作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv77727/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。
=====ここから。
膵臓癌を宣告されたバンジャマン(ブノワ・マジメル)は、母親であるクリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)と共に、名医のドクター・エデの元を訪ねる。
ステージ4の膵臓癌は治せないと告げられ、バンジャマンは自暴自棄に陥ってしまうが、エデは彼に症状を緩和させるための化学療法を提案する。
一方で、母クリスタルは息子の病気は、自分が過去にかけた心労のためではないかと悩むようになる。
=====ここまで。
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先日、健康診断がありまして、ウチの職場では大抵皆さん、健診の日は休むんですよね。私は、以前は健診終わった後仕事に行っていたんだけど、ここ数年は休んじゃってます。朝8時半に健診スタートすると、人も少ないから待ち時間も少なくスルスルとメニューをこなして、どんなに時間かかっても1時間足らずで終わります。9時半スタートだと全然違って、待ち時間が長くなり、どんなに短くても1時間はかかるという、、、。
で、9時半に健診センターを出て、その時間でも開いているカフェでモリモリ食べて(朝食ヌキですからね)、一息ついたら遊びに行くわけですヨ。
今年は、映画。新聞の評で、本物の医師が、モデルとなった自分の役でそのまま出演しているというのを読んでいて興味を持った次第。それに、ドヌーヴとブノワ・マジメルのコンビだし。
◆生きることは死への歩み。
膵臓がんは確か非常に見つかりにくいがんだと聞いたことがある。見つかったときはかなり進行していると。本作でのバンジャマンも、もう治る見込みがないとはっきり医師に宣告される。
で、当然知りたいのは「余命期間」である。バンジャマンと一緒にいる母親のクリスタルは「あとどのくらい?」とエデに聞くのだが、バンジャマンは聞くことにためらいを見せる。クリスタルは「私だけ聞くのはダメなの?」と言うが、エデは「それだと親子で分断が起きてしまいおススメしない」と答える。
序盤のシーンなんだが、なかなか初っ端からシビアである。
結局、バンジャマンはその次の機会にクリスタルと一緒に、自分の余命期間を聞く。「あと半年から1年」と。
そこから、バンジャマンが亡くなるまでの、彼の死に様を描いたドラマなのだが、序盤のシビアさからはちょっと想像とは異なる方向性の映画であった。つまり、死をどう受け入れるか、、、とかじゃなくて、「どう死ぬか」を描くのだ。受け入れるも何も、死ぬのは自明なんだと。だから、葛藤劇にはなっておらず、死に向かって生きよう!という緩めのポジティブ映画になっていた。
でもそれって、別にバンジャマンだけの問題じゃなく、全人類の問題なのよね。生ある者全て、生まれ落ちたその瞬間から「死に向かって生きる」ことを強いられているわけで、がんで余命宣告を受けた人特有のオハナシではない。
つまり、この映画は「生きること」を描いた映画なのだ。
だから、がんドラマにありがちな、患者が容貌が変わるほど痩せこけるとか歩けなくなって倒れるとか、、、そういう描写はない。それがリアリティがないと感じる人もいるだろうが、私は好感を持ったクチである。本作の描きたいのはソコじゃないのね、と。
◆バンジャマンが選んだ自分の死の場面
一番印象に残ったシーンは終盤の、バンジャマンの死の場面。彼の死自体は静かで穏やかだった。私が、うわ~~っ、、、と思ったのは、まさにその死に目に、母親であるクリスタルは逢えなかったというシナリオ。数分前まで、バンジャマンの横に居たのに、である。というのも、確か中盤でエデ医師がクリスタルに言うこんなセリフがあるからだ。
「患者は、死ぬタイミングや立ち会う相手を自分で決めることがある」
バンジャマンが若い頃、ある女性との間に子ができたのだが、クリスタルの猛反対に遭い、女性と別れ、子供を手放した過去がある。バンジャマンはまだ消化できずに引きずっている。余命宣告を受けた後も、そのことでクリスタルを責めるシーンもある。クリスタルも罪悪感から逃れられないでいる。
……という深い確執を抱えた母と息子である。その息子が、母がトイレに立ったほんの数分の間に息を引き取るのである。何というシーンだ。バンジャマンはそういうタイミングと立ち会う相手を自分で決めた、、、ということか。これは、クリスタルにこれ以上ない十字架を負わせることになるのではないか。
が、クリスタルの表情は割と落ち着いていたのが、これまたどう捉えればよいのか、混乱してしまった。
クリスタルは、そこに至るまで、バンジャマンの余命を聞いて様々な思いで動揺したり悲しんだりするわけだが、そんな彼女にエデ医師は、こうも言っていた。
「旅立つ許可を与えましょう。死んでもいいという許可が最大の贈り物です」
つまり、彼女のあの落ち着きは、自分が息子に許可を与えたのだな、、、という思いだったのだろうか。……うぅむ。
◆死ぬときに愛する人に言うべき5つの言葉
タイトルの「愛する人に伝える言葉」どおり、本作にはハッとさせられるセリフが多い。
バンジャマンが治療に後ろ向きなのをクリスタルが責めるシーンで、バンジャマンが言う。「これは僕の病気だ、母さんのじゃない!」これも結構、うわ~~~っとなる。言う方の気持ち、言われる方の気持ち、、、どちらも想像するのがキツ過ぎる。
エデ医師が弱って行くバンジャマンにかける言葉も考えさせられる。死ぬときに、愛する人に言う5つの言葉である。
私を赦して
私は許す
ありがとう
愛してる
さようなら
順番はどうでもいい。この5つの言葉を愛する人に言ってあげなさい、とエデ医師は言う。
果たして、私は言えるだろうか、、、、と考えてしまった。そもそも誰に?? 愛する人、、、とは。私には子がいないし、親とは断絶しているし、パートナーはいるけど、この5つの言葉を言う相手なんだろうか、、、と。さようなら、は言えるかな、、、とか。……いやでも、私が先に逝ったら、あの人は多分腑抜けになるだろうから(別に愛されているから、とかではなく、気持ちの切り替えが超絶下手な人だからです)、私がちゃんと見送るべきだろうから、こんな言葉をかけることはないな、、、とか。するとますます言うべき相手がいない、、、ごーん。
どう死ぬか、というのは、どう生きるか、の裏返しなのだなぁ、とつくづく感じさせられた映画だった。
◆その他もろもろ
ドヌーヴ&ブノワ・マジメルというと、あの『太陽のめざめ』なんだが、監督も同じエマニュエル・ベルコである。内容的には本作の方が好きかな。
ドヌーヴはセリフが少なく、表情や佇まいでクリスタルという人物を演じていた。ほとんど笑顔のシーンがなく、全編基本辛そうで、見ているこっちも辛かった。
バンジャマンは39歳の設定なんだが、ブノワ、どう見たって50代だろ、、、という容貌で、年齢設定をもう少し上げた方が良かったんじゃないのか、、、と、思った。けど、ブノワはやさぐれたキャラが似合う。若い頃の美青年も美しかったけれど、オジさんになった今はちょっと荒れた感じがなかなかgoo。
が、何といっても本作で特筆すべきは、エデ医師を演じたガブリエル・サラ。本業はもちろん医師なんだが、エデを演じられる俳優をベルコ監督が探したものの見つからず、結局、エデのモデルであるサラ本人に演じてもらうことになったらしい。演技素人とは到底思えない素晴らしさで、やはり、本業で修羅場をくぐってきた人は違う、、、と圧倒された。
バンジャマンが生き別れた息子くん役の男の子が可愛かった。オスカー・モーガンというお名前のようだが、ググっても、“オスカー俳優・モーガン・フリーマン”とかしか出て来ない、、、。
クラゲ柄のネクタイなんてあるのね♪