映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

悪魔のような女(1955年)

2017-11-29 | 【あ】



 横暴な夫を、夫のモラハラに耐えかねた妻と、その妻公認の愛人が密かに共謀して殺そうとする。愛人も夫にDVを受けていたのだ。

 計画通り、夫を溺死させ、夫が校長を務める学校のプールに沈めるが、数日後プールの水を抜いたら、夫の死体は消えていた。一体どうなっているのか、、、? 怯える妻と愛人。

 愛人は怖れを成して実家に帰ってしまい、一人取り残された妻の周辺で奇怪な現象が起きる。恐る恐る様子を見に行く妻は、バスルームの水が一杯に張られた浴槽に白目を剥いた夫が沈んでいるのを見てしまう!! 殺したはずの、プールに沈めたはずの夫がなぜここに!!!??? 驚きのあまり心臓発作を起こす妻、、、。

 一体どういうことなのだ?!

 ※※本作は、予備知識なく見た方が良いので、未見の方はお読みにならないでください。上記リンクには結末が書かれているのでご注意を!!※※

   
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 午前十時の映画祭にて鑑賞。名作の誉れ高い本作。何度も見ていて、オチも知っているけれども、何度見ても良く出来た映画だなぁ、、、と感心してしまう。さすがに、初めて見たときの衝撃はないけれど、良い映画は何度の鑑賞にも耐えるものなのですね。そして、初めてスクリーンで本作を見ましたが、やはりゼンゼン違いました、迫力が。怖かったです、何度も見ているのに。

 ちなみに、本作を未見の方で、これから本作を見る予定のある方は、絶対にオチを知らずに見た方が良いので、ここから先のネタバレバレはお読みにならないでください。くどいようですが、未見の方、ここから先は読んじゃダメです。


◆クルーゾーの思うツボにハマる。

 観客の心理をここまできっちりコントロールする映画って、他にあるだろうか、、、(いや、ない)。

 本作の場合、最初は、殺人計画が上手く運ぶだろうか、という点に見ている方の興味は向く。そして、計画通りにコトが運んでヤレヤレ、と思うまでにも、途中で夫の溺死体を入れた衣裳ケースのヒモがハズレそうになったり、衣裳ケースから水が漏れているのを目撃されたり、衣裳ケースから死体をプールに投げ入れようとしているところでパッと隣接する建物の明かりが付いて現場が照らされたり、、、と、冷や冷やさせる。

 どうにかプールに死体を遺棄し終えたところで、しかし、まだ映画の半分にも至っていない。つまり、ここからが本作のメインテーマなのだと、誰でも分かる。……ということは、この殺人事件、犯人がどう暴かれるの、、、? と大半の観客は思う。

 しかし、その後、プールの水を抜いたら、遺棄したはずの死体が消えている! ここで、観客は、ただのミステリーではない、なにやら不穏さを覚える。

 おまけに、夫が死んだときに着ていたはずのスーツがクリーニング屋から届けられる。ここで、妻も愛人もギョッとするが、観客は、“え、オカルト……??”となる。そんな、まさか、、、! とも思う。しかし、さらにオカルトが続く。

 学校の生徒の記念写真。背後の校舎の窓に浮かぶ、死んだはずの夫らしき男の顔。しかも、顔の半分くらいが宙に浮いた感じで映っている。妻も愛人も、もう恐怖のどん底に突き落とされる。観客も、え゛、、、マジで何これ、、、? 状態。

 ここで、愛人脱落。怖れを成して実家に帰ってしまうのだから。妻が一人残され、観客は、いよいよ、これから夫の亡霊が妻に襲い掛かるのか、、、!! などと完全にオカルトモードになっている。

 そして、続く怪奇現象。誰もいないはずの部屋から明かりが漏れ、男の影が部屋を横切る。怖いけれど確認せずにはいられない妻の心理に、観客も同調していく。さらに、誰もいないはずの部屋から、今度はタイプを打つ音が、、、。もちろん、誰もいない。

 この辺、見ている者を怖がらせる演出が非常に上手い。現代のCGでありとあらゆるおぞましい映像に慣れているはずなのに、こんなシンプルな演出にゾッとさせられる。これは、モノクロであることも効果を上げていると思う。

 怖ろしさのあまり、走って自室に戻ってきた妻が、心を落ち着かせようと洗面で水を出し、ふと浴槽を振り返ると、、、。ぎゃ~~っ!!

 なんだけれども、この、浴槽で沈んでいる夫が立ち上がる辺りから、観客は、その動きがあまりにも生きている人間そのものであることに、逆にギョッとなる。え、ダンナ、生きてたってこと、、、?? え、どーゆーこと???

 ……と、頭が混乱している最中でも、スクリーンの中では妻が驚きと恐怖で心臓発作を起こし死に、ドサリと床に倒れる。

 ああ、、、妻が死んでしまった! と観客は思うが、すると、今度は夫がごく自然な動きで、目から演出用の白目を取り出し、フツーの夫の顔に戻る。浴槽から出てくると、今度は、何と、物陰から愛人が登場するのである。

 「上手く行った?」と愛人。「ああ、行ったさ」と夫。そして、ひしと抱き合う二人はブチュ~~っとキスする。妻の亡骸の横でね。愛人は夫に「びしょびしょよ」とか言って、なぜか上着だけ乾いたものに着替えさせるんだけど、シャツもズボンもびしょ濡れのままなんだよな、、、。まあ、それはともかく、「これで俺たちは大金持ちさ!」と二人で明るい未来に祝杯を上げそうになったところで、どん底に突き落とす展開が、、、、。

 ……と言う具合に、愛人が再度登場してからエンドマークまで、観客は思考停止状態だ。それくらい、呆気にとられるオチなのだから。

 まあ、途中で読めた、っていう人はこういう作品に対しては必ずいるんだけど、だから何なのさ、と思う。私は読めなかったクチだし、思いっきり、作り手の思うツボにハマって、でもそれでも爽快でさえあるのだから、そうやって楽しめる方が幸せじゃない?

 ここまで鮮やかなオチが用意されているわけだけど、最近の映画にありがちな、観客を惑わせることに終始して中身スカスカのだまし絵みたいな作品ではなく、きちんと細やかな人物描写がなされ、それでいて観客の心理を上手く誘導するという、どちらも両立させているその演出手腕に脱帽である。今時のミステリー映画で、こんな秀作はなかなかお目にかかれない。


◆その他もろもろ

 妻と、妻公認の愛人と、職場である学校でやりたい放題の男・ミシェル(ポール・ムーリス)だけれども、あらすじだけ読めば、一体どんなイイ男なのかと妄想しちゃいそうだが、見てビックリ!! 何でこんな冴えないオッサンが?? という印象は、何度見ても変わらない。どう見ても、愛人ニコルを演じるシモーヌ・シニョレとはバランスが悪い。 何でこの人が、、、。

 ……ということは、みんシネにも愚痴を書いたんだが、今回見てもやっぱりそう思ったんだから仕方がない。どうせなら、もっとちょっと悪そうなイイ男が良かったなぁ。

 シモーヌ・シニョレって、ホント、凄い女優だなぁ、と感服。存在感に圧倒される。本作の中で、彼女は、ラストシーン以外、全く笑わない。大柄で濃い化粧、髪もショートカットで、煙草をくわえて歩き、男たちを見下している感じである。こんな女性と、あんなショボいおっさん、、、嗚呼。

 有名なエピソードだけど、妻を演じた、クルーゾー監督の妻・ヴェラは、数年後に、本当に浴室で心臓発作で亡くなるんだよね(自殺説もアリ)。何やら、因果なものを感じる。

 クルーゾー監督というと、『密告』『恐怖の報酬』など佳作揃いの印象が強い。個人的には『囚われの女』とか、かなり好きだけど、、、。

 でも、彼の撮ったカラヤンのライブ映像は、、、うーむ、イマイチって感じだったんだよね。演奏云々ではなくて、映像が、、、あんまし面白くないっていうか。まあ、カラヤンとの関係も短期で破綻したようだし。とはいえ、これを端緒に、カラヤンはソフト進出に邁進したんだわね。

 他のクルーゾー作品も、また見ていきたい。
 


 








邦題がちょっとネタバレっぽいのがダサい。




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婚約者の友人(2016年)

2017-11-23 | 【こ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1919年、戦争の傷跡に苦しむドイツ。アンナ(パウラ・ベーア)は、婚約者のフランツをフランスとの戦いで亡くし、悲しみの日々を送っていた。

 そんなある日、アンナがフランツの墓参りに行くと、見知らぬ男が花を手向けて泣いている。アドリアン(ピエール・ニネ)と名乗るその男は、戦前にパリでフランツと知り合ったという。アンナとフランツの両親は、彼とフランツの友情に感動し、心を癒される。

 やがて、アンナはアドリアンに“婚約者の友人”以上の想いを抱き始めるが、そんな折、アドリアンが自らの正体を告白。だがそれは、次々と現れる謎の幕開けに過ぎなかった……。
 
=====ここまで。

 ううむ、、、ピエール・ニネを、初めて“イイ男”としみじみ感じた作品。
   
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 オゾン作品は、まあ一応見ておこうかな、と思うし、何より本作はポスターにそそられました。モノクロで、思わせぶり。ピエール・ニネの顔は独特すぎて、イマイチだったんだけど、本作での彼は素敵でござんした。以下、ネタバレバレなので、あしからず。


◆嘘、嘘、嘘、、、。

 ストーリーは、想像していたよりもはるかにシンプルで、主要な人物も、アンナとアドリアン、フランツの両親のほぼ4人に限定されており、人物描写が散漫にならず丁寧にされている。

 本作のテーマは、オゾンも言っているとおり“嘘”である。アンナもアドリアンも(そして今は亡きフランツも恐らく)、嘘をついている。そして、この嘘が本作のキモとなっている。

 アドリアンの嘘は、中盤でアンナに対し、アドリアン自身によって明かされる。アドリアンは、フランツの友人などではなく、戦場で互いに死を挟んで対面した敵味方同士であった。たまたま、フランツの持っている銃は弾切れで、アドリアンはそんなことを知らずに撃たれる前に撃っただけの話。だから、アドリアンは生還し、フランツは死んだ。フランツの所持品から、アドリアンは戦後になってフランツの実家を訪ねてきたという次第。

 戦場なのだから、殺るか殺られるかの世界。アドリアンは、生存本能から反射的に撃っただけの話だが、それによって目の前の敵兵が無残に倒れて死んでしまったことで、思いのほか大きな衝撃を受けてしまったらしい。自分の手で人を殺したことの重み、、、なのか。戦場であっても、それはやはり、それほどの重いものなのか。

 それを聞かされたアンナは、当然、衝撃を受ける。……が、アンナは、フランツの両親に、アドリアンの正体を明かさない。アドリアンの嘘を引き継ぐ。そして、アドリアンにも、フランツの両親には本当のことを明かしたと、嘘をつく。

 アンナが嘘をついたのは、フランツの両親を傷つけるのに忍びないという思いはもちろんあったと思うけれども、アドリアンの正体を明かせば、もう、アンナ自身が二度とアドリアンと会うことがかなわなくなるという思いがあったからだと思われる。つまり、もう、この時点でアンナはアドリアンのことを好きだったわけね。というか、ほとんど最初の時点から、アンナはアドリアンに惹かれていたとしか思えない。

 まあ、実際、婚約者は死んでしまってもういない状況でニネみたいな男性が目の前に現れたら、、、しかも、最初は婚約者の良き友人を名乗っていたのだから、惹かれても当然でしょ。

 しかも、アンナは、自分自身にも嘘をつくのである。彼女は、告解に行き、「フランツの両親に嘘をついていて苦しい」と打ち明ける。フランツの両親に本当のことを言わない理由は、自分のアドリアンへの思いからではない、と自分に言い聞かせる。飽くまでも、他者のために苦しい嘘をついているのだ、と。

 つまり、それほどまでに、もう、アンナはアドリアンのことを好きだったのだ。

 彼女が自分にも嘘をついた理由は、、、きっと、フランツへの負い目、婚約者を亡くしたばかりの身であることへの引け目、、、そんなところか。でも、そんなモラルなど、恋に落ちることの前では何の歯止めにもならんということの典型だわね。

 アンナは、自分にも皆にも嘘をついて、自分の恋を守ろうとした。恋が嘘をつかせたけれど、恋に嘘をつくことは出来なかった、、、んだね。恋とは、あらゆるモラルを薙ぎ倒す、もの凄いパワーなのである。


◆恋はタイミングが全て。

 さて、アンナに全てを打ち明けたアドリアンは、一旦、アンナの前から姿を消し、フランスに帰ってしまう。しかし、帰る前の約束通り、フランスからアンナに手紙をよこす。フランツの両親に読まれても良いようにフランス語でしたためた手紙を。アンナは思い悩んだ末にようやくアドリアンに返事を出したが、宛先不明で戻ってきてしまう。姿を消したアドリアンを探しに、フランツの両親に背中を押されて、フランスへ向かうアンナ。

 ……果たしてアドリアンの心はどうだったのか、、、。少なくとも、彼もアンナに惹かれていたと思う。フランツの婚約者、としてではなく、一人の女性として。

 そう感じた根拠は、アンナがフランスにアドリアンを訪ね、2人が再会したときの会話。アドリアンは「どうして手紙に返事をくれなかったの? ショックだったよ」と話している。もし、アドリアンが、本当に贖罪のためだけにアンナに手紙を出していたとしたら、返事が来ないことに「ショックだった」とは言わないと思う。というか、贖罪のための手紙なら、ドイツ語で、フランツの両親宛に手紙を出せば良いのである。

 また、その前に、アンナと再会した場面でのアドリアンの表情も見落とせない。思いがけず訪ねてきたアンナを見たアドリアンの表情は、驚きとともに嬉しさが隠せないものだったように見えた。少なくとも、アドリアンはアンナに対し好意を抱いていたことは間違いない。

 そんな2人の微妙な空気を瞬時に読んだのが、アドリアンの母親だ。やっぱし女のこういう勘は怖ろしい。アンナにホテルを紹介しようとすると、アドリアンが「ウチに泊まれば良い」と言う。そこで、母親は、アンナにある事実を突きつける。アドリアンの婚約者を自宅に招き、アンナに紹介したのだ。

 こうして、アンナの恋は無残に破れ、アドリアンの家から傷心で立ち去ることに。駅までアドリアンが送ってきて、2人は、駅でキスを交わす、、、。哀しい切ないキスシーン。やっぱり、アドリアンもアンナに、アンナほどではなかったかも知れないが、恋していたのだと思う。だからこそ、ああいう描写になったのではなかろうか、、、。

 この駅でのシーン、私は、心の中で“アドリアン、そのまま列車に乗っちゃえ!!”と叫んでいたんだけど、アドリアンはおとなしくアンナを見送っていた、、、。ちっ、つまんねぇ。

 もう少し、アンナが早く返事をアドリアンに出していたら。パリの家を引き払って、実家に移る前に出していたら、、、。もしかしたら、アンナとの恋は実ったかも知れないのに。アドリアンが実家に戻って、母親が彼と幼なじみの女性と婚約させたのだから。実家に戻る前に、アンナとの再会を果たしていれば、、、。と、妄想してしまう私。

 アドリアンも、結局は苦労知らずのええとこのお坊ちゃんってことかな。ハメ外してまで自分の気持ちに正直に行動する、っていう選択肢は彼にはなかったのだね。


◆鍵になる絵と音楽

 アドリアンがフランツの墓前にたたずむシーンから、アドリアンとフランツの関係を、恋愛関係だったのではないかと推察した人も多い様子。確かに、そう匂わせるシーンもあるしね。……まあ、でもそれだと、ちょっと出来すぎな話な気がしたので、私はあんまりそっち方面の展開は考えていなかった。

 フランツも嘘をついていた、と前述したけれど、フランツは戦前パリに留学していて、アンナがパリを訪ねたときに泊まったホテルが、フランツが定宿にしていたというホテルだったわけ。当然、普通の真っ当なホテルかとアンナも思っていたらしいけれど、行ってみたら、そこは連れ込み宿。あらら、、、ということで、フランツのパリ留学にも嘘が潜んでいたのだなぁ、と感じた次第。その嘘の理由はもちろん分からない。でもきっと、自分を良く見せたい、親に心配させたくない、、、単純に考えればそんなところか。もしかすると、、、、というのももちろんアリだが。

 アドリアンが、フランツとルーブルで見たマネの絵……男が仰向けになっている絵、、、。アンナは、実際にアドリアンを探す過程で、ルーブルでこの絵を見るわけだが、その絵のタイトルは「自殺」。アドリアンの消息を辿るアンナにとっては不吉以外の何ものでもない絵だったが、アドリアンとの恋に破れた後、ラストシーンでアンナは再びこの絵の前に立つ。そして言うのである。「この絵を見ていると、むしろ、生きる希望が湧く」と。

 このセリフの意味についても、ネットではいろいろ考察されているみたいだけれども、私は、そのままストレートに受け止めた。自殺している男を見て、生きる希望が湧くなんてのは一見矛盾しているが、人間は誰もが例外なく死ぬのであり、自ら命を絶った人の姿を見て、自分は死ぬまで生きなければと思うのは、むしろ自然な感情のようにも思われる。私の場合、絵ではなく、現実に知り合いが2人もここ数年の間に相次いで自死したのに接しているので、アンナの言葉には逆に説得力を感じたほどだ。死ぬまで生ききらなければならない、強くそう感じたからである。

 また、本作では、音楽も鍵になっている。アドリアンが、フランツの両親の前でバイオリンを弾いたときの曲は、ショパンの夜想曲20番。そして、アドリアンのフランスの実家で、アドリアンと婚約者、そしてアンナの3人が演奏するのがシューベルトの「星の夜」。その歌詞には「私は過ぎ去りし愛を思う、、、」 ……この曲の途中で、アンナは「もうやってられない!」と演奏を放棄してしまうのだけれど、アドリアンはこれをフランツへの思いと勘違いしているところが皮肉である。……いや、本当は、自分への思いと分かっていて、飽くまでも気付かないふりをしていたのかも知れない、、、。多分そうだろう。

 絵にしても、音楽にしても、実に映画としての本作に奥行きを与える素晴らしいツールとなっている。

 フランス人のアドリアンはドイツ語が話せて、ドイツ人のアンナはフランス語が話せる、ということになっている。ドイツに来たアドリアンは、ドイツ人たちに白眼視される。しかし、アドリアンを探しにフランスに行ったアンナもまた、フランス人たちに同じような視線を浴びせられる。こういう描写だけで、当時の、ドイツとフランスの関係性が分かるし、互いの複雑な国民感情も、アドリアンとアンナに少なからぬ影響を与えていることが分かる。

 一見シンプルな作品でありながら、何とも深みのある映画に仕立て上げているオゾンの手腕、おそるべし。


◆その他もろもろ

 本作は、ルビッチの『私の殺した男』の基となった戯曲をオゾンが見つけて映画化しようとし、ルビッチが映画化していることで、一旦は映画化を諦めかけたらしい。パンフによれば、オゾンはルビッチ版を見て、まったく違った作品になると確信したから撮ったと話している。ルビッチはフランス人青年の視点から描いているが、オゾンは女性側から描きたかったのだとか。

 ルビッチ作品というと、『生きるべきか死ぬべきか』なんだけど、私はあの映画の良さがまるで分からないクチなんで、『私の殺した男』もあんまり見る気がしないけど、、、。

 オゾンの撮った本作では、アンナがフランスへ行くエピソードは完全にオゾンのオリジナルとのこと。確かに、このエピソードがあるからこそ、嘘が生きてくるわけで、、、。アンナの恋……もっと言えば、エゴが剥き出しになる展開は、なかなか見応えがある。

 アドリアンを演じたピエール・ニネは、謎めいた男をセクシーに演じていて魅力的だった。ドイツ語もかなり練習したのだろうなぁ、、、。アンナを演じたパウラ・ベーアは、撮影時20歳だというけど、もっと落ち着いているように見えた。まだキャリアは浅いみたいだけど、なんかもう、手練れの感じさえあったなぁ。フランス語もキレイに話しているように聞こえたし。

 113分の作品だけれど、ギュッと濃縮された味わい深い逸品であることは間違いなし。見て損はないですよ。









アンナはこの後どうなるのだろうか、、、。




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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅰ ~こぼれ話~

2017-11-11 | 旅行記(海外)
**スウェーデン人のイイ男とバーバパパ**
 


◆その①:飛行機で出会った超イケメンおじさん

 今回の旅は、フリーツアー(移動関係(飛行機&列車)と宿の手配は全部代理店がしてくださり、旅先での行動は全てご自分でどーぞ、っていうやつ)だったので、航空会社は最初から決まっていました。初の搭乗体験となるエミレーツ航空

 評判は悪くないのは知っていたけれども、必ず“ドバイ乗り換え”ってのがちょっとメンドイなぁ、、、と思ってしまったんだけど、まあ、ここはお安いツアーなんだからしゃーない、ということで、行きは、成田~ドバイ~コペンハーゲンのルートでありました。

 成田発22:00ちょうどのドバイ行きに乗り、約10時間のフライトでドバイに着き、そこでなんと、5時間も待たされることに。もちろん、ドバイ観光をする気力などなく、空港内でダラダラ待って、ようやくコペンハーゲン行きに乗りました。あー、やれやれ。また真ん中の座席かぁ。一緒の友人はまた窓側。そして通路側はまた男性。ドバイまでと全く同じ、、、。

 でも、この男性、私たちが搭乗するまで席に座らずにずっと立ってスタンバってくれていたのです。なので、“Thank you~!”と言って、言葉を交わしたはずなのに、顔はちゃんと見ていなかった。背が高い白人男性、くらいの認識やった、、、。

 さて、飛行機も離陸してコペンまで約6時間……。ドバイまでのフライトで、『湯を沸かすほどの熱い愛』を細切れで見ていたんだけど、最後まで見られなかったから、コペンハーゲンまでには最後まで見ようと、続きを視聴。その間、隣の白人男性はご自分のタブレットで映画かドラマを見ていて、時々肩をふるわせ声を殺して笑ったり、毛布を頭からすっぽり被って寝ていたり、、、。

 その後、機内食やらなんやらで、離陸から2時間ほどが過ぎたころで、窓側の友人が備え付けのゲームをやり始めました。シャンハイだっけ? 同じ麻雀パイを崩していくアレ。で、2人で画面見ながら同じ麻雀パイ探して遊んでいたところ、隣席の白人男性が声を掛けてきました

 “Excuse me……”

 「へ?」と思って振り向くと、そこには、超イケメンなお顔が!! しかも笑顔。……え゛、この人、こんなカッコ良かったの? 何で私もっと早く気付かなかったんだ~、バカバカ!! などと思う間もなく、彼は英語で(ここから先は日本語で書きます)「この飛行機コペンハーゲンに行くけど、あなたたちは、コペンハーゲンからどこか他の所にも行くの?」と聞いてきました。

 以下、彼と私の会話(彼は流ちょうな英語、私は単語をつなぎ合わせた英語もどき)。ちなみに友人は自称“英語ダメ”な人。

「コペンの次はベルリン、その次はワルシャワ!」
「へー。その後は日本に帰るの? 東京?」
「そうそう、東京。アタシたち、同じ職場なの」
「へーー。何の会社?」
「えっと、、、(出版社=publisherが咄嗟に出てこない)○○の専門書を作っている会社!」
「へ~(一応通じているっぽかった)
「私は編集者で、彼女は……(経理=accountingをそもそも知らなかったので、に「経理って何て言うの?」と聞く)
(一瞬考えた後、お金を数えるゼスチャー付きで)money counter!!」
「Oh!(破顔一笑)money counter! That's important!!」
「Yes! very important!!!(爆笑)
「……でも、何でその3カ所に行くわけ?」
「彼女(友人)がコペンに行きたくて、私はワルシャワに行きたくて、最初は飛行機で移動しようと思ったけど、電車で移動することにして、そしたらドイツで寄り道したくなって、ベルリンにも行くことにしたのだ」
「Hmm…、何でワルシャワなの?」
「ああ、それはですね、前に『戦場のピアニスト』っていう映画、……あ、知ってる?「もちろん」あの映画を見て以来、もうワルシャワに行くことで頭が一杯だったのよ」
「なるほどね、でも、旧東側の街ばっかだね」
「……そう言われてみればそうですね。が横から「彼はどこの国の方なの?」と小声で聞いてくる)あなたはデンマーク人?」
「スウェーデン人だよ。スウェーデンの空港からより、コペンからの方が家が近い」
「どうやって帰るの? 電車?」
「フェリーとバスだよ」
「へぇ~。日本に来たことはある?」
「あるよ。○○大学(関西の難関国立大)の大学院に92年から1年間留学してた」
「え、ホント? 専攻は何?」
「#$&?#\$、、、(何とかケミカルと言っていた気がする。理系のお方)
「今もそのお仕事を?」
「そう。だから、アジアにはよく行くんだよ。今日も台北からの帰り」
「台北? それはさぞや暑かったでしょ(7月上旬だったので)
「そらもう、、、」

~~まだまだ続く……。

、、、てな他愛のない話を、延々1時間弱はしていたでしょうか。日本にもよくいらしているらしく、今年も、長野で冬にスキーをしたって言っていました。その他にも色々話したんだけど、あんまり書くと個人情報になっちゃうので、、、、。

 でもでも、私は会話の内容もそこそこに、彼の美しい顔に見惚れておりました。だって、私の愛するマイケル・ヴァルタンがちょっと老けた感じの、超超イケメンだったんだもの。笑顔ももの凄くステキ。長身で、お腹もゼンゼン出ていなくてスタイルもgoo! もちろん、左手薬指には指輪がキラリ。ルックスと留学時期から見て、恐らく私とほぼ同年代と思われました。

 その後も、間欠的におしゃべりして、コペン到着後は、「良い旅を!」「気をつけてね!」と握手を交わしてオサラバとなりました。

 旅行中はこのイケメンおじさんのことほとんど忘れてたんだけど、日本に帰ってきてから思ったんですよねぇ。よく日本(しかも仕事では東京がほとんど)に来ているのなら、東京来たとき連絡してちょ、と連絡先の一つも渡しておけばよかったなー、なんてね。あんなイケメン、そうそう拝めるもんじゃないし、たまには目の保養もしたいじゃないの、おばさんだって。つーか、おじさんであの爽やかさを維持している欧米系の外国人って、俳優とかでもあんまし思い付かない、、、。ああ、写真を載せられないのが残念だわぁ~。

 ちなみに友人(私と同年代)は、飛行機に乗ったときから、彼がイケメンであることをちゃんとチェックしていたのでした。彼女がトイレから戻ってきて会釈を交わしたときの笑顔がサイコーで、「目がハートになっちゃった」だってさ。早く教えなさいよ~~、ったく。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


◆その②:明け方の2丁目のオ○マになったバーバパパ

 ベルリン編その③にも書いたように、ベルリンのデパート Ka De We で、バーバパパの可愛いバナナシロップを買いました。


かわいい~! このときは黄色いバーバパパ


 売り場には、他にも、ピンクや赤やブルーのシロップ(多分、イチゴとかソーダ味とかだったと思う)があり、色とりどりのバーバパパが並んでいて、それはそれは可愛かったんですが、私はこのバナナシロップにしました。

 アテンドしてくださったB子さんが「(旅の間に)飲んで空にして持って帰ればいいんじゃないですか?」と提案してくれて、それもそーだなと思い、早速ホテルに戻ってから飲んでみました。シロップ:水=1:3くらいでも結構甘かった!! けど、美味しかったです。

 とは言っても、これを買った翌日がワルシャワへの移動日だったので、さすがにその日のうちに全部飲みきることはできず、ワルシャワまでは電車だし、飲みさしのバーバパパを、たまたま持っていたジップロックに入れて(フタの閉まりが甘いので漏れると想像し)、厳重に密閉しました。

 で、ワルシャワに着いてホテルで見たら、案の定、漏れていたのですが、ジップロックがガードしてくれていたので他の荷物へは全く影響していませんでした。安心して、バーバパパを洗って、残りを友人と飲みました。そして、帰国前日の晩、空き瓶をきれいに洗って拭きながらよく見ると、、、

 なんか、バーバパパの目がヘン!!!


ま、まつげが……!!


 まつげが白目に入ってる!!

 ということに気付き、唖然となりながらも、爆笑。恐らく、ものすごく甘いシロップがジップロックの中に充満し、その糖分でまつげがズレたんじゃないか、と。あんまり可笑しかったので、帰ってきてからB子さんに画像付きでメールしたところ、こんな返信が。

 「バーバパパが付けまつ毛の取れた、 明け方の2丁目のオ○マみたいになってるじゃないですか!」

 今回の旅で、一番笑ったのはこの出来事だったような気がします。バーバパパのまつげがズレるなんて、誰が想像しましょうか。

 まつげがズレても可愛いバーバパパは、今、部屋に鎮座しております。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 以上で、旅行記は完結です。お読みいただきありがとうございました。
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グロリア(1980年)

2017-11-06 | 【く】



 ギャングの会計係の男が、組織の金に関する情報をFBIに流していたことが発覚。会計係の男の一家は、長男のフィルを除き皆殺しにされる。

 一家が皆殺しにされる前、フィルをその母親に託されたのが、母親の親友であり、同じアパートに住む中年女のグロリア。このグロリア、かつてはギャングのボスの情婦だった。死を目前に、「フィルをお願い!」と懇願する母親に「子どもは嫌い、特にアンタの子は」などと突っぱねるグロリアだが、結局押し付けられ、渋々自分の部屋に連れ帰る。

 両親や姉を亡くしたフィルはまだ6歳。家族を失い、ダメージも大きく、グロリアに罵詈雑言を浴びせたり、まとわりついて離れなかったりと、グロリアは手を焼くのだが、会計係の男だったフィルの父親が、死ぬ直前にフィルに託したノートを手に入れようとギャングが追ってくる。

 気がつけば、グロリアは、突き放そうとしたフィルを守るために、ギャングに向けて拳銃をぶっ放していた……。嗚呼、もう後戻りできないグロリア。フィルとの逃避行が始まる! 
   
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 "午前十時の映画祭8"にて鑑賞。何度か見てはいるが、最後に見てからもう10年以上経っているはずで詳細は忘れている。やたら、子役のガキんちょが憎ったらしかったのと、ジーナ・ローランズが抜群にカッコ良かったこと、見終わった後“良い映画だ……”としみじみ感じたことは覚えていた。何より、本作をスクリーンで見るのは初めてなので、楽しみにしていたのだけれど、思っていた以上に素晴らしかった。


◆ジーナ・ローランズに尽きる。

 まあ、とにかく、最初から最後まで、グロリアがカッコエエのよ。シビれます。

 登場シーンがイイ。ギャングの襲来にビクビクしている会計係の男が、部屋の呼び鈴が鳴り、ドアスコープから外を覗くと、、、。そこに立っているのは煙草をくわえたグロリア。というわけで、ドアスコープ越しにご登場。

 はたまた、ギャングに、フィルといるところを見つかり、「ノートと子どもを渡せ」と迫られ、どうしようもなくなったら、いきなり拳銃をぶっ放すグロリア姐さん。その撃つ姿勢のなんと堂に入ったことよ。惚れ惚れするほどカッコイイ。

 子連れで逃げているのに、グロリアは、よれよれのジーンズにスニーカーなんてしょぼくれない。10センチくらいありそうなヒールのサンダルを履き、ウンガロに身を包み、颯爽と走ったり、階段駆け上がったり、男に拳銃突きつけて挑発したり、、、。どこまでも、カッコエエのだ。

 撮影当時、ジーナ・ローランズはなんと50歳!! あり得ない美しさ。いえ、決してすごい美人ではないのだけど、皺まで美しく見える、その品の良さ。ギャングのボスの元情婦という役柄だから、どこかやさぐれているものの、下品さは微塵もない。それでいて、グロリアという人物設定と何ら矛盾を感じず、見る者に違和感を抱かせない。

 グロリアの役は、美人でセクシーでアクションがうまいだけの女優ではダメなのだ。グロリアには、並外れた度胸と、頭の良さと、世間の酸いも甘いも知り尽くした諦観と、そしてなんと言っても、諦観とは一見矛盾する“覚悟”が必要なのだと思う。

 本作で、グロリアの“母性云々”という感想をネット上でいくつか目にしたが、こういうところですぐに母性論を持ち出すのはイヤだねぇ。何で母性なのさ。人間としての“情”でしょーが。男が子どもを助けても、父性が言われることはあまりないのに、こういう設定だと、すぐにボセーボセーってのは、あまりにも短絡的過ぎると思う。母性なんて幻想だからね、ハッキリ言って。

 だいたい、当のフィルがグロリアに言っているではないか。「あんたは僕のママで、パパで、家族だ。それに親友。恋人でもあるね!」と。

 そして、グロリアはギャングのボスに、フィルのことをこう言っている。「あの子は、うまく言えないけど、利口で切れる子よ。一緒に寝た男の中じゃ、最高ね」

 これでもまだ母性かね? まあ、それは人それぞれの感じ方なので構わないけれど。、、、とにかく、そんな安っぽい感傷的なものを蹴散らすグロリアの、素晴らしい女性っぷりを堪能していただきたい。

 女の美しさは、年齢ではない、顔の造作の美醜ではない。生き方が全身に現れるのだ。


◆子どもが憎ったらしくなかった、、、。

 冒頭書いたとおり、フィルが可愛げのないガキという印象が強かったんだけれど、今回見て、それが見事に覆された。フィル、なかなかカワイイじゃねーか。

 カワイイにも色々あるが、フィルのそれは、思わず顔がほころんでしまうようなのではなく、顔を見ているとつい吹き出してしまうようなカワイイなのだ。……え、意味分からん? すんません。

 フィルは、小憎らしいことを言ったり、大人顔負けのセリフを吐いたりするんだが、所詮は子どもで、やはり誰かの庇護を必要としている。そして、自分の存在がグロリアを窮地に陥らせていることを分かっていて、そのことに小さい胸の内で葛藤しているのだ。いじらしいではないか! 

 やはり、ネット上では、フィルを憎ったらいしいとか可愛くないとか書いている人がいたし、私も以前はそう感じたのだけれど、今回はそれが間違いだったと思った。というか、私にフィルの可愛さを受容できるキャパがようやくできたのかな、と思う。

 そして、恐らく、グロリアもそれを感じたに違いない。どこからそう感じたのかは分からないが、最初から感じていたのかも知れないし、2人で同じベッドで寝た時からかも知れないし、、、。いずれにしても、子どもが幼いながらに状況を理解して身の振り方を案じていると分かって、大人として心動かされないはずはない。なんとかしてこの子を守らなければと言う庇護欲が働くのは、自然の成り行きだと思われる。

 家族と離れた当初、フィルは、グロリアに「僕は男だ! 一人前の大人だ! 何だって一人で出来るんだ!」ということを何度も何度も言うシーンがあるけれど、字幕ではそう書かれていたけれど、実際のフィルのセリフは、“I am a man !!”を繰り返している。6歳のちっこい身体で、一生懸命、大きく見せようと身振り手振りをして、グロリアに何度もそういうフィルを見て、憎ったらしいとは、到底思えなかった、、、。


◆カサヴェテスの天才っぷりを堪能。

 本作は、脚本もカサヴェテスが手掛けているようだが、この脚本が実に冴えている。

 冒頭から、一家が惨殺されるまでの裁き具合が鮮やか。ものの5分程度で、一家の置かれた状況、グロリアと一家の関係、グロリアとフィルの母親の関係、それらが全てセリフに頼らずにバッチリ描かれている。これは素晴らしい。

 どうしてフィルを母親はグロリアに託したのか。子どもを嫌いと言って憚らないグロリアに。でも、それは、彼女とグロリアの間に、かなり厚い信頼関係が成り立っていたと想像させられる。そして、それで十分なのだ。彼女たちの関係性を描くのに、なにも、10分も20分も必要ない。並の脚本書きなら、そうしただろう。でも、カサヴェテスは、実に鮮やかに、ワンシーンで全てを語らせてしまった。

 また、彼の脚本は、グロリアという女性を見事に描き出している。本作は、ほんの数日の出来事を描いたものだが、これだけで、グロリアのこれまでの生き様が立ち現れているのだ。それを現すのが、やはり“覚悟”の一言のように思われる。すべて、自分で落とし前を付けてきた人生。だからこそ滲み出る美しさ。

 カサヴェテスの脚本・監督と、ジーナ・ローランズの素晴らしい演技によって、本作は名画となったのだと思う。だから、リメイクなんておいそれと手を出しちゃいけないわけ。

 フィルを演じた子役の演技が下手だという評も散見されたが、私は、これは前からそんなことはないと思っていたし、今回見ても、やはり下手だとはゼンゼン思わなかった。というより、非常に、フィルという子どもの性格をよく表わした良い演技であり、演出だったと思うのだが、、、。

 音楽もイイが、時折過剰と思う部分もあり。まあでも、それを補って余りある映像の素晴らしさも特筆事項。オープニングの映像がイイ。空撮から一気にバスへのカメラワークも。ラストのスローモーションも。

 とにかく、やはり映画はスクリーンで見てなんぼ、ということを改めて思い知った次第。





グロリアとフィルの今後が気になる。




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