映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

袋小路(1966年)

2020-07-25 | 【ふ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv12146/

 

以下、TSUTAYAのHPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 外界と遮断される孤島の古城に、再婚した若い妻・テレサと住んでいた初老男・ジョージ。ある日、島に強盗をしくじって負傷したふたり組の悪党・リチャードとアルバートが逃げて来て…。

=====ここまで。

 初老男・ジョージをドナルド・プレザンス、若い妻・テレサをフランソワーズ・ドルレアック、悪党・リチャードをライオネル・スタンダーと個性派がズラリ、しかも監督はポランスキー。


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 不覚にも、ドナルド・プレザンスがポランスキーの映画に出ていたとは知りませんでした。しかもドルレアックと夫婦役とな?? とにかく、ドナルド・プレザンス+フランソワーズ・ドルレアック+ポランスキーの映画なんて見ないわけにはいかんでしょう、、、と、見てみました。


◆アンバランスな夫婦と闖入者

 冒頭から、なんかもう色々とヘンで、一体何が起きるのやら、、、、と興味津々になる。

 ゼンゼン雰囲気も展開も違うけれども、見ていてハネケの『ファニーゲーム』を思い出してしまっていた。いや、ジャンルとしては同じでしょ。突然、見ず知らずの怪しい男たちに侵入されて生活をメチャメチャにされる、、、っていう。ただ、本作は、ゲームではなくて、あくまでもリアルという話で。しかも、本作はサスペンスにカテゴライズされているけど、見終わってみれば、ブラックコメディでしょ、これ。

 プレザンスとドルレアックという、実に巧みな配役で、このカップリングの違和感が十分出ているのがミソ。実際、ドルレアック演ずるテレサは、近所の青年とヨロシクやっている。そしてまた、夫であるジョージにも破天荒な妻そのまんまで、ジョージにネグリジェ(死語?)を着せた上に口紅まで塗るというおふざけをして、さらにその異様な姿になった夫を見てゲラゲラ笑っている。これだけで、この夫婦の関係性が何となく分かってしまう。

 そこへ闖入してきたのがリチャードという、これまたアクの強いキャラ。乱暴者なんだか、意外に物わかりが良いのか、イマイチよく分からん。

 勝手に人んチの電話を使って首領にSOSの連絡をした後、電話線をぶった切ったかと思うと、テレサの浮気現場をバッチリ目撃していたにもかかわらず、夫に薄笑いを浮かべながらも「お前の女房、浮気してるゼ」などという野暮なことはチクったりしない。

 かと思うと、大怪我して動かせないからってんで相棒を車に残したまま、夫婦の城にある鶏小屋で堂々と昼寝なんぞしてしまう。その間に、車を置いてあった所は潮が満ちてきて、相棒が溺れそうになるとか、もう訳分からん展開、、、。その後、思い出したリチャードが、夫婦を引き連れて助けに行くんだけどサ。

 ドヌーヴ主演の『反撥』でもそうだけど、こういう訳分からん不穏な感じで話がどんどん進んでいくっていうの、ポランスキーは天才的に上手いなぁ~と改めて感動。まあ、本作の方が『反撥』よりは大分笑えるけど。

 結局、救出した相棒は死んでしまうし、死んだら死んだで、リチャードは夫に墓穴を掘らせるとか。首領が差し向けた助っ人が来たかと、白い車がこちらへ向かってくるのを見てぬか喜びするリチャードだが、それは助っ人ではなく夫の友人家族だったとか。とにかく、あれやこれやと話が進む。

 で、結局どうなるか、、、。まぁ、それは敢えてココには書かないけれど、ただでさえ危うい夫婦が、ただで済むとは到底思えないわけで、その通りの展開になるのであります。


◆ポランスキーの映画

 この映画が制作されたのは1966年。ポランスキーは、この前年に『反撥』を撮っている。コメディタッチとシリアスとで、映画としての趣は違うけれど、この2作に限らず初期~中期のポランスキーの映画って不条理モノが多い気がする。

 『反撥』にしても、(モノクロだからかも知れないが)不条理モノのポランスキー映画は、何というか、、、何かに追われているような、不安げである。

 本作も、テレサの視点から見ればそうでもないが、夫・ジョージから見れば不安だらけだ。終盤に明らかになるが、ジョージはテレサが近所の若者と浮気していることは知っていて、それだけでなく、途中でやって来た友人家族と一緒に居た中年の色男とやたら親しげにするなど、ジョージにしてみれば、テレサは一番痛いところを突いてくる。この古城を全財産はたいて手に入れたのと同じくらい、この若くて美しい妻はシンボリックな存在なはず。しかも、実はジョージは前妻に逃げられているということも判明し、また同じ轍を踏むことになるのではないかという不安が、ジョージには常にある。

 そして、それがポランスキー映画に通底するものであるということ。この人は、常に不安を描いているのだ。『ローズマリーの赤ちゃん』だってそう。『水の中のナイフ』だって、夫婦のバカンスに突然若い男が闖入してくる話で、夫婦のバランスが崩れていく。夫にとっては不安でしかない。

 こういう作風を、彼の生い立ちに見出す評者も多い。確かに、それはあるだろうなぁ、、、と思う。でも、それを確実に映像化してしまうことができる、ってのが凄いなぁ、、、と感心させられる。しかも、前面に押し出すのではなく、何となく不安げ、、、という極めて曖昧だけれども確実にじわりと感じる、、、という演出。不安と笑いってのは、実は相性が良いのだと、本作などを見るとよく分かる。


◆その他もろもろ

 とにかく、ドナルド・プレザンスが素晴らしい。やっぱり、この人はすごい俳優だ。情けない男を、実に巧みに演じている。その風貌から、どうしたって、ヒーローではないが、一筋縄ではいかない悪役や、ジョージみたいなワケありの劣等感に苛まれた男は、実にハマる。

 ドルレアックは、やはり美しい。この翌年に亡くなるのかと思うと、見ていて複雑な気分になる。ぶっ飛んだ若妻を、奔放に演じているように見えるが、きっとポランスキーの計算された演出なんだろう。

 闖入者のリチャードを演じたライオネル・スタンダーも実にイイ味出している。声がもの凄いハスキーで、それがイイ。夫の友人家族がやって来たときは、夫婦の下男をやむなく演じることになるのだが、およそ下男とは思えない風貌と粗野な言動で、実に笑える。

 ラストシーン、プレザンス演ずるジョージが、しょんぼりと膝を抱えて体育座りしている図が、何とも寂しく哀しい。しかも、ここで口にする女性の名前は、テレサではないのだ。嗚呼、、、。

 
  

 

 

 

 

 


ポランスキーの人間不信が現れた映画かも。

 



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SKIN/スキン(2019年)

2020-07-19 | 【す】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70932/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 反ファシスト抗議を行う人々に、猛然と襲いかかるスキンヘッドの男たち。その中の1人、ブライオン・“バブス”・ワイドナー(ジェイミー・ベル)は、十代で親に見捨てられ、白人至上主義者グループを主宰するクレーガー(ビル・キャンプ)とシャリーン(ヴェラ・ファーミガ)の下で、実の子のように育てられた。

 筋金入りの差別主義者に成長したブライオンは、今やグループの幹部として活躍。タトゥーショップで働く彼の体には、鍵十字など、差別的なメッセージを込めた無数のタトゥーが刻まれていた。

 だが、3人の幼い娘を育てるシングルマザーのジュリー(ダニエル・マクドナルド)との出会いが彼を変える。

 これまでの人生に迷いを感じ始めたブライオンは、グループを抜け、ジュリーと新たな生活を始めることを決意。だが、前科とタトゥーが障害となり、なかなか仕事が見つからない。さらに、彼の裏切りを許さないかつての仲間、スレイヤー(ダニエル・ヘンシュオール)たちからも日々、脅迫が続いていた。

 家族の安全と自らの幸福との間で悩むブライオンに、反ヘイト団体を運営するダリル・L・ジェンキンス(マイク・コルター)が、転向の手助けを申し出る。ある裕福な女性が、彼のタトゥー除去に資金を提供するというのだ。過去の自分と決別するため、ブライオンは、計25回、16カ月に及ぶタトゥー除去手術に挑むが……。

=====ここまで。


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 ジェイミー・ベルが主演の映画ということで、見に行きました。Billy Elliotを演じていた、あんなに可愛かったジェイミーが、全身入れ墨だらけのレイシストオヤジになっていて、予告編で見ていたとはいえ、遠縁のオバサンとしては衝撃強し、、、。

 あ、遠縁のオバサンってどーゆーこと??と思われた方は、こちらへどーぞ。


◆ブライオンがなぜジュリーと出会って目覚めたのか。

 トランプが大統領やっているアメリカの現実と照らし合わせて本作が語られている場面が多い様だけれど、私は、正直なところ本作が「肌色や人種の差別」をメインテーマにした映画だとは思わなかった。

 「入れ墨=差別感情の象徴」ということで、とても画になりやすい話であり、実際ブライオンは入れ墨を消すことでレイシスト集団(ヴィンランダーズ・ソーシャルクラブ=VSC)から完全に足を洗ったわけだが、入れ墨がなくても犯罪者集団やカルト教団から足を洗って更生した話、なんてのはこれまで掃いて捨てるほど描かれてきているのであり、本作は差別感情を克服した話、みたいな位置付けになっているけれども、本質はこれまで量産されて来た“ある男の更生物語”であって、元居た集団がレイシスト集団だったというだけの話である。

 しかも、このレイシスト集団VSCだが、実態は非常にショボい半グレみたいな感じで、笑っちゃうほど幼稚な人間の集まりなのだ。この集団のボス夫婦が、ストリート・チルドレンみたいな恵まれない子どもたちを拾ってきては、レイシストに育て上げているので、教育は全くといっていいほどなっていない人間たちなのである。まあ、日本の暴力団と、あんまし変わらない仕組みだなぁ、、、と思って見ていた。だから当然、集団を抜けるのが非常に難しい。

 じゃあ、何でそんな困難を承知で、ブライオンはVSCを抜けようとしたか、といえば、それはもちろん、シングルマザーのジュリーと恋仲になったからだ。ただの恋愛でそこまで、、、??という感想がネットでも見受けられたが、、、。

 レイシスト集団てのは、基本マチズモ思想なんで、男は女を力で支配するのが集団の行動様式になる。実際、VSCのメンバーの若い女性とブライオンは身体の関係があるのだが、非常に暴力的な支配・被支配関係が成立しているし、ボス夫婦の妻・シャリーンは、ボスの妻だからこそメンバーたちにかしずかれているけれども、夫あっての存在であり、夫なくして彼女が集団を統率できる力なんぞは全くない。所詮、こういう集団での女の扱いなんてそんなもんである。

 しかし、ジュリーは、そんなブライオンのマチズモ思想を根底から覆す女性として描かれている。それは彼女が“3人の娘の母親”だからだ。これがただのバツイチ子ナシの女性だったら、かなりジュリーのキャラも変わっていただろう。ジュリーにとって、最優先で守るべきは3人の娘たちであり、ブライオンとの関係は二の次であると、ブライオンにはっきり言動で表わすことが、ブライオンのマチズモ思想を貫く障壁となるのだ。

 ルックス的にそれほど魅力的に見えない、元ヤンみたいに見えるジュリーが、どうしてそこまでブライオンを変化させたのか? というのが分からず、前述のようなネットの感想を持つ人もいるようで、中には「女性が見たら、ジュリーには共感できないでしょ」みたいなことまで書いている人もいたけれど、ここは本作のキモだと思う。

 大体、恋愛で“何であんなのに惚れるの?”なんてのは普通によくあることで、そんなん当事者じゃなきゃ分からんに決まっている。入れ墨だらけの顔の男でも、太めのコブ付き女性でも、惚れる人は惚れるんである。

 愛の力が差別主義者の男を更生させた! という見方もあるだろうが、恐らく、ブライオンはVSCでの生活に、無自覚であったにせよ疑問を持っていたか、嫌気が差していたんだろうと思う。そらそーだろ、あんな荒んだ生活の毎日、、、。そこへ、ジュリーというマッチョが通用しない女性に出会ったことで、疑問や嫌気をブライオンは自覚することになったんだと思う。というか、私の目にはそう見えた。


◆差別って何?

 というわけで、本作は差別克服映画というのとはちょっと違うと思うのだが、本作上映前に、上映された『SKIN 短編』の方は、モロに肌色差別がテーマの映画でありました。この短編は、本作制作の資金稼ぎのために作られたとのことで、併映していない回もあったが、私は折角だからと思って短編の方も見てみた次第。

 で、正直言って、短編の方がアイロニーが効いていて、面白かった。かなりシビアで怖ろしいブラックコメディだと思った。笑えませんよ、もちろん。でも、これはコメディでしょ。ラストのオチといい、これほどアイロニカルな話ってコメディじゃなくて何なんだ、という感じ。どうせなら、この話を膨らませて長編を描いても面白かったのに、、、。

 本作のVSCは、白人至上主義集団だが、バイキングの血を引いていると主張している“北欧神話馬鹿集団”らしい。何でわざわざ“馬鹿”を入れたかというと、そんな主張をしているくせに、バイキングのことも、北欧神話のこともゼンゼン分かっていないし学んでいないから。それは、本作を見ていてもよく分かる。ホント、中二病が北欧神話をツールに粋がっているだけなんである。馬鹿丸出しで、見ている方が恥ずかしくなってくるくらい、、、。

 まあ、こういう極端なのはむしろ分かりやすいけど、欧米に行くと、露骨なアジア差別に出くわすことはあるし、そもそも西欧の人たちはいまだに自分たちが世界基準と思っている節はあるし、米英人も英語をどこへ行っても堂々と喋って憚らない人たちなど、やっぱり自分たちが世界基準だと、もうこれは無自覚に思っているんだろう。そして、そういう無自覚な差別意識の方が厄介なんである。

 差別の根っこって、考えてみれば、“何となく嫌”という程度の感情なんじゃないかと思う。この直感的な嫌悪感は、防衛本能でもあるし、危険回避のためには欠かせない本能とも言える。何となく「嫌だな」と感じ、近付かない、遠ざかる、、、ことによって、大きな災厄を逃れる、ということは実際にあるだろう。例えば、「あの人、目つきがヤバい」と感じてちょっと離れたら、その人が急にナイフを取り出して通り魔に変貌した、、、とかね。でも、その人がたまたまちょっと体調が悪かっただけで通り魔に変貌しなければ、「ヤバい」と感じて離れたのはただの偏見&過剰反応である。

 人間、きちんと差別の教育をしないと、とんでもないレイシストに育つというのは、研究で明らかにされているらしい。なので、教育は大事である。けれど、同時に、人を見たら泥棒と思え式に、大人に声を掛けられたら不審人物と思え、と教えて、子どもに挨拶しただけで逃げられたとか通報されたとかという話を聞くと、もう、何をどうしたら良いのか分からなくなってくる、、、。

 露骨なヘイト集団は論外だと思うが、その一方で、ヘイト集団VSCのことを馬鹿集団と書いている時点で、これも十分立派な差別じゃないの??と。ヘイト集団に悪態をついているネットの書き込みも、それも差別の一種でしょ??と。自分は違うのよ~、的な物言いが、何かこう、違和感を覚えるというか。というわけで、私には、差別問題について、、、、どうすれば良いのか、正直言って、分からない。


◆ジェイミーとかもろもろ。

 で、ジェイミーなんだけど。

 この役を演じるに当たって、15キロも増量したのだって。道理で、体つきがゼンゼン違うと思った。遠縁のおばばは、あんましムキムキの身体は好きじゃないのよ。……あ、これも偏見・差別よね。

 序盤で、もろにヘイトな言葉を発しているシーンがあるんだけど、何か、ちょっと“頑張ってる感”が出ちゃってたかも。ラスト、入れ墨を全部キレイに消して、ジュリーのもとに戻ってきたときのブライオンは、ああ、ジェイミーだなぁ、、、という感じでホッとなる。ちょっと、はにかんだような、上目遣い。あー、ビリーの面影、、、あ、いや、ジェイミーだなぁと。

 このブライオンを演じた、次のお仕事が、『ロケットマン』だったとか。

 遠縁のおばばを自認しているくせに、ジェイミーの出演作、全然コンプリートしていないのよね、、、。見ていない作品、まだ一杯あるので、これから頑張って見るわ! とか言って『デスマッチ 檻の中の拳闘』も見逃したけど、、、。

 ジュリーを演じたダニエル・マクドナルドがとっても良かった! ぽっちゃり体型で、実年齢よりは本作では老けて見えたけど、演技は素晴らしい。

 あと、ボスの妻を演じていたのは、ヴェラ・ファーミガ。ほとんどノーメークみたいな顔だったから、最初??と思ったけど、やっぱりヴェラだった。何かちょっとヤバそうなオバサン(あ、これも差別かしら)で、見ていて怖かった。こんな人に執着されたら、そら、ブライオンも大変だわ。

 実際のブライオンさんの入れ墨除去後の顔が、エンドマークの後に出てくるんだけれど、かなりキレイに除去されていてビックリ。よ~く見ると跡が残っている所もあるけど、パッと見は全然分からない。今や技術も進んでいるのですね。
   

 

 

 

 

 

頑張れ、ジェイミー!!

 

 



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コリーニ事件(2019年)

2020-07-14 | 【こ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70932/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 新米弁護士のカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)は、ある殺人事件の国選弁護人に任命される。

 30年以上もの間、ドイツで模範的な市民として働いてきた67歳のイタリア人コリーニ(フランコ・ネロ)が、経済界の大物実業家をベルリンのホテルで殺害したのだ。ライネンにとっては、これが被告側弁護士として初めて手掛ける大きな事件。

 ところが、被害者は少年時代からの恩人だった。事件について一切口を閉ざすコリーニ。

 だが、ライネンは事件を深く調べていくうち、自分の過去、ドイツ史上最大の司法スキャンダル、そして想像を超える衝撃の真実に向き合うこととなる……。

=====ここまで。


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 何度も予告編を見せられたせいか、それとも大げさなコピーに煽られたせいか、興味が湧いて見に行きました。ドイツ映画で、しかもフランコ・ネロが出ているってのもソソられたかも。

 本作は、一応サスペンスもので、これからご覧になる予定の方は、この先ネタバレしていますのでよろしくお願いします。


◆裁きを免れた犯罪者の最期は、、、。

 それにしても、ナチもの映画って、あとどんくらいの期間、作られるんでしょうねぇ。来世紀もまだ作っているかもね……。ネタが尽きないのか尽きてんのか、それすら分からん。

 本作も、蓋を開けてみればやっぱりナチものだった。まあ、それは承知で見に行ったから良いのだが、本作のキモは、その先にあったのであります。

 どなたかがネットの感想で、“中盤で犯人(コリーニ)の殺人の動機が分かっちゃってオチが早すぎ。だから後半はダレて間延びしている”みたいなことを書いておられましたが、おいおい、、、オチはそこじゃねーだろ、とビックリ。本作のオチは、コリーニの動機じゃなくて、、、当然ながら、終盤にカスパーによって法廷で暴露されるんだが、、、。

 コリーニの動機は、殺した相手ハンス・マイヤーに、かつて実父を目の前で虐殺された、という非常に分かりやすいもの。殺し方も、実父が殺されたのと同様、拳銃を3発頭に撃ち込んだ後、さらに脚でマイヤーの頭部を何度も蹴りつけるという残忍な手法で。しかし、マイヤーとコリーニの違いは、マイヤーは戦争犯罪人として裁かれることなく何食わぬ顔をして暮らしてきたのに対し、コリーニはマイヤー殺害直後に殺人犯として捕えられて(逃げなかったからだが)法廷に座らされているということ。

 はて、どうしてSSの将校だった若きマイヤーは、コリーニの実父を始めとしたイタリアのとある村の住人多数を虐殺したという戦争犯罪を裁かれずに済んだのか? この“裁かれなかったこと”が、コリーニの私刑を生む原因となったのだが。

~~~以下、ネタバレです~~~

 マイヤーは何も、逃げ隠れして裁きを逃れたわけではない。れっきとした法律によって、罪に問われることがなくなったのだ。その過程が、コリーニの動機が判明した後で描かれるんだが、まあ、ちょっと分かりにくいかも。だから、前述のように、後半はダラダラ小難しい法律の話に終始して間延びしている、って感想が出てくるのかなぁ。しかし、本作は後半が緊迫度が増して展開も早くなる。

 1968年にできた通称“ドレーアー法”によって、ナチスの多くの戦争犯罪は、同じ殺人でも、動機に悪質性がない“故殺”とされることになった。つまり、より悪質な“謀殺”は、ヒトラーを始めとしたナチスの首脳部のみであり、組織の大部分の人間は首脳部の指示に従った“だけ”の「幇助犯」だから故殺に当たるという解釈によるもの。

 この法改正の抜け穴に、当時の国会議員もほとんど気付かなかったというのだから、実に巧妙な手法だったといえるらしい。本作のパンフの解説にも「裏口恩赦」だと書いてある。

 この説明が若干分かりにくいとはいえ、これらが解明される終盤の緊迫度は高く、これのどこがダレて見えたのか、不思議なくらい。正直なところ、序盤は退屈でハズレかなぁ、、、と思ったくらいだったが、コリーニが「どうして彼らは裁かれなかったんだ!」と泣き崩れるところから、俄然面白くなる。コリーニは、私刑に及ぶ前に、かつて、ちゃんと法的な手続を踏んでマイヤーを告訴したのにもかかわらず、却下されていたのである。そりゃ、だったらこの手で、、、、と思うのも分からなくはないというもの。


◆サスペンスにあるまじき結末。

 カスパーは、この「裏口恩赦」を法廷で明らかにし、コリーニの刑を少しでも軽くしようと奮闘するんだけれども、さて、裁判官はどう判断したかというと、、、。

 これは敢えてここには書かないけれど、ハッキリ言ってヒジョーに興醒めな結末だった。……というより、ズルいなぁ、と。原作もそうなんだろうけど、こんな結末、サスペンスとしてはかなり禁じ手だろう。私が担当編集者だったら、この結末は絶対ダメだと著者に言うねぇ。逃げるんじゃねぇよ、と。だったら、最初からこんなテーマで書くなとね。

 ちなみに、本作は、フィクションです。実話と思われている節もある様だが、通称“ドレーアー法”が施行され、その背景などは史実だけれども、物語自体は完全なフィクションなのであって、著者であるシーラッハはその手できちんと結着を付けるのが、私は物書きの使命だと思う。

 何でも、この原作本がドイツでベストセラーになったことでドレーアー法が注目され、原作本の邦訳版には「本書が出版されて数か月後の2012年1月、ドイツ連邦共和国法務大臣は法務省内に『ナチの過去再検討委員会』を設置した」との説明がされているとのこと。でも、その検討委員会がその後どんな「検討」をしたのかは、ネットで調べてみたけれども分からない。

 そもそも、戦後すぐの西ドイツでは、司法省の高級官僚の8割はナチ党員やSSのOBだったそうだし、このドレーアー法のおかげでその大部分はそのまま大手を振って生活していたということだ。本作の原作本は、戦後初めて、そこにメスを入れた画期的な著書なのに、作者として判断を避けるというのは、いかにも残念。祖父がナチの高官だった、というのは関係ないだろうけど、さしものベストセラー作家も腰が引けたのだろうか。


◆その他もろもろ

 ドイツといえば、日本と違って、きちんと自国の黒歴史と向き合っているとアジア圏では言われているけれど、こんな「裏口恩赦」があったというのだから、それもちょっと割り引いて見ておいた方が良いように思う。でも、祖父がナチ党幹部だった作家がこういう原作小説を書いた、ってことに意味があるよなぁ、とは思う。ネオナチ等は、どう原作本を読み、この映画を見たんだろうか。
 
 原作者は、弁護士でもあり、名前からも分かる様に、貴族の血筋を引いているとのこと。ナチスに貴族の血を引く幹部は珍しかったらしい。……まぁ、そーだよね。

 トルコ系の設定になっているカスパーを演じたのは、エリアス・ムバレク。……あんまし好みではないのでピンとこなかった。すんません。

 カスパーと一緒にマイヤーに育てられた、マイヤーの実の孫娘ヨハナなんだが、なんとカスパーと男女の関係なんだよね。で、コリーニの裁判中も、この2人は寝てるんだけど、これってどーなの??と思ってしまった。せめて裁判中は自重しろよ、、、と思ったんだが、ドイツではそういう弁護士倫理ってのは希薄なのか?

 しかも、このヨハナを演じたアレクサンドラ・マリア・ララという女優さん、美人といえば美人なんだけど、あんまし魅力的には思えず。カスパーがコリーニのためにマイヤーの過去を法廷で明らかにしようとすると、このヨハナは豹変して、彼に「お祖父さん(マイヤー)がいなかったら弁護士になれなかったくせに! 今頃、アンタなんかケバブの店員だろ!!」等と罵声を浴びせる辺り、すげぇ性悪、、、という感じだが、なおさら、カスパーが彼女と何度も寝るのが、イマイチ解せない。

 コリーニを演じていたのは、あのフランコ・ネロ。爺になってもカッコイイ。

 マイヤーの若い頃を演じたヤニス・ニーヴーナーくんがなかなか美男子だった。作中ではSSの将校らしく金髪碧眼だったが、ネットで検索すると、金髪じゃないみたい。ついこないだ見た『ディリリとパリの時間旅行』のオレルを実写したらこんな感じじゃないかしらん、、、と思ってしまった。オレルはボー・ギャルソンだけど。

 あと、本作のラストシーンが、ちょっとね、、、。感傷的すぎるというか、情緒的すぎるというか、なんだかなぁ、、、という感じだった。裁判の幕切れといい、ラストシーンといい、なんか締まりが悪い作品。なので、は少なめです。 


   

 

 

 

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はちどり(2018年)

2020-07-11 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70609/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1994年、空前の経済成長を遂げる韓国のソウル。

 両親、姉、兄と共に集合団地に暮らす14歳のウニは、学校に馴染めず、違う学校に通う親友と遊んだり、男子学生や後輩の女子とデートをしたりして過ごしていた。小さな餅屋を切り盛りする両親には子供たちと向き合う余裕はなく、父は長男である兄に期待。しかしその兄は親の目を盗みウニに暴力を振るっていた。

 そんな中、ウニが通っている漢文塾に、どこか不思議な雰囲気を漂わせる女性教師ヨンジがやってくる。ウニは自分の話に耳を傾けてくれるヨンジに心を開くように。入院したウニの見舞いに訪れたヨンジは、誰かに殴られたら黙っていてはいけないと静かに励ました。

 ある朝、ソンス大橋が崩落。いつも姉が乗るバスが橋を通過する時間帯での出来事だった。

 まもなく、ヨンジから一通の手紙と小包がウニの元に届き……。

=====ここまで。


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 某全国紙の評でベタ誉めしていたのと、他に見たい映画との時間の兼ね合いで見てみることに。何しろ、韓国で最も権威のあるといわれる青龍賞とやらを、あの『パラサイト半地下の家族』をおさえてゲットしたとのことで、新聞でも激賞していた。

 ……で、見終わってみての感想だけれど、何とも感想の書きにくい映画だなぁ、、、ってのが正直な第一印象。

 良い映画だとは思う。こういう、ある人物からの目線で身の回りのことを丁寧に描写する作品は好きなので、2時間ちょっとと短くはない作品ながら全くダレることなくエンドマークまで見ることができた。ネットの感想をいくつか見たところ、「狭い世界の話に終始していて云々」と批判的に書いているものがあったが、14歳の少女の視点で描かれているんだから、それがむしろ前提の映画だろう、、、と思うんだけど。このお方は何を本作に期待して見たのかしらん??

 とはいえ、この手の映画がみな感想が書きにくいわけじゃないのに、本作は何でそう感じたのかなぁ、、、と色々考えてみたのだが、イマイチ自分でもよく分からない。とりたててツッコミ所もない代わりに、グッとくる所もないというか、、、。

 だったら、記事を書くまでもないかとも思ったんだが、ちょっとだけ気になったことがあるので、備忘録的に敢えて書いておくことにした。

 ウニの家族の男たち、つまり父親と兄だが、喧嘩したり怒りをぶちまけたりする際に、女性たちに向かって「このクソアマ!」という接尾語が必ずといっていいほど付くのである。これがこの家族だけの特徴なのか何なのか分からないが、これまで見た韓国映画でも、ここまで安易に男性が女性に向かって「クソアマ」と言うシーンはそんなに頻繁にはなかった気はするが、本作ではまだまだ男性優位社会であることが、これでもかってくらいに描かれているので、その一環としての描写なのかも知れない。

 ……だとしても、「クソアマ」である。韓国語で何と言うのか分からないが、妻や娘や姉妹に、ここまで頻繁に「クソアマ」を吐く男たちってどうなのか。男性優位とか、そういう問題を超えている気がした。まだ、反抗期の高校生が母親に「うるせぇ、ババァ」とか言っている方が下劣度で言えばマシな気がする。いい歳したオッサンが、自分の妻や娘に「クソアマ、クソアマ」と連呼しているのは、不快極まりない。こんなこと、もし自分が夫に言われたら、即離婚案件になるね、私なら。

 もはや蔑称ですらない、「クソアマ」と言われた人間よりも、その言葉を吐く本人の人間性を著しく貶めるものだと思う。……だとすると、監督は、この言葉を多用することで、ウニの家族の男たちをとことんマッチョで下劣な男に描こうとしたのだろうか、、、と邪推したくなる。

 「クソアマ」って、実生活において私自身の周辺では、ほぼ耳にすることのない言葉なんだが、ほかではどうなんだろうか? 割とよく使われる言葉なのか? 韓国ではフツーに飛び交っている言葉なのか? それとも、字幕の翻訳がちょっと意訳だったんだろうか。

 クソアマの反対語って、何だろう、、、? クソ爺ぃ?? クソヤロー?? ま、よく分からないけど、見ていて嫌な気持ちになるシーンではあった。

 

 

 

 

   

 

 

ウニの家族が住む家は半地下ではなく、地上9階です。

 

 



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ディリリとパリの時間旅行(2018年)

2020-07-08 | 【て】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67106/

 

 ベル・エポックと呼ばれる時代のパリ。ニューカレドニアから単身密航してきたディリリは、博覧会で先住民の暮らしのデモンストレーションに出演しているところを、配達人の青年オレルに声を掛けられ、会う約束をする。

 オレルの配達用三輪車のかごに乗せられ、パリ中を駆け抜けるディリリ。そこで、パリでは連続少女誘拐事件が起きていることを知る。それは、どうやら「男性支配団」と名乗る謎の集団が実行しているらしいと分かり、ディリリはオレルと共に連れ去られた少女たちを救出しようと動き出す。

 当時の美しいパリを背景に、また、当時のパリを賑わせた画家や俳優、作家、科学者等々、きら星のごとく著名人がディリリの協力者となり、ディリリが大活躍する様をファンタジックに描いたアニメーション。 


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 公開当時、見たいなぁ~、と思いながら行けずじまいになってしまった。先月、早稲田松竹で緊急事態宣言解除後に上映していたのを知っていたが、それも行けず、結局Blu-rayで見ることに。

 ストーリー的には、悪くないけれども、まあ、正直言って平板な印象。ただ、それを補って余りあるアニメーションと音楽と演出が素晴らしく、見ていて非常に楽しい。

 アニメ(特に絵のみの)は基本的にあまり興味がないからとっても疎いので、ミッシェル・オスロ監督の名前も知らなかった。もちろん作品を見るのは本作が初めて。でも『キリクと魔女』や『アズールとアスマール』のタイトル名くらいは聞いたことがある。本作のBlu-rayにも『キリクと魔女』の予告編が入っていて、興味深く見た次第。

 背景は写真、人物はCGによる作画ということらしいが、この画面構成が気に入ってしまった。人物はどれも平面的で、色もベタ塗りなんだけれども、背景の写真も含めた色彩のセンスの良さは、さすがおフランス~、、、という感じで、実に美しい。

 あと、この時代にパリに実在していたであろう著名人たちが、これでもか、、、というくらいに次々にご出演なのも面白い。私でも分かるくらいだから、恐らく誰が見ても分かる様に、敢えて特に有名人を選んでいるのだろう。ミュシャやロートレックのポスターが街のあちこちに貼られていて、ロートレックのポスターからそのまま抜け出してきた人物がパブにいるとか、視覚的に楽しめて、ちょっとだけ知性を刺激するような作りが、まあインテリ受けしそうではある。

 視覚的に楽しいと言えば、小道具や部屋のインテリアなども実にセンスが良い。地下を巡る白鳥の乗り物や、男性支配団が乗っているモグラみたいな乗り物とか、サラ・ベルナールの私邸内の色彩豊かな部屋とか、カンカンを踊っている女性たちのドレスの色鮮やかさとか、何といっても終盤の飛行船とエッフェル塔とか、、、まあ、ホントに楽しいです、ハイ。

 つまり、本作は、アニメーション映画としてトータルで見るべき作品であり、昨今のLGBTや#Me Too運動を絡めて男性支配団の描き方がどーのとか、内容にツッコミを入れるのは野暮だ、、、ってことだろう。実際、私は、内容のアレコレはほとんどどーでも良い、という感じだった。

 ちなみに、日本語吹き替えの評判がまあまあ良いので一部吹き替えで見たんだが、ディリリは確かになかなか良かったんだが、オレルの斎藤工はイマイチなんじゃないかねぇ? ヒドいとは思わないけど、もっと上手な声優はいっぱいいると思う。

 エンディングの映像と音楽がまた良い。公式HPで見られるので、ご興味おありの方は今のうちにご覧あれ。ちなみに音楽は、ガブリエル・ヤレドというレバノン出身のお方。『イングリッシュ・ペイシェント』でオスカー受賞していると、初めて知りました。『イングリッシュ・ペイシェント』未見なんで、見てみようかな。

   

 

 

 

やっぱしスクリーンで見ておくべきだった、、、、。

 

 


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