映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ファントム・スレッド(2017年)

2018-06-09 | ダニエル・デイ=ルイス(D・D・L)



 以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1950年代、ロンドン。英国ファッションの中心に君臨し、社交界から脚光を浴びる天才的な仕立て屋のレイノルズ。ある日、レイノルズはウェイトレスのアルマと出会い、彼女を新たなミューズに迎え入れる。

 彼はアルマの“完璧な身体”を愛し、彼女をモデルに昼夜問わず取り憑かれたようにドレスを作り続けた。しかし、アルマの気持ちを無視して無神経な態度を繰り返すレイノルズに不満を募らせたアルマは、ある日朝食に微量の毒を混ぜ込む…。

 やがてふたりは、後戻りできない禁断の愛の扉を開き、誰もが想像し得ない境地へと向かう。この愛のかたちは、歪んでいるのか?それとも純愛なのか?

 華やかなオートクチュール(高級仕立服)の裏側で、映画史上もっとも甘美で狂おしい愛の心理戦がはじまる!

=====ここまで。

 DDLの引退作、、、と言われている作品。でもきっと、これは撤回されると見た。だって、これ、DDLが主役じゃないもん。


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 まあ、私はDDLのファンというのは通り越して、とっくの昔から信者なので、彼の出ている映画は基本的にそれだけで無条件に“良い映画”なんです。ましてや、本作は彼の引退宣言付き。有終の美であってほしい。……ほしいからこそ、引退撤回を予想してしまう、、、というか、願望。


◆DDL教信者のつぶやき、、、。

 DDLの出演作は、『ガンジー』『存在の耐えられない軽さ』以外は多分全部見ているのだけど、本作は、一番、DDLが光っていない作品だった、、、。残念。『NINE』も、なんだかなぁ、、、って感じだったけれど。……まあ、ものすごくいけ好かないキャラの上に、見下していた女に、文字通り“骨抜き”にされちまう情けない男の役なんで、仕方がないとはいえ、いけ好かないセシルを演じていた『眺めのいい部屋』では、彼の魅力が存分に発揮されていたのよね、、、。

 やはり、さしものDDLも歳をとったか。60歳だもんなぁ、、、。中盤、毒盛られて寝込んだときのアップなんて、あの美しかったDDLのご尊顔とは思えぬ汚顔(まあ苦しんでいるシーンなんで仕方ないんだけど)になっていて、哀しいやら切ないやら、、、。信者としては、どんな教祖様の御姿も有り難く拝見するべきなんだろうけど、いい加減な信者にとってはなかなか辛いとこ。

 しかも、本作ではDDLは実質的には主役ではないのよね。パンフではもちろんDDLを主役扱いしているけれど、実質的な主役はアルマを演じたヴィッキー・クリープス。まあ、美人の範疇には入ると思うけど、あんまり華がないというか。DDL演ずるレイノルズの仕立てる超一流のドレスを身に纏って麗しく変身するかと思いきや、イマイチ垢抜けないまま。……ううむ、これがDDLの花道を彩る主役なのか。なんか、寂しいぞ。

 おまけに、本作を撮影している最中に、どうしても引退したくなったとか言っているDDL。自分でも何故か分からないがもう俳優やっているのがイヤだ、と思ったらしい、、、。何故か分からないが辞めたくなったんだったら、何故か分からないがまたやりたくなるかも知れないじゃん。しかも本作は、完成後に見る気がしないと言って見ていないらしいけど、アカデミー賞の授賞式にはスキンヘッドで参加していた(やっぱカッコえかった)し、表情もフツーだった、、、ことなどから考えて、彼が心変わりする可能性もゼロではなかろう、と思いたい。これが最後なんて、なんだかなぁ、、、である。

 信者は、教祖様の言っていることがコロコロ変わっても、屁とも思いませんから、安心して引退宣言なぞ撤回していただいて結構です。
 

◆マッチョ男の自業自得。

 ……と、不満をタラタラ書いておきながら、を8コも付けているのは何故か、、、というと、単純に、まあまあ面白かったから(あとは、DDL出演作だから、無条件に2コ献上)。

 大昔に、誰かのエッセーで、「好きな男にはちょっと弱っていて欲しい、と思う女性は多いはずだ」みたいなことが書かれていて、「死にそうな病気とかではなく、ちょっとした病気になっていて、私が独り占めして看病したい」というような内容だったと思う。それを読んだときは、はぁ? って感じで、いまだに私はそんなことを思ったことは一度もないけど、本作は、まさにそういうことを描いているわけよ。

 このアルマの行動に共感する女性は、一体どれくらいいるのかしらねぇ? 私は、共感ってほどでもないけど、本作を見て、何となくアルマの心理も分かる気がするなぁ、と感じた次第。前述の誰かのエッセーを読んだときには分からなかったけど、男がちょっと尋常なキャラじゃない場合、つまり、女の手に余る場合、男を大人しくさせるためには病気にでもなってもらわないと仕方がない、と。そうすれば、自分のコントロール下に置けると。ものすごい自分勝手な発想だけど、男もそれを上回る自分勝手な人間なので、イイ勝負かな、、、と。

 ただ、それを突き詰めて考えると、これって、相手を監禁or軟禁するのとあんまし変わんないじゃ、、、と思うに至り、非常に怖ろしくもなったけれど。

 レイノルズは、私の大嫌いなマッチョ男で、マザコンのエゴイスト。ホント、デザイナーとしての才能がなければ、ただのバカでイヤな男なだけ。しかし、あのルックスと才能のせいで、女は寄ってくるし不自由しないし、今の女に飽きたらさっさと捨てて次に取っ替えれば良いのである。レイノルズにとって女はマネキンでしかないわけだ。彼が心を許す女性は、実姉のシリルだけ。

 アルマも、レイノルズにとってはそれまでの女と同じでしかなかった。が、アルマはそれまでの女とは違っていたのよね。そう、女をバカにして見くびり続けて生きてきたツケが回ってきたわけよ。いい気味だ。

 しかし、このアルマ、同じ女の目から見て、かなりヘンな女なのよ。初デートで、ヤル気満々(下品で失礼)だし、レイノルズがマザコン全開(母親の髪の毛を「いつも身近に感じられるように服に縫い付けているんだ!」とか嬉しそうに話す)にしても笑って聞き流すし(フツー、ここで退散するだろう、と思う)、レイノルズのVIP客に向かって「私、あの人と一緒に暮らしています」などと彼女宣言をしたり、、、ちょっとオツム弱い??的な感じ。おまけに、食事の作法とかもよろしくなくて、まあ、言ってみれば“ガサツな女”なわけ。

 こういう女は、これまでのレイノルズからすれば、最も苦手なタイプなはずなのだけれども、レイノルズにとってアルマが特別な存在になったのには、もちろん理由があった。……それはまあ、見てのお楽しみってことで。そのエピソードで出てくる太った醜いオバサン・バーバラを演じていたのは、『デスパレートな妻たち』で強烈な存在感を出していたハリエット・サンソム・ハリス。このエピで、レイノルズにとって、アルマはこれまでの女とはゼンゼン違う存在になった、、、んだと思う。


◆自己愛の強すぎる2人の命がけの闘い。

 まあ、とにかく、レイノルズもアルマも変人同士で、勝手にやってれば、、、? と最終的には言いたくなる。「この愛のかたちは、歪んでいるのか?それとも純愛なのか?」って、純愛なわけねーだろ、と言いたい。

 この2人の愛は、自己愛であって、互いを思い合う愛じゃない。自己愛の強すぎる2人だから、より強い方が相手を力ずくで屈服させたってこと。レイノルズがもう少し若かったら、こんなアルマの手に落ちることはなかったんじゃないかなぁ、、、という気もする。多分、有無を言わさずあのハウス・オブ・ウッドコックから叩き出しただろうな、と思う。

 そもそも、アルマはレイノルズのことをあまり分かっていないように見える。彼女がレイノルズにこだわるのは、彼が一流のデザイナーで、成功者だから。彼女が普通にあのまま田舎のレストランで働いていたら、一生手の届かない世界の人間だから、、、という風に見えた。もちろん、前述の“ある出来事”があったから、そうとも言い切れない、という反論もあろうかと思うが、しかし、人間、育ってきた環境というのはいかんともしがたいものがあるわけで、生まれも育ちもまるで違いすぎるアルマが、レイノルズのことをデザイナーとしても一人の人間としても、理解できるとは到底思えない。

 レイノルズは、アルマに毒を盛られたと分かって、二度目の毒を口にする。このレイノルズの心理が、分かるような、分からないような。序盤で、アルマに「私はゲームでは負けないわ」と宣戦布告されるシーンがあるんだけど、この二度目の毒を口にするシーンは、その伏線だったということかも。何となく、喜んで口にした、というよりは、そうせざるを得なかった、という描き方だったような。

 アルマはオツムは弱いかも知れないが、最強自己チュー女で、育ちの悪さのせいでサバイバルが身についているせいか、悪知恵だけは長けているのである。こういう女は一番タチが悪い。

 でも、マッチョを画に描いたようなキャラのレイノルズが、そういう低レベルな女にまんまとやられる図、というのは、正直、痛快でもあり、これが面白いと感じた所以でもある。

 そんな曰く付き女アルマを演じたヴィッキー・クリープスは、見た目は地味だけど、演技は確かで、素晴らしい。なんと彼女、後日見た『マルクス・エンゲルス』でもマルクスの妻を演じていて、こちらはとても賢くて魅力的な女性で、別人のようだったのが印象的(ちなみに、『マルクス・エンゲルス』の字幕を担当した寺尾次郎さんの訃報には驚きました、、、哀しい)。










弱ったマッチョ男を飼うより、カワイイ柴犬を飼う方がよっぽど幸せ。




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ブロンド少女は過激に美しく(2009年)

2018-06-06 | 【ふ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 長距離列車のなか、マカリオ(リカルド・トレパ)は隣り合わせた婦人(レオノール・シルヴェイラ)に自身に起きた事件を語る。

 会計士のマカリオは、叔父フランシスコ(ディオゴ・ドリア)が経営する高級洋品店の2階で仕事を始めた。マカリオは、向かいの家の窓辺に姿を現した美しいブロンドの少女(カタリナ・ヴァレンシュタイン)に恋をする。2週間後、その少女と母親(ジュリア・ブイセル)が店を訪れる。その日の食事時、叔父は高級ハンカチーフがなくなったと言う。

 数日後、マカリオは、友人が向かいの家の母親に挨拶しているのを見る。母親はヴィラサ夫人で、良家の母娘だと聞いて安心したマカリオは、友人に紹介を頼みこむ。

 土曜日の夜、マカリオは公証人の家で開かれた上流層の集いに出席する。少女ルイザもそこにいた。2人は別室のカードゲームに加わるが、ルイザに配られたチップがなぜかなくなる。ヴィラサ夫人宅の友人の集いに招かれたマカリオは、夫人にルイザへの想いを打ち明ける。翌朝、叔父に結婚の許しを乞うが、叔父は反対し、マカリオをクビにする。

 家を出て部屋を借りたマカリオは、カンカン帽の友人から、貿易商がカーボヴェルデで働く男を探していると聞き、即座に受ける。

 一財産を築いてリスボンに帰ってきたマカリオはヴィラサ夫人を訪ね、結婚の許しを得る。しかしカンカン帽の友人はマカリオを保証人として、不倫の恋で行方をくらませていた。

 破産したマカリオは、借り部屋で暮らし始める。再びカーボヴェルデの仕事を持ちかけられたマカリオは、悩みながら決意する。マカリオはルイザの家の前で無言の別れを告げると、叔父を訪ねる。全てのいきさつを知っていた叔父はマカリオに2階で仕事をするように告げ、ルイザとの結婚を許す。

 マカリオとルイザは一流宝石店に行く。2人は結婚指輪を選び、店を出ようとするが店員に止められる。ルイザの手の中に、ダイヤの指輪があった。ルイザを怒鳴りつけたマカリオは、2度と会えない別れをする。

=====ここまで。

 上記あらすじの“ぶつ切り感”が何とも言えないのだけれど、本作自体も、このあらすじみたいな感じなんですヨ、、、。


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 オリヴェイラの映画は、これまで2作品(『アンジェリカの微笑み』『家族の灯り』)しか見ていないんだけど、正直、ヘンな映画を撮る爺さんというイメージが定着してしまった。でも、本作はそのタイトルに何となく惹かれ、前から見たいと思っていたところ、2年前くらいにDVD化されていたようで、このほど見ることが出来ました。やっぱりヘンな映画だった!


◆思いもしない展開に唖然、、、。

 ヘンな映画を撮る爺さん、などと書いたけれど、どうヘンなのかを書くのがこれまた難しい。ストーリーらしきものはあるのだけれど、展開が唐突で、ぶつ切り感というか違和感をもの凄く覚える。画は概ね暗くて、役者さん達の演技も、まさに“お芝居しています”的な感じで、作り物感が溢れている。つまり、リアリティなんぞ、最初からまったく追求していないように感じる。

 ただ、見終わった後に、何とも言えない強烈なインパクトを残すのも事実で、映画を見た、というより、幻想絵画(動画)を見た、という感じに近い。

 本作は、それでも前2作に比べれば、ストーリーは割とハッキリしている方だが、???な部分は当然あちこちにある。そして、やはり幻想絵画的な印象を残す。

 『アンジェリカ~』のヒロイン・アンジェリカもそうだったけれど、本作のヒロインのブロンド少女・ルイザは、どことなく想像上の生き物というか、幻の女性という感じの造形。アンジェリカはお化けだったから当たり前だが、ルイザも何となく実在感が伴わない。

 マカリオの「窓から見える女性に恋を……」みたいな(ゼンゼン正確じゃありません)回想セリフに被って、とある窓が映るんだけど、そこにどんなブロンド美少女が現れるかとドキドキしながら見入っていると、洗濯物か何かをバサバサする中年女性がおもむろに現れる、、、という出だしからして、いきなり虚を突かれる感じ。もちろん、その後すぐにブロンド美少女が現れるのだけれど、なんかこう、、、その窓がいかにもハリボテな感じだし、マカリオからの実際の距離よりえらく窓が近く感じられる映像で、何とも言えない居心地の悪さの中に放り込まれるのである。

 もちろん、何かを狙ってこういう演出なんだろうけど、見ている方としてはそれが何だかは分からない。

 ブロンド少女もマカリオの存在に気付いていて、それでも、マカリオはブロンド少女を見たくて仕方なくて、もの凄く不自然に、書類を持って立ち上がると窓際に歩み寄り、書類で顔を隠しながら、そーっと目だけを書類の外に出して、向かいの窓辺にいるブロンド少女を盗み見(でも盗み見たことになっていない。相手にバレバレだから)するとか、ほとんどキモい行動になっている。あれじゃぁ、書類で顔を隠す意味が分からない、、、爆。

 まあ、とにかく、他にもヘンテコな描写ばかり(でも、一応ストーリーにはなっている)が続いて、でも、どーにかこーにか、マカリオとブロンド少女は結婚できそうだ、ということになる。

 が、しかし!!

 ここから想像の斜め上を行くオチが待っている。なんと、このブロンド少女、盗癖があったのである。マカリオと行った宝石店で、購入した指輪とは別の指輪を、それこそ“万引き”していたのだ。店員に見破られていて、驚いたマカリオはルイザの手に握られた指輪を発見するが、その際にルイザは「恥かかさないで!」などと言う。マカリオは慌てて、その分の代金も支払って店を出るが、店を出た直後に「もう二度と会わない!」と言い放つのだ。

 ただまあ、この盗癖については、後から思えばちゃんと伏線が張られていた。上記あらすじにもあるとおり、叔父の店から高級ハンカチが消えていたり、カードゲームで配られたチップが消えたりする、、、。

 折角、マカリオは苦労の連続の果てに、憧れのブロンド少女と結婚できることになったのに、何という悲劇。確かに、こんな経験をしたら、誰かに話したくもなるよね。

 冒頭、マカリオが電車で隣り合わせた女性に「妻にも友にも言えないような話は 見知らぬ人に話すべし」という言葉で、自分の悲恋話を切り出すのが印象的。


◆唖然の次は、絶句のシーンが、、、。

 でも、本作はそこで終わらないのよ。

 その後のシーンがキモなのだ!! このシーンでブロンド少女の本性が如実に表れるという、これはお見事と言うのかなんと言えば良いのか、、、それをここで書いてしまってはあまりにもったいないので、是非、見てのお楽しみということに。もう、このワンショットのために、この作品はあると言っても良いと思う。それくらい、衝撃的なワンシーンなのです。

 マカリオは、恐らく、このことを知らないんだよね。だから、電車で見知らぬ女性に思い出を語って、悲劇の主人公に浸っているんだろうと思う。

 マカリオの叔父という人も不思議な人で、ブロンド少女との結婚を絶対に認めない、と言っていたのに、時間が経ったら許している。その変化の理由がさっぱり分からないのね、描写が全くないから。

 勝手に想像すれば、叔父さんは、ブロンド少女の悪癖を見抜いていたから反対したけど、マカリオがどうにもならないほど追い詰められているのを見て、諦めた、、、とか。

 あと、マカリオはカーボヴェルデという街に出稼ぎに行って、商才を発揮して大儲けすることになるんだけど、そんな才能があるのなら、金をだまし取られたからと言って、食うモノにも困るほど追い詰められるまでもなく、何とか算段できるんじゃないの? という、真っ当な疑問も湧くんだけど、そんなことは本作ではほとんど無意味な疑問だわね。


◆その他もろもろ。

 ブロンド少女・ルイザを演じたカタリナ・ヴァレンシュタインが、妖艶で美しい。男を惑わせる女、というのにピッタリ。窓辺でシノワズリみたいな羽根つきの団扇を仰ぐ姿は、女の私が見ても十分セクシー。

 マカリオを演じたリカルド・トレパは、オリヴェイラの孫だそうで、『アンジェリカ~』に続いて、またもや美女に惑わされる真面目な男の役。

 叔父さんと、マカリオが食事をするシーンがあるのだが、ここで2人は、向き合って座るのではなく、並んで座っている。この画がまたまた違和感バリバリ。ネット上で、この叔父さんを“ホモセクシャル”と書いている人がいて、「なるほど、、、そういう見方もあるのか」と、ある意味納得してしまった。確かに、あの結婚の反対っぷりは、ちょっと度を超していたように私も感じたので。大人の選択なのに、何で、、、? と。

 いや~、3作目にしても、ヘンテコな映画を撮る爺さんのイメージは変わらないわ。でも、これはかなり面白いと思う。初オリヴェイラに向いているかも、、、です。







ラストシーンで絶句、、、。




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パッション・ダモーレ(1980年)

2018-06-03 | 【は】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1862年。クリミア戦争で活躍した騎兵隊長ジョルジョ・バケッティ(ベルナール・ジロドー)は、ピェディモンテの町でクララ(ラウラ・アントネッリ)という人妻と恋に落ちていた。しかし、ジョルジョは第4国境守備隊ヘの転属命令を受け、クララと遠く離れ離れに暮らすことになったのだ。休暇には必ず会いに来ると誓って旅立つジョルジョ。

 寂しい山あいの町に着いた彼を大佐(マッシモ・ジロッティ)が歓迎した。大佐の屋敷で寝起きすることになったジョルジョは、しかし、食卓の席で奇妙なことに気づいた。大佐の従妹の席がいつも空席なのだ。みなは彼女が病気だと弁明したが、どこか様子がおかしかった。

 数日が過ぎ、ジョルジョの興昧は、部屋にこもったきりの大佐の従妹のことに集中した。その女性フォスカ(ヴァレリア・ドビチ)に、ジョルジョは遂に対面した。

 しかし、そのあまりの醜さに彼は声も失う思いだった。一方、フォスカは、凛々しいジョルジョに一目惚れした。執拗につきまとうフォスカから逃れるように、彼は一ヵ月の休暇をとってクララの許ヘと急いだ。情熱的なクララとの愛の時を過ごして、ジョルジョが戻ってみると、フォスカは発作のために寝込んでいた。フォスカには過去に結婚した男がいたが、その男は結婚式の夜、持参金をもち逃げして姿をくらましてしまったのだった。

 男に恵まれないフォスカのことをかねがね心配していた軍医(ジャン・ルイ・トランティニャン)は、彼女のために一緒に夜を過ごしてやってくれとジョルジョに頼んだ。しかし愛のないジョルジョの態度は逆にフォスカを傷つけ、ジョルジョは、再びやすらぎを得るためクララの許へと向かった。汽車に乗る彼をフォスカが追った。無理に彼女を汽車から降ろすジョルジョ。

 しかし、勇んで訪ねていったクララは冷たかった。「フォスカにはあなたが必要なのよ」と、言い放つクララ。40日の休暇を2日で切り上げた彼は、ローマヘの転属命令を受けた。クリスマス・パーティーの夜、人前でジョルジョを愛していると絶叫するフォスカ。それを見た大佐がジョルジョに決闘を申し込み、ジョルジョの剣に倒れた。

 その夜不思議なことに、ジョルジョは、自然にフォスカの許へと足が向いた。夜明け、フォスカは生涯で最高の幸福感にひたりながら息を引きとるのだった。

=====ここまで。

 悪女の深情け、、、を地で行く「美女と野獣」の男女逆バージョン。


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 エットーレ・スコラ監督の本作、タイトルは時々耳にしていたけれど、DVD化されていなかったのでなかなか見る機会がなかったのだけど、昨年DVD化されたみたいで、このほどレンタルにてようやく見ることが出来ました。かなりヘンな映画という噂は聞いていたけど、まあ、そこまでヘンだとは思わなかったけれど、一度見たら忘れられないインパクト特大作品でありました。


◆フォスカ、、、嗚呼、フォスカ。

 さて、本作の主役は、一応、ベルナール・ジロドー演ずるジョルジョなんですが、実質的な主役は、なんといってもフォスカでしょう。で、このフォスカ、ジョルジョが“一体どんな女性……?”と興味を抱くのに併せて、その初出のシーンは、開始から30分ほど経ってからと、かなりもったい付けてのご登場。しかも、その最初に映るフォスカの姿のインパクトの凄さは、もう、一見の価値アリ。

 上記あらすじには“醜い”とあるけど、醜女というよりは、病的。とにかく異様に痩せていて、異様に目が大きくて、鷲鼻に出っ歯と、、、こう書くと、やっぱし醜女かな。確かに、美しくはないけど、造作の善し悪しというよりとにかく、彼女の不幸な(というか充たされない)人生がそのまま顔に出ちゃっている、というお顔なわけ。

 で、このお顔が、あの“ノスフェラトゥ”にそっくり、とネット上で書いている人が複数いらしたけれど、まあ、確かに、、、目が落ちくぼんでいて異様に大きいところと、出っ歯なところは似ているかな、、、。でも、ノスフェラトゥはいくらなんでもちょっとヒドいと思うんだけど。……とはいえ、どうせなら、もっと圧倒的なブスにしてもらいたかったような気もする。

 とにかく、このフォスカが、本作の全てをかっさらって行く感じ。それくらい、キョーレツな存在感。演じているのは、ヴァレリア・ドビチというイタリアの舞台女優さんらしいのだけど、素は普通に美人で、ジロドーとカンヌでの素敵なツーショット画像もネットにはありました。フォスカになるに当たっては、かなり時間を掛けて特殊メイクをしたそうな(そらそうだろうな)。このヴァレリアさんの演技がとにかく、凄い、、、としか言い様がない。フォスカの病んだキャラを実に巧く演じていて、この演技があってこそ、本作が成立していると思う。

 フォスカは、いわゆるヒステリーで、何か些細なことで神経に障ると、突然ギャ~~~ッと怖ろしい雄叫びを上げてその場に昏倒する。その様は、かなり怖い。

 ジョルジョに異様に執着し、ジョルジョに「フォスカ、って言って」と自分の名を呼ばせる。ジョルジョが渋々言うと、さらに「ジョルジョとフォスカ、って言って」と頼み、それにもジョルジョが応じると、さらに「フォスカとジョルジョ!!」と要求はエスカレート。全部付き合ってあげるジョルジョが気の毒とは思うが、フォスカは、ジョルジョにとっては上官の姪御だから、無下にも出来ないのが辛いとこ。なりふり構わず、ジョルジョにしなだれかかったり、キスして!とおねだりしたり、そらもう、ジョルジョにしてみりゃ何の罰ゲームだ、って感じ。

 大雨の中、やっとの思いで、フォスカの下を逃げ出し汽車に乗って、晴れ晴れとした気分になったジョルジョの目の前に、ずぶ濡れになったフォスカが現れたシーンは、ほとんどホラー。私がジョルジョなら、走る汽車からフォスカを突き落として終わりだけど、ジョルジョは、飽くまで紳士。次の駅でフォスカと共に降り、軍の宿舎まで送るのだから。

 おまけに、軍医には「一度でイイからヤッてやれ」(下品ですみません)などと言われ、もうジョルジョは踏んだり蹴ったり。イイ男も時には災いするモノなのね。


◆一途とストーカーのきわどい紙一重。

 本作の面白いところは、醜い女が、一途にイイ男を思い続けたことによって、男の心をゲットする、という、男と女が逆ならたくさんある話を敢えて、男女逆転させているところ。「悪女の深情け」なんて言葉もあるくらいだけど、それを地で行く物語って、パッと浮かんでこない、、、。醜女が美男と色恋沙汰、というオハナシは、源氏物語の末摘花くらいしか思い浮かばない。他にもきっとあるとは思うけど、それらの話はどういう結末になってんだろ?

 大分前に、脚本家の大石静氏がTVのトーク番組で「美女は切迫感がないからダメだけど、ブスは切迫感があるから、必死で思いの丈をぶつけ続ければ、男の人って“そこまでいうなら仕方ない”ってなるものよ~」みたいなことを話していたことがあって、それはご本人の体験からそう言っていた(彼女の著書「私ってブスだったの?」にも似たような記述がある)んだけど、そんなもんかねぇ、、、と思ってそのときは聞き流していたが、本作は、まさにそれを描いているわけだ。美女と言えども、全ての男を手玉にとれるわけじゃないことは分かるが、ブスは一途さで何とでもなる、ということか?

 私は女だが、立場を逆にして考えた場合、好みでないイケメンにしつこくされるのも、醜男にしつこくされるのも、どっちも等しくイヤなんですけど、、、。

 ただ、世の中には、“情にほだされる”という現象もあるらしく、男女を問わず、必死に思いをぶつけてくる相手に、情が湧く人もいるらしい。私にはこういう感覚が分からない(ダメなものはどこまで行ってもダメなだけ)のだけど、相手のタイプによっては、一念岩をも通す、ってことにもなるんだね、、、。

 しかし、そういうパターンがあるからこそ、そこに一縷の希望を託してストーカー化してしまう人々もいるわけで。

 ジョルジョの恋人クララが言うセリフが凄い。「ご覧の通り、私は美人でしょ? だからそれで良しとしなきゃ。私はあなたがいれば幸せだけど、彼女(フォスカ)には生きていくためにあなたが必要なのよ」、、、って。つまり、「あんた、美人の私はほっといても大丈夫だから、そのブスが生きる気力を失わないためにそばにいてあげなさい」って言ってるわけでしょ? すげぇ辛辣なお言葉。ジョルジョは嫌がっているのに、そらないだろ、、、と思うんだけど。

 ネット上の感想を拾い読みしたところでは、人によっては、ジョルジョがフォスカの情にほだされるのを納得できるみたいだけど、私にはゼンゼン。フォスカは気の毒だと思うけど、ジョルジョが「彼女を愛している」と軍医に言う場面は、もう、ジョルジョも正気を失っていたとしか思えない。

 こういうオハナシを見聞きして、「自分も一途にあの人を愛し続ければ、いつかその思いがあの人に通じるはず!!」などと勘違いする輩が生まれなきゃいいけれど、、、。


◆その他もろもろ

 フォスカも暮らす将校達の宿舎の造りが本作の魅力を引き出している。ジョルジョ達が食事をする食堂が、階段のすぐ脇にあるのだけど、その階段と食堂は磨りガラスで仕切られており、階段を降りてくる人の姿は、磨りガラス越しにハッキリは見えないのである。フォスカが初めてジョルジョの前に姿を現すシーンも、この階段の造りそのものが演出になっていた。一体どんな女性が降りてくるのだろう、、、、と磨りガラス越しに階段を降りてくる女性の影を観客は固唾をのんで見守るのである。そして、、、バ~~ン! と現れるのだよ、あのフォスカの顔が。

 時代感も美術や衣裳等から雰囲気が出ていて、視覚的にもなかなか楽しめる。

 ジョルジョは、最後、フォスカの伯父である上官と決闘するハメになり(もちろんフォスカのせいで)、この決闘に勝ちはするものの、その後のジョルジョは軍を辞めて廃人のようになっていることがラストシーンで分かる。廃れた酒場で、小人の男が「男がオレみたいので、女がクララみたいの二人の話なら分かるけど」とジョルジョの話を聞いて嘲笑う。そう、小人の男は、美女と野獣の話なら分かる、と言っているのだ。

 ベルナール・ジロドー、若い! なかなかの美男子。こういう、女性に振り回される役が合っている気がする。調べたら、もう亡くなっていたのね、、、知らなかった。ジロドーといえば『趣味の問題』の印象が強いけど、『ヘカテ』とかでもやっぱし女難の役だったような、、、。

 ちなみに、「一発ヤッてやれ」(何度も下品ですみません)と酷なことをジョルジョに命じる軍医は、あのジャン・ルイ・トランティニャンが演じているんだけど、すごいテキトーで無責任なキャラを巧く演じておられました。ジョルジョがフォスカにほだされかかっているとき「喰われたい願望が芽生えたか?」なんて言ったりして、かなりのクセモノ。

 エットーレ・スコラの『特別な一日』が好きなので本作を見たんだけど、『特別な一日』とは、ゼンゼン、内容も味わいも違う作品だったけれど、十分面白かった!







是非、あなたもフォスカを一度はご覧あれ。




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