映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

オオカミの家(2018年)

2023-10-14 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv81812/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 美しい山々に囲まれたチリ南部のドイツ人集落。“助け合って幸せに”をモットーとするその集落に、動物が大好きなマリアという美しい娘が暮らしていた。

 ある日、ブタを逃がしてしまったマリアは、きびしい罰に耐えられず集落から脱走してしまう。逃げ込んだ一軒家で出会った2匹の子ブタに「ペドロ」「アナ」と名付け、世話をすることにしたマリア。だが、安心したのも束の間、森の奥から彼女を探すオオカミの声が聞こえはじめる。

 怯えるマリアに呼応するように、子ブタは恐ろしい姿に形を変え、家は悪夢のような禍々しい世界と化していく……。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 公開前から頻繁にTwitterのTLに流れて来た本作の告知。それを見ても、ふ~ん、、、という感じだったのだけど、アリ・アスターが激推ししていると知って、ますます興味が失せたのでした(彼の映画は2本ダメだったので、、、)。

 じゃあ、何で劇場まで見に行ったのかというと、公開直後から満席御礼が続いていて、見た人たちが「すげぇ」だの「ヤバい」だのと褒めてんだか貶してんだか分かんないツイートを上げていて、しかもあの悪名高い“コロニア・ディグニダ”にインスパイアされたと聞けば、むむっ、、となってしまったのでした。コロニア・ディグニダについては、こちらをご覧ください。……まあ、非常にヤバい組織です。

 そんなわけで、都合、2回も見てしまったのだけど(理由は後述)、もうネット上には読み解きも感想も溢れているので、思ったことをつらつら書きます。


◆ちょっと飽きる。

 アニメはあんまし見ないので詳しくないのだが、ちょっと見たことのないアニメーションではあった。とにかく、終始、絵が動き続けており、それも(うまく言えないけど)制作過程を見せられている様なアニメーションなんである。だんだん人型になっていったり、逆に、人がだんだん背景と化していったり、、、。

 ……でも、斬新さにも15分くらいで慣れてしまうのだった。ず~っとあの調子で80分は、アニメ好きでない者にとってはなかなかの苦行で、早々に飽きる。セリフはあんましないので、その落ち着かないアニメーションを凝視していなければならない上に、そもそも色々と分かりにくいので、多くの人が睡魔に襲われたというのも納得。私も、ご多聞に漏れず、中盤で少しウトウト、、、。でもまあ、多分ほんの2~3分だったと思うよ! ……知らんけど。

 致命的なのは、ラストシーンで意識が飛んでしまっていたことですな。気が付いたらエンディング。なので、オチが分からなかったという、、、。

 本作は、主人公のマリアという少女が逃げ出したとある集団が、実はやはり素晴らしい場所であった!ということを宣伝するためのフィルム、という設定であるのだけれども、オチが分からないと、マリアは逃げ出して、終始逃げまどうだけで、どうしてとある集団の宣伝になるのさ??という不可解なことになる。

~~以下、ネタバレですのでよろしくお願いします。~~

 で、2度目に鑑賞したときは、ちゃんと終始覚醒していたので、ようやく理解できました。

 マリアは結局、とある集団に自らの意志で戻って行くのです。あぁ、あの場所は実は素晴らしかったのだわ!……と。逃げ出した先の暮らしが酷くて、逃げ出す前の方がマシだった、、、て、これカルトに限らず、DV被害者とか、虐待被害者とかでもあるパターンで、終わってみれば一見難解そうな本作のストーリー自体はシンプルだったみたいである。

 序盤、マリアが逃げ込む家の描写がいきなり不気味なのだが、美輪明宏みたいな声でBGMのように「まり~あ~~、まり~あ~~~~、、、」って流れるのが、何か生理的にイヤだった。いや、美輪明宏の声は別に嫌いじゃないんだけれども、、、。

 豚2匹と一緒に逃げて来たマリアだが、その豚が、いつの間にか人間になっていて、逃げ込んだ家の周りはとある集団から放たれた“オオカミ”がいるから外に出られなくて、食料も尽きてどうしようもなくなる、、、、とかいう展開だった。

 うぅむ、きっと哲学的に見ようと思えば見られる映画なのだろうが、どうも私はあのアニメーションがダメだった。何度も言うが、飽きる。……というか、ウンザリしてしまったのだよね、途中からあのトーンが。ずーーーーっと一本調子なもので。もう少し抑揚をつけるなりしてくれれば良かったのだが、それはきっと監督らの意図するところじゃないんでしょう。


◆併映の短編

 本作の上映前に、10分程度の『骨』というアニメーション作品が併映されているのだが、私はこちらの方が気に入った。あの独特過ぎるアニメーションには、このくらいの尺が合っていると思う。

 内容は、『オオカミの家』同様にイマイチよく分からないが、どうやら、2人の男を罰したいらしい女性の物語だということは分かる。見終わってパンフを読んで、その背景を知りのけぞってしまった。これ、実在の女性と2人の男の物語をベースにした作品だったのね……。いやぁ、、、グロい。

 これだけじゃ何のことやら、、、と思いますが、ご興味おありの方は見ていただいた方が良いです。

 この『骨』は、大昔のフィルムが2023年に発見されたので修復して見られるようになった、、、というフェイク・ドキュメンタリー調であり、一瞬私も騙されそうになって、途中で“んなわけないか”となったのだが(私、このフェイク設定に引っ掛かりそうになるのよね)。この『骨』の本邦公開は今年だけれども、制作年は2019年だったみたいで、当時見れば、これが明らかなフェイクであることは分かる、という仕掛けだったのね。こういうのも、なかなか面白い。少なくとも『オオカミの家』のカルトの宣伝映像、、、という設定よりは見やすい。


◆2度見に行った理由

 というわけで、さほど気に入ったわけでもない本作を、何で2度も見に行ったかというと、前回の感想文『ファルコン・レイク』と、そこでも書いたがワーナー100周年企画で上映された『ダーティ・ハリー』の上映時間の間が3時間半もあったのよ。3時間半という微妙な時間、渋谷から移動するにはちょっと短いし、渋谷で見られて3時間半の間にすっぽり収まる様に上映されている映画、、、というと、本作だけだったのでした。

 あと、前述のパンフが、初回見たときは売切れで、見本が置いてあったのでザっと見たら、色々な背景が詳細に書かれていて欲しくなってしまい、パンフ欲しさに2度目を見た、、、というのもある。

 で、パンフを読んだのだが、監督のインタビューとか制作経緯とか、それらも面白いんだけど、私が一番グッときたのは、「眠るのは嫌い 夢を見るから――。」というタイトルのインタビュー記事。インタビュイーは臨床心理学者で東洋大学の教授・松田英子氏。この方のお話が、私が本作を見て漠然と感じたものを言語化されていて、ちょっと色々腑に落ちたのだった。

 その中で「心理支援者としてはそういったトラウマがある人たちには観てほしくないなと思いました」と語っている所が、妙に納得だった。「そういったトラウマ」というのは、「色々な支配下に置かれ」たことで負ったトラウマを指している。なぜ観てほしくないと思ったのかについては、直截的にはやはり「救いがない」からであり、間接的には、「逃げ出そうともがいている人たちに向けて「マインドコントロールを解くヒントがいくつもあったのにね」というメッセージを感じ」たからだと、話している。

 この、逃げ出したいのに、逃げるのが怖い、逃げられない、、、ってのは、私も経験者なので、本作にウンザリしたのはアニメーションだけではなく、そのことについての拒否反応があったのも事実。絶望感を上塗りしてくる感じ。本作自体が、私からしてみれば“逃げたいのに逃げられない”映画になっている。……なーんて、2度も見ておいて何言ってんだか。

 

 

 

 

 

 

 

人形の造形が、ちょっと舟越桂の彫刻に似ている、、、と感じたのは私だけ??

 

 

 

 

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OK牧場の決斗(1956年)

2023-09-17 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv1222/


以下、スターチャンネルの紹介ページよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 悪党のクラントン一家を追い、フォート・グリフィンにやって来た保安官ワイアット・アープ(バート・ランカスター)。彼は、酒浸りの賭博師ドク・ホリデイ(カーク・ダグラス)の危機を救ったことから、ドクとの友情を育む。

 一方、ワイアットの故郷では、クラントン一家が保安官たちを倒す機会を窺っていた。

 やがて、運命的に出会ったローラとの結婚を決意したワイアットが保安官を辞めてカリフォルニアへの旅に出ようとしていた矢先、故郷の町から救援の報が届けられる…。

=====ここまで。


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 ちょっと前に、平日昼間のドラマ再放送枠で、天海祐希主演の「離婚弁護士」「離婚弁護士Ⅱ〜ハンサムウーマン〜」を放映していまして、私、このドラマが大好きでして、、、。どっちもDVD持っているんですが、つい、録画して再見してしまいました。再見して初めて知ったんですが、再放送では、本放送をかなりカットしているんですね、、、。CMの関係らしいけど、結構、大事なシーンもカットされていてちょっとショック、、、。

 で、このドラマの中で、天海祐希演ずる弁護士・間宮貴子が、親不知が生えて来て歯科医院で治療を受けるシーンがあるのですよ。そこで歯科医(今は亡き志賀廣太郎さん。ドラマ「きのう何食べた?」でシロさんのお父さんを演じていて途中降板されたのは記憶に新しい)が貴子に「もっと口大きく開けて!」と言うと、貴子が「あーーん」と口開けるんですが、それを見て、その歯科医「そうそう、OK、OK、OK牧場!」と言うわけです。言われた瞬間の貴子の表情が何とも、、、、。

 もう何度も見ているシーンなんだけど、今回は、「そういえば、私『OK牧場の決斗』見てないな、、、」とふと思いましたら、何とタイミングよく、BSで放映される予定があるではないですか! ちょうどええわ、、、と思い、録画して見てみた、という次第です。


◆西部劇って、、、

 西部劇はあんまし見ないのだが、理由は、面白いと思えないからである。俳優イーストウッドが好きなので、マカロニ・ウエスタンを見てみたけど、うぅむ、、、という感じだったし、ユル・ブリンナーもまあまあ好きなので『荒野の七人』も見てみたけど、めっちゃ退屈だったし、ウチの人が好きだと言って見せられた『続・荒野の用心棒』もあんましピンと来なかったし、、、で、どうも西部劇は合わないな、と思っていた。

 今回、本作を見て、やっぱりその感覚は変わらなかった。お好きな方には申し訳ないけど、まったくもって“面白くない!”んである。

 西部劇って、他のは知らんけど、私が見たのは、終盤にドンパチ決戦があって、そこまではダラダラそうなるまでのいきさつを描く、、、ってのがパターン。いきさつを描くのは良いのだが、もう少し何とかならんのか?というようなダラダラ感で、内容的にも、何だかなぁなことを延々、、、。

 そのパターンは本作も例外でなく、終盤で、タイトルにある“決斗”があって、そうなるまでの説明がダラダラと1時間半くらいあるのだった。……長い。正直申し上げて、何度も睡魔に襲われました、ハイ。その度に巻き戻して見直しましたが、また寝ました。ほとんど修行だったよ、エンドマークまで見終えるの。

 しかも、肝心の決斗シーンも割と地味で(そういう意味では、まだ『続・荒野の用心棒』のドンパチは迫力があって面白かったなぁ)、なんというか、ふーん、、、という感じで終わってしまった。

 これって一応名作なんですかね? 日本ではガッツ石松のせいで名が知られているのかもだけど、外国では(というか、アメリカでは)どーなんでしょうか? wikiの西部劇の説明では、一応、ジョン・スタージェス監督作の代表作に挙げられているけれど、、、。

 今回ネットで検索して初めて知ったのだが、これ実際にあった銃撃戦が元ネタなんですね? ワイアット・アープが実在するのは知っていたけど、どういう人かもゼンゼン知らなかったし。しかも、「牧場」っていうと馬とか牛とかいっぱい放牧されているイメージだったんだけど、ゼンゼン違っていた(“Corral”とは単なる“囲い”という意味らしい)。

 ……と書いていて思い出したのだが、前に午前十時の映画祭で見た『シェーン』は、西部劇で珍しく“良いなぁ”と感じたのだった、そういえば。『シェーン』も西部劇映画の王道を行く作りだったと思うが、本作より短めだったのが良かったのか、、、? シェーンが、カッコ良かったよなぁ。ワイアット・アープやドク・ホリディよりもカッコイイ。見た目がじゃなくて、ガンマンとして。


◆男のロマン

 今回、本作を見て強く感じたのは、めっちゃ“男の映画”やな、、、ってこと。昨今はこんなことを書くと怒られそうだけどね。でもまぁ、ハッキリ言ってマッチョ全開で、中盤以降は何というかウンザリしながら見ていた気がする。

 別に殺し合いなんかする必要ゼンゼンないのに、男同士のメンツを保つだけのためにイキがって、挙句の果てに命を懸けることになるのだから、こう言っては失礼だが「バカじゃないの、おぢさんたち」である。

 みんシネでも、本作の感想文の中で見かけるのが「男のロマン」という言葉。「男のロマン」ねぇ。何スか、男のロマンて??

 と、不思議に思ったので、検索してみました。Weblio国語辞典では「女性には理解できないような、男性の多くが空想したことのある憧れのこと」とある。さらに、とあるHPにこんな文言が、、、。

「男のロマン、今でも追い求めてますか(中略)女は現実的な生き物ですから、「夢やロマン」の前にまず「今夜の夕食の心配」になります。でも、男は本来、ばかげた夢や、笑われるようなロマンにどっぷりつかることができる、愛すべき生き物なはずです。(中略)こんな状況で、本当に幸せなんでしょうか。あなたが家庭に求めたロマンはなんだったんでしょうか。(中略)あきらめないで、本当に夢とロマンをはぐくめる家庭をもう一度探してみませんか。」

……はぁ? 男のロマンのために、離婚を唆すんですかね? これ、弁護士法人のHPですが、図らずも今回本作を見るきっかけになったドラマの主人公・間宮貴子と同じ、離婚弁護士がたくさんいらっしゃる法人のようです、、、。今時、こんな時代錯誤な宣伝文句を掲載しているなんて、スゴいよなぁ。「今夜の夕食の心配」はねぇ、する男もいるし、しない女もいる。貴子に怒られるぞ。

 ワイアット・アープもドク・ホリディも、男のロマンを追い求めたのかどうかは知らんが、とにかく、もめごとを避けて立ち去れば良いだけの話なのに、義理だ人情だと、わざわざ喧嘩になるような行動ばかりとる。結果的に、彼らに関係のある女たちは、蔑ろにされて終わりだ。まさに、上記の弁護士法人の惹句どおり、自分たちだけ「夢とロマンをはぐく」んでカッコよく決めたつもりでエンドマークである。

 『シェーン』は何が良かったのか、、、と考えると、やっぱり、シェーンは自身の“ロマン”を孤独に追い求め、誰も巻き込まなかったってことかな。彼は、自己完結していた。誰も巻き込まないように行動していたしね。まあ、所詮、映画の話だけどさ。

 ドラマのDVDでも見るか。間宮貴子が“男のロマン”とやらを蹴散らしているのを見て留飲を下げよう。
 

 

 

 

 

 

デニス・ホッパーが若いカワイイ兄ちゃんだった。

 

 

 

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オーメン(1976年)

2023-01-07 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv1232/


《197X年のとある日の三面記事》

【ロンドン発】×月〇日、ロンドン警視庁は、アメリカの駐英大使ロバート・ソーン氏が、ロンドン市内の教会で死亡したと発表した。発表によると、ソーン氏は、祭壇に息子のダミアン君(5)を押さえつけてナイフを突き立てようとしていたところを、駆け付けた警察官の制止に従わなかったため、射殺されたという。ダミアン君は無事だった。

 ソーン氏は、△月から駐英大使としてロンドンに赴任しており、一家で郊外に暮らしていた。6月のダミアン君の誕生日に自宅で開かれたパーティで、ダミアン君の乳母が自殺を図る事件が起きたほか、その後、妻のキャサリンさんもうつ病を患い、入院していた病室から飛び降りて自死。ソーン氏は、一連の出来事に大きな精神的ダメージを受けていたといい、最近では時折意味不明なことを口走ることもあったという。

 ソーン夫妻の遺体はアメリカ本国へ移送され、後日、〇〇大統領臨席の下で葬儀が執り行われる予定。


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 2023年になりました。今年はどんな年になるのでしょうか。

 さて、新年第一弾のレビューは、“いまさら名画”シリーズ第4弾、ホラー映画の本作となりました。見たのは昨年末なので、今年の初映画ではないのですが、、、。有名なこの映画、実は、未見だったのです。で、レンタルリストに入れておいたら、たまたま年末に届いたのでした。

 ダミアン、666、、、が学校で話題になっていたのをよく覚えています。小学生だった私は、本作について怖い怖いと刷り込まれて、この歳になるまであんまし積極的に見る気がしませんでした。怖い映画好きなのに、です。でもまあ、名画と言われてもいますし、この機会に見てみることにいたしました。

 地味ながら、手堅い作りで楽しめました。


◆事件の背後にあるものは、、、

 冒頭の“ニセ三面記事”は、本作を外形的に捉えれば、こういうことになるのだなぁ、、、とエンドマークが出た後しみじみ感じたので書いてみた次第。恐らくは、三面の下の方の、せいぜい20行くらいのベタ記事でしょうね。日頃目にする事件記事のアレもコレも、蓋を開ければ、そこには信じられないような因果があったのかも知れませぬ。

 はたして、本作でのソーン氏の精神状態はどーだったんでしょうか?

 ……まあ、映画的には本作の後、続編ができているわけだから、ダミアン=悪魔の子、というのは現実だったということなんでしょうねぇ。だから、ソーン氏は 、真っ当なことをしようとしたのに殺されたということになる。愛する妻も亡くなり、もう殺す必要もないではないか、、、と思わないでもないが、国の存亡に関わる!!国家権力を操ろうとしている!!!などと言われたら、大使たるもの、そりゃ命懸けで正義を貫こうとしても不思議ではない。

 と、本作を見て、私は今の日本はまさにこれと同じ状態ではないか、、、と唖然となった。だってそーでしょう? 時の権力組織がカルトに汚染されて、その人たちが躍起になって憲法まで改正しようとしているんですよ?? しかも、現実世界では、権力組織はカルトに汚染されていることにまるで危機感もなければ、ソーン氏のように命懸けでカルトの息の根を止めようとする人もいない。いやー、事実は映画より奇なり、ですな。

 そもそも、我が子が死産だったからといって、どこの誰かも分からない赤ん坊を引き取るかね??と思ったけど、実際に、あのような状況になったら、案外、引き取ってしまうかもしれない。待ちに待って授かった子だったとか、妻に死産だったと伝えるのは忍びないとか、、、。

 今回、見てびっくりしたのは、ダミアンは山犬から生まれた、という設定。聖書では犬はあまり良く書かれていないらしいが、本作でダミアンを守るべく側にいる黒い犬は、あまりお利口そうな感じはなく、どこが“悪魔の化身”やねん、、、と内心ツッコミ。さらに驚いたのが、ソーン氏とカメラマンが2人で、ソーン氏の亡くなった実子の墓を暴くシーン。墓を掘り返すのはともかく、蓋を開けたら、そこには頭蓋骨に大きな穴の開いた嬰児の白骨が、、、。

 この辺の、悪魔云々を調べる一連の展開も、ちょっとご都合主義っぽい感じもあるけど、なかなか見せてくれるシーンもあり、全体に展開も速いし、よく練られた脚本で、小粒でピリリの逸品になっていると感じた次第。


◆その他もろもろ

 本作は、あの『エクソシスト』のヒットを受けて、かなりの低予算で制作された“二番煎じホラー映画”なのだが、二番煎じに甘んじておらず、映画史に残る作品になっていると思う。

 何より、本作は、冒頭に“ニセ三面記事”を書いてしまいたくなるくらい、オカルト要素がないのだ。悪魔云々とストーリー上にセリフで出ては来るが、悪魔自体はもちろん、それを思わせるものも出て来ない。前述したとおり、ごくごく普通の雑種犬にしか見えない黒い犬が出てくるくらいだ。

 あくまでも現実に起こり得る現象を積み重ねて、オカルト、、、ではなくホラー&サスペンス映画に仕立てており、エンタメとしても上々の出来であるところは素晴らしい。

 ソーンを演じたグレゴリー・ペックは、終始、山﨑努に見えて仕方なかった。終盤、ダミアンに悪魔の印を探して「666」を見付けてしまったときの表情や、その後、教会まで狂ったように突き進む演技は、決して、精神に異常を来している様には見せておらず、そこがミソだったと思う。

 怖い怖いと聞かされていた本作だが、見終わってみれば、確かに怖いとも言えるが、本作の真骨頂は、これがソーンの妄想だったんじゃないか、、、と見る者に少しでも疑問を抱かせるようなその巧みな構成にあると思う。狂気と正気の境界を敢えて曖昧にしつつ、飽くまでもペックの演技は正気と見せるという演出がナイスである。

 『エクソシスト』も良いが、本作も勝るとも劣らぬ名作だ。“いまさら名画”シリーズ初の8つ

 

 

 

 

 

 

 

乳母の自殺シーンが一番衝撃的で怖かったかも。

 

 

 

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汚名(1946年)

2022-07-26 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv1501/


以下、TSUTAYAのHPよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 父親にドイツのスパイ容疑がかけられ、売国奴の娘と呼ばれたアリシア(イングリッド・バーグマン)にFBIの捜査官デブリン(ケーリー・グラント)が接近してきた。ナチの残党と思しき人物セバスチャン(クロード・レインズ)が父の友人であったことから、アリシアにその内情を探って欲しいという依頼だった。

 舞台はリオ・デ・ジャネイロに移り、アリシアはそこでセバスチャンの求婚に応じるが、デブリンとの連絡も引き続き行われていた。

 やがて、彼女は屋敷の酒蔵で組織の秘密を突き止めるが、その事に気づいたセバスチャンは……。

=====ここまで。

 “ヒッチコック作品の中では、スリラーの要素よりもメロドラマの色を濃くした作品。”とのこと。

 
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 少し前に見た『情熱の航路』(1942)の感想文で「クロード・レインズがなかなか素敵」と書いたら、コメントでLuntaさんから本作をオススメされましたので、ようやっと見ました。上記にある通り、バーグマンとグラントのラブロマンスがメインなんだけど、クロード・レインズの存在がなければ、ゼンゼン締まらない映画になっていたことでしょう。

 ……というわけで、感想です。


◆敵役は魅力的でなければならない。

 このブログにも何度か書いているけど、私はどうもケーリー・グラントが苦手である。イングリッド・バーグマンはもの凄く美しいと思うけど、好きでも嫌いでもない。この2人のメロドラマ、というだけなら食指が動かなかったと思うけど、クロード・レインズがかなりのキーマンであるということで興味をそそられた。

 で、見終わってみて、たしかに、本作の実質的な主役は、クロード・レインズ演ずるセバスチャンではないかと強く感じた次第。

 セバスチャンは中盤ちょっと前くらいから登場なのだけど、アリシアに惹かれて、母親に反対されても押し切ってあっという間に結婚までしてしまう一方で、それ以外のことでは母親に頭が上がらず、アリシアにも惚れた弱みか基本言いなり、それでいてナチの残党という闇の顔もあり、、、と、実に多面体に描かれているのである。そしてまた、その奥行きあるキャラをクロード・レインズが硬軟使い分けて素晴らしく演じている。

 ワインの瓶の一件から、アリシアがスパイと分かった後のセバスチャンが実に哀しい。うなだれて、こわ~い母親に相談するのだ。アリシアとの結婚を決めたときのような果敢さは微塵もなく、「ママ、助けて、、、」という弱った子犬みたいな感じだった。でもって、怖い母親が、ゆっくり自然死に見せかけてアリシアを毒殺することを提案。

 ここで使われる毒が何なのか、具体的に明かされていなかったと思うが、おそらくは古典的な毒薬“ヒ素”だろう。ジワジワ殺すにはヒ素が一番なのではないか。

 アリシアが、自分が毒を盛られていると悟るシーンが印象的で実に良い。現実に考えると、あんなヘマはちょっと初歩的ミス過ぎていただけないが、、、。まあ、これは映画である。

 そこからラストまでは一気に展開するが、ラストシーンが切なくて残酷。デブリンと車に乗って去ってしまうアリシアを見送り、自身の運命を悟って屋敷に入っていくセバスチャンの背中。きっと、この後、彼はもうこの屋敷から生きて出てくることはないのだろうと予感させる不吉さも感じさせる。

 がーん、、、と思った瞬間にエンドマークで、もう、このやり切れなさをどうしてくれる! という感じだった。

 ……てな具合に、主演2人の印象はほとんどなく、クロード・レインズのシーンばかりが脳裏に浮かぶ映画である。敵役が魅力的であれば、作品の質もグッと上がる、という見本のような映画。


◆スパイという生き方。

 それにしても、スパイである。

 スパイ映画はいっぱいあって、私の興味の薄いジャンルだけど、たまに見るとやはりハラハラ・ドキドキする。多くは派手なアクションがあったり、なくてもよさそうなベッドシーンがあったりするわけだが、本作はそのどちらもないけど、スリリングではある。

 でもさ、私は途中、ちょっとツッコミ入れてしまいましたよ。

 だいたい、あんなに度々FBIの連中とアリシアが会っているのってどーなのか? それも、かなり無防備な会い方である。事務所に直接訪ねたり、公園で昼日中から会ったり、、。特に、デブリンはセバスチャンらに顔が割れている存在なのに、公園で堂々と会っているってどーなのか? 

 映画で描かれるFBIもCIAも結構マヌケだよね。実際もマヌケっぽいニュースも見聞きするけど、ここまで無防備って、いくら何でも、、、という気はする。

 おまけに、スパイだからって、仕事として結婚までしちゃうんだからね、、、。そら、本作では相手がクロード・レインズみたいな歳は離れていても素敵な男性だからイイけど、あんな素敵なオジサマはそんじょそこらには転がっていない。……でも、ロ〇アとか北〇鮮くらいの国なら、そんくらいのこと平気で国民にやらせちゃいそうだけどね。アメリカでもそうなのか、、、? まあ、これは映画だけどさ。なんかいろいろ想像しちゃうわ。

 アリシアも、デブリンも、スパイという仕事に公も私も全て浸食される人生を、積極的にか否応なくか、ともかく選んでいるという点で、私には理解不能な人たちだ。……けど、よく考えたら、そんな人はいっぱいいるよなぁ。スパイだから特殊に見えるけど、今何かと目に付く政治家(屋)にしてもそうだし、カルトの信者もそう。もっと卑近な例で見れば、オーナー企業の経営者たちとか。彼らだって、結婚相手は仕事がらみで、私情は二の次三の次、、、どころかない人だっているだろう。

 映画に話を戻すと、アリシアとデブリンはあの後どうなるのだろうか。命がけ(?)でアリシアを救出したのだから、やはりデブリンは彼女を愛していたということかね? 仮に2人が結ばれても、あんまし上手く行かなさそうだけどね、、、。

 

 

 

 

 

 

ワインの瓶に入っていたのはウラン(核兵器作るつもりだったってこと?)

 

 

 

 

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オフィサー・アンド・スパイ(2019年)

2022-06-11 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76780/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 1894年、フランス。ユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスが、ドイツに軍事機密を流したスパイ容疑で終身刑を宣告される。ところが対敵情報活動を率いるピカール中佐は、ドレフュスの無実を示す衝撃的な証拠を発見。

 彼の無実を晴らすため、スキャンダルを恐れ、証拠の捏造や、文書の改竄などあらゆる手で隠蔽をもくろむ国家権力に抗いながら、真実と正義を追い求める姿を描く。

=====ここまで。

 世界史における有名な冤罪、ドレフュス事件をポランスキーが映画化。第76回(2019年)ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞受賞作。

 
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 実話モノは扱うネタ(特に難病系)によっては見ないけれど、歴史系は割と見る方かなぁ。本作は、ポランスキーの監督作品なので劇場まで行ってまいりました。

 ちなみに、本作はヴェネツィアで賞を獲っているのだが、これが物議を醸したことでニュースになりました。なぜ物議を醸したか、、、って、そりゃ、ポランスキーのあの事件があるからです。……が、ひとまず感想から。


◆ポランスキー、凄い。

 ポランスキー監督作は好きな映画が多いし、『戦場のピアニスト』は、私のベスト5に入る一作なので、本作も公開を楽しみにしていた。……のだが、内田樹氏(学者としてちょっと??な発言が多い)が字幕の監修をしているのと、見に行く前に某紙の映画評がベタ褒めしていたのを読んでしまい、劇場に行くときにはかなり引き気味だった。

 けれど、いざ本編が始まったら一瞬も集中力が途切れることなく、2時間超にもかかわらずあっという間にエンドロール、、、。いやぁ、参りました。某紙の評は盛ってはいなかったのだ。さすが、ポランスキー。『戦場の~』ほどの熱量は感じなかったが、品があるのにエグさ全開という二律背反を冷徹に実現させていて、凄いとしか言い様がない。

 とにかく全編、細部に至るまで隙が無い。役者の演技は言うに及ばず、美術、衣装、演出、音楽、、、、ポランスキーは妥協しない人らしいが、本作でもそうだったのに違いない。映像は、ため息が出るほど美しい。

 本作の主人公は、冤罪の被害者ドレフュス本人ではなく、彼の無実を図らずも知ってしまったピカール中佐。ポランスキーが巧みなのは、このピカールを完全無欠な正義漢として描いていないところ。40歳過ぎて独身で人妻と不倫しているし、ユダヤ人差別を自覚している。けれど、軍人として職務には忠実で、だからこそ、ユダヤ人であるドレフュスを冤罪から救うために奔走する姿は、決してドレフュス個人に対する感情的なものではなく、軍を誤らせてはならない、法に忠実に行動するという彼の行動原理からくるものであることの説得力が増すのだ。

 しかも、ラストがダメ押し。どうダメ押しなのかは、敢えてここには書かないが、これは賛否が割れるところだろう。一瞬呆気なくも感じるが、私はこのラストによって、本作は実に人間臭い、しかし、極めて上質で大人の映画に仕上がったと感じた次第。ピカールの描き方に、ポランスキーの意図が如実に表れていると思う。エンドロールをこれほど余韻に浸って眺めた映画は、それこそ『戦場の~』以来ではないだろうか。

 強いて難を言えば、説明的な回想シーンが多かったことかな。ポランスキー映画では珍しいのではないか。

 全編、極めて冷静で、音楽も少なめ、衝撃的な映像もないし、内容としては実に渋い。登場人物もほぼ中高年男性ばかりだしね、、、。実話をネタにした情緒溢れるエンタメを期待して見に行くと、かなり肩透かしを喰らうだろう。でも、ドレフュス事件についてはきちんと分かるように描かれているし、後半は裁判がメインになるが展開も速いので、脳みそは終始フル回転となること必至。

 これは、見ないと損、、、とまでは言わないが、見て損はない映画だと思う。


◆豪華キャスト

 ピカールを演じたのはジャン・デュジャルダン。私はこの方の出演作は『英雄は嘘がお好き』を機内上映で見始めて途中でリタイアしただけで、話題になった『アーティスト』を始めとしてまともに見た作品は1つもない。コメディ出身とのことで(フランス人俳優に多いですね)、パンフのインタビューで「コメディは筋肉のようなもので、本作は骨に近いもの」と言っている。

 ドレフュスを有罪にするために文書を捏造したアンリ少佐は、途中からピカールの部下になるのだが、このアンリとのやり取りがいちいち引っ掛かるシーンになっている。2人とも言ってみれば軍にどっぷり浸かった人間なのだが、対照的なのだ。アンリは軍の面子のためなら文書の偽造も平気でやる。結局、偽造は明るみになり、アンリは自殺するのだが、、、。

 そのきっかけとなったのが、何と、ピカールとアンリの決闘である。しかも拳銃ではなく、剣での決闘。本作では分からないが、史実によれば、これはピカールが申し込んだ決闘らしい。これにピカールが勝ち、アンリが敗れたことで、アンリは文書偽造を告白し自害した、、、という描写になっていた。この決闘シーンも、実に見ごたえのある素晴らしいシーン。

 ドレフュスを演じたのは、ルイ・ガレルなんだが、全然ルイ・ガレルって分からない容貌になっている。投獄された後はますます分からない。しかも、出番がとっても少ないので、彼を目当てに見に行くとガッカリするかも。オープニングに注目、、、かな。

 その他、胡散臭い筆跡鑑定人にマチュー・アマルリック、ゾラの弁護士にメルヴィル・プポー、ピカールの友人弁護士にヴァンサン・ペレーズ、、、等々。ヴァンサン・ペレーズ、ちょっとしか出てないけど、相変わらずイケメンやった。ピカールの愛人をポランスキーの妻エマニュエル・セニエが演じているが、女性の登場人物はほぼ彼女だけだ。終盤、ドレフュスの妻らしき人が裁判の傍聴人で映るけど、、、。

 軍関係者の登場人物が多く、しかも皆制服を着ていて、上官の見分けが付きにくいというのが難点かな。でも中盤くらいになれば分かって来る。フランスは、軍服までオシャレやね、、、。


◆嗚呼、ポランスキー。

 ヴェネツィアの授賞式では、ポランスキー作品が評価されることに、一部の人たちが抗議の意を示すために退場したとか。その一人はあのアデル・エネルだ。「恥を知れ!」と叫んで退場したという。そのほか、フランスの有名な女性ジャーナリストとかもいたらしい。

 アデル・エネルは好きな女優さんで、彼女ならそういう行動をするのも不思議ではないな、と思う。でも、私は、ポランスキーの映画も好きなので、正直なところ、股裂き状態である。

 抗議したくなる気持ちも分かる。私も、もし、ポランスキーの映画が好きじゃなかったら「だから、やっぱり、、、」と思うだろう。少女淫行事件の真相は分からないけど、ナタキンとの関係も考えれば、おそらくそういう事実があったのだろう。時代が、、、とか、そういう言い訳は通らない。

 先日も記事にしたが、淫行じゃないけど、プーチン支持に回ってしまったクストリッツァの監督作品も、私は好きなのだ。だからと言って、クストリッツァが今していることにはゼンゼン共感できないし。

 監督の過去と作品を切り分けることはアリなのか、ナシなのか。今も私の中で結論は出ていない。ポランスキー作品もそう。『アンダーグラウンド』も『戦場のピアニスト』も、私の映画歴の中ではなくてはならない作品。とても、封印することはできそうにない。

 ネット上では、本作について、「ポランスキーの言い訳にしか思えなかった」といった感想もあったし、「ポランスキーが監督だから見たくない」というのもあった。見たくなければ見なければ良いと思うが、本作がポランスキーの言い訳というのは??である。まあ、その人がそう感じたのだから、それを否定する気はないが。

 パンフにはポランスキーのインタビューも載っている。彼もユダヤ人で迫害の被害経験者として、少女淫行歴がある者として、インタビュアーの質問にこう答えている。

「このような映画を作ることは、私にとって大きな助けになっています。(中略)私に嫌がらせをするほとんどの人は、私のことも知らないし、事件のことも全く知らないのです。」
「~(略)~マスコミはこの悲劇(<筆者注>シャロン・テート事件のこと)を掌握し、どう対処していいかわからなかったからか、(中略)私が悪魔崇拝を背景に彼女を殺した犯人のひとりであると暗に示したのです。彼らにとっては、映画『ローズマリーの赤ちゃん』は私が悪魔と結託していることを証明するものだったんです!(中略)私に人生で出会ったこともない女性が、半世紀以上前に起こったと思われる出来事を告発してくるなんて馬鹿げた話です。」
「(<筆者注>反撃したいと思いませんか?の問いに対し)なんのために? 風車に突進しようとするようなものですよ。」

 いずれにしても、ポランスキーの人生は、およそ常人ではあり得ないものだ。

 

 

 

 

 

 

 


我が国の文書捏造事件も時間が経ったら真相が明らかになるんですかねぇ。

 

 

 

 

 

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オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―(2022年)

2022-03-26 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv75568/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1943年、第二次世界大戦のさなか、連合国軍は劣勢を強いられていた。

 そこで英国諜報部(MI5)はチャーチル首相に、ナチスを倒すため、偽の機密文書を持たせた偽の高級将校の死体を地中海に放出するという奇策を提案する。

 ヒトラーをだますことを目的としたこの作戦は、真実と嘘が表裏一体となった戦時中の世界で、MI5の諜報員やヨーロッパ各国の二重三重スパイたちを巻き込むだまし合い合戦へと発展していく。

=====ここまで。

 実話の映画化。


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 実話モノは、ジャンルによっては見る気がしない(特に難病系)のだけれど、戦争モノは興味を惹かれる作品が多く、本作も見たかったので、先日ようやく劇場に行った次第。

 架空の人物(ビル・マーティン少佐)を創作し、その死体を敵に拾わせて偽情報を掴ませる、、、なんて、奇想天外だ、、、と思ったけれど、偽の死体を敵に拾わせるという諜報作戦は、それまでにもなかったわけじゃないらしい。とはいえ、やっぱし凄いこと考えるな、と思ってしまう。

 その架空の人物の創出過程は、さながら、映画やドラマの人物造形の過程にそっくりで、ちょっと笑ってしまった。脚本を書く際に、登場人物の詳細な履歴書を作れとはよく言われることだが、本作でマーティン少佐という人物の実に細かな履歴を作っていくのも、それと同じ。見合った死体を用意したり、所持品を揃えたり、、、映画の現場と同じで、本作のスタッフたちも面白かっただったろう。

 でも、敵に信じ込ませるには、細部に齟齬があってはならないのだ。これは映画やドラマも同じ。小さなところで矛盾があると見ている者は一気に白ける。

 それにしても、スパイ稼業は本当にストレスフルだ。同じチーム内の仲間同士でも、常に「こいつはもしかしたら二重スパイなんじゃないのか?」とか疑いの眼差しで見なければならない。どこから情報が漏れるか分からず、常に緊張を強いられる。実際のスパイ事件でよく聞くのは、捕まえたスパイが「あまりにも普通の人に見えた」とか「全然スパイに見えない」とかの言であるが、スパイがスパイに見えたらスパイ失格なわけで、誰がスパイか分からないから疑心暗鬼にならざるを得ない。この精神的な負荷は、想像を絶する。

 ……というわけで、スリリングな展開は、最後まで興味を持続させてはくれたのだけど、如何せん、シナリオがイマイチ整理されていない感じで散漫な印象がぬぐえない。

 特に、コリン・ファース演ずるモンタギューと、海軍省で共に働く女性ジーンの間の恋愛感情は、ハッキリ言っていらんと思った。ジーンとモンタギューのそれらのシーンは、見ていても心動かされるシーンになっていなかったし、マシュー・マクファディン演ずるチャムリー大尉と微妙な三角関係っぽい描写とか、正直なところ「どーでもええわ」としか思えなかった。何であんな要素を入れたんだろう、、、。

 で、監督がジョン・マッデンというので、ちょっと納得したのだった。この人の映画は、『恋におちたシェイクスピア』しか見ていないが、『恋に~』を見た後の印象と、本作の鑑賞後感が実によく似ているのだ。内容は盛りだくさんで、扱っているネタは面白いはずなのに、何かピンと来ない。本作の方が『恋に~』よりはマシだけど、エンドロールを見ながら「うぅむ、、、」という感じは同じ。

 あと、字幕もイマイチだった気がする。セリフ劇で情報量が多いので、こちらも理解が追い付かなかった部分もあるのだが、これは、DVD等で見るときは吹替えで見た方が理解しやすい映画かも知れない。セリフが多い作品は、どうしても字幕では厳しいものがあるのは否めない。吹き替えより字幕が良いという暗黙の流儀みたいなものがあるのか、子供向け映画以外は、吹替え版が公開されることは少ないけれど、映画の性質によっては、字幕or吹替えは使い分ければよいと思う。本作も、吹替え版を作っても良い作品の一つだと思う。

 なので、ソフトが出たら、もう一度吹替え版でじっくり見たいと思った次第。

 それにしても、チャーチルという人は、エニグマ解読しても極秘にして自国の損害を敢えて避けなかったとか(『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014))、このような一見無謀に見える作戦にゴーサインを出すとか、何度も映画に描かれるのも納得。

 

 

 

 

 

 


要するに戦争とは情報戦である。

 

 

 

 

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オルランド(1992年)

2022-02-10 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv16557/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 青年たちが女性的な装いを好んだ一六世紀末エリザベス一世(クェンティン・クリスプ)の治下、晩餐の宴で青年貴族オルランド(ティルダ・スウィントン)は女王に詩を捧げた。女王はオルランドの若さを愛し「決して老いてはならぬ」という条件つきで屋敷を与えた。まもなく女王は崩御、次いで父親も亡くなり、オルランドはユーフロジニと婚約する。

 大寒波で氷の都となったロンドンで、新国王ジェームズ一世に挨拶するロシア大使一行の中に美少女サーシャ(シャルロット・ヴァランドレイ)を見たオルランドは、ひと目でとりことなり愛を誓う。二人はロンドン橋の上で落ち合い旅立つ約束をするが、サーシャは現れず、失恋したオルランドは六日間昏睡状態に陥る。

 眠りから覚めたオルランドは詩作に没頭するが、尊敬する詩人(ヒースコート・ウィリアムス)から罵倒され詩作も断念し、オレンジ公ウィリアムに申し立てオリエントの国へ大使として旅立つ。

 十年の月日がたちオリエントになじんだオルランドにアン王女からバース勲位が授けられた。授勲式の夜、親しい王(ロテール・ブリュトー)が敵国の急襲を受け、戦いになった。敵兵が死んでゆくのを見たオルランドはショックのあまり二度目の昏睡に陥る。

 二日目に目覚めた時、オルランドは女になっていた。イギリスに戻り貴婦人として社交界にデビューしたオルランドはハリー大公のプロポーズを断る。「自然よ、私をあなたの花嫁にして」と大地に向かってオルランドがつぶやいた時、突然馬にまたがったひとりの男が現われた。アメリカ人の冒険家シェルマディン(ビリー・ゼイン)とオルランドは恋に落ち、甘美な一夜を過ごす。

 翌朝、ヴィクトリア女王の使者が「男子を産まねば財産は没収する」という通達を持ってきた。旅立つシェルマディンを見送ったオルランドはやがて身重の体で戦場を逃げまどう。

 時は移り、現代のロンドン。オルランドは出版社に原稿を持ち込む。そして幼い娘をサイドカーに乗せ、百年前に失った屋敷を観光客として訪れ、自分の肖像画を見るのだった。

=====ここまで。

 ヴァージニア・ウルフの長編小説『オーランドー』の映画化。


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 ヴァージニア・ウルフ、、、遠い昔(10代でした、、、はぁ)『ダロウェイ夫人』を開いて、あっという間に挫折したのと、リズの映画『バージニア・ウルフなんかこわくない』がダメ過ぎて、ウルフにも良いイメージがありません。今なら小説はもう少し読めるようになっているんでしょうかねぇ、、、。ウルフ原作ではないけど、ウルフを描いた『めぐりあう時間たち』もピンとこなかったし。

 本作は、何となくストーリーも取っつきやすそうだし、サリー・ポッター監督作というのもあって、なぜか見てみたくなりました。もちろん、原作は未読です。ちなみに、原作が発表されたのは1928年で、日本では昭和3年。


◆男だろうが、女だろうが、、、

 いろんな映画でいろんなエリザベス一世を見てきたけど、それらに比べても、本作の冒頭におでましのエリザベス一世はかなりインパクト大。演じているのはクェンティン・クリスプというお方。寡聞にして知らなかったのだけど、ネットで検索したら、有名なゲイの作家で“ゲイカルチャーの先駆者”として伝説的な人物だそうで、、、。あのスティングのヒット曲「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」のモデルとなったお方らしい。

 とにかく、その冒頭シーンで、エリザベス一世に「老いてはならない」と言われたオルランドは、確かに美しい。ティルダ・スウィントンは、正直なところあんまし好きな女優さんではないのだが、この映画は彼女がいてこそ成立した作品だと、強く感じた次第。それくらい、性の垣根を軽々と超える不思議な主人公を違和感なく演じていた。

 中盤までは男性、後半は女性になるオルランド。男性から女性に変わったところでは、ティルダ・スウィントンの全裸シーンもあり、公開当時このシーンは話題になったのかしら?? 女性になったとき、オルランドはカメラ目線で「前と同じ人間。何も変わらない。性が変わっただけ」とつぶやく(ちなみに、カメラ目線でオルランドがつぶやくシーンは、ほかにも何か所かあった)。

 時代が飛ぶ際に、オルランドは昏睡するんだけど、最初に昏睡してしまったシーンが結構面白い。召使が起こしに来るが目を開けないオルランド、起こしに来る人が1人、また1人と増えていく。医者も来る。……ただ、昏睡して時代が飛んでいる、ってのが見ていてもイマイチ分かりにくく、ストーリーをある程度知っていないと置いてけぼりを喰らうこと必至。

 映画として面白いと思うけど、ふーん、、、という感じでもある。何しろ、400年を描いているのだからね。男と女の違いということには、ほとんど焦点が当たっておらず、男も女も人間としてどう生きるのか、、、ということが描かれる。ただ、意外だったのは、どのオルランドも“恋愛”が絡んでくるのよね。そして、それは異性愛なんだよね。

 女になったオルランドが、コルセットでガチガチのドレスに身を包み、サロンでオジサンたちと語り合うシーンも興味深い。そのオジサンたちはジョナサン・スウィフトや詩人アレキサンダー・ポープなんだが、彼らは女性蔑視丸出しの言葉を吐きまくっている。そのときのオルランドは怒って部屋を飛び出していくんだが、、、。ガリバー旅行記もぶっ飛ぶハラスメントおやじ・スウィフトさんであった。これ、原作にもあるんだよね? ウルフは意地悪だなぁ、、、。


◆ティルダ・スウィントンとか、その他もろもろ。

 本作の公開当時、ティルダ・スウィントンってどのくらい知名度があったんでしょうかね? 86年に映画デビューし、2000年にレオ様主演の『ザ・ビーチ』でハリウッド進出、、、とwikiには出ている。本作が撮影されたころは、まだ売り出し中だったのかな、、、。

 というのは、オルランドを演じているのが謎めいた中性的な俳優であれば、なお映画として魅力的だったんじゃないかな、と思ったから。今となっては、ティルダ・スウィントンが女性であることは大抵の人は知っており、途中でオルランドが女性になっても、ゼンゼン違和感なく見れてしまうのだけど、これが無名に近い俳優だったら、さぞや面白かっただろうな、と。男から女に軽やかに垣根を越えて演じているあの美しい人は誰、、、??となるでしょ。でも、ティルダ・スウィントンだと知っているから、ふむふむ、、、としかならなくて。

 それにしても、今からほぼ100年前に、ジェンダーフリーなお話を書いていたというのはオドロキだ。ウルフをよく知る人なら驚きでも何でもないのかも知れないが。映像化は無理と言われていたらしい原作だが、本作を見て、原作を読んでみたいと思った次第。

 特典映像で、サリー・ポッター監督が色々と苦悩している場面が収録されており、本編よりそっちの方が興味深かった。なかなか過酷な現場だったみたい。『耳に残るは君の歌声』も(内容はほとんど覚えていないんだけど)まあまあ面白かった記憶があり、もう一度見てみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

食わず嫌いしていないでウルフ作品も読んでみようかな、、、。

 

 

 

 

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婦系図(1962年)

2021-11-27 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv20476/


 
 以下、DVD発売元であるKADOKAWAの本作紹介ページよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 早瀬主税(市川雷蔵)は柳橋の芸者お蔦(万里昌代)と恋仲だった。

 彼は十二のとき、酉の市の雑踏で、帝大のドイツ文学教授・酒井俊蔵(千田是也)の懐をスリ損じたが、酒井の温情により家に伴われ、そのまま書生として養育された。

 それから十年。学問も修め、立派に成人した主税は、参謀本部に職を得るが、その彼に兄妹のようにして育った酒井の娘・妙子がいつか恋情を向けてくる。

 妙子の好意を受け入れては義理ある先生に申し訳ないと決心した主税は、酒井の家を出て、知り合いの魚屋、めの惣(船越英二)の世話で家を見つけ、かねてから恋仲だったお蔦と暮らし始める。

 お蔦の姉芸者・小芳は酒井先生の想われ人だったが、将来ある身で芸者を打ちに入れるのは出世の妨げと主税をいさめ、酒井の娘・妙子は実は自分の生んだ娘だと告白し、身分の違う二人が結ばれる不幸を説くのだった…

=====ここまで。
 

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 ついに自宅のPCが壊れました、、、、ガーン。まぁ、10年使ったからなぁ。その間、故障もなく動いてくれていたのですが、数か月前から、ときどき反応が遅くなることがあり、フリーズ回数も増えてきたので、そろそろヤバいかなぁ、、、とは思っていたのですが、それはいきなりやってきました。ハードディスクの警告メッセージが突然現れて、一気に瀕死状態に。

 いつかやろうと思っていた、いろいろなデータのバックアップもしていなかったので、どうなることやら……と冷汗ものでしたが、どうにかほぼ全て救出し、かろうじて機能していたROMに避難させることができました。もうUSBメモリーさえも読み取ってくれなくなっていたので、ROMが作動してくれたのが救いでした……やれやれ。

 新しくPCを買うにも、なんせ10年ぶり。スペック見てもチンプンカンプンに等しく、よく分からないので、職場の親切なシステム担当者の男性に予算とかメーカーとか条件を挙げて選んでもらいました。今、半導体不足で、やっぱりPC市場にも影響は出ているらしく、メーカーによっては納期がすごく遅くなるものもあったみたいですが、どうにか注文して1週間で新しいのが届きました。

 そのシステム担当の人にも「よく10年ももったねぇ」と驚かれたんですが「今は大体5年だよ」と言われ、決してお安くないPCを5年ごとに買い替えるのかぁ、、、とどよよ~んとなりました。私のPCの使い方なんて、ワープロ+ネット(+ときどき画像編集)くらいなもんで、前はゲームもやっていたけど、今は全然だし、それで5年でウン万円ずつ飛んでいくのは、マイクロソフトやらメーカーに都合よすぎなんじゃないのか?と思っちゃいますね。これで3代目ですが、長く使いたいと思っております。初代も、10年くらい使いましたけどね。

 で、ようやく映画の感想です。


◆日食見物シーンがっ!!!

 最近、原作の方をウン十年ぶりに再読したので、雷蔵は結構好きだし、見てみようと思った次第。……けれど、肝心の終盤の場面が期待外れで、ガックシ、、、でした。

 中盤までは、雷蔵の演じる主税の雰囲気と、お蔦さんがイイ感じで、2人の別れのシーンもなかなか泣ける演出で良かったのだけれど、原作の一番の見せ場である、終盤の日食見物シーンがなく、ラスト主税が自殺するオチにもなっておらず、雷蔵が悲しげにたたずんでジ・エンド、、、ってんで、あり~??ってな感じでした。

 上記のあらすじには全く出てこないんだが、原作では、恩師酒井の娘・妙子を、成り上がりの河野家が家格を上げるのに利用するため嫁にとりたいと言ってくる件がかなり重要なのだけど、本作では、主税とお蔦の悲恋物語に終始して、原作とはテーマが変わってしまっている。

 まあ、小説と映画は別物だから、それはそれで構わないけど、河野家総出で日食を見物する場面で、主税が河野の主を罵倒し、河野家に修羅場が展開されるシーンは、やっぱし見たかったなぁ、、、と。原作での主税の河野に対するセリフはものすごく説得力があり、感動するシーンなので、なおさら、、、。これがあるからこそ、主税のそれまでの優柔不断なキャラが鮮やかに反転して悲劇となるのに、、、うぅむ。


◆その他もろもろ

 まあ、それにしても主税の恩師・酒井の描かれ方は、原作よりも酷い。自分も芸者に自分の子を産ませておきながら、芸者に対するあまりにもひどすぎる差別的な言葉の数々は、聞いていて耳を塞ぎたくなるほど。当時はそれが普通だったのかも知れないが、これで人にものを教える仕事をしているんだから呆れるばかり。しかも、お蔦が死にそうになったら「私が悪かった、許せ」とか言っちゃって、ヘンなオジサンだ。あれほど忌み嫌っていた職業の女性が、死にそうになっているからってそこまで態度を変えるって。

 とにかく、本作に出てくる社会的地位のある男たちは、みんなサイテー。これが明治のスタンダードだったのかもね。なにしろ、原作の主税は鏡花自身を投影しているとのことなので。尾崎紅葉に芸者のすずさんと別れろと言われ、鏡花自身は別れたように装って付き合い続け、後年、結婚したというのだから、なるほど、日食見物シーンの主税のセリフは、鏡花の本心だったのだろう。道理で説得力があるわけだ。

 雷蔵は、相変わらず美しく品があって良かったけれど、見せ場はあんましなかったような。お蔦を演じた万里昌代が美しい。2人の別れの舞台は湯島天神。梅の季節になったら久しぶりに行ってみようかな。

 

 

 

 

 


マキノ版、衣笠版も見てみたいなぁ。

 

 

 

 

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乙女の祈り(1994年)

2021-03-01 | 【お】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv10939/

 

 学校で浮き気味の女子高生ポウリーン(メラニー・リンスキー)は、イギリスからの転校生ジュリエット(ケイト・ウィンスレット)と趣味や志向が一致し、意気投合。2人だけの世界にのめり込んで行く。

 しかし、2人の両親は、2人のあまりにも距離感のない関係を「レズビアンなのではないか?」と疑い、引き離そうとする。ジュリエットの両親の離婚に伴い、ジュリエットは母親と南アフリカへ行くことになり、2人が離れ離れになることが決定的に。ポウリーンは被害妄想が肥大化し、母親さえいなければ自分も南アに行けると思い込み、ジュリエットと南ア行きを実現させるため、ある計画を実行することに……。

 ミステリー作家アン・ペリー(モンク・シリーズ等が代表作)が起こした殺人事件が元ネタ。ケイト・ウィンスレットの銀幕デビュー作&ピーター・ジャクソン監督が足場を固めた作品。


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 ネットでたまたま本作のことを知り、ちょっと見てみようかなと思って借りてみました。同じ元ネタでは、『小さな悪の華』(1970)もあるが、本作の方が雰囲気は明るいし、ラストも大分違う気がする(『~悪の華』の方をあんまし覚えていないので、、、)。


◆女子物語

 まあ、10代の女子にありがちなオハナシと言ってしまえばそれまでなんだが、、、。女子高生くらいだと、別に同性愛だとかゼンゼン関係なく、仲が良いと手を繋いだり、腕を組んだりとか、別に普通にあるわけですよ(私も腕組むのはありましたねぇ。手を繋ぐのはなかったけど)。

 ただ、女子同士で妄想の世界に浸るのは、私は中学で卒業していた気がするなぁ。中学生の頃は、友人が書いた詩を読まされたり、手紙を交換し合ったり、、、なんてことはやってましたね。高校でも、3年生のときに初めて同じクラスになった女子に手紙を渡されたことがあり、「え゛、、、、高3にもなってまだこんなことやる人いるのか?」と内心ちょっと驚いたけど、一応返事を書いたら、また書いてきて、、、ってのが数回あった。けど、せいぜいそんなもんだった。

 なので、本作のポウリーンとジュリエットみたいに、誰かと妄想の世界を共有するっていう経験は私にはないが、そういうことが10代の女子にはありがちだということくらいは分かる。私の場合は誰かと共有していなかっただけで、一人で妄想に耽っていたから。それを、複数で楽しんでいる人がいたとしても不思議じゃない。

 それにしても、この2人の妄想ぶりはなかなかのもんである。別世界での別名まであって、そこでは王女様になっていたりする。しかも、その世界での他の人物は、彼女たちが粘土細工している。で、それが実物大になって、彼女たちの別世界をちょっとリアルっぽくしているんだが、CGのない頃にどうやって撮影しているのか? エンドロールで、ミニチュア作成のスタッフ陣の名前が並んでいたので、ミニチュアで撮影しているのかな。

 妄想の世界は、自分たちの理想の世界。ウザい親もいない。いるのは架空の(粘土で出来た)王子様とか、、、。ここまで妄想に浸れるとなると、確かに、あのような結末になるのもあり得るかも、、、と思える。

~~以下、結末に触れています~~

 どんな結末か……まぁ、リンク先にもwikiにも書いてあるから書いてしまうが、ポーリーンの母親を撲殺するんです。レンガを靴下に入れて、その靴下を振り回して一撃した後、倒れた母親の頭部を何度もレンガで、、、。

 とはいえ、描写としては全くグロはありません。血まみれになるくらい。

 なんというか、殺された母親は、特別ヘンな母親ではなく、ごくごく真っ当な、良いお母さんだった。あれで殺されたんじゃ、世界中で殺されるお母さんがいっぱいいそうだ。とにかく、いくら妄想が過ぎるとはいえ、行きつくところを突き抜けて行っちゃった、、、て感じ。


◆その他モロモロ

 で、ケイト・ウィンスレットが演じたジュリエットが、実は、アン・ペリーその人だ、と、本作が公開されたことで公になったのだというのだからオドロキ。私は、アン・ペリーの名は知らなかったし、モンク・シリーズも存在は知っているが、読んだことはないので、へぇ~、という感じだったが、ミステリー好きには衝撃だった様だ。

 彼女自身は、この事件については、「どうかしていた」みたいなことしか言っていないらしいが、まあ、確かに他に言い様もないのだろう。

 究極のモンチャイ、人殺し美少女・ロザリンドとはまたゼンゼン別の少女物語ですな、これは。実際、彼女らはその後、刑罰を受けて、正気に戻っている様子。特にジュリエットの方は。ポーリーンのその後はイマイチよく分からないが、ひっそりと暮らしているそうなので、特段、変わった性質というほどでもないのだろう。

 銀幕デビューしたケイト・ウィンスレットは、当時二十歳くらいですかね。既に、二十歳に見えない貫録が、、、。まあ、確かに若いですが。彼女の演じるジュリエットは、でも、かなりマトモに見える。ちょっと、妄想の世界でお遊び、、、という程度にしか見えない。だから、ラストの人殺しに至るのは、彼女に関してはちょっと飛躍がある感じがしてしまう。

 そういう意味では、ポーリーンを演じたメラニー・リンスキーの方が、ヤバさが出ていて良かった。

 同じ元ネタの映画なら、私は、冒頭に挙げた『小さな悪の華』の方が好きかな。本作より陰惨だけど、背徳感が全編漂っている雰囲気が良かった。もう一度見たくなってきた、、、。

 

 

 

 

 

 


女子のじゃれ合いは、通過儀礼みたいなもんです。

 

 

 


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おもかげ(2019年)

2020-11-23 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71343/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 離婚した元夫と旅行中の6歳の息子イバンから、パパが戻ってこないという電話がエレナ(マルタ・ニエト)にかかってくる。フランスの海辺からの電話が息子の声を聞いた最後となり、息子は行方知れずになってしまった。

 それから10年後、海辺のレストランで働くエレナだったが、その場所で失踪事件のことを知らない者はいなかった。

 ある日エレナはフランス人の少年ジャン(ジュール・ポリエ)と出会う。ジャンにはイバンの面影があり、ジャンはエレナを慕って彼女の元を頻繁に訪れるようになっていった。しかしそんな二人の関係は周囲に戸惑いと混乱の波紋を広げていき……。
  
=====ここまで。


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 またまたコロナの感染者数が急増していますねぇ。この三連休はポーランド映画祭に通う予定だったけれど、やめました。実際、劇場が混んでいたかどうか分からないけど、これだけ増えているということは、無症状の潜在感染者数はその数倍はいるだろうと思われ、医療現場が大変なことになっていると医師会のオジサンの嘆き節を聞いていたら、とてもじゃないけど、行く気が失せました。

 しかし、ニュース映像で見た連休初日の空港や駅や観光地の人混み、、、。正直なところ、来月から年末年始にかけてが怖ろしい。この惨状に、ようやく政府はGOTOキャンペーンの見直しに舵を切るようだが、経済を停滞させたくないのなら、きちんと検査体制&医療体制を整えるのが必須だろうに、コロナが蔓延してからもうすぐ1年だってのに、いまだに体制づくりは無策のままで、今さら「国民の命を守るため」とか、どの面下げて、、、って感じなんだが、ハナからスガなんぞには期待もしていないから想定内といえば想定内。これで支持率60%近くあるって、一体どなたが支持していらっしゃるのかしら。

 ……とまあ、グチはこれくらいにして。

 この映画、予告編を何度も見せられていたので、何となく見ておこうかな、、、という感じで見に行った次第。サービスデーだってのに、200人は入る劇場に、私を含めて恐らく20人も入っていなかったんじゃないかしらん。密を避けるにはいいけど、劇場運営が心配、、、。


◆10年前の謎は謎のまま。

 本作の冒頭15分くらいの導入部が短編として2017年に発表され、その後に続く物語は、短編が公開されて2年後に制作・公開されたというもの。短編がいろんな賞を受けるほど評価が高かったらしく、監督がその後の物語を作りたくなったんだとか。

 で、見る人は、冒頭の15分で起きた話が、10年後にどう展開するかが気になるのだけれども、ストーリー的には息子イバンがどうなったのかは分からないまま。実際、エレナ自身も分からないみたいなんだが。イバンの件について、真相が明らかには、最後までならない。

 この、“どうなったか分からない”という状況って、人間にとってはものすごく嫌な状況よね。ましてや、自分の息子がいなくなって、行方が杳として知れない、、、なんてのは、想像を絶する。いっそ、亡くなったとハッキリ分かった方が、遺された者にとって、精神衛生上まだマシだろう。

 10年後のエレナには、恋人ヨセバもいて、一見、どうにかマトモに暮らしている様に見えるが、当然ながら、全然エレナはマトモな精神状態ではない。そりゃそうでしょう。何がどうなったのか分からないまま、、、多分もうイバンは生きていないだろう、と思いながら、イバンがいなくなった海岸を毎日見ながら過ごしているのだ。10年なんて、彼女にとっては、心の整理をするには短すぎる時間でしょう。

 このヨセバが、なかなか出来た人で、イイ男(中身が)なんである。でも、いくらイイ男が側にいようが、エレナの精神状態を良い方に向かわせる助けには全然ならないのだよね。

 ネットで感想を拾い読みしたんだけど、“ヨセバと一緒に暮らせば幸せになれるのに。子どもにも恵まれるかも知れないし”……みたいなことを書いている人がいて、なんだかなぁ、、、と思ってしまった。確かに、私も、ヨセバとだったらエレナも幸せになれるかもね、、、と見ていて思ったが、エレナがそう思えないんだからしょーがない。それに、子どもに恵まれるとか、そういうことじゃないだろう、エレナの本質的な苦しみは。イバンがいなくなったこと、が全てなんだから。他に子どもが出来るとか出来ないとか、関係ないんじゃない?

 問題は、エレナが、イバンの“おもかげ”を持つ少年ジャンと、色々と交流を持つこと。エレナのジャンへの接し方が、私にはちょっと理解できなかった。最初は、イバンに似ている、、、というところから、ジャンの後を付けてしまうんだが、マセガキのジャンは、事情を知らずに年上女性に興味を抱いてエレナに積極的に近付いてくる。私がエレナなら、「いなくなった息子に似ているから後付けちゃった、ゴメン」と言って、それ以上の関わりを持とうとは思わない。でも、エレナはジャンを自宅に招いたり、一緒に食事したり、夜の海岸で泳いだり、、、と、ジャンとの関わりを続ける。でも、ジャンをイバンの代わりに……という風でもないんだよね、これが。かと言って、恋愛対象として見ている風でもない。その辺、エレナ自身も曖昧なのかも知れない。

 ……と思って終盤まで見ていたもんだから、ラスト近くで、車の中でジャンとエレナがキスして抱擁するに至って、はぁ?となり、ラストシーンは、元夫ラモンに電話をして「話せる?」と言うところで終わって、ますます、はぁぁ???となって、帰路は悶々と考えてしまうことになってしまった、、、。

 
◆ふと、、、ある瞬間に。

 エレナは中盤で、10年前にイバンを置き去りにした元夫ラモンと再会し、ラモンが現在再婚して8か月の子どもがいると知ると、「あんたは私の宝物を奪った役立たずのくせに! 二度と近付くな、近付いたら本気で破滅させてやる!」(セリフ正確じゃありません)とか激昂するんだけれど、確かに、そこまで言わんでも、、、とは思うが、言いたくなる気持ちもよく分かるのよね。だって、お前が目を離さなければ、イバンが行方不明になることはなかったんだから、、、って思わないわけないもんね。そんなヤツが、また、誰かと結婚して人の親になろうだなんて、図々しい恥知らずの人でナシ!、、、って、私なら絶対思うし、言わずにいられないに決まっている。

 で、そんなラモンに、ラストシーンで電話をかけて対話をしようと試みる、、、つまり、エレナはラモンを許す気になったってこと? 何故? ということなんだが。

 ジャンとキスして(もしかするとその先まであったのかも知れん)一線を越えたことで、ジャンに対する“曖昧な感覚が吹っ切れて、“ちゃんと現実(イバンの行方不明事件)に向き合おう”と思えるようになった、、、ってことなのかしらん。……と思うに至った。

 きっと、エレナは、どこかでイバンはまだ生きていると漠然と信じたい思いがあったんだが、ジャンに出会って、ジャンと一線を越えたことで、そういう自分のモヤモヤした気持ちがクリアになった、ジャンは(当たり前だが)イバンじゃない、イバンはもういない(=死んでいる)と腑に落ちたのかな、と。

 そういう感覚が、急にふっと降りてくる、、、というのは、すごくよく分かる。私も、何年も引きずる辛いことがあったけれど、ある日、ふと「……あ、私、もう大丈夫かも」と思った瞬間があって、その情景は今でも鮮明に覚えている。五月晴れの真っ青な空だった。だから、エレナは「もう大丈夫」とまでは思っていなかったかも知れないが、少し心が軽くなったのだと思う。そうなるきっかけって、ホントにささやかでセンシティブなもので、他人から見て理解できるものとは限らない。

 ……というか、そう解釈しないと、あの終盤からラストはまったく意味が分からない。

 でも、エレナがジャンにあんな風に接したのは何故なのか、、、。ムリヤリ解釈すれば、息子のような感覚と、恋人のような感覚と、両方を抱いていたから、ってことですかね。私には、あんなガキに異性を感じること自体が理解を超えているんだけど。いくらマセガキでも、ガキはガキだからなぁ。上でも下でも、年の差恋愛、私にはムリ。

 

◆その他もろもろ

 エレナを演じたマルタ・ニエトというスペイン人の女優さんが、すごくキレイだった。スタイルも抜群で、手足がすんごい長い。ジーンズ脱ぐのも大変そう、、、。

 ジャンの少年は、まあ、可愛いっちゃ可愛いけど、もう少し美青年が良かったなぁ。現在公開中の『PLAY 25年分のラストシーン』にも出演しているらしい(見る予定ないけど)。

 ジャンの母親レアをアンヌ・コンシニが演じていたんだけど、なんかすごく老けて見えてビックリ。エレナが息子に執着しているのを知って、エレナの店に牽制に来るシーンがあるんだが、そこで、「なんで、スペイン人なのに10年も住んでるの?」とか「お子さんはいるの?」とか「(子どもは)生まない主義?」とかエレナに聞く。これって、イバンの事件を知った上で聞いているのかが、私には分からなかったんだが、、、。どうなんだろう? 知っていて聞いているのだとすれば、あまりにも意地が悪すぎるよなぁ、、、と。いくら息子に近付くなという警告でも、「生まない主義?」はナイだろう、、、と。だったら、ストレートにそう言えば良いのだし、、、。

 でも、前述のネットの感想を書いていた方は、これは知っていて聞いていると断定していた。しかも、(同じ母親として)言いたくなる気持ちが分かると。……そういうもんかねぇ?

 まあ、こんなことを言っちゃうと身も蓋もないんだが、どうもこの作品は、ものすごく“観念的な”映画だと感じた。つまり、監督や脚本家が“頭で考えた”ストーリーね、ってこと。実感が伴っていない、、、というか。肌感覚がない、、、というか。だから、こういうヘンなオチになっているんじゃないかという気がする。

 ……と長々書いてきたくせに、ものすごいちゃぶ台返しをしてしまい、失礼しました。

 

 

 

 

 

 

マルタ・ニエトの他の出演作、見たい。

 

 


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オレンジと太陽(2010年)

2020-06-23 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv49626/


 イギリス、ノッティンガムでソーシャルワーカーとして働くマーガレット・ハンフリーズ(エミリー・ワトソン)は、ある晩、養子に出された人々をサポートする座談会を終えて帰ろうとしたところで、シャーロットと名乗る見知らぬ女性から「オーストラリアから来た。私はイギリスで生まれてオーストラリアに送られた。実の親を探している。自分が誰なのか知りたい」と声を掛けられる。

 最初は「そんなことは違法だからあり得ない」と取り合わなかったが、シャーロットの切実な訴えに疑問を抱き、調べ始める。その数日後、座談会で、「オーストラリアの男性から、私はあなたの弟だと思う」という知らせを受けた、という女性の話を聞き、マーガレットは本気で調査を始めることに。

 果たして、シャーロットの訴えは事実であった。かつてイギリスは、施設に保護されていた子どもたちを、親の同意も得ずにオーストラリアに大量“移民”させていた事実が浮かび上がる。オーストラリアへ調査に飛んだマーガレットが見たものは……。

 あの、ケン・ローチの息子、ジム・ローチの監督デビュー作。


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 岩波ホールも13日から再開。再開のプログラムは「岩波ホールセレクション」と題して、過去の上映作品の中から選りすぐりの名作を再上映。第一弾が、本作でありました。日本で公開されたのは2012年。公開時は、見に行きたかったのだけれど、何だかんだと結局行けずに終わってしまっていた。今回、思いがけないリバイバルの機会に恵まれ、見に行って参りました。


◆児童移民

 イギリスが子どもたちを大量にオーストラリアに移民させていた話らしい、、、という程度の前知識で見たのだが、内容の重苦しさの割には、暖かみの感じられるキリッと引き締まった良作だった。

 マーガレットが身を挺して活動したことで、“児童移民”の事実が明るみに出て、移送された大勢のかつての子どもたちが自分のルーツを知ることができたのだが、彼女の行動の原動力は、国家犯罪を暴くとか政府を糾弾するとかでは一切なく、飽くまでも、被害児童たちの「親に会いたい」という思いに応えたい、というところにある、ということが一貫して描かれているのが好感を持てる。それをエミリー・ワトソンの演技が説得力を持って見ているものに訴えてくるのが素晴らしい。

 被害の実態は、再現映像は使わず、大人になった児童移民させられた本人たちの語りで明らかにしていくというのも良いと思った。あまりにも悲惨な内容だからというのもあるが、本人たちの抱えてきた苦しみがよりストレートに伝わってくる。決して、「辛い」「哀しい」というような単純な言葉で表現できるものではないということが、彼らの訥々とした語りに凝縮されている。

 オーストラリアで単身調査を続けるマーガレットには、妨害行為に及ぶ教会関係者たちもおり、彼女は身の危険を感じながらの活動を続けてきたわけだ。もちろん、そんな彼女を手助けする者たちもいるが、それはかつての移民児童たちであり、飽くまでもマイノリティである。マジョリティはそんな出来事にそもそも関心もないのである。

 そんな内容なのに暖かみが感じられるのは、ひとえに、マーガレットを演じるエミリー・ワトソンが素晴らしいことに尽きる。前述したとおり、彼女の活動は、飽くまでも被害者目線で、正義の味方を気負っていない。彼女が活動することにより、被害者たちの凍っていた心が少しずつ氷解していくから、悲惨な事実の冷たさよりも、救われる暖かみが勝るのだろう、、、と思う。


◆またもや教会が悪の巣窟、、、

 それにしても、この“児童移民”はついこないだと言ってもよいくらいの1970年まで4世紀にわたって続いていたというのだから驚きだ。もちろん、この政策は非人道的ではあるが、この児童たちはイギリスでも生育環境が劣悪であった者が多く、移民されていなければストリートチルドレンになっていたか、裏社会の餌食になっていたか、、、いずれにせよ、イギリスにいた方がマシだったという保証はないのである。

 この事実で、最悪なのは、仲介した組織(主に教会)が、搾取していたことだ。つまり、児童たちを過酷な労働につかせ、虐待し、大人たちの都合の良いように扱っていたことにある。特に、教会に送り込まれた子どもたちは、多くが性的虐待に遭っていたことが窺われる。

 正直、またかよ、、、、という気分になった。もう、これって普遍的な現象といってもよいのではないか。キリスト教だけじゃないだろう、多分。映画になっているのはカトリックが多いけれども、宗教の持つ体質が、そもそもハラスメントを産みやすい仕組みになっているんだから。……というより、人間社会にはハラスメントが付きものだと言っても過言じゃないかもね。

 マーガレットに最初はネガティブな態度だったレン(デイヴィッド・ウェナム)が、徐々に心を開いていくのだが、彼は「8歳を最後にオレは泣き方を忘れた」と言っている。レンの悲惨な体験の場となった教会を2人で訪れた後、マーガレットは精神的にヘロヘロになるのだが、レンは「何も感じない」と言って、飄々とさえしている。この終盤のシーンは涙を禁じ得ない。

 この政策については、本作撮影中に、イギリス、オーストラリア両政府が正式に謝罪をしている。

 どの国にも恥ずべき歴史は必ずあるわけで、それを認めて謝罪するというのは、非常に難しい。人道的に謝罪したいと時のトップが考えても、補償問題が併せて発生することを思えば、容易に行動に移せないのも仕方がない。だからといって、事実を否定して良いはずはなく、日本にとっても何十年もの課題だが、帝国主義の名の下に植民地政策や奴隷貿易を推進してきた欧州各国はこれから直面することになるかもね。日本の場合は、隣国が、アフリカよりも早く国力を付けたから、欧州よりも早く直面せざるを得なかったわけで。欧州の対応次第では、日本はさらに窮地に立たされるかも知れない(欧州が歴史修正などせず誠実に対応して思いのほか早く結着した場合、日本の隣国の責めは苛烈さを増すだろうから)。


◆その他もろもろ

 エミリー・ワトソン、とっても素晴らしいのだけれども、実年齢以上に老けて見えたのは気のせいか、、、。ボクサー(1997)でDDLとのラブシーンを演じていた頃の可愛さは、、、、。と言っても、あの映画も彼女が30歳の頃だから、もう十分大人の女性だったのだけれども。

 私がグッときたのは、エリザベスの夫マーヴの素晴らしさ。あんなに妻に寄り添える男がこの世にいるのか、と信じられない思いで見ていた。もちろん、映画だから美化している部分もあるだろうが、現実に、この夫婦は今も活動を続けているというのだから、やはり妻の最大の理解者であることは間違いないだろう。こんな伴侶を持てるというのは、お互いにとってとても幸せだ。

 監督のジムくんは、ビッグネームの父親を持っていろいろプレッシャーがあったと思うけれど、デビュー作でこの完成度の高さって、やはり“血”なのかねぇ? 本作を撮る前にもドキュメンタリーを何作か撮っているらしいが、ドキュメンタリーとドラマじゃ、やっぱしゼンゼン違うと思うのよね。

 インタビューで「“ローチ”という姓を持つことの良い面・悪い面は?」と問われて「僕にはどうにもできない」と率直に答えているが、そんな陳腐な質問すんなよ、って話。お父さんとの関係は、とっても良好の様子。

 本作の後には、何か撮っているのかしらん? まあ、才能はあるようなので、是非、精力的に活動していただきたいものです。

 

 

 

 

 


「毎朝オレンジが食べられるよ」と言って連れて行かれた豪州で待っていたものは……。

 



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お名前はアドルフ?(2018年)

2020-06-17 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71093/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 それは愉快な夜になるはずだった。

 哲学者で文学教授のステファン(クリストフ・マリア・ヘルプスト)と妻エリザベス(カロリーネ・ペータース)は、弟トーマス(フロリアン・ダーヴィト・フィッツ)と恋人、幼馴染の友人で音楽家のレネを自宅でのディナーに招く。

 しかし、出産間近の恋人を持つトーマスが、生まれてくる子どもの名前を“アドルフ”にすると告げたことから、事態は思わぬ展開に。“アドルフ・ヒトラーと同じ名前を子どもにつけるのか? 気は確かか!?”と、友人のレネも巻き込む大論争の末、家族にまつわる最大の秘密まで暴かれる羽目に。

 やがて、その話はドイツの歴史やナチスの罪にまで発展。ヒートアップした夜は、一体どこへ向かうのか……?

=====ここまで。

 邦題から、ナチ映画を連想するかも知れませんが、さにあらず。フランスの戯曲を、本家ドイツで映画化。


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 2月11日以来、4か月ぶりの劇場鑑賞。いやぁ、、、こんなに長い間、映画館に行かなかったのなんて、いつ以来かしらん?? 仕事帰りにシネスイッチ銀座で見て、終わってから夜の銀座を歩いたけれど、金曜の夜の銀座とは思えない閑散ぶり。人を避けずに真っ直ぐ歩けるなんて。宣言解除されてこれなのだから、解除前はゴーストタウンだったに違いない。

 映画ファンの間ではSNSなどで、“映画館が再開されてスクリーンで映画を見られたら泣く!”というような書き込みがチラホラあったけど、私は映画好きを自認しているけど、別に泣けもしなけりゃ涙も出なかった。ただ、宣言下ではまるで劇場に行く気がしなかったけど、解除されて劇場再開の報を聞いたら、また脳ミソが元のモードに勝手に戻っているのには我ながら笑ってしまった。

 ……というわけで、久々に見たのはドイツのシチュエーション・コメディでありました。


◆アドルフに告ぐ

 国書刊行会から、手塚治虫「アドルフに告ぐ」の豪華本が刊行されていて、これが2万円強もするのだけれど、欲しいなぁ、、、と思って某通販サイトをしばしば眺めている日々。給付金10万円が振り込まれたら申し込もうかな、、、などとセコいことを考えているところへ、本作の情報に触れたものだから、これまた“ナチもの”か? と思ったけれど、蓋を開けてみれば、そんな単純な映画ではありませんでした。

 ちなみに、「アドルフに告ぐ」では、アドルフという名の3人の人物を軸に物語が展開される。けれど、本作では、生まれてくる子にアドルフという名をつける、、、というのは、ストーリーを展開させる起爆剤に過ぎない。邦題は、それを狙ってのことかどうかは分からないが、かなりのミスリード。現代はドイツ語で“ファーストネーム”という意味らしいので、この邦題はどうなのか、、、。

 本作に一貫しているのは“人はいかにイメージでモノを見て判断しているか”ということ。それを、歴史や経済やジェンダーなどを肴にいろいろな角度から浮き彫りにしていくその脚本は、お見事と言うほかない。

 アドルフと名付けると聞いたときの大人たちの顔が、一様にフリーズしているのが可笑しい。日本ではそんなネガティブな意味でタブーなお名前、ないよねぇ。東条英機の「ヒデキ」なんて、タブー感、まるでないしね。むしろ、ヒロヒトとか、アキヒトとかの方がタブー、不謹慎かしらね。大分前に「悪魔くん」騒ぎがあったけれど、強いて言うならば、本作のパンフにもあるが、「子どものファーストネームで両親の精神が分かる」という側面はあると思う。

 トーマスは、皆に子どもの名前をアドルフにすることについて「(恋人の)アンナは賛成しているの?」と聞かれるが、それには答えず「(アンナは)ストレスで煙草ばっかし吸っている」と口走ると、皆一様に「妊婦のくせに喫煙しているのか?」とか「けしからん」という反応になり、「そんな女のことだから、アドルフなんて名前をつけることに頓着しないんだ!」と勝手に話が進んでしまう。トーマスは何も言っていないのにね、、、。

 さらに、母親が喫煙していると、「産まれてくる子の背が低くなるって聞いたことがある」「背が低いと社会的に不利だ」、、、などとステファンとエリザベスの夫婦は心配しているんだけど、それに対してレネが「じゃあ、プーチンは? トム・クルーズは?」と突っ込む辺りは、ドイツ人っぽいかもネ。劇場でも笑いが起きていた。

 アドルフという名前が引き金になって、いろんな偏見・思い込み・決めつけの言葉が飛び交うことになる。

 
◆ジェンダーの根深さ

 私が本作を見ていて序盤から気になっていたのは、アドルフのことではなく、エリザベスが一人でキッチンとリビングを行ったり来たりして食事の支度や片付けに追われていることだった。序盤に出ている4人のうち、女性はエリザベス一人。ドイツでもそうなのか、、、と。しかし、元はフランスの戯曲だから、ということは、フランスでもそうなのか、、、と。しかも、男3人は手伝おうともしないのだ。

 4人で話していて、話が佳境に入りそうになると、エリザベスはキッチンに行かなければならなくなる。「私が戻ってくるまでその話はちょっと待って」と頼んでおいても、戻ってきたら、男3人で話が進んでしまっている。私がエリザベスなら、男たちにもどんどん仕事振るのになぁ~と思いながら見ていた。

 すると、やっぱりこのことは伏線になっていたのだった。終盤にかけての展開は、エリザベスにフォーカスされるんだが、ここでエリザベスが吐くセリフが、いちいち説得力があるのは、そういう中盤までの描写があったからなわけで。エリザベスは、私より少し上の年代の設定になっているが、まあ、それくらいの年代だと、ドイツでもやっぱりそうなんかなぁ、、、という気もした。ジェンダーが根強く残っているのは、何も日本だけではないのだ。

 途中から、アンナが登場し、女性が増えると雰囲気が少し変わる。とはいえ、そこは、単純に男VS女などという図式にはもちろんならない。

 ちょっと、ポランスキーの『おとなのけんか』に似ているかな。あの映画ほど登場人物が戯画化されてはいないけれど、対立軸がコロコロと変わるところなどは同じ手法のように見える。『おとなのけんか』の方が、かなり意地悪な気はするが。

 舞台となるステファンとエリザベスの家がとってもステキで、インテリアにやたら目が行ってしまった。あんなステキな家、1週間くらい滞在してみたいわ~。掃除とかお手入れとか凄く大変そうなので、住んでみたいとは思わないけど。外観や庭も、上品でうっとりしてしまう。

 終盤に、え゛~~!な展開が待っていて、それが結構微笑ましいエピソードでもあり、その辺りが『おとなのけんか』よりマイルドだと感じた次第。ただ、え゛~~!な理由は人によるみたいだけど。私はレネがゲイだとはゼンゼン思っていなかったので、そこは別にえ゛~~!ではなかったんだけど、彼をゲイだと思って見ていた人も結構いるようなので、その人たちにとってはえ゛~~!がより大きかったみたい。……ご覧になっていない方には何のことやらさっぱりだと思いますが。
 


 
 

 


アドルフと名付ける予定だった(?)赤ちゃんは、女の子でした。

 

 

 


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オーガストウォーズ(2012年)

2020-03-20 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv53373/


以下、TSUTAYAよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 2008年8月。モスクワに暮らすシングルマザーのクセーニアは、南オセチアで平和維持軍の任務につく元夫ザウールに“息子にもこの自然を味わわせてやりたい”と頼まれ、幼いチョーマを彼に預ける。ところがその直後、グルジア軍が侵攻し、ロシア軍との戦闘が始まる。

 チョーマの身を案じたクセーニアは、危険を顧みず自らチョーマを救い出すべく最前線へと向かうのだったが…。
 
=====ここまで。


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 ロシアに行く前に見ようと思って借りていたけど、見たのは帰って来てから。なぜこれを選んだかというと、『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』に出ていたマクシム・マトヴェーエフが出ているから。『アンナ~』では不倫貴族男を演じていたけど、本作は戦争アクション映画みたいだから、ちょっとどんなんだろう??という好奇心で見てみた次第。

 とは言うものの、TSUTAYAの作品紹介には「南オセチアの独立を巡ってグルジアとロシアが戦争状態となった2008年の事件を背景に、ロシア軍の全面協力で描く迫力の戦争アクション。リアルな戦場で繰り広げられる巨大ロボットのバトル・シーンも見どころ」などと書いてあり、「巨大ロボットのバトル・シーン」て文字を見て勝手に“ロシアのB級映画”だと思い込んでまったく期待していなかったんだけど、これが見てビックリ、チョー面白い!! とんだ掘り出しモノに出会いました。


◆ナニコレ??なオープニングに引くが、、、

 いきなりロボットファンタジーみたいなシーンから始まり、ナニコレ? 戦争モノちゃうの??と思ったのだが、そのファンタジーは、少年チョーマの妄想の世界を描いていたのであった、、、。

 と、ここで、“あ゛~、やっぱしハズレかぁ……”と頭を抱えそうになったのだが、CGが結構よく出来ていて、その後、ハイウェイを母親のクセーニアが運転する車で走っていると、後ろから巨大ダンプカーが迫ってくるシーンで、その巨大ダンプカーが悪の巨大ロボットに変化してチョーマの乗っている車を襲おうとする映像など、かなり目を見張るものがあり、そのまま見続ける。

 で、クセーニアがチョーマを救出に行こうと空港から乗ったオンボロバスがミサイルに襲われて真っ二つになる寸前で崖から宙づりになった辺りから、俄然面白くなり、もうあとは最後まで息つく暇もなく食い入るように見てしまった。

 実際は、巨大ロボットのバトル・シーンというようなものはほとんどなく、めちゃくちゃリアルな戦争が描かれた、非常にシビアな映画だったのである。冒頭のファンタジーな雰囲気とは打って変わって、途中は人がこれでもかというくらいに死ぬし、戦車や戦闘機や武器がジャンジャン出て来て、いやもう、、、見ていてずっと緊張を強いられるシーンの連続なのだ。132分というやや長尺なこともあり、見終わってドッと疲れる。けれども、決して不快な疲れではない。

 まず、ロボットの使い方が結構上手い。つまり、チョーマにとって辛い場面(祖父母や父親が殺されるところとか)は、味方は良いロボットに、敵が悪のロボットとなって置き換えられるので、凄惨を極める残虐シーンが回避されている。これが物足りないという向きもあろうが、私は、こういうのもアリだと思った。チョーマには、現実の世界がそのように見えていたのであり、終盤、その妄想から脱することになるのだが、それがチョーマの成長を暗示することにもなっており、仕掛けとしてはナイスアイディアだと思う。

 あと、本作は、若いシングル・マザーで、まだまだ恋もしたいギャル要素の強かったクセーニアが、愛する我が子を救うために命を懸けて行動することにより、彼女も成長するという物語になっているのだが、過剰な“母の愛”描写はなく、ただただ子を助けたいというシンプルな動機付けが好感を持てる。リッチな軟弱男と結婚をもくろむギャルだったのに、随分急な変わり様な気もするが、これは後述するが、よく考えれば当然とも言える。それに、序盤の描写で、ギャルママ・クセーニアがチョーマを大切に可愛がっているシーンもちゃんと描かれているから、ま、いっか、と思える。

 そして何より、ロシア軍協力の戦闘シーンの凄さ。本作の映画としての価値の半分以上はこの戦闘シーンにあると思った。決して、カッコ良く描くなどということはせず、なかなか泥臭いシーンも多い。細かいところまで非常に気を配ったリアルな演出で、これは劇場で見ていたら、かなり恐怖感を抱いたのではないかと思いながら見ていた。派手にミサイルが飛んできて爆破されるシーンと、泥臭い市街戦と、人が人形みたいに死んでいくのと、、、戦争とはこういうものなのだと改めて見せつけられる。

 CGもなかなか良くて、戦車が宙を舞って地面に逆さまに突き刺さるとか、もう唖然となるようなシーンのオンパレード。これは、ミリオタの人が見ても十分満足できる仕上がりなのではなかろうか。私はCG詳しくないからアレだけど。ネットでメイキングの動画もあり、面白かった。


◆ロシア軍全面協力

 本作は、ロシア軍の全面バックアップだから、当然、ロシア目線で描かれている。ネットで“プロパガンダ映画”と書いている人もいたが、戦争映画のほとんどは、どちらかの立場で描いているのだから、むしろそんなことは当たり前なわけで、何を今さら、という感じだ。本作では、敵のグルジア(現ジョージア)兵については、1人を除いて、全く顔が分からないように撮られている。その1人というのは、終盤、クセーニアの逃亡を助ける兵で、この辺はロシアの配慮か? グルジア側から描けば、ロシアはそれこそ悪の化身で、ロシア兵は極悪非道なんだろう。

 背景となった南オセチアをめぐるロシアとグルジアの戦争については、何となくそのニュースを覚えている。チェチェンとか、このコーカサス地方は色々複雑で、ちょっと怖い、、、というイメージばかりで、私自身あまりにも無知である。

 前述したように、戦争とは、結局、どちら側から見てもそれなりに“正義”があり、どちらかだけが正しいということはあり得ない。チョーマが訪れた実父の実家は、国境に近く、もの凄い山岳地なのだが、ここも、この戦争でもしグルジアが勝っていれば、今はジョージアになっていたかも知れない場所なのだろう。ロシアが制圧したことになったため、結局、事実上独立した、ということのようだが、、、。

 だからもし、クセーニアがチョーマを救出できず、ロシアが負ければ、クセーニアとチョーマは下手すれば生き別れで死ぬまで会えない可能性があったということになる。そりゃ、クセーニアがギャルママから一転、髪振り乱して救出に向かう肝っ玉母ちゃんに変身するわけだ。

 今もジョージアのロシア国境地帯や南オセチアは渡航中止勧告地帯の様だし、コーカサス一帯も行きたいけれども、ハードル高そうだ。


◆マクシム・マトヴェーエフさまとか、その他もろもろ。

 で、肝心のマクシム・マトヴェーエフさまであるが、ヴロンスキーもステキだったが、こっちの斥候役リョーハも、カッコえがった!

 クセーニアとは、バスの事故後に出会い、その後、離れたり、また会ったりしながら、途中からは完全にクセーニアがチョーマを救出に行く手助けをすることになる。

 部下が、クセーニアのミニスカからのぞくキレイな脚を覗き込むと、無言で「やめとけ」と言わんばかりに肘で部下を押し返したり、クセーニアの手助けをすると決めてからは「ちゃんとベルトに掴まってろ、足手まといになったら俺が射殺する」などと無表情でクセーニアに言い放ったり、まあ、それはそれは凜々しく頼りになるお兄ちゃんである。こんなエエ男が現実にいるとは思えないが。そう言われたときのクセーニア、完璧に参ってたね、あれは。……ていうか、あれは参るでしょ。

 まあ、端正な顔立ちと長身で、ヒロインにとっては勇気百倍だわね。

 クセーニアがモスクワで小金持ち男とモメるシーンがあるんだが、エレベーターの中で、クセーニアがいきなりオーガズムの振りをするという、、、あの『恋人たちの予感』のオマージュか、というようなシーン。……というか、この辺、別になくても良くない?というシーンなんだが、まあ、面白かった。ここでそんな痴話喧嘩をしたことにより、クセーニアははるばる国境までチョーマを迎えに行く気になるのだからね。

 でも、無事、チョーマを救出してモスクワに戻ったクセーニアは、、、というのが、ラストシーン。痴話喧嘩をした小金持ち男からの留守電メッセージがいくつも流れているシーンなんだが、最後には別の声が……。声の主は、、、もちろんリョーハなんだが、このラストシーンの意味が分からん!!と怒っている男性がネットにいたが、分からん方が分からん、、、。

 あんな経験したら、小金持ちであることに価値が感じられなくなるでしょ。小金持ちのセコい男より、安月給でも命懸けで行動してくれる男の方が、そらええわ。

 マクシム・マトヴェーエフさまの株が、私の中で上がっております。

 

 

 

 

 


ミサイルが飛んでくる山岳地帯の風景がとっても美しい

 

 

 

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おろしや国酔夢譚 (1992年)

2019-12-29 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv27373/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1782年、伊勢出帆後に難破した光太夫らは、9カ月後に北の果てカムチャッカに漂着する。

 生き残ったわずか6名の日本人は、帰郷への手立てを探るためにオホーツク、ヤクーツク、イルクーツクと世界で最も厳しい寒さと戦いながらシベリアを転々とするが、土地土地で数奇な運命に翻弄される。そして、凍傷で片足切断した庄蔵は日系ロシア人のタチアナに手を引かれるようにキリシタンとなり帰化、若い新蔵はロシア女ニーナと恋におち姿を消した。

 一方、光太夫は学者ラックスマンを通じ、初めて見る文化に強い衝撃を覚え、この感動を故国へ伝えたいと帰国への執念をなお燃やすのだった。そして、最後の望みを賭け、エカテリーナ二世への直訴を決意、首都ペテルブルグに向かった。

 ラックスマン、ベズボロドコ伯爵、女王側近ソフィアの協力を得て、ついに光太夫の熱い想いは女帝の心に通じ、光太夫、小市、磯吉わずか3人だが、1792年、実に9年9カ月ぶりに帰国を果たし根室へ着く。

 だが、鎖国中の幕府は彼らを迎え入れようとはせず、小市は病死、光太夫、磯吉も上府、雉子橋外の厩舎に留置されるが、やがて松平定信のはからいで光太夫は幽閉という扱いで、迎え入れられることになるのだった。

=====ここまで。

 井上靖の同名小説が原作。


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 今年も早終わろうとしているけれど、これほど年末感のしない年末って初めてかも……。年末年始休暇に入ったはずなのに、何だか普通の週末と同じ感じ。……まあ、これから一気に押し寄せてくるのかも知れませんが。

 で、年が明けたら、2月末におそロシアに行くことにしたので、ちょこちょこロシアものを見ていこうと思い、まずはこの映画から見てみました。


◆船乗り 光太夫

 ネットで感想をいくつか見てみたんだけど、あんまし評判がよろしくない模様。ほとんどが、「話の筋をなぞっただけで深みがない」というような理由からだった。……まぁ、一理あるけど、私は結構楽しめた。

 まず、あの時代(まともな世界地図など見たことがない人がほとんど)に、流れ着いた異国=ロシアであれだけのことを成し遂げた大黒屋光太夫という人の知力・胆力に驚嘆した。もう、ただただ凄いとしか言い様がない。

 よりによって寒いロシアに漂着するとは……。暖かい土地だったら、彼らの苦労ももう少し軽く済んだかも知れぬ。帰国できた人数も増えたかも。

 しかも、その寒い土地の、一番寒い時期に敢えて長距離移動するという、、、。光太夫は「今はダメだ」と言ったものの、彼の部下たちの懇願に抗しきれなかったことになっているが。あれでよく生きて目的地まで辿り着いたもんだと、オドロキ。

 その移動で、トナカイや馬を使っていたんだけれども、あれは現地の人が提供してくれたのかな?? まさか彼らが自力で調達できるとは思えないし。そうしてみると、当時のロシアの人々は結構、漂流民に親切だったのだなぁ、と感じた。

 今だったら、漂流民など即刻本国へ送還されるだろうに、当時は、漂流民を自国に取り込んで語学教師なんかさせるという、これもかなりびっくりである。いやぁ、映画ってホントお勉強になるわ。彼の地で現地の女性と所帯を持ったり、改宗したりする人もいて、時代は違えど、人の営みって根本的には変わらないんだろうな、なんて思ったり。

 光太夫はどうやらメモ魔だったようで、本作内でも終盤、大量のロシア滞在日記を役人に渡すシーンがあるが、そのおかげでこのような映画(小説)もできたんでしょうね。ロシア語の自作辞書なども見つかっているというし。一介の船乗りにしてこの知的水準の高さは恐れ入る。義務教育などない時代でも、読み書きは出来る人が多かったそうだし、今の日本人よりよほど勤勉で賢い人たちが多かったのではないか、、、などと想像してしまう。

 自分の国に帰りたい、、、というだけで、女帝の許しを得なきゃいけないなんて、なんということだ。……まぁ、だからこそ物語になるのだけれども、エカテリーナは、光太夫に会ってどう思ったのだろうか。本作のように、女帝の面前で光太夫が浄瑠璃の一節を披露したなんてことはないというが、小柄な極東の人間がロシア語を喋っているのを見て、何を感じたのか、是非聞いてみたいものだ。

 全編を通して、光太夫らの「祖国へ帰りたい」という強い気持ちが強く感じられて、ロシアをあちこち彷徨う間は非常にせつなく、やっと日本に帰ってきたらあんな扱いでやるせなく、ある意味、あまり救いのないところも、本作の評価がイマイチな理由なのかも知れない。


◆俳優 緒形拳

 それにしても、緒形拳という俳優は素晴らしい。私は、日本の女優で一番好きなのは昔も今も大原麗子さんなんだけど、一番好きな男優は、緒形拳かも。好きというより、掛け値なしに素晴らしいと尊敬する男優さんだ。

 役によってゼンゼン顔も雰囲気も変わってしまう。私の人生最初の緒形拳に対するイメージは“怖い”であった。大河ドラマ「黄金の日々」で秀吉を演じていたのだが、あのドラマで秀吉は悪役だったからってのもあるが、とにかく恐ろしかった。でも、その後、いろんなドラマで違うキャラを演じる緒形拳を見て、最初のイメージは呆気なく消え去った。

 その後、あるとき、たまたまTVで見掛けたドラマで、緒形拳と石田ゆり子が共演していた作品が非常に印象的で、今回、調べてみたら、川端康成の小説「母の初恋」を原作にしたドラマ「最後の家族旅行 Family Affair」だったと判明。そのドラマでの緒形拳は、憎めない優男っぽくて、石田ゆり子との抱擁シーンはとても美しかったのを何となく覚えている。

 他にも『鬼畜』でのダメ男っぷりといい、ドラマ「ナニワ金融道」でのコテコテ大阪弁の金貸しといい、まるで違うキャラを実に自然に演じておられた。でも、思うに、どの役にも通じているのは、彼の持つ色気だと思う。実際は堅物だったらしいし、決して女好きという感じはないのに、とっても色気があるんである。こういう雰囲気を持っている俳優さんは稀少ではないか。ここまで見事に硬軟両面を持ち合わせる俳優さん、ほかに思い浮かばない。強いていえば、渡瀬恒彦くらいかな、、、。でも、役者としての七変化っぷり(特に“硬”の方)は、やっぱし緒形拳に軍配が上がるだろう。

 光太夫が緒形拳だったから、楽しめたのかもなー、という気もする。もちろん、他の役者さんたちも頑張っていましたよ。沖田浩之なんて、懐かしい、、、。凍傷で脚を切断することになった庄蔵を演じた西田敏行も若い! 川谷拓三も懐かしいなぁ。……でもまぁ、やっぱしちょっと彼らの影は薄いよね。

 エカテリーナとの謁見シーンは、実際に、エカテリーナ宮殿でロケしたとのこと。恐ろしく“デカい”(大きいとかのレベルじゃない)宮殿であることが、テレビ画面からでも伝わってきて圧巻。さぞや光太夫は圧倒されたに違いない。どんな気持ちで女帝に会ったのだろう、、、と想像を巡らせてしまった。

 何はともあれ、何とか帰国できた光太夫。本作のラストは不遇のままで終わるが、実際は帰国後はそこそこ恵まれた境遇だったようで、それを知ってちょっとホッとした。原作を読んでみようと思う。
 

 

 

 

 

本作のロケをしたときは、まだ“ソ連”だった。

 

 

 

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小野寺の弟・小野寺の姉 (2014年)

2019-10-05 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv55185/

 以下、上記サイトよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 進(向井理)と姉のより子(片桐はいり)は、幼い頃に両親を亡くしてから20年以上、姉弟2人で穏やかに暮らしてきた。

 ある日、配達ミスで届いた手紙を受け取り相手の家に直接届けに行った進はかわいらしい女性・薫と出会い、かすかな思いが芽生える。進のことが気がかりなより子は、後日、薫と再会するも自分だけ連絡先を渡してこなかった進を怒るのだった。

=====ここまで。

 

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 小難しくない映画を見るの巻、第2弾。何でこれを選んだのか分からないけど、レンタルのリストの上位にあったのか送られてきたので見てみました。片桐はいりさん、結構好きだし。

~~以下、本作がお気に入りの方はお読みにならない方が良いかも、、、です。あしからず。~~

 

◆昭和のドラマかと思ったよ。

 これ、舞台になっていたのだそうで。監督が書いた原作小説を、監督が戯曲にして、主役姉弟を演じたのが、本作でも演じた片桐はいりと向井理だったと。へぇ~。

 ん~、まぁ、ぼけ~っと見たいと思って見たんだから、確かに頭は使わなくて済むんだけど、いかんせん、どうもむずむずしてきてしまった。

 何が起きるわけでもないストーリーといえば、あの『かもめ食堂』がある。どちらの映画も、出てくる人たちは、基本的には皆いい人たちで、ささやかなエピソードたちが物語を紡いでいく。しかし、この2作の決定的な違いは、登場人物たちの“自立度”だ。

 両親を早くに亡くした姉と弟が、距離が近すぎる関係になってしまうってのは分かるんだけど、本作の姉と弟の思考回路は周回遅れどころか、10周遅れくらいなんじゃねーの?と。つまり、2人とも「幸せ=恋愛=結婚」みたいな思考回路なんだよね。これいつの時代のお話?? 別に昭和の設定になっているわけじゃなさそうだし、21世紀の日本の話でしょ? ちょっとなぁ、、、そういう判断軸しか持っていない姉弟って、あまりにも精神的に貧しくない?

 まあ、それは百歩譲って良いとしても、この姉弟を囲む人たちがみんな同じ思考回路で動いているのが気持ちワルイ。一人くらい、もっと違う生き方や幸せがあるんだってことを体現している人がいても良くない? 何なんだこの人たちの住んでいる世界は。ある意味、ファンタジーだよねぇ、これ。

 んで、姉弟2人とも恋に破れたら、やっぱり姉弟が寄り添って近すぎる距離のまま仲良く暮らしましたとさ、、、って、まさに昔話。

 本作に通底するものは“本当の幸せって何?”ってことなんだろうけど、幸せの感じ方は人それぞれだから、本当もウソもないとは思うが、でも、何かに依存した状態で感じる幸せは、やっぱり“ウソ”だろう。ウソが言い過ぎだとしたら、砂上の楼閣、とでも言おうか。

 もちろん、現実世界では、このように兄弟姉妹が寄り添って生きているケースはゴマンとあるだろう。でも、これは映画だ。映画には、やはり希望があってほしい。閉じた現実など、スクリーンで再現されても“本当の幸せって何?”の答えにはなっていないと思うのだけど、どうだろう。

 この姉弟にとって、せめて姉弟のどちらか(ま、弟だろうね)がこの家から出ることが、互いの本当の幸せへの第一歩になるのだと、私は思うのだけど。自ら扉を開ける、、、それがベタであってもこういう作品では描かれて欲しい展開だ。

 まあ、この2人はこれでいいじゃない、、、という意見もあるとは思うし、それが間違いだと言いたいわけじゃない。それに、一緒に暮らしていても、互いに自立した関係ならば結構なこと。生き方に正解はないのだから。

 精神的に自立してこそ、幸せとは実感できるものだと思う。

 

◆その他もろもろ

 向井理は、朝ドラで水木しげるを演じていたときは、かなりマズイ、、、と思って見ていたが、本作ではまあまあ良かったと思う。はいりさんが上手いし存在感が圧倒的なので、イマイチ弱い感じもしたけど。

 それより、ドン引きしたのは絵本作家で進と恋仲になりそうになる岡野薫という女性を演じた山本美月。彼女は昨年だったか、ディーン・フジオカ主演のドラマでもヒドかったが、本作でも一人だけ学芸会レベルで浮いていた。おまけに、彼女の描いている絵本ってのが、これまた稚拙すぎてイタい、、、(これはもちろん彼女のせいではない)。演技のマズイ女優さんなんて大勢いるから、まぁ特筆事項でもないけど、彼女が出てくるとかなり白けたのは確か。

 はいりさんは、相変わらず突き抜けていた。独特の容姿で、本作でもそれがストーリー展開の暗にキモになっている。終盤、及川ミッチー演じる浅野に失恋した後、一人号泣するシーンは、思わずもらい泣きしてしまった。

 本作でもそうだけど、はいりさんは非常に服のセンスが良いと思う。自分の良さをちゃんと分かっているからこそのファッションだなぁ、、、と、いつも感じる。良い女優さんだ。

 

 

 

 

 

 

ひらまつ先生の言い間違いがゼンゼン面白くなくて困った、、、。

 

 

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