さんは私の中ではもう完全に「以前好きだった今はOGさん」枠に落ち着いてしまったところがありますので、どの演目もできるだけ観には行くけれど何度もリピートするようなことはせず、他の外部の舞台同様に一度の観劇としました。でも、複数回観てもおもしろいだろうな、と思える、いい作品でした。いい仕事を選ぶし、いい仕事をするよなあ。そこは本当に信頼しているのでした(ゆるいライブとかはともかく…)。
 椿は最終的には本当は柳井の味方で、加賀谷の影響下(ここが磁場です)から逃がしてあげようとしていたんですよね? だからこそ一時は加賀谷の見方が正しいと主張したんですよね? そのあたり、確かめながら観たいし、筋がわかって観てもおもしろく感じられる作品だろうなと思いました。
 何度もあるお着替えも楽しかったですし、微妙な立場の微妙な女優である微妙な女性役を、本当に絶妙に演じていたと思います。母性もあるし悪女っぽさもある、コケティッシュであり悲哀がある。ドラマを感じる女性でした。

 しかし客席はちょっと笑いすぎな気がしました。竹中直人が出てくるだけで笑うとか、失礼じゃなかろうか。しかもふれは派手な服を着た似非金持ちのキャラクターに対する失笑じゃなくて、コメディアンに対する爆笑でしたもん。芸に対して笑うべきでしょう、芸人を笑ってどーする。なんかやたらとガハガハ笑う男性観客がいて、それがなんか「俺は笑いどころがわかっているぜ」ってアピールしたいがための笑いみたいに聞こえたんですよね…で、客席が引っ張られてしまう。
 でもこれってそういうふうに笑う作品じゃなくない? 私は自分の職業病を別にしても、怖かったり腹立たしかったりイラついたり情けなかったりかわいそうだったりで、でも笑っちゃったり笑うしかなかったり…というような笑い方だったんですよね。まあこの感想も笑い方わかってるアピールだと言われてしまえばそうなんですけれど。とにかくその客席の空気には引きました。だからオチのインパクトも上手く届いていなかったんじゃないかと思います、残念。
 でも私は本当におもしろく観ました。
 私はこういう形ではこういう仕事をしたことがないけれど、エンタメ業界の一員として考えさせられましたし、立場としてはプロデューサーの飯村(長谷川朝晴)に近いのかもしれないなとか思っていろいろ粟立ちました。リーマンだ、ってことではあのポジションに近いし、ああいう態度をせざるをえなさそう、というのもわかる。でもね…という、ね。おそらくですけれど、彼は映画会社の社員で、監督や脚本家はフリーランスなんですよね。そして監督にはキャリアがあり、脚本家は舞台では新進気鋭、でも映画にでは新人、という設定。そこに、企画に心酔したスポンサーが現れる…
 本来はスポンサーというものは金も口も出すものなのでしょう。でも金は出すけど口は出さない、と約束したのならそれは守られるべきだし、そういう契約で締結されているんじゃないの?とはつっこみたく思いましたが、そのあたりはスルーして、スポンサーが口を出すことによるゆがみ、暴走が描かれていく作品です。
 役者がみんな達者で本当にその役、というかそういう人間にしか見えないところが本当にすごいですよね。宝塚歌劇ではこういうことはほぼないので、本当にイラついたり怖かったりかわいそうだったりしました。揺さぶられました。
 オチが読めてからは本当に本当に怖かったです。パトカーのサイレンとともに暗転、くらいかなと思っていたら加賀谷が戻ってくるところまでぶっこまれたので、本当につらくて怖くてひええええぇ、となって終わりました。怖い…
 作・演出の倉持氏は、別に作品を通して愚痴を言いたかったわけではないと語っていますし、そうなのでしょう。「創作中、人の精神を追い詰めるのは果たして外圧か内圧か」ということを考えていたとのことでした。そして私は作家じゃないから「内圧」ってのは正直よくわからないな、と思いました。でも外圧についてはわかりすぎるくらいわかる。お金持ちでなくてよかった、リーマンでよかった、会社の枠の中でのらくら仕事して創作に関わった気でいるくらいが自分にはふさわしいよ…と思いました。これはお金と才能と芸術の不幸な出会いの物語、とも言えるのかもしれません。額縁だけで中が真っ黒の絵のように、さんざん語られて実像もその作品もいっさい出てこないマコト・ヒライの虚無が、すべてを語っているようでもありました。
 


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宝塚歌劇宙組『バレンシアの熱い花/HOT EYES!!』

2016年12月16日 | 観劇記/タイトルは行
 梅田芸術劇場、2016年11月18日15時半(初日)、19日12時、16時半。
 森のホール21,23日14時、18時。
 神奈川県民ホール、26日14時、27日15時。
 福岡市民会館、12月3日14時、18時、4日15時。
 宝山ホール、11日12時、16時(千秋楽)。

 19世紀初頭のスペインは、侵攻して来たナポレオン・ボナパルトに王位を奪われ、彼の兄ジョセフがスペイン王として即位したことで、各地で反フランスの声をあげる民衆が蜂起し、政情は不安定であった。バレンシアの領主・ルカノール公爵(寿つかさ)はレオン将軍(松風輝)に謀反の動きがあるとの情報を受ける。同じ頃、前領主の嫡子フェルナンド・デルバレス大尉(朝夏まなと)がマジョルカ島の駐屯地より帰国し、レオン将軍を訪れていた…
 作/柴田侑宏、演出/中村暁、作曲・編曲/吉田優子、寺田瀧雄、河崎恒夫。1976年初演、2007年に再演(同年の全国ツアーでも上演)された演目の三演。

 梅田初日雑感はこちら、松戸日記はこちら、横浜日記はこちら、福岡日記はこちら
 一昨年去年も楽しかった宙組全国ツアーですが、今年も本当に楽しかったです! 
 千秋楽の鹿児島・宝山ホールは35列ほどの客席がすべて一階席で、通路も四本あり、ショーの客席降りでは客電をかなり明るくしてくれて、スポットライトが追いきらないスターもよく見えたし向こうからも満面の笑みの我々がよく見えたろうという、素晴らしい環境でした。もちろん地元でその日初めて観る方、他組ファンで初めて観る方も多かったとは思いますし、そういう方にはもしかしたら歌詞をかき消すくらいの手拍子や歓声は迷惑だったのかもしれませんが、それでもそれを押し切ってみんなを巻き込み一体化し多幸感に浸らせるパワーがあった回だったと思います。まぁ様のショースターっぷりが炸裂したコンサートのようでもあり、本当に今の宙組でコンサート公演が観たい!と改めて思わせられました。
 旅公演は体力的にもしんどいことが多いだろうけれど、誰ひとり欠けることなく無事に千秋楽まで完走してくれてよかったです。みんなたくさんのことを得たのではないかと思います。
 何より嬉しかったのは福岡で削げて見えていたあっきーの頬が戻っていたことで、珍しく二日続いた休演日も熊本の学校訪問などで忙しかったようではありますが、ちゃんと食べて多少はゆっくりできたのかなとか思うともうそれだけで感無量でした。この学年までまったく経験がなかった全ツを一昨年から三年連続、本当によくがんばったと思います。ジェローデルも素敵だったしベルチェは私には苦戦して見えたけれどそれもいい経験だったと思うし、それを踏まえて今回のどんぴしゃのお役を射止めたのなら本当にがんばった甲斐があったというものですし、私も好きで勝手に追いかけていっただけだけど多額の交通費をかけた甲斐もあったというものです!
 改めて、お疲れさまでした、おめでとうございました! たくさん観られて嬉しかった楽しかった!!
 バウ組が千秋楽を迎えたらすぐにタカスペのお稽古でしょうか、そしてクリスマスイブは大劇場公演集合日ですね。『王妃の館』、まだ原作小説を読めていませんが、これまた楽しみです…!

 さて、では、全体の総括的に、まずはお芝居のキャラクター個々とその生徒さんについて。
 主人公のフェルナンド・デルバレス侯爵、まぁ様。バレンシアの前領主の嫡男で、父の不慮の死により爵位を継いだのだと思われます。軍では大尉。父の死は政治が絡んだ暗殺で、刺客はすぐに捕らえられて処刑されたものの黒幕や実情はわからないままで、失意のうちに故郷を離れマジョルカ島に赴任し丸二年の間一度も帰郷しなかったところ、レオン将軍の手紙で呼び戻されるところから物語は始まります。
 暗殺の黒幕が父のあとに領主になったルカノール公爵だと知って、復讐を誓い一計を案じる…というのがこの物語の主軸です。それ以前の彼はおそらく、単なる貴族の御曹司であり快活で明朗な好青年であり軍務を果たす真面目な男であり、おそらくは家同士がまとめた婚約者マルガリータ(星風まどか)を大事に慈しむ、要するに可もなく不可もない、なんということもない人間だったのでしょう。それが、復讐に立ち上がり、本物の恋に出会い、腹心の友を得て、青春を燃やし、そして別離を経験し大人になったところで終わる…という、これは少年の通過儀礼の物語なのでした。
 で、ぶっちゃけ、女にとって息子が父親の復讐を果たすとかなんとかってホントどーでもいい話だと思うんですよ。男性は大好きなモチーフだと思うんだけど、女性はもっと現実的だから、復讐が何も生まないことを知っている。だからこのお話は、その設定からして、第3場までの展開あたりまででもう結末が読める、実は出落ち感があるお話なんですね。だけど柴田先生はそれを宝塚歌劇としてきちんと成立させている、その手腕がすごいと思うのです。柴田先生は女々しい話を描いているから女性観客にウケているのではなく、こんな男性的な構造の物語を女性の心にも響くように描けるから素晴らしいのだ、と私は思っているのでした。
 ですが、脚本が立ち上げたキャラクターに血肉を通わせるのは役者です。まぁ様は素晴らしかったと思います。本来の持ち味が明るく快活で優しくてチャラそうなので(笑)、「素のフェルナンドの生真面目で融通が利かない部分」をうまく演じ、「ルカノールを油断させるために遊び人のバカ息子を装う部分」は地でいって(笑)、けれど何事にも本当は真剣で誠実で真摯に向き合っているのだ、ということはしっかり伝わる、素晴らしい演技であり役作りだったと思います。
 フェルナンドとイサベラ(伶美うらら)の出会いについては描かれていませんが、フェルナンドがイサベラに対して感じたのはその美貌に対する一目惚れだったのかもしれないし、そんな美貌にもかかわらず飾らず素直で温かい人柄に魅力を感じたのかもしれません。少なくとも、遊び人の偽装のためにイサベラを利用した、というようなことはまったく想像させない、なんらかで本当に心が動いてしまったんだろうなと思わせられていたところが何よりいいなと思いました。これはまぁゆうりの芝居の相性の良さもあったかもしれません。どんな理由があるにせよ女を一方的に利用するような男は主人公として受け入れられづらいですからね。まぁ様フェルナンドには真心が見えました。
 フェルナンドが自分の仮面を見抜いたイサベラに改めて感服し、けれどそれ以上のことは問わない優しさと賢さを見せてくれたときに、彼は改めて彼女への愛情を感じ、それで真情を告白してしまったのでしょう。その際にマルガリータの存在を告げることは、嘘がつけない不器用さでもあり、嘘をつかない誠実さでもあり、はたまた将来に関しては社会的に責任が取れないという表明の卑怯でもあるとも取られてしまうと思うのですが、私はこういういかにも現実の男性が取りそうな言動を男性キャラクターにさせるところも柴田脚本のすごさだと思うし、そこをけれど現実の男性以上の魅力を乗せて演じてみせるからこその男役だとも思っていて、私はまぁ様フェルナンドのこのくだりにはけっこう泣かされました。「けれど君への想いに変わりはない!」という叫びに、説得力がちゃんとあったと思いました。
 男ってホント単純で近視眼的だから、たとえばロドリーゴ(澄輝さやと)もそうだけれど、ルカノールを倒したらその結果いろんなことが本当はどうなるのかってことをちゃんと考えていなかったりするんだと思うんですよ。イサベラのことも、今はちゃんと好きは好き、でもその先のことはそのときにまたちゃんと考えよう、くらいに思っていたんじゃないでしょうか。ルカノール刺殺から一夜明けて、ラモン(真風涼帆)にエル・パティオにはもう来ないのか、みたいなことを言われて初めて、事態に気づいたようなところがフェルナンドにもあったのではないかしらん。だからとりあえず「まあ、そのうちにな」なんて濁す。ラモンにイサベラを頼むと言いつつ、そのあと本当のところどうすべきなのか自分がどうしたいのかもよく考えられていなくて、そんなところにイサベラの方から訪ねられてしまう。フェルナンドがイサベラをお城の中に誘うのは単なる時間稼ぎで、彼だって彼女が頷くとは思っていなかったのでしょう。でも彼女がこうまできっぱりと別れを告げてくることは、彼には予想外だったのではないかしらん。ホント男ってどうしようもない生き物なのです。
 現実の世界だったら、イサベラみたいな女はフェルナンドみたいな男の囲われ者としてしばらくは暮らしていき…ってなこともあるんだと思うんですよ。でもこれは柴田ロマンであり宝塚歌劇です。女性キャラクターの方が常に清く正しく美しいのです。イサベラは去り、フェルナンドは残る。
「私のイサベラも…死んだ」は青春の墓標ってことです。自分の心の一部も死んだのです。あとはつまらない大人になって、マルガリータと結婚し跡継ぎをもうけ侯爵家を盛り立て、おそらくはバレンシア領主になりスペイン独立のために奔走するのでしょう。成功し、名誉もある種の幸福も得るのでしょう、けれど心の一部は死んだままなのです。そこからはドラマにならない、だから物語はここで終わるのです。
 ときには涙をボロボロこぼして、天を仰ぎ立ち尽くすまぁ様フェルナンドの孤独…素晴らしいラストシーンだと毎回思いました。

 下町の酒場「エル・パティオ」の踊り子イサベラ、ゆうりちゃん。黒塗りも映え、さらに痩せてスタイル絶品になって、本当に「美しいは正義」とはこのこと!というビジュアルでした。
 でも彼女の素晴らしさはそれ以上にハートがあるお芝居をすること。素の素直さ、人の良さ、温かさ優しさに裏打ちされた、なんとも「いい子」なイサベラ像が本当にチャーミングでした。
 役作りとしては、もっと暗く貧しい育ちを臭わせるような、ヒターノだと虐げられ夜の女だと差別される屈辱をバネにするかのようにして花咲く、強かさな美しさ…みたいなものの方がふさわしかったのかもしれません。そしてウメちゃんのイサベラはその方向だった気がします。持ち味としてももっと野生的かつ理知的なものがありましたしね。そういえばウメちゃんのイサベラは、ラモンを幼なじみ、同郷の頼れる男、家族みたいなもの…としか思っていないにしてもやることはやっているみたいな空気があった気がしますが、ゆうりイサベラとゆりかラモンだとそれはないかなって気がしましたね。ゆりかラモンはゆうりイサベラを本当に大事に愛しているから手が出せない、みたいな。そしてゆうりイサベラはそんなラモンの自分への愛情のことはわかってはいるけれど、逆にそこに甘えて真剣に対応するのを避けているのを容赦してもらっているような可愛いらしさがある印象です。このイサベラは、たとえば極端な話をすれば、マダムの小部屋で枕営業とかはさせられていないのではないかしら…
 フェルナンドとの出会いは描かれていませんが、のちの台詞にあるように、イサベラは彼のことを単なる金持ちのボンボン、金ヅルとして見るようなことはせず、遊び人の様子が仮面であることに気づいてまず興味を持ったのかもしれません。やがてその仮面の陰から窺える素顔とその寂しさ、復讐への暗い情熱に惹かれ、身分違いと知りつつも一歩踏み出してしまったのでしょう。恋多き女、という風情がない分、純粋でまっすぐ、未来のない恋に飛び込んでしまった…そんな空気がありました。恋の甘させつなさを描いた幻想場面のふたりの無重力リフトの素晴らしさは、近年のリフト史に残るものだと思います!
 あとその前の、古い恋の歌のくだりね! フェルナンドが脚をかけた椅子に移るのはいいとして、ときにはその腿にしなだれかかったり、うっとり見つめたり、胸に手を当てる乙女ポーズしたり。甘やかされ飼い慣らされゴロニャンしているにゃんこにも見えたゆうりちゃんのイサベラの可愛らしさ、本当に本当にプライスレスでした!
 そもそも作品そのものが主役カップルの恋よりも男役三人チームの活躍に焦点が当てられているようなところがあるので、イサベラはヒロインとしてはそんなに出番は多くなく、実は大きな役とも言いがたいくらいなのかもしれません。でもその短い小間切れの出番でのお芝居がどれも本当によかったです。ラモンに甘えて抱きついてしまうところも、仕方ないと思うんだよね。アレをヒドい女だズルい女だと責めるのは、世知辛い気がしますよ…
 ラスト、互いの体の形を確かめ合うように激しく、また互いに互いの体の感触を染みこませようとするかのように掻き抱き合い、そして離れて、ふたつ折れになって泣いて泣いて、走り去っていくイサベラは本当に哀れで悲しくて、そして何より美しかったです。
 でもやはりこのゆうりイサベラにはこの恋の記憶は重すぎて、このあとラモンと幸せになれるようには見えなかったかな…またまったく別の出会いに恵まれて幸せになってくれることを祈らないではいられません。ラモンは…ありさフラスキータ(瀬音リサ)がいるから! ホラ!!(^^;)

 「エル・パティオ」の歌い手ラモン・カルドス、ゆりかちゃん。私はヤンキー萌えとか不良萌えとかがあまりなくて、幼なじみ属性にもあまり惹かれないのです。それは家族以上にはなれないしなんなら恋人以上に大事な家族になり得てしまうわけでとにかく恋とは違うものになってしまうだろう、としか思えないので。だから単純にキャラクターとしてロドリーゴの方が好みなんですけれど、ラモンみたいなキャラクター、ポジションの方が好きって人が多いことも理解しています。アンドレとかが人気あるのもそこだと思うし。ツッパリのボス(表現が古い)が雨に濡れた子犬を拾ってたらキュンとするよね実はけっこういいヤツなんだよね、みたいなのですよね?
 で、ゆりかちゃんって、まあ中の人はホントあっきー以上に意外にもゆるくてホント「ゆりかちゃん」って感じなんだろうけれど(ホントのところはもちろん存じ上げませんが)、「真風涼帆」となると「え? オトコでしょ?」って万人がなる希有な個性のスターだと思っています。熱い、濃い、凜々しい、雄々しい、男らしい。だからラモンに本当にピッタリ。話としては下手したらロドリーゴの方が美味しい役に見えかねないところを力業で二番手役にきっちり持ってくる、華と実力があるスターだよなと本当に感心しました。
 イサベラとは同じコミュニティに生まれ育った幼なじみで、小さいころから家族のように育っていて、でもラモンの方はずっとずっとイサベラのことが好きで守ってあげたりちょっかい出したりからかったりプレゼントあげたりいろいろいろいろしてきていて、でもイサベラからは家族愛以上のものはもらえなくて男女としてはフラれ芸みたいなものがもうデフォルトになっちゃってて、ラモンもなかなか脈がないのがわかっているからそうやって笑いにごまかしているんだけどでもラモンの方はいつでも本気で真剣で本当にイサベラを愛していて、でもじゃあ力ずくでものにしちゃうことを考えるかといえばそんなことはなくて、本当に彼女に惚れられたいと思っていて彼女の幸せを願っていて、とにかくずっとそばで見守っている、熱く強いハートの持ち主なワケです。うん、惚れるねフツーなら。でもそばに育っちゃうとダメなんだよ多分、残念!
 ロドリーゴとの決闘騒ぎではなんといってもローリング平手打ちがカッコいいんだかおもしろいんだかでホント毎回ワクワクしました。てか当てたら許さんゆりか!とかは念じていたけどね(^^;)。あそこで「兄貴ィ!」とか囃し立てる闘牛士ガヤたち、ホント可愛かった。ラモンはエル・パティオのヒーローでありアイドルなんだよね。
 おそらく下士官として従軍したことはあってそのときレオン将軍の指揮下にいて、だからまあ確かに「同門と言ってもいろいろある」なんだけど、とにかく腕も立つし男気あるしイイ男なワケです。それになんといってもありさパイセンに惚れられてるんですからね、なかなかナイよ!
 『メランコリック・ジゴロ』を待つまでもなく、星組でぽやぽやしていたころからえもいわれぬユーモラスさがあるというかコメディセンスがあるとは思っていましたが、小部屋で「♪バレンシアのために」を歌うくだりの三人の腕組み場面のおもしろさ、ホント毎回たまりませんでした。でっかい人が真ん中で責め立てられてるのがホントに可愛いんだよね。あとホントにこの三人がみんな違ってみんなイイ。千秋楽のオーバーアクションも素晴らしかった!
 もうひとつのユーモラス場面、セレスティーナ侯爵夫人(純矢ちとせ)に対して畏まりすぎて言葉使いがおもしろくなっちゃうところと、そのあとの駆けつけてきたマルガリータとフェルナンドの間の空気を読まないところも、毎回絶品でした。千秋楽ではまぁ様がなかなかつっこまないものだから
「イヤ俺は! …イエわたくしは! …わたしは…自分から…自分自身で…旦那に…自分で…」
 とかホントいい感じにしどろもどろになっちゃってて、なんならせーこもちょっと笑っちゃってて、まぁ様が「よくがんばったな!」って切り上げるというヒドさ(アンタが溜めたくせに!っていう、ね)! 爆笑でした。
 続くマルガリータとの場面では、いつもの「おやおやぁ?」みたいな顔から、両手挙げて(片方怪我してるのに!)目に翳してでも指の間から覗いて事態を見守ったりして、ゆいちぃ執事が咳払いしながら扉を離れて部屋の真ん中まで呼びに来るくらいで、これまた「俺、帰るよ!」にまぁ様が「気をつけて行けよー、ちょっと長かったぞー!」ってつっこむという、爆笑展開でした。そのあとちゃんと歌ったまどか、エラかったよ!!!
 この、ラモンがマルガリータの存在を知っても、あるいはロドリーゴがイサベラの存在を知っても、ふたりともフェルナンドを責めたり彼から離れたりしないのは、相身互いみたいな男同士のなれ合いというのもあるけれど、やっぱりフェルナンドの生来の真面目さ、誠実さをふたりがちゃんと理解しているからなんだろうな、と思います。あんなお嬢さんがいるのにイサベラに手を出したのか、なんてフェルナンドに怒ったりしないラモン、いいよね。
 そして彼だけが「瞳の中の宝石」をひとりだけで歌う。ハモってくれる相手がいない。でもだからこそ聴かせてくれました。歌もそれこそ星組時代からしたらホント良くなったよね…!
 あとはラモン、お願いだから、このあとも遠慮せず城を訪ねてロドリーゴを誘ってあげてください! しつこいんでしょ!? しつこくしていいから!! 隅っこで泣いてふさいでグズグズしていてもムリヤリ引っぱり出して! でないとあの人ホントにダメになっちゃうと思うから…そしてまかあき展開してください、需要あると思うんだよね…!!(脱線)

 ロドリーゴ・デ・グラナドス伯爵、我らがあっきー。と、その初のお相手役、シルヴィア・ルカノール侯爵夫人ららたんに関してはあとに回しまして、マルガリータまどかちゃん、レオン将軍の孫娘にしてフェルナンドのフィアンセ。清らかな少女。
 何度も書いていますが私はこのキャラクター、ないしこのポジションのキャラクターが本当に大好きで、そして今回のまどかは本当に現時点でのベストまどかだったと思うのですよ。ヘンに背伸びをさせられたりニン違いのものをやらされたりしていなくて、でもこの役を妙なぶりっ子に見せたり必要以上のウザさを見せたりしてはいけなくてその難しさに十分応えていて、娘役力が上がったと思うんですよね。力量があるのはわかっているだけに、こういう経験、段階をちゃんと踏んで、ちゃんと育てていただきたい娘役さんです。
 公演後半はソロに拍手が入るようになって嬉しかったなあ。それからは率先して切ってましたけど(^^;)。でもショーの客席下りで間近で見たらお化粧はまだまだだったぞ…がんばれ!

 ルカノールすっしぃさん、りんきらでも観たかったけどとりあえずさすがではありました。夜会でロドリーゴの肩にただ置く手がもうそれだけで嫌ったらしいってホントどういうことなの!? 逃げてロドリーゴーーー!って叫ぶよねあそこは。私たち仲間内の妄想ではルカノールは兄嫁、つまりロドリーゴの母親に以前横恋慕しててでもフラれて兄に取られちゃってそれを恨んでいて、だから兄の死にもなんらか荷担しているんだろうし(ちなみにこの兄嫁は病死してそう…ロドリーゴめっちゃかわいそうだな!?)、シルヴィアのことも甥の恋人だと知っていてわざわざその父親に言いがかりつけて反逆罪でとっ捕まえて許す代わりにシルヴィアを娶り甥から奪ったんだよね絶対、となっています。前妻との間にも嫡子がないんだし他に養子にできる私生児がいるようでもないから彼が種ナシなんだよねなのにシルヴィアにプレッシャーかけてヒドい男だぜ! あと甥が苦しむのを見て楽しんでるんだよねうんそれはわかるぞ! あとルーカス(蒼羽りく)は絶対お稚児さんですよねすぐ呼びつけちゃうし地下まで探しに来ちゃうもんねホントいつも地下でどんなプレイをガクブル…(脱線)
 ルカノールの腰巾着その1、バルカ(凛城きら)りんきら。ちょっと役不足ではあったと思うのだけれど、素晴らしいゲスっぷりでした。ローラ(華妃まいあ)に平手打ちし返すときにあんなに振りかぶるなんて、ホント男の風上にも置けません。黒い天使に襲われて最後はラモンに止めを差されるところのへっぽこぶりも素晴らしかったです。
 腰巾着その2、カサルス(美月悠)さお。憎々しげな、一癖ありそうな、でもいかにも小者な悪役っぷりが鮮やかで、上手くなったよねえぇってこれまた感心しました。私はさおの声が好きなんですよねえ。あっきーに斬られるところはニヤニヤしちゃったわ、普段は大の仲良しなのにねえ。
 ところで「ルカノールにお気に入りの悪党ども」みたいな台詞の「に」がいいよね、「の」じゃないの。古風なの、ゆかしいの。
 ルカノールの近衛隊長ルーカス大佐、りく。私はたとえば『相続人の肖像』とか、りくのお芝居が本当にハートフルでもともと大好きでしたが、今回は本当に感心しました。こんな慇懃無礼な、アクの強い役をきっちり務められるようになっているとは…! 首実検にデルバレス邸に踏み込むくだりとかホント絶妙だし、ホルヘ(星吹彩翔)死後のドン・ファン(瑠風輝)もえことの殺陣は身体能力の高い者同士で本当に鮮やかで素晴らしい。その前のドン・ファンとの「別口ですよ、別口」の際にお財布を仕込み忘れていたことが何度かあったのは目をつぶろう!(笑) あと「馬鹿者! 両方だ」でちゃんと笑いが取れているの、ホント素晴らしかったです。あと歌わせなかったのも正解かと…(小声)
 そしてホルヘ、ルカノールの密偵。モンチの上手さは安定ですよねえ。シルヴィアに対する優しさも印象的でした。

 フェルナンドの母親にして前領主の妻、セレスティーナせーこも今さらながらに本当に上手かったです。女王役、怖く強い女の役はお手のものとなった感がありますが、今回の情愛あふれる母親役もとても素敵でした。ルーカスに踏み込まれたあと、フェルナンドが「母上、申し訳ありませんでした」みたいに謝るのが私は本当に大好きで、彼の育ちの良さ、家族に対してであってもきちんとふるまうお行儀の良さが窺えますし、彼をそう育てたのはまぎれもなく彼女なんだなと思いました。
 レオン将軍まっぷ―、退役後もなお尊敬され人望ある老伯爵。私はたとえば『Shakespeare』のウィルパパとかは声が軽くてあまり感心せず、老け役は無理なんじゃないかなと危惧していたのですが、今回のお芝居の陰の功労者だと思いました。本当によかった! フェルナンドがさっさと杯を開けちゃうことにむせるお芝居、ホント上手かった…!! ドン・ファンとデキてるかもしれないことには目をつぶります(ホント腐っててすみません…)。
 ドン・ファン・カルデロ、泥棒さん。いわゆる義賊なのかな、「親しくさせていただいている」将軍との出会いにはいったい何があったんでしょうかね? こんな影のタイクーンみたいな人相手に可愛げ見ちゃうワケですからね? それはともかく、もえこはがんばっていけれど、ホントはもうちょっと洒脱さを出すか、でなきゃ全然違うアプローチをして、ラストにホルヘの息子だと発覚したときの「ああ、なるほど」を求めるような若く青い役作りにする、とかでもよかったのかもしれないと私は思いました。期待のホープです、がんばれ!
 レオン将軍邸の執事アントニオ役の朝央れんがまた、いい存在感でいい仕事していて、正しい使われ方だと思いました。

 マルコス(秋音光)あきも、シルヴィアの弟。あきもにはやや役不足だったかもしれません。でもおっとりいい子っぽい空気が出ていてよかったです。レアンドロにナンパされたのか? イロイロ気をつけろよ!?
 そのレアンドロ(春瀬央季)、かなこ。尺の都合だとは思いますがホントになんにもしていないのにいいとこ持ってくのがホントかなこっぽいわ!(笑) レオン将軍にマルコスを紹介するくだりが親に新しい恋人を紹介するようなキラキラさ加減だとお友達が言っていて、以後もうそうとしか見えなくなりました(^^;)。あとホントにムダに美しいよね…!(ムダ言うな)
 しかし何故「君の友人のレアンドロ」なのか、という話にこれまたお友達たちとなったのですが、フェルナンドもロドリーゴもレアンドロも士官学校の同期だったりするんじゃないの? そんでレアンドロがフェルナンドを口説いて断られたりしたんじゃないの? そのときロドリーゴはまだポヤポヤしていてレアンドロのお眼鏡にかなわなかったんじゃないの? そんでロドリーゴがなんにも気づいていないようだったのでフェルナンドも黙ってて表面的には友人としてつきあい続けてきたんだけれどそこには温度差があって、それでこの台詞なんじゃないの? とかとか。なのでこのお話のあとレアンドロがお城にロドリーゴを慰めに行くとイロイロあぶなさそうなので、やっぱりラモンが遊びに行ってあげてください!!!
 バルバラ(花音舞)、きゃのん。エル・パティオのマダム。こういう役どころはお手のものですよね。上客ロドリーゴに対するあしらいが本当にわかるわーって感じで、上手かったです。
 フラスキータ、ありさ。エル・パティオの踊り子、ラモンやイサベラの仲間。「そんなラモンがいいのよ」も印象深く、祭りの場面でもいろいろ小芝居していましたね。このお話のあと、さてどうなったのでしょうか…
 ダンサー枠であいりちゃんとまりあちゃんがよく起用されていたのも、全ツならで楽しかったです。
 しーちゃんは博多座『王家』から考えたらちょっと残念でしたが、お祭りの場面のトリオの美声はさすがでした。
 ラモンの妹ローラはまいあちゃん、幻想の歌手も素晴らしかった! バルカに唾を吐くところは啖呵が最後までピリッとしないままに私には見えましたが、まあなかなか難しいんだろうな。
 りらはどこにいても可愛い、可愛いんだがホントに役がつかないなあ…がんばれー。

 下士官たちの台詞が日に日にクリアになり、小芝居が深くなっていくのには本当に目を見張る思いでした。酔ったあーちゃんの雑なキスの迫り方がおもろかったなあ…ナベさんやりりこも印象的でした。

 さて、では、最後にロドシル語りを。
 というか今回の作品の陰のMVPはシルヴィアららたんではあるまいか。ロドリーゴの元の(公式?には別れたことなどないのかもしれませんが)恋人、今はロドリーゴの叔父ルカノール公爵の後妻。マルコスの姉。
 ららたんシルヴィアのお芝居が素晴らしいからロドリーゴが引き立ち、ロドリーゴとシルヴィアのカップルが美しく立ち上がるからフェルナンドとイサベラ(とラモン、とマルガリータ)のせつなさが際立つ。そういう構造になっているなと思いました。
 新公ヒロインをやっているとはいえバウヒロイン経験はない下級生娘役としては、かなり大きなお役だったと思いますが、ららたんはできると思っていましたよ! しかしそれ以上に本当に本当によかった。あの声、あの吐息、あの風情、あの仕草、あの身のこなし。美しくたおやかで艶やかで可憐で、悲しそうで色気があって、たまりませんでした。
 だから、ロドリーゴがプンスカ怒っているのが冷酷に見えすぎない。彼もまたつらいんだな、と思える。シルヴィアのまとう空気を反映しているんだと思います。初めてのお相手役がららたんでよかったね、あっきー!(初めてのちゅーのお相手まぁ様はここではノーカンとさせてください)
 本当に、何があったか知らないけれど、ルカノールの口車にうかうか乗ったのかはたまた首都で学ぶということに一応の野心や功名心があったのか、はたまたシルヴィアとささいな喧嘩でもして我を張ってちょっと距離をとりたかっただけなのか、とにかく正式な婚約もせずマドリードに行ったロドリーゴが悪い。知ったときには遅かったのもしれないけれど飛んで帰ってきた感じでもないところ(ルカノールとシルヴィアの結婚がいつだったのかはよくわかりませんが、ロドリーゴの帰郷の直前という感じはしませんよね?)もロドリーゴが悪い。驚いたし怒ったし、でも叔父に正式に抗議したり問いただしたりできないのも、仕方がないとはいえ情けない。でもあきらめられずにスネてグレている。で、シルヴィアに当たるかのように冷たい態度をとってしまう。「叔母と甥」とか口では言いながらも本当は、そんな親族として心優しく温かい関係に収まる気なんかないのに。
「この頭を岸壁にでも~」というのはさすがに大仰な台詞なんだけれど、私は前楽で初めてああ、このときのこの感情に似つかわしい表現なんだな、と腑に落ちました。わりと前方ででも端で、という席からだと、「宝塚グラフ」のステージサイドなんちゃらみたいなページのような(定期購読していないものでタイトルが怪しくてすみません)横からの表情がよく見えて、向かい合ってしゃべっていたり一方が他方に背を向けていてでもその人はその背を見ている、みたいなお芝居での表情が実によく追えて、キャラクターの感情が手に取るように伝わったのです。個人的にはこの回がベストアクトだったかなあ。
 育ちがよくて、おっとりしていて、好きなこと以外にはあまり興味がない鷹揚さがあって、意外と頑固、というのが中の人の素の性質かなと思っているんですけれど、それがロドリーゴ像にも表れているんだな、と思いました。加えて、ちょっと傲慢そうだったり神経質そうだったりにも見えるんだけれど、それは演技とビジュアルから立ち上がるものなのかな。で、とにかくロドリーゴには、フェルナンドやラモンにはあるしなやかさ、柔らかさがなくて、頑ななところが特徴になっているキャラクターなんですね。その対比が素晴らしいし、まぁ様やゆりかちゃんと比べて言ったらやっぱりあっきーが硬い、いい意味でも悪い意味でもそうだと思う。剛の者、という意味ではなくてね。でもそのバランスが絶妙なんだと思います。
 そんな硬いロドリーゴが、シルヴィアに対してだけは溶けるワケです。溶けて甘えて、だから痴話喧嘩もするしスネてグレてるワケです。そこがいい。そしてららたんシルヴィアはロドリーゴにそうさせるのも納得の魅力に満ち満ちています。
 ふたりの「瞳の中の宝石」は、たとえばえりあゆお披露目『ベルばら』でチエテル特出回を観たときにも今宵一夜で「ああ、この”愛あればこそ”ってすでにここでしている歌なんだな」と思ったものでしたが、まさしくそれでしたよね。愛し愛される喜びを歌いあげるキラキラしい場面でもありますが、一度気づいて観るとららたんが本当に官能に震える演技をしていて、もうそうとしか見えないのですよ!
「♪瞳の中に宝石が見える」と歌いかけられて振り返って、柱プレイ(笑)からの頬を撫でられて…が、あっきーの指が優しくて美しくてエロい、ってのもありますが、それに反応するららたんがもう完全に陶酔していて完全にR-18。「♪紫のしずく」ってなんだろう!?てなもんですよ。で、「♪君こそ私のものだ」で後ろから抱き寄せられるわけですが、まさしくモノにされちゃっているワケですよ! きゃあ~あいいのかしらこんなものを生で観てしまって!!!
 それからするとあっきーが仕事しているのはロドリーゴだけのCメロ(「♪瞳の中に~」がAメロ、「♪愛している」がメロってことです)だけなのかもね(^^;)。でもこの短いパートが本当に素晴らしいよね、ロドリーゴにだけ与えてくれてありがとうございます!としか言えません。歌詞も短調のメロディも素晴らしい。苛まれた夜ってどんななの!?!?(逆上)
 とにかくそれ以外の部分は本当にららたんに照らしてもらって輝く月のようでしたよ…男にしてもらえたんだね…(ToT)
 あ、千秋楽のキスがものすごーく長かったのは罪輝さんのお仕事ですね! かてて加えてそのあと顔を見交わして微笑み合ったときに「はあっ」って吐息つきましたからね完全に有罪です。『エリザ』の「闇広」銀橋での吐息もたいがいだったけど、もう、もう…!
 どんなお稽古をして、どんな話し合いをして、どんな役作りをして臨んだのかなあ。入り出やお茶会がなくて話が聞けなくて残念でした。でも舞台写真のセレクトがほぼ満点で、それはホントに感謝したいです…私はららたん単独でも大好きなのだけれど、こういうことでもないと舞台写真なんかなかなか出してもらえないから、本当に嬉しかったです。
 シルヴィアはどんなふうにして亡くなったのでしょうね、ロドリーゴはそれをどんなふうにして発見したのでしょうね。毒をあおった? 身を投げた? 短剣で胸を突いた?
 遺書は残したのでしょうか。でもたとえそうしたものがあっても、ロドリーゴにはシルヴィアの心情が理解できなかったかもしれませんね。ハケ際のあのららたんのなんとも言えない表情を、ロドリーゴは見ていないのですからね…地下道から上がってきたときにそれはそれは大事そうに肩を抱き寄せた、それが最期だったのですからね。そしてシルヴィアは燃え尽くした思い出を胸に、ひとり死んでいった…ロドリーゴがこうまで頑なな人だからこそ、それでバッキリ折れてしまうことが心配でたまりません。
 だからこそ頼むラモン! 再三言うけどお城に遊びに行ってやってくれ! それかエル・パティオに引きずり出して自棄酒につきあってやってくれ! で、ロドリーゴが酔いつぶれたらお姫様だっこして送って帰って「星が綺麗だ…」ってやってくれ!(それは『ベルばら』) そんなまかあき展開ならうっかり薄い本を出しそうな自分が怖いです…シルヴィアが成仏できないかしら…
 幻想場面での笑顔や晴れやかなダンス、ルカノールを倒して迎えた朝の憑き物が落ちたような優しいおちつき、あれが本来のロドリーゴであり、シルヴィアが愛したロドリーゴなんですよね。それはシルヴィアの死によって再び曇らされてしまう。それをを晴らす新たな出会いが彼にもまた訪れることを、祈らないではいられません。
 でもホント、まぁゆうりのお芝居が本当に良くて、フェルナンドもうイサベラ追っかけていっちゃいなよ、マルガリータの面倒はロドリーゴが見るよラモンにはフラスキータがいるよと思ったときもあったよね…それはそれでアリだったとも思うんだけれどね…
 はあ、せつない。演出が古かろうと、ドラマツルギーとしてはやはり不朽の名作なのではなかろうか、と思う作品なのでした。復讐が何も生まず、因果は往訪し、青春は終わり「私のイサベラ」は死に、しかしそれでも人は生きていかなくてはいけないのだ…という人生の真実が描かれているから。それが甘くせつなく美しく、極上の宝塚歌劇として構築されているから。
 もともと好きな作品でしたが、このタイミングで、このキャストで見返せて、本当に幸運でした。ありがとうございました。


 ダイナミック・ショーは作・演出/藤井大介。
 ウィザード、ウイッチはすっしぃさんときゃのん。でもすっしぃさんはやはりダンサーだし、今の声今の歌い方で歌手として起用するのはしんどいと思います。りんきら、それか娘役ふたりにしてしーちゃんとかでもよかったと思うなあ…
 プロローグのみりおんポジション、レディ・アイはゆうりちゃん。最初の歌のキーがもんのすごく低かったのはご愛敬、「チャーミングアイズ、カモォン!」の呼び声がホントにどんどんイイ感じになっていって、もうヒュー!って感じでした。まぁ様との映りも本当にお似合いでしたね。
 ここではもちろんあっきーとまどかちゃんのカップルをガン見でしたが、片足上げて絡める振りでのまどかの太腿がホントいい感じでした。タンゴパートでは基本的にはキリッとクールに踊っているのに、ときどきお互いに笑顔を口元にひらめかせ合うのがたまりませんでした。
 ジャンピングアイズではみりおんポジのジャンピング・ドールはまどか。みりおんでは細すぎて貧相に見えかねなかったダルマ網タイツが、まどかの脚だともうバン!としててバッチリで、見応えありました。
 ここではあっきーはららちゃんとカップル、ニッコニコで可愛い! エビちゃんほどではなくても身長差もあるのもカワイイ! ロケットパートでは隣がりりこなのにもニマニマしました…!
 ダークアイズは美穂さんのところがせーこになって、あとはママかな。さおかなこは本当に全ツにいくつ鬘持っていったの?という多彩な美しさを毎度見せてくれていました。まぁ様の付け毛はずっとないバージョンでしたね。大劇場初期にはゆりかがかなりまぁ様に体重をかけていた振りも、今回は脚を絡める振りに変更されていて、負担は減って妖しさが増したのでよかったと思います。
 中詰めとっぱしのあーちゃんともえこの歌は、最後まであまりクリアにならず残念でした。エトワールのハーモニーはあんなに素晴らしいのになあ、キーが合わないのかなあ? ららとまいあではまいあの方が圧倒的にダンサーだと思うのだけれど、ららも千秋楽では肩とかすごく見せ方が上手くなっていて目を惹きました。いいぞいいぞ!
 ゆりかが娘役をはべらかし放題のあとはあっきーとしーちゃん、りくとゆうり、せーこの「め組の女」。いい感じにチャラくていい気になってる感があってホントよかったわー。でもしーちゃんともっと絡んだりハモったりもしてほしかったわー。
 まどかの「天使のウィンク」は正義! ここもみりおんではやや苦しく見えましたからね。アイドルチックなりんきらやかなこが絶品でした。
 からの、まぁ様の「アイ!」の掛け声が各地の地名になった「ダイヤモンドアイズ」(千秋楽では伴走を長く止めて、「みなさん今までありがとう」「ラスト・じゃじゃ馬イン鹿児島ァ!」でしたからね、ホントにコンサート会場と化した歓声でした)。かけるの代わりにモンチがこれまたダイナミックに踊っていて素敵でした。
 からの「キッスは目にして」、各地で「○○のみなさん、こんにちはー」と煽るまぁ様に応えるの、本当に楽しかったなあぁ…りんきらと笑い合うあっきー、よかったなあぁ…
 すみっコ5もホントいい気になっててよかったなあぁ…
 ジャガーの愛ちゃんのところに入ったりくはさすがのダンサーっぷりでした。焼きそば焼くのが上手そうなゆりか兄にお釣りの計算が駄目そうな弟りく、とかが想像できちゃって愛しかったよ!
 ここのリフトは若干重そうで、ああみりおんって素晴らしいんだな、と思いました。
 ここで美穂さんパートを務めたゆうりちゃんは本当に女神で立派でした。そこからのまぁ様ノクターン、裸足から靴になっても踊りのなめらかさ、神々しさは変わらず、素晴らしかったです。
 そこからのゆりか釣り場タイム! こちらも各地で「Tokyo City Lights」を地名に変えて、「♪罪に堕ちていくのさ」の振りも素晴らしく、いつでも会場全方位に投げキスして曲ギリギリに舞台に戻る…大スター様でした。
 ロケットボーイはそらからあきもに変わりましたが、体幹のしっかりしたダンスに毎回見とれました。あーちゃんがバリバリ決め顔してくるのも愛しかったですね。
 ゆりかが娘役をはべらかし、それを蹴散らすようにまぁ様率いる男役が現れ、そこから流れるように優雅な三組デュエダンに展開する…目が足りない! まいあカワイイ!! まぁ様のお衣装が白に変わって、紫グラデーションの3カップル感が減じたのは残念でしたが、あでやかなダンスで楽しかったです。一列になるときにまぁ様にいい笑顔を見せるあっきーがまたホントに可愛くってねえ…!
 エトワールはあーちゃんともえこの極上ハーモニーから。あっきーもセンターひとり降り、ありがとうございますありがとうございます(ToT)。でもゆうりちゃんとまどかはゆりかの前に降りるのは当然として、お衣装も完全にお揃いでもいいんだけど、一応学年も鑑みて同列上手下手の並びではなく、まどかが先、ゆうりがあとの降りでもよかった気はします。
 まぁ様の大羽根にはどの会場でもどよめきが起きて、誇らしかったです。カテコは初日は「めっちゃすっきやねん!」、千秋楽では「最高だが!」と方言シリーズでコールできて、本当に楽しかったです。拍手をいいとも切りして「めっ!」のポーズで締めるまぁ様の千両役者っぷりには本当に震えました。
 さんざんウダウダ言ってきましたが全ツにショーがあるのは正解だし、そういうときにダイスケショーはわかりやすくていいよな、と思いました。
 みんなもう翌日昼前には鹿児島空港で目撃されていて、観光もしないで帰るんだ大変だな、と話を聞くだけで涙目になりそうでしたが、また次の公演に向けて英気を養っていただければと思います。
 本当にお疲れさまでした、各地あちこちでバッタリしたらご一緒したりしてくださったお友達たちもありがとう! 理性チャック全開トークのために打ち上げに個室を予約したのに、スパークしたのは駅前の路上だったこと、忘れられません…!(笑)
 なんか書き漏らしていることもたくさんある気もしますが、とりあえず今回はこのへんで。





 
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宝塚歌劇宙組『双頭の鷲』

2016年12月12日 | 観劇記/タイトルさ行
 KAAT神奈川芸術劇場、2016年12月10日11時。

 とあるヨーロッパの王国、クランツ城で起きた王妃(実咲凜音)暗殺事件。暗殺者(轟悠)は毒薬に見舞われ、王妃と共に階段に倒れて発見された。黒いヴェールで顔を覆い、人前では決して見せなかった王妃が、何故顔を露わにしていたのか? 暗殺者は何故、城の中に留まることを許されていたのか?
 原作/ジャン・コクトー、脚本・演出/植田景子、作曲・編曲/斉藤恒芳、振付/大石裕香、装置/松井るみ。ジャン・コクトーがハプスブルク家皇妃エリザベート暗殺事件に着想を得て1946年に書き上げ、のちに自身で映画化もした戯曲を、ミュージカルとして再構築。全2幕。

 外での舞台を観たことがなく、内容はまったく知らないままに観に行きました。
 私はわりと景子スキーで、かつ原作アリのバウ作品には佳作が多いと思っているのですが、今回はわりとみんながその美意識が重いと言っている装置とかの美しさにはそんなに感心するでもなくまたそこまで押し付けがましく感じて辟易するとかでもなく、ただ単に演劇として特に出だしがわかりづらくて残念に思い、景子先生の演出というよりはむしろ演技指導に疑問を感じました。
 宝塚歌劇なので、どうしても役に中の人というか、演者、スターの個性を見てしまうところがあるじゃないですか。そのバイアスというかフィルターというかが私にもあって、それを超えてくる役としてのキャラクター付けまでは今ひとつできていないように見えて、なのでスタートで間違ってしまった印象なのでした。
 卒業を発表したみりおんが今、「トップスターの相手役」という枠から離れて、なんなら「娘役」という枠からも離れて、のびのび楽しそうに王妃役を演じている…というのが私の第一印象だったんですね。ちょっとエキセントリックかもしれないし高慢でわがままかもしれないけれど、そういう癖のあるキャラクターをきっちり演じきる女役としての実力がみりおんにはあるし、だから枠とか規制とかから放たれててすがすがしくていいなあ、と思ってしまったのです。でも私はみりおんの歌は上手いと思うし歌声は好きなのですが、台詞の声はなんかいつもがんばって張り上げているような発声に聞こえてキンキン耳障りに感じることが多く、それもあって結局のところそんなみりおんが演じるこの王妃という役がそんなに魅力的には見えなかったんですね。中の人は楽しそうでいいなと思う、でもその役のことは特に好きにはなれない、というスタート。でもこれじゃダメだよね。本来は演者のことはどう思おうと、役を好きにならないとお話に心が寄せていけませんもんね。
 で、なんかやたらと詩的とか抽象的とかいうよりはどうも焦点が呆けているか的外れでただ長いだけの台詞が続くので状況がどうもよくわからないのだけれど、とにかく王妃は10年前の国王との婚礼の際に彼を暗殺で亡くしていて、命日のたびにこの城でひとり宴を催している、らしい。で、思い出の中の国王と語り合うようなくだりがあり、そこに暗殺者スタニスラスが乱入してくるわけですが、まずもってこの宴の王妃が本当に楽しそうに私には見えたんですよ。つまり彼女は寡婦かもしれないし愛した人を亡くして傷ついているのかもしれないけれど、愛はまだあってそこに浸れているし宮廷から離れてひとり好き放題して、充実し満足しているようにしか見えなかったのです。
 でも本当ならここで、もっとその裏にある哀れさとか、薄ら寒さ、王妃の狂気みたいなものが見えなければいけなかったのではないでしょうか。だからこそ王妃は自分を殺しに来た暗殺者を受け入れるのですから。
 でも私には彼女が実は死にたがっていたのだ、みたいなことが全然読み取れなかったので、彼女が何故彼をかばい匿ったのかさっぱりわからなかったんですね。それこそ単に彼の顔が亡き夫と瓜ふたつだったから?ってなもんで。
 でもそれじゃダメでしょ、王妃は孤独に疲れて死にたがっていたから暗殺者を受け入れた、王族の義務とかを大事に考えるようなことはしない、精神的には無政府主義者、自由主義者だったから…となるべきなんでしょ?
 一方の詩人で無政府主義者の青二才スタニスラスは王妃暗殺を企てて城に迷い込み、王妃に匿われてとまどい、王妃に王族の義務をまっとうせよとか言っちゃったりする。精神的には王族のような、真面目で義務やルールを重んじる高潔な無政府主義者だったから…となるべきなんでしょ?
 で、そんな鏡のような、表と裏のようなふたりが、ふたつの魂が、殺す者と殺される者として出会って、だけど恋が生まれてしまった、ってなる話なんでしょ?
 だからもう王妃は死にたがらない、スタニスラスを愛しているから。スタニスラスは王妃を殺そうとはしない、王妃を愛しているから。愛があれば世界は鮮やかに変わる、白と黒だった世界が赤く色づく…ってなる話なんでしょ?
 情熱的に盛り上がって一幕が終わり、けれどふたりが死を迎えることは一幕どアタマで明示されているので、観客はその恋の情熱を不穏に眺めながら幕間に突入する。すごくいい構造ですよね。
 で、エディット(美風舞良)とかフェーン伯爵(愛月ひかる)とかフェリックス(桜木みなと)とかイロイロあって(ザツですみません)、王妃は隠遁をやめて首都に戻り政権を取ると決意し、けれどスタニスラスは王妃のスキャンダルの原因となりたくないがために王妃の毒薬を飲んで自決しようとする。
 服毒した彼が死にかけていることに気づいた王妃は嘘の愛想尽かしをして彼を怒らせ、彼の刃を自分に向けさせる。そしてふたりはともに息絶える。
 だから「王妃の暗殺事件」はむしろ、恋人同士の無理心中みたいなものだったのだ…って話なんでしょ、コレ?
 …ということが中盤からは類推されたのですが、何しろ私はスタート時につまづいてしまったもので…あともっと言うと結局私はみりおんに飽きていて苦手に思っているし、イシちゃんのこともビジュアルはあいかわらず素晴らしいけど声がひどくて台詞が怪しいのが耐え難くどういう役作りをしているのかさっぱりわからなかったので(年齢不詳すぎるのも考えものだと思います)、好きなキャストでやってくれていればもっと上手く感情移入できたのかもしれない…というのはあります。
 好きで萌え萌えで観ていた方にはすみません。
 でもこれ、実際の戯曲ではどういう年齢設定なんでしょうか? 青年と中年女優で演じられることが多いようだけれど、婚礼から10年という王妃は30歳そこそこ、スタニスラスが20歳そこそこ、みたいな設定なのかなあ? だとしたら若者同士でもいいし、つまり理事を呼んでやるような演目ではなくて、スタニスラスはフツーに愛ちゃんかずんちゃんでやればよかったんじゃないの?ってつい思っちゃうんですよね。以下に男役偏重の宝塚歌劇であろうと、卒業間際であればコンビを離れてトップ娘役が主演・座長の公演ってあってもいいと思いますし。
 それか『オイディプス』みたいに専科公演にして、まゆみさんの王妃で専科生6人だけでストレートプレイとしてきっちりやればよかったんじゃないのかな?
 まあ今の私は『バレンシア』熱に浮かされているので、来年のバウであきららで再演するなら通いますけどね?とかはちょっと思いました。題材としては自分好みっぽそうなので、こんな出会いになってしまって残念だったのです。イヤ私が悪いんだけどさ。

 『エリザベート』をやった宙組で、シシィを演じたみりおんで王妃を、という企画性があったのだとしたら、エディットはスターレイを演じたもあちゃんで観てみたかったです。あおいちゃんだとさすがにずんちゃんが元カレとか今は愛ちゃんのスパイをしていて…みたいなところが上手く萌えられませんでした。
 ずんちゃんよかったなー、王妃に顔を見せてもらったときの感動っぷり、恋する青年っぷりがもう、散歩に呼び出されたワンコみたいなキラキラさ加減で(笑)いじらしかったです。キュンキュンしました。
 愛ちゃんもすんごいカッコよかったけど、構造としてどういう立ち位置にいるキャラクターなのかは私には今ひとつよくわかりませんでした。悪役ってことにしては、なんか、微妙な気もして…
 ほまほまはさすがの仕事をしていましたよね。あとそらもお疲れさまでした、これまたさすがだと思いました。
 あとはパパラッチという名のアンサンブル、というかつまるところモブをやっていた宙組子ですが、さすがにみんな顔がわかるので眺めていて単純に楽しかったです。スタイリッシュでホントいいよね! でももっと仕事させてあげたかったけれどね。
 
 大仰な音楽が、盛り上げすぎていて世界を壊していると感じる人もいるだろうけれど私は嫌いじゃなかったかな。新鮮味がありました。
 逆に腕クネクネいちゃいちゃ振り付けはもう三度くらい観たぞ!って気がしました。セットは本当に素敵だと思いました。お衣装もどれも素敵でしたね。
 芝居のサイズとしてはバウが合っていた気もするので、KAATだと印象の違いはあっただろうなと思います。チケットも余っているようだし、残念ではあります。
 でもこれも良き経験、となっていますように!


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宝塚歌劇雪組『私立探偵ケイレブ・ハント/Greatest HITS!』

2016年12月10日 | 観劇記/タイトルさ行
 東京宝塚劇場、2016年11月29日13時半、12月8日18時半(新人公演)。

 20世紀半ばのロサンゼルス。探偵事務所の所長、ケイレブ・ハント(早霧せいな)は共同出資者である友人ジム・クリード(望海風斗)、カズノ・ハマー(彩風咲奈)と共に、高級住宅地に住むハリウッドセレブたちのトラブル対応に奔走する日々を送っている。一方で、スタイリストとして働く恋人メイヴォンヌ(咲妃みゆ)との関係も良好だったが、お互いの生活を尊重し合うがゆえに新たな段階へ踏み出す機会を見出せずにいた…
 作・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城、玉麻尚一、高橋恵。おりじなるのミュージカル・ロマン。

 これと次の花組公演が、友会が全然当たらなかったり別件の遠征と上手く日時が合わせられなかったりで、東京公演待ちになってしまいました。でももうヤダな、なるべく大劇場でまずは一度さっさと観てしまいたいな。だってみんなの話に乗れないんだもん! 次の月と宙はマストで初日から行くので(笑)、その次の星組公演からはチケット手配をがんばりたいと思います。
 というワケで、ツイッターなどの感想も薄目で読んできてなんとなく微妙な感触もしていて、でも私自身はハリーがわりと嫌いじゃないんだけれど、でも大劇場だと最近はいろいろアレなのも承知しているので、さてどんなものかな…と思って出かけてきました。ちなみに東京公演も友会が全然当たらず(新公は当ててもらえたのですが)、お友達のおかげでやっとのことで観られたのでした。感謝…!
 
 第一印象としては、おそらく大劇場公演時よりも組子の芝居力が増していることもあって、ハリーのやりたいことはよくわかる出来に仕上がってはいる、という感じがしました。ただ、それが宝塚歌劇なのか、現代にフィットしているのか、ぶっちゃけおもしろいのかと言われれば、微妙…と答えざるをえないのではないか、とも思いました。
 私自身は嫌いじゃないし、わからなくもないのです。ハリーが描きたがっている、お洒落でドライででもちょっとユーモラスで人情味とペーソスがあり、シリアスな過去の設定もあるけれどまずまずライトな探偵物語。でも、古い。というか目新しさがない、新鮮みが足りない。今の時代にチューニングしてもいないし、ハリーブランドという以外のオリジナリティがない。この、ハリーが自分の中で縮小再生産している感じが限りなく嫌です。それでは作家として終わっている。
 プログラムでうだうだ言い訳しているけれど、別に二幕ないとできない内容じゃないですよ、コレ。むしろスカスカなんだし、それをもっと芝居としてうまく立ててやるか緩急やメリハリつけるかもっとモリモリにネタ盛り込んでエンターテインメントとして爆発させてみろよ、と思います。でもきっともうそんな情熱はないんだろうね…人は誰でも老いるものです、それは仕方ない。でもなら創作活動に関しては引退するとか考えないと…
 話が破滅的に破綻しているとかではないので、ファンならまあまあ苦もなくリピートできるでしょうし、実際ずっとチケット難なままですよね。そういう意味では幸せな演目なのかもしれません。雪組人気恐るべし。トップコンビの卒業も発表されましたしね…
 私もせめてもう1回は観たかったけれど、まあこれも縁なのであきらめます。

 感心したのはまずゆうみちゃん。ハリーロマンのヒロインにどうかな?と心配していましたが、すごーくよかったです。というか私はイヴォンヌというキャラクターが好きすぎる。これはりさちゃんが演じた新公を観ても感じたので、こんな素晴らしい女性キャラクターを描き出したという点においてはハリーを評価したいんですけれどね。後述。
 それからだいもん、咲ちゃんもたいしたものだと思いました。ハリーが描こうとしている人物像はわからなくはない、しかし具体的なエピソードもなくこんな断片的な台詞だけで芝居として成立させろだなんて本当に演者に高いハードル課すな? 下手したらしどころなくてつぶれるよこの役? という気がしましたが、ふたりともすごくちゃんとしていたと思いました。これは新公だとふたりともキャラクターとして別物になってしまっていたことが証明していたと思います。
 なぎしょーは…まあ、まんまかな? そしてひとこもこれではやりようがないよね? がおりも上手いのはわかっているんだけれど、なんか便利使いされている気がしました。
 おもしろいなと思ったのはれいこのマクシミリアン(月城かなと)かな。このお話の裏ヒロインをがおりのナイジェルだと言っているツイートも見かけましたが、私はむしろマクシミリアンなのかなと思いました。というか私はれいこを役者としては美人すぎるくらいなのではないかと思っているのですが、今回はその美貌が幸いしているというか、その悪役には無駄なくらいな美しさが、なんか実は悪役にしてはけっこう間抜けなところを許させている気がする、というか…不思議な効果を上げていた気がしました。これも、新公はガチな悪役になってしまっていて、全然違う味わいだったことが印象深いです。
 ちぎちゃんは…私にはちぎちゃんにしか見えませんでした。あんまりハリーヒーローには見えなかった。そこはちょっと引っかかったかな…脚本が立ち上げようとしているキャラクターはもうちょっと違っているようにも思えたのだけれど、ちぎちゃんはそこにハマることをよしとしていなかった感じ、というか、ハリーが芝居をつけられなかったのかな、という感じがしました。
 一方でハリーが、当て書きということとはちょっと違うのかもしれないけれど、今のちぎみゆの空気を利用して、あるいはそこに甘えてキャラクターを立てているところもあるのかなと感じました。いい方に出ればいいげと、そればかりだとダメなところもあるんだぞハリー!

 で、ストーリーがわかった上で二回目の観劇として新公を観てみると、もちろん新公学年の下級生たちの芝居が追いついていないということもありますが、ハリーの脚本の言葉の足らなさに唖然とし、イライラしました。それはクールとかいう問題ではない、単なる不精であり不親切です。これじゃわからない、伝わらないって誰か指摘してよ! そこがスムーズになったとて何も損なわれないから、むしろ共感や理解が進んでいいことばかりだから!!
 で、改めてミステリーとしては、つまり事件の捜査としてはかなり直線的で単純な構造であり、だからこれはほとんど脇筋で、メインはケイレブとイヴォンヌのラブストーリーなんだな、と思いました。
 最初から恋愛中のふたりを描くことは意外と難しい。でもちぎみゆはトップコンビとしての成熟度もあってとてもうまくその雰囲気を出していました(逆にひとこりさではそのあたりは明らかに足りていなかったと思う。冒頭でケイレブとイヴォンヌが映画会社の社長室で行き合わせるくだりが、ほとんど赤の他人みたいだった…夜の予定を確認しに来た彼女、にちゃんと見えたゆうみちゃんはさすがだったと思いました)。
 ふたりの交際は、どんなきっかけで始まったかは特に描かれていませんが、とりあえずこの一年あまり順調に続いていて、でもお互い仕事も忙しいからいつもいつもベッタリ一緒にいるわけではなく、デートもけっこう間遠な方なのかもしれない…という空気が、うまく醸し出されている気がしました。
 イヴォンヌがいいのは、別にケイレブに結婚を迫っているわけではいないところです。この時代にひとりで独立して働く女性はまだまだ珍しかったのかもしれませんが、彼女は駆け出しのファッション・スタイリストとして奮闘していて(しかしイヴォンヌが夢や未来のプランを語る台詞の陳腐さは許しがたい。ハリーが本質的にスタイリストという職業に重きを置いておらず、具体的に調べてもいない証左だと私は思う。馬脚ってのはこういうところに表われるんだよハリー!)、主婦として家庭に収まるようなことはおそらくとりあえず今は考えていない。でもケイレブのことは好きだからもっと真剣につきあいたいし、そのためにはそろそろ、お互い都合がついたときにだけ会う、みたいなある種カジュアルな関係をただ続けるのではなく、もっと真面目でまとまった話をしませんか?と、その機会を持とうとしているのだ、というところです。
 でも、ダメならダメで次にいくからいいわ、とか、次がいなくてしばらくひとりになってもそれはそれでいいわ、とか思っていそうなところがさらにいいのです。だから、誕生日デートが流れかけても「そういうものなのかもね」と、ある種あきらめたようなことが言える。記念日デートとかにガタガタこだわらない感じは、こういうお話のヒロイン像として実はけっこう新鮮だなと感心しました。
 イヴォンヌにはこれまでにも何人か彼氏がいたし、誕生日デートが上手くいったこともいかなかったこともあるのでしょう。そのナチュラルさがいい。
 一方のケイレブも、これまでの彼女と誕生日にデートをしようとしては仕事でダメになってキレられたり、そもそも誕生日を忘れていてキレられたり、いろいろしてきたのでしょう。そして今はイヴォンヌのことを真剣に愛している、だからちゃんとしたいと思ってがんばっていて、でも仕事でダメになりかけて、それをキレもせず「そういうものかもね」なんて流されてかえって焦っているわけです。すごく普通の男女っぽくていい。
 その後も、ケイレブはいろいろと言葉が足りないけれど、それはハリーの怠慢ではなくハリーがケイレブをそういうキャラクターとして描こうとしているからで、かつハリーが男というものはそういう生き物だと考えているからだと思います。そして私もそう思う。だからそういう部分はとてもいいと思いました。
 いったいに、女はつきあう男に(相手は異性とは限りませんが、この場合は男女の異性愛を考えることとして)、人生において何をどんな優先順位で考えているものですか?と聞いてみたいものなわけですよ。お互いにそこを確かめ合いすり合わせられないと、その先も一緒にやってはいけないものだから。それし結婚するしないに関わらず、です。仕事か、家庭か、愛か、夢か、金か、理想か、情熱か、正義か、大義か、命か、平和か…人が望むものはそれぞれさまざまで、その優先順位がまあまあ一致しないとつきあいづらいわけじゃないですか。
 でも男はたいていそういうことに頓着していません。聞かれて初めて考えるくらいで定まっていないし、相手の女にも同じように考えがあるのだということにも思い至らなかったりする。
 イヴォンヌはケイレブのことが好きだから、心配もするし言うことも言う、でも縛ったり止めたりできないことも知っている。だからホテルでただ泣いて待つとかはしなくて、自分でも自分の仕事の話を進め、パリへ渡る支度をする。ちゃんとしていますよねー。実際泣いて待ってても飽きるだけだもんね。そんなのダメなお話の中だけの出来事ですよ、実際の人間はそんなことしません。泣いてたっておなかはすくし食べたら元気になってちがうことを考え出して行動に移るのが人間です。
 だからこそ、そういうリアルが描けているのに何故、あんなラストになるのかは解せませんでした。そりゃちぎちゃんに抱きつくゆうみちゃんは可愛いよ? でもそういうことじゃないだろう!
 普通に考えてあそこで飛行機に乗らないなんて意味がわかりません。だって預けちゃった荷物だってあるし機内持ち込みの荷物もスチュワーデス(今はフライトアテンダントと言うにせよ)が持ってっちゃったし、先に送った荷物だってあるかもしれないし何より現地での仕事が待っているんでしょ? 離れたいか離れたくないかなんて関係ないよ、別の問題だよ仕事なんだから! しかも好きでやってる仕事なんだから!
 それをなんだよ「いいのか?」って、どこから出てくる台詞なんだよ。いいのかじゃないよいいわけないんだから。っていうかこの時点でイヴォンヌが行かないという選択をしたことがケイレブにわからなければ出てこないはずの台詞なんだから、じゃあそれはそのあとのせっかくの「離れたくない!」のネタバレになっちゃってるってことじゃん。なんなのハリー、バカなの?
 あそこでケイレブに言わせるべきは「行っておいで、でも早く帰ってきてくれ、待っているから」みたいな台詞であるべきなんじゃないの? で、抱きしめ合って銀橋渡って一曲歌って下手花道にハケたとしても、その先に搭乗口があるように見せることはできたんじゃないの?
 あるいはケイレブにはあそこで自分の分のバリ行きのチケットをポケットから出させるべきだったんじゃないの? だってジム(望海風斗)はバカンスに行くんじゃん、ケイレブだって休暇を取ってもいいはずじゃん。今の事件が終わったら、って何度かケイレブも言ってるんだし。
 てかそういうことでもないならなんでケイレブは空港に来たの? ただ見送るため? それとも引き止めるため? どっちもうぜえ! 別れは前の晩にすんでいるはずで、だからイヴォンヌも驚いてるんでしょ? 主人公にこんなカッコ悪いことさせんなよハリー!
 おそらくハリーは何も考えずにただ安易にこのラストにしているだけなんですよ。たとえば女は最後の最後にやっぱり仕事より男を取るべきだと考えているとか、そういう主張もおそらく全然ないんですよ。何も考えていないだけなんですよ。その手抜きが嫌、それが読み取れるのが嫌。もちろん手を抜くなとまず言いたいが、抜くならせめてもっと上手くやってくれ!
 勝手に決め付けていたとしたらすみません、でも私にはそう受け取れたのです。残念だなあ…

 というわけで新公は、ひとこはがんばっていたけどやっぱりちょっと空回りして見えたかな。ちぎちゃんとはちがうケイレブ像を作りかけていたようには見えて、そこはおもしろく感じたんだけれど、いかんせんお芝居ってひとりでやって成立するものじゃないからさ。
 りさちゃんは、私は確か『ルパン三世』の新公も観ていて、あのときも大劇場よりは東京では格段によかったらしく、言われているほどにはそんなに下手だの棒だのとは感じませんでしたが、今回もかなり健闘していたように思えました。でも髪形もお化粧ももっときれいに作れるだろうし、歌はホントにアレレだったよね? みんなゆうりにあれこれ言うならこういうのもちゃんと指摘して? デュエットはひとこも引っ張られて散々なことになっていましたよね?
 それからまちくんは、本人の持ち味の爽やかさや優しさで押しきってしまっていて役としてジムを作っていた、というのとはちょっとちがうかもしれないけれど、今まで路線の役をやったことがないのに実に板に付いていて、主演をさせないまま新公を卒業させるのは月のまゆぽん同様劇団の損失だな、と思いました。真ん中力ありそうなのになあ、もったいないよなあ。
 でもなんかケイレブとイヴォンヌがあまりラブラブして見えなかった分、ケイレブの心配をして回っているジムがいじらしくて、そっちの話なのかな?とかうっかり思いかけましたよ…
 あとはアデルを演じたくらっちが抜群に上手くて印象的で、組替えが楽しみとしか言えない!ってなりました。
 ナイジェルやマクシミリアンのガチっぷりが全体的なお話の印象をかなり変えてしまっていることもちょっと興味深かったです。
 ところでナイジェルはマクシミリアンを殺してしまったのでしょうか…動きを止める程度の怪我だけ負わせて済ますこともできたでしょうが、殺してしまうことが彼の正義だったのでしょうね。でも私はマクシミリアンは司法の手に渡して裁かれるべきだと思ったし、ケイレブも一応はそこを目指してホレイショー(彩凪翔)たちと協力していたんだと思うので、ナイジェルがケイレブのためにやったというならそこを慮ってほしかったかなとは思いました。というかこのままだと、ケイレブが殺人を容認しているように見えてしまうと思う…理屈っぽくてすみませんが、少なくとも私にはそう感じられてちょっとザラリとしてしまいました。


 ショー・グルーヴは作・演出/稲葉太地。
 適度にダサくてフツーに楽しいショー、という印象でした(^^;)。大ちゃんのスタイルよすぎなトナカイが一番印象的だったかな(笑)。あと鏡のくらっちとみちるね!
 れいこが垢抜けて輝いていて、組替え効果かなあとこれまた感動しました。良き未来が待っていますように!





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