映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

すべてうまくいきますように(2022年)

2023-03-04 | 【す】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79186/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 小説家のエマニュエル(ソフィー・マルソー)は、85歳の父アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が脳卒中で倒れたという報せを受け病院へと駆けつける。

 意識を取り戻した父は、身体の自由がきかないという現実が受け入れられず、人生を終わらせるのを手伝ってほしいとエマニュエルに頼む。愛する父からの思わぬ発言に困惑するエマニュエル。つい「悪い父親よ。友達ならよかった」と嘆くが、「なら友達として手を貸すのよ」と友人から背中を押され、妹・パスカル(ジェラルディーヌ・ペラス)とともに父の最後の願いに寄り添うことを決意する。

 そして、フランスの法律では安楽死の選択は難しいため、スイスの安楽死を支援する協会を頼る。一方で、リハビリが功を奏して日に日に回復する父は、孫の発表会やお気に入りのレストランへ出かけ、生きる喜びを取り戻したかのように見えた。

 だが、父はまるで楽しい旅行の日を決めるかのように、娘たちにその日を告げる。

=====ここまで。


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 オゾン監督作品で、ソフィー・マルソーなんて懐かしい名前を見て、おまけにシャーロット・ランプリングもご出演ということで、劇場まで行ってまいりました。昨年、ゴダールが尊厳死したことが話題になりましたが、本作も、話のメインテーマは尊厳死です。


◆尊厳死における最大の問題は、、、

 描かれているテーマが重い割に、鑑賞後感は悪くない。同じ尊厳死映画『母の身終い』(2012)よりも、全編明るく、軽快でさえある。

 尊厳死は、いずれ法制化なり何なり、国民的な議論が必要になる時がくるだろうけれども、今のところ、私が思うには、尊厳死を選択する本人よりも、その周囲の人の心理的な負担が大きいことについて、どう対処するかが非常に難しいのではないか、ということである。尊厳死を選択する本人の心理的負担が軽いといいたいわけでは、もちろんない。

 これは、『母の身終い』でも感じたが、尊厳死を選ぶ人は、意志が固い。周囲の説得くらいでは、まったく揺るがない。尊厳死を選択する決断も早ければ、決断後の葛藤も少ない感じである。少なくとも、本作のアンドレに葛藤はまったく感じられないし、死への意志も揺るぎない。葛藤し、悩み戸惑いまくるのは、飽くまで周囲の人間たちなのだ。

 アンドレは元気なときからかなり奔放な生き方をしてきた人らしく、家族は振り回されて、妻は鬱になってしまっている。尊厳死を選択するにあたっても、正直言って、自分のことしか考えていないように見える。自分の人生、自分で決めて何が悪い!という感じ。『母の身終い』で尊厳死を選んだイヴェットは、アンドレに比べると実直に生きて来た人で、尊厳死を選ぶことへの葛藤も多少見られたが、決断後の意志は固かった。

 『母の身終い』もフランスでの話で、スイスへ行って実行するというのは同じである。違うのは、身内が立ち会うか、立ち会わないか。『母の身終い』では息子が立ち会うのだが、これが立ち会わなければならなかったのか、母親が立ち会いを希望したのか、記憶が定かでないのだが、立ち会わされる身内としては精神的虐待(拷問と言ってもよいかも)に近い。ただ、薬を自身で飲む、というのはやはり同じで、詰まるところは、自殺である。親が自殺するところを眺めていなければならない息子の気持ちは、察するに余りある。

 本作が『母の身終い』よりも重くなかったのは、本人を取り巻く子どものバックグラウンドの差にあるように思う。『母の身終い』での息子は前科者で、自立できていない典型的ダメンズだが、本作では、ソフィー・マルソー演ずる長女エマニュエルは作家、妹もちゃんと生活している人、妻は鬱だが芸術家で娘二人との関係は悪くない。『母の身終い』の場合、母親が死ぬということは、母親に依存しきってきたダメ息子にとって、この世で孤立無援になることと同義であり、なおかつ、母親の自殺の後ろ盾とならなければならないという、ダメ息子と母との立場が逆転せざるを得ないところに悲壮感が溢れた。けれども、本作の場合、特に長女のエマニュエルはしっかり者なので、放蕩父が最後の最期でまたトンデモなわがままを言い出した、、、という感じで、立場の逆転がない。だから、まったくこの父は!という娘たち認識の延長上にこの尊厳死問題が起きたということになる。

 そんなしっかり者のエマニュエルの視点で本作は描かれるが、どんなにしっかり者だろうが、やはり、親の自殺を幇助するためにあれこれ手続をする、その心理的負担は重過ぎることに変わりない。仮に合法化するとして、手続面については、きっちり厳格な法整備をすることは可能かと思うが、尊厳死における一番の問題は、やっぱりこの「周囲の者の精神的負担」をどうするかだと思う。これは、法律でどうこうできるものではない。


◆その他もろもろ

 ソフィー・マルソーを見るの、ものすごい久しぶりな気がするのだが、調べたら2009年に『真夏の夜の夢』(1999)の感想を書いているので、多分それ以来ではないか、、、。そもそも、私は彼女の代表作である『ラ・ブーム』も見ていないし、彼女のことは別に好きでも嫌いでも何でもないのだが、本作の予告編でイイ歳の取り方をしているように感じたので、見てみる気になったのだった。

 そして、本作でのエマニュエルとしての演技はとても良かった。全編通して、着ている物はシンプルなパンツルック、化粧っ気もなく、髪も無造作な感じで、ボクサザイズで汗を流し、ゴア映画大好きというキャラ。半面、歳相応に美しくて、素敵な中高年女性という人物像になっていた。父にウンザリしながらも、愛してやまないという感情の襞をうまく演じていて、演出も良かった。さすがオゾン監督。

 尊厳死を選ぶ本人アンドレを演じるアンドレ・デュソリエが、実に味わい深くて良かった。脳梗塞で身体の自由が利かなくなった演技が自然で、なおかつ、元気な頃に相当な自由人だったことがよく分かる佇まいというのは、なかなか出来る芸当ではないと思うので、素晴らしい。

 孫の音楽発表会を何としても見届けたいと言って、一旦、自殺の日程を延期するのだが、それでエマニュエルもアンドレが心変わりしてくれるかも、、、と一瞬期待する。けれども、アンドレの意志はゼンゼン変わっていない、という辺りがエマニュエルの心理的にはかなりツラい展開ではないか。まあ、ここまで本人の意思が固いと、却って遺される方も覚悟が決まる気もするが。

 最後の最後で、アンドレの軽挙によって、警察沙汰になりかけて決行の予定が狂いそうになる。このひと騒動があったおかげで、予定通りに事を運ばせようと、図らずもエマニュエルは父の決行に積極的に加担することになり、どさくさで悲嘆にくれる暇もなく、却って良かったのかも知れない、、、と感じた次第。

 ラストは、もちろん予定通りにスイスへ向かい、アンドレの意志は完遂される。

 

 

 

 

 

 


尊厳死の合法化は、やはりかなり難しいと思う。

 

 

 

 

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SKIN/スキン(2019年)

2020-07-19 | 【す】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70932/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 反ファシスト抗議を行う人々に、猛然と襲いかかるスキンヘッドの男たち。その中の1人、ブライオン・“バブス”・ワイドナー(ジェイミー・ベル)は、十代で親に見捨てられ、白人至上主義者グループを主宰するクレーガー(ビル・キャンプ)とシャリーン(ヴェラ・ファーミガ)の下で、実の子のように育てられた。

 筋金入りの差別主義者に成長したブライオンは、今やグループの幹部として活躍。タトゥーショップで働く彼の体には、鍵十字など、差別的なメッセージを込めた無数のタトゥーが刻まれていた。

 だが、3人の幼い娘を育てるシングルマザーのジュリー(ダニエル・マクドナルド)との出会いが彼を変える。

 これまでの人生に迷いを感じ始めたブライオンは、グループを抜け、ジュリーと新たな生活を始めることを決意。だが、前科とタトゥーが障害となり、なかなか仕事が見つからない。さらに、彼の裏切りを許さないかつての仲間、スレイヤー(ダニエル・ヘンシュオール)たちからも日々、脅迫が続いていた。

 家族の安全と自らの幸福との間で悩むブライオンに、反ヘイト団体を運営するダリル・L・ジェンキンス(マイク・コルター)が、転向の手助けを申し出る。ある裕福な女性が、彼のタトゥー除去に資金を提供するというのだ。過去の自分と決別するため、ブライオンは、計25回、16カ月に及ぶタトゥー除去手術に挑むが……。

=====ここまで。


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 ジェイミー・ベルが主演の映画ということで、見に行きました。Billy Elliotを演じていた、あんなに可愛かったジェイミーが、全身入れ墨だらけのレイシストオヤジになっていて、予告編で見ていたとはいえ、遠縁のオバサンとしては衝撃強し、、、。

 あ、遠縁のオバサンってどーゆーこと??と思われた方は、こちらへどーぞ。


◆ブライオンがなぜジュリーと出会って目覚めたのか。

 トランプが大統領やっているアメリカの現実と照らし合わせて本作が語られている場面が多い様だけれど、私は、正直なところ本作が「肌色や人種の差別」をメインテーマにした映画だとは思わなかった。

 「入れ墨=差別感情の象徴」ということで、とても画になりやすい話であり、実際ブライオンは入れ墨を消すことでレイシスト集団(ヴィンランダーズ・ソーシャルクラブ=VSC)から完全に足を洗ったわけだが、入れ墨がなくても犯罪者集団やカルト教団から足を洗って更生した話、なんてのはこれまで掃いて捨てるほど描かれてきているのであり、本作は差別感情を克服した話、みたいな位置付けになっているけれども、本質はこれまで量産されて来た“ある男の更生物語”であって、元居た集団がレイシスト集団だったというだけの話である。

 しかも、このレイシスト集団VSCだが、実態は非常にショボい半グレみたいな感じで、笑っちゃうほど幼稚な人間の集まりなのだ。この集団のボス夫婦が、ストリート・チルドレンみたいな恵まれない子どもたちを拾ってきては、レイシストに育て上げているので、教育は全くといっていいほどなっていない人間たちなのである。まあ、日本の暴力団と、あんまし変わらない仕組みだなぁ、、、と思って見ていた。だから当然、集団を抜けるのが非常に難しい。

 じゃあ、何でそんな困難を承知で、ブライオンはVSCを抜けようとしたか、といえば、それはもちろん、シングルマザーのジュリーと恋仲になったからだ。ただの恋愛でそこまで、、、??という感想がネットでも見受けられたが、、、。

 レイシスト集団てのは、基本マチズモ思想なんで、男は女を力で支配するのが集団の行動様式になる。実際、VSCのメンバーの若い女性とブライオンは身体の関係があるのだが、非常に暴力的な支配・被支配関係が成立しているし、ボス夫婦の妻・シャリーンは、ボスの妻だからこそメンバーたちにかしずかれているけれども、夫あっての存在であり、夫なくして彼女が集団を統率できる力なんぞは全くない。所詮、こういう集団での女の扱いなんてそんなもんである。

 しかし、ジュリーは、そんなブライオンのマチズモ思想を根底から覆す女性として描かれている。それは彼女が“3人の娘の母親”だからだ。これがただのバツイチ子ナシの女性だったら、かなりジュリーのキャラも変わっていただろう。ジュリーにとって、最優先で守るべきは3人の娘たちであり、ブライオンとの関係は二の次であると、ブライオンにはっきり言動で表わすことが、ブライオンのマチズモ思想を貫く障壁となるのだ。

 ルックス的にそれほど魅力的に見えない、元ヤンみたいに見えるジュリーが、どうしてそこまでブライオンを変化させたのか? というのが分からず、前述のようなネットの感想を持つ人もいるようで、中には「女性が見たら、ジュリーには共感できないでしょ」みたいなことまで書いている人もいたけれど、ここは本作のキモだと思う。

 大体、恋愛で“何であんなのに惚れるの?”なんてのは普通によくあることで、そんなん当事者じゃなきゃ分からんに決まっている。入れ墨だらけの顔の男でも、太めのコブ付き女性でも、惚れる人は惚れるんである。

 愛の力が差別主義者の男を更生させた! という見方もあるだろうが、恐らく、ブライオンはVSCでの生活に、無自覚であったにせよ疑問を持っていたか、嫌気が差していたんだろうと思う。そらそーだろ、あんな荒んだ生活の毎日、、、。そこへ、ジュリーというマッチョが通用しない女性に出会ったことで、疑問や嫌気をブライオンは自覚することになったんだと思う。というか、私の目にはそう見えた。


◆差別って何?

 というわけで、本作は差別克服映画というのとはちょっと違うと思うのだが、本作上映前に、上映された『SKIN 短編』の方は、モロに肌色差別がテーマの映画でありました。この短編は、本作制作の資金稼ぎのために作られたとのことで、併映していない回もあったが、私は折角だからと思って短編の方も見てみた次第。

 で、正直言って、短編の方がアイロニーが効いていて、面白かった。かなりシビアで怖ろしいブラックコメディだと思った。笑えませんよ、もちろん。でも、これはコメディでしょ。ラストのオチといい、これほどアイロニカルな話ってコメディじゃなくて何なんだ、という感じ。どうせなら、この話を膨らませて長編を描いても面白かったのに、、、。

 本作のVSCは、白人至上主義集団だが、バイキングの血を引いていると主張している“北欧神話馬鹿集団”らしい。何でわざわざ“馬鹿”を入れたかというと、そんな主張をしているくせに、バイキングのことも、北欧神話のこともゼンゼン分かっていないし学んでいないから。それは、本作を見ていてもよく分かる。ホント、中二病が北欧神話をツールに粋がっているだけなんである。馬鹿丸出しで、見ている方が恥ずかしくなってくるくらい、、、。

 まあ、こういう極端なのはむしろ分かりやすいけど、欧米に行くと、露骨なアジア差別に出くわすことはあるし、そもそも西欧の人たちはいまだに自分たちが世界基準と思っている節はあるし、米英人も英語をどこへ行っても堂々と喋って憚らない人たちなど、やっぱり自分たちが世界基準だと、もうこれは無自覚に思っているんだろう。そして、そういう無自覚な差別意識の方が厄介なんである。

 差別の根っこって、考えてみれば、“何となく嫌”という程度の感情なんじゃないかと思う。この直感的な嫌悪感は、防衛本能でもあるし、危険回避のためには欠かせない本能とも言える。何となく「嫌だな」と感じ、近付かない、遠ざかる、、、ことによって、大きな災厄を逃れる、ということは実際にあるだろう。例えば、「あの人、目つきがヤバい」と感じてちょっと離れたら、その人が急にナイフを取り出して通り魔に変貌した、、、とかね。でも、その人がたまたまちょっと体調が悪かっただけで通り魔に変貌しなければ、「ヤバい」と感じて離れたのはただの偏見&過剰反応である。

 人間、きちんと差別の教育をしないと、とんでもないレイシストに育つというのは、研究で明らかにされているらしい。なので、教育は大事である。けれど、同時に、人を見たら泥棒と思え式に、大人に声を掛けられたら不審人物と思え、と教えて、子どもに挨拶しただけで逃げられたとか通報されたとかという話を聞くと、もう、何をどうしたら良いのか分からなくなってくる、、、。

 露骨なヘイト集団は論外だと思うが、その一方で、ヘイト集団VSCのことを馬鹿集団と書いている時点で、これも十分立派な差別じゃないの??と。ヘイト集団に悪態をついているネットの書き込みも、それも差別の一種でしょ??と。自分は違うのよ~、的な物言いが、何かこう、違和感を覚えるというか。というわけで、私には、差別問題について、、、、どうすれば良いのか、正直言って、分からない。


◆ジェイミーとかもろもろ。

 で、ジェイミーなんだけど。

 この役を演じるに当たって、15キロも増量したのだって。道理で、体つきがゼンゼン違うと思った。遠縁のおばばは、あんましムキムキの身体は好きじゃないのよ。……あ、これも偏見・差別よね。

 序盤で、もろにヘイトな言葉を発しているシーンがあるんだけど、何か、ちょっと“頑張ってる感”が出ちゃってたかも。ラスト、入れ墨を全部キレイに消して、ジュリーのもとに戻ってきたときのブライオンは、ああ、ジェイミーだなぁ、、、という感じでホッとなる。ちょっと、はにかんだような、上目遣い。あー、ビリーの面影、、、あ、いや、ジェイミーだなぁと。

 このブライオンを演じた、次のお仕事が、『ロケットマン』だったとか。

 遠縁のおばばを自認しているくせに、ジェイミーの出演作、全然コンプリートしていないのよね、、、。見ていない作品、まだ一杯あるので、これから頑張って見るわ! とか言って『デスマッチ 檻の中の拳闘』も見逃したけど、、、。

 ジュリーを演じたダニエル・マクドナルドがとっても良かった! ぽっちゃり体型で、実年齢よりは本作では老けて見えたけど、演技は素晴らしい。

 あと、ボスの妻を演じていたのは、ヴェラ・ファーミガ。ほとんどノーメークみたいな顔だったから、最初??と思ったけど、やっぱりヴェラだった。何かちょっとヤバそうなオバサン(あ、これも差別かしら)で、見ていて怖かった。こんな人に執着されたら、そら、ブライオンも大変だわ。

 実際のブライオンさんの入れ墨除去後の顔が、エンドマークの後に出てくるんだけれど、かなりキレイに除去されていてビックリ。よ~く見ると跡が残っている所もあるけど、パッと見は全然分からない。今や技術も進んでいるのですね。
   

 

 

 

 

 

頑張れ、ジェイミー!!

 

 



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スターリングラード大進撃 ヒトラーの蒼き野望(2015年)

2020-03-22 | 【す】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/85917/


以下、DVD販売会社のHPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1942年、ドイツ軍はスターリングラードを目指し、ソ連軍に猛攻を仕掛けていた。

 劣勢な状況の中、攻撃体制の再編を行うようソ連軍の参謀本部に伝達を命じられた若き将校オガルコフ。しかし、予想を上回るドイツ軍の快進撃により、指令を伝えることが出来ず、部隊は壊滅状態に陥ってしまう。参謀本部は部隊壊滅の元凶を、オガルコフの指令伝達遅延によるものと責任を擦り付け、オガルコフに銃殺刑を言い渡すのだった。

 処刑までの間、オガルコフは独房に収容され、兵卒のズラバエブに監視されることとなる。日増しに激しくなっていくドイツ軍の攻撃。遂には参謀本部までもが戦場と化したため、オガルコフらは激戦をくぐり抜け脱出を図ろうとするが…。
 
=====ここまで。

 とんでもない“邦題詐欺”映画。この邦題をつけた意図はいかに、、、??


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 これも、ロシア行きの前に借りて、帰って来てから見た。ケースと中身が違うのか??と思わずDVDを確認するほど、この邦題は本作の内容とかけ離れている、、、というより、まるで別物。映画自体はなかなか味わい深い良作なだけに、この邦題はいただけない。

 蓋を開けてみれば、実に丁寧に人間ドラマを描いたロードムービーなのだった。“大進撃”の描写などまるでないし、ヒトラーは1秒たりとも登場しない。思わず、ケースとDVDのタイトルを確認するが、確かにケースと中身は一致しているので、ますます邦題に???となる。おかしな邦題には慣れっこだが、これはウルトラ級である。下手すると、詐欺だろう。偽装or虚偽表示に近い。

 ……まぁ、邦題についての文句はこれくらいにして。

 本作のキモは、オガルコフを監視する一兵卒であるズラバエブが(おそらく)モンゴル系であることだ。オガルコフは上記あらすじにもあるとおり“若き将校”で、それなりにインテリなのだろうが、ズラバエブは字が読めない・書けないという設定である。しかし、このズラバエブは愚直なまでに任務に忠実で、とにかくオガルコフを本部に届けることしか頭にない。

 最初こそ、オガルコフは石部金吉のズラバエブに八つ当たりするが、あまりの石部金吉ぶりに次第に呆れ、諦める。途中、味方の部隊に合流し、一応手柄を上げるのだが、そのままその部隊にいれば2人とも昇任できそうなのに、ズラバエブは「本部に届けなければいけない」といって、その部隊をオガルコフを伴って離れ、再び2人きりの旅に戻る。

 まあ、ロードムービーのお約束で、次第に2人は少しずつ心の距離が縮まるが、決定的な事件が起きる。味方の兵が瀕死の重傷を負って倒れているのを見付け、助けるが、広い河に出て来たところで、オガルコフは怪我人を筏に乗せ、「2人で筏を押しながら泳いで渡ろう」と提案するも、ズラバエブは返事もしない。何と、ズラバエブは泳げないのである。……で、結局、オガルコフは、怪我人をまず対岸まで筏に乗せて運んだ後、筏と共に此岸に戻ってきて、今度はその筏にズラバエブを乗せて、自らは泳いでその筏を押しながら河を渡る。

 つまり、オガルコフは逃げる機会があるのに、律儀に大河を2往復し、しかも、2往復目は自分の見張り役で泳げないズラバエブをご丁寧に筏に乗せてあげたわけだ。これを機に、ズラバエブはオガルコフの逃走を警戒しなくなり、オガルコフも自らの死が待つ本部へとなぜか自発的に進むのである。

 終盤の展開が、非常に切なく、多分、本作を見る人はほとんどいないと思うけれど、それでもその展開をここには書く気になれない。書いてしまうと、何というか、本作を冒涜してしまうような気がする。それくらい、私には非常に胸に迫るものがあった。ズラバエブの石部金吉ぶりが、この終盤の展開に非常に生きてくる。

 戦争の不条理さとか、まあ、いろいろ意味づけは出来るだろうけれど、やっぱり映画は人間ドラマを描いてなんぼだろう、、、と改めて思わされる映画だった。ヘンなタイトルだったけれど、見て良かった映画です。
 

 

 

 

 

 

もっとマトモな邦題をつけて、大切に上梓してほしいですね、こういう良作は。

 

 

 

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スターリンの葬送狂騒曲(2017年)

2020-01-17 | 【す】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64919/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。以下、よりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 “敵”の名簿を愉しげにチェックするスターリン。名前の載った者は、問答無用で“粛清”される恐怖のリストだ。時は1953年、モスクワ。スターリンと彼の秘密警察がこの国を20年にわたって支配していた。

 下品なジョークを飛ばし合いながら、スターリンは側近たちと夕食のテーブルを囲む。道化役の中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)の小話に大笑いする秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)。スターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)は空気が読めないタイプで、すぐに場をシラケさせてしまう。 明け方近くまで続いた宴をお開きにし、自室でクラシックをかけるスターリン。無理を言って録音させたレコードに、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」と書かれた手紙が入っていた。それを読んでも余裕で笑っていたスターリンは次の瞬間、顔をゆがめて倒れ込む。

 お茶を運んできたメイドが、意識不明のスターリンを発見し、すぐに側近たちが呼ばれる。驚きながらも「代理は私が務める」と、すかさず宣言するマレンコフ。

 側近たちで医者を呼ぼうと協議するが、有能な者はすべてスターリンの毒殺を企てた罪で獄中か、死刑に処されていた。仕方なく集めたヤブ医者たちが、駆け付けたスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)に、スターリンは脳出血で回復は難しいと診断を下す。

 その後、スターリンはほんの数分間だけ意識を取り戻すが、後継者を指名することなく、間もなく息を引き取る。

 この混乱に乗じて、側近たちは最高権力の座を狙い、互いを出し抜く卑劣な駆け引きを始める。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、マレンコフ、フルシチョフ、ベリヤに加え、各大臣、ソビエト軍の最高司令官ジューコフまでもが参戦。進行する陰謀と罠――果たして、絶対権力のイスに座るのは誰?!

=====ここまで。

 共産主義まっただ中のソ連で、スターリンの死の直後に起きたことをほぼ史実に沿いながらデフォルメして描いたイギリス映画。
 

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 実は、本作は公開時に劇場に見に行っているのだけど、前日の夜更かしが祟ったのか、不覚にも途中から間欠的に睡魔に襲われ、終盤覚醒したけど、感想を書くには見逃したと思われるシーンが多すぎたので、感想を書けなかったのであります。

 ただ、中盤まで面白かったし、覚醒以後~ラストもアイロニカルで好みだったので、非常に悔しくて、今回DVDで再見した次第。嗚呼、やっぱし面白いところを一杯見逃していたんだわ~。


◆バカ製造社会=独裁

 普段だと、ロシアものを英語で演じているっていうことに違和感バリバリなんだろうけど、本作は、そんなことはまったく気にならない、、、いやむしろ、英語で演じてくれているからこそ、見る方もちょっと引きで見ていられる感じがして良かったくらい。これ、ロシア語でロシア人が同様に演じていたら、正直言ってシャレにならなかったと思うのだ。当然、バカっぽい“ロシア語調英語”なんて愚策にも手を出さず、非常に真っ当に独裁体制を皮肉った劇映画に仕上げていて、とても面白い。

 スターリンが脳梗塞で自身のオシッコ沼の中でぶっ倒れているのに、側近たちは右往左往するだけ。笑っちゃうのが「(先の粛正のせいで)今街に残っているのはヤブ医者ばっかり」なんて言っているところ。これは実際そうだったらしく、優秀な医者たちはほとんどが収容所送りになっていたんだとか。医者を呼ぶにも、「誰が責任をとるか」で揉めて、誰も行動を起こさない。これも、スターリンにとってみれば、回り回って自業自得ってことなんだろうね。

 そもそもスターリンが倒れていることの発見が遅れたのだって、「呼ばれない限り扉を開けるな」と普段から警備の者たちに言っていたから。部屋の中で倒れる大きな音がしたところで、2人の警備員のうち1人が「中の様子を見ようか」と気に掛けても、もう1人が「殺されるぞ!」と一喝して終わり。

 それでも、スターリンは、スターリン自身が、まだそれなりの能力があったから独裁者として機能していたが、肝心の独裁者が死んだ途端、一気に全てが機能不全に陥るという、、、まぁ、当然と言えば当然の成り行きが展開される。

 機能不全になっても、どうにか体制を維持しようと、側近たちどうしで醜い争いが勃発するんだが、ついさっきまで過剰なまでに顔色を窺っていた主が死んだら、その死に顔に向かって「あばよ、クソじじい!」とか言っちゃう。……というか、死んでいる者にしかホンネすら吐けない。側近たちは皆、脳ミソを“いかに主に殺されずに生きながらえ、あわよくば出世できるか”にばかり使っているから、一人残らず脳が退化したような人間ばかり。

 ホント、独裁ってまるでイイとこナシなんだと改めて思い知る。


◆ベリヤ VS フルチショフ

 しかし、スターリンの葬儀に参列した一般人の中には、スターリンの遺体を見て、本当に哀しげに涙を流す者もいて、側近たちの中にも、自身の妻が逮捕されカザフスタンに追放されながらスターリンに心酔していた人(モロトフ)もいて、なんだかなぁ、、、という感じだった。

 まあ、本作は、側近たちのドタバタを描いているので、政治的にアンチ共産主義は出て来ないけど、この時代のソ連に生きていた人々のことを思うと、本作を見て無邪気に笑ってしまうことに罪悪感を覚えるのも事実。

 スターリンの後釜狙いの欲望剥き出しのベリヤが、他の側近たちに謀られて真っ先に殺されるのも皮肉であり、自業自得でもあり、、、。スターリンが死んだ途端に、真っ先に政策転換を図ろうとするのも、結局の所、自分が独裁者になるため。

 ただ、このベリヤが粛正される一連の顛末は非常に恐ろしくてゾッとする。ひとたび、コイツを消そう、、、と狙いを定められたら、もう逃げられないのがこの独裁体制なのである。狙いを定めるのに真っ当な理由などないのは当然。「アイツ、気に入らねぇ」これだけで十分なのだ。こんな所じゃ、そりゃ、誰もが生き残りのために全身全霊を傾けるようになるわ。

 本作は、ベリヤとフルチショフを軸に、セコい権力闘争が描かれるのだが、一般に言われている“フルチショフ=割とイイ人”的なイメージは全否定されているのがミソ。結局の所、彼もベリヤと同じ“変節漢”に過ぎないことが容赦なく描かれている。この辺りは、さすがに英国らしい猛毒たっぷりなんだが、おかげで、ロシアでは上映禁止になったのだとか。今の日本についても映画にしてもらえたら面白いと思うんだけど。日本では絶対作れないから。 

 ちなみに、ベリヤが真っ先に消されたのには、本作でもチラッと描かれているけど、ベリヤがとんでもない強姦魔だったこともかなり影響しているらしい。ベリヤのケダモノぶりがお知りになりたい方は、ネットで検索してください。いくらでもそれにまつわる記事が出て来ます。

 あと、ちょっと笑えたのが、スターリンの死んだ現場となった別荘を引き払う際に、使用人たちも別荘から追い出されるんだが、その中に、「彼らは影武者です」と言って、スターリンぽいオッサン3人が連れ出されてきたシーン。スターリンを演じたアドリアン・マクローリンに、激似ではない、やや似の顔立ちで、背は凸凹なオッサン3人が出て来たのが何とも言えず滑稽で可笑しかった。実際、あんなふうに影武者を密かに養っていたんだろうなぁ。

 ラストは、フルチショフが権力を掌握したところで終わるが、そんなフルチショフも失脚することが暗示されて終わるのがイイ。

 また、何年かしたら見直してみたい作品。
 

 

 

 

 

 

 

 


名前はロシアになったけれど、実態はどれくらい変わったのだろうか……。

 

 

 

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スリー・ビルボード(2017年)

2018-02-17 | 【す】



以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 ミズーリ州の寂れた道路に掲示された巨大な3枚の広告看板。そこには警察への批判メッセージが書かれていた。設置したのは、7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)。

 犯人は一向に捕まらず、何の進展もない捜査状況に腹を立て、警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)にケンカを売ったのだ。

 署長を敬愛する部下(サム・ロックウェル)や町の人々に脅されても、ミルドレッドは一歩も引かない。その日を境に、次々と不穏な事件が起こり始め、事態は予想外の方向へと向かっていく……。

 =====ここまで。

 予告編からシリアスなサスペンスを予想していたのだけれど、蓋を開けたらブラックコメディだった、、、ごーん。

   
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 何かを見に行った際の予告を見て、ううむ、、、と思いつつも興味を引かれたので、見に行ってまいりました。凄惨な事件が発端であり、かなりの暴力シーンもあるにもかかわらず、結構笑えるシーンが多くて、、、、笑っちゃった。


◆孤高のミル姐さん

 真っ赤なバックに黒い文字の告発文句の書かれた看板が3枚並ぶ。この光景だけでインパクト絶大。画になる。

 ……しかし、日本の警察も不祥事だらけでお粗末だけど、アメリカの、しかも田舎のそれは比べものにならないくらいにヒドイ様子。本作の舞台がミズーリに設定されたのも、ファーガゾン事件でその名が差別と格差のアイコンとなったからかも知れないけれど、それにしてもこのザマったらない。少なくとも、日本の警察署には、一晩中ちゃんと人はいるシステムになっているもんね。おまけに、警察官が一般市民をボコボコにしたら、さすがに大問題になるし、警察官は逮捕されること間違いナシだが、ミズーリでは警官クビになって終わり、、、ってホントかね? どっひゃ~、って感じだわ。そんなとこ住みたくないよなぁ。無法地帯やん。

 あれじゃぁ、そら凶悪犯罪の犯人でも捕まらんわけだ。署長がいくら地元民に慕われているっていったって、それとこれとは別の話だし。ミルドレッドがあのような大胆な行動に出るのも道理というもの。実際、看板が掲げられて警察は重い腰を上げているのだから、捜査の実態なんて推して知るべしだ。

 日本であんな看板が掲げられたらどうなるのだろうか、、、。と、想像してしまった。そもそも、看板を掲げてくれる代理店があるか、って話だよね、我が国の場合は。国家権力にケンカ売るなんてちょっと、、、と尻込みするんじゃないかね。特に今の日本ではそうなりそうな感じがする。仮に、看板を掲げても、アッと言う間にネット民の餌食になって、掲げた主も、代理店も、吊し上げられるのがオチだろうなぁ。

 まあ、本作でもミルドレッドは地元で白眼視されるんだけど、そこで怯まないのが素晴らしい。孤高の闘うアウトロー、、、ハリー・キャラハンとダブっちゃったわ。

 でもねぇ、、、そう思って見ていられたのも中盤まで。後半、警察署に放火するシーンは、ちょっとミル姐さんやり過ぎ、、、と思って引いてしまった。気持ちは分かるが、あの行為に大義名分はない。あそこまでやったら看板掲げた意義が根本的になくなっちゃう。……まあでも、これは映画なのだ。

 そんなアウトローなミル姐さんも、どこからか現れた野生の鹿に、ふと心を許して涙する、、、。また、何かと力になってくれる小男ジェームズに八つ当たりしてしまい、「しかめっ面の広告女でみんなを非難してばかり」と言われて、ひどく落ち込む、、、。

 とにかく、ミル姐さんの取り返しのつかない後悔の念と、怒りと、そのやるせなさで全編覆い尽くされていて見ていて辛い、、、、と言いたいところだが、それがそーでもないんだな、これが。


◆怒りはちゃんと表出した方が良い感情です。

 笑える、と最初に書いたけれども、何が笑えるって、ミル姐さんを取り巻く人々。

 サム・ロックウェル演じる警官ディクソン、ミル姐さんが看板を依頼する広告代理店のオーナーの兄ちゃんレッド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)、ミル姐さんの元夫、元夫の19歳の彼女、ミル姐さんを何かと助けるジェームズ、みんな一見ヤバそう、バカそう、、、で、実際、ヤバくてバカな一面をあちこちで発揮してくれるシーンが笑える。アハハな笑いじゃなくて、クスッ、とか、グフッとか、そういう笑い。あー、あるある、いるいる、、、え? いるかこんなヤツ!! みたいな。

 本作の面白さの最大の要素は、ここだと思う。つまり、どの登場人物も、全てしっかり多面体で描かれているということ。ヤバそうでバカそうな人々も、決してそれだけじゃない、ってこと。人間、そんな単純な生き物じゃないんだよ、って。

 ただねぇ、私は、だからこそ気に入らない展開が2カ所あったのよ。一つは、署長が自決しちゃうとこ。もう一つは、ディクソンが署長の手紙を読んで一瞬でイイ警官に豹変しちゃうとこ。

 署長の遺書が読まれても、何で彼が自殺しちゃったのか、今一つピンとこなかった。膵臓がんで治る見込みがなく、治療で苦しむから、、、みたいな内容の遺書だったけれども、どうせ死ぬんだとはいえ、幼い娘が2人いて、妻もいる身で、そらねーだろ、と思う。おまけに、あの状況で自殺すればミル姐さんがさらに追い詰められると分かっていての自殺。看板の維持費を罪滅ぼし(?)に遺してのこととはいえ、何だかなぁ、、、と。これは、私自身が自殺に対して非常に嫌悪感を持っているから、というのも大きいが、、、。そこに納得できる理由があれば別だけれど、この署長の自殺にはそれがないように思える。ただの自己完結。それって、究極のエゴじゃない? そして、ストーリーを面白くするため、といった発想から“自殺”を盛り込んでいるシナリオは、もっと嫌悪感を抱いてしまう。本作がそうなのかは正直分からないのだけれども、あそこで署長が自殺する必然性が感じられない。展開上、見ているものを裏切るための“ツール”として自殺を選択したのだとしたら、脚本家としては尊敬できぬ。

 そして、ディクソンの豹変については、あまりにご都合主義な感じを受ける。ならば、署長が生きている間にどうしてイイ警官になれなかったのさ。署長を慕っていて、署長にも可愛がられていたのに。おまけに、命の危機を省みずに、よりにもよって毛嫌いしているミル姐さんの娘の事件のファイルを抱いて火の海の中を脱出する、ってのは、、、ううむ、これは映画だからってことで納得するしかないのか?? まあ、生きている好きな人に言われる言葉より、死んだ好きな人に言われたような気になる手紙の言葉の方が、心に沁みる説得力があるのは分かりますけどね。それにしてもね、、、というツッコミは、イチャモンに近いんですかね?

 本作のキーワードは“怒り”だそうで、元ダンナのおバカ彼女のセリフ「怒りは怒りを来す」のセリフに集約されていて、怒りが物事を悪い方へ持って行くみたいなニュアンスだけれど、怒りって大事な感情なんだよ。あんまり理性でコントロールしすぎるのも良くないと思う。きちんと、怒りは怒りとして表に出さないと。怒りは怒りを来すかも知れないけれど、怒りを封じ込めると、それは恨みとか、念とか、もっと厄介な感情に変質していくんじゃないかなぁ。だから、ミル姐さんが看板掲げたのは正しい怒りの表現だったと思う。警察署に放火したのは、正しくない怒りの表現だったけどね。……というか、あの放火は、怒りと言うより、ヤケクソ、八つ当たり、って感じかな。

 まあでも、ラストシーン、ミル姐さんとディクソンがアイダホに向かう車の中で、「それは道々決めよう」と話して終わるのは良かった、、、。怒りを、恨みにしなくて済みそうな余韻が良いと思う。


◆その他もろもろ

 なんと言っても、ミル姐さんを演じた、フランシス・マクドーマンドが素晴らしかった。もう、男か女か分からないユニセックスな感じで、キレイに見せようとかゼンゼンないところが、却ってステキだった。彼女の家の前にあるブランコでのシーンが印象的。そこからは例の3つの看板が見下ろせる。ここで、署長やマクドーマンドと話をするミル姐さん。どんなにアウトローな厄介おばさんでも、彼女の心の奥底を思うと、やはり哀しい。そんな哀しみと怒りを、ユーモア交えて好演されておりました。これは主演女優賞でオスカーかもね。

 ディクソンを演じたサム・ロックウェルもとっても良かった。田舎のおよそやる気のなさそうな警官を、その腹の出かかった中年体型と、いっつも二日酔いっぽい振る舞いで見事に表現。差別主義者とはいえ、大した思想に基づくものじゃなく、ただそういう環境で育ったからそうなった、というだけの単細胞な感じがよく出ていて笑わせてもらいました。レッドのオフィスに殴り込みに行くところは圧巻。あのイカレっぷり、もうほとんど狂った人って感じだった。

 署長は、ウディ・ハレルソン。イイ人役だったけど、この人は、やっぱし悪人顔のような気がする。ミル姐さんの元夫役ジョン・ホークスもgoo。見るからに壊れたDV男って感じでヤバかったけど、面白かった。

 でも、私が一番印象に残ったのは、代理店の兄ちゃんレッドを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズかな。ディクソンにボコボコにされて、入院している病室に、今度は火傷したディクソンが運ばれてくる。そこでのレッドとディクソンのやり取りが実に可笑しい。憤りながらも、ディクソンにオレンジジュースを入れてあげるレッド、イイ奴だ。この、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズは、これから有望株なのでは? と思ったんだけど、どーですかね。

 音楽もなかなか良かったなぁ。ディクソンが署長の手紙を読むとき、ABBAの「チキチータ」が流れるのが意外だった。何でチキチータだったんだろ? まあ、歌詞がディクソン宛の署長の言葉と通じるモノがあるといえば、あるかも、、、だけど。
 


  








ありきたりなオハナシではないです。




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スノーホワイト(1997年)

2016-10-24 | 【す】



 森を抜ける馬車が道を踏み外し転覆、乗っていたホフマン卿(サム・ニール)と臨月の妻は雪深い森に投げ出される。軽傷だったホフマン卿だが、妻は深手を負っており胸から血が流れ出ている。「お腹の子だけは助けて」と妻にナイフを渡されるホフマン卿。そして、雪上に流れる真っ赤な血の川。

 そうして生まれたリリーは、お転婆わがまま娘に育っていたが、ある日、父のホフマン卿が再婚を決めたことからヘソを曲げる。やって来た父の再婚相手クラウディア(シガニー・ウィーバー)は美しいが、リリーにとってはイケスカナイ女でしかなかった。クラウディアはリリーに可愛い子犬をプレゼントしてくれたが、リリーは子犬は可愛がっても、クラウディアには冷たい態度をとり続けた。

 それから9年後、リリー(モニカ・キーナ)は美しく成長して、クラウディアも待望の赤ちゃんを身ごもっていた。もうすぐ生まれそうというある日、リリーはクラウディアが勧めたドレスを無視して、亡き母のドレスを身に着けパーティーに出る。そんなリリーの姿を見て、亡き妻に「そっくりだ」と目を細めるホフマン卿。その様子を見たクラウディアは嫉妬に狂い、急に産気づく。難産の末に生まれたのは、待ちに待った男の子ではあったが、哀しいかな死産であった。

 それを機に、クラウディアは豹変し、リリーに敵愾心を剥き出しにするようになるのだが、、、。

 もとは、アメリカのTV映画。シガニー姐さん、やっぱしここでも怖い系。


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 公開時に劇場までわざわざ見に行ったのに、ほとんど内容を覚えていなかったので、もう一度見てみたいと思っておりました。再見してみて分かりました、なぜ覚えていなかったのか。それは、見たことを忘れたくなるおバカ映画だったからです、、、多分。


◆根性悪な白雪姫

 言うまでもなく、グリム童話でいうところの、白雪姫=リリー、魔女=クラウディア、です。で、やっぱり本作も主役はリリーではなく、クラウディア。

 ただし、本作の白雪姫は、かなりの根性悪です。継母となるクラウディアに最初からもの凄く意地クソ悪く接し、9年経っても変わっていない。クラウディアはむしろ、最初はリリーに心を開こうとしているし、母と娘になろうという気持ちがうかがえるのです。なので、ゼンゼン、白雪姫というかリリーを可愛いとも可哀想とも思えず、むしろクラウディアの方がよっぽど可哀想。リリーのせいで流産までして、挙句、子どもを二度と産めなくなるのですからねぇ、、、。 

 さすがに、クラウディアがそんな目に遭って良心が咎めたのか、根性悪リリーがクラウディアに涙ながらに謝罪します。こういうところがイヤらしいよねぇ。嫌い抜いていた相手が惨めな境遇に陥ると、急に憐みを示すというのは、なんという上から目線の傲慢女。圧倒的に有利な立場になって、心に余裕ができたわけね。サイテーな女だ。

 案の定、この行為がクラウディアの怒りに火を着けることに、、、。当たり前だわね。


◆シガニー姐さんは魔女なんかじゃなくて、ただの殺人鬼

 とまあ、ここら辺までは、まあ、なんとか見るに堪える。美術も衣装もなかなか。TV映画にしては結構お金かけてるんじゃないの? と思われる豪華さ。グリム童話がそもそも持っているダークさもよく出ているし、雰囲気はかなりgoo!! ……なのに、、、嗚呼。

 クラウディアが狂うのがいきなり過ぎといいますか、唐突すぎといいますか。リリーの心臓を所望する、その動機付けがね、、、弱いんですよ、もの凄く。

 多分、リリーに謝罪されたことが引き金だということなんだろうけど、だったら、もっとそう分かるように描かねば。見ている方は、「え゛、、、いきなりそこへ飛ぶのか!?」と置いてけぼり感いっぱい。

 そこから先は、坂道を転げ落ちるようにクラウディアが殺人鬼と変貌していくのですが、もうね、、、申し訳ないけど、シガニー・ウィーバーが勝手に楽しんで殺人鬼演じているだけで、見ている方はポカ~~ン、なわけですよ。

 屋敷中の人間を毒殺するわ、夫も縛り上げて逆さづりにするわ、リリーの許嫁も窓から突き落として殺すわ(しかも殺す前には誘惑してディープキスまでしている)、、、閉口。ここまでくると、魔女の妖しさなんてまるでなく、ただの頭の狂った殺人オバサンです。

 唯一見るべき所といえば、クラウディアの魔法の鏡との対話ですかねぇ。原作では、魔女に美しいとお墨付きを与えるだけの鏡でしたが、本作では、もう一人のクラウディアという描かれ方をしています。まあこれは分かるというか、鏡の言っていることがクラウディアの深層心理なわけだわね、多分。

 だから、終盤、リリーに鏡にナイフを突き立てられたことで、クラウディアは滅びる、、、という筋立てです。

 もう、中盤から以降は、見ているのが精神的にキツい、、、。おバカ映画は数あれど、こういう、雰囲気を気取った一見ホンモノ感を漂わせたおバカ映画はねぇ、マジでツラい。イタい映画。世間で言う美魔女とかに感じるイタさに似ているかも、、、。

 こういう展開にするのなら、最初から、ちゃんとおバカ映画と割り切って作っていただきたいですねぇ。


◆その他もろもろ

 シガニー姐さんは、本当に楽しそうでした。こういう役、確かに演じたら面白そうですよねぇ。リアルな世界では、こんな振る舞い、絶対にできないわけですから。役の上でなら何でもアリよねぇ。

 サム・ニールは、まるで存在感ナシ。この方も、こういうB級作品にシレ~ッと出演していらっしゃいますよね。楽しいのかな、やはり。

 リリーを演じたモニカ・キーナちゃんは、可愛いけれども、私的には、白雪姫は可愛い系より美人系が理想。なので、イマイチ。

 意外なところで、7人の小人ならぬ、7人の鉱夫(?)のリーダー格の男ウィルをギル・ベローズが演じていたことかな。彼は、『アリー・myラブ』でアリーの初恋の人ビリーを演じていたのよね。アリーとほぼ同時期ですね、本作は。

 、、、というか、7人の鉱夫も、なぜかウィルだけイケメンで(その他は1人が本当の小人で、後は皆、薄汚い恰好をしたおじさん)、ウィルとリリーはキスする仲になるという、何ともヘンテコリンな展開もあります。もう、、、ようわからんですな。







まともなスノーホワイトの実写映画が見たい。




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スポットライト 世紀のスクープ(2015年)

2016-05-02 | 【す】



 2001年、アメリカ・ボストンの地元紙、ボストングローブに新しい編集局長バロンが就任した。バロンは着任するなり、ゲーガン事件を取り上げたコラムについての掘り下げが足りないことを指摘、ゲーガン事件には背景があるはずだと見抜き、特集記事を扱う“スポットライト”チームに事件の真相をもっと探れと冷徹に指示を出す。

 ゲーガン事件とは……、ボストンのカトリック教会の神父ゲーガンが複数の子どもに性的虐待を働いていたことが明るみに出たもの。
 
 読者の半数以上をカトリック信者が占めるボストングローブにとって、カトリック教会は、いわばアンタッチャブルな領域だったのだが、バロンの指示に動き出すスポットライトチームの記者たち。取材を進めるにつれて、この事件は一神父の疑惑にとどまらないことが分かってくる。バロンの読みは当たっていたのだ。

 現実に、2013年、ローマ教皇ベネディクト16世が辞任するに至った一連の大スキャンダルの発端となったスクープ記事が世に出るまでの、スポットライトチームの記者たちの苦闘を描く、地味で渋いドキュメンタリー風映画。

 
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 実話モノは、基本あまり得意じゃないのですが、これは結構イケそうな気がしたので劇場まで見に行ってきました。

 予感は的中。余計なドラマチック要素などを一切排したと思われる、実に地味で渋~~い作品でございました。あくまでも現実に起きたことを世間に公開したい、という純粋な思いで作られたことを感じさせられる、マジメな映画でした。


◆平均:4%

 しかし、、、ボストンだけで90人近い神父が子どもに性的虐待を働いていたということが事実だってんだから、恐ろしい。、、、と思ったけれど、この数値は、別に驚くような数値じゃないらしい。パンフの町山氏の解説では、アメリカ全体の男性人口に対する性犯罪者率と比べても、カトリック聖職者内の性犯罪者率は高くない、、、普通ということだそーです。聖職者11万人のうち、虐待者は約4400人だったとか。つまり、4%。4%って、アベレージなんだ、、、。0.4%じゃないのね。

 ……ということは、日本ではどうなのかというと、日本の人口1億人として、400万人が、、、!? がーん、、、。

 しかし、一人の神父が何十人もの子ども(ほとんどが少年)を餌食にしていた、というその被害者の数字は、やはり明らかに異常な数字らしい。この事件での問題もそこであって、カトリックが組織的にこういう神父を野放しにし、いや、むしろ世界各地の教区に転属させることで被害を拡散させたのだから、これはカトリック、バチカンの罪は重いでしょう。


◆神父は神か?

 神父が妻帯を禁じられているから、という原因論が作中でも出てきましたが、そういう問題じゃない、これは。神父は、餌食にする子を周到に狙い、表沙汰にならないように二重三重に手を打つんだから、分かっていてやっているわけです。病気じゃない。神父としての絶大な権力を実感したかったんじゃないか。それが明るみに出ないことで、さらに自らの権力の絶大さを味わい、究極の悦楽に浸ったのではないでしょうか。

 カトリック信者にとって、神父とは神にも等しい、極端に言えば、イエスの化身みたいな存在らしい。、、、信者でない者から見ると、もうそれ自体が異常だとしか思えない。神父だって、喰って出すだけの人間ですよ、って。何が“神”だよ。バカバカしい。

 辞任したベネディクト16世も、ドイツのある教区で枢機卿を務めていたときに、教区内のある神父による子どもの性的虐待の隠蔽に加担していたとか。

 しかし、、、教会って、歴史的に見ても実に大きな罪を繰り返してきていますけれども、どうしてカトリックって廃れないんですかね。宗教って何のためにあるのでしょうか? 本当に分かりません。


◆彼らの取材の目指すもの

 、、、というわけで、バロンは、まさかバチカンにまでコトが及ぶとは思ってはいなかったようですが、少なくとも、ボストンのカトリック教会全体が組織的に隠ぺいしていることを、コラム1本読んだだけで直感するというのは、さすがです。バロンがユダヤ人ということも、関係ないとは言えないかもですね。

 スポットライトチームは、リーダーのロビー(マイケル・キートン)を始め、たった4人なんですが、彼らは実によく動き、粘ります。印象的だったのは、サーシャ(レイチェル・マクアダムス)が、かつて性的虐待を働いたと思しき神父を訪ねるシーン。今は隠居の身らしいその元神父は、あっさり性的いたずら(?)の事実を認めたかと思うと、こう言い放ちます。「あれは強姦じゃない」 見ていて、正直、吐きそうになりました。

 本作は、飽くまでスポットライトチームの真実へのアプローチが主題ですので、虐待行為や現役の神父たちと記者がやりあうシーンは皆無です。とにかく周辺者の取材を丹念に行います。被害者、元神父、精神科医、弁護士、、、などなど。どの取材対象に聞く話も、それはもう、恐ろしいというか、信じられないような内容ばかり。

 一番衝撃的だったのは、実は、教会と示談交渉していた弁護士が、20年も前にボストングローブ社に、神父による子どもへの性的虐待を告発していたこと。そして、それについて、ボストングローブは埋め草記事にしただけで、まったく動かなかったこと。その当時の担当がロビー本人で、彼自身、何で動かなかったのか記憶にないと言っていましたが、、、。恐らく、相手がカトリック教会ということで、思考停止になっていたのでしょう。

 マーク・ラファロ演じるレゼンデスが決定的証拠を掴んだ後の、チーム内の激しい葛藤が見ものです。早く記事にしようと焦るレゼンデスに対し、カトリックという組織の犯罪であることを暴かなければダメだというロビーとバロン。ロビーは、この取材が、ただのスクープではなく、被害者の根本的な救済と、再発防止につなげなければいけない、事件を矮小化させてはならないという、本質を弁えていたわけです。レゼンデスも頭ではそれを分かっているけれども、他紙に嗅ぎつけられたくない、スクープをものにしたいというチンケな記者根性が頭をもたげてしまった、ということでしょう。この、編集部での激論が、本作の最大の見せ場でしょうか。

 こういう報道に携わる記者の仕事というのは、結局のところ、自分が取材し世に送ろうとしているものが何につながるのか、という本質をきちんと踏まえていないと、非常に危うい仕事です。まあ、当たり前のことなんですが。、、、やはり記者も人間、欲にかられて誤りを犯すことは、普通に目にすることですが。本作での記者たちもたくさんの間違いを犯してきたはずです。このスクープでそれらが帳消しになる訳でもなく、常に、自らと向き合わなければならない過酷な仕事です。

 マスゴミなどと揶揄されますが、もちろん、批難されるようなメディアや報道は多々ありますが、こうして地道に、過酷な仕事を黙々とこなしている記者も大勢いるはずです。そういう人たちに、まさにスポットライトを当てた本作は、同業者たちに希望とやる気を与え、初心に立ち返らせるパワーがあると思います。


◆ジョン・スラッテリーがイイ!

 マイケル・キートンは、チームリーダーとして清濁併せ飲むベテラン記者を渋く演じています。マーク・ラファロは、なんというか、ちょっと野生児っぽい、粗削りな猪突猛進型の男を、ほとんど地でやっているのでは? と思わせる熱演ぶり。バロンを演じたリーヴ・シュレイバーという方も、キレる男という感じが良く出ていてなかなか素敵でした。

 ロビーの上司で編集部長のベン・ブラッドリー・Jrを演じたジョン・スラッテリー、TVドラマ「デスパレートな妻たち」以来目にしました。デスパでの金持ちで高慢な市長役とは打って変わって、一本筋の通った頭の良い男で、すんごいカッコ良かった! 

 パンフに、実在の記者と、演じた役者の2ショット写真が出ていて、どれもイイ感じの雰囲気です。これを見るだけでもパンフを購入する価値あるかも。




ますます宗教がよく分からなくなりました。




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スリー・モンキーズ(2008年)

2015-11-28 | 【す】



 トルコのある町に住む、夫婦と息子の一家。極貧ではなさそうだけど、裕福ではないみたい。ある晩、町の政治家セルヴェットが交通死亡事故を起こすが、セルヴェットは、一家の主、つまり夫であるエユップに犯人の身代りを頼む。エユップはセルヴェットの運転手らしい。そして、エユップはその依頼を金と引き換えに受ける。

 息子は(大学の?)受験に失敗し、浪人中なのだが、母親ハジェルに車が欲しいとねだる。ハジェルはセルヴェットに金を無心に行くが、それをきっかけに、なんと、二人は不倫。

 家族はどんどんおかしな方向へ進むのだが、、、、。
 
 
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 昨年のカンヌでグランプリを獲った『雪の轍』を監督したヌリ・ビルゲ・ジェイランという人の作品。ある方のブログで絶賛されていたので、ちょっと見てみようかと思いました。2時間弱だから短めだし。

 、、、で、見終わって、正直なところ、うーーーん、という感じです。雰囲気は嫌いじゃないけど、ちょっとね、、、カッコつけてる映画、という感じを抱いてしまいました。

 タイトルは、いわゆる“見ざる、聞かざる、言わざる”の三猿、ってことでそのまんまです。でもまあ、この一家が当てはまっているのは“言わざる”だけじゃないですかね。息子は母親の不倫を見ているし、夫も出所後の妻の様子がおかしいことを不審に思って聞いています。だけど、肝心なことを皆が言わない。

 そもそもこの作品が“言わざる”だもんねぇ、、、。セリフは少ないし、画だけで見せようという意図が伝わってきます。それは別に構わないんだけど、間が悪いというか。不必要に長い間が多すぎると思うのです。それは、展開の速い映画を見慣れているからだ、と言われるかもですが、冗長と言われがちなクストリッツァの作品とか、ものすご~く一見ムダにワンシーンが長いんですが、これはちゃんと意味があると分かりますし、アルトマンの一見ダラダラ展開の間とかも、ちゃんと意味があるというか、計算されている。でも、本作のこの間は、あまりそれが感じられないのです、私には。

 まあ、この間が、この家族の三猿的なもどかしさを醸し出しているとも言えましょうが、それも安易な気がするし。

 息子が駅で吐くシーンとか、やたらハジェルの携帯が何度も鳴るシーンとか、息子と母親のとりとめのない会話の長いワンシーンとか、もちろん、意味が感じられるシーンもあるんですけど。なんか、このムダに感じる間が、妙にカッコつけてるように感じた最大の理由です。

 しかし、トルコでは、身代りで刑務所に入ることって、そんなに珍しくないんでしょうか。終盤、息子が犯した罪について、エユップは身寄りがなく貧しい知り合いの青年を身代りに立てて服役させちゃうんですよ。自分がしたことを、他人にも平気でさせちゃうのです。この辺はちょっと??です。

 あと、一番イマイチだと思ったのは、話の筋が読めちゃうこと。ほとんど内容については予備知識なく見たんですけど、こうなるのかな、と思った通りに話が進んじゃった。ラストの息子に身代りを立てるのも、もしかして、、、? と思ったら、本当にそうなっちゃうし。意外性ゼロって、制作側の完敗だと思うんですけれど。いかが? もう少し、人に見せることを考えて作ってほしい、と思う。

 別にストーリーがベタでも良い映画はたくさんあるし、意外性だけが基準にはならないけれど、でもねぇ、、、本作については、ベタというより、ありきたり、類型的、という言葉が当てはまる気がします。それをカバーするために、この間の多い演出だとしたら、なおさら、いかがなものか、って感じです。

 しかし、母親の不倫、しかもまさにベッドで脂ぎったオヤジと絡んでる場面を目撃しちゃった息子の気持ちって、どんなでしょうか? 私だったら、もう、母親と同じ空気吸うのも嫌だと思いますが、、、、。その辺は、息子と娘の違いでしょうか。

 あと、この家族には、一人、亡くなった方がいるんです。それは、息子の弟だと思われます。その弟が出てくるシーンが2つほどありますが、これが結構コワい。そう、このシーンだけは意外だったかな。意外性ゼロではないですね、正確に言えば。何とも言えないゾッとするシーンでした。

 映画友は『雪の轍』に興味抱いていたけど、私はもともと長い映画はあんまし得意じゃないし、本作を見て、さらに見る気が失せたかも。







予想通りに展開するオハナシが少々退屈。




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SPACE BATTLESHIP ヤマト(2010年)

2015-07-13 | 【す】



 もはや説明不要、あの「宇宙戦艦ヤマト」の実写版。

 
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 ヤマトは原作も読んでいないし、TVアニメも見ていなかったし(でも、なぜか『宇宙戦艦ヤマト 完結篇』だけは映画館に当時の友人と見に行ったけれど)、何となくは知っているけれども、あれこれ文句を言えるほどそもそも知らないので、私の中にあるヤマトのイメージと本作を見て感じたことだけを書きます。

 まず、キムタク。一部じゃクソミソ言われていますが、私は、この役を引き受けた彼の勇気にを2つ献上します。実写版なんて、大抵の場合こき下ろされるのが相場なのに、それを分かっていて敢えて彼は受けたのです。大したもんです。そして、私の記憶の中にある古代進の絵柄とそう遠くない感じでした。喋り方とか所作は大分違いましたけど。あれは、キムタク古代、と思えば納得です。

 次、森雪。うう~ん、これはかなりイメージ違うかも。「古代くん!」って感じじゃなかったもんな。あんなキリッとしたキャラだったかな。切れ長の目は、まあ、共通項だけれども、感じはロングヘアー以外はかなりかけ離れているような、、、。

 そして、沖田艦長。これ、かなり似ている気がしました。喋り方は山崎努なんだけど、見た目は沖田十三でしたね。

 あと、真田さんとか、島大介とかもなかなかだけど、その他のキャラについてはどんなだったか記憶さえないのでコメントしようがありません。デスラーも姿見せなかったし。

 で、、、。映画としては、まあ、ストーリーは一応あるけど、展開がワンパターンというか。危機→ワープor波動砲→ホッとする→レーダーに敵機現る→危機→ワープor波動砲 これの繰り返しじゃない? しかも、タイトルにスペースバトルシップってあるのに、艦戦の描写がない・・・。毎度毎度、相原が「○時の方向に敵機!!」って叫ぶんだけど。そもそもイスカンダルまで到達するのが早過ぎ、地球に戻ってくるのなんかそれこそ瞬間移動な気がするし、、、。でもまあ、いいか。

 終盤なんて、あんなに目の前に敵が迫っているのに、ウダウダ生きるの死ぬのの、まさに愁嘆場。そんなことやってる場合か? と思うけれども、これはお約束だから、ま、いいか、、、。

 極めつけは、古代と雪がヤマトのワープ中に合体した(らしい)挙句、子どもまでできちゃった、ってことかな。おいおい、、、。でもこれも、ま、いいか。

 というわけで、何が目の前に現れても「ま、いいか」と思えちゃう映画なのです、これ。何ででしょう。キムタクが相変わらずキムタクでも、何となく艦内のセットがちゃちいなあと思っても、いちいちさほど気にならないんですよねー。これは、私がヤマトに対して思い入れがあまりないっていうのもあるけど、実写撮った、よーやった! みたいなのがそもそも論であるものだから、あとは何でも大抵許せちゃう、って感じでしょうか。

 まあ、正直言うと、古代の最後の選択に対しては異議を唱えたいのだけれども、所詮、そういう映画、と思っちゃうから真面目に意義を書く気にもならないのです。

 でも、思ったんですが、隊服のデザイン、今見ると、すげぇダサいですね。あの胸のV字みたいの、カッコ悪い。それと、震災前に撮ってて良かったですよね。後だったら、あんなに「放射線」を連呼できなかったでしょうから。

 冒頭の古代守が戦死するシーンですが、あれ、筧利夫かと思ってたら、堤真一だったのね~。堤さん、若い頃は好きだったんだけどなぁ。売れちゃってからつまんない役者になっちゃったよね、尖っているところがなくなった、っていうか。筧さんの方が魅力的だわ、歳とっても。

 というわけで、本作については、小っ恥ずかしささえ克服すれば、フツーに楽しんで見られます、きっと。

 





古代と雪がいつ子づくりしたのか、一瞬過ぎて分かんなかった




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