駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『六月博多座大歌舞伎』

2024年06月15日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 博多座、2024年6月7日16時(夜の部)、8日11時(昼の部)。

 昼の部は3本立てで、岡本綺堂の新歌舞伎『修禅寺物語』と新古典劇十種の内の『身替座禅』、そして上方狂言の名作『恋飛脚大和往来』より新口村。
 夜の部は四世鶴屋南北の通し狂言『東海道四谷怪談』。

 通しなら素人でもわかるかな、どうせなら昼夜観たいな…と1泊で出かけてきました。
 生世話物の名手・南北が忠臣蔵の世界を題材に仕立てた『四谷怪談』は、今回は四幕十場、2回の休憩込み4時間15分の上演でしたが、これでも省略された筋や場面があるんですね…そして初演は1825年とのこと、200年前ですよ! ホントすごいな歌舞伎って…
 小間物屋与七実は佐藤与茂七、小仏小平、そしてお岩は尾上右近。お岩の夫・民谷伊右衛門は尾上松也、小岩の妹・お袖が板東新悟でした。
 お岩さんというと、あのご面相の…ということしか知りませんでしたが、それっぽい史実というか事件が実際にあったのでしょうか。四谷というのは地名かつお岩の父・四谷左門(片岡亀蔵)の名字なんですね。では「東海道」ってのはナニ…?
 それはともかく、これも忠臣蔵の塩冶判官と高家の事件で浪人になった男たちが…といった設定があるのはわかりましたが、それより何より要するに、伊右衛門がとんでもなく、しょーもなくひどい男なわけですよ。こういうキャラクターを色悪と呼んで歌舞伎の世界では持ち上げてきたわけですが、いやホントひどい、ただのしょーもなくひどい男でちょっともうたまりませんでしたプンスカ。イヤそれは松也のせいではないのだが! そして彼はそれをちゃんと演じていたんだと思うのだが!!
 彼に横恋慕したお梅(中村莟玉)とその祖父・伊藤喜兵衛(片岡市蔵)がまたひどくて、いくらお金持ちだからって、いくら孫娘が可愛いからって、もうもう人を人とも思わぬ仕打ちで…なんかこのあたり、今上演するならもっとフォローの手を入れたら?とかも思うんですが、歌舞伎はもちろんそういうことはしないのでそのまんまなわけです。いやあすごい…
 お袖が売春しているのも、その客に許嫁が来ちゃうのも、それを姉のお岩と同じ役者がやるのも、なんかもう歌舞伎ってホントすごすぎです…おもしろいやらあきれるやら、でなんのかんのと楽しく観ました。
 でも、オチがコレなんだ!?とは思ったかな…イヤその前段の、幽霊となったお岩さんが復讐して回る提灯抜けだのなんだのといったスペクタクルは十分楽しんだのですが、結局与茂七が伊右衛門を討ち取ってめでたしめでたしなの? てか歌舞伎あるあるの、そのふたりの対決のいいところでキメておしまい、なの?ってのがやや肩すかしに感じました。ここは最後の討ち取りまで見せてこそじゃないの?と思ったのと、もちろん与茂七にも伊右衛門への恨みがあることはわかるのですが、これはお岩さんの話なんだからお岩さんが取り殺してこそなんかじゃないのか…とか感じたので。まあ女性キャラクターに特に配慮がないのは歌舞伎あるあるですからね…
 まあ、こういう話なのか、というのはわかったので、またいつか違う配役などで観ることがあれば、また楽しめそうです。ひとつ良き経験を積みました。
 右近さんは自主公演でやろうと考えていたくらい思い入れがある作品だそうで、そらもう大忙しの大きなお役で、でもやはりとても生き生きと演じているように見えました。それにしてもお岩の死に際が哀れで、ホント泣いちゃいましたよ…
 過去には玉三郎に仁左衛門、七之助に愛之助なんて配役もあったそうですね。こういうのがだんだんわかってきて、楽しいです。

 しかし実は翌日一番に観た『修禅寺物語』が一番気に入りました!
 歌舞伎の脚本は劇場付きの作者が手がけるものだったところを、明治三十年ごろから文学者や作家によっても書かれ始め、それらは新歌舞伎と呼ばれるようになったんだそうです。これは初演が1911年で『四谷怪談』よりさくっと百年がた前進したこともありますし、普通に演劇として上演できそうなキャラクターやストーリーの整合性、テーマやメッセージがあって、要するにちゃんとしたものが好みの私にはいたくハマったのでした。
 伊豆国狩野の庄・修善寺村の桂川のほとりにある古びた家に住む夜叉王(坂東彌十郎)は優れた面作師だが、名聞を好まない職人気質で、鎌倉から離れて隠棲している。桂(板東新悟)と楓(中村莟玉)というふたりの娘がいるが、楓は父と同じ職人の晴彦(中村虎之介)と夫婦となっている。だが桂は高位の者に奉公してその寵愛を得たいと願っていて、職人の妻で満足している妹を嘲笑っている。そこへ修善寺の僧(片岡市蔵)に案内されて、下田五郎景安(中村鷹之資)を伴って源頼家(尾上松也)が現れ、注文した面の出来を催促する…
 というような設定。新悟さんは七年前に楓を演じていて、いつか桂を、と思っていたそうで、そういうのも胸アツです。頼家は『鎌倉殿の13人』で金子大地が演じていたよね、世間的にはあのドラマがやじゅさまの出世作になったよね…なども感慨深い。てか鷹之資さんがホントええ声で、こういう凜々しいお付きのお役がハマっていてホント素敵なのでした…!
 これは桂が頼家の面を付けて戦うくだりを入れて、ショーアップして明治座とか新橋演舞場で演じられてもいい作品だと思います。さらに最後がまたひどくていい。月組のショー『万華鏡~』にこんな場面あったよね、とも奮えました。娘が死にかけているのに、その断末魔の面をいつか打つ日のためにスケッチする父親、というか芸術の鬼…! イヤひどい、すごい。これはいつかまた絶対観たい演目だなあ、とすっかり気に入りました。

 舞踊劇『身替座禅』も1910年初演と最近(?)のもの。狂言の大曲『花子』を素材にしたもので、作/岡村柿紅。浮気者の山蔭右京が松也、その奥方・玉の井がやじゅさま、太郎冠者が右近、侍女の千枝と小枝が鷹之資と莟玉。
 シェイクスピアもそうですが、入れ替わりもの、なりすましものは古今東西人気のネタなんですね。太郎冠者を自分の身替わりにして愛人に会ってきた男が、太郎冠者と入れ替わった妻に浮気報告をする…というお笑い。やじゅさまは何度も玉の井をやってきていて、歳下の夫は初めて持つそうですが(笑)、キュートでラブリーな奥方でよかったです。ケンケンもマッティも実に楽しそうでした。

 ラストは近松門左衛門の人形浄瑠璃『冥途の飛脚』を改作した『けいせい恋飛脚』が歌舞伎になった『恋飛脚大和往来』。宝塚ファンには『心中・恋の大和路』ですね、ってなアレです。その新口村場面で、歌舞伎ではなんと亀屋忠兵衛(中村梅玉)とその父・孫右衛門を
同じ役者がやるという…! 梅川は中村扇雀。ところでもとは時雨だったのを雪にしたんだそうな、その改変はすごいですよね…!
 浄瑠璃と三味線がさすがとても雄弁で、人形浄瑠璃版を観てみたくなりました。あとはやっぱり通しで観たいですね、私はね…名場面のみ、ってのも趣向としてはわかるんですけれどね。

 しかしこうして3本並ぶと、歌舞伎ってホント奥が深いな、どれも全然違うな…!と、改めて素人みたいな感想になるのでした。でも、勉強になったし楽しかったです!











コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フライングシアター自由劇場... | トップ | 『ウーマン・イン・ブラック』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観劇記/タイトルや・ら・わ行」カテゴリの最新記事