映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

アンタッチャブル(1987年)

2021-04-27 | 【あ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv641/

 

 禁酒法下のアメリカ、マフィアの暗躍するシカゴで、財務省から警察の特別調査官として派遣されたエリオット・ネス(ケヴィン・コスナー)が、アル・カポネ(ロバート・デ・ニーロ)を逮捕すべく、引退間際の老警察官マローン(ショーン・コネリー)、凄腕の新人警官ストーン(アンディ・ガルシア)、経理に詳しいウォレス(チャールズ・マーティン・スミス)とチームを組んで巨悪に立ち向かう。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 一昨年で終了宣言していた午前十時の映画祭だけれど、昨年1年間のブランクを経て、今年から再開されました。パチパチ~~ ……は、いいけど、都内は日曜日からほとんどの映画館がまたまた休業。なんなの、これ。オリンピックが国民の命や生活よりも優先される美しい国ニッポン。スバラシイですね。

 バッハって、私にとっては偉大な人名だったんですけど。オリンピック開催に固執するオッサンのおかげで憎悪の対象となりました。今や“バッハ”と聞くだけでムカつきます。バッハを聴くのもイヤになりそうで困るぜ、まったく。

 私の周囲の人々は、もう、怒りを通り越して疲れています、みんな。国民がこれだけ疲弊しているのに、この1年で現金給付は10万円1回ポッキリ。ドケチもここまで来ると、ちょっとオツムを疑うね。選挙前なんだからジャンジャン配れば選挙も勝てたかも知れないのに、バカだよねぇ。しかも、案里案件と違って、立派な合法のバラマキじゃん。もしかしたら買収選挙帳消しの“サクラサク”で、脳なしのスガでも花咲じぃさんになれたのに。もはや何をやっても化け物しか出てこないでしょうよ、あなたの庭からは、、、、ごーん。

 ……何の話だ。いや、だから午前十時の映画祭です。本作が今月かかりましたので、宣言発令直前、滑り込みセーフで見てまいりました。何度も見ている本作ですが、スクリーンで見たのは初めて。何だか、今までTVで見ていたのとは別物のような気さえしました。やっぱり映画はスクリーンで見てナンボです。

 内容については今さらなので、今回、感じたことを思い付くまま書きます。


◆エンタメ要素フル装備映画。

 映画を見る人が、何を映画に期待しているかというと、多くの場合はエンタメだろうと思う。楽しみたいのよね。

 映画の楽しみというと、ストーリーももちろんだけど、俳優や音楽、演出、衣装、美術、カメラワーク、、、等々、いろんな要素があるわけで、本作は、そのどの要素もハイレベルで見る者に提供してくれている、類稀なる第一級エンタメ映画だと、今回スクリーンで見て実感した。 

 何と言っても、オープニングの映像と音楽。もう、これだけで、この映画、絶対面白いやろ!!と期待値が高まる。エンニオ・モリコーネって、やっぱし素晴らしい作曲家だ、、、。んでもっていきなりデ・ニーロがバーンと出てくる。何度もTVで見ているけど、昂揚感がゼンゼン違う!

 そして、背後からず~~っと映っていたケヴィン・コスナーがこっちを向くのだ。このケヴィン・コスナーがすげぇカッコイイ! 私、正直言って今まであんましケヴィン・コスナーってカッコイイと思ったことなかったんだけど、今回、アルマーニに身を包んだ彼は、まぎれもなくカッコ良かった!! それも、チョー・カッコ良かった。何でTVで見ていたときはカッコイイと思わなかったんだろう、、、。

 そうなのよ、もう、どれも見慣れたシーンのはずなのに、何というか、、、初めて見る感覚に近いワクワク感がずーーーっとありました。何なんでしょう、これ。あのシーンもこのシーンも、みんな楽しい!!って感じだった。

 でも、そんな中で今回、一番良いシーンだと思ったのは、初めてエリオット・ネスとマローンが橋の上で出会うところ。警官の制服が実に決まっている渋いショーン・コネリー。「生きて家に帰ること。それが一番大事だ」とエリオット・ネスに語るところとか、いいわ~、、、と思ってしまった。

 もちろん、あの階段でのアンディ・ガルシアも良いのだけど。意外に、アンディ・ガルシアの出番は地味なんだな、、、と。乳母車を押さえながら、銃で狙っている彼は、やっぱしセクシーでカッコエエです。

 セットも街並みも、もちろんアルマーニも、全部素晴らしかった。当時は、あまり長尺の映画はなかったのか、2時間という枠にキッチリ収めているのもgoo。それだけに展開も早く飽きさせない。シナリオが実に巧みだなぁ、、、と感心してしまった。

 本当に、これぞThe・エンタメ映画でしょう。素晴らしい♪


◆ブライアン・デ・パルマ

 本作は、デ・パルマ作品にしてはあまりにも一般ウケする作品だからか、初期からのデ・パルマのファンたちにはあんましウケが良くないらしい。本作以前のデ・パルマ作品で私が見たのは『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)『愛のメモリー』(1976)『キャリー』(1976)くらいだけど、確かにまあ、本作とこれらの作品は、雰囲気が大分違うわね。

 そういう一部のコア・ファンの気持ちは、分からなくもない。何か、応援していた売出し中の芸能人とか歌手とかスポーツ選手が、突然メジャーになって、自分だけのモノじゃなくなるみたいな感覚かな、、、と。

 でも、良いものは良いし、一般ウケすることが一概に悪いわけじゃない。そら、安易な感じがするかもしれないし、没個性みたいに見えるのかも知れないけど、本作は十分個性的だと思うけどな~。誰もが同じ材料でこのレベルの映画を撮れたとは思えないもの。映画監督は、採算度外視で撮りたい映画を撮るためには、やっぱりヒット作も必要なんだよね。だから、こういうエンタメに徹した一般ウケする、しかもハイレベルの内容の映画を撮る腕前も欠かせない。そういう意味で、デ・パルマは高く評価されてしかるべき監督の一人であることは間違いないと思う。

 個人的には、『愛のメモリー』も好き。ビジョルドがヒロインだから、ってのも大きいけどネ。本作以降の作品は、実は1本も見ていない、、、と思うので、これから少しずつ見て行きたい。ネットじゃ低評価なのも結構あるけれども、そういうのも含めてね。

 ちなみに、本作のサントラ、アップルストアで買っちゃおうかしらん、、、と目論んでおります。

 

 

 

 

 

 

 


やっぱし映画はスクリーンで見るべし。

 

 

 


 ★★ランキング参加中★★

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偶然の旅行者(1989年)

2021-04-25 | 【く】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv2724/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(長いので一部要約)。

=====ここから。

 仕事の旅から戻ったメーコン・ラリー(ウィリアム・ハート)は、妻のサラ(キャスリーン・ターナー)から家を出て行く決心を告げられる。去年の夏、彼らの1人息子がキャンプ地での強盗事件に巻き込まれ、不慮の死を遂げて以来、2人の間には目に見えない溝が広がっていた。

 メーコンはビジネスマン向けの旅行ガイドブックのライターで、初めての家事に大いにまごつく。ある日、彼は足を骨折し、兄弟のポーター(デイヴィッド・オグデン・スティアーズ)とチャールズ(エド・ベグリー・ジュニア)、妹ローズ(エイミー・ライト)の住む祖父母の家にしばらく身を置くことになった。

 辺りかまわず吠え散らす愛犬エドワードを何とかしようと、メーコンはミュリエル(ジーナ・デイヴィス)という犬の調教師を雇うが、8歳の病弱な息子アレクサンダー(ロバート・ゴーマン)と2人暮らしというこの風変わりな女性と行動を共にするうちにメーコンはミュリエルの新鮮な魅力にひかれてゆくのだった。

 しかしそんな時、彼のもとにサラから連絡があり、2人はヨリを戻すことに。それを知ったミュリエルは……。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 また、何故リストに入れたのか覚えていないDVDが送られてきました~。でも、こういう意外な出会い(……元はと言えば自分で選んでいるのだが)って悪くないよね。予備知識も期待もなく見始めて、あら、結構面白いじゃん、、、ということが多い気がするので。本作も、すごく感動!ってわけじゃないけど、まあ悪くなかったです。

 あらすじからも分かるように、割とベタな三角関係モノだけど、とりあえず最後まで飽きずに見ることが出来ました。

 子のいる夫婦にとって、その子を失うってのは、夫婦の決定的な溝になるケースが多いらしいが、私には子はいないけれどそれは何となく分かる気がする。だから、サラが別居したいと言い出したのは仕方ないのかな、、、と思って見ていたんだけど、途中で、メーコンがミュリエルと付き合っていると知ってから、急にヨリを戻しにかかって来て、なんだかなぁ、、、と思ってしまった。他の女と付き合っているのを知って、急に惜しくなった、、、ってことかね? あり得る話だとは思うが、別居した理由が理由だけに、かなり勝手な印象。ま、人間誰でも勝手ですが。

 メーコンもサラとあっさりヨリを戻すんだけど、ミュリエルが自分とはあまりにも住んでる世界が違うから? 子がいるから? か知らんが、こっちも勝手よねぇ。

 でも、最終的には、ミュリエルの良さに気付いてメーコンはミュリエルの下へ戻るという、一応ハッピーエンディング。まあ、良かったね、、、という感じで、ストーリー自体にそれほど深みはないです。

 本作の見どころは、登場人物のキャラが面白いことと、ワンコ。

 サラもなかなか面白い女性だけど、ミュリエルはかなりぶっ飛びキャラ。とにかく衣装がすんごい個性的。化粧も濃い。メーコンにも臆することなくずんずん積極的に行動する。ジーナ・デイヴィスが嫌味なく演じていて、これでオスカー??とは思うけど、上手いことは確か。

 あと、面白いのが、メーコンのきょうだいたちね。みんなどうやら独身で、メーコンだけが結婚しているみたいなんだが、お互いに干渉せず、夜は4人でカードゲームに興じて、あまり外界と接触しない人々。妹のローズは甲斐甲斐しく兄たちの世話を焼いているけど、メーコン付の編集者に惚れられて結婚する、、、とか、イロイロ不思議な人たちの不思議な展開がイイ味出しています。

 あと、なんつってもメーコンの犬エドワードがね、、、。演技が演技と感じさせないで、メチャクチャ上手い。多分、コーギーだと思うんだけど、ちょっと吠えたり噛みついたりするところはアレだけど、実にカワイイ。メーコンの運転する車の助手席に、前足をダッシュボードに掛けて乗っているんだが、その姿が実にカワイイ。車乗るの好きでしょ、キミ、、、、と言いたくなる。が、メーコンが急ブレーキをかけるもんだから、お尻から座席の下にズボッ……となって画面から消えちゃうところとか、思わず笑っちゃいました。そのシーンだけ何度も見直してしまった、、、。中盤以降、あんまし出番がなくなっちゃったのが寂しいですが。

 しかし、ウィリアム・ハート&キャスリーン・ターナーといえば、あの『白いドレスの女』よねぇ、、、と思って見ていたら、監督も同じなのね。知らなかった……。あの映画での2人の関係はかなりヤバかった(かなりヤバいシーンもあった記憶が……)けれど、本作での2人はフツー、ホントにフツー。なんかホッとしたわ、見てて。キャスリーン・ターナーって、やっぱりイイ女優さんだと改めて思ったな。

 何だかろくなこと書いておりませんが、疲れたときに見ても大丈夫な映画です。

 

 

 

 

 

 


オスカー候補作だったようですが、エドワード君に主演ドッグ賞あげて欲しかったわ。

 

 

 


 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

82年生まれ、キム・ジヨン(2019年)

2021-04-24 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71012/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ジヨン(チョン・ユミ)は結婚を機に退職。育児と家事に追われ、常に誰かの母であり妻であり、閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。

 疲れているだけだと夫のデヒョン(コン・ユ)にも自分にも言い聞かせていたが、ある日からまるで他人が乗り移ったような言動をするように。ジヨンにはその間の記憶はなく、傷つけるのが怖くて真実を告げられないデヒョンは精神科医に相談に行くものの、本人が来ないことには何も改善することはできないと言われてしまう。

 何故彼女の心は壊れてしまったのか。少女時代から社会人になり現在に至るまでの彼女の人生を通して、見えてくるものとは……。

=====ここまで。 

 原作は同名タイトルの小説。韓国ではベストセラーになった半面、批判の嵐も起きたとか、、、。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 以前、Twitter上でかなり原作本が話題になっていたので、タイトルは知っていたけれども、あんまり読む気にならなかったのでスルーしていました。が、映画化され、劇場に行ってまでは見ようと思えなかったけれど、このほどDVD化されたので、レンタルして見てみることに……。おおむね想定内ではあったけれど、良い映画だと思いました。


◆男を糾弾する映画ではない。

 原作については、ネット上だけでなく、NHKの何かの番組でも取り上げていたが、テーマ自体に新鮮味はないし、この問題(ジェンダー)については、イロイロ誤解も多いのであんまし私自身は首を突っ込みたくない感じだった(後述)。ただまあ、映画は2時間で済むし、レンタルだから大した額でもないのでイヤなら途中で止めれば良いし、顔を背けてはいても根っこの部分では大いに関心事であることに違いなく、まあ、見ておこう……くらいな気持ちで見てみたのだった。

 が、結論から言うと、原作は未読なので分からないが、本作は非常に巧いシナリオで、男を糾弾するわけでなく、女が自己憐憫に陥るわけでなく、安易に男女を対立軸とせず、良いバランスで構成されており、また俳優たちの演技も素晴らしく、映画としてとても秀逸だと感じた。スクリーンで見なかったことを後悔するほどでもないが、もし見に行っても、わざわざ劇場まで来るんじゃなかった、と思うこともなかっただろう。

 ジヨンはまあまあ恵まれた環境(コレ大事)にあるんだが、それでいてこの状況なのだから、韓国社会の女性の扱いはおおよそ想像がつくというもの。原作の訳者、斎藤真理子氏(文芸評論家・斎藤美奈子氏の妹だと初めて知った)のインタビューによれば、韓国では徴兵制があるため、徴兵されない女が日常の面倒を引き受けるのはアタリマエ的な風潮があるらしい。

 徴兵のない日本でも男性優位の点では大差ないだろう。都市部ではかなり変わってきているかも知れないが、田舎などはまだまだ、、、。世代的に考えをアップデートできない人たちも多いし、そういう人たちを相手に闘うのは徒労で虚しいわね。闘わないで逃げる、、、というか、我が道を行けば良いのだが、なかなか口で言う程たやすくないのが現実。

 ジヨンのいる“まあまあ恵まれた環境”ってのが厄介なんだよね。原作者によれば、貧しい設定にすると、問題の原因が貧しさに矮小化される可能性があるので避けたとのこと。経済的にもまあまあ、夫も一応(表面的には)家事育児に協力的、、、っていうね。もっと圧倒的に裕福だったら、家政婦を雇えば良いけど、それは出来ない。夫の言動も優しい言葉の裏に毒があり、しかもそれに関して夫はまるで無自覚、あくまで善意による言動だから、かえって始末が悪い。「君がいいならいいよ」「君のために○○したい」みたいな言い方は、フェミニストを自認する夫にはありがちだろう。

 そんな中で、ジヨンは疲弊しきって精神に異常を来し、時折、別人格が現れるようになる、、、という設定になっている。別人格になって、ジヨンの苦しみを第三者的に語るというこの設定が上手いな~、と思う。本人が正気で訴えるより効果は絶大。こんな風になってしまっている妻や実娘の様子を見たら、そりゃ誰だってヤバいと思うよね。特に、実母の眼前で憑依するシーンは、私も見ていて泣けてきた。あんな娘を目の当たりにした実母の気持ちを思うと、胸が痛い。

 そうなって、ようやく、夫のデヒョンは、自分の言動を顧みようとする。自分が優しさだと思っていたことが、却って妻を傷付けていたことに、ようやく目が向いたという感じだった。でもまあ、まだまだ理解はできていないだろうが。

 原作はバッドエンドらしいのだが、本作のラストは希望の持てるものになっていたように思う。とはいえ、それは飽くまで“ジヨンは”であって、女性一般が救われるものになっているわけではない。でも、少なくとも、ジヨンが回復する兆しが描かれることで、見ている者も少しホッとするから、良いのではないだろうか。バッドエンドよりは、救いのあるエンディングの方が良い。


◆オカシイのはあなた。

 原作について、「首を突っ込みたくない」と前述したが、何で首を突っ込みたくないと思ったかというと、この問題は、人種差別と同じで、多分、半永久的に解決しないだろうと思うから。私は大学で女性学を(一応)学んで、フェミニズムも囓った。フェミには根本的には同調する立場で、性差別には断固反対であるが、ミソジニーの方々がフェミを毛嫌いする理由も(頭では)分かるし、そういうフェミの脇の甘さには嫌悪感があるのも事実。だから、“この手の本”と一括りにし、食わず嫌いで手を伸ばす気にならなかったのだ。

 男性優位は、程度の差はあれ、世界的に見られる傾向で、歴史的にも脈々とその流れが引き継がれてきた。その解決を、絶望視してはいるものの、望んでいないわけではもちろんない。私が社会に出た頃の90年代前半に比べれば、大分、女性も働きやすい環境になってきているのは間違いなく、改善はこれからも続けるべきだと思っている。

 私がこの問題に無力感を覚えるのは、同じ女性で、ジェンダー平等を揶揄する人たちが少なからずいるからだ。

 あるブログで知ったのだが、塩野七生氏「男女同等を叫ぶこと七十年である。企業でも七十年も成果を出せなければ経営陣はクビだが、フェミニズムの世界ではこの原理は通用しないらしい。これって、普通に考えてもオカシクないですか」と批判しているそうだ。塩野七生氏といえば、『ローマ人の物語』は面白く読んだものの、彼女のエッセイはそこはかとなくミソジニーの匂いがして嫌いだったが、こんなこと書いていたのかと唖然となった(原著には当たっていないです、念のため)。彼女は歴史に材をとって著作物を出してきた人よ? 千年以上の男性優位の歴史があって、70年かそこらでドラスティックに変えられると本気で思っているんだろうか?? それに、企業経営と、人権運動を同じ土俵に乗せて論じるって、仮にも“知識人扱い”されている人とは思えないウマシカさ。もう人間のDNAレベルで刷り込まれた慣習・思想を、数十年というスパンで変えられないことを批判するって、そっちの方が「オカシクないですか?」と聞きたいわ。

 大体、男女同権を実現したら、企業経営と同じで、“利益”に反するから実現したくない人(男)が大勢いるってことなのに、だからみんな徒労感を覚えながら闘っているのに、そこの矛盾はスルーして、さも妥当な例えのように書いているのだから悪質極まりない。

 ちなみに、このブログ主も女性で、塩野氏に全面的に同調している。この方は、百田某とか門田某がお好きなややネトウヨ気質だが、別にネトウヨでなくても、こういう思考の女性は決して珍しくはないと思うのよね。

 ましてや、男たちに理解しろ、なんて、ほとんど寝言に近いとさえ思えてくる。

 男・女関係なく、理解を広めて協力し合うことが重要なので、別に“女同士で連帯せよ!”と言いたいわけではないが、この問題がそれくらいセンシティブで難しい要素を孕んでいるってことは間違いない。

 本作の終盤、ジヨンがカフェでコーヒーを落としてしまったシーンが印象的だった。それを見て若い男女3人が「迷惑だよな」「ママ虫」……などと悪口を聞こえよがしに言うのである。ママ虫とは、前述の斎藤真理子さんによれば「夫の稼いだお金で遊び回っている母親を侮辱するネットスラング」だそうな。その後、ジヨンは意を決して彼らに抗議するが、もちろんそれはシーンとしてジヨンが強くなるためのシーンなんだが、非常に薄ら寒くなる嫌なシーンだった。

 ジヨンが紙ナプキンで床にこぼれたコーヒーを必死で拭いているのに、誰一人手助けしようとしない、店員さえも。私は、「ママ虫」よりも、そのことが衝撃だった。私も、あの場にいたら傍観者になるんだろうか、、、。いや、せめて一緒に床を拭くくらいの行動ができる人間ではありたい。人として、そうありたい。

 ジェンダー問題を解決する近道は、やはり“教育”しかないと思う。小学生からきちんと人権教育を行うべきだろう。教育って、やっぱりもの凄く大事なのよね。愛国者教育とかじゃなくてね、、、。 

 映画が割と好感を持てたので原作を読んでみる気になったのだが、買ってまではちょっと、、、、と思って図書館に予約をしたら、何と、135人待ちだった。今年中に読めるかしら。
 

 

 

 

 

 

 

 

ジヨンの女性上司がカッコイイ。

 

 

 


 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミナリ(2020年)

2021-04-10 | 【み】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/94385/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい土地に希望を見つけていく。

 まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。

 だが、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に、思いもしない事態が立ち上がる──。

=====ここまで。 

 『ノマドランド』と並び、アカデミー賞有力候補だそうです。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 『ノマドランド』に続いて本作を見たんだけれど、どっちかというと、本作の方が見たかったのです。でも、仕事サボって1本だけ見るのももったいない、もう1本見ておこう、ってことで、本作の前に、ノマドを見たのでした。

 この作品を後に見て良かった、、、。こちらの方が鑑賞後感は良いです。


◆キリスト教が、、、

 移民の国アメリカの、韓国系移民のお話で、監督の生い立ちをベースにした物語とのこと。

 アメリカや韓国では大ヒットらしいけれど、これ、日本じゃあんまりウケないだろうなあ、と思う。何でかって、そりゃ、クリスチャン人口が少ないからです、日本は。本作は、最初こそ移民の苦労話みたいな様相なんだけれども、途中から、キリスト教色が濃くなっていて、ちょっとピンと来ない部分も多いのではないかと思うのだ。

 ただ、移民の家族の物語として見れば、まあ、想定内の展開が続くけれども面白いと思ったし、ちょっとなぁ、、、と白けたところもあるけど(後述)、一応強引にハッピーエンディングに持っていったのも良かったんじゃないかしらん。

 農業で一旗あげたい父ジェイコブ。ネットの感想等を読むと、この父親の評判がかなり悪いんだけど、ありがちな父親像だと思うわ。自分の理想に家族を巻き込む一家の主、ってやつね。でもって、その妻モニカも割と類型的というか、ジェイコブに反発ばかりしている妻、というキャラ設定。何でこの2人、夫婦になったの?と、そっちの方が不思議になるくらい。

 まあ、色々大変ではあるものの、ジェイコブの農業も、どうにか収穫に漕ぎ着ける。デビッドは心臓の病気を持っているけど、自然に回復しつつある。医者は「土地が合っているのかも。今の場所から引っ越さない方が良いんじゃない?」等と言う。モニカは相変わらずだが、まあ、どうにか家族の形は維持している。

 その代りに、おばあちゃんが脳梗塞になって、後遺症で右半身だか左半身だかが不自由になる。この辺になると、かなり宗教色を感じさせ、おばあちゃんはデビッドの病気を引き受けたんじゃないか、という感じに見える。

 というか、序盤でも、一家が引っ越してきたトレーラーハウスが、嵐が来て大雨に流されるかも、、、という事態になるんだが、これも十分“ノアの方舟”を思わせる。

 さらに、ポールという男性が一家の手伝いに来てくれて、ジェイコブの農作業を主に手伝ってくれるんだが、このポールが出てくるあたりから、モロにキリスト教を感じさせる描写になる。大体、このポールおじさん、朝鮮戦争の生き残りで、大きな十字架背負って炎天下を歩いているんだからね。近所でも変人扱いされているけど、これって、モロに迫害される信徒的な描写やん……、と思って見ていたら、後日、町山氏の「映画その他ムダ話」を聞いたら、やっぱりそういうことだったみたい。でもまあ、こんなヘンな人がいたんだよ、というエピソードだと思えばそれはそれで許容範囲な気もする。

 おばあちゃんは脳梗塞になる前は、文字の読めない無教養ぶりを恥じることもなく、花札を孫に教えて、下品な言葉もバンバン言って、、、という豪快なキャラだったんだが、病気後は、家族の負の要素を一身に引き受けたみたいな存在になる。

 ……という具合に、家族のキャラ設定は割と類型的だし(長女の存在感がなさ過ぎるが)、ストーリーも困難がありながらも何とか、、、みたいな起承転結のハッキリした展開で無難。キリスト教描写も、そこまでアレルギー反応を起こすものではなかった。
 
 ~~以下、結末に触れています。~~


◆ちょっと白けてしまったこと2つほど。

 ポールの存在にちょっと違和感があるものの、終盤までは結構面白く見ていたんだけど、いわゆる起承転結の“転”の辺りから、ちょっと引いてしまったのよねぇ。

 ジェイコブよりも、私は、どっちかというとモニカの方が嫌だなぁ、と感じていた。まあ、序盤の彼女の反応は当然とは思う。が、“転”に差し掛かるところの、ジェイコブに離婚を切り出す彼女の言動は、感じ悪かった。ジェイコブが苦労してどうにか収穫に漕ぎ着け、それを買ってくれる人が見つかり、生活のめどが立ちかけたところでの離婚話。

 ……けど、これも、強引なハッピーエンディングに持って行くための伏線だったんだよな、後から考えれば。

 離婚話で険悪になった一家4人は、とりあえずトレーラーハウスに帰って来るんだが、そこでジェイコブとモニカが見たのは、折角売れることが決まった農作物を収めた倉庫の火事。これまでの全てが燃えて行く、、、。ここで、夫婦は呆然とその燃える倉庫を見つめるのではなく、燃えさかる倉庫に入って行って、ついさっきまで農業に大反対していたモニカも必死になって、倉庫から少しでも農作物を運び出そうとする。しかし、火の勢いが強く、ほとんどは燃えてしまう。

 こうして、この火事によって夫婦は再びよりを戻す。直後のシーンでは、トレーラーハウスの中で、一家4人とおばあちゃんが川の字になって寝ている。

 私は、この倉庫が燃えるシーンを見て、『ギルバート・グレイプ』のラストシーンを思い出していた。『ギルバート~』では、敢えて家に火を着けたんだが、火事のシーンに説得力があったし、ある種のカタルシスがあったと思う。けれど、本作の火事のシーンは、どうもこう、、、ご都合主義的な感じを受けてしまった。バラバラになりそうな家族をまとめるために入れた一大事、それが、あの倉庫の火事、、、という風に、私には見えてしまったのよね。

 家族がまとまる、、、んなら、別に、ジェイコブの野菜が売れることになって良かったね、、、でいいじゃん、と思うのよ。だって、モニカはとにかく“この地で農業”がイヤだから、野菜が売れることになっても「離婚」を言っていたわけで、火事の後にコロッと“この地で農業”を受け入れるってヘンじゃない?

 でもまあ、町山氏の「映画その他ムダ話」を聞くと、人生には予期しないことが起きるもの、、、ということを描いている映画だそうだから、あの火事もそういうことなんでしょう、きっと。

 そのことが一番よく分かるのが、ジェイコブの変化を描いているシーン。地下水を探すときに、序盤ではダウジングで探そうとする近所のオジサンを小ばかにしていたジェイコブが、終盤では、何とダウジングで探すのだ。非科学的なことを拒絶していた彼も、いろんなことを経験して、世の中には人知を超えるものがあると悟った、、、、ということの表れなんだろうけど、なんかこれも、ちょっと白けてしまった。

 確かに、人知を超えるものがあるのに異論はないが、それがダウジングって、、、、。あんな水曜スペシャル(若い人はご存じないと思います、すみません)レベルのインチキにいきなり飛ぶって、それこそ、飛躍が大き過ぎやしませんかね? まあ、別にいいですけど。

 

 

 

 

 

 

 

あれこれケチをつけましたが、良い映画だと思います。

 

 

 

 


 ★★ランキング参加中★★

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノマドランド(2020年)

2021-04-08 | 【の】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71711/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 リーマンショックのあおりを受けて、長年住み慣れたネバダ州の住処を失った60代のファーン。彼女はキャンピングカーにすべての思い出を詰め込んで、車上生活者=現代のノマド(遊牧民)として過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを決意する。

 行く先々で出会うノマドたちと心の交流を深め、一日一日を懸命に乗り越えながら、誇りを持って生きる彼女の自由な旅は続いていく。

=====ここまで。 

 アカデミー賞最有力候補だそうな。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 アカデミー賞って、いつも3月くらいじゃなかったっけ?? と思ってちょっと調べたら、やっぱりここでもコロナの影響だったのですね。再延期とかいう噂もあるらしいけれど、リモートでやりゃええやん、と思うのですが、どうするんですかね?

 毎年、アカデミー賞なんて、、、と思いつつも一応チェックしてしまう小心者。本作と『ミナリ』、あと『Mank/マンク』が気にはなる。確か『Mank/マンク』は昨秋、渋谷で期間限定で公開していたけれど、見に行きそびれました。ネット配信が主なんですか?? まあ、よく分からんけど、いずれ見たいと思います。

 本作も、平日の昼間に仕事そっちのけで『ミナリ』とハシゴで見に行ってまいりました。話題作でも、劇場はガラガラでした~♪

 ……で、感想ですが。

 うぅむ。次回に感想を書くつもりの『ミナリ』と同様、本作も、ザ・ビンボー映画。昨年オスカー受賞の『パラサイト 半地下の家族』もビンボー映画だった、そう言えば。

 でも、本作は、『パラサイト~』みたいにぶっ飛んではいなくて、何かこう、どよ~んとした感じが残る。フランシス・マクドーマンド演ずるファーンは、自らの意思でノマド生活を続けているので、悲愴感はないし、ノマドの仲間たちも同様である。けれども、じゃあ幸せそうかというと、そうは見えない。

 この映画は、見て、作品自体を云々するというのではなくて、見て、自分の生き方を見つめ直す作品なんじゃないかしらん。生きるって? これからどーすんの? みたいなことを、嫌でも考えさせられる映画だと思う。老いて、死ぬまで、どう生きるのが幸せなのかね? 私も、もうそういう問題が他人事ではない年齢になっているので、時折そういうことは考えるけど、まあ、分からん。先のことなど、1年先、、、どころか、1か月先だって分からん。

 ファーンは、年金をもらおうと思えばもらえるみたいだけど、それは拒否して、アマゾンの倉庫で季節労働するなどして収入を得ながら、放浪生活を続ける。実の姉が少し離れた所でまあまあ恵まれた生活をしていて、「一緒に暮らそう」と言ってくれるが、それも拒否する。ファーンに好意を寄せるそこそこ裕福そうな爺さんがいて、その人も一緒に暮らそうと言ってくれるが、それも拒否する。

 彼女が拒否する理由は、亡くなった夫と暮らした土地から遠く離れた所には行きたくない、というもの。でも、夫と暮らした土地はもう、人が住めない、町ごとなくなってしまっているのだ。リーマンショックがなくて、その町に住み続けられれば、彼女は幸せな老後が送れたのか? それは誰にも分からない、けど、きっと送れていたんだろう。

 私は、人生なんて成り行きで、行き当たりばったりで行くしかないと思っているし、これからも多分、そういう人生だと思うが、それでも、本作で描かれているようなノマド生活は多分ムリだと思う。やっぱり、布団で足を延ばして寝たい。狭くても良いから、動かない家が良い。トイレも屋内で水洗が良い。風呂もちゃんと入りたい。……という、みみっちいところで、どうしてもあのようなサバイバルに近い生き方は、わたしには厳しい。旅なら良いけど、生活だもんね、あれが。

 しかし、ファーンにとっては、それよりも、その土地を離れた所で落ち着いた生活をする方が厳しいんだよね。

 本作は、原作が社会派ルポみたいなんだが、それ故か、本作も現代アメリカの分断・貧困を抉るみたいに言われている様だけれど、あんましそういう視点で見る映画じゃない気がする。前述したとおり、ファーンの生き様を見て、自分のこれからの生き様を少し考える、どう生きて行きたいのかを自分に問い掛ける、そういう映画だと思う。

 あと、ものすごく現実的な疑問として、あんな車上生活をしていて、例えば、ヘンな人らに襲われたりだとか、事故に遭ったりだとか、そういう危険はないのかな、ということ。いや、多分あるにちがいないと思うんだけど。そういう点が全く描かれていなくて、ただただ牧歌的なビンボー放浪生活、、、みたいな描き方もどうなんだろう、とは思ったかな。

 でもまあ、これがオスカー最有力かぁ、、、と、ちょっと拍子抜けな感じは正直しましたね。DVDでも良かったくらい。

 

 

 

 

 

 

 

全般にちょっと退屈でありました。

 

 


 ★★ランキング参加中★★

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンディンゴ(1975年)

2021-04-06 | 【ま】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv8624/


以下、公式サイトよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 19世紀半ば、ルイジアナ州の広大な土地を所有するマクスウェルは、そこで黒人奴隷を育てて売買する“奴隷牧場”を経営していた。

 息子のハモンドは名家の娘ブランチと結婚するものの彼女が処女でなかったことに失望、黒人女エレンとの情事に溺れ、従順な奴隷ミードを鍛えることに没頭する。

 一方のブランチもミードと関係を結んで妊娠、権力者として振る舞っていた一家は破滅の道を歩む・・・。

=====ここまで。 

 フライシャー監督が『風と共に去りぬ』のアンチテーゼとして撮った傑作。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 新宿の武蔵野館は、時々こういう不思議なリバイバル上映をするので侮れない。なぜ今本作を再上映するのか? というのは、武蔵野館のHPを見てもよく分からない。デジタルリマスターされたから、ということだろうけど、TSUTAYAにはレンタルがあるしねぇ、、、。DVDはリマスター前の画像なのかな? よく分からないけど、スクリーンで見られる機会はそうそうないだろうと思って、これまた平日の昼間に仕事をサボって見に行きました。

 いやぁ、、、聞きしに勝る、おぞましい映画でございました。でも、一見の価値はあります。というか、見ないと損、、、レベルかな。


◆“悍ましい”とはこのこと。

 奴隷制度は、アメリカの黒歴史だそうだが、昨年からBLM運動が起きて現在も続いているところを見ると、制度こそなくなったものの、その精神は過去の遺物にはなっていない模様。本作は、その奴隷制度の核をなしていたであろう「奴隷牧場」が舞台。“奴隷”の“牧場”ですよ? 酪農感覚で奴隷を“生産”している場所です。そして、その描写が出てきます、本作では、バッチリ。

 そういう映画だと知っていて見に行ったわけだけど、それでもかなりの衝撃的な映像。奴隷を生産するってのは、つまり、牧場主(やその一族の男たち)が黒人女性を端からレイプして子どもを産ませ、その子どもたちを商品として売り飛ばす、ってことなんだけど、子どもはもちろん奴隷同士から生まれる場合もあるんだけれども、とにかく肌の色が白くない者は、「人間じゃない」のだよ、牧場主や白人たちにとっては。セリフにもバンバンそういうのが出てくる。大体、奴隷を診察するのは“獣医”なんだからね、、、唖然。

 で、タイトルのマンディンゴなんだけど、マンディンゴって何? と思っていたら、どうやら、奴隷にもいわゆる“血統の良し悪し”があるとかで、マンディンゴというのは血統の良い黒人のこと。ネットで調べたら、実際に「マンディンカ族」という種族がアフリカにいるらしい。それはともかく、本作内では、「マンディンゴだよ! 前から欲しいって言ってただろ!」などというセリフと共に、マンディンゴの男性ミードが競りにかけられるシーンが出てくる。

 まあ、とにかくもう、唖然呆然の描写がこれでもかこれでもかと続き、眉間にずーーっと皺が寄りっぱなしだった気がする。唖然呆然の内容を詳しく書いても、あんまし意味がないような気がするので、ご興味おありの方は、まだ武蔵野館で上映しているので見に行かれるか、TSUTAYAでDVD借りて実際に見ていただきたい。

 特筆すべきは、内容に反して音楽が陽気で美しいこと。当然、ここにフライシャーの意図を感じるんだが、その音楽を担当しているのは『アラビアのロレンス』や『ドクトル・ジバゴ』等、数々の名曲を残したモーリス・ジャール。本作でも、おぞましい画に不釣り合いな耳に心地良い音楽を披露してくれている。

 眉間に皺を寄せながらもどうにか終盤まで見ていたが、ラストにかけて、何かこう、、、トドメを刺された気分になった。もう、とにかく本作の終盤からラストにかけては狂気そのもので、正視に耐えない。いやしかし、きっとこういうことは現実にもあったに相違ない。このまんまのことがあった、というのではなく。これ以上におぞましく、常軌を逸した狂気の沙汰が繰り広げられていたのは想像に難くない。

 そうしてみると、『風と共に去りぬ』(は、私はあんまし好きじゃないんだが)が南部をいかに表層的に描いた物語かということが分かる。もちろん『風と共に去りぬ』は、あれはあれで名画なんだろうが、フライシャーが本作を撮ってやろうと思った気持ちは分かる気がするわ。


◆ジェームズ・メイソン、スーザン・ジョージ、ケン・ノートン

 牧場主のマクスウェル家の当主ウォーレンを演じているのはジェームズ・メイソン。いつも座るときには奴隷の子供を寝かせた上に自分の足を乗せている(理由を知りたい方は本作をご覧ください)。ジェームズ・メイソンといえば、こないだ見た『評決』での憎たらしい弁護士役が素晴らしかったんだけど、本作でもその才能をいかんなく発揮されております。とにかく、トンデモ爺なんだけど、それが彼にとってはあまりにも“当然”過ぎて、何の疑問も罪悪感も感じていないのがスクリーンからジンジンと伝わってくるのが恐ろしい。

 ウォーレンの息子ハモンド(ペリー・キング)は、ミードやお気に入りの奴隷女性は大事に扱い、父親とはちょっと感じが違う風でありながらも、他の奴隷女性を気まぐれにレイプしたり、ミードを野蛮な格闘技で闘わせたりと、根本的にはオヤジさんと同種の人間。おそらく、フライシャー監督は、ちょっとこのハモンドを優男っぽく描くことで、父親のトンデモ振りとあのラストを際立たせる狙いがあったと思われる。

 ハモンドは、自分は斯様に女をセックスの相手としか見ていないくせに、妻になる女性には貞淑を求めるという、笑っちゃうような男でもある(現代でもこういう男は一杯いると思うけど)。彼と結婚したブランチは、一見可愛らしくウブということになっているんだが、演じているのがスーザン・ジョージで、ウブにはゼンゼン見えないところが面白すぎる。スーザン・ジョージと言えば、『わらの犬』でもセックス・シンボル的な役回りだったが、こういう役が実にハマっている。

 で、当然のことながら、ブランチは処女ではなかったので、初夜を終えたハモンドは怒り狂う。いや、ホントに、その怒り狂い方が凄まじくて、怒りの大きさと、怒りの原因のみみっちさとのギャップにドン引き。ハモンドはブランチに興味がなくなって、お気に入りの奴隷女性の下に通う。ブランチは寂しくて、マンディンゴのミードを誘惑して関係を持ち、ミードの子を妊娠する。んでもって、ブランチが肌の色が黒い赤ん坊を出産すると、ハモンドは再び怒り狂って、、、という、こうやって文字にするとアホみたいな展開なんだが、ゼンゼン笑えない。何なの、このハモンド。あまりにもバカ過ぎ、勝手過ぎて、もう、、、ボー然。こんなんなら、まだオヤジさんの方が筋が通っていてマシに見えてくる。

 マンディンゴのミードを演じたのは、ヘビー級ボクサーのケン・ノートン。実にカッコイイ。そら、ブランチが誘惑したくなるのも分かる。てか、ハモンドなんかよりゼンゼン魅力的だろう。中盤の奴隷同士の格闘シーンも凄惨だった。あんなのを見て喜ぶなんて、(自分も含めて)人間ってホント、野蛮な生き物なんだな、、、とイヤになった。さらにイヤになるのが、ミードの凄惨極まる最期である。


◆黒人に攻撃されるアジア系

 今、アメリカ(ヨーロッパでもかな?)ではアジア系に対する暴力事件が頻発しているらしい。こないだ、TVのニュースで流れていた映像では、その犯人は黒人男性だった。BLMが叫ばれている中でそれ。もう、滅茶苦茶だ。

 人間が社会的な生物である限り、残念ながら差別はなくならない。きちんと子どもの頃から教育しないと、とんでもないレイシストが育つという実証データもあるらしい。それくらい、人間は本質的に差別をする動物だってこと。

 だから、国のリーダーが差別的発言をするってのは、ホントに罪が深い。やっぱし、キレイごとでも、リーダーはそのキレイごとをきちんと口にしないと、下々の者たちは「ああいうことを公言していいんだ」と思ってしまうからね。内心でどう思っていようと、やはり、口にしてはいけないことなんだ、という心理的なブレーキがあるかないか、ってのは非常に大きい。差別的な言葉を誰かにぶつけても、結局、そういうのは巡り巡って還って来る。

 アジア人を攻撃していた黒人男性も、別の所では差別される側な訳で、、、。

 子どものころ、「ルーツ」という、やはり奴隷制度を描いたドラマシリーズがTVで放映されていたが、内容はほとんど記憶にないけれど、かなり話題になっていたのは憶えている。ドラマだから、本作よりは大分マイルドな描写だったろう。アメリカがトンデモな国ではあっても、こういう映画やドラマがちゃんと作れるところは、やっぱしスゴイと思うし、正直言って羨ましい。日本人の蛮行を映画にしてほしいという意味ではなく、こういう映画を制作できる土壌があるということがね、、、。ま、羨んでもせんないことだけど。

 

 

 


 

 


本作のポスターは、あの名作のパロディ。“悍ましい”シーンも描かれています。

 

 


 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DAU. ナターシャ(2020年)

2021-04-04 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72557/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ソ連某所にある秘密研究所。この施設では、多くの科学者たちが軍事的な研究を続けていた。

 ナターシャ(ナターリヤ ・ベレジナヤ)は、この施設に併設された食堂で働くウェイトレス。ある日、彼女は研究所に滞在するフランス人科学者と肉体関係を結ぶ。言葉も通じないまま、惹かれ合う2人。

 だが、当局から呼び出しを受けた彼女は、冷酷なKGB職員が待つ暗い部屋に案内され、スパイ容疑で厳しい追及を受けることに……。

=====ここまで。 

 ソ連全体主義社会を完全再現したウクライナのとある街で1万人のエキストラを動員した「DAU. プロジェクト」によるシリーズ第一弾。第二弾以降もあるんだろうけど、公開されるんだろうか、、、。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 長らく更新をサボっていたのには、特に理由はありません。ただただ、「書く気がしなかった」だけでございます。書く気にならなかった最大の要因は、そらもう、“憂国”です。あれこれ書いても愚痴ばかりになるのでやめときますが、ダラダラ緩慢な緊急事態だとかマンボウだとか、バカじゃないのかとは思いますね。厚労省の役人じゃなくても、みんなハメも外したくなるでしょーよ。今さら、「マンボウという言葉は不適切」とか、何言ってんのかね。ネット上にはマンボウがマスクしたコラ画像なんかも出てたよ。最初からマジメにやれって話。

 東京は相変わらずの感染者多数だけど、コロナに感染するのが怖いというよりは、感染した際の検査だの通院だの手続きだのの煩雑さを想像しただけでゲンナリ、、、だから感染したくない、というのが本音。私の身近なところでは感染者が出ていないけれど、変異株とやらは感染力が強いらしいので、ますます人混みは避けたくなる、、、ので映画館にも平日の昼間にしか行きたくない。サービスデーの夜とか土日は混むのが目に見えているので、絶対行きたくない。かといって、平日の昼間も、そうそう仕事をしょっちゅうサボる訳にも行かず。平時なら劇場に行ったかもしれない作品も、どーせすぐにDVDになること確実な作品は行かないとか。劇場の運営を思えば、積極的に足を運ぶべきなんだろうけど、なかなかね、、、。

 そんな中で、本作はまあ、もしかしたらDVDにならないかもなぁ、、、いや、なるだろうけど、ちょっと見ておきたいなと思って、仕事休んで見てきました。ここんとこのロシアかぶれの延長ってのもあるけど、何しろヘンなプロジェクトの映画第一弾だし。物議を醸したと聞けば、見たいと思うのが人情ってもの。

 ……というわけで、見に行ったんだけれど、想像以上にヘンな映画でした。以下、感想です。
 

◆DAU.プロジェクト

 「衝撃的なバイオレンスとエロティックな描写」と、見る前に聞いていたので、それなりに覚悟して見に行ったのだけど、そっち方面はあんましショッキングではなかった。役者さんたちは、ホントにセックスしているらしいし、拷問シーンもリアルだとか。もちろん、そういう設定の“撮影”という前提で、役者さんたちは了解の上だそうだが。そらそーだわね、、、。でなきゃ人権問題になってしまう(DAU.プロジェクトについては、ご興味おありの方は、公式HPをご覧ください)。

 壮大な仮想空間で実際に生活をしながらの撮影、ということで、リアリティをより追及しているということだが、正直な話、人のリアルなセックスなんか見ても、退屈だし、美しくなければ気持ち悪い(すみません)だけで、ここまでセックスシーンを長々と入れる意味があったのか、ちょっと疑問。終盤にある拷問シーンも、瓶を女性器に入れさせるというものなんだが、そこにビンタが加わったり、暴言・罵倒が入ったりするという、まあ、凄惨とまでは言わないが、不快指数はかなり高い。

 ただ、「衝撃的な」というなら、こんなメンドクサイ企画じゃなくて、一般的な制作による映画でもっとヒドいのはいっぱいあるわけで、これがベルリン映画祭で物議を醸したってのも、それはそれで??な気はする。要するに、このDAU.プロジェクトが人権的にどうなのか、ってことなんだろうけれども。

 実際のホントのところは分からないが、監督や俳優たちの弁を素直に受け止めるのであれば、普通の映画作りと根本的には同じだから、別にいいんじゃないの?と思う。まあ、撮影がないときも、普通の生活を壮大なセットの中で送る、、、ってのはちょっと異様ではあるが(主役のナターシャを演じたナターリヤさんは、セット外の自宅から通っていたらしいが)。ある種の社会実験的な感じはする。

 引き合いに出されるのが、『ラストタンゴ・イン・パリ』のマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーのセックスシーンがマリア・シュナイダーの同意を得ないレイプだったという事案なんだが、それとはまた違うのではないか。だったら、役者が了解さえしていれば何やってもええんか?って話になるだろうけど、その辺の線引きは難しいよね、ハッキリ言って。観客は撮影現場の裏話なんて分からないし。スクリーンで見ているものが全てなわけで。

 セックスや暴力シーンがなくても、例えば、大昔に今井美樹が、主演したドラマ(確か「想い出にかわるまで」だったと思う)の内容があまりにも辛く、私生活にかなりの影響が出たというようなエピソードを語っていた記憶があるが、役者が役を演じるってそういうことだと思う。ある程度、役に没入しなければ演じるなんて出来ないし、けれど、役者は生身の人間であって、役と本来の自分を切り分けられる訳じゃないから、程度の差はあれ影響されるのは仕方がないだろう。だからと言って、『ラストタンゴ~』の一件は言語道断であることに違いはないのであって、“人権を上回る意味のある演出”なんてものはない。

 ……ということで、DAU.プロジェクトは、まあ、面白いとは思うけど、パンフの監督インタビューなどを読んでも、あんましピンと来なかった。ソ連ってこんなだったんだね、へーー、という意味では見応えはある。近現代史の研究者とかなら意義を感じるんだろうけど、ただの映画好きにとっては、第二弾が仮に公開されても、すごく見に行きたいって感じではないかな。コロナが終息していれば、見に行くかもだけど。


◆これは本当に「過去」なのか?

 お話としては、カフェで働く中年女性が、若い同僚に嫉妬から意地悪したり、反面仲良くしたりと、あのような独裁監視社会でも人間の普遍的な営みは当然あって、でも、外国の学者と一夜の恋をしたらスパイ容疑をかけられて拷問された、、、、という、シャレにならない展開。

 ストーリー的には極めてシンプルです。

 プロジェクトとして、あらゆるものが当時のまんまだそうで、セットや衣装、食べ物などなど、ソ連時代はああいう風だったんだ~、というのが分かるのは面白い。意外に食べ物が豊富で、美味しそうに見えた。

 しかし、私は本作を見ながら考えていたのは、ここで描かれていることって、本当に過去のオハナシになっているのだろうか?ってことだった。今現在、少なくとも、ロシアから漏れてくるニュースだけでも、相当プーチンのやっていることはヤバいわけで、その実態となれば推して知るべしである。ということは、ここで描かれている、それこそ「衝撃的なバイオレンス」ってのは、今もロシアの内部で蠢いている暗い現実なんじゃないのかね? とか。想像力逞し過ぎるとは思わないのですが。

 ちなみに、終盤、ナターシャを拷問するKGBの役人を演じた男性は、ソ連時代、実際にKGBの大佐だったそうな。ウクライナ内務省で20年以上働き、囚人と刑務所職員の行動心理学の専門家として有名だったとか、、、。ひょえ~~~。本作撮影後の17年に亡くなっているとのこと。元KGB、まだまだ幅を利かせているんでしょうな、、、プーチンがいる限り。

 昨年行って、外から眺めたクレムリンは威厳があり美しかった。しかし、ソ連時代も、きっと同じように美しかったんだよね。……嘆息。

 

 

 

 

 

 

主人公のナターシャを演じるナターリヤさんは主婦だそうです。

 

 

 


 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする