映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

TAR/ター(2022年)

2023-06-03 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv78686/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、世界最高峰のオーケストラの1つであるベルリンフィルにて女性初のマエストロに任命されることになった。天才的な能力と努力によって地位を確立し、作曲家として活躍するが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャー、そして新曲の創作に苦しめられていた。

 そんな時、かつて彼女が指導を担当した若手指揮者の訃報が届き、彼女にある疑念がかけられる。

=====ここまで。

 
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 このブログにも時々書いているけど、クラシック音楽を扱った映画は、大抵ハズレと分かっていても、気になって見に行っちゃう。

 本作は、公開の大分前からすんごい話題になっていて、それはアカデミー賞で何部門もノミネートされていたからってのもあるし、主演があのケイト・ブランシェット様だからってのもあるんでしょうが、まあ、私としては、舞台がベルリン・フィルというリアルに設定されていることや、サントラがドイツ・グラモフォンから出ているというのに背中をググッと押されまして、よせばいいのに懲りずにまた見に行ったのでありました。

 で、、、まあ星の数からお察しとは思いますが、ハズレとまでは言わないまでも、空振り気味であったと言えましょう。絶賛気味のレビューが多い中、いささか気が引けるけど、以下その理由というか、感想を書きます。

~~ネタバレしておりますので、よろしくお願いいたします。~~


◆オケも指揮者も重要ではない。

 結論から言ってしまうと、面白くは見たのだけれども、鑑賞後感としては、かなり残念に近い感じであった。

 本作は、クラシック音楽映画でも、オケ映画でもなかった。世界の頂点に立つオケであるベルリン・フィルは、単なる舞台装置に過ぎず、カリスマ指揮者というのも、権力者の象徴に過ぎず、何なら、まんまホワイトハウスの映画にしても良かったんじゃないのか?と思った次第。

 なぜなら、本作中、ケイト・ブランシェット演ずるカリスマ指揮者である(はずの)リディア・ターが指揮する本番のコンサートシーンが皆無だったから。ターの本番ステージのシーンは、終盤のイカレてからの殴り込み(後述)だけ。

 カリスマ指揮者が主人公なら、本番のコンサートシーンは必須である。だって、指揮者の真価は本番でしか分からないからね。

 彼女が指揮をしているのは、全部練習シーンであり、しかも指揮棒を振っているよりオケを言葉で指導している方が多いくらい。練習でいくら言葉巧みに指導したところで、本番のステージ上で指揮者は一言も発することはできない。本番のコンサートで指揮者ができるのは棒を振ることのみ。棒だけでオケに意図する音楽を演奏させることができなければ、その指揮者はダメなのだ。

 カリスマ指揮者による本番ステージのシーンを撮ろうとすると、これはかなり大変だろう。ケイト様の指揮っぷりの演出もだし、曲を何にするかも重要だし、とにかくオケの本番の演奏シーンとなれば監督の手腕が大いに試されることになる。予算の都合で難しかったのか、監督自身がリスク回避したのか、ゼンゼン違う理由か、実情は知る由もないが。

 どこかで聞いた話だけど、リハで全く言うことを聞かないオケに怒った指揮者が、本番では倍速で棒を振ってオケを混乱させ、文字通り本番の舞台を自ら棒に振った、、、というエピソードがあるらしい。また、私の知っているプロ管楽器奏者は、リハで饒舌に喋る指揮者を「言葉じゃなくて棒でやれよ、と思うよね」と軽蔑していた。まあ、リハで細かく指導する指揮者はいると思う(チェリビダッケとか異様に細かかったらしいし)ので、その言い草もどうかと思ったが、言いたいことは何となく分かる気もする。アマオケの練習ではなく、相手はプロなのだからね。

 ……つまりそういうことでしょ、指揮者とオケの関係というのは。

 だから、BPOと史上初の女性首席指揮者の緊張感みなぎる本番シーンを期待していると、思いっきり肩透かしである。超一流演奏家たちのピラニア水槽に飛び込むリディア・ターを見られると思っていたので、なーんだ、、、という感じになったのだった。

 本場ステージにターが現れるのは、精神的にヤバくなってから、本番を格下の男性指揮者に乗っ取られて、怒り狂ってその指揮者を指揮台から殴り落とすというシーン。カリスマ指揮者のやることか??いくら追い詰められたからと言って、、、。まあ、あの辺りから後は彼女の妄想だったかもしれない、、、という見方もできるわけだが。


◆前評判とかけ離れた超地味映画。

 本作で描かれるのは、権力者の転落物語である。奢れるものは久しからず。……こう書いてしまうと実に陳腐だが、この権力者を、史上初のBPO女性首席指揮者、という設定にし、それをケイト様が演じたってのが、本作の注目度をググッと上げたのは間違いない。

 ここに、アメリカのヨーロッパへの強烈なコンプレックスも感じないでもないのだが。なぜにBPOなの?アメリカにも名門オケはあるのに。冒頭にも書いたけど、アメリカ制作映画なら、史上初のホワイトハウスの女主人の映画にすれば良かったのに。ホワイトハウスを舞台にすると、シャレにならん、生臭すぎる、、、かもだけど。オケだったら、権力者のハナシと言っても芸術というオブラートでくるめてちょっと腐臭を緩和させることもできるってか。

 まあ、それはともかく。本作は、クラシック音楽映画ではなく、権力の座にのし上がった者が転落し壊れていく様を描いているサイコ・スリラー映画である。ケイト・ブランシェットは、その壊れ行くマエストロを、まさしく“怪演”している。

 オスカーノミネートとか、イロイロ華々しい話題豊富な割に、映画自体は、かなり地味だし、サイコ・スリラーとはいえ、一見それほど怖さも感じないので、これは見る人を選ぶ映画だろう。情報量が多いので、見終わった直後は再見しようかと思ったけれど、時間が経つにつれてそこまでの価値のある映画とも思えなくなってきた。DVDでなら見るかもしれないけど。音楽映画とはいえ、スクリーンで見るべき音楽シーンがふんだんにあるわけでもないしね。

 1つすごく気になったのは、マーラー5番の本番の演奏シーンである。ターにとって重要な音楽であるマーラーの5番なのだが(それ自体はどうでも良いのだが)、ターが殴り込みに行くステージで演奏されているのがこのマラ5である。ここで、おやっと思ったのが、冒頭のラッパのソロがバンダだったことである。この曲は何度もライヴで聴いているが、冒頭のTrpソロがバンダだった演奏には出くわしたことがない。スコアを見たことないのだが、バンダ指定されているのか?

 ところどころで、??な映像も(サイコ要素として)あるけど、あんまし私はそういうの興味ないので、面白いとも思わなかった。本作がお好きな方、すみません。


◆以下、余談。 

 ターは、自身のパワハラ行為が原因で失脚するわけだが、ネット上では、同性愛者の女性権力者がパワハラ行為に及ぶという設定に批判が上がっている。現実には、パワハラを行っているのは圧倒的に男性権力者であり、女性は(特にセクハラの)被害者であることが多いのに、こんな設定では女性がガラスの天井をぶち破ることを妨げるだけではないか、同性愛者の差別助長になるのではないか、、、というような趣旨である。

 けれども、それは女性権力者が過去に絶対的に少なかったから加害者も少なかった、というだけのことであり、権力の座に就いて、その後、その座の罠に陥るのに男も女もない、ましてや異性愛者とか同性愛者とか関係ない、ということを監督としては描きたかったんだろう、と私は思う。

 むしろ、女性や同性愛者という現段階での社会的弱者に無謬性を求めるそのような批判こそ、逆差別であると思うのだがどうでしょう? 女は権力の罠に嵌らないとでも?

 また、「20人も子供を作って、家父長制の権化みたいなバッハの音楽は聴く気がしない」と言うノンバイナリー(?)の男子学生に対し、ターがネチネチと責めて追い詰めるシーンについて、“凄まじいパワハラ”と批判している感想も目にしたけど、ターが言ったこと(要は、バッハの下半身問題と音楽を切り分けろ、ということ)自体は正論だし、クラシック音楽で飯を食おうとする人間なら、バッハは避けては通れないのは間違いない。こういうのをキャンセルカルチャーというらしいのだが、ピカソの絵も、ピカソの下半身問題に照らして撤去するという動きもあるとかで、そんなことを言ったら、歴史上の芸術は端から否定されることになりかねない。この辺は、以前にもポランスキークストリッツァについて書いたように、作品と制作者をどこまで切り分けて考えるか、、、という問題にぶち当たる。

 さらに、ターはBPOで失脚後、東南アジア(フィリピンらしい)に落ち延びて、ラストシーンはゲーム音楽(モンハン)のコンサートで指揮棒を振り上げる、、、というオチなんだけど、これがアジア蔑視であると憤慨して書いている人もいた。が、そもそもクラシック音楽(というかオーケストラ)なんてのは、白人(それも西欧の)男性のものであったわけで、白人女性ですら被差別者である世界なのだから、そらアジアなんてBPOからすれば異世界のなれの果てみたいなもんである。それは差別であることに違いないけれども、じゃあ、ターをどこに落ち延びさせたら差別にならないのか、と言ったら、どこへ落ち延びさせてもれっきとした差別になるわけで。ヨーロッパの田舎のオケなら良いのか?いやそれは田舎差別でしょ。田舎じゃなくてもマイナーなオケなら良いのか?いやそれはマイナーオケ差別でしょ。……ってキリがない。それがオーストラリアであれ、アフリカであれ、アメリカであれ、“落ち延び”た先であれば、どこでも差別的になるってことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイト・ブランシェットは本作でオスカーを逃したからか、引退宣言をしているらしい。

 

 

 

 

 

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2 コメント

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私はパー (松たけ子)
2023-06-03 21:16:29
すねこすりさん、こんばんは!
ブランシェット姐さん、働き者ですね~。世界最高峰の女優だけど、また貴女?と思わずにいられない。かつてのメリル・ストリープ状態みたいな。引退宣言、いいんじゃないでしょうか。実績は最高級、じゅうぶん稼いだだろうし、才能ある後進にチャンスを譲って静かで豊かな余生を送ってほしいです(^^♪
イカレ女の話は好きだけど、イケメンは全然出てこなさそうなので、食指があまり…指揮者はやはり千秋先輩みたいなイケメンじゃないと(^^♪マエストロといえば、ブラッドリー・クーパーの新作が楽しみ。BLみたいなので😊
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Unknown (すねこすり)
2023-06-04 00:57:30
たけ子さん、こんばんは♪
ケイト様、たしかに凄いのですが、なんつーか、凄いなぁーー、だけだったんですよね、この映画。
あんましグッと来ませんでした、私は。
本文にも書きましたけど、本番の指揮シーンがないので、説得力がゼンゼンないんですよね。
ケイト様、やはり本番ステージのシーンにチャレンジすべきでした。指揮者が主役なんですからね、、、。
クーパー氏、バーンスタイン役ですね。確かに激似。
バーンスタインは指揮者としても有名ですけど、やっぱし作曲家としての天才っぷりが凄いので、その描写を期待したいところ。
彼はバイセクシャル(というか多分ほぼゲイだったんだと思うけど)なので、やはりBLなんですね。あんまし見たくない気もしますが、、、(^^;
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