映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ロブスター(2015年)

2018-11-18 | 【ろ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 近未来。

 独身者は身柄を確保され、送られたホテルで45日以内にパートナーを見つけなければ、自分で選んだ動物に変えられて森に放たれることになる。独り身になったデヴィッド(コリン・ファレル)もホテルに送られるが、そこには狂気の日常が潜んでいた。

 しばらくして、“独り者たち”が暮らす森へ逃げ出したデヴィッドは、そこで恋に落ちるが、それは“独り者たち”のルールに反していた……。

=====ここまで。

 現代日本の婚活狂時代のカリカチュア映画、、、と言っても良いのでは?

 
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 婚活婚活って、バカじゃないの? と日頃から思っているので、本作も序盤はコメディとして見ていたんだけど、そういえば、私自身がこういう状況に20年前くらいまで置かれていたことを思い出して、一気に身につまされてしまいました。


◆動物にされる方がまだマシ……かも。現実世界では“名誉殺人”

 45日間で相手を見つけなきゃ動物にされるけれども、その動物は自分の好きなものを選べるのであれば、好きでもない相手と嫌々くっつくより、好きな動物になって別世界を生きた方が良いかもね、、、と思ってしまった。こんな風に思うのは私だけかもなぁ。

 これまでも時たま書いてきたけれども、私は、24歳から30歳で形ばかりの結婚をするまで、母親に見合い攻勢を掛けられ、それはそれは死ぬほど苦しみました。……何で? と思うでしょう? たかが親の持ってきた見合い話くらいで、と。……まぁ、普通はそうでしょうが、ウチの場合はちょっとその辺が普通からかなり外れていまして、私の意思はかなりどーでも良い扱いをされていたのです。

 つまり、(相手の)学歴と職業と生育環境が良いことが全て!! ということ。性格、感性、思考及び嗜好、クセ、容姿、健康状態etc……、全て度外視。なので、釣書だけ見ると、一体どんな素晴らしいお方?? と妄想してしまうような人ばかり。しかし、写真を見て“あり得ない”人も多く、仮に写真が普通でも会ってみて“論外”な人も多く、それはそれは異様な世界でした。キャリア官僚、医者、弁護士、会計士、研究者、エリートサラリーマン等々、世の中でそれなりのご職業の方々とは一通りお目にかかったと思いますねぇ。しかも、割とオウチもおよろしい方々が多く、ヨーロッパのある国に別荘を持っているだの、都心の一等地に○億円のマンションを購入してあげるだの、オプションが着いている方も少なくなかったような。

 でも、私にはそういうのはゼンゼン魅力的に見えなかったのです。そもそも養ってもらいたいなんて思ってないし。子どもも産むつもりないし。愛してもいない男と一緒になる意味が分からない。つーか、そんなオプションをパパやママに付けてもらわないと勝負できねぇのかよ、、、と、むしろ減点材料に……。

 まあ、それはともかく。……とにかく、条件第一、ではなく、条件だけで結婚しろ! と強要されていたのです。母親に毎日毎日念仏のように「女は若さだけがウリだ」と言われ。「恋愛と結婚は別。セックスなんぞ誰とだって出来る」と言われ。「1日1日とお前の商品価値は下がっているのだ」と言われ。「相手の条件のみにすがって結婚しろ」と言われ。

 一体何十人と見合いしたことやら。基本、こちらからは断れない。『裸足の季節』の感想でも書いたけれど、女が断れば「身の程知らず」と罵られ、断られると「価値のない女」と謗られる。そんなの別に構わないけど、相手に気に入られた場合は地獄。「女は望まれて結婚するのが幸せだ」「今はそうでもなくても結婚すればそのうち好きになる」等と親だけでなく仲介人にまで寄って集って言われる始末。条件の良い男ほど、相手女性の意思を踏みにじることが出来るというワガママが効く異様な世界。「お前鏡見ろよ!!」と女なら平気で言われるのに、女が男に言ったら叱られる、極めて不条理な世界。もうね、、、私は発狂寸前でした。

 そう、異様な世界、不条理な世界、、、まさに本作の描いている世界と同じではないですか!!!

 あの当時の私なら、迷わず動物になることを選んでいたかも。なるのなら、そうだなぁ、、、キリンも柴犬も大好きだけど、なりたいとは思えないなぁ。ミサゴが好きなのでミサゴかなぁ。微生物でも良いかも、煩悩とかなさそうで。

 でも、動物にされる方がまだマシな現実は、多分、世界に目を転じればたくさんあるはず。前述の『裸足の季節』もそういう話の映画だった。実際、イスラム圏やインド・パキスタンでは、少女婚が今も行われているし、女性が親の望まない相手と交際すれば“名誉殺人”という名目で焼き殺されるという風習が残っている地域もある。それなら、動物にしてくれる方が遙かに優しいではないか。

 だから本作をブラックコメディと言って笑えるのは、幸せな証拠だと思った方が良いかも。


◆実は今の日本も、、、

 まあ、“名誉殺人”の話は今の日本の現実とは懸け離れているけれど。今の日本では、自由意思で結婚できるとは言え、何かに追い立てられるように“婚活”している人々が多いのでしょ? もう、結婚なんて制度が、現実にそぐわなくなってきているんじゃないの? 男も女も、自分の人生を自由に生きる上で、結婚がかなり枷になっているのでは。つまりそれは、女性の出産年齢があるからだわよね。結婚制度の下での子育てがメジャーだと国が設定しているからそうなるのよ。結婚という制度に縛られることなく、産める間に産みたい人は産みたいときに産める社会であれば、みんなこんなに悲壮感漂わせて婚活なんかしなくてもいいじゃないの。

 ……なんてことを言うと、トンデモナイ!! と反論する人は必ずいるだろうけど、フランスで出生率が上がっていることを考えると、日本も真面目に考えた方が良いと思うけどね。

 要は、結婚や恋愛という極めて私的かつ自由意思に基づく問題を、誰かに強制されることがいかに理不尽か、ということをこの映画は描いているのでしょ。結婚制度の下での子育てがメジャーであると国に設定されていることも、広い意味では、同じでは?

 本作では、ホテルではカップルになることを強要され、森ではカップルにならないことを強要される。これって、結婚して子どもを持つことを強要され、結婚せずに子どもを持たないことを(暗に)強要されていることと同じでは?

 しかも主人公のデヴィッドは、ホテルでは相手を見つけられなかったのに、森では見つけてしまうという、、、実に皮肉な展開。きっと、ホテルでしっくりくる相手を見つけられる人もいるんだろうけどね。森で見つけたら、ホテルに戻ってカップル生活を楽しむ、という選択肢はない。……何で? 独身が罪なのであれば、どこであれ相手を見つけられたらそれでいいじゃん! どこであれ子を設けたい相手と出会ったら子を作れば良いじゃん! というのは、ダメなんですかね? 少子化に歯止めが掛かると思うけどなぁ、、、。


◆その他もろもろ

 本作で解せないのはラスト。(以下ネタバレです)

 コリン演じるデヴィッドは、どーしてあんな行為に出たのか? まるで「春琴抄」で、正直、ビックリしてしまった。「春琴抄」の場合は、目を潰す理由があったけど、デヴィッドの場合は、それまでの流れからまるで理解できない行動なんだけれど、、、。愛の証? 意味分からん、、、。2人とも見えなくなってしまったら、これから困るじゃないの、逃亡生活。

 でも、実際にデヴィッドがあの後、本当に目を潰したかどうかは分からない(映像がカットされているので)。なので、あのまま実は目を潰すことはしなかった、という展開も考えられるけど……。

 まあ、どっちに転んでもとんでもないディストピアだから、もうそんな現実見たくない! ってことかなぁ~、と思ったり。だったら、ロブスターにされちゃった方が良くないか??

 あとヘン過ぎるのが、カップルになった後、最終的にヨットで3日間(だったかな?)過ごす、っていうプログラム。なぜヨット?? とりあえずすぐには外と接触できない世界で過ごせ! ってことかな。意味不明すぎて笑えたけれど。

 ホテルでは、同じ個性を持つ者同士がくっつくように描かれていたのだけど、これもヘンだと思った。案外、似たもの同士って合わないもんじゃない? デコとボコだから合うとも言える。まあ、共通点がゼンゼンないのも難しいけど、そこに比重を置き過ぎな描写に違和感ありまくり。ラストのデヴィットの行動と言い、これって監督の恋愛観なのかしらん? だとしたら思い込み激し過ぎじゃない? 

 それにしても、、、。コリンは見事なまでのメタボ体型で、可笑しかった。逃亡中も、「ベルトがきつくてこれ以上速く歩けない」とか言っているし。お兄さんのワンちゃんが可愛かった! あんなヘンな女に殺されちゃって、酷すぎる。あのシーンも意味不明だよね。殺す必要性が感じられない。

 とにかく、ヨルゴス・ランティモス監督の映画は、『聖なる鹿殺し~』といい、本作といい、とんでもないディストピア。こういう世界観がお好きなんでしょうか。他の映画を見ていないので分からないけど、、、。とんでもないディストピアなのに、何かこう、、、シニカルな笑いの要素が散りばめられていて、嫌いじゃないけど好きとも言いにくい。でも多分、次作も公開されたら見に行っちゃう気がする。そういう不思議な引力を感じます。

 



 






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RAW 少女のめざめ(2016年)

2018-03-19 | 【ろ】



 16歳のジュスティーヌは、厳格なベジタリアン。超優秀で、姉のアレックスも在籍している獣医学部に入学することになった。学生寮に入ったジュスティーヌだが、なぜが同部屋の学生は男性のアドリアンで、「俺、ゲイだから」と彼は言う、、、。

 別の日、新入生に対し、恒例の手荒い歓迎行事~動物の血を頭から掛けられたり、ウサギの生の腎臓を食べさせられたり~が行われ、ベジタリアンのジュスティーヌはウサギの腎臓を食べることに抵抗するが、アレックスがやって来て強引に食べさせる。

 すると、その直後から、ジュスティーヌの身体に異変が起き、さらには肉食に目覚める。学食のハンバーグをこっそり万引きしようとしたり、部屋の冷蔵庫に入っている生の鶏肉にむしゃぶりついたり、、、、。だんだん、カニバリへの誘惑にかられるジュスティーヌ。一方で、ルームメイトのアドリアンには男性として惹かれていく。

 そんなある日、ジュスティーヌは、アレックスと部屋で脱毛処理をしている際に、ふとした弾みでアレックスの指をハサミで切断するという事故を起こしてしまう。失神し倒れるアレックスを見て動転するジュスティーヌだったが、アレックスの切り落とされた指を見て、誘惑がついに抑えられなくなって来て、、、。

 嗚呼、、、超えてしまったよ、ジュスティーヌちゃん……。ジュスティーヌの行き着く果ては、、、。
 
   
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 これも予告編を見て、うわっ、、、と思いつつもそそられてしまい、『ゆれる人魚』とハシゴして見てしまった。何かちょっと、似ているものがある気がするわ、この2作品。


◆思ったほどグロくない。

 アメリカで公開されたときには、グロ過ぎるからってことでゲロ用袋が配られたらしいけど、グロいというより、ちょっと汚いというか不潔というか、そんな映像は結構あったから、私的にはそっちのほうがちょっとイヤだったかな。とはいえ、目を背けるほどじゃなかったけれど。

 一番イヤだったのは、動物の血を浴びせられるシーンかなぁ。あれは生理的にちょっと、、、。しかも、そのままの姿で新入生たちはゴハン食べたりしているし。とにかく、この執拗な手荒い新入生歓迎行事の数々が不快度数高し。

 でも、このイジメみたいな描写があるからこそ、ジュスティーヌがカニバリに目覚めちゃったことに対して、あまり抵抗なく受け容れられるのだわね。ただ何となく誤って肉を食べちゃって、、、という切っ掛けでは弱いし、見ている者もカニバリへの抵抗感は払拭できない。

 笑っちゃったのが、アレックスの指が切断されてしまったシーン。何でそーなるの??というような経緯で指が切断されるし、何より、ジュスティーヌがためらいながら、アレックスの千切れた指をそ~っと口に運ぶのが、ほとんどコメディ、、、。いやもちろん、これは重要なシーンで、マジメに撮られているんだけど、だからこそ可笑しい。

 その後、病院に担ぎ込まれたアレックスが、駆けつけた両親に対し「切り落とされた指はクイック(アレックスの飼い犬)が食べちゃったの」とウソの説明をするのが???だったんだけど、アレックスもカニバリストだったと、その後間もなく分かって納得。

 その後、この姉妹は学内で大騒ぎを起こし、互いに互いの身体に齧り付き傷つけ合うという、仰天の展開になるんだけど、極めつけはその後。ジュスティーヌは好きになってしまったアドリアンを、、、、。まあ、これ以上書くのは止めておきます。


◆少女から大人の女へ、、、脱皮&セックス

 カニバリがフォーカスされがちだけど、印象的なシーンが多い。

 オープニングのシーンもそう。長回しの遠景、まっすぐ伸びる道路を車が走っていって、その前に人が走り出てきたと思うと、車は避けようとして街路樹に激突、走り出てきた人はしばらくすると立ち上がって、、、。という不穏な出だし。

 ジュスティーヌが鏡の前で音楽に合わせて陶酔するように踊るシーンも、ある意味象徴的。次第に鏡に近付いて鏡の自分と口づけする、、、。まあちょっとこれはありがちな感じがしないでもないけど。

 ジュスティーヌとアレックス姉妹が、立ちションするシーンもある。そして、アレックスはジュスティーヌをオープニングのシーンで映されていた道路に連れて来て、、、。そう、当たり屋をやっていたのはアレックスで、それも、カニバリの対象を得るため。ここでも動転するジュスティーヌだけど、血の味に悦に浸ってしまう。

 監督は、カニバリはセックスを象徴する、と言っているけど、まあ、それはそーだわね、と分かる。印象的なシーンが多く、面白いけど、あんまし深みはない作品だと思う、そういう意味では。

 ジュスティーヌが初めてウサギの腎臓を食した後、全身に湿疹が出来て、処方された薬をつけたら、皮膚がかさぶたいみたいにペロリンチョと剥ける描写なんかは、まさしく、大人の女への脱皮ってことだわね。

 少女から大人になるのって、脱皮、ってイメージより、私はむしろ、何かを身に“まとう”感じなんだよなぁ。なんだろう、、、“女”という着ぐるみを身に着けるみたいな。少なくとも“剥ける”んじゃないのよね。だから、皮が剥けて大人になる、って描写は、なんか共感しにくいモノがあるなぁ、、、。

 ……ともあれ、そんなわけで、『ゆれる人魚』同様、本作は、少女が大人になる物語、なのでありました。しかも、姉妹モノってのも、人間を食べるってのも同じ。違うのはラスト。

 結局、この姉妹、アレックスは(詳細は書けないけど)刑務所に入れられ、ジュスティーヌは獣医学部を退学して自宅療養となるんだけれども、、、、。この、ラスト近くで、これまたビックリな展開が待っている。ちなみに、私は中盤でもしや、、、と思っていたので、このラストは、やっぱり、、、とちょっと絶望的な気持ちと、一方で出来過ぎなブラックコメディみたいで笑える気持ちがないまぜになっておりました。


◆その他もろもろ

 ジュスティーヌを演じたギャランス・マリリエちゃんは、ちょっと満島ひかりに似ている?個性的な美少女。かなりの難役だったと思われるけれども、よく演じていたと思う。顔中血だらけにしたり、アレックスに囓られてほっぺにでっかい生傷が出来たりと、なかなか激しいです。

 ルームメイトでゲイのアドリアンを演じたラバ・ナイト・ウフェラくん(名前が覚えられそうにない)は、注目の若手のようです。私的にはあんまし好きなタイプじゃないけど、濃いイケメンで、何となく特異体質のジュスティーヌが彼を好きになってしまうのが分かる気がする、そんなルックスです。

 でも、私が一番気に入ったのは、姉・アレックスを演じたエラ・ルンプラ。すげぇ迫力、というか、存在感。カニバリである自分を完全に受け容れていて(そこまでの葛藤は多分あったのだろうけど本作では描かれていない)、非常に生命力を感じるキャラ。強い。ある意味、ジュスティーヌより魅力的。

 ……まあ、大してグロくない、と書いたけれども、人によってはかなりダメかも知れない可能性はあります。ただ、痛いシーンは(ほとんど)ありません。

 『ゆれる人魚』といい、本作といい、何だかとっても個性的な作品を立て続けに見て、かなりお腹一杯になりました。

 





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ローズマリーの赤ちゃん(1968年)

2015-03-09 | 【ろ】



 NYのとあるアパートに引っ越してきた新婚夫婦、ローズマリーとガイ。やがて、ローズマリーは待望の妊娠を果たすが、ただごとではない腹痛に数か月にわたって苦しめられる。

 だんだん、周囲の者たちが信じられなくなっていくローズマリー。しかも、長年信頼してきた親代わりのハッチが不審死し、遺品として彼女に渡された本には驚愕の事実が・・・!

 果たして、ローズマリーの周囲の者たちは何者なのだ!!!
  

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 もう一体、何回見たことやら、、、。最初に見た時の衝撃は今も忘れられません。そう、あれは、私が小学生の頃。たまたま家で一人で留守番をしていて偶然見てしまったこの作品。ローズマリーがアナグラムで謎解きに至る辺りから見始めたように記憶しています。当時の私にどれほど理解できたか疑問ですが、見終わった後、恐ろしくて家に一人でいられなくなって、外に遊びに行ったのでした。40年くらい前のことですわ。

 その後も、何度も見ていますが、見るたびにゾワ~ッとしますねぇ。怖いというより、不気味度満点。途中、ローズマリーを演じるミア・ファローのメイク(目の下が真っ黒なクマ)が、凄いです。

 今回、久しぶりに見て、本作はやっぱり名作だと改めて思いましたね。これ、下手すると、トンデモナイB級、、、いや、C級キワモノ映画に成り下がっていたと思うのです。だって、悪魔崇拝ですよ!? ポランスキーもよく手を出す気になったなあ、と。

 とにかく、この悪魔崇拝というものが本当にありそうと思わせる、じわじわとその謎が明かされていく過程が、実に巧みなのです。隣人のカスタベット夫妻は、最初はフツーっぽく、でも??と思わせる描写。なにしろ、その風貌――夫婦そろってピンクのファッション!!おまけにルース・ゴードン演じる妻ミニーはもの凄い毒々しい化粧――からして、異様です。でも、言動はマトモだったりと、違和感を上手く醸し出しています。

 そして、カサヴェテス演じる夫が、徐々に怪しくなっていく様も、実に微妙に、観客に「あれ?・・・あれ?」と思わせながら、じわじわと描写していくのです。

 だから、観客としては、どこで心理的に一線を引けば良いのか全く分からなくなってしまう。これってただのオカルトじゃん、と思えない不気味さに、知らず知らず呑み込まれていくわけです。

 上手いなぁ~、ポランスキー。弱冠35歳の仕事ですよ? 信じられません。

 もちろん、監督だけの手腕ではありません。ミア・ファローは、怯え、一人立ち向かう強さを、実に巧みに演じています。彼女のひときわ大きな瞳は、恐怖を演出するのに最適です。ファッションもすごく素敵です。若い妻ってことで、ミニが多いんですが、とてもよく似合っています。

 また、ルース・ゴードンは相変わらずの貫録振りで、シャーシャーと頭のおかしいカルト婆を演じておられます。すげぇ、、、。終盤、ローズマリーが肉切り包丁をショックのあまり取り落とし、床に刃が突き刺さるシーンがあるんですけれど、ここで、ルース・ゴードン演じるミニーは、淡々とその肉切り包丁を床から抜き取って、その後、床の傷をちゃちゃっと指で撫で隠すんですね。この狂った場面で見せるマトモな極々フツーの動作が、場面の狂いっぷりを強調していてイイです。

 男優陣も引けは取りませんよ。カサヴェテスはさすがの一言。ミア・ファローと並んで歩くと、頭のでかさが目立つけれども、まあ、それもご愛嬌。後半、悪魔に魂を売り渡すに相応しい雰囲気を見事に纏っていきます。で、一番、悪魔崇拝の信者としてハマっていたのが、カスタベット氏を演じたシドニー・ブラックマーですね。彼が終盤見せる“イッちゃってる”顔は、忘れられません。おぉ、気味悪っ!!

 正直、こんなに品のあるオカルト映画って、そうそうないと思うのですよ。特に、本作の場合、ホラー要素はほとんどありませんからね。オカルトだけで勝負しているのは、ある意味凄いと思うわけです(本作がホラーだと思う方を否定する意図はありません。飽くまで私的には、本作は、オカルトであってホラーでない、というだけ)。

 ま、ホラー要素抜きのオカルトで品性が感じられてなおかつ怖い映画って言うと、本作と、あとは『チェンジリング』(1980年)くらいしか思い浮かばないわ。オカルト映画の代表作みたいに言われる『シックス・センス』なんてホラー要素バリバリな上に、夢オチに等しいサイテーなラストで、私的には全く好みでないのよね。『シャイニング』は、どっちかってゆーとホラーだと思うし。

 ・・・というわけで、最後はオカルト論議になってしまいましたが、そんなこととはカンケーなく、本作は、純粋に面白い、良い作品だと思います。オープニングの哀愁漂うテーマ曲をバックに空撮で映し出されるダコタ・ハウスが雰囲気をよく醸し出していて、もうここで鷲掴みにされてしまいます。

 そう、何が恐ろしいかって、悪魔とかお化けとかじゃなく、人間なのです。自らの出世のためには、愛すべき我が子でさえ悪魔に売ってしまう、その心。これが本作のキモでしょう。、、、自分にはあり得ないと思いますか? いえ、人間は弱くて愚かなのです、本質的に。自分を過信してはいけません。


 


ローズマリーの産んだ赤ちゃんは、、、!?




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ロープ(1948年)

2014-10-04 | 【ろ】



 なかなか見た目の良い男が2人、1人の男の首を締め上げております。ついにその男は絶命。しかし、何かヘン。この殺人に大した動機がないらしい・・・。おまけに2人のうち1人はすんげぇイヤなヤツ。

 実際にあった「レオポルド&ローブ事件」をベースにした戯曲の映画化だそうで、、、。

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 冒頭に書いた、イヤなヤツってのはブランドンですが、もう1人のフィリップってのが、そもそも何でこんな計画に乗るのか? と素朴な疑問がわくほどの腰抜けなんですね。まあ、複数犯の典型的な組み合わせです。なので、のっけから若干シラケます。

 でまあ、途中、おせっかいなというか、KYなオバサンが出てきたり、フィリップが挙動不審になったりと、お約束な展開が続きますが、ここで、ジェームズ・スチュアートが登場します。で、彼が鋭い観察眼で(?)2人の犯行を見抜いて暴く、という訳です。

 ミステリーとしては、ハッキリいって、三流以下。倒叙ですが、その醍醐味は全くありません。なぜなら、ジェームズ・スチュアート演じる教授だか何だかが真相を暴くその過程が、いわゆる「ただの勘」ってやつだからです。いくら被害者の帽子を発見したからと言って、フィリップの挙動不審と、家政婦のオバサンの言動だけから、真相が分かるなんて、ほとんどエスパーです、現実なら。

 ただ、本作の見どころは、そこじゃないのかも、という気もします。戯曲が基ですから、場面は2人の部屋だけです。つまり映像的に変化に乏しい。そこで、ヒッチコックが工夫した長回しと画面転換に特徴を持たせ、それを本作の見どころの一つとしたのでしょうね。

 見どころのもう一つは、殺人を犯すに至った、ブランドンの精神構造について語られるところでしょうか。選民思想といいましょうか、自分は人を殺しても赦される種類の人間で、殺されるのは劣る輩だという、、、。まぁ、こういう手に負えないヤツらってのは確かにいます。殺しはしないけど、自分を相対評価しないと生きていけない人々には、往々にしてこういう思想が程度の差はあれ根底に流れている気がしますね。私の身の回りにもいますから。

 そういう輩へのヒッチコックの皮肉? いやぁ、それは違うでしょう。ヒッチコック自身、選民思想に侵されている気がします。選民思想ってのは、ある意味、劣等感に通じるものです。アイツより上、アイツより下、そういう思想です。でも、彼は無自覚でしょうね。もし自覚があったら、もっとパンチが効いた作品になったと思うので、彼の才能ならば。

 ブランドンとフィリップは、ゲイカップルということだそうです。まあ、見ている間も、そうかなぁという気はしていましたが。もういいよ、ゲイは。最近続いたもので、いささかウンザリです、、。


完全犯罪ゲームの結末は・・・




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ロング・グッドバイ(1973年)

2014-06-02 | 【ろ】

★★★★★★★★☆☆

 原作未読。先日、NHKでドラマ化されていたのを見たので、アルトマン版を見てみようと思いました。

 もう、冒頭の5分でシビレました。なんなんでしょう、あのオープニングの素晴らしさは! ネコとマーロウ。このシーンだけで、本作は一見の価値ありと思いました。いやもう、マジで、惚れてしまいました。

 でもって、あの、マーロウの住む不思議な建物。お向かいに住む、これまたおかしな女たち。どうしてこんなシチュエーション、描けるんでしょうか。もう、やっぱりアルトマンは天才だとしか思えませぬ。

 そして、アルトマンお得意のダラダラ展開。この一見、ムダと思える描写の数々がどれ一つとしてムダでないことが最後に分かるという、、、。うー、アルトマン好きだったけど、本作でダメを押された気がします。愛してしまったかも、アルトマン!!

 なんといっても、マーロウ演じるエリオット・グールドが素晴らしいです。どうしてああいう、一見ダメっぽいヤサグレた雰囲気を醸し出せるんでしょうか。頻繁に擦るマッチと吹かす煙草の煙、だけじゃないでしょう、それは。もの凄いピンチな場面でもヘラヘラ笑っているマーロウ。女にもヘラヘラしているけど、女たらしって感じもない。とにかく、マーロウというキャラに全然気取った嫌味がない。これが素晴らしい。そんな彼が明らかに心惹かれていると分かるのがアイリーンですが、だからこそ、ラストはあのような展開にならざるを得なかった、ってことでしょーか。

 でも、私は、マーロウの人間性から言って、あのラストは、やはり違うと言いたいのです。エリオット・グールド演じるマーロウならば、テリーに冷笑を送って踵を返し、そして、本作のシーン通り、あの一本道で最後にアイリーンとすれ違ってもおもちゃのハモニカを吹かして去っていく、ではないでしょーか? それが、マーロウの美学ではないでしょうか?

(ちなみにリンク先のあらすじには、ハリーとありますが、作中では確かにテリーと言っております。単なる間違いと思われます)

 と、思ったけれども、いや、やはり本作通りの展開が一番しっくりくるのかも、という気もしてきました。一見ヘラヘラでも頭の良い男気ある彼だからこそ、きっちりケリを付けずにいられなかった・・・。うーん、アルトマンはこっちを選んだんだよなぁ。

 どうやら、NHKのドラマの方がかなり原作に近いようです。私は、浅野忠信の演技はなかなかだったと思うけれども、ちょっと頑張っちゃってる感が見ている方に伝わってきてしまった気がするし、小雪はどうも役に合っていない気がして、ものすごくNHKが気合い入れているのが分かっただけに、残念だなー、と思ったのですが。こんなもの凄い映画が既に世に出ていたのに、NHKもドラマ化に手を出すなんて勇気ありますね。出来はともあれ、その意気込みは素晴らしいと思います。

 ところで、冒頭シーンのネコはあの後ずっと出てきません。本当にいなくなっちゃった、ってことなんでしょーか。マーロウの下へ帰ってあげてよ、ネコちゃん。原作にも出てきたんですかね、ネコ。読んでみましょうかね、春樹訳じゃないのを。
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