宝塚バウホール、2015年10月20日ソワレ。
20世紀初頭のイングランド西部。ダラム伯爵家の跡取り息子チャーリー(桜木みなと)は、母の死後、父ジョージの再婚を機に屋敷を離れ父の葬儀にも戻らなかったが、祖母ロザムンド(悠真倫)の一計により居城であるバーリントン・ハウスに戻ってくる。ジョージの遺言は、チャーリーが伯爵家の財産を相続する条件としてジョージの後妻ヴァネッサ(純矢ちとせ)とともに屋敷で暮らすことを上げていた。チャーリーは父のかつての愛人であったヴァネッサに反発するが、財産を失えば莫大な維持費のかかる屋敷を守っていくことは不可能である。苛立ちを募らせるチャーリーは、ヴァネッサの娘イザベル(星風まどか)とも対面を果たすが…
作・演出/田渕大輔、作曲・編曲/斉藤恒芳。桜木みなとバウ初主演作、全2幕。
聞こえてくる感想がけっこう評価真っ二つだったので、逆にとても楽しみに出かけ、かつフラットに観たつもりでしたが、私はけっこう好きでした。例によってどうせならもっとこう…とつっこみたい点は多々あれど、基本的にはわりとよくできた作品に思えました。
しかしどうしてどれもこれも「だったらもっとこう」と人に手を入れたくならせる「あと一歩感」が常に常にあるのでしょうか…宝塚歌劇の演出家は脚本家も兼ねていて、ただでさえ孤独でひとりよがりな作業になりがちなのかもしれませんが、誰かに助言を求めるとか事前に客観的な視点で一度ざっとでも見てもらうことってすごく大事だと思いますよ? 小説家や漫画家でいうところの担当編集者の役割をする人は誰かいないの? たとえばプロデューサーはそういうことはしないの? 企画段階で相談に乗るとかないの? なら無償でいいからやらせてくれホント…人がひとりでできることには限界があるのです。絶対クオリティ上がるよ? ホントもったいなさすぎるよ…
というワケで今回の論調は全体的には「ガンバレ田渕くん」って感じで語らせていただきます。元ネタを知らないお若い方、すみません。例によってネタバレです。でも期待の若手だからこそ熱いうちに打っておきたいのだよ田渕くん…!
この作品を嫌ったり苦手に感じたりする人が多い最大の原因は、主人公チャーリーのキャラクター設定にあるのでしょう。でも私は、ずんちゃんの好演もあって、別に全然アリなんじゃないかなあ、と思ってしまいました。
不仲な両親の元に生まれて、何不自由なく育ててもらったちょっと甘ったれたお坊ちゃんで、でも父親には愛された記憶がなく、夫に愛されないと泣く不幸な母親を見ながら育ち、母の死と父の再婚を機に家を出て、そのまま父への反発を引きずっている、歳のわりには精神的に幼い、思春期というか反抗期を引きずっている、マザコン気味の青年。
父親が再婚した相手とは母親が亡くなる以前からつきあいがあったようで、要するに愛人を後妻に引き入れたんじゃん!とプンスカしている。本当は、父親も家のために母親と望まぬ結婚をしたのかもしれない、結婚の他に愛を求めてしまっても仕方のないことだったのかもしれない、とわからないこともないのです。もういい歳なんだしね、ホントは子供じゃないんだしね。でもそこに理解を示しちゃったら、不幸なまま死んだ母親が浮かばれない。だから一生懸命怒っている。私には、ずんちゃんチャーリーはそんな青年に見えました。可愛いもんじゃないですか。
イザベルは彼を理屈っぽいと言うけれど、理屈で怒っているというのとはちょっと違う気もするので、そういう細かい整合性やデリカシーに欠けた脚本の言葉遣いにはときどきイライラさせられました。理屈で考えられるなら、父親が愛より家を選んで母親と結婚した以上、夫としてきちんと母に誠意を尽くし愛も育み息子も愛情を持って育てるべきだった、かつての恋人とは完全に手を切り距離を置くべきだった、そういう割り切りができなかった父親を不甲斐ないと軽蔑する、蔑む…くらいはできたはずなんですよ。でもそういう怒り方じゃないじゃん、もっと感情的じゃん。
でもそれでいいと思うのです。チャーリーは理屈っぽくなんか全然ない。まだまだ感情的な、尻の青い小僧なのですよ精神的には。それをもっと愛嬌あるように描ければいいのになあ、未だ若い男性である田渕先生にはもしかしたらそれが難しいのかもしれないなあ。でも男のダメさや弱さをうまく認められないと、女相手の商売はできないと思うぞ田渕くん。
とにかく母親のために一生懸命怒ってみせていて、父親や、父と母が結婚する以前から父とヴァネッサが恋仲であったこととかをとにかく認めまいと虚勢を張っている、ただのいたいけな子供なんですチャーリーは。本当は、ただごく自然に家族に愛されたかっただけの子供。未だ愛され方を知らず愛し方を知らないでいる子供。でもこの世のどこかにはそんな愛なるものがあるということを知ってはいる、ちょっとロマンチストなところもある子供…そんな感じでよかったんだと思います。
だからこそ、父を早くに亡くしたけれど、父と母に愛されて育ち、チャーリーの父からも財政的な援助と継父としての愛情を受けて慈しまれ、心豊かに育ち、愛を信じ恋に恋する素直で明るい少女イザベルと出会ったとき、感じるところがあったのではないかしらん。そういう話でいいのではないかしらん。
ちょっとゴシック小説ふうに、陰鬱なお屋敷と墓場の場面から始まって、父親の墓に花を一輪投げ捨てる仏頂面のチャーリーから始めてもいい。それがラストシーンでは、日がさんさんと差す中、恋人と摘んだ花束を笑顔で手向けて終わる…なんて美しい構成にすればよかったのです。チャーリーとイザベルの出会いも、反発から始まって全然いいんだけれど、ああ要するにこのふたりがくっつく話だよね、ってのがもっと提示されるような、ラブコメ展開全開でいったってよかったと思うのです。というかそうすべきだったと思う。ずんちゃん初主演作品なんだし、ハッピーラブコメは観る人すべてを幸せにするエンターテインメントなんだから。ヘンに深刻ぶったって理屈がついてってないんだから。その開き直りが足りなかったと思うのです。惜しい。
父とヴァネッサの事情が見えてきたり、イザベルの輝きに魅了されたりで自分の足元がグラついて困惑し、でも爵位を継ぐ責任感はあって、でも屋敷と領地を引き継いで次の世代に残すべく運営していくには財産が必要で、でもその財産のためにヴァネッサと同居するなんて我慢できないから、なら財産のある妻を迎えよう、という発想になるのも、そりゃ利己的かもしれないけれど、当時のこの階級の人たちの中では珍しいことではなかっただろうし、自然な流れに思えました。そして、称号目当ての成金新興貴族の娘なんかを嫁にもらうくらいなら、旧知の、そして今もなお自分を想ってくれているらしい幼なじみのベアトリス(愛白もあ。『SANCTUARY』のマルゴの侍女も素晴らしかったが今回も素晴らしい!)を選びたい…というのも、そりゃもうホントに単なる甘えなんだけれど、やっぱり自然な流れかな、と思うのです。
ただ私たちは、つまり女性観客は、女性なのでヒロインに甘いところがあると思うのですよ(一方で、女性だからこそヒロインに厳しくなるときもあるのだから複雑なのですが)。同じことをヒロインがやってもちゃっかりしててカワイイわね、くらいですんだかもしれませんが、男性主人公にやられるとカチンとくるというのはあると思う。それはスターがどんなにさわやかに演じても払拭しきれるものではないので、脚本・演出に細心の注意が必要だと思うし、今回は全然その配慮が足りてなかったとは思いました。
何よりベアトリスが、私たち(とひとまとめにして申し訳ありませんが)が感情移入しやすいキャラクターなのです。というか自己イメージを投影しやすいキャラクターだった。おとなしくて引っ込み思案で恥ずかしがり屋で、派手な美貌は持ち合わせていず地味とか言われがちで、でも本が好きで物語を愛し豊かな想像力を持った、優しく親切で愛情深くおしとやかな女性…ぶっちゃけ宝塚歌劇ファンの女性の自己イメージのパターンとしてこれはかなり最大勢力的なものなのではないでしょうか。だから彼女が正当に評価されなかったり不幸になったりする展開は観客の逆鱗に触れることになるのであり、ものすごくまずいのですよ田渕くん、わかる!? 試験に出るよ? デリカシー足りなさすぎたよ??
かつてチャーリーとベアトリスに婚約話が出たようですが、のちに破棄されたのかそもそも整わなかったのかは不明瞭でした。ともあれふたりは、ベアトリスの弟ハロルド(蒼羽りく。よかったよ素晴らしかったよ!)と三人で幼い頃からお互いよく行き来して兄弟のように仲良く育ち、でもチャーリーがちょっとテレたかカッコつけたか、「やっぱり愛ってなんなのかよくわからない」とかなんとかうそぶいて別れたのでしょう。そしてベアトリスは社交家でもなく男ウケする派手な美女でもないので、実家の爵位や財産にもかかわらず社交界の花となることもなく、ここまで独身できたのでしょう。でもチャーリーとの久々の再会を素直に喜び、かつ結婚相手として望まれといるらしいと聞いて、素直にうれしがったのでしょう。彼からのきちんとした言葉がないままなのは不安だったでしょうが、それでも心は高ぶってしまう…ああ、なんていじらしい。
祖母ロザムンドやベアトリスたちの父エドワード(美月悠。ダンディなおじさまぶりが素晴らしかったわ!)が言うように、貴族にとっては爵位と屋敷と領地を次の世代に受け継ぐことが第一の務めだったのでしょうし、結婚とはそのためになされる、財産や家同士の釣り合いなどが優先されるもので、愛情とは無関係なものである、という認識は一般的だったのでしょう。そしてチャーリーは父を嫌うなら、父とは違う生き方をすべく、利己的な条件で選んだベアトリスを愛す努力をしなければなりませんでした。少なくともその意識や覚悟がちゃんとなければダメでした。その意識がちゃんとあって、努力もするんだけれど、でも愛って努力でどうにかできるものではなくて、イザベルに惹かれてしまうのをとめられなくて…というふうに流れていないから、チャーリーが卑怯でわがまま勝手な最低な男で何も悪くないベアトリスがかわいそうすぎてこの話も嫌い、となっちゃう観客が増えちゃったんですよ田渕くん! でもそれじゃダメじゃん!!
チャーリーにそういう意識がないからこそ、『嵐が丘』に憧れるベアトリスに対して他人事みたいな話をしちゃうところとかは、いかにもでちょっとおもしろかったんですけれどね。でもせっかくエドワードに、娘を愛せとは言わないが誠意を尽くせ、不幸にするなみたいな、いいことを言わせてるのになあ。ところでこのくだりでのエドワードのベアトリス評価はマイナス100万点です田渕くん。観客が感情移入するベアトリスを悪く言うような台詞をスターに言わせるんじゃないよ馬鹿者。スターが悪く見えるだろうが、さおとさおファンに謝れ。
エドワードを悪い男に描く必要はまったくない。エドワードには、ベアトリスが見栄えの点などで男ウケが悪いし若い君には物足りなく思えるかもしれないが、従順で良い妻になるいい娘だよ、というような形ででもベアトリスをきちんとある程度評価する男でいてほしかった。馬鹿な男なのと人間として馬鹿なのとは違うのですよ。例えばここで「あれの良さは若い君にはなかなか理解できないだろうが…」とでも言わせてくれていたらなあ…田渕くん『アルジェの男』勉強して!
おそらくエドワードもまた色恋抜きで家のために政略的に選んだ女性と結婚したのであり、外で愛人を囲うくらいのことはしたかもしれませんが決して家庭を壊さず、誠意を持って妻を立て妻を愛し娘と息子を慈しんで育てたのでしょう。チャーリーが目指すべきは彼だったのです。それか、愛を取って家を捨てるかの二択です。でもそれこそ家族のように慈しみ仕えてくれた使用人たちへの恩義もあるし、屋敷や領地への愛着や責任感もあるしで板挟みになる…これはそういうドラマであるべきでした。
イザベルは何故ハロルドから逃げ回っていたのでしょうね? りくのことだから、暑苦しく迫りすぎたのでしょうか。← 恋に恋する少女とはいえ、口説いてきた誰とでも恋に落ちるというものでもなくて、残念ながらぴんとこないでいたのでしょうね。それか、ハロルドが子爵家令息というのに腰が引けてしまっていたのかもしれません。母親が伯爵と再婚したからといって、自分を「伯爵令嬢」と捉える意識はイザベルにはなかったのですからね。
チャーリーに対しては、話に聞いていて会うのを楽しみにしていた「兄」でもあるし、静かにピアノを聴いてくれたこともあるし、つっかかられたりしてムカつくんだけどなんかいつもどこか寂しそうで気になるし、ひとりぼっちでかわいそうだし…みたいな感じで気になって、好意的になって、それでいつしか…といったところでしょうか。
だから「練習」のワルツは、何フレーズか無言で、それこそスモーク焚いてもいいから、もっとうっとりキラキラの演出をして「運命のダンス」を印象づけるべきでした。踊ったら運命の相手がわかる、とイザベルは信じてきたのだから。チャーリーもその話を聞いているのだから。ここで電流が走る演出をしなきゃダメです。何故ただ踊りながらフツーに会話させるとかの演出になるの田渕くん馬鹿なの?
そこでお互いがとまどいながらもさらに惹かれ合っちゃって、でも認めるわけにいかないし事態はどんどん進んじゃってるし…って話じゃないですか、この作品は。だからイザベルはハロルドの話にチャーリーを立ち会わせようとするんじゃないですか。ハロルドのプロポーズを聞いてチャーリーは焦るんじゃないですか。
そのあとにもう一場面、チャーリーとイザベルのエピソードが欲しかったですね。恋心が募る印象的な事件、エピソードが足りなかったと思います。こういうところに作家の個性が出るものなので、アイディアを振り絞って何かしらつっこんでほしかった。別に使用人場面をカットしなくても尺的に入れられたと思うなー、全体にちょっと間延びしていたので。宝塚歌劇の座付き作家としてラブい場面を作る力量は絶対に必要ですよ、がんばれ田渕くん!
その後の展開はもう、ベアトリスが素晴らしすぎました。
だからこそ、チャーリーにはベアトリスにきちんと謝罪してほしかったなあ。ハロルドには謝ってるのに。なんなのまさか女に頭は下げられないとか思ってんじゃないでしょうね田渕くん?
去り際、ベアトリスの方がチャーリーの頬にキスしますが、チャーリーが跪いてベアトリスの手の甲にキスしても素敵だったと思うよ? 紳士ってそういうことでしょ? 誠実さってそういうことでしょ?
そしてそのあとも、チャーリーにはイザベルにきちんとプロポーズさせてほしかった。ツンデレがどうとかいう問題ではありません、愛する相手からプロポーズされることはなんと言われようと全女性の願望であり夢です。宝塚歌劇でくらい叶えなくてどーする。ケチケチしてんじゃねーよ田渕!
はっ、だんだん口が悪くなりすぎましたすみません。ことほどさようにつっこみどころは多々ある話なのですが、つっこむ気も起きなくなるくらい崩壊した話もたくさんあるわけで、それからしたら全然よかったし私は好きです。でもだからこそもっと良くなって何度でも観たくなるリピーターが出て、組ファンでもずんちゃんファンでもない人がファンになってくれて再演希望まで出るような、そんな傑作になりきれてないのが惜しいのです。それを私はねちねち語らないではいられないのでした。
逆『ミーマイ』のように言う人がいたけれど、これはむしろ逆『エリザ』ですよね。ファザコンで皇后の務めを重荷に感じ自由を求めたシシィと、マザコンで伯爵家を継ぐための政略結婚を受け入れきれず愛を求めたチャーリーと。でも先述したようにヒロインがやることには寛容でも男性主人公がやることには厳しい目を向けがちな女性観客が多いのだから、細心の注意が必要でした。甘ったれたこと言ってんじゃないよ女々しいやっちゃなあ、と言われないよう、チャーリーの言動の表現にもっと手を尽くさなければならなかったのです。その機微がわからないようなら道は厳しいよ田渕くん!
というワケでずんちゃんバウ初主演、おめでとうございました! 堂々の真ん中ぶり、この時代特有のお衣装を美しく着こなして、得意の笑顔も封印して、だからこそ終盤やフィナーレでの笑顔の破壊力も増すという盤石のスターっぷり! 素晴らしかったです。デュエットダンスのリフトの優しさがまぁ様譲りだと泣けましたよ…!!
まどかちゃんもホント上手い。でもやっぱりもっともっと娘役芸に磨きをかけてほしい。ヒロインだけでなく、バンバン経験積ませましょう。そして少しも早くるりるりできるようになってくれたら、ポジションさえ空けばすぐにでも就任できることでしょう。
そしてりく、よかったよりく! 歌はやっぱり手に汗握りましたが、これぞ当て書き、というりくに想定されるキャラクター像をこれまた素直に素敵に演じてくれて、みんなキュンキュンでしたよ!?
パレードはまりんさんのあと、まどかの前に出してほしかった。明確なバウ二番手スターとして扱ってほしかったです。ずんちゃんより上級生だし現時点ではずんちゃんより新公主演回数も多いスターさんなんですよ? 思うところが絶対あるはずなんです、それでもこうしてともに舞台を作ってくれているんですよ? 劇団も誠意を尽くすべきです。
お芝居を締めたのはやはりまりんさん、せーこ。そしてまっぷー、胴布団入れて老け役やらせられるなんてホントは気の毒なんだけれど、上手いできちゃうし、上級生がいない組だからねえ…
メイド長を演じた花咲あいりもとてもよかった。というかこの人のこんなに大きい役を初めて観ました。嫌味な成金をちゃんと演じてみせた朝央れんも素晴らしい、その困った娘をきっちり演じた小春乃さよも素晴らしい。
あともあちゃん、ホントに良かった。田渕先生がこの役をつまらないキャラクターに書かなかったことと、彼女を配役してくれたことに感謝します。おそらく近い将来もっと誠実で情熱的な男がベアトリスの前に現われるよ! それか、小説家になって自立して幸せに生きていく…という未来もいいかもしれません。大丈夫、神様は絶対に見ていてくれるし、お父さんも弟も支えてくれるからね?
一方かなこは色気に甘えず台詞の声をきちんと出せるようになってくれ…いつ上手くなってくれるの? まりなもカワイイだけじゃダメなのよ? まあ今回は役不足だったかもしれませんが…みんな甘やかしちゃいかーん!
あーちゃんの休演は残念でした。この下僕トリオはまた変わって見えたことでしょう。ふみなもちゃんとしてたなー、意外!(失礼)穂稀せりが上手いのは知っていました、うん。
前作と違って今回はフィナーレがあって正解。素敵でした。もうじき千秋楽ですね、さらにいい舞台に仕上がっていることを祈ります。
20世紀初頭のイングランド西部。ダラム伯爵家の跡取り息子チャーリー(桜木みなと)は、母の死後、父ジョージの再婚を機に屋敷を離れ父の葬儀にも戻らなかったが、祖母ロザムンド(悠真倫)の一計により居城であるバーリントン・ハウスに戻ってくる。ジョージの遺言は、チャーリーが伯爵家の財産を相続する条件としてジョージの後妻ヴァネッサ(純矢ちとせ)とともに屋敷で暮らすことを上げていた。チャーリーは父のかつての愛人であったヴァネッサに反発するが、財産を失えば莫大な維持費のかかる屋敷を守っていくことは不可能である。苛立ちを募らせるチャーリーは、ヴァネッサの娘イザベル(星風まどか)とも対面を果たすが…
作・演出/田渕大輔、作曲・編曲/斉藤恒芳。桜木みなとバウ初主演作、全2幕。
聞こえてくる感想がけっこう評価真っ二つだったので、逆にとても楽しみに出かけ、かつフラットに観たつもりでしたが、私はけっこう好きでした。例によってどうせならもっとこう…とつっこみたい点は多々あれど、基本的にはわりとよくできた作品に思えました。
しかしどうしてどれもこれも「だったらもっとこう」と人に手を入れたくならせる「あと一歩感」が常に常にあるのでしょうか…宝塚歌劇の演出家は脚本家も兼ねていて、ただでさえ孤独でひとりよがりな作業になりがちなのかもしれませんが、誰かに助言を求めるとか事前に客観的な視点で一度ざっとでも見てもらうことってすごく大事だと思いますよ? 小説家や漫画家でいうところの担当編集者の役割をする人は誰かいないの? たとえばプロデューサーはそういうことはしないの? 企画段階で相談に乗るとかないの? なら無償でいいからやらせてくれホント…人がひとりでできることには限界があるのです。絶対クオリティ上がるよ? ホントもったいなさすぎるよ…
というワケで今回の論調は全体的には「ガンバレ田渕くん」って感じで語らせていただきます。元ネタを知らないお若い方、すみません。例によってネタバレです。でも期待の若手だからこそ熱いうちに打っておきたいのだよ田渕くん…!
この作品を嫌ったり苦手に感じたりする人が多い最大の原因は、主人公チャーリーのキャラクター設定にあるのでしょう。でも私は、ずんちゃんの好演もあって、別に全然アリなんじゃないかなあ、と思ってしまいました。
不仲な両親の元に生まれて、何不自由なく育ててもらったちょっと甘ったれたお坊ちゃんで、でも父親には愛された記憶がなく、夫に愛されないと泣く不幸な母親を見ながら育ち、母の死と父の再婚を機に家を出て、そのまま父への反発を引きずっている、歳のわりには精神的に幼い、思春期というか反抗期を引きずっている、マザコン気味の青年。
父親が再婚した相手とは母親が亡くなる以前からつきあいがあったようで、要するに愛人を後妻に引き入れたんじゃん!とプンスカしている。本当は、父親も家のために母親と望まぬ結婚をしたのかもしれない、結婚の他に愛を求めてしまっても仕方のないことだったのかもしれない、とわからないこともないのです。もういい歳なんだしね、ホントは子供じゃないんだしね。でもそこに理解を示しちゃったら、不幸なまま死んだ母親が浮かばれない。だから一生懸命怒っている。私には、ずんちゃんチャーリーはそんな青年に見えました。可愛いもんじゃないですか。
イザベルは彼を理屈っぽいと言うけれど、理屈で怒っているというのとはちょっと違う気もするので、そういう細かい整合性やデリカシーに欠けた脚本の言葉遣いにはときどきイライラさせられました。理屈で考えられるなら、父親が愛より家を選んで母親と結婚した以上、夫としてきちんと母に誠意を尽くし愛も育み息子も愛情を持って育てるべきだった、かつての恋人とは完全に手を切り距離を置くべきだった、そういう割り切りができなかった父親を不甲斐ないと軽蔑する、蔑む…くらいはできたはずなんですよ。でもそういう怒り方じゃないじゃん、もっと感情的じゃん。
でもそれでいいと思うのです。チャーリーは理屈っぽくなんか全然ない。まだまだ感情的な、尻の青い小僧なのですよ精神的には。それをもっと愛嬌あるように描ければいいのになあ、未だ若い男性である田渕先生にはもしかしたらそれが難しいのかもしれないなあ。でも男のダメさや弱さをうまく認められないと、女相手の商売はできないと思うぞ田渕くん。
とにかく母親のために一生懸命怒ってみせていて、父親や、父と母が結婚する以前から父とヴァネッサが恋仲であったこととかをとにかく認めまいと虚勢を張っている、ただのいたいけな子供なんですチャーリーは。本当は、ただごく自然に家族に愛されたかっただけの子供。未だ愛され方を知らず愛し方を知らないでいる子供。でもこの世のどこかにはそんな愛なるものがあるということを知ってはいる、ちょっとロマンチストなところもある子供…そんな感じでよかったんだと思います。
だからこそ、父を早くに亡くしたけれど、父と母に愛されて育ち、チャーリーの父からも財政的な援助と継父としての愛情を受けて慈しまれ、心豊かに育ち、愛を信じ恋に恋する素直で明るい少女イザベルと出会ったとき、感じるところがあったのではないかしらん。そういう話でいいのではないかしらん。
ちょっとゴシック小説ふうに、陰鬱なお屋敷と墓場の場面から始まって、父親の墓に花を一輪投げ捨てる仏頂面のチャーリーから始めてもいい。それがラストシーンでは、日がさんさんと差す中、恋人と摘んだ花束を笑顔で手向けて終わる…なんて美しい構成にすればよかったのです。チャーリーとイザベルの出会いも、反発から始まって全然いいんだけれど、ああ要するにこのふたりがくっつく話だよね、ってのがもっと提示されるような、ラブコメ展開全開でいったってよかったと思うのです。というかそうすべきだったと思う。ずんちゃん初主演作品なんだし、ハッピーラブコメは観る人すべてを幸せにするエンターテインメントなんだから。ヘンに深刻ぶったって理屈がついてってないんだから。その開き直りが足りなかったと思うのです。惜しい。
父とヴァネッサの事情が見えてきたり、イザベルの輝きに魅了されたりで自分の足元がグラついて困惑し、でも爵位を継ぐ責任感はあって、でも屋敷と領地を引き継いで次の世代に残すべく運営していくには財産が必要で、でもその財産のためにヴァネッサと同居するなんて我慢できないから、なら財産のある妻を迎えよう、という発想になるのも、そりゃ利己的かもしれないけれど、当時のこの階級の人たちの中では珍しいことではなかっただろうし、自然な流れに思えました。そして、称号目当ての成金新興貴族の娘なんかを嫁にもらうくらいなら、旧知の、そして今もなお自分を想ってくれているらしい幼なじみのベアトリス(愛白もあ。『SANCTUARY』のマルゴの侍女も素晴らしかったが今回も素晴らしい!)を選びたい…というのも、そりゃもうホントに単なる甘えなんだけれど、やっぱり自然な流れかな、と思うのです。
ただ私たちは、つまり女性観客は、女性なのでヒロインに甘いところがあると思うのですよ(一方で、女性だからこそヒロインに厳しくなるときもあるのだから複雑なのですが)。同じことをヒロインがやってもちゃっかりしててカワイイわね、くらいですんだかもしれませんが、男性主人公にやられるとカチンとくるというのはあると思う。それはスターがどんなにさわやかに演じても払拭しきれるものではないので、脚本・演出に細心の注意が必要だと思うし、今回は全然その配慮が足りてなかったとは思いました。
何よりベアトリスが、私たち(とひとまとめにして申し訳ありませんが)が感情移入しやすいキャラクターなのです。というか自己イメージを投影しやすいキャラクターだった。おとなしくて引っ込み思案で恥ずかしがり屋で、派手な美貌は持ち合わせていず地味とか言われがちで、でも本が好きで物語を愛し豊かな想像力を持った、優しく親切で愛情深くおしとやかな女性…ぶっちゃけ宝塚歌劇ファンの女性の自己イメージのパターンとしてこれはかなり最大勢力的なものなのではないでしょうか。だから彼女が正当に評価されなかったり不幸になったりする展開は観客の逆鱗に触れることになるのであり、ものすごくまずいのですよ田渕くん、わかる!? 試験に出るよ? デリカシー足りなさすぎたよ??
かつてチャーリーとベアトリスに婚約話が出たようですが、のちに破棄されたのかそもそも整わなかったのかは不明瞭でした。ともあれふたりは、ベアトリスの弟ハロルド(蒼羽りく。よかったよ素晴らしかったよ!)と三人で幼い頃からお互いよく行き来して兄弟のように仲良く育ち、でもチャーリーがちょっとテレたかカッコつけたか、「やっぱり愛ってなんなのかよくわからない」とかなんとかうそぶいて別れたのでしょう。そしてベアトリスは社交家でもなく男ウケする派手な美女でもないので、実家の爵位や財産にもかかわらず社交界の花となることもなく、ここまで独身できたのでしょう。でもチャーリーとの久々の再会を素直に喜び、かつ結婚相手として望まれといるらしいと聞いて、素直にうれしがったのでしょう。彼からのきちんとした言葉がないままなのは不安だったでしょうが、それでも心は高ぶってしまう…ああ、なんていじらしい。
祖母ロザムンドやベアトリスたちの父エドワード(美月悠。ダンディなおじさまぶりが素晴らしかったわ!)が言うように、貴族にとっては爵位と屋敷と領地を次の世代に受け継ぐことが第一の務めだったのでしょうし、結婚とはそのためになされる、財産や家同士の釣り合いなどが優先されるもので、愛情とは無関係なものである、という認識は一般的だったのでしょう。そしてチャーリーは父を嫌うなら、父とは違う生き方をすべく、利己的な条件で選んだベアトリスを愛す努力をしなければなりませんでした。少なくともその意識や覚悟がちゃんとなければダメでした。その意識がちゃんとあって、努力もするんだけれど、でも愛って努力でどうにかできるものではなくて、イザベルに惹かれてしまうのをとめられなくて…というふうに流れていないから、チャーリーが卑怯でわがまま勝手な最低な男で何も悪くないベアトリスがかわいそうすぎてこの話も嫌い、となっちゃう観客が増えちゃったんですよ田渕くん! でもそれじゃダメじゃん!!
チャーリーにそういう意識がないからこそ、『嵐が丘』に憧れるベアトリスに対して他人事みたいな話をしちゃうところとかは、いかにもでちょっとおもしろかったんですけれどね。でもせっかくエドワードに、娘を愛せとは言わないが誠意を尽くせ、不幸にするなみたいな、いいことを言わせてるのになあ。ところでこのくだりでのエドワードのベアトリス評価はマイナス100万点です田渕くん。観客が感情移入するベアトリスを悪く言うような台詞をスターに言わせるんじゃないよ馬鹿者。スターが悪く見えるだろうが、さおとさおファンに謝れ。
エドワードを悪い男に描く必要はまったくない。エドワードには、ベアトリスが見栄えの点などで男ウケが悪いし若い君には物足りなく思えるかもしれないが、従順で良い妻になるいい娘だよ、というような形ででもベアトリスをきちんとある程度評価する男でいてほしかった。馬鹿な男なのと人間として馬鹿なのとは違うのですよ。例えばここで「あれの良さは若い君にはなかなか理解できないだろうが…」とでも言わせてくれていたらなあ…田渕くん『アルジェの男』勉強して!
おそらくエドワードもまた色恋抜きで家のために政略的に選んだ女性と結婚したのであり、外で愛人を囲うくらいのことはしたかもしれませんが決して家庭を壊さず、誠意を持って妻を立て妻を愛し娘と息子を慈しんで育てたのでしょう。チャーリーが目指すべきは彼だったのです。それか、愛を取って家を捨てるかの二択です。でもそれこそ家族のように慈しみ仕えてくれた使用人たちへの恩義もあるし、屋敷や領地への愛着や責任感もあるしで板挟みになる…これはそういうドラマであるべきでした。
イザベルは何故ハロルドから逃げ回っていたのでしょうね? りくのことだから、暑苦しく迫りすぎたのでしょうか。← 恋に恋する少女とはいえ、口説いてきた誰とでも恋に落ちるというものでもなくて、残念ながらぴんとこないでいたのでしょうね。それか、ハロルドが子爵家令息というのに腰が引けてしまっていたのかもしれません。母親が伯爵と再婚したからといって、自分を「伯爵令嬢」と捉える意識はイザベルにはなかったのですからね。
チャーリーに対しては、話に聞いていて会うのを楽しみにしていた「兄」でもあるし、静かにピアノを聴いてくれたこともあるし、つっかかられたりしてムカつくんだけどなんかいつもどこか寂しそうで気になるし、ひとりぼっちでかわいそうだし…みたいな感じで気になって、好意的になって、それでいつしか…といったところでしょうか。
だから「練習」のワルツは、何フレーズか無言で、それこそスモーク焚いてもいいから、もっとうっとりキラキラの演出をして「運命のダンス」を印象づけるべきでした。踊ったら運命の相手がわかる、とイザベルは信じてきたのだから。チャーリーもその話を聞いているのだから。ここで電流が走る演出をしなきゃダメです。何故ただ踊りながらフツーに会話させるとかの演出になるの田渕くん馬鹿なの?
そこでお互いがとまどいながらもさらに惹かれ合っちゃって、でも認めるわけにいかないし事態はどんどん進んじゃってるし…って話じゃないですか、この作品は。だからイザベルはハロルドの話にチャーリーを立ち会わせようとするんじゃないですか。ハロルドのプロポーズを聞いてチャーリーは焦るんじゃないですか。
そのあとにもう一場面、チャーリーとイザベルのエピソードが欲しかったですね。恋心が募る印象的な事件、エピソードが足りなかったと思います。こういうところに作家の個性が出るものなので、アイディアを振り絞って何かしらつっこんでほしかった。別に使用人場面をカットしなくても尺的に入れられたと思うなー、全体にちょっと間延びしていたので。宝塚歌劇の座付き作家としてラブい場面を作る力量は絶対に必要ですよ、がんばれ田渕くん!
その後の展開はもう、ベアトリスが素晴らしすぎました。
だからこそ、チャーリーにはベアトリスにきちんと謝罪してほしかったなあ。ハロルドには謝ってるのに。なんなのまさか女に頭は下げられないとか思ってんじゃないでしょうね田渕くん?
去り際、ベアトリスの方がチャーリーの頬にキスしますが、チャーリーが跪いてベアトリスの手の甲にキスしても素敵だったと思うよ? 紳士ってそういうことでしょ? 誠実さってそういうことでしょ?
そしてそのあとも、チャーリーにはイザベルにきちんとプロポーズさせてほしかった。ツンデレがどうとかいう問題ではありません、愛する相手からプロポーズされることはなんと言われようと全女性の願望であり夢です。宝塚歌劇でくらい叶えなくてどーする。ケチケチしてんじゃねーよ田渕!
はっ、だんだん口が悪くなりすぎましたすみません。ことほどさようにつっこみどころは多々ある話なのですが、つっこむ気も起きなくなるくらい崩壊した話もたくさんあるわけで、それからしたら全然よかったし私は好きです。でもだからこそもっと良くなって何度でも観たくなるリピーターが出て、組ファンでもずんちゃんファンでもない人がファンになってくれて再演希望まで出るような、そんな傑作になりきれてないのが惜しいのです。それを私はねちねち語らないではいられないのでした。
逆『ミーマイ』のように言う人がいたけれど、これはむしろ逆『エリザ』ですよね。ファザコンで皇后の務めを重荷に感じ自由を求めたシシィと、マザコンで伯爵家を継ぐための政略結婚を受け入れきれず愛を求めたチャーリーと。でも先述したようにヒロインがやることには寛容でも男性主人公がやることには厳しい目を向けがちな女性観客が多いのだから、細心の注意が必要でした。甘ったれたこと言ってんじゃないよ女々しいやっちゃなあ、と言われないよう、チャーリーの言動の表現にもっと手を尽くさなければならなかったのです。その機微がわからないようなら道は厳しいよ田渕くん!
というワケでずんちゃんバウ初主演、おめでとうございました! 堂々の真ん中ぶり、この時代特有のお衣装を美しく着こなして、得意の笑顔も封印して、だからこそ終盤やフィナーレでの笑顔の破壊力も増すという盤石のスターっぷり! 素晴らしかったです。デュエットダンスのリフトの優しさがまぁ様譲りだと泣けましたよ…!!
まどかちゃんもホント上手い。でもやっぱりもっともっと娘役芸に磨きをかけてほしい。ヒロインだけでなく、バンバン経験積ませましょう。そして少しも早くるりるりできるようになってくれたら、ポジションさえ空けばすぐにでも就任できることでしょう。
そしてりく、よかったよりく! 歌はやっぱり手に汗握りましたが、これぞ当て書き、というりくに想定されるキャラクター像をこれまた素直に素敵に演じてくれて、みんなキュンキュンでしたよ!?
パレードはまりんさんのあと、まどかの前に出してほしかった。明確なバウ二番手スターとして扱ってほしかったです。ずんちゃんより上級生だし現時点ではずんちゃんより新公主演回数も多いスターさんなんですよ? 思うところが絶対あるはずなんです、それでもこうしてともに舞台を作ってくれているんですよ? 劇団も誠意を尽くすべきです。
お芝居を締めたのはやはりまりんさん、せーこ。そしてまっぷー、胴布団入れて老け役やらせられるなんてホントは気の毒なんだけれど、上手いできちゃうし、上級生がいない組だからねえ…
メイド長を演じた花咲あいりもとてもよかった。というかこの人のこんなに大きい役を初めて観ました。嫌味な成金をちゃんと演じてみせた朝央れんも素晴らしい、その困った娘をきっちり演じた小春乃さよも素晴らしい。
あともあちゃん、ホントに良かった。田渕先生がこの役をつまらないキャラクターに書かなかったことと、彼女を配役してくれたことに感謝します。おそらく近い将来もっと誠実で情熱的な男がベアトリスの前に現われるよ! それか、小説家になって自立して幸せに生きていく…という未来もいいかもしれません。大丈夫、神様は絶対に見ていてくれるし、お父さんも弟も支えてくれるからね?
一方かなこは色気に甘えず台詞の声をきちんと出せるようになってくれ…いつ上手くなってくれるの? まりなもカワイイだけじゃダメなのよ? まあ今回は役不足だったかもしれませんが…みんな甘やかしちゃいかーん!
あーちゃんの休演は残念でした。この下僕トリオはまた変わって見えたことでしょう。ふみなもちゃんとしてたなー、意外!(失礼)穂稀せりが上手いのは知っていました、うん。
前作と違って今回はフィナーレがあって正解。素敵でした。もうじき千秋楽ですね、さらにいい舞台に仕上がっていることを祈ります。
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