映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

愛する映画の舞台を巡る旅Ⅱ ~ハノイ(ベトナム)~その④

2018-09-24 | 旅行記(海外)
**美しいエリアーヌの愛した仏領インドシナ** vol.4
 




 その③につづき

 食べるのに忙しくて、景色を見る余裕もなかったんだけど、気がつけば……、おぉ、あの『インドシナ』で見た覚えのある光景が広がっているではないですか!!

 映画『インドシナ』では、ドヌーヴ演じるエリアーヌの養女カミーユと、エリアーヌのかつての恋人ジャン・バチストが駆け落ちして、船に乗って彷徨うシーンの舞台となっています。シーンとしては追い詰められているんだけど、背景のハロン湾の景色は、それはそれは美しい。映画の中では、フランス語だからか字幕が「アロン湾」となっていますが。

 ああ、ここでロケしたんだな~~~、、、と、しばしうっとりしてしまいました。

 ここからは、とにかくハロン湾の景色をご覧ください。




右奥に見える奇岩のふもとの建物は水上生活をしている人たちのもの



たくさんのクルーズ船、、、



犬の形に見える岩だそうで、、、



ハロン湾で一番有名な(?)闘鶏岩



魚(クエ系だね、多分)の形に見える岩だって


 ○○に見える岩、ってのが色々あって面白い! こじつけ?っぽいのもあったし。闘鶏岩などは、ほんの一瞬確度が違うと、ゼンゼン違うものに見えます。現地ガイドのタカさんは「闘鶏というより、チューしてるみたいに見えますネ!」とおっしゃっていました。




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 で、食事が終わって30分くらいしたところで、洞窟めぐりのため、下船します。


下船したところからハロン湾を見る



ティエンクン鍾乳洞の看板


 ティエンクン鍾乳洞。ティエンクンとは、「天宮」という意味だそうな(ガイドブックによる)。

 で、階段を100段ほど上り、鍾乳洞へ、、、。階段はまあ、それほどでもないんだけど、100段上った挙げ句に入った鍾乳洞が、、、もうね、ものすごい湿気で蒸し暑いのなんの、、、。サウナでした、ほとんど。
 
 割と最近(1993年)発見されたそうで、発見した人は、タカさんの説明によれば、たいそうなお金持ちになったんだとか。ハロン湾にはいくつも鍾乳洞があって、このティエンクン鍾乳洞は観光用に整備されたメジャーなもの。でも、鍾乳洞を一つ発見すると、その規模にもよるけど、結構お金が入るらしい。なので、タカさんは「私もいつか発見して、日本に行って、レクサスを買います!」と言っておりました


あの穴から、この鍾乳洞を見つけたんだって!

 



ライトアップされていました


 鍾乳洞を出たら、もうほぼクルーズは終了で、すぐに船着き場まで戻ってきました。3時間ほどでしたが、なかなか充実感を味わえましたよ。最初の旅行なら、これで十分かと。

 ちなみに、クルーズはいろいろメニューがあって、中には2泊3日とかの豪華クルーズもあるらしいです。あと、水上飛行機で空から見るツアーもあるんだそうな。もう一度行くなら、私は空から見るツアーかな~。きっと、スゴい美しいと思うので。


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 また4時間かけてハノイに戻ってくれば、もう夜です。……というわけで、本日はベトナム高級コース料理、とのこと。


こちらがディナーのお店



珍しくメニューがありました!(メニューがあったのはここだけだった)



フォー



豚肉の揚げたの



なすの焼いたの



生春巻き(お皿がキレイじゃなくてすみません、、、)


 またしても、コース料理だというのに一気に運ばれてくるという、、、。これがベトナム式のコース料理なんでしょーかね。写真も全部は撮れませんでした、、、。でも味はどれも美味しかったですよ! 写真撮りそびれたんだけど、チャーハンが意外にも絶品でした!

 デザートは、初日と同じく、甘~~いお粥。Green bean sweet soupとメニューにはありますが、お米も入っていたゾ。


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 宿に戻って、一息ついて外を見たら、ものすごい雷雨!!



 いよいよ明日は帰国日。午前中は、焼き物で有名なバッチャン村に行くので、雷の音を聞きながら、アッと言う間に眠りにつきましたとさ、、、。





その⑤につづく
コメント (4)
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大人のためのグリム童話 手をなくした少女(2016年)

2018-09-16 | 【お】



 貧しさのあまり悪魔に魂を売った父親のせいで、両手を失うことになった少女。

 親の家を出て命の危険に遭いながら森を彷徨う内に、王子に出会い見初められて結婚する。王子は少女に黄金の義手を送り、2人は束の間幸せに暮らす。しかし、王子は国の境で起きた戦争に行ってしまい、「必ず戻る」と言っていたのに、なかなか戻ってこなかった。王子のいない間に、少女は男の子を授かる。

 父親を惑わした悪魔は執拗に少女を追ってきて、王子と少女の中を引き裂こうとし、少女は身の危険を感じ子どもを連れて城から逃げ出す。逃げ回る途中で使い勝手が悪く邪魔になった黄金の義手を捨てる少女。

 数年後に城に戻ってきた王子は、妻と我が子がいないため、探しに出かける。その途中、妻に送った黄金の義手が捨てられているのを見つけるのであった、、、。

 
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 チラシを見て、少女の声をアナイス・ドゥムースティエが演じているってのもあって、興味をそそられ見に行って参りました。なかなか斬新なアニメーションでござんした。


◆童話=ヒドい話

 グリム童話の初版本は結構、オチが残酷だ、ってんで、「本当は恐ろしいグリム童話」とか一時ベストセラーになっていましたねぇ。でも、それって割と昔から有名というか、よく知られていたことだったと認識していた私には、そんな本がベストセラーになっているのが不思議だった。その数年前に、グリム初版シリーズが白水社から上梓されて、それでそんなブームになったのかな、とか思ったけれども、あれは一体何だったのか。

 恐ろしいといえば、確かに恐ろしい。本作の元ネタ「手なし娘」も手を切り落としちゃうし、「シンデレラ」でも、ガラスの靴に脚が入らないシンデレラの姉たちは、つま先を靴に収まるように切っちゃうし、、、、とにかく身体を傷つける描写が異様に多い。悪いことをした報いとして身体を傷つけられる、っていうパターンなんだけど、悪行に比して、報いが残酷すぎるイメージは確かにある。

 しかし、グリム童話に限らず、世界各国に伝わる民話には、共通する話が多いらしく、この「手なし娘」も、ヨーロッパだけでなく、中国や、日本の岐阜県の民話にほぼ同じ内容の話があるんだとか(パンフに書いてある)。今回、私も久しぶりに初版シリーズの「手なし娘」を読んでみたけど、まあ、やっぱりヒドい話だ(もちろんヒドいのは父親)。この話の特徴は、娘が王子様と結婚してめでたしめでたし、で終わらないところだ。王子がその後戦争に行ってしまい、王子が不在の間に娘は試練に度々見舞われる。

 概ね本作は原作に沿ったストーリーだけれど、娘が王子に出会うまでのいきさつがちょっと違うし、王子が黄金の義手を与える場面もなければ、娘が両手を取り戻したいきさつもまるで違う。何よりラストが大きく違っている。どちらがどうというわけでもないが、娘が両手を取り戻した場面は本作の方がステキだし、ラストに関しては本作は現代的に一ひねりしている。

 原作では、娘は父親に切り落とされた両手を持って歩いているんだけど、ある爺さんに「その切られた自分の両腕を3回大木にからませなさい」と言われ、そのとおりにすると両腕が生えてくる。本作では、赤ん坊と密かに暮らしていた場所に自分たちを探しに来た王子を(悪魔の仕業によって、娘は王子が自分たちを城から追い出したと思い込んでいた)自分たちを殺しに来たのだと誤解し、咄嗟に斧を振り上げた瞬間、よく見たら両腕を取り戻していた、ということになっている。

 また、ラストは、原作では王子と妻子は再会し、城に戻ってめでたしめでたし、、、なんだが、本作では、妻は「私はあの城に戻りたくない」と言って、親子3人、どこかへ旅立つ、となっている。娘は王子が不在の間に、ある場所に安住の地を見つけ、そこで自給自足の生活をするようになった……つまり、夫の庇護を離れて“自立した”ということになり、自立を果たした女性が、再び夫の庇護を甘んじて受けるということは敢えて避けたのだろう、、、というジェンダー的な見方ができる。……と言う意味で、現代的に一ひねりしている、と感じた次第。


◆監督が一人で作り上げた!!

 ……とつらつら書いてきたけれど、そんなことは後付けの理屈である。とはいえ、本作は、そういう理屈だけでなく、いろんな意味で子どもが見ても今一つピンとこないアニメであろうと思うので、確かにタイトルどおり“大人のための”作品であると思う。

 まず、なんと言っても、その“絵”が、私がこれまで見たことのあるアニメーションの絵とまったく違う。どうやら、本作の監督セバスチャン・ローデンバック独自の技法らしいのだが、“クリプトキノグラフィー”という技法によって、このアニメーションはできている。クリプトキノグラフィーとは、「動画のそれぞれ1枚の絵では何が描かれているか分からないが、動きを伴うと何か描かれているか分かるという運動の暗号化」だそうである(詳しくはこちら)。

 まあ、どんな絵で、どんなアニメかは、公式HPの予告編を見ていただければ分かるので、そちらをご覧ください。

 ただ、この技法独特なんだろうが、よく見ていないと、人物にしろ物体にしろ、一瞬で消えてしまったり、突然現れたりするので、結構、脳ミソがついていくのに時間がかかる(と思った)。

 とにかく、常に絵が動いているのである。一瞬たりとも静止していない、、、というか。映画も中盤くらいになると、ようやく慣れてくるが、ちょっとサブリミナルっぽいというか、目がチカチカしてくる感じもした。実際、終わってから、異様に目が(脳ミソも)疲れていた。

 オドロキなのは、この作画から演出まで全部、監督が一人でやったということ!! ビックリ! そんなことって可能なのか? と思うが、資金集めにも苦労したようで、どうやら何年もかかっているらしい。アニメは諦めようかとも思ったと言っている。バンド・デシネにしようか、実写にしようかとも思ったらしい(それはそれで見てみたかった気もする)。

 ヒロインの少女は、原作ではひときわ美しいということになっているが、本作での娘の顔は、決していかにもな美少女ではない。少女の顔は、どうみても東洋的で、そういう意図はなかったのだろうが、西洋人ぽい顔には見えなかった。男性の顔は、西洋とも東洋とも、どちらとも言えない感じだったけど。水墨画みたいなタッチの絵が、さらに東洋的なイメージを受けたのかも知れない。色使い、音楽もセンスが良い。

 少女が、王子に出会うまでに彷徨う中で、水の精に出会って命を救われるのだけど、ファンタジーな部分はそこくらいで、あとは童話にしてはかなりリアリティを感じさせられる内容だった。少女が林檎の木の上からオシッコをしたり、唾を吐いたりとか、少女が赤ん坊と2人で自給自足の生活をするときに、土地を耕し種を植えるんだけど、その描写が、腕から血が流れたり、種を一つ一つ舌で舐めとって土に吐き出して植えたりとか、、、、絵自体は水墨画みたいな絵なのに、妙にリアルな描写で、非常に印象的だった。

 日本のアニメは素晴らしい、、、という話は聞くけれど、申し訳ないけど、私は、日本のほとんどのアニメはジブリの呪縛から抜け出られていないように思えて仕方がない。というか、ジブリに引きずられている、と言った方が良いのか。いずれにしても、いい加減ジブリから解放されてはどうか。世界中のアニメ作家がジブリ作品から何らか影響を受けてはいるだろうが、、、、。本作のような新たな技法による意欲作が日本からも出て来てほしいものである。

 
 

 





パンフの監督インタビューは、そのまま公式HPにも載っています。




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ウインド・リバー(2017年)

2018-09-13 | 【う】



 以下、公式HPよりストーリーのコピペです(すんごい長いし分かりにくいのでちょっと編集しています)。

=====ここから。

 なぜ、この土地(ウインド・リバー)では少女ばかりが殺されるのかーー

 アメリカ中西部・ワイオミング州のネイティブアメリカンの保留地ウインド・リバー。その深い雪に閉ざされた山岳地帯で、ネイティブアメリカンの少女の死体が見つかった。第一発見者となった野生生物局の白人ハンター、コリー・ランバート(ジェレミー・レナー)は、血を吐いた状態で凍りついたその少女が、自らの娘エミリーの親友であるナタリー(ケルシー・アスビル)だと知って胸を締めつけられる。

 コリーは、部族警察長ベン(グラハム・グリーン)とともにFBIの到着を待つが、視界不良の猛吹雪に見舞われ、予定より大幅に遅れてやってきたのは新米の女性捜査官ジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)ひとりだけだった。

 死体発見現場に案内されたジェーンは、あまりにも不可解な状況に驚く。現場から5キロ圏内には民家がひとつもなく、ナタリーはなぜか薄着で裸足だった。前夜の気温は約マイナス30度。肺が凍って破裂するほどの極限の冷気を吸い込みながら、なぜナタリーは雪原を走って息絶えたのかーー

 監察医の検死結果により、生前のナタリーが何者かから性的暴行を受けていたことが判明する。彼女が犯人からの逃走中に死亡したことは明白だが、直接的な死因はあくまで肺出血であり、他殺と認定できないことから、FBIの専門チームを呼ぶことができなくなったジェーンは、ウインド・リバーの事情に精通したコリーに捜査への協力を求める

 捜査を進めるコリーとジェーンは、鬱蒼とした森の中で白人男性の遺体を発見。彼の身元はナタリーの恋人で保留地近くの石油採掘場で働くマット・レイバーン(ジョン・バーンサル)だった。

 はたして事件当夜、人里離れた石油採掘場のトレーラーハウスで何が起こったのか。ついに明らかになる衝撃の真実とは……。

=====ここまで。

 実は、コリーの娘も、過去にナタリーと同じような目に遭って亡くなっています。

 
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 見たい、見たい、と思っていながら、なかなか見に行けずにいたんだけれど、やっとこさ行ってまいりました。見てからもう3週間経つんですけど、ゼンゼン、インパクトも記憶も薄れない、衝撃的な作品でした。


◆先住民迫害の理不尽

 あまりに寒いと、呼吸によって肺に入った外気で肺が凍ってしまうとは、、、。それで、呼吸が出来なくなり、肺出血を起こしてしまうだなんて、聞いているだけで息苦しくなってくる、、、。

 そんなことが起きるような土地、ワイオミング州のウインド・リバーと呼ばれる土地は、先住民族の「保留地」。そういう土地があることは一応知っていたけれども、それが、17世紀から行われた国策である先住民族の強制移住によるものだったとは、恥ずかしながら本作を見て初めて知った次第。

 映画のパンフによると、「1830年にインディアン強制移住法が制定されると、ミシシッピ川以東に居住した部族は西武の代替地への移動を強要された。「涙の旅路」として知られるチェロキー族のケースでは、凡そ1,900キロの移動が強いられた。1840年代半ばまでに約10万人が移動させられたが、その行程は極めて過酷で多くのものが途上で落命している」とある。

 また、インディアン保留地とは、「ネイティブアメリカン部族の居住のために指定された地区。合衆国連邦政府から部族に信託された土地であり、一部を除いて州の権限が及ばない。保留地はミシシッピ川以西に集中しており、2015年時点で326存在する」とある。また、ネイティブアメリカンの約8割は保留地外に住んでいるらしい。

 そんな保留地では、「アルコール依存や薬物依存は保留地における深刻な問題」で、それらは、長年にわたりネイティブアメリカンの伝統・文化を徹底的に否定した“同化政策に基づく教育”が行われたことにより、自文化を否定され、ネイティブアメリカンのアイデンティティが奪われたことに遠因があるということのようだ。

 これらを読んで、私は、昨年見た『サーミの血』を思い起こさずにはいられなかった。あの映画に描かれていたサーミ人(作中では“ラップ人”とも呼ばれていた)が置かれていたのも似た状況だった。スウェーデン政府は、同化政策によって徹底的にサーミ人たちのアイデンティティを破壊する一方で、サーミ人を隔離し、サーミ人の世界に閉じ込めた。本作で、ネイティブアメリカンを保留地に閉じ込めているのと同じ。サーミ人も多くはスウェーデン社会に溶け込んで生活しているらしいが、一部ではサーミの習慣を守って昔ながらの生活をしている人もいる。

 日本でも、アイヌ等に対する差別が、ごくたまにメディアで取り上げられることがあるが、それらの話を聞くにつけ、どうして先住民が、後から来た入植者達に迫害される目に遭うのか、非常に疑問に思うのである。ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』を大昔に読んだときは、多少なりとも私が昔から感じていた疑問が解消されるかと思ったけれども、あの本はあまりにも多岐にわたっていて、単純に「ああ、なるほど」などとなるわけは当然なく、ただ、そのタイトルにもあるとおり、武器、病気に対する抵抗力、技術、こそが入植民たちを有利にしたということらしい、というぼんやりした輪郭が見えた、という程度で終わってしまった。

 あの本を読んで以降は、何となく分かった気になったけれども、それでも本作のような話を見聞きすると、あまりの理不尽さに、やはり疑問が頭をもたげるのである。ただ一つだけ確信するのは、入植者達は、自分たちの方が先住民達よりも“優れて”いて、“文明的”であって、“進んだ”人間であると勝手に思い込み、その間違った思い上がりが、迫害を引き起こしたのだろう、ということ。それは、つい先日、南米かどこかで未確認の先住民族が発見されたらしい、というニュースを見たときにも感じた。現代文明から取り残された人たち、というニュアンスで報じるニュースは、まさに、入植者達の目線そのものではないだろうか。

 本作のラストには、こんな字幕が出る。「ネイティブアメリカン女性の失踪者に関する統計調査は存在しない。失踪者の数は不明のままである」、、、この事実について、監督・脚本のテイラー・シェリダンは「こうした統計を取るのは国の仕事だけれど、国は自治権のある保留地については権限がない。だから統計を取る人が誰もいない」と語っている。本作は、事実に基づいたフィクションだが、非業の死を遂げた人たちが闇から闇に葬られている現実が、あのアメリカで存在している、という事実に、私は激しい衝撃を受けて劇場を後にしたのであった、、、。

 日本でだって、恐らく、闇に葬られている悲惨な事実はたくさんあるだろうけれども、もしかすると、もっと衝撃的な現実が人々の知らないところで蠢いているのかも知れないけれども、本作で描かれていることも、私には十分衝撃的だった。


◆映画として素晴らしいが、、、

 映画自体は、全体に緊張感が途切れることなく、といって奇をてらったエグいシーンがあるでもなく、非常にまっとうに、真摯に作られた逸品である。

 なぜナタリーが死んでしまったか、という謎解きを縦糸に、白人であるコリーの物語を横糸にして、ネイティブアメリカンの置かれた現状や様々な問題を浮き彫りにしていくという秀逸な脚本。アメリカの警察制度が独特で、保留地内の警察、州の警察、さらには連邦警察(FBI)と、複雑過ぎて、見ていてメンドクサイ。合衆国ならではのメンドクサさなんだろうな、、、。

 そんな中で、若いFBI捜査官ジェーンは、最初こそ頼りなげだったが、実に真摯かつ勇敢に捜査に当たり、見ていて頼もしい。ジェーンを演じたエリザベス・オルセンが、いわゆる“クール・ビューティ”でハマっていた。彼女の身体を張った、というより、命を懸けた捜査活動により、少なくともナタリーの死についての真実は、きちんと解明され悪事が暴かれた。

 コリー自身は白人で、野生生物局のハンターという、言ってみれば合衆国政府の人間。ただし、彼はネイティブアメリカンの女性と結婚し、娘をもうけたが、その娘は非業の死を遂げているという過去がある。だから、保留地に住んでいるとはいえ、保留地の外の人間であり、しかし、保留地の中の人間の気持ちも分かる、という非常に複雑な立ち位置。こういう人間を主役に据えたのが、本作のキモだろう。

 コリーは、ハンターとしての腕も素晴らしく、そのピカイチの腕前は、終盤緊迫したシーンでいかんなく発揮される。この辺の展開も上手いな~、と唸らされる。

 そして、ナタリーが死んだ原因の主犯ともいえる白人の男をコリーが冷徹に追い詰め、鉄槌を下す場面は、本来ならナタリーの仇を討ったのだから清清しそうなものだが、到底そんな気持ちにはなれない。コリーのやりきれない怒りが見ている者にひしひしと伝わってきていたたまれないのだ。

 ナタリーの父親マーティン(ギル・バーミンガム)が、娘を悼むために顔にペインティングをして庭に座り込み、コリーと哀しい会話を交わすシーンは、本作の白眉といっても良いと思う。ただただ胸苦しく、せつない。

 素晴らしい作品だけれども、鑑賞後感はむしろ最悪かも知れない。

 シェリダン監督は、脚本を担当した『ボーダーライン』も好評の様だが、監督としては、本作がデビュー作となるとのこと。『最後の追跡』と併せて、現代アメリカのフロンティアを描く3部作とのことなので、他の作品も見てみようと思った次第。









DVDでもう一度見るだろうな、、、。




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悪女(1964年)

2018-09-10 | 【あ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 円城家に新しい女中さんがきた。田中姫子(小川真由美)は福島の貧しい農家に生れ、砂利トラック相手の売春婦にまで身を落した過去をもっていた。だが、砂利トラックの運転手鈴木亀吉(北村和夫)を知ってからは、地道に結婚資金を稼ぐために、弥生家政婦会に所属したのだった。

 円城家は、狭心症で寝たきりの主人礼次郎と、芸者あがりの後妻由紀(高千穂ひづる)、長男のテレビライター英介(梅宮辰夫)、長女の短大生冬子(緑魔子)、それに婆やのしの(浦辺粂子)が、広い邸宅に住むブルジョア家庭であった。姫子にとっては上流家庭の雰囲気だけでも、快いものであったが、礼次郎の莫大な資産をめぐる由紀と冬子の争いには、へきえきさせられた。

 そんな姫子に悲劇が襲って来たのは、冬子の誕生日であった。らんちき騒ぎの末、クジ引きで負けた冬子が、その全裸の代りを姫子に要求したのだ。だがそれは英介の出現で、救われた。前から姫子の肉体を狙っていた英介にはよいチャンスであった。

 思いあまった姫子は、弥生会のはつ(杉村春子)に廃業を申し出たが励まされて、ひとまず亀吉の実家に帰った。だが英介の子供を身ごもったと知った亀吉に追われ、再び円城家に帰った。

 一方冬子は、財産を狙い、礼次郎の命を縮めて英介とも関係をもつ由紀へのはらいせに、姫子を英介の別荘にやり、由紀との三人の対決を仕組んだ。

 数日後、由紀に呼び出された姫子は、二百万円で子供をゆずって欲しいと持ち出された。財産目当の由紀が巧みに考えたことであった。思いあまった姫子は、礼次郎にすべてを話した。だが、礼次郎は、姫子を養女にしようと言った。

 あわてた英介、冬子、由紀の三人は、姫子を誘いだし湖に突き落した。だがその夜、英介は水びたしの姫子によって猟銃で射殺された。姫子の執念が、英介の前に辿りついたのだった。

=====ここまで。

 すごい豪華キャスト、、、、(嘆息)。

 
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 先日まで神保町シアターにて「1964年の映画――東京オリンピックがやってきた「あの頃」」という特集をやっていて、『愛と死をみつめて』とか『乱れる』とかはどーでもよいけど、『月曜日のユカ』『五辧の椿』『散歩する霊柩車』なんかは見たいなぁ、、、と思っていて、でも『月曜日のユカ』『五辧の椿』はDVDも出ているし、何よりスケジュール的になぁ、、、と思って諦めかけていたんだけど、ひょっこり平日の昼間に時間が出来て、滑り込みセーフで、本作を見て参りました。

 これは……、見に行って正解! ソフト化して欲しい!!


◆このキャストで面白くないわけない。

 オープニングが、何やら怖ろしげで(スクリーンの右半分に小川真由美の虚ろな表情の顔、左半分に「悪女」とタイトルが入り、小川真由美のあの調子のナレーションが流れるのよ)、これは、一体どんな悪女を小川真由美サマは演じておられるのだろう、、、、と思って見ていたら、ゼンゼン違うやん! え~~っ!! となりました。本作の“悪女”は、小川真由美サマではないよね??

 ……しかしまぁ~、とにもかくにも、今から思えばすんごい豪華キャスト。主役の小川真由美サマにとって、同年の『二匹の牝犬』での緑魔子とのW主演作に続く主演映画。脇を固めるのは、家政婦紹介所の元締めを杉村春子、円城家のドラ息子を梅宮辰夫、姫子の彼氏を北村和夫、家政婦の先輩を浦辺粂子、、、と錚々たる顔ぶれ。

 緑魔子といえば、私にとっては『盲獣』なんだけど、やっぱり本作でももの凄い存在感で圧倒。緑魔子演ずる冬子嬢のキレイな脚を風呂場で愛おしそうに撫で洗う姫子の小川真由美の画は、もう邦画の名シーンの一つと言っても良いと思う。それくらい、この2人が同じ画面にいるのがキョーレツなのであります。

 私の知っている小川真由美は、やっぱし『八つ墓村』のイメージが強く、妖艶で、得体の知れない怖さと貫禄を感じるのだけど、本作での彼女は、ホントに田舎から出て来たちょっとオツムの弱い娘、って感じで、かなり意外。当然、貫禄などもなく、華奢で可愛らしい。金持ち独特の底意地の悪さや些細なことなど、あっけらかんと気にせずに、「わだすは人が喜ぶ顔見ると、嫌なことぜ~んぶわすれるんです~☆」とか言いながら、冬子の脚を泡泡にしながら洗っている姫子は屈託がない。ホントに、小川真由美が可愛い、なんて意外過ぎる。

 ドラ息子・英介に靴を磨けと言われて、靴を磨く姫子に、「君、ボーイフレンドいるの?」と英介が聞くと、姫子は「はい、一人!」なんて無邪気に答える。英介が「一人いれば十分なんだよ!」と大笑いして返すシーンは微笑ましくさえある。

 一方の冬子嬢は、仏文を学ぶ女子大生なんだけど、レズビアンで、しょっちゅう家にガールフレンドを連れ込んでお楽しみに耽るという、この時代にしてはかなり先鋭的なお嬢。緑魔子、ある意味、ハマり役かも。

 冬子の継母・由紀を演じた高千穂ひづるが、いかにも芸者上がりという感じで、おまけに冬子に負けず劣らず性悪なところが笑える。この継母、心臓が悪くてほとんど死にかけて役立たずの夫(円城家の主)を、早く死なせようと添い寝して興奮させ(もちろん出来ない)、その一方で、継子のドラ息子・英介とセックスしているのである。

 まぁ、金持ちの家族が狂っている、っていう設定はありがちだけど、本作の円城家の人々もなかなかの狂いっぷり。しかも、演じているのが緑魔子と梅宮辰夫だからね、、、。そこに思いがけず入り込んじゃった、これまたある意味狂っている田舎娘が小川真由美、、、。面白くないわけないよね。


◆“悪女”とは誰のこと?

 英介にレイプされて妊娠してしまった姫子。そのせいで、彼氏の亀吉には「淫売!」とまで言われて捨てられるんだけど、でも、姫子は(この辺がオツムの弱さを露呈しているんだけど)英介の子を妊娠したのだから、英介と結婚すれば良い、と考えちゃう。使用人など犬猫以下と思っているような人間との結婚を、本気で考えてしまう、、、。亀吉への未練とか、ほとんど描かれていない。

 結局、あれがあってこれがあって、英介に殺されかけた姫子は、逆に英介を猟銃で射殺する。お腹の子の父親でありながら、自分と子どもをもろとも抹殺しようとしたことへの怒りだったのかなぁ。それとも、殺さなければ、殺される、という思いからなのかなぁ。その両方かも知れない。とにかく、姫子は英介を殺し、自首して、刑務所で出産する。

 まあ、中盤から終わりまでは、前半のノリは一転して暗く陰惨な感じになっていくのだけど、詰まるところ、本作での悪女は、小川真由美演ずる姫子ではなく、冬子と由紀になるのではないか。姫子は、飽くまで被害者で、殺されそうになったから殺した、ということを考えると、悪女とは言い難いでしょ。

 でも、あの曰くありげなオープニングからは、どう見ても、姫子が悪女である、と言っているように見えるのよね。この辺が、ちょっと最初の印象と中身がゼンゼン違うなぁ、、、という感想になった所以であります。


◆余談&東京五輪

 緑魔子と梅宮辰夫は、その後もたくさん共演しているらしい。浦辺粂子とは、『盲獣』でも共演している、、、と思ったら、あちらは千石規子だった。すんません。

 小川真由美もそうだけど、この頃の若い女優さんは、皆、ものすごく美しいし、なんというかオーラがある。姫子のような田舎娘を見事に演じていても、やはり端々に見せる美しさは隠しようがない。映画スターという単語がしっくりくる役者さん達である。

 60年代~70年代の邦画を見ると、勢いを感じる上に、挑戦的で見ていてゾクゾクさせられる作品が多いと思う。今の邦画も良い作品はあると思うが、良くも悪くも商業映画が主流で、やはりこの頃の、アバンギャルドさは感じられない。業界がある程度成熟した、という面もあるとは思うが、本作などを見ると、やっぱり何か現在の邦画に物足りなさを感じることは否めない。

 それから、オリンピック、、、。

 東京オリンピックなんて全く興味ない、というより、むしろ、今からでも1,000億円払ってでも返上して欲しいくらい。前回の1964年に東京にオリンピックを誘致する意義は確かにあったんだろうなと思うけど、2020年に東京でオリンピックを開催することに、一体どれほどの意義があるのか疑問。いや、ほとんど意義などなく、ムダだと思う。オリンピックやってる場合か、とさえ思う。

 オリンピック開催中に、東京湾直下の地震が起きたらどーすんの? 津波、確実に湾岸エリアに来ますよ?? そこに、施設がたくさんありますが、どーすんの、避難とか。今の五輪実行委員会の面々が真面目にそういうことを考えているとは、到底思えない。地震なんて来るわけない、んだよね、きっと。でも、来ない保証はないよ??

 ○兆円というお金があれば、今、東京が、日本が抱えている喫緊の課題がたくさん解決できるはずなのに、福島だっておよそアンダー・コントロールじゃないのに。

 私は、東京に住んでいて、あちこちで五輪ポスターを目にするけれど、目にする度に憂鬱になり、怒りさえ覚えます。関心の全くない都民の一人として、オリンピックなど関係なく過ごしたいのに、向こうから強引にやってくる。

 せめて、興味ない人にはオリンピックなど見聞きしなくてすむよう静かに過ごさせてくれ。って……ムリなんだろうな、、、トホホ。







緑魔子、やっぱりイイなぁ~。




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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅱ ~ハノイ(ベトナム)~その③

2018-09-05 | 旅行記(海外)
**美しいエリアーヌの愛した仏領インドシナ** vol.3
 




その②につづき

 旅の2日目は、このツアーのメインメニューである“ハロン湾クルーズ”!!。天候次第では中止になると言われていたので、雨だけは降らないで~と思っていたら、素晴らしい晴天でありました。

 出発は朝7:50。ハノイからは直線距離でせいぜい150㎞弱ってとこなのに、バスで片道4時間かかるという、、、。現地ガイドのタカさんによると、ベトナムには(ハノイ周辺だったかな。記憶が曖昧でスミマセン)まだ自動車専用高速道路がないのだとか。だからちょっと時間かかります、とおっしゃっていた。運転手さんは、かなり飛ばすし、運転も結構荒いし、これでも、やっぱり時間がかかるのか、と高速の有り難みを感じた次第。 


ハノイ市街を振り返って撮った(ハノイに向かう道路は朝の渋滞中)


 このツアーでは、ペットボトル以外の水は決して口にしないように! と結構言われ、移動のバスの中ではペットボトルの水(500ml)も販売してくれていました。私は、ホテルの部屋に置かれていたペットボトル(350mlだったかな)2本を持ってきていたのでそれで足りたけど、人によっては、何本も買っている人もいました。

 長時間のバス乗車だけど、2席を1人で使えるので、あんまし苦にならない。タカさんはハロン湾の説明を一生懸命してくれるけど、別に寝ていたっていいし、音楽聴いてたっていいし、きままに過ごせるのはホントに有り難かった。

 ただまあ、ツアーゆえに、強制的にお土産物屋でトイレ休憩となるのよね、、、。

 その①でも書いたとおり、名産のスタールビーをここで買わされた私、、、。買うつもりなどさらさらなかったんだけど、一応、どんなものかと見てみようとショーケースを覗いたのがイケなかった! 可愛いお姉さんに捕まり、お姉さんは日本語がとっても上手で、おまけにマジで可愛い。何というか、スゴい美人とかキレイとかではないんだけど、愛くるしいのですよ。こっちも最初は「遠慮しとくわ」と言って通り過ぎようとしたけど、上目遣いに「これ、ホントにイイんですよ! 記念に是非是非!!」などとあからさまに言われると、「ま、いっか、、、」となってしまったんですよねぇ、、、。


これが、そのスタールビーのペンダントヘッド(チェーンはおまけで付けてくれた)

 
 お値段はですね、、、。ゼンゼンお安くはないですよ、日本円にして大体35,000円。まあ、妥当な価格とは思えないけど、これも旅の記念代と思うことにしました、ハハ。ま、早速使っていますけどね。お姉さんの笑顔に負けたました、、、ごーん。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 かくして、やっとこさお昼前に着きました、ハロン湾の船着き場に! 

 入り口からターミナルの中にかけてはもの凄い人で写真を撮るどころではなかったんだけど、船着き場の方に出ると、なんとズラ~ッとクルーズ船が並んでいるのでありました。


一体何隻あるのやら、、、



これが私たちのツアーが乗ったクルーズ船(もちろん貸切り)



船内はこんな、、、(何故か“HAPPY NEW YEAR”と……)


 まあ、皆さんでテキトーにテーブルに着きます。1テーブルに4人ずつ。ごくごく庶民的なクルーズ船で、エアコンも一応ついているけど、あんまし効いてなくて。私たちがテーブルに着いてから、乗員さんたち、あたふたとテーブルセッティングを始めていました。

 で、いよいよ出発。

 この辺りは、リゾート地として現在、絶賛開発中!!なんだそうです。なので、沿岸に並ぶ建物はほとんどがリゾートホテルかマンションか別荘だそうな。タカさん曰く「お金持ちの人しか買えません」!! 日本円で、ウン千万という価格だって。きっと、中国の富裕層とかが結構買ってるんじゃないのかなぁ、などと勝手に推測しておりました。



 でも、美しい眺めでしょ~~! しかもこのお天気!!

 ……と、思っていたら、いきなり料理が運ばれてきます。メニューがないから、何の料理か詳細が分からないところがミソ。まずは、スープ茹でた海老。スープは、酸辣湯みたいの。サッパリしてて、味は薄めだけどまあまあ。





 海老はお姉さんが手際よく剥いてくれ、スープの横に映っている塩だれをつけて食べる。たれは、ニョクマム入りオイルかな。唐辛子も入ってほんのちょっとピリ辛で、塩も効いていて、これは美味しかった! ゆで加減も絶妙でプリプリジューシー。いくつでも食べられそうな勢いでした。

 で、ここでも、昨夜のディナーのお店と同様、コースのはずが、どんどん料理が運ばれてくる。


蟹の肉詰め!?揚げてあってボリューミィだった



揚げ春巻き



白身魚のフライ甘酢あんかけのせ&シーフード入り八宝菜?? 白いのはご飯


 とにかく、矢継ぎ早に出されるので、ゆっくり味わうなんてもんじゃなく、ひたすら食べまくる。味はどれも美味しいけれど、もう少しゆったり食べたかったなぁ、、、。まあ、それもこれも、3時間のクルーズで食事も鍾乳洞探索も全て済ませないといけないから、ってことなんだろうけど。

 そうして、慌ただしく食べ終わる頃、いよいよ、ハロン湾の見所とも言うべき、奇岩の点在する場所にやって来ました。


間近で見るとスゴい迫力


 この後、あの『インドシナ』で見たハロン湾の美しい景色が現れます~!






その④につづく
コメント (4)
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2重螺旋の恋人(2017年)

2018-09-01 | 【に】



 以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 原因不明の腹痛に悩まされていたクロエ(マリーヌ・ヴァクト)は、精神分析医ポール(ジェレミー・レニエ)の元を訪れる。穏やかなカウンセリングによって痛みから解放されたクロエは、ポールと恋に落ち、同居を始める。

 そんなある日、クロエは街でポールにうり二つの男と出会う。ルイ(ジェレミー・レニエ)と名乗るその男はポールと双子で、しかも同じ精神分析医だという。

 なぜポールはルイの存在を隠しているのか。真実を突き止めようと、偽名を使ってルイの診察室に通い始めたクロエは、優しいポールと異なり傲慢で挑発的なルイに惹きつけられていく……。

=====ここまで。

 オゾン作品は、何となく見たくなるというか(見ていない作品も結構あるけど、、、)、本作も予告編を見て、ううむ、、、という感じだったけど、結局見に行ってしまいました。……まあ、なんというか、あんましオゾンぽくないような、……でもやっぱしオゾンかなぁ、、、とか、ちょっとモヤモヤ感が残る作品でございました。

 
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◆クロエ=オゾンの思い込みの塊、じゃない?

 私のオゾン作品に対するイメージは、シニカルで意地悪、妄想もリアルも入り乱れサスペンス色濃く、人間の醜さを描いている、という感じなんだよね、、、。妄想も結構あるけど、リアリティというか、人間のリアルな醜悪さを描いていることが多いので、あまり観念映画を作る人というイメージはなかったんだけど、本作は、もう徹頭徹尾、彼の観念映画としか思えなかった。

 彼はゲイだから女性を客観的に見ている、というのはよく聞くオゾン監督評だが、本作に限ってはそれは当てはまらないと思う。マリーヌ・ヴァクト演ずるクロエは、オゾン監督の脳内で産み出した、彼の女性に対する“思い込みの塊”に見えて仕方がなかった。

 つまり、女は優しいだけの男には飽き足らず、粗野な男に(適度に)乱暴に扱われることを密かに望んでいるはずだ、という思い込み。オゾン監督ほどの人でも、そんな巷で言われる陳腐なデマを信じるものなのねぇ、、、と、まあぶっちゃけて言えば、軽く失望したのよね。

 彼はフランス映画祭で来日した際に、「私がこの作品で描きたかったのは『性の不満足』。セックスと心の問題の乖離だ」と語っているとか。性の不満足の解消=パートナーと正反対の性癖を持つ相手とのセックス(本作の場合はそれが“暴力的なセックス”)ってのはかなり短絡的な思考回路だと思う。彼がそう考えたかどうかは定かではないが、本作を見る限りは、そう考えたんじゃないかと思える。

 これって、非常に危険な思い込みで、こういう思い込みの延長上に、「女にはレイプ願望がある」とかいうトンデモな発想があるわけで、ハッキリ言って、女の私からするとかなり不快である。

 暴力的なセックスを好む女性はいるかも知れない。しかし、だからといって、“女は暴力的なセックスもOKなんだ”という思考は、絶対的にNGである。セックスの嗜好は千差万別だから、それは当人同士がきちんとコミュニケーションをとりながら楽しむものであって、飽くまで当人同士の間の了解があってのこと。本作では、ルイがいきなりクロエを襲うという、レイプまがいのシーンもある。

 別に本作で、クロエにレイプ願望があるという描写がされているわけではないけれど、優しいポールと荒っぽいルイとの3Pをクロエが妄想するシーンがあり、これなんかは、もうホントに言っちゃ悪いがゲスな男の妄想シーンとしか思えなくて、苦笑してしまった。オゾン監督も、ヘテロの男とおんなじこと考えるんやなぁ、、、と。だから、ちょっとオゾンぽくないような感じを受けたわけ。


◆どこまでがリアルなのか、、、?

  双子って、創造力を刺激する存在なんでしょうねぇ。本作を見ながら、クローネンバーグの『戦慄の絆』を思い浮かべておりました。『戦慄の絆』でも、やはり双子が1人の女性を共有していたのだけど(その女性を、大好きなビジョルドが演じていたけど、あの作品でのビジョルドはイマイチ素敵じゃなかった……)、あちらの作品はリアルな世界での出来事を描いていて、ジェレミー・アイアンズ演ずる双子は悲劇的かつグロテスクな最期を迎えていた。

 方や、こちらのポールとルイの双子は、、、私は見ている間中、ルイの存在はクロエの妄想ではないかと感じていた。しかし、終盤、ポール自身がルイのことを語るシーンもあり、ああ、やっぱり双子なんだ、、、と思わせられる。それに、この双子はある女性を悲劇に陥れた過去を共有しており、その事実をクロエが突き止める、、、などというエピソードも出てくる。

 まあ、あとはネタバレになっちゃうから書かないけれども、とにかく、この双子が実在するものと確信させられた挙げ句に、ラストで足下を掬われるわけだから、こういう作りは、やっぱしオゾンだなぁ、と思った。決して観客を安定した場所に置いておかない、という意地悪さ。まあ、そこが好きでもあるんだけど。

 終盤出てくるジャクリーン・ビセットが結構カギを握っていると思う。え、、、ええ~~??な役回り。彼女が、クロエが入院して駆けつけたときに襟に付けていたのが、あの“猫のブローチ”(詳しくは本作を見てください)ってのが、うわぁ、、、って感じだった。未見の方には何のことやらさっぱり分からなくてスミマセン。


◆その他もろもろ

 マリーヌ・ヴァクトは美しかった。ちょっと、ビノシュを思わせる感じがしたんだけど、それってあんまし彼女にとっては嬉しくないことかしらん? 途中、ルイとの関係を重ねるうちに、どんどん妖艶さをまとって美しくなるんだけど、この辺の描き方も、若干陳腐さを感じた次第。まあ、精神的にも肉体的にも充たされていく、、、ってことを描いているんだろうけどね。

 全裸で椅子に座っているシーンで、マリーヌ・ヴァクトもジェレミー・レニエも、段腹なんかにゼンゼンなっていなくて(アタリマエか?)、こういうところも役者さんって大変なお仕事よねぇ、、、などと思ってしまった。

 クロエが苦しんでいた腹痛の原因が、“寄生性双生児”だった、と判明するシーンは、ちょっとグロいです。寄生性双生児って、もしかして、「ブラック・ジャック」のピノコが生まれたエピソードと同じかな? ピノコは人間になるだけの“部品”が奇形嚢腫にあったのだけど、本作では、、、(グロです)。

 双子を演じたジェレミー・レニエが頑張っていました。当初は別の俳優になるはずだったけど、その人が降りちゃった、、、とのこと。ゼンゼン違うキャラの人間を見事に演じ分けておられました。『戦慄の絆』のジェレミー・アイアンズ演ずる双子は、どっちがどっちか分からなくなる場面もあったけど、本作は混同することはまったくナシ。奇しくも双子を演じたのはどちらもジェレミーだね、、、。ものすごくどーでもよいことで、、、スミマセン。








ラストシーンでビックリ&ちゃぶ台返し!?




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