映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

マジック(1979年)

2017-10-31 | 【ま】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 コーキー(アンソニー・ホプキンス)はカードを扱う手品師だったが、スターダストというナイトクラブでは、客に受けず、やがてやめ、1年のちにファッツと名付けられた人形を操る腹話術師となって再び同じクラブに現われた。

 これが大受けし、スターとして、ベン・グリーン(バージェス・メレディス)というエージェントがつくまでになる。しかし、ニューヨークに進出したコーキーは、急にベン・グリーンと手を切り、クロッシンジャーという、彼の生まれ故郷に帰ってしまう。

 彼は湖畔にあるコテージを借り、その持主デューク(エド・ロータ)の妻で初恋の相手でもあったペギー(アン・マーグレット)と再会した。今は夫との愛もさめていたペギーは、コーキーの出現で、久方ぶりの性の歓びを感じた。

 しかし、縁が切れたと思っていたべン・グリーンは彼の跡を追って、突然姿を現わし、執念深く食いさがってきた。空恐ろしくなったコーキーは遂に人形ファッツの手をかりてベン・グリーンを殺し、さらに、旅行から帰ってきて、嫉妬心に燃えるデュークまでも殺し、自分も自決するのだった。
 
=====ここまで。

 若き(と言っても42歳)アンソニー・ホプキンスは、意外にイケメン……?? 

   
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 大昔にリストに入れておいたDVDが送られてきました。どうしてこれをリストに入れたのか、、、。でも、結構面白かった!


◆人形のファッツに操られていくコーキー

 アンソニー・ホプキンスというと、レクターのイメージが強烈過ぎて、何だか“怖い系”という勝手なキャラ設定をしてしまうのだけれども、本作で演じているコーキーはその設定のド真ん中ではないものの、端によってはいるものの、ややキワモノ的な感じで、かなり不気味。

 というか、ホントに不気味なのは、コーキーが操る腹話術人形のファッツなんだけどね。もちろん、ファッツとコーキーは表裏一体であって、コーキーの本音をファッツが担当している。でもって、このファッツ人形の造形が、不気味度をアップさせている。目がどろんとして、薄笑いを浮かべたような、ちょっと間の抜けた顔。一言で言うと“胡乱”。でも、そんなちょっと間の抜けた顔から飛び出す言葉はメチャメチャえげつない。

 考えてみれば、そらそーだよね。ファッツはコーキーが普通では口に出来ないような本音を、コーキーに代わって言葉にしてあげているわけだから、ファッツから飛び出す言葉の数々はえげつなくて当然。おまけに、間断なくしゃべり続けるから、ものすごくコーキー以外の人間の神経を逆なでする。あんな人形と、私は1分と一緒の空間にいられない、、、。

 でも、この、見た目と言動のギャップのおかげで、コーキーは売れっ子マジシャンになる。エージェントまでついて、テレビのシリーズ番組出演まで果たそうかというその矢先、コーキーは田舎にすっこんでしまう。もちろんこれには理由があり、テレビ局が健康診断書を出せと言ってきたからである。テレビ局としては、シリーズものである以上、出演者に病気で降板されては困るからだ。コーキーとしては、自分の精神的な歪みを自覚していたから、健康診断書を出すことによってそれが明るみに出ることを恐れたため、これを拒絶し、ベン・グリーンの前から突然姿を消したのだ。

 ううむ、、、千載一遇のチャンスを、こんなことで棒に振るなんて。アメリカの健康診断書がどんなもんか分からないけど、そんな精神科の検査まであるのかね? 日本だったら純粋に身体の検査だけじゃない? それに、精神科の病気なんてそんな簡単に診断がつくものじゃないだろうし、、、。

 でも、人間、弱みというか、負い目があると自意識過剰になっちゃうのだよね。それでますます卑屈になるというか、ドツボにハマるというか、、、。コーキーもまさにそれ。挙げ句、本当に、ファッツに操られるようになる。 


◆ファッツより怖いのは、、、

 しかし、そういう隠したいことほど、すぐにバレるもの。コーキーが、ファッツと共に狂ったように部屋の中で喚いているところを、グリーンにバッチリ目撃されてしまう。グリーンは瞬時にコーキーが自分の前から姿を消した理由を悟り、コーキーを医者に診せようとする。が、コーキーは、例によってファッツに間断なくマシンガントークをさせてしまう。そこでグリーンに言われることが、、、、

 「ファッツを5分間黙らせろ!!」

 コーキーは、何だそんなことくらい、とファッツを自分から離してソファに置くものの、1分も経たないうちに観念してしまう。このときの、ホプキンスの演技が凄みがあって怖い。冷や汗をかき、もういてもたってもいられない、というのが画面からヒシヒシと伝わってきて、こっちも手に汗握ってしまう。

 ファッツはコーキーの腹話術人形だけど、明らかに、コーキーを操っているのはファッツで、コーキーはファッツを制御できなくなっている。最初はファッツに本音を言わせていただけのつもりが、いつのまにか、コーキー自身でさえ思考の及ばない言葉を発するようになっている、、、。

 結局、こうして、第三者にファッツとの異常な関係性を知られたことを機に、コーキーはどんどんエスカレートしていき、コントロール仕切れなくなったファッツを腕にグリーンだけでなく、ペギーの夫デュークまで殺し、最後は自分も破滅するわけだが、ラストシーンが今一つピンとこないというか、、、。

 自分の腹を刺して虫の息のコーキーを訪ねてくるペギー。コーキーのコテージに歩きながら「決心したわ。あなたと町をでるわ、コーキー」と笑顔で叫ぶ。そして、ファッツの口調でこう言うのだ。「こんなうまいチャンスってないぜ」

 ペギーは、このとき、デュークの死を知らないはずで、あくまで駆け落ちのつもりでコーキーに「あなたと行くわ」と言っているはずなんだけど、見ようによっては、もしかしたらデュークをコーキーが殺したことを察しているのかも、、、? という気もしてくる。いや、多分、そうなのだろう。ということは、彼女は、人殺しと駆け落ちしようとしていることになるわけだ。

 このペギーという女が、正直なところ、本作の中で一番解せない登場人物だった。夫との関係は破綻していて、コーキーと関係を持つんだけれども、でも、夫と別れることにも躊躇し、、、と、非常にどっちつかずなのだ。それに、中盤で、コーキーに、カードを使った読心術を、「やってみて、自分にやってみせて」と執拗に頼み、コーキーを追い詰めるシーンがあるんだけど、どうもそういう“オカルト”的なものをイイ歳して信じているっぽい、ちょっと頭がよろしくない感じなのである。

 下半身が緩く頭も緩い女、、、。これが最後のシーンで高笑いしている。……って、結構怖くない??


◆その他もろもろ

 この、ファッツの腹話術だけれども、てっきり私は、後から音声を被せたのだと思っていた。見終わってから調べたら、何と、ホプキンス自身が腹話術を完璧にマスターし、自らが演じたのだという。……まあ、彼ならそれくらいやりそうだけど、すげぇ、、、。いっこく堂も真っ青だね。

 42歳のホプキンスは、まあ、それなりにイイ顔しているけど、どうしても役柄のせいもあるんだろうけど、ちょっとイッちゃってる感じが上手すぎてイイ男には見えないんだよなぁ。ジャケットの写真だけ見て、ホプキンス主演と知らされなければ、これがホプキンスと分からない人も多いのでは? 顔が丸くなくて細面だもの。

 バカっぽい女を演じたアン・マーグレットは中年女の色気全開でセクシー。なかなかの豊満バディで、あれなら、コーキーでなくてもイカレちゃうのは分かる。顔も美人だし、不可解な女を上手く演じていたと思う。

 アッテンボローというと、私の中では、ドリトル先生という刷り込みが強い。子どもの頃、よくテレビで放映されていたと思う。だからだろうけど、ああいう、自然の映画の人、みたいなイメージが勝手に出来上がってしまっているのだよね。でもそれは、同じアッテンボローでも、お兄さんのデヴィッド・アッテンボロー……。









ホプキンスのイカレっぷりをご覧あれ




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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅰ ~ワルシャワ(ポーランド)~その③

2017-10-28 | 旅行記(海外)
**シュピルマンが生き、愛した街** vol.3
 




その②につづき

 トラムを強制途中下車させられ、ここはどこ??状態。地図を見ても、イマイチ駅名も分からず、、、。まあ、でも、余裕で歩ける距離だという確信はあったので、そのまま歩くことにしました。

 風が強くて、時折、サーッと雲が広がったり、また青空になったりしながら、てくてく歩くと、途中にあの人魚の像が。


一瞬曇が、、、


 さらに数分歩くと、見えてきました、広場的なものが。そして、見覚えのある光景。おぉ、これぞ写真で見ていた王宮前広場ではないか!!


右側のオレンジ色っぽい塔のある建物が旧王宮


 確か、この広場は、キェシロフスキの『殺人に関する短いフィルム』にも背景で映っていたはず。殺人を犯す若者ヤチェックが獲物を物色するあたりのシーンだったはず。あの映画が撮影されたときは、まだ民主化前だったとはいえ、とても同じ場所とは思えない……。

 とにかく美しい。落ち着いた色合いの建物が並び、ああ、ヨーロッパだなぁ、、、なんて思う。この場所、帰国後に見たBS特集「玉木宏 音楽サスペンス紀行~マエストロ・ヒデマロ 亡命オーケストラの謎~」で、玉木も歩いてたわぁ。番組のロケは4月頃だったみたい。奇しくも、この番組内で、シュピルマンのことも紹介され、マエストロ・ヒデマロ(近衛秀麿)とシュピルマンはワルシャワで出会って親交があったことが分かり、これも少し感激でした。

 ……と、余談はさておき。旧王宮の向かいには、聖アンナ教会が。地味ながらもキレイな建物。中にも入れました。


聖アンナ教会



聖アンナ教会の内部


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 朝からほとんど歩き詰めで、気がついたら、もう3時近く。お腹も空くはずだわ、、、。というわけで、事前に入手していた情報で、王宮前広場に、とっても美味しいレストランがあるということだったので、探してみたら、、、ありました!! Restauracja przy zamku(レスタラウツィア・プシェ・ザムク)


お店の中(画像は公式HPからお借りしました)


 ここで、鴨肉(だったと思う)の乗ったボリューミィなサラダをいただきました。……が、なんと私、写真を撮り忘れたのです! がーん、、、。途中しばらくしてお皿が美しくない状態になってから、「……ハレ? 写真撮ってないじゃん?」と。……ううむ、かえすがえすも残念。

 多分、1,000円くらいだったと思います。かなりお安いと思いましたが、ポーランドのレストランではむしろお高めなのかも。お店のリンク張っときますので、ご興味おありでしたらメニューはそちらでご覧ください。

 お腹が空いていたはずなのに、しかもとても美味しいのに、食べ始めたらなぜか急にお腹が一杯になり、、、。何と、完食できませんでした。不覚だわ~。食欲だけはどんなときも衰えないのに。デザートどころか、コーヒーをいただく余裕もなく、、、、。ううむ、再び残念。


お店の外。テラス席もある


 人気店らしく、外のテラス席も賑わっていました。また行く機会があったら、今度は万全の腹の調子で是非リベンジしたいわ。


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 お店を出たら4時過ぎ。ぷらぷら歩きながら、宿へ戻ることにしてクラクフ郊外通りへ。この通りは、結構、観光名所の建物が並んでいるのでした。


大統領官邸(旧ラジヴィウ宮殿)



クラクフ郊外通りから聖十字架教会を臨む(奥の塔が教会)



ワルシャワ大学


 戦争で8割が破壊された街が復元されて、このような美しさを取り戻したわけです。ここまでに復元したワルシャワ市民の情熱、愛着、執念、、、そんな思いを感じながら、美しさに心奪われて歩きました。


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 そして、近付いてきました。聖十字架教会。あの像は……!!


奥に見えるドームののった建物はポーランド科学アカデミー。その前に小さくコペルニクスの像が見える


 そう、『戦場のピアニスト』の冒頭と終盤に、街が破壊される前と後のワルシャワの光景に、シンボリック映し出されたあの十字架を背負うキリスト像




正面から見るとこんな感じ。大分印象が違う、、、


 教会内は撮影禁止でした。でもね、それにもかかわらず、自撮り棒で、ショパンの心臓が埋められている石柱前でポーズ取って撮影している人たちがいました。驚いてよく見ると、、、ああ、ちうごくの方たちでした、、、。

 こう言ってはナンだけれども、ヨーロッパの人たちから見たら、中国人も日本人も韓国人も、多分みんな同じに見えると思うわけね。ああいうことをしているのが、みんな同じ国の人たちだと思われるのは、正直言って、少々イヤだなぁ、と思いました。いくら観光名所とはいえ、教会。中ではお祈りを捧げている人もいて、厳粛な雰囲気でありました。それでもヘーキで自撮りできるその神経、、、。嗚呼。

 でも、教会内はとても美しかったですよ。画像はネット上に溢れているので、まあ別にムリして撮影することもないわけですよ、マジで。雰囲気をしみじみ味わいたかったのに。

 そんなわけで、雰囲気ぶち壊されて、少々ゲンナリして教会を出て来ました。

 その後は、かなりグッタリ疲れていたので、途中のスーパーで買い物をして、さらにモールに寄っておみやげを物色して、どうにか宿まで戻ってきました。あーー、疲れた!! でも楽しかった!!! サイコー!!!!


ホテルの前から文化科学宮殿(スターリンからの贈りもの)を臨む。手前に走るのはトラム


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 これで、旅の日程は全て終了。とにかく、順調すぎるくらいに、ほぼノートラブルで最終日まで過ごすことが出来ました。あー、いよいよ明日は帰国の途につくのか、、、。荷物の整理せねば、、、と思って、バーバパパのバナナシロップを手に取ったら……!!!

 「バーバパパのバナナシロップ事件」については、本編で書くほどじゃないこぼれ話と併せて“こぼれ話編”で詳細を書きます。

 長々と本編にお付き合いいただき、ありがとうございました。


“こぼれ話”につづく
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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅰ ~ワルシャワ(ポーランド)~その②

2017-10-09 | 旅行記(海外)
**シュピルマンが生き、愛した街** vol.2
 




その①につづき

 さて、今回の旅で、是非行きたかった所、、、それは、「ワルシャワ蜂起博物館」でありました。どうしてワルシャワ蜂起博物館だったか……と言いますと。

 今回の旅、もとはといえば、ポーランドをじっくり1週間かけて『戦場のピアニスト』ゆかりの地を巡ろうかと考えていたのだけど、考えていると、あっちも行きたい、こっちも行きたい、と行きたいところが一杯出て来て、ワルシャワも結局は正味1.5日しかないということに、、、。

 映画を見てからポーランドについてイロイロと見聞きしたのですが、知れば知るほど、いかに私は何も知らずに映画を見ていたのかを思い知り、“この映画が好きだ!”と言うからには、その映画に描かれている背景もある程度知っておいて然るべきだろう、むしろ、知らない方がおかしいだろう、と思ったわけです。

 とはいえ、ワルシャワには第二次大戦にまつわる博物館が複数あり、ほかにもユダヤ人博物館等があるけれど、映画でも中盤以降、エイドリアン・ブロディ演ずるシュピルマンが決定的に追い詰められる契機となったワルシャワ蜂起について、どうしても知りたいという思いがあり、このワルシャワ蜂起博物館を選びました。

 さあ、今日も歩くぞ~、と気合いを入れて起きたら、何と大雨! え゛、、、アタシ、晴れ女だったはずなんですけど、、、。

 天気が良ければ、宿から博物館まで歩いて30分~40分と思われたので、歩いて行きたかったのだけど、外へ出たら風も強い。こりゃあかん、、、と、地下鉄に乗りました。

  

地下鉄の駅とってもキレイ! 車両もキレイ!!


 最寄りのRond Daszyńskiego(ロンド ダシェニスキエゴ)駅に到着し、地図を片手に地上に出るも、ものすごい雨と風。……というか、雨は普通なんだけど、風が強くて、地図もまともに見られない。で、通りすがりのおばさんに聞いたら、「あっち!」と教えてくれて、交差点を渡って歩き出したんだけど、それらしい建物が見えない!! 

 ……結局、3人のお方に尋ね、3人ともすごく親切に地図を見ながらそれぞれに違う方向を指し、、、。、最終的に宿のすぐそばに建っている“文化科学宮殿”が遠くからでも目印になってくれたおかげで、どうにか辿り着きました。最初に教えてくれたおばさんが正しかった!! ごめんね、おばさん、信用しなくて、、、。


風雨のおかげで外観の写真を撮る余裕もなく、画像は公式サイトからお借りしました


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 チケット売り場で入場券を購入し(18ズロチだから540円くらい?)、ようやく中へ、、、。結構混んでいる、、、。でも、めげずに、日本語の音声ガイドを借りられると事前にチェックしていたので、売店の方へ。そこで、“Japanese”と言えば、日本語用のガイドを出してくれました。この料金、覚えていないんですけど、そんなに高くないです、もちろん。

 この博物館は、2004年オープンということで、まだ新しい。この場所は、元々、発電所だったのを改装したらしく、中はかなり広い。
  
 入ってみると、すぐに砲弾の音やら地響きの音、軍靴の音などが聞こえてきて、当時のポーランドの地勢を示す地図などが展示されています。小さな覗き窓のような所から覗いてみると、当時の街の光景等が見られるようになっています。

 でもって、この日本語音声ガイドが、めちゃめちゃ詳しくて、1つの解説が異常に長い!! これ、全部聞いていたら1日じゃ足りないわ、、、と思うくらいに、長い。しかも、流ちょうな日本語なんだけれども、ちょっと日本語の言い回しとしては??な部分もあり、話している人は日本人男性だと思うのだけど、不思議な感じでした。そして、まあ、こういう場所のガイドなので当然かもしれないけど、声のトーンが全体に暗く、聞いているだけでものすごく辛くなってくるのでした、、、。

 展示品も膨大。実際に使われた武器や乗り物(飛行機も)、軍服等や、破壊し尽くされた街並みを再現したジオラマ、、、等々、。


実際に使用された軍服



ワルシャワのシンボル、右手に剣、左手に盾を持った人魚


 地下組織がビラなどを印刷していた印刷所を復元した展示もありました。映画内でもシュピルマンが印刷所を兼ねた家族を訪ねるシーンがあったなぁ、と思い出し……。まだワルシャワ蜂起の大分前の話ですけどね。

 その小さな印刷所で刷っていたのはユダヤ人に決起を呼び掛けるビラだったと思うけど、「これ(ビラ)をトイレに置くんだ」と言って、地下運動家がシュピルマンにビラを見せていました。その家の小さな子たちも印刷を手伝っていたんですよね、、、。後のゲットー掃討で、この子たちもろとも一家皆殺しにされ、遺体が無残に放置されている所へ、収容所送りを逃れたシュピルマンが訪ねてきて衝撃を受けるシーンは忘れられません、、、。


地下組織の印刷所の再現


 あと、驚いたのが、かなり悲惨な画像がたくさん展示されていたことです。これは、子どもが見られないような配慮がされており、大人の背丈がないとのぞき込めない作りになっていたけど、、、、。

 こういう状況が街中で実際にあったのだから、エグいだの、グロいだの、そんな形容詞は軽過ぎる。


画像・映像の展示が充実していた


 割と序盤で、これは全部丁寧に見ていたら最後まで見られない、、、と悟り、これは!と思うものだけに集中しようと決めました。3D映像や、生存者とまるで電話で話しているような感覚になれる展示等、実に多彩なアプローチだったけれど、そこはスルー。それでもかなりの時間が掛かりましたが、、、。

 途中、館内に小さなカフェがあり、歩き回って疲れ果てたので、オレンジジュースを飲みました。その場で絞ってくれるの。すごい美味しかった!


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 見学再開。 

 展示は、ワルシャワ蜂起が始まった1日目から、順に日めくりカレンダーが壁に掛けられており、見学者はそれを自由に取って良いようになっています。私も、31日目まで集めたんだけど、根負けしてしまった、、、。

 しかし、日めくりの数字が大きくなるに従って、状況が悲惨になるのが分かる様になっており、だんだん見ている方の感覚も麻痺してくるというか、、、。

 そして、ありました。シュピルマンの展示。彼が隠れ家から見ていたであろうワルシャワの光景が再現された展示でした。音声ガイドでも、当然、映画の紹介がされていました。



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 ……なんというか、広島の原爆資料館を訪れたときと、同じ感覚になりました。あまりにも悲惨な状況で、これが現実に起きたことなんだろうか、という感覚と、実にリアルに迫ってくる恐怖感、の矛盾する2つの感覚。

 感想なんて、おいそれと言葉に出来ない。これは、この感覚を大事に覚えておこう、、、。そう思いました。

 ワルシャワ市民にとって、8月1日の17:00は、いまでも特別な時なのだそうです。恐らく、広島にとっての8月6日の8:15や、長崎にとっての8月9日の11:02と同じなのではないかと、、、。8月1日の17:00に、ワルシャワ市民はドイツ軍に対し、蜂起したのです。今も、その日、その時刻になるとサイレンが鳴り響くのだとか。


軍用機の展示も、、、

 ワルシャワ蜂起について、まだまだ知らないことだらけではあるけれども、それが起きた現地に行き、再生された街並みを見て、映画の中でシュピルマンが生きるためにひたすら逃げ、隠れたあの終盤の描写が、私には非常に説得力を持つものになりました。


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 曰く言いがたい、重苦しい気持ちになって博物館を出たら、外は何と、晴れ!! 快晴!! 風は相変わらず強いけれど、なんと爽やかな! 少しホッとなりました。

 さて、ここから、今度は、旧市街の王宮前広場の方に行こうということになり、歩くにはちょっと距離があるのでトラムに乗ることに。……と、テレテレ歩いていたら、まさにトラムが目の前にやって来た!! 

 というわけで、トラムの写真を撮りたかったのに撮りそびれました。……がーん、、、。黄色と赤がベースの可愛い車両だったのです。


可愛いトラム(画像は公式サイトからお借りしました)


 ……でもね、、、またこれも、王宮前広場に着く前に、途中で強制的に降ろされちゃいました。乗り換えが必要な車両だったみたい。がーん、、、

 王宮前広場、辿り着けるのかしらん?? 




その③につづく
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オン・ザ・ミルキー・ロード(2016年)

2017-10-05 | 【お】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 隣国と戦争中のとある国で、コスタ(エミール・クストリッツァ)は右肩にハヤブサを乗せ、村から戦争に行った兵士たちにミルクを届けるため、毎日ロバに乗って銃弾をかわしながら前線を渡っている。国境を隔てただけの近所で続く戦争がいつ終わるのか、誰にも分からなかった。

 それでも村には呑気な暮らしがあり、おんぼろの時計に手を焼く母親と一緒に住んでいるミルク売りの娘ミレナは美しく活発で、村の男たちはミレナ目当てでこの家のミルクを注文する。そのミルクの配達係に雇われているのがコスタで、ミレナはコスタに想いを寄せていた。戦争が終わったら兵士である兄ジャガが帰ってきて、この家に花嫁として迎える女性と結婚する。その同じ日に自分もコスタと結婚するという計画をミレナは思い描く。しかしコスタはミレナの求愛に気のない素振りで話をそらすばかりだった。

 そんな折、家に花嫁(モニカ・ベルッチ)がやってくる。ローマからセルビア人の父を捜しに来て戦争に巻き込まれたという絶世の美女である彼女とコスタは、お互いに人生を一変させるほどの重い過去の影があり、初めて会った瞬間から惹かれ合うものを感じる。

 まもなく、敵国と休戦協定を結んだという報せが舞い込む。久々に訪れた平和に村人たちはどんちゃん騒ぎを繰り広げる。やがて戦争が終結し、ジャガが帰還する。コスタの気持ちはさて置き、ダブル結婚式の準備は着々と進む。

 しかし、過去に花嫁を愛した多国籍軍の英国将校が、彼女を連れ去ろうと特殊部隊を村に送り込む。残忍な兵士たちによって村は焼き払われ、村人たちはみんな死んでしまう。村に帰る途中で蛇に引き留められたコスタは運よく生き残り、花嫁を連れて決死の逃避行を開始する。

 二人きりとなった彼らの愛は燃え上がるが、追手から逃げ切り、幸せをつかむことはできるだろうか……。
 
=====ここまで。

   
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 確か『エル ELLE』を見に行ったときに手にしたチラシを見て、本作の存在を知った。しかも、シャンテで上映するなんて意外、、、。クストリッツァの信者としては、まぁ、見なくっちゃね。モニカ・ベルッチも出ているし!


◆これまでとは何かが違う、、、。

 というわけで、見に行ったんだけれども、予想に反して重くて、しかも直球真ん中ストレートの悲劇、ってことで、いささか戸惑ってしまった。

 ストーリーはあってないようなもんで、これも、これまでのクストリッツァ作品とは若干趣を異にすると言えるかも。今までの作品は、ちゃんとした背骨があったのだけど、本作も、まあ、あるっちゃあるんだけど、それはストーリーというよりは、むしろ“反戦”という、イデオロギーとまではいかないまでも彼の信念みたいなものであり、もしかして本作が集大成のつもり? などとまで考えてしまい、それはそれでイヤだなぁ、寂しいなぁ、、、と複雑な気持ちになった次第。

 『アンダーグラウンド』を劇場で見た時の衝撃は、今でも忘れられない。もう、とにかく全てに圧倒されてしまい、終わった後もしばらく立ち上がれないほどだった。良い映画は世の中にごまんとあるが、ある意味、『アンダーグラウンド』は良い映画とは言い切れず、しかし、ツボにハマってしまった人にとっては、これ以上の映画はない、と思ってしまう、そういう映画だ。

 『アンダーグラウンド』の凄さについては、いずれ別記事で書く気になれば書こうと思うが、あの作品の魅力は、とんでもなく悲惨な話であるにもかかわらず、それをユーモアと溢れるパワーで描いているので、基本的には人生賛歌になっていることにある。戦争が悲惨な現実しかもたらしていないからといって、決してシニカルに世界を眺めているのではなく、とにかく「絶望の中でも生きる」ことをひたすら描いている。生きる意味など問わない。

 その後、何本も彼の映画を見たが、生きることを、何の前提もナシに全肯定して突き抜けているのが、彼の作品に通底しているものだと思う。

 本作も、ベースは同じだと思うのだが、突き抜け感はなかった。全編にわたって、暗い。もちろん、ナンセンスな、あるいはユーモアのあるシーンも織り交ぜられてはいるが、、、これまで彼の作品から発せられていた強烈なエネルギーは、感じられなかった。それ故、彼も歳をとったのか、、、と思ってしまったのだ。

 本作の評をあちこちで読んだけれども、これまで同様「パワフル」「賑やか」「ハイテンション」「エネルギッシュ」……といった言葉が並んでいた。でも、私には、本作の賑やかなシーンは、そうは見えなかった。これまでの作品が完全なる人生賛歌だったとすれば、本作は、人生の悲哀を全編に感じたといっても良いかも。

 従来のノリを期待して見に行っていたから、期待を裏切られた感じはあるけれど、でもまあ、やっぱしクストリッツァは不世出の映画監督であることは、本作からも確信させられることは間違いない。


◆女性を称えた映画 byクストリッツァ

 本作は、クストリッツァ初のラブストーリーと言われているけど、彼は基本的に人間愛、つまり愛を一貫して描いてきているわけで、本作を“ラブストーリー”だとフォーカスするのもなんだかなぁ、、、という感じがする。

 ただ、本作に暗さを感じる要因は、主人公2人の男女のキャラにあるように思う。つまり、花嫁の方は生きることに貪欲な一方、コスタの方は花嫁を守ることには必死だが、あまり自身の生への執着は感じられないのだ。花嫁を守るためには自分が死んでしまってはダメだ、という感じなのである。

 おまけに、終盤、その花嫁が悲惨な死を遂げることも、暗さを感じることに関係していると言える。しかも、この花嫁のために、コスタの暮らしていた村の人々は全滅させられているのである。それはもう、むごい方法で。この花嫁は、美人にありがちだが、自分の美しさを十分自覚しており、「私の美は不幸しかもたらさない」みたいなことをシャーシャーと言ってのける。コスタに守ってもらっておきながら。

 そんな花嫁の描写に説得力を持たせているのが、モニカ・ベルッチの美貌であるのは言うまでもない。絶世の美女だからこそ成立する悲劇なのだ。

 さらに言えば、花嫁が死んで15年後のコスタが、ラストシーンで描かれるのだが、どうもそのシーンが宗教っぽく感じられ、それもちょっと重さを感じた要因であり、違和感を覚えた。

 果たして本作は、本当にラブストーリーなのかなぁ、、、。

 『レオン』では、マチルダを守らざるを得なくなったレオンとマチルダの間に、恋愛の“愛”があったと感じたけれど、本作のコスタと花嫁の間には、なんというか、人として守らなきゃダメだろ、的な生き残った者同士の同志愛をコスタには感じたのだけど。

 パンフでは、「あなたは初めてラブストーリーを作りましたがなぜでしょうか?」という質問に対し、クストリッツァはこう答えている。

 「僕の映画はいつも、自分がどのように人生をとらえているかを示しているのです。今後は、自分を愛のために捧げたいと思います。そう、愛のためにこそ行動を起こしたい、残りの人生は、そう思い続けるでしょう」

 やっぱり、私には、狭い意味でのラブストーリーではなく、人類愛的な意味でのラブストーリーという風に感じるのだけれど。

 ちなみにクストリッツァは、本作について「今回は女性のための映画だと思っています。女性たちがパワーを見せつけているのです。男たちは、彼女たちが目標を達成することを時折手助けしているだけです。これまで何本も映画を撮ってきましたが、“女性を称えた映画を作るときがやってきた”と悟りました」と言っている。


◆お約束のシーン盛りだくさん。

 これまでのクストリッツァ映画と違う! とは感じたものの、クストリッツァ映画のお約束は本作でもしっかり守られていた。

 動物がいっぱい出てくること、結婚式のシーン、水中を花嫁が泳ぐシーン、空中浮遊するシーン、そしてバルカンミュージック、、、、どれも全部あった。

 特に、動物が本作ではひときわ活躍する。鍵になるのは蛇。蛇がミルクを飲むシーンとか、コスタに絡みついて身動きとらせなくしたりとか、すごく大事な存在として活躍する。動物のシーンは、蛇がコスタや花嫁に絡みつくシーン以外はCGナシだったというのだからオドロキ。コスタがいつも肩に乗せているハヤブサが、音楽に合わせてリズムをとるシーンは最高。

 相変わらず、画的な美しさは素晴らしく、これはスクリーンで見なきゃもったいない。セルビアのタラ山という山岳地帯と南部中心都市トレビニェでのオールロケで、撮影に3年掛かったというのも納得。

 愛の逃避行の相手に、決して若くはないけれど絶世の美女モニカ・ベルッチを選んだ辺りがニクい。ファンタジーの中の、妙なリアリティ。

 クストリッツァ教の信者の多くは本作を見ているはずだが、皆はどう感じたのだろうか、、、。興味津々。








『アンダーグラウンド』を超える作品は早々出てこないとは思うが、次作を期待。




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サーミの血(2016年)

2017-10-03 | 【さ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 北欧の少数民族サーミ人の少女が、差別や困難に立ち向かいながら生きる姿を描いたドラマ。

 1930年代、スウェーデン北部の山間部に居住する少数民族サーミ族は、支配勢力のスウェーデン人によって劣等民族として差別を受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通うエレ・マリャは、成績も良く進学を望んだが、教師からは「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げられてしまう。

 ある時、スウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで、エレは都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。スウェーデン人から奇異の目で見られ、トナカイを飼育しテントで暮らす生活から抜け出したいと思っていたエレは、ニクラスを頼って街に出る。
 
=====ここまで。

 果たして街に出たエレはどうなったのか、、、。

   
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 昔、NHKで「ニルスのふしぎな旅」のアニメを放映していたんだけれども(原作未読)、その中で、主人公の少年ニルスが、がちょうのモルテンと旅をして向かう先が“ラップランド”だった。当時の私には、ラップランドは北欧のどこか、くらいの認識しかなく、それがどの辺りなのかとか、引いてはラップランドという言葉自体に差別的な意味合いがあるんだとか、全くもって知らなかったし、実は、本作を見るまで恥ずかしながら“サーミ人”という存在さえ知らなかった。

 正直なところ、ラップランドという言葉にはもっとメルヘン的なものを感じていたくらいで、それというのも、もちろん「ニルスのふしぎな旅」が大好きで毎回欠かさずTVにかじり付いて見ていた影響も大きいし、何より、サンタクロースの住む地、という刷り込みがあったことも大きい。「ニルスのふしぎな旅」のオープニング曲は、今も諳んじて歌えるほど染みついているものの、ストーリーはかなり忘れている。ただ、あのアニメの中で、ラップランドに住むサーミ人は出てこなかったと思うし、そのような先住民族差別がはびこっていることは微塵も感じさせないものだった。

 今回、本作を見て、改めて先住民族に対する差別・偏見が世界的なものであることを認識し、本作の中では、サーミ人という呼称とともに、蔑称的に「ラップ人」という呼び方もされており、改めて、自分の無知ぶりを思い知った次第。


◆「あなたたちの脳は文明に適応できない」

 これ、面と向かってエレが教師に言われるセリフなんだけれども、正直、このシーン、卒倒しそうなくらい驚いたというか、頭がクラクラした。まぁ、その前にも、スウェーデン人の研究者を名乗る男性が、エレたちサーミ人の体格や骨格を測定し、統計を取るシーンがあって、その測定の方法が、今から見れば明らかな人権蹂躙なもんだから、そこでも少々クラッと来たんだけど、、、。

 それにしても、このセリフの破壊力は凄まじい。
 
 エレにこう言い放った教師のいる学校とは、「移牧学校」と呼ばれる、トナカイ遊牧の子どものための学校。パンフの解説によれば、これは、1913年に発布された学校法によって設立され、トナカイ飼育業の児童を公立の基礎学校から排除するためのものだったという。それ故、教育内容も公立の基礎学校に比べてはるかに質の低いもので、言葉はスウェーデン語を強要する一方で、あくまでサーミ社会に閉じ込めるためのものだった。

 他の北欧諸国同様、サーミに対する同化政策が行われたけれども、定住しないトナカイ遊牧サーミに対し、スウェーデンでは社会から排除する政策がとられた。1900年に入ると、人種生物学の影響を受けて、同化から分離へと転換していった(その一片が、あの屈辱的な身体測定のシーンにつながるのだと思われる)。この分離政策によって、サーミは、他の人種より劣った「特異な人種的特徴」を持って生まれてくるものとされた、っていうんだから、教師のあのセリフが飛び出すのも当然な環境だったというわけだ。

 まあ、どこにでも偏見・差別ははびこっているものだが、「文明に適応できない脳」という差別の言葉は、生まれて初めて聞いた。しつこいようだけれども、本当に凄まじい破壊力のある言葉だと思う。


◆「こんな見世物みたいな暮らしはイヤだ!」

 教師にそんな暴言を浴びせられても、エレは泣き喚いたりせずに、現状打破のためにとにかく行動に出るのだから、その胆力たるや、こちらも凄まじい。

 この2つの“凄まじい”がぶつかり合う本作は、正直言って、見ているのがツラい。もちろん、偏見・差別の不条理ゆえのツラさもあるけれども、エレの現状から脱出するための突破力が、あまりにも直線的に過ぎるのだ。それほど、エレの信念は何ものにも破壊などされることのない、強固なものなのだ。

 まず、サーミのシンボルでもある衣裳を脱ぎ捨て、列車内で盗んだ黒いワンピースに着替える。そして、お祭りでほんの少し踊っただけのスウェーデン人男性ニクラスを頼って、ニクラスの自宅を訪ねるのだ。生憎ニクラスは不在で、一旦、ニクラスの母親に門前払いを喰らうがエレは食い下がる。「ニクラスが訪ねて来いって言ってくれた。泊めてくれると言った」と言って、半ば強引に家の中に入り込み、泊まり込んでしまうのだ。

 夜中に帰宅したニクラスは、部屋で寝ているエレを見て、「え? 誰?」などとヒソヒソ声で母親に言っている。母親は「勝手に人を招待しないで!」と怒っている。エレはそれを寝たふりをして聞いている。

 しかも、その後、ニクラスの部屋に行って、セックスまでしてしまう。この一直線な行動が、もう恐ろしいほど。

 翌朝、ニクラスの両親は、「彼女はラップ人だ」と言って、家から追い出すようにニクラスに仕向けるが、このニクラスも、イイ奴なんだかイイ加減な奴なんだか、ここではエレを追い出しておいて、その後、パーティーで再会したときはエレに優しくするなど、イマイチ分からん奴だった。まあ、若い男の子だから、その辺、あんまり考えなしで行動していても不思議ではないが。

 エレは、その後も、ある学校に潜り込んで、そこの生徒になるんだけれど、その成り行きが今一つよく分からなかった。まさしく、“潜り込む”って感じだったんだけど、あんな風に学校って生徒を受入れるものなのか? 

 結局、学校から学費を請求されたエレは、ニクラスに借金を願い出るものの、さすがにここでニクラスは手を引いた。そこで、仕方なく、エレはトナカイ放牧をしている親元に戻って、学費を親に出してくれとお願いするが、当然、拒否される。ここでもエレはめげず、「こんな見世物みたいな暮らしはイヤだ!」と叫んで、自分のトナカイを売るために殺してしまう。それを見ていたエレの母親は、父親の銀のベルトを差し出して「出て行け」と言う、、、。

 トナカイは、遊牧民にとっては財産そのものだというから、エレの信念の強さを表わす象徴的なシーンということだろう。


◆その他もろもろ

 エレを演じたレーネ=セシリア・スパルロクは、彼女自身もサーミ人のトナカイ遊牧民だそう。彼女のインタビューを読むと、サーミ人であることに誇りを持っていることが窺える。

 インタビュアーに「何頭のトナカイを飼っているんですか?」と聞かれ、彼女は「その質問は、“あなたはいくら貯蓄を持っていますか?”と聞かれているのと同じなので、答えられません」と答えている。

 彼女は本作が初の演技ということだが、正直言って、日本のつまらないドラマに出ているタレントだかモデルだか分からない“自称俳優”より、何万倍も素晴らしい演技だったと思う。おまけに、彼女は謙虚だし。

 トナカイ遊牧の光景は、何とも言えない情緒があり美しい。ただ、エレの目を通して描かれた光景だけに、どうしても暗く、重苦しさがつきまとうけれど。

 エレには妹がいる設定で、この妹は、実際にレーネの実の妹とのこと。本作では、妹は生涯サーミ人の遊牧民として生きたことになっている。この妹が亡くなり、その葬式に、エレが息子につれられて参列するシーンに始まり、過去を回想し、エンディングで葬儀のシーンに戻るという構成。

 冒頭とラストで出てくる老いたエレは、正直、あまり幸せそうには見えない。けれども、息子たちにも恵まれ、彼女は彼女の信念を貫いた人生だったはず。何かを得るためには、何かを失うことは覚悟しなければならない、、、というと陳腐すぎるけれど、エレにとっては、それが陳腐などと言っていられない、切迫した人生の選択だったのだ。

 










サーミを捨てたエレの人生は、果たして幸せだったのか、、、。




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ハイジ アルプスの物語(2015年)

2017-10-01 | 【は】



 日本人なら知らない人はいない、あの「アルプスの少女ハイジ」の実写映画。

   
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 ハイジの実写映画が公開されていることは知っていたけど、以前、「フランダースの犬」の実写版をBSで見て、激しくガッカリした記憶があるので、今回もスルーしていたのだけど、ツイッターで斎藤環氏が「めちゃめちゃ良かった」などと書いており、何やら評判が良さそうだし、よく見れば、おじいさんはあのブルーノ・ガンツが演じているではないか!というわけで、俄然見たくなってしまい劇場へ行ってまいりました。これは、見て正解。大スクリーンで見るべし!!

 どーでも良いけど、私が生まれて初めて買ってもらったレコードは、「アルプスの少女ハイジ」のテーマ曲のレコードでした。A面がオープニング、B面がエンディング。買ってもらってすご~~く嬉しかったのを今もハッキリ覚えております。飽きるほど何百回も聞いたなぁ、、、。


◆椅子が2つになった、、、涙。

 ハイジは、叔母さんに連れられて、アルプスの山麓に住むおじいさん(おんじ)の下へ、半ば置き去りにされるような形で預けられる。おんじ(ブルーノ・ガンツ)は変わり者で、ハイジにも冷たく当たる。……と、まあ、アニメ版と同じ流れ。

 ハイジは、おんじの部屋を見て言う。「おじいさんはいつも一人なの? 椅子も1つしかないの? ベッドも1つ……」(セリフ正確じゃありません)。当然、おんじは無言で答えない。その後、ハイジの可愛さに負けたおんじは、ハイジがペーターとヤギの放牧に行っている間に、手慣れた作業で、木材を加工し始める。そして、放牧から帰ってきたハイジが部屋に入って、真っ先に目に入ったのは、真新しい2脚目の椅子、、、。そのときのハイジの嬉しそうな顔!!

 割と序盤のシーンなんだけど、既にここで私の涙腺は決壊。うっ、、、、。これでは先が思いやられる。

 椅子が2つに増える前に、ハイジを放牧へ送り出すときに、おんじが、チーズとソーセージを切り出して、布巾に包んでハイジの背負い袋に入れるシーンがあるんだけど、これが、何だかジーンとなる。それはもちろんお弁当なんだけれども、何というか、そのおんじの一挙手一投足に、おんじの優しさが垣間見えるんだよなぁ、、、。

 おんじは、麓の町では変人扱いされており、「人を殺したって話だよ」なんて噂されている。時代は逆行するけど、かつては総統閣下だったもんなぁ、、、ブルーノ・ガンツ。……と、ネットでも同じツッコミをしておられる方はいらっしゃいましたね、やはり。みんな思い浮かべることは同じなのね。


◆一人に戻ってしまったおんじ、、、また涙。

 せっかく、おんじとハイジの穏やかな生活が続いていたところへ、またまたあの叔母さん登場。結局はお金目当てでハイジを(今なら確実に誘拐で逮捕だね、ありゃ)強引にフランクフルトまで連れて行っちゃう。

 ハイジがペーターと一緒に戻ってこないので、おんじは大パニックに、、、。ここで再び涙腺決壊。おんじの哀しそうな顔、、、。ハイジが来たことで、人と暮らすことの良さを思い出したのであろうおんじ、、、。切ないなぁ。

 で、この後、ハイジがこのアルムに戻ってくるまで、おんじ=ブルーノ・ガンツが出てこないのです。これも寂しい。まぁ、出て来たとしても、黙々と一人で暮らすひたすら寂しそうな姿しかないだろうし、シーンとしては確かに成立しにくいよなぁ。

 一方、拉致られたハイジは、ペーターと放牧している最中にそのまま電車に乗せられ、、、というわけで、服もボロボロ、まさに野生児のルックスで、あのゼーゼマン家に現れた。あのまんま連れて行っちゃう叔母さんは、やっぱりヒドイ人だ! と憤りを感じるけれども、パンフを読むと、当時のスイスは非常に貧しくて、現金収入はなかなか得られず、多くの人が国外へ流出していたのだとか。……という背景を知ると、叔母さんの言動も、まあ、時代ゆえの仕方のないことだった、、、とも言えるのかも。

 ゼーゼマン家では、いきなり食事のシーンになり、ハイジはボロのまんま、スープ皿を両手で持ってそのまま皿に口を付けてズズ~~ッと音を立てて飲むという荒技に出て、ロッテンマイヤーさんに「こんな野生児だったとは……」と言わしめる。でも、傍らのクララは面白そうに見ている。このクララの性格の良さと、セバスチャンの優しさが、また泣けるんだよなぁ、、、。


◆夢遊病になるハイジ、アルムに戻っておんじと再会するハイジ、、、またまた涙。

 本作は、展開が非常に早く、ストーリーも、カルピス劇場のアニメと大きく違わないと思う。黒パンと白パンの話も当然出て来て、ハイジが白パンをこっそり集めていたり、窓から外の景色を眺めて「どうして山がないの?」とセバスチャンに尋ねたり、、、とおなじみのシーンが続く。

 幽霊騒ぎも起き、夢遊病になるハイジの姿はやはり泣ける。

 でも、もっと泣けるのは、ハイジがアルムに帰ると決まったときのクララの反応。賢くてよい子のクララが、ハイジが帰ってしまうことに激しく動揺して、お父さんのゼーゼマン氏に泣き叫んで、テーブルの上の皿を床にぶちまける。……文字にするとそれだけのことなんだけど、ハッキリ言って、この時のクララの気持ちが痛いほど伝わってきて、とっても切ない。その騒ぎを、物陰で聞いていしまうハイジもまた哀しい。

 セバスチャンに付き添われてアルムに帰るハイジは、それでもやっぱり、とっても嬉しそう。「おじいさ~~~ん」と叫びながら走ってくるハイジを見たときのおんじも、持っていた木材を取り落としちゃって、メチャメチャ嬉しそう。……はい、ここでも泣けるのはお約束。

 その後、クララがアルムにやって来て、ハイジと2人、自然で戯れるシーンはとにかく美しい。このシーンがスチール画像に使われているけど、ホント、このシーンだけでも見る価値ありだと思う。ハイジがクララに、スープを皿ごと飲んで、その後皿をペロペロ舐めて、口も手で拭いちゃう、、、という“お作法”を実践して見せて、クララも真似するシーンとか、ホント、可愛い。

 クララが立つ瞬間は、割とあっさりした描写で、アニメみたいにハイジが大騒ぎする感じではなかったかな。でもまあ、その後、ゼーゼマン氏もアルムにやって来て、ゆっくり自力で歩くクララを見るシーンは、ちょっと感動的に描いているけれど。


◆ハイジのその後が暗示される

 アニメの記憶がかなり曖昧なんだけど、アニメでは、ハイジのその後を思わせる展開は、あったんですかね? 本作では、ゼーゼマン家にいる間に、ハイジは、字が読めるようになり、アルムに戻ってきてからは、ペーターに字を教えてあげたりもするほどで、本も読んでいる。そして、学校にも行って、将来は「作家になる」と言うシーンもある。

 ハイジがこんな将来を思い描いたのは、クララのおばあ様の影響が大きいんだと思う。おばあ様は、字の読めなかったハイジに、絵本の読み聞かせをすることでハイジが字を覚えるように誘導したり、「あなたは外の世界も見た、やりたいと思えることがあるのなら誰がなんと言おうとやらなきゃだめよ」などと言ったり、ハイジの意識を覚醒させる存在だ。

 原作はどうなのか知らないが、感受性豊かなハイジなら、物書きは向いているかもしれない。

 ただ、この時代、女性が、ましてや親のいない女性が独り立ちして生きていくのはかなり困難だったろうと想像する。まあ、本作を見てそこまで心配する必要なないけれど、、、。例えば、ロッテンマイヤーさんは、いわゆるガヴァネスだったと思われる。途中で、ゼーゼマン氏に色目を使っていると思しきシーンがあるけど、ガヴァネスから脱出するのであれば、妻亡きゼーゼマン氏に見初められることが一番の近道なのだ、、、。アニメを見ていた頃は、ただのヒスおばさんとしか思っていなかったけど、学だけあって経済的バックグラウンドのない女性にとっては辛い時代だったのだ。

 ハイジも知的好奇心旺盛な子のようだから、きっと学は身につくだろうが、、、。物書きといっても、女性が本名で作品を発表することも難しい時代。それで食べていくことなどもっと難しいと思うが、、、。


◆その他もろもろ

 なんと言っても、ハイジ役のアヌーク・シュテフェンが、メチャメチャ可愛い! ただ顔が可愛いというのではなくて、まあとにかく、その存在自体が愛おしいと思える魅力溢れる子だ。本作が初めての演技経験というのだから、ビックリ。クララ役のイザベル・オットマンは、可愛いというより美人。しかも、品もあって、個人的にはアニメ版のクララよりイザベルちゃんのクララの方が好き。イザベルちゃんはプロの役者だそうだけど、2人の息はぴったりで可愛さ倍増。

 ペーター役の子も、本作が初めての演技経験とのこと。顔がね、、、よくこんなピッタリな顔の子を探してきたもんだ、と思うほど、ペーターに合ったキャラで、この3人の子役の配役で、本作は半分成功していると言っても良いのでは。何より、子どもたちをこれだけ生き生きと描くよう演出した監督の手腕が素晴らしい。

 そして、ブルーノ・ガンツのおんじは、期待通り、いやそれ以上かな。ブルーノ・ガンツと言われなきゃ分からないかも。

 特筆事項は、アルプスの自然の美しさ。これはスクリーンで見ないと損だと思う。CGナシとのことで、ホントに美しい。夏の景色も美しいが、私は、冬の雪に覆われた景色が感動的に美しいと思った。その斜面を、おんじとハイジの乗った橇が滑降していくシーンだあるのだけど、息をのむ美しさとスピード感は、スクリーンでなければ味わえない素晴らしさだと思う。

 あと、セバスチャンを演じたペーター・ローマイヤーが、出番は多くないけど良い味出していたと思う。さりげない優しさって、表現するのは難しいと思うけれど、ローマイヤー演ずるセバスチャンは、まさに、さりげない優しさの持ち主。ユーモアもあるし。

 ロッテンマイヤーさんは、キャラはアニメと同じだけど、見た目はアニメよりゼンゼン美人。どこかで見た顔だなぁ、、、と思っていたら、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』に出ていたカタリーナ・シュットラーさんだった。『ヒトラー暗殺~』では、険のある美人だけど嫌な感じの顔だと思ったけど、本作では、キャラはキツいけど顔は正統派の美人だと思った。演じる役で顔の印象まで変えられるというのは、良い役者さんの証拠だと思うわ。

 ……とにかく、アニメの実写版かぁ、、、と侮ることなかれ。
 






心洗われる逸品。




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