映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

PK(2014年)

2017-04-26 | 【ひ】



 ある日、宇宙から地球に送り込まれた宇宙人。人呼んでPK(アーミル・カーン)は、地球に降り立った矢先に、宇宙船を呼び出すリモコンを人間に奪い取られてしまったので、リモコンを返してほしいと神頼みをするのだが、、、。

 方や、留学先のベルギーでパキスタン人青年に大失恋をして帰国し、TV局でニュース番組制作をしているジャグー(アヌシュカ・シャルマ)は、電車に乗っていて、駅で異様な風体をしてビラ配りをしている男(PK)を見掛け、番組のネタにと取材を試みる。が、その男は、自分を宇宙から来た生き物だ、と言う。しかも、何やら神様に殊に執着を見せている、、、。これは一体どういうこと……?

 アーミル・カーン&ラージクマール・ヒラニ監督の『きっと、うまくいく』コンビによる、大人のコメディ映画。


 
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 昨年の公開時に行きたかったけれど行きそびれ、、、。先週、早稲田松竹で、『きっと、うまくいく』と2本立てでリバイバル上映されていたので、見に行ってきました。


◆イノセントなるもの=宇宙人

 アーミル・カーンが、開始早々、全裸で登場。しかも、すごい鍛えたお体。『きっと、うまくいく』でも、20代の若者・ランチョーを演じて、ランチョーはここまでマッチョじゃなく、若々しい体つきだったけれども、本作は、まさにマッチョ。でも、彼はもともと小柄なので、マッチョでもそれほど威圧感はなく、アスリートっぽい感じで、マッチョアレルギーの私でも、それほど嫌悪感を抱かずにすみました。

 インドの様な他宗教国家で、宗教をテーマにした映画を作るなんて、かなりの覚悟を要したのではないだろうか、、、。宗教のいかがわしさ(と言ってよいのか)を白日の下にさらすには、“宇宙人”が主人公である、という設定は非常に上手いなぁ、と思う次第。やはり、人間であれば、宗教に対してイノセントな存在は難しい。宇宙人でなければダメだった、とも言えるかも。

 
◆信者でさえもいかがわしさを感じている。

 本作のキモは、ズバリ、“THE 宗教”なんだけど、そのアプローチが面白い。イノセントなPKが、我々地球人が日頃感じている“何かヘンだぞ、宗教!!”というところを、ズバズバと核心を突いて言語化して行ってしまう。傍で見ている地球人はヒヤヒヤもの。

 身なりで、その人の信仰を判別するシーンなどは、まあ、無宗教な私にしてみれば、「そうなんだよなぁ、、、何でそんなに格好に厳しい取り決めがあるの?」という疑問を見事にビジュアル化してくれているわけ。

 どうして神様がたくさんいるのか、というPKの素朴な疑問は、もう、まさしくこの問題の本質を突くもので、結局は人間がご都合的に作ったものだ、ってことにどうしたって行き着いてしまう。

 だからこそ、逆に、よくぞ、こんな直球描写の映画作れたなぁと思うし、作っただけでなく、インドでもヒットしたというのだから、彼の国にも、無宗教で宗教に懐疑的な私が抱く感覚に近い感覚を抱いているムスリムやヒンドゥー教徒や仏教徒が大勢いた、ってことだわね。それがまた、驚きである半面、いわばある種の健全性が示されたとも捉えることができ、ホッとする部分でもある。

 みんな、あやしげだとか、いかがわしいとか、思いながらも手を合わせたり祈ったりしているってことね。

 大分前に、新聞のインタビューで、塩野七生氏が「世界の大半は一神教の信者であり、国家であり、一神教は言葉は悪いが偏狭で寛容さがない(信仰を持たないことに対する偏見も含め)。そういう意味では、日本のような多神教国家は、多様性に根差す寛容さこそがその長所なのだ」みたいなことを言っていて、へぇー、と妙に納得した思いが半分、そういうものなのか?と懐疑的な思いが半分、という感じだった。

 が、世界情勢を見ていると、人間の社会活動と宗教は切っても切り離せない存在であり、それが、無宗教の私から見ればいささか滑稽にさえ思えるのだけれど、あちらから見れば、私なんぞは信仰を持たない不信心者で人間としてサイテーな存在である、と知って、グローバル社会とか、世界平和とか、まさしく理想論なのだなぁ、としみじみ思うのであります。ここまで、両極端な人間同士、しかも、信仰という、ある種の聖域において対極にある者同士、真に分かり合う機会さえなく、宗教について学んだところでそれは他宗教について理解したとは言いがたいわけで、、、。

 そもそも、不可侵な分野であまりにも乖離した場所にいる者同士、どうやって融和しろっていうのか。

 考えれば考えるほど、あり得ない、という結論に行き着いてしまう。そして、本作は、それを奇しくもコメディにして描いてしまっているのだから、恐ろしい。


◆結婚は人前でして良くて、セックスはダメ。

 (セックスパートナーを得ることが結婚で)結婚は皆の前で派手にお披露目してするのに、セックスは皆の前でしちゃいけないの?

 という、PKのセリフ(上記正確ではないです)がウケました。これも、私が若い頃から思っていたことズバリだったもので。結婚式で、金屏風の前に立つ新郎新婦を見て、どうして皆、「おめでと~~」なんて屈託なく言えるのか?? こんな破廉恥な催し物を、どうして誰も「ヘンだ」と思わないのか、ずっと疑問だったのです。

 新興宗教の“導師様”が言うお告げを、信者たちは金科玉条のごとく有り難がっているけれど、「妻が病気で困っている」と言っている信者に「2千キロ離れたヒマラヤへ拝みに行け」というのは非常識では? と言うPK。「本当の神様なら、妻の看病をしっかりしなさい」と言うはずだ、というPKの言い分は、イノセントすぎて笑えません。

 結婚式にしろ、怪しげな導師様の言いなりになることにしろ、まあ、これら全て、「そういうもんだから」という、思い込み、あるいは妄信、のなせる業ではないでしょーか。結婚の何がめでたいのか? 真面目に考えたら結構難しいと思うのですよ、答えるの。こういう、考えることを排除した言動ってのは、やっぱり何かこう、滑稽さを伴うのではないでしょーか。そこを一つずつ拾い上げていったのが、本作です。

 見る人の心に刺さるPKの素朴な疑問、必ず一つや二つはあるはず。


◆その他もろもろ

 そんなPKもジャグーに恋をするんだけど、これはかなわないまま終わります。でも、ジャグーのベルギーでの失恋は、単なる行き違い(この行き違いにも導師様の予言がジャグーに暗示を掛けたということで、序盤のシーンが伏線になっている)によるもので、パキスタン人青年・サルファラーズとの恋が実ります。PKの片思いは切ないけれど、ジャグーとサルファラーズの恋が復活するいきさつについては、まあ、ちょっとご都合主義っぽい感じはしますね。

 でも、ジャグーを演じたアヌシュカ・シャルマが、とっても可愛くてグラマーで魅力的だったので、ご都合主義でも何でも、サルファラーズとハッピーエンディングに落ち着いて、見ている方としてはホッとしました。いやホント、アヌシュカ・シャルマ、とってもステキでした。

 そのほか、『きっと、うまくいく』のキャストと結構被っていたので、そういうのを見つけるのも楽しかった。ジャグーのTV局での上司は、ICE工科大のヴィルス学長だし、ジャグーの父親役はファルハーンのお父さん、母親役はラージューのお母さんでした。新興宗教の導師様の手先みたいな男は本物のランチョーですね(ちょっと太ってた)。

 インド映画は、ものすごくこだわる部分は徹底的に時間を掛けて描くし、また、伏線がきちんと回収されるところも見事です。“あのシーン、結局何だったのさ”ってのが全くない、ってのがスゴイ。だから、長くてもゼンゼン長さを感じないし飽きないのです。

 もう一度、DVDできちんと見た方がよさそうです。





 
 



楽しい歌&踊りもちゃんとあります。




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