映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

オレンジと太陽(2010年)

2020-06-23 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv49626/


 イギリス、ノッティンガムでソーシャルワーカーとして働くマーガレット・ハンフリーズ(エミリー・ワトソン)は、ある晩、養子に出された人々をサポートする座談会を終えて帰ろうとしたところで、シャーロットと名乗る見知らぬ女性から「オーストラリアから来た。私はイギリスで生まれてオーストラリアに送られた。実の親を探している。自分が誰なのか知りたい」と声を掛けられる。

 最初は「そんなことは違法だからあり得ない」と取り合わなかったが、シャーロットの切実な訴えに疑問を抱き、調べ始める。その数日後、座談会で、「オーストラリアの男性から、私はあなたの弟だと思う」という知らせを受けた、という女性の話を聞き、マーガレットは本気で調査を始めることに。

 果たして、シャーロットの訴えは事実であった。かつてイギリスは、施設に保護されていた子どもたちを、親の同意も得ずにオーストラリアに大量“移民”させていた事実が浮かび上がる。オーストラリアへ調査に飛んだマーガレットが見たものは……。

 あの、ケン・ローチの息子、ジム・ローチの監督デビュー作。


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 岩波ホールも13日から再開。再開のプログラムは「岩波ホールセレクション」と題して、過去の上映作品の中から選りすぐりの名作を再上映。第一弾が、本作でありました。日本で公開されたのは2012年。公開時は、見に行きたかったのだけれど、何だかんだと結局行けずに終わってしまっていた。今回、思いがけないリバイバルの機会に恵まれ、見に行って参りました。


◆児童移民

 イギリスが子どもたちを大量にオーストラリアに移民させていた話らしい、、、という程度の前知識で見たのだが、内容の重苦しさの割には、暖かみの感じられるキリッと引き締まった良作だった。

 マーガレットが身を挺して活動したことで、“児童移民”の事実が明るみに出て、移送された大勢のかつての子どもたちが自分のルーツを知ることができたのだが、彼女の行動の原動力は、国家犯罪を暴くとか政府を糾弾するとかでは一切なく、飽くまでも、被害児童たちの「親に会いたい」という思いに応えたい、というところにある、ということが一貫して描かれているのが好感を持てる。それをエミリー・ワトソンの演技が説得力を持って見ているものに訴えてくるのが素晴らしい。

 被害の実態は、再現映像は使わず、大人になった児童移民させられた本人たちの語りで明らかにしていくというのも良いと思った。あまりにも悲惨な内容だからというのもあるが、本人たちの抱えてきた苦しみがよりストレートに伝わってくる。決して、「辛い」「哀しい」というような単純な言葉で表現できるものではないということが、彼らの訥々とした語りに凝縮されている。

 オーストラリアで単身調査を続けるマーガレットには、妨害行為に及ぶ教会関係者たちもおり、彼女は身の危険を感じながらの活動を続けてきたわけだ。もちろん、そんな彼女を手助けする者たちもいるが、それはかつての移民児童たちであり、飽くまでもマイノリティである。マジョリティはそんな出来事にそもそも関心もないのである。

 そんな内容なのに暖かみが感じられるのは、ひとえに、マーガレットを演じるエミリー・ワトソンが素晴らしいことに尽きる。前述したとおり、彼女の活動は、飽くまでも被害者目線で、正義の味方を気負っていない。彼女が活動することにより、被害者たちの凍っていた心が少しずつ氷解していくから、悲惨な事実の冷たさよりも、救われる暖かみが勝るのだろう、、、と思う。


◆またもや教会が悪の巣窟、、、

 それにしても、この“児童移民”はついこないだと言ってもよいくらいの1970年まで4世紀にわたって続いていたというのだから驚きだ。もちろん、この政策は非人道的ではあるが、この児童たちはイギリスでも生育環境が劣悪であった者が多く、移民されていなければストリートチルドレンになっていたか、裏社会の餌食になっていたか、、、いずれにせよ、イギリスにいた方がマシだったという保証はないのである。

 この事実で、最悪なのは、仲介した組織(主に教会)が、搾取していたことだ。つまり、児童たちを過酷な労働につかせ、虐待し、大人たちの都合の良いように扱っていたことにある。特に、教会に送り込まれた子どもたちは、多くが性的虐待に遭っていたことが窺われる。

 正直、またかよ、、、、という気分になった。もう、これって普遍的な現象といってもよいのではないか。キリスト教だけじゃないだろう、多分。映画になっているのはカトリックが多いけれども、宗教の持つ体質が、そもそもハラスメントを産みやすい仕組みになっているんだから。……というより、人間社会にはハラスメントが付きものだと言っても過言じゃないかもね。

 マーガレットに最初はネガティブな態度だったレン(デイヴィッド・ウェナム)が、徐々に心を開いていくのだが、彼は「8歳を最後にオレは泣き方を忘れた」と言っている。レンの悲惨な体験の場となった教会を2人で訪れた後、マーガレットは精神的にヘロヘロになるのだが、レンは「何も感じない」と言って、飄々とさえしている。この終盤のシーンは涙を禁じ得ない。

 この政策については、本作撮影中に、イギリス、オーストラリア両政府が正式に謝罪をしている。

 どの国にも恥ずべき歴史は必ずあるわけで、それを認めて謝罪するというのは、非常に難しい。人道的に謝罪したいと時のトップが考えても、補償問題が併せて発生することを思えば、容易に行動に移せないのも仕方がない。だからといって、事実を否定して良いはずはなく、日本にとっても何十年もの課題だが、帝国主義の名の下に植民地政策や奴隷貿易を推進してきた欧州各国はこれから直面することになるかもね。日本の場合は、隣国が、アフリカよりも早く国力を付けたから、欧州よりも早く直面せざるを得なかったわけで。欧州の対応次第では、日本はさらに窮地に立たされるかも知れない(欧州が歴史修正などせず誠実に対応して思いのほか早く結着した場合、日本の隣国の責めは苛烈さを増すだろうから)。


◆その他もろもろ

 エミリー・ワトソン、とっても素晴らしいのだけれども、実年齢以上に老けて見えたのは気のせいか、、、。ボクサー(1997)でDDLとのラブシーンを演じていた頃の可愛さは、、、、。と言っても、あの映画も彼女が30歳の頃だから、もう十分大人の女性だったのだけれども。

 私がグッときたのは、エリザベスの夫マーヴの素晴らしさ。あんなに妻に寄り添える男がこの世にいるのか、と信じられない思いで見ていた。もちろん、映画だから美化している部分もあるだろうが、現実に、この夫婦は今も活動を続けているというのだから、やはり妻の最大の理解者であることは間違いないだろう。こんな伴侶を持てるというのは、お互いにとってとても幸せだ。

 監督のジムくんは、ビッグネームの父親を持っていろいろプレッシャーがあったと思うけれど、デビュー作でこの完成度の高さって、やはり“血”なのかねぇ? 本作を撮る前にもドキュメンタリーを何作か撮っているらしいが、ドキュメンタリーとドラマじゃ、やっぱしゼンゼン違うと思うのよね。

 インタビューで「“ローチ”という姓を持つことの良い面・悪い面は?」と問われて「僕にはどうにもできない」と率直に答えているが、そんな陳腐な質問すんなよ、って話。お父さんとの関係は、とっても良好の様子。

 本作の後には、何か撮っているのかしらん? まあ、才能はあるようなので、是非、精力的に活動していただきたいものです。

 

 

 

 

 


「毎朝オレンジが食べられるよ」と言って連れて行かれた豪州で待っていたものは……。

 



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レ・ミゼラブル(2000年)

2020-06-21 | ドラマ

作品情報⇒https://movie-tsutaya.tsite.jp/netdvd/dvd/goodsDetail.do?pT=0&titleID=0081617959


 「2000年、フランスでTVシリーズとして製作された作品。ジェラール・ドパルデュー、ジョン・マルコヴィッチの2大名優の競演で贈る文豪ヴィクトル・ユーゴーの傑作。全4話を短縮した英語版“インターナショナル・バージョン”での収録。」

 上記は、amazonからの商品内容のコピペ。フランス語かと思って借りたのに英語だった、、、。 


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◆英語で2度目の撮影したのか?

 レミゼの鑑賞比較も、とりあえずは本作で終了。折角だから最後は本家フランス版を!と思って借りたのに、なんとまぁ、アメリカ向けに英語で撮られたものだったという、がっかりなオチ。

 短縮版だとは知っていたので短いのはともかく、しかし、英語で吹き替えではなく、ドパルデュー(以下ドパ)もシャルロットもみんな英語でセリフ喋ってるんだよね。……てことは、つまり、同じシーンを全部2回撮りしているってことだよね? フランス語と英語で。そらまた面倒なことをなさったもんです。

 なぜそんな手間も時間もかかることをしたんだろうか。後から英語のセリフを乗せる方法ではダメだったんだろうか。演技って、そんなに何度もできるものなのかねぇ? そら舞台俳優は何度も同じことをしているけれども、それだって、その舞台はその1回限りでしょ。迫真の演技をして、「はい、もっかい今度は英語でね~!」ってどーなんだろう??

 いくら英語圏向けだからって、そんなことする必要があるのだろうか? よく分からんねぇ。ドパ演ずるバルジャンが、コゼットに英国移住を告げる際に、英語で「英語が喋れるようになる」ってセリフ言ってんだけど、コゼットが返すセリフも当然英語なんだよ。既に英語喋ってるじゃん!ってツッコミは野暮も承知だけれど、それヘンでしょーよ、って見ていて思ったわ、マジで。

 まぁ、本筋には関係のないことだけど、一番気になったのはココかもね、本作では。


◆感じたことなどモロモロ

 8時間だか6時間ある本編を、3時間に短縮したってことは、半分以上がカットされているわけだから、それを見てレビューを書くってのはどーなのか? という気がするけど、ま、いいか、、、ということで、いつもどおり勝手なことを書きます。

 ま、カットしまくった割には、結構シーンがちゃんとつながっていたように思うけれど、カットしまくったせいで、すごくダサいドラマだと感じてしまった。お好きな方、、、ゴメンナサイ。

 おそらく完全版ならばその辺がきちんと構成&編集されていて、見る者を納得させるように仕上がっているんだろうけど。どの辺がダサいかというと、カットしまくった以上当然ながら、話の展開はブツ切りで、“あーでこーでこーなりました、んで、次はこーなってあーなりました”、、、みたいな感じなのだ。一応、破綻がないようにつないでいるので、却ってそれが余計にダサい。

 セリフで説明させているわけではないんだけど、ストーリーを追うだけになってしまっているんだろうなぁ、、、多分。思い切ってナレーションを入れるとかして、もう少し編集を工夫しても良かったんじゃないか、という印象を受ける。

 あと、囚人のときの若いバルジャンはドパの息子のギヨームが演じていたらしいんだけれど、短縮版ではほんの一瞬しか映っていなくて、すごく残念、、、。ギヨーム氏は父親と違って美男子だから見たかった、、、美男子の囚人。ドパ自身は、私はあんまし好きじゃないので、どうしても見る目が厳しくなってしまうんだけど、いくら裕福になったからって、やっぱしバルジャンとしては太りすぎじゃないか? 特に後半。デカいというより、肥満だろう、あれは。

 コゼットが成長して、修道院のバルジャンの部屋に遊びに来ては、一緒に寝る!というシーンがあるんだが、あの肥満体型のドパ・バルジャンとコゼットが小さなベッドで抱き合って寝ているシーンは、ちょっと違和感あったなぁ。どう見ても、ドパのコゼットを見つめる視線は“男”であり、まあ原作のバルジャンもコゼットに女性として愛情を持っていたのは間違いないだろうが、こういう露骨なシーンはちょっとね、、、。実際のドパだったら、あんな風に若い女性を見つめていないで、さっさと上に乗っていたんじゃないのかね、、、などと下品なツッコミを内心入れていたことを、ここに白状いたしまする。

 そのコゼットは、キレイだが、声がすごいハスキー。まあ、これは好みだけど、私は結構良いと思った。問題は、マリウス。むちゃくちゃ暑苦しい顔で、ちょっとイケメンとは言い難い。コゼットとマリウスの配役は難しいなぁ。

 マルコビッチのジャベールは、なかなか良かったけど、私はやはり先日見たジェフリー・ラッシュに軍配ですね。特に、バルジャンに縄を解いて開放されるシーンの演技は、圧倒的にジェフリー・ラッシュの方が良いです。演技というより、演出の差だね。あと、自殺するシーンも、歩いて入水するより、背面から倒れて入水って方が画的にも良い。


◆レミゼの比較鑑賞結果

 ……というわけで、レミゼを3作比較鑑賞し、①先般のBBC版ドラマ版、②ミュージカル映画版、③アウグスト監督の映画版、そして④本作と、見比べてみて、私が一番良かったと思うのは、①。他は、③→④→②の順かなぁ。②と④は私の中では大差ない。

 これはドパがインタビューで言っていたが、この作品は、やはりドラマでたっぷり時間をかけて丁寧に描いてこそ、原作の良さと映像化する意味が出るのだと感じた次第。③は、バルジャンとジャベールにフォーカスすることで、尺を短くしながらも味わいを出していたけれど、原作を忠実に再現するのなら、やっぱり3時間じゃ厳しいだろうと思う。

 あと、これは原作に対しての感想になるが、結局、ユゴーは、“世の中カネや”と言いたいのか? ってこと。これは原作未読なので、これから読んで考えたいところだが、バルジャンも事業に成功して大金持ちになることで過去との決別を果たせたと言って良く、マリウスなど革命に参加しておきながら、のうのうと貴族社会に復帰してコゼットとよろしくやっている。この辺り、ユゴーがどう考えてこのような展開にしたのか、原作を読むのが楽しみでもある。

 そして、本作を切っ掛けに、【ドラマ】のカテゴリーを設定することにしました。このブログは、基本的に映画の感想を書くものという趣旨で、その他のドラマや旅行記は「番外編」としてきたけれど、番外編がちょっと闇鍋っぽくなってきてしまったので、整理することにしました。今後は、ドラマは別立てでカテゴライズします。劇場版とか、そういうのは、私が映画だと思えば映画に、ドラマだと思えばドラマに、とその辺はテキトーになると思います。


 

 


 

 


太りすぎのバルジャンはちょっとね、、、、。

 

コメント (4)
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お名前はアドルフ?(2018年)

2020-06-17 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71093/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 それは愉快な夜になるはずだった。

 哲学者で文学教授のステファン(クリストフ・マリア・ヘルプスト)と妻エリザベス(カロリーネ・ペータース)は、弟トーマス(フロリアン・ダーヴィト・フィッツ)と恋人、幼馴染の友人で音楽家のレネを自宅でのディナーに招く。

 しかし、出産間近の恋人を持つトーマスが、生まれてくる子どもの名前を“アドルフ”にすると告げたことから、事態は思わぬ展開に。“アドルフ・ヒトラーと同じ名前を子どもにつけるのか? 気は確かか!?”と、友人のレネも巻き込む大論争の末、家族にまつわる最大の秘密まで暴かれる羽目に。

 やがて、その話はドイツの歴史やナチスの罪にまで発展。ヒートアップした夜は、一体どこへ向かうのか……?

=====ここまで。

 邦題から、ナチ映画を連想するかも知れませんが、さにあらず。フランスの戯曲を、本家ドイツで映画化。


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 2月11日以来、4か月ぶりの劇場鑑賞。いやぁ、、、こんなに長い間、映画館に行かなかったのなんて、いつ以来かしらん?? 仕事帰りにシネスイッチ銀座で見て、終わってから夜の銀座を歩いたけれど、金曜の夜の銀座とは思えない閑散ぶり。人を避けずに真っ直ぐ歩けるなんて。宣言解除されてこれなのだから、解除前はゴーストタウンだったに違いない。

 映画ファンの間ではSNSなどで、“映画館が再開されてスクリーンで映画を見られたら泣く!”というような書き込みがチラホラあったけど、私は映画好きを自認しているけど、別に泣けもしなけりゃ涙も出なかった。ただ、宣言下ではまるで劇場に行く気がしなかったけど、解除されて劇場再開の報を聞いたら、また脳ミソが元のモードに勝手に戻っているのには我ながら笑ってしまった。

 ……というわけで、久々に見たのはドイツのシチュエーション・コメディでありました。


◆アドルフに告ぐ

 国書刊行会から、手塚治虫「アドルフに告ぐ」の豪華本が刊行されていて、これが2万円強もするのだけれど、欲しいなぁ、、、と思って某通販サイトをしばしば眺めている日々。給付金10万円が振り込まれたら申し込もうかな、、、などとセコいことを考えているところへ、本作の情報に触れたものだから、これまた“ナチもの”か? と思ったけれど、蓋を開けてみれば、そんな単純な映画ではありませんでした。

 ちなみに、「アドルフに告ぐ」では、アドルフという名の3人の人物を軸に物語が展開される。けれど、本作では、生まれてくる子にアドルフという名をつける、、、というのは、ストーリーを展開させる起爆剤に過ぎない。邦題は、それを狙ってのことかどうかは分からないが、かなりのミスリード。現代はドイツ語で“ファーストネーム”という意味らしいので、この邦題はどうなのか、、、。

 本作に一貫しているのは“人はいかにイメージでモノを見て判断しているか”ということ。それを、歴史や経済やジェンダーなどを肴にいろいろな角度から浮き彫りにしていくその脚本は、お見事と言うほかない。

 アドルフと名付けると聞いたときの大人たちの顔が、一様にフリーズしているのが可笑しい。日本ではそんなネガティブな意味でタブーなお名前、ないよねぇ。東条英機の「ヒデキ」なんて、タブー感、まるでないしね。むしろ、ヒロヒトとか、アキヒトとかの方がタブー、不謹慎かしらね。大分前に「悪魔くん」騒ぎがあったけれど、強いて言うならば、本作のパンフにもあるが、「子どものファーストネームで両親の精神が分かる」という側面はあると思う。

 トーマスは、皆に子どもの名前をアドルフにすることについて「(恋人の)アンナは賛成しているの?」と聞かれるが、それには答えず「(アンナは)ストレスで煙草ばっかし吸っている」と口走ると、皆一様に「妊婦のくせに喫煙しているのか?」とか「けしからん」という反応になり、「そんな女のことだから、アドルフなんて名前をつけることに頓着しないんだ!」と勝手に話が進んでしまう。トーマスは何も言っていないのにね、、、。

 さらに、母親が喫煙していると、「産まれてくる子の背が低くなるって聞いたことがある」「背が低いと社会的に不利だ」、、、などとステファンとエリザベスの夫婦は心配しているんだけど、それに対してレネが「じゃあ、プーチンは? トム・クルーズは?」と突っ込む辺りは、ドイツ人っぽいかもネ。劇場でも笑いが起きていた。

 アドルフという名前が引き金になって、いろんな偏見・思い込み・決めつけの言葉が飛び交うことになる。

 
◆ジェンダーの根深さ

 私が本作を見ていて序盤から気になっていたのは、アドルフのことではなく、エリザベスが一人でキッチンとリビングを行ったり来たりして食事の支度や片付けに追われていることだった。序盤に出ている4人のうち、女性はエリザベス一人。ドイツでもそうなのか、、、と。しかし、元はフランスの戯曲だから、ということは、フランスでもそうなのか、、、と。しかも、男3人は手伝おうともしないのだ。

 4人で話していて、話が佳境に入りそうになると、エリザベスはキッチンに行かなければならなくなる。「私が戻ってくるまでその話はちょっと待って」と頼んでおいても、戻ってきたら、男3人で話が進んでしまっている。私がエリザベスなら、男たちにもどんどん仕事振るのになぁ~と思いながら見ていた。

 すると、やっぱりこのことは伏線になっていたのだった。終盤にかけての展開は、エリザベスにフォーカスされるんだが、ここでエリザベスが吐くセリフが、いちいち説得力があるのは、そういう中盤までの描写があったからなわけで。エリザベスは、私より少し上の年代の設定になっているが、まあ、それくらいの年代だと、ドイツでもやっぱりそうなんかなぁ、、、という気もした。ジェンダーが根強く残っているのは、何も日本だけではないのだ。

 途中から、アンナが登場し、女性が増えると雰囲気が少し変わる。とはいえ、そこは、単純に男VS女などという図式にはもちろんならない。

 ちょっと、ポランスキーの『おとなのけんか』に似ているかな。あの映画ほど登場人物が戯画化されてはいないけれど、対立軸がコロコロと変わるところなどは同じ手法のように見える。『おとなのけんか』の方が、かなり意地悪な気はするが。

 舞台となるステファンとエリザベスの家がとってもステキで、インテリアにやたら目が行ってしまった。あんなステキな家、1週間くらい滞在してみたいわ~。掃除とかお手入れとか凄く大変そうなので、住んでみたいとは思わないけど。外観や庭も、上品でうっとりしてしまう。

 終盤に、え゛~~!な展開が待っていて、それが結構微笑ましいエピソードでもあり、その辺りが『おとなのけんか』よりマイルドだと感じた次第。ただ、え゛~~!な理由は人によるみたいだけど。私はレネがゲイだとはゼンゼン思っていなかったので、そこは別にえ゛~~!ではなかったんだけど、彼をゲイだと思って見ていた人も結構いるようなので、その人たちにとってはえ゛~~!がより大きかったみたい。……ご覧になっていない方には何のことやらさっぱりだと思いますが。
 


 
 

 


アドルフと名付ける予定だった(?)赤ちゃんは、女の子でした。

 

 

 


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