映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

情熱の航路(1942年)

2022-05-28 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv4452/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(長いので編集しています。また、青字は筆者加筆です)。

=====ここから。

 ボストンの名望家、ヴエール家の娘に生まれたシャーロッテ(ベティ・デイヴィス)は、少女時代を専制的な母親・ヴェール夫人(グラディス・クーパー)と神経病のために不幸に過して来た。しかしジャクイス医師の親切な治療と義姉の聰明な取扱いとによって、今ではほとんど神経病の跡をとどめぬまでに治癒していたので、彼女は許されて初めて漫遊旅行に旅立ったのであった。

 その船中で彼女はジェリィ・デュランス(ポール・ヘンリード)に逢い2人はやがて激しく愛し合うようになった。しかし、ジェリィには既に妻があり、シャーロッテと同じように不幸な少女時代を過している神経病の娘があった。

 シャーロッテはジェリィと美しく別れて旅から帰ると、間もなくエリオット・リビングストンと婚約をしたものの、ジェリィへの愛情がたち切れず婚約を破棄。このことは彼女の母親を怒らせ、激しい口論となった結果、ヴェール夫人は心臓マヒで急死してしまった。

 シャーロッテは再びジャクイス医師の診療所に療養に向かうと、計らずも同じ療養所でジェリィの娘ティナに出逢う。シャーロッテはこの少女に憐みと愛情を傾けるようになって、自らこの少女の療養に手を貸した。やがて1人の少女へ注がれる同じ愛情によってジェリィとシャーロッテは以前の激しい情熱を通り越した静かなしかし深い友情によって永久に結ばれることになった。

=====ここまで。

 ベティ・デイヴィス主演作。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 今、早稲田松竹でイーストウッド特集が行われておりまして、1日1回だけ『ダーティ・ハリー』がモーニングショーで上映されております。スクリーンで見るのは実は2度目で、約2年ぶりだったんですが、やっぱし何度見ても良くできた映画だとしみじみ思いました。感想は、近々書きたいと思っております(いつになるやら、、、)。

 さて、本作は全然知らない映画だったのですが、映画友が見て印象に残ったと言っていて、どらどら、、、と思って見た次第。……確かに印象には残りますね、いろんな意味で。 


◆支配的な母親のおかげで病む娘

 前半と後半で印象が全く異なる映画だった。

 序盤、もの凄いおっかないお母さん・ヴェール夫人が出てくる。ベティ・デイヴィス演ずる娘のシャーロッテは、自分が歳とってからできた、いわゆる“恥かきっ子”だと本人の前で言って憚らず、メイクから化粧から立ち居振る舞い、行動に至るまで、娘の総てを支配する。おかげで、シャーロッテは神経を病んでいるのだけど、そら病むわね、あれじゃ。

 でも、シャーロッテの幸いなのは、そういう状況を客観的にオカシイと感じて、行動してくれる人がいたってこと。それはシャーロットの義理の姉で、名高い精神科医であるジャクイス氏を連れて来てくれるのだ。こんなこと、現実ではなかなか望めない展開である。

 ヴェール夫人は、ジャクイス医師にきっぱりと「あなたは間違っている」と指摘されるのだが、当然、彼女は自分がオカシイなどと認めない。認めないけど、第三者(しかも、この場合専門家)に冷静に指摘されることの意味はとてつもなく大きい。第三者に介入されることで、被支配者は救われる。ジャクイス医師は、この母娘を物理的に離し、シャーロットの精神的なケアに専念させるわけで、この処置がいかにシャーロットの人生にポジティブな影響を及ぼしたか、計り知れない。シャーロットにとって、ジャクイス医師は命の恩人である。

 療養の結果、精神の回復が見られたとして、一旦、家に帰るシャーロットだけれども、その後船旅に出て、そこで妻子持ちの男と出会って恋に落ちて、、、と、いうのが後半の展開になる。

 この男ジェリィの妻もかなりヤバい人らしく、2人いる娘のうち末娘ティナを虐待(ネグレクト)している、とジェリィ自身がシャーロットに語る。

 前半と後半で印象が異なると書いたけれども、“母娘の確執”は全編に通底しているといえばそうなわけで、ただ、この“取り扱い注意ネタ”が、終盤で男女の恋に都合よく使われるのはいただけない(後述)。


◆これが大人の恋なのか?

 ジェリィとの恋物語になってからは、おおむね退屈で、ふー-ん、、、って感じで見ていたのだが、ベティ・デイヴィスが恋する乙女な部分を見せるシーンもあり、私の中でのベティ・デイヴィスのイメージとはちょっと被らなくて意外な感じも、、、。

 ジェリィは、妻子がある身でも堂々とシャーロッテに「愛している」とか言って、シャーロッテもそれに目をウルウルさせながら応える。でも、ジェリィには離婚という選択肢は全くないらしいのだよね。これは、当時の社会がそういうものだったのかねぇ。どうもその辺が見ていて違和感ありまくりで、ふー-ん、という感じになってしまっていたのだ。

 ジェリィとシャーロッテは2人ともヘビィスモーカーで、ジェリィが煙草を2本くわえて煙草に火をつけて、1本をシャーロッテに渡すというシーンが何度も出てくるんだが、このシーンが、本作公開当時に話題になって、流行ったんだとか、、、。私はちょっと、生理的にこれはイヤかもなぁ、、、と思って見てしまった。こういうのも、ふー-ん、となってしまった一因か。

 でも、一番白けたのは、やはり、シャーロッテがティナの面倒を見ることになるというラスト。これはどう見ても、ジェリィとの叶わぬ恋の代償行動そのものでしょ。人ひとり世話するってことの重みがまるで感じられない。映画だからいいじゃん、、、とかいう問題ではないと思うのだが。これで幸せを感じているシャーロッテも、結局のところ、自分の母親と大差ないことをしている自覚はまるでないよね。自分がいかに独善的か、などと微塵も思っていなさそうなのが、終盤、ヒロインに失望してしまうという、なかなか辛い展開である。


◆その他もろもろ

 ベティ・デイヴィスは、序盤、母親に過剰に抑圧されているシャーロッテの演技がさすがである。一目で病んでいると分かるルックスもだけど、おどおどして、言いたいことも言えずにいる様を実にうまく演じている。また、母親の呪縛から解放されて垢抜けたシャーロッテになってからの、自信を付けて堂々とした様子は、ベディ・デイヴィスそのもので、堂に入っている。

 ジェリィを演じたポール・ヘンリードは、『カサブランカ』でしか知らなかったが、本作ではちょっとイメージが違った気がする。最初の登場シーンも地味で、あまりイケてる感じでもなく、、、、。ジェリィの、何となく優柔不断なキャラには合っていたと思うけど。

 ジャクイス医師のクロード・レインズがなかなか素敵だった。『アラビアのロレンス』にも出ていたとは。『スミス都へ行く』『カサブランカ』にも出ているらしい。『スミス都へ行く』は名画と評判だけど、私は全然好きじゃないので、もう一度見ようとは思えないけど、『カサブランカ』は久しぶりに見てみようかな。ポール・ヘンリードももう一度ちゃんと確認してみたい気もするし。

 ちなみに、ポール・ヘンリードはこの後、ベティ・デイヴィスが主演した『誰が私を殺したか?』で監督もしているとのこと。『誰が私を殺したか?』多分未見なので、見てみたい。
 
 

 

 

 

 

 


シャーロッテの眉毛の太さの変化に注目。

 

 

 

 

★★ランキング参加中★★

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイ・ニューヨーク・ダイアリー(2020年)

2022-05-18 | 【ま】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76229/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 作家を目指すジョアンナは、老舗出版エージェンシーでJ.D.サリンジャー担当の女上司マーガレットの編集アシスタントとして働いている。

 そんな彼女の仕事は、サリンジャー宛に世界各地から大量に届くファンレターの処理。心揺さぶられる手紙に触れるにつれて、定型文で返事を返すことに気が進まなくなった彼女は、個人的に手紙を返し始めることに。

 偉大な作家の声を借りていくうちに、ジョアンナは、友人や恋人との関係や、自分の将来について見つめ直していく。

=====ここまで。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


◆舞台『みんな我が子』の前に時間があったので、、、(言い訳をしたくなる)

 サリンジャー、全然知りませんけど、おまけに、予告編から私とは合わない臭がしたんですけど、同業者が主人公となれば、一応見ておきたいかも、、、と思い劇場まで行ってしまいました。

 ……というのも、その日は午後からアーサー・ミラーの『みんな我が子』を見る予定だったので、午前中が中途半端に時間があるってことで、本作だけが辛うじて時間が合いそうだったのでした。

 『みんな我が子』についての記事を書く予定はないので、サクッと感想を書き留めておきますと、私としては演出に対してものすごく疑問を感じました。堤真一はさすがに上手いけれど、他の役者さんたちの演技は単調に見えたんですよね。感情の盛り上がりをセリフをがなり立てるだけで表現しているというか、、、。

 まあ、私の演劇に対する審美眼など当てになりません。さっき知ったんですけど、関係者にコロナ感染者が出たとかで5月17日(昨日ですね)から22日までの公演が中止になったとのこと、、、。これはファンはさぞやガッカリでしょう。中止にしなきゃいけないのは仕方ないんでしょうが、もう世の中すっかりコロナ前と変わらない状況で、なんだかちぐはぐな感じは否めませんね。もちろん、これは本作関係者の責任では全くありません。役者さんたちも相当ハードな稽古だった様なので、早く再開できるといいですね、、、。

 というわけで、前振りが長くなりましたが、本作の感想です。


◆サリンジャー・ストレンジャー

 「ライ麦畑~」なんて、高校の英語Readerの教材で一部分だけ読まされた記憶があるだけで、内容はほぼ覚えていないんだけど、ゼンゼン面白いと思えなかったのは何となく覚えている、、、。まあ、授業だからねぇ。和訳して文法の説明するくらいのテキトーな授業だったから、、、。サリンジャーがどんな人かなんていう背景の説明も、当然なかった気がする(私が聞いてなかっただけかもだけど)。

 そんなんだから、見ても訳分かんないかもなー、と思って見に行ったけど、サリンジャー関係で分からないということは全くと言っていいくらいなかったです、はい。

 ただ、映画全体としては、イマイチ分かんなかった。

 ストーリー云々以前に、シナリオがマズいと思ったな~。構成がすごく雑というか、ブツ切りで、はぁ?という展開が結構ある。

 主人公のジョアンナは、西海岸に住んでいるんだが、以前住んでいたNYに旅行で来て懐かしくなって居着いてしまい、、、で、仕事を探して、誰もが憧れる名物編集者のアシスタントに収まると、早々に彼氏もできる、、、、とか。

 まあ、それはいいとして、与えられた仕事は、サリンジャー宛に届いたファンレターに定型文章の返事を出すことなんだが、そこから、サリンジャー本人と電話だけの交流が始まったり、上司のプライベートに思わず介入したり、西海岸に置いて来た彼氏が訪ねて来たり、、、、とかエピソードに何の関連性もなく、説明もなく、話がどんどん進み、見ている方は置いてけぼり、、、。

 ジョアンナ自身が作家志望で、結局、書きたい人間は編集者(というか、正確にはエージェントなので、編集者とも違うっぽい)には向いていない、、、とかいう謎の理由で仕事もやめる。

 ……てな具合に、オチまで、え、、、何で??って感じで、着いていけなかった、ごーん、、、、。


◆編集というお仕事

 巷では、『プラダを着た悪魔』の出版業界バージョンだ、、、などとも言われているみたいだが、まあ、全然違いますね。『プラダ~』もさほど好きじゃない(というか、あんまし覚えていない)けど、本作よりは面白かった。バリバリの上司(メリル・ストリープ VS シガニー・ウィーバーでいい勝負のはずなのに)の魅力が段違い。

 シガニー・ウィーバー演ずるマーガレットさまは、確かに厳しい上司ではあるけど、どんくらい有能なのかが描写不足で全く分からん。ジョアンナが少女のころ好きだったという童話作家(だったと思う)が久しぶりに書いた作品を持ち込んで来ても厳しいこと言って追い返す、、、というシーンがあったけど、ああいうのは陳腐っていえば陳腐だしね。まあ、それだけリアルではよくあることだとは思うけど。工夫が感じられない、シナリオに。

 ……とか書いていて思ったのは、編集者(本作はエージェントだけど)の仕事自体が、画にならないのかもなーと。あれはダメ、これもダメ、とか偉そうに言っている人みたいな。

 もちろん、企画力の優れた、本当に素晴らしい編集者も大勢いらっしゃいますが、少なくともマーガレットさまがどれほど素晴らしいのか、本作を見ただけじゃ分からんかった、ということ。

 あと、書きたい人間は出版社は(編集者として)嫌う、みたいなことが言われていたが、そうなの? アメリカでは、ってこと? 編集者上がりの作家は少なくないけど、「自分は(作家としては)書けないから編集者になる」みたいな人も確かにいる。私としては、そっちの方がどうかと思うけど。

 本作がイマイチだった一番の理由は、ヒロインのジョアンナが全然魅力的じゃないってこと。彼氏がいるのに、気ままに居着いたNYでさっさと作家志望の男ドン(ダグラス・ブース)と同棲し、その男も自己チューで自意識ばっかり高いガキんちょなヤツだし。結局、彼女はマーガレットの下でろくに仕事もしていない。サリンジャーにちょっと気に入られたのと、自分が気に入った作家の原稿の出版がマーガレットに許可されたことくらいか。なんかその辺もイマイチよく分からんかった。

 ダグラス・ブース、『メアリーの総て』のパーシーもなかなかのゲスっぷりだったけど、本作でのドンもキャラがサイテーだった。

 とにかく、編集者の端くれとして、編集の仕事の魅力がまっっっっっっっっっったく描かれていなかったことに、私はちょっと自虐的な気分になっている。そんなもんねぇんだよ、と言われた気がしてね、、、がーん。

 

 

 


 

 

 


『ワーキング・ガール』のシガニーねえさんの方がカッコよかったなぁ。

 

 

 

 

 

★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナザーラウンド(2020年)

2022-05-12 | 【あ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv73152/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 冴えない高校教師マーティン(マッツ・ミケルセン)と同僚3人は、ノルウェー人哲学者の“血中アルコール濃度を一定に保つと、仕事の効率が良くなり、想像力がみなぎる”という理論を証明するため、実験を行うことに。朝から飲酒を続け、常に酔った状態を保つことで授業も楽しくなり、生き生きとしてくる。

 だが、すべての行動には結果が伴うのだった……。

=====ここまで。


 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 マッツ・ミケルセンがまあまあ好きなこともあって、昨年の公開時、行きたいなぁ、、、でもメンドクサイなぁ、、、と思っているうちに終映してしまいました。……ので、DVD借りて、このほどようやく見た次第。


◆飲んだら乗るな。乗るけど飲んだ。

 予備知識はほぼないままに見たのだけど、想像していたのとゼンゼン違って、序盤“え、、、何の映画??”と思ってしまった。お酒を飲んで飲んで飲みまくるオハナシだったとは。

 マッツ演ずる高校の歴史教師マーティンは、生徒や保護者らに「先生の授業はつまらん!」と吊し上げを喰らうほど、教師としては終わっている状態。これじゃぁいかん、、、と本人もちょっと思っているところが、この後、アルコールに付け入るスキを与えることになるわけだが。一種のミドル・クライシスですかね。

 同僚の誕生会(いいオッサンが4人集まって誕生会を開いてあげるってのが、結構イイなー、と思ったわ)で、最初は「オレは車だから」とか言って水を飲んでいたマーティン、つい一口飲んだのがへべれけになるまで飲んでしまい……。

 その後、ちょっと飲んでいる方が良い、、、、からと言って、一杯ひっかけて授業、ってどーなのかね? ほかの3人も一杯ひっかけて授業に臨み、イイ感じだと。それで調子に乗って、実験と称して、血中濃度を上げていくあたりは、見ていてちょっとハラハラしてしまった。なんか決定的なことやらかしてクビになるんじゃないのか、、、とか。体育教師で、サッカーコーチを兼ねている(?)トミーが、体育館に隠していた酒瓶が見つかったときは、あーあ、やっぱし、、、、と思ったけど、クビになるより哀しいことに。

 アルコール濃度を上げるきっかけになった飲み会でも、マーティンは「オレはやめとく。家族との時間を大事にしたい」とか最初は言っていた。でも、やっぱり途中で一口、、、。こういう人って、映画の中じゃ愛すべきキャラだけど、リアルでは一緒にいると結構ストレス溜まるし迷惑だと思うわ~。

 案の定、家族にも愛想を尽かされる。ただ、あの妻の言動は、私にはイマイチよく分からんかった。つまり彼女は浮気していたってこと?? 「それでよくオレを責められるな!!」とマーティンがブチ切れていたけど、そんな妻とやり直したいとマーティンが謝罪しても、彼女は頑としてそれを受け入れなかったのに、終盤、メールで「やっぱり寂しい」とか言ってくる。子供や浮気相手を巻き込んでおいて、何なんでしょう、この人。浮気相手に振られたのかね?

 夫婦は割れ鍋に綴じ蓋とはよくいったもんだ。一応、この夫婦は修復の兆しを感じさせる展開となっている。


◆マッツの、マッツによる、マッツのための映画。

 面白かったけど、正直なところ、映画全体として言えばあんましグッとは来なかった。

 なので、本当なら6個くらいなんだが、ラストシーンがね、、、。もう全部マッツが持って行ってしまいました!みたいな良いシーンだったので、1個プラスしてしまった。

 さすが、元ダンサーだけあって、身体のキレが素晴らしいマッツ。あのお歳で、あの動きができるって、相当日頃から鍛錬しているのでしょうねぇ。彼が踊りだした途端、一気に画がイキイキし始めたもんね。やはり、ああいう全部持って行っちゃうくらいのパワーがある人が、世界的な俳優になれるってことなんでしょう。

 サッカーチームの“めがね坊”が可愛かったなぁ。試合前に整列しているとき、隣のトミーの手をそっと握りに来るのとか。一生懸命走っている姿も可愛い。ほろ酔いでコーチしているトミーの策がじゃんじゃんツボって勝っちゃうし。

 マーティンの妻役の人、どっかで見た顔だと思って調べたら、『恋に落ちる確率』(2003)のヒロインだった! あの映画、まあまあ良かったんだよなぁ、、、あんまし覚えてないけど

 彼女がマーティンに「この国の男たちは半分は飲んだくれ」みたいなこと言っていたのが可笑しかった。そうなんだ、デンマーク。

 ああ、デンマーク。また行きたいなぁ。本作も、街並みとか、家とかインテリアとか、ステキだった。日本の、というか東京の貧しい住宅事情と比べちゃうと、どうにも寂しくなるなぁ。

 

 

 

 

 

 


飲み過ぎ、注意。

 

 

 

 

 

★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エクソシスト(1973年)

2022-05-05 | 【え】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv1133/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(長いので編集しています)。

=====ここから。

 北イラクの古代遺跡。アメリカの古生物学者でありカトリックの神学者でもあるメリン神父(マックス・フォン・シドー)は、発掘中に悪霊バスズの偶像を発見し、いつか再びこのバズスと対決することを異様な戦慄と緊迫感のの中で全身に感じていた。

 アメリカ・ワシントンのジョージタウンでは、ロケのため臨時に借家住まいをしている人気女優クリス(エレン・バースタイン)は1人娘のリーガン(リンダ・ブレア)の身に異変が起こり始める。また、クリスが主演した映画を監督したバーク・デニングス(ジャック・マッゴーラン)が恐ろしい死に方をする。

 医者もお手上げ状態に万策つきたクリスは、“悪魔払いの儀式”を行なってもらおうと、カラス神父(ジェイソン・ミラー)に頼み込む。カラス神父は一旦は断るが、リーガンの状態を見て“悪魔払いの儀式”を行なうことを決意する。カトリックの中でも数少ない悪魔払いの経験者、メリン神父が呼ばれカラス神父を助手に悪魔との壮絶な闘いが始まった。

=====ここまで。

 オカルト・ホラー映画の金字塔。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 先日BSでオンエアされていたので、懐かしさもあって録画してしまいました。最初から最後まできちんと見たのは初めて、、、。


◆怖いか、怖くないか

 本作を初めて見たのは、高校生の頃だったか(大学生だったかも)、深夜放送でたまたま、、、だった。私が見始めた時点では既にリーガンの顔が特殊メイクになっていて、怒涛の後半へ向けた辺りだったと思う。

 とにかく目が離せなくて、怖いというよりも「なんだこれは、、、すげぇ、、、」という感じだった記憶がある。

 その後も何度かTVで目にしたけれども、いずれもながら見で、きちんと画面に向き合って見たことがなかったので、今回、冒頭にイラクでの発掘シーンがあったのを初めて知った次第。なので、そーだったのかぁ、、、なことがいっぱいだった。

 白状すると、今回見るまでは本作のことを、ただのホラー映画であって、あの時代だから話題になったんでしょ? くらいの認識だった。でも、それは大間違いだった。

 本作は、ホラーというよりは、深みのあるオカルト映画であると認識を改めた。オカルトで深みがあるって、かなりレアだと思う。いや、オカルトにも優れた作品はあると思うが、扱っている素材がナンセンスと紙一重なわけで、往々にしてB・C級になりがちという意味。

 序盤のイラクのシーは、何気ない発掘描写に見えるが、その風景や音、人物や犬の戯れ、時計が突然止まるなどの不可思議さ、、、といった細かい描写が積み重なって、マックス・フォン・シドー演ずるメリン神父の顔に緊張が表れ、パズズの像と対峙するカットは不穏そのもの。

 本作は、悪魔祓いに目が行きがちだけれども、主眼はそこではなく、人間の弱さ、葛藤、自身との向き合い方、、、だと強く感じた次第。

 リーガンの顔が特殊メイクになる前までは、怪異現象だけでなく、カラス神父の心情やバークの人としての厭らしさ等が丁寧に描かれる。リーガンについても、そもそも父親とは別居していて、母親も不在がちであることを割と念入りに描いている。こういった心の隙を悪魔に憑かれるということの暗示である。

 ネット上の感想で(みんシネでもあったが)、「何でリーガンに悪魔が憑いたのかの説明がない」というようなことが結構書かれていたが、いやだからちゃんと描かれていたじゃないの、、、と思ってしまった。

 あと、多かったのが、「怖くない」からツマラナイ、系の感想。まぁ、確かに、ホラー映画としての怖さは薄いと思う。けれど、これは前述したように“人の心”の問題を描いているのであり、そういう視点で見れば、本作はかなり怖い話である。“悪魔憑き”だと思うから怖くないという感想になる。

 みんシネでの魑魅さんのレビュー「この映画が怖くないと云うヒトは感性が鈍いか、現実しか見つめないヒトでしょう。」という一文が、まさに的を射たものだと思う。昨今の展開の速いホラー映画が「ホラー映画」だと定義している人から見れば、本作は、余計なことに尺を割いて肝心なことが描かれていない、と見えるのかもね。

 けれど、神父VS悪魔の壮絶な闘いシーンでの、リーガンの首が360度回るのとか、身体が完全に宙に浮くのとか、リーガンの背後にパズスの像が現れるのとか、、、これらは神父たちに見えたものではあるが、事実だったかどうかは分からない。神父にそう見えただけ、かも知れないではないか。

 という具合に、オカルト映画でありながら、実に立体的な作品なのである。オカルトをバカバカしいと思わせない丁寧な制作の姿勢に志を感じる貴重な映画だと思う。


◆その他もろもろ

 メインの舞台であるジョージタウンの街並みが実に美しい。ロケシーンの大学(?)と思しき建物の大きさ、荘厳さに圧倒される。やっぱり欧米の建物はデカい。デカさが根本的に日本と違う。

 悪魔祓いの舞台となるクリスの家もすごく素敵。間取りも内装も、一時停止してじっくり見てしまった。あんな素敵な家に、短期滞在でいいから寝泊まりしてみたい。悪魔はご遠慮願うが。……でもあの家も、借りている設定なんだよね。あんな事件があった後、次の借り手がつくのだろうか、、、。

 カラス神父のジェイソン・ミラーが、どことなくスタローンに似ている気がしたんだけど、そんなことを感想に書いているレビューは目にしなかった。カラス神父がスウェット着てランニングしているシーンがあるんだが、ロッキーのテーマソングが頭の中で鳴っていました、、、ごーん。

 あと、メリン神父がクリスの家にやってくるシーンの画が美しい。霧がかったモノトーンの画面に「チューブラー・ベルズ」の音楽が被り、雰囲気もサイコー。

 ちなみに、この当時、マックス・フォン・シドーは40代だったというのだから、ビックリ。特殊メイクとはいえ、80代くらいに見える。息絶えているシーンでの彼の顔は蒼白で、実に怖ろしい。

 wikiによれば、カラス神父の役をポール・ニューマンやジャック・ニコルソンが希望していたというのがビックリ。ポール・ニューマンのカラス神父、、、かなり見たかったかも。ジャック・ニコルソンはどっちかというと、憑かれる方でしょ。また、クリス役には、オードリー・ヘプバーンも候補に挙がっていたそうで、それはそれで見たかったなぁ。

 この後、続編が色々作られたみたいだが、意外に、3が評判が良いらしいので、見てみようかな、、、などと思っている。

 

 

 

 

 

 

 


悪魔より怖いのは、やっぱし人間ですかね。

 

 

 

 

★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォロー・ミー(1972年)

2022-05-03 | 【ふ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv7718/


以下、TUTAYAの紹介ページよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 会計士のチャールズは、妻のベリンダの行動に疑問を抱いていた。彼は私立探偵のクリストフォローに、妻の行動を探るように依頼する。ベリンダはただ単に、日常の倦怠を散歩によって紛らわせていただけだったのだが、クリストフォローの尾行に気づいて以来、次第に探偵自身に好意を抱いていく……。

=====ここまで。 

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 本作は、長らくレンタルできない状態(TSUTAYAだけかもだが)で(DVD化されたのも遅かったみたい?)、かと言って、DVDを購入するほどでもなく、今頃になってようやく見ました。

 ミア・ファローというだけで、何となくサスペンスっぽいのかと勝手に思っていたけど、全然違いました、ハハハ。


◆怖くないストーカー?

 会計士でそこそこ裕福そうなチャールズは長らく独身貴族(死語?)であったけれど、ミア・ファロー演ずるヒッピーのベリンダに出会って人生観が一転、家族の反対も顧みずに結婚する。

 けれども、結婚したら水と油の二人は合うはずもなく、あっという間に隙間風、、、。

 と、ここまでは割とありがちな話なんだが、探偵を名乗るクリストフォローが現れてから、急に雰囲気が変わる。

 このクリストフォローをトポルが演じているのだけれども、今回初めて知ったトポル。彼の一見人を喰った様な演技が、お堅いチャールズと好対照で実に良い。登場の仕方もユニーク。全身白ずくめの衣装も、却って目立つ探偵とは思えぬいで立ちで笑える。

 ベリンダは、クリストフォローにつけられていることを気付いた当初から彼のことを「なぜか怖くなかった」と言っていたけど、私がベリンダだったら、やっぱしかなり不気味に感じたと思うなぁ。悪そうな人には見えないけど、だから余計に、ちょっと頭のネジの外れちゃった人なんじゃないか、とか。

 ……というか、書いていて思い出した!

 新卒で入社するに当たり、会社の用意したマンションに引っ越すことになり、会社指定の入居日に新居へ向かう途中の電車の中で(平日の昼間だったから空いていた)、20代後半くらいの悪そうには全然見えないお兄さんにニコニコ笑い掛けられ、無視していたら私の隣に座って来たのだよね。こっちを見ながら、やはりニコニコ笑ってくる。無視し続けていたけど、ベリンダと一緒で怖さは感じなかったし、いきなり席を変わるのも憚られて、しばらくそのままでいたら、「今何時か分かります?」と聞いて来た。

 何時だったか覚えていないけど、腕時計を見て「〇時〇分ですけど、これ2分進んでるんで」と無愛想に答えたら「え、何で2分進めてるの? 人より2分先を生きる主義とか?」等と、あんまりにも突飛なことを言うので思わず、プッと笑ってしまったら、お兄さんは私が気を許したと思ったのか、やたら話し掛けて来た。「電話番号教えて」「まだ電話引いてないから」、「じゃあ、住所教えて」「新住所なんか覚えてない」、、、みたいな会話が続いた。

 電車は空いているとはいえ、都内だから人はそれなりにいるので怖さは感じなかったけど、ウザくなってきた。時間を聞かれてから5分くらいだったと思うが、やっと降りる駅に着いたので「じゃ、さいなら~」と降りようとしたら、そのお兄さんも一緒に降りて来たのだ! これでさすがに怖いと感じた私。安易に新居の最寄り駅で降りたことを後悔した。

 お兄さんは何か話し掛けながら駅の改札を出て着いてくる。さすがにこのまま新居に行くのはマズいと、いくらアホな私でも分かったので、駅前のコンビニに入った。お兄さんはコンビニの外でしばらく待っていた。このまま待ち続けられたら「交番へ行こう」と考えていたら、私が警戒しているのを悟ったのか、お兄さんはようやく姿を消してくれた。10分くらいだったと思うけど、えらく長く感じた。コンビニを出てからも、しばらく付けられていないか、後ろを気にしぃしぃ、新居まで歩いたのを覚えている。

 これで済んだから良かったけど、あそこで粘られていたらもっとメンドクサいことになっていたんだろうなぁ。

 という具合に、悪そうじゃないだけに「この人ちょっとネジ外れてる……??」と思って気味悪く感じたのだよね。だから、ベリンダが簡単にクリストフォローに尾行を許してしまうのが、ちょっとなぁ、、、と思ってしまった。リアルだったら、やっぱし警戒すると思うよ、あれは。

 まあでも、これは映画だからね。それに、確かにトポルの持つ雰囲気はコミカルで、人に警戒心を抱かせないオーラがある。顔もファニーフェイスというか。赤ら顔っぽくて、いつもちょっと笑っているみたいな感じ。ヴェネチアに行ったときに出会ったサラミ臭ぷんぷんのオジサンに似ていて懐かしく見ていた。

 このクリストフォローのキャラが実に面白くてユニークで、本作を素晴らしい映画にしているのだ。


◆夫婦になったら恋人ではなくなる、、、のか。

 ベリンダは、夫婦になった途端、チャールズが夫の役割を演じるようになり、自分には妻の振る舞いを求めて来て、結婚式を境に、実に無機質な関係になってしまって息苦しくなっていたのだね。

 そこへ、とにかく自分のことを見つめ続けて、自分のやることなすこと受け入れてくれるクリストフォローが現れたというわけだ。

 考えてみれば、それで心に潤いを感じる、、、ってのもちょっと変だと思うが、精神的に弱っているときというのは思いがけないハプニングが救いになることはあると思う。また、クリストフォロー自身も、最初はお仕事だったのが、だんだんベリンダの孤独を理解するようになり、お仕事を超えて“癒しのストーカー”に自らなっていくのだよね。

 2人が一切会話を交わさない、というのがミソだと思う。もし、2人があれこれ喋っていたら全然違う展開になっていただろう。

 ベリンダの浮気(?)相手がクリストフォローその人だと知ったチャールズが憤ってクリストフォロー宅に殴り込みに行くシーンが可笑しい。ベリンダもやって来て、クリストフォローを見ると、チャールズに「この人よ!」と言うときのミア・ファローの顔が可愛い。ただでさえ大きな目が、それこそ眼球がこぼれ落ちそうなくらい、驚いて見開かれる。

 クリストフォローが探偵で、しかもチャールズが雇ったと知ったベリンダは怒って、チャールズとも破局か、、、と思われるが、ここでもクリストフォローが良い動きをする。

 結末はハッピーエンディングなんだけど、チャールズにクリストフォロー同様ストーカーをさせる、、、ってのが微笑ましいというか。クリストフォローが一生懸命チャールズを説得するシーンが、割と感動する。ちょっと涙が出ちゃいました。

 ベリンダは、夫婦になっても恋人同士みたいにしていたい!って言うわけだけど、これを、男と女の結婚観の相違、みたいに捉えているネット上の感想を見た。まあ、ありがちな受け止め方だと思うけど、念のため、野暮は承知で、一応それは違うと言っておこう。男と女の相違ではなく、個人の価値観の相違です。

 男でも恋人時代の延長をしたいと言う人もいる。女でも、結婚前から落ち着いちゃっている人もいる。

 結婚は日々の生活だからね、、、。ベリンダも、そのうち分かるでしょう。そして、彼女自身、恋人同士みたいなやりとりが面倒臭いと感じる日が必ず来るでしょう。結婚生活の真価が問われるのは、それからだと思うね。

 本作は、そんな辛辣なリアリティなど棚に上げたラブコメなのだから、これはこれで良いのです。後味の良い逸品でした。

 

 

 

 

 

 

 

 


ベリンダが見ていたホラー映画を見たい。

 

 

 

 

★★ランキング参加中★★

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする