映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

白い家の少女(1976年)

2021-02-23 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv11589/

 

以下、TSUTAYAのHPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 人里離れた一軒家に暮らす詩人の父親と娘のリン。しかし父親は閉じ籠りっきりで姿を見せたことが無い。そして不審をおぼえた家主がその家を訪ねると、リンによって殺されてしまう。やがて彼女の犯した恐るべき事実が明らかになっていく……。

 冷酷な少女の、悪魔のような所業を描いたサイコ・スリラー。

=====ここまで。

 14歳のジョディ・フォスター主演。

 

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 いつものmoviewalkerのあらすじが長すぎるので、TSUTAYAからコピペしたのだけれども、これはこれで正しいあらすじとは言えず。「悪魔のような所業」でも「サイコ・スリラー」でもないです。

 自分で書けば良いのだけど、あらすじを書く気になる映画とならない映画とが何故かあって(その違いは自分でもあんまりよく分からないんだが)、本作も書く気にならない映画、、、。

 書く気になる映画が自分にとって良い映画、というわけではゼンゼンない。良いと思っても書くのが難しいとかメンドクサイとか思うものもあるし、なんじゃこりゃと思う映画でも書くのが苦にならないものもある。大抵は、書こうと思えばそんなに手間じゃない映画でもメンドクサイからコピペ、、、というパターン。ただ、そのコピペ元のあらすじがイマイチだったり長すぎたりすることも多くて、困るんだよなぁ。イチから書くのはやっぱり億劫で、、、。

 ……などと言い訳を長々と書く暇があったら、サッサと書けよ、と思いますが。次回からはなるべく自分でちゃんと書こう、、、、と、一応、今のところは思っております。

 で、映画の感想ですが。

 ジョディ・フォスターが演ずる主人公の少女・リンの家族というのが、典型的な“機能不全家族”で、リンは早く大人にならざるを得ない状況である。親が親として機能していない場合、子は、当然、子として振る舞えず、一人の人間としての行動を求められる。それが常態化すると、その子は精神的に自立しなければならなくなる。

 しかも、その子が頭が良くて多感な場合は、却って拗れることも多そうな気がする。“大人になる”とは言え、経験値は圧倒的に少ないわけだから、そりゃ本物の大人からすれば稚拙な部分も多くて見透かされる。

 だから、ヘンな大人が寄ってきて、頭でっかちなだけの子どもとしては巧い対処の仕方が分からず(というか、そんなものはない)、そのヘンな大人を抹殺するしかないということになる。

 ……というのが、この映画のオハナシ。

 本作でリンに絡んでくるヘンな大人たちは親子で、大家のハレット夫人と、その息子フランク(マーティン・シーン)。もう、見るからにヤバい。確かに、貸主がちょっと普通じゃなさそうな家族であれば、探りを入れたくなるのも大家さんとしては当然だと思うが、彼女の言動はそれを超えている。ほとんどイジメ、嫌がらせのレベル。フランクに至っては、実際に小児性愛者という設定みたいで、マーティン・シーンの演技が妙にリアルで気持ち悪かった。

 こんな常軌を逸したレベルのヘンな大人が絡んできたら、大人でも対処が難しいのに、13歳の少女では手に余るのもムリはない。ここで、大人顔負けの対処をして、なおかつ大人たちを追い詰めてしまう子どもだったら、それは、ホラー映画によくある“モンチャイ”(モンスター・チャイルドの略)になるわけだが、リンは別にモンチャイなんかではなく、ごく真っ当な感覚の持ち主だ。

 特に、ラストのフランクとのシーンはなかなかスリリング。紅茶を2つ用意し、1つには青酸カリを入れ、フランクと自分の前に置くリン。青酸カリ入り紅茶をどちらが飲むことになるか、、、というもので、ベタなんだけど、ジョディ・フォスターの表情が素晴らしい。警戒していたフランクだけど、まんまとリンの術中にハマるというオチは、まあ痛快ではある。

 ホラーとかサスペンスジャンル扱いみたいだけど、実際は少女モノか家族モノだろう。終始、不穏な感じで、画面も寒々しいが、別に怖くはない。

 幼い恋も描かれ、しかし、どうにも刹那的な感じがしてなんとも切ない。しかも相手の男の子は重い肺炎になってしまい、リンの孤独がますます浮き彫りになる。

 ラストではフランクが罠にはまって苦しむ様子をクールに見つめるリンの表情が、ダジャレみたいだけど凛としていて美しい。これで、当時ジョディ・フォスター14歳というのだから、そっちの方が怖いよ、マジで。

 まぁ、映画としてはちょっと食い足りないけど、デビューしたばかりのジョディ・フォスターを堪能できる作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんな広い家に一人で住むなんて、13歳の頃の私にはムリ。

 

 

 


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羊飼いと風船(2019年)

2021-02-21 | 【ひ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72151/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 チベットの草原地帯。タルギェ(ジンバ)とドルカル(ソナム・ワンモ)の若夫婦は、祖父とジャムヤン以下3人の息子を抱える三世代の家族として、牧畜で生計を立てながら暮らしていた。昔から続く、慎ましくも穏やかな日々。しかし、受け継がれてきた伝統や価値観は近代化によって、少しずつ変わり始めていた。

 そんなある日、風船にまつわる子どもたちの些細ないたずらが、家族の間にさざ波を巻き起こし始める。

 変わりゆく時代の中、ただ願うのは家族の幸せ。

 羊を売ってジャムヤンの進学費用に充てようとするタルギェ。ドルカルの妹・シャンチュ(ヤンシクツォ)と元恋人タクブンジャの再会。やがて訪れる祖父の死と新たな生命の誕生。

 それぞれの想いは交差し、チベットの風に吹かれ浮遊していく。

=====ここまで。

 チベットにもフェミニズムの風が吹く、、、。


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 予告編を見て、見たいと思いながらも緊急事態宣言中だし、、、とか何とか、ウダウダしていたんだけれど、先日ようやく平日の昼間に見に行くことが出来ました。相変わらずのガラガラの劇場、、、。経営は大丈夫なんだろうか。


◆困っているのは、ここでもなぜか女性だけ。

 本作のポスターになっている、少年たちが膨らませた風船を持って走る図の“風船”は、大人が見ればそれは大体アレだろう、と察しがつくわけだが、見れば実際そのとおりで、親の寝床から見付けてきた子どもたちがそれを膨らませて遊んでいるという光景から、本作は始まる。風船=コンドームは、親たちにとっては必需品だった。

 避妊にまつわる男女の認識の違いはいずこも同じで、チベットでも、この夫・タルギェは「避妊<性欲」で、そのツケは漏れなく女が払わされる。避妊を嫌う男は多いらしいが、本作でも、妻・ドルカルは、タルギェの強引さに屈してしまい、案の定妊娠する。

 これ以上は産めば罰金が課せられるし、何より、牧羊での生活は楽でなく、子が増えればさらに余裕がなくなるのは火を見るより明らかで、ドルカルは産むことを躊躇する。すると、夫はそんなドルカルを詰り、挙げ句横面を張るという暴力に及ぶ。その後、タルギェはドルカルに謝るものの、「産め」は変わらない。

 しかも、厄介なのは、この地域では「転生」が信じられており、ドルカルが妊娠するのと前後して、タルギェの父親が亡くなっていることから、妊娠した子はその父親の生まれ変わりだとか言われて、さらにドルカルは追い詰められる。堕胎手術をしようとしているところへ、タルギェと長男が「じいちゃんの生まれ変わり」を切り札に止めにやって来るんだから、見ていてやり切れない思いになる。

 『主婦マリーがしたこと』(1989年)では、イザベル・ユペール演ずる主婦・マリーが、妊娠して困っている女性のために堕胎の手伝いをするのだが、この映画でも、やっぱり妊娠して困っているのは女性だけ。妊娠させた夫たちは脳天気もいいとこ。何なのかねぇ、、、こういう構図。

 もう20年近く前の話だが、友人が2人目を妊娠し、どうやら胎児に問題があるらしいと割と早い時期に分かって、友人は夫が基本的に家事・育児に非協力的なことや、漠然とした不安もあって、産むかどうかを躊躇したんだけれども、そのときにその夫はかなり軽い感じで「産めば? 何とかなるんじゃない?」と言ったそうだ。友人は専業主婦だから、夫が家事・育児に非協力的なのはある程度我慢していたが、この言葉は非常に哀しかったと言っていた。結局、その後、友人は流産してしまったのだが、本作を見ながら、私はこの友人のエピソードが頭をよぎっていた。

 産んだ後のことを具体的かつ現実的に考えることが、男には出来ないのか?? そんなはずはないだろう、、、と思うのだが。男は“産まない”から分からない、とかTVで言っている人も見たことがあるが、現在自分たちが置かれている状況、経済力、等々を俯瞰して、子が増えるとどうなるか、、、ってのが、何故シミュレーションできないのだ? 謎すぎる。

 本作では、最終的に妻がどういう選択をしたのか(堕胎したのか否か)は明示されない。ラストシーンの描写から、恐らく、妻はあの後、やはり堕胎するんだろうと、私は解釈した。

 産むか産まないかの決定権は、女性のみにある。残念ながら、男にはその決定に注文をつける権利はないのだ。


◆検閲、赤い風船、羊、、、。

 本作は、ペマ・ツェテン監督の手による脚本で、原作小説も、監督自身が書いている。パンフのインタビューによれば、ラストシーンとなった“空に浮かぶ風船”をたまたま目にして、それがインスピレーションとなり脚本を書いたが、内容が本作より直截的だったのか、検閲でボツとなったらしい。で、小説として発表したところ、しばらくして映画化の話が持ち上がり、改めて脚本を書き直して、検閲をパスしたのだそうだ。

 検閲、、、ってやっぱり現実にあるのね。本作の内容でも、まあ、これで検閲よく通ったな、、、と思う部分もなくはないが、体制批判には直結していなければ良いのかな。

 そして確かに、ラストシーンは印象的だった。コンドームではない本物の風船を欲しがっていた兄弟に、父親が赤い本物の風船を2つ、街で買ってきてプレゼントするが、1つはすぐに割れてしまい、もう1つはその直後に子の手から離れて空に上って行く。青空を上って行く赤い風船を、夫、子どもたち、妻とその妹が、それぞれ別の場所から見上げる、、、というシーンで終わる。2つの本物の赤い風船が、どちらも、すぐに壊れたり飛んでいったりするところが、暗示的。

 あと、羊がたくさん出て来て、牧羊のリアルな様子が伝わってきたのも良かった。精力旺盛な雄羊、2年子羊を産まない雌羊がメタファーとして描かれ、羊の消毒作業や、当然解体の描写もある。

 パンフには、舞台となったアムド(東北チベット)の民族衣装や住まい、食事などの暮らしの様子が分かりやすく絵解きされていて、こういうパンフは素晴らしい。驚いたのは、灯明が自家製のバターを使った“バターランプ”というもの。バターが燃料になるのか、、、。

 この家族のこの後のことを想像すると、しかし、あんまり楽観的な気分にはなれないなぁ。堕胎によって、夫婦には溝が出来るだろうし、そもそも牧羊の生活は厳しそうだし、、、。仲間と助け合って生きていくとはいえ、時代の波には抗えなさそうな気がする。それが、そのまま家族の崩壊にはならないだろうけど、荒波をどう乗り越えるのか、、、想像しにくい。やはり、子どもたちには教育をつけて都会へ、、、というパターンなんだろうか。

 

 

 

 

 


チベット、一度は行ってみたい。

 

 

 


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ミッドサマー(2019年)

2021-02-12 | 【み】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv69146/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 不慮の事故で家族を亡くした大学生のダニーは、スウェーデンの奥地で開かれる“90年に一度の祝祭”に、民俗学を研究する恋人や友人たち5人で訪れる。

 そこは太陽が沈まない“白夜”の村で、優しい住人が陽気に歌い、美しい花が咲き乱れる楽園のような場所だった。

 しかし、しだいに不穏な空気が漂い始め、ダニーは想像を絶する悪夢に襲われる。

=====ここまで。

 監督は、『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター。キャッチコピーは、「前代未聞の“フェスティバル・スリラー”」


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 昨年の公開時には「明るいホラー映画」などと言われていたようで、評判も上々みたいだったけど、劇場に行って見る気にまではならなかったのでした。……ま、コロナもありましたが、『ヘレディタリー/継承』が尻すぼみでガッカリしたってのもあって、しかも、また似たような匂いが感じられ、これはもういいや、、、と思ったのでした。

 ……そうはいっても、DVD化されると、やっぱり気になって見てしまい、そしてまた、ガッカリしたのでした、、、、ごーん。

(本作がお好きな方は以下お読みにならないでください。悪意はないけど、悪口になっていますので、、、)


◆“作り物”であることの意味。

 怖い怖いと言われている本作。見終わっての率直な心の声は「……? 怖がれなかった私って鑑賞能力低すぎるのか? がーん、、、」であった。確かに、ちょっとギョッとなるシーンは複数あったけど、怖いわけじゃない。ギョッとなるシーンが突如差し挟まれるってのが『ヘレディタリー~』と同じ。

 この監督は、何か“顔”に特殊な思い入れがあるのだろうか。最初に“ギョッとなるシーン”では、『ヘレディタリー~』でもそうだったけど、人間の顔が潰れるんだよね(比喩じゃなくてまんま)。しかも、本作ではその瞬間がモロに映るし、潰れた後の顔も、少し後のシーンでモロに(しかもかなりアップで)映る。なかなかのグロさではあるけど、ここまでやっちゃうと却って逆効果というか、私はいささか鼻白んだ。他のシーンでも、顔を傷つけるものがかなりあって、監督の思い入れというよりは、コンプレックスなのか、、、と感じてしまうほどだった。

 で、“不可解さ”が通奏低音として流れる中でストーリーは進み、これまた『ヘレディタリー~』同様、残忍な宗教的儀式でクライマックスという構成。その間、あちこちで監督はいろんな“仕掛け”をしており、そういうのをどれだけ鑑賞者が気付いたり見付けたりするか、ってのも鑑賞ポイントの一つになっている。

 見終わった人しか見ちゃいけない「観た人限定 完全解析ページ」なるものが公式HPにはあって、それを読んだけど、全部とは言わないが、その大半は正直なところ「……だから何だよ?」であり、本作がお好きな方には大変申し訳ないけれど、ここまでくるとほとんど制作側の独善だよね、、、と思っちゃう。

 ……いや、まあ、何だかんだ最後まで見たんだから、それは言い過ぎか。こういう、凝りに凝った作り込んだ映画が好きな人もいるだろうから、否定する気はないけど、同じことを2作続けてやるのは、ちょっとね。不可解なシーンのあれこれを、あのシーンのアレはどうだとか何とか、それこそ“解析”するのも楽しいんだろうけど、私が映画に求めるのはソコじゃない。

 言っちゃ悪いが、これまでさんざんホラーやスリラーでネタにされてきた“閉ざされた共同体”で起きる祀りという名目の“連続殺人”を、もったいつけて描いているだけでしょ? てこと。ちょっと知的好奇心をくすぐる作りにしてある辺りが、2作目ともなると鼻につく。『哭声/コクソン』(2016)みたいに、手垢のついた不可解さ満載でも、それをはるかに凌駕する破壊的なパワーで見る者を圧倒してくれるのであれば、それはそれで見て良かったと思えるのだけど、、、。

 日本じゃ、リアルで、しかも25年以上も前にオウム事件が起きているわけで、今さらこんな作り物見せられてもね、、、って感じだった。強いて新鮮さを感じたことと言えば、こういうジャンルなのに終始画面が明るいってことくらい。白夜を舞台にしていることで、時間の感覚が狂うってのは面白い、、、かな。

~~以下、結末に触れています。~~

 
◆この監督って、、、

 主人公のダニーは、この共同体の新しい女王になり、一緒に来た恋人クリスチャンを生け贄に差し出しちゃうわけだが、その理由は明確に説明されていないけど、まあ、彼に邪険にされたり裏切られたりしたから、、、ってことだろう。

 でも、、、大学生くらいの男子なんてあんなもんじゃないの? と思うんですけど。彼女が自分に依存的で、しょっちゅう電話してくれば「ウザいなぁ」と友人と話すことだって、そりゃあるだろう。好みの女性がいれば、「あのコとヤリたい」くらい言うだろう。彼女に言わずに、仲間と旅行に行く計画だって、そりゃ立てるだろう。

 しかし、アリ・アスター監督からすると、これらはダニーにとっては致命的な“裏切り”になるらしい。しかも、監督のインタビューによると、本作の脚本を書いたきっかけは、監督自身が恋人に振られたことがきっかけだったとか。それも、かなり監督にとっては辛いお別れだった様で、、、。自身の投影がダニーだそうだが、この話を読んで、ますます私はこの監督のことが嫌いになった。自分を裏切った相手を、“焼き殺す”んだからね。しかも、それを見ながら、ラストでダニーは満足そうな笑顔を見せるのだ。ダニーはあっち側に行っちゃった、ってことで、そうやってダニーにも制裁を加えてはいるものの、あの終盤のクリスチャンの殺し方はヒドすぎる。

 まあ、創造の世界は何でもアリだと思うから、こういうことをやるのは良しとして、それを臆面もなく世界に向けて公表するっていうその性質が嫌い。ソコは黙ってろよ、と思う。

 大体、クリスチャンは、ダニーが家族を亡くして悲嘆に暮れているときは、ひたすら抱きしめて側にいてくれたわけだし、旅行(地獄行きだったけど)にも一緒に連れて行ってくれたし、旅行中もとかくダニーを気には掛けてくれていたし、裏切ったのも、この狂った共同体でクスリ飲まされて強引にセックスさせられた、、、という成り行きなんだし、あんな殺し方されるようなロクデナシではないし、ロクデナシだとしてもあんな殺された方はあり得ない。

 フィクション、妄想、、、、だから、目くじらを立てるようなことじゃない。そーですよ、そりゃ。でも、私は、仮に自分の元カレが自分と別れた直後にこんな映画を作ったら、人間性を疑うね。そして、別れを選んだ自分を誉めるでしょう。

 

 

 

 

 


3作目も同じだったら、、、いや、その可能性高そう。
 

 

 


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罪と女王(2019年)

2021-02-03 | 【つ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70707/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 児童保護を専門とするデンマークの弁護士アンネ(トリーヌ・ディルホム)。優しい医者の夫と幼い双子の娘たちと完璧な家庭を築いていた彼女だったが、ある日、夫と前妻との息子である17歳の少年グスタフ(グスタフ・リン)が問題を起こし退学になってしまう。

 アンネはスウェーデンにいたグスタフを引き取り、アンネの家族たちと同居を始めるが、グスタフは衝動的な暴力性があり家族に馴染もうとしなかった。しかし、アンネは根気よく彼を家族として迎え、正しい方向へ導こうと努めるのだった。

 そんななか、グスタフと少しずつ距離を縮めていくアンネだったが、親密さが行き過ぎてしまい、ある時、アンネは彼と性的関係を持ってしまう。

 やがて、そのことが大切な家庭とキャリアを脅かし始め、アンネは残酷な決断を選択するのだが……。

=====ここまで。

 ううむ、、、このあらすじはちょっと違う気がするぞ……。


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 昨年の公開時に、見に行こうかどうしようか迷っているうちに終映してしまっていました。迷う映画は、その後DVD等で見てみると、行かなくても良かったナ、、、と感じることが多いけれど、本作も、まあそうかな。真面目に作られた映画だとは思うんだけど、鑑賞後感が悪すぎる、、、、ごーん。


◆グレーじゃない、真っ黒です。

 前回の『哀しみのトリスターナ』で、「男だと愛になり、女だと好色になる、、、これいかに。」と書いたが、本作の公式HPにあった監督メイ・エル・トーキーのインタビューを読むと、こんなことが書いてあった。

 “ 私たちは、父が義理の娘とセックスするということが間違っていることを明確に知っていますが、母と義理の息子の場合、それはグレーゾーンになります。 何が間違っているのか、何が正しいのか定義するのが難しくなります。”

 え゛~~~っ??と思ったのはわたしだけ? グレーゾーンになるか? ならんだろ~~~!! 立派な性的虐待やん? 定義が難しくなるって、何の定義? 意味が分からん。

 百歩譲って、この監督さんの言いたいことを推測すると、女性→男性の虐待は、虐待と認識しにくいということなんだろう、多分。しかしそれは、ぶっちゃけて言えば、男女の身体の構造が違うからでしょ。男は挿入“する”、女は挿入“される”。挿入“する”に当たっては、男の性器が挿入可能な状態になっていなければならないので、そこに、男性の側の“能動性”が認められると。

 ううむ。男の身体の仕組みを無視しすぎなのでは。刺激を与えれば反応するだけなんだから、能動性とは関係ないでしょ。大昔に何かの本か雑誌で男性執筆者が「それ(したくなくても刺激を受けると反応してしまうこと)が男の哀しいところ」って書いていたけど、……ま、そういうことでしょ。レイプされた女性に「濡れてたんじゃないの?」なんて捜査機関が聞いたら、今は立派な二次被害になり得るし下手すりゃ訴えられるけど、それと同じだよね。

 本作の場合でも、アンネはものすご~~~くダイレクトにグスタフを犯すんだけど(口淫ってやつですね)、この描写があまりにもあけっぴろげで、凄まじいえげつなさ。ネットでは本作のことを“エロ”だと書いている人もいるが、まったくエロとは対極にある性描写であると私は感じた。監督のインタビューを読むと納得の答えが、、、。

 “男性が被害者である場合、性的虐待をより寛容に見る傾向があるため、観客が感じる不快感を作り出すために明示的なセックスが必要でした。(中略)セックスシーンも、例えば会話のシーンと同じように、観客に何か新しいことを伝え、洞察を与える場合にのみ、映画に含めるべきだと思います。 それ以外の場合は、ストーリーを進めることもなく、理解を深めることもなく、その力を失い、ただ冗長になります。”

 「より寛容に見る傾向がある」ってのは??だけど、おおむね同感。実際、本作での性描写はいくつかあるが、どれも、必要と思えるシーンだった。ただの観客サービスではない。だから、エロなんてまるで感じなかったわ。これで官能を感じるなんて、むしろスゴい、、、。

 本作の場合、やっぱりアンネとグスタフがどうしてそのような関係になったか、、、を描くには、あのえげつないシーンが不可欠だった、、、、ということだろう。


◆逆ギレで自己防衛。

 とにかく、本作の後半は、アンネの自己保身からくるグスタフへの仕打ちが酷すぎて、憤りを通り越えて、見ているのが苦しかった。

 ただ、グスタフからアンネとのことを聞かされた夫に対するアンネの逆ギレぶりは、想像どおりだった。

 というのも彼女は序盤で、夫にも、職場のパートナーにも「反論ばかりせずに、一度で良いから、オレの言っていることに同意してくれ」と同じことを言われている。弁護士という職業柄、口八丁なのは仕方ないかも知らんが、とにかく彼女は意に反することに対して絶対に譲歩しない。マシンガントークでたたみかけて相手をねじ伏せる。見ていて不愉快になるほど。あれは、グスタフとの情事がバレたときのアンネの言動に対する伏線だったんだろう。

 小心者で常識的な人間の私には、彼女がグスタフに手を出したことは理解できないが、あの過剰自己防衛は、ちょっと分かる気がする。人間、本当に追い込まれて自己保身しなければならなくなったら、ああなるだろうな、、、と。幸い、私には今までそこまで切羽詰まった出来事がなかっただけで、もし、全てを失うようなことが起きた場合、ありとあらゆる手段を駆使しようとするだろう。たとえ、それがバレバレだったとしても。

~~以下、結末に触れています。~~

 まあ、そんな事態を招くのはイヤだし、切り抜ける能力もないから、暴走はなかなか出来ない人間なのだが。アンネは、逆ギレして不信感の芽生えた夫の心をねじ伏せ、とりあえず切り抜ける。

 夫をけしかけてグスタフを家から追い出し、その後、グスタフは行方不明となり、スウェーデンの山小屋で遺体となって発見される、、、という最悪な展開になる。そうなって初めて、夫は、グスタフが本当のことを言っていたのだと確信する。

 ラストは、グスタフの葬儀に向かう一家4人の画で終わるが、どうにも寒々しい。アンネが守ろうとしたものは、守れなかったということだろう。たとえ、家族離散にならなかったとしても、冷え冷えとした家庭になるのは目に見えている。グスタフに懐いていた自身の娘たちも、長じて真相を察するだろうし、結果的に、彼女はゆっくりじっくり罰せられるということだ。

 まあ、自業自得です。


◆不満とか、もろもろ。

 で、冒頭のあらすじだが、「親密さが行き過ぎてしまい、ある時、アンネは彼と性的関係を持ってしまう」とあるけど、これは違うと思う。大体、「持ってしまう」だなんて、何だか不本意ながら、、、みたいに聞こえるけど、とんでもない。アンネは自ら強烈に望んでグスタフを犯したのだ。持ってしまう、じゃなく、持った、とすべき。「親密さが行き過ぎてしまい」ってのも、違う。アンネが性的な目でグスタフを見始めて、勝手にグスタフとの距離をずんずん詰めていっただけ。グスタフは犯されるまでほぼニュートラルだったんだから。多分、ほとんどアンネのことを女性として認識していなかっただろう。

 きっかけになったのは、グスタフが女友達を連れてきて、夜中にセックスしている声がアンネの居る部屋まで聞こえてきたこと。その後、アンネは自分の裸体を鏡に映して眺める。さらには、やたら夫に積極的にセックスを求めたり、行為の真っ最中に夫に2度もビンタしたり、、、そこで留まっていりゃ良かったのになぁ。

 そのアンネを演じたのはトリーヌ・ディルホム。アンネは、多分、40代くらいの設定だろうが、もう少し老けて見えるかなぁ。この方、『リンドグレーン』(2018)では女神のような女性を演じていたんだけれど、同じ女優さんとは到底思えない圧倒的な演技で、ただただ呆然、、、。

 グスタフを演じたのは、グスタフ・リンという同名の青年。美青年ではないけど、ちょっと問題を抱えて、でも本質的には優しい良い子、というキャラに合った風貌。難しい役どころなのに、すごく巧かったと思う。

 まあ、これはどーでも良い感想だけど、私は、グスタフが死んでしまう展開は好きじゃない。監督が言うように、“グレーゾーン”の是非を問うのなら、やっぱりグスタフとアンネがキスしているところを目撃した、アンネの実妹を活かし、彼女に証言させて、アンネをきちんと断罪して欲しかった。そして、グスタフは救われて欲しかった。未来ある若者なんだから。どう考えたって、この一件で裁かれるべきはアンネでしょう。この後、アンネの家庭が実質的に崩壊するかも知れないとしても、それじゃぁ、彼女の犯した罪には見合わない。

 ……という不満と、鑑賞後感の悪さゆえ、の数は少なめです。

 

 

 

 

 

 

 

アンネの自宅が素敵、、、。

 

 

 


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