映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ボレロ 永遠の旋律(2024年)

2024-08-31 | 【ほ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv86211/


以下、公式HPからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 1928年<狂乱の時代>のパリ。深刻なスランプに苦しむモーリス・ラヴェル(ラファエル・ペルソナ)は、ダンサーのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)からバレエの音楽を依頼されるが、一音も書けずにいた。

 失った閃きを追い求めるかのように、過ぎ去った人生のページをめくる。

 戦争の痛み、叶わない美しい愛、最愛の母との別れ。引き裂かれた魂に深く潜り、すべてを注ぎ込んで傑作「ボレロ」を作り上げるが──。

=====ここまで。


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 大分前に、TwitterのTLにフランスで公開されたという情報が流れて来て、日本でも公開されてほしいなぁ、、、と思っていたら、想定外に早い公開となりました! とはいえ、これ系の映画はハズレが多いのであまり期待していなかったのですが、終わってみれば、なかなか良かったです。


◆生真面目な人の作る官能的な曲

 本作は、タイトルからの印象で「ボレロという曲をラヴェルが苦悩して書きあげる」映画かと思いきや、むしろそれは横糸の一つであり、縦糸は作曲家ラヴェルその人なので、「ボレロが好き!」という人が見に行くと、かなり肩透かしを喰らう可能性が高い映画だと思う。

 で、案の定、ネットの感想はネガティブなものが多い様子。中には、「(ボレロの)インスピレーションを得る瞬間が描かれていない」とかという感想も。あのね、ふっと作曲の神様が現れてガーンと打たれてインスピレーションがブワッと湧いて一気に名曲を髪振り乱して書きあげる!!みたいなのは、まあ、それこそ映画とかドラマの中だけの作りモノだろう。実際は、本作内で描かれている様な、割と地味ぃ~な作業だと思うわ。創作って、究極的には自分との対話になるので、非常に静的な作業だろう、、、と勝手に想像する。

 ピアノに向かい、あのボレロのフレーズを地道に生み出していく描写は、私はとても好感を持って見た。元々不眠症気味のラヴェルが、眠れない中であの曲を作り出していく姿は、美しかった。ボレロこそ、ピアノで弾いても良さは伝わらない曲だろう。

 本作内でラヴェルを取り巻く人として描かれている人たちは女性がメイン。中でも、ボレロの作曲を依頼したイダ・ルビンシュタインと、ラヴェルのミューズという設定のミシルの出番が多い。イダとは意見がぶつかるものの、仕事上のパートナーとしておおむね良好な関係だし、ミシルとは恋愛モードなシーンもあるが、ラブシーンには至らない。というわけで、こっち方面でもドラマ的に不発で、フラストレーションが溜まった方が多いらしい。

 ラヴェルがどんな人だったか、詳細でなくても概略を知っていれば、そういうフラストレーションは感じないで済むと思う。内向的で神経質、色恋も地味。極めて内省的な作曲家と言ってよい。そして、というか、それなのに、というべきか……、彼の書く音楽はどれも非常に官能的なのである。

 ボレロの曲が完成した後、イダが振付をしたのを見て、ラヴェルは激昂する。ラヴェルは機械の並んだ工場をバックにした無機質な踊りを期待していたのだから、そら怒るわね。

 でもまあ、あの音楽はやはり官能的と言えるでしょ。たった2パターンのメロディだけが延々繰り返されるのだが、あのメロディ、かなりエキゾチックだと思う。スペインの舞踊音楽が元ネタと言われるが、東洋的な感じもする。途中、倍音で進行するところは、インドの蛇使い的な音楽に聴こえるのは私だけ?? とにかく、この曲には終始妖艶な空気が漂っているのよね。工場よりは娼館を舞台にしたくなったイダの気持ちは分かる。

 本作では初演でイダの踊りを見て、この曲に官能性があるのを認めるラヴェル。宿敵みたいな評論家のラロも脱帽で、まんざらでもなさそうだったのが、さしものラヴェルも人間なんだなー、と。

 成功裏に終わった初演だが、その後のラヴェルはあまり幸せとは言えない状況のまま亡くなる。ラストシーンで流れる、ペルソナが指揮するボレロが感動的。元オペラ座の男性ダンサーの力強い踊りと共に、真っ白な背景の中で演奏されるボレロは、もしかすると、ラヴェルが作曲時に思い描いた無機質な演出に近かったのかもね。


◆ボレロイロイロ

 ボレロは、本作内でも言及されているが、大体17分くらいで演奏されることをラヴェルは想定していたらしい。実際にラヴェルが指揮した(今も音源が残っている←wikiにあります)のを聴くと、かなり遅い。これで、♩=66くらいで、実際、ラヴェル自身が指定しているテンポだという。

 現在演奏されるときのテンポは♩=72くらいだそう。本作のラストで演奏されていたのも、これに近いんじゃないかな。あんまり遅いと踊りにくいもんなぁ。

 で、私の手持ちのCDを見てみると、これが、曲の長さがかなり違うことに今さら気付いたのだった。録音の古い順に見ると、、、

カラヤン/ベルリンフィル(1977)……16:08
アバド/ロンドン交響楽団(多分1981)……14:20
バレンボイム/パリ管弦楽団(1982)……17:30
ハイティンク/ボストン交響楽団(1996)……14:55
マゼール/ウィーンフィル(1996)……14:41

と、一番遅いバレンボイムと、一番速いアバドで、3分以上も(!)違うのだった。ビックリ!! ♩=72だと大体14分前後になりそう。

 ちなみに、私がこの中で好きな録音は、アバドかマゼール。やっぱし速めが好きなのかな。ハッキリ言って、バレンボイムのは聴いていてムズムズするというか、イライラする。

 でも、この曲の怖ろしい所は、指揮者の思惑がどうであれ、最初のスネアの叩いたテンポで決まっちゃうところだよな。スネア担当者はホントに緊張するだろう。

 あと、この曲は管楽器奏者の実力が如実に出てしまうってのもなかなか怖い。有名なのは、トロンボーンの難易度の高さか。大分前に、N響の定期で、マゼール指揮によりボレロが演奏された際、当然のことだけど、トロンボーンは超絶ソロをサラリと吹いた。曲が終わって、マゼールはイイ人だから、ソロ吹いた管楽器奏者を一人ずつ立たせてあげたんだけど、トロンボーンだけスルーしちゃったのね(悪意はない)。で、舞台袖に戻っちゃった。すると、団員の中からトロンボーン首席に対して自然に拍手が沸いて、マゼールも舞台に戻って来て、首席は照れ笑い、、、というシーンがあって、笑っちゃったのだが、とにかくそれくらいトロンボーンが難しいので有名なのであります。

 YouTubeにはいろんなボレロがあるけど、敢えて、キワモノをご紹介。これ、「死ぬほどヘタクソなBolero」と題して、音と映像は別物なんだけど、デュトワの絶妙な表情が、ド下手な演奏と実に巧いことリンクしていて笑えますので、ご興味ある方はご覧ください(さすがにまんま嵌め込むのは気が引けるのでリンクのみにしておきます)。


◆ラヴェルでラリる

 ラヴェルには、ピアノ曲や室内楽曲もたくさんあるが、私が一番惹かれるのは、やっぱし管弦楽曲、、、かな。中でも、私が一番好きなラヴェルの曲は、「ラ・ヴァルス」なんだが、この曲は、圧倒的にオケバージョンの方が好きである。ピアノも良いけど、比べるとね、、、。

 ラ・ヴァルスは、本作内でも、ペルソナ演じるラヴェル本人が指揮をする形でオケの演奏シーンが出て来る。ほんのちょっとだけど、やはりあのオーケストレーションは天才的。どういう脳ミソをしていると、ああいう音楽が書けるのか、、、。大昔にスコアを買って今も時々眺めるけれど、スコアは曲想とは対照的に理路整然とした感じなのが意外ではある(何ならブラームスのスコアの方がよほど面食らう)。

 余談だけど、私は、ラ・ヴァルス(オケ版ね)を聴くと、まあまあ落ち込んでいても割と元気になれるのだ。あの美しい旋律ももちろんなのだが、何といってもハープとパーカッションがサイコーにイケていて、陶然とさせられる。……ヤク中って、もしかするとこういう陶酔感なのかも、などと思ったりする、知らんけど。本当にヤバい精神状態のときは、そもそも音楽を聴く気にならんからな。

 ラ・ヴァルスは、あのディアギレフの依頼を受けて作曲されたが、実際にバレエ・リュスでこの曲が使われることはなかった。まあ、確かにこの曲じゃ踊れないよね、、、。ラヴェルとディアギレフは決裂したらしいが、バレエ・リュスの置かれた状況も背景にはあったらしい(正確ではないです)。

 この曲は指揮者によって大分曲の印象が変わるのだが、私が一番好きなのは、アバド指揮のロンドン交響楽団による演奏。でも、YouTubeにこれに引けを取らない名演を見付けたので、こちらは映像を貼っておきます。この映像、アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮のロシア・ナショナル管弦楽団による演奏。オケの背後からの映像もあり、パーカッションがどんな風に演奏しているのかも見えて面白いです。

 ちなみに、ヴェデルニコフはN響で聴いたことがあるが、20年に新型コロナに感染して56歳の若さで亡くなっている。

 どうぞ、この名演を聴いて、皆さまもラリってください。本当に、素晴らしく魅惑的な曲です。

 

 

 

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時々、私は考える(2023年)

2024-08-23 | 【と】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv86187/


以下、公式HPからあらすじのコピペです。

=====ここから。

 人付き合いが苦手で不器用なフランは、会社と自宅を往復するだけの静かで平凡な日々を送っている。友達も恋人もおらず、唯一の楽しみといえば空想にふけること。それもちょっと変わった幻想的な“死”の空想。

 そんな彼女の生活は、フレンドリーな新しい同僚ロバートとのささやかな交流をきっかけに、ゆっくりときらめき始める。順調にデートを重ねる二人だが、フランの心の足かせは外れないままで——。

=====ここまで。


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 何となくネット情報で気になって見に行き、見た後、また気になって、結局2度見ました。


◆フランに親近感。

 上記あらすじにはないが、本作の舞台は、オレゴン州アストリア。どんなところ?と思ってGoogleマップで見てみたら、本作で出て来る風景そのまんまの景色が出て来た(……当たり前か)。ちょっと寂れた港町、、、。どこか寒々とした光景だけど、こういう感じ、好き。

 フランが勤める会社は海沿いの小さな港に面した所。停泊する船のクレーンが荷を吊り上げるのを見て、自分の首が吊られることを想像してしまうフラン。時折、彼女の空想が画になって現れるのが面白い(という表現が適切なのか分からないけど)。

 決して悲愴感のある死の光景ではなく、いつかは必ず自身に訪れる死を自然に受け入れている感じの、まさに“自然の中に自然死して横たわる自分の図”が美しささえ感じる。死んでいる自分を想像するからと言って、彼女に自殺願望があるというわけでは全くない。

 想像の中の美しい死の光景と、彼女の淡々とした日々とのコントラストが、逆に、彼女の生に対するポジティブさを感じるのが不思議。

 こういう、毎日のルーティンみたいな描写が静かに続く映画、割と好きなんだよな。毎日、ほぼ同じだけど、同じじゃないの。でも、コツコツと1つずつこなしていく静かな動作が続くの。こういうのが“生きる”ってことじゃない?って思う。ドラマチックなことを描くからドラマになるのだろうけど、そうじゃないことの積み重ねが生活であり、今日という1日であり、人生であり、、、。

 フランが仕事を終えて帰宅し、静かにワインを飲み、レンジで肉(?)をチンして、それに大好物のカッテージチーズを載せて、立ったままナイフとフォークで切り分けながら食べて、その後、リビングのソファでナンプレを黙々と解いて、22時過ぎにベッドに入る、、、っていう何でもない描写がすごくイイ。

 オフィスもこじんまりしていて、各デスクがパーテーションで仕切られていて羨ましい。ウチの職場も仕切りが欲しい、、、。まあ、山積みになった紙類やら書籍やら地層になった得体の知れない何やらで仕切られているといえば仕切られてはいるが、、、。私が欲しい仕切りはそういうんじゃないのだよな。フランのデスクみたいなパーテーションが欲しいのよ。目障りなヤツとか視界に入って来ないだけで、断然、集中度が違うってば。

 何の話だ。

 そう、フランを見ていると、ちょっと自分に通じるところがあって他人事じゃない感がある。

 私は、自分の死を妄想はしないが、いつ死んでもいいなー、といつも思いながら生きている。けど、死のうとは思わないし、死ぬまでガッツリ生きるゼ、とも思っている。そして、人付き合いが得意じゃない。割と一人が好きだし苦にならない。かといって、誰かと会っておしゃべりが嫌いなわけじゃない。友人に誘われれば嬉しいし、自分が誘うこともある。けど、積極的に人の輪を広げることもしないし、去る者も基本追わない。

 フランは「私はつまらない人間」と言うけど、本当に心底そう思っていたら、パーティに誘われても行かないだろうし、ロバートに誘われても応じないだろう。ロバートに恋愛経験ゼロだと話すけれど、それ自体はあまりコンプレックスに感じていないように見えた。本当にコンプレックスだったら、正直に「誰とも付き合ったことない」などと言えないんじゃない? 

 彼女はとにかく、今の自分が“何となく違うな”と思っているのではないか。「私はつまらない人間」って自分に言い聞かせることで、何となく違う自分に納得したいだけだと思う。ロバートが現れて、“何となく違うな”から脱却できそうな感じがしたんじゃないのかなぁ。

 ロバートと備品云々の話で社内チャットのやりとりをして、フランの心の蓋が開いたのだろうな。そういう瞬間って、突然やってくるもんね。


◆フランの妄想は、、、

 とはいえ、不器用フランのことだから、そううまくコトは運ばす、ロバートに酷いことを言ってしまい、大後悔して家で一人大泣きする。酷いことを言ってしまったのは、ロバートに予想外に距離を詰められたからなんだが、そういうところが、フランのフランたる所以。

 泣き疲れて、気が重そうに会社に向かうフランは、ふと思いついて職場に差し入れを買って行こうとドーナツ店に寄る。と、そこに、少し前に定年退職したキャロルがいる。キャロルは、退職したら夫とクルージングに行くのを楽しみにしていたのだ。

 「クルージングは?」と問うフランに、キャロルが「夫は脳梗塞で意識不明だ」と話す。こんなことになるなんて、、、とキャロルが話すのを聴いているフランの表情が、、、泣いてはいないのだが目は潤んでいて、私も涙は出ないのだが同じように目が潤んできた。

 フランはドーナツを持って出社し、ロバートに素直に謝るのだが、そのシーンがとても素敵で、私はここで涙腺決壊してしまった。ああ、、、フランは本当に感受性の豊かな、それ故、ちょっと不器用だけれど、なんと愛すべき人だろう、、、と。

 フランのことをコミュ障の一言で片づける人もいるだろうが、彼女に“何となく違うな”をようやく修正できる機が訪れたのであって、別にコミュ障だったわけじゃない、と私は思った。

 彼女の職場の同僚たちは、基本、イヤな人が居らず、職場環境はとても良いのが、見ていて心地よかった。ホント、同僚も上司も部下も選べないもんね。

 フランは、何となく違うを少しずつ克服していく過程で、死を想像することも減っていくかもしれない。彼女が想像していた“死んでいる自分の姿”は、何となく違う自分だったのではないか、、、と、2回目を見終わった後、つらつら考えたのでありました。

 監督のレイチェル・ランバートというお方、出身がケンタッキー州ルイビルと聞いて、一気に親近感。ルイビル近くの町にその昔ホームステイしていたので、、、。この監督の長編が日本で公開されたのは、本作が初とのこと。なかなか良い映画を撮るではないの。覚えておかなきゃ、、、。

 エンディングで流れる音楽が聴いたことあるなー、と思ったら、アニメ「白雪姫」の“With a Smile and a Song.”だそう。歌詞がキャロルの話を聴いた後だと沁みる。この音楽が白雪姫だと知ると、オープニングにりんごがいっぱい出てくるのも、何か意味があるのかも。分からないけど。

 

 

 

 

 

 

 

ロバートがイケメンじゃないのが良い。

 

 

 

 

 

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うんこと死体の復権(2024年)

2024-08-17 | 【う】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv86062/


以下、公式HPからあらすじのコピペです。

=====ここから。

 「グレートジャーニー」で知られる探検家で医師でもある関野吉晴はアマゾン奥地の狩猟採集民との暮らしを通して、自然とヒトとの関係について考え続けてきた。そして、2015年から『地球永住計画』というプロジェクトを始める。この地球で私たちが生き続けていくためにはどうしたらいい かを考える場だ。関野はそこで3人の賢人に出会う。​

 野糞をすることに頑なにこだわり、半世紀に渡る野糞人生を送っている伊沢正名。
 うんこから生き物と自然のリンクを考察する生態学者の高槻成紀。
 そして、死体喰いの生き物たちを執拗に観察する絵本作家の舘野鴻 。

 3人の活動を通して、現代生活において不潔なものとされるうんこ、無きモノにされがちな死体を見つめると、そこには無数の生き物たちが織りなす、世の中の常識を覆す「持続可能な未来」のヒントが隠されていた...。

=====ここまで。

 ドキュメンタリー映画。


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 ド直球なタイトルにドン引きしそうなところですが、いたって真面目な、ドキュメンタリー映画です。某全国紙に評が載っていて面白そうだったので見に行ってまいりました。


◆“汚い”はエラい!

 オープニングから、いきなり男性の脱糞しているシーンである。もちろん、引きで何となくそれと分かるように撮影されているだけだが、人のうんちing姿を見ることってほぼないので、驚きである。それに、その後、その出たてホヤホヤの糞がモロに映るので、さらにビックリ。

 作品内で「ノグソ」という言葉がこんだけ頻繁に発せられる映画って、多分、映画史上でも類を見ないのではないか。それくらい、連呼され、自然界において野糞をすることの意味を見せつけられる。

 この野糞を日課としている伊沢さんという男性は、野糞用に山を購入して「プープランド」と名付け、いかにして糞が自然に還っていくかを研究されているお方。自身のことを“糞土師”と称し、自身の住む家には“糞土庵”と看板を掲げている、、、という徹底ぶり。野糞をすると、そこに名前と日付を記入した木札を立てて、経過観察をするのである。

 驚いたのは、伊沢さんが野糞をし始めた50年ほど前よりも、現在は糞を分解するスピードがめちゃくちゃ速くなっているという話。分解する虫やら微生物が増えたってことらしい。菌類学者がその土を採集して調べると、非常に珍しい菌が見つかって、学者さん、“これぞ究極のSDGsではないか!”と大興奮。そのほか、野糞が分解された後の土を試食してその味を確かめる、利き酒ならぬ“利き土”みたいなことをして「うわ~、甘~い!」と感激している女性もいる。ちなみに、彼女も野糞をしていらした。

 伊沢さんは元はカメラマンだったのだが、野糞にとりつかれてカメラマンの仕事は副業になり、離婚。「家庭より、妻より、、、うんこ」だったそう。

 お尻を拭くのに適した葉っぱを自宅庭で栽培し、何万回と野糞をし、、、、。そこまで究められることに、ある意味、感動する。

 考えてみれば、一昔前までは肥溜めなんてのが田舎にはあったし(実際に見たことはないけど)、もっと時代を遡れば、排泄物は肥料として売られてもいた。土に埋めたり撒かれたりすることで、汚物から有益な肥料になるという不思議。

 そして、そのうんこを餌にしている生物たちも実に多彩。彼らにとっては、動物の糞が生きる糧であり、その生物(主に虫)を餌にする鳥がいて、鳥が植物の種の紛れた糞をあちこちでしながら種を撒くことで自然の多様性が保たれている、、、というのは、頭では分かっていたが、映像で見せられると、へぇ~~~であった。林や森を破壊することの深刻さがよく分かる。


◆その他もろもろ

 本作は、都内ではポレポレ東中野と、もう1館、青梅でも上映しているみたいだが、ポレポレに行ったのなんて何年振りだろう、、、。

 こんなニッチな映画、どんな人が監督?と思えば、医師であり冒険家の関野氏。この方、私は、NHK・BSの「ダークサイド・ミステリー」で「謎の無人島 鳥島サバイバル〜人の生命を試す島〜」の回で出演されていたので知っていた。というのも、番組内で“アマゾンでの潜入生活が長い、、、”というような紹介をされていて、へぇー、と記憶に残ったのだった。

 うんこにしろ死体にしろ、一般的には忌み嫌われるモノでも、自然界に放たれれば、それは見事に分解されて循環するのである。今の日本では、野糞をすることは、軽犯罪法違反になる。けれど、上記の伊沢さんは、1日1回の排便とすれば、人間1人の必要な広さは、「1年間で約10メートル四方の林があれば良」く、「日本人1億2千万人全員が野糞をするには、110k㎡の林が要りますが、じつは日本にはその20倍もの林があるのです」と言っている。

 ……まあ、だからと言って現実的ではないよなぁ。今も、インドの田舎や、アフリカでは外で排便する生活をしているらしいが、特に女性はそれで性犯罪の被害に遭ったりもしているらしい。日本だって、公衆トイレでの性犯罪は普通にあるもんね。

 ちょっと前に、大阪湾でクジラが死んで、その処理がどうのこうので揉めていたみたいだけど、ああいう死体は基本的には地中に埋めて何年か放置するのが普通。放置している間に分解されて、キレイな骨の標本が出来上がるという、、、。生き物の分解力、恐るべし。大阪のクジラはどーなったんだろう?、、、と思ってググったら、「沖に埋めた」って書いてある、、、。揉めたのは、その処理費用のことらしい。

 パンフレットが充実の内容で、さらに表紙が、舘野氏による死体を餌にする“日陰虫”たちの細密画と、野糞後にお尻を拭くのに適した葉っぱの並んだ、実に可愛らしいデザインだったので、思わず買ってしまいました。一読の価値あり。

 

 

 

 

 

 


人間は、一生の間に7トンのうんこをするそうです。

 

 

 

 

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ある一生(2023年)

2024-08-11 | 【あ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85932/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1900年頃のオーストリア・アルプス。孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)は渓谷に住む、遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場にやってきた。しかし、農場主にとって、孤児は安価な働き手に過ぎず、虐げられた彼にとっての心の支えは老婆のアーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)だけだった。

 彼女が亡くなると、成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)を引き留めるものは何もなく、農場を出て、日雇い労働者として生計を立てる。その後、渓谷に電気と観光客をもたらすロープウェーの建設作業員になると、最愛の人マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、山奥の木造小屋で充実した結婚生活を送り始める。しかし、幸せな時間は長くは続かなかった……。

 第二次世界大戦が勃発し、エッガーも戦地に召集されたもののソ連軍の捕虜となり、何年も経ってから、ようやく谷に戻ることができた。

 そして、時代は過ぎ、観光客で溢れた渓谷で、人生の終焉を迎えたエッガー(アウグスト・ツィルナー)は過去の出来事がフラッシュバックし、アルプスを目の前に立ち尽くす−。

=====ここまで。


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 地獄の暑さでムダに疲弊する日々、、、。でも、折角、1日の映画の日にあわせて取った夏休み、有効に使わねば!!と、暑い中を映画3本ハシゴしました。映画館に入ってしまえば涼しいけれど、駅からそこへ辿り着くまで、ほんの数分歩くだけで汗だく、、、って、やっぱし異常だよなあ、この暑さ。


◆“生きる”ってそういうこと。

 どんな平凡な者の人生でも、それは一本の小説になる、、、という言葉はよく聞くけれど、本作はその言葉をまさに体現している映画である。

 エッガーの一生を、それこそ、幼少期から晩年までを2時間で描くというので、何となく散漫になりそうなところを、巧みな演出と話法で見せてくれる。全体に淡々とした語り口なので、途中眠くなりかけたが、全体としては面白く見た。

 とにかく、エッガーという人間が、実にタフなのだ。タフといっても、運命を自ら切り開く猛者ではない。むしろ、運命には逆らわない。かと言って、自身の意志がないのではなく、実に主体的に生きている。絶対に折れない柳のような人なのだ。こういう人は強い。

 幼少期に養父に折檻されて、片足を骨折、以来、歩くときには足を引き摺るようになるエッガーだが、本人はそのことをまったくネガティブに捉えていない。愛する人と結婚して子も授かり幸せに暮らしていたが、妻が出産前に亡くなってしまっても、失意で動けなくなるなんてことにはならない。とにかく、前に進む。

 考えてみれば、生きるってそういうことなんだよなぁ、、、と思った。

 もう大昔のことだけど、ホントに生きていたくない、、、と思うような事態に直面したときに、もの凄く哀しくて息をするのも苦しいくらいのはずなのに、ふとお腹が空いていることに気付いて愕然としたことがある。こんな状況なのに、私は空腹を自覚しているのだ、、、という事実が衝撃的だった。これが、生きるということか、、、と思い知らされた。それでいて、いざ何かを口に入れようとしても、食べ物は喉を通らない。なんと矛盾した生き物だろう、、、。

 エッガーも、きっとそうだったんだよな、と。妻がいなくなって哀しみに打ちひしがれていても、腹は減る。捕虜になって絶望しても、やっぱり腹は減る。とりあえず空腹をなんとかしよう、、、とりあえずこの苦痛をやり過ごそう、、、としているうちに、いつの間にか生きるために生きていることに気付く。

 歴史の流れから見れば、エッガーの人生など取るに足りないものだろうが、歴史はそういう無名の人々の人生があってこそ成立している、ということが、こういう映画を見るとよく分かる。


◆その他もろもろ

 幼少期~老年期までのエッガーを3人の俳優が演じているのだが、青年~壮年期のシュテファン・ゴルスキーと、老年期のアウグスト・ツィルナーが、全く違和感がなくて、いつチェンジしたのか分からなかったくらい。顔の系列が似ているんだろうなぁ。

 その若いエッガーを演じたシュテファン・ゴルスキーは、なかなか精悍なイケメンやった。時々、ちょっと玉木宏っぽい?かなと。あんまり喋らない役だけど、日々を真面目に生きるというエッガーのキャラに合っていた。

 幼少期のエッガーを演じたイヴァンくんは、ウクライナ出身だそう。1歳でオーストリアに移住したのでドイツ語はもちろん堪能。可愛かった。

 ほとんどが、山間のシーンで、景色が実に美しい。妻とお腹の子を失う雪崩のシーンとか、どうやって撮ったんだろう? すごい迫力だった。

 ポスターが、山をバックにした壮大な感じの画像だったので、前に見た「帰れない山」(2022)みたいな映画かな、、、と勝手に想像していたが、ちょっと違ったかな。でも、「帰れない山」の山男ブルーノと、本作のエッガーは通じるところがあるような。……いや、でもエッガーはブルーノみたいな最期を選ばないだろうから、根本的に違うと言った方が良いのかも。

 本作の原作は、ローベルト・ゼーターラーの同名小説だそうで、ベストセラーなんだとか。この方、元々俳優だったのだが、脚本を書いたことが切っ掛けで小説も書くようになったという経歴らしい。原作は、ブッカー賞もとっている。原作も面白そうだけど「キオスク」が面白そう、、、と思ったので、早速図書館で予約しました。

 

 

 

 

 

 

やっぱりナチスが出て来た、、、。

 

 

 

 

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最近見た映画あれこれ⑥ ~催眠映画特集vol.2~

2024-08-07 | 映画雑感

 映画館には一応行っているのだが、暑いからなのか何なのか、見るペースに書くペースが追い付かぬ、、、。別に書く必要もない(仕事じゃないし頼まれたわけでもない)んだが、見たことさえ忘れてしまうので、書くことを自分に課しているのだけれど、、、嗚呼。

 あんまし感想文を書く気にならなかった映画2本(かなり派手に寝てしまったし)の印象を備忘録的に書いておきます。いずれも、悪口多めなので、お好きな方はお読みにならない方が良いです(お読みになるなら自己責任でお願いします)。


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◆君たちはどう生きるか(2023年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79904/

 《あらすじ》 母を火事で失った11歳の少年・眞人(マヒト)は父・勝一とともに東京を離れ、和洋折衷の庭園家屋「青鷺屋敷」へと引っ越してきた。軍事工場を営む豪放な父と、新たな母親となった、亡き母の妹・夏子に複雑な感情を抱く眞人。新しい学校では初日から喧嘩をしかけられ、自ら石で頭を打ちつけて血を流す。そんな孤立して家にひきこもる眞人の前に、青サギと人間の姿を行き来するサギ男が現れる。敷地の奥の森にある謎の石づくりの塔、本を読みすぎて姿を消してしまったという青鷺屋敷の主・大伯父、眞人を見守る7人の老婆たち……。時間と空間がゆがみ、夢と現実が入り混じりながら、眞人はサギ男に導かれて、生と死が混然一体となった世界へと足を踏み入れる。

~上記リンクよりコピペ~

 早稲田松竹で、「窓ぎわのトットちゃん」と2本立てで上映していたので見た次第。

 私は、ジブリ映画……というか宮崎駿の映画は、ナウシカ、トトロ、もののけ姫、千と千尋、ハウル、、、くらいしか見ていない。その中でも、私が着いて行けていたのは、トトロまでで、もののけ姫以降は、なんかどーでもよい感じしか受けなかった。着いて行けていたと思っている2本も、正直好きではない(理由はみんシネに書いた)。

 本作も、公開時から話題になっていたけど、原作も読んでいないし、興味はなかったのだが、2本立てなら、、、と流れで見た。そして、やっぱり、私にとってはどーでもいい映画だな、という感想だった。

 実際、途中で30分くらいは寝たと思う。私はキムタクの吹替えが好きじゃない。キムタクの責任では全くないが、どうしたってキムタクの顔が浮かんでしまい白ける。吹替えも上手いのか下手なのかよく分からんが、私の耳にはあんまし上手くは聞こえない。

 それよりなにより、やっぱし支離滅裂で自己満な内容が一番イヤだ。自己満と書いたけど、聞いたところでは、本作の内容について、宮崎駿自身「分からない」と言っているとか。ふーん、、、自分で何描いているか分からんもんを人に見せて、しかもそれで金取ってるわけね。ふーん、ふーん、、、。

 別にイイけどさ。あなた、何度引退宣言してんのよ。辞める!→辞めるの止める!!→やっぱ辞める!!!→やっぱ辞めるの止める!!!! の繰り返しで、世間をバカにしてんのか、って話。引退撤回!!とかってメディアは持て囃して、どんなスゴい作品だよって出て来たのがコレ。

 海外で評価されてる? あーそーですか。だから何? オオカミ少年、、じゃなかったオオカミ爺さんには付き合い切れん。

 ふと目が覚めたら、めっちゃ可愛くない稚拙な絵のインコ?が大量にスクリーンを占拠していたのだが、ああいう絵でも素晴らしいんですか? 私はアニメを語れるほど見ていないのでアレですが、そんな私の目にも、あのインコはねぇだろうという感じだったんですが。

 悪口ばっかでスミマセン。でも他に書きようがない。

 
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◆チャーリー(2022年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85994/

 《あらすじ》 職場でも自宅の近所でも偏屈者として知られ、楽しみといえば酒と煙草とチャップリンの映画だけという孤独な日々を送るダルマ。そんな彼の家に、悪徳ブリーダーのもとから逃げ出してきた一匹のラブラドールの子犬が住み着くようになる。犬嫌いのダルマは何度も追い払おうとするが、やがて少しずつ心を通わせ、チャーリーと名付け自分の家に迎え入れる。やんちゃでイタズラ好きのチャーリーに振り回されながらも楽しい日々を送っていた矢先、チャーリーが血管肉腫で余命わずかだと判明する。ダルマは、雪が好きなチャーリーに本物の雪景色を見せようと、サイドカーにチャーリーを乗せ、南インド・マイスールからヒマラヤを目指し、インド縦断の旅に出る――。

公式HPよりコピペ~

 映画友が「彼が愛したケーキ職人」という映画を見たら、“黒い森のケーキ”を食べたくなったのだとか。で、都心で食べられるところを探し出し“新宿高島屋のサロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコで食べられるらしい!付き合って!!”とメールが。

 私も、黒い森のケーキは前々から食べたいと思っていた。2019年~20年にかけてEテレでオンエアしていた「旅するドイツ語」で、女優の佐藤めぐみさんが南ドイツ一帯を巡っていたのだけれど、そこで黒い森のケーキが出て来て、“めっちゃ美味そう、、、絶対食べたい!絶対もっかいドイツ行くべ!!”と思ったのだけれど、2020年はそれどころではなくなった、、、。

 でも、映画友の凄いのは、食べたいと思ったら、都内で食べられるところを探すところだ。私はそういう発想がそもそもなかった。東京は世界中の食べ物が食べられる場所で、ドイツというと、パン屋さんは結構あるが、ドイツ菓子の店って見たことないもんな、、、。でも、探し出した彼女はエラい!

 というわけで、もちろんお供しましたヨ。まあ、、、普通に美味しかったですが、TVに映っていた本場のそれとは見た目が違い過ぎましたね。それは期待していなかったから良いのだが、やっぱし南ドイツ、もっかい行かねば!と意を新たにしたのでありました。……実現するかは全く分かりませんが。

 で、ケーキだけ食べに行くのもナンだから、ついでに映画でも見るか、、、となり、本作を見ることに。映画友はインド映画が好きなのである。もちろん、私も興味があったから見ることになったのだが。

 前置きが長くなってしまったが、本作は、かなり見ているのがしんどかった。感動の押し売りという、私の一番苦手な演出でグイグイ来る。もう、容赦ない。これでもか、これでもかーーーって。勘弁してくれぇぇ、、、、。

 逃げ場がない精神状態の防衛機能が作動したのか、途中、(多分)15分くらい爆睡!! 気が付いたら、犬のチャーリーが弱ってた、、、。

 あんまし映画としてあれこれ語りたくなる代物ではなく、好きな人には刺さるのだろうけど、ホントに私にはダメダメだった。本作をお好きな方、ごめんなさい。

 チャーリーは可愛かったです。映画のことより、ケーキの話がほとんどになってしまった、、、。

 

 

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哀れなるものたち(2023年)

2024-08-03 | 【あ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81465/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 自ら命を絶った若き女性ベラ(エマ・ストーン)は、天才外科医ゴドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって胎児の脳を移植されたことで奇跡的に蘇生する。

 世界を自分の目で見たい、という欲望に駆られたベラは、放浪者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われるまま壮大な大陸横断の冒険に繰り出していく。子どもの目線で世界を見つめる彼女は、旅のなかで平等と自由を知り、時代の偏見から解き放たれていく。

=====ここまで。

 ヨルゴス・ランティモス監督作品。


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 もうさんざんネット上で感想が書かれているので今さら感半端ないのだけれど、一応、備忘録的に感想を書きます。

 オスカー4冠って、何で受賞したのかな? と調べたら、エマ・ストーンが主演女優賞で、あとは美術や衣装、メイクで受賞しているとのこと。確かに美術は凄かった。

 「バービー」との2本立てで、1本目に「バービー」を見て、何となくウンザリしていたので、2本目の本作も乗り切れるだろうか、、、と心配しながら見始めた。で、いきなり脳移植かよ、と。あんまり本作の予備知識なかったので、、、。

 脳移植ってんで、マンガ「ブラック・ジャック」を思い出してしまっていた。私は「ブラック・ジャック」大好きで、あのマンガには脳移植の話がいくつかあったが、いずれも本作みたいに医学実験的なお話ではなかった。フィクションで映画なんだからと言えばそれまでだが、「ブラック・ジャック」と比較してしまい、生命の尊厳を悪気なく蹂躙している感じがどうにもイヤだなぁ、という嫌悪感を禁じ得なかった。もちろん、ランティモス監督は、脳移植をするゴッド、というか医学に対する批判的眼差しで描いているのだが。

 それで着いて行けなくなったというわけではないし、一応興味深く見ていたのだが、中盤に掛けては、脳内に心の声「ナニコレ、、、? 女はセックスの洗礼を受けずして大人にならんてか??」が渦巻いた。私はこの歳になって、今更だけど、“何なら生理もセックスも私の人生になくて良かったんですけど……”と日々感じているので、余計にね。

 話題のてんこ盛り性描写シーンもねぇ、、、。セックス描写って、ほぼワンパターンなので飽きるんだよね。こっちはポルノ映画見に来てるわけじゃないんだからサ。必要性を感じられれば良いのだけど、エマ・ストーンの裸のシーンのほとんどはカットしても展開に問題ないでしょ? 冗長感否めず。

 あっという間に知能を獲得したベラは、その後、自分の過去(ヴィクトリアという名であったことや、夫に虐げられていたことなど)を思い出して、改めてその忌まわしい過去と決別し、ベラとしての自身を取り戻す、、、というのは、一応、フェミ的に女の自立を描いたハッピーエンディングなのだよね。

 医者になったベラが、元夫にヤギの脳を移植して、元夫が四つ這いで庭を歩き回る画は、滑稽ではあるが面白いとは思えなかった。理由は冒頭に嫌悪感を覚えたのと同じだと思う。

 医者に造られた女が、あれがありこれがありして、結局、自ら医者になりました~! っていうブラックファンタジー・コメディだと割り切って見れば、そこそこ楽しめるのだろうケド。

 実在の都市の名前が章立てのように出て来るけど、かなり非現実空間的なセット(CG?)で、見た目に楽しい。時代考証とかもゼンゼン無視なんだろうけど、ファンタジー仕立ての美術はオスカーゲットも納得。

 エマ・ストーンは主演女優賞だったらしいのだが、申し訳ないけど「体当たり演技賞」だったんじゃないか。私はこのブログでも、脱ぎ惜しみする女優は好きじゃないと何度か書いて来たが、ムダ脱ぎする女優もあんまり好きじゃない。もちろん、監督の演出次第だから、女優の意向がどれくらいあるのかは分からないが、脱げばいいってもんでもないでしょ。本作での主演女優賞は、どう見ても、あんだけ全裸晒して頑張ったんだから、、、という感じがしてしまうのだよね。他のノミネート作品を見ていないので、的外れかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

エマ・ストーンの眉毛が気になって仕方がなかった、、、。

 

 

 

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