映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

TAR/ター(2022年)

2023-06-03 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv78686/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、世界最高峰のオーケストラの1つであるベルリンフィルにて女性初のマエストロに任命されることになった。天才的な能力と努力によって地位を確立し、作曲家として活躍するが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャー、そして新曲の創作に苦しめられていた。

 そんな時、かつて彼女が指導を担当した若手指揮者の訃報が届き、彼女にある疑念がかけられる。

=====ここまで。

 
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 このブログにも時々書いているけど、クラシック音楽を扱った映画は、大抵ハズレと分かっていても、気になって見に行っちゃう。

 本作は、公開の大分前からすんごい話題になっていて、それはアカデミー賞で何部門もノミネートされていたからってのもあるし、主演があのケイト・ブランシェット様だからってのもあるんでしょうが、まあ、私としては、舞台がベルリン・フィルというリアルに設定されていることや、サントラがドイツ・グラモフォンから出ているというのに背中をググッと押されまして、よせばいいのに懲りずにまた見に行ったのでありました。

 で、、、まあ星の数からお察しとは思いますが、ハズレとまでは言わないまでも、空振り気味であったと言えましょう。絶賛気味のレビューが多い中、いささか気が引けるけど、以下その理由というか、感想を書きます。

~~ネタバレしておりますので、よろしくお願いいたします。~~


◆オケも指揮者も重要ではない。

 結論から言ってしまうと、面白くは見たのだけれども、鑑賞後感としては、かなり残念に近い感じであった。

 本作は、クラシック音楽映画でも、オケ映画でもなかった。世界の頂点に立つオケであるベルリン・フィルは、単なる舞台装置に過ぎず、カリスマ指揮者というのも、権力者の象徴に過ぎず、何なら、まんまホワイトハウスの映画にしても良かったんじゃないのか?と思った次第。

 なぜなら、本作中、ケイト・ブランシェット演ずるカリスマ指揮者である(はずの)リディア・ターが指揮する本番のコンサートシーンが皆無だったから。ターの本番ステージのシーンは、終盤のイカレてからの殴り込み(後述)だけ。

 カリスマ指揮者が主人公なら、本番のコンサートシーンは必須である。だって、指揮者の真価は本番でしか分からないからね。

 彼女が指揮をしているのは、全部練習シーンであり、しかも指揮棒を振っているよりオケを言葉で指導している方が多いくらい。練習でいくら言葉巧みに指導したところで、本番のステージ上で指揮者は一言も発することはできない。本番のコンサートで指揮者ができるのは棒を振ることのみ。棒だけでオケに意図する音楽を演奏させることができなければ、その指揮者はダメなのだ。

 カリスマ指揮者による本番ステージのシーンを撮ろうとすると、これはかなり大変だろう。ケイト様の指揮っぷりの演出もだし、曲を何にするかも重要だし、とにかくオケの本番の演奏シーンとなれば監督の手腕が大いに試されることになる。予算の都合で難しかったのか、監督自身がリスク回避したのか、ゼンゼン違う理由か、実情は知る由もないが。

 どこかで聞いた話だけど、リハで全く言うことを聞かないオケに怒った指揮者が、本番では倍速で棒を振ってオケを混乱させ、文字通り本番の舞台を自ら棒に振った、、、というエピソードがあるらしい。また、私の知っているプロ管楽器奏者は、リハで饒舌に喋る指揮者を「言葉じゃなくて棒でやれよ、と思うよね」と軽蔑していた。まあ、リハで細かく指導する指揮者はいると思う(チェリビダッケとか異様に細かかったらしいし)ので、その言い草もどうかと思ったが、言いたいことは何となく分かる気もする。アマオケの練習ではなく、相手はプロなのだからね。

 ……つまりそういうことでしょ、指揮者とオケの関係というのは。

 だから、BPOと史上初の女性首席指揮者の緊張感みなぎる本番シーンを期待していると、思いっきり肩透かしである。超一流演奏家たちのピラニア水槽に飛び込むリディア・ターを見られると思っていたので、なーんだ、、、という感じになったのだった。

 本場ステージにターが現れるのは、精神的にヤバくなってから、本番を格下の男性指揮者に乗っ取られて、怒り狂ってその指揮者を指揮台から殴り落とすというシーン。カリスマ指揮者のやることか??いくら追い詰められたからと言って、、、。まあ、あの辺りから後は彼女の妄想だったかもしれない、、、という見方もできるわけだが。


◆前評判とかけ離れた超地味映画。

 本作で描かれるのは、権力者の転落物語である。奢れるものは久しからず。……こう書いてしまうと実に陳腐だが、この権力者を、史上初のBPO女性首席指揮者、という設定にし、それをケイト様が演じたってのが、本作の注目度をググッと上げたのは間違いない。

 ここに、アメリカのヨーロッパへの強烈なコンプレックスも感じないでもないのだが。なぜにBPOなの?アメリカにも名門オケはあるのに。冒頭にも書いたけど、アメリカ制作映画なら、史上初のホワイトハウスの女主人の映画にすれば良かったのに。ホワイトハウスを舞台にすると、シャレにならん、生臭すぎる、、、かもだけど。オケだったら、権力者のハナシと言っても芸術というオブラートでくるめてちょっと腐臭を緩和させることもできるってか。

 まあ、それはともかく。本作は、クラシック音楽映画ではなく、権力の座にのし上がった者が転落し壊れていく様を描いているサイコ・スリラー映画である。ケイト・ブランシェットは、その壊れ行くマエストロを、まさしく“怪演”している。

 オスカーノミネートとか、イロイロ華々しい話題豊富な割に、映画自体は、かなり地味だし、サイコ・スリラーとはいえ、一見それほど怖さも感じないので、これは見る人を選ぶ映画だろう。情報量が多いので、見終わった直後は再見しようかと思ったけれど、時間が経つにつれてそこまでの価値のある映画とも思えなくなってきた。DVDでなら見るかもしれないけど。音楽映画とはいえ、スクリーンで見るべき音楽シーンがふんだんにあるわけでもないしね。

 1つすごく気になったのは、マーラー5番の本番の演奏シーンである。ターにとって重要な音楽であるマーラーの5番なのだが(それ自体はどうでも良いのだが)、ターが殴り込みに行くステージで演奏されているのがこのマラ5である。ここで、おやっと思ったのが、冒頭のラッパのソロがバンダだったことである。この曲は何度もライヴで聴いているが、冒頭のTrpソロがバンダだった演奏には出くわしたことがない。スコアを見たことないのだが、バンダ指定されているのか?

 ところどころで、??な映像も(サイコ要素として)あるけど、あんまし私はそういうの興味ないので、面白いとも思わなかった。本作がお好きな方、すみません。


◆以下、余談。 

 ターは、自身のパワハラ行為が原因で失脚するわけだが、ネット上では、同性愛者の女性権力者がパワハラ行為に及ぶという設定に批判が上がっている。現実には、パワハラを行っているのは圧倒的に男性権力者であり、女性は(特にセクハラの)被害者であることが多いのに、こんな設定では女性がガラスの天井をぶち破ることを妨げるだけではないか、同性愛者の差別助長になるのではないか、、、というような趣旨である。

 けれども、それは女性権力者が過去に絶対的に少なかったから加害者も少なかった、というだけのことであり、権力の座に就いて、その後、その座の罠に陥るのに男も女もない、ましてや異性愛者とか同性愛者とか関係ない、ということを監督としては描きたかったんだろう、と私は思う。

 むしろ、女性や同性愛者という現段階での社会的弱者に無謬性を求めるそのような批判こそ、逆差別であると思うのだがどうでしょう? 女は権力の罠に嵌らないとでも?

 また、「20人も子供を作って、家父長制の権化みたいなバッハの音楽は聴く気がしない」と言うノンバイナリー(?)の男子学生に対し、ターがネチネチと責めて追い詰めるシーンについて、“凄まじいパワハラ”と批判している感想も目にしたけど、ターが言ったこと(要は、バッハの下半身問題と音楽を切り分けろ、ということ)自体は正論だし、クラシック音楽で飯を食おうとする人間なら、バッハは避けては通れないのは間違いない。こういうのをキャンセルカルチャーというらしいのだが、ピカソの絵も、ピカソの下半身問題に照らして撤去するという動きもあるとかで、そんなことを言ったら、歴史上の芸術は端から否定されることになりかねない。この辺は、以前にもポランスキークストリッツァについて書いたように、作品と制作者をどこまで切り分けて考えるか、、、という問題にぶち当たる。

 さらに、ターはBPOで失脚後、東南アジア(フィリピンらしい)に落ち延びて、ラストシーンはゲーム音楽(モンハン)のコンサートで指揮棒を振り上げる、、、というオチなんだけど、これがアジア蔑視であると憤慨して書いている人もいた。が、そもそもクラシック音楽(というかオーケストラ)なんてのは、白人(それも西欧の)男性のものであったわけで、白人女性ですら被差別者である世界なのだから、そらアジアなんてBPOからすれば異世界のなれの果てみたいなもんである。それは差別であることに違いないけれども、じゃあ、ターをどこに落ち延びさせたら差別にならないのか、と言ったら、どこへ落ち延びさせてもれっきとした差別になるわけで。ヨーロッパの田舎のオケなら良いのか?いやそれは田舎差別でしょ。田舎じゃなくてもマイナーなオケなら良いのか?いやそれはマイナーオケ差別でしょ。……ってキリがない。それがオーストラリアであれ、アフリカであれ、アメリカであれ、“落ち延び”た先であれば、どこでも差別的になるってことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイト・ブランシェットは本作でオスカーを逃したからか、引退宣言をしているらしい。

 

 

 

 

 

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ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男(2019年)

2021-12-28 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv73099/


  以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 1998年、名門法律事務所に勤める企業弁護士のロブ・ビロット(マーク・ラファロ)は、農場を営む男ウィルバー・テナント(ビル・キャンプ)が、大手化学メーカー・デュポンの工場からの廃棄物汚染により、190頭もの牛を病死させられたという被害の調査依頼を受ける。

 廃棄物について調べるうちに“PFOA”というなじみのない単語を知ったロブは事態の深刻さを悟る。発ガン性のある有害物質の危険性を40年間にもわたり隠蔽してきた企業に対して、彼は7万人の住民を原告団とした集団訴訟に踏み切る。
 
=====ここまで。
 

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 クリスマスが終わったと思ったら、週明けのオフィス街は、玄関に門松が飾られたビルがたくさん。この切り替えの早さよ! で、正月が過ぎれば、次は節分の恵方巻、その次はバレンタインのチョコ、次はひな祭りの??、次はホワイトデーの??、、、とイベントエンドレスの日本です。

 そのクリスマス直前に、本作を見に行ってまいりました。不正暴き系の映画も、そろそろ見飽きてきました、、、。


◆有害物質を長年摂取していました。

 テフロン加工のフライパン、、、私が子どものころ、親が喜んで買っていた。以来、私も特に何も考えずに、テフロン加工(フッ素樹脂加工ともいう)のフライパンをせっせと使って来た。けれど、このテフロン加工が、実は人体に有害なものだった……がーん、、、そんなこと今さら言われても。

 ……という内容の映画です。

 テフロンは、アメリカの化学メーカー・デュポン社の商標。デュポン社により開発され、一般家庭にも広く使用されるフライパンに使用されたもの。このフライパンのフッ素樹脂コーティングや撥水加工の原料として使用されていた「有機フッ素化合物」=PFOA(あるいはPFOS)と呼ばれる物質に発がん性が認められ、排出されると自然環境下では分解されず、生物の中に蓄積される危険性が指摘されている。

 デュポン社は早い時期からこのPFOAの危険性を認識していたにもかかわらず、隠蔽、一般商材として広く売り出し、巨額の利益を得た、、、というわけ。

 はぁ、、、私もいっぱいこのPFOAとやらを摂取してきたんでしょうなぁ。テフロン加工のフライパンは、一定期間を経ると表面が剥げてきますよね? 表面が剥げる=食材にPFOAが混入して人の口に入ってきた、、、ということですね。テフロンが剥げれば、また新しいテフロン加工のフライパンを買い、またPFOAを摂取し続けていた、ってことね。

 しかし、怖ろしいのは、このPFOAが危険物質だと認識されたのは割と最近で、国際的にストックホルム条約で規制されるようになったのはPFOSが2009年、PFOAが2019年だそう。テフロン加工のフライパンは、それより以前から広く出回っていたはずだから、世界中の人たちが何も知らずに有害物質を摂取していたということになる。

 一応、現在このPFOAを使用したフライパンは製造されていないと説明されている(こちら)けれど、例えばあのT-falのフライパンでも「PFOAフリー」と明示されたものは輸入品。公式HPでは「使用していない」とあるけれど、、、。まあ、信用するしかないわね。

 ……というわけで、フッ素樹脂加工のフライパンを使用している方は、PFOAフリーかどうかを気にされた方が良いかもです。


◆また“デュポン”かよ。

 デュポン社と聞いて、たしか『フォックスキャッチャー』(2014)のヤバい人もデュポン社絡みじゃなかったっけ?? と思って見直したら、やっぱりそうだった。何度も映画のネタに(しかも良くないネタに)されて、デュポン社の広報の人も大変ですね(華麗に無視でしょうが)。

 『フォックス~』の方はそれでも創業者一族の個人的な問題だったから、へぇー、で済んだけれど、本作の話は世界中の人々に実害を及ぼした話だから、へぇーじゃ済まない。

 しかも、隠蔽の悪質さは、どこぞのソーリがやらかした泥縄ですぐバレる様な改竄、、、なんていう稚拙なやり方ではなく、極めて巧妙かつ卑劣。徹底的に隠蔽するし、バレたらバレたで、徹底した嫌がらせで対峙してくる。営利目的企業とはいえ、アンタらに倫理観とか良心とか1ミクロンもないんかい??と言いたくなるようなザマ。見ていて、日本の水俣病を思い出してしまった。

 本作では、マーク・ラファロ演ずる弁護士ロブがほとんど一人でこの巨大企業に立ち向かう。途中から事務所の理解も得られるようになったが、実態解明は、ロブがひらすらコツコツと積み上げた証拠によるもの。

 どうにか、地域住民の検査にまでたどり着いたものの、あまりに検査数が多くて分析に7年もかかり、ロブは窮地に追い込まれる。デュポンを訴えた住民の代表の家には放火までされる。

 7年経ってでも、PFOAと人体への影響の関連性が証明されたから良かったものの、その後もデュポンの嫌がらせは続き、何だかんだと今でもデュポンとの係争は続いているらしい。


◆その他もろもろ

 孤独に闘う弁護士ロブを演じたのはマーク・ラファロ。マーク・ラファロは『フォックス~』ではデュポンに殺される役でしたね、、、。デュポンと因縁がありますな。不正を暴く系だと、『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)でも熱血新聞記者役だった。

 こういう系の映画は、大体主役が、弁護士か記者だよね。……まぁ、そういう職業だから仕方ないんだが。

 ロブの妻はアン・ハサウェイだが、存在感なし。あんまし賢い女性ではないような、、、。実際のロブの妻は、最後にちょこっと出てくるが、見た感じはもっと知的に見えたなぁ。……ってこれ、私のアン・ハサウェイに対する偏見ですね、多分。すみません。

 ロブを途中から援護射撃する事務所の所長を演じていたのが、ティム・ロビンスなんだが、これが最後にクレジットで見るまでゼンゼン気が付かなかった。ちょっと容貌が私の知っているティム・ロビンスと違い過ぎで、、、。私が知っているのは『ショーシャンク~』で止まっているからかな、、、? いや、それにしてもすごい変わり様でビックリ。

 テフロン加工のヤバさとか、デュポンの卑劣さとか、イロイロ教えてもらっておいて言うのもナンだが、正直なところ、冒頭に書いた通り、不正暴き系の映画はちょっと食傷気味になってきました。今さらだけど、何か、ワンパターンなのよね。不正の内容が巨悪であればあるほどスリリングではあるけど、ストーリーは定番・類型的そのものだもんね、、、。しかも実話ネタばっかだし。実話ネタだからこそ面白いとも言えるけど、実話=実際にあったこと、ではないもんね。

 こういうのは嫌いじゃないけど(というか好んで見ている方だと思うが)、なぜか、本作を見終わった後は、ちょっとウンザリ感を禁じ得ませんでした。何でかな、、、??

 

 

 

 

 

 

そのフライパン、PFOAフリーですか?

 

 

 

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断崖(1941年)

2021-10-03 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv5761/

 
 裕福な家の美人な娘リナ(ジョーン・フォンテイン)は、強引に迫ってくるジョニー(ケーリー・グラント)に恋をしてしまい、駆け落ち同然で結婚する。しかし、幸せ一杯の豪華な新婚旅行から帰って来た直後、夫ジョニーは借金まみれの文無しだと分かり仰天する。

 ジョニーに不信感を抱くリナだが、好きな気持ちに変わりはなく、一度は離婚しようとするものの思いとどまる。が、ある日、保険会社からジョニー宛に封書が届き、自分に死亡保険金がかけられていることを知ったリナは、夫に殺されるのではないかと恐怖に怯えるようになる、、、。

 ヒッチ作品。ジョーン・フォンテインが主演女優賞でオスカーをゲットしている。


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 大分前にBSでオンエアしていたのを録画したまま放置していて、ようやく見ました。ヒッチ&フォンテインということで録画したんだと思うが、なんだかなぁ、、、、でございました。


◆借金だらけ、文無し、無職、、、、でも好きなの。……ってどこかで聞いた話だ。

 リナという女性が、あまりにも頭が悪過ぎて、見ていてイライラを通り越してウンザリしてしまった。いくら、男に免疫がないとはいえ、ちょっと酷すぎないか?

 だって、借金だらけで文無しで、、、ってまぁ、ここまでならこれから真面目に生活して何とかしましょう……、っていうのはアリかな、と思う。けれども、ジョニーは、その後も、相変わらず金を借りたり、横領したりして、それを競馬につぎ込んで、、、という、もうどーしようもないヤツなのよ。口ばっかし上手くて、それがなおさらこの男の嫌らしさ全開である。

 まあ、でも惚れちゃったら仕方がないのかな。……という気もする。頭では分かっているけど、気持ちが、、、ってやつですね。

 でもさあ、その相手がケーリー・グラントだから、ゼンゼン説得力がないのよ。私は彼の良さが分からない。確かにイケメンかも知らんが、言っちゃ悪いがあまり品が感じられない。知的にも見えない。どちらかというと、ギラギラしていてジョニーのキャラにはピッタリなんだが、だからこそ、リナがそこまでゾッコンになっちゃうのが分からん。まあ、これは趣味の問題ですけどね。

 借金だらけで文無しで無職、、、ってんで、申し訳ないけど、今話題のロイヤルバッシングの対象と被ってしまった。ああいう立場の人の結婚なので、多少ゴシップネタになるのは仕方がないけど、明らかに今のバッシングは、度を超したリンチだよね。やり過ぎ。持参金辞退とか、そこまで国民がやっちゃっていいのか? 税金のムダ遣いだったら、もっと悪質でケタ違いの額を、しかも“違法に”流用している人、いるじゃないの。何でメディアはそっちに忖度ばっかりしているくせに、たかだか1億いくらかの合法な金でここまで叩きまくるのだろうか。

 とにかく、このメディアのバカ騒ぎを何とかしてくれ、と言いたいわ。あなたたちが叩く相手は他にいるでしょ?


◆その他もろもろ

 タイトルの『断崖』は、終盤、リナがジョニーに殺されるんじゃないかと恐怖に陥るシーンから。断崖を見下ろす道路を、ジョニーの運転する車が猛スピードで疾走する。助手席のリナは断崖の下を見て恐怖のあまり、、、とかってなるんだけど、ラストはあまりにあっけなくて、は???となってしまった。

 結局、リナとジョニーがどうなるのかも分からないし、伏線かと思わせるシーンもゼンゼン回収されないまま終わるし。ヒッチ作品は当たり外れが激しいよね。

 フォンテインはさすがに美しいです。この年、お姉さんのオリヴィア・デ・ハヴィランドも主演女優賞にノミネートされていたとか。オスカーをゲットしたのは妹。お姉さまの心境はどんなだったんでしょーか?

 原作の方が面白いというネット情報もあるので、読んでみようかな。ちなみに、本作は見終わって速攻削除しました。HDDに少し空きが出来て良かったわ。

 

 

 

 

 

 

 


原題“Suspicion”で、どうして邦題が『断崖』になるの? 

 

 

 

 

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DAU. ナターシャ(2020年)

2021-04-04 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72557/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ソ連某所にある秘密研究所。この施設では、多くの科学者たちが軍事的な研究を続けていた。

 ナターシャ(ナターリヤ ・ベレジナヤ)は、この施設に併設された食堂で働くウェイトレス。ある日、彼女は研究所に滞在するフランス人科学者と肉体関係を結ぶ。言葉も通じないまま、惹かれ合う2人。

 だが、当局から呼び出しを受けた彼女は、冷酷なKGB職員が待つ暗い部屋に案内され、スパイ容疑で厳しい追及を受けることに……。

=====ここまで。 

 ソ連全体主義社会を完全再現したウクライナのとある街で1万人のエキストラを動員した「DAU. プロジェクト」によるシリーズ第一弾。第二弾以降もあるんだろうけど、公開されるんだろうか、、、。


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 長らく更新をサボっていたのには、特に理由はありません。ただただ、「書く気がしなかった」だけでございます。書く気にならなかった最大の要因は、そらもう、“憂国”です。あれこれ書いても愚痴ばかりになるのでやめときますが、ダラダラ緩慢な緊急事態だとかマンボウだとか、バカじゃないのかとは思いますね。厚労省の役人じゃなくても、みんなハメも外したくなるでしょーよ。今さら、「マンボウという言葉は不適切」とか、何言ってんのかね。ネット上にはマンボウがマスクしたコラ画像なんかも出てたよ。最初からマジメにやれって話。

 東京は相変わらずの感染者多数だけど、コロナに感染するのが怖いというよりは、感染した際の検査だの通院だの手続きだのの煩雑さを想像しただけでゲンナリ、、、だから感染したくない、というのが本音。私の身近なところでは感染者が出ていないけれど、変異株とやらは感染力が強いらしいので、ますます人混みは避けたくなる、、、ので映画館にも平日の昼間にしか行きたくない。サービスデーの夜とか土日は混むのが目に見えているので、絶対行きたくない。かといって、平日の昼間も、そうそう仕事をしょっちゅうサボる訳にも行かず。平時なら劇場に行ったかもしれない作品も、どーせすぐにDVDになること確実な作品は行かないとか。劇場の運営を思えば、積極的に足を運ぶべきなんだろうけど、なかなかね、、、。

 そんな中で、本作はまあ、もしかしたらDVDにならないかもなぁ、、、いや、なるだろうけど、ちょっと見ておきたいなと思って、仕事休んで見てきました。ここんとこのロシアかぶれの延長ってのもあるけど、何しろヘンなプロジェクトの映画第一弾だし。物議を醸したと聞けば、見たいと思うのが人情ってもの。

 ……というわけで、見に行ったんだけれど、想像以上にヘンな映画でした。以下、感想です。
 

◆DAU.プロジェクト

 「衝撃的なバイオレンスとエロティックな描写」と、見る前に聞いていたので、それなりに覚悟して見に行ったのだけど、そっち方面はあんましショッキングではなかった。役者さんたちは、ホントにセックスしているらしいし、拷問シーンもリアルだとか。もちろん、そういう設定の“撮影”という前提で、役者さんたちは了解の上だそうだが。そらそーだわね、、、。でなきゃ人権問題になってしまう(DAU.プロジェクトについては、ご興味おありの方は、公式HPをご覧ください)。

 壮大な仮想空間で実際に生活をしながらの撮影、ということで、リアリティをより追及しているということだが、正直な話、人のリアルなセックスなんか見ても、退屈だし、美しくなければ気持ち悪い(すみません)だけで、ここまでセックスシーンを長々と入れる意味があったのか、ちょっと疑問。終盤にある拷問シーンも、瓶を女性器に入れさせるというものなんだが、そこにビンタが加わったり、暴言・罵倒が入ったりするという、まあ、凄惨とまでは言わないが、不快指数はかなり高い。

 ただ、「衝撃的な」というなら、こんなメンドクサイ企画じゃなくて、一般的な制作による映画でもっとヒドいのはいっぱいあるわけで、これがベルリン映画祭で物議を醸したってのも、それはそれで??な気はする。要するに、このDAU.プロジェクトが人権的にどうなのか、ってことなんだろうけれども。

 実際のホントのところは分からないが、監督や俳優たちの弁を素直に受け止めるのであれば、普通の映画作りと根本的には同じだから、別にいいんじゃないの?と思う。まあ、撮影がないときも、普通の生活を壮大なセットの中で送る、、、ってのはちょっと異様ではあるが(主役のナターシャを演じたナターリヤさんは、セット外の自宅から通っていたらしいが)。ある種の社会実験的な感じはする。

 引き合いに出されるのが、『ラストタンゴ・イン・パリ』のマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーのセックスシーンがマリア・シュナイダーの同意を得ないレイプだったという事案なんだが、それとはまた違うのではないか。だったら、役者が了解さえしていれば何やってもええんか?って話になるだろうけど、その辺の線引きは難しいよね、ハッキリ言って。観客は撮影現場の裏話なんて分からないし。スクリーンで見ているものが全てなわけで。

 セックスや暴力シーンがなくても、例えば、大昔に今井美樹が、主演したドラマ(確か「想い出にかわるまで」だったと思う)の内容があまりにも辛く、私生活にかなりの影響が出たというようなエピソードを語っていた記憶があるが、役者が役を演じるってそういうことだと思う。ある程度、役に没入しなければ演じるなんて出来ないし、けれど、役者は生身の人間であって、役と本来の自分を切り分けられる訳じゃないから、程度の差はあれ影響されるのは仕方がないだろう。だからと言って、『ラストタンゴ~』の一件は言語道断であることに違いはないのであって、“人権を上回る意味のある演出”なんてものはない。

 ……ということで、DAU.プロジェクトは、まあ、面白いとは思うけど、パンフの監督インタビューなどを読んでも、あんましピンと来なかった。ソ連ってこんなだったんだね、へーー、という意味では見応えはある。近現代史の研究者とかなら意義を感じるんだろうけど、ただの映画好きにとっては、第二弾が仮に公開されても、すごく見に行きたいって感じではないかな。コロナが終息していれば、見に行くかもだけど。


◆これは本当に「過去」なのか?

 お話としては、カフェで働く中年女性が、若い同僚に嫉妬から意地悪したり、反面仲良くしたりと、あのような独裁監視社会でも人間の普遍的な営みは当然あって、でも、外国の学者と一夜の恋をしたらスパイ容疑をかけられて拷問された、、、、という、シャレにならない展開。

 ストーリー的には極めてシンプルです。

 プロジェクトとして、あらゆるものが当時のまんまだそうで、セットや衣装、食べ物などなど、ソ連時代はああいう風だったんだ~、というのが分かるのは面白い。意外に食べ物が豊富で、美味しそうに見えた。

 しかし、私は本作を見ながら考えていたのは、ここで描かれていることって、本当に過去のオハナシになっているのだろうか?ってことだった。今現在、少なくとも、ロシアから漏れてくるニュースだけでも、相当プーチンのやっていることはヤバいわけで、その実態となれば推して知るべしである。ということは、ここで描かれている、それこそ「衝撃的なバイオレンス」ってのは、今もロシアの内部で蠢いている暗い現実なんじゃないのかね? とか。想像力逞し過ぎるとは思わないのですが。

 ちなみに、終盤、ナターシャを拷問するKGBの役人を演じた男性は、ソ連時代、実際にKGBの大佐だったそうな。ウクライナ内務省で20年以上働き、囚人と刑務所職員の行動心理学の専門家として有名だったとか、、、。ひょえ~~~。本作撮影後の17年に亡くなっているとのこと。元KGB、まだまだ幅を利かせているんでしょうな、、、プーチンがいる限り。

 昨年行って、外から眺めたクレムリンは威厳があり美しかった。しかし、ソ連時代も、きっと同じように美しかったんだよね。……嘆息。

 

 

 

 

 

 

主人公のナターシャを演じるナターリヤさんは主婦だそうです。

 

 

 


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ダウントン・アビー(2019年)

2020-11-05 | 【た】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68386/

 

 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 20世紀初頭、グランサム伯爵家が暮らすダウントン・アビーに、ジョージ5世国王とメアリー王妃が訪れることに。

 邸宅を切り盛りする長女メアリーは、引退した元執事カーソンに助けを求め、晩餐会の準備に追われる。だが、下見に来た従者たちは、夫妻の世話や給仕はすべて自分たちが行うと告げ、使用人たちを落胆させる。

 一方、何十年も音信不通だったメアリー王妃の侍女モードと、先代伯爵夫人バイオレットの間では、屋敷や財産の相続問題が勃発する。

=====ここまで。

 世界的大ヒットとなったドラマの映画化。ドラマの後日談。


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 もうあちこちで本作について書かれているし、あまり内容について書くべきことも思い付かないので、感じたことをつらつらと。

 NHK総合の日曜夜は、海外ドラマが放映されるんだが、「ダウントン・アビー」もその枠だった。開始当初は、アルトマン『ゴスフォード・パーク』を思わせる雰囲気もあったけれど、『ゴスフォード・パーク』よりも陰険というか、長女メアリーと二女イーディスの仲が悪いのを始め、登場人物たちのアクが強すぎて、ちょっとなぁ、、、という感じだったので、割とテキトーに見ていたんだけど、シーズン3くらいから面白いと思うようになり(つまり、それまでも何だかんだと見ていたってことだけど)、結局最後まで欠かさず見た次第。

 後で知ったんだが、『ゴスフォード・パーク』を思わせる雰囲気があったのも当然、脚本を書いた人が同じだった。ジュリアン・フェロウズ氏。なんと、あの『ダメージ』にも出ていたとか。

 当初感じていた陰険さも、ドラマ性はそのままにシーズンを重ねるごとに薄まり、途中からは次回が楽しみなドラマになった。日曜の夜遅くに楽しみなドラマがあるというだけで、週末が終わることの憂鬱さはかなり緩和されていたような気がする。

 映画化は、ドラマが終了した時点で既に言われていたけど、何故かあまり興味はなく、、、。まあ、ドラマがちゃんと完結していたので、それ以上はちょっと蛇足になりかねないんじゃない?という感じがしていたから。日本で公開されても、劇場まで行く気には到底ならず、……とはいえ、レンタルできるんだったら、あんましイロイロ考えずに見られる映画を見たいときにはいいかな~、と思って、Blu-rayを借りて見てみることに。

 結論から言うと、まあ、無難に面白かった、、、、という感じ。主要メンバーはほとんど揃い踏みだし、美術・衣裳は相変わらず目を楽しませてくれるし、ストーリーもあれだけたくさんの登場人物それぞれにスポットを当てつつ破綻していないし、安心して見ていられる映画だった。

 そういう意味では、ドラマの方が何倍も波乱に富んでいたとは思うが、まあ、これはこれで良いのでは。多分、映画化も、ドラマファン向けに、ガッカリさせないような作りにしなきゃいけなかったわけだし、かなり高いハードルを最初から設定されていたことを思うと、実に見事にクリアしていると思う。さすが、イギリス。

 で、こういう秀逸な海外ドラマ(これは映画だけど)を見て思うのは、日本のドラマの安っぽさである。本作と同様の時代劇でいえば、大河ドラマでさえ安っぽく感じる。何でだろうね、、、と映画友とも先日話題になった。大河ドラマは、やはり民放の時代劇に比べると、衣裳はかなりお金がかかっているのが分かるし、セットや小道具などの美術もすごく頑張っているとは思うのだが、、、。「麒麟が来る」のCGとか、もうあまりにも稚拙で目を覆いたくなるシーンもある。

 時代劇だけでなく、現代モノでもそう。アメリカのTVドラマなど、それほど大ヒットしたものじゃなくても、セットや衣裳は日本のドラマより格段に上だな、、、と感じるものが多い。やはり予算の問題だろうか?? 

 本質的にはシナリオの差だとは思うけど、何というかもう、全般的に日本のドラマ界は沈んでいる感じがしてしまう。大ヒットだった半沢直樹も、シーズン2はほとんど水戸黄門か遠山の金さん化していたしなぁ。

 大河ドラマといえば、昨年の「いだてん」は、期待していなかったけど、終わってみれば結構面白かった。やはり、セットは安っぽさが否めなかったが、ストーリーは決して安易ではなかったし、クドカン氏のドラマは苦手だったけど、「いだてん」はさすがだと思ったわ。「麒麟が来る」も、まあまあ面白いけどね、、、。役者の演技の質も大きいよなぁ。

 ……等々という、とりとめもないことを感じてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 


トーマスに春が来て良かったよ、、、。

 

 

 


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誰がハマーショルドを殺したか(2019年)

2020-08-01 | 【た】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71180/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1961年9月、当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドは、コンゴ動乱の停戦調停のためチャーター機で現地に向かった。しかし、ローデシア(現ザンビア)で謎の墜落事故を起こし、ハマーショルドを含む乗員すべて死亡する。

 長らく原因不明の事故とされてきたこの未解決事件に挑んだデンマーク人ジャーナリストで監督のマッツ・ブリュガ―と調査員のヨーラン・ビョークダールは、単なる墜落事故ではなく、ハマーショルドの命を狙った暗殺事件であったことを仄めかす資料を発見する。

 ブリュガー監督とビョークダールは真相解明のためアフリカ、ヨーロッパ各地を旅するが、当時の関係者たちは皆沈黙を守り、追跡取材は難航する。

 しかし、調査を進めるうち、ハマーショルド暗殺事件の真相だけでなく、秘密組織サイマーによる想像を絶する陰謀を突き止める……。

=====ここまで。

 
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 チラシを見たけど、あんましそそられず、全国紙各紙も映画評に取り上げているけど、スルーのつもりでした。けれど、ある方のツイートを見たら、何だか面白そうな感じがしてきて、やっぱり見ておこうかという気になったので、劇場まで行ってまいりました。


◆ご多分に漏れず「陰謀論」

 見終わって、……これをどうやって消化すれば良いのか、、、甚だ悩ましい。

 某全国紙の評も、何だか歯切れが悪い。山根貞男という評論家が書いているのだが、「あまりに衝撃的で、見ていて信じられない思いがする」とか、「どう考えても、…………は作り物だろう」とか、「ドキュメンタリー映画には違いないが、フィクションのようにも思われるのである」とか、シメの一文は「正体不明の面白さに満ちた映画というべきか」だって。

 プロの批評家がこんな批評しか書けないんだから、素人が悩むのはムリもないわね。それくらい、後半から怒濤のように暴かれる事実(?)の内容の、話がデカ過ぎるのである。

 こういった、謎が多い事故には、必ずといっていいほどつきまとうのが「陰謀論」だが、本作も、結果的にはそこに向かって突っ走る。

 本作が暴いたハマーショルドの死の真相とは、(詳細はここには書かないけれど)詰まるところ、裏で英米が糸を引いていた、という話である。壮大な与太話とも思えるが、秘密組織サイマー云々はともかく、“国家”が黒幕、ってのは、私はアリな話だと思うのだ。なぜなら、ハマーショルドの存在が、そのまま国益に直結するからである。今でこそ、アフリカは中国の食い物になっているが、今の中国の姿は、かつての欧米のそれであり、自らの利権には形振り構わないのが国家なのだ。それを考えると、人一人始末することくらい、平気でやるだろう。

 なので、デカ過ぎる話で戸惑うが、大筋は外れていないのではないか、と受け止めた。


◆エイズ禍

 本作で中心的に調査対象となっている「秘密組織サイマー」ってのが、とにかく胡散臭い。

 このサイマーの実態を調べていく過程で、ハマーショルドの暗殺事件解明のはずが、あるおぞましい計画話にぶち当たる。それは、エイズウイルスを使ってアフリカの黒人を殲滅するという内容なんだが、前述の山根氏は、この話について「見ていて信じられない」と書いている。

 が、私は、このエイズの話に関しては、大分前にセス C. カリッチマン著、野中香方子訳「エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇」(化学同人)という書籍を読んで衝撃を受けたので、まんざら与太話とも言い切れない、、、と感じた。実績のある高名な科学者たちが、エイズ否認主義者としてアフリカのエイズ禍に一役買った事実が暴かれているのだが、ノーベル賞受賞者たちも例外ではない。

 余談だけど、今のコロナ禍において、NHKが特集番組でノーベル賞を受賞した山中教授をよく起用しているのだが、あれは、止めるべきだろう。特にオカシイと思ったのは、感染症の専門家たちの討論で、コーディネーターを山中氏が務めていたこと。「エイズを弄ぶ人々」に挙げられていた科学者たちも専門外なのに“ノーベル賞受賞者”という肩書きがあるばかりに、間違った言説の流布に大いに貢献してしまっていた。山中氏はノーベル賞受賞者といえども感染症の専門家ではないし、まぁ、ご本人も「私は専門家じゃないので~~」みたいなエクスキューズを毎回しているが、どういうつもりでNHKが彼をしょっちゅう起用するのか謎だし、山中氏もどういうつもりで出演しているのか(思慮深い人なら辞退するのでは)もっと謎だが、ハッキリ言って視聴者を惑わせる危ない演出であると思う。無邪気な人は、彼の単なる推論や見解を「山中先生が言っていたから……」と、無条件に“科学的事実”と信じる可能性が少なくない。実際、そういうことをネットで書いている例も散見された。

 それはともかく、“エイズウイルスで黒人殲滅”なんて、およそ非現実的という気もするが、絶対ナイとは言えないだろうなぁ、、、と思いながら見ていた。それくらい、世界には、あり得ない、信じられない、与太話みたいな実話がゴロゴロ転がっているのだ。


◆映画として

 ……というわけで、一体何の映画のレビューだよ??って感じなんだけど、まぁ、難しいこと抜きにして面白いことは確か。ハマーショルドなんて、名前は聞いたことあるけど誰?? という私が見ても十分楽しめたのだから。

 監督は、デンマーク人でドキュメンタリー映画を何本か撮っているというマッツ・ブリュガー。彼が本作を撮ったきっかけは、彼の知人でスウェーデン人のヨーラン・ビョークダールがこの事件のことを長年調べていたから。ビョークダールの父親が国連職員だったそうで、父親がこの事件を調べていて、その父親から、弾痕らしい穴が空いた鉄板を事件の重要証拠として受け継いでいたのである。

 ビョークダールは、その鉄板を後生大事に持ち歩いていたんだが、その鉄板を詳細な調査に出したところ、実は、、、、という、ギャグみたいなエピソードも差し挟まれる。

 また、本作は、後半まで、「真相は分からないままでした~~!!」で終わりそうな勢いなのだが、終盤から一気に展開する。この構成を“メタ”と言う人もいるようだが、その辺は見る人の感性次第かも。私は、メタだとは思わなかったが。ただ、このマッツ・ブリュガーという監督の手法が、マイケル・ムーアとは違うけれど、ちょっとおふざけが入っている感じがあるので、それが“メタ感”を漂わせている節はある。

 

 

 

 


のA」は、CIAの印……??

 



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第三夫人と髪飾り(2018年)

2019-11-03 | 【た】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68260/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 19世紀の北ベトナム。絹の里を治める大地主(レ・ヴー・ロン)のもとに、14歳のメイ(グエン・フオン・チャー・ミー)が3番目の妻として嫁いでくる。

 一族が暮らす大邸宅には、穏やかでエレガントな第一夫人のハ(トラン・ヌー・イエン・ケー)とその息子ソン(グエン・タイン・タム)、美しく魅惑的な第二夫人のスアン(マイ・トゥー・フオン)と3人の娘たちがいた。そして、若き第三夫人メイには、さらなる世継ぎの誕生が期待されているのであった。

 まだ無邪気さの残るメイは、ふたりの夫人に見守られながら穏やかな毎日を送っていたが、やがて、ここでは世継ぎとなる男児を産んでこそ“奥様”と呼ばれることを知る。  ほどなくしてメイは妊娠。出産に向けて季節が移りゆくなか、第一夫人も妊娠していることが発覚する。そんな折、メイは第二夫人のある秘密を知ってしまい……。

=====ここまで。

 

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 昨年初めてベトナムに行ったせいか、美しい北ベトナムの風景が出てくる予告編を見て、興味をそそられ見に行って参りました。

 と言っても、見たのは先月半ば。早く感想を書こうと思っていたんだけど、風邪を引いて鼻づまりが続き、ブログどころではない日々。といっても不調なのは鼻だけで、喉も痛くないし、頭痛もほとんどないし、当然熱はないし、でもダルい、頭もボーッとする(……これはいつもだが)、何かヘン、、、。……というわけで、先週1週間はほとんど健康優良児並みの早寝をする毎日。体調が悪いときは寝るに限る。

 がしかし。早寝を続けたにもかかわらず、一向に鼻づまりは改善せず。かんでもかんでも出てくる鼻水は一体どこから来ているのか? 脳ミソ溶けてんじゃねーの??と自分でツッコミを入れたくなる。今回、鼻が詰まって困ったのは、嗅覚がまるでダメになり、とにかく味が分からない!! 食欲はゼンゼン衰えないから、フツーに食べるのだが、せっかく食べても味が分からない。辛いのと苦いのは一応分かるが、甘いのはイマイチ分からない。目をつぶって食べたら、きっと今自分が何を食べているのか分からないに違いない。それくらい味が全く分からない。鼻が詰まったことなどこれまで何度もあるはずだけど、ここまで味が全く分からなくなったのは初めてな気がする、、、。

 相変わらず、何となくボーッとしたのが続いていたけど、昨日は半年前から待っていたブレハッチ&ワルシャワフィルの演奏会で、これが期待以上に良かった!(感想はいずれ書きたい、、、)ので、良い気分で調子に乗って帰りにデメルでエクレアとか買いこんで来たんだが、帰宅して早速エクレア食べたら、何と!! 嗅覚が復活したんである! 良い音楽聴いて美味しいもの食べたら、味が分かるようになった、という、、、私の体調は非常に現金なものだと分かった次第。

 デメルのエクレアは、シュー生地の下にもチョコが敷かれていて、いやはや良いお値段の訳だ。

 と、前振りが長くなりすぎましたが、本題へ。

 

◆監督自身が上映中止の判断をすることに……。

 監督は、ベトナム出身で欧米育ちの女性アッシュ・メイフェアというお方なんだが、ベトナムで本作が公開されて数日後、上映中止を決断せざるを得ない状況になったらしい。

 内容もだが、主役である第三夫人のメイを演じたグエン・フォー・チャー・ミーとその母親に対する批難・中傷が激しくなったためだとか。公開前から炎上状態だったというから、中には本作を見てもいない人たちが多くいたのだろうことは想像に難くない。14歳で第三夫人に、、、というストーリーから、この母親に対し「娘を金のために売った」という中傷まであったらしい。

 日本でもR指定になっていたみたいだけど、性的な描写は一応あるが、そんな指定は必要ないくらいに全編抑制の効いた描写だったと思う。児童婚がいまでも行われているインドなどの現実の方がよっぽどマズいでしょ、、、なんて真っ当な意見はかき消されるんだわね、こういう場合。

 昨年行ったときにガイドさんが話してくれたことを聞く限り、ベトナムの女性たちもかなり社会進出している様だったが、まだまだ抑圧されている部分はあるだろうね、そりゃ。日本だっていまだに、、、なんだから。そして、そういう歴史に蓋をしよう、いやそれどころか抹消しようという人々は、ベトナムにもやっぱりいるらしい。本作は上映中止に追い込まれたが、まあ、これからもっと直截的な作品は多く出てくるだろう。メイフェア監督も、これからの若い女性アーティストのためにも、ベトナムでの上映に拘ったと言っている。

 

◆男たちはいずこ、、、?

 本作は、全体にセリフは少なく、メイの目線で日常が丁寧に描かれていくので、一見単調な感じがするが、実はそこにはそれぞれの立場での葛藤が静かに描かれており、淡々としながらも埋み火がチロチロと見え隠れする、、、そんな映画。

 ……といっても、夫人たち同士は一応仲が良く、協力し合って生活していて、表向き“大奥”みたいな陰謀渦巻くドロドロはない。けれど、メイは、第二夫人に恋愛感情を抱いたり、自分と同時期に第一夫人が妊娠したと知ると「どうか私にこの家で最後の男の子をお授けください」と祈ったり、、、と、複雑な心の内を見せる。いくら抑圧された状況とは言え、人間なら当たり前だと感じる。

 印象的なのは、とにかく男たちがほとんど出て来ないこと。家事はもちろん、家業の養蚕、農作業を始め、牛の出産や鶏の解体といったことまで、ほとんど全て夫人たちと下働きの女性たちが担っているのである。一体、男たちは何やってんの??という感じで、この家の主も若旦那も、おそらく仕事らしい仕事はしていないと思われる。取引や商談の場に、“顔”として出ていくのが彼らの仕事なんだろう。実際に手を動かし作業をするのは、ほとんど女たちだった、ということのようだ。

 しかし、そんな女たちは主体的に生きることは禁じられており、女たちの人生を決定するのは“普段は何もしない”男たちなのである。メイもそうやって第三夫人になるべく、嫁いできたわけだし、第一夫人、第二夫人もそうだった。そしてそんな理不尽が最悪の形で表出するのが、第一夫人の息子(長男)にトゥエットという少女が嫁いでくるエピソード。

 この長男、なんと、第二夫人と不倫しているのである。長男は第二夫人を本気で愛しており、結婚などしたくないと泣いて訴えるが、トゥエットは何も知らずに嫁がされてくる。初夜に新郎に拒絶されたことで、彼女自身に何の罪もないのに、実の父親さえトゥエットを家の名を汚す娘と貶める。立つ瀬のないトゥエットは、結局、自ら首を吊る。……なんという不条理。

 こういう現実を不条理と明確に認識し、NOと意思表示するのが、第二夫人の娘というのも皮肉である。この娘は、「男になりたい」とも言う。そして、ラストでは、女性の象徴である長い髪をジョキジョキとハサミで切って川に流すというシーンで終わる。

 この時代、女性たちは何となく理不尽さを感じながらも“そういうもの”と受け止めていた人が多かっただろうが、その中で、その理不尽にNOと声を上げ、自覚的に行動に移す女性というのは珍しかったに違いなく、本作でもシンボリックに描かれる。こうして希望を抱かせるラストではあるけれど、その後のベトナムの歴史(植民地化、ベトナム戦争)を知る身としては、複雑でもある。

 

 

 

 

 

 

またベトナムに行きたくなった!

 

 

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魂のゆくえ(2017年)

2019-05-28 | 【た】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67241/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ニューヨーク州北部にある小さな教会ファースト・リフォームドの牧師トラーは、戦争で失った息子への罪悪感を背負っていた。

 ある日トラーは礼拝に来たメアリーに、環境活動家の夫マイケルの悩みを聞いてほしいと頼まれる。仕方なくメアリーの家に出向きマイケルの話を聞くと、彼は地球の未来を悲観し、メアリーのお腹の子が産まれてくることに後ろ向きにいた。

 説得にあたる反面、内心マイケルに共感し、自分の説明に納得できないトラー。さらに所属する教会が環境汚染の原因を作っている大企業から巨額の支援を受けていることを知り、次第にトラーの信仰心は揺らぎ、怒りにも似た感情が彼を蝕んでいく。

=====ここまで。

  

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 実は、見てからもう2週間近く経っているので、本当は感想を書くのもやめておこうかと思ったんだけれど、、、一応、思ったことをつらつらと書き留めておくことに。

 ……まあ、何となく格調高そうな脚本と演出にごまかされそうになるんだけれど、この映画は、牧師の男トラー(イーサン・ホーク)が、一人で勝手に拗らせに拗らせた挙げ句、自爆テロに突っ走る、、、というだけのお話。

 正直言って、信仰を持たない人間……というより、宗教に懐疑的、いやもっと言っちゃうと、胡散臭いとさえ思っている人間にとって、“トラーが悩んでいるの図”がどれほどの重みのあることなのか理解が及ばず、なんか気持ち的にかなり引いていた。

 セドリック・カイルズ演ずるメガチャーチの生臭牧師は、トラーと対照的に描かれているんだが、むしろこの生臭牧師の方が、まだ理解できる気がする。教義と現実と割り切って生きれば良い、、、というのは、神に仕える者(?)としてはあるまじきことかも知れないが、裏を返せば、それくらい神の教えなんてものは建前論だってことじゃないのか。

 だから、まったく笑顔のない、四六時中眉間に皺の寄った顔のイーサン・ホークを見ていて、彼が何にそこまで苦悩しているのか、頭では分かる様な気がしても、気持ち的についていけなくなっていた。

 挙げ句、神よクソ喰らえ!! となるのなら分かるけど、まあ、ある意味そうなんだろうけど、教会に自爆テロしに行こうとするなんてのは、いい加減にしてくれ!と言いたくなる。

 本作は『タクシードライバー』との相似性が言われているが、確かに終盤のトラーは、デ・ニーロ演ずるトラヴィスと同じこと(武装)をしている。私は、『タクシードライバー』もトラヴィスも好きじゃないけど、トラーよりはマシかも。だって、トラヴィスが武装に至る過程は、どこにでもありそうな話で、人間臭さ全開だけど、トラーの場合、神との対話が行き詰まったんだもんね。知るかそんなん、って感じだわ。

 特に、アメリカのキリスト教(福音派)の異様さを日頃ニュースなどで目の当たりにしているだけに、宗教のネガティブな部分が、また私の中に刷り込まれた感じ。

 信仰は自由だし、尊重されるべきものだけれど、信仰を振りかざして横車を押しまくり、常識を非常識と決めつけ、無理を通して道理を引っ込めるのはやめてもらいたいわ。科学的に正しいことは正しいと認めることも大事でしょうよ。

 ……というようなことを、終盤、有刺鉄線を身体にグルグル巻き付けているイーサン・ホークの姿を見ながら、ボーッと思っておりました。

 『タクシードライバー』と違うのは、トラーは、実行に移さなかったってところ。で、あのラストシーンの意味は、、、? となるのだけど、私にとってはもうどーでもよいことでありました、、、ごーん。

 

 

 

 

 

宗教が腐りきっているなんて、何を今さら、、、な感じ。

 

 

 

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ダンガル きっと、つよくなる(2016年)

2018-10-12 | 【た】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 国内チャンピオンになったものの生活のため引退したレスリングを愛する男(アーミル・カーン)は、道場で若手を指導しながら、いつか息子を金メダリストにすることを夢見ていた。しかし生まれたのは女の子。それから神頼みに始まり、あらゆる産み分けを試したが、授かったのは4人連続女の子だった。すっかり意気消沈し、道場からも遠ざかる。

 十数年後、ケンカで男の子をボコボコにした長女と次女の格闘センスに希望を見出した男は、翌日から二人を鍛え始める。娘たちに男物の服を着せ、髪を切り、一家は町中の笑いものになるが、父は信念を曲げない。娘たちはささやかな抵抗を企て続けるが、やがて才能を開花させていく……。

=====ここまで。

 実話モノ。世界で総額約376億円稼いだという本作。アーミル・カーンにとっても最大のヒット作となったらしい。 

 
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 アーミル・カーン好きの映画友に誘われて、劇場に見に行く予定だったのだけど、そもそもあんまし気乗りしていなかった上に、都合もつかず見送り、、、。まあ、予告編を見て想像していたとおりのスポ根映画だったけれど、まあまあ面白かったかな。……でも、私はやっぱし『きっと、うまくいく』の方が断然好きだけど。


◆女のくせに、、、

 インドが舞台、ってのがミソだよねぇ。インドと言えば、いまだに根強い性差別。女は黙っとれ!的な風習が根強く残っている彼の国で、女が、しかもレスリングで、世界的に活躍するというオハナシなんだから。

 私が一番印象に残ったシーンは、姉妹が強くなって世界の舞台で活躍するシーンではない。

 姉のギータと、妹のバヴィータが、アーミル・カーン演ずる父親マハヴィルの理不尽なシゴキに耐えられず、友人の結婚式で愚痴る。「普通の父親は娘にレスリングなんかさせない。あんな父親いらない、、、」 ……それを聞いた花嫁になった友人は、涙ながらに姉妹にこう返す(セリフ正確じゃありません)。

 「私はあんな父親が欲しい。普通の父親は、娘が生まれれば掃除と料理を覚えさせて、14歳になったら顔も見たことのない男の所に嫁に出す。厄介払いするだけ。でも、あなたたちのお父さんは、あなたたちの将来のことを考えてくれている。いい父親よ」

 この友人の言葉が、姉妹を目覚めさせたんだよね。

 確かに、この父親は、自分の夢を娘に託すという自己チューパパに違いない。その鍛えっぷりは半端なく厳しいもので、姉妹がレスリングを止めたくて「(土の上での)練習で頭が砂だらけになってシラミが湧いて困っている」と訴えると、姉妹の長い髪をスポーツ刈りにしてしまうなんてのは、日本じゃ虐待だろ、という感じ。

 とにかく、女性が一人前扱いされていない環境にあって、姉妹は、同じ自己チューであっても、嫁に出して厄介払いする父親の自己チューよりは遙かにマシであることに気付き、自らトレーニングに積極的に励むようになるわけ。ここから、父親と姉妹の3人のスポ根ストーリーが本格的に始まるという次第。


◆この自己チューな父親は嫌いじゃないワ。

 でも、私はこの父親の姉妹の鍛え方にはほとんど不快感を抱かなかった。髪刈り事件はいただけないが、この父親は姉妹に体罰を加えないし、感情にまかせて罵倒することもしない。時に理不尽でさえあるシゴキには違いないものの、それは、ひとえに“レスリングに必要なものを身に着けさせる”ためであることが伝わってくる。いわゆる、根性論ではないところが、好感を持てる。ある意味、極めてロジカルなのよね。

 実際の父親と姉妹の関係がどうだったかは、もちろん知る由もないけど、少なくとも本作での描かれ方は、見ていても不快にならない。

 それ比べれば、強くなったギータが入った国立スポーツ・アカデミーのコーチはサイテーだ。もちろん、この人物は創作で、実際はこんなアホコーチではなかったと信じたいが、本作中でのコーチは、ギータの父親に露骨に対抗意識を燃やし、ギータから父親の影響を完全に排除しようとする、非常にちっせーヤツなのだ。まるで指導者の器ではない。

 ……でも、こういうタイプの人間は、実在するよなぁ、と見ながら思った。本人の持つ良さを認めない、まずは否定から入る人。そして、上手く行かないと、本人のせいだけにする。自分の言うことを聞かないから上手く行かないんだと。自分の言うことに黙って従ってればいいんだ! みたいな。自分の指導が本当に本人にとって良いのかどうか顧みる、ということを絶対にしない人。これぞ、パワハラが生まれるシチュエーションじゃない?!

 おまけに、このコーチ、観察眼もイマイチ。敵の分析力にも欠けるのか、コーチがギータにアドバイスする内容と、父親がアドバイスする内容は正反対。そして、ギータは(多分、彼女なりに考えた上で)父親のアドバイスに従い、コーチをイラつかせるが、結果的には試合に勝つ。それがますますコーチのプライドを傷つけ、コーチは父親を排除しようと躍起になる、、、。とまあ、この辺は映画上のシナリオだと思うけどね。

 この、父親VSコーチの感情的対立は、終盤の見せ所となる。大事な試合なのに、父親が観戦に来られない状況になり(もちろんコーチが仕組んだことなんだが)、試合中、客席に心の支えである父の姿を見ることが出来ないギータは、負ける寸前まで追い込まれ、、、(続きは、本作をご覧ください)。まあ、これは完全な創作だと思うけど、ちょっとやり過ぎだったような。このエピソードがあったために、私は却って盛り下がってしまった、、、。ごーん。

 途中、父親と、アカデミー仕込みのギータが対立し、直接対決してギータが父親を負かす、というシーンがあって、ここで力では“親を超える”という通過儀礼が描かれる。でも、実は精神的にはまだまだ超えられていなかったという厳しい現実がその後に展開し、なかなか、こういったところも見ている者を飽きさせない構成で素晴らしい。

 2時間半と、相変わらず長尺だけれど、長さを感じさせないエンタメにも仕上がっています。


◆その他もろもろ

 DVDの特典映像で、アーミル・カーンの肉体改造ってのがあったんだけど、これがマジで凄かった。中盤以降、彼の演じる父親は、ず~っと太っているのね。実際の撮影は、この太っているシーンから撮り、その後、減量して、痩せている現役選手の頃の撮影をしたんだとか。相撲取りのような身体が、ボディビルダーみたいな身体に変化していく様は、それはそれは見ものです。

 アーミル・カーン自身は、太るときは「好きなものを気兼ねなくたくさん食べることができ、幸せだった」とか。でも、太ってるバージョンの撮影が終わったときは「もう二度とこんなに太りたくはない」とも言っている。やはり、身体が重く、動きにくいらしい。

 彼は、『きっと、うまくいく』では10代の学生を43歳で演じ、その5年後には『PK』でサイボーグみたいな身体になっていたから、肉体改造なんて朝飯前かと思っていたら、やはり、そのためにやっていることはなかなか壮絶でシビアなものだった。でも、あんなに肉体を頻繁に改造していて、健康面は大丈夫なんだろうか。急激に太ったり痩せたりすると、かなり内臓にダメージが掛かると聞いたことがあるので、ちょっと心配。

 本作では、ギータに焦点が当たっているけど、バヴィータにもきっとドラマがあったに違いない。難を言えば、そのバヴィータのドラマがかなり薄かったことかな。まあ、でも尺を考えると致し方ないのかも。

 あと、音楽が面白かった! タイトルの「ダンガル」ってのはレスリングのことを指すらしいが、重要なシーンになると、BGMで ♪ダンガル・ダンガル、♪ダンガル・ダンガル、♪ダンガル・ダンガル……と、延々と続くんだよね、これが。見ている方も、手に汗握ります。



 








ギータは吉田沙保里選手・伊調馨選手とも対戦しているようです。




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タクシー運転手 約束は海を越えて(2017年)

2018-05-05 | 【た】



以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 ソウルのタクシー運転手マンソプは「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」という言葉につられ、ドイツ人記者ピーターを乗せて英語も分からぬまま一路、光州を目指す。

 何としてもタクシー代を受け取りたいマンソプは機転を利かせて検問を切り抜け、時間ぎりぎりで光州に入る。“危険だからソウルに戻ろう”というマンソプの言葉に耳を貸さず、ピーターは大学生のジェシクとファン運転手の助けを借り、撮影を始める。

 しかし状況は徐々に悪化。マンソプは1人で留守番させている11歳の娘が気になり、ますます焦るのだが…。

=====ここまで。

 
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 あんまし韓国映画は見ていない方だけど、新聞の評を読んで、俄然見たくなって劇場まで行ってまいりました。1日のサービスデーだったせいか、満席ではなかったみたいだけど、すごい混雑ぶり。評判に違わぬ佳作でした。


◆史実をベースにした映画は“見る姿勢”が難しい。

 光州事件 ――。何となくそんなニュースをやっていたような気がするなぁ、という程度の記憶しかない、、、。いまだに韓国でも真相が解明されたとはいえない事件らしいが、当時は北朝鮮の介入説など、陰謀論も渦巻いており、いまも陰謀論はタブー視されつつも地下では根強く残っているとのこと。

 でも、まあ、これは飽くまで映画。ソン・ガンホ演じるキム・マンソプは個人タクシーの運転手という設定だったけど、実際には、ソウルのホテル付のタクシー運転手だったそうだし。

 民衆蜂起を軍が武力で制圧した事件、として見ることが前提なので、真相云々はここでは置くとするけれど、史実に基づいた映画ってのは、見る者にとってはここが難しいんだよねぇ。映画で描かれたことを史実として受け止めてしまうことのリスクを、一応は弁えておきたい。

 ……というエクスキューズをした上で。

 序盤は笑いもあるほのぼの系、中盤は緊迫の展開、終盤は怒濤の脱出劇、とメリハリの効いた展開で2時間超の長尺を感じさせない。特に、中盤から終盤にかけては息つく暇もなく、史実に基づいた事件を扱いつつもエンタメ要素てんこ盛りで、よく出来たシナリオだと思う。

 なんと言っても、マンソプを演じるソン・ガンホが素晴らしい。学のない貧しいタクシー運転手で、時の政府を信用し、ソウルでデモなんかに参加している大学生に「親の金で大学行って何やってんだ! お上の言うこと聞いてりゃいいだろ、この国ほど住みやすい国はない!」なんて本気で思っているオヤジを好演している。

 マンソプは、妻とは死別しており、可愛い一人娘を男手のみで育てている。娘が顔に傷を作っているのを見て、大家の息子に怪我させられたと思い込んで怒鳴り込むと、逆に大家の奥さんに「アンタの娘にやられた」と息子の顔の傷を突き付けられた上に、「4か月の家賃10万ウォンも滞納して、早く払え! でなきゃ出て行け!」と逆襲されるという、、、情けないダメ父ぶり。でも、実はこの大家の奥さんは、マンソプが光州から戻ってこられなくなると、娘の面倒を見てあげるという、根は優しい善い人で、人情ドラマも描かれる。

 とにかく、マンソプは10万ウォンを払いたいがためだけに、食堂で小耳に挟んだ別のタクシー運転手のもうけ話を横取りすることにする。ホテルまでドイツ人ビジネスマンを、その別のタクシー運転手になりすまして迎えに行き、拙い英語で「レッツゴー、ハンジュ(光州)!!」などと脳天気に言って、そのドイツ人を強引にタクシーに乗せてしまうんだけれど、このドイツ人ピーターを、トーマス・クレッチマンが演じている。

 が、行ってみれば、光州は地獄絵図が展開されていた、、、という、思わぬ展開。ここから、作品の雰囲気が一変する。


◆終盤は、マッドマックスらしいよ。

 光州に入って、散々な目に遭ったマンソプは、一夜明けて、ピーターを置いて、こっそりソウルに戻ろうとする。そのとき、マンソプとピーターを泊めてくれた光州のタクシー運転手がくれた、地元の人間も知らない抜け道を書いた地図と、光州ナンバーの偽造ナンバープレートのおかげで、あと少しでソウルという所まで来る。

 正直、見ている方も、ヤレヤレこれで無事に娘ちゃんに会えるね、、、と思う半面、これで終わり? それってアリ? と思う。

 そして、やっぱり、マンソプはそこからまた、光州へ危険を冒して戻るわけ。ピーターとの最初の約束は、光州へ行って無事にソウルに帰ってきたら10万ウォン、だったから、約束を果たしていない、ということもあるけれども、やはり、マンソプとしては自分が信じていた政府が同胞に容赦なく銃撃を加えていた現実にいたたまれない、という気持ちが大きかったのではないか。光州へ戻る決断をする一連の彼の行動がそう思わせる。

 戻った光州は、前日よりも酷い状況になっていて、マンソプも死にそうな目に遭う。もうとにかく、この辺りのシーンは緊張の連続で、息をするのも忘れそうな感じ。私服軍人なる人たちがとにかく怖ろしい。ロボットみたいに無機質にどこまでもマンソプらを追い掛けてくるし、容赦なく攻撃してくる。

 光州市民たちのたっての願いで、ピーターの撮った映像を何とか持ち出すため、ピーターをタクシーに乗せ、再びソウルを目指すマンソプ。

 で、ここからが怒濤の脱出劇で、ほとんどアクション映画、、、というか、カーチェイス映画になっていく。一部じゃ『マッドマックス 怒りのデスロード』と重ねて言われているけど、私は、そもそもマッドマックス見てないんで、そんなこと言われてもピンとこない。けれども、まあ、何となく分かる。使っている車は多分、マッドマックスより大分見劣りするんだろうけど、追っ手の車は小型の高速装甲車みたいなゴツさで、外観だけで十分怖い。こんなのに囲まれたら生きた心地がしないよなぁ、、、。

 光州のタクシー運転手たちが、マンソプとピーターの乗ったタクシーを全力で追っ手から守るんだけど、ここは多分、完全な創作だろうね。


◆その他モロモロ

 まあ、結果的には、マンソプらは無事にソウルに戻ってきて、間一髪、ピーターは韓国を出国できた。

 映画として盛り上げるために、光州を脱出する際、検問で軍のお兄ちゃんに隠してあったソウルナンバーのナンバープレートを見つけられながらも、その軍のお兄ちゃんは見て見ぬふりをして検問を通してあげるシーンとか入れたんだろうけど、そこまでしなくても良かったような。そんなシーンなくても、十分手に汗握るシーンの連続なわけで。

 あと、マンソプは本作ではピーターに本名を教えないんだけど、実際には、金砂福という本名は分かっているらしい。ただ、ピーターのモデルとなったユルゲン・ヒンツペーターと金砂福は、事件後再会していないようなので、演出的にこのような展開にしたのかな。ラスト、生前のヒンツペーターがメッセージを話す映像が出ます。

 それはともかく、光州に入ったその晩、帰れなくなったマンソプらを泊めてあげた光州のタクシー運転手の家での、ささやかな楽しいひとときのシーンとか、そこに突如襲う銃声とか、硬軟の織り交ぜが絶妙。やり過ぎな部分もあるけど、それを補って余りあるエンタメ映画に仕上がっていると思う。終盤、泣けるという書き込みも目にしたけど、私は、泣けるというより、とにかくホッとした、という感じだったなぁ。

 問題は、最初に書いたとおり、これが、光州事件という歴史上の事件をベースにしていることだけど。

 トーマス・クレッチマン演ずるピーターは、記者魂の感じられる役だったけれど、若干、存在感薄いかも。それより、トーマス・クレッチマンが結構老けていたことがショック。『戦場のピアニスト』では、あんなに凜々しかったのに、、、。15年経ってるからなぁ。ううむ、ちょっと衝撃。

 それにしても。韓国映画界は、正直なところ、日本映画界より先を行っているのではないですかね。少なくとも、今の日本で、本作レベルの映画は作れていないと思う。本作のように政治絡みでもエンタメに仕上げる根性がそもそも邦画界にはない。守りに入っている世界で、新しいもの、感動させられるものは、そりゃ出てくるはずはないよね、、、。経済だけじゃなく、政治も、映画も、日本はどんどん周囲から後れて行っているようで、哀しい。

 最後に、ゼンゼン本作とは関係ないけれど、私の敬愛するピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの言葉を。現代音楽について語った重い言葉です。

 「現代音楽に関して、私にも好みはあります。しかし、先入観は全くありません。そして、私が本当に嫌いなのは、安易な音楽、簡単な方法で聴衆を喜ばせようとして作った音楽、過去の模倣に過ぎない音楽、上昇を志したアバンギャルドの偉大な瞬間を拒絶した音楽なのです。私がこうした音楽を嫌うのは、理論的な理由からではありません。ただ、それを聴いてみて、全く気に入らなかった、ということなのです」


 

 





トーマス・クレッチマンがキムチを食べています。




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たかが世界の終わり(2016年)

2017-02-24 | 【た】



 12年も帰らなかった家族の住む家に帰ることにしたルイ(ギャスパー・ウリエル)。それは、“あること”を伝えようとしたから。

 しかし、帰ってみたら、自分の家族はやっぱり昔のまんまだった。心休まる場所とは程遠い。そして、伝えたかった”あること”は、遂に伝えられないまま去ることになったルイだった、、、。

 グザヴィエ・ドラン監督作はこれが初挑戦だったんだけれど、、、、うーーーーーーーん、、、。

 
 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 グザヴィエ・ドラン……『わたしはロランス』辺りから、一応、視界の端に入っていたその名前ではありますが、二十歳そこそこであまりに絶賛されている様(つーか回りが勝手に騒いでいる感じだったけど)がどうにも違和感バリバリで、わざわざお金を払って見る気もせず、、、。まあ、単なる天邪鬼なんですが。

 本作は、何かの映画評で読んで、割と内容が面白そう、と思ったので、ちょっとチャレンジしてみることにいたしました。

 、、、が。


◆“あること”を聞き逃した私、、、。

 ルイ君が家族に伝えたかった“あること”とは何か。

 実はこれ、作品の冒頭部分でルイ君のナレーションでバッチリ言っているんだとか。しかし、私は、寝ていたわけでもないのに、これをスッポリ聞き逃したんですよ。何で??? おかしいなぁ、、、。

 なもんですから、ルイ君が言おう言おうとして言えないことが何なのかが気になって気になって、でも、結局最後まで分からなくて、「はぁ~~~? 何それ!!!」ってな感じになり、終映後、すぐにパンフ(1,000円!! 高過ぎ! 意匠にムダに凝り過ぎ!)を買って、最初のイントロダクションでいきなり答えが書いてあるではないですか!!

 「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。

 え゛~~~~、何でこんなことが分かるわけ~? どこでそんなこと言ってたのさ!!! と思って、ネットをザッと見てみたら「冒頭でナレーションが、、、」等と紹介されているサイトorブログ多数。え゛~~~~~~!!! そんなナレーション、あったか? マジで??

 というわけで、私の場合、この作品を見た大勢の方々とは、前提条件が異なりますので、少々見方がヘンかも知れませんが悪しからず。


◆本作の魅力はあんましよく分からず、、、。

 ただ、、、正直なところ、“あること”が分からなかったから、どうにか最後まで見ることが出来た、という感じです。もうね、、、途中、うんざりというか、退屈してきちゃいまして。

 なぜか。理由は、多分4つ。

 ①セリフ劇である:本作は、戯曲が原作ですから、ほぼワンシチュエーションのセリフ劇です。これは、中身次第では非常に眠くなる要素です。
 ②アップ画面の多用:セリフを言う人のドアップの連続。あまりにも続くので、早々に疲れて飽きました。
 ③うるさい会話:もう、ぎゃーぎゃーと怒鳴り散らす会話。、、、げんなり。
 ④誰一人共感できない登場人物:どの人も、ちょっと病んでる感じで、、、もうお腹いっぱい。

 、、、てな感じでござんした。まあ、終始、緊迫感の漂う作品なので、退屈する人は少ないと思いますけれども、私は退屈しちゃいました。

 というのも、セリフ劇ではあっても、会話でストーリーが展開していくわけじゃなく、もちろん後から考えれば、それは意味のある会話だとは思うけれども、見ている間は「ただのおしゃべり」的な印象が強くて、興味を持ってそのセリフの意図を読み取ろうとか思えないワケ。しかも、みんなトゲトゲしくて怖いし。何でこんなに仲悪いの、この家族、、、、みたいな愚問が頭の中に浮かんじゃうのよ。

 しかも、②のアップ画面が多過ぎで、いい加減にしろ、と言いたくなるし。俳優の顔を拝みに映画を見に行っているわけじゃないんだから、顔のドアップばかり見せられても、、、、いくら表情を読み取れって言われたって、スクリーン一杯に広がる一人の顔のどこを見ればいいのか、だんだん分からなくなってくるんだよ。まあ、そういう心理的な追い詰め感が、恐らくは狙いだと思うけれども、やり過ぎじゃない? 

 なので、序盤でそうそうに気持ち的にはギブアップでした。


◆アントワーヌの存在をどう受け止めるか、、、。

 よくよく考えてみると、私は、③の要素のある作品がダメっぽい。その筆頭は『バージニア・ウルフなんかこわくない』ですねぇ。もう、あれは途中で見ているのがイヤになりました。本作はそこまでじゃないにしても、まあ、やっぱし、うへぇ、、、って感じになっちゃいました。

 多分、これは、私自身がこういう家族環境に育ったからだと思われます。母親がいつもイライラして怒鳴っている、父もそれにつられて大きな声を出す、、、。姉と私はそそくさと退散、、、みたいな。親の実家に行っても、割と、言い合い・ケンカが始まることは珍しくはなく、誇張抜きで、しょっちゅうビクビクする状況にあったと思います。だから、フィクションの映画やドラマの中でさえ、そういう光景を目にすると、何となく脳味噌が拒絶反応を起こすのかも知れません。

 それに連動しているのが、多分④。本作の家族は、みんながちょっとずつ病んでいて、でも、家族で完結しちゃっている世界にいることで、その不健全さに居心地の良さも感じている、、、、という、かなり歪んだ家族です。父親がいない、ってのは、ある意味象徴的ですね。何で父親不在なのかは分かりませんが。この、不健全さが、やっぱり私の育った家族に通じるんですよねぇ、残念ながら。幼い頃の記憶は③だけれども、長じてからは④ですね。

 まあ、本作の家族と、私の育った家族との違いは、不健全さの自覚があったかなかったか、、、かな。本作の家族には、少なくとも、うっすら自覚がある気がしますので。

 本作で、一番、鑑賞者の反感を買うのは、ルイの兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)でしょう。彼一人が、せっかく良い雰囲気になって来た家族の会話を掻き乱すんですからねぇ。私も、見ていて、不快極まりないなぁ、と思っておりました。でも、ラストに、ルイが遂に“あること”を口にしようとしたとき、それを全力で妨害するアントワーヌを見て、何か、可哀想になって来ちゃいました。そして、ようやく気付いたんですよね、アントワーヌはルイに激しく嫉妬していたんだってことに。

 嫉妬、というと誤解を招くかもですが、まあ、平たく言えば嫉妬でしょう、やっぱり。自分は、この家族の中に埋もれて地味な人生を生きている。過去にはきっとどこかで飛び出したいという欲求もあったはずだけれど、飛び出す勇気もなく、今に至っている。そんな自分の鬱屈を、弟は軽々と越えて都会に飛び出し、売れっ子劇作家になって、母(ナタリー・バイ)も妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)もウキウキして弟を迎えている。、、、そら、心穏やかでいられるわけないですよ。

 アントワーヌにしてみりゃ、何より気に入らねぇのは、妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)までもが、ルイを好意的に受け止めており、それどころか、母や妹よりも、ルイと心通じ合っているみたいだってこと。夫であるからこそアントワーヌにはビンビンと感じたんでしょうなぁ、、、。なんか、可哀想過ぎる。

 この上、弟に何事が秘密めいた爆弾発言をされたら、家族と妻の心は全てルイに持って行かれてしまう。発言させてなるものか!!! みたいな必死さがイタ過ぎなんだけれども、理解できてしまう、、、。


◆真に仲の良い家族、、、っているの?

 ルイは、ドラン監督を投影させた人物なんですかねぇ? 原作者のジャン=ルック・ラガルスは、エイズで亡くなっているそうなので、ラガルス自身が投影されているのは間違いないと思いますが。ドラン監督の過去作品はいずれも未見ですが、内容を見ると、どれも母親や家族についての作品とのこと。しかも、ハッピーな家族じゃないっぽい。

 恐らく、ドラン監督自身も、親兄弟と、ただならぬ葛藤を抱えているのだと想像します。

 このブログでもしょっちゅう書いていますが、家族が癒しでも救いでもない人はいっぱいいるわけで、家族って素晴らしいとか能天気に描いているものを見ると、白けちゃうんだよね。かと言って、本作みたいなのを見せられても、私の場合は、ちょっと拒絶反応に近いものを感じてしまう。

 本作を見ながら、『8月の家族たち』を思い出していました。あれも、家族同士で罵り合って、見ている方はギリギリ来る作品だった。

 「何でこんなに仲悪いの、この家族」という愚問が浮かんだと書いたけれど、こんな程度に仲が悪い家族なんて、別に普通かも。私の育った家族もそうだったし。仲が本当に良い家族って、どんなん? とむしろそっちの方が疑問かも。家族ってのは、葛藤があって当たり前で、仲が良いなんてのは、そう思っているだけ、(葛藤などの)見たくない所を敢えて見ていないだけ、ってことかも。

 本作の良い所を挙げるとすれば、家族にストレスを感じているのは「自分だけじゃない」と思えるのが救いになる、ってことでしょうか。

 ただまあ、『8月の家族たち』ほど、露骨なスポイルし合うシーンはないし、あそこまで家族が憎み合っている訳じゃないですけれどね、、、。

 セリフでストーリーが展開しないことに文句をつけたけれど、リアルな日常を考えた時、本当に言いたいことほど言葉にし難いものだから、こういう訳のわからない、意味のなさそうな会話のオンパレードってのも、実はかなりリアリティは高いのかも知れません。


◆その他もろもろ

 主演のウリ坊は、セリフが非常に少なくて難しい役ですが、結構頑張っていたと思います。まあ、上手いのかどうなのか、それさえよく分からないくらい、よく分からない役でしたから、演じる方はさぞかしタイヘンだったでしょう、、、と同情します。ご本人は、やりがいのある役だったようですが(とムダに洒落たパンフに書いてある)。

 レア・セドゥ、マリオン・コティヤール、ナタリー・バイの女性陣は、もちろん、迫真の演技なんですけれども、あんまし、、、、個人的にはインパクト薄。

 やっぱ、ヴァンサン・カッセルでしょう、一番の注目は。アントワーヌという、ムカつく、屈折した男を、実に、ムカつくように演じて見せてくれました。ルックスはあんまし好きじゃないけど、やっぱし、彼は大した役者さんです。

 有名どころを揃えて、天才の名をほしいままにするドラン監督。でも、私は、ここまでもてはやされている彼がちょっと心配だ。天才天才と言われて、あまりにも早急に消費されている、ってことは、、、きっとないと思いますが、、、、。才能が枯渇しないのが天才、、、、とは思えない。天才だからこそ苦しいはずです。彼自身というよりは、彼の取り巻きが、どうか賢い人たちであって欲しいものです。天才は、そうそういないのだから、大切にしてもらいたい。人類の宝なんですからね。








オープニングとエンディングの歌詞が象徴的。




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誰も知らない(2004年)

2016-11-29 | 【た】



 父親の違う子ら4人と母親がとあるアパートに引っ越してくる。しかし、母親・福島けい子(YOU)は、12歳の長男・明(柳楽優弥)のみを大家に紹介し、小さい二男と二女はスーツケースに入れて、長女は後からこっそり呼び寄せるという異様な引っ越しだ。

 けい子は、明以外の3人に絶対に部屋から出てはダメだと言い聞かせ、ある程度まとまった現金を置いて何日も帰って来ないという生活をしていた。そしてある日、「クリスマスには帰るから」と言って、再び明に金を渡して出かけたきり、クリスマスになっても帰って来なかった。そのうち、明の手元の現金は底をつく。

 実際にあった子ども置き去り事件をモチーフにし、柳楽くんがカンヌで日本人として初めての最優秀主演男優賞を受賞し注目を浴びた作品。 


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 なぜか分からないけど、何となく見たいと思い、『誰も守ってくれない』のDVDと間違えたら、余計に見たくなりまして。ようやく見ました。


◆まるでピンと来ない映画。

 う~ん、これはちょっと感想を書くのが難しい作品です。まあ、好きか嫌いかでいえば、確実に嫌いな部類ですが、どういうところが嫌いなのかを書くのが難しいですねぇ。これといってあげつらう要素がある訳じゃないのです。

 実際にあった事件がどんなもんかはよく知らないし、そこにあまりこだわるのも意味がない気がします。なんというか、、、見ている間に頭に常にあったのは「この監督さん、何を描きたいのかなぁ?」でした。見終わっても、正直分からなかった。

 インタビューなどをチラッと読んだだけだと、こういう極限状態(?)に置かれてもなお生き生きとしている子どもたちを描きたかった、みたいなことをおっしゃっているようです。

 ううむ、、、生き生きとしている子どもたちかぁ、、、。生き生きしている、っていうんですかね、ああいう状態を。

 オムニバス映画『それでも生きる子供たちへ』(2005年)を思い出しました。一つ一つの話はほとんど忘れてしまったのだけど、みんシネにも書いたとおり、子どもって、とにかく生きることしかないんだよね。何が何でも生きようとするのが子どもであり、本作でも置き去りにされた子どもたちは、生きることだけしかない。他に考えることなんかない。せいぜい考えることといえば、母親が帰って来るかどうかくらい。

 彼らにとって、日々は生きること。生活することじゃない。生きることなわけで、それを“生き生きしている”と言われても、、、。

 まあでも、もっと悲惨な虐待を受けて、生きることに必死でも“生き生き”していない子どもはたくさんいるだろうことを考えれば、この4人は生き生きしていると言えるのかも知れません。

 正直なところ、途中からすごく退屈してしまったんです。話自体はどんどん悲惨になるのに、ゼンゼン胸に迫って来ない。作り物だからとか、嘘くさいとかではないと思う。冗長だから、ってのも違う気がする。ただただ、何でこの作品を撮りたいと思ったのかが分からない。それくらい、見ていてピンと来なかったのです。

 誰も知らない、ってのは、周囲も気付きもしなかった、という意味も含まれているんでしょうね。アパートの住民(?)と思しき大人の足下だけ映っていて、その脇を子どもたちが通っても、大人たちは気付きもしない、、、みたいな描写でしたが。それは、気付かないことへの批判なのか、そういう都会の風潮への批判なのか。

 是枝作品は本作以外では、『幻の光』(1995年)しか見たことないのですよね。なんかあまり食指が動かないというか、興味が持てないというか。『幻の光』も結構良い映画だと思ったし、本作も、決して駄作だとは思いませんが、、、。


◆邦画の今後を憂える是枝氏。

 たまたま、今日、ネットで是枝氏が日本映画の今後を憂えているインタビュー記事を読みました。今のままじゃ邦画は海外で忘れられた存在になってしまう、ということを語っておられました。監督が食えない仕事じゃ若い人になり手がいなくなる、とか。

 でも、それをいうなら、監督も大事だろうけど、脚本家の地位をもっと上げるべきだと私は思いますねぇ。良い映画には、絶対に良い脚本・シナリオがあります。逆に、他にどんなに素晴らしい材料を揃えても、シナリオがマズければ良い作品にはなり得ない。にもかかわらず、邦画における脚本家の扱いの酷さは目を覆うばかり。監督名はでっかく書かれていても、脚本家の名前がそれと同じ大きさで書かれているのを見たことがない。

 本作は、脚本がないようなものだった、ということですが、それは本作では成立したことでしょうが、多くの作品では、やはり良いシナリオありきだと思うのですよねぇ。とにかく、もっと真面目に脚本家を育てようという土壌を作るべきでしょうね。今、映画の脚本家として確固とした地位を築いている人が一体何人いらっしゃるのやら。そしてそれらの人々がどれくらい危機感を持って後進の育成の重要性を考えているのやら。

 大石静氏は、私の好きな脚本家のお一人ですが、彼女は少し前まで、後進の育成など考えたこともないと明言されていました。それは自分のライバルを育てる事であり、敵に塩を送るようなことは出来ない、と考えていたとか。彼女のように(まあ、彼女の主戦場はTVドラマですが)、ある程度の地位を確立している人でも、そんな了見であることに、私は衝撃を覚えました。競争の激しい世界なのは分かりますが、だから、邦画もドラマもダメなんだろうな、と。

 それは恐らく、監督業にも言えることなんでしょう、きっと。是枝氏のように、若手の育成の重要性を認識している人の方が少数派なのかも知れない。

 まあでも、これから、是枝さんが旗振り役となって、監督だけでなく、脚本家の育成と地位向上に、業界全体が注力して行ってくれることを期待しましょう。


◆エンケン氏、寺島氏、若い!
 
 柳楽くん、セリフのある演技はイマイチですけど、、、二男くんの方が印象に残りました、個人的には。さすが、長期間の撮影だけあって、みんな髪の毛が伸びて、それだけの時間経過をリアルに感じさせますね、、、。

 あと、遠藤憲一が若い! 寺島進も。お2人とも真田丸にご出演ですねぇ。

 それと、帰って来ない母親をYOUが好演していました。ちょっと、可愛くて優し過ぎるお母さんな気がしましたけれども。「アタシが幸せになっちゃいけないってゆーの?」と、12歳の長男にむくれて言っている姿は、正直、あまりにもバカっぽくて笑っちゃいました。笑うところじゃないんだろうけど、すみません。







誰も知らない、、、以前よりは知るようになってきていると思います。




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誰も守ってくれない(2008年)

2016-11-08 | 【た】



 船村沙織(志田未来)の18歳の兄が近所の幼い姉妹を殺害し逮捕された。中学3年生(15歳)の沙織は学校から事情を知らされ帰宅させられる。

 自宅には警察やら役所やらの人たちが大勢詰め掛け、せわしなく沙織の両親らに諸々の手続きをさせる一方、外にはマスコミが押し掛けており、加害者家族といえども負担が大きすぎることから家族らを分散させて警察が保護することとなる。

 過去の事件でトラウマを抱える刑事・勝浦(佐藤浩市)は沙織の保護を担当することに。しかし、避難しようとしても、どこまでもマスコミが追って来る。こうして、勝浦と沙織の、さながら逃避行の避難の日々が始まるのだが、、、。

 、、、出ました、トラウマ刑事!! いい加減、この設定、やめたら?

 

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 借りるDVD間違えました、『誰も知らない』と。オープニングから、???状態だったけど、勢いで最後まで見ちゃいました。


◆佐藤浩市は仕事を選んだ方が良いと思う。

 また佐藤浩市かぁ、、、。仕事を選ばない人なのね、彼。なんか、この手の映画に必ず出ているような。あんまりイロイロ出ているから、どの映画がどれだったか、混乱しそう。

 本作は、刑事モノ、というわけでもないけれども、刑事が主役のハナシって、大抵その刑事が何かトラウマ抱えているんですよねぇ。過去の事件の失敗とか、自分の家族死なせちゃったとか、親も刑事で殉職しているとか、、、。こういうのって、必要?

 たまたま最近、Eテレの「100分de名著」で、アドラーの「人生の意味の心理学」について見ていたんだけど、アドラー先生曰く、トラウマなんてないらしいよ。トラウマってのは、その人が目的を持ってその事象に拘り続けているだけ、らしい。

 別にアドラー教の信者じゃないので(共感する部分も多々あるけど)、そこまでは思わないにしても、トラウマなんてものすごく安っぽいスパイスはいらんと思う。そういう手垢のついた、誰でも思いつきそうな設定は、そろそろやめたらいかがでしょう。見ている方は、「また虎馬かよ、、、」としか思いません。

 でもって、そういう役を演じるのが、見飽きた(と言っちゃ失礼ですが)佐藤浩市。何か、苦悩の表情を浮かべています、ずっと。どの作品でも、こういう感じの映画では同じですよねぇ、彼。別に彼のファンではないので、どーでもよいといえばどーでもよいのですが、もう少しお仕事選んだ方が良いと思います、彼ほどのキャリアの人は。でないと、小百合さんとか、キムタクとかのように、“何の役をやっても佐藤浩市”になっちゃうよ、、、。もうなっている気もするが、、、。


◆警察が表に出せない仕事しているのは当たり前。

 本作で、一番違和感を覚えたのは、“警察が税金を使って加害者家族を保護するなんてけしからん!”という描写です。

 けしからんと思う人、どれくらいいるのかなぁ。私は、アリだと思うし、むしろそれは警察以外にできる人がいないのではないかと思うんですけれども。

 冒頭のテロップ「警察はそれ(加害者家族の保護)を認めていない」(正確じゃないです)からして違和感あります。認めちゃいないかもしれないけど、そんなのやっててもおかしくないだろ、と思うし、警察のお仕事で表に出せないことなんてほかにもゴマンとあるはずでしょう。

 どうして“けしからん”なんていう描写がされるのか。

 それは、佐々木蔵之介演ずるところの新聞記者のセリフ「加害者の家族が制裁うけてトーゼンだろ!!」に集約されているのでしょうかねぇ。「被害者は守ってくれなかったくせに、加害者(家族)は守るのか?」って、、、。

 しかも、本作の意地の悪いところは、実は沙織は兄が犯人であることを、犯行当時から知っていた、とラストで明かすんですよねぇ。これで、ますます「加害者家族だからって犯罪者じゃないと言えねーだろ」と言いたげな。ある意味、家族も共犯だろう、と。

 監督・脚本の君塚良一氏が、どういう意図でこのシナリオを書いたのか分からないけど、、、。未見ですが、『藁の楯』と、趣旨は同じですかね。何で警察が悪いことしたヤツ守ってんだよ、という、、、。本作は、家族ですけれども。

 法治国家なんで、そんなの愚問過ぎて答えようがありません、よねぇ。


◆これを見た現職刑事は何を思う……?

 でもまあ、軽いサスペンスだと思って見れば、そこそこ見ている間は楽しめると思います。ネット社会の恐ろしさとかも一応描いていて、どんどん加害者家族の身元が明かされていく過程などは、リアルにありそうなことだし。

 ただまあ、本作があくまでもシリアス系の真面目なサスペンスを目指して作られたものだとすれば、やっぱりこれはイタいと言わざるを得ないよなぁ。

 本作は、既に一部でイロイロとかなり批判されているようなので(あまりそちらを詳しくは読んでいませんが)、ここでは、ツッコミどころをいちいち書くのは控えました。

 ちなみに、私は、設定上の大きなウソはゼンゼン構わないと思います。よろしくないのは、細かなウソ。細かなウソってのは、リサーチ不足や制作サイドの不勉強が原因であることがほとんどだと思うけど、そういうのは実に白けます。どんな世界を描いたフィクションであれ、観客の中には必ずその筋のプロがいることを肝に銘じ、映画を作ることに謙虚であって欲しい、とは思います。

 そういう意味じゃ、警察官は、必ず組織的に動きますので、勝浦の様に、上の了解もなく、自宅に被保護者を連れ込んだり、ペンションに連れて行ったり、ってことは、まぁ、ないんじゃないですかね、、、。これ以上は野暮になるので書きませんが。


◆その他モロモロ

 皆さん熱演だったけど、意外にも、一番印象的だったのは柳葉敏郎ですねぇ。通り魔に息子を殺された、という犯罪被害者の家族を好演していたと思います。

 木村佳乃の役は、イマイチ存在意義が不明。佐々木蔵之介と東貴博も。佐々木蔵之介には、あのセリフを言わせたかったんですかねぇ、、、? だとしても新聞記者である必要なくない?

 見て後悔する、ってほどじゃないけど、やっぱりDVD間違えたのは痛かったな、と感じる程度にはイケてない映画です。

 






背筋が凍るねぇ、、、。




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太陽のめざめ(2015年)

2016-09-17 | 【た】



 若い母親(サラ・フォレスティエ)は、夫に捨てられ、乳飲み子と6歳の男児マロニーを抱えて全てに行き詰ったのか育児放棄してしまったらしい。マロニーが2か月も学校を休んでいることで、判事フローランス(カトリーヌ・ドヌーヴ)に裁判所に呼び出され、思うにまかせぬ現実にブチ切れ、マロニーの目の前で「こんなガキ、くれてやる!」と捨て台詞で部屋を出て行ってしまった。見慣れた光景なのか、表情はいたって普通のマロニー。

 10年後、不良少年に成長したマロニー(ロッド・パラド)は、母親の愛情に飢えているせいか、極度のマザコンで、なおかつ感情のコントロールが効かず異様な攻撃的性格となっていた。問題ばかり起こすマロニーだが、フローランスは温情ある措置をとりつづけ、かつては不良少年だった教育係ヤン(ブノワ・マジメル)をつけ、なんとかマロニーを立ち直らせようとしたのだが、、、。

 手の付けられない暴れん坊少年マロニーくんの成長譚(?)。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 カトリーヌ・ドヌーヴとブノワ・マジメルの出演、かつ評判も良い、となれば見たくなりますわ。、、、が、これは私はちょっとイヤかも。その理由を書きます。


◆妊娠&出産で一発解決

 始めに本作の結末から書いてしまいますが、大いなるネタバレですので、悪しからず。

 マロニーは、はずみでしたセックスで妊娠させた女の子に子どもを産ませ、父親になったことで立ち直るきっかけを得る、というのがこの映画のオチです。これが、一番イヤな理由。誰もが手を焼き頭を悩ませる問題を、妊娠&出産で一発解決するというのはよくあるパターンですが、ものすごく安易で、最も嫌いな解決策なのです。

 映画はここで終わりなので良いですが、マロニーがあの後、父親としてそれまでとは別人のように真面目な大人になれると、皆さん本気でお思いで? まさかでしょう。これは、マロニー2世を再生産する物語であって、マロニー更生の物語とは言い難いのでは。誰もが内心そういう感じを薄々抱いたのでは。

 魅力的なキャラであるフローレンス判事や、教育係のヤンの存在のおかげで、マロニーが葛藤しながら大人になっていくように描かれていますけれど、よくよく考えると、彼自身、本質的には変わっていないと思うのです。

 赤ちゃんができる直前にも、弟を誘拐して自らの無免許運転の車(しかも盗んだ車)に乗せ、挙句、事故って弟を怪我させています。で、結果的に刑務所送りとなり、、、。刑務所ではマロニーは泣いています。この涙はでも、母恋しさであり、刑務所に入れられた情けなさであり、彼が本当に“気づき”を得た涙には、私には見えませんでした。

 というか、マロニーが“気づき”を得た瞬間が、本作にあったのでしょうか、、、。私には分からなかったです。

 パンフに、精神科医の斎藤学氏がこう書いています。「少年拘置所を脱走したマロニーは、正に人工流産の措置を受ける寸前のテスを、手術室に乱入して助け出す。この瞬間、マロニーは17歳とは言いながら大人の男になった」、、、そーでしょうか? そんな楽観的な見方で良いのでしょうか?

 我が子を得たことが、“気づき”を得たということなんだよ、というご意見も当然あるでしょうが、そこがイヤなんです、私は。

 子どもが出来ただけでそれまでメチャクチャだった人間が、ころりと真人間になれるのであれば、世界中の不良少年たちはパパになれば良いのであって、何も福祉施設や関係者が汗水たらして支援する必要なんかないのでは??



◆親は一人じゃない

 本作のマロニーの母親は育児放棄していますが、その原因はいくつかあって、身近な人の手助けもなく孤独であることや、経済的にひっ迫していることです。

 でもこれは、本来、母親だけが抱え込まなければいけない問題ではないはず。子どもは、女一人では絶対に出来ません。男がいるから出来るのです。父親が物理的にも経済的にも母親を助ければ、これらの問題の多くは解決できます。母親の未熟な精神は解決しませんが。

 日本でも、数年前に大阪で育児放棄の事件が起きましたが、あの時、叩かれたのは母親だけです。父親については誰も問題視しない。親権が母親なんだから、ってことでしょうか。今の日本では共同親権は認められていません。しかし、父親は親権がなくても、親には違いなく、子を世に送り出した以上、育てる義務は本来母親と同様にあるのです。なのに、誰も父親を責めない。

 逆パターンもあります。母親が逃げちゃって、父親が子と取り残され、育児が出来ずに子を放置、、、。そして子が亡くなり、父親が逮捕されたけれども、母親は直截的には何の責任も問われない。、、、おかしくないか?

 つまり、未熟な男(女)が、未熟な女(男)とテキトーにセックスした結果、子をなして、生物学上は父親(母親)になっても、社会的には父親(母親)になり切れず、妻(夫)もろとも子を捨てるケースは掃いて捨てるほどあるってことです。その場合、捨てた方は、捨てた後に子に災いが起きても責められるどころか、責任さえ問われない。

 マロニーも、生来、我慢が出来ない性質で、最大限の我慢を強いられる子育てを順調に何年もできるのか。途中で放棄し、彼女と子を捨て、彼女が育児放棄に陥ったとして、マロニーはどう責任をとるっていうのか。

 本作は、そういう意味では、ものすごく無責任な解決策を提示した罪深い映画とも言えるのでは?

 そこまで悲観しなくても、、、と言われるかもしれませんが、フィクションの世界であるからこそ、そういう安易な展開にしてほしくなかったのですよ、私は。


◆ローチなら、、、

 本作は、ちょっと扱うテーマが、ローチの映画に通じるものがあると感じます。ローチだったらどう描くかなぁ、、、と思いました。ローチの映画にも、未熟な少年に子が出来て、、、という話の映画『天使の分け前』があります。他にも、少年に子が出来ちゃう話はあるかも知れませんが、私が見たローチ作品で思い浮かぶのはこれだけです。

 ただ、天使~では、子が出来ることは、作中でのメインテーマでは全くありません。目立たないサイドストーリーです。子が出来るほかに、主人公には能力を発揮する分野が見つかるという、メインストーリーがあります。飽くまで“自分の力で自分の居場所を確保する”ことが主題。そう、自力で立ち上がってなんぼでしょう、人生。それに加えて子が出来れば、確かに、真っ当に生きるその後の道が見えてエンディングを迎えても、見ている方は納得できる。

 ローチ作品に一貫しているのは、人生で躓いたとき、立ち上がるのは自分自身でしかない、けれども、ほんの少しだけ周囲の暖かい見守りも必要、というもので、そこがとても共感できて好きです。それ故、非常に内容はシビアで胸締め付けられるものが多いけれども、必ず一筋の光明は見いだせる。救いとまでは言えない、そんな甘い映画はローチは作らないけれども、完全な絶望も描かない。本当に、一筋の光明、、、という程度のものが提示される。

 ローチのシビアさは求めていないけれど、それにしても、本作はあまりにもイージーだと思いました。だからイヤなんです。


◆その他もろもろ

 16歳のマロニーを演じたロッド・パラド君、“アラン・ドロンやリバー・フェニックスの再来”なんて言われているとか。、、、そ、そーかなぁ。私は、ずーっと彼の顔を見ながら「勝地涼に似ているなぁ~」でした。似てませんかね? 彼をもうちょっと目力強くしたら、ロッド君、って感じでは? 本作が本格的な初演技だったとかですが、初めてとは思えない役者っぷりでした。セックスシーンにも堂々と挑んでおられました、下半身晒して、、、。すげぇなー、フランス人の少年は。

 すぐキレる役、って難しいだろうなと思いました。常にイライラし、自分をコントロールできない、そういう“感じ”を纏うってのは、なかなか出来る芸当じゃないはず。でも、ロッド君、マロニーが地じゃないか? と思えるほど実にナチュラルに演じておられました。素晴らしい。

 ドヌーブ様は、今さら何も言うことはありません。後姿は、ものすごく肥えてオバサンですが、不思議と醜くなく、老いても年相応に美しい。ムリに若作りしたりせず、老いながら美しいを体現されている。知的な判事役、ハマっていました。

 ブノワ・マジメルは、結構久しぶりに見たのですが、え゛~~~、これがあのブノワ・マジメル?? と思っちゃうほど、老けましたね、彼。もちろん、オッサンになってもイイ男ですが。なんか疲れた感じがセクシーです。

 セクシーと言えば、終盤、ヤンがマロニーに「愛してる」って言われるシーンがあるのですが、その時の、ブノワ・マジメルの照れっぷりが実に可愛い、というか、セクシーなシーンでした。前出の斎藤学氏も「マロニーがヤンに「ジュテーム」という場面にエロティスムを感じた」と書いておられて、おぉ、同じことを感じた人がいたのだ、と嬉しくなりました。

 あんまりストーリー的には好きじゃありませんが、映画としては見どころ一杯だと思います。





子が出来ただけでオコチャマがオトナになるなら苦労しないよ。




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太陽の蓋(2016年)

2016-07-17 | 【た】




 311の震災と原発事故、その時、官邸で何が起きていたかを、ある記者の視点から掘り起こす。総理や官房長官らは実名。

 綿密な取材を基に構成されていることは分かりますが、再現ドラマではないので、念のため。

 

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 演劇『BENT』を鑑賞後、夕方時間があったので見に行ってみました。


◆本作品を制作する意義

 総理や官房長官等が実名ということからも分かりますが、本作はかなり官邸の側に立った作品で、東電関係者や、被災者の方々見たら、憤りを感じる部分も多々あるだろうな、とは思います。思いますが、それでも、こういう映画を作ったその志には、敬意を表したい。

 アメリカだったら、もっと早くに作られていたでしょう。日本の映画業界は、こういう政治色の濃い、実際に起きた事故や事件についての映画を作ることに、非常に腰が引けているので、まずはよく作ったな、と思います。

 出演した役者さんも、相当、覚悟を要したことでしょうし、監督を始めスタッフも大変だったろうと思います。こういう映画を作ることに、役者や制作者たちが過剰な覚悟を求められること自体、現在の日本の業界風土がいかに幼稚であるかを物語っており、まずは、こういう幼稚な業界気質を、映画愛好者たちによって改善していくことが第一歩ではないかという気がします。


◆あの時、官邸で何が起きていたか

 大分前に、菅直人著『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』を読んでいたので、菅さん実名での作品ということは、多分、あの本の内容と概ね一緒だろうとは思っていましたが、だから、本作を見て初めて知ったことはほとんどなかったように思います。

 菅さんの本を読んだ時も思ったし、NHKの検証番組を見た時も思ったんですが、原子炉が爆発しなかったのは、本当に、ただただ“運が良かった”という、運頼みだったことの恐ろしさです。そして、本作でもそれは描かれていて、何度聞かされても戦慄する事実です。やはり、映像で見ると当時の切迫感はさらに増しますね、、、。正直、怖かったです。

 そして何より、原発を動かしていた東電自身も、ほとんどお手上げ状態だったということには、恐怖ではなく憤りを覚えますねぇ。

 私は個人的に、20年ほど前、東電社員に知り合いがおり(今はゼンゼン関係ありませんが)、まあ、恐らく幹部候補のエリートだったと思います。原発に当時から懐疑的だった私は、その人に「原発ってヤバくない?」と、素朴な感想を述べたところ、一笑に付されたので「チェルノブイリのことだってあるしさー」と畳み掛けたら、「あんなこと、あるわけねーじゃん。あれは、ソ連だから起きたんだよ。日本で起きるはずないって、ガハハハ!」と能天気に言っていたのを、今も鮮明に覚えております。東電には申し訳ないけど、その人1人のせいで、私は、その時、東電を“1ミリも信用できない会社”に勝手に認定しました。だから、東電のCMや広告を見ると、無性にムカムカと腹が立ったものでした。

 なので、福島の事故対応を見ていても、怒りとともに、やっぱりな、というどこか諦めに似た気持ちもありました。あんな人が幹部候補にいるような会社、ろくでもない、という予感は、当たっていたと思いますね。本作でも、東電は徹底的にダメダメに描かれており、私のような者からすれば、最早、怒りを超えて不謹慎ながら笑いさえ覚えます。

 あとは、役人たちの能天気ぶりというか、無能ぶりというか、、、。作品冒頭、官邸で、福島で何事か起きているらしい、という一報に、総理が経産省の担当者に「どうなっているんだ?」と尋ねると、「分かりません」と他人事のような答え。総理が「専門家だろ!」と畳み掛けると「私は、東大の経済出です!!」、、、脱力です。これが、日本の頭脳集団のはずである、官庁組織の実態なのです。

 あの時、官邸で何が起きていたか、、、という問いに対する答えは、もしかすると、「何も起きてはいなかった」かも。官邸も、東電も、ただただ混乱していた。皆が、右往左往していた。誰も、何も、事態をきちんと把握できていなかった。出来るような仕組みが、そもそもなかった。だって、原発は100%安全なんだから。


◆あの時、もし、、、

 私は、今も昔も、菅さんに特別な思い入れは全くありません。ずっと以前、今じゃ信じられませんけど、彼が厚生大臣時代に“次期総理に期待する人ナンバー1”になって人気者だった頃は、そういう人気に懐疑的でした。それは、菅さんの政治家の資質を見抜いていたとかではゼンゼンなく、私自身の性格の問題で、世間でもてはやされているものに、とりあえずは疑ってかかる、というひねくれ目線が常に働くからなのです。

 でも、事故当時の菅さんの言動、、、ヘリでの現地視察、東電への早朝乗り込みetc、、、は、私は、よくやったと思います。一連の彼の言動は今も非難轟轟で、右寄りの新聞など、いまだに菅さんを極悪人みたいな扱いしていますけれども、誰が総理であっても、事故自体は起きていたわけで、その後の対応についても、東電が官邸を蚊帳の外に置いたことは同じだったでしょう。

 ただこれが、もし、自民党政権だったら、、、ということは考えさせられますね。

 可能性は2つあり、1つは、東電がもう少し官邸に協力的になっていて、結果は同じだったにしても、東電と官邸の意思疎通はマシだったかもしれない、ということ。もう1つは、原子力政策を猛然と推し進めてきた自民党は、東電から上がってきた情報を隠蔽するかもしれない、ということ。いずれにしても、自民党政権だったら、菅さんよりマシな対応が出来ていたとは、到底思えません。

 何より、見ていて胸が詰まったのは、やはり、福島で被災された人たちの描写です。何を書いても上っ面になるので詳細は書きませんが、こういう人たちが今もたくさんいるのに、それを東電や政府は、どう思うのだろうか、、、と疑問は消えませんね。


◆その他もろもろ

 本作で、菅さんを演じたのは、三田村邦彦ですが、ズラが丸分かりで、深刻なシーンなのに、何か可笑しかった。三田村さん、久しぶりに見たなぁ。あんまし歳とらないですね、彼。必殺の秀のイメージが強いんですが、あまり崩れていないような。

 一番ハマっていたのは、枝野さんを演じた菅原大吉さんですかね。髪と耳たぶは付けたんだと思いますが、ちょっと猪首な感じとか口元とか、よく研究しているなーと。途中から、枝野さんに見えましたもん。

 北村有起哉演じる記者は、まあ狂言回しなので、ああいう描写になるのかな。何日も泊りで仕事している割に、顔も服もキレイなのはいただけないけど、無力感を覚えながらも取材を続ける姿は、なかなかサマになっていました。余談ですが、舞台『BENT』でも素晴らしかったです。彼は、ホントに声が良いですね。お父さん譲りでしょうか。舞台でも良く通る声で、映画の中でも渋い低音で一際耳を引く声でした。

 冒頭の紹介文でも書きましたが、本作は、よく取材された誠実な作品であることは間違いないけれど、再現ドラマではないので、これが現実にあったことだと鵜呑みにするのは危険だと思います。いくつも報告書が出ていますし、関係者による本もたくさん出ていますから、様々な立場からの話を見聞きして、真実を自分なりに探って行くしかないと思います。

 願わくば、東電の立場から描いた映画が作られると良いなあと。どんな内容にしても、顰蹙を買いそうではありますが、それでも、作る価値はあるのでは。もし、そうなったら、、、東電社長は、誰が演じるんでしょうか。

 本作について、作中にも登場する寺田さんがHPで感想を書いています。へぇ、と思うことも書かれていたので、読んでみても良いかもです。


班目さんの描かれ方が印象的。





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