作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv4452/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(長いので編集しています。また、青字は筆者加筆です)。
=====ここから。
ボストンの名望家、ヴエール家の娘に生まれたシャーロッテ(ベティ・デイヴィス)は、少女時代を専制的な母親・ヴェール夫人(グラディス・クーパー)と神経病のために不幸に過して来た。しかしジャクイス医師の親切な治療と義姉の聰明な取扱いとによって、今ではほとんど神経病の跡をとどめぬまでに治癒していたので、彼女は許されて初めて漫遊旅行に旅立ったのであった。
その船中で彼女はジェリィ・デュランス(ポール・ヘンリード)に逢い2人はやがて激しく愛し合うようになった。しかし、ジェリィには既に妻があり、シャーロッテと同じように不幸な少女時代を過している神経病の娘があった。
シャーロッテはジェリィと美しく別れて旅から帰ると、間もなくエリオット・リビングストンと婚約をしたものの、ジェリィへの愛情がたち切れず婚約を破棄。このことは彼女の母親を怒らせ、激しい口論となった結果、ヴェール夫人は心臓マヒで急死してしまった。
シャーロッテは再びジャクイス医師の診療所に療養に向かうと、計らずも同じ療養所でジェリィの娘ティナに出逢う。シャーロッテはこの少女に憐みと愛情を傾けるようになって、自らこの少女の療養に手を貸した。やがて1人の少女へ注がれる同じ愛情によってジェリィとシャーロッテは以前の激しい情熱を通り越した静かなしかし深い友情によって永久に結ばれることになった。
=====ここまで。
ベティ・デイヴィス主演作。
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆
今、早稲田松竹でイーストウッド特集が行われておりまして、1日1回だけ『ダーティ・ハリー』がモーニングショーで上映されております。スクリーンで見るのは実は2度目で、約2年ぶりだったんですが、やっぱし何度見ても良くできた映画だとしみじみ思いました。感想は、近々書きたいと思っております(いつになるやら、、、)。
さて、本作は全然知らない映画だったのですが、映画友が見て印象に残ったと言っていて、どらどら、、、と思って見た次第。……確かに印象には残りますね、いろんな意味で。
◆支配的な母親のおかげで病む娘
前半と後半で印象が全く異なる映画だった。
序盤、もの凄いおっかないお母さん・ヴェール夫人が出てくる。ベティ・デイヴィス演ずる娘のシャーロッテは、自分が歳とってからできた、いわゆる“恥かきっ子”だと本人の前で言って憚らず、メイクから化粧から立ち居振る舞い、行動に至るまで、娘の総てを支配する。おかげで、シャーロッテは神経を病んでいるのだけど、そら病むわね、あれじゃ。
でも、シャーロッテの幸いなのは、そういう状況を客観的にオカシイと感じて、行動してくれる人がいたってこと。それはシャーロットの義理の姉で、名高い精神科医であるジャクイス氏を連れて来てくれるのだ。こんなこと、現実ではなかなか望めない展開である。
ヴェール夫人は、ジャクイス医師にきっぱりと「あなたは間違っている」と指摘されるのだが、当然、彼女は自分がオカシイなどと認めない。認めないけど、第三者(しかも、この場合専門家)に冷静に指摘されることの意味はとてつもなく大きい。第三者に介入されることで、被支配者は救われる。ジャクイス医師は、この母娘を物理的に離し、シャーロットの精神的なケアに専念させるわけで、この処置がいかにシャーロットの人生にポジティブな影響を及ぼしたか、計り知れない。シャーロットにとって、ジャクイス医師は命の恩人である。
療養の結果、精神の回復が見られたとして、一旦、家に帰るシャーロットだけれども、その後船旅に出て、そこで妻子持ちの男と出会って恋に落ちて、、、と、いうのが後半の展開になる。
この男ジェリィの妻もかなりヤバい人らしく、2人いる娘のうち末娘ティナを虐待(ネグレクト)している、とジェリィ自身がシャーロットに語る。
前半と後半で印象が異なると書いたけれども、“母娘の確執”は全編に通底しているといえばそうなわけで、ただ、この“取り扱い注意ネタ”が、終盤で男女の恋に都合よく使われるのはいただけない(後述)。
◆これが大人の恋なのか?
ジェリィとの恋物語になってからは、おおむね退屈で、ふー-ん、、、って感じで見ていたのだが、ベティ・デイヴィスが恋する乙女な部分を見せるシーンもあり、私の中でのベティ・デイヴィスのイメージとはちょっと被らなくて意外な感じも、、、。
ジェリィは、妻子がある身でも堂々とシャーロッテに「愛している」とか言って、シャーロッテもそれに目をウルウルさせながら応える。でも、ジェリィには離婚という選択肢は全くないらしいのだよね。これは、当時の社会がそういうものだったのかねぇ。どうもその辺が見ていて違和感ありまくりで、ふー-ん、という感じになってしまっていたのだ。
ジェリィとシャーロッテは2人ともヘビィスモーカーで、ジェリィが煙草を2本くわえて煙草に火をつけて、1本をシャーロッテに渡すというシーンが何度も出てくるんだが、このシーンが、本作公開当時に話題になって、流行ったんだとか、、、。私はちょっと、生理的にこれはイヤかもなぁ、、、と思って見てしまった。こういうのも、ふー-ん、となってしまった一因か。
でも、一番白けたのは、やはり、シャーロッテがティナの面倒を見ることになるというラスト。これはどう見ても、ジェリィとの叶わぬ恋の代償行動そのものでしょ。人ひとり世話するってことの重みがまるで感じられない。映画だからいいじゃん、、、とかいう問題ではないと思うのだが。これで幸せを感じているシャーロッテも、結局のところ、自分の母親と大差ないことをしている自覚はまるでないよね。自分がいかに独善的か、などと微塵も思っていなさそうなのが、終盤、ヒロインに失望してしまうという、なかなか辛い展開である。
◆その他もろもろ
ベティ・デイヴィスは、序盤、母親に過剰に抑圧されているシャーロッテの演技がさすがである。一目で病んでいると分かるルックスもだけど、おどおどして、言いたいことも言えずにいる様を実にうまく演じている。また、母親の呪縛から解放されて垢抜けたシャーロッテになってからの、自信を付けて堂々とした様子は、ベディ・デイヴィスそのもので、堂に入っている。
ジェリィを演じたポール・ヘンリードは、『カサブランカ』でしか知らなかったが、本作ではちょっとイメージが違った気がする。最初の登場シーンも地味で、あまりイケてる感じでもなく、、、、。ジェリィの、何となく優柔不断なキャラには合っていたと思うけど。
ジャクイス医師のクロード・レインズがなかなか素敵だった。『アラビアのロレンス』にも出ていたとは。『スミス都へ行く』『カサブランカ』にも出ているらしい。『スミス都へ行く』は名画と評判だけど、私は全然好きじゃないので、もう一度見ようとは思えないけど、『カサブランカ』は久しぶりに見てみようかな。ポール・ヘンリードももう一度ちゃんと確認してみたい気もするし。
ちなみに、ポール・ヘンリードはこの後、ベティ・デイヴィスが主演した『誰が私を殺したか?』で監督もしているとのこと。『誰が私を殺したか?』多分未見なので、見てみたい。
シャーロッテの眉毛の太さの変化に注目。