駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『You Are The Top』

2009年11月19日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 世田谷パブリックシアター、2002年3月13日ソワレ。
 夜のリハーサル室。作詞家(市村正親)と作曲家(浅野和之)が、共に愛した今は亡き女性歌手(戸田恵子)のために追悼の曲を作る、一夜のお話。作・演出/三谷幸喜、劇中歌作曲/井上陽水。
 いやあ、おもしろかったです。すばらしいライバル競演舞台、すばらしいロマンティック・コメディ。難を言えば、一幕ものとしては2時間20分はやや長いのでは、ということくらいでしょうか。でも二幕に分けるタイプのお話ではないしね。
 おそらく、ゴジラ対ガメラにも匹敵する鹿賀丈史と市村正親との競演、というところからスタートした企画だと思うのですが、そのふたりに作詞家と作曲家を当て、このお話を作り上げるんだから、すごいよなあ。シンプルなセットの中で、役者は三人だけで、回想も空想もすべて表現できる舞台の魔法に酔いました。
 最初は純真でいじらしく見えた作詞家が、だんだん小心でいじましいリアリストに見えてくる。つっけんどんで頑固な作曲家が、実は繊細でまっすぐなロマンティストの顔を現す。こういうところもおもしろかったです。
 そして、急な代役ながら健闘していたと思いますし、ご自身ものすごくキャリアのある役者さんなんだけれど、正直言ってやはり浅野さんではなく鹿賀さんで観たかったですね。
 浅野さんと市村さんの声はレンジというか音響レベルがちがいすぎて耳が慣れなくて聞きづらかったし、ラストの歌はやはり遠慮がちだったように聞こえました。何より作曲家のキャラクターが、鹿賀さんに当て書きされていたよなー、と思うのです。色気、ずるさ、独身貴族のプレイボーイぶりがちがってきたと思うのですよ。
 通常の舞台とちがってまずキャストありきの企画だったと思うので、アンダースタディが用意されていたとは思えませんから、今回のアクシデントは本当に大変だったんでしょうけれどね。
 でも、ちょっと思いました。もしかして最初のキャストは鹿賀さんが作詞家で市村さんが作曲家だった、とか? ニンは逆な気もするけれどどちらも全然できない役ではないし、代役が立つことになったので、セリフの多い作詞家役に市村さんが回ったとか? ともあれ、いつかどこかで再演してもらいたいものです。
 でも実は、一番すごかったのは戸田恵子かもしれません。
 作詞家も作曲家もすでに名のあるひとかどの人物だったので、同じ年月を生きていてもそんなに変化はないのですが、歌手はその年月をただの素人からデビューしてのし上がっていって君臨して落ちぶれて、という大変化で送っているんですね。その振幅をまったく余すところなく演じているんです。
 衣装や髪形が変わる、というのはありますが、話し振りや態度が変わり、その姿は波瀾の人生を送った歌手「笹目にしき」以外の何者にも見えませんでした。浅野さんが鹿賀さんで観たかったなと思わせたり、市村さんが作曲家もできたなと思わせたりしたのと好対照でした。
 作詞家との間にあったことをすべて作曲家に話していた歌手が、唯一伝えなかった作詞家の秘密。その秘密を封じられた猫のかたわらで、ほとんど楽しそうに自叙伝の口述をし、その本をふたりに捧げる歌手。このとき初めて三角関係は正三角形(二等辺三角形を含みます)になったのかもしれません。彼女の死は事故であり、事故は不幸なことですが、彼女は幸福だったのでしょう。残された男ふたりは、彼女を偲んで歌を作るのみ…
 個人的にハマってしまったのが超セクシー?な音階練習。しばらく笑いが止まらなくって恥ずかしかったです。喜劇を観にくる観客の中には、笑わせてもらうことを過剰に意識しすぎていて最初っから嘘くさく大笑いする人がいるものですが、この夜も何人かいました。だんだん純粋に舞台に引き込まれて、そういう大仰さがなくなるんですけれどね。私はそういうヘンな笑いにはついつい抵抗してしまって、かえって生半なことでは笑わないようになってしまうんですけれど、ここはツボでした。おかしかったな~「♪プラップラップラップラップラ~」…
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宝塚歌劇宙組『カステル・ミ... | トップ | 宝塚歌劇雪組東京特別公演『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観劇記/タイトルや・ら・わ行」カテゴリの最新記事