作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv88613/
以下、公式サイトからあらすじのコピペ(青字は筆者加筆)です。
=====ここから。
生まれた時から多毛症に悩まされるロザリー(ナディア・テレスキウィッツ)は、その特別な秘密を隠して生きてきた。
田舎町でカフェを営むアベル(ブノワ・マジメル)と結婚し、店を手伝うことになった彼女はある考えがひらめく。「ヒゲを伸ばした姿を見せることで、客が集まるかもしれない」
始めは彼女の行動に反対し嫌悪感を示したアベルだったが、その純粋で真摯な愛に次第に惹かれていく。
果たして、ロザリーは本当の自分を愛される幸せと真の自由を見つけられるだろうかー。
=====ここまで。
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予告編を何度か見て、見たいなぁ、、、と思いながら、結局終映ギリギリになってしまいました。
~~ネタバレしておりますので、よろしくお願いいたします。~~
◆女で髭があって悪いか。
女性で体毛が濃く、髭が生えてくる人は、実はそれほど珍しくない、、、ということを聞いたことがある。そういう人たちは、本作のロザリー同様、毎日剃るなどしているのだろう。
ロザリーの場合、髭が生えて来るだけでなく、体毛もかなり濃くて、胸毛、脛毛はもちろん、背中にも生えている。あの体中の毛をしょっちゅう剃るのは現実的でないと思われる。アベルは、初夜にそのロザリーの身体を見て、「詐欺だ!」と言って激怒するのである。
実は、これには伏線があり、結婚式を挙げる前に、アベルとロザリーが2人で話すシーンがある。そこでロザリーは「ゼッタイ子供が欲しい」と言うのだが、この時に、自身の多毛症について打ち明ける機会があったのだ。けれど、ロザリーは(父親も)結婚がダメになることが怖くて話さなかったために、アベルにしてみれば「騙された」感が強くなってしまったのだろうね。アベルは事前に知らされていれば、初夜に逆上することもなかったかも知れない。
本作のキモは、ロザリーが、髭が生えて来る体質を、隠さなくなったことにある。結婚するまではあれほど隠してビクビクしていたのに。
上記あらすじでは、アベルへの愛情ゆえに、自分の真の姿を晒すことにした、、、というニュアンスが示されているのだけれども、私は、ロザリーが自分自身を、自らの意志で解放させた、、、という印象を受けた。アベルのため、というのもあるだろうが、むしろ自分自身のためのように見えた。
ある見世物小屋に「ロブスター女」がいるという記事を見て、ロザリーは自身の多毛症を恥じてきたこと自体に疑問を持ったのだ。別に恥じることではない、ただの特異体質だろ、と思い至った。それに、アベルは自分とセックスしようとしないけれど、一度は家を出たロザリーを連れ戻しに来て離婚しようともしないことで、彼女は少し安堵もしていたのではないか。そういう色々な思いがない交ぜになって、自身を解放したい、自由になりたいと思ったのではないか。
これは、父親と物理的に離れたことが大きいと思う。ある意味、あの父親はロザリーの心の重しだった、、、というか、あの父親は「お前のその体質は女として恥である」と彼女の意識に刷り込んでロザリーを追い詰めていたんだよな。ロザリーはそのことに無自覚だが、アベルと父親に決定的な違いを感じていたはず。
父親は彼女にとって絶対であるが、アベルは絶対ではない。絶対的存在が視界から消えれば、心の解放もしやすくなるのは当然だろう。
いずれにせよ、彼女が自身の特異体質を受け入れたことで、アベルの彼女に対する眼差しも変化するのである。
◆後半の展開は好きじゃない。
ロザリーは人気者になり、彼女の写真はバカ売れ、店も繁盛、街でも有名人になる。
で、お約束のように、彼女は閉鎖的な村から排除されることになる。この後半の展開は、若干ありきたりな感じがしたかな。本作の方向性としてはそうなのね、、、と頭では理解するが、もっと破天荒な展開にしても良かったのでは。
つまり、彼女はあくまで髭の女主人として街でも社会でも認められ、夫からも愛される妻になる、、、みたいな。イマドキ、それくらい女性があっぱれな人生を送ったお話を描いたって誰も文句言わんでしょ。
異端の悲劇を描いた物語など履いて捨てるほどあるわけで、今さらそれをなぞることにどれほどの意義があるというのか。
というのも、ロザリーのモデルになったクレマンティーヌ・デレの生涯は、決して悲劇的ではなかったから。本作を鑑賞後、何ともやりきれない気持ちで、クレマンティーヌ・デレについて調べたら、『キュロテ 世界の偉大な15人の女性たち』(ペネロープ・バジュー著)という本に行き当たった。読んでみると、前述のように私が感じた、ほぼそのままの人生を、クレマンティーヌ・デレは生きているのだ。……ビックリ。
詳細はここでは書けないが、クレマンティーヌ・デレは、そらもちろんイロイロあったには違いないが、実にあっぱれな人生を生き抜いていたのだ。
どうせなら、そっちのお話が映画でも見たかったな、、、と思った次第。
ちなみに、本作のラストシーンは、ロザリーが現実に疲れて川に身を投げ、泳げないアベルが助けに飛び込む、、、というもの。ネット上の感想を拾い読みすると、やはり悲劇だとするものが多い。素直に見ればそうなるけれど、私は、あの後、2人は助かり、この一件によってロザリーとアベルは真に精神的に深く結ばれたことで、その後、幸せに添い遂げた、、、という暗示だと思いたいな。
ロザリー役のナディア・テレスキウィッツが実に魅力的。髭の生えた顔に違和感がない。パンフによれば、髭や体毛を付ける特殊メイクだけで4時間かかったとのこと。1本1本着けていったというから、気の遠くなる作業だ、、、。
かつての美青年ブノワも、すっかりオッサンになっていたけれど、十分イケオジ。初夜にブチ切れるブノワの演技には、ちょっと笑ってしまった、、、スミマセン。
ロザリーを敵視して嫌がらせをしてくる卑劣な男を演じていたのがギョーム・グイだったと後から知ったのだけど、ゼンゼン分からなかったわ。ちょっと人相が変わった? 私の知っている彼より、だいぶほっそりしていたような、、、。
私に髭が生えている夢をウチの人は昔見たらしい。どういう深層心理だろう??