映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

めぐり逢い(1957年)

2015-12-30 | 【め】



 NYに向かう豪華客船の中で、世界にその名を轟かせる遊び人ニッキー・フェランテ(ケーリー・グラント)と、クラブ歌手をしていたテリー・マッケイ(デボラ・カー)は出会う。互いに富豪の婚約者がいる身でありながら、惹かれ合った2人であったが、無情にも客船はNYに着いてしまう。

 NYに着く前日、ニッキー(=ニコラ)は、これまで自分はまともに働いたことがない身であるが、半年頑張ってみるので、半年後、もし生活が軌道に乗っていたら結婚して欲しい、とテリーにプロポーズする。テリーは、では半年後の7月1日午後5時に会いましょう、会えたら結婚しましょう、と返答する。そして会う場所は、あのエンパイアステートビルの最上階、天国に一番近い場所で、と約束し、互いに未練タラタラ下船する。

 下船後、莫大な遺産で大金持ちの婚約者を袖にしたニコラは、絵の才能を活かし、美術商に自分の絵を売ったり、看板の絵を描いたりしながら真面目に生活し、一方のテリーもクラブ歌手に戻って地に足の着いた生活をお互いに送っていた。

 そして、約束の7月1日。5時にエンパイアステートビルの最上階にはニコラがテリーを待っていた。エレベーターの扉が開くたびにテリーの姿を探すニコラだったが、、、。

 コテコテのメロドラマ、、、。ラストは、意外な展開で、無事ハッピーエンドです。
 
 
 
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 最近、もしかしたら痴呆症ではないかと思うほど、まるで記憶にないDVDが送られてきまして、びっくりすることが多いです。本作もそう。なので当然、予備知識ゼロ。

 船上での出会いと恋、ってんで、何かシャルル・ポワチエの出ていた映画に似てるな~、、、と思って見ておりました。そしたら、案の定、シャルル・ポワチエ出演の『邂逅』という作品のリメイクだそうで。そもそも『邂逅』なんてタイトルも忘れていたし、内容もぼんやりとしか記憶になく、特に、NY編はまるで覚えていなかったので、見終わった後にネットで情報を見るまで全く分かりませんでした。トホホ、、、。

 まぁ、でもおかげで、純粋に本作を見ることが出来ました。

 正直な話、私はケーリー・グラントが全然イイ男に見えなくて困りました。何か、ムダに日焼けした感じの肌色だし、お世辞にもあんまり品が良いとは思えないお顔。まあ、世界に名の知れた遊び人という役だから、あんましお上品でもなんだけど、ううむ、、、。しかも、この時の彼は53歳くらいで、横顔のショットなんか首のたるみがすごくて、なんというか、、、あんまし見ている方としてはときめかないんですよ。ライトの当たり具合でやたら顔が黒光りしているシーンとかもあって、歳の割にギラギラのオッサンみたいに見えちゃって、、、。風情のないこと書いてすみません。

 対するデボラ・カーは36歳でギリギリ何とか美しさを発揮しておられます。まあ、大人の恋のオハナシということで割り切って見るしかないんでしょうけれど。

 いや、、、でも、例えば、下船のシーンとか、2人が迎えに来たそれぞれの婚約者を見ながら目で会話するシーンなんか、もう、オヤジとオバサンがやることかよ、とか思っちゃって、見てて恥ずかしい、、、。実年齢が53歳であろうと36歳であろうと、見た目が若々しければいいんですけど、それなりの見た目ですし。ああいうのは、若い子たちがやるから可愛くて微笑ましいんじゃないかしらん。というのは固定観念、思い込み、なんでしょうけれど、やはりスクリーンには画になるシーンが映っていて欲しいものです。

 映画としては、前半より後半の方が見応えあります。すれ違いが起き、2人はどーなるの!? と思って見ていたら、思いがけずニコラの描いた絵が鍵となり、2人はすれ違いの誤解が解け、めでたしめでたしになり、ホッとします。前半で白け切っていた私も、ラストシーンは気付いたら涙しておりました。

 でも、なんかちょっと気に喰わないというか。

 思いがけない事故でテリーは天国に一番近い場所に行けずじまいでしたが、それで足が不自由になったことで、ニコラの負担になりたくないから本当のことをニコラには伝えない、という彼女なりの意地を通します。これ、どーなんでしょうか。テリーの気持ちも分かりますけれど、ニコラの気持ちを考えたら、たまりませんよ。ニコラには、裏切られたとしか思えません。ニコラを大切に思うのならば、きちんと事情を話すべきでは。こんな勝手な意地のせいで、片方は蛇の生殺しみたいな地獄を味わわされて、たまったもんじゃないでしょ。私がニコラだったら、腹立つと思うなぁ。それに、足の不自由さを負担に思う、なんて、随分信頼されていないものだと悲しくなるかも。

 テリーのあまりにもヒドい自己完結ぶりが巻き起こしたドタバタで、ラストこそじーんと来たものの、全体的には「なんじゃこりゃ」でした。





テリーを健気と思うか、勝手と思うか、どちらでしょうか。




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マレフィセント(2014年)

2015-12-24 | 【ま】



 あの、「眠れる森の美女」でオーロラ姫に呪いをかける邪悪な妖精マレフィセントの物語。彼女は生まれながらに邪悪だったわけではない。オーロラ姫の父親ステファン王に裏切られたことが、彼女を変えたのだ。

 、、、という、実はイイ人でした物語。でもアンジーの顔は十分コワい。
 
 
 
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 公開時に駅にでっかいポスターが貼ってあって、そのアンジーの顔が結構コワくて興味があったので、このほど見てみた次第です。

 んん~、まあ、作品としてはかなり喰い足りない感じですねぇ、、、。 邪悪な者が、実は良いヤツでしたって、そもそもあんまり好きな話じゃないんですが、本作は、マレフィセントが徹底的に良い人、じゃなくて妖精として描かれており、なんというか、道徳の教科書みたいで白けました。

 そんなに邪悪な存在ってのはヒロインとしてダメですかね。私は、実人生で身近に邪悪な女がいたら、そらイヤですけど、映画や小説の中で徹底的に邪悪な女性って見てみたいですし、全然アリだと思います。

 邪悪な女性の物語と言って、パッと浮かんでくる映画はクルーゾーの『悪魔のような女』とか、ハネケの『ピアニスト』とかかなぁ。『エレンディラ』のおばあさんとかも邪悪の権化みたいな人だけど、あれはヒロインじゃないか。そうそう『何がジェーンに起ったか?』のジェーンですかね、極めつけは。でもあれも、そうなる原因がちゃんと描かれていたし、、、。何でそんなに邪悪なのか、もともとなのか、理由があってのことなのか、分からないのは『悪魔のような女』でシモーヌ・シニョレ演じたニコルですね。怖いけど凄く魅力的なヒロインだったと思うんですけれど。

 マレフィセントも、生まれつき邪悪だった、ってのでも良いじゃないの。でもそれじゃ、子どもには見せられない、ってことでしょーか。

 果たして、生まれつきの邪悪な存在、ってのはあるのでしょうか。まあ、私は正直に言うと「ある」と思っています。現実に起きている事件等のドキュメントを読むと、そう思わざるを得ない話がゴマンとありますので、、、。

 そこまで極端な例ではなくても、今まで出会った人々の中で、生まれつきとしか思えない性格の悪さを隠すことなく発揮している人が、少なくとも2人思い当たります。私も自分の性格が良いとはまるで思っていませんが、多少なりとも「隠す」ことは知っているわけです。それは、自分が良く見られたいというよりは、そうしないと社会生活をある程度円滑に営めなくなるので自分が困るからです。それは多分、小学生の高学年くらいで自然と身に付ける処世術みたいなものです。しかし、このお2人は違う、全然隠さない。接する人たちに例外なく不快感を刻み込む。イイ大人なのに地でやっちゃうのがスゴイと、尊敬すらします。ある意味、ああいう人は邪悪なんじゃないでしょうか。

 、、、いや隠す方がひねくれていて邪悪、という見方も出来ます。……となると、世間のほとんどの人は邪悪ですね。おー、こわっ!! みんな邪悪なくせに善人みたいな顔して生きているんだ!!

 というか、だからこそ邪悪であることを否定するような作品をわざわざ作る必要なんてないでしょ、と思うわけです。性善説? 結構。でも、私は人間は性悪説だと思う部分もかなりあるので、こういうお話を見聞きすると、なんかむず痒くなってくるのです。

 とはいえ、本作は見どころはたくさんあって、何しろ映像がキレイだし、ラナ・デル・レイの歌う主題歌もイイ感じ。美術・衣装も素敵。アンジーのマレフィセントはアニメにイメージがピッタリです。そして何と言っても、オーロラ姫が目覚めるための「真実の愛」のキスですね。通りがかりの王子さまのキスで、オーロラ姫は目覚めない。真実の愛じゃないから。大体、あの王子様、何のために出てきたのさ。

 、、、それにしても、ディズニーの王子様路線からの変更は近年目覚ましいですね。本作は一部ネットであの「アナ雪」(未見)にそっくりだといわれておりました。まあね、王子様が女子の人生の難題を解決なんぞしてくれないと誰もが気付いている昨今、王子様のキスで目覚めるお話はさすがに描けませんよね。

 でも、いずれ揺り戻しが来そうな気がしています。やっぱり、イイ男に幸せにしてもらいたい図々しい女子は、大勢おいでのはずなんで。夢見たい女子のための王子様物語。ケネス・ブラナーの『シンデレラ』は割とそれっぽかったですけれど。






オーロラ姫は絶世の美女、、、のはずでは?




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アンジェリカの微笑み(2010年)

2015-12-21 | 【あ】



 写真が趣味で石油関係の仕事をしているイザクは、ある晩、唐突に、亡くなった娘の写真を撮ってほしいと、町の名家ポルタス家の執事に頼まれる。頼まれるまま、ポルタス家に向かったイザク。

 居間の青いソファに横たわるのは、ポルタス家の若い娘アンジェリカ。花嫁衣裳のような白いドレスに身を包み顔には微笑を浮かべており、まるで眠っているような死顔である。イザクは請われるままにカメラを向け、ファインダーをのぞいたその瞬間、アンジェリカの大きな瞳が開いたかと思うと、イザクに向かってほほ笑んだのである。ギョッとなるイザク、慌ただしく写真を撮り終えるとポルタス家を飛び出す。

 しかし、イザクはこの瞬間からアンジェリカに恋してしまったのである。翌朝、現像したアンジェリカの写真を見ると、再びアンジェリカは目を開けてほほ笑んだ。驚くイザクだったが、、、。

 今年106歳(!)で亡くなったオリヴェイラが1952年に脚本を書いた作品。制作にあたり、書き直されたとのこと。
 
 
 
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 ポスターを見て、これは見るべし! と勝手に思い込んで、オリヴェイラが好きな映画友と一緒に見てまいりました。もっと混んでいるかと思いきや、劇場はかなりがら~んとしており意外。

 以下、ネタバレなので悪しからず。

 で、見ての感想は、と言いますと、、、。幻想怪奇譚ではあるけれど、鏡花みたいなゾクゾク感はあまりなく、割とおとぎ話っぽい感じに私には思えました。まあ、ラスト、イザクは死んでしまいますので、おとぎ話にしてはちょっと生々しいかも知れませんが。

 内容的に書くことはあまりありません。ストーリーは極めて単純で、あとは、ポルトガルの風景がとても美しく、また、葡萄畑で歌いながら働く農夫たちの姿が印象的です。

 単純に解せば、イザクはアンジェリカという美しい死神に魅入られた、そして、結果として命まで捧げてしまった、、、ということなんだろうけど。身も蓋もない解釈をすると、イザクは生真面目青年ということでちょっとばかしウツっぽかったところへ、アンジェリカがほほ笑んだような錯覚(妄想)を見たことで、ますます精神のバランスを崩し、心身ともに憔悴して亡くなった、、、ということかも。こう書くと、夢もロマンもありまへんな。

 お化けのアンジェリカが夜眠っているイザクのところに現れ、2人は抱き合って夜の空を浮遊、、、というか、飛びます。このときの2人はモノクロームで、やや稚拙な(わざとだと思うが)CG映像により、むしろ幻想的な画になっています。川面スレスレのところを嬉しそうに抱き合って飛ぶ2人。もの凄い風にアンジェリカの髪がなびいています。そのスピード感がちょっと怖い。どこかシャガールっぽいけど、でもちょっと違うかな。そう思って見るからかもだけど、やはり本作の方が悲壮感のようなものが漂っている感じがする。シャガールが飛んでるのって、大抵喜びの象徴だもんね。あんまし好きじゃないけど、シャガール。

 でもまあ、ある意味、イザクは幸せな人生の終え方をしたとも言えます。妄想の中とはいえ、好きな女性と抱き合ったまま昇天したのですから。死ぬ瞬間、何を感じるかなんて、死んだことがないので分かりませんが、こういう風に死ねるのは理想的かも知れません。その時、私を迎えに来てくれるのは、玉木宏みたいなイケメンだったらイイな~、なーんて。いや、死んでしまった柴犬のクロの方が嬉しいな。クロが迎えに来てくれたら、幸せだ、、、。

 もともと、1952年に書かれた脚本では、イザクは迫害を逃れてポルトガルまで来たユダヤ人という設定だったそうです。本作でもイザクはユダヤ人ですが、設定は現代なので迫害から逃れてきたわけではありません。でも、迫害から逃れてきた、というのであれば、この話は何となく私には腑に落ちる感じがします。つまり、やはり精神的に追い詰められていて、彼は幻を見た、そこに救いを求めた。現実逃避だけれども、だからこそ、美しいものを見て魅入られてしまう、、、。心も体も弱っているときだからこそ、そういう幻を見てしまう。何か、そっちの方が怪奇幻想譚としては好きです。舞台を現代にしない方が良かったんじゃないかな、、、と思いました。

 アンジェリカを演じたピラール・ロペス・デ・アジャラは、確かに美人なんですが、彼女が初めてイザクに微笑むシーンの笑顔が、、、、ちょっとコワい。口元がもの凄いインパクトがあって、美しいには違いないんだけど、なんつーか、、、違う意味でコワいと私は思ってしまいました。

 あと、イザクが住んでいたアパートの大家さんのおばさんがイイ味出していました。おばさんの飼っているネコも可愛かった、キジトラっぽくて尻尾がすごい長くて。






101歳の感性、、、恐るべし。




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愛なき女(1951年)

2015-12-16 | 【あ】



 古美術商の夫カルロス・モンテロと、歳の離れた妻ロサリオは、あまり仲が良くない。そもそも貧しい家の借金肩代わりでロサリオはカルロスと結婚したようなものだった。カルロスは一家の主として威張っており横暴、幼い息子カルリトスが学校で盗みを疑われ傷つき帰宅したところを、息子の言い分も聞かずに頭ごなしに怒鳴るような男である。

 カルリトスはそれで絶望し、家出をするが、彼を保護して家まで連れ帰ってくれたのが、林業を営むフリオという若い男だった。フリオとロサリオは惹かれあい、不倫の関係に。しかし、ロサリオは駆け落ちには踏み切れず、フリオは彼女の下を去って行く。

 果たして20年後。カルロスとロサリオには、カルリトスともう一人、ミゲルという息子が大人になっており、2人とも医師になった。2人してカルロスの援助で診療所を開く計画になっていたが、カルロスの都合がつかなくなり計画はご破算に。

 そこへ、ある男がミゲルにかなりの額の遺産を残したという知らせが入る。ミゲルはそれを元手に開業しようとする。面白くないカルリトス。しかもミゲルは、カルリトスが思いを寄せていた女性と婚約、結婚までしてしまう。

 カルリトスは、ミゲルの遺産話に疑問を抱き、ミゲルの出生に秘密があると勘ぐる。そして、母ロサリオが夜中にフリオの写真を見て涙するのを目撃し、それは確信に変わるとともに、母への怒りを抱くのだが、、、。

 ブニュエルが自身のサイアク作品と評した作品とのこと。、、、まあ、でもこれよりヒドイ映画はゴマンとありますけどね。

 
 
 
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 そこまでヒドイ作品と言われると、逆に見たくなるのが人の情、ってもんです。

 んまぁ、確かに、グッとくるものは何もない映画でした。ベタベタなメロドラマは別にいいけど、なんか、すご~く表層的な作品、という印象です。ストーリーだけ追っているような感じ、というか、、、。登場人物、誰にも共感できないしなぁ。カルリトス(覚えにくい名前だ)は、ちょっと気の毒な気はするけれど。

 話が途中で一気に20年飛ぶんで、最初??という感じになります。ミゲルなんて息子が出てくるし。え、あの後、出来たってこと? つまりそれって、、、? と思ったら案の定、ミゲルはフリオの息子ということで。

 紹介サイト等には、カルロスが20年前のロサリオの不貞を知っている、と書いてありますが、作品を見る限り、私にはそうは思えませんでした。ミゲルに突如遺産が転がり込んできても、カルロスは単純に喜んで「フリオはやっぱりイイ男だ」みたいなこと言ってるし。大体、あの手の男が、余所の男の子どもをそうと知っていて育てるなんて考えられません。どう見ても、ロサリオの胸に秘めたことだったと思われます。

 でも、普通、あんな唐突に遺産もらったら、誰だってオカシイと思いますよねぇ。何でカルロスは疑わないのか。ミゲルも。

 カルリトスと、ミゲルが、終盤カルロスが亡くなった後に、ミゲルの出生の秘密を巡って直接対決するんですけど、そこへロサリオが現れ、過去の不倫について涙ながらに「私が愛したのはフリオだけ!!」とか言って暴露すると、それに胸打たれた息子2人はあっけなく和解、、、という訳分からん終わり方です。母親の不倫話暴露って、却って揉めるんじゃないですかね、こういう場合。「愛してた」ってのが免罪符なんですかね?

 というわけで、ストーリー的にも見るべきところはあんましないかなぁ、、、。ロサリオみたいな女は、私が一番嫌いなタイプだし。不義の子ミゲルは遺産は入るわ、好きな女性と結婚できるわで良いとこどり。正統派のカルリトスは不遇、、、ってんで、人生の不条理を描いている、ってことですかねぇ。それにしては浅いけど。

 しかし、、、これがあの『忘れられた人々』の翌年に撮られたなんて、信じられん。うーーん、書きたいと思うことが、ホント見当たらない作品です、、、ごーん。

 





なんだかなぁ、、、が正直な感想。




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サンローラン(2014年)

2015-12-11 | 【さ】



 イヴ・サンローラン映画<その2>。

 デザイナーとして「自分以外にライバルがいない」と豪語するイヴ・サンローラン。酒とヤクと男に浸って、デザイン画が全く描けなくなることもあったが、奮起して描きまくってショーを成功させる。

 、、、ああ、もうあらすじを書くのもメンドクサイ!! 理由は本編で。
(ちなみにサンローラン関連映画は、ほかにも、ドキュメンタリー映画が公開されていたんだそうです)
 
 
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 老いたとはいえ、ヘルムート・バーガーとかドミニク・サンダが出演する、などと聞いたら嫌でも期待値上がりますってば。勝手に期待するなって方がムリな話。

 、、、でもって、見事に期待を裏切ってくれる作品でございましたよ。今日の某全国紙の夕刊に評が出ていて、結構絶賛に近かったけど、はぁ?という感じです、私には。

 これ、イヴ・サンローランというデザイナーのオハナシでしょ? でも、別にサンローランじゃなくても、ただのゲイのアル&ヤク中男のオハナシ、って言っても通じるんじゃない? というほど、デザイナーとして何にそこまで苦しんでいたのか、ほとんど描かれておりませんでした。

 デザイナーとしての描写は、成功譚だけちょっと。世に出るまでの輝かしいばかりの若い頃と、74年だっかたのショーを成功させたときの話と。しかも、後者は、どうして急にデザイン画を一気に描き上げたかがよく分かんない。なんだかふと思い立って裸のサンローランが鉛筆を紙に走らせ始め次々に描いていく、、、みたいなのだけ。

 作品の90%は、彼がいかに退廃的で自堕落な生活を送っていたかが、延々描かれます。男同士のラブシーンも時間としてはそう長くはないけど、割と濃厚なのがあります。ちょっと途中で正視できなくなりまして、、、。男と女のシーンでもあれはちょっとイヤかも、私は。

 まあ、嫌でも昨年見たピエール・ニネ版の『イヴ・サンローラン』と比べちゃうんですが、あっちは、ベルジェの後ろ盾があったんで、衣装はさすがに豪華で見応えありました。本作も、華やかですけど、やっぱり見劣りしますね。特に、初期の頃の衣装は、本作では手薄だし、何度も「モンドリアン」というキーワードがセリフに出ては来るけど肝心の衣装は皆無、、、。おまけにバレエ・リュスとかのもほとんどなかったように思うので、そういう意味ではニネ版に軍配です。

 あと、ニネ版は、サンローランの才能の凄さを、ちゃんと、彼自身のデザイナーとしての仕事の描写で描いていたけど、本作はウォーホールが絶賛したことでいかにサンローランが素晴らしいかを言っていただけで、ウォーホールがどーでもいい私みたいな観客にとっては、ふーーん、、、で? てなエピです。

 ただ、ベルジェの公認という縛りが本作にはないので、ベルジェが見たくないであろう、ジャック・ド・バシャールとの関係は、かなりこちらはしつこく描いています。というより、ベルジェよりバシャールとの関係の方がメインでしたね。あと、本作の方が全体にエグいです。サンローランを貶める意図は感じられませんが、ニネ版より相当ヤバい人だったという印象です。

 、、、まあでも、ニネ版と本作のウリエル版と二作品を見て思ったのは、サンローランの実人生って、そもそも、映画にするほどのものじゃなかったんでは? ということです。デザイナーとして一世を風靡したので、さぞやドラマチックだろう、と普通に誰もが想像しますけれど、蓋を開ければ、ゲイのアル&ヤク中男の生活一色で塗り込められていた、ってとこじゃないでしょうか。でなきゃ、ニネ版もウリエル版も、ここまでつまんない作品にはならないと思うのです。どうしてドヌーヴとのエピソードの描写とか、全くないのでしょうか、両作品とも。

 本作でサンローランが言うとおり、恐らくデザイナーとして、彼のライバルは同じ時代にはいなかったのでしょう。ニネ版を見た時に、デザイナーとしてのアイデアの枯渇やライバルへの焦りみたいな精神的な葛藤を描いてほしかった、というようなレビューを書いたけど、本当にそういうのはなかったんじゃないか、と本作を見て強く思いました。だから、逆にそれがクスリやアルコールに依存することになったのだろうけど、そんな場面を延々スクリーンで映されても、見ている方は何でそこまで自堕落になっちゃうのか分かんないのですよ、ちゃんと説明してくれないと。退廃的な映像で見せてるだろ、ったって、ムリがありますよ、こういう自己完結型の人の苦しみを大勢の観客に理解させるのは。

 とにかく、脚本がマズすぎる。演出も、ムダに思わせぶりなシーンが多いし。音楽も、終盤の蝶々夫人のアリアとか、もうコテコテすぎな演出で引きました。

 サンローランを演じたギャスパー・ウリエルは頑張ってると思いました。全裸も美しかったし。バシャールを演じたルイ・ガレルが、私には濃過ぎて、彼のどこに一目惚れするのかが理解できず、ちょっと辛かった。

 しかし、ヘルムート・バーガーは、昨年『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』にチョイ出してたのを見てたけど、本作では出番が多かったので、その年を経た姿をマジマジと見ましたが、、、。うーん、あのルートヴィヒ2世と同一人物なのかぁ、、、。ドミニク・サンダも、う~~ん、もちろん美しい老婦人ですが、、、これはキツい。

 ほかにも何気に豪華キャストなのに、ゼンゼン活かせていないのがとても残念。
 





150分の作品だけど、90分にできると思う。




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ワルシャワ、二つの顔を持つ男(2014年)

2015-12-07 | 【わ】



 上記リンク先(そのうちリンク切れしちゃいそうだから)からのコピペです。

 ~~~以下、コピペ。

 第二次世界大戦の終結後、世界は冷戦下に陥った。対峙したのはソ連とアメリカで、軍事力競争はソ連が優位な立場で始まった。1968年、ポーランドの主任軍事高官のリシャルド・ククリンスキは、ワルシャワ条約機構軍のロシア側の作戦計画で彼はある恐ろしい事実を発見する。事態がどんどん悪くなっていっている事に加え、ククリンスキはポーランドが消滅してしまう事を恐れCIAと接触する。そして、CIAはククリンスキに【ジャック・ストロング】のコードネームを与え、そしてジャックは何千もの機密文書を裏でCIAに流し始めるが、それは巨大な危険を意味するのだった。

 ~~~コピペここまで。

 少々分かりにくい部分もあるけれど、すごい緊迫度で圧倒されてしまった、、、。
 
 
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 何でこのDVDをリストに入れたのか、まるで記憶にない、、、。でも、これは掘り出し物でした。

 『戦場のピアニスト』を見た後、ポーランドという国は、ロシアという国が隣にあったおかげで、イロイロと苦労の絶えない国だったということは聞きかじりましたが、本作もまさに、ソ連(とアメリカ)に翻弄された歴史の一端を描いています。

 原題でもあるジャック・ストロングこと、ククリンスキの評価はポーランドでも未だに「裏切り者or国家の救世主」で割れているとか。でも、本作を見た限りでは、少なくとも裏切り者と断じるのは酷なような気がします。冒頭のコピペにある「ポーランドが消滅してしまう事を恐れ」というのは、ソ連に脅され続ける我が国が、「核戦争の舞台にされてしまう危険性が高い」という極秘情報を知ってしまったということです。

 そんな情報を知って、ソ連の脅しに屈し続ける方が、裏切り者とも言えませんかね。少なくとも、冷戦下において、助けを求めるとすればアメリカしかないでしょう。

 冒頭シーンで仰天したものの、序盤は、背景に全く無知だった私には若干退屈で、眠くなりかけたんですが、いきなりCIAに接触するところでバッチリ覚醒しました。そこから後は、一気に緊迫度が増し、そのままラストまで突っ走ります。特に、亡命シーンは、まぁお約束ですけれども、手に汗握ります。

 スパイって、家族にも何も話さないから、奥さんには浮気を疑われ、子どもには家庭を顧みない独善的な父親の烙印を押され、ホント、報われない。おまけに、職場でも、まさに四方が敵で緊張しっぱなし。極秘文書を持ち出す途中で鉄の扉(?)に顔面激突して鞄を落とし、極秘文書が鞄から飛び出るシーンは、こっちの心臓が飛び出そうなくらい緊張しました。

 ソ連って国は、オソロシイ。ロシアになっても恐ろしいけど、あんな国と地続きなんて、地勢が悪過ぎ。日本もロシアは隣国だけど、海があった!おかげで、どうにか侵略の憂き目に遭わずに済みました、、、。遭いそうだったけど。ソ連のブレジネフ書記長役の人、かなりソックリで感動しました。あと、ソ連軍の高官クリコフとかいうオヤジがキレまくりで怖いのなんの。あんな人、でも、実際いたんだろうな、と想像してしまう。

 ククリンスキを演じていたマルチン・ドロチンスキー(すげぇ名前!)が、ちょっとジェイク・ギレンホールを老けさせた感じに見えて、なかなかイケメンでした(ジェイクがイケメンだとは思わないけど。でもって実際のククリンスキの方がもっとイケメンみたいだけど)。本作の良いところは、彼を英雄視していないところです。普通に周囲にビクビクし、けれど、このまま知らぬ振りは出来ないという思いの狭間で普通に苦悩する男として描いています。

 あと、本筋とはゼンゼン関係ないけど、CIAのオフィスのシーンが何度も出てきて、その壁にデカイ世界地図があるんだけど、なんと、その地図に、日本がない! んだよねぇ。、、、ま、そんなもんなんだろうなぁ、アメリカから見た日本の戦略的地位って。しかも時は冷戦下だってのに、、、。あれ見たら、今なお続く沖縄のゴタゴタが、アホらしくなるんですけれど。ホント、アベベも憲法を取り戻せとか言っている同じ口でアメリカ御大にはヨイショしまくりで、どーなってんのさ。アベベも、アベベシンパも、あれ見て、アメリカにせめてちゃんと怒りなさいよ、と言いたい。軍出て行け、とは絶対に言えないだろうから。

 でも、アメリカの凄いところは、CIAの情報員を囮にして、ちゃんとククリンスキを亡命させて助けたことですね。彼の2人の息子は不慮の死を遂げているらしいですが、、、。


 





マイナーでも素晴らしい作品はあるのだ!!




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恐怖ノ黒電話(2011年)

2015-12-03 | 【き】



 DV&ストーカー夫と離婚し、古びたアパートに引っ越してきたマリー。部屋には、前の住人がそのままにしていった古い黒電話があった。

 ある日、電話が鳴るので出てみると、女性の声でマリーに訳の分からない因縁をつけてくる。最初は適当にあしらうが、2度、3度とかかってくるうち、どうやら声の主の女性は、1979年を現在進行形で生きている様である。つまり、過去からの電話だったのだ。

 不思議な電話だが、女性が悲しそうに打ちひしがれているのを聞いて、マリーは同情心を起こして話し相手になってやる。しかし、これが全て、運のツキ、、、。

 ジャンルはホラーみたいですが、怖いというよりは、悲しいお話のような気がしました。、、、でも、考えようによってはかなり怖いかも。
 
 
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 なんだかB級ホラーみたいなタイトルに惹かれ、かなり以前にレンタルリストに入れたものが送られてきました。どれどれ、、、と見てみました。

 グロい描写もほとんどないし、ホラーとして見れば、映像的には大して怖くはありません。でも、自分ではどうしようもないところで自分の人生が勝手に変えられてしまうという話は、かなり恐ろしいですよねぇ。

 過去からの電話の主、ローズという中年女性は、まあ、言ってみれば病んでいる女性です。横暴な男尊女卑思想の頭の悪い夫の浮気に悩んでたんですね。初期の頃は、悩んでメソメソ泣いたり、マリーに悪態付いたりして、ちょっとイカレた感じだけだったんですが、回を重ねてマリーが同情心を起こし、ローズの話を聞いてこうアドバイスしてしまいます。

 「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」

 ま、フツーによく聞く言葉ですよね。悩んでいる人にはよく掛けやすい言葉です。ついでに、こうも言います。

 「私も離婚するだけじゃなくて始末しておけばよかった」

 、、、そら、あんなストーカー男ならそう思いますわな。しかし、そんな醜い本音を、頭のネジが外れた過去の女に言っちゃったのが運のツキでした。マリーは、あくまでもローズは自分とは別世界の人間だと思っているから、油断してポロリと漏らしてしまったのですが、、、。

 でも、1979年といえば、マリーも既にこの世に生まれており、少女時代を生きていて、しかも、ローズとは生活圏が同じだった。

 マリーのアドバイスに生きる気力を得たローズは、まず、男尊女卑思想のマッチョ夫に言葉で反撃に出ます。しかし、当然、そんなマッチョ夫は一笑に付すだけ。怒り狂ったローズは、何と、79年のある日、マッチョ夫を殺しちゃうんです。殺して納戸の壁に埋めてしまう。そして、その部屋こそ、マリーの引っ越してきたアパートの一室だった、というわけ。

 本当のローズは、、、。実は、夫を殺した後、そのアパートで首を吊って自殺していたのです。ですが、マリーの助言により電話の主ローズの未来は書き変えられることに、、、。

 まずは、自殺などしない。夫を殺した後はマリーに執着し始める。中盤で、電話線を抜き、ローズからのコンタクトを一切断っていたマリーですが、ある日、携帯の電波が悪く仕方なくまた黒電話をつなげます。すると、自分を無視していたことで怒り狂っていた79年に生きるローズは、同じ生活圏にいた少女のマリーを見つけ出し、現在の大人のマリーに電話で脅迫するのです。

 悪いことは続き、大人のマリーは、ジョンという新しく恋人もでき、少し明るい人生が開けて来ていたのですが、その恋人の家もローズに突き止められ、当時は少年だったジョンはローズによって誘拐・殺されてしまう。

 そして、遂に、、、少女マリーもローズに拉致され、熱した油を掛けられる。大人のローズの体にみるみる浮き出るひどい火傷の痕。

 そう、マリーの現在はローズの手に握られてしまっているのです。暴走するローズから、マリーの未来=現在のマリーを守る手段はただ一つ、ローズを抹殺すること。果たして少女マリーは、ローズを、、、殺っちゃいます。

 ラスト近くで一瞬だけ、中年おばはんのローズが大人のマリーの前に姿を現すんですが、鉈を振りかざしていて怖いです。『危険な情事』のグレン・クローズもまっつぁおな狂態です。少女マリーに殺られた瞬間、消えるんですけれど。

 黒電話がつながっているときだけ、大人のマリーは現在の自分を辛うじて守ることが出来る。つながっていなければ、ローズによってどんな風に変えられてしまうか分からない。この設定が、もどかしくて恐ろしいです。

 まあ、マリーがあまりにも無防備で、そんな変な電話、最初にかかって来た時点で電話線を抜いてしまえ! と思うし、そもそもそんなアパート、さっさと引っ越しなさいよ、と言いたくなっちゃうわけです、常識人の私は。でもマリーは「大丈夫、越して来たばかりだし」なーんてノンキ極まりない。挙句、殺したいほど嫌っている元夫を部屋に入れてしまったり、、、。マリーさんよ、そんなだからヘンなのが寄ってくるんだよ。

 一番悲しかったのは、折角、ジョンとの出会いがあってマリーが幸せを感じ始めたそのときに、ジョンの過去をローズによって変えられちゃったことですね。何しろ、殺されちゃったのですから。

 この、ジョンを演じたスティーヴン・モイヤー、よく知らないんですが、ネットで見たら、あの、アンナ・パキンと結婚しているんですねぇ。彼女が、ドラマで共演した俳優と、周囲も目のやり場に困るほどのラブラブで結婚した、って話は何かで読みましたが、その彼が、スティーヴン・モイヤーだったのですね。なるほど、、、。アンナ・パキンも、もう30歳過ぎたんですか。早いなぁ、、、。

 地味作品だし、邦題がかなりイマイチだし、突っ込みどころもなくはないけれど、内容は悪くないです。ビジュアルで怖いのを期待すると、ちょっと違うかもですが。
 





間違い電話は一歩間違えるとトラブルのもと。サッサと切りましょう。




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