映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

罪の声(2020年)

2021-09-02 | 【つ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv67839/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 平成が終わろうとしている頃、大日新聞記者の阿久津英士(小栗旬)は既に時効となっている昭和最大の未解決事件を追う特別企画班に選ばれた。事件の真相を追い取材を重ねる中で、犯人グループが脅迫テープに3人の子どもの声を吹き込んだことが阿久津の心に引っかかる。

 一方、京都で亡くなった父から受け継いだテーラーを営み家族3人で幸せに暮らす曽根俊也(星野源)は、ある日父の遺品の中から古いカセットテープを見つける。何となく気に掛かり再生すると、聞こえてきたのは確かに幼い頃の自分の声であるが、それはあの未解決事件で犯人グループが身代金の受け渡しに使用した脅迫テープと全く同じ声でもあった。

 事件の真相を追う阿久津と、脅迫テープに声を使用され知らないうちに事件に関わってしまった俊也ら3人の子供たちの人生が、35年の時を経て、激しく交錯する。

=====ここまで。

 同名小説の映画化。言わずと知れたあのグリコ・森永事件がモデルです。


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 原作は上梓された頃に図書館で借りて読みました。ちょっと買う気にまではならなかったもので、、、(スミマセン)。もう5~6年前なんで詳細は忘れましたが、なかなか面白く読みました。で、その小説が映画化されたというので、これまた劇場まで行く気にはならなかったので(スミマセン・アゲイン)、DVD借りて見ました。2時間超と長めで、思うところはイロイロありましたが、面白かったです。


◆不気味事件

 グリコ・森永事件、、、リアルタイムで知っているのはせいぜい40代以上くらいだろうか。私は高校生だった。当時は連日このニュースが報道されており、正直言って、怖かった。特に怖かったのが、本作のメインテーマである、あの「子どもの声」だった。TVでこの音声が流れたときはゾッとしたのを覚えている。とにかく、事件の異様さと、子どもの無邪気な声との違和感があまりにも強く、不気味以外の何ものでもなかった。

 本作は、その「子どもの声」から事件を紐解いていくという、目の付け所がナイスアイデアである(原作が、なんだけどね)。

 まあ、とにかく登場人物が多い。誰が誰やら、、、という感じになりそうなところを、ちゃんと混乱しないように構成しているシナリオはさすが。でもって、関係者としてチョイ役で出ている方々の顔ぶれが豪華で皆さん芸達者。塩見三省の仕手のドンみたいなオヤジの凄みがインパクト大。雀荘で関係者との麻雀仲間として出て来た正司照枝も、役というより本人そのもののキャラに見える。その他、浅茅陽子、宮下順子、佐藤蛾次郎、火野正平、堀内正美、、、と名脇役がズラリ。彼らの演技は圧巻である。

 そして、ラスボス的に出て来たのが、梶芽衣子と宇崎竜童。梶芽衣子は星野源演ずる俊也の母親役だが、ただの「利用された子どもの母親」であるはずがないよねぇ、梶さんが演じているってことは。宇崎竜童は犯行グループの主要メンバーとして、最後にご登場。彼の若い頃を演じているのが、私の秘かなお気に入り川口覚くんであった。ヘンな髪形だったのがいただけない、、、。

 それはともかく。実際のグリコ・森永事件と、本作でのギンガ・萬堂事件はほぼ経緯は同じに進行していく。原作者の塩田武士氏が、そこは同じにしたと言っているらしいが、背景も当時から言われた説がイロイロと取り入れられている。

 まあ、本作では事件の真相が明らかになっているのだが、現実のグリコ・森永事件については、一連の事件全てが時効成立してしまったのだった。だからこそ、創作意欲を駆り立てられるんだわね。この原作がなかなかの秀作なので、この後、グリコ・森永事件に材をとった小説や映画を作るのは難しいかも。

 

~~以下、本作及び小栗旬くんをお好きな方は自己責任でお願いします。悪意はありませんがちょっと悪口になっていますので。~~


◆新聞記者を買い被りすぎ。

 というわけで、ギンガ・萬堂事件の真相は分かったし、見ていて面白かったのも事実だけど、正直なところ、途中からちょっと白けてしまった。

 なぜか。

 それは、あまりにもスルスルと事件の真相が分かって行っちゃうから。警察がのべ何万人と投じても検挙できなかった事件を、何十年も経ってから、しかも、イチ新聞記者があの程度の取材で核心に辿りつけるほど、現実は甘くないと思うゾ。これは、原作を読んだときにも感じたことだけれど。

 こういう話で決まって狂言回しに使われるのが小栗旬が演じた“新聞記者”。まあ、便利な設定ではある。でも、本作の場合、阿久津の存在抜きで、曽根俊也が一人であのテープの存在を探ることで、ラスボス2人にアッサリ辿りつけちゃうんだよね(俊也が母親に「これ何?」と聞けば良い)。それに、曽根俊也がテープを見つけるのと、阿久津がギン萬事件の特集で取材に動き出すタイミングが偶然同じって、ちょっとね、、、。そんな“たまたま”は現実にはほぼない。俊也が自力で他の2人の子どもたちに辿りつけそうにないから、記者か探偵に協力を仰ぐ、、、とかいう設定にするならまだアリかもだが。

 新聞記者が何でも謎解きできる職業みたいに、特にドラマや映画などの映像系では使われるように思うが、ハッキリ言って新聞記者がここまで鮮やかに事件の核心に迫れることって、あんましないと思うなー。そりゃ、関係者がネタを持ち込めば別だけど。記者にあそこまで親切にベラベラ市井の人たちが喋ってくれるって、、、、いや、犯罪がらみじゃなければそういうこともあるだろうけど、あんなおっかない組織が絡んでいる犯罪だよ? まあ、これは小説&映画だから、そういうのは構わんといえば構わんけど、鮮やか過ぎるよね、ちょっと。

 まあ、そこは百歩譲って良しとしても、私が一番嫌だなと感じたのは、阿久津が宇崎竜童演ずる曽根達雄に説教しているシーン。「あなたは子どもの未来を奪ったんだ」とか何とか、、、。一介の記者がナニサマのつもり? 真相を究明するだけにしておけば良いでしょ。俊也が伯父の達雄に言うならアリだが。映画としても、ああいうラストへの盛り上げ(のつもりだろうが)は浪花節的で安っぽくなるからやめた方が良いと思うな~。まあ、達雄みたいな思想の人間に一発かましてやりたくなる気持ちは分かるけれども、アンタ仕事で来てるんでしょ??と。ああいう記者が書いた記事は情緒的で読む者に余計な情報を与えるからよろしくないね。

 新聞の記事は、たとえ連載や特集であっても、事実を冷静に書けば良いのです。コラムはまあ、別だけど。阿久津の書きそうな記事が想像できてウンザリした。

 
◆その他もろもろ

 小栗旬、、、好きでも嫌いでもないけど、終始、なんか軽いなーーー、と思って見ていた。いかにも軽そうな兄ちゃんが、巨大メディアの名刺一枚差し出すだけであんなにサクサクと真相を暴くってのが、余計に違和感あったのかも。こんな小僧にイギリス来てまで説教される達雄に同情しちゃったよ。彼はルパンとかがお似合いなんでは? ハリウッドから強制送還されたのも分かるわ。来年の大河で、私のこのネガティブなイメージを覆して欲しいものです。

 星野源は、抑制の効いた素晴らしい演技だったと思う。テイラーが似合っていた。自分の幼い頃の声って、テープで聞いて分かるものかね? でも、それを見つけて、ギン萬事件に迫って行く過程の、俊也の切迫した気持ちとかよく出ていたと思う。

 一番印象に残ったのは、やっぱし前述の正司照枝さんかな。ほんの数分の出番だったけど。あと、松重豊は言うに及ばず、さすがの芸達者振り。悪人も善人もすっとぼけたキャラも何でもござれで素晴らしい。

 ちなみに、グリコ・森永事件は、何年か前にNHKが未解決事件シリーズで取り上げていた。ほとんど既知の情報だったけど、やっぱり今見ても、気味の悪い事件だと改めて思った。犯人たちは今どこで何をしているのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

かい人21面相→くら魔天狗、、、かい人21面相の方が気持ち悪い。
 

 

 

 

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罪と女王(2019年)

2021-02-03 | 【つ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70707/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 児童保護を専門とするデンマークの弁護士アンネ(トリーヌ・ディルホム)。優しい医者の夫と幼い双子の娘たちと完璧な家庭を築いていた彼女だったが、ある日、夫と前妻との息子である17歳の少年グスタフ(グスタフ・リン)が問題を起こし退学になってしまう。

 アンネはスウェーデンにいたグスタフを引き取り、アンネの家族たちと同居を始めるが、グスタフは衝動的な暴力性があり家族に馴染もうとしなかった。しかし、アンネは根気よく彼を家族として迎え、正しい方向へ導こうと努めるのだった。

 そんななか、グスタフと少しずつ距離を縮めていくアンネだったが、親密さが行き過ぎてしまい、ある時、アンネは彼と性的関係を持ってしまう。

 やがて、そのことが大切な家庭とキャリアを脅かし始め、アンネは残酷な決断を選択するのだが……。

=====ここまで。

 ううむ、、、このあらすじはちょっと違う気がするぞ……。


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 昨年の公開時に、見に行こうかどうしようか迷っているうちに終映してしまっていました。迷う映画は、その後DVD等で見てみると、行かなくても良かったナ、、、と感じることが多いけれど、本作も、まあそうかな。真面目に作られた映画だとは思うんだけど、鑑賞後感が悪すぎる、、、、ごーん。


◆グレーじゃない、真っ黒です。

 前回の『哀しみのトリスターナ』で、「男だと愛になり、女だと好色になる、、、これいかに。」と書いたが、本作の公式HPにあった監督メイ・エル・トーキーのインタビューを読むと、こんなことが書いてあった。

 “ 私たちは、父が義理の娘とセックスするということが間違っていることを明確に知っていますが、母と義理の息子の場合、それはグレーゾーンになります。 何が間違っているのか、何が正しいのか定義するのが難しくなります。”

 え゛~~~っ??と思ったのはわたしだけ? グレーゾーンになるか? ならんだろ~~~!! 立派な性的虐待やん? 定義が難しくなるって、何の定義? 意味が分からん。

 百歩譲って、この監督さんの言いたいことを推測すると、女性→男性の虐待は、虐待と認識しにくいということなんだろう、多分。しかしそれは、ぶっちゃけて言えば、男女の身体の構造が違うからでしょ。男は挿入“する”、女は挿入“される”。挿入“する”に当たっては、男の性器が挿入可能な状態になっていなければならないので、そこに、男性の側の“能動性”が認められると。

 ううむ。男の身体の仕組みを無視しすぎなのでは。刺激を与えれば反応するだけなんだから、能動性とは関係ないでしょ。大昔に何かの本か雑誌で男性執筆者が「それ(したくなくても刺激を受けると反応してしまうこと)が男の哀しいところ」って書いていたけど、……ま、そういうことでしょ。レイプされた女性に「濡れてたんじゃないの?」なんて捜査機関が聞いたら、今は立派な二次被害になり得るし下手すりゃ訴えられるけど、それと同じだよね。

 本作の場合でも、アンネはものすご~~~くダイレクトにグスタフを犯すんだけど(口淫ってやつですね)、この描写があまりにもあけっぴろげで、凄まじいえげつなさ。ネットでは本作のことを“エロ”だと書いている人もいるが、まったくエロとは対極にある性描写であると私は感じた。監督のインタビューを読むと納得の答えが、、、。

 “男性が被害者である場合、性的虐待をより寛容に見る傾向があるため、観客が感じる不快感を作り出すために明示的なセックスが必要でした。(中略)セックスシーンも、例えば会話のシーンと同じように、観客に何か新しいことを伝え、洞察を与える場合にのみ、映画に含めるべきだと思います。 それ以外の場合は、ストーリーを進めることもなく、理解を深めることもなく、その力を失い、ただ冗長になります。”

 「より寛容に見る傾向がある」ってのは??だけど、おおむね同感。実際、本作での性描写はいくつかあるが、どれも、必要と思えるシーンだった。ただの観客サービスではない。だから、エロなんてまるで感じなかったわ。これで官能を感じるなんて、むしろスゴい、、、。

 本作の場合、やっぱりアンネとグスタフがどうしてそのような関係になったか、、、を描くには、あのえげつないシーンが不可欠だった、、、、ということだろう。


◆逆ギレで自己防衛。

 とにかく、本作の後半は、アンネの自己保身からくるグスタフへの仕打ちが酷すぎて、憤りを通り越えて、見ているのが苦しかった。

 ただ、グスタフからアンネとのことを聞かされた夫に対するアンネの逆ギレぶりは、想像どおりだった。

 というのも彼女は序盤で、夫にも、職場のパートナーにも「反論ばかりせずに、一度で良いから、オレの言っていることに同意してくれ」と同じことを言われている。弁護士という職業柄、口八丁なのは仕方ないかも知らんが、とにかく彼女は意に反することに対して絶対に譲歩しない。マシンガントークでたたみかけて相手をねじ伏せる。見ていて不愉快になるほど。あれは、グスタフとの情事がバレたときのアンネの言動に対する伏線だったんだろう。

 小心者で常識的な人間の私には、彼女がグスタフに手を出したことは理解できないが、あの過剰自己防衛は、ちょっと分かる気がする。人間、本当に追い込まれて自己保身しなければならなくなったら、ああなるだろうな、、、と。幸い、私には今までそこまで切羽詰まった出来事がなかっただけで、もし、全てを失うようなことが起きた場合、ありとあらゆる手段を駆使しようとするだろう。たとえ、それがバレバレだったとしても。

~~以下、結末に触れています。~~

 まあ、そんな事態を招くのはイヤだし、切り抜ける能力もないから、暴走はなかなか出来ない人間なのだが。アンネは、逆ギレして不信感の芽生えた夫の心をねじ伏せ、とりあえず切り抜ける。

 夫をけしかけてグスタフを家から追い出し、その後、グスタフは行方不明となり、スウェーデンの山小屋で遺体となって発見される、、、という最悪な展開になる。そうなって初めて、夫は、グスタフが本当のことを言っていたのだと確信する。

 ラストは、グスタフの葬儀に向かう一家4人の画で終わるが、どうにも寒々しい。アンネが守ろうとしたものは、守れなかったということだろう。たとえ、家族離散にならなかったとしても、冷え冷えとした家庭になるのは目に見えている。グスタフに懐いていた自身の娘たちも、長じて真相を察するだろうし、結果的に、彼女はゆっくりじっくり罰せられるということだ。

 まあ、自業自得です。


◆不満とか、もろもろ。

 で、冒頭のあらすじだが、「親密さが行き過ぎてしまい、ある時、アンネは彼と性的関係を持ってしまう」とあるけど、これは違うと思う。大体、「持ってしまう」だなんて、何だか不本意ながら、、、みたいに聞こえるけど、とんでもない。アンネは自ら強烈に望んでグスタフを犯したのだ。持ってしまう、じゃなく、持った、とすべき。「親密さが行き過ぎてしまい」ってのも、違う。アンネが性的な目でグスタフを見始めて、勝手にグスタフとの距離をずんずん詰めていっただけ。グスタフは犯されるまでほぼニュートラルだったんだから。多分、ほとんどアンネのことを女性として認識していなかっただろう。

 きっかけになったのは、グスタフが女友達を連れてきて、夜中にセックスしている声がアンネの居る部屋まで聞こえてきたこと。その後、アンネは自分の裸体を鏡に映して眺める。さらには、やたら夫に積極的にセックスを求めたり、行為の真っ最中に夫に2度もビンタしたり、、、そこで留まっていりゃ良かったのになぁ。

 そのアンネを演じたのはトリーヌ・ディルホム。アンネは、多分、40代くらいの設定だろうが、もう少し老けて見えるかなぁ。この方、『リンドグレーン』(2018)では女神のような女性を演じていたんだけれど、同じ女優さんとは到底思えない圧倒的な演技で、ただただ呆然、、、。

 グスタフを演じたのは、グスタフ・リンという同名の青年。美青年ではないけど、ちょっと問題を抱えて、でも本質的には優しい良い子、というキャラに合った風貌。難しい役どころなのに、すごく巧かったと思う。

 まあ、これはどーでも良い感想だけど、私は、グスタフが死んでしまう展開は好きじゃない。監督が言うように、“グレーゾーン”の是非を問うのなら、やっぱりグスタフとアンネがキスしているところを目撃した、アンネの実妹を活かし、彼女に証言させて、アンネをきちんと断罪して欲しかった。そして、グスタフは救われて欲しかった。未来ある若者なんだから。どう考えたって、この一件で裁かれるべきはアンネでしょう。この後、アンネの家庭が実質的に崩壊するかも知れないとしても、それじゃぁ、彼女の犯した罪には見合わない。

 ……という不満と、鑑賞後感の悪さゆえ、の数は少なめです。

 

 

 

 

 

 

 

アンネの自宅が素敵、、、。

 

 

 


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追想(2017年)

2018-08-22 | 【つ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 英国発のポップカルチャー、スウィンギング・ロンドンが本格的に始まる前の1962年、夏。保守的な空気が社会を包む中、若きバイオリニストのフローレンス(シアーシャ・ローナン)は歴史学者を志す真面目なエドワード(ビリー・ハウル)と恋に落ちる。

 これからの人生を共に歩むことを決めた二人は、挙式後、美しい自然が広がるドーセット州のチェジル・ビーチに新婚旅行へ。しかしホテルに到着するや、初夜を迎える興奮と緊張から気まずい空気が流れだし、ついには口論に発展。フローレンスはホテルを飛び出してしまう。

 生い立ちもこれまでの家庭環境もまるで違っていても深く愛しあっているはずなのに、愛しているからこそボタンの掛け違いが生じ、今後の二人の人生を左右する分かれ道となってしまう。

=====ここまで。

 ううむ、、、。公式HPの「たった1日で終わった結婚」てコピー、、、これはもしかするともの凄いネタバレなんじゃないの? 本作をちゃんと見たら、このコピーはダメだと、普通は思うと思うんだけどなぁ。


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 それほどそそられる内容でもないし、シアーシャ・ローナン苦手だし、わざわざ見に行く要素がないんだけど、イアン・マキューアン原作かぁ、、、と、なんとなくフラッと見に行ってしまいまして、やっぱし、ちょっとなぁ、、、と思ってしまった次第です(原作未読)。


◆英国版“成田離婚”

 公式に激しいネタバレをしているので、私も遠慮なく書いちゃうけど、本作は、「新婚初夜に失敗して離婚にまで発展したお話」である。こんな風に書くと身も蓋もないんだが、でも実際そうなんだからしょーがない。

 こんなことは、誰にでもある話で、大体、若いカップルの初セックスが、めくるめく官能の極みであることなんて、まぁ、多分ほとんどゼロに近いんじゃないかねぇ。若くなくたって、初めてじゃなくたって、、、ねぇ。思い出したくもない! って人、世界中にごまんといると思うよ?

 それでも、そんなカップル達がみんな破局しているわけじゃないわけで、それは、お互いに“そういうもんなのかな?”とか“まぁ、しゃーない”とか、現実を、、、というか、互いの未熟さやカッコ悪さを受け容れる努力をするから、、、でしょうね、多分。セックスは、カップルにおいて非常に重要な要素でありながらも、それが全てではないわけで。つまり、このフローレンスとエドワードにとっては、セックスが全てになっちゃっていたんだよね、この時点では。セックスが上手くできること=良いパートナー、みたいになっちゃって、あと数時間、お互いに頭冷やせば、別に離婚なんてことにはならなかったのに、自分の至らなさ、恥ずかしさが、2人を暴走させちゃった、、、って感じかな。

 このフローレンスみたいな女子は、今でも結構いると思うぞ。私は、彼女ほど潔癖じゃなかったけど、彼女が尻込みする気持ちは何となく分かる。しかも、フローレンスは、ものすごくプライドが高く、今で言う“意識高い系”な女子。まぁ、頭でっかちなんだよね。若い頃って、みんな大なり小なりそういうとこあるわけで。

 セックスの壁、って、人生で結構大きいかも知れないなぁ、とも思う。というか、恋愛の壁、と言った方がいいのかな。ある段階で、この壁を越えるなり破るなりしておかないと、どんどん壁が高くなって、もうどうしようもなくなる、、、みたいなところはあるかも知れない。特に、こういう要素って、個人の価値観の違いがハッキリ出るからねぇ。同じ女子でも、ものすごく積極的な人もいるし、フローレンスみたいな子もいるし。男子でも、エドワードみたいにちゃんと我慢する子もいるけど、暴走する子も多いわけで。男子にこそ、ちゃんと避妊を教えろ!! と常々私が思う理由はここにあるんだけど。射精は責任持ってしろ。

 フローレンスのワンピースのファスナーを上手く下ろせないだけで、激しく自分に憤るエドワードとか、もうちょっと、ヤバいだろ、、、と思って見ていたけど、事態はどんどん悪い方へ行くばかり。

 エドワードは、我慢し過ぎたのが逆効果だったのか、ようやく、、、というときに、まさにアッと言う間に終わっちゃって、お気の毒としか言い様がない。これが、相手がベテランの女性だったら「あらあら、、、可愛いわねぇ、坊や」と頭ナデナデしてくれるんだろうけど、潔癖フローレンスちゃんは、なんと「気持ちワルイ!!」だもんね。もう、2人とも、可哀想、、、。

 ……とはいえ、フローレンスは、離婚後、別の男性とちゃんと家庭を築いて、孫まで出来たんだから、単にエドワードとは、ボタンの掛け違いを修復できなかっただけ、とも言える。

 恋愛とは、他人に寛大になることを学ぶ機会でもあるのだよね、、、(遠い目)。


◆フローレンスは苦手なタイプです。

 本作は、実際には結婚式を終えて、初夜で破局するまでの数時間を描いているだけなんだが、その間に、2人の馴れ初めが挿入され、結婚に至るまでの道のりが明らかになる、という構成。

 この脚本も、イアン・マキューアン自身が手掛けていて、ちょっと意外だった。大抵、小説家が脚本を書くと、イマイチなことが多いけど、本作は非常に時系列処理も上手く、しかも、現在の2人の物語は、ホテルの部屋だけで展開されるから、結構難しいと思うが、見ている者を飽きさせない展開は素晴らしいと思った。

 ……が、私が本作をイマイチだと感じてしまったのは、やっぱし、題材が題材だし、フローレンスのキャラがあまり好きじゃない、ってのも大きい。

 彼女は、前述の通り“意識高い系”で、室内楽のグループを編成していてそれでプロになることを目指していて、、、って何か、現実に自分の身近にいたら、絶対友人になりたくないタイプなんだよなぁ。もちろん、これは私の個人的な好みの問題だけど。エドワードとのデートも、もう、実に教科書的な、というか、、、。私が男だったら、息が詰まりそうになると思う。

 エドワードの風変わりな母親(脳に障害がある)へのフローレンスの対応が、素晴らしいものとして(多分)描かれているんだけど、この辺りも、私にはちょっとダメだった。もちろん、フローレンスの行動は誰にでもできるものではないし、客観的に見れば、いわゆる“神対応”なのだが、私の目には“神過ぎて”ダメだったのである。

 あと、2人が別れた後日談、ってのが終盤に展開するんだけど、これがね、、、ちょっと蛇足っぽいと思ってしまった。……いや、切なくて泣けるんだけど、映画の作品として全体を見たとき、特に、ホールでの演奏シーンがクサいなぁ、、、と感じてしまって。これには伏線として、若い頃の2人が、同じホールで、「ここで絶対成功して世に出る!」と決意を語るフローレンスに対し、エドワードが「じゃあ、ボクは前から3列目のこの席に座って盛大に拍手するよ!」等と夢を語り合うシーンがあるわけよ。で、後日談では、爺さんになったエドワードが、その前から3列目の席に座って、涙を流しながら拍手しているのに、舞台上の婆さんになったフローレンスが気付いて涙する、っていうね、、、。これ、どーなの? クサすぎない??

 フローレンスをシアーシャ・ローナンが演じていたからかなぁ、と自問自答してみたが、やっぱりそんな単純なことではないと思う。シアーシャ・ローナンは、確かに良い女優さんなんでしょう。私は彼女の雰囲気も演技もやっぱり好きになれないが、他の女優さんがフローレンスを演じていても、まあ、多分好きではないだろう、フローレンスのことは。

 エドワードを演じたビリー・ハウルは、結構頑張っていたと思う。見ている間中、誰かに似ているなぁ、、、と思って見ていたんだけど、後で分かりました! ジョン・ボン・ジョヴィです! 若い頃のジョンにそっくりやん?? と思ったのは私だけかな。

 フローレンスが夢見る舞台のウィグモアホールだけど、意外に小さいホールなのね。有名なホールなので、てっきりもっと大きい(カーネギーとか)かと思ってた。入り口も何だか地味だったし(本作で映っていたのは楽屋口?)。でも、ホール自体はとっても趣があってステキなホールだった。あんなホールで、素晴らしいリサイタルとか聴いてみたい、、、(嘆息)。


◆余談だけど、、、

 ネットでの感想をザッピングしていたら、フローレンスが、実父に性的虐待を受けたことを窺わせるシーンがあったらしいけど、、、、そんなのあったかしらん? 気がつかなかった。この実父も、相当の変わり者だとは思ったけど、そんな恥知らずな父親だったのかなぁ? 私が見落としただけかも。

 ただ、もし、そういうシーンがあったとしたら、そんな余計な要素入れる必要なかったとは思うけどね。

 セックスに積極的になれない理由に、そういった深刻な原因がありがち、と世間に誤解させるようなことをしないで欲しい。何となく男性が苦手、とか、セックスが怖い、という女子は普通にいるのだ。

 私は、若い頃、セックスが怖いわけじゃなく、見合いがイヤだっただけだが、「どうしてそんなに見合いがイヤなのか」と母親が聞くので、「(見合いなんて)こいつとセックスできるか、と聞かれているみたいで気持ちワルイ」「好きでもない男とセックスするような結婚なんかしたくない」(実際にはもう少しマイルドな表現だったが)と答えたら、母親が「アンタ、これまでにイタズラされたりとか特殊な経験でもしたん?」などと言い出し、そういうことを聞かれること自体が「特殊な経験だ!」と言いたくなったものだ。

 とにかく、そういう性的なことに対する感覚は人によって千差万別なんだから、“セックスを怖がる女=性的虐待歴がある女”みたいなのは、割と安っぽい小説や映画で出くわすが、本当に止めていただきたい。









DVDで十分だったかな、、、。




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罪物語(1976年)

2017-06-12 | 【つ】




 19世紀末のポーランド・ワルシャワ。おぼこ娘エヴァが、テキトー男ウカシュに惚れたことに始まる転落の人生の顛末を描く。

 監督のヴァレリアン・ボロフチックは、アニメや短編映画で腕を磨いてポルノなんかも結構撮っていた方らしい。本作はカンヌにも出品されたとか。へぇー。
 

   
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 ポーランド映画に特化して見ようとしなければ、見ることもなかったであろう本作ですが、、、。まあ、映画としてはナニですが、そこそこ楽しめました。


◆濡れ場がかなり“イヤらしい”。

 エヴァさんの転落ぶりが、なんというか、あまりにも絵に描いた様なソレなもので、何だかなぁ、、、という感じなんですが、やっぱしこういうハナシって、世界中どこにでもあるんだな~、と改めて思いました。

 ただ、本作でのエヴァさんは、結構モテるんですよ。エヴァさんに真剣に好意を寄せる金持ちのシュチェルビツ伯爵だって、ウカシュに負けず劣らずイケメン。私がエヴァさんだったら、さっさとウカシュから乗り換えるんだけどなぁ、、、なーんて思いながら見ておりました。

 ……まあ、でもそこは第三者には分からない、エヴァさんのウカシュへの熱情です。ウカシュの何がそんなに良かったのか、、、。初めての男だったからでしょうか?? 少なくとも、本作を見ていて納得できるウカシュの良さ、ってのはなかったような。

 詰まるところ、エヴァさんは、だめんず専の女、ってことですな、残念ながら。

 ウカシュと結ばれるシーンが、なかなかイヤらしいです。この辺が、監督さんがポルノも撮っていたと聞いて、妙に納得しました。どうイヤらしいかは見ていただくのが一番良いのだけど、こんなマイナー映画、敢えて見たい方も少ないでしょうから、一応、書いておきますと、、、。

 ウカシュは、決闘が原因の怪我で、ベッドで寝ております。看病してくれるエヴァが部屋から出た隙に、エロ本の1ページに何かを挟んでおきます。で、ようやくエヴァとセックスするに至ると、手探りでサイドテーブル上の例のエロ本を手に取り、物を挟んでおいたページを開きエヴァに見せる。そこには、全裸の女性がある体位をとっている写真が、、、。エヴァさんにも同じ体位をとらせると、背後からねっとりと襲いかかるウカシュ、、、。

 ……うぅむ、イヤらしさ、少しは伝わったでしょうか。官能的、というより、イヤらしい、というのが正確ですね。まあまあキレイに撮っていますけど、セックスをロマンチックに描かない、飽くまで、性欲として描く、という感じのシーンです。

 こういう濡れ場の描き方、キライじゃないです、私。現実では、コトの最中にエロ本見せてくる男なんて想像したら、サイテーだけどね。


◆淫乱女の悲惨な人生、、、??

 濡れ場は後半にも長いのがもう1シーンあります。これも、まあイヤらしい感じですが、こっちは、エヴァさんは、ヤクザの夫に脅されてシュチェルビツ伯爵を嵌めるために伯爵とセックスしているので、あんまりエヴァさん自身は悦んでないのですね。伯爵はもう、ようやくエヴァさんを手中に出来てサイコーなんですけど、、、。

 そして、哀れな伯爵は、見事に嵌められて全財産をぼったくられた上に、全裸のまま殺されちゃう、、、。何という悲惨な最期、、、。

 まんまと伯爵を嵌めた後、いきなり次のシーンでエヴァさんは娼婦になっています。あまりの飛躍に、見ている方は???となるのですが、後で調べたところ、実はこの前に大事なシーンがあったのがまるごとカットされていたのだとか。その大事なシーンで、彼女が娼婦になった理由が分かる様ですが、、、。

 まあ、それは本作を見ても分からないので、とりあえずここではおくとして。

 でもって、エヴァさんは、最後の最後まで、ウカシュが忘れられず、ウカシュのために命を落として死んでしまうんですよねぇ。、、、ごーん。

 本作の紹介を読むと、エヴァさんが淫乱だったからこうなった、っていうことらしいんですけど、本作で描かれているエヴァさんは、そんなに淫乱だとは思わなかった。淫乱=男で身を持ち崩す、はちょっと違うと思うし。そもそも淫乱って何さ。過剰な性欲を押さえられない性質、ってこと?

 キリスト的には、淫乱は大罪なわけだから、こういう悲惨な人生が待っています、ってことかしらん。だから何だ? という感じですけど、、、。


◆ポーランド映画、雑感。

 しかし、ポーランド映画を立て続けに見てきたわけだけど、全体に暗いなぁ。雰囲気もストーリーも、、、。どこかこう、突き抜けた感じがないのですよね。

 それはやはり、長い間、抑圧の歴史のある国だからなのでしょうか。

 インドも、長く英国の植民地で、侵略された歴史を持つ国だけれど、インド映画は明るいのが多いですよね。やはり、気候による部分もあるのかしらん。南国の方が、気質も明るいというし、、、。ポーランドは、(あくまでイメージだけど)やはりどちらかというと、曇った空に冷たい空気、という感じだもんなぁ。そういうお国柄で、突き抜けた明るさのある映画、ってやっぱり作られにくいのかも。

 この後も、ポーランド映画、まだまだ続きます。



 


罪物語の“罪”=淫乱の罪、のようです。




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ツレがうつになりまして。(2011年)

2015-03-12 | 【つ】



 真面目な夫ミキオは、その真面目さゆえ、サポートセンター勤めという仕事も祟ってうつ病に。夫をツレと呼ぶハルコは、ツレがそんな病気になっていたとは知らず、妻として気付けなかったことをツレに謝り、仕事を辞めるようツレを諭す。

 伴侶のうつ病に向き合って支え合う、夫婦の成長物語。
  

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 原作未読。NHKのドラマは初回だけ見て挫折(どうも、私は藤原紀香の演技がダメらしい、、、)。で、映画版は、BSで正月明けにオンエアしていたのを録画してあったので、見てみました。

 、、、ま、うつ病の修羅場はこんなもんじゃないだろう、ということは、うつ病患者を身近に知らない私でも容易に想像がつくので、そういう意味では、若干「キレイごとに過ぎる」気はします。が、これはこれで良いと思いました。そもそも、本作の趣旨は「うつ病の実態を描く」とは違い、うつ病を通して「夫婦を描く」なんでしょう。だから、うつ病に関する描写はこれで十分な気がします。

 とはいえ、、、いや、だから、かも知れないけれど、映画としての深みはあんましないですね。泣けるところもあるし、役者さんたちは皆良いし、美術や小道具もなかなか、なんだけれども、なんかこう、、、グッと来ないというか。

 まあ、それはやっぱり、あまりにもハルコさんが素晴らしい妻だからなんだよねぇ、多分。一度だけ、ハルコさんがブチ切れるシーンがあるけれど、、、。かと言って、修羅場ばっかり見せられてもツラいしなぁ。難しいところよね、この辺は。

 実は、私のパートナー(以下、Mr.P)は、職場で「新型うつ」の後輩に悩まされており、それを間近で見ているので、本作のミキオさんのような人がうつ病になってしまうのは、実に説得力がありました。その後輩の場合「新型うつ」というのは飽くまで自称であり、診断書には単なる「うつ病の疑いあり」としか書かれておらず(そんな診断書あるのか!?)、こういうケースは、Mr.Pを始め周囲はもの凄く困るのですね。後輩君がミキオさんみたいな人なら、まだしも同情的になれるのですが、むしろ正反対な人で、一番自分の面倒を見てきてくれたMr.Pや他数名に向かって暴言を吐き、「お前らのせいで病気になった! でも会社には言うな!」とのたまったのだとか。そのくせ、「新型うつ」なんで、仕事以外の場面では問題は表出せず、仕事でも表出させないためには仕事を休むしかないという論理で、結局、会社に自己申告して半年間の休職の権利を得、その期間はさらに半年延長され、いよいよ職場復帰の時期が近いんだそーな。皆、もうウンザリしているらしいのですが、会社としては、まあ、そうやって対応していくしかないわけですね、、、。ごーん、、、。

 私自身、若い頃、摂食障害から、恐らくうつ病になり掛けていたんだと思いますが、もの凄い無気力、虚脱感、絶望感、自己嫌悪感、自殺願望と立て続けに襲われ、仕事を辞めた経験があります。まあ、仕事を辞めたのは、それだけが原因じゃなくて、そもそも仕事が合わなかったし、その頃から、母親との確執が表面化した、というのが摂食障害の一番の理由なんですが。当時は、今ほどうつ病なんてポピュラーじゃなかったし、私も心療内科にかかりましたけれど、診断名は「自律神経失調症」でしたもんね。心の病は、本当に厄介です。正直、最後は自分で「治ろう」と思わない限り、治らない、ということを学んだのですが。

 ・・・と、何だか、ちょっと真面目モードになりかけてしまいましたが、まぁ、本作は、うつ病よりも、夫婦の在り方を考えさせられる作品でございました。

 健やかなるときも、病めるときも、、、が理想だけれど、実際はね・・・、なかなかね。
 


健全なる精神は健全なる身体に宿る! 何はなくとも健康第一!!




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コメント (2)
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