映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ダーリング(1966年)

2014-04-29 | 【た】

★★★★★★☆☆☆☆

 幸せのハードルが高い人、もっと言っちゃえば、幸せ感度の鈍い人、とも言えるけど、そういう人は、十分恵まれた状況にありながら、足りないところばかりを探して自らを不幸に導くために、いつまでたっても、どこまで行っても幸せを実感することができない、そこれこ正真正銘の不幸者と言える。

 オトコ遍歴を重ねてのし上がっていく女性、というのを描く場合、上記のような女性像として描かれがちかと思うけれども、本作の主人公ダイアナは、ちょっと違うと思う。彼女も確かに、ちょっと幸せ感度の鈍い部分はあるんだけれども、どちらかというと、目先の快楽に弱いだけの、もっと言っちゃえば「頭の悪い女」なだけのような気がするのだ。

 見る人によっては受け止め方が変わるかもだけど、ダイアナには打算的なものが感じられない。幼いころからちやほやされて育ったためか、ひねくれていないのである。その時その時で、自分の気の向くままに行動してしまう。先のことなど考えない。寂しいときに構ってくれる男が誘えば、着いて行っちゃう。王子様にプロポーズされて断っても、本命男に邪険にされたら、やっぱりあなたと結婚すると言ってあっさり戻っちゃう。

 なので、あんまり嫌らしさを感じることなく、あらあら・・・、ってな感じで見ていられて気楽なもんである。最終的には公国の王女様で何不自由なく愛されて暮らすという、めでたしめでたしなエンディングで、よござんした。ただ、魅力的な女性とは、到底言えないけれど。ひたすら流されて生きている女性って、むしろイタい。王子様に見初められたからおとぎ話で終われたけれど、とんでもない詐欺師とかだったら、サイアクだよ、マジで。

 というわけで、ストーリー的にはイマイチだけれども、本作にはそのほかに見どころが結構あると思う。まず、ダイアナを演じたジュリー・クリスティ。絶世の美女、というわけじゃないけれども、魅力的な美しい女性。ちょっとバカっぽいところを上手に演じており、素晴らしい。そして、不倫相手のロバートを演じるダーク・ボガード。正直、あんまし好きな俳優さんじゃないんだが、本作では、くたびれた、でも渋い魅力の残っている中年オヤジを見事に演じており、この2人の魅力で本作はかなり評価がかさ上げされたのではなかろうか。

 そして、何よりイイのは、オープニング。かなりステキである。ジュリー・クリスティの出演作、他にも見てみようかな。
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恋人までの距離(ディスタンス)(1995年)

2014-04-26 | 【こ】

★★★★★★☆☆☆☆

 先日、会社の同僚(といっても私より15歳も若いアラサー女性)が、ふとした出会いが縁で結婚したという、彼女の知り合いの話を教えてくれた。客とディーラーの関係だったとか。私の知り合いにも、カラオケボックスの隣の部屋(何でも部屋の壁がガラス張りだったとか・・・?)で歌っていた男性と目が合い、歌い終わって隣室の人々と一緒に店を出たところで「アタシ、あなたと結婚すると思う」とその男性に言って、ホントに結婚した、って人がいるんだよ、なんて話をしたのであった。でもって、「私の人生にはそーゆー劇的な出会いってなかったなー」と言ったら、同僚が「これからあるかもですよ!」などとヌかすので、思わず「はぁ?もういいよ、メンドクサイ」と思わず返事してしまったら、同僚は苦笑していた。色恋ごとを「メンドクサイ」なんて言うようになったら終わりだ、と、私もかつて若かりし頃は思っていたなぁ、そーいえば。

 長い前置きはさておき、本作は、外国での旅の途中でたまたま知り合ったイケメンとカワイ子ちゃん(死語?)の時限恋愛話です。一つ一つの会話や仕草、目線の合わせ方など、丁寧な作りです。まあ、一種のファンタジーですが、違和感なく物語は進みます。ウィーンの古い街並みがロマンチック度アップ。

 二人の演技とも思えぬ演技がいいですね。何となく惹かれあう感じがよく出ています。電話のシーンなんかは、ラブストーリーとしてはかなり定番な感じもありますが・・・。

 さて、しかし、私は本作を今回初めて見たわけでして、今の私には、本作に「続編」が、しかも2つもあることを知ってしまっているわけです。つまり、このお話は「行きずりの時限恋愛」で終わらなかったことを知ってしまっている。だから、本作もどうしてもそういう前提で見てしまい、かなり興ざめです。もちろん、本作のせいではありません。制作から20年も経って見るからこういう事態が起きたわけでして・・・。

 で、私としては、この二人はこの後、二度と会わない方が、お話としては好きかな。と。続編はまだ見ていないのでどういう展開か知りませんが、どういう展開であれ、これは非日常における夢物語で、素敵な思い出、とかで良かったんじゃないのかしら、という気がします。なぜなら・・・。

 恋愛とは、キレイごとではないからです。人を愛するというのは、過酷です。与えるだけの愛で満足できる、そんな神様みたいな人、いません。与えたら与えた分以上に与えてほしい、と思うのが人というもの。おまけに、恋愛には「肉欲」が着いて回ります。これのない恋愛は、私的には「ただの恋」でしかありません。でもって、セックスが絡むと、話はさらに厄介になるのです。好きだからセックスなのか、とか、セックスしたいだけなのか、とか、そういうことではなく、生理現象、つまり本能と、精神的なものの並行する物事ですから、厄介なんです。恋愛以外に本能と精神性が並行するものって、ありますかね?

 と、ぐだぐだこれ以上書いても仕方ないので、とりあえず、続編を近々鑑賞してみます。
 
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幸福の設計(1947年)

2014-04-21 | 【こ】

★★★★★★☆☆☆☆

 どうやら、ベッケル作品を見たいと思ってレンタルリストに入れていたらしい・・・。

 あれれ。ベッケルにしては、なんというか穏やかな序盤。いや、アントワーヌの操る裁断機が怖い。操作を間違えれば指の数本あっさり切り落とせそうなもの凄いグロテスクな裁断機。正直、たった数十秒のシーンだけれど、小心者の私は正視出来なかった・・・。

 何事もなくアントワーヌは仕事を終え、ホッとする私・・・。今度は女性陣の髪型が気になる。すごい朝のスタイリングが面倒くさそう。スーパーには豊富にモノがあるんだなぁ、とか、地下鉄のドアないんだぁ、とか、、、思う。

 中盤までの特筆事項は、スーパーの店主の爺ィが非常に気持ち悪いってことかな。言動もだけど、なにより顔が気持ち悪い(役者さん、ゴメン)。なんつーか、スゴイ生理的に嫌な顔である。

 そうこうするうち、果たして、「それ」は起きる。アントワーヌ、かなりマヌケである。救われるのは、アントワネットの賢妻ぶりかな。アントワーヌの身に何か起きたことを察し、アントワーヌの失策を責めずに明るく迎える。しかし、ここで「貧しい夫婦はそれはそれで幸せに暮らしましたとさ」で終わらせないのがベッケルなのか。思いも掛けない珍騒動が巻き起こり、結果的にアントワーヌの失策は見事ハッピィエンドにて落着・・・。

 うーん、なんだかなぁ。まあ、面白いといえば面白いけど、ベッケルもこんな作品撮るんだぁ、って感じかな。当時のパリの風俗がすごくよく分かるのは、お世辞抜きに面白いんだけど。

 本作で一番存在感があったのは、あのキモワル爺ィであり、一番印象に残ったシーンは、冒頭の裁断機のシーンでございましたとさ。
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ぼくは怖くない(2003年)

2014-04-13 | 【ほ】

★★★★★★★★☆☆

 冒頭、いきなり悪ガキが仲間の女の子に罰ゲームとして「アソコを見せろ」などと、マフィアさながらの仕草で言ってのける。この子の演技が何とも堂に入っているのである。そして、女の子が服を脱ごうとしたその時、ミケーレが「自分が罰ゲームを受ける」と手を挙げる。この冒頭シーンでミケーレがどんな子かが実に端的に描写されている。

 美しい自然の風景と、生き生きとした子どもたちの描写とは裏腹に漂う緊張感・・・。そして、思わず飛び上がりそうな、というか、思わず声を上げるほど驚くシーンが、、、。

 その後は何か起こってしまいそうで起こらない、そんなシーンが続き、ドキドキしながら展開を見ることに。割と背景は早い段階で明らかにされていくので、謎解きの要素はあまりない。それなのにこの緊張感! 

 実に細かい伏線がいくつか張られており、クライマックスはその伏線が鍵になる。ミケーレは、お父さんがフィリッポを殺しに来るのが分かるのだ。だからこそ、あの暗い夜道をはるばるフィリッポを救い出しに行く勇気が持てたのだと思う。そして、思った通り、大好きなお父さんが現れた! そして、私は2度目に声を上げてしまうことに・・・。

 タイトルの『ぼくは怖くない』は、ミケーレの心情であるとともに、ミケーレに助け出された後のフィリッポの気持ちでもあるのだと感じた。

 冒頭の悪ガキもそうだが、子どもたちの演技が素晴らしい。特に、ミケーレを演じたジョゼッペ・クリスティアーノは圧巻。どこか『リトル・ダンサー』のジェイミー・ベルと表情や仕草が私の目には重なって映り、若干、評価も甘めになっているかもだけど・・・。

 余談だけれど、日本のそれと見た目そっくりの蚊取り線香が出て来て、びっくり。あの渦巻き型の。蚊取り線香のあの形って、どういうルーツなんだろうか。あれは日本からの輸出品? ちょっと調べてみようかな。原作も読んでみようかな。
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あなたを抱きしめる日まで(2013年)

2014-04-09 | 【あ】

★★★★★★★☆☆☆

 内容は悲惨で重いのに、作品自体の持つ雰囲気は優しくチャーミングです。これも、ひとえに主人公フェロミナを演じるジュディ・デンチの素晴らしい演技によるものだと思います。

 アイルランド、カトリック、修道院、、、とくれば、必然的に思い出すのはあの『マグダレンの祈り』。アイルランドの持つ、こうした負の遺産は私の想像以上に大きいもののようです。マーティンがカトリックに対し「クソくらえ」と言い放つ気持ちも分かるというもの。

 しかし、フェロミナは、そんな修道院を恨まず、過酷な現実をありのまま受け入れるのです。苦しいけれども、自分の中で消化しようと努力します。その葛藤が実によく描かれています。誰も、何も責めることなく、現実が導かれたすべての物事を赦すのです。彼女のラスト近くのセリフ「赦しには大きな苦しみが伴う」が全て。本作のキモです。

 ・・・とまあ、良い作品なのは確かなのですが、どうも私にはグッとくるものがありませんでした。実話なだけにストーリーにご都合主義も破綻もない、気の利いたセリフはあるし、ユーモアもある、役者の演技はバッチリ、映像もなかなかキレイ、、、といった具合にオールAなんだけど、A+が1個もない、という感じかなぁ。あまりにもキレイにまとまり過ぎというのか。引力が足りない。

 それにしても、宗教って何なんでしょうかねぇ。結局は、人間の観念が生み出したものだと思えば、あらゆる矛盾は致し方なしと思えるのですが。まあ、人は弱い生き物ですけれど。でも、信仰が自分を強くしてくれる、と話す人もいるわけで。何が正しいかなんて信じるモノによって全然違ってくるし。本作の後味の良さとは裏腹に、何とも言えない不可解な気持ちを抱えて家路に着きました。多分、この不可解さは、私が何かの信仰を持たない限り、死ぬまでつきまとうんでしょうな。・・・やれやれ。
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青春の殺人者(1976年)

2014-04-06 | 【せ】

★★★★★★☆☆☆☆

 某全国紙の土曜版で取り上げられていたのを読んで、見てみました。ちなみに原作未読。

 さすが、40年前の映画、皆さんお若い! そして、街並みや行き交う人々の様子に懐かしい昭和がありました。いやはや、昭和51年て、こんな風だったのね。

 さて、本作です。順が父親を怒りにまかせて殺してしまったのは、割とありがちなんですが、その先の展開が恐ろしい。順の母親は、なんと、血の海に横たわる夫の亡骸を前に、「一緒に2人で暮らそう!」と嬉しそうに順に言うのです。もちろん、初っ端だけは一応動揺を見せるのですが、その後の息子への言動は、もう母親ではなく「女」全開。これは怖い。そして、その母親を市原悦子が、鬼気迫る芝居で見事に演じており、驚嘆します。

 その後、母親をも順は殺してしまうけれども、作品中、これといった「殺しの直接的理由」は描かれていません。作品中では、父親にも母親にも、自分の好きな女性を頭ごなしに否定され、父親には、生きる道をあれこれ指図される程度のことしか描かれていないのですが、これで十分、順が両親に相当の抑圧を感じていたことだけは分かります。苦労して家業を軌道に乗せてきた両親、成田空港が出来たおかげで所有の不動産価値が跳ね上がり、親として我が子に威張りたくなるのは、もの凄くありがちで、言ってみれば「凡庸そのもの」な親です。ここで、大抵の子どもは、物理的に親から離れ、どうにか親殺しという最悪な選択だけは避けて通るのですが、順は親離れする機会すら与えられず(もちろん自らもそのチャンスを生かせなかったんだけれども)、こういう事態に陥った訳です。

 そして、肝心なのは、ケイ子の描き方です。この女性、というか、この子のことを、もの凄く中途半端な感じに描いているように思います。もちろん意図的に。中途半端にならざるを得ない女というか。家に居場所はなく、学はなく、男に張り付いてしか生きられない女、だけれども、もの凄くシタタカで図太い女、しかも、たかだかハタチになるかならないかという童顔の、でも、体と男に対する立ち回りだけは十二分に大人な女。これは、順の母親と同じくらい怖い。思うに、順は、こういう恐ろしい女を選んでしまう男だったんだろうな、と。息子に対して女を全開にする母親に育てられて来て、そりゃ、歪まない方がおかしいでしょ。この設定がかなり説得力アリだと思います。

 子の自立を奪う親、ってのは、本当に、この世における「最大の悪しき存在」と言っても過言ではないと思いますね。殺したくなるのはよく分かる。でも、実際殺しちゃうのは、分からない。自分の人生棒に振るほどの値打ちのある行動とは到底思えませんから。そんな親、「棄て」れば良いのです。いや、それこそ葬るのです、心の中で。つまり、「忘れる」ということ。難しいけれど、苦しいけれども、できますよ、努力すれば。でも理不尽なことには変わりありませんね。そんな親の下に生み落されたおかげで要らぬ「努力」を強いられるのですから。

 なかなかの力作には違いないのですが、何で星が6個かというと、おそらく編集で大事なシーンがかなりカットされたであろうことがうかがわれるからです。どこかこう、ブツ切りな感じで、流れが悪いというか。桃井かおりや地井武男の存在はほとんど意味がないですし。という訳で、ここで星マイナス2個ってところでしょうか。

 しかし、長谷川監督作品は、『太陽を盗んだ男』もそうだけれど、独特のドロッとしたエネルギーを感じますねぇ。怒りでしょうかね、これは。監督自身の。そろそろ、また怒りを発散させた方がよろしいんじゃないでしょうか。怒りは、溜め込むと良くないですから。
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リトル・ダンサー(2000年)

2014-04-05 | ★10個の作品




 個人的ベスト5に入る作品で、当然、みんシネにも思い入れ垂れ流しの感想文を書いてしまったけれども、改めてBlu-ray版を購入して思ったことを少し。

 Blu-ray版の特典映像には、ミュージカル版『Billy Elliot』のメイキングが入っておりました。そう、本作は、映画としてヒットした後、ミュージカルとなり、トニー賞の主要部門を独占受賞したニュースはご存知の方も多いはず。音楽はエルトン・ジョンで、彼のインタビュー映像も入っておりました。彼がミュージカル化をダルドリー監督に持ち掛けたようですね・・・。舞台演出出身の監督だったからこそ、ミュージカル版も成功したのだと思います。

 さて、私は、ミュージカルが苦手でして・・・。ミュージカル映画はちらほら見ますけれども、実際に舞台を見に行ったことがあるのは、10年ほど前、ブロードウェイの東京公演での『フル・モンティ』くらいです。よく言われることですが、やはり、歌で心情を訴えたり、踊りで話が展開したり、というのに、どうしても着いていけないんでしょうな、私も。割り切って見れば良いのですが、あの「全てに仰々しい」表現が、どーにこもーにも肌に合わないのですよね。とはいえ、ミュージカル版『フル・モンティ』は楽しめましたよ。さすが、ブロードウェイの俳優たちは舞台映えするその手足の長い素晴らしい肢体と、鍛えられた踊りと歌で、映画とは全く違う魅力を教えてくれました。

 が、しかし、この『Billy Elliot』のミュージカル版は、いくら素晴らしい作品だと言われても、見る気になれません。それは映画版に過剰な思い入れがあるからにほかなりません。一度見てみれば、それはそれとして受け入れられるかもしれませんが、自信がないのです。もっと言うと「怖い」です。私にとってのBillyは、ジェイミー・ベル演じたBillyだけであり、あのバレエ・ダンサーとしての素質が本当にあるんだかないんだか分からない、しかし、エネルギーほとばしる伸びやかなダンスこそが、炭鉱の街からはばたいたBillyのダンスなのです。Blu-ray版の特典映像には、トリプルキャストのBillyが紹介され、その洗練されたダンスが披露されていたけれども、既に、そこがもう私の中のBillyではない!!のであります。

 ま、食わず嫌いなことは十分自覚しております。でも、映画を、もうセリフを全部暗記するくらい見てしまった以上、あの世界観は、ミュージカル版に再現できるとは到底思えないのです。『Billy Elliot』は私の中では、映画版ただ一つ。仮に、今後、映像でリメイクされることがあったとしても、絶対に見に行かないと思います。私にとっては、神聖不可侵な作品といっても過言ではない、それくらい特別な映画なのです。

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