駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『キネマと恋人』

2016年12月02日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタートラム、2016年11月30日19時。
 昭和11年(1936年)、秋。東京から遠く遠く離れたも日本のどこかにある小さな島の小さな港町。この町唯一の映画館では、東京で封切られてから一年も二年も遅れてようやく新作映画がかかる。今日もスクリーンを見つめる女性がひとり。同じ映画を何度も鑑賞し、上映が終わってもひとり拍手を送り続けている…
 台本・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ、映像監修/上田大樹、振付/小野寺修二、音楽/鈴木光介。ウディ・アレン監督の1985年の映画『カイロの紫のバラ』にインスパイアされた作品。全2幕。

 ケラ作品はいくつかは観ていて(『三人姉妹』、『祈りと怪物』、『ノーアート・ノーライフ』、『ドント・トラスト・オーバー30』などなど)、それなりにおもしろかったり私にはよくわからなかったりいろいろでしたが、今回はお友達にお勧めいただいていそいそと出かけてきました。インフルエンザ休演の回でなくてよかった!
 役者がみんな達者で、ヒロイン・ハルコ役の緒川たまき以外はひとり何役もしているのですがそれが鮮やかで素晴らしくて、映像の使い方も凝っていて、場面転換がアグレッシブ(他にどう表現していいかわからない…)で、ストーリーがどうなるのか全然読めなくて、そして最後は泣かされました。休憩込み3時間15分の長丁場でしたが、とても贅沢な経験をさせていただきました。
 今の私にとってスターというと宝塚歌劇の生徒しか思いつかなくて、そして彼女たちはファンとの距離が近いので、最初のうちはヒロインの心情などが上手く想像できなかったのですが、これは私でいうところの大下勇次(@『あぶない刑事』)か柴田恭兵かって二択ってことかな、と思いついたらなかなかわかりやすかったです。
 でも私はオタクだからユージを選択しそう…とか思ったのですが、ハルコは間坂寅蔵ではなく高木高助(妻夫木聡の二役)を選びます。寅蔵が時代劇のキャラクターで現実世界ではなかなかつきあいづらそう、ということもあったでしょうし、ハルコは高助の全出演作を何度も何度も観ているようなマニアなので、俳優としての彼をより愛していた、というのはあるのでしょう。
 そう、女にとって、俳優としての相手を愛することと、相手を男として愛することの距離はかなり近い、と思う。けれど男は、自分をものすごくわかってくれる熱いファンの女に対して、嬉しくて感謝したり虚栄心が満たされたりということがまず大きくて、そこから相手を女としてきちんと愛すようになるところまでいくかというと、かなり怪しいのではないでしょうか。
 それでも、ハルコと高助も、もっと時間をかけられれば上手くいく、という道筋はあったと思うんですよね。けれど高助は東京に帰らなくてはならず、ハルコは夫を捨てて飛び出したものの…という、ラストでした。そりゃこんな状態で東京に行っても上手くいくわけなんかないな、とは思いました。でも泣きました、悔しくて、かわいそうで。私ならこんな生き方は嫌だ、と思ってしまって。
 でも高助は何よりもまずミュージカルスターになりたかったのだと思います。それを脇役役者に甘んじながらもずっと願って願って、密かに努力も続けていたんだと思います。だから、ハルコに恋した虎三が発憤したことがきっかけではありましたが、スターへのとっかかりが訪れた。望みは望めば手に入ることもあるのです。逆に言えば、人は望んだものしか手に入れられないのです。
 ハルコの望みはなんだったでしょうか? 夫の暴力や金遣いの荒さや浮気に耐え、なんとか平穏に暮らし、つましく働き、夜は映画館で映画を観る、ただそれだけだったのではないでしょうか。だから彼女は映画館に帰ってくるしかなかったのではないでしょうか。そんな言い方は彼女に対して酷薄にすぎるでしょうか。確かに夢を見るにも下地というかパワーというかある種の豊かさが必要なのかもしれません。ハルコがただ映画を観てその世界にひととき浸るだけではなく、「私だって…」と思えていたら、今回の事件(?)に関して彼女の顛末は変わっていたのかもしれません。でも、そうでないのが、ハルコのハルコたるゆえんでもあるのだよなあ。
 緒川たまきは映像ではちょっと癖のあると快適な女性を演じることが多いイメージですが、今回は架空の方言を縦横無尽に駆使したなんともドン臭くてでもいじらしくてチャーミングなハルコを大好演していました。このヒロイン像がなければ成立しないお話だったかもしれません。
 それに、ハルコは単に元の木阿弥で現実に戻ってしまったわけではないのかもしれません。夫は少しは気を遣ってくれるようになるかもしれないし、何よりもう映画は観ないと言っていた妹のミチル(ともさかりえ)が並んで一緒に映画を観てくれました。だから大丈夫、なのでしょう。せつないけれど、悲しいけれど。
 ラインナップで、舞台に残されたままの映画館の椅子とともに、ハルコのトランクが残されていたのも印象深かったです。たまたまなのかもしれないけれど。ハルコが持っていけなかったもの、ハルコの重荷、あるいはそれ以外の何か…みたいな。
 これが、創作は現実に関与しえない、みたいなことを訴えている作品だとは私は思いません。創作と現実はもちろん全然違う次元のものだけれど、でも、お互いに感化し合って変化していける。それは知っているし、信じている。その不可思議さを愛している。
 そんなことを考えさせられた舞台でした。おもしろかったです!



コメント
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