映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ぐるりのこと。(2008年)

2021-06-15 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv37162/

 

以下、上記サイトよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 法廷画家として働くカナオ(リリー・フランキー)は、妻である翔子(木村多江)の妊娠に幸せを噛みしめるが、子供の死という予期せぬ悲劇に見舞われてしまう。やがて、それをきっかけに精神の均衡を崩してしまった翔子を、カナオは強い愛情で支えていく。

=====ここまで。


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 本作は大分前にレンタルリストに入れておいたら、今頃送られてきました。公開当時、話題になっていたけど、劇場まで行く気にもならず、、、。公開から10年以上経ってようやく見た次第。

 まあ、平たく言えば“ウツ映画”なんだけれども、同じ“ウツ映画”でも『ツレがうつになりまして。』とは大分毛色が違う。本作の方が大人の映画とでも言えましょうか。

 翔子さんがウツになった直截的な原因は、子供を生後すぐに何らかの理由で亡くしたこと(or死産かも、ハッキリは描かれていない)。でもその後、また妊娠したら、翔子さん、カナオに何も言わずに堕胎してしまうのだよね。この辺がちょっと分からなかった。なぜ、、、? 堕胎後、ますます翔子さんは自分で自分を追い詰めてしまう感じになる。

 よく、夫婦の片方がウツになると、もう片方もウツになる率が高いと聞くけれど、そりゃそうだろうなと思う。ウツ本人も辛いが、身近にいる人間も同じくらい辛いはずだから。どう接すれば良いか分からないもんね。

 そういう意味では、リリーさん演ずるカナオは、持ち前のいい加減さが奏功し、翔子さんを追い詰めなかったのが良かったんでしょう。泣き喚く妻を「そうか、そうか……」と言って適度にスキンシップしつつなだめる。励ましもせず、否定もせず。これは結構、高度なテクだろう。誰にでも出来るモノではないと思うが、カナオはそれがナチュラルに出来るヤツなのだ。

 ただまあ、正直言って、後半の翔子さんが回復していく過程は、ウツ映画として見ればあんましグッとは来ないわね。依頼された寺の天井画制作は、一生懸命取り組んでいる翔子さんは素晴らしいのではあるが、ウツからの回復が一直線過ぎるよね。もう少し波があると思うよ、どんなに軽めのウツでも。

 あと、並行して描かれていたのが、カナオの法廷画家としての仕事ぶりや、昭和から平成にかけて世間を騒がせた事件を彷彿させる裁判のシーンなんだけど、まあ、法廷画家ってどんなん?っていうのが垣間見られたのは面白かったけれども、ちょっと翔子さんのウツとの繋ぎがブツ切り感があって、木に竹を接ぐみたいな印象を受けたのは私だけ??

 別に駄作だとは思わないけれども、絶賛されているのもナゾな映画だわ。

 強いて言えば、絶賛したいのは、木村多江さんの演技くらい。彼女が演じる翔子さんを見ていたら、“真面目な人ほどウツになりやすい”ってのはすごく納得できてしまった。真面目というか、固いというか、融通が利かないというか、、、。逆に、カナオみたいな男性とよく一緒になったよな、と思う。序盤で、セックスする日がカレンダーにマークしてあって、その前で、今日はするだのしないだのの痴話喧嘩が繰り広げられるんだけれども、あれじゃあ、そりゃ病むのも仕方ない。

 この監督の作品は初めて見たけど、割と評判の良い作品を撮っているみたい。監督自身は同性愛者で、ウツ経験者らしく、本作も自身の経験をベースにシナリオを書いたとのこと。何にせよ、ウツから脱出できて良かった。きっと現実はもっと大変だったから、映画ではあまりシリアスにならないようにユーモアを交えてこのような作品になったんだと思うけれども、別にシリアスにする必要はないけど、やっぱし物足りなさは否めないですな。

 他の橋口監督作品も見てみようかな、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

翔子さんの後輩社員があり得ないレベルの非常識人間でビックリ。

 

 

 

 


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ペトルーニャに祝福を(2019年)

2021-06-05 | 【へ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv70780/

 

以下、上記サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 北マケドニアの小さな町。32歳のペトルーニャは、とりたてて美人ではなく、恋人はおらず、大学に通ったものの仕事はウェイトレスのアルバイトをしている。

 就職面接を受けたところセクハラに遭った上に不採用になってしまったペトルーニャは、その帰り道、司祭が川に投げ入れた十字架を男たちが追いかけ、手に入れた者には幸せが訪れると伝えられる女人禁制の伝統儀式・十字架投げに出くわす。

 思わず川に飛び込み幸せの十字架を手にしたペトルーニャだったが、女が取るのは禁止だと男たちは猛反発。教会や警察を巻き込んだ大騒動に発展してしまう。

=====ここまで。


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 『ブータン 山の教室』を見に行ったときに予告を見て、面白そうかも、と思って岩波ホールへ行ってまいりました。見てびっくり、ゼンゼン想像していたのと違っていた……。


◆女はだまってトイレ掃除してろ!

 まあ、これは一言で言ってしまうと、ザ・フェミ映画です。これは見る人を選ぶ作品だろうなぁ、、、。私は平気だったけど、合わない人はまるでダメだと思うわ、コレ。

 予告で見たときは、もっとコメディ要素の強い、カラッとした作品という印象だったんだけど、実際に見てみたら、思いのほか暗くて、ユーモアもないわけじゃないけど、全体にシリアスな印象。なので、正直言って、あんまし面白くはありません。途中、ちょっと退屈だしね、、、。

 女人禁制の祭事に、図らずも女性が飛び入り参加しちゃったわけだが、こういう訳の分からん性差別風習ってのはタチが悪い。本作では、男たちがペトルーニャに対していきり立っていたけれど、当の女性がその風習を大事に守っていることも多い。ペトルーニャの母親も、ペトルーニャが十字架をとってしまったことを知って「この化け物!!」とか言うんである。化け物って、、、、アンタの産んだ子でしょーが。

 私の母親も割とミソジニーの気が強くて、そのイミフな言動に驚かされたことはイロイロあるが、中でも目が点になったのは、私が結婚するときに「夫婦は対等だから夫に遠慮などする必要はない」とか言っている同じ口で「トイレ掃除は男にさせてはいかん」と言ったことだ。母親とは建設的な会話は一切望めないので、私はその言葉に反論せずスルーしたが、母親はその理由を真面目な顔でこう言った。「夫にトイレ掃除をさせるような妻は夫を出世させることは出来ん」……つまり、サゲマンだと。、、、アホらし。

 まあ、結論から言うと、トイレ掃除をさせるさせない以前に、ほとんど一緒に暮らさなかったので、そういう問題自体が発生しなかった。それに、相手が出世しようが、失業しようが、私にはどーでも良いことだった。好きでもない(というより嫌いな)男と結婚しなきゃならない自分の運命を呪いながら、とにかく一日も早く離婚することだけを考えて動いていたので。トイレ掃除がどーのこーのなど、その時は忘れてたわ、、、ハハハ。けれど、ふと冷静になって思いだすと、結構腹が立つ話ではある。

 世代的なものもあるかも知らんが、私よりゼンゼン若い女性でも、嬉々として「男を立てる」的なことを言っている人もいるしなぁ。以前TVで見たが、日本の田舎では、地方議会に女性が立候補しようとすると、家族総出で止めに掛かるというのが珍しくもないそうだ。世間体が悪いらしい。この問題は、ホントに根深いし、タチが悪い。

 本作で驚くのは、ペトルーニャは、習慣を破りはしたが、別に罪を犯したわけではないのに、警察に勾留されてしまうこと。ペトルーニャは何度も警察官や検事に「私は逮捕されたのか?」と聞くが、もちろん逮捕はされていない。でもって、その警察署に、祭りに参加していた興奮した男どもが押し掛けてくるのだ。もう、頭がおかしいとしか思えないが、彼の地ではそれが現実らしい。

 この話には元ネタがあり、実際に十字架を取った女性は、現在はロンドンで暮らしているという。誹謗中傷が酷くて街にはいられなくなったらしい。そっちの方が犯罪じゃないのか?
 

◆女性に勇気を与える映画……か?

 本作で描かれているのは、ある一日の話である。

 終盤、ペトルーニャは当然ながら釈放されるんだが、頑なに返すのを拒んでいた十字架を、警察署から出た直後に司祭に返す。ペトルーニャは別に十字架が欲しかったわけじゃなく、「女なんだから(取っちゃいけないんだから)返せ」という理屈に抵抗したということ。

 勾留されている間に、ある警察官がペトルーニャの行動を密かに称えるシーンがある。その警察官はなかなか思ったことを言えない自分を顧みて、「君のような勇気が僕にもあれば、、、」みたいなことを言う。そして、一瞬、ペトルーニャと手を握り合って、心を通わせる。釈放される際には、この警察官はペトルーニャに「また連絡するよ」と言っている。

 本作についてネットで「女性に勇気を与えてくれる」みたいに書かれているのを見たし、パンフにも同様の趣旨の寄稿が複数載っていたが、私はあまり同意できない。この日の出来事で、ペトルーニャの置かれた状況が変わることはないだろうし、せいぜい警察官の男性と親しくなって、もしかすると結婚とか、、、ということになるかも知らんが、本質的には彼女の中に抱えた問題は何も解決されるわけではない。折角の教育も、活かされる予感はない。

 その辺が、むしろリアルだよなぁ、と。勇気を与えてくれるどころか、絶望的な現実を突き付けられているように思えるんだよね。監督のインタビューを読むと、そういうつもりで作っていないのは明らかなんだが。

 絶望していないで打破せよ、と口で言うのは簡単だが、ペトルーニャが彼女の納得できる幸せを得るためにどうすれば良いかなんて、私には全く分からない。私はたまたま東京という都会で職を得て(一応)自立できているから、自由だし、彼女のような抑圧は表面的には感じずに済んでいる。けれど、私だってほんのちょっと何かが違えば、自立できなかったかも知れないし、好きでもない男との結婚生活を不本意ながらも維持しなければならない人生だったかも知れない。どの人の人生でも、今に至る色んなことは全て紙一重なのではないか? 昨今流行りの自己責任論は、強者の論理で、安易すぎる。

 性別や出自などの属性によらず、構造的な問題に阻まれることなく、自らの意思で生き方を選択できる社会って、やっぱりユートピアなんでしょうかね。本作を見ていて、それが実現されている国って、どこなんだろう、地球上に存在するんだろうか、、、、、と、ぼんやり考えておりました。

 

 

 

 

 

 

 


セクハラおやじは北マケドニアにも居た。

 

 

 


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