映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

CLOSE/クロース(2022年)

2023-12-19 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv80389/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 花き農家の息子のレオと幼馴染のレミ。昼は花畑や田園を走り回り、夜は寄り添って寝そべる。24時間365日ともに時間を過ごしてきた2人は親友以上で兄弟のような関係だった。

 13歳になる2人は同じ中学校に入学する。入学初日、ぴったりとくっついて座る2人をみたクラスメイトは「付き合ってるの?」と質問を投げかける。「親友だから当然だ」とむきになるレオ。その後もいじられるレオは、徐々にレミから距離を置くようになる。

 ある朝、レミを避けるように一人で登校するレオ。毎日一緒に登下校をしていたにも関わらず、自分を置いて先に登校したことに傷つくレミ。二人はその場で大喧嘩に。その後、レミを気にかけるレオだったが、仲直りすることができず時間だけが過ぎていったある日、課外授業にレミの姿はなかった。心ここにあらずのレオは、授業の終わりに衝撃的な事実を告げられる。それは、レミとの突然の別れだった。

 移ろいゆく季節のなか、自責の念にかられるレオは、誰にも打ち明けられない想いを抱えていた…。

=====ここまで。


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 先日、『aftersun/アフターサン』との2本立てで早稲田松竹まで見に行ったのですが、『aftersun/アフターサン』はちょっともう一度見てみたいというのがありまして、感想は再見してから書こうと思います。

 で、本作は、公開前に予告編を何度か見ていて、あんまし食指は動かなかったんだけど2本立てなので、まあ見てみるか、、、という感じで見た次第なんですが。うぅむ、これはちょっと、、、、という感じの感想になりますので、本作がお好きな方、ここから先は自己責任でお願いします。

~~以下、ネタバレバレです。~~


◆フィクションにおける“自死”

 上記のあらすじにある「レミとの突然の別れ」というのは、レミが自殺で亡くなってしまった、、、ということ。

 このブログでも何度か書いているが、私はどうも、自殺というファクターが苦手というか、正直言うと好きじゃない。もちろん、展開に必然性が感じられればよいのだけど、唐突な感じで、話の大転換に“自殺”が入ると、どうも引いてしまう。

 本作もそうで、予告編では仲良し少年の一人が自殺でいなくなってしまうという感じでもなかったので(まあ、真剣に予告編を見ていなかったから、見抜けていなかっただけかも知れんが)、これは完全に不意打ちを喰らった。そして、レミを自殺させる展開が、私にはどうも違和感バリバリで終始してしまったのだった。

 自殺の原因は人それぞれであり、第三者が納得できるものばかりじゃないし、納得できる必要はない。本人が死を選んだ、それが全て。現実世界ではそうだけど、フィクションの世界でそれをやったら、“展開に困ったら自死”という安易な使われ方にもなりかねず(実際そういう安易さを感じるシナリオはあるしね)、私としてはかなり抵抗を覚えるのである。

 レミは、レオとのそれまでの関係が変化していくことを受け入れられなかったわけだが、子供でも大人でも人間関係で距離感に変化が起きるのは当然の現象であり、もっと言えば、人間関係なんて程度の差はあれ、全てが「片想い」であると言っても過言じゃないのでは。お互いの思いの重みに全く差がない関係なんて極めてレアだろう。レミ少年は、レオに冷たくされたり素っ気なくされたりして、それまでの濃密だった関係が壊れていくことに絶望し(?)、結果“自死”を選ぶというのは、、、どうなんだろうねぇ、ということである。レミの性質がそういうものだった、と言われればそれ以上反論の余地はないのだけど、、、。そうなると、詰まるところ、本作は何を描きたかったのか、、、という根本的な問いになってしまうのである。

 本作を最後まで見て、私にはそれがイマイチ胸に届いてこなかったんだよね。何を描きたいか、、、なんてのがそもそも非常に陳腐な問いなんだが、未来ある少年を一人、フィクションとは言え物語の中で殺しておいて、結局、見終わって何かピンと来ないというのは、私としては腑に落ちないのである。

 直近で『戦場のピアニスト』を見たのもあるかもね。あれは、いつ死んでもおかしくない状況で、ひたすら生きる主人公を描いているので。

 本作の主題は、多分、“取り返しのつかない喪失からの再生”であると思うのだが、それを描くのなら、別にレミを死に至らしめる必然性はないと思ってしまう。とはいえ、現実世界では、自死は確かに起きていることであり、それで遺された者が苦しむことも多々あるのであり、それを映画にして描くことに意味がないはずはない。この辺は、私の感性の問題だと思うので、あんましグチグチ書き連ねるのはこの辺でやめておく。


◆あなたたち付き合ってるの?

 結果的に、レオは、レミの母親に、レミの自殺の原因が自身の言動にあった、と打ち明け、レミの母親がそんなレオを抱きとめる、、、という終盤の展開になるのだが、見ていてただただやるせなかった。

 たかだか13歳かそこらで、こういう経験をしたレオの今後を思うと、私がレオの母親だったら、レミをこそ恨むかも。レミの母親は、レオの言葉を聞いた後、一旦責める様な態度をとるが、思い直して抱きしめる、、、んだが、レミの母親にレオを責める資格は、ハッキリ言ってないと思うね。気持ちとしては仕方がないと思うけど。レオは、レミをいじめたり辛く当たったりしたわけではなく、ただレミとの距離感をちょっと変えようと試みただけだ。

 そのきっかけが、これまたありがちなんだが、クラスの女子生徒に「あなたたち付き合ってるの?」と言われたこと。自然過ぎる身体的な接触も多いレオとレミを見ていて、第三者がそう感じるのも、まあ別に不思議ではないだろう。それを言葉で本人に言っちゃうのはよろしくはないが、子供同士なら十分あり得るシチュエーションだ。そう言われて、レミは何とも感じなかったが、レオは気にするようになる。でも、気にするレオを責められないでしょ。ましてや、レオはその後、クラスメイトから「女みたい」などとからかわれもするのだ。

 気にしないレミからすれば、そんなことくらいスルーできないレオが情けないってことかも知れん。でも、何をどう気にするかのポイントは、人によって全然違うのだから仕方がない。

 レオはゲイと思われることを気にして大親友との距離を取ろうとした。レミはゲイと思われたって平気だけど、レオに距離をとられることに死ぬほど傷ついた、、、。これぞ、悲劇である。何も死ななくても、、、と、それなりに人生の修羅場をくぐって来たオバサンとしては、やっぱり思ってしまうのだよ。嗚呼。


◆その他もろもろ

 レオを演じたエデン・ダンブリンは、本作がデビュー作とのこと。本作は、終始彼の姿を見続ける映画でもある。とにかく、最初から最後まで出ずっぱり。彼の居ないシーンがほとんどない。演技も自然で、演出が良かったのだろう。ちなみに、ルーカス・ドン監督自身はゲイであることを公表しており、本作はしかし、自身の経験が基になっているとかではないとのこと。

 レオの母親は、『ジュリアン』でジュリアンの母親役だったレア・ドリュッケール。あんまし出番はなかったのが残念。レミの死後、レオとの関係が描かれるレミの母親はエミリー・ドゥケンヌ。どっかで見たなぁ、、、と思いながら見ていたのだが、『天国でまた会おう』で主人公のお姉さんを演じていたお方だった。『ロゼッタ』(未見)や『ジェヴォーダンの獣』にも出ていたのか、、、。『天国でまた会おう』もまた見たくなってきた、、、。

 ……そんなわけで、本作の感想はあんましまともに書けなかったのだが、作品自体を貶す気は毛頭ないし、本作を好きという感想を否定する気ももちろんありません。

 

 

 

 

 

 

 


近過ぎる人間関係は破綻する、、、ってことかもね。

 

 

 

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黒蜥蜴(1962年)

2022-10-28 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv20504/


 女盗賊「黒蜥蜴」と明智小五郎が“美”を巡って対決する。果たしてその行方は、、、。

 江戸川乱歩原作『黒蜥蜴』を三島由紀夫が劇化、脚本は新藤兼人、で井上梅次が監督。音楽は黛敏郎。主人公の黒蜥蜴を演ずるのは、泣く子も黙る、京マチ子、明智小五郎は大木実。有名な美輪明宏版より前の制作。

 
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 神保町シアターで特集されていたので、見てきました。乱歩は大好きなんですが、どっちかというと、初期の短編が好きなんですよねぇ。明智も嫌いじゃないですが……。原作の『黒蜥蜴』も何度か読んでいるけど、美輪版の映画は見ていないのですよね。美輪版の方が有名ですけど、あれは、深作監督なんですね。

 こちらは、監督は井上梅次。よく知らないので、今回ネットで検索してみたら、、、げげっ(後述)、

 まあ、とにかく、感想から。


◆黒蜥蜴様・京マチ子様

 本作を見ようと思ったのは、もちろん乱歩が好きで、原作を知っているのもあったが、世間一般では“黒蜥蜴=美輪明宏”みたいな印象だけど(舞台でも何度も演じているしね)、こちらは主演が京マチ子だったから。

 で、オープニングからしてもう期待値を上回る異様さで、ニヤニヤしてしまう。明智役の大木実が気取った調子であれこれ黒蜥蜴との思い出を語るシーンに始まり、怪しげな歌が流れて来たかと思うと、「聞こえるでしょう?この音。この鞭の音!」と思わせぶりな大木実の言葉に続いて、バニースタイルの京マチ子が踊りながら鞭を振るって現れる、、、。うわ~~~!!

 この怪しげな歌の歌詞は三島由紀夫が作ったらしい。全部は聞き取れなかったけど、♪不眠症の星 死体の瞳~とか歌っているのだ。♪くろとか~~~げ!ピシッ!!ピシッ!!!(←鞭の音) がしつこく繰り返され、いやー、のっけから参りました。

 ストーリーは、割と原作に近いのかな(私の途切れ途切れの記憶と符合するシーンが多かった)。前から読むたびに「ソファに隠れるってどういうこと??」と思っていて、今回も映像でそのシーンはあったのだが、あんなソファに人一人入れんだろう、、、と内心ツッコミ。

 でもそんなことはどーでも良いのだ。

 緑川夫人こと黒蜥蜴は、手下たちが手柄を上げるとご褒美をあげるのだが、それがね、、、「お前にも爬虫類の称号をやろう。今日からお前は青い亀(だったかな)を名乗るといい」とか言うわけよ。はぁ~~?爬虫類の称号?? もうね、面白過ぎる。これ、京マチ子が大真面目にセリフ言っているのだから。ヘマをしでかした雨宮は称号をもらえなくて心底ガッカリしているのもウケる。爬虫類の称号なんて原作にあったかしらん?? ちょっと読み直してみようと思った次第。三島の創作だとしたら、ありそうな気がするが、、、。乱歩のセンスではないような。

 まあ、乱歩原作モノを映像化すると、ほぼ100%B級orC級映画になるのだが、本作もB級っぽさ満載でありながら、格調高さも併せ持っており、これはひとえに、主演が京マチ子だから、、、に尽きると感じた次第。

 ところどころミュージカル仕立てになっており、京マチ子のカメラ目線なシーンもいくつかある。追われて逃げるシーンなのに、踊ってるしね。男装しているんだが、さすがの京マチ子様でも、男装はイマイチだと感じたわ。

 あと、売店のおばちゃんに変装するシーンもあり、京マチ子七変化、、、といったところ。

 ラストは恋する明智の腕の中で息絶えて、黒蜥蜴もそこそこ幸せな人生のエンディングだったんやないの??などと思いながらエンドマークとなりました。


◆今話題のアレが、、、。

 いやしかし、こんなヘンテコな話、小説だからその世界観も想像で楽しめて面白いけど、映像化となると、どうしたってB級路線にならざるを得ないでしょう。舞台はまた、そもそもが異空間なので成立すると思うけれども、、、。

 それを、これだけエンタメ映画としてクオリティを保った作品に仕上げた井上梅次監督の手腕はなかなかだな~、と感心したのだった。

 でも、私は邦画の監督って全然知らないので、見終わった後にネットで検索したら、Googleの検索窓に「井上梅次」と名前を打った瞬間、その後に、今話題の「統一教会」がトップで出て来てビックリ。

 井上梅次氏は、あの月岡夢路さんの夫だったのかー、とそれも知らなかったのだが、このご夫婦そろって統一教会と浅からぬ関係があるらしい。詳細はここでは書かないので、興味のある方はググってください(すぐにイロイロ出てきます)。

 何より驚いたのは、教団の資金で映画を作っているらしいということ。さすがにメジャー公開はできなかったらしいが、地方の公民館とかで地味に上映していたとか。出演者も、柴俊夫、国広富之、榎木孝明……となかなか豪華。本気で作った映画のよう。しかも中身がスパイ映画で、共産国家と闘う、、、みたいのだったらしい。

 井上氏、思いっきり反共で保守思想の方だったんだろうが、その映画が作られたのが1987年というから、統一教会の悪質さは知られていた時期であり、いくら思想が共鳴するからといって、そんな団体の資金で映画ってのはクリエイターとしてはかなりマズい行動だろう。その映画の後は、作品を撮っていない様子だけど、まあ仕方ないよね、、、としか。

 月岡さんの方は、関連団体のCMにも出ちゃっているというから、何をかいわんやである。別に信者じゃないだろうけど、そういう問題じゃないからね。

 井上氏は、土ワイで天地茂の「美女シリーズ」も撮っている。「美女シリーズ」も好きなのだけど、まあ正直言って残念な感じはするよね。作品と監督の思想は別、、、とはいえ、見る方としては切り分けはなかなか難しいところ。クストリッツァもそうだし、この問題、どうすれば良いのだろう。分からん。

 

 

 

 

 

 

 

 

爬虫類の称号、、、もらうならヤモリがいいかなぁ。いらんけど。

 

 

 

 

 

 

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グッド・ワイフ(2018年)

2021-08-20 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71218/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1982年、メキシコシティの高級地区ラスロマス。実業家の夫を持つソフィアは、3人の子どもにも恵まれ、高級住宅街にある美しい豪邸で満ち足りた生活を送っていた。セレブ妻たちのコミュニティに女王のごとく君臨する彼女は、証券会社の社長を夫に持つ垢抜けない“新入り”アナ・パウラの出現が気に入らない。

 そんな時、メキシコを襲った歴史的な経済危機が、富裕層を直撃。突如として、ソフィアの完璧な世界は崩壊し始める……。

=====ここまで。

 日本でもリメイクされたアメリカのドラマではありません。メキシコ映画です。


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 昨年公開されていたときに、見に行こうかなぁ、、、とちょっと思ったものの、コロナ禍をおしてまで……というほどの引力も感じず、結局行かずじまいになったので、DVDで見てみました。まあ、わざわざ行かなくて正解だったかな、とは思うけど、面白くないというほどでもなかったかな、、、。まあ、そんな感じです。


◆カネと結婚する女たち

 一昨年話題になった『ROMA/ローマ』(未見)の10年後、1982年が舞台のお話。この年、メキシコは歴史的な経済危機に遭っているらしい。そんな社会情勢を背景にして、お金持ちの有閑マダム・ソフィアが、お金持ちじゃなくなる(?)過程を描いている。

 まあ、大したストーリーはなく、奥様連中の見栄の張り合い、夫との関係の悪化、財産を失う、、、ってのが割と淡々と描かれる。豪華なお屋敷の内装や、奥様連中の衣装などなどを見ているだけでも割と楽しい。

 冒頭から、ソフィアさんは“自分自身の誕生パーティ”を開く。使用人に髪を洗わせ、化粧をさせ、服を着せてもらい、、、家の中はあれやこれやと飾り立てて、料理にも精一杯見栄を張る(タコをやわらかくするのがこだわり)。

 そのパーティに夫が遅れると、ものすごく不機嫌な顔をして出迎えるソフィアさんだが、夫が「ほら!!」といって家の前に止めてある高級外車をプレゼントすると、豹変する。突然、夫の首にまとわりついて「もう~~、なんてステキなの!!」(セリフ違ったと思う)みたいになって、車の中に2人で乗ってみて、ついでに(家の中には客がいっぱいいるのに)カーセックスまでしちゃうという、、、。文字通り、“現金な”奥様であらせられます。

 ……というような感じで、成金的な生活の描写があれやこれやと続き、そこでは当然、奥様連中同士の見栄の張り合い等々もあり、一応、ドラマがないわけじゃないけど、「お金持ちもタイヘンなんだね」くらいにしか思えない。

 夫の会社がいよいよヤバい、となったときの夫の振る舞いがなんとも、、、。ソフィアが「親に勧められてあなたと結婚したのよね、、、」みたいにぼやくと、突如泣き出した夫は「お前、○○(ソフィアの元彼の名前)と結婚していたら良かったと思ってるのか! お前、処女じゃなかっただろ!! 俺が気付いてないとでも思ってるのか。気付いてないフリをしてやってただけだ!!」みたいに罵るのよ。で、ソフィアが煙草をふかしながら白けた顔をして聞いているのを見て、今度は、ソフィアに取りすがって号泣するんだよね、、、。

 どうもこの夫もお坊ちゃん(に見えないが)らしく、苦労知らずの社長で、なすすべなく経済危機に巻き込まれたっぽいんだけど、ゼンゼン魅力的な男性に見えなかったのがツラいとこ。

 私は若い頃、親に何回も見合いさせられて、中にはお金持ちっぽい人もいたんだが、まあこんなことを言うと顰蹙なのは百も承知だけど「仮にこの人が1億円プレーヤーでも、この人と寝るのは絶対イヤだ、、、」な人ばかり(ルックスとか、中身とか、理由はイロイロ……)で、私にはつくづく“条件から入る出会い”が向いていないと思い知ったのだったが、ソフィアと夫を見ていて、何となく過去のそんな出来事をうっすら思い出していた。ソフィアの夫は、見た目は悪くはないが平凡で、頭もあんまし良さそうじゃないし、お金持ちでなければソフィアにとってアウト・オブ・眼中だったんじゃないかしらん。そんな気がした。


◆カネの切れ目で露わになる綻び

 で、豪邸を始め全てを差し押さえられたらしい(セリフにあるだけでハッキリした描写はない)後、終盤、ソフィアはあれほど見下して嫌っていたアナ・パウラとその夫と、自身の夫と4人で食事をするシーンがある。

 そのときにソフィアの夫が着ているシャツのカフスボタンは、差押えに遭う少し前にアナ・パウラの自宅にパーティに招かれていった際に、アナ・パウラの夫婦の寝室からソフィアが盗んだものなのである。当然、アナ・パウラの夫はそのカフスに気付くが、追及はしない。もしかすると、ソフィアはすっかりそんなことを忘れているのかも知れない。ソフィアの夫はもちろん知らないのだろう。

 とにかく、その4人の食事のシーンが異様。恐らく、身ぐるみ剥がれたソフィアの夫は、アナ・パウラの夫に助けてもらってどうにか食いつなぐことができたと思われる。それで、4人で食事などするようになったのだろう。

 しかもそのレストランに、経済危機を招いて国民を路頭に迷わせた張本人の大統領ロペスが入ってくると、客たちが犬の鳴き声を真似してロペスを追い出そうとする。そのときに、アナ・パウラ夫妻とソフィアも一緒になって犬の鳴き真似をしているんだが、ソフィアの夫がそんなソフィアを嫌悪するように見ているんだよね。このシーンが割と意味深なんではないかと感じた。

 ソフィアの夫は、そういう妻の行動がとても“品性下劣”だと感じたのではないか。あれほど嫌って見下していたアナ・パウラ夫妻と同じことをしてヘラヘラ笑っている妻が、精神的にもそこまで堕ちたのか、、、と。貧すれば鈍するというのか、、、。

 でもさ、それはソフィアの夫の買被りなんじゃないの? と見ている私は思ったなー。こう言っちゃナンだけど、カネ(だけ)で結婚相手を選ぶ人って、そういう思考回路なのであって、カネになびきやすいと思う。ソフィアの夫は育ちが良いので、拝金主義とはちょっと違うのかも知れないが、そういう夫自身もそういう品性の持ち主に選ばれたってことを自覚すべきじゃない? 夫婦なんて破れ鍋に綴蓋なんだからさ~。

 カネの切れ目が縁の切れ目にならなかっただけ、ソフィアは人として情がある方だと思う。むしろ夫は、そんな蔑んだように目で見ている場合じゃなく、こうなっても見捨てなかった妻に感謝すべきかもね。まあ、どんなに美しい妻でも、あんな犬の鳴き真似している姿見たら、夫として興醒めする気持ちも分かるが、、、。


◆懐かしのファッションとかもろもろ

 面白かったのが、当時のファッションなんだけど、象徴的に使われていたのが“肩パッド”。80年代に流行ったのを知っている身としては苦笑してしまった。

 ソフィアにとって、肩パッドがバリバリに入っている衣装は、まさしく戦闘服なのだ。「さあ、行くぞ!」みたいなときは肩パッドを入れ、「もうヤだ、疲れた、、、、」みたいなときは肩パッドを外す。

 当時は、ホント、何にでも肩パッド入ってたもんなぁ~。ブラウスにもカットソーにも肩パッド、上着にも肩パッド、コートにも肩パッド、ヘタすりゃ肩パッド3連!! アメフト選手も顔負けないかつい肩でみんな風切って歩いてたんだよねぇ。日本はまだまだバブル真っ盛りでござんした。

 見終わってから知ったんだけど、アナ・パウラを演じていたのは『闇の列車、光の旅』(2009)のパウリーナ・ガイタン。どこかで見たような、、、とは思ったけど。ソフィアを演じていたイルセ・サラスはちょっとクセがあるけど美人。お高そうな衣装がどれも良く似合っていて素敵だった。

 今住んでいる所からちょっと行くと都内有数の高級住宅街があって(わが家はごくごく普通の住宅街)、ビックリするような豪邸がいっぱい建っているんだけど、そこに出入りしている住民の方々は、いたって庶民な雰囲気の方々ばかりです。ソフィアさんみたいな奥様は、都内でも別の高級住宅街にいらっしゃるんですかね? シロガネーゼ??

 

 

 

 

 

 

 

あんなステキなお屋敷、1週間くらいなら生活してみたいわ~。
  

 

 

 

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ぐるりのこと。(2008年)

2021-06-15 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv37162/

 

以下、上記サイトよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 法廷画家として働くカナオ(リリー・フランキー)は、妻である翔子(木村多江)の妊娠に幸せを噛みしめるが、子供の死という予期せぬ悲劇に見舞われてしまう。やがて、それをきっかけに精神の均衡を崩してしまった翔子を、カナオは強い愛情で支えていく。

=====ここまで。


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 本作は大分前にレンタルリストに入れておいたら、今頃送られてきました。公開当時、話題になっていたけど、劇場まで行く気にもならず、、、。公開から10年以上経ってようやく見た次第。

 まあ、平たく言えば“ウツ映画”なんだけれども、同じ“ウツ映画”でも『ツレがうつになりまして。』とは大分毛色が違う。本作の方が大人の映画とでも言えましょうか。

 翔子さんがウツになった直截的な原因は、子供を生後すぐに何らかの理由で亡くしたこと(or死産かも、ハッキリは描かれていない)。でもその後、また妊娠したら、翔子さん、カナオに何も言わずに堕胎してしまうのだよね。この辺がちょっと分からなかった。なぜ、、、? 堕胎後、ますます翔子さんは自分で自分を追い詰めてしまう感じになる。

 よく、夫婦の片方がウツになると、もう片方もウツになる率が高いと聞くけれど、そりゃそうだろうなと思う。ウツ本人も辛いが、身近にいる人間も同じくらい辛いはずだから。どう接すれば良いか分からないもんね。

 そういう意味では、リリーさん演ずるカナオは、持ち前のいい加減さが奏功し、翔子さんを追い詰めなかったのが良かったんでしょう。泣き喚く妻を「そうか、そうか……」と言って適度にスキンシップしつつなだめる。励ましもせず、否定もせず。これは結構、高度なテクだろう。誰にでも出来るモノではないと思うが、カナオはそれがナチュラルに出来るヤツなのだ。

 ただまあ、正直言って、後半の翔子さんが回復していく過程は、ウツ映画として見ればあんましグッとは来ないわね。依頼された寺の天井画制作は、一生懸命取り組んでいる翔子さんは素晴らしいのではあるが、ウツからの回復が一直線過ぎるよね。もう少し波があると思うよ、どんなに軽めのウツでも。

 あと、並行して描かれていたのが、カナオの法廷画家としての仕事ぶりや、昭和から平成にかけて世間を騒がせた事件を彷彿させる裁判のシーンなんだけど、まあ、法廷画家ってどんなん?っていうのが垣間見られたのは面白かったけれども、ちょっと翔子さんのウツとの繋ぎがブツ切り感があって、木に竹を接ぐみたいな印象を受けたのは私だけ??

 別に駄作だとは思わないけれども、絶賛されているのもナゾな映画だわ。

 強いて言えば、絶賛したいのは、木村多江さんの演技くらい。彼女が演じる翔子さんを見ていたら、“真面目な人ほどウツになりやすい”ってのはすごく納得できてしまった。真面目というか、固いというか、融通が利かないというか、、、。逆に、カナオみたいな男性とよく一緒になったよな、と思う。序盤で、セックスする日がカレンダーにマークしてあって、その前で、今日はするだのしないだのの痴話喧嘩が繰り広げられるんだけれども、あれじゃあ、そりゃ病むのも仕方ない。

 この監督の作品は初めて見たけど、割と評判の良い作品を撮っているみたい。監督自身は同性愛者で、ウツ経験者らしく、本作も自身の経験をベースにシナリオを書いたとのこと。何にせよ、ウツから脱出できて良かった。きっと現実はもっと大変だったから、映画ではあまりシリアスにならないようにユーモアを交えてこのような作品になったんだと思うけれども、別にシリアスにする必要はないけど、やっぱし物足りなさは否めないですな。

 他の橋口監督作品も見てみようかな、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

翔子さんの後輩社員があり得ないレベルの非常識人間でビックリ。

 

 

 

 


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偶然の旅行者(1989年)

2021-04-25 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv2724/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(長いので一部要約)。

=====ここから。

 仕事の旅から戻ったメーコン・ラリー(ウィリアム・ハート)は、妻のサラ(キャスリーン・ターナー)から家を出て行く決心を告げられる。去年の夏、彼らの1人息子がキャンプ地での強盗事件に巻き込まれ、不慮の死を遂げて以来、2人の間には目に見えない溝が広がっていた。

 メーコンはビジネスマン向けの旅行ガイドブックのライターで、初めての家事に大いにまごつく。ある日、彼は足を骨折し、兄弟のポーター(デイヴィッド・オグデン・スティアーズ)とチャールズ(エド・ベグリー・ジュニア)、妹ローズ(エイミー・ライト)の住む祖父母の家にしばらく身を置くことになった。

 辺りかまわず吠え散らす愛犬エドワードを何とかしようと、メーコンはミュリエル(ジーナ・デイヴィス)という犬の調教師を雇うが、8歳の病弱な息子アレクサンダー(ロバート・ゴーマン)と2人暮らしというこの風変わりな女性と行動を共にするうちにメーコンはミュリエルの新鮮な魅力にひかれてゆくのだった。

 しかしそんな時、彼のもとにサラから連絡があり、2人はヨリを戻すことに。それを知ったミュリエルは……。

=====ここまで。


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 また、何故リストに入れたのか覚えていないDVDが送られてきました~。でも、こういう意外な出会い(……元はと言えば自分で選んでいるのだが)って悪くないよね。予備知識も期待もなく見始めて、あら、結構面白いじゃん、、、ということが多い気がするので。本作も、すごく感動!ってわけじゃないけど、まあ悪くなかったです。

 あらすじからも分かるように、割とベタな三角関係モノだけど、とりあえず最後まで飽きずに見ることが出来ました。

 子のいる夫婦にとって、その子を失うってのは、夫婦の決定的な溝になるケースが多いらしいが、私には子はいないけれどそれは何となく分かる気がする。だから、サラが別居したいと言い出したのは仕方ないのかな、、、と思って見ていたんだけど、途中で、メーコンがミュリエルと付き合っていると知ってから、急にヨリを戻しにかかって来て、なんだかなぁ、、、と思ってしまった。他の女と付き合っているのを知って、急に惜しくなった、、、ってことかね? あり得る話だとは思うが、別居した理由が理由だけに、かなり勝手な印象。ま、人間誰でも勝手ですが。

 メーコンもサラとあっさりヨリを戻すんだけど、ミュリエルが自分とはあまりにも住んでる世界が違うから? 子がいるから? か知らんが、こっちも勝手よねぇ。

 でも、最終的には、ミュリエルの良さに気付いてメーコンはミュリエルの下へ戻るという、一応ハッピーエンディング。まあ、良かったね、、、という感じで、ストーリー自体にそれほど深みはないです。

 本作の見どころは、登場人物のキャラが面白いことと、ワンコ。

 サラもなかなか面白い女性だけど、ミュリエルはかなりぶっ飛びキャラ。とにかく衣装がすんごい個性的。化粧も濃い。メーコンにも臆することなくずんずん積極的に行動する。ジーナ・デイヴィスが嫌味なく演じていて、これでオスカー??とは思うけど、上手いことは確か。

 あと、面白いのが、メーコンのきょうだいたちね。みんなどうやら独身で、メーコンだけが結婚しているみたいなんだが、お互いに干渉せず、夜は4人でカードゲームに興じて、あまり外界と接触しない人々。妹のローズは甲斐甲斐しく兄たちの世話を焼いているけど、メーコン付の編集者に惚れられて結婚する、、、とか、イロイロ不思議な人たちの不思議な展開がイイ味出しています。

 あと、なんつってもメーコンの犬エドワードがね、、、。演技が演技と感じさせないで、メチャクチャ上手い。多分、コーギーだと思うんだけど、ちょっと吠えたり噛みついたりするところはアレだけど、実にカワイイ。メーコンの運転する車の助手席に、前足をダッシュボードに掛けて乗っているんだが、その姿が実にカワイイ。車乗るの好きでしょ、キミ、、、、と言いたくなる。が、メーコンが急ブレーキをかけるもんだから、お尻から座席の下にズボッ……となって画面から消えちゃうところとか、思わず笑っちゃいました。そのシーンだけ何度も見直してしまった、、、。中盤以降、あんまし出番がなくなっちゃったのが寂しいですが。

 しかし、ウィリアム・ハート&キャスリーン・ターナーといえば、あの『白いドレスの女』よねぇ、、、と思って見ていたら、監督も同じなのね。知らなかった……。あの映画での2人の関係はかなりヤバかった(かなりヤバいシーンもあった記憶が……)けれど、本作での2人はフツー、ホントにフツー。なんかホッとしたわ、見てて。キャスリーン・ターナーって、やっぱりイイ女優さんだと改めて思ったな。

 何だかろくなこと書いておりませんが、疲れたときに見ても大丈夫な映画です。

 

 

 

 

 

 


オスカー候補作だったようですが、エドワード君に主演ドッグ賞あげて欲しかったわ。

 

 

 


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暮れ逢い(2014年)

2020-12-23 | 【く】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv56907/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1912年、才気あふれる青年フリドリック(リチャード・マッデン)が裕福な実業家ホフマイスター(アラン・リックマン)の個人秘書として採用され、彼の屋敷に住むことになる。

 ホフマイスター家の人々とともに過ごすうちに若妻ロット(レベッカ・ホール)と惹かれあうものの、互いにその胸のうちを明かすことをせずにいた。

 そんな中、突然フリドリックが2年間メキシコに転勤することが決定。二人は堰を切ったように互いへの思いを伝え、2年後も変わらぬ愛を誓い合う。しかし第一次世界大戦がはじまり、激動の時代に二人は大きく翻弄される……。

=====ここまで。


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 今年も残すところあと1週間。速いなぁ。まったく、コロナコロナに明け暮れた年だったけど、来年も続きそうでウンザリ。これから本格的に寒くなることを思うと、感染はますます広がるんでしょうね。もう、いつどこで誰が感染してもおかしくないです。

 そんな気分を紛らわしてくれるのが良い映画! ルコント監督の映画なんて、久しぶりだわ~。


◆ほんのりルコント節

 いや~、描き方によっては、ホントにどーでもいい映画になりそうな話を、さすがはルコント! 面白く撮っていらっしゃる。原作は、あのステファン・ツヴァイクの短編だとか。

 年の差夫婦の若く美しい妻と、さらに若い、しかも優秀な男性が、一つ屋根で暮らすようになれば、そらそーなるでしょう、、、という感じの展開。しかし、この2人は、絶対に一線を越えないのである。ううむ、、、これはキツい。

 しかも! そんな状態のまま、2人は何年も離れ離れになるんである。互いの気持ちを確かめはするものの、セックスしないまま、、、。そんなのあり?? おまけに、若妻の夫は、そんな2人の気持ちを知りながら、嫉妬に狂いつつも知らぬふりをして、さりげなく2人の邪魔をするという“いけず爺ぃ”なんである。

 この若者といけず爺の2人の男の描写が実に面白い。この辺りがルコント映画。

 リチャード・マッデン演ずるフリドリックは、若妻ロットが弾いたピアノの鍵盤を、最初は指でナデナデしていたかと思うと、次は頬をすりすり、、、そしてキス。しかも、それをメイドに見られているってのが、官能シーンっぽく撮ってはいるけど、コメディだよなぁ。このリチャード・マッデンの演技、なかなか見せてくれる。

 いけず爺ぃを演じるのは、アラン・リックマンなんだが、フリドリックと妻が庭で楽しそうにはしゃいでいるのをカーテンの隙間から見ていたり、ディナーで自分だけ先に席を立ってフリドリックと妻を2人きりにしたり、、、。

 結局、フリドリックがメキシコに旅立った後に第一次世界大戦が始まってしまい、当初の2年の予定が大幅に伸びてしまう。その間、途中でフリドリックからの手紙も絶え、2人の愛の誓いが実を結ぶんだろうか、、、と見ている方はちょっとヤキモキするわけだ。何しろ、この2人は肉体的に結ばれていないのだからね。


◆めまいがするような……

~~以下、結末に触れています~~

 面白いとはいえ、まあ、往年のルコント作品からすればかなり大人しい。さしものルコントもお年を召されて枯れたのか……と思いきや、ネット上の彼のインタビューを読んで、ゼンゼン枯れてなさそう!!で安心。

 インタビューで、彼はこんなことを言っている。原作のどこに惹かれたのか、と聞かれ、、、

「愛が時間の流れに勝てるかどうかより、欲望は時を超えても持続するのか、ということに興味を持ちました。愛を告白しながら、のちにお互いのものになると誓うなんて、めまいがするような考えです。この物語の主人公たちは強い欲望を感じながら、互いに想いを告げることはない。これには正直、感動しました。」

 おぉぉ、、、そうよそうよ、それそれ!! めまいがするよ。

 でも、原作は、何と再会したフリドリックとロットは「まるで他人同士で、冬景色のなか、欲望は枯れ、愛は凍りついています。」だそうだ。そらま、そーでしょう。若い男、しかもイケメンが、何年も物理的に離れている一人の女性のために誠意大将軍でいられるわけがない。むしろ、原作は極めて現実的なんだろう。

 だから、本作ではルコントがこのようなラストにしてくれたのは、ちょっと嬉しいかも。やっぱり、あり得ないこととは思っても、ハッピーエンディングは、見ている方も幸せな気持ちになれるもんね。

 本作でのフリドリックとロットも、再会直後は他人行儀なんだが、しばらくして互いの気持ちを確かめ合って、ようやく、、、やっと、、、、、何年かの長い長いプロローグを経て、キスしてエンドマークとなる。キスで終わり。そこも、奥ゆかしいというのか、抑制的というのか。あの後、2人はどうするんでしょうねぇ。

 ルコントはインタビューで、2人が結ばれないまま離れ離れになったのは、あの時代ゆえか、と問われて「そうではないでしょう」と否定している。私もそう思うなぁ。恐らく、ロットは夫のある身で、フリドリックはその夫の秘書で、ってことで、互いに自重し合ってしまったんでしょうね。私がロットなら、2年も我慢なんてムリだから押し倒しちゃう。でも、そんな女じゃこの話は成立しないし、だからこそルコントは「感動しました」と言っているのだろう。

 本作では、2人は長い年月を経ても結ばれるようだから結果オーライだけど、現実では、欲しいと思ったらその場でゲットしないと取り逃がすね、まず間違いなく。恋愛に限らず。というのも、先日、来年のカレンダーで素敵なのを見つけたんだけど、他のを見ていたら買い忘れてしまい、数日後に買いに行ったら売り切れていたのよね。「これイイ!」と思ったら即ゲットしないと。本でもそう。後で、、、、と思っていたら、いつの間にか絶版になっているなんてこともある。

 ……何の話だ。とにかく、ルコント作品を久しぶりに見られて良かった。次は、フランス映画、また撮っていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

自分の妻に惚れている青年を自宅に住まわせる老紳士の心理はいかに、、、。

 


 

 



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黒部の太陽(1968年)

2020-10-27 | 【く】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv22183/

 

 言わずと知れた「黒部ダム」の難工事を描いた同名小説の映画化。


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 少し前に、たまたま見た「ブラタモリ」でタモリが訪れていたのが、黒部ダムでした。割とその内容が面白く、興味を持っていたところ、Luntaさんのブログを拝読し、見てみたくなった次第。長いし、画面が暗いとの評判で、眠くならないか心配したものの、眠くはなりませんでした。なりませんでしたが、、、


◆ダム工事映画やないの?

 まあ、ブラタモリでもさんざん「トンネルを掘るのがいかに大変だったか」と言われていたから分かってはいたが、本作は、ダム工事というより、トンネル掘りの映画だった。もちろん、ダムにも当時の技術の粋が集められているのだが、本作ではそっちはほぼ無視、“彼らはこうして破砕帯を突破した!!”ということのみがフォーカスされ、延々描かれている映画だった。

 本作には、テレビ放映用にカットされたバージョンもあるらしいのだが、完全版は196分、、、つまり、3時間以上。正直、これだけの時間をかける必要があったのか、少々疑問。暗がりの、代わり映えのしない背景のシーンが延々3時間ってねぇ。

 だからだろうが、主役2人(三船&裕次郎)の家族の話とかのサイドストーリーも必要なのは分かるが、なくてもよかったような気がする。三船演ずる北川の娘が白血病になる、、、という展開は、ちょっとなぁ、、、と思ってしまったが(難病ものアレルギーなんで)、北川のモデルとなった芳賀公介氏のご家族の実話だとか(とあるブロガーの方の記事による)。……まぁ、本当に実話だとしても、やはりなくても良かったんじゃないか、と思う。原作小説にもあるんだろう、多分。

 ただ、撮影エピソードを知ると、それはそれは大変だったみたいだから、あんまし“いらんシーン”などと言うのも心苦しくはある。……あるが、映画作品として見た場合、やっぱりちょっと、制作側の自己満足感は否めないよなぁ。

 三船と裕次郎の事務所が提携しての共同制作ってことで、当時としては撮影以外の面でも難しかったらしいから、まあ、そんなこんなを乗り越えて完成させることが出来て良かったね、、、とは本心から思うが、そんなビッグプロジェクトを組む映画には不向きな材料を扱ってしまったんじゃない?ってのも正直なところ。もう少し、起伏の出しやすい題材を選ぶべきだったような。

 興行的にも、失敗とまではいわなくとも、大ヒットとは言い難いようだし。……だって、つまんないもんね、ハッキリ言って。話題性だけで、そこそこの客を動員できても、打ち上げ花火みたいなものだから。危険で困難極まる工事シーンを、「こんなにタイヘンだったんだゼ!」と見せられても、見ている方としては、あれもこれもそれもほとんど同じ画にしか見えんわけです、残念ながら。途中でナレーションの解説が入るものの、何がどう難しいのか、実感として分かりにくい。画面からはひたすら大変そうなことだけが伝わってくる。

 これは、シナリオとディレクションのミスでしょう。長い映画ってのは、気合いが空回りしがちだけれど、本作もその轍を踏んでしまっている。


◆三船&裕次郎

 でも、さすがだと思ったのは、やはり三船敏郎。いるだけで画が締まるというのは、こういう役者さんのことを言うのだろう。破砕帯を突破したシーンや、遂にトンネルが貫通した場面での感極まったスピーチは、本作での数少ない見せ場だった。

 おかげで、もう一人の主役のはずの裕次郎は思いっきり喰われていた。

 ……というか、裕次郎がこんなに神話化しているのも不思議なんだが、存命中から、彼の何がそんなに魅力なのか、さっぱり理解できなかった。本作を見ても、その疑問は解消されなかった。演技も、、、さほど巧いとも思えず。ルックスも、、、そりゃあ、当時としちゃ背が高くて脚が長かったのかも知らんが、10歳年上の三船と並んでも、三船の方が圧倒的な存在感だしカッコイイ(裕次郎ファンの皆さま、すみません)。

 彼の出演映画は、(多分)本作以外見たことないが、TVドラマなら「太陽にほえろ」「西部警察」あたりを再放送で何度も見た。もうその頃の裕次郎は、子供の私にとっては既にどこから見ても“オッサン”でしかなく、顔がイイとも、全体にカッコイイとも思えなかった(当時の私のお気に入りは篠田三郎だった、、、)。

 本作を撮影した頃の彼の実年齢を超えた今見ても、演技が素晴らしく良いとも思えないし、やっぱり彼の魅力は謎のまま、、、。今、彼の若い頃の映画を見てみれば少しは分かるのかしらん。

 彼は本作の撮影中にかなりの怪我をしているらしい。トンネル工事シーンはCGナシで全てセットでの実写だなんて、ちょっと想像を絶する。まあ、内容はともかく……というのも失礼だが、邦画史に残る作品ではあるだろうし、そういう作品をプロデュースし、自ら主演した、っていう意義は大きいと思う。
 
 なんだか、とってつけたようなフォローで終わるのもナンだが、感想終わります。

 

 

 

 

 

 

一度は行ってみたい、黒部ダム。

 

 

 


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グレタ GRETA (2018年)

2019-11-20 | 【く】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68148/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ニューヨークの高級レストランでウェイトレスとして働くフランシス(クロエ・グレース・モレッツ)は帰宅途中、地下鉄で置き忘れられたバッグを見つける。

 持ち主は、都会の片隅でひっそりと孤独に暮らす未亡人グレタ(イザベル・ユペール)。自宅までバッグを届けたフランシスは、グレタに亡き母の面影を重ね、年の離れた友人として親密に付き合うようになる。

 しかしその絆は、やがてグレタのストーカーまがいの行為へと発展し、フランシスは友人のエリカ(マイカ・モンロー)とともに、恐るべき事態に巻き込まれていく……。

=====ここまで。

 

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 ユペールの新作ならば、とりあえず見ておこう、、、と劇場へ。

 

◆サイコ・コメディ?

 まぁ、話自体は想像の範囲を超えないし、ストーカーものとしては大人しい部類だと思う。グロいシーンもほとんどないしね。

 見どころは、そらなんつっても、ユペールのサイコBBAっぷりですよ。ていうか、ほとんどそれに尽きる、といっても良いくらい。BBAって言葉も表記もあんまし好きじゃないし、ユペールをそんな風に称するのも不本意だけど、グレタという女性は、どこをどう切ってもBBA以外にピッタリくる言葉がないのだよ。

 とにかく楽しそうだった、ユペールさま。特に、探偵がフランシスを探しに来たところ。フランシスが監禁されていることに気付いて、その場所を探し当てそうになった瞬間、背後からユペール演じるグレタBBAが踊りながら注射器で探偵のクビ元をブスリ、、、。探偵がドサリと床に倒れた横で、楽しそうに踊っている彼女には、もう、笑いがこみあげる、、、。

 こういうジャンルの映画だと、展開としては、中盤くらいまで被害者がストーカーの本性に気付くのを引っ張ることもあるけど、本作は、割と早い段階でフランシスはグレタのヤバさを知る。予告編にもあるように、フランシスが戸棚を開けたら、同じ鞄がいっぱい並んでいる、、、ってシーンは、確かにゾゾゾ、、、ではある。実際、こんな戸棚を見たら、かなり怖いだろうねぇ。

 多分これ、ちょっとコメディとしても撮っているんだと思う。でなきゃ、フランシスがグレタに逆襲するシーンで、あんな逆襲の仕方しねーだろ、、、という気がするから。まあ、どんなだったかは、敢えて書かないケド、、、今思い出しても笑えるもんね。

 ただ、フランシスも甘ちゃんで、逆襲も中途半端。私なら、あの後すかさずグレタの手足を縛っちゃうかな、とりあえずは。でも、ただ右往左往するだけのフランシスちゃんの場合、結局、逆襲は失敗に終わって、ますますヒドい状況に追い詰められるわけだが……。

 グレタの人物造形が、実の娘を自殺に追いやった、母親としてもヤバい人、ということになっていて、要は彼女はサイコパスってことなんだろうけど、サイコパスものも世間には溢れているから、あんましパンチはないですね、正直なところ。

 ま、BBA版“青髯”ってところでしょーか。フランシスの前に犠牲になったのは、一体何人くらいいたのかがイマイチ分かりませんが。日本でも、一昨年だったか、何人も殺して遺体を部屋に置いていた男がいたもんねぇ、、、。映画では、少なくとも1人の女性がフランシスの前に餌食になっていたようだったけれども。

 

◆その他もろもろ

 歳を重ねても美しいユペールだけど、今回は、さすがに、かなり歳をとったなぁ、、、と実感させられた気がする。ほんの数年前の『エヴァ』では感じなかったんだけれど。とはいえ、相変わらずイカレっぷりを淡々と演じていていらっしゃいましたが。

 グレタの餌食になりそうになったフランシスちゃんを演じたのはクロエ・グレース・モレッツで、頑張っていたけど、ユペールさまの前ではやっぱし霞んでしまうよねぇ。むしろ、ルームメイトのエリカを演じたマイカ・モンローの方が、私にはインパクトが強かった。エリカの方が一人の女性としても魅力的だし、友人としても非常に素晴らしい人。彼女みたいな親友を持てたフランシスちゃんは幸せだ。

 それにしても親友の名前がエリカ、、、って。彼女の名前がセリフに出てくる度に、『ピアニスト』のエリカ様が頭をよぎってしまったよ。

 探偵が探しに来た時点で、ああ、、、このオジサン殺されちゃうんだろうなぁ、、って分かるよね。そんな具合に、とにかくストーリーが想定内なもんだから、ちょっと物足りないといえば、物足りないかな。序盤で、グレタがピアノを弾くシーンがあるんだけど、どう見ても本当に弾いてないだろ、、、と思って見ていたら、ラストの方で、グレタはストーリー上でも本当に弾いていないのだということが分かって、ある意味、えぇ~~~っ、とはなったが……。レコードをかけて、それに合わせて弾いているフリをしていた、、、ってことらしいんだけど、いくらなんでもそりゃないんじゃないの??と思ったのは、私だけ???

 まぁ、ユペールが好きな人は劇場で見ても良いけど、別にDVDでも良いかな、というレベルではないでしょーか。

 

 

 

 

 

 

グレタはハンガリー人だそうです。

 

 

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グリーンブック(2017年)

2019-03-10 | 【く】



以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1962年、アメリカ。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるイタリア系のトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、粗野で無教養だが、家族や周囲から愛されている。

 “神の域の技巧”を持ち、ケネディ大統領のためにホワイトハウスで演奏したこともある天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)は、まだ差別が残る南部でのコンサートツアーを計画し、トニーを用心棒兼運転手として雇う。

 正反対のふたりは、黒人用旅行ガイド『グリーンブック』を頼りに旅を始めるが……。
 
=====ここまで。
 

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 言い訳がましいですが、別にオスカーを獲ったから見に行ったわけではありません。ヴィゴが結構好きなので見に行ったのです。……それにしても、史上最低のオスカー作品賞だそうで。まぁ、どんな作品でも文句言う人は必ずいます、ってことね。


◆予定調和にもクオリティってものがある。

 冒頭から、ヴィゴが出ているんだけど、容貌が違いすぎて、最初の1分くらい、それがヴィゴだと分からなかった!! 何この顔がデカいおっさん!! と思ったらヴィゴだった!

 それもそのはず。本作のために、何と14キロも増量したってんだから、そら顔も膨れるわ。頬張った顔の細マッチョのイメージしかなかったヴィゴ。腹も出ているし、立派なおっさん体型で、何だかちょっと可愛かった。

 ヴィゴ演ずるトニーは、何とも愛嬌のある男で、憎めない。一方のマハーシャラ・アリ演ずるドン・シャーリーはちょっと気取った感じ。バディものとしてはお約束の対照的なキャラ。

 予備知識はほとんどなく見に行ったけど、もうこの冒頭10分の展開で、最後までの成り行きが想像でき、それを大きく裏切ることなく本当にラストまで行くという、実に予定調和そのものな作品なのに、むしろ“お約束ならでは”の安心感と、人種差別という取扱注意なテーマをユーモアを交えて深刻になりすぎずに描写している辺りが、却って良かったのではないかと思う。

 私がいたく感心したのは、トニーは、一見ああだけど、実際には自分の職務に非常に忠実で、最初からドンとの契約を確実に履行する姿勢に徹していること。たとえ黒人が嫌いでも、ただ金が欲しいだけだからでも、とにかく、契約した以上はその内容をキッチリやり遂げようとする。まぁ、アタリマエっちゃぁ当たり前なんだけど。ピアノがスタインウェイかどうか確かめ、そうでないと分かると会場の管理人と喧嘩してでもスタインウェイを準備させるんだけど、私がトニーだったら「この会場にはスタインウェイはないんだってよ」と言って終わらせちゃいそう。また、ドンが面倒なもめ事に巻き込まれた時だって、テキトーに知らん顔することだってできただろうに、敢えてその面倒な場面に身体を張って乗り込み、場を納める手際はさすが!という感じ。ドンが見込んだだけのことはある。

 そして、トニーはとにかく家族思い、特に妻大好き男で、毎日毎日妻に手紙を書いているのが微笑ましい。間違いだらけの手紙でも、毎日送ってくれるのは、私が妻なら感激だ。そして、この手紙にまつわるドンとのエピソードが実に良い。ラストシーンの伏線になっているし、妻のキャラもよく表れていて、この辺りのシナリオはとっても上手い。

 人種差別にまつわる描写も多いが、私が一番、心に響いたのは、雨の中でドンがトニーに自分の心の内を叫ぶシーン。黒人でありながら、多くの黒人とは違う自分、白人に尊敬されながらも白人から差別される自分、アイデンティティの部分で完全な黒人とはいえず、白人になれるわけでもないという、我が身の置き所のなさは、想像することしか出来ないが非常に孤独だろうと感じられ、いたたまれない気持ちになる。それを聞いているトニーの表情がまた切ない。

 また、トニーがある場所で同じイタリア系のダチに遭遇するシーンがあるのだが、彼らのイタリア語での会話を聞いたドン(イタリア語も解すると後で分かる)は、トニーが仕事を辞めてしまうのではないかと本気で心配し、ダチたちと飲みに行こうとするトニーに「給料を上げるから、仕事を継続してくれ」と、それはそれは切羽詰まった表情で申し出る。この場面は、私は思わず涙してしまった。当然、トニーは辞める気などなかったのだけど、ドンの気持ちを考えると胸が痛い。

 トニーが石を盗るシーン、2人でフライドチキンを食べるシーン、、、などなどトニーとドンの心の距離がどんどん縮まるエピソードが描かれ、人種差別の露骨なシーンにギョッとなりながらも、十分楽しめる内容になっていると思う。

 
◆史上最低の作品賞、、、?

 私は、障害者モノと、人種差別モノは、基本的にあまり好きじゃないから見ない。好きじゃない理由は一応あるけど、書くと長くなるのでここでは割愛するが、まあ、誤解を恐れず簡単に言ってしまえば、見方が難しいからである。

 とはいっても、出演者次第では今回のように見るわけだけど、“やっぱり見なきゃ良かった”と後悔する作品が多い中、本作は見て良かったと素直に思える良作だったと思う。

 本作が、アカデミー賞で作品賞に輝いたことで、かなり批判が出ているんだとか。作品賞に値しないなどと、散々な言われ様だ。批判の主流は、「『グリーンブック』が現代的な問題を描いていない」というものらしい。授賞式では、スパイク・リー監督が、結果に不満で会場から退席しようとして止められたというエピソードもある。まあ、出て行きたいなら出て行かせてあげれば良かったんじゃないの? と思うが。

 大体、アカデミー賞が、そこまでの賞なのか??っていう素朴な疑問を一映画ファンとしては抱いてしまうけれども、まあ、映画業界の人々にとっては、そりゃ、ノミネートで終わるのと受賞するのじゃ天と地の差があるのだろうという想像はつく。実際、はぁ?という受賞作は過去にも結構あるけど、受賞作となれば劇場が激混みになったりもするわけで。

 そもそも、映画というのは本来娯楽であり、何も、社会問題を提起することにその本質的な役割があるわけじゃない。人種差別を描いているからといって、それを深刻かつリアルに描かなければダメだというのは、勝手な思い込みだろう。本作のように、ちょっと一緒に旅したくらいで、差別者と被差別者の間に友情が成立する、というのは安易すぎるという批判は、そっちの方が安易だと思うんだけどね。一体、映画にどんな高尚さを求めてんだよ、って話。少なくとも、本作は、差別を茶化したり揶揄したり等というふざけた態度ではなく、至極マジメに作られていることは間違いない。それだけじゃダメなの?

 上記のリンク先に書いてあるように、「入り口」になることの意義は大きい。たとえ、当事者にとって満足する内容でなくとも、そういう事実があったことを知るだけでも大きな一歩になる人々も大勢いるのだ(もちろん私もその一人)。

 映画に過剰な期待をするのもヘンだし、映画の影響を過小評価するのも傲慢だと思う。所詮映画、されど映画、なのだ。

 

 





音楽が良かったのでサントラを買います。




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グロリア(1980年)

2017-11-06 | 【く】



 ギャングの会計係の男が、組織の金に関する情報をFBIに流していたことが発覚。会計係の男の一家は、長男のフィルを除き皆殺しにされる。

 一家が皆殺しにされる前、フィルをその母親に託されたのが、母親の親友であり、同じアパートに住む中年女のグロリア。このグロリア、かつてはギャングのボスの情婦だった。死を目前に、「フィルをお願い!」と懇願する母親に「子どもは嫌い、特にアンタの子は」などと突っぱねるグロリアだが、結局押し付けられ、渋々自分の部屋に連れ帰る。

 両親や姉を亡くしたフィルはまだ6歳。家族を失い、ダメージも大きく、グロリアに罵詈雑言を浴びせたり、まとわりついて離れなかったりと、グロリアは手を焼くのだが、会計係の男だったフィルの父親が、死ぬ直前にフィルに託したノートを手に入れようとギャングが追ってくる。

 気がつけば、グロリアは、突き放そうとしたフィルを守るために、ギャングに向けて拳銃をぶっ放していた……。嗚呼、もう後戻りできないグロリア。フィルとの逃避行が始まる! 
   
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 "午前十時の映画祭8"にて鑑賞。何度か見てはいるが、最後に見てからもう10年以上経っているはずで詳細は忘れている。やたら、子役のガキんちょが憎ったらしかったのと、ジーナ・ローランズが抜群にカッコ良かったこと、見終わった後“良い映画だ……”としみじみ感じたことは覚えていた。何より、本作をスクリーンで見るのは初めてなので、楽しみにしていたのだけれど、思っていた以上に素晴らしかった。


◆ジーナ・ローランズに尽きる。

 まあ、とにかく、最初から最後まで、グロリアがカッコエエのよ。シビれます。

 登場シーンがイイ。ギャングの襲来にビクビクしている会計係の男が、部屋の呼び鈴が鳴り、ドアスコープから外を覗くと、、、。そこに立っているのは煙草をくわえたグロリア。というわけで、ドアスコープ越しにご登場。

 はたまた、ギャングに、フィルといるところを見つかり、「ノートと子どもを渡せ」と迫られ、どうしようもなくなったら、いきなり拳銃をぶっ放すグロリア姐さん。その撃つ姿勢のなんと堂に入ったことよ。惚れ惚れするほどカッコイイ。

 子連れで逃げているのに、グロリアは、よれよれのジーンズにスニーカーなんてしょぼくれない。10センチくらいありそうなヒールのサンダルを履き、ウンガロに身を包み、颯爽と走ったり、階段駆け上がったり、男に拳銃突きつけて挑発したり、、、。どこまでも、カッコエエのだ。

 撮影当時、ジーナ・ローランズはなんと50歳!! あり得ない美しさ。いえ、決してすごい美人ではないのだけど、皺まで美しく見える、その品の良さ。ギャングのボスの元情婦という役柄だから、どこかやさぐれているものの、下品さは微塵もない。それでいて、グロリアという人物設定と何ら矛盾を感じず、見る者に違和感を抱かせない。

 グロリアの役は、美人でセクシーでアクションがうまいだけの女優ではダメなのだ。グロリアには、並外れた度胸と、頭の良さと、世間の酸いも甘いも知り尽くした諦観と、そしてなんと言っても、諦観とは一見矛盾する“覚悟”が必要なのだと思う。

 本作で、グロリアの“母性云々”という感想をネット上でいくつか目にしたが、こういうところですぐに母性論を持ち出すのはイヤだねぇ。何で母性なのさ。人間としての“情”でしょーが。男が子どもを助けても、父性が言われることはあまりないのに、こういう設定だと、すぐにボセーボセーってのは、あまりにも短絡的過ぎると思う。母性なんて幻想だからね、ハッキリ言って。

 だいたい、当のフィルがグロリアに言っているではないか。「あんたは僕のママで、パパで、家族だ。それに親友。恋人でもあるね!」と。

 そして、グロリアはギャングのボスに、フィルのことをこう言っている。「あの子は、うまく言えないけど、利口で切れる子よ。一緒に寝た男の中じゃ、最高ね」

 これでもまだ母性かね? まあ、それは人それぞれの感じ方なので構わないけれど。、、、とにかく、そんな安っぽい感傷的なものを蹴散らすグロリアの、素晴らしい女性っぷりを堪能していただきたい。

 女の美しさは、年齢ではない、顔の造作の美醜ではない。生き方が全身に現れるのだ。


◆子どもが憎ったらしくなかった、、、。

 冒頭書いたとおり、フィルが可愛げのないガキという印象が強かったんだけれど、今回見て、それが見事に覆された。フィル、なかなかカワイイじゃねーか。

 カワイイにも色々あるが、フィルのそれは、思わず顔がほころんでしまうようなのではなく、顔を見ているとつい吹き出してしまうようなカワイイなのだ。……え、意味分からん? すんません。

 フィルは、小憎らしいことを言ったり、大人顔負けのセリフを吐いたりするんだが、所詮は子どもで、やはり誰かの庇護を必要としている。そして、自分の存在がグロリアを窮地に陥らせていることを分かっていて、そのことに小さい胸の内で葛藤しているのだ。いじらしいではないか! 

 やはり、ネット上では、フィルを憎ったらいしいとか可愛くないとか書いている人がいたし、私も以前はそう感じたのだけれど、今回はそれが間違いだったと思った。というか、私にフィルの可愛さを受容できるキャパがようやくできたのかな、と思う。

 そして、恐らく、グロリアもそれを感じたに違いない。どこからそう感じたのかは分からないが、最初から感じていたのかも知れないし、2人で同じベッドで寝た時からかも知れないし、、、。いずれにしても、子どもが幼いながらに状況を理解して身の振り方を案じていると分かって、大人として心動かされないはずはない。なんとかしてこの子を守らなければと言う庇護欲が働くのは、自然の成り行きだと思われる。

 家族と離れた当初、フィルは、グロリアに「僕は男だ! 一人前の大人だ! 何だって一人で出来るんだ!」ということを何度も何度も言うシーンがあるけれど、字幕ではそう書かれていたけれど、実際のフィルのセリフは、“I am a man !!”を繰り返している。6歳のちっこい身体で、一生懸命、大きく見せようと身振り手振りをして、グロリアに何度もそういうフィルを見て、憎ったらしいとは、到底思えなかった、、、。


◆カサヴェテスの天才っぷりを堪能。

 本作は、脚本もカサヴェテスが手掛けているようだが、この脚本が実に冴えている。

 冒頭から、一家が惨殺されるまでの裁き具合が鮮やか。ものの5分程度で、一家の置かれた状況、グロリアと一家の関係、グロリアとフィルの母親の関係、それらが全てセリフに頼らずにバッチリ描かれている。これは素晴らしい。

 どうしてフィルを母親はグロリアに託したのか。子どもを嫌いと言って憚らないグロリアに。でも、それは、彼女とグロリアの間に、かなり厚い信頼関係が成り立っていたと想像させられる。そして、それで十分なのだ。彼女たちの関係性を描くのに、なにも、10分も20分も必要ない。並の脚本書きなら、そうしただろう。でも、カサヴェテスは、実に鮮やかに、ワンシーンで全てを語らせてしまった。

 また、彼の脚本は、グロリアという女性を見事に描き出している。本作は、ほんの数日の出来事を描いたものだが、これだけで、グロリアのこれまでの生き様が立ち現れているのだ。それを現すのが、やはり“覚悟”の一言のように思われる。すべて、自分で落とし前を付けてきた人生。だからこそ滲み出る美しさ。

 カサヴェテスの脚本・監督と、ジーナ・ローランズの素晴らしい演技によって、本作は名画となったのだと思う。だから、リメイクなんておいそれと手を出しちゃいけないわけ。

 フィルを演じた子役の演技が下手だという評も散見されたが、私は、これは前からそんなことはないと思っていたし、今回見ても、やはり下手だとはゼンゼン思わなかった。というより、非常に、フィルという子どもの性格をよく表わした良い演技であり、演出だったと思うのだが、、、。

 音楽もイイが、時折過剰と思う部分もあり。まあでも、それを補って余りある映像の素晴らしさも特筆事項。オープニングの映像がイイ。空撮から一気にバスへのカメラワークも。ラストのスローモーションも。

 とにかく、やはり映画はスクリーンで見てなんぼ、ということを改めて思い知った次第。





グロリアとフィルの今後が気になる。




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牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件(1991年)

2017-03-22 | 【く】



 以下、本作公式HPのあらすじコピペです。

 ====ここから。

 1960年代初頭の台北。建国高校昼間部の受験に失敗して夜間部に通う小四(シャオスー)は不良グループ〝小公園“に属する王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らといつもつるんでいた。

  小四はある日、怪我をした小明(シャオミン)という少女と保健室で知り合う。彼女は小公園のボス、ハニーの女で、ハニーは対立するグループ〝217”のボスと、小明を奪いあい、相手を殺して姿を消していた。ハニーの不在で統制力を失った小公園は、今では中山堂を管理する父親の権力を笠に着た滑頭(ホアトウ)が幅を利かせている。

 小明への淡い恋心を抱く小四だったが、ハニーが突然戻ってきたことをきっかけにグループ同士の対立は激しさを増し、小四たちを巻き込んでいく。。。

 ====コピペ終わり。

 エドワード・ヤン監督の91年制作映画。権利関係の問題からソフト化もされず、長年、映画ファンの間では伝説化していた作品。このたび、デジタルリマスターされて、3時間56分完全版でリバイバル上映。……つ、疲れた、、、。 


 
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 何かの映画を見に行った際に予告編で見て、へぇーと思いながら、映画友に薦められるまで見る気がしなかったんですが、意を決して見に行きましたよ、劇場まで。なんつったって、4時間ですからね、4時間!! しかも、休憩ナシ!!! これは、映画好きでも尻込みしますって。とにかく、劇場最後尾の、通路側の端っこの席を確保し、上映前には何度もトイレに行き、万全の体制で臨みました(……って大げさな、と思わないでくださいまし)。

 正直、3時間くらいまでは結構フツーに見ていたんですが、それを過ぎると、さすがに「まだ続くのか、、、」と長さを感じました。といっても、不思議と退屈したわけではなく、睡魔にも全く襲われず、、、でも、やっぱし、4時間は長いっす。苦行に近い。

 まあでも、そんな思いをしてでも、今回を逃したら、今度はいつ見られるか分かったモンじゃないので、見ておいて良かったとは思います。映画として伝説化するのも分かる気がしました。確かに逸品です。

 ただ、こんな大作を前にして、いつものように思いつくことをグダグダ駄文に書き連ねるのは、何かこう、、、違う気がするといいますか。実は、いつものように思いつくまま書いたんですが、こんなことを書きたい訳じゃないんだよなぁ、と思って全部消しました。

 正直な話、1回見ただけで語るには、あまりにも奥が深い作品だと思います。歴史的背景や政情等に詳しければ、もう少し意義ある見方も出来たでしょうが、何しろ、そういうことには通り一遍以下の知識しかなく、何を書いても、しっくり来ない……。

 かといって、もう一度見る気は正直しないのです。4時間は、あまりにもハードルが高いです。見直したいシーンは色々と思い浮かぶのですが、そのために4時間、、、と思うとげんなりしてしまう。

 本作は台湾映画ですが、いつの時代でも、どこの国・地方でも、人間の営みの根底にあるもの……つまり、人間関係から生まれるドラマ……というのは普遍的であり、悲劇であれ喜劇であれ、ラブストーリーであれ、そこには、誰もが経験したことのある感情が流れているのだということは書き留めておきたいと思いました。

 小四の恋と、学校生活や友人との交流等の青春絵巻が描かれた本作は、多くの男性のノスタルジーを喚起し、共感を呼ぶのだと思います。男性批評家に支持者が多いのは理解できます。とはいえ、ノスタルジー一辺倒ではなく、厳しい現実も投影させ、青春絵巻といった一面的な描き方ではない、多面的な台湾での少年たちの生き様を丁寧に描写しているところに、本作の真価があるのでしょう。

 時間は長いけれど重苦しさはなく、画面も全体的に暗いけれど、映像はとても美しいです。これぞ、映画、と言うのかも知れないな、と思いながら、劇場を後にしました。

 見ないと損、とまでは言いませんが、見ておいた方が良い映画であることは間違いありません。


 





小明は映画史上に残るファム・ファタールでしょう。




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クライム・オブ・パッション(1984年)

2016-02-08 | 【く】



 ジョアナ(キャスリーン・ターナー)は、昼間は有能なデザイナー、夜はチャイナブルーと名乗る娼婦。ある日、ジョアナは企業スパイではないかと上司に勝手に疑われ、その上司がジョアナの身辺を探るべく、ボビーという男性を探偵として雇う。

 そのボビーは、セックス嫌いの妻との夫婦関係に行き詰まりを感じていた。そして、ジョアナの夜の顔を知り興味を抱いて、チャイナブルーに迫る。そして2人は、、、。

 ケン・ラッセル監督作品。相当ヘンな映画だけれど、何と、90年にTV地上波のしかもゴールデンタイム「日曜洋画劇場」で放映されていた! よく放映したよなぁ。90年はまだギリギリ、TVも元気だったんだね。
  

  
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 ケン・ラッセル監督作&キャスリーン・ターナー主演ということで心積もりをして見たのですが、割とフツーでした。

 チャイナブルーは、コスプレ娼婦で、客の求めに応じて演じ分ける凄腕です。コトが終わった後もあっけらかんとしています。ほとんど予備知識なく見たので、一体どういう方向へ話が進むのか、、、と思っていたら。

 結局、ジョアナは、昼と夜と2つの顔を持つ女として、やはり心に深い闇というか、大きな空洞を抱えていて、ボビーと出会ったことで、ようやく愛を知る、みたいな展開なんで、ストーリーだけ見れば、実にありがちな娼婦物語でした。

 ただ、まあ、そこはケン・ラッセル、フツーの話をフツーには描かない。

 チャイナブルーを付け回す(ニセ?)牧師のピーター(アンソニー・パーキンス)がいるんですが、チャイナブルーに娼婦を辞めさせようとする=救おうとする、わけです。でもね、実は、コイツが牧師面して“ド”のつく変態でして。どのくらい変態かというと、いわゆるダッチワイフを切り刻んで(しかも血みたいな赤い液体がドバーッと出てくるという、、、悪趣味極まりないんだ、これが)一人SMに興じている、というくらいの変態です。おまけに、小道具持ち歩いていて、そのうちの1つが、先の尖ったバイブレータ、、、。モノも斬れるような鋭さ。見ているだけで痛い、

 正直、このピーターの存在意義がイマイチよく分からないんですが。ただの変態映画のためのキャラなのか。それとも、幻想を求める世の殿方のカリカチュアなのか。はたまた、聖職者の揶揄なのか。まあ、ケン・ラッセルなので、3番目かな、、、という気もしますけれども、分かりません。ラストのためだけにいるような、、、。

 ボビーとセックス嫌いの妻の、冷え切った夫婦関係を描いている部分なんかは、もの凄くフツーの映画っぽいです。ボビーがパーティーで非常に下品な出し物を演じて場を白けさせるシーンがあるけれど、まあ、でもそれもご愛嬌でしょう。

 夫婦でセックスに対して温度差があるのは、なかなかツラいだろうなぁ。ボビーの気持ちも分かるし、妻の気持ちも分かる。拒絶されれば哀しいし、でももうメンドクサイし、、、って感じかな。結構、マジメに描かれています、この辺は。

 さらに、ジョアナの苦しみも真っ当に描いています。チャイナブルーはチャイナブルーの苦しみがあったんだけれども、ボビーとイイ感じになったら今度は、それがジョアナにとっての苦しみになってしまう。、、、そう、人を好きになるってことは、苦しみなのですよ。ウキウキルンルンなんて、恋している時だけ。そういうところも、マジメに描かれています。

 というわけで、ケン・ラッセルだからって構えて見始めた割には、何だかフツーな作品で拍子抜けでした。強いて言えば、終盤ですね、印象的なシーンは。アンソニー・パーキンスが、遂にブチ切れて、あの尖ったバイブでチャイナブルーに襲い掛かります。そして、最後は、なぜかピーターがチャイナブルーの格好をして、尖ったバイブをジョアナに突き立てられて死ぬという、、、。ジョアナ自ら、チャイナブルーを葬った、ということでしょうか。

 まぁ、楽しめますけれども、あんまし人にはオススメできないです、、、トホホ。

 
 





キャスリーン・ターナーの魅力(?)全開です。




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クリムゾン・ピーク(2015年)

2016-01-18 | 【く】



 英国から来た謎めいた貴族トーマス・シャープ(トム・ヒドルストン)に、アメリカ・NYの成金(?)のお嬢さんイーディス・カッシング(ミア・ワシコウスカ)は心を奪われ、2人は恋に落ちる。トーマスにはこれまた謎めいた姉ルシール(ジェシカ・チャスティン)がおり、2人の恋を歓迎しているようないないような、、、。

 果たしてトーマスとイーディスは婚約するが、イーディスの父カーターはシャープ姉弟にどこか胡散臭さを感じたのか、探偵を雇って身辺調査をさせると、驚くべき事実が明らかに。カーターは、イーディスには内緒で、シャープ姉弟に金を握らせイーディスの前から消えろと命じ、姉弟はそのままアメリカを去ることに。

 しかし、シャープ姉弟がアメリカを立つ日、カーターはスポーツクラブの洗面台で頭を強打した無惨な死体で発見される。トーマスを追ってきたイーディスは、父の遺体と対面し、父の全財産を相続した身で、トーマスと共にイギリスへ渡る。

 アラデール・ホールと呼ばれるトーマスの屋敷に着いたイーディスだったが、そこは荒れ果てたまるで幽霊屋敷。実際、イーディスは何か不思議なものを屋敷の中で度々目撃し怯える。この屋敷のある場所は、実は、かつて自分が10歳の頃、亡き母の幽霊が現れて気を付けろと警告した場所「クリムゾン・ピーク」だったのである。なぜ気を付けろと母の幽霊は言ったのか?

 すべての謎が解けた時、イーディスは絶体絶命の危機にさらされる!!

  
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 思わせぶりなあらすじの書き方をしてしまいましたが、内容的には意外性はありません。な~んだ、って感じ。一応、ゴシックホラーという触れ込みだけれど、ホラーというほど怖くもない。ただ雰囲気はあります、すごく。

 10歳のイーディスの前に現れる亡きお母さんの幽霊ってのが、これが結構おっかない見た目で、あれじゃあ、いくら大好きなお母さんの幽霊っつったって、そら10歳の子には怖いわさ。何でもうちょっと普通な姿で出てきてあげないのかしら、、、と思ったけれど、イーディスの心にお母さんの警告を素直に届かせないためなのかもね。届かないからこそ、シャープ姉弟の屋敷がクリムゾン・ピークそのものだと知ることもなく行ってしまったのですからね。

 とにかく屋敷のセットが素晴らしいです。この世界観、好きだわ~。とっても絵画的。パンフによると、ギレルモ・デル・トロ監督はラファエル前派のミレー等からインスピレーションを得ているとか。と聞けば、なるほどねぇ、と言う感じです。なにより、屋敷全て実際セットを組んで、ほとんどCGはナシということで、それはそれは臨場感のある映像美を堪能できます。これを味わうだけでもスクリーンで見る価値アリでしょう。

 謎解きの小道具の数々、鍵の束、蓄音機のシリンダー、古い書物、古い写真、恐ろしい肖像画、、、と、見ているだけで楽しい。

 陰惨な事件を匂わせながら、絵画の中から飛び出して来た可愛らしい少女のようなイーディスが姉弟の隠された秘密を暴いていくという対比が、画的に見応えあります。

 ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』は、世界観はもちろん、ストーリーもなかなか噛み応えがあったので、割と好きなんですが、本作については、噛み応えはほとんどなく、ただただ世界観をリアルに再現したそのビジュアルを堪能するのが良いようです。

 途中、トム・ヒドルストンとミア・ワシコウスカのベッドシーンがありますが、トム・ヒドルストンはすっぽんぽんで立派なお尻をご披露されていましたが、ミアの方は脱ぎもせず、何だかなぁ、、、。だって、ようやく、ようやく結ばれた、っていうシーンなんですよ? そこでそれかよ、、、って感じ。脱がないから官能的じゃないとは一概に言えないけど、あそこは話の流れから言って、ほとばしる欲情のぶつかり合い!! のはずなわけで、やっぱし大胆に脱いでいただきたかったですね。脱がせないのか、脱がないのか知りませんが、裸体を出し惜しみする女優は、私はあんまし好きじゃないですね。

 あと、かなり全体に痛い映画です。ドンパチ系はわりかし大丈夫なんですが、刃物系は私ダメなんですよ。終盤の、「心変わりなど許さん!!」グサッ、グサッ、グサッ、グサッ、の連続はちょっと、、、。しかも、刺しては抜く、刺しては抜く、、、痛ぇぇぇ~~。正視できませんでした。ラストの、イーディスとルシールの一騎打ちも痛いけど、イーディスのデカいシャベルにはたまげました。もう、あそこまで行くと、何でもアリです。

 本作は、ゼッタイ劇場で見た方が良いです。DVDで見ても、多分、……え、それだけ?? となる可能性が高いので。

 



謎解きは、消化不良な部分も。




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クィーン・オブ・ベルサイユ 大富豪の華麗なる転落(2012年)

2015-10-27 | 【く】



 アメリカの大富豪が、ベルサイユ宮殿をモチーフにした(どこが?)全米一の大豪邸を建設しようと計画しているのを知った本作の監督が、その一部始終を記録すべく始まった本作の撮影。

 ところが、事実は小説よりも奇なり。撮影途中で、あのリーマン・ショックが起き、大富豪も直撃を受ける。そして、ベルサイユ計画も頓挫。建設途中で売りに出すハメに、、、。しかも、まるで売れない(買える人も、買いたい人もいないのだ、あまりにも、、、な建物で)。

 はてさて、大富豪一家、このピンチをどうするのでしょうか? 正直、退屈なドキュメンタリーでございました。

 
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 大富豪一家の主は、デヴィッド・シーゲルというお方。それこそ“裸一貫”から起業(?)し、一代で財をなした成り上がりの爺さんで、2代目ブッシュ大統領を大統領にしたことがご自慢らしいです。そして、その31歳年下の若き妻ジャッキーは元モデル。二人とも再婚同士だけれど、二人の間には子どもが何と8人もおり、と~っても仲睦まじい様子から、本作は始まります。もちろん、現在住んでいる家だって、すんごい豪邸です。

 そして、メインのベルサイユ風新豪邸建設現場も紹介されて、、、。工事中の建物の中。ジャッキーが「キッチンだけで○○(←100以上の数字を言っていたと思うが記憶が定かじゃないです)あるの」とか、「スケートリンクもあるわ」とか、、、。まあ、、、家具とかイロイロ悪趣味で、全く魅力を感じることなく、ただただ、へぇ~~~、という感じ。

 ところが! 予期せぬ出来事勃発。それは、あのリーマン・ショック! デヴィッドの会社も煽りを食ってしまいます。でも、本作では、事業の危機はあまり詳しい説明もなく、、、。ベルサイユがどうなるか、それが飽くまでメインテーマ。

 正直、この危機が訪れるまでは、かなり退屈で睡魔に襲われました。そして、リーマン・ショック後は覚醒したかというと、、、。まあ、眠くはならなかったけれど、おめめパッチリ、という訳でもなかったです。

 確かに、危機以降のシーゲル家は大変そうでした。ベルサイユも売りに出しちゃったし。たくさんいた使用人も解雇して、家の中も荒れてきちゃう。犬を何匹か飼っているんだけど、その犬たちがところ構わず糞をするんだよね、これが、、、。そして、それがあちこちに放置されていて不衛生極まりない。子どもたちが飼っていたトカゲや魚も、世話が行き届かずに死んでるし。なんかもう、いくら豪邸でもあんな所で生活なんか絶対イヤ、という状況でした。

 が、このジャッキー、かなりの楽天家というか、そんな状況になってもゼンゼン悲壮感がないのです。買い物は相変わらずジャンジャンし、「シッターがいたから子ども8人も産めたのよ~~!」とか能天気に言っているかと思えば、「(経済的に)タイヘンになっても、その時はその時で、何とかするしかないし何とかなるわ」と笑顔で言っている。「良い時もあれば悪い時もある。私の人生、今までタイヘン続きだったから、別にへっちゃら~~」的な感じなのです。

 彼女は、最初こそ、一見、金目当てで歳の差婚したシタタカ女みたいに見えなくもないけど、どうやら、経済力抜きでもダンナのことをちゃんと愛していて、危機に陥っているダンナを支えなきゃ、と彼女なりに腹を括っている割と純な心の女性のようです。

 むしろ、いけ好かないのはダンナの方。事業が上手く行かなくなったからって、家族に八つ当たり。一番の矛先は妻であるジャッキーに向くんだけど、もうこれが大人げないのなんの。冒頭ではラブラブ夫婦を演じていたくせに、「もうお前なんか愛してない」とかジャッキーに平気で言ったり、電気代を節約したいのに電気を消し忘れた子どもに「電気を消せ! 電気を消せ!」とバカの一つ覚えみたいに言ったり。

 そんなダンナなのに、ジャッキーは怒ることもせず、「愛してるわ」と言い、ダンナの誕生日サプライズパーティをして、家族の輪を大事にしようとする。ただ、まあ、彼女が良かれと思ってしていることは、ダンナの神経を逆なでしていることでもあり、その辺が分からないのがちょっとアタマ悪いかな、とは思いますけれど、でも、信頼できる良い女性ですよ、ホントに。あのダンナにはもったいないくらい。私だったら、カネの切れ目が縁の切れ目だわ、あんな男。

 まあ、概して男性の方が打たれ弱い、とは言いますが、それにしてもあのダンナは、あれでよく経営者が務まるなぁ。

 結局、本作中でもベルサイユは売れず、事業も好転の兆しも見えずで、何か暗い見通しな終わり方だったんだけど、現在のシーゲル夫妻は、勢いを盛り返し、ベルサイユ建設再開しているとか・・・? 金が入るようになったら、またあのダンナはジャッキーとラブラブ夫婦を演じるんですかねぇ。ヤな爺ィだ。

 本作は、新聞か雑誌かに出ていた評を読んで、興味を持って劇場まで見に行こうかとも一瞬思ったんだけど、ほかに見たいものがあったってのもあって行かずじまいでしたが、、、行かなくて正解でした。というか、DVDで十分。金払ってレンタルするほどでもなかったな、と思う次第。テレビの特番レベルかな。せめて、もう少し、内装とか家具とか、趣味の良いものを見せてもらえたら目の保養くらいにはなったかも知れないけど。

 レビューを書くほどの作品でもないんだけど、一応、見るのに時間を割いちゃったから、書かないのも何か悔しくて、駄文以下の落書きを書きなぐってしまいました。悪しからず、、、。

 









ベルサイユ宮殿にゼンゼン似ていないと思ったのは私だけ?




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クライマーズ・ハイ(2008年)

2015-09-26 | 【く】



 1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故を背景に、群馬県の地方紙「北関東新聞」でのスクープを巡る社内攻防の一部始終を描く。

 NHKでもドラマ化されており、個人的には迷うことなくドラマに軍配。


 
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 原作未読。横山作品は、映画化されたものが多いようですが、どれも読んだことも見たこともなく、唯一見ているのがこの「クライマーズ・ハイ」のドラマ。そして、本作。

 ドラマ版を見た際に、あの日航ジャンボ機墜落事故を巡る新聞社内部の話、という点に興味を抱いて見たのですが、そこへ登山の話や主人公の悠木の家族の問題等々が絡み、こんな重厚な話だったのか、、、と意外に思い、ドラマも非常に秀逸で印象に残りました。で、映画では悠木を、かつて愛した堤真一が演じるというので、今となってはどうでも良いといえばどうでも良いんだけれども、一応、ドラマも良かったし見てみようと思って鑑賞した次第です。

 しかしながら、本作は、ドラマ版に完敗です。もう、比べ物にならないくらい、ドラマ版の方が素晴らしい。やはり、大森寿美男は凄いと改めて思いました。

 本作は、とにかく、全編にわたり描写が散漫。高嶋政宏演じる安西なんて登場している意味がないし。もちろん、現在シーンで、安西の息子(小澤征悦)との登山を描くために必要なんですが、本作では、登山シーンがゼンゼン意味のないシーンになっちゃっているのがすごく残念。何で登山シーンが入るのか、原作も、ドラマも見ていない人からすれば、イマイチピンと来ないんじゃないでしょうか。それがクライマーズ・ハイというタイトルそのものにつながる重要なファクターにもかかわらず、本作ではただ展開の流れをぶった切るおじゃまなシーンに成り下がっちゃっておりました。これは明らかに脚本が悪い。

 その点、ドラマは、悠木がスクープを載せるか載せないかについての決断と、クライマーズ・ハイを見事に絡めていたため、しっかり見ている者に伝わったと思います。

 あと、やはり、本作で大切なのは、「新聞を作るとはどういうことか」であり、また「地方紙の存在意義は何か」であります。この2つの重要な柱を、映画の脚本では見失っていたのではないでしょうか。

 ドラマには、交通事故で死亡した男性についての描写があり、同じ人間の「死」にもかかわらず、ジャンボ機墜落事故との記事の扱いの違いを男性の遺族に問い掛けられ答えに窮する悠木が、改めて新聞の意義について苦悩しながら自問するという大事なシーンがあったと思いますが、本作にはそれがありません。原作はどうなのか知りませんが、もし、原作にあって、映画でそれをカットしたのであれば、やはり、脚本としてはお粗末です。

 また、私がドラマを見て、深く刺さった悠木のセリフに「俺たちは、新聞紙を作ってるんじゃない、新聞を作ってるんだ!!」というのがありました。これは、新聞業界全体に対する強い戒めになるセリフでもあり、私自身もゼンゼン知らない世界の話じゃないだけに、とても心に迫るセリフでした。映画にはこれがない。堤真一が神妙な顔をして「俺たちは新聞を作ってる」と2度言っていたように思いますが、それではダメなのです。そこが、本作の脚本はダメだな、と思った最大の理由かもしれません。

 笑っちゃったのは飲み屋でのケンカのシーン。地方紙の悲哀を描いたシーンのはずなんですが、かなり寒い。遠藤憲一演じる社会部長と悠木の会話で、連合赤軍(作中、レンセキレンセキと連呼していたのは、連合赤軍のことなんですね、、、。しばらくしてから分かりました)の件で、地元紙である北関東新聞は、全国紙に内容で負けた、と悠木が部長に詰め寄ります。すると、部長が気色ばんで「負けた? どこにだ?」と怒鳴り返す。で、悠木の返答は、、、

「朝毎読売、それとサンケイですよ!」

 この「それとサンケイですよ!」って、原作にもあるんですかね? 業界で産経新聞を新聞だと思っている人なんて、どんくらいいるんでしょうか? あれこそ、新聞紙だと思うんですけど。どうやら、フジテレビがスポンサーっぽいシーンがあちこちに紛れ込んでいたので、そのための配慮か? と思いますが、それにしてもあの露骨な悠木のセリフは、作品全体の質をも下げる、サイテーのセリフでした。サイテーすぎて笑えましたけれども。

 あと、本作全般、セリフが非常に聞き取りにくいです。肝心なセリフが聞き取れない、という場面がいくつもありました。演出上、そういう喋り方が必要だとは思えず、観客視点の欠落した制作の自慰行為なんで、やめていただきたい。

 まあ、とにかく、一見社会派の硬派な作品に見せかけた、中身スカスカのハリボテ映画です。これでは、520人の犠牲者は浮かばれないし、ご遺族の気持ちを逆なでしているような気さえします。

 堤真一、、、昔は好きだったんだけどなぁ。大河ドラマ「武田信玄」で、長男の武田義信を演じていた頃が、一番ステキだったかも。朝ドラ「マッサン」では、久しぶりに意気な演技を見られましたけれど。本作では、ちょっと、、、脚本のせいでもあるけど、魅力的な人物ではなかったです。






とにかく、原作を読んでみようと思いました。




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