映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ブロンテ姉妹(1979年)

2014-08-27 | 【ふ】



 BSでオンエアしていたのを録画して見てみました。見るまでフランス映画とは気付かず・・・。イザベル・アジャーニだから予約したんだけど、タイトルからしてまさかフランスによる、フランス語の映画とは、だれが想像しましょうか・・・。がーん、、、。

 というわけで、のっけからショックを受けたわけですが、まあ、イングランド北部っぽい雰囲気(って行ったことないんだが、あくまでイメージ)は出ていた気がします。灰色の空とか、ジメッとした感じとか。でもって、話もすごーく暗いんですね、これが。見ているだけでウツになりそうです。ハッピーな要素と言えば、最後の方にシャーロットがちょっとだけ報われるところくらいですかねぇ。いやぁ、これはシンドイです。

 当時の(今もか・・・)階級社会の国で、決して裕福とは言えない家に生まれた人々ってのは、こんなもんなんでしょうか。こんなんでも恵まれた方なんでしょうか。何のために生まれてきたのだろう、と素朴な疑問が頭から消えません。なんというか、「希望」というものが見出せない生活なのです。

 彼女たちは、それでも才能が有ったので、後世、こうして存在を示すことができていますが、そうはいっても生きている間はせっかくの才能も埋もれる環境です。一体、彼らが何に喜びを見出して生きていたのか、この映画からは、全く読み取ることができませんでした。

 、、、だからこそ、「ジェイン・エア」にしろ、「嵐が丘」にしろ、ああいう話が書かれたのだろうと、ズーンと胸に重く納得させられてしまい、それはそれで非常に苦しい思いがします。書くことだけが、物語の中の世界だけが希望だった、なーんて陳腐だけど、まあ、そんなとこなんじゃないでしょうか。少なくとも、本作を見るとそう思わざるを得ません。

 話は変わりますが、ちょっと前にNHKで「ダウントン・アビー」という、時代こそ違えどイングランドの階級社会そのものを描いたドラマをオンエアしていたんですけれども、上流階級の生活は希望に満ちていたのかというと、まあ、物質的には恵まれてはいましたが、彼らは彼らでもの凄く生きにくそうでした。自由がないんですよね、根本的に。一番自由そうなのは、強いて言えば、中産階級でしょうかねぇ。それでも、天井は歴然とあり、選択肢は当然限られているわけです。

 そうしてみると、階級社会って何なんでしょうか、ってことです。だれもハッピーじゃない社会。何のために誰が作ったの、と聞きたくなっちゃう。いろいろ問題は山積でも、今や風前の灯か、あるいは幻のアメリカン・ドリームとやらを信じられた国の方がまだしも良かったのでは、と思っちゃいますねぇ、これじゃ。

 イザベル・アジャーニは、やはりため息が出るほど美しかったし、イザベル・ユペールはまだまだ若いけれども存在感があり、どちらも素敵でした。しかし、いかんせん、フランス語で「フランス語はよく話せない」とかいうセリフを吐いているのは、いかにもヘンで、見ている間中、居心地悪かったです。2時間そこそこの映画なのに、異様に長く感じたのもマイナス。

 あー、今度は、もっと明るい作品を見よう。

だから、彼女らはああいう作品ばっか書いたのか・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なまいきチョルベンと水夫さん(1964年)

2014-08-23 | 【な】



 私が生まれる前の映画が、デジタルリマスターにて、なんと、本邦初公開だとか。なぜ今なのかとか、パンフを見たけど特に記述ナシ。原作者の生誕記念とか、そういうのでもなさそう。でも、作品自体が50周年ですね。

 その原作は、「長くつ下のピッピ」の作者アストリッド・リンドグレーン著「わたしたちの島で」。この原作も、もとはリンドグレーンが脚本を書いた13本からなるテレビシリーズから生まれたのだとか・・・。「ピッピ」は私が子どもの頃にTVでドラマが放映されていて、結構ハマった記憶があり、チラシ(ポスター)の絵がとっても素敵だったので、折角だから見ておこうと劇場へ行った次第。

 、、、見て良かったです。舞台はノルウェーの小さな島「ウミガラス島」。そこに暮らす人々と動物(いっぱい出てくる)のほのぼのとした日常のオハナシで、それだけといったらそれだけの作品です。タイトルにもなっている主人公のチョルベンは、ちょっと太めの女の子で、確かに生意気なんだけど、愛嬌があって憎めないし、いつもつるんでいる女の子スティーナ(前歯がないのね、生え変わりで。可愛い)が魅力炸裂で素晴らしいです。基本的に悪い人は出てこない(嫌な大人は一人いますがまあ、ご愛嬌です)し、小さな事件は起きますがちゃんと丸く収まります。

 まあ、子ども+動物ってのは、最強のコンビですから、これだけで反則っていやぁ反則です。ただ、本作の場合、ただイイ話、可愛い、自然って素晴らしい、子どもって純粋、とか、そーゆー見え透いたあざとさがないのです。チョルベンもスティーナもそこそこ根性悪なところもあり、大人も大人げない言動をしています。動物にも演技をさせていないし。でも、全編ユーモアに満ち、とても優しい作品です。基が児童文学だからとか、そういうこともなくはないだろうけど、人の気持ちを思いやる、という当たり前のことが丁寧に描かれた、愛すべき作品だと思います。

 個人的には、ラストシーンがダメ押しでした。このラストシーンが、本作の魅力をさらにアップさせたと思いますね。素晴らしい!

 そうそう、あと、みどころは、子どもたちのファッションと、インテリアです。子どもたちの着ている服の可愛らしさ、色使いの素敵さ、50年前でも今でも変わりなく魅力的です。インテリアは、素朴ながらも住みやすく工夫された、見ていて楽しくなるものでした。今の北欧インテリアブームの根っこがここにあるのかも。

 DVD化してほしいですねぇ。そうしたら絶対買いです。

“水夫さん”ってのはチョルベンの愛犬の名前です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デストラップ 死の罠(1982年)

2014-08-19 | 【て】



 これも、やっぱりダイアン・キャノンの出演作が見たくて借りたんだけど、監督がなんとルメットさんでした。知らなかった・・・。

 舞台がもとの作品なので、基本的に会話が、というかセリフが多いです。でも、整理されたセリフの多さなので全然問題ありません。字幕でちゃんと情報はカバーできるレベルです。

 まあ、ダイアン・キャノン演じるマイラは、あまり見どころのある役とはいえず、彼女の魅力は発揮されないままでした。やたらキャーキャー騒いで(というキャラだから仕方ないのだけれども)出番が終わっちゃいました。そう、彼女は途中で死んじゃいます。

 ここが、中盤での一つのヤマなんですが、このヤマがですね、あのクルーゾーの『悪魔のような女』と同じなんですよねぇ。嫌でもあの作品を思い出しちゃうでしょう、見ている人は。

 で、ここからは二転三転しまして、クリストファー・リーブとマイケル・ケインの画にならないキスシーンなんぞまであって、一瞬のけぞるのですが、一応、飽きずに最後まで見せてくれます。・・・が、まあ、あんまり痛快なドラマではありませんねぇ。なんか、無理矢理などんでん返しが続くのです。

 とはいっても、やはりサスペンスの舞台劇って、こういう作りにならざるを得ないですよね。いかに、観客を裏切るか、が成否のカギを握る訳ですから、ありとあらゆる裏をかかなければならないのが、脚本の宿命です。これが、もともと映画のために書かれたホンなら、ここまでやらなくても、面白い作品はできたと思います。人物描写はセリフだけでやらなくても良いわけですし。

 ルメット作品をたくさん見ている訳じゃないけれど、私は、遺作となった『その土曜日、7時58分』の方が断然素晴らしいと感じたなぁ。なんか見ていて心臓ギリギリやられるというか・・・。

 やはり舞台劇は舞台だからこそ味が出るのであって、舞台でヒットしたから映画にしても面白いかというと、必ずしもそうではない、という、、、まあ、そんな作品はゴマンとありますが。

 あと、クリストファー・リーブは、いい俳優さんだったのだなぁ、と思いました。彼の出演作もほとんど見ていないけれど、『日の名残り』とか、見てみようかな。

観客を裏切ることにだけ徹した舞台劇は映画にする意味なし
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エル・トポ(1970年)

2014-08-18 | 【え】



 公開中の『リアリティのダンス』を見たいなぁ、と思っているんだけど、もうすぐ終映しちゃうなぁ、、、。でも、多分、ギンレイにかかるだろう、てか、今ならまだ見られるんだけどなぁ、、、。

 と、見に行く前に、ホドロフスキー作品を一つくらい見ておこう、と思って、・・・まあ、やっぱりコレかな、と。

 うーむ、見ている間中、パゾリーニの名前が頭に浮かんでしまった。なんか似ている、、、というか、かなり影響受けているんだろうな、きっと。冒頭、いきなり、素っ裸の男の子が出てきて、なんかもう、これでヤラレたぁ~、って感じ。子連れ狼みたいなノリなのに、急にその男の子を捨ててしまうんだからビックリ。「父は死んだ、一人で生きろ」ってさぁ、、、なんちゅういきなりな展開!!

 しかし・・・、虐殺、略奪、騙し、レズ、ホモ、異形 タブー、、、、何でもござれで、前半と後半ではガラリと雰囲気も変わってしまう。磔刑にされたイエスの化身みたいな終わり方の前半に続く後半は、フリークスたちの神を気取って穴掘ったりしてるんだけど、結局全部裏目に出ちゃって、神になんかなれる訳もなく。おまけに、捨てっぱなしだと思っていた息子が現れ(ってことだと思うんだけど)・・・。

 まあ、『リアリティのダンス』もホドロフスキーの自伝的な父子の物語、とあったので、この素っ裸で捨てられちゃう息子と、身勝手な父親は、彼自身の人生の投影なんだろうな、ということは容易に想像がつく。

 ただ、私は、最初から何だか好奇心を鷲掴みにされて、そのままラストまで勢いで行っちゃったクチで、正直、ヒジョーに面白かったです、ハイ。もの凄く宗教色が強いので、本来、私はちょっとダメな方かなとも思うのですが、それを凌駕する、ホドロフスキーのぶっ飛び創造力に、ヤラれました、、、、。何なんだ、この人、、、。

 シュヴァンクマイエルが、相撲の番付よろしく、変態映画番付でいうとすれば東の横綱「哲学編」てところで、ホドロフスキーは西の横綱「宗教編」てな感じじゃないでしょうか。、、、違う? そうねぇ、変態哲学映画なんて、シュヴァンクマイエルくらいしか撮ってない気もするけれど、宗教映画の変態度の強いのは他にも一杯ありそうだもんね・・・。グリーナウェイとかもそう? 彼のは宗教色ってのとはちょっと違うか、、、。パゾリーニの方がやっぱし変態度強いかな・・・。まあ、ここまでくると後は見る人の感覚次第ですけれど。

 やっぱし、『リアリティのダンス』見なくては!!

変態映画番付・西の横綱「宗教編」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの胸にもういちど(1968年)

2014-08-14 | 【あ】



 へー、これがあの噂の、全裸にライダースーツの映画ですか。確かにセクシー、、、。

 この作品を一言で紹介するとなると「全裸にライダースーツを着たレベッカがひたすら抱かれたい男に会いにハーレーぶっ飛ばして、結局事故っちゃう映画」でしょうか。最初からラストは見え見えですね、、、。

 こういう作品の場合、中身をとやかく言うのは野暮ってもので、マリアンヌ・フェイスフルが可愛いだの、アラン・ドロンは相変わらず美しいけど品がないだの、そういうことを突っ込みながら見れば楽しめる訳です。ハーレーってあんな簡単に乗りこなせるもんなのか、とか、レベッカの親父はあまりにもバカなんじゃないか、とか、、、、。罪のない突っ込み方は一杯あります、はい。

 本作で一番印象に残ったシーンは、そりゃ、やっぱりラストでしょう。でも、それを言っちゃぁおしまいよ、ってことで、次点のシーンとなると、私の場合は冒頭でしょうか。冴えない夫はサーカスの舞台の真ん中で場違いなチェロを弾いています。きっとあんまり巧くない。子どもたちに笑われている。で、そこに颯爽と現れるハーレーに乗ったダニエル。もう、これだけで、なんて残酷な描写だろうと思いますね。それはもちろん、この続きを見て初めて理解するわけですが。

 ここが本作の象徴みたいなシーンだと思います。結局、危険な香りのするシュッとしたイイ男に若い女は惹かれるんだろ? みたいな作り手のノリ。自分を気遣ってくれる優しさより、強引な身勝手さの方が良く見えんだろ? だろ? って言ってるみたい。

 ばーか、そこが男の浅知恵なんだよ! と言ってやりたい気もするが、まあ、そう言いたくなる男の気持ちも分かるので、そこまで捻くれたツッコミは入れないけれど(入れてるか)。

 まぁ、若かろうが歳とろうが、人間は基本的に愚かですから、こと色恋においては学習しない傾向が強いと思います。若くても、別に危険な香りのする男なんか興味ない女性もいますしね。歳とっても(とったからか)若いことばかりを女に求めるオッサンもいます。だから、まあ、私のうがった見方かも知れませんけど。

 ダニエルが大学教授、って設定がムカつくんだよねぇ。やり過ぎじゃない? 売れない物書きくらいにしてよ、せめて。

 そうそう、監督のジャック・カーディフは、あの『赤い靴』の撮影担当だったのですね。『赤い靴』は3年前、デジタルリマスター版を劇場で見ましたが、素晴らしかった! 道理で、映像がなかなか斬新で面白い訳でした。

男の妄想&思い込み全開作品
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上海から来た女(1947年)

2014-08-13 | 【し】



 オーソン・ウェルズって、身長は190センチもあるらしいんだけれども、映像で見ているとあまりそんなふうに見えないなぁ。確かに、リタ・ヘイワースと並ぶと、頭一つデカいので、やはり大きいのだろうけれど。顔がデカいという訳でもなさそうだし、本作ではそれほど太っている訳でもないし。何にせよ、ルックス的に(あくまで私にとって)どうもイケてないのである。

 オープニングのシーン、夜、馬車に乗ったエルザにオーソン・ウェルズ扮する通りすがりのマイケルが、エルザの顔をジロジロ見ながら近づいていくんだけれど、これ、現実の一コマだったら、かなり怖い場面でしょ。これが成立する条件はただ一つ、マイケルが、相手の警戒心を緩めるような誰もが認める“イイ男”であること、な訳で。マイケルは、というより、オーソン・ウェルズは、どう見てもゴツくておよそ美男子とは程遠いルックスのオッサンで、ああいう男が深夜にあんな感じで近づいて来たらせいぜい物取りか何かと思われても仕方なく、ましてお金持ちの奥様なら尚のこと、警戒して馬車を全力疾走させるのがオチだと思うんですけど。というわけで、最初から私は躓いてしまいました、、、。

 私生活上でいくらパートナーだからと言って、スクリーンで絵になるかならないかは冷静に判断してほしかったですね、監督さんには。

 それを脇へ置いたとしても、本作は何だかヘンなお話です。一応、サスペンスだけど、粗が多すぎて、見ている方としては「は?」の連続。いくらカットしまくったからといっても、これはちょっとヒドいよなぁ。観客のこと、何も考えていないとしか思えませぬ。しかも、前半はかなり退屈。まあ、有名な、あの鏡の間の銃撃シーンは、確かに面白かったけれど。

 『市民ケーン』も、私にはその良さがよく分からんかったが、本作もなぁ、、、。こんなこと書いたら、彼のファンに顰蹙を買いそう(?)だけど、どうも、彼とケネス・ブラナーって私の中ではイメージがダブるのです。どっちも、あんまし好きになれないし、、、。顔もちょっと系統が似てないですかね・・・? 下膨れな感じとか・・・。似てないか。

オーソン・ウェルズの、オーソン・ウェルズによる、誰のためでもない作品
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンカーン(2012年)

2014-08-11 | ダニエル・デイ=ルイス(D・D・L)

★★★★★★★★☆☆

 本当は劇場に見に行くつもりだったのに、不覚にも行けなかった。ダニエル・デイ=ルイスの作品だというのに、なんてこった、、、。

 で、DVDを気合い入れて見始めて、これまた不覚にも爆睡、、、。修正13条の票集めが緊迫度を増してくる後半になってようやく覚醒したけれども、正直言って、イマイチよく分からず。がーん、、、。

 でも、こんなことで挫折したら、ダニエル・デイ=ルイス信者の名がすたる。そもそも、こんなセリフの洪水みたいな映画を字幕で見たのが失敗だったに違いない、と思い直し、吹替えで再見。・・・おっ、なんと、面白いじゃんか!!

 まあ、見終わってからだから分かるけれども、ヘンに、有名な演説のシーンとかが満載の伝記映画にしてくれなくて良かったです。スピルバーグさん、ありがとう。リンカーンが大統領としてどれだけ立派だったかとかそーゆー伝記本にいっぱい書いてあることは一切省き、実質、戦争が終結するまでの約1か月間のお話に絞って、奴隷解放と戦争終結をいかに同時に実現するか、ここのみにフォーカスしてくれたことで、彼が結構、イヤな奴でもあり、面倒なオッサンでもあり、妻を持て余すタダの男でもあることを浮き彫りにすることに成功しているかと思います。

 票を集めるのにかなり意地汚いことをし、周囲をイラつかせるくどくどしいお喋りをし、時にキレる。うー、少年少女の頃に伝記を読んだ元少年少女たちの持つリンカーンのイメージ、崩れるよねぇ。でもまあ、逆にいえば、彼がこれに懸ける執念の裏返し。閣議で彼が机をぶっ叩いて怒鳴り散らすシーンがありますが、最後、「私は絶大な権力を持つ合衆国大統領だぞ」というあのセリフ、怖ぇー、と思っちゃいました。ともすれば、おめーらの命だって奪えるんだ、とさえ言われているような。これで、閣僚たちは本気にならざるを得なくなります。そらそーでしょ。

 だいたい、内容を云々言えるほど、私はアメリカ史に詳しくないし、本作を見て初めて知ったこともいっぱいあるので、どこまでが史実だかとか、そーゆーことは斟酌しようがないのですよね。でも、あの採決のシーンは手に汗握ります。あと何票?! 民主党議員たちの(というか役者たちの)揃いも揃った悪人面といったら、、、。トミー・リー・ジョーンズ のズラより可笑しいです。

 しかし、、、何度も書くけど、とにかくセリフが多い。しかも、複数の人が同時にいっぱい喋っているから、字幕で見るのはかなりキビシイ。吹替えは、やはり分かりやすい。俳優たちが英語で喋っていることを日本語として分かるようにちゃんと喋ってくれているから。それでも100%じゃないだろうけど、字幕の情報量とは比較になりません。これは、劇場で字幕で見なくて正解だったかもと思います。劇場で見ていたら、恐らく、爆睡してしまったに違いないので・・・。そんなことになったら、ショックが大きすぎる、、、。

 電信員2人とリンカーンが3人で語らうシーンが好きです。何がって、リンカーンのバックに掛かっている地図、あれ、ケンタッキー州の地図ですね。嬉しかったな。私が、人生で初の海外体験は、ほかでもない、あのケンタッキーだったのだ。そう、彼の生まれた地。憎い演出ではないか! 

 そして、そんなリンカーンを、愛するダニエル・デイ=ルイスが演じているのだ!! 私にとって、こんな素晴らしいめぐり合わせってあるだろうか。そんな映画を企画し、彼をリンカーン役に配してくれたスピルバーグさん、くどいけど、本当にありがとーー! 感謝します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト(2013年)

2014-08-02 | 【は】

★★★★★★☆☆☆☆

 毎日暑くて、もう溶けそう、、、。映画でも見て気分転換~、と思って見に行ったら、主演の男が死ぬほど暑苦しくて暑さ倍増・・・! ったく、秋以降に公開してくれよ、こういう暑苦しいのはサ。バーナード・ローズ作品なら、断然、『不滅の恋 ベートーヴェン』に軍配を上げましょう。

 主役パガニーニを演じた暑苦しい男というのは、デイヴィッド・ギャレットという、本業はバイオリニストのお方。まあ、パガニーニを演じるのに演奏シーンは吹替え、ってのはかなりキビシイので、本物のバイオリニストを配置したのは正解でしょう。

 それは前提で、本筋と関係ないことを言わせてもらうと、まず、ギャレットは、裸を見せるのなら体を絞れ!!ってこと。

 序盤にベッドで女性と戯れ、そこへウルバーニがズカズカ入ってきて、パガニーニの運命の歯車が回り出す、というヒジョーに重要なシーンがあるのだが、ここで、ベッドに起き上がってギャレットの裸の上半身が、これでもか!と映る。その上半身は、一言で言うと「丸い」のである。丸くて良いのは女の裸である。実際のパガニーニがどうだったかとか、そういう話じゃないんだよ。人に見せる以上は、きちんとビジュアルに耐えられるものを見せろ、ってこと。別に腹筋割れとまで言う気はサラサラないが、せめて肩の丸みはやめてくれ。あと胸。それはオッパイか、と言いたくなるような脂肪のつき方。お前なぁ、、、、。決してだらしのない太り方をした体ではない。それは分かる。しかし、丸いシルエットの裸体の男はダメだ。美しくない。だったら、裸体のシーンはナシにしろ。主役だぞ、お前は。しかも、世間を熱狂させ「悪魔に魂を売った」とさえ言われた男が、そんな体じゃイメージぶち壊しもいいとこだろうが。私が監督なら、撮影までに5キロ痩せて筋トレして来い、と言ってやるんだけどなぁ。

 あと、あの髪型。長髪が悪いんじゃない、似合っていないのである。彼がハンサムだとパンフにもさんざん書いているが、別に醜男ではもちろんないが、そこまでハンサムとも思えない。シャープさのない顔なんだよなぁ。作りがじゃなくて、顔の形とか肉のつき方とか。ああいう肉のついた顔にロン毛は、ヒジョーにイタい。つーか、汚らしい! 暑苦しい! あれがまだ金髪ならそこまで感じなかったと思われるが、おまけに黒々とした無精ひげ。ところどころ、落ち武者のように見え、こう言っちゃなんだが、もはや「キモい」レベルである。

 、、、というわけで、私は、本作について、冷静に語ることができません。割と残された資料などを読み込んでいるようで、大筋は史実に沿っているっぽいです。でも、シャーロットと駆け落ち事件を起こしたとき、彼は実際は50過ぎで、当時であればオッサンどころか、ジイサンに近かったと思われ、親子なんてもんじゃなく祖父と孫の年齢くらいの男女が巻き起こした騒ぎなんだから、そりゃ、世間も放っておくわけないよなぁ。昔も今も、ああいうゴシップに群がるメディアって同じなのね。

 ギャレットの技術はなるほど素晴らしく、音は個人的にあんまり好きじゃないけれど、確かに超絶技巧。ただ、パガニーニのダメっぷりは、わりと表面的な描き方で(これはギャレットの演技力の問題でもあると思われる)、展開も凡庸、映画としてはかなり薄っぺらである。ウルバーニがパガニーニに同性愛的愛着を見せるところも、なんだかなぁ、という感じだし。しかし、音楽がどれもホンモノで素晴らしい上、ギャレットの演奏シーンもふんだんに盛り込まれ、彼をイイ男と認識できる人にとってはそれなりの代物に出来上がっている、と言えるのではないでしょうか。

 ま、こういう作品は、やはり劇場で見る方が良いですね。音の迫力が違うんで。シャーロットの歌うアリアも、ちょっと金属質な声だけどなかなか素敵。ヘルムート・バーガーの変わり果てた姿を見られたのも(見たくなかったような気もするが)ご愛嬌。

 最後、ケン・ラッセルに捧ぐ、とメッセージが出ます。おぉ、、、これで★が1コ増えました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする