不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

鳥(1963年)

2014-07-29 | 【と】

★★★★★★☆☆☆☆

 ヒッチコック作品、あんまり見たことないんですけれども、BSでオンエアしていたので録画して見てみることにしました(ちなみにリンク先のあらすじには、作品の前半が全く書かれておりません)。

 なるほど、、、これは不気味な映画ですねぇ。怖いというより、気味が悪い。確かに、鳥って、あまりにも数が多く集まると脅威を感じますもんね。メラニーが校庭をバックにたばこを吸う間に、ジャングルジムにカラスが1羽、また1羽と増えていく様の気味の悪さと言ったらありません。

 しかし、本作は、もの凄く前振りの長い作品で、しかも、その前振りがなんというか、かなり違和感があります。メラニーがあんまし賢い女に描かれていない(もっと言っちゃえばおバカ女に描かれている)ように感じたのは私だけ? だって、よく知りもしない男にラブバード2羽を鳥かごに入れて届けに行くんですよ? しかも、ボートにまで乗って・・・。おまけに父上は新聞社を経営するお嬢で、仕事もしているんだかいないんだかよく分からない、もの凄い美人だけとパープリン女にしか見えないわけです。ところが、鳥の襲撃第一弾があって後、メラニーは急に賢い・・・、というか勇敢な女(少なくともパープリンには見えない)に描かれていきます。

 ほかにも気になったのは、ミッチの母親リディアの描写。彼女のメラニーに向けるまなざしは非常に陰険で悪意がこもっているのだけれども、メラニーが鳥の襲撃を受け意識を失うというかなりのダメージを受けた後、急に優しくなるのです。そもそも、ミッチに対し子離れできていない様子がアリアリのこの母親は、ミッチの妹である自分の娘キャシーでさえ守る気概がなく、メラニーがキャシーを守り抜くという展開なのも異様。このメラニーとリディアの関係性の描き方は、もの凄く意地が悪い・・・。だって、ズタボロになって命の危機にさらされてようやく、リディアはメラニーを息子の愛する女性として受け入れるんですよ。ズタボロにならなきゃダメだったわけです、この母親にとって、息子の彼女は。ぎょえ~、こわ。

 これらの要素だけでも、ヒッチコックってのは、恐ろしく女性にモテなかった、絶望的にコンプレックスを抱いたオッサンだったことが推測できてしまいます。映画監督としての才能は、確かに並はずれたものがあったに違いないけれど、人間としてはヒジョーにイヤらしい人だったに違いない、と、思っちゃいますねぇ。クリエイターってのは、その作品に、モロ性格出ますから・・・。モノを書くってことは恥をかくことだ、とはよく言われますけれど、ものを書くことに限らず、ですよ。図らずも、いや、開き直ってかも知れないけれど、ヒッチコックは自分の捻くれまくったオヤジ根性を世に晒した訳ですね、惜しげもなく。

 本作における「鳥」は、ヒッチコック自身だと思いましたね。彼が大の鳥嫌いだった、というのだから余計そう思います。・・・つまり、世間(特に美女)に復讐してやりたい、みたいな潜在意識。まあ、コンプレックスは創造力の源ですから、一概に悪いとは言いませんけど、、、。ぞぞっ(鳥肌)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

密告(1943年)

2014-07-28 | 【み】

★★★★★★★☆☆☆

 アンリ・ジョルジュ・クルーゾーって人は、登場人物を驚くほど冷たく突き放すことのできる、少数派の監督じゃないでしょうかね。これ、名監督と言われる人の中でもできない人が多い(と思う)中で、だからこそ、時が経ってもその作品たちが輝きを放っているんじゃないでしょうか。

 本作は、ミステリーなので、一応、見る人は犯人捜しをしながら見ると思います。私も、もちろんそうでした。しかし、そこはクルーゾー監督で、「そんな単純なハナシじゃねーんだよ、アホめが!」というお叱りをfinマークとともに突きつけられたような気がしました。そう、このハナシの犯人は、見る人によって見解が分かれると思われます(ちなみにリンク先のあらすじには断定的に書いてありますが、これは鵜呑みにしない方が良いと、私は思います)。

 匿名の「カラス」を名乗る怪文書が小さな町中を飛び交います。手紙で主に槍玉に上がるのが医者のジェルマンですが、その周辺にも矛先は容赦なく向かい、だんだん町の中は疑心暗鬼の雰囲気に包まれるという、、、。いかにもクルーゾーっぽい展開でしょ? じわじわ恐怖がやってくるぅ~。こわっ!

 序盤で、ある女性が犯人だと思わせるように話が展開します。さすがの鈍い私も、これには引っ掛かりませんが、彼女は実際、逮捕されてしまい、町中の人々から追い回される時の恐ろしさが、中盤までの一つのヤマです。そこからラストに向けて、カラスの正体が暴かれるべく、二転三転、ジェルマンの過去が明かされ、ああなってこうなって、、、、えええ~っ、って思っている間に、謎のラストシーンで幕。そう、あの老女が歩いて行くラストシーン、これが、犯人探しという視点で言えばキモだと思いました。思えば、この老女は序盤にも出てきていて、そもそも逮捕された女性が疑われるきっかけとなる事件の原因を作っていたのです、、、。

 でもまあ、真犯人は、見る人の解釈に委ねているのでしょう、監督は。そういう作りです。

 監督が真に描きたかったことは、やはり、「密告社会」の恐ろしさ、だと思います。本作がナチ占領下で作られていたこと、これがクルーゾーの怒りを静かに表したものとなったのだと、嫌でも思わざるを得ません。結局のところ、「カラス」は一人じゃなかったということも考えられ、「カラス」こそが、匿名で密告する、噂が噂を呼ぶ、推測が真実であるかのように独り歩きする「チクリ社会」の象徴と言ってよいと思います。よくぞ占領下でこんな作品を撮ったものだと、その気概に敬服します。

 あれほど、従順そうで、ジェルマンも心を奪われそうになったローラを容赦なく精神病院送りにさせ、友人でローラの夫であるヴォルゼも殺しちゃう、ジェルマンにとって散々なラストを提示するなんて、クルーゾーは、どうしてこんな残酷な話が描けるのか。優れた作品を生み出す人、ってのは、その登場人物を時に信じられないような突き放し方をして、見たり読んだりしているこっちが胸をえぐられる、ってことが往々にしてあるんだけれど、本作もまさにその一つだと思います。監督自身が登場人物に入り過ぎちゃう作品もママ見られる中、こういう作品こそ恐ろしく、また、優れた作品なのだと思うのです。

 いつもクルーゾー作品を見るたび思うけれど、やっぱり本作を見ても思いました。「クルーゾー、恐るべし」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴジラ(1954年)

2014-07-23 | 【こ】

★★★★★★★★☆☆

 怪獣モノは基本的に大好物なんだけれども、ゴジラシリーズに関しては、あのエメリッヒ監督の『GODZILLA』(1998年)を何を思ったか劇場まで見に行ったほかは、ほとんどまともに見たことがなく、当然、第一作の本作も今回が初めて見るという次第。BSにてオンエアのデジタルリマスターで、画面は大変きれいです。

 もちろん、60年前の作品ですから、特撮技術は言うに及ばず、独特のセリフ回しや演出など、古さは嫌でも感じますが、でもそんなこんなを超越する圧倒的なパワーがあります、本作には。

 戦争が終わって、10年足らずという時代背景が如実に表れていることに、何というか、胸が締め付けられる思いがしました。全編にわたり、いたるところで先の戦争に関するセリフが出てきます。学者や政治家のセリフはともかく、市井の人々のセリフ、例えば、ゴジラについて電車内で語り合う若い女性の「せっかくナガサキから生き延びた身なのに」、街を破壊しまくるゴジラを前に幼子を両脇に抱えた母親の「もうすぐお父さんに会えるわよ」等々、、、。本作を制作した人々のほとばしる思いというか、書かずにおれない、言わずにおれない、そんな気持ちが伝わってくる気がしたのです。

 なにより、本作のゴジラは怖い。恐ろしい。正直、画面を正視できないところもあったほど。私の中で、ゴジラのイメージは怪獣だったわけで、怪獣は私にとっては怖くないのです。怪獣ってのは、そもそも、人間を標的にするっていうよりは、地球を、そして、それを退治するスーパーヒーローを標的にして現れるものだから、ダイレクトな怖さを感じないのね。しかし、このゴジラはその辺のフツーの人間を狙うんですよ。踏み潰す、焼き殺す、何のためらいもなく。まあ、怒っているのだから当たり前なんだけれども・・・。だから、オソロシイのです。

 ある新聞Aが、ゴジラ第一作について反戦メッセージを込めたものだという60周年特集記事を掲載していたんだけれども、集団的自衛権云々の折も折、その特集に対し別の新聞(と呼ぶのも抵抗があるが)Bが「何でもかんでも反戦・反核に結び付けるな」というコラムを載っけていました。本多監督自身も、反戦メッセージなど本作にはなく「戦後の暗い気分をアナーキーに壊しまくってくれる和製『キングコング』のような大怪獣映画」を目指していたんだとか・・・。まあ、真相は知りませんけれども、本作を見て「反戦・反核」を読み取って、文句言われる筋合い、あるんでしょうか。読み取らなくてももちろん結構ですが、読み取ったってヘンじゃないでしょう。監督がどういうつもりで撮ったか知りませんが、少なくとも、私は、この脚本を書いた人にそういう思いがなかったとは思えません。新聞Aが書くと、無駄に政治色を帯び、それに政府広報紙・・・じゃなかった新聞Bがお約束のように批判文を載せるという、、、あー、バカ丸出し。伊福部さんは、反核メッセージを読み取ってあの音楽を作った、という話は有名でしょ。

 まあ、強いて言えば、芹沢博士が山根博士の娘の元婚約者である必要性が感じられない、とか、山根博士は結局ゴジラ対策をなーんにも出来なかった、とか、尾形は本作で一体何したんだよ、とか、突っ込む箇所もあるにはあるけれど、そんなのは些末なことだと思えるくらい、本作は作る人々のパワーのこもった作品でした。伊福部音楽も、もちろんサイコー♪ この音楽でなければ、その後のシリーズ化もあったかどうか・・・。

 本作の制作に携わった全ての人々に敬意をこめて、★2つプラス。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クッキー・フォーチュン(1999年)

2014-07-22 | 【く】

★★★★★★☆☆☆☆

 惚れてしまったアルトマンの作品を全部見ようと思い、何も考えずに本作から。まだ見ていないの、一杯あるのよね・・・。

 はてさて、、、、えーっと、これ、すごいフツーじゃないですか。いや、アルトマンにしては、という意味ですけど。なんというか、ストレート過ぎて面喰いました。、、、まぁ、クリスチャンならではのストーリー展開なのではあるけれど、あんまり宗教色が全開というわけでもないので、無宗教の私でも十分着いて行けます。

 グレン・クローズは、お約束な役回りです。彼女はやっぱり巧いですね。こういうイッちゃってる人を演じさせると、この人は魅力全開。でもって、彼女のちょっとオツムの弱そうな妹役であるジュリアン・ムーアなんですが、これが、何でこういう姉妹の関係なのかがイマイチよく分からないんだけど、それはまぁ、話の筋にはあまり関係ないのよね。あんな姉だからこんな妹なのか、こんな妹だからあんな姉なのか・・・。

 思うに、そのどちらも、なんでしょうなぁ。こんな姉でこんな妹だから、あんな妹であんな姉になったんだよ、というところじゃないかしらん。序盤に自殺してしまうクッキーは彼女らの叔母さんなのだけれど、肝心の彼女らの母親が本作では一切語られていないのよね(それとも見落としたのかな)。それが気になります、とっても。あんなイカレた姉妹、母親との関係が相当ねじくれていなければあり得ないと思っちゃう。恐らくは、父親不在の家庭だったのではないかと。

 この姉妹だけが、本作の中で浮いているのですね。街の人たちは皆、ほのぼのとそれなりに仲が良い様子なのに、この姉妹(特に姉)だけが何やら剣呑なのです。事実、トラブルメーカーですが。案の定、妹には娘がいるんだけれども、この母娘関係もよろしくない、、、どころか、とんでもない秘密が明かされてビックリ。

 とまあ、話をなぞるとそれなりに毒はあるし、話は(珍しく)分かりやすいし、展開も(これまた珍しく)結構速いし、映画としてはとても良い出来だとは思うんですけれども、なんかこう、、、食い足りないっつーか。リヴ・タイラーは可愛かったけれど。

 『M★A★S★H』とか『ゴスフォード・パーク』で見せてくれた、キョーレツな皮肉や意地クソ悪い毒まみれではないので、万人受けはすると思いますが、アルトマンの放つ毒気にヤラレた(もちろんイイ意味で)輩にはヒジョーに物足りないのではないでしょうか。しかも、ラストは、人情系の結構ハッピーエンドだし。うーむ、この頃のアルトマンは一体、どういう状況にいたのでしょうか。その辺りも影響あるのかも、、、知らないけど。調べてみる価値ありそう。

 というわけで、アルトマンにしてはとっつきやすい作品なので、初めて見るのにはむしろオススメかも知れません。いや、これを初めて見ていたら、私はアルトマンにこんなに惹かれなかったと思うから、オススメじゃないかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みつばちの大地(2012年)

2014-07-15 | 【み】

★★★★★★★☆☆☆

 アメリカの養蜂家、ジョン・ミラーは言っていた。「みつばちは可愛いよ、頭は良くないけどね・・・」、、、そ、そーかなぁ。頭良いと、私は思うんだけれども。

 というか、働きバチは、そもそも頭使っていない、という意味で言えば、頭が良いも悪いもないわけで。本作を見ると、働きバチは、もうその命の使い方がDNAにしっかりプログラミングされており、生まれたら死ぬまで、そのプログラムに支配されて働き続けるわけね。これはもう、ただただひたすらに、働く、働く・・・。確かに、けなげで可愛い。細かい毛が一杯生えた体を花粉だらけにしているみつばちは、本当に、可愛い。

 映像が素晴らしい。無人ヘリ等で接写していて、迫力も美しさも、言葉にするのが難しいくらい。働きバチにも心があるみたいに思えてくるんだからスゴイ。

 昨今のみつばちの大量死や失踪(蜂郡崩壊症候群「CCD」)の原因が、特定物質を含んだ農薬だと言われ、それは科学的にも証明されていて、本作でもそれが出てくるし、冒頭に挙げたジョン・ミラーの養蜂に至っては、(彼自身自覚しているが)ハチに対する愛情が感じられないし、みつばちを取り巻く環境が厳しいことはどうやら確からしい。しかし、本作は、別に犯人捜しをしているわけではなく、みつばちを通して環境問題を垣間見ている、そういう作品だと思う。このままでは良くないんじゃないかなぁ、、、という監督の素朴な疑問。

 パンフには、ある大学の先生が寄稿しており、みつばちの大量死や失踪が問題になっているが、総個体数が「激減」しているわけではない、という。CCDだけフォーカスしてヒステリックに騒ぐことに、この先生は明文化してはいないけれど懐疑的なのがよく分かる。なので、本作の構成にも全面的に与していない。ただ、みつばちにとって、環境が過酷になりつつあることは事実だし、みつばちが全世界の食物の3分の1の受粉を担っていることを考えると、彼らの活動しやすい環境を整えることが、ひいては世界の環境改善に寄与するのではないか、という論旨だ。

 いずれにしても、みつばちは「家畜」であることを、ついつい忘れがちなんだけれども、みつばち1匹が生涯に集める蜜の量は、なんと小さじ2分の1杯に過ぎないと聞いて、「みつばちさん、ありがとう」と思わず手を合わせた。だって、私は、ハチミツを切らすことができない人なのである。ほとんど毎日摂取している。しかも、結構惜しげもなくダボダボと・・・。本作を見た数日後にハチミツが切れて、今、不安だから買いに行きたいんだけど、ああ、あのハチミツは一体何千匹のみつばちの働きのおかげか、と思うと、なんとも切なくて買いに行くにも足が向かないのである。でも、このままだと、確実に禁断症状だし、ああ、やっぱり買いに行かなきゃな・・・。

 本作は多分、ギンレイで数か月後に上映されると思う(根拠はありません、ただの予想)ので、そうしたら再見に行きたいと思っている。DVD化されたら、それも見たい。感動するとかそういう類のものではないけれど、あの素晴らしい映像をもう一度見たい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボブ&キャロル&テッド&アリス(1969年)

2014-07-12 | 【ほ】

★★★★★★★☆☆☆

 先日、新聞のちっちゃい記事に、マザースキー監督の訃報が載っていましたね・・・。これまで『ハリーとトント』『結婚しない女』の2本しか見たことないけれど、記事を目にして寂しいなぁ、と思いました。本作は、ダイアン・キャノンの若かりし日を見たくて大昔にレンタルリストに入れていたものが今頃になって届いたので、たまたま、このタイミングでマザースキー作品になってしまったけれど、見終わって、改めて、また一人逸材がこの世から消えたのだなぁ、と改めて思いました。

 本作のテーマは、ズバリ「セックス」です。心と体と一致しているかいないかで、その行為の持つ重みが全然違ってくる、という主張の下に話は展開されていくのだけれど、もちろん、ことはそう単純ではないわけで、、、。

 夫婦ってのは、社会的に「私たちはセックスパートナーです」と公言するものであります。なので、結婚する=夫婦になるということは、セックスパートナーになることであり、若かりし頃、親に「見合い」を強制され、一番、私にとってキツかったのはコレでした。つまり、見合いってのは「この人とセックスできます?」と聞かれているに等しい、と思ってしまう訳です。なぜなら、見合いは、直接2人が会う前に、写真とで、その人が結婚相手として互いに社会的条件をクリアしているから、当人同士の面会が成立するわけですね(まぁ、正確にいうと、特にルックス面でいうと、そうでもないんだが、ここでは敢えて言及しません。面会前の拒否権でいうと圧倒的に女に不利、ってことだけ明記しておきましょう)。つまり、直接会う時点で条件面はオッケーな訳です。後は、性格だの何だのってことでしょうが、要は「セックスできるか否か」でしょ、と思っちゃう私は、決して自分が変態だとは思えなかったのですよねぇ。しかし、見合いを強いた母親は、こうのたまいました。「セックスなんて誰とだって出来るんや!!」、、、、、、、、オェッ。。

 はてさて、本作では、心が伴わない、単なる行為としてのセックスなんて、大した意味はない、排せつ行為に等しい(とまではセリフにありませんが)みたいなことを、ボブ&キャロル夫婦は互いの不貞行為を突きつけられて言葉にしています。その前に、作品の冒頭部分でおかしな研修に夫婦で参加して、頭のねじを外されちゃった訳ですが、、、。その理論から行けば、前述の、私の母親の言い放った言葉も真理かもしれません。確かに、生物学的には誰とだって、雄と雌なら成立します。

 しかし、2人の親友夫婦であるテッド&アリスは常識派。特に、アリスはお堅いので、ボブやキャロルに着いて行けません(まぁ、トーゼンだと思うが)。テッドも最初はアリスに近かったけれど、ボブによって浮気心を開眼され、心の伴わないセックスを通りすがりの女性としてしまい、それをアリスに告白するという・・・。あ゛ーーー。ここに至り、アリスも一瞬崩壊しかけて、この2組の夫婦は、スワッピングを企てる訳ですが、果たして・・・。

 もちろん、成立しません、夫婦交換なんて。つまり、セックスなんて、心か体かとか、そういうハナシじゃないのです。人によって違うし、でも、誰とだってできる、という言葉に対してだけは、声を大にして言いましょう。「それは違います!」とね。誰とだってできる、と言い放つことは、つまり、自分の性生活の貧困さを公言しているのに等しい訳で、もの凄く恥ずべきことです。ここでいう「性生活の貧困さ」というのは、相手に対する気持ち云々ということより、セックスを一度でも「互いの全人格のコミュニケーション」と捉えて行為をしたことがあるかないか、ということです。ま、行きずりのセックスには、あんまりないかもですが・・・。とにかく一度でもあれば「誰とだってできる」とは、口が裂けても言えないはず、と私は思う訳です。

 ということを、本作を見ながら考えました。この感想文は、ある意味、私の父親をも貶めることになるのかも知れませんが、まあ、母親の暴言は事実なので敢えて書きました。

 ダイアン・キャノンは若いころもあまり違わないなぁ、という感想。『アリー・myラブ』でウィッパーを演じていた彼女も素敵だったし。ロバート・カルプも犯罪者以外の役で初めて見ました(『刑事コロンボ』の常連だったので)。ナタリー・ウッドもチャーミング。エリオット・グールドは、『ロング・グッドバイ』でのマーロウと同じ俳優とは思えず・・・。何気に豪華キャストで、得した気分。

 マザースキー作品、他のも見てみたくなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サブウェイ・パニック(1974年)

2014-07-07 | 【さ】

★★★★★★★☆☆☆

 パニック映画には違いないけれど、非常に地味で、すごくシンプル。でも、これが素晴らしく面白い! シンプル・イズ・ベスト、なんていう陳腐な言葉が浮かんじゃう。

 だいたい、地下鉄のハイジャックを思いつく時点で、この犯人グループは、かなり屈折したひねくれ者集団でしょ。地下なんて閉鎖空間で逃げ道だって知れているのに、敢えてやってくる。それぞれの名前を色で呼び合うなんてところも、屈折度がうかがえる。でもって、警察側にも、クセありの交渉役ガーバーが登場。

 まあ、ストーリー展開としては、至極真っ当なパニックもの。トラブルが発生し、解決するために関係者が奔走する中で、数々の予期せぬトラブルに見舞われ、でも最終的にはキッチリ正義の側がエンドマークを付ける、みたいな。・・・と分かっていてもドキドキさせてくれるのが、上質なパニック映画であるのなら、本作は、十分及第点、いえいえ、佳作でしょう。

 出てくる人物もほとんどオッサンばっかってのもgood! しかも、まあ、イケメンは皆無(というと、ロバート・ショウあたりは怒るかな)。美女とか出てきてヘンに話がややこしくならないから、パニック自体に集中できる。いいねぇ、いいねぇ。

 犯人グループが脱出する術は、まあ、確かにあれくらいしかないだろうから、そこに思いが至らない警察側はかなりマヌケである。でも、それを挽回して余りあるラストのオチ。うーむ、なかなか味のある伏線じゃないの。

 ただ、疑問なのは、あそこまでひねくれ者たちの集まりなのに、目的・動機は、ただの「カネ」ってところがちょっとね。かといって、イデオロギー闘争なんて、もっと似合わないから、まあ、極めて通俗的な「カネ目的」が一番ぴったりくるのかも、と思ったり。

 ところで、現在の東京メトロで地下鉄ハイジャックはかなり不可能に近いと思われるけれども、どうだろうか。地下鉄に限らず、ハイジャックって非常に効率の悪い要求の通し方だと思うのだが・・・。世間的な注目度はあるとはいえ、労多くして・・・だよね。本作の犯人たちも軒並みお亡くなりになっているし。、、、ともかく、ハイジャックなんていつでもどこでも起きないことを願うばかりだけれど、本作は確かに面白かった!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グランド・ブダペスト・ホテル(2014年)

2014-07-04 | 【く】

★★★★★☆☆☆☆☆

 レディースデイだったからか、劇場は満席完売。世間の評判も結構高い。、、、だけれども、私はダメだった、これ。何かの映画を見に行ったときに、予告編を見て、レイフ・ファインズが主演っていうだけで、これは見たい!と思っていたんですけどねぇ。

 ウェス・アンダーソン監督の作品は、これが初めてで、どういう作風かなんて全然知らずに見たわけだけれども、なんつーか、もう、最初からずっと「置いてけぼり状態」なわけですよ、ホントに。しかも、ずーーーっと同じ語り口調で話が進み、飽きるというか、ダレるというか。睡魔に付け入るすきを与えそうになること三度。うー、こりゃ辛い。終盤、ホテルで銃撃戦辺りからようやく面白くなってきたゾ、と思い始めたら、ハイおしまい、ってな感じでした。

 そして、この置いてけぼり感は、見終わった後、パンフを見て合点がいきました。なんと、本作の制作にあたり、監督はあの『生きるべきか死ぬべきか』を参考にした、というのです。あー、すごい納得。そーいえば、あのあまり意味があると思えない繰り返されるドタバタとか、同じテンションの話の運びとか、まあ似ているわ、確かに。そして、世間の評に反して、ものすごくつまんないとこも。

 ただ、映像や美術は素晴らしく美しいし可愛いし、見どころだらけです。スクリーンで見る価値ありますね、これは。でも、それだけでした、私には。

 この作り物っぽさは決して嫌いじゃないのです。何がダメかって、恐らく、笑いのセンスが根本的に「合わない」んです。ところどころ笑えるんですよ、確かに、クスッとね。でも、それは話の流れにのった面白さから笑えるのではなく、そこだけ切り取った笑いなんです。一瞬、一瞬のブツ切り的な笑いがところどころにあったって、全体が面白いとは思えないのですね。

 ナチと東欧諸国を思わせる設定ですので、ラストに向けてはそれなりに重みを感じはしますが、正直、「またナチか(辟易)」というのも偽らざる気持ちです。いつまでナチネタやるんでしょうか、人類は。今、世界の脅威はナチ(=独裁)より、テロだと思いますけれども。もちろん、独裁による人権蹂躙はいつでもどこでも起こり得ますので、テーマとして普遍であることは分かります。かといって、テロ映画も、もうゲップが出そうなほどありますしねぇ・・・。

 溢れる作品群の中で輝きを放つには、本作は、いささか「お行儀が良すぎる」気がしました。お上品すぎるというか。殺しやセックスも出てきますが、なんつーかこう、単なる童話の中の一節でスルーしちゃう感じ。下劣にならない下品さって大事でしょ。なんか、本作は、言ってみれば「箱庭映画」っていう感じ。キレイにこぢんまり、監督の頭の中の通りにできちゃった、みたいな。物を作るって、作っている途中で構想していた以上のモノが出てくるのがその面白さだと思うんだけど、本作は、最初から最後まで想定内、って感じで。

 レイフ・ファインズは、結構、コメディを楽しそうに演じており、久しぶりに生気のある俳優レイフ・ファインズをスクリーンで拝めたのは収穫です。このところ、かなり色褪せていたように思うので。

 ま、期待値が高かった分、ガッカリ度も高くなってしまったという、典型的なパターンでございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする