映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

哀しみのトリスターナ(1970年)

2021-01-28 | 【か】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv12129/

 

以下、wikiよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 16歳で親を失ったトリスターナ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、老貴族のドン・ロペ(フェルナンド・レイ)の養女となる。若いトリスターナを、娘ではなく女としてみるようになるドン・ロペ。二人は事実上の夫婦となる。

 最初はドン・ロペの言うことを何でも聞いていたトリスターナだが、次第に自我に目覚めはじめる、そんなある日、トリスターナは若い画家オラーシオ(フランコ・ネロ)と出会い、恋に落ちる。

=====ここまで。

 ドヌーヴさま、27歳のときの作品です、、、。監督はブニュエル。3年前の『昼顔』と同じ顔合わせ。


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 フランス映画の古いのは苦手といいつつ、ブニュエル作品は何となく見ようかな、、、と思ってしまう。独特のヘンな感覚をまた味わってみたいと思う、不思議な監督だ……。


◆トリスターナの人生

 期待に違わぬヘンな映画ではあるが、でもまあ、これまで見たブニュエル作品の中ではかなりマトモな映画ではないかと思う。だって、一応ストーリーがあるもんね。

 ブニュエルの脚フェチぶりは本作でも健在。何しろ、トリスターナは脚の病気が原因で、脚を片方切断してしまうのだから。そして、その後、義足を付けたり外したりするシーンがあり、ときには、特に意味もなく外された義足が放置されているショットが映されているあたり、そこまで脚にこだわる理由は何ですか?? とブニュエルさんに聞きたくなるわ。

 おまけに、本作で義理とはいえ、娘を我が物にしてしまう狒々爺ィを演じているフェルナンド・レイは、『ビリディアナ』(1961)でも、若く美しい姪のビリディアナを薬で眠らせて犯そうとする伯父の役だった。またかよ、、、とフェルナンド・レイ氏はこの役をもらったときに思ったんじゃないかなぁ?

 『ビリディアナ』では、姪を犯すことをためらった伯父は自ら首を吊って死を選んだが、本作のドン・ロペは、厚顔無恥を地で行く狒々爺ィぶりで、見ていてキモいし腹が立って仕方がなかった。遺産を食い潰すだけで自らは何も産み出さず、エラそうに能書きを垂れながら、義理の娘を欲望の捌け口にしているという、文字通りのクソ爺ィ。

 しかし、この映画での面白さは、むしろ、トリスターナが片脚を失ってから、ドン・ロペとの力関係が逆転するところにある。この逆転ぶりが見事で、かつ鮮やかなんだが、それで見ている者が溜飲を下げることはなく、当然、カタルシスもない。なぜなら、トリスターナが本当に失ったのは、人を愛する心だから。タイトルどおり“哀しい”。

 終盤、トリスターナが、死にそうなドン・ロペを見捨てて、医者に電話をかけた振りだけするシーンを見て、『女相続人』(1949)を思い出していた。どちらも、尊厳を踏みにじられた女性の哀しい人生が描かれており、ラストは自ら孤独を選ぶ。それも、決然とね、、、。

 これを、トリスターナのドン・ロペに対する復讐と捉えるか、それとも、尊厳を取り戻すための選択と捉えるか。私は後者と感じたのだけど、それは、これまでのトリスターナの人生が急速巻き戻しのように映るラストで確信した。一瞬、ブニュエルらしからぬノスタルジーかと勘違いしそうになったけど、あれは、彼女の人生はこれしかなかったんだ、ということなんじゃないか。自分が非力だった一時期はドン・ロペの支配下に甘んじたけれど、その後、オラーシオと駆け落ちしたのも、駆け落ちからドン・ロペの下に戻ってきたのも、全ては彼女の意思で、ドン・ロペはあっけなく支配されることになった。トリスターナの人生に“もしもあのとき……”はないのだ。

 そういう意味では、こないだ見た『ラ・ラ・ランド』とは対照的。本作は“尊厳ある生き様”という人間の本質的な問いに切り込んでいると思う。


◆男の下半身問題。

 みんシネで本作の感想を読んだけど、『女相続人』でもあった「女は怖い」という文言が、本作でも書かれていた。

 書いている人は漏れなく男なんだが、この映画を見た結論が、「女」は「怖い」と感じる人って、単純に男の下半身の衝動に甘いだけでしょ。トリスターナがああなった理由を遡れば、ドン・ロペがあんなことを彼女にしたからなわけで。そこは棚上げで、トリスターナがドン・ロペを見捨てたとこだけを切り取って「怖い」だもんね……。中には、ドン・ロペの行為を「愛ゆえ」などと信じて疑っていない人もいて、そらそーゆー見方をする人にしてみりゃ、トリスターナは怖いでしょーよ、、、。

 そういう感想を抱く人たちには、あれが男女逆でも同じこと言えるの?って聞きたい。醜い老女が美少年を慰み者にし、美少年が長じた後、見殺しにされたとしたら? 老女の行為を「愛ゆえ」なんだから可哀想、、、と思うかしらね?

 男だと愛になり、女だと好色になる、、、これいかに。

 大体、「女は怖い」って言うけど、男も十分怖いですよ。一体どれだけの女性が男の性欲の犠牲になっているのか。腕力・体力では、大抵の場合、女性は男性には敵わない。女性が夜遅く一人歩きしていて、どれだけ周囲に用心しながら歩いていると思っているのか。それで、性被害に遭えば「そんな時間に無防備に一人で歩いているのが悪い」と被害者が責められるのだからね。安易に「女は怖い」などと寝言を言っている暇があったら、男の下半身をコントロールする教育をしろ、って話。

 自活できないトリスターナに、養う側のドン・ロペが関係を迫れば、16歳で世間知らずのトリスターナは訳も分からず応じてしまう、この構図は、セクハラ、、、いや、性的虐待そのもの。このドン・ロペの行為が弁護される余地など1ミリもない。時代が違うなどは理由にならん、卑劣そのもの。

 あの歳までお気楽にやりたい放題生きられたんだから、ドン・ロペは十分幸せな人生だったでしょ。どこが可哀想なんだか(呆)。


◆その他もろもろ

 ドヌーヴさまは相変わらずの美貌なんだけど、さすがに16歳には見えない、、、。髪型とかで頑張っているけど、ちょっとなぁ。あと、痩せすぎかも。……でも、中盤からはその美貌が説得力を持ってくる。

 本作は、セリフが上からスペイン語で音声が被せてあるらしく、トリスターナのセリフはドヌーヴさまの肉声ではないみたい。確かに、ちょっと、ドヌーヴの声より甲高い感じがしたような、、、。

 あと、ところどころで、大きな鐘楼の鐘に代わってドン・ロペの首がゆらゆらと揺れているシーンが挟まれるのだが、あれがかなり気味が悪い。トリスターナの深層心理的なものだと思うが、つまり、若い頃から彼女はドン・ロペのことを嫌悪していたのだ。

 オラーシオを演じていたフランコ・ネロはちょい出だったけど、やはりオーラを放っていた。渋いイイ男。

 教会とか、結婚とか、、、一応、宗教関係の描写もあるけれど、ブニュエルにしては珍しくその色合いは薄い。だから、逆に私にとっては見やすかった。

 

 

 

 

 


『昼顔』より本作の方がグッとくる。
 

 

 


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ナンシー(2018年)

2021-01-24 | 【な】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70408/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 人付き合いが苦手なナンシー(アンドレア・ライズボロー)は、他人の関心を集めようと嘘ばかりついていた。

 ある日、彼女は5歳で行方不明になった娘を探す夫婦をテレビで目撃。その娘の30年後の似顔絵が自分と瓜二つであることに気づいたナンシーは……。

=====ここまで。

 

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 何というかもう、、、この映画を見て感じたこと、それは、、、

 人間は、無条件に自分を受け容れて愛してくれる他者がいないと、病んでしまう、、、ということ。そして、その他者とは、多くの場合は“親”に期待されることなんだということ。成長期に、親の愛情を受けられなかった人間は、大人になってからとても“生きづらい”ということ。

 そんな、当たり前な、分かりきったことだけど、とても大切な、根本的なことだった。

 この映画を、メンヘラ女のつまらない話と切って捨てる感想もいくつか目にした。ナンシーが嘘ばかりついて、変な行動に出てしまうのは自己責任であり、愛情不足とかそんなの知ったことか、、、と。そう思えるのは、幸せな人なんだと思う。もっと言うと、想像力の欠落したおめでたい人。

 リンチ夫妻の下で数日を過ごすナンシーは、明らかに変化を見せる。リンチ夫人は、最初からナンシーを愛情一杯の目で見る。夫のリンチ氏は、逆に、最初はナンシーに不審の目を向けていて、ナンシーはそういう視線には敏感すぎるほど敏感だ。でも、夫人の温かい言動でナンシーの無表情だった顔に少しずつ表情が出るようになる。

 ナンシーがリンチ夫妻に語った、自分の生育環境の話だが、、、あれはどこまで本当なのだろう? 介護して亡くなってしまった母親は、実の母ではないのだろうか?  私は、実の母ではないという部分は、本当なのではないかと感じた。出生証明がない、、、という描写がわざわざ入っていたから。でも、それ以外の部分は、ナンシーの脚色が大いに入っているのだろう。

 だからこそ、終盤、ナンシーは、夫妻と血縁関係がないと明らかになった後に「実は隠していることがある」と告白しようとしたんだろう。その告白の内容は、自分の語った話に嘘があるということではないだろうか。でも、そこで夫人に「苦労したのね。でもそれは過去の出来事でしょ」と言われて、それ以上話すことを阻止される。そして「今は、私たちがいる。私たちはあなたの味方」とも夫人は言う。この夫人の言葉こそ、ナンシーを無条件で受け容れようとする愛情そのものではないか。すごくジーンときて泣けてしまった。

 ラストは、ナンシーが夫妻の下を黙って去るところで終わるが、ナンシーはあの後、きっとそれまでみたいに無意味な嘘を積極的に言うことは少なくなるんじゃないかな。だって、自分はこの世界に居てもいいんだ、とハッキリ自覚できたのだから。

 地味で寡黙な映画だけど、滋味深い、心に沁み入る佳作。

 

 

 

 

 

 

 

スティーヴ・ブシェミはやはり素晴らしい俳優だ、、、。
 

 

 


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曳き船(1941年)

2021-01-19 | 【ひ】

作品情報⇒https://www.allcinema.net/cinema/319145

 

以下、アンスティチュ・フランセ東京HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 港町ブレスト。曳き船サイクロン号の船長アンドレは、難破した船を救助した際に知り合った謎めいた美女カトリーヌと恋に落ちる。二人は海辺の家で密会するようになるが、長年連れ添った妻イヴァンヌは心臓の持病を抱えていた…。

=====ここまで。

 アンスティチュ・フランセ東京なんて大分前に一度行ったきり、、、。ちなみに、今回鑑賞したのは自宅でDVDで、です。


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 またまた、どうしてリストに入れたか記憶にない作品が送られてきました。大分前に入れておいたものだと思われますが、、、。古いフランス映画はちょっと苦手というか、私の鑑賞力が低いので、良さがイマイチ分からないのです。でもまあ、本作は名画と言われているのが、ちょっと分かる気がしました。内容的にはいまいちピンと来ないですが。


◆2人のジャンによる名画(だそうです)

 主演は名優ジャン・ギャバン、監督は知る人ぞ知る人らしいジャン・グレミヨン。ジャン・グレミヨンという名は、私は本作で初めて知りましたが。

 ストーリーについてはとりあえずおいといて、、、。名画と言われているのが分かった気がすると書いたけど、それは、途中で船が嵐に遭遇するシーンがあるのだけど、それが明らかにミニチュアであるのに、実に迫力があって、見応えがあったからです。……なんてことを書くとヒンシュクを買いそうだけど。

 モノクロのあんまりキレイじゃない画質だったんだけど、それでも、とても映像が美しい。ジャン・ギャバン演ずるアンドレと、ミシェル・モルガン演ずるカトリーヌが砂浜を歩くシーンや、その後、小屋で密会するシーンなど、技術的なことは分からないけど、2人が恋仲になっていく心の高揚感が画面の明るさと風景や部屋の中からの海の情景に表れていて、メロドラマとしては見せてくれる。

 オープニングのパーティシーンでは、ワンショットではなかったかもだけど、今で言うならドローンで撮影したんじゃないかという俯瞰映像なんかも出て来て、あら~スゴい、と思った。

 あと、ジャン・ギャバンはやっぱり存在感ありますな。決してイケメンではないけど、イイ男。本作撮影時は36歳くらいだと思われるけど、イマドキの36歳とはエラい違い。40歳過ぎているのかと思ったわ。……やはり、人の顔って、時代とともにだんだん幼くなっている気がする。これは、日本の俳優陣もそうだけど、外国の俳優陣見ても感じる。 

 ミシェル・モルガンはクセのある美人。この頃、21歳くらい。ジェラール・フィリップとも『夜の騎士道』で共演している。wikiによれば2016年に亡くなっているみたいだが、ご長寿だったのね。

 ……とまぁ、見どころはこんなところか。


◆以下どーでもよい話。

 名画なんだろうけど、内容的にはちょっとね、、、。不倫モノでもメロドラマでも、良い映画は良いと思うけど、本作は、どうもなぁ、、、。

 アンドレは、カトリーヌと不倫の恋に落ちる前から、妻に、不在がちな仕事を辞めて、もう少し一緒に居る時間を作って欲しいと再三言われていたんだが、取り合わなかった。妻は、自分が心臓が弱いことをアンドレに隠して、「一緒に居たい」を連発していたわけ。

 この妻の、自分の病のことを言わない、、、っていうの、何かイヤだなーー、と。言わなきゃ分かんねーよ、と思うのよ。で、妻は夫が仕事を変わってくれないからと勝手に悲しむんだけど、そらそーだろ、と。事情を知らない夫にしてみりゃ、一生懸命この仕事をしているのに、それで妻を養っているのに、何でそんなにしょっちゅう文句言われなきゃいけないんだよ? と、普通の人間なら思うだろう。

 妻が、病のことを敢えて夫に言わない理由って何だろう? と考えると、それは恐らく、言えば夫を心配させるから、、、だと思われる。病が命に関わるものだとまでは思っていなかった、、、てのもあるかも知れない。医者に診せるシーンがあって、医者も妻には「大丈夫、、、」と言いながら、友人には「危ない」みたいなことを言っていた。

 で、アンドレがカトリーヌとこそこそ逢っているときに、妻の体調が急変し危篤状態になって、アンドレの部下が2人の密会場所にアンドレを呼びに来る。すると、まあ当然かも知れないけど、カトリーヌは急に「奥さんのところに早く行ってあげて」みたいな感じになり、アンドレも驚き打ちひしがれたようになって妻の下へと向かう。そして、死の床にある妻に縋って、後悔の念に苛まれる、、、。

 妻が死にそうになって初めて、夫は自分の身勝手さに気付き妻に詫びるってさぁ、、、こういう展開、あんまし好きじゃないです。そう、人の死を話の「転」にしている典型的なストーリー。『Red』の感想文にも書いたが、どうもね、、、。

 ずっと前に、TVで江口ともみさんが、夫(つまみ枝豆氏)と、どんなにケンカして罵り合っても、出掛けるときは必ず笑顔で「行ってきます」「行ってらっしゃい」の挨拶を交わすようにしている、と言っていた。なぜなら、それが今生の別れになる可能性がいつでもあるからだと。どちらかが事故に遭うかも知れない、とか。ご自分が事故に遭ったから、と言っていた気がする。

 私も、若い頃、大事な人が突然病に倒れて、その後コミュニケーションが全くとれなくなってしまったことがあり、こういうことって、本当に突然起きるものなのだ、、、と愕然となり、もう何十年も経った今でもほとんどトラウマになっている。だから、私もウチの人とケンカ(というか、私が一方的に文句を言うパターンがほとんどだけど)した後は「行ってきます」「行ってらっしゃい」を、笑顔でというわけにもいかないけど、仏頂面でも引きつった笑顔でも、とりあえず必ず言うように気を付けている。ウチの人は基本アバウトなので、リセットも早くて挨拶もちゃんとする人なんだが、そのアバウトさ、リセットの早さが、またムカツクこともあり、、、。

 ……いや、何の話だ。だから、つまり、このアンドレも妻も、どちらも身勝手な夫婦だな、と感じちゃったのね。若いうちはそんなもんだけど、妻が死にそうになって豹変する夫も身勝手だし、自分の病気のことをきちんと話さない妻も身勝手。しかもアンドレは、愛人ともあっさり別れる。何ソレ? そういうのを自己憐憫というのです。身勝手を貫けばイイじゃん。

 妻がそんなことになったんだから、そりゃそーでしょ、と言われるかもだが、カトリーヌに「愛してる」だの「離れたくない」だのと言っていたアレは何だったのサ。

 まぁ、心臓の悪い妻が死んで、喜んで愛人と一緒になる、、、というと『悪魔のような女』になっちゃうけど、私は、そっちの方が好きだわ。人を好きになるって、そういうことだと思うんだよね。

 だから、アンドレが、妻が死んでも、自分のこれまでの生き方を安易に後悔などせずに(とはいえ妻の葬式はきちんと出すにしても)、最終的にはカトリーヌの下へ行く、、、というラストだったら、私はもっとをたくさん付けたと思う。

 
 

 


 

 

 

 

 

名画を見る目がなくてすみません。
 

 

 

 


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ラ・ラ・ランド(2016年)

2021-01-16 | 【ら】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv61139/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。

 ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン)、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。

 やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる……。

=====ここまで。

 

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 正月のTVは騒々しいだけでつまらんので、基本見ないのだが、2日の夜はNHKの総合テレビで若冲のドラマとか、ヨーロッパの紀行番組とかを放送していて、ながら鑑賞だったけれど何となく見てしまい、ついでにそのままつけっぱなしにしていたら、この映画が始まったのでした。

 何で、正月に、NHKの地上波で、この映画? 確か、始まる前に「ミュージカル映画の傑作をご覧ください」みたいなテロップが出ていた。劇場公開時に話題になっていたのは知っていたし、映画友も見に行ったそうで「まあまあ良かった」みたいな感想を言っていたけれど、私は劇場には足が向かず(理由は後述)、DVD借りてまで見る気にもならず、、、で、今まで見ないままでいたんだけど、TVでタダで(受信料払っているから厳密にはタダじゃないけど)見られるんなら見てみるか……、と思って見始めて、結局最後まで見た次第。

 以下、本作をお好きな方は、どうぞお読みにならないでください。悪意はないのですが、悪口になっちゃっていますので。


◆デイミアン・チャゼル

 歌以外は日本語吹き替え。鑑賞料金を払っていないからか、何となくダラ~ッと見ていたせいもあるかも知らんが、見終わっての正直な心の声は、「あーあ、、、」だった。

 ミュージカルと言われているが、肝心の音楽は悪くないけどインパクトないし、主演2人の歌はビミョーだし、踊りなんかハッキリ言って切れが悪いし、ストーリーに至ってはほとんどどーでもエエやん的な話だった。こんだけ、ネガティブな要素が詰まっているのに、なぜかオスカーの主要部門を受賞している。……謎。

 wikiによれば、制作費は3,000万ドルだそうで、ざっと30億円というところか。ハリウッド的に言えば、もの凄いカネをかけている、というわけでもなさそう。ヴェネツィア映画祭のオープニングで上映されて話題になったのかしら。

 でも、日本でのプロモーションは結構派手にやっていたような気がするなぁ。すごいぞすごいぞ、、、と煽っていたような。私も、監督が別の人だったら、煽られて劇場に行っていたかも。

 本作の監督デイミアン・チャゼルが、私は好きじゃないのだ。好きじゃないというか、信用できないというかね。彼の前作『セッション』(2014)には嫌悪感を抱いたし、脚本を書いている『グランド・ピアノ 狙われた黒鍵』(2013)は見ていて腹が立った。2本しか見ていないで決め付けるのもアレだが、でも、2本ともに感じたのは、“音楽をナメ過ぎ”ってことで、それは2本見れば十分という気もする。

 どうして、“音楽をナメ過ぎ”と感じたかというのは、それぞれ感想に書いたからここでは割愛するが、監督自身は音楽好きを自称しているみたいだけど、そりゃ好きかも知らんが、音楽を愛してもいなければ、音楽家に対する敬意もないんだよね。だから、あんな風に音楽をタダのネタ扱いして冒涜するような映画を撮れるのよ。だから、映画監督としてというよりも、クリエイターとして信用ならんのよね、この人は。

 ……で、本作ではその辺りをどう感じたか、、、なんだが、まあ、冒涜しているとまでは言わないが、やはり、この人は音楽を愛していないな、というのはもの凄く感じたね。結局、この人にとって、音楽は(何のジャンルであっても)、ツールでしかない、ってこと。これはもう、確信した。3本目だからね。

 どこでそう感じたかというと、ジャズの扱い。ジャズを廃れ行くジャンルとして描いているからではなく、結局、ジャズピアニストになりたいと言っているセブが“売れないこと”にしか悩んでいないこと。売れてなんぼの世界、、、それは分かる。けれど、なぜ売れないか、という理由が、“ジャズだから”なんだよね。自身の技術や音楽性についてゼンゼン悩んでいない。多分、音楽を愛している人なら、悩むポイントをもっと深掘りすると思うのよ。けれど、そうじゃないんだよなぁ、この監督は。だから、ツールでしかない、と感じたのだ。

 さらに言えば、セブを演じたライアン・ゴズリングだが、確かにピアノの特訓をしたんだとは思うが、申し訳ないけど、その弾きっぷりは、全くジャズピアニストには見えなかった。その辺の演出が甘いところも、監督の指向が現れていて、音楽家に対する敬意が感じられない。前2作から感じていたものもあったから、本作はダメ押し。


◆その他モロモロ

 ……というわけで、監督に対する先入観が影響したのか、本作を純粋に鑑賞できなかった。でもまぁ、他にも感じたことはあるので、一応、書き留めておくことにする。

 そのルックスの評判がイマイチっぽいエマ・ストーンだが、確かにクセのある顔というか、ファニーフェイスというか、正統派美人ではないけど、キレイだと思ったなぁ。オーディションのシーンとか、なかなか良かったと思う。

 ルックスが、、、というなら、私はライアン君のほうがイマイチだった。まあ、これは完全な好みの問題です。私、ああいう猿系のお顔があんまし好きじゃないもので、、、すみません。

 話題の、冒頭の歌って踊るシーンだけど、、、。ゼンゼン話の筋に関係ないのね、あれ。まあでも、楽しい場面だと思うし、スクリーンで見れば迫力たっぷりだったんじゃないかしらん。フランスの有名ミュージカルのオマージュとか言われているけど、ふーん、、、って感じだわ。

 あと、ラストの“もしもあの時、、、”の映像だけど、あれはなかなか面白かった。今はもう離れてしまった2人の心象風景としてはグッとくる映像よね。私には甘過ぎる砂糖菓子みたいなもんだけど、本作はラブストーリーなんだから、あれはあれで良いと思う。あそこで涙腺崩壊した人も多いのでは? 私も、セブがライアン君じゃなかったら、ウルッと来たかも。

 何か、ゼンゼン感想になっていなくてすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルが語呂が良くてインパクトあってよろし。
 

 


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評決(1982年)

2021-01-11 | 【ひ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv7453/

 

 フランク・ギャルビン(ポール・ニューマン)は、かつてはやり手の弁護士だったが、ある事件に巻き込まれて転落、、、今や飲んだくれアル中で、新聞の死亡欄を漁って仕事を探す日々。

 ある日、医療過誤事件の弁護を依頼される。依頼者は示談金をもらえれば良いと、楽勝のはずだったが、事件を調べるうちに、フランクの中で正義感が頭をもたげ、病院側からの示談を蹴って、裁判へと持ち込む。

 しかし病院側の弁護士は、勝つためなら手段を選ばないと悪名高いコンキャノン(ジェームズ・メイソン)で、フランクは、当初有力な証人として証言を依頼していた医師がなぜか長期不在になるなどして戦略が狂い、追い詰められていく。

 万策尽きたかと肩を落とすフランクだが、ある書類の記述に目が留まり、当時、病院の受付係をしていた女性が何かを知っているのではないかと察して、彼女の連絡先を入手しようとするが、、、。


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 年明け最初に見た映画。今年は、また劇場に行く機会が減りそうな予感。スガは一ヶ月で絶対押さえ込むとか寝言をほざいているけれど、今の状況を見て一ヶ月で収まるわけねーだろって、素人でも分かるわけで。パワハラで成り上がっただけの、知性も適性もない名ばかりソーリはさっさと引退してくれ。

 それにしても、見たい映画は数あれど、どうしたもんだか、、、。今の医療体制を思えば出歩く気にはならないが、見たい映画は、やっぱり見たい。まあ、とりあえず、引きこもりの間はDVDでも見るしかないですね。


◆ダメダメ弁護士

 あらすじには書かなかったけれど、フランクの戦略が狂うのは、シャーロット・ランプリング演ずる謎の美女・ローラがスパイだったからです。彼女はホントに品があって美しい、、、。もう、惚れ惚れしてしまう。

 居酒屋で出会ったローラとフランクがあまりにもあっけなく男女の関係になるもんだから、ハレ??となったが、案の定ウラがあったということだ。フランクが無防備すぎるとも言えるが、あの出会い方だったら疑いを持たないのもムリないかもなぁ、、、とも思う。

 しかし、ローラは次第にフランクに本気になってしまい、自分がスパイでいることが苦しくなってくる。コンキャノンから小切手を渡されたときに涙を浮かべていたシャーロット・ランプリングの美しさよ、、、。こっちまで切なくなってくる。

 思い悩んだローラが真実をフランクに打ち明ける前に、フランクの友人がローラの正体を見破り、フランクに教えてしまう。その後、ローラと直接会ったフランクが、ローラをいきなり顔面パンチするのは、気持ちは分かるが、いただけない。まぁ、どっちが酷いことしているかといえば、どっちもどっちなんだが、、、。

~~以下、ネタバレしています。~~

 結局、フランクは自力で病院の受付係をしていた女性を探し出し、重大な証言を得て、法廷で彼女に証言させたことで勝利を得る。ヨレヨレ弁護士だったフランクが、久しぶりにバリバリ弁護士になった瞬間だろう。

 映画としては、良かったね、、、だけれど、見ていてかなりツッコミ所が満載で、フランクが勝ってもカタルシスはあまり感じられなかった。

 そもそも、彼は相手の示談話を、依頼人の意向を確かめもせずに蹴って、勝手に裁判に持ち込んでいる。これは、かなりダメなんじゃないの? 案の定、依頼人の怒りを買って殴られそうにさえなる。見ていて全然フランクに肩入れする気になれない。そらそーだろ、としか思えない。

 さらに、当時の受付係の女性の証言だが、それを裏付ける証拠が、書類の原本ではなくコピーだったため、相手のコンキャノン弁護士のゴリ押し異議申立てが認められて証拠採用しないと裁判長が判断している。しかし、あまりにもあからさまな病院側の過失を証明する彼女の証言内容だったため、結果的に、陪審員が裁判長の判断を無視した形で、病院の過失を認める結論を下したことになる。これも、法的にどーなの??って話。……まあ、この裁判長も、あり得ないくらいヘンなんだが。

 フィクションだからそんなことどーでも良いって話じゃないでしょ、ここは。陪審員制度の問題点なんだろうけど、あの裁判長といい、フランク自身の仕事ぶりといい、ちょっとなぁ、、、という感じ。

 もっと言うと、美しいシャーロット・ランプリング演ずるローラの存在意義が非常に薄いことも難点。ほとんどいなくても成立する話。フランクの動きなど、コンキャノンの事務所くらいのレベルなら、あんな安っぽいスパイを送り込まなくても十分探りを入れられるだろう。フランクは脇が甘いし。ローラとのエピソードは、何のためにこの話に盛り込んだのか、不思議なくらい本筋に絡んでいないどーでもよい話になっている。むしろ、あんな色恋要素を入れない方が、もっとピリッとした話になったんじゃないのか。


◆ポール・ニューマンとか、その他もろもろ。

 ポール・ニューマンって、私にとって今までかなり存在感の希薄な俳優だったんだけど、本作を見て見方がガラリと変わったわ~。

 何しろカッコイイ。いや、今までもカッコイイとは認識していたが、そんなに“ステキ~!”って感じではなかった。彼が『ダーティ・ハリー』の主役のオファーを蹴って、イーストウッドにお鉢が回ってきたというエピソードは有名だが、あのハリー・キャラハンとポール・ニューマンってゼンゼン合わないやん!とずーーっと思ってきたけれど、今回のフランクを演ずる彼を見て、ポール・ニューマンのハリー・キャラハンも見たかった、と思ってしまったほど。

 終盤、裁判で勝って注目を浴びている彼よりも、アル中でどうしようもないフランクの方がステキだな~と思ってしまった。何か、人生に敗れてトボトボと歩いている背中とか、哀愁漂っていてセクシーだった。若い頃のポール・ニューマンより、この頃の方が渋くて魅力があるわ~。

 また、敵であるコンキャノンを演ずるジェームズ・メイソンのふてぶてしさが素晴らしい。悪役を魅力的に演じられる役者って、やっぱり素晴らしいと思うわ。ちょっと形勢不利になると、微妙に焦りを見せるけれど、なんとか自分に有利な方向に持っていく強引さとか、実に巧いなぁ、と。

 しかし、それを上回る憎々しさを見せていたのが裁判長を演じたミロ・オーシャ。もう、あまりにも偏向判事で、あり得んだろ!!って感じだった。あんな裁判長、アメリカには居るのかね? ……というか、日本でも居るのかしらん? あんな裁判長に裁かれるの、イヤなんですけど、、、。というか、ミロ・オーシャが演じていたから、余計にあり得なさが強調されていたような。ミロ・オーシャといえば、ゼッフィレッリの『ロミオとジュリエット』の神父役が印象的だが、本作でも存在感抜群であった。

 あと、ラストシーンが意味不明、という感想をネットでも見たが、あれは大人の恋愛話の終わり方としては余韻があって良かったと思う。ローラの存在意義が薄いと書いたけれど、ローラの存在があったからこそ、あのラストシーンが成立するわけで。だからこそ、というか、あのラストシーンを活かすためにも、ローラがスパイであることを、ローラ自身の口からフランクに告げさせるべきだったと思うのよね。んで、終盤、ローラに重要な役割を担わせる展開にした方がロマンスと並立させることが出来て良かったんじゃないかなぁ。あまりにもシャーロット・ランプリングの使い方がもったいなさ過ぎる。

 監督は、シドニー・ルメット。本作では、陪審員たちがなぜ裁判長の指示を無視した結論を出したのかが謎なんだけど、デビュー作『十二人の怒れる男』のように、陪審の評議もちょっと見たかったかも、、、。

 ネットを見ていたら、ポール・ニューマンとイーストウッドのツーショット画像を発見したので、貼っておきます(画像はお借りしました)。

 

 

 

 

 

 

あの後、フランクとローラは、、、
 

 


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翔んで埼玉(2019年)

2021-01-10 | 【と】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv65057/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 埼玉から東京へ向かう車のラジオでは、DJが埼玉にまつわる都市伝説を語っている。

 埼玉県民が東京都民から迫害を受けていた時代。東京の超名門校に通う都知事の息子・百美(二階堂ふみ)はアメリカ帰りの転校生・麗(GACKT)と出会う。実は麗は隠れ埼玉県人で埼玉県民が東京に出入りするのに必要な手形の撤廃を目指して活動する組織の主要メンバーだった。

=====ここまで。


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◆ダサイたま、クサイたま、、、、

 公開時に話題になっていて、職場の人も見に行って「面白かった~!」と言っていたが、わざわざ劇場まで行く気には到底なれず、このほどようやくDVDにて鑑賞。原作はもちろん未読。魔夜峰央にこんな作品があったことすら知らなかった(大分古い作品みたいだけれど)。

 ……く、くだらねぇ、、、、ってのが、見終わっての率直な感想です、ハイ。が、この実にくだらない、ナンセンスなものを、皆が大真面目にやっていて、むしろ見応えがあったと言えましょう。

 でも、本作の見どころは、ほとんどそれに尽きると言いますか、、、。これ、関東圏以外の人が見ても面白いんですかね? てか、関東圏に住んでいる人間が見ても、それほど笑えるところは多くなかったんですが。

 たしかに、「埼玉」というと、ちょっとダサいという“イメージ”はリアルに一般化しています。現在、緊急事態宣言が発出されている、“首都圏”のうち、ダサくないのは神奈川だけかも。千葉も埼玉と大して変わらない扱いで、それは本作内でも伊勢谷友介演ずる阿久津翔が「千葉解放戦線」率いる千葉代表で出て来ていましたが。

 ここまで突き抜けて戯画化しちゃうと、埼玉県人も笑えるでしょうね。伊勢谷率いる千葉との対決は、それこそ「川中島の戦い」みたいで、まあまあ面白かったし。あれ、CGじゃなくてロケしたんですかね? かなり大掛かりなシーンになっていたんだが、、、。


◆埼玉はカナダ。

 本作を見ていて思い出したのが、清水義範著『蕎麦ときしめん』。本作同様、地域性をネタにしているんだが、清水氏は名古屋出身で、名古屋をディスっていて、私は名古屋出身ではないけど、元愛知県人としては、結構笑える。

 中でも、一番ウケたところをちょっとご紹介しておこう。

「名古屋は日本の中にあって信じられないほど閉鎖的な特別な村落的都会なのである。(中略)/日本における名古屋の位置、それは世界における日本の位置と全く同質のものである。名古屋人にとって東京とは、日本人が漠然とアメリカを思うのに非常に近い。大阪はソ連である。千葉はメキシコで、埼玉はカナダである。名古屋人はそのように考えて生活しているのである。/(中略)名古屋人にとって(中略)四国はオーストラリアで九州はアフリカである。名古屋人はそのように名古屋以外の土地を外国だと思っているのだ。」

 これは一理あって、少なくとも私が住んでいた1990年代頃は、まだこういう側面はあったような気がする。「大阪はソ連」てのはちょっと違う気がするが、これが書かれたのは1984年だから、まだソ連があったんだよね。ちなみに『蕎麦ときしめん』の文庫版の「果たし状」と題された解説に代わる文章は、今は亡き、景山民夫が書いていて、時代を感じる、、、。

 本作では東京が過剰に威張っていたが、リアルで言えば、実は一番ダサいかも知れず、、、。何しろ、地方出身者が山のように居るんだから。つまり、東京は言ってみれば“人種のるつぼ”。人種のるつぼは、世界で言えば、まさにアメリカで、『蕎麦ときしめん』でいう名古屋人の認識のママではないか!

 埼玉は、名古屋人から見れば、ダサイたま、、、どころか外国ですよ、外国。しかもカナダ! 十分ダサくないと思いますが、いかがでしょう。


◆ダサイたまよりダサいのは、、、

 映画と関係ないことばかり書いてしまったけれど、本作は、あんまし色々感想を書きたくなる映画じゃなかったもので。ナハハ、、、と乾いた笑いが出て終わりだった。

 そんな本作が、昨年の日本アカデミー賞で最優秀監督賞とか最優秀脚本賞とかをもらっているみたいなんだが、これが今の邦画界の現状を如実に表わしているようで、乾いた笑いの後には、ひきつった笑いが浮かぶわ。

 だいたい、日本アカデミー賞、ってネーミングが、、、。こっちの方が、埼玉よりも百倍ダサい。邦画界を本気で盛り上げて育てたいのなら、まずはネーミングから変えた方がいいんじゃない?? アメリカの二番煎じみたいなことやってるから(しかも業界人だけの内輪はしゃぎレベル)、いつまで経っても邦画界は幼稚なんだろうね、、、、納得。

 

 

 

 

 

 

 

 

京本政樹、歳とらないなぁ~~。
 

 

 


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ひとよ(2019年)

2021-01-06 | 【ひ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67696/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 どしゃぶりの雨降る夜に、タクシー会社を営む稲村家の母・こはる(田中裕子)は、愛した夫を殺めた。それが、最愛の子どもたち三兄妹の幸せと信じて。そして、こはるは、15年後の再会を子どもたちに誓い、家を去った—

 時は流れ、現在。次男・雄二(佐藤健)、長男・大樹(鈴木亮平)、長女・園子(松岡茉優)の三兄妹は、事件の日から抱えたこころの傷を隠したまま、大人になった。

 抗うことのできなかった別れ道から、時間が止まってしまった家族。そんな一家に、母・こはるは帰ってくる。

 「これは母さんが、親父を殺してまでつくってくれた自由なんだよ。」

 15年前、母の切なる決断とのこされた子どもたち。皆が願った将来とはちがってしまった今、再会を果たした彼らがたどりつく先は—

=====ここまで。


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 邦画が続いております。たまたまです。

 本作も、公開時にちょっと話題になっておりましたが、これまた、劇場まで行く気にもならず、、、。そして、これまたDVDで十分でございました。 


◆また小説家を目指す人、、、

 田中裕子演ずるこはるが夫を殺した理由は、この夫がどうしようもないDV男だったから。

 DVは、私自身も身近にも体験者がいないので、実感としては分からないのだが、こういう“自分より非力な者に暴力を振るう人間”というのは、ある日突然そうなるものとは思えず、ずっと以前からそうだったんじゃないのかなぁ、、、と思うのだが、どうなんだろう。

 何が言いたいかというと、こはるは、恐らく、結婚した後、割と早い時期から夫に暴力を振るわれていたのではないか、ということ。で、そんな夫との間に、3人も子がいるのはなぜ?? と思ったのだった。……が、これは自分でも愚問と思ったというか、逃げられなかったんだろうな、とすぐに察しがつくよね。だからこそ、殺すしかない、、、というところまで追い詰められていたんだろう。こはるの場合、計画性はまるでなく、発作的にやってしまった、、、という感じだった。

 実際、DV夫と“きちんと別れる”ことは非常に難しいのだろう。配偶者暴力防止法なんてものがあるわけだし、DVをテーマにした映画は洋の東西を問わずに作られている。ネットの本作の感想で、「どんな理由があったにせよ、殺人は許されないから、そこはマイナス」みたいなことを書いている人がいたが、こういう感想を書く人って映画に何を求めて見ているのかね? まさに、そういう発想がネットやメディアリンチを産んでいるわけだが、自覚あるのかな?

 本作内でも、お約束のようにメディアリンチが描かれている。そして、3兄妹はこういうのに苦しめられたがゆえに、こはるに対する感情も三者三様になった。まあ、どの子の感情もちょっとずつ分かる気がする。私だったら、長男くんと同じ態度に出る気がするなぁ。

 ちょっとずつ分かるとは書いたが、佐藤健演ずる雄二の「アンタがあんなことしなきゃ、オレらは暴力に耐えてれば良かった、(殺人者の子として)苦しまずに済んだ」というこはるへの言葉は、ちょっといただけない。それは、君があの時点から暴力を受けずに済んだから言えることじゃないのかね? 別にだから、こはるに感謝しなさい、と言いたいのではない。下手したら、君はあの暴力父に殺されていたかもよ? いや、お母さんが殺されていて、どっちにしても殺人者の子になってたかもね、、、。もっと言っちゃえば、君のような性格だったら、君自身が父親を殺していたかもよ? ということ。つまり、コトはそう単純じゃないでしょ、って話。小説家を目指している人の割に、あまりに思考が浅くて軽薄、と感じた。

 『ミセス・ノイズィ』の真紀といい、雄二といい、小説家を目指す人、ダメじゃん。


◆終盤で置いてけぼり、、、。

 本作は、大変なことがあって崩壊しそうになった家族が、どうにか修復する、、、というお話。一番、その修復でネックになっているのが、雄二の心なんだが、最終的には氷解して、一応、ハッピーエンディングである。

 その、雄二の心が氷解することになった出来事が、佐々木蔵之介演ずるタクシー運転手・堂下とのカーチェイスなんだが、私は、あの終盤のシーンがイマイチよく分からなかった。今は真っ当に生きている元ヤクザの堂下が、息子との揉め事でヤケッパチになり、酒を飲みながらタクシーを暴走させるんだが、そのタクシーにこはるを乗せている。この、こはるを乗せることになったいきさつが、私にはよく分からなかったので、その後、3兄妹の乗った車と、堂下のタクシーのカーチェイスは、まったくもって???だった。

 おまけに、その後、こはるをタクシーから救出するんだが、雄二と堂下が取っ組み合いのケンカをして、そんでもって、雄二は母のこはるを許すことになる、、、という展開が、さらに???で、着いていけなくなった。

 何か非常に強引な展開で、強引でも納得させられるんなら良いんだが、、、。本当は雄二はこはるのことを最初から許したかったんだ、、、みたいな描写だったような気がするが、うぅむ、、、分からん。

 ……というわけで、一番大事な終盤の展開で着いていけなくなったので、の数が少ないのだけど、真面目に作られた映画だとは思う。役者さんたちは皆良い演技だったと思うし。

 ネットの評判を見ると、本作は、コメディと受け止めている人もいれば、重たい家族の話と受け止めている人もいるようだが、私にとっては、見終わって、ふーん、、、、で終わってしまった映画だった。

 

 

 

 

 

 

感動する邦画に出会いたいなぁ。
 

 

 

 


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Red(2020年)

2021-01-05 | 【れ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68619/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 誰もがうらやむ夫、かわいい娘、“何も問題のない生活”を過ごしていた、はずだった塔子。10年ぶりに、かつて愛した男・鞍田に再会する。鞍田は、ずっと行き場のなかった塔子の気持ちを、少しずつ、少しずつほどいていく…。

 しかし、鞍田には“秘密”があった。

 現在と過去が交錯しながら向かう先の、誰も想像しなかった塔子の“決断”とは――。

=====ここまで。


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 昨年、ちょっと話題になっていた本作。でも、劇場に行くほどもそそられず。DVDでいっか、、、と思った私の判断は正しかったのでした。


◆これホントに不倫モノ?

 冒頭のあらすじを読んでも、イマドキこれ??みたいな話なんだが、原作は島本理生の同名小説だそうで、島本理生作品は一つも読んだことないのだけれども、女性の性愛を得意としている作家さんのようだし、直木賞も獲っているくらいだから、きっと、本作の原作もただの不倫小説じゃあないんでしょう。

 でも、映画版を見る限りでは、ただの不倫話、、、、でさえない、というか。不倫が描けていないと感じてしまった。

 映画でも文学でも“不倫モノ”は一ジャンルであるけれど、それは“不倫”が、恋愛における枷になっているから成立しているようなもんであって、枷がない物語など、見ても読んでもツマンナイわけよ。

 本作の場合、原作がどうなのかは知らんが、少なくとも夏帆演ずるところの塔子を見ていて、不倫における枷をまったく感じなかったのよね。既婚者である<のに>、夫とは別の男とセックスしちゃうという場面は、私の目にはフツーの濡れ場にしか見えず、別にこれ、普通の何のしがらみもない男女の恋愛のそれと違わなくないか??と。

 ……いや、どういう演技なら不倫の枷を感じるセックスシーンに見えるのかと聞かれると、それは何とも言葉に出来ないのだが。不倫モノ映画といって思い浮かぶのが、『隣の女』とか『ダメージ』とかなんだが、これらの映画でのセックスシーンは、やっぱり見ていてヒリヒリする“痛さ”“ヤバさ”があったんだよなぁ。でも、夏帆とぶっきーの絡みを見ていてもヒリヒリしない。むしろ、早送りしたくなるくらい、無味乾燥。濡れ場なのに……ごーん、、、。

 見ていて思ったんだが、演技で一番難しいのって、やっぱりラブシーン(セックスシーン含む)ではなかろうか。あんまりセリフがない場合が多いから、身体の動きとか表情とかで表現しなきゃいけないわけで。……ぶっきーはしかし、何かコトの最中でやたらと喋ってたっけ、、、。なんかああいうのって、アダルトっぽくなって逆効果じゃない? 演出としては、ちょっと下品な感じがするが。まあ、これは好みかな。

 既婚者だから、罪の意識を感じさせるシーンにしろよ、と言いたいわけじゃなく、やっぱり所詮は“破滅前提の関係”であるという切迫感めいたものがないと、不倫モノ特有の枷にはならんわね。そこが、本作には決定的に欠けていた要素だと感じた次第。これは、演出も良くないけど、演じた2人も良くないと思った。


◆塔子という女性、その他もろもろ。
 
 なんか、濡れ場の話ばっかし書いてしまったが、それ以外のところでは不倫モノとしてどう感じたか、というと、何かそれもピンとこなかったんだよねぇ。

 そもそも塔子という女性が、同じ女性として私は好きじゃないなー、と。

~以下ネタバレしています~

 監督が言うには、「それまで自分の欲求を押さえつけていた塔子が初めて自分の人生を生き始めた瞬間を撮りたい」ということだそうだが、塔子さんて、“自分の欲求を押さえつけていた”のかね?? 柄本佑演ずるウザ男のあしらいとか、ああいう家の息子と結婚したこととか、鞍田とのアレコレとか見ていると、結構、自分の欲求に正直に動いている女に見えるんだが。

 私が好きじゃないのは、本当はそうなのに、そうじゃない風を装っているのがミエミエ、つまりぶっちゃけて言えば“カマトト”なのに、「私って、抑圧されてて可哀想、、、」みたいに生きているからなんだよね。被害者ぶってんじゃねーよ、と。人のせいにするな、ってね。好きでカマトトやってんでしょ。

 本作のラストは、監督に言わせれば“塔子が自分の意思で初めて人生の選択をした”ということなんだろうが、ううむ、、、相手は死んでいるからなぁ。生きていれば、駆け落ちはアリだと思うけど。死んでしまった男の思い出を抱いて生きる、、、、お好きにどーぞ、ではあるが、映画としてはちょっとね。少女趣味というか。イマドキの少女はそんなことしないか。

 カマトトを一皮剥いたら、天然が出て来た、、、ってとこかな。大人の恋愛話としては、オチが馬鹿っぽい気はするが、カマトトの先行きとしてはふさわしい気もする(本作で感動した方orお好きな方、ごめんなさい)。

 あと、冒頭のあらすじにある「鞍田には“秘密”があった。」という思わせぶりな一文だが、秘密って、鞍田が癌だってこと? あれって秘密なの?? ううむ。秘密なのかー。私は、病気とか妊娠とかを物語の“転”にするの、生理的に好きじゃないんだよなぁ。登場人物が病気になったり妊娠したりしても良いけど、それを転にするって、、、現実ではそういうことは一杯あるけど、フィクションではちょっとな。しかも、“秘密”って(これも好みの問題です)。

 本作では、夏帆が「大胆なシーンに臨んだ」などと話題になっていたが、、、、え゛、、、どこが?? だったんだけど。こういう映画で脱ぎ惜しみする女優って、何なんだ?? だったら出るな、役を受けるな、と言いたいんだが。脱ぎたくないのか、脱がしてもらえないのか知らんが、本当に邦画のこういうところは幼稚で鼻白む。彼女の他の演技も、さして上手いと思えず。

 ぶっきーは、童顔で、悪い男を“頑張って”演じている感が滲み出ていて、見ていてキツかった。ううむ、彼の演技は上手いのか? 分からん。

 性愛を描いても、およそ韓国映画には及ばず、、、って感じやね。邦画界の根深い病理のようなものを感じる。

 

 

 

 

 

 


原作を読んでみようかな。

 

 

 


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ミセス・ノイズィ(2019年)

2021-01-02 | 【み】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv69937/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 小説家であり、母親でもある主人公・吉岡真紀(36)。スランプ中の彼女の前に、ある日突如立ちはだかったのは、隣の住人・若田美和子(52)による、けたたましい騒音、そして嫌がらせの数々だった。それは日に日に激しくなり、真紀のストレスは溜まる一方。執筆は一向に進まず、おかげで家族ともギクシャクし、心の平穏を奪われていく。

 そんな日々が続く中、真紀は、美和子を小説のネタに書くことで反撃に出る。だがそれが予想外の事態を巻き起こしてしまう。

 2人のケンカは日増しに激しくなり、家族や世間を巻き込んでいき、やがてマスコミを騒がす大事件へと発展……。果たして、この不条理なバトルに決着はつくのかーー?!

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 2021年になりましたね。今年はどんな年になるのやら、、、。年明け早々、東京は緊急事態宣言発出がありそうな感じですが、また映画を劇場で見るのもしばらくお預けになるんですかね。

 本作は、昨年末に最後に劇場で見た映画なんだけれど、感想文を書くのが遅れて年をまたいでしまいました、、、。


◆実話の映画化ではありません。

 チラシを見て、地味な感じながらちょっと面白そうかな、と気になったんだけど、これ、原作があったんだね、、、。知らなかった。

 元ネタは大分前にメディアでも取り上げられていた(今は亡き塩爺の問題発言もあった)“引っ越しオバサン”と呼ばれる女性が、お隣に騒音で訴えられた一件。この話、私はよく知らないのだが、たまたま塩爺が問題発言した番組は見ていて、引っ越しオバサンよりも塩爺の方がかなりヤバいと思った記憶がある。

 あと、長州力の「コラコラ問答」(←ご興味ある方は検索してみてください)の動画を、引っ越しオバサンとの問答に編集してパロディー化した動画をたまたま何かの折に目にしたこともあって、この件はぼんやり記憶にあった。

 ……といっても、あくまで元ネタであり、実話の映画化ではないんだが、ネットを見ると、やっぱり“実話の映画化”と勘違いしている人もいるみたいだが、、、。元ネタのことはよく知らないので、そこはあまり興味がなく、予告編を見たときに、主人公の2人の女性がキョーレツだったので、一体どんな、、、? と思って、劇場まで行ったのだった。


◆私は正しい!!

 見る気がしない邦画が多い中で、低予算と思しき作りながらかなり頑張っていると感じた次第。

 小説家の女性・真紀の人物造形は類型的なんだけれども、シナリオは見る者の予想をちょっとずつ良い方に裏切ってくれる展開なので、最後までダレずに見ていられた。ただ、ラストがものすごく甘いので、台無しになった感は否めない。まあ、これは好みの問題かも知れないけれど。SNSでは、「泣けた」と書いている人が結構いらっしゃる様なので、、、。

 映画監督の森達也が、本作のことを「現代版『羅生門』だ」と言っているが、まあ、確かに同じ事象を別視点で描いている。あんな早朝から布団をバシバシ叩くオバサンには、そうするだけの事情があるんだ、ということを見せている。

 私が気になったのは、主人公の真紀が小説家のくせに、あまりにも想像力が乏しく、短絡的であるところ。決め付け、思い込みが激しすぎて、呆れてしまう。物書きなら、もう少し違うモノの見方をする訓練が出来ているはずなのに、……まあ、だから一発屋の売れない作家、というわけなんだろうが、それにしても、、、である。

 隣のオバサンが「私は間違っていない、間違っているのは世間の方」と自分に言い聞かせるシーンが何度があって、これは結構シビアなシーンだなぁと思った。これ、自分は大丈夫か??と自問させられる。本作のテーマはこのセリフに集約されていると言っても良く、こういう考え方が物事を拗らせる原因になっているのでは? という、制作者の問い掛けだろう。

 ネットやメディアのリンチについても描かれてはいるが、ありがちだし、他にもその手の映画はあるが、私が本作で一番心に残ったのは、上記のオバサンのセリフだ。


◆その他もろもろ

 本作は、低予算ながらヒットしているらしく、「カメ止め」を引き合いに出されているようだが、クオリティとしては本作の方が良いのでは。「カメ止め」みたいにアイディアだけの勝負ではなく、ちゃんと人物描写がされているもんね。

 ただまあ、正直言って、真紀とオバサンのバトルシーンなどは、再現ドラマみたいなテイスト。オバサン役の大高洋子さんも、真紀を演じた篠原ゆき子さんも、全体にちょっとオーバーアクションかな。こういう映画だから、あえてそういう演出にしたんだろうが、、、。驚いたのは子役の演技。あの年齢で既にかなりのキャリアを積んでいるらしい。

 笑ってしまったのが、編集者たちの描き方。真紀とオバサンのバトル動画を利用して“売らんかな”の若くてチャラそうな編集者と、真紀に「あなたの書くものは薄っぺらい、もっと本質を描かなきゃダメだ」的な能書きをたれるだけのイヤミなオッサン編集者の対比がね、、、。類型的過ぎ。でも、優秀な編集者ってあんまし画にならない気がするからなぁ。こういう、典型的ダメ編集者の方が面白いもんね。

 しかし、前述の通り、本作はラストが大甘なので、このイヤミな編集者じゃないけど、あのラストのせいで、本作全体の印象が、それこそ“薄っぺらい”ものになった気がするのは、ちょっと皮肉かも。

 ネットの感想を見ると、真紀の夫の評判があんまし良くないみたいだけど、私は、彼の言動は分かるわ~、と思ったクチ。あんな子どもっぽくて頭の悪い妻の言動を間近で見ていたら、ああいう態度になっても不思議じゃない。そもそも夫の言葉を聞こうともしない真紀に、どうせいっていうのか。私があの夫なら、この事案は、間違いなく離婚案件だね。離婚をチラつかせないだけでも、あの夫はまだ人情があると思うわ。むしろ、夫の育児参加を中途半端に描いていて、その辺もイマイチな感じを受けた要因になっている。

 頑張っているとは思うけれど、残念ながら、劇場で見た方が良い!!ってほどでもない。

 

 

 

 

 

 

 

隣人は選べない。

 

 



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