作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv88448/
以下、公式HPからあらすじのコピペです。
=====ここから。
7歳のノラが小学校に入学した。しかし人見知りしがちで、友だちがひとりもいないノラには校内に居場所がない。
やがてノラは同じクラスのふたりの女の子と仲良しになるが、3つ年上の兄アベルがイジメられている現場を目の当たりにし、ショックを受けてしまう。優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、なぜかアベルは「誰にも言うな」 「そばに来るな」と命じてくる。
その後もイジメは繰り返され、一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラは、やり場のない寂しさと苦しみを募らせていく。
そして唯一の理解者だった担任の先生が学校を去り、友だちにのけ者にされて再びひとりぼっちになったノラは、ある日、校庭で衝撃的な光景を目撃するのだった……。
=====ここまで。
ベルギー映画。
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チラシを見てから気になっていた本作。劇場に行くか、ちょっと迷ったのだけれど、見に行って正解でした。
◆元イジメ被害者として思うこと。
まさに、学校という地獄を活写する映画。残酷物語。子どものサバイバルな毎日を、ノラの目線に徹したカメラで描くので、見ている方は完全にノラの世界に没入させられる。ドキドキさせられ、終始胸が締め付けられっぱなし、、、という、めちゃくちゃストレスフルな映画だった。
でも、これは、親、教師、全ての大人が、見たほうが良い。子どもの世界の厳しさを思い知らされる。
大人たちは皆、昔は子どもだったのに、なぜか子どものことが分からない。子どもは、恐らく、大人が考える以上にいろんなことを考えているし、気を配っているし、悩んでいるはず。本作を見ると、子ども時代を生き抜いた者たちは、結構なサバイバーなのだ、、、ということがよく分かる。
私も、小学生の時に近所の有名なイジメっ子・Kちゃんに、まあまあなイジメをされていた。入学式のとき、私がKちゃんと同じクラスになったことを知ったYちゃんのお母さんが、私の母親に「Kちゃんと一緒のクラスだ」と同情の笑みを浮かべて言っていたのを、今でもはっきり覚えている。私の母親も心配だったろう。そして、その心配は図星となった。とはいえ、Kちゃんのイジメは身体的なものではなく、悪口、仲間外れ、私物を隠すなどの嫌がらせ、、、、といった、本作でアベルがされていたことに比べれば穏当ではあった(という言い方が妥当かどうかは別として、、、。あと、男女の違いもあるかも知れん)。でもまあ、こういうのが続いて、結局、私の母親はKちゃんの家に私を連れて乗り込んだのだった。私は、余計にイジメが酷くなるのを恐れたが、意外にも、その翌日からKちゃんのイジメはぴたりと止んだ。
……が。結局、Kちゃんがイジメっ子から脱却することは、なかったのだった。対象が別の子に移っただけ。そして、私はイジメっ子集団に加えられた。
でも、このとき驚いたのは、Kちゃんの行動ではなく、私の母親の言葉だった。私はKちゃんグループにいるのが嫌で、母親に「今日、グループから抜けた」と学校から帰るなり報告したら、何と母親は「は? 何で?? グループにおった方がええんと違う……?」と困惑気味に言うのだ。
つまり、イジメに加担しろと。自分がイジメられないために、イジメっ子集団にいろと。
本作でも、アベルのイジメが学校に露見し、校長が出てくる事態となって、アベルへのイジメは止んだが、アベルはイジメ仲間に加わった。つまり、被害者から加害者へ転じたのだ。こうすれば、自分にイジメの矛先が向くことはない。
その後、Kちゃんとどうなったのか、、、というと、私がちょっとでも話したり遊んだりする子を片っ端から自分の仲間に取り込んでいき、私を孤立させることに余念がなかったKちゃんだが、ひどいイジメを私に対してしてくることはなかった。また、Kちゃんのイジメが担任にバレて叱られてもいた。その時の担任は女性で(多分、30代だったんじゃないかな)、割と厳しい先生だった。やはり、担任教師の態度というか、イジメっ子に対する姿勢は、イジメが酷くなるかならないかの分水嶺となる。イジメっ子は、教師ら大人たちの言動に人一倍敏感な生き物なのだ。
あの時は母親の言葉に驚いたが、もし私があの時の母親の立場だったら、どうするだろうか。娘に「そうか、それでいいんだ。イジメに加担するなど絶対悪なんだから!」と言うだろうか? 言わないだろうな。イジメっ子集団にいろ、とも言えないが、ただただ心配で「大丈夫?」と聞いてしまうかも。でもそれって、娘の判断やサバイバル力を信じていない、ということにもなる。……本当に、親は難しい。
だから、母親のあの時の言葉を、今でも許せないとか信じられんとか、、、そういう気は微塵もない。あれは、彼女の正直な心の声だったのだ。
ちなみに、Kちゃんとの後日談。Kちゃんは、確か3年生のときに引っ越して行った。おかげで、残りの小学校人生、イジメとは無縁だった。……が。……中学でまた一緒になることが分かり、母親は青くなって、入学予定の中学に「ウチの娘とKちゃんのクラスを別にしてください」という趣旨の手紙を書いた。で、どうやら、マジで私とKちゃんは同じクラスになる予定だったのを、別にしてもらったみたいだった。……けれど、中学で再会したKちゃんは、まるで別人。かつてのボス猫はすっかり牙が抜かれて、大人しいその辺の猫になっていた。転校先でイジメに遭っていたらしい、、、というのは後日聞いた話。中学3年の時は同じクラスだったが、お互いほとんど接点のないクラスメイトとなっていた。……これって、ハッピーエンドかね?
◆相談しろ、、、って言うなら、ちゃんと最後まで対応しろ。
ノラは入学するときは心細くて兄のアベルからくっ付いて離れようとしなかったのが、本作の終盤では、アベルの妹であることで自分までもが周囲から白い目で見られることに耐えきれず、アベルに暴言を吐き厄介払いしようとするまでになる。
兄思いの妹の激変っぷりに心が痛むが、ここに至るのはノラのせいではなく、周囲の大人たちの無策のせいである。なぜなら、子ども一人にできることなど、ほぼ“何もない”からである。大人たちは「悩みがあったら、イジメられていたら相談しよう」と言うけれど、そもそも、子どもは相談するということに考えが至らないのではないか。
ノラは、親や先生に助けを求めようとしたり、実際助けを求めるが、アベル自身による拒絶に遭ったり、親の行動、教師の対応が不適切であったりして、全て事態が良くない方向に進んでしまう。
親として、学校として、どう対応するのが正解なのか。親として、、、は、前述のとおり、難しい所が多いと思うが、学校がまずすべきは、加害者の隔離、一択ではないだろうか。
「相談しよう」を真に受けて相談したものの、話だけ聴かれて、事後対応ナシ、、、なんてことはザラである。大人の世界のハラスメント対応の大半はコレではないだろうか。窓口で真剣そうに傾聴してくれるものの、その後の対応は遅々として取られない。相談者の話を真剣に聴いている振りをして「ちゃんと対応しました」となっているのでは。子どもの世界も大差ないだろうが、これ、会社だって学校だって、本質的には対応するのが面倒臭いのだ。対応するとなると、ハラスメントやイジメの実態を調査しなければならないし、加害者は一筋縄ではいかない者が多いわけで、せいぜい対応するとしても加害者への聴き取りか、よくて口頭注意だろう。そんなんで、加害者が反省することは絶対にない。
被害者が追い詰められて自死しても、会社や学校などの組織は、絶対に非を認めないのが現実社会である。つまり、何の躊躇もなく加害者に与するのだ。
本作でのアベルへのイジメはイジメを超えて、暴行or傷害の立派な犯罪である。最近は、日本でもイジメに対して警察が対応するようになってきているが、明確な証拠がないと、警察に被害申告することも難しい。
イジメにしろ、ハラスメントにしろ、加害者に寛容過ぎると思うのだよね。これ、日本だけじゃなく、世界中同じみたいだが。本作もベルギー映画だし。
◆その他もろもろ
アベルのイジメは、自分がされてきたからか、非常に執拗で残忍である。あそこまでいくと、自分の安全圏を確保するためというより、やられていた分をやり返す、、、的に見える。しかも、相手は自分をイジメていた人間ではなく、自分よりさらに弱い人間である。
アベルを疎んじていたノラは、アベルのそんな姿を見て動揺し、何とかやめさせようとするが、どうしてよいか分からない。エスカレートするアベルの行動に、見ている方も心削られる、、、。嗚呼、この子たち、どうなっちゃうんだろう、、、。
……ラストシーン、ノラのとった行動が泣けてくる。ほんのちょっとだけ救いがある。あの後、あの兄妹はどうなるのか、、、分からないけど。でも、兄と妹の愛情が再生したのだと思いたい。とはいえ、鑑賞後感は異様に重い。
監督はダルデンヌ兄弟やハネケ、オストルンドなどの影響を受けているとのことで、そう言われてみれば似た雰囲気も感じられる。あるレビュワー氏は、ダルデンヌ映画のジェネリック作品だと書いていたが、全ての芸術作品は何かしら既存の作品の影響を受けているのであり、そんなこと言ったら、あの映画もあの小説も、全部ジェネリックだろうよ、、、としか思えない。
ドキュメンタリーかと一瞬見紛う映像だが、とにかく、子役たちの演技が素晴らしい。演出力の為せる業だね。子どもの自然な演技、、、というのは、こういうのを言うんじゃないのかね。自然に動かす、、、のが自然な演技ではないのだよ、、、と、あの監督に言いたくなる。
精神的に弱っているときは見ない方が良い(と思う)。