映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

フィオリーレ 花月の伝説(1993年)

2015-09-15 | マイケル・ヴァルタン



 あらすじは、書くと長くなりそうなので、リンク先でご覧願います。

 代々受け継がれた(と思われている)呪いに翻弄されるベネデッティ家の人々の長い長い物語。愛するヴァルタンは、フランス兵と、イタリア人大学生の2役を演じており、流暢なフランス語とイタリア語を拝聴(!)できます。

 タヴィアーニ兄弟監督作品。

 
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 ベネデッテイとは、祝福されたという意味なのですね。ベネデッテイと聞いて思い浮かんじゃったのは、ミケランジェリなんですが、彼の出身地はトスカーナではないですよねぇ。ま、本作とゼンゼン関係なくて当たり前なんですけれども。ミケランジェリもある意味、ちょっと呪われた人かも、、、と思っちゃうくらいドタキャン魔の変人だったし(でも、私は、彼のライヴをドタキャンではなく、チェリビダッケの急病で聴き逃したのでした、、、いまだに残念。その後チェリーは間もなく亡くなりましたし)、レジスタンスで闘っていた過去もあったし、ちょっと通じるものはあるかも。

 それはともかく。

 本作のお目当ては、もちろん、ヴァルタンです。彼がヨーロッパで俳優やっていた頃の作品ですので、若い! 美しい! 見て良かった。フランス育ちだからフランス語が流暢なのは分かりますが、イタリア語もネイティブみたいに聞こえます。英語しゃべってるとこしか見たことなかったんで、何だか新鮮でした。やはり、彼はヨーロッパの方が雰囲気は合っているような、、、。

 タヴィアーニ兄弟監督作なので、ちょっと期待したんだけど、内容的にはかなりイマイチでした~~。雰囲気は良いんですけどね。

 そもそも、ベネデッティ家の呪いの根源となった最初の伝説(フランス軍将校のジャンとエリザベッタの恋物語&軍用金盗難被害によるジャンの銃殺)がですね、なんだかな~、なんですよ。ジャンとエリザベッタの恋が始まるのが、ものすごく唐突感バリバリで、「は? なにそれ(ポカ~ン)……」でして。でもって、ジャンをヴァルタンが演じており、なるほど、伝説の美しいフランス軍将校というのは分かります。が、エリザベッタは、、、演じているのはガラテア・ランツィという女優さんですが、どうもこう、、、老けて見えるというか、一目で恋に落ちるにはちょっとテンションが上がらない感じで、、、。う~ん、ヴァルタンの相手にしては地味過ぎる。

 しかも、ジャンがアホ過ぎで、銃殺されてもまったく同情できない! 軍用金の取扱責任者なのに、軍用金を乗せたロバをその辺につないだまま、エリザベッタとどっかの草むらでよろしくやっている、、、。そら盗まれるだろ。しかし、これでエリザベッタは妊娠して、ベネデッティ家の呪われた歴史が始まる訳です。

 ガラテア・ランツィは2番目の伝説にも2役ということで出てきて、正直、見ていてちょっと混乱してしまった。兄役も2役で、1番目のエピソードと同じ俳優さん(これまたクドい顔で、正直苦手、、、。マジな話、ちょっと正視できなかった)で、1番目の伝説との間に100年くらいの間隔が開いているってのを理解するのに時間を要しました。

 2番目の伝説も身分違いの恋。またかよ、、、って感じで、この話はかなり退屈でした。毒キノコで兄を毒殺する場面もなんか中途半端。

 で、3番目の伝説、というか、ここからは伝説じゃないんだけど、ヴァルタンがまたまた登場。ヴァルタン演じるマッシモは、かなりのヘタレです。苦労知らずでええとこのぼん、という感じ。キアラ・ガゼッリ演じるレジスタンス女とのラブシーンは、キアラが美少女なんでなかなか画になっていました。大胆なヌードも見せています(キアラが)。ヴァルタンはチェロなど弾いて、それがいかにも嘘くさくない弾き方で、やるなぁ~、と嬉しくなったり。

 そして、現代。マッシモとキアラの子ルイジの2人の子、兄と妹。この2人が、ベネデッティ家の呪い、、、というか、恐らく、老いたマッシモの独白を聴いて涙した妹には、ベネデッティ家の祝福が、笑っていた兄は帰りの車の中でこっそり金貨を1枚握りしめてさえいることからベネデッティ家の呪いが受け継がれる、、、というような意味かな、と思いました。ま、ゼンゼン違うかもですが。

 とにかく、ストーリーのスケールはものすごく大きいのだけれど、一つ一つの伝説というかエピソードに魅力が薄く、描写も散漫な感じがして、おまけに説明不足な点も結構あるので、見ていて睡魔に襲われること必至。

 タヴィアーニ監督というと、イタリアの土着性とかよく言われますが、私がみたタヴィアーニ作品は、『太陽は夜も輝く』にはそれはほとんど感じられなかったし、『塀の中のジュリアス・シーザー』はまた全然毛色の違う作品だったし、本作はそれらに比べればなるほどイタリア臭のするものですが、、、土着性とまでいわれるとちょっと違うかな、という感じでしょうか。

 やはりタヴィアーニ監督作品のエッセンスは『父/パードレ・パドローネ』『サン★ロレンツォの夜』にあるのでしょう。これらを見ないと、彼らの作品についてとやかくいうことは出来ないんだろうな、と、本作は思わせる作品でした。

 でもまあ、若くて眩しい美しさのヴァルタンを拝めたので良しとします。





ヴァルタンはヨーロッパで活躍していた方が良かったんじゃないかなぁ。




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家族という名の他人(1997年)

2015-06-10 | マイケル・ヴァルタン



 以下、上記リンクに掲載の紹介文(ママ)====

 家族の崩壊を描き、サンダンス映画祭で話題となった人間ドラマ。

 感謝祭の週末、ウォーレン、ミア、ジェイク、リーの4人兄妹が3年ぶりに両親の家に帰って来る。兄妹はそれぞれ悩みを抱え、父ハルは自分の独善的な態度が子供たちとの間の溝を深めたことを感じている。

 しかし、久しぶりに再会した家族はわだかまりを抱えたまま、やがて時間は過ぎていき……。
 
 ===引用終わり。以下補足。

 家族の崩壊、、、ってほどの話か、これ。確かに、親父はヘンな男ですが。


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 ヴァルタン出演作ってことで、VHSをアマゾンにて1円で購入し、見てみました。何気に豪華キャストだし。

 冒頭の内容紹介の補足にも書いたけれど、家族の崩壊ってほどのことではなく、単にみんな勝手にバラバラなだけ(な気がする)。いや、それ以前かも。子が大人になって自立していけばどこの家庭も似たり寄ったりじゃ? こんなんで「崩壊」とか言っていたら、世の中、崩壊家庭だらけだと思うんですけど。

 まず、この4人の兄弟姉妹の構成がハッキリ分からないんです。多分、ミアが長女で1番上、ウォーレンが長男で2番目、ジェイクが二男で3番目、リーが二女で4番目、なんではないかと。ミアだけがえらく年の離れた姉みたいに見えましたが・・・。もしかすると、ウォーレンとジェイクは反対かも・・・。ま、どっちでも大勢に影響はありませんが。でもって、ウォーレンとジェイクは学生かな? ミアは研究者っぽい。リーは不明です。

 序盤から、この兄弟姉妹は皆ちょっとヘンだというのが分かります。比較的マトモになのはリーかなぁ。ミアとジェイクにはそれぞれ恋人がいて連れてくるのですが、それを知った父親は渋い顔で「サンクス・ギビングくらい家族水入らずで過ごしたかった」などと言ってヘソを曲げている。家族水入らずでないと、息子や娘たちと向き合うことができない「何か」があるらしい。

 しかも、ミアもジェイクも、実家に帰ってくる途中で恋人とセックスしてるんですよね。ミアは電車の中で、ジェイクは野外で。ミアなんか真っ最中のところを、リーに車窓の外からしっかり見られているという、、、。なんじゃこりゃ、な序盤。

 なんつーか、こう、奥歯に物が挟まったみたいな映画です。この家族は誰もが皆、言いたいことをストレートに言わずに探り合っている感じがするのです。でも、間違いなく傷つけ合っている。傷つけないように探り合っているんじゃなくて、探り合いながら傷つけ合っているのが、何とも気持ち悪い感じです。

 ただ、ウォーレンと父親の間には決定的な軋轢があるので、この2人については、父子関係が崩壊しかかっているとは言えるかも。序盤からそれを匂わせるセリフ「ダフネのことがあってから3年・・・」というのが何度か出てきます。その軋轢とは、、、

 ダフネは、ウォーレンの元カノです。3年前、ウォーレンの親父は、ホームパーティの最中に成り行きでダフネと一瞬2人きりになったんだけど、なんと! 酔っぱらった勢いで拒むダフネを抱きしめてキスしたんですね。しかも、ウォーレンはその現場を見てしまった。見たのに、自分は驚いて固まってしまって、親父とその直後に顔を合わせたのに何もしなかった、出来なかったことを悔いていた、、、。

 それが原因でウォーレンとダフネはお別れしたけど、2人とも互いに未練タラタラ。で、3年ぶりに会って、ダフネはまたウォーレン宅のパーティにやって来ます。そして、親父さんはダフネとダンスを踊り出し、ウォーレンに代われと言われてもダフネを離そうとしない(キモッ!)。で、ウォーレンに突き飛ばされる、、、。ま、当たり前だわね。今度こそ、ウォーレンは親父にしっかり制裁を加える(?)ことができたのでした。

 本作の中で、家族の間の確執が明確に描かれていたのはこのエピソードくらいです。長女のミアは最初から壊れているのが分かり、その壊れた原因が、恐らくこの家族だということらしい。実家にあった本を読み始めたミアだけど、結末部の何十ページかが破かれていて、それを破いたのは親父さんだった、そしてその結末をミアは幼馴染に教えてもらうことで、少しだけ心穏やかになる、みたいな話がありまして、、、。つまり、いつも子どもたちの心を踏みにじる親父、ということなのかな、、、と。ま、分かりませんけど。

 ジェイクとリーに関しては、親とは大して確執もないような、、、。母親がジェイクが進学で家を出てからなかなか帰って来ないことを悲しむシーンがあるけど、そんなの別によくある話でしょ。

 親父さんが独善的って、、、ああいうのは独善的じゃなくて、ただの勝手な人、っていうんだよ。独善的な人ってのは、良くも悪くも信念があるから。あの親父にはそんなの感じられない。父権にしがみついているだけのオコチャマ親父です。

 しかし、もっと謎なのは、母親です。どういう女性なのか、本作の描写ではさっぱりわからん。ただいるだけ。家族を描くのに、母親の描写が弱くては面白くないでしょ~。家族の肖像なんて、ある意味、母親のカラーがそのまんま出るんだから。ま、そういう母親の影が薄い家族、ってことなんでしょうけどね。映画としては失敗ですよね、その設定は。

 それなりの作品ぽく思ったのに、ここまで世間で認知されていない理由は、見てみてよく分かりました。なんちゃら映画祭で話題になったとかですが、そんなのただの宣伝文句でしょう。壊れた長女と、父と長男の葛藤、というそれっぽいネタを配置しただけの、雰囲気映画です。心に迫るセリフも映像もありません、残念ながら。

 しょうもない親父を演じていたのはロイ・シャイダー。『ジョーズ』のインパクトが強いですが、本作ではキモいオッサンでした。影の薄い母親はブライス・ダナー。グウィネス・パルトローのお母さん。よく似ていますが、お母さんの方が断然美人です。壊れた姉はジュリアン・ムーアでピッタリ。壊れているだけの魅力のない役だったのがもったいないかな。

 肝心のヴァルタンはジェイク君。恋人とセックスばかりしていました。この恋人がかなり性格悪そうな肉食系で、、、。ジェイクは「本気で愛していないかも」なーんてウォーレンとしみじみ語っているシーンもありましたが、終盤、結局「I love you」なんつってましたけどね、ベッドの中で。まあ、出番は結構多かったけど、役どころとしてはイマイチですね。こっちとしては、その美貌を拝みたかっただけなので、ゼンゼン良いんですけど。

 なんか、文学作品気取りのヘンな映画でした、、、ハイ。




ヴァルタンさえ見られたらそれでいいのさ~




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デッドマンズ・カーブ(1998年)

2015-06-02 | マイケル・ヴァルタン



 以下、VHSビデオパッケージに掲載の紹介文(ママ)====

 “デッドマンズ・カーブ”[Dead Man's Curve] もしも学生が自殺したら、同室のルームメイト全員に精神的ショックを考慮して自動的にオールAを与える

 アメリカの多くの大学で本当に採用されているこの極秘措置を悪用してハーバード大学院に行こうと企んだ学生、ティム(マシュー・リラード)は、成績不振で悩むクリス(マイケル・ヴァルタン)を唆してルームメイトであるランド(ランダル・ベイティンコフ)の殺人を企てる。

 ところが、自殺に見せかけて殺したはずのランドの死体が見つからない。それとともに次々と起こる怪事件、ランドの恋人ナタリーの突然の自殺。ティムとクリスの間を揺れ動くクリスの恋人エマ。ナタリーとエマもまた、ルームメイトであった。

 完璧なはずの殺人ゲームは、それぞれの思惑と全く違った方向へ進んで行く・・・。本当に共謀しているのは誰と誰なのか? 最後に笑うのは誰か?

 ===紹介文終わり。

 ・・・「次々と起こる怪事件」? そんなんあったか?

 
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 またまた、ヴァルタン目当てで見ました。なんつったって、数少ない主演作ですからね~。

(ここからは、ネタバレバレなので、これから本作を見る可能性がある方(ま、極少数でしょうが、、、)は、そのおつもりでお願いします。)

 ヴァルタン扮するクリスは、一言でいうと、一見ヘタレなんですが、一緒に悪事を企てるティムがほとんどサイコパスのトンデモ野郎なんで、こういう2人組での犯行の場合は、よくある組み合わせです。

 で、ストーリーはティム主導で進みます。どう見てもティム主犯です。

 ただ、終盤まで引っ掛かるのはランドの遺体が上がっていないことですよねぇ。ここに何かあると、まあ、誰もが思うわけです。実際あるんですけど・・・。

 そう、実は生きていたんです、ランド。

 確かに、ティムがランドを崖下に落とす瞬間を、クリスは見ていないし、映像にも出ません。つまり、ティムとランドはグルだった、というわけです。

 で、終盤、死んだはずのランドが現れて、ティムとランドにクリスは追い詰められ、ついにはクリス、拳銃をこめかみに当てて本当に自殺か・・・! というシーンなんだけれども、どこかこう、、、緊迫感がない。このままじゃどう考えてもクリスは絶体絶命、のはずなんだが。

 と思っていたら、案の定、実は実は、本当の共謀者はクリスとランドで、本当のターゲットは、これまで飽くまでも首謀者として描かれてきたティムだった、、、。今度こそ、本当に、クリスとランドによってティムは崖下へ葬られてしまいました・・・。ごーん、、、。

 というわけで、一応、ラストに二転三転が用意されております。・・・おりますんですが、大したカタルシスはなく、「なんじゃそら、、、」という感じで・・・。うーん。最終的に、実は本当の黒幕は最初からクリスだった、ということなんですよね、多分。

 冒頭のVHSビデオの紹介文にある「次々と起こる怪事件」というのが、よく分からないんだよなぁ。ナタリーが自殺したくらいで、ほかに事件らしい事件なんぞ起きていなかったと思うんですけれど。、、、ま、いいか、そんなことは。

 しかし、メンドクサイ計画ですよねぇ。なんでこんな回りくどい方法とったんでしょうか。ティムがああいうイカレ野郎だったからでしょうか。一筋縄じゃやっつけられないだろうから、やっつける側だと思い込ませておいて、最後に葬ってやる、ということですかねぇ。言いだしっぺが誰か分からないんですが、多分、クリスでしょう。それっぽいセリフもありますし。

 恐らく、クリスは、ティムが嫌いだったんでしょう。それも、すげぇ大嫌いだったのね、多分。そしてまた、ティムがいかに危険なヤツかも分かっていた。だから、消すならティムしかいないと思ったけれど、、、ってとこでしょうか。ランドもすごい役者ですよね~。まあ、この役者っぷりがラストのオチのセリフの伏線にもなっていますが。

 これは、3人部屋だから成立する話ですよね。2人部屋だったら、こういうターゲットがコロコロ入れ替わる、なんてことはあり得ません。3人だからこそ、誰が共謀し、本当のターゲットは誰なのか、という疑心暗鬼が生まれるのです。

 まあ面白くないわけじゃないけれども、サスペンスのキレとしてはあんまし、、、という感じですかね。なんか無理矢理どんでん返しを作ったというか。上手いなー、とは少なくとも思えない。

 とにかく、ティムを演じたマシュー・リラードがキョーレツです。イッちゃってる演技が、すご~くナチュラルで怖いです。こういう人、実際にいそうですもんね。笑い方とか、マジでヤバいです。私がクリスでも、こんなヤツいなくなってほしい、と思うなあ。ついでにオールAもゲットできるなら一石二鳥どころか三鳥、四鳥ですもんねぇ、、、。

 ヴァルタンはこの頃、30歳くらいですかね。3人のうちでちょっと浮いてますよね、老けてて。もちろん美しいですけど、あの3人の中では1人だけかなり毛色の違う人種に見えます。なんか、ハイエナ集団の中にたたずむ孤高の銀狼、みたいな。・・・意味分からん? すみません。いずれにしても、ちょっと配役に難ありじゃない?

 それに、本当の黒幕にしては、あまり悪人に見えないというか。本物の黒幕は、見るからに悪人じゃダメだけど、本性を現した後は、やはり美しい悪魔に見えてほしいんだよなぁ。ヴァルタンは育ちが良過ぎるのか邪気がなさ過ぎ、そういう雰囲気ないです、はっきり言って。それも、ラストのカタルシスのなさにつながっているような気がします。

 こういう、学生ドラマを見ると、アメリカに生まれなくてホント良かったと思いますね。学業だけでなく、あれこれメンドクサ過ぎです、アメリカの学生。学生生活くらい、もっと気ままにマイペースに過ごしたいよ、アタシは。社会に出たら避けては通れぬメンドクサイこと山積なのに。ここまでしがらみの多い社会って、ちょっとストレスフルですね。こないだの『ソーシャル・ネットワーク』じゃないけど、自己紹介サイトが必要な訳だよ、こんなんじゃ。あー、ヤだヤだ。 





サスペンスは3級、ヴァルタンの美貌は1級。




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コロンビアーナ(2011年)

2015-05-27 | マイケル・ヴァルタン



 両親をマフィア(?)に殺された少女カトレアは、父親が殺される直前に教えてくれた方法でアメリカのシカゴに住む叔父の下へ逃れる。両親を殺された憎しみから、彼女は「殺し屋になる」と叔父に宣言する。

 それから15年。彼女は美しい凄腕殺し屋に成長していた。そして、殺し屋になった本当の目的、復讐のために動き出す、、、。

 RPGサバイバルゲームの方が百倍難しいんじゃないか? ハラハラドキドキの全くない殺し屋映画なんて、ナントカを入れないコーヒーみたいなもん? 、、、ナントカを入れないコーヒーしか飲んでませんが・・・。、、、ごーん。

 
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 こういうバイオレンス系(?)ってあんまり積極的には見ないのですが、ヴァルタンが出ているので見てみました。

 うーん、ちょっと、何もかもスムーズに行き過ぎじゃないですかね、カトレア姉さん。ギリギリ手に汗握るシーンが1コもなかったよ? これって、こういうジャンルの映画としてはダメじゃない?

 強いて言えば、冒頭のシーンだよね、ドキドキできたのは。まだ子どものカトレアちゃんが大の男数人を向こうに回してたった一人で逃げるのですから。この逃走・追跡シーンはカメラワークも冴えていて、なかなかスリリングなんじゃないでしょーか。技術的なことは分かりませんが。

 この子どものカトレアちゃんが、「殺し屋になりたい」って言うんだから、びっくりです。両親を殺されたその恨みを晴らしたい、という思いがあったからみたいだけど、私だったらあんな怖い思いもう二度としたくないから、とっとと両親の死など忘れて安穏と暮らしたい、と叔父さんに泣いて訴えると思うなぁ。でも、そこで「殺し屋になる」というあたり、もうDNAレベルで人間の出来が違うって感じです。

 そうして一気に15年という時間が飛びまして、カトレア姉さんが、念願かなって殺し屋となり、八面六臂の大活躍をなさいます。しかし、カトレア姉さん、ちょっとオツムはイマイチなようです。だって、名乗る殺し屋って、あんなことしたらどうなるか、ちょっと考えれば分かること。案の定、叔父さんやお祖母さんを無残に殺され、それで「ごめんなさい゛~~っ」て号泣したってねぇ、、、 。

 それに、叔父さんやお祖母さんも、カトレアを匿った以上、住処を15年も変えずに生活しているなんて、殺し屋育成している人たちとは思えない呑気ぶり。猫だって子猫育てているときは、住処を時々変えるのに。

 はたして、名乗る殺し屋カトレアは、その狙い通り、仇敵をおびき出すことに成功しますが、その後は、ロケットランチャー&マシンガンで仇敵一味をあっさり一掃。すげぇ。ラスボスはあっさり殺しちゃつまんねぇ、ってことでしょうか、獰猛なワンコ2匹に食い殺させるという趣向を凝らした手口です。

 ここまで何でもかんでもスムーズに事が運ぶと、やっぱし白けますよね、見ている方としては。最終的にカトレア姉さんが復讐を果たすとわかっていても、一度は絶体絶命の危機に陥る状況があってこそ、見ている方はカトレア姉さんに肩入れしたくなるわけで。これじゃ、むしろ、ラスボスに思わぬ仕掛けで逆襲してほしくなっちゃうよ。

 で、私のお気に入りヴァルタンは、カトレア姉さんの恋人という役どころだったんだけれども、残念ながら、この恋人エピソードはなくても良かったんじゃないかと思ってしまいました。もちろん、ヴァルタンの姿を拝めたのは嬉しいですが、作品全体で見た時、カトレアの殺し屋稼業だけにスポットを当てた方が良かったんじゃないかなぁ。カトレアの寝顔の写真を撮らせるためだけにご都合的に置かれた役ですよねぇ、はっきり言っちゃえば。こんな扱い、あんまりよ。

 とはいえ、さすがのヴァルタンの美貌も、40を過ぎて若干衰えが見えるというか、 、、。つーか、髭面は似合わんぞ。いや、十分イイ男だけれども、やはり彼は、美しくあってほしいというか。小汚いその髭は剃ってほしいねぇ。ゲージュツ家ってことで髭面なんでしょーか。ハードな姉さんカトレアに対し、徹底的に美しい優男に描いても良かったのに。その方が、ヴァルタンの魅力を全開にできたと思いますが、、、。

 リュック・ベッソン制作だそーですが、私にとってはそんなことは、ほとんどどーでも良いことでした。よく考えるよね、侵入手口とか、脱出方法とか、殺し方とか。鮫バージョンは結構面白かったかな。あとはまあ、凡庸です。

 ま、ヴァルタン出演なんで、★1個プラスです。





カトレアって、英語で発音しにくそう。




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ストーカー(2002年)

2015-01-08 | マイケル・ヴァルタン



 写真の現像サービスカウンターに勤める冴えないおっさんサイは、長年、現像を請け負っていたある家族に理想を抱き、自らをその家族の一員として妄想に耽る日々、、、。

 が、その憧れの家族に、とんでもない秘密があることを知ったサイは、怒りを膨らませ、同時に職場を解雇されたことで自暴自棄となり、膨らませた怒りを爆発させてしまう。

 これのどこがストーカー・・・?

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 とんでもない邦題がついた外国映画は一杯あるけれど、これもその一つ。配給会社の担当者は、ホントにこの作品を見て、この邦題に決めたのか、大いに疑問。

 ロビン・ウィリアムズ演じる主人公サイは、もう、とてもとても孤独な中年男なのです。彼の部屋の無機質なことと言ったら、あれを見ただけで泣けてくる。不幸なことに、彼は独りを楽しめる心の豊かさを持ち合わせていなかった、、、。これは、本作では描かれていないが、恐らくは彼の生い立ちにその理由がありそう(ラスト近くで何となくそれを暗示するシーンがあります)。

 で、彼は自分の理想の家族を顧客の中に見つけます。それが、美男美女の夫婦に一人息子の3人家族であるリッチなヨーキン家。が、この夫、浮気していたのである。それも、サイが写真を現像して発覚するという次第、、、。

 折悪く、長年、サイがヨーキン家の写真の現像を「注文枚数+自分用1枚」と水増ししていたことがボスにバレて、あえなくクビ(自分用のが積もりに積もって何百枚に。その分タダで稼働させていたわけだから、店には大損害、ってことだわね)。

 精神のバランスを崩したサイは、破れかぶれで、浮気夫とその愛人にとんでもない手法(詳細はちょっと書きたくない)で制裁を加えます。この時、最大の屈辱を味わう夫を演じていたのが、ヴァルタンな訳ですが、、、。こんな形で、彼の全裸を拝むことになろうとは。嗚呼、、、。

 サイは、ストーカーではなく、妄想癖のあるただの寂しいおっさんです。こんな邦題をつけるので、最初は、ヨーキン家の妻に執着していくのか、と思って見てしまいました。でも、ゼンゼン違う。

 サイが、留守中のヨーキン家に侵入するシーンがあります。なんと、ここで、サイはトイレで用足しまでします。そして、シャンパンだかワインだかを飲みながらテレビを見ているところへヨーキン一家が帰宅するのです。見ている方としては、ドキドキするシーンです。・・・が、ヨーキン一家は「Oh、サイ! 来てたの!?」などと言って彼を受け入れる訳ですが、当然、これは彼の妄想だったのです。つまり、ここがサイの理想の究極ですね。

 、、、彼は、ヨーキン家の一員になりたかった。というか、それはムリだと分かっていたから、せめて、ヨーキン家の息子の伯父になりたかった(これはラストの写真が、まんま、それを表しています)。

 なのに、夫は浮気なんかしやがって! オレの理想の家族壊しやがって! ってことで、ああいう暴挙に出たんだろうけど、ちょっとやり過ぎちゃいました。あれは紛れもない犯罪。無職になって、もう、失うもののない心境になってしまっていたのだろうな、とは思うけれども、、、。

 正直、ロビン・ウィリアムズご本人とサイがダブって仕方ありませんでした。役を演じていないときの、彼のやたらハイテンションな様子は、これまで時々テレビで見てきましたが、あのテンションは見ていて「ちょっとヤバいなあ」と感じるものがありました。同じことを感じた人は少なくないと思います。あんなにハイに針が振れてしまえば、人間、バランスをとらないといけない生き物ですから、今度は逆に大きく針が振れざるを得ません。

 そして、本作では、役の上でではありますが、その、大きく逆に振れた姿を私たちの前にはからずも晒すこととなってしまいました。きっと、私生活上でああいう状態になることはしばしばだったと思われ、、、なんだか見ていていたたまれなくなりました。

 結局、孤独、というか独りをある程度楽しめる人間、ってのは、自分をそこそこ好きな人間なんでしょう。でないと、自分と向き合うことを強制される時間を苦痛なく過ごせるはずはありません。もちろん、その孤独の度合いもありますし。サイは、自分を愛せなかったし、だから、人も寄ってこない、余計に孤独が身に沁みる、でも苦痛過ぎて自分と向き合うことを拒絶し妄想の世界に逃げる、そして、余計に自分を愛せない、という悪循環です。

 その遠因は、恐らくは性的虐待を受けていたと思しきその生い立ちにあるのだと思います。やはり、虐待を受けていた人は、自分を愛することが難しい。自己否定感に苛まれるのはムリないことです。

 ただ、彼が本当に不幸だったのは、その後、現在に至るまで、自分を愛せる存在だと思える、自己肯定感を抱ける人との出会いに恵まれなかったことですね。恋人でも、友人でも、職場の人でも、とにかく誰でも良かったんだけれど、「you、いるだけで良し!!」と体現してくれる人との出会いがあれば、、、。

 でも、本当は、そういう出会いは、自分が他者を愛さないと恵まれないモノなんでしょうけれどね。サイは、人を愛することが怖かったのかも知れない。

 あんまり、誰かを「可哀想」というのは好きじゃないけれども、サイに限っては、ほかに当てはまる言葉が見当たりません。可哀想です、サイは。

 ・・・しかし、線が細いと思っていたヴァルタンの裸体(モザイク入り)は、結構、たくましかった、、、。ま、マッチョでなかったので良かったですが。やっぱり彼はどこを切り取っても美しい・・・(嘆息)。



人を愛することは自分を愛すること。




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25年目のキス(1999年)

2014-12-21 | マイケル・ヴァルタン



 25歳でキス未経験のダサい女性記者が、ハイスクールに潜入取材することに。自らの苦く暗いハイスクール時代の記憶を上書きすべく、“女子高生”として脱皮していく彼女は、心からキスしたいと思う教師と出会い、、、

 ま、するんですよ、キスを。

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 またまた、ヴァルタン目当てで見たわけですが、これ、アメリカでも結構ヒットした作品らしいですねぇ。、、、これが? って感じもしますが、まあ、軽く楽しめる作品であることに違いはないです。

 しかし、25歳までキスしたことがないって、そんなに特別なことですかね。というか、アメリカみたいな“キス文化”の中では、まあ、確かに貴重な存在なのか。だからこそ、心からのキスが大事な訳だよね、きっと。日本じゃ挨拶代りのキス、なんて、即セクハラだもんね。つくづくアメリカ人じゃなくてよかったと思いますねぇ、こういうキス文化を目の当たりにすると。

 それはさておき・・・。

 高校時代なんて、もう30年前の話なんで記憶も薄れていますが、私のいた高校では、あまり派手グループとか地味グループとかなかった気がします。田舎の公立の進学校で、みんな、基本的にダサダサだったし、まぁ、ちょっとカワイイ女のコに男子が、逆にちょっとカッコイイ男子に女子がそれぞれ、わーわー騒いではいましたが・・・。私自身が(一応仲の良い友人は数人いたけど)マイペース過ぎで、そういうことに気が付いていなかっただけなのかしらん。

 もし、自分が25歳くらいの時に、もう一度高校生をやることになったら・・・。私なら何をしたいかなぁ、と考えてみたんだけれど、思い浮かばない、、、。多分、私がジョジーなら、本来の任務に専念しますね。ジョジーの様に、上書きしたいほど苦い記憶もないし、そもそも、あんまし思い入れがない気がします、高校時代の自分に。

 そういう意味では、彼女は、ハイスクール時代の自分に対し“アタシはこんなもんじゃない!!!”っていう、もの凄い高い自己評価をしているのではないかな、と最初は思いましたが、あんな惨めな思いをさせられたら、やっぱりその記憶を払しょくしたくなるのもムリないことで、私は平和な高校時代を過ごせていたのだと思い直しました。

 私がジョジーなら、本来の任務に専念すると書いたけれど、いやいや、教師の中にヴァルタンがいたら、到底専念なんかできませんね。任務どころじゃありません、、、。

 本当に、ヴァルタンは美しい。本作とは関係ないけど、何でこんなに美しい男性が、ジェニファー・ガーナーと・・・? ってまあ、彼女も不細工とはいいませんが、すごいゴツいし、お世辞にも“美人”の範疇に入る女優さんではないと思うのですが。別に、美男が美女を選ばなければならないというルールはないので、彼が彼女を好きになったのは構わないけど、どうも雰囲気が違い過ぎるというか、、、。破局したのも当然の成り行き、という気がします。

 やっぱり、ステキなというか、仲の良いというか、そういうカップルは、雰囲気が似ていると思うのですね。夫婦でもそうでしょう。ヴァルタンとジェニファー、どう見ても、雰囲気が異次元の二人です。

 そういう意味では、本作でのサムを演じるヴァルタンと、ジョジーのドリュー・バリモアの方が、まだ似合いの二人です。ドリュー・バリモアは『エバー・アフター』でも感じたけれど、すごい美人でもスタイル抜群でもないけれど、とてもチャーミングで可愛いです。ヴァルタンには、こういう可愛らしい女性の方が合うような気がするのよね~。

 2人が観覧車に乗るシーンがイイです。サムが言います「男がいつか大人になるなんてウソだ。永久にガキのままの奴もいる」と。そして、ジョジーに「君が大人になったら、男が鈴なりになって申し込んでくるよ」とも。ジョジーが「先生だからそんなこと言ったのでしょう」というと、サムはこう返します「先生だからこそ言ってはいけなかった」・・・もうこれで2人はキマりです。会話だけだけれども、サイコーのラブシーンではないでしょうか。ラストシーンなどおまけみたいなもんです。

 ま、ヴァルタンの出演作の中で、彼を堪能するにはなかなか良い作品でした。



心から愛する人と心からのキス、したことありますか?




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2番目に幸せなこと(2000年)

2014-12-08 | マイケル・ヴァルタン



 失恋したアラフォー女とゲイの男の間にハプニングで子どもが出来てしまい・・・。ラジー賞候補にもなったみたいだけど、そんなに悪くないでしょ、これ。前半と後半で雰囲気がガラリと変わる、一粒で2つの味わいのある作品。

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 またヴァルタン目当てで見ました。中身についての予備知識は全くナシでして、、、。

 それが良かったのか、まぁ面白かったと思います。ヴァルタンの演じるケヴィンはなんだかなぁ、って感じでしたけれど。それは別に良いのです。あの美顔を拝みたいだけなんで。

 さて、素朴な疑問として、いくら酔っぱらっていたからと言って、ゲイの男性は女性とセックスできちゃうものなんですかね? バイセクシャルじゃなくて、ゲイですよ? 私(女)はお酒あんまし飲めませんけど、仮に酔っぱらっても、女性とセックスの真似事は絶対にできません。相手の女性がレズビアンでしつこく迫られたら、、、100%自信ありますね、拒絶する。

 でもまあ、これは映画だし、そういうこともあるのか!? くらいで、とりあえずスルーしました。

 本作の見どころは、やっぱり後半でしょう。マドンナ演ずるところのアビーにベンという恋人ができ、その人と結婚する、という話になってから、アビーとゲイのロバート、2人の息子のサムという3人の関係が変わってしまう。おまけに、我が子だと信じていたサムが、アビーの元彼(ケヴィンね)の子だと判明したり、それでもサムを手放せないロバートが親権を求めて裁判起こしたりと、一気にシリアスモードになるのです。

 正直、結構泣けました。サムの気持ちを考えるとね、たまりませんよ、これは。6歳になるまでパパと信じていた人が実は本当のパパじゃないなんて言われてもね・・・。

 結局、本作は、大人のエゴを描いているのです。アビーは恋人ベンが現れるまでは確かに良い母親だったし、ベンと婚約した後も良い母親だったのだけれど、自分の幸せも手に入れたいと欲した以上、振り回されるのはどうしたって親しか頼る存在がない幼い息子です。

 アビーを自己チュー女と責める人もいるだろうけど、それは違うと思う。シングルマザーだって幸せを求めて良いに決まってる。

 でも、アビーは大きな間違いを犯したと思います。それは、サムを連れてロバートがいない間に家を出てしまったこと。こんなことされたら、誰だって感情的になりますよ。

 アビーは焦っていたのでしょうねぇ。ベンが一人でNYに帰っちゃって結婚がご破算になるのが怖かったんだと思います。その気持ちも分かるけれど、やはりロバートの気持ちも大切にするべきでした。そうすれば、裁判という最悪の泥仕合を防げたかも知れないのですからね。

 両親が裁判で争っているなんて、息子にしてみたら胸が張り裂けそうでしょ、きっと。挙句、あったこともない実父が親権を主張し出したりして・・・。ケヴィンが法廷に入ってきたシーンは、正直引きました。いや、ヴァルタンの顔は食い入るように見ていたんだけど、、、。

 私には子どもはいませんが、選択的に子どもを持ちませんでした。まあ、実の両親にそのことを聞くに堪えない下品な言葉で罵られたことはあるものの、世間の風当たりは間接的にはそれなりにあるという程度で済んでいます。確かに、子どもを持たない、次世代を残さない、そのための努力をしない、エネルギーもお金も費やさない、非生産的という指摘はその通りだし、犠牲的精神の欠けたエゴ丸出し人間、と言われてもその通りですとしか言いようがないですし。

 しかし、子どもを持つことがエゴじゃないと、どーして言えるのか、これが不思議です。親たちは、子どもに頼まれたわけでもなく、自分たちが欲して(とは限らないかもだけど)「勝手に」産んでいるのであって、その行為のどこがエゴじゃないのでしょうか。世のため国のために産みました、なんて人が一体いかほどいらっしゃるのか。仮に世のため国のためであっても、産み落とされた子にとっては与り知らぬ話でして。

 本作でも、アビーとロバートは互いの傷を癒すかのように酔った勢いで欲望のままに行動し、サムはその結果ではないけれども、アビーとケヴィンという冷え切った関係のセックスで出来た子どもで、2人の間に子づくりの合意さえなかったという、、、まさにエゴの結果。

 が、産んだ以上、子どもが最優先にならざるを得ないわけで、だからこそ、親が自分自身のために人生を歩もうとすると、子にしわ寄せが行くわけで、でもそれは決して全部が悪いことではなく、母親なんだから子のためにひたすら我慢して犠牲的に生きる必要なんてないわけで。

 子は、しわ寄せを喰らっても、親の真摯な生き様と愛情を感じられれば、乗り越えていけますよ。他力本願な生き方をしている親に、「あなたのために何もかも私は我慢してきたのよ」などと言われ続ける方が、比べ物にならないくらいキツイし腹立たしいですね。

 結局、人が一人生きていくってことは、いろいろ周囲との軋轢を生み、それをいろんなやり方で解消し、、、ってことを繰り返していくようなものなのではないかしらん。誰も傷付けず生きていくことなんて出来ませんからね、絶対に。

 本作の監督さんは、あの『日曜日は別れの時』の方なのですねぇ。あれもゲイ映画。もしやこの監督さんも・・・? と思ったら、その通りのようですね。やはり、セクシャルマイノリティの人にとっては、生きにくい世の中なのでしょうね・・・。想像しかできませんが。

 マドンナの演技はそれほどヒドいとは思いませんでしたが。作品も。なぜにラジー賞候補? 確かに、素晴らしい作品とまでは言わないけど、悪くないと思いますよ。単にマドンナが嫌いなだけじゃないの?


前半はコミカル、後半はシリアス、な作品。




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マンイーター(2007年)

2014-11-29 | マイケル・ヴァルタン



 アニマルパニックもの。お目当ては、マイケル・ヴァルタンだったけど、なかなかの作品でしょ、これ。

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 B級だろうと思って見たので、意外にも、良い作りに得した気分です。とても真面目に作られた、パニック映画というよりは、心理サスペンス映画でしょう。公開当時、アニマルが何なのか隠されていたそうですが、今回の敵は、巨大ワニです、はい。

 ネットで見ると、何気に豪華キャストだとか、サム・ワーシントンが主役だと思ったとか、誰が主役なのか終盤まで分からんとか、ヴァルタンにしてみればヒドイ言われよう・・・。予備知識はほとんどなかったけれど、どう見たって、ヴァルタンが主役だって最初から分かるでしょう。

 だって、あのクルーズ船に乗った面々見てくださいよ。あの中で最後に敵と一騎打ちできそうなの、ヴァルタンしかいないでしょーよ。そら、サム・ワーシントンは途中で出てきてちょっとカッコイイところ見せるシーンがありますけど、所詮はチンピラです。確かにヴァルタンは線が細いので闘うキャラに見えないのは仕方ないんだけれど、世間の目、あんまりだわ。

 まぁ、制作年から日本公開まで時間が開いたせいで、その間にサム・ワーシントンやらミア・ワシコウスカやらが売れちゃってるから、こういう感想が出ても致し方ないんでしょうね。

 この手の映画にしてはグロいシーンはほとんどなく、敵の巨大ワニの姿も終盤までハッキリは出てきません。もちろん、これが本作の演出で、最後、ヴァルタン演じるピートが一騎打ちする際に姿を現すときも、直截的な描き方をしていないところがなかなかニクいです。見ている方がこれがかなりゾクゾクして怖い!!

 というか、本作は、ラストこそ、巨大ワニVS人間、という図式になりますが、それまでは、飽くまで人間同士の心理戦、人間VS人間をかなりしつこく描いています。そうやって、見ている者に、巨大ワニの存在を意識させながらも、イライラ&ドキドキを常に感じさせることに成功しているように思います。

 そうはいっても、もちろん、突っ込みどころもありまして・・・。満潮で沈んでしまうという中洲ですが、結構高さのある木があって、別にムリして向こう岸に渡らなくても、いざとなったら、潮が引くのを木に登って待ってりゃいいじゃん、と思いましたし。向こう岸に渡り終えた人々がピートを置き去りにしてどこかへ行ってしまうんだけど、それが、ピートと巨大ワニとの一騎打ちに持ち込むためのご都合シナリオなのが見え見えだし・・・。

 それに、もう一人の主人公、ラダ・ミッチェル演じるクルーズ船の女性ガイドが、巨大ワニに襲われるんですが、まあ、主人公だから仕方ないとはいえ、あんな襲われ方して生きているんです。これもちょっと、、、ムリがあるような。あんなに噛みつかれて、グルグル体回転されたら、いくらなんでも千切れちゃうと思うですよねぇ。

 でもまあ、こういう映画に突っ込みどころは付き物ですしねぇ。「あー!」とか「わー!」とか言いつつ突っ込み入れながら見る、これが、醍醐味でもあります。

 そうそう、可愛いワンちゃんも出てきます。しかもなかなか賢い。でも・・・、喰われちゃうんですけどね。このシーンが一番悲しかったかな。
 
 ヴァルタンは、この時39歳ですねぇ。なるほど、ちょっとオッサンになってはいましたが、やっぱりカッコイイです。サム・ワーシントンなんかより、ゼンゼン知的だし、私にとっては百倍イイ男です、ヴァルタンの方が。



巨大ワニがいると分かっている河を泳げますか?




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ウエディング宣言(2005年)

2014-10-13 | マイケル・ヴァルタン



 イケメン外科医の息子を、どこの馬の骨とも知れない派遣社員女に奪われるのを阻止しようとする、かつての花形テレビ司会者のオバサン。原題“Monster-in-law”の通り、モンスターなMother in lawが大暴れするドタバタラブコメ。、、、ごーん。

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 本作を見る前、ジェニファー・ロペスに対して、全くと言っていいほど先入観はありませんでした。彼女の出演作も、多分『アナコンダ』くらいしか見たことない(つーか、アナコンダでの彼女の印象はほぼゼロ)ですし。

 でも、彼女のルックスは、チャーリーのキャラに正直合っていない感じがしましたねぇ、、、。いや、後半、ジェーン・フォンダ演じるところのモンスター姑ヴァイオラに逆襲するところからは合っているのですが、だからダメだなと。

 前半、マイケル・ヴァルタン演じるケヴィンに見初められ、かなり強引に口説かれるのですが、その時のチャーリーは非常に可愛らしいわけです。可愛らしい女性が、モンスター姑に強く立ち向かうからこそ、ドラマになる訳で、ジェニファー・ロペスが立ち向かっても「やっぱりコイツやったね」としか思わないでしょ。いかにも逆襲しそうにない可愛らしいルックスの女性がやるからこそ面白くなると思うんですけれど・・・。

 ジェニファー・ロペスは、チャーリーを演じるにはゴツ過ぎます。可愛くないわけじゃないけれど、ゴツいのですよね。体形も醸し出す空気も。すごい逞しそうだもの、一見して。

 本作は、引退宣言していたジェーン・フォンダの復帰作だったとか。彼女の出演作もあまり見ていないので、彼女への思い入れもゼンゼンないけれど、憎ったらしいモンスターおばさんを体当たりで演じておられました。彼女ほどのキャリアの女性が、なぜ本作を復帰作に・・・? と疑問に思ったけれど、インタビューで「復帰作にシリアス系は避けたかった」みたいなことを言っていて、まあ、そういうものなのかなぁと。リハビリってやつですかね。

 内容では語ることもほとんどない底の浅い話ですけれど、どうも、ラストのハッピーエンドへの持って行き方がつまんないですね。ヴァイオラの姑(最初の夫=ケヴィンの実父のお母さん)が突如現れ、過去のヴァイオラ自身の嫁としてのダメっぷりを思い出させ、それを機にヴァイオラが目を覚ます・・・、みたいな、ものすごく陳腐な展開。あんな壊れたオバサンがそれくらいのことで「気付き」を得る訳ないでしょーが、と突っ込みたくなります。

 ここは、当然、イイ子ちゃんの息子とモンスターとの直接対決をさせるべきでしょう。イイ子ちゃんでしかなかった息子にキョーレツな一撃を喰らわされるくらい(多分、現実ならそれでも全然ダメだと思うけど)のことがないと、あんな暴走オバサン、変わりっこありませんて。

 でも、本作でのケヴィンは、本当にただただイイ子ちゃんで。いくら、ジェーン・フォンダとジェニファー・ロペスを見せるための映画だからって、安易過ぎでしょ、シナリオが。

 ま、私が本作を見た目的は、両主演女優などでは全くなくて、ただただマイケル・ヴァルタンを拝みたかったからなのでした。最近、「アリー・myラブ」を久しぶりに見ていて、もともと、チョイ役のジョナサンを演じていた彼が素敵だなーと思っていたのだが、あのドラマもオンエアされて既に10年以上、、、ジョナサンも素敵というより、可愛いなー、とオバサンになった私の目には映ってしまった、、、トホホ。

 でも、本作での彼は、37歳ですかね。相変わらずおキレイでした。あまりにもキョーレツな女性2人に挟まれ影薄かったですけどね。彼が、ジェーン・フォンダを(もちろんセリフでですけど)ぶちのめす意外性溢れるシーンが見たかったよ。


J.Loがゴツ過ぎて意外性まったくナシ




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