映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ある女流作家の罪と罰(2018年)

2019-08-24 | 【あ】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/90813/

 

 以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 かつてベストセラー作家だったリーも、今ではアルコールに溺れ、仕事も続かず、家賃も滞納、愛する飼い猫の病院代も払えない。生きるために著作を古書店に売ろうとするが店員に冷たくあしらわれ、かつてのエージェントにも相手にされない。

 どん底の生活から抜け出すため、大切にしていた大女優キャサリン・ヘプバーンからの手紙を古書店に売るリー。それが意外な高値で売れたことから、セレブの手紙はコレクター相手のビジネスになると味をしめたリーは、古いタイプライターを買い、紙を加工し、有名人の手紙を偽造しはじめる。様々な有名人の手紙を偽造しては、友人のジャックと売り歩き、大金を手にするリー。

 しかし、あるコレクターが、リーが創作した手紙を偽物だと言い出したことから疑惑が広がり……

=====ここまで。

 オスカーにも何部門かノミネートされながら、いずれも受賞を逃したせいか日本では劇場未公開。

 

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 TSUTAYAの新作リストで出ていて、面白そうかも、と思って見てみました。何で劇場公開されなかったのか、、、。少なくとも、『天才作家の妻 -40年目の真実-』よりはゼンゼン面白かったゾ。

 

◆難易度の高い犯罪

 主人公のリー・イスラエルは、“作家”と言っても小説書きではなく、ノンフィクション、伝記作家の方ね。リーが“伝記作家”であったことが、この話では鍵になる。ちなみに、本作の元ネタは実話だという。

 本作の中で、リーはいとも簡単に有名人たちのニセ手紙を書いているように見える。けれども、この“偽造”は、もの凄くハードルの高い技だと思う。

 ただ有名人に起きた出来事をそれっぽく文章に書けば良いという単純なものではない。文章自体はタイプライターで打つのだが、文体や言い回しを本人の特徴に合わせなければいけないし、もちろん、事実に沿った内容でなければならないし、読ませる文面にしなければならない。

 何より、バイヤーが言うとおり、「刺激的な事実の告白」があればより高く売れるわけだから、いかにそれらを悪目立ちすることなく折り込んで本物っぽく仕立て上げるかというのは、ハッキリ言って、伝記を書くより何倍も難しいのではないか。

 そもそも、簡単に伝記と言うが、ノンフィクションを書くには、まず、綿密で広範な取材を行う必要があり、その取材成果から何を書くのかの取捨選択をしなければならず、さらに“売れる本”に仕上げるのには、読んで面白い内容と文章を書かなければならないという、大変なテクニックとエネルギーが必要なのだ。その上で、手紙を偽造となれば、さらにハードルが数段上がるはずだ。

 いくら生活に困って追い詰められたからと言っても、並のライターがそんなことをしたら、すぐにバレて買ってももらえないはずだ。しかし、リーの偽造手紙は、コレクターが皆目の色を変えて買うのである。文書偽造という立派な犯罪にもかかわらず、正直、見ていて痛快な気分になる。

 こんな才能があるのに、エージェントと上手く行かず、時代の流れに取り残されて、書きたいものが書けずに生活に困窮してしまうなんて、何というか、リー自身にとってももったいないが、社会にとっても損失だと思う。……まぁ、リーに限らず、社会に埋没している優れた才能なんて数え切れないほどあるとは思うが、、、。

 本当に優れた才能なら必ず日の目を見るはず、というのは、やっぱりちょっと違うだろうなぁと思う。余談だが、数週間前の新聞に出ていたが、ハリウッドの役者の世界では、役者自身の才能よりも、良い作品に恵まれたかどうかの方が売れっ子になる要素としては大きいという、真面目な調査結果もあるらしい。ライターの世界でも同じで、作品が日の目を見るかどうかは運に左右される部分も大きいだろう。

 ともかく、才能をイケナイ方向に使ってしまったリー。もうちょっと控えめにやってりゃ良いものを、調子に乗ってやり過ぎた。

 そこで偽造ができなくなったからってやったことが(ここでは敢えて書かないケド)、、、、これはさすがにマズイし、見ていても痛快さはまるでない。そして、これは、一発でバレて捕まってしまうのだ。万事休す。

 リーが法廷で裁判長に弁明する、その内容に胸が詰まる。

 

◆アラフィフ女とゲイの友情物語

 この映画は、一応、リーの才能が実現可能にした犯罪を描いているのだが、本作が面白い映画になっているのは、リーとゲイの友人ジャックとの友情を丁寧に描いているからだろう。

 単にリーがどうやって巧みに偽造手紙を書いたか、、、ということを描写したのであれば、テレンス・スタンプ主演の『私家版』のようなサスペンス映画っぽくなったはずだ。

 『私家版』も非常に面白い映画だったから、どちらが良いという訳ではなく、本作は、ジャックの存在が非常に重要だと感じた。リーは、性格的にもちょっと問題があるので親しい友人はおらず、可愛がっているネコだけが心許せる相手だったところへ、ジャックと何の利害関係も恋愛要素もない純粋な友情が自然に育まれていく様は、見ていてホッとさせられる。

 ちなみに、リーの偽造がバレたのには、リーがあまり紙にこだわらなかったからとも言われているらしい。文体や内容には非常に凝ったのに、紙はその当時にはなかった透かしの入ったものを使うなど、かなり無頓着だったらしい。引き換え、『私家版』ではテレンス・スタンプが微に入り細を穿って偽本を作っていて、その描写が息を呑むほどスリリングだった。

 ジャックは一見チャランポランなんだが、根は思いやりがあって、イイ奴なのだ。リーの偽造にも協力し、見返りも求めない。私がグッときたのは、悪臭漂う荒れきったリーの部屋を、鼻をつまみながら掃除してあげるジャックの姿。ベッドの下にネコの糞が大量に溜まっているのも、「ギャ~」とか言いながらキレイにしてあげる。こんなこと、私にはムリ。

 またまた余談だけど、リーが住んでいるアパートの部屋は掃除をすればなかなか良い部屋で、あんな部屋、住んでみたいと思ったくらい。欧米の住まいって、壁に作り付けの棚がある部屋が多くて素敵よねぇ。リーの部屋もあちこちに作り付けの棚があって、羨ましい。私も壁の棚が欲しくて、壁一面の棚をオーダーしてしまったくらいだけど、それでもやっぱり作り付けの壁の棚とはちょっと趣が違う。ああいう棚のある部屋に住みたいわ~。

 で、ジャックなんだけど、終盤に弱った状態になってリーと会うシーンが哀しい。もう、何もかも済んで、リーも偽造から足を洗っていてお互い笑顔で話しているんだけど、ジャックはエイズを発病していることが分かるんだよね。もちろん、リーも分かっているんだけど、敢えてジョークを言ったりして、、、。泣ける。

 リーを演じているのはメリッサ・マッカーシーで、アメリカでは有名なコメディエンヌらしいが、非常に演技も上手い。酒ばっかし飲んでブータレているアラフィフ女を実に巧みに演じている。ジャックは リチャード・E・グラント。ホントにゲイじゃないの?ってくらいハマっていた。  

 

 

 

 

 

原題“Can You Ever Forgive Me?”の方が切ないね、、、。

 

 

 

 

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ミクロの決死圏(1966年)

2019-08-21 | 【み】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv8680/

 

 以下、wikiよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 物質をミクロ化する技術が研究されていたが、ミクロ化は1時間が限界でそれを越えると元に戻ってしまう。アメリカはこの限界を克服する技術を開発した東側の科学者を亡命させるが、敵側の襲撃を受け科学者は脳内出血を起こし意識不明となる。

 科学者の命を救うには、医療チームを乗せた潜航艇をミクロ化して体内に注入し、脳の内部から治療するしかない。はたして1時間のタイムリミット内で、チームは任務を遂行し体内から脱出できるのか。

=====ここまで。

 SF映画の名作。リメイク話もあるとか。

 

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 先日BSでオンエアしていたのを録画。懐かしい~。私が子供の頃はしょっちゅうTVでオンエアしていたが、何十年ぶりかで再見。さすがに今見ると色々と稚拙だが、人間がミクロレベルのサイズになって人間の体内に入って治療する、というアイデアは抜群に面白い。

 ……と思っていたが、我らが手塚治虫が生み出したネタのパクリ疑惑もあるらしく、、、。手塚のパクリといえば、今公開中の『ライオン・キング』も、、、と言われているよねぇ。まあ、真相は知らんけど、手塚治虫の描き残した膨大な作品数を思えば、その中に多くの元ネタがあると考えても全く不思議はない。

 ここからは、本作が非常に画期的で素晴らしい映画だという前提で、敢えてヤボな突っ込みを少々。

 私が一番、えぇ~、、、と思ったのは、この人類初であろう最先端プロジェクトの実施にもかかわらず、その実行部隊のメンバーは泥縄式に決められ、たった1時間しか潜入できる時間がないというのに一度もシミュレーションもなく、当然、メンバーにもその認識の共有はされず、、、とまあ、とにかくぶっつけ本番なところが、すげぇ、、、!!と感嘆させられた。

 たしかに、そんな事前準備の話は、あんまし面白くないかも知れないが、いくらなんでもねぇ、、、。ワンシーンでもいいから、ちょっと入念な準備をしたんだよ的な描写を入れた方が、それっぽくなったんじゃないのか? ……なーんてことを思ってしまった。

 でも、人間自身が、人間の体内では異物とみなされる、、、人間が人体の仕組みに攻撃されるという話のロジックが面白い。実際、メンバーの一人は人体内で白血球に殺されるんだもんね。

 そしてまた、ミクロ化したメンバーが体内から脱出してくるところもユニーク。実際、あんなこと可能なのか分からないけど(無理っぽい気がするが)、涙に混じって目から出て来た3人を、待ち受けていた男がルーペをかざして涙の中で泳ぐ3人の姿を確認しながら採取する、、、なんて面白すぎ。あんなしょぼいルーペであんなにクリアに見えるのかねぇ、、、?

 とまぁ、しょーもないツッコミを書いてしまったけれど、そんなことは基本的にはどーでも良いのです。

 ストーリー的には、いろいろトラブルが発生する割には、ほとんど全部すんなり切り抜けていたり、割と予想どおりに話が展開したりと、意外に山ナシ。ハラハラ・ドキドキもほんのちょっとで、全体的にはアッサリ系。

 とにかく、本作はただただ“アイデア勝ち”な作品なのだ。

 メンバーのうち、ただ一人死んでしまうマイケルズ博士を演じていたのは、あのドナルド・プレザンス。やっぱし、彼は悪役向きだよねぇ。「刑事コロンボ」での名演が印象的な彼だけれども、本作でもインパクトある存在だった。最後、白血球に飲み込まれちゃうのはちょっと可哀想だったけど。結局、彼がレーザーの機械も壊していた、ってことなのかな?

 本作こそ、リメイクされても良さそうなものだけど、制作から50年以上経って一度もされていないことがむしろ不思議。一応、リメイク企画はあるようだけれども、どれだけ実現性のあるものなのかもよく分からないし。今ならきっと、もっとリアルでスリリングで面白い映画にできそう。もちろん、それも脚本や監督次第だけど。せっかくの古典名作をリメイクするのなら、是非とも真面目にクオリティの高いものを作っていただきたい。それがオリジナルへの敬意というものでしょう。

 あと、この邦題は秀逸。原題『Fantastic Voyage』よりも、緊張感があって、見る者に期待を持たせてくれる。邦題の方が良い、稀なる作品だと思う。

 

 

 

 

 

潜入メンバーの中にグラマー女性一人ってのが時代だね。

 

 

 

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顔のない眼(1959年)

2019-08-18 | 【か】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv12922/

 

 自分の過失が原因の交通事故で、娘クリスティーヌ(エディット・スコブ)の顔面に大やけどを負わせてしまった高名な外科医の男ジェネシェ(ピエール・ブラッスール)。責任を感じるジェネシェは、過去に顔面皮膚移植を施して美しい顔を取り戻すことに成功した助手のルイーズ(アリダ・ヴァリ)に手伝わせ、クリスティーヌと同じ年格好の女性を拉致してその顔面から皮膚を剥ぎ、クリスティーヌに移植する手術を繰り返すが、毎回失敗に終わっていたのだった。

 そして、クリスティーヌは移植が失敗に終わる度に「こんな顔になるなら、目も見えなくなれば良かったのに。死にたい」と絶望する。

 ある晩、またルイーズが拉致してきた女性エドナから、ジェネシェは再び顔面の皮膚を剥ぎ、クリスティーヌに移植する。突然、顔を失ったエドナは絶望し、ジェネシェの病院の上層階から飛び降り自殺してしまう。そして、今回の移植も、数日後にはまた失敗の結果が明らかになるのだった。いよいよ絶望を深くするクリスティーヌ。

 しかし、懲りずにルイーズはまた若い女性を拉致してくるが、運良く、皮膚を剥がされる前にクリスティーヌ自身の手によって解放される。それを見たルイーズはクリスティーヌを止めるのだが、、、。

 

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 ゴーモン特集で一番見たかったのは本作でした。TSUTAYAでDVDも借りられるみたいだけど、せっかくスクリーンで見られるのだからと、酷暑の中、見に行ってきました、、、。

 

◆思っていたよりグロい。

 クリスティーヌが普段着けているマスクが何とも不気味なんだけど、ネットで感想をいくつか拾い読みしたら、やっぱり同じある人の名前が浮かんだ人が多かった様子。もちろん私も。……その名は“スケキヨ”。まあ、スケキヨの方がより不気味だったような気もするが。

 一度だけ、クリスティーヌがマスクを取るシーンがある。映さないかと思って見ていたら映していて、もう楳図かずおのマンガそのまんま。心の準備が出来ていなかったので、思わず、うわっ、、、とのけぞってしまった。ま、映るのは一瞬だけど。しかも、ちょっと紗がかかっている感じで、そこまでグロじゃない。

 想像以上にグロかったのは、手術シーン。拉致してきたエドナからジェネシェが皮を剥ぐところを、かなりしっかり延々と描写するのだ。助手のアリダ・ヴァリ演ずるルイーズと2人がかりで、剥ぐところの輪郭をクレヨンで描いて、メスで切って、鉗子でもって剥いでいくという、、、かなりウゲゲなシーン。思いっきり皮が不自然な感じではあるけど、相当リアルで、CGの精密な映像を見慣れた眼にもグロく映ったので、公開当時に見た人たちはさぞやビビッたことだろう。

 ジェネシェが汗だくになりながら、そして、ルイーズがその汗を拭きながら、皮を鉗子とメスで剥いでいく。そして、その皮をクリスティーヌに移植する。移植直後、美しい顔を取り戻したクリスティーヌの素顔も映る。お人形さんみたいに可愛らしい素顔だが、ジェネシェはルイーズに「あれは失敗だ、、、」と言い、事実、その後、次第にクリスティーヌの顔は少しずつ皮膚が壊死して黒ずんでいき、最後には顔面が崩れる。その過程も描写される。

 何というか、この一連の「手術→美しい顔を取り戻す→少しずつ顔面崩壊」の過程を見せる辺りが科学番組みたいで、一瞬、自分が「何を見ているんだっけ?」みたいな感覚になった。それくらい、リアルな感じだったから。

 しかし、何度もそんなことを繰り返していられるわけもなく、女性の行方不明事件で警察が動き出すし、クリスティーヌ自身が事故前に婚約していた男性に恋しさが募って電話をかけてしまうし、、、。何より悲痛なのは、クリスティーヌ自身、父親が、今となってはクリスティーヌのためではなく、人体実験を繰り返すマッドサイエンティストと化してしまっていることに気付くのだ。

 まあ、終盤の成り行きは実際に見た方が良いと思うのでここでは書かないけれども、この話においてはこの結末しかあり得ないだろう。ラストシーンがとても幻想的で美しい。マスクを着けてネグリジェのまま森へとさまよい歩いていくクリスティーヌの後ろ姿は、もの哀しいけれども、神々しくもあった。

 

◆以下、余談。

 マッドサイエンティストといえば、Eテレで「フランケシュタインの誘惑E+」という番組がオンエアされているが、これがマッドサイエンティスト特集みたいな番組。

 以前「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」というタイトルでBSでオンエアしていたが、それを再編集したもの。BS時代から欠かさず見ていたけど、マッドサイエンティストと天才科学者は表裏一体なのだとつくづく思う。マッドと周囲の目に映るくらいに究めなければ、成し得ない研究は当然あるはずだ。

 名誉欲が探究心を上回ったとき、恐らく、マッドサイエンティストに豹変するのだろう。最初から名誉欲が探究心を上回っていた人も大勢いるようだが、、、。本作は映画だが、本物のマッドサイエンティストの物語は、もっとグロくて悲惨で哀しいものだ。

 そういう意味では、本作は、やはりマッドサイエンティストの物語というよりも、『顔のない眼』というタイトルが表わすとおり、顔を失うことの悲痛さを描いた物語として見るべきなのだろう。

   

 

 

 

 

 

タイトルが秀逸。

 

 

 

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ルル(1980年)

2019-08-15 | 【る】

作品情報⇒https://www.institutfrancais.jp/yokohama/agenda/loulou/

 

以下、ゴーモン特集のチラシよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 広告業を営む夫アンドレと裕福で快適な生活を送りながらも、退屈を感じていたネリーは、ダンスパーティーでルルという魅力的なワルと出会い、肉体的に強く結ばれる。

=====ここまで。

 モーリス・ピアラ監督の自伝的な映画。ネリーをイザベル・ユペール、ルルをジェラール・ドパルデューが演じている。

 

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 ゴーモン特集、過去にもあったみたいだけど、今回ようやく行くことが出来ました。今回は、 約1か月にわたる企画上映で、作品数も多い。これは見なくっちゃ! と思ってスケジュールを見たけど、平日の最終回上映が最初の週以外は17時より早いという、、、。行けるわけねーだろ!とガックシ来たんだけど、まあ、休みの日でなるべく見たい作品を見ようと、どうにか4作品、見ることが出来ました。

 見たのは、『鱒』『不滅の物語』『顔のない眼』と本作。『鱒』は日本が舞台になっていて、畳の上を土足で歩いちゃうユペールとか、面白いところもあったけど概ね退屈だったし、『不滅の物語』はやっぱし私、オーソン・ウェルズが苦手っぽいのかイマイチ楽しめなかったので感想はパス。

 他の2作品のうち、まずは、この『ルル』から感想を。

 

◆嗚呼ドパルデュ~~~♪

 『鱒』に続いて、小悪魔を演じるユペールさま。若いのぉ、、、。現在も年齢不詳でキレイだけど、やっぱし若い頃の美しさはまた格別。美しいというか、プリチィーでキュート。

 冒頭、神経質そうな夫にネチネチ文句を言われブチ切れるユペールの演技がもの凄い! 見ている私まで叫んじゃいそうな気持ちになった。「私の人生から消えてぇ゛~~~~!!!」と絶叫するネリー。この気持ち、ものスゴくよく分かるわ~、と思って見ていた。私も大昔、戸籍上の元夫に同じことを同じテンションで言ったから。私はモノも投げたけどね。ホント、消えて欲しいとしか言いようがないのよね。

 でも、このネリー、ワケ分からん女。そこまで絶叫した夫と、その後のシーンでは腕を組んで食事に行ったりするのである。とはいえ、別に夫のこと、大して好きじゃなさそうなのよね。興味がない、という感じ。……まぁ、あの夫も魅力ないからねぇ。

 とはいえ。じゃぁ、ダンパで出会ったロクデナシのルルが魅力的かというと、私の目にはゼンゼン、、、。ドパルデュー、若い頃も醜男。作中でも「あんな男どこがイイの? 醜男だし!!」みたいなことをネリーは言われている。ただ、若い頃の彼の全身像をじっくり見たのは今回が多分初めてだと思うんだが、思ったより脚長かった。デカいけど短足、というイメージがあったんだけど、それはどうやら私の勝手な思い込みだったらしい。短足呼ばわりしてごめんね、ドパルデュー。てか、ドパルデューって、すんごいキー打ちにくいんですけど、、、。

 もう、ルルとネリーは発情期の犬みたいなんだが、笑ったのは、セックスしている真っ最中にベッドが壊れて傾いちゃったシーン。なんか、絶妙な壊れ方してた、あのベッド。慌てて、全裸で直そうとするドパルデューがまた滑稽で笑える。当然、そんな簡単に直らないから、その沈んで傾いたままのベッドで再開するんだけど。

 

◆金持ちのクソ男<<<<無職の床上手

 ま、特にストーリーがあるわけじゃなく、ルルとネリーの自堕落な、というか、行き当たりばったりの発情物語が展開されるだけで、そこにケンカや妊娠という要素が入ってはくるけど、構成面で見るとツマンナイかも知れない。

 けれど、とことんダメダメな男が、なぜかカワイイ気ままな女にとことん惚れられるヘンテコリンな成り行きを見ていると、なんじゃこりゃ、、、と思いながらも可笑しくて、飽きずに最後まで見ちゃいました。

 ネリーと夫が別居後に会うシーンで、夫が、ネリーとの復縁に期待を持って、「明日の5時に電話するよ!」と約束して別れるんだが、その明日の5時になって律儀に夫が電話すると、寝ぼけ眼で電話をとったネリーはルルと全裸で抱き合った状態でベッドの中。ネリーに素っ気なく電話を切られた夫は、なぜか側にあったサックスを吹き始める。、、、というシーンでは、会場でも笑いが起きていた。万事この調子で、はぁ??というシーンの連続。

 「金持ちのクソ男より無職の床上手の方がイイ」……とは、ネリーのセリフ。上手いこと言う。まぁ、私は、いくら床上手でもドパルデューじゃ、ちょっとなぁ、、、。

 終盤、ネリーが堕胎してから以降は、ちょっとシンミリするが、ラストも相変わらず、、、という感じだったから、当面あのままあの2人は行くんだろう。破滅は目に見えているけれど。

 ルルは、何があっても絶対働こうとしないし、腹を刺されても酒を飲み続ける“クソ野郎”なんだが、たまには掃除機をかけたりする可愛さもある。なんか、そういうところがネリーの女心をくすぐるのかね? 私には理解不能だけど。

 ドパルデューの魅力が分かるような分からんような映画でありました。

 

 

 

 

 

無職の床上手のクソ男、いかが?

 

 

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よこがお(2018年)

2019-08-13 | 【よ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67247/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 初めて訪れた美容院でリサ(筒井真理子)は、和道(池松壮亮)という美容師を指名する。数日後、和道の自宅付近で待ち伏せ、偶然会ったふりをして、近所だからと連絡先を交換するリサ。和道を見送った彼女が戻ったのは、窓から向かいの彼の部屋が見える安アパートの一室だった……。

 リサの本当の名前は市子。半年前までは、その献身的な仕事ぶりで周囲から厚く信頼されていた訪問看護師であった。訪問先の大石家の長女・基子(市川実日子)には、介護福祉士になるための勉強まで見てやっていた。だが、基子は市子に対して憧れ以上の感情を抱いていた……。

 そんなある日、基子の妹・サキ(小川未祐)が行方不明になる。まもなく無事保護されるが、逮捕された犯人は意外な人物だった。事件との関与を疑われた市子は、ねじ曲げられた真実と予期せぬ裏切りにより、築き上げた生活の全てを失ってしまう。

 自らの運命に復讐するように、市子は“リサ”へと姿を変え、和道に近づいたのだった。やがて、和道はリサの不思議な魅力に惹かれていくが……。

=====ここまで。

 注目の深田晃司監督作。

 

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  チラシを見たときから、見たいなぁ、、、と思っていた本作。なんと今月末で終映だとか。前評判高かった割に、短くない? あんまり興行的にはよろしくなかったのかしらん?

 面白かったんだけど、いろいろ思うところもあり、、、。(ネタバレバレしております)

 

◆序盤から不穏そのものなんだけど、、、

 中盤までは不気味さ全開で、スゴい引力。こりゃぁ面白い! と思っていたんだけど、市子がどんどん追い詰められて行くに従い、展開が凡庸に、、、がーん。想像どおりに展開していくストーリーはやっぱりちょっとつまんない。少しずつ裏切られたいのよね、見ている方としては。

 ……というか、前半も、例えば喫茶店で市子と基子、サキの3人がいるところへ市子の甥っ子・鈴木辰男がやって来たときに、“むむ、、、この甥っ子はもしやヤバいのでは??”と予感させるものはある。それくらい、辰男くんは、なんか雰囲気がおかしい。そして、案の定、リサを連れ去り換金、じゃなくて監禁していたという、、、。

 んで、甥っ子が犯した罪の累が市子に及ぶわけだが、その及び方が、どうにもこうにもイヤらしい。何か、逃れようのない蜘蛛の糸に絡め取られた蝶のよう。実際、最初は、職場の人たちも、婚約者の戸塚も、“それとこれとは別”という認識で、市子に接していた。しかし、基子が話を“盛って”メディアに話したことで、一気に市子は周囲からも見放されるという事態に。自分の管轄外で勝手に事態が悪化して自分の居場所を侵食してくるという、市子としてはもう手も足も出ない状態。あとは、蜘蛛の餌食になるのを待つしかない、、、。

 と、この辺までは良かったのに、市子が復讐に出てからは、非常にありがちな、2時間ドラマみたいな話になってしまって、うぅむ、、、という感じだった。

 キャッチコピーにも「ある女のささやかな復讐」とあったが、ささやかというよりは、みみっちぃという感じ。しかも、結果的に復讐にすらなっていなかったし。結果が不発だったとしても、毒のある復讐なら良いのだけど、基子の彼氏・和道を寝取るという、あまりにもありきたりでみみっちい内容が、ちょっと、、、。

 でも、そういうところも市子という女性の人間性を表わしているのだろうな、とも思った。彼女は、根っからの善人なんだよね。だから、復讐と言っても、彼氏を寝取ることくらいしか思い付かない。まぁ、そういう私も、自分が市子だったらどんな復讐を思い付くかと想像してみたんだけど、これが全く思い付かない、、、ハハハ。

 ちなみに、私が毒のある復讐を思い付かないのは、私が善人だからではなく、復讐すること自体に意味がないという思考回路だからです。強いて基子への復讐とするのなら、戸塚とは別れないで結婚して、目一杯、基子に幸せを見せつけてやることかなぁ。

 

◆市子の復讐は果たされていたのかも。

 しかし、見終わった直後はそのように考えていたのだけど、丸一日以上経って、考えがちょっと変わった。

 上記のあらすじにも「基子は市子に憧れ以上の感情を抱いていた」とあるが、あるシーンからは、それが恋愛感情だと臭わせるものがある。私自身その描写に、ちょっと「ん??」となったのだが、スルーしていた。でも、よくよく考えると、そうなのだ。基子は市子を恋愛対象として好きだったのだ。だから、彼女が戸塚と結婚すると聞いて、逆上したわけよね。

 とすると、市子は、基子の彼氏と寝たことで、やっぱり復讐は果たせているのでは。もちろん、市子の考えていた構図とはゼンゼン異なるけれども。彼氏が市子と浮気したことではなく、市子自身が基子の彼氏と寝ることが、基子へのダメージになるのだ。

 もちろん、その前に、基子は市子に謝罪をしようとして激しく拒絶されている。この時点で、基子はダメージを受けてはいるだろうが、ある意味、想定内の出来事だろう、これは。でも、市子が和道と寝ることは、基子にとってかなり想定外だと思う。基子は、相当衝撃を受けたとも考えられないですかねぇ?

 実際、基子はラスト近くで市子の目の前に現れたとき、あんまり幸せそうじゃない。市子と同じヘルパーの仕事に就いたようだけれど、その表情はどこか虚ろで、生気がない。憧れの職に就いたのなら、もっと生き生きしていても良いのでは?

 そして、このとき、市子は車に乗っていて運転席にいた。信号待ちをしている目の前で、基子が横断歩道上で拾いものをしていて、思わず市子はアクセルに脚を掛けるものの、思いとどまり、クラクションを激しく鳴らす。……で、この場面、私が監督だったら、市子に基子を撥ねさせるかなぁ、と考えた。そして、基子は市子の介助なしでは生きられない状態になる、、、とかね。でも、それだと映画のジャンルが違ってきちゃうかな。

 まあ、それはともかく。……とにかく、市子の復讐は、図らずも果たせていたのでは? という結論に至った次第。監督の意図は那辺にアリや。

 

◆人を不幸にする女

 あと、もう一つ思ったことは、これ、主人公を基子にした方が良かったんじゃないか? ということ。……まあ、そうすると、筒井真理子さんは主役ではなくなるけれども。

 だって、市子は、あまりにもフツーの女性で、それ故、中盤以降が尻すぼみになったと思うのよ。でも、基子ってのは、ある意味、本当に怖ろしい人間だから、こっちを主役にした方が、スリリングな展開にできたんじゃないかな~、と。シレッと人を不幸のどん底に陥れちゃう人。そして、その後もシャーシャーと生きている。あの『ダメージ』でビノシュが演じていた女みたいな。まあ、あれもジェレミー・アイアンズ演ずる被害者が主役だった。

 そうすると、市子の復讐は、やっぱり復讐にならない、、、って結果になるけど、それはそれで、基子の物語にしちゃえば面白いとも思う。

 

◆その他もろもろ

 筒井真理子さまは、『淵に立つ』と同様に、巻き込まれ女を実に巧みに演じておられました。本作を見る前に、一応予習として『淵に立つ』を見たのだけど、個人的には『淵に立つ』の方が好き。あの終始貫かれた不穏さは、何と言っても筒井さんに負うところ大だもの。話の展開も、本作より不気味で怖ろしかった。

 市川実日子は、相変わらず上手い役者さんだ。若い頃は、可愛くて謎めいた感じだったけど、今は、基子みたいに不健康そうなオタク女子が似合う。ちょっと病んでる感じを出すのが実にお上手。

 メディアの描き方とかは、ちょっと類型的かな、、、とも感じたが、実際はもっとエゲツナイだろうし、監督の言いたいことは何となく分かる。

 基子の彼氏、和道を演じた池松壮亮は、ホントに声がイイ。声がイイ男は、イイ男の大事な要素。この和道、リサと名乗った市子と寝た後、市子に「これは全部復習のためのウソ」と打ち明けられた後で、リサのことを「市子さん」と呼んでいた。……え? となったんだが、それって彼は最初からリサと市子が同一人物と認識していたということだろうか? この辺りも、もう一度見るときによく見てみたい。

 吹越満は、めずらしくマッドじゃない人間味あるドクター役ってのは、なんか違和感あった。今、NHKでオンエアしているドラマ「これは経費で落ちません」でもコミカルな演技を見せていて、やっぱり彼も上手な役者さんなんだと改めて認識いたしました。

 

 

 

 

『淵に立つ』同様、本作でも入水シーンがあります。

 

 

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万引き家族(2018年)

2019-08-10 | 【ま】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64633/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 再開発が進む東京の下町のなか、ポツンと残された古い住宅街に暮らす一家。

 日雇い労働者の父・治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は、生活のために“親子”ならではの連係プレーで万引きに励んでいた。その帰り、団地の廊下で凍えている幼い女の子を見つける。思わず家に連れて帰ってきた治に、妻・信代(安藤サクラ)は腹を立てるが、ゆり(佐々木みゆ)の体が傷だらけなことから境遇を察し、面倒を見ることにする。

 祖母・初枝(樹木希林)の年金を頼りに暮らす一家は、JK見学店でバイトをしている信代の妹・亜紀(松岡茉優)、新しい家族のゆりも加わり、貧しいながらも幸せに暮らしていたが……。

=====ここまで。

 何かと物議を醸したパルムドール受賞作。

 

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  少し前に地上波でもオンエアしていたらしいのだけど、Blu-rayをTSUTAYAで借りて見ました。是枝作品は苦手と言いつつ、ちょこちょこ見ているのは、職場に是枝ファンの男子がいて、この作品も「まあ、すねこすりさんは好きじゃないと思いますヨ、絶対」などと言われたから。絶対と言われたら、あまのじゃくだから見たくなる。……あ、これが彼の狙いだったのかもね。

 もう、あちこちで内容については語られているので、感じたことをつらつら書きます。

 

◆家が汚すぎて絶句、、、。

 柴田家の住んでいる家が、とにかく汚い。特に風呂。もう、吐き気がする。私はきれい好きではないけど、あの汚さは受け容れ難い。

 まあ、視覚化した方が分かりやすいから、ってこともあるだろうけど、『そして父になる』の斎木家の描き方といい、本作のこれといい、なんだかなぁ……。ああいう暮らしをしていたからって、あそこまで家が汚い必然性ってなくないか? キレイじゃなくても、もう少しまともな人の住む空間を維持しているワケアリな人たちなんていっぱいいると思うけど。ああいう家にすることで、ある意味、記号化しているようで、ちょっと短絡的な感じを受けるんだよね。

 方や小綺麗で小金持ちそうな家に住んでいる亜紀の実家の方は、亜紀が家出したくなるような家で、方やビルの谷間の汚い家に住む疑似家族は居心地が良い、、、みたいな対比は、『そして父になる』と同じだよね。なんかワンパターンだよなぁ、、、と。

 以前、TVでホームレスの人の“住まい”を取材している番組を見たことがあるが、確かに粗末な“家”だけれど、中は実にきちんと整理整頓されていて、きちんと生活をしていた。どんな背景があってホームレスになったのかは分からないけど、貧しさを記号化しがちな是枝監督の作品づくりは、そこに監督自身の無神経で無自覚な偏見がバッチリ投影されているとしか思えなくて、どうしても作品自体も捻くれ目線で見てしまう。

 

◆絆、、、嫌いだわ、この言葉。

 是枝監督自身、「特に震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていました。絆って何だろうなと」と語っているが、私は「絆」ってワードが震災後、大嫌いになった。家族が苦しみの根源みたいな人もたくさんいるのに、家族を過剰に礼賛する傾向に反吐が出そうだった。

 だから、この疑似家族が、本当の家族よりも居心地の良いコミュニティになっていることは理解できる。他人だからこそとれる適度な距離は必ずある。

 先日、吉本問題が勃発した際に、社長が「家族だから」と言い訳していたけれども、そこである社会学者の人が言っていたけど、家族ってのには“甘え”が介入すると。例えば、家族にプロのデザイナーがいると、“タダ”で私的なもののデザインを頼んだりするというのはよくあることだと思うが、それは、プロを相手に、無報酬で仕事をさせて当たり前と思う“甘え”である、ということ。つまり、吉本が契約書も交わさずに、なぁなぁで今まで来たのも、結局は“家族だから”っていう甘えの下に成立していた話だと。……なるほどねぇ、一理あるかもな、と感じた。

 また、本当の家族であるからこそ、見過ごせないことってのもある。疑似家族とは言え他人だから、亜紀がJKバイトをしていてもスルーできるけど、本当の娘や姉妹なら、果たして同じ態度でいられるか。

 “絆”って、「三省堂国語辞典 広島東洋カープ仕様」によると、「①人をつなぎとめるもの。②〔人と人との、大切な〕つながり。」とある。意味を純粋に見れば、それほど嫌悪感を抱くはずもない言葉なのに、文脈で語られると途端にいや~な感じを受けるのは何故かしらん。

 結局、現実を無視した美談にされがちだからだろうね。それをいうなら、良い絆ばかりじゃなく、悪い絆も一杯あるわけで。

 柴田家には、果たして絆はあったのだろうか。キャッチコピーは、「盗んだのは、絆でした」だけど、盗んだのかね? むしろ、寄り集まった結果、何となく絆が出来た、、、、結果的に拾ったんじゃない? 奇しくも、終盤、安藤サクラ演ずる信代が言ったセリフ「拾ったんです」でしょ。キャッチコピー、違っている気がする。まぁ、ズレたキャッチコピーなんてごまんとあるが。

 

◆その他もろもろ

 犯罪を肯定していてけしからん、日本の恥を世界にばらまいた、等々、見当違いも甚だしい批判が一杯あって、見る前からウンザリしていたけれども、本作を見て、犯罪を肯定しているとも思わなかったし、日本の恥とも思わなかった。こんなこと、世界中のどこの国でもあることだし、もっと悲惨な現状を描いた外国映画はたくさんある。そういう批判をする人たちってのは、映画とか表現することの意味を分かっていないのだろうね。みんシネにもヒステリックな批判レビューがあって、苦笑してしまった。

 カンヌ後に、外圧に焦った政府からのお祝いを監督が固辞したことも、批判の的になっていた。外圧に焦る政府がみっともないのはいわずもがなだが、こういう監督の言動が批判されるなんて、やっぱり日本の文化度はまだまだ低いんだなぁ、、、と暗澹たる気持ちになる。政府というか、公的機関というのは、芸術に対して“金は出すけど口は出さない”が鉄則。

 絶賛された安藤サクラの演技は、確かに素晴らしかった。リリー・フランキーはいつもどおり。子役たちの自然な演技もいつもどおり。俳優陣は皆さん、素晴らしかったと思う。

 ただ、ちょっとセリフが聞き取れないところが結構たくさんあって、字幕をONにして見直してしまった。もう少し、いくら自然な演技や自然な会話の演出とはいえ、映画なんだからさ、セリフなんだからさ、きちんと見る人に届くように演出してくださいよ。でないと、良いセリフでも死んでしまうよ。

 

 

 

りんちゃんのその後が心配だ、、、。

 

 

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隣の影(2017年)

2019-08-07 | 【と】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67937/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 閑静な住宅地で暮らす老夫婦は、ある日隣りに住む中年夫婦から、庭にそびえ立つ大きな木がいつも日光浴をしているポーチに影を落としているとクレームを受ける。それをきっかけに両家はいがみ合うようになり、身近で相次ぐ不審な出来事を何の証拠もないにも関わらずすべて相手の嫌がらせと思い込むように。

 元恋人とのセックス動画が原因で妻から別れを切り出され転がり込んできた老夫婦の息子も、庭のテントで寝泊まりして隣人を監視する手伝いをする。

 やがて、老夫婦が家族の一員のようにかわいがっていた飼い猫が失踪。1本の木を挟みいがみ合ってきた両家の対立は激化し、危険な一線を踏み越えていく。

=====ここまで。

 アイスランド映画って、見たことないかも、

 

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  もう、災害と言っても良いんじゃない?ってくらいな酷暑で、東京では、この1週間で30人以上も亡くなっているらしい。そんな毎日で、仕事行って帰ってくるだけでエネルギーを全て消耗し、駄文をブログに書く気力さえ起きず、映画を見てはいてもなかなか記事のupに至らない日々、、、。

 そうこうしている間に時間ばっかし過ぎて、感想を書くのに必要なその映画に関するエキスが脳内と体内から流出して行ってしまう。本作も先月末に見たんだけど、何とか2週間経つ前に書けそうだ。

 本作は、アイスランドとデンマーク、ポーランド、ドイツによる制作。アイスランド以外の3カ国は、2年前の旅で巡った国じゃないの……! 何やら呼ばれた気分で、暑い中を劇場まで見に行って参りました。

 

◆隣人を愛せ

 まあ、本作の場合、“文字通り”の隣人なわけだけれども、、、。隣人は、大抵の場合、選べないから始末が悪い。慎重に選んだはずでも、住んでみたらトンデモだった!!ってこともあるだろうし。

 本作も、「お宅の木、デカすぎるから剪定しておくれ」「……ああ、まあ、考えとくよ」というやりとりから始まるのだけど、それが拗れに拗れて、挙げ句の果ては、、、、ぎょえ~~~! な事態になる。

 隣人トラブルの場合、まあ、こう言っちゃ悪いが、多分どちらかが“話の通じない家”の場合が多いんじゃないかなぁ。どちらも話が通じる家なら、多少ゴタついてもトラブルにはならずに何とか納める(納まる)のだと思われる。納めたからといって、その後、良好な関係でいられることは難しいだろうけど、少なくとも自分たちが住みにくくなるほど雰囲気が悪化しないよう、互いに当たらず障らずを心がけるのではないか。

 ……で、本作の場合も、拗れた最大の原因は、老夫婦の妻であるインガ。このインガ婆さん、もうどーしよーもないほど捻くれていて、根性悪。まあ、コレには一応理由がある。老夫婦の長男が数年前に失踪して生死が定かでないのだ。というか、自殺しているというのが現実のようだが、インガ婆さんはその事実を受け容れられていないらしい。このことが、この隣人トラブルを拗らせた最大の要因だと、私は思った。

 何で長男が失踪して生死不明なのか、、、というのは、ハッキリした描写がないんだが、何となく、親と子の関係が良くなかったことが背景にあるらしい。でも、インガ婆さんを見てると、そらこんな母親がいる家、出ていきたくなるわな、、、と妙に納得してしまう。彼女が、息子がいなくなってから変わってしまったのかどうかは分からないけど、息子がいなくなる前は明るくて常識的な母親だったとは想像しにくい。あの、“自分の価値観絶対”なふるまいというか生き方は、彼女のそもそもの性質に見える。だから、息子は出て行ったのだとしても不思議に思わなかった。さらに自殺となれば、彼女が主な原因で精神的に病んでしまったのだと考えても、大方ハズレではないだろう。

 そして、こういう夫婦においてのお約束は、夫が“逃げる”人であるということ。逃げたくなるのは分かるが、お前が逃げたら、そら息子が妻の餌食になるのは当たり前だろう、、、ってこと。そして、こういう逃げる人は、何があっても逃げる。息子が自殺に追い込まれても、妻が隣人トラブルを大きくしても、基本放置。自分にさえ火の粉がかかってこなけりゃ良い、かかってきても最小限にしてほしい、、、ってやつ。自分だけが可愛い。まあ、妻も自己愛が過剰な人間だから、ある意味“似たもの夫婦”とも言える。

 おまけに、この夫婦の二男がまた、どうしようもないゲス男で、この親にしてこの子あり。本作の冒頭で、この二男の浮気がバレるシーンがあるんだけど、そのバレ方が、ホントに最悪なんである。世の浮気男たちも、たとえ妻に浮気がバレるにしても、こんなバレ方だけは避けたい、と思うんではないだろうか。それくらい、不様で破廉恥極まりないバレ方である。あの妻の立場にだけはなりたくないねぇ、、、。

 ちなみに、老夫婦の隣人はというと、どうやら年の差夫婦で、夫はバツイチっぽい。不妊治療に励んでおり、大きいシェパートを可愛がって、まあまあ裕福そうである。夫婦仲も良さそうだし。こちらの夫婦は、話が通じる人たちと言っても良いと思う。少なくとも、理由もなく周囲を攻撃したりはしない。

 ……が、そんな話が通じそうな年の差夫婦の夫も、さすがにブチ切れる事件が起きるのだ。

 

◆インガ婆さん暴走

 (以下、結末に触れています)

 ある日、インガ婆さんが可愛がっているネコがいなくなる。息子に失踪されている身としては、これは堪えるだろうね。で、インガ婆さん、案の定、ネコがいなくなったのをお隣の仕業だと邪推する。夫にたしなめられるものの、一旦そう思い込んだら、彼女の頭の中では事実が出来上がってしまっているのだ。

 で、こともあろうに、インガ婆さんは、隣人の飼っているシェパードをエサでおびき寄せると拉致して、何と! 剥製にしてしまうのである!! はぁ?? アイスランドって、生きている動物でも殺して剥製にしちゃうお店があるの? こえぇ、、、。

 シェパードがいなくなって心配しながら不妊治療を受け、帰宅した年の差夫婦は、自宅玄関前にシェパードが座っているのを見て喜ぶ。妻が嬉しそうにシェパードに近付くが、当然シェパードは動かない。ぎゃぁ~~~っ、となる妻。……そらそーだよね。ま、体外受精もこの一件で失敗に終わったのだろう、多分。

 まあ、ここからはラストまで、一気に事態が最悪の方へと加速度的に転がり落ちていく。

 ある夜中、年の差夫婦の夫が、トラブルの元となった木をチェーンソーで切り倒そうとし、それに気付いた老夫婦の夫が止めに入って押し合いになった弾みで、木が庭でテントを張って寝ていた二男を直撃するように倒れる。二男の生死は不明。

 最終的には、両家の夫同士が殺し合いになる。

 終盤を見ていて思ったのは、やっぱり、実力行使に出るのって男に多いのかな、ってこと。まあ、女でも殺し合いにならないとは限らないが、男の方が暴力に訴える確率は高いのではないか。DVの加害者が圧倒的に男だということからも、そう思う。

 確かに、剥製にするという(これも立派な暴力だが)トンデモ行為に出たのはインガ婆さんで、これが引き金になったのだが、もし、ここで最初から男たちがいなければ、年の差夫婦の妻は、木を切り倒すことも、インガ婆さんを殺そうともせずに、引っ越して、その場から去るだけだったんじゃないかと思う。相手が、気の狂った婆さんだと分かった以上、身の危険を感じるから。女性は、多分、現実的な身の危険を感じたら、その相手を抹殺することより、自分が逃げることを考えるような気がする。

 でも、男の場合、やられたらやり返す、的な発想になるのかねぇ? ウチの人も、イイ歳して売られたケンカは絶対買う主義なので、このような場合、やっぱりやり返しに行くのだろうか、、、? と考えたら、頭が痛くなってきた。まぁ、あそこまで非常識な人を相手に、まともにやり返そうとは思わないだろう、、、と信じたいが。

 

◆その他もろもろ

 本作は、イヤミス風映画かな。悪意剥き出しの人がでてくるところとか、結末に救いがないところとか、どんどんどんどん悪い方へ話が転がっていくところとか。

 監督のハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン(絶対覚えられないお名前)というお方は、アイスランド人で、本作の構想段階で、ハネケやリンチ、リューベン・オストルンドらの作品について撮影監督と話し合ったと言っている。

 確かに、ハネケっぽいところもあるけど、ハネケほど意地悪さは感じなかったし、リンチほど突き抜けてもいない感じ。ブラックなユーモアというか、黒い笑いもそこかしこにちりばめられていて、多分、この監督さん、面白くてイイ人なんだろうな、と感じた。強いて言えば、オストルンド監督作品が一番近い感じを受ける。

 黒い笑いの最たるものは、ラストショット。この瞬間、私は思わず、ガクッとなって笑いがこみ上げて来てしまった。ハハハ、、、という力のない乾いた笑いね。

 これじゃあ、殺し合って死んでいった男たちが浮かばれないだろ、、、と。合掌。

 

 

 

 

エサに釣られて剥製にされたシェパードが哀れ過ぎる。

 

 

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