映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

波紋(2022年)

2023-06-17 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79851/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 夫がいなくなって十数年、“緑命会”という新興宗教を信仰し、日々庭の手入れを欠かさず、祈りと勉強会に勤しみながらひとり穏やかに暮らす須藤依子(筒井真理子)。

 そんなある日、自分の父の介護を押し付けたまま失踪した夫・修(光石研)が、突然帰ってくる。がん治療に必要な高額の費用を助けて欲しいというのだ。さらに、息子・拓哉(磯村勇斗)が、障害のある彼女を結婚相手として連れて帰省。依子のパート先では癇癪持ちの客に大声で怒鳴られる……。

 自分ではどうにも出来ない辛苦が降りかかる依子は、湧き起こる黒い感情を宗教にすがり、必死に理性で押さえつけようとするのだが……。

=====ここまで。


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 何かの映画を見に行った際に予告編を見て、荻上直子監督作だと知り、私はこの監督の映画は「かもめ食堂」しか見たことないので、“何かちょっと雰囲気違うんじゃない、、、?”と思って興味をひかれたのでした。それに主演は、筒井真理子さんだし。脇も個性派ぞろいで、これは面白そうかも?と。

 折しも新興宗教が重要ファクターというのもあり(撮影は例の事件前だそうですが)、そんなこんなで劇場まで見に行ってまいりました。


◆父、帰る。

 何も言わずに突然いなくなった夫が、ある日突然、目の前に現れるって、考えただけでもの凄くイヤだよなぁ、、、と思いながら見ていた。「オレ、癌なんだよ」って、知るかよ、そんなもん!!と、私が依子さんなら吐き捨てて門前払いなんだが、依子さん、家に入れてやるのだ。「オヤジに線香あげたい」とか絶妙な口実をスラスラ言うこの夫が、超絶憎たらしい。

 しかも、この夫、めっちゃ図々しくてムカつく。ほんの短いシーンなのに、見ているこっちは殴りたくさえなるという、、、。

 「もしかしてご飯食べるの?」と聞く妻に「……え、できれば」と抜け抜けと答えたり。「酒ある?」と聞いたり。味噌汁をズルズル音立てて食べたり。

 また、別の日には、パートから妻が帰って来ると、ごみ箱に直接足の爪を切りながら「おかえり~」とか。大事にしている新興宗教の祭壇に祀ってあるでっかい水晶玉にベタベタ手形が付いているとか。

 夫が出奔している十数年の間に、妻は新興宗教にハマっていたのでした。そして、そんな母親を見ているのがイヤで、遠い九州に進学して家を出た息子。自身が結婚しようと、彼女を連れて帰ってくれば、何と、そこにはいないはずの父親がごろ寝しているではないか。自分が帰って来たつもりが、まさかの「父帰る」状態になって唖然とする息子。

 ……という具合に、深刻なはずの状況なのに、ムカつきながらも可笑しくて乾いた笑いが起きる。この、スッとぼけたムカつく夫を演じている光石研が実に巧い。この人は、本当に良い役者さんだ。


◆依子さんは本当に解放されたのか。

 依子さんは、夫の突然の失踪で傷ついた心を、怪しげな宗教で癒して来たのだが、緑命会という新興宗教の描写はソフトというか、悪質感があまりなく(守銭奴的な感じがない)、人畜無害なボランティアサークルっぽい感じさえする。ただ、それでも異様なのは、水の精(?)の稚拙な踊りや、集っている人たちの“イッちゃっている”目。あれらがなければ、依子さんがそれで救われるのなら、むしろ続ければいいんじゃない?と言ってあげたくなりそうな集会である。

 が。実は、依子さんは、この緑命会では本当には救われていなかったことが中盤に露呈するのである。

 つまり、本当に依子さんが救われるリアルな出会いがあるのだ。木野花演ずるパート仲間・水木さんの、率直でウソのない言葉の数々によって、依子さんが無意識のうちに溜め込んできたわだかまりや醜い感情は肯定され、依子さんは内なる自身と素直に向き合うことが出来るようになるという次第。嘘くさい(というか嘘そのもの)の緑命会の水や踊りや教えは依子さんを現実から逃避させていただけで、水木の言葉によって教祖の言葉が欺瞞であることを(薄々気付いてはいたけれど)ハッキリ認識するに至る。

 ただ、本作は新興宗教の欺瞞性を描いているのではなく、あくまで、依子さんという女性の抱える闇を描いているのであって、だからまあ、ソフトな描写になっていたのだろうと思われる。

 結果的に、ラストシーンでは依子さんのはじけた踊りが披露され、彼女はある意味解放されたことを暗示するエンディングとなっている。監督や出演者のインタビューを読んでもほぼそういう意味のエンディングなのだろう。……が、私は、依子さんの今後を思うと、なかなかそう単純な話にはならんだろうと、勝手に懸念してしまうのだった。

 彼女が新興宗教にハマったのは、結局、依子さんは自分に正面から向き合えない人だからである。これは、私自身、母親にその気があったので何となくそう思ってしまう。私が幼かった頃、母親にある集まりに何度か連れられて行ったことがある。今思えば、それは聖書の勉強会(多分、エ〇バだったのだと思う)だったんだが、私は聖書のあのペラペラの紙の感触が好きで、母親の横で聖書を意味もなくいじって喜んでいただけだったし、母親も結果的にそこにはハマらなかった。けど、その後も、母親は、宗教だけでなく、マルチ商法にハマりそうになったり、欲しくもない化粧品を買わされて顔がシミだらけになったり、、、と、それ系のハナシは枚挙にいとまがない。迷信深くて、他力本願的な思考回路がそういうことを招いていたんだと思うが、依子さんを見ていると、どうも母親のそういう側面と被ってしまう。

 母親も依子さんも、一見常識的でマジメでキッチリしている人なんだが、ちょっとキャパオーバーなことが起きると、パニクって現実から逃避するのである。まあ、人間誰しもそういう面はあるとはいえ、依子さんがあそこまで新興宗教に縋ってしまうってのは、彼女が典型的な他罰思考で自力で局面を変えることが出来ない人だからであり、60年くらいそのように生きて来た女性が、緑命会や教祖の欺瞞に気付いたとしても、そこから“脱退する”という超難題に立ち向かうことは容易ではないはずだ。

 そのハードルを、例えば水木の助力を得て超えたとしても、依子さんは次の依存先を水木にするのがオチではないか、、、という気がしてしまう。下手すると、また緑命会に舞い戻り、、、というパターンもアリだろうな。夫が死のうがどうしようが、妻の生来の気質まで激変するってことは、、、あんましないんじゃないかね。

 なので、筒井真理子さんの凄みあるダンスシーンに圧倒されながらも、鑑賞後感としてはあまり爽快さは感じなかった。いやぁ、、、この先ヤバいだろ、この人、、、という感じだった。


◆今と昔、どっちがシンドイのか。

 パンフを読むと、依子さんは、均等法世代よりちょっと上の女性の象徴的モデルとして良妻賢母の設定をされているらしい。逃げた夫も、男として一家の大黒柱の役割を担わされてきたと。

 息子が、結婚したいと言って連れ帰った女性は聾唖の障害を持っていて、依子は露骨に差別感情を丸出しにして結婚反対を宣言する。そこで、夫も交えた家族喧嘩が勃発するのだが、そのとき依子さんは息子に「父さんは、放射能から逃げたんじゃなくて、母さんから逃げたんだ」と言われて、返す言葉がない、、、というシーンがある。

 このブログでも以前書いたけれど、結局、性別役割分業が当たり前だった時代は、男も女も抑圧されていて、(誰が決めたか知らんが)社会の仕組みに勝手に組み込まれて良いように動かされてきただけである、、、ということなんじゃないかね。女の方が子育てや家事に向いているとか、男の方が仕事に向いているとか、ただの妄想だったということだ。

 ただまあ、そういう時代は、あまり考えなくても生きていける時代でもあった、、、とは言えそうだ。ライフスタイルが画一的で、良いことも悪いことも定型であれば、その型にハマっていれば良いのだからね。

 今は、多様性がお題目のようになっているが、定型がなくなるということは、それぞれが自身が良いと思う生き方を模索して実践していかなければならない、ということでもある。いろんな意味で、皆、人間性が試される時代なのかもしれん、、、。今の方が楽なのか、シンドイのか、、、どっちなんだろうねぇ。


◆その他もろもろ

 木野花さん演ずる水木のキャラも良いが、本作はシナリオが見ている者を要所で微妙に(良い意味で)裏切った展開になっていて、それが、一見ありがちな“女の解放物語”をなかなか上質なブラックコメディにしている。

 特に、おぉ、、と思ったのは、息子が彼女を予告なく連れ帰って来た展開。それだけでも、それこそ“波紋”だが、その彼女が、息子よりも6歳も年上なだけでなく、聾唖者という設定なのが唸る。これは、依子さんが母親として試されることになる。そして、案の定、、、という行動になるが、その時の依子さんの言葉は、想像以上にドぎつくて、水木にも「あんた、露骨に差別するねー」と呆れられるほどである。

 高額医療を受けたいと、生に執着していた夫が、妻の心の闇に思いが至ったとき「オレ、さっさと死ぬわ」と言うシーンも笑える。いや、笑っちゃいかんのかも知れんが、、、。何気に、息子が本作ではキーマンである。

 筒井真理子さんはもちろん、皆さん巧い人ばかりで、演技で??となるシーンがないのは素晴らしい。邦画でもこのようなレベルが可能なのだなぁ、と感慨深い。

 正直、荻上直子監督の映画って「かもめ食堂」の延長みたいのばっかじゃないの?と勝手に思い込んでいて、ほぼ食わず嫌いに近かったのだが(いや、「かもめ食堂」は嫌いじゃないけど)、それは本当に食わず嫌いだったのかも知れないと反省、、、。ほかの荻上作品も、これからぼちぼち見て行こうと思った次第。

 

 

 

 

 

 

 

 

本作と「かもめ食堂」はコインの表裏かもね。フィンランドが、本作では新興宗教になったと、、、。

 

 

 

 

 

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ハウス・オブ・グッチ(2021年)

2022-01-22 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74864/


以下、wikiよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 世界的ファッションブランド「グッチ」の創業者一族出身のマウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)にとって経営参加は魅力的には映らず、経営権は父ロドルフォ(ジェレミー・アイアンズ)と伯父アルド(アル・パチーノ)が握っている状態だった。

 そんな中、グッチの経営権を握ろうと野心を抱くパトリツィア・レッジアーニ(レディー・ガガ)はマウリツィオと結婚し、グッチ家の内紛を利用して経営権を握っていく。しかし、一族間の対立激化と共に夫マウリツィオとの関係が悪化し、夫婦間の対立はやがてマウリツィオ殺害事件へと発展していく。

=====ここまで。


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 それにしても、ギャスパー・ウリエルの事故死ニュースには驚きました。20日の朝、職場でコーヒーを飲みながらネットをボケ~っと見ていたら、「ギャスパー・ウリエル氏死去」の文字に、思わず「えーっ!?」と声を上げてしまい、一気に覚醒しました。

 スキー事故。確かあのシューマッハもスキー事故だったのでは、、、。しかも衝突した相手の方は無傷だったとか。相手の方もやりきれないでしょうね、、、。ウリエル氏はノーヘルだったと書いてありましたが、考えてみれば、スキーは生身の人間が時速数十キロで滑降しているわけですから、かなり危険なスポーツなのですね。スキーなんてもう何十年もやっていませんが、スキーでヘルメットなんてかぶっていた人、当時のスキー場ではほとんどいなかったと思います。当時は、スノボなんてなかったし、、、。

 ウリエル氏、フランスの映画界にとっては貴重な人材だったはず。残念です。彼の出演作をいくつか見てきた者としても、かなりショックです。もっといろんな彼の演技を見たかった。

 小さなお子さんもいたとのこと。亡くなるには若過ぎる。彼の映画デビュー作『ジェヴォーダンの獣』を見て、ささやかながら偲びたいと思います。

 ……で、本作ですが。大分前(調べたら98年だった)に、グッチ家の悲劇をNHKスペシャルの「家族の肖像」シリーズでオンエアしていまして、その内容がかなりショッキングだったのですね。番組は、本作のネタとなった事件の後日談で(三代目当主ロベルトのブランド再建の話)、本作で登場する人物はほとんど出てこなかったんだけど、あの番組の前提となった事件が描かれる映画ということで、劇場まで見に行ってまいりました。


◆グッチ家崩壊は既に始まっていたのだ。

 大体の筋は分かっているとはいえ、マウリツィオがあまりにも世間知らずのおバカで、終始、呆れて見ておりました。パトリツィアにとっては、彼を落とすことなど、赤子の手をひねるより簡単だったに違いない。

 一体、彼の父親ロドルフォはどういう教育をしてきたのか。金持ちのぼんぼんなら、処世術もある程度は教えておけよと。弁護士を目指していたそうだが、勉強ばっかりしていたのだろうか、、、。人を見る目って、育つ部分もあるけど、持って生まれた能力もあるから、親のせいばかりとは言わないが、無菌室からいきなり汚染地帯に放り出したら、そりゃああなるわね、、、としか。

 よくある三代目問題ですな。そして、やはり同族経営というのは限界があるんだろう。私の知り合いの会社も、創業者がすごい頑張って軌道に乗せて、息子の一人に社長を譲り、自らは会長だか何だかで院政を敷いていたんだが、経営陣にいた創業者の兄弟と揉めに揉めて、結局、創業者たちの方が会社にいられなくなり分裂していた。

 でも、お家騒動の一番の被害者は、そこに努める社員たちなんだよねぇ。騒動の当事者たちは勝手にやってりゃいいけど、社員たちにしてみりゃ、ホントいい迷惑だと思うわ。グッチの職員たちも、さぞや大変だったに違いない。アラブの富豪に経営権が渡ったのは、働く環境の安定という意味では、むしろ社員たちにとっては良かったのかも。

 マウリツィオの悲劇は、パトリツィアの本性を見抜けなかったことと、自身に経営能力がないことが分からなかったこと。でも、仮にマウリツィオが経営に携わらなかったとしても、グッチ家によるグッチの運営は早晩行き詰まっていたのは火を見るより明らかなわけで、グッチ家の悲劇は、マウリツィオとパトリツィアの結婚前から既定路線だったのだと思うな。

 とはいえ、マウリツィオが暗殺されたのは、確実に“パトリツィアと結婚したから”だけどね。マウリツィオにしてみれば、自業自得にしては、あまりにも代償が大き過ぎる。


◆豪華出演陣とか、、、

 本作では、グッチ家の崩壊の根源みたいな描かれ方をしていたパトリツィアだが、演じたのはレディー・ガガ。ガガ様の歌も演技も、私は全然知らないので、本作がガガ初見に近いのだけれど、なかなかの好演だったと思う。

 印象的だったのは、マウリツィオとの出会いのシーン。マウリツィオが自己紹介で「マウリツィオ・グッチだよ」と名前を言った瞬間のガガ様の目!!! ギラッ!!とロックオンした瞬間が実に見事だった。あと、殺し屋にマウリツィオ殺害を依頼するシーンの下品さ(というか、下劣さというべきか)全開なところとか。内面を演技で表現するって、まあそれが役者の仕事とはいえ、難しいと思うが、ガガ様、お見事でございました。

 マウリツィオと、自身の父親の会社の事務所でセックスするシーンとか、ほとんどコメディで苦笑してしまった。全然セクシーに描いていない。これが、彼らの結婚の本質を暗示しているようで、笑えるけど笑えないというか。傍から見れば、実に珍妙な結婚だったのだ、やはり。

 マウリツィオが父親のロドルフォとパトリツィアを会わせるシーンもねぇ。私でも見ればすぐに分かるクリムトの絵を「ピカソ?」とか言っちゃうパトリツィア。ほかにも教養のなさ過ぎなのを発言の端々で露呈させる。ジェレミー・アイアンズ演ずるロドルフォは、しかし、露骨に本人に嫌悪感を表すような無粋なことはしない。そして、彼女がいなくなった後の「トラック屋の娘だぞ!」とひどい侮辱の仕方。その対比が凄い。実際がどうだったのかなど知る由もないが、アイアンズのニヒルな雰囲気が、より一層違和感を物語る。

 アルドを演じているのがアル・パチーノだって気付いたのは、中盤になってからだった。それくらい、分からなかった。歳をとったとか何とかよりも、全体的な雰囲気が、何か別人やった。いきなり「コンニチハ! サイキン、ドオ?」なんて日本語しゃべりながら現れるから余計に、、、。このアルドというお方は、かなり早い時期から日本進出を考えていたそうな。ゴテンバなんて地名もセリフに出てくる。

 もっとビックリしたのが、アルドの次男・パオロを演じていたのがジャレッド・レトだったこと! なんと、私は後からネットを見て知りました! ガーン、、、、。だって、頭髪も顔もゼンゼンちゃうやん!! このパオロがまた、悪い人じゃないんだけど、悪いのよ、頭が。多分、実際よりおバカっぽく描いているのだと思うけど。ロドルフォに自身のデザインをダメだしされた腹いせに、ロドルフォお気に入りデザインのスカーフに小便を掛けるシーンとか、もう、見ていられなかった、、、。

 殺されちゃうマウリツィオを演じていたアダム・ドライバーは、序盤から人の好さそうなぼんぼん感を出し、後半パトリツィアを突き放すときも冷酷という感じでもなく、良くも悪くも“イイ人”。唯一、感情を露わにしたシーンは、経営権を譲渡するところだけど、それもこれも、自身の人を見る目のなさが招いたことなのよね。気の毒ではあるけど、あまり同情する気持ちにもならなかった。

 中盤以降は、パトリツィアの描写が減って、グッチ家のいざこざの内容も分かりにくくとっ散らかっている印象。パトリツィアとマウリツィオ夫婦から焦点をずらさない方が良かったのでは。

 グッチ家は、本作に対して抗議しているらしい。ま、そらそーでしょうな、、、。

 冒頭に書いたNHKスペシャルの「家族の肖像」では、ロベルト(パオロの弟)の娘(確か長女だったと思う)が修道院に入る話があった。一族の争いに絶望し、神に仕えることを選んだ、、、のだったと思うが、ロベルトが修道院にまで娘を訪ねて翻意させようとしたが、逆に娘の心情を聞いて、諦めるシーンがとても心に残った。娘の気持ちがすごく分かる気がして、胸が苦しくなったのを覚えている。自分の意思でどうにもならない事態に現実が動いて行ってしまうとき、もう残された道は俗世を捨てることしかない、、、というのは、私にもあったから。私は実行力がなかったので、現実に流されるままになってしまったけれど。父親の側から見れば、確かに悲劇的かもしれないが、娘さんにとっては唯一の生きる道だったのだと思う。

 もう一度、番組を見たいと思ったけど、簡単には見られそうもなくて残念。再放送してくれないかしら。とりあえず、番組を書籍化しているみたいなので、図書館で予約しました。

 

 

 

 

 

 

 


またセリフがイタリア語みたいな英語だった、、、

 

 

 

 

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パーフェクト・ケア(2020年)

2021-12-17 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74671/

 

  以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 判断力の衰えた高齢者を守り、完璧にケアする法定後見人のマーラ。裁判所からの信頼も厚い彼女だが、実は合法的に高齢者の資産を搾り取る悪徳後見人だった。

 “アメリカン・ドリーム”を手に入れたマーラは、新たに資産家の老女ジェニファーにねらいを定める。しかし、身寄りのないはずのジェニファーの裏にはロシアンマフィアが関係しており、マーラは命の危機にさらされる。
 

=====ここまで。
 

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 新聞に本作の映画評が出ていて、何となく興味が湧いたので劇場まで見に行ってまいりました。角川シネマ有楽町、、、かなり久しぶりな気がしたが、ここの劇場は結構好きだ。bicカメラカードで割引もしてくれるし。


◆欲しいのは“お金”です。

 老人を食い物にする犯罪ってのは、どこにでもあるんだねぇ。本作では小金持ち老人が狙われるが、貧困ビジネスってのもあるから、金持ってなきゃ犯罪者のターゲットになんかならんわ、と油断は禁物。どこでどんな犯罪者たちの罠に嵌るか、分かったもんじゃない。いずれにしろ、とことんまでむしり取られてポイされるのがオチである。

 マーラは、老人の身元を調べ上げ、安全パイにしか手を出さない。けれども、安全だと思っていたターゲットにとんでもない組織が絡んでいまして、さぁ大変!ってのが本作のお話のキモです。

 正直なところ、後半のやるかやられるかのバイオレンス描写は息を吞むものの、ストーリーの展開自体はオーソドックスで、あまり意外性はない。ただ、驚かされるのは、マーラの文字通りの“強さ”である。ロシアンマフィアの脅しを屁とも思わず突っ走る。当然、殺されかけるが、それでもゼンゼン怖れず突き進み続ける。あの胆力と体力は、これまでの映画のサバイバル・ヒロインの中でも最強だろう。

 マーラのセリフがなかなか頼もしい。「男は女を脅すことしかできない。今まで何人もの男が脅迫してきたけど、実際に直接手を出してきた男は2人だけだ。男の武器は虚勢を張ることだけ」(セリフ正確じゃありません)……これ、案外、的を射たセリフだよなぁと唸った。体力で相対的に勝る男に脅されれば、女は大抵の場合怯むもんね。これだけで男は女を黙らせることができるわけよ、ほとんどの場合。マーラみたいな女は現実にはそうはいないだろうから。

 あー、私もこんな怖ろしいセリフ吐いてみたいもんだ。私だったら、そういった舌の根も乾かぬうちに「でもやっぱやめておこう」とか言ってそうだけど。

 そうは言っても、マーラに1ミリも共感などできないし、痛快さも感じない。後見人制度のヤバさはチラホラ見聞きするけど、こういう、法の穴を利用して人のモノを収奪し、人の人生を破壊し尽くすような金儲けに、痛快さを感じろって方がムリでしょ。

 ここまでカネに執着する人って、おそらく、生い立ちに何らかの背景があるんだろうと思う。単純に貧しかったとかではなく、その人の元々持っている性質とか思考回路とかに作用する何かが生い立ちの過程であったに違いない。まあ、一言でいうと、“育ちが悪い”ってやつだけど、育ちの悪さもピンキリで、みみっちい育ちの悪さなら実際にイロイロ見てきたが、ここまでピンの育ちの悪さは、私の身近にはいない。そりゃ私自身がみみっちい世界にいるからねぇ。こんなマーラみたいな極悪な育ちの人間、リアルでは絶対に関わりたくないですね。

 ラストは、まあ予想どおりです。ああなったら、そうなるしかないよね、、、、みたいなオチ。ちょっと詰まんないよね、こういうのは。これも一種のポリコレなんでしょうか??


◆ジェンダーを意識しすぎな脚本。

 この映画は、マーラ側の人間はほとんど女なのよね。で、ロシアンマフィア側の人間はほとんど男。しかも、このロシアンマフィア側の人間のうち、マーラに直接手を下したのは女なのよ。つまり、前述のマーラのセリフ「男は直接手を出してこない」ってやつ。

 もちろん、これは制作側が意図して設定しているのだが、私が一番イケてないと思ったのは、ロシアンマフィアがいくらなんでもショボ過ぎるってこと。ボスの男は小人で、いつも側に大男を数人従えていて、……まあ、それは別に構わないにしても、マーラの追い詰め方がめちゃくちゃ甘い。あんなの、マフィアじゃねーだろ、、、って。日本のヤクザでももっとえげつないことすると思うよ。

 こういう悪VS巨悪という構図のお話の場合、巨悪が巨悪でなかったら、作品が締まらないよね。敵の設定をもう少し詰めるべきだった、、、と思う。

 しかも、このロシアンマフィアにマーラは見込まれて、後見人ビジネスで手を組むのだ。なんだかなぁ、、、。カネが目的の人間の限界を見せられた感じだったわ。つまんねぇ、、、。

 マーラを演じたのはロザムンド・パイク。序盤の彼女の髪型がめっちゃヘン。彼女、まあ美人の範疇に入るとは思うけど、ものすごく額が狭いのね。なので、どうもクールさ、理知的さがあんまし感じられない(あくまで私の感覚です。科学的根拠は何もありません)。度胸だけはある向こう見ずな女、って感じでしかないので、途中までは頼もしく見ていたが、終盤はちょっとウンザリしていた。水没した車の中から脱出するシーンもスタントなしでこなしたとか、根性ありますね。

 ロシアンマフィアが絡んだ老女の貸金庫にあったあのダイヤ、、、イマイチ、話にあまり有効に絡んでいなかったような。ロシアンマフィアの描き方が、とにかく拙い。敵役はもっと丁寧に、魅力的に描いてほしいものですね。

 

 

 

 

 

 

背後霊より怖い後見人。

 

 

 

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ハスラー(1961年)

2021-11-05 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv7019/

 
 ハスラーとして勝負師人生を選んだエディ・フェルソン(ポール・ニューマン)は、負けを知らないことで有名な“ミネソタ・ファッツ”(ジャッキー・グリーソン)に挑戦した。出だしは順調で勝ちを重ねたため調子に乗ったエディは、酒を飲みながら試合を続け、結局36時間闘った挙句に敗れ、文無しとなる。

 飲んだくれる日々のある朝、バスステーションで、サラ(パイパー・ローリー)に出会い、恋仲になって同棲を始める。2人でそこそこ平和に暮らしていたが、結局、山師のバートに唆されて、再びハスラーとして勝負することに。サラを伴い、ケンタッキーのルイビルまで遠征するが、、、。
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 またまた“いまさら名画”シリーズです。1作で終わるかと思ったけど、3作目。ポール・ニューマンは、『評決』(1982)を見てイメージが変わったこともあり、ちょっと見てみようかなと。『スティング』とか『明日に向って撃て!』は一応見ているので、もう一度見たいけど、とりあえず未見の本作を先に、、、と思ったのが間違いだった。ニューマンが「第二のマーロン・ブランド」なんて言われていたのがちょっと分かる気がしたかも、、、ごーん。

 というのも、この映画、かなりマッチョ映画だからです。登場人物もほとんど男。主要な女性はサラしか出てこない。

 とにかく、“カネ”と“勝ち負け”だけの話で、正直言ってかなりつまんなかった。序盤のミネソタ・ファッツとの試合もダラダラ長いし。既にダル~~、、、って感じになっていた私。

 展開もあんまし好きじゃないパターン。女が死んで、心機一転!!ってどーなのよ。……まぁ、エディみたいな男は、それくらいのことでも起きなきゃ変われない、ってことなのかも知らんが、本質的にはそれでも変わっていないよね、この男。どんだけ負け続けても、勝つまで金をつぎ込んでしまう。これは映画だから、最後はエディが勝って終わるけど、現実だったら、ああはいかずに、またスッテンテンにされて放り出されるのがオチだわね。

 そら、ポール・ニューマンだから行きずりに近い恋でも本気になるかも知れないけど、現実には、あんなイイ男はそうそう道端に落ちておりません。なので、ある意味、おとぎ話ですね、これは。エディから見てもそうだと思う。だめんずの見本みたいな彼を全て受け入れてくれる資産持ちの賢い美人女性。いるか、そんなもん!!

 ……というわけで、かったりぃわ、くさいわ、、、で、終盤はかなり白けて見ておりました。

 ただ、ケンタッキー・ルイビルの名前が出て来たので、ちょっと、おっ!となりました。私が遠い昔、ホームステイしたホスト・ファミリーがケンタッキー州だったんだけど、シカゴで国内線に乗り換えて、ルイビルで降りたのでした。そこから車でホスト・ファミリーの家まで行ったんだよねー。懐かし。

 ま、一瞬目がぱっちり開いたのはその場面くらいだったかな。サラが自殺しちゃったシーンなんか、もう、見るの止めようかと思ったわ。

 これは、果たして名画なんでしょうか? ちなみに、みんシネでは6.9点/10点(レビュアー数79人だから多くはない)、『戦後生まれが選ぶ洋画ベスト100』(文春文庫)では、100位までにランキングしていないし、そもそもこの本の中で触れられてもいない。やっぱ、名画ってほどではないのかな。シリーズ3作目というのはムリがあるか、、、。

 この監督さん、赤狩りに遭っていたと後から知ったのだけど、本作を撮影したときもあまり良い状況ではなかったみたい? 共産党に一時期入党していたからだそうだが、これもアメリカの黒歴史ですな。

 次は何の“名画”を見ようかな。

 

 

 

 

 

 


『ハスラー2』なんか見る気せん、、、。

 

 

 

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パブリック 図書館の奇跡(2018年)

2021-05-05 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71288/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 米オハイオ州シンシナティ。公共図書館の実直な図書館員スチュアート(エミリオ・エステヴェス)は、常連の利用者であるホームレスから「今夜は帰らない。ここを占拠する」と告げられる。大寒波の影響により路上で凍死者が続出しているのに、市の緊急シェルターがいっぱいで行き場がないというのだ。

 スチュアートは約70人のホームレスの苦境を察して、3階に立てこもった彼らと行動を共にし、出入り口を封鎖する。

 その行動は“代わりの避難場所”を求める平和的なデモだったが、政治的なイメージアップを目論む検察官の偏った主張や、メディアのセンセーショナルな報道によって、スチュアートは心に問題を抱えた“アブない容疑者”に仕立てられる。

 やがて警察の機動隊が出動し、追い詰められたスチュアートとホームレスたちは驚愕の行動に出る……。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 5連休もあっという間。スーパー変異株が猛威を振るっているらしいインドからの人の流入は制限付きながら続いている様で、しかも連休中のこの人出。来週以降、日本もカオスになるんじゃないですかね。もう、医療現場でコロナ対応されている方々が気の毒で仕方がないです。政府からは丸腰のタダ働きを強いられ、おまけに差別までされる。どーなってんですか、我が国は。……と、コロナの愚痴は書きだすとキリがないのでこのくらいにしておきます。

 本作は、昨年、劇場公開されていたんだけど、コロナもあって劇場までは行く気になれませんでした。平時なら多分見に行っていたと思いますが、、、。図書館が舞台というだけで、何だかそそられるんですよね~。で、このほどDVDでようやく見てみた次第です。


◆ちょっと余談。

 本作は、ホームレスの人々がメインで活躍するオハナシなんだが、ちょうど先日NHKで女性ホームレスが殴られて殺害された事件について取り上げていたのを見た。亡くなった女性の半生を辿る内容だったが、生活保護を申請すると、遠方に暮らす身内に迷惑がかかると思って申請しなかったんだろうと思われる。折角のセーフティネットが「扶養照会」があるばかりに機能しないという、、、。

 生活保護もだけど、眞子さんの結婚話のゴタゴタでも感じるが、日本人って(というか、外国の例は知らんが)、すぐに「税金!」「税金!」って言うんだね、、、。原資は税金なんだから、お前ごときが勝手に使うな!という趣旨で。なのに、選挙の投票率は異様に低い。国政選挙でも50%切ったりするし、地方選挙なんか30%切ったりとか、、、。それ、選挙として有効なんですかレベルなのも結構ある。一方では有権者としての権利を(というか、義務に近いと思うが)放棄しておいて、税金税金ってさあ、、、。税金をどう使うかを決めているのは、選挙で我々が選ぶ人たちなんですけど? 使い方が気に入らないのなら、きちんと投票して意思表示すべきやないの?? 

 税金税金大合唱している人たちには、三木義一著『日本の納税者』(岩波新書)をお読みになることをお勧めするわ。一納税者として、目から鱗が100枚くらい落ちるかも。生活保護やら眞子さんの持参金(1億4千万円らしい)なんて目くじらを立てる話じゃないと思い知ることになるのでは。

 それはともかく、、、。生活保護にシビアな目線を向ける人って、何なんでしょう? 不正受給に腹を立てているのか? でも不正受給率って1%にも満たない。あるいは、自分だけはお世話にならんと思ってるのかな。予測不能な事態が起きて困窮してしまうことが、自分の身の上に起きない保証などどこにもないのにね。あんな悲惨な震災やコロナを経験してもなお、そう思えるって凄いよなぁ。「自己責任論」ってやつですかね。

 その自己責任論が、アメリカでは日本よりも支配的だと聞くけれども、実態はどうなんでしょう? コロナ禍では、日本より遥かにマシな補償がされているようだけど。……まぁ、よく知らないが、本作を見ると、なかなか厳しい状況には違いないらしい。


◆ユーモアに満ちた“コメディ”

 ホームレス用のシェルターはあるけれど、寒い日はやっぱり一杯になってしまうらしい。あぶれた人たちが図書館に暖をとりに来るわけだ。でも、図書館は、毎日閉館時に全員を退館させる。ホームレスの宿泊はさせない。

 本作で、ホームレスの集団が大挙して図書館に宿泊を求めたのは、図書館の役割を踏まえてのこと。日本の図書館よりも公共性が高く認識されており、大寒波で凍死のリスクがある屋外からの避難所として機能してくれてもいいんじゃないの? ということだろう。だから、タイトルに「パブリック」と入っているんだろう。原題はまんま“The Public”である。

 エミリオ・エステヴェス演ずるスチュアート自身も、過去にホームレスの経験があり(アル中だったらしい)、ホームレスの要求も理解できる立場。穏当なデモだったのに、なぜか「立てこもり事件」にされてしまい、スチュアートが首謀者扱いになる。この辺、メディアの横暴ぶりが描かれる。

 テーマはシリアスなんだけれど、本作の持つ雰囲気は概ねコメディと言っても良いくらいユーモアもある。ホームレスの一人ビッグ・ジョージ(チェ・“ライムフェスト”・スミス。この方、有名なラッパーだそうな)が、話をするときに相手の目を見ようとしないのが不審で、スチュアートが「何で下ばっかり見てるんだ?」と聞くと、「オレが見るとビームで相手を殺してしまう」とジョージは大真面目に言うシーンなど、思わず噴き出した。ホームレスたちの中には、精神疾患を持っていると思しき人も結構いるのだ。

 あと、スチュアートとホームレスたちが籠城している部屋にピザ屋がピザを届けに来るシーンでは、警察が来たんじゃないかとホームレスたちが身構えるんだけど、ここでスチュアートはピザ屋にピザの値段を質問することで、警察官ではないと確かめる。これに繋がる伏線は、序盤でちゃんと張られている。伏線と言えば、冒頭で巨大なシロクマの剥製が出てくるんだけど、それが「行き場のないシロクマを預る」という理由からで、まさに行き場のないホームレスを預るという本作のテーマの伏線になっているとも言える。

 ……という具合に、結構細部まで気配りのされた、なかなか気の利いたシナリオだと思う。


◆女性問題とかもろもろ、、、

 ネット上では、女性の扱いがマズい、、、という論評も散見され、確かにそれは一理あるなぁと思う。籠城するホームレスの中に女性が一人もいないし、出てくる女性たちも完全に脇だからね。ただ、ラストのオチから言って、女性のホームレスを入れられなかったんだよね、多分。そもそも、男しか頭にないからああいうオチになった、、、という意地悪な見方もできるが。

 とはいえ、スチュアートと交渉する警察官や検察官を女性にすると、それはそれでまた叩かれる要因になりそうではあるし、ここは難しいところだろう。エミリオ・エステヴェスがそこに無頓着だったとは思えないので、分かった上で敢えてこのシナリオになったんだと思われる。スチュアートと序盤で寝る女性や、図書館職員の同僚女性などをもっと上手く使えなかったのか、という指摘もあったが、まあ、一応彼女たちをシナリオ上ではちゃんと使ってはいるんだよね。解決の直截的な糸口にはなっていないだけで。

 前述したとおり、東京では女性のホームレスが殺害されるという事件も実際起きているわけで、女性のホームレスの存在が無視されていいはずはない。そういう意味では、女性キャラたちがメインに絡んでこないことより、女性ホームレスが一人もいなかったことの方がマズいだろう。必然的にあのオチもやや難ありということになる。

 それを踏まえても、私はエステヴェスが描きたかったことを考えると、あれはあれで良いのではないかと思う。深刻さを笑いに包んで表現するには、格好のオチではあるからね。女性のホームレスだけ例外、、、ってことにすると、それはそれでまた火種になるだろう。

 今回、エステヴェス監督作を多分初めて見たんだけど、彼は才能もあり、とても頭の良い人だと感じた。描き方を間違えるとマズいテーマを、ユーモアを忘れず、しかし、ツボはきちんと押さえたシナリオを書き、かつ監督してエンタメ映画に仕上げている。どうも弟の問題児イメージが強いので、その兄も、、、というイメージを勝手に持っていたが、もの凄い偏見だった。反省、、、。彼の監督作、他にも見てみたい。

 

 

 

 

 

 

 

スチュアートの部屋(ラフカディオ・ハーンの全身写真が飾ってある)がイイ!!

 

 


 

 


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82年生まれ、キム・ジヨン(2019年)

2021-04-24 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71012/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ジヨン(チョン・ユミ)は結婚を機に退職。育児と家事に追われ、常に誰かの母であり妻であり、閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。

 疲れているだけだと夫のデヒョン(コン・ユ)にも自分にも言い聞かせていたが、ある日からまるで他人が乗り移ったような言動をするように。ジヨンにはその間の記憶はなく、傷つけるのが怖くて真実を告げられないデヒョンは精神科医に相談に行くものの、本人が来ないことには何も改善することはできないと言われてしまう。

 何故彼女の心は壊れてしまったのか。少女時代から社会人になり現在に至るまでの彼女の人生を通して、見えてくるものとは……。

=====ここまで。 

 原作は同名タイトルの小説。韓国ではベストセラーになった半面、批判の嵐も起きたとか、、、。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 以前、Twitter上でかなり原作本が話題になっていたので、タイトルは知っていたけれども、あんまり読む気にならなかったのでスルーしていました。が、映画化され、劇場に行ってまでは見ようと思えなかったけれど、このほどDVD化されたので、レンタルして見てみることに……。おおむね想定内ではあったけれど、良い映画だと思いました。


◆男を糾弾する映画ではない。

 原作については、ネット上だけでなく、NHKの何かの番組でも取り上げていたが、テーマ自体に新鮮味はないし、この問題(ジェンダー)については、イロイロ誤解も多いのであんまし私自身は首を突っ込みたくない感じだった(後述)。ただまあ、映画は2時間で済むし、レンタルだから大した額でもないのでイヤなら途中で止めれば良いし、顔を背けてはいても根っこの部分では大いに関心事であることに違いなく、まあ、見ておこう……くらいな気持ちで見てみたのだった。

 が、結論から言うと、原作は未読なので分からないが、本作は非常に巧いシナリオで、男を糾弾するわけでなく、女が自己憐憫に陥るわけでなく、安易に男女を対立軸とせず、良いバランスで構成されており、また俳優たちの演技も素晴らしく、映画としてとても秀逸だと感じた。スクリーンで見なかったことを後悔するほどでもないが、もし見に行っても、わざわざ劇場まで来るんじゃなかった、と思うこともなかっただろう。

 ジヨンはまあまあ恵まれた環境(コレ大事)にあるんだが、それでいてこの状況なのだから、韓国社会の女性の扱いはおおよそ想像がつくというもの。原作の訳者、斎藤真理子氏(文芸評論家・斎藤美奈子氏の妹だと初めて知った)のインタビューによれば、韓国では徴兵制があるため、徴兵されない女が日常の面倒を引き受けるのはアタリマエ的な風潮があるらしい。

 徴兵のない日本でも男性優位の点では大差ないだろう。都市部ではかなり変わってきているかも知れないが、田舎などはまだまだ、、、。世代的に考えをアップデートできない人たちも多いし、そういう人たちを相手に闘うのは徒労で虚しいわね。闘わないで逃げる、、、というか、我が道を行けば良いのだが、なかなか口で言う程たやすくないのが現実。

 ジヨンのいる“まあまあ恵まれた環境”ってのが厄介なんだよね。原作者によれば、貧しい設定にすると、問題の原因が貧しさに矮小化される可能性があるので避けたとのこと。経済的にもまあまあ、夫も一応(表面的には)家事育児に協力的、、、っていうね。もっと圧倒的に裕福だったら、家政婦を雇えば良いけど、それは出来ない。夫の言動も優しい言葉の裏に毒があり、しかもそれに関して夫はまるで無自覚、あくまで善意による言動だから、かえって始末が悪い。「君がいいならいいよ」「君のために○○したい」みたいな言い方は、フェミニストを自認する夫にはありがちだろう。

 そんな中で、ジヨンは疲弊しきって精神に異常を来し、時折、別人格が現れるようになる、、、という設定になっている。別人格になって、ジヨンの苦しみを第三者的に語るというこの設定が上手いな~、と思う。本人が正気で訴えるより効果は絶大。こんな風になってしまっている妻や実娘の様子を見たら、そりゃ誰だってヤバいと思うよね。特に、実母の眼前で憑依するシーンは、私も見ていて泣けてきた。あんな娘を目の当たりにした実母の気持ちを思うと、胸が痛い。

 そうなって、ようやく、夫のデヒョンは、自分の言動を顧みようとする。自分が優しさだと思っていたことが、却って妻を傷付けていたことに、ようやく目が向いたという感じだった。でもまあ、まだまだ理解はできていないだろうが。

 原作はバッドエンドらしいのだが、本作のラストは希望の持てるものになっていたように思う。とはいえ、それは飽くまで“ジヨンは”であって、女性一般が救われるものになっているわけではない。でも、少なくとも、ジヨンが回復する兆しが描かれることで、見ている者も少しホッとするから、良いのではないだろうか。バッドエンドよりは、救いのあるエンディングの方が良い。


◆オカシイのはあなた。

 原作について、「首を突っ込みたくない」と前述したが、何で首を突っ込みたくないと思ったかというと、この問題は、人種差別と同じで、多分、半永久的に解決しないだろうと思うから。私は大学で女性学を(一応)学んで、フェミニズムも囓った。フェミには根本的には同調する立場で、性差別には断固反対であるが、ミソジニーの方々がフェミを毛嫌いする理由も(頭では)分かるし、そういうフェミの脇の甘さには嫌悪感があるのも事実。だから、“この手の本”と一括りにし、食わず嫌いで手を伸ばす気にならなかったのだ。

 男性優位は、程度の差はあれ、世界的に見られる傾向で、歴史的にも脈々とその流れが引き継がれてきた。その解決を、絶望視してはいるものの、望んでいないわけではもちろんない。私が社会に出た頃の90年代前半に比べれば、大分、女性も働きやすい環境になってきているのは間違いなく、改善はこれからも続けるべきだと思っている。

 私がこの問題に無力感を覚えるのは、同じ女性で、ジェンダー平等を揶揄する人たちが少なからずいるからだ。

 あるブログで知ったのだが、塩野七生氏「男女同等を叫ぶこと七十年である。企業でも七十年も成果を出せなければ経営陣はクビだが、フェミニズムの世界ではこの原理は通用しないらしい。これって、普通に考えてもオカシクないですか」と批判しているそうだ。塩野七生氏といえば、『ローマ人の物語』は面白く読んだものの、彼女のエッセイはそこはかとなくミソジニーの匂いがして嫌いだったが、こんなこと書いていたのかと唖然となった(原著には当たっていないです、念のため)。彼女は歴史に材をとって著作物を出してきた人よ? 千年以上の男性優位の歴史があって、70年かそこらでドラスティックに変えられると本気で思っているんだろうか?? それに、企業経営と、人権運動を同じ土俵に乗せて論じるって、仮にも“知識人扱い”されている人とは思えないウマシカさ。もう人間のDNAレベルで刷り込まれた慣習・思想を、数十年というスパンで変えられないことを批判するって、そっちの方が「オカシクないですか?」と聞きたいわ。

 大体、男女同権を実現したら、企業経営と同じで、“利益”に反するから実現したくない人(男)が大勢いるってことなのに、だからみんな徒労感を覚えながら闘っているのに、そこの矛盾はスルーして、さも妥当な例えのように書いているのだから悪質極まりない。

 ちなみに、このブログ主も女性で、塩野氏に全面的に同調している。この方は、百田某とか門田某がお好きなややネトウヨ気質だが、別にネトウヨでなくても、こういう思考の女性は決して珍しくはないと思うのよね。

 ましてや、男たちに理解しろ、なんて、ほとんど寝言に近いとさえ思えてくる。

 男・女関係なく、理解を広めて協力し合うことが重要なので、別に“女同士で連帯せよ!”と言いたいわけではないが、この問題がそれくらいセンシティブで難しい要素を孕んでいるってことは間違いない。

 本作の終盤、ジヨンがカフェでコーヒーを落としてしまったシーンが印象的だった。それを見て若い男女3人が「迷惑だよな」「ママ虫」……などと悪口を聞こえよがしに言うのである。ママ虫とは、前述の斎藤真理子さんによれば「夫の稼いだお金で遊び回っている母親を侮辱するネットスラング」だそうな。その後、ジヨンは意を決して彼らに抗議するが、もちろんそれはシーンとしてジヨンが強くなるためのシーンなんだが、非常に薄ら寒くなる嫌なシーンだった。

 ジヨンが紙ナプキンで床にこぼれたコーヒーを必死で拭いているのに、誰一人手助けしようとしない、店員さえも。私は、「ママ虫」よりも、そのことが衝撃だった。私も、あの場にいたら傍観者になるんだろうか、、、。いや、せめて一緒に床を拭くくらいの行動ができる人間ではありたい。人として、そうありたい。

 ジェンダー問題を解決する近道は、やはり“教育”しかないと思う。小学生からきちんと人権教育を行うべきだろう。教育って、やっぱりもの凄く大事なのよね。愛国者教育とかじゃなくてね、、、。 

 映画が割と好感を持てたので原作を読んでみる気になったのだが、買ってまではちょっと、、、、と思って図書館に予約をしたら、何と、135人待ちだった。今年中に読めるかしら。
 

 

 

 

 

 

 

 

ジヨンの女性上司がカッコイイ。

 

 

 


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バトル・オブ・ワルシャワ 名もなき英雄(2019年)

2020-08-15 | 【は】

作品情報⇒https://movie-tsutaya.tsite.jp/netdvd/dvd/goodsDetail.do?pT=0&titleID=4363172177

 

以下、amazonよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1944年、ロンドン。ポーランド亡命政府のミコワイチク首相はナチスドイツの占領下にある祖国ポーランドにやがてソ連軍が侵攻してくると知り、英国のチャーチル首相にソ連軍と戦うよう協力を求めるが、ソ連と微妙な関係が続く連合国はそれを拒む。

 そこでミコワイチクは部下ヤン・ノヴァクに、ナチスドイツ相手に武装蜂起するよう、ポーランド国内軍に指示を送るための密使になるよう依頼。ヤン・ノヴァクは祖国に向かうが……。

=====ここまで。

 1944年ワルシャワ蜂起の前日譚。amazonの紹介文によれば、ポーランドでは、『キャプテン・マーベル』を抑えて本国興行収入1位だとか。 


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 少し前にTSUTAYAの新作メニューにあったので、見てみることに。最近、ほんの少しだけポーランドの歴史を知るようになって、目に付いたポーランド映画を見ているんだけど、本作も、ワルシャワ蜂起や第二次大戦前後のポーランド情勢を大まかにでも分かっていないとチンプンカンプンかも知れません。かく言う私も、辛うじて最後まで着いて行ったけれど、果たして私の理解で合っているのかどうか、、、。

 まぁ、とにかく、感想を思い付くまま書いてみます。


◆ワルシャワ蜂起

 邦題に、思いっきりB級チックなタイトルを付けられて、こりゃ監督は怒った方がイイね。いくら地球の反対側で分からんだろうったって、こりゃ~ヒドい。ヒドいのは邦題だけじゃないんだが、それはまあ後述するとして。

 副題の「名もなき英雄」ってのは、密使となったヤン・ノヴァク。彼はポーランドの将校だが、英語も流暢、ドイツ語は当然、おまけに言動もジェントルマンで、ルックスもなかなか(私の好みじゃないが)、ってことで、外交官かと見紛うほど。……ま、外交官がそういう何拍子も揃った人なのは、一昔前までのオハナシか、あるいは根も葉もない伝説かも知れませんが。私の友人の夫君は外交官で、、、(以下略)。

 それはさておき。ヤンは外交官じゃなくて軍人なんだが、ロンドンの亡命政府首相に「ナチスに対して蜂起しろ!!」と本国に伝えるように言われるが、ヤンは英国の援助がなければただの反乱で終わってしまうと危惧する。軍の最高司令官に首相の言を伝えると、最高司令官は、単独蜂起など論外!!とヤンと意見が一致。「空路、ワルシャワに入り、蜂起を止めろ! (蜂起を主導することになる)ブル将軍を首相の暴走から守れ!」と、ポーランド国軍に伝えるようヤンに指示する、というちょっと入り組んだ話。

 ヤンは、その存在をナチスに知られ、似顔絵をSSにばらまかれるお尋ね者となり、数々の検問を命懸けでくぐり抜けながら、2週間掛けてワルシャワに辿り着く。が、しかし、時既に遅く、ワルシャワは蜂起するしか道がない事態となっていて、連合軍の援助がなければ絶望的だと分かっていながら、ヤンは蜂起に身を投じていく、、、というところでジ・エンドとなる。

 何でヤンの存在がナチスに知られるかというと、ゲシュタポのスパイである美女とヤンが、ちょっとだけお近づきになるから。最初は、ただの下心しか持っていなかったヤンだが、偶然がいくつか重なったことで、美女がスパイと見破る。この辺りのスリリングなシーンも見物。

 ナチス占領下のポーランド各地が描かれるが、まぁ、とにかくこのときのポーランド人のドイツに対する恐怖心は、見ているこっちまで手に汗握るほど。皆、ドイツ兵を見るだけで手入れがなくても逃げ惑う。そんな状況で、あれだけ目立つ容姿端麗のヤンがどうにか逃げ果せただけでも奇蹟だろう。

 チャーチルといい、英国軍といい、ポーランドでの戦争のことを、遠い場所で起きているいざこざ程度のこととのたまう。これを聞かされるヤンの心中を思うと胸が痛い。絶望的な祖国の状況に、ヤンはワルシャワに向かう途中で「ソ連に10年は占領される」と懸念を示すのだけれど、蓋を開けてみれば10年どころじゃなかったという悲惨な現実が待っていると思うと、ヤンの必死さが見ていてただただ辛い。

 ワルシャワ蜂起の直前まで、蜂起を止めようと必死になった勢力があったことや、蜂起推進派の中にも結果を絶望視していた人たちが大勢居たことが分かる。ヤンがワルシャワに着いた後も、行き違いがあってブル将軍にすぐに会えないのだが、ようやく会えたブル将軍も、蜂起が潰されることは百も承知だったのだ。それでも起った、ということだが、これは多くのワルシャワ市民もそうだったのかも知れない、と思う。それでも、ナチスの支配に抵抗を見せたい。ヤンがブル将軍に「それでも起つべきだ」と言ったときのセリフが印象的。「そうしなければ、有史以来守ってきた我々の精神が破壊される」(正確じゃないです)。分割統治されていた時代よりなお悪い、ということだろう。


◆シナリオが素晴らしい。ワルシャワの街並みが美しい。

 本作の大半は、ヤンがロンドンからワルシャワまで命懸けで移動する様子を描いているのだが、一本調子な逃亡劇になることなく、一瞬たりとも飽きさせない構成は素晴らしい。

 ヤンのキャラが、ゼンゼン説明的なシーンがないのに、実によく描かれている。私生活はまったくのナゾなんだけど、見掛けによらず、自転車に乗れないだとか、落下傘訓練で着地に失敗して腕を骨折するとか、ロンドンの街中でアメリカ兵の運転する車に跳ねられるとか、結構トホホなところがいっぱい、、、。半面、ゲシュタポの美女スパイが英国軍のチャラ男に絡まれているところを毅然と救ったり、SSとの銃撃戦を華麗に切り抜けたりと、見せ場もいっぱい、、、。巧いなぁ~、とシナリオに感心してしまう。

 ワルシャワの街並みでは、聖十字架教会からコペルニクス像を臨む辺りが何度か出て来て、あ~、あそこ歩いたんだよぉ、、、もう一回行きたい゛ぃぃぃと思いながら見入ってしまった。ま、コペルニクス像の後ろにはハーケンクロイツの旗が掛かっていたけど。あの十字架を背負うキリスト像は、『戦場のピアニスト』でも象徴的に出てきて、やはり、あの場所はワルシャワのシンボルなのだろうなぁ。今度はいつ行けることになるのやら、、、。

 印象的だったのは、ヤンがロンドンからポーランドに空路降り立って、その飛行機が再び飛び立つときのシーン。どこか、野っ原みたいな所に飛行機が着陸すると、ヤン達がぞろぞろ降りて来て、今度はけが人などを乗せて離陸しようとするんだが、車輪がぬかるみにとられて動けなくなるのを、皆で飛行機を押して、どうにか離陸させる、、、。SSに気付かれて手入れされるまでのほんの1時間弱の間に離陸させてしまわなければならない、、、という緊迫感がゾッとなる。

 また、その後、パルチザンの一人の青年が射殺される(この成り行きがちょっとよく分からなかった)んだが、その青年の遺体をヤン達が母親の所まで送り届けるシーンも恐ろしい。SSたちに追いつかれ、結局は、青年の母親も射殺され、家には火がつけられる。屋根裏に隠れていたヤン達は命からがら逃げだすが、燃え盛る家の前に母親の遺体が転がり、隣人の男性が跪いて泣いている。それを、見捨てるように先を急がなければならないヤン達、、、。もう、ほとんど地獄絵図。

 こんな時代が、こんな光景が広がっていた時代が本当につい70年ちょっと前にあったのか、、、。何度も恐ろしい戦争映画を見てきたけれど、本作の描写は決して衝撃的な描き方はしておらず大人しい方だと思うが、それでも、呆然としてしまう。

 エンドクレジットの前に、「ヤン・ノヴァク・イェジォランスキに捧ぐ」と献辞が出る。ラストは、ヤンが蜂起集団の群れに消えて行くシーンだったけれど、その後、どうなったのだろうか。……と思って、ちょっと調べてみたところ、wikiに同名がヒットして、「クワトコフスキーと名乗っていたと推定される」という内容からして、多分ご本人だろう。本作内で、ヤンは軍関係者内ではクワトコフスキー中尉と呼ばれていたので。戦後も西側で活躍しているみたい、、、。


◆プロモーションが、、、酷すぎる。

 とにかく、本作は、ポーランドで『キャプテン・マーベル』(見てないしよく知らんけど)を超えるヒットだったというのも納得の、もの凄い力作です。お金も時間も相当掛かっているのがよく分かる。

 何より、英国人は英国人俳優が、ナチスはドイツ人俳優が、ポーランド人はポーランド人俳優が、それぞれの言語で演じているのが良いです。こういうところがちゃんとしている映画、少ないもんね。何でSSが英語ペラペラ喋ってんの、、、ってのばっか。まあ、商業映画はそうなっても仕方がないのは理解できるけど。

 だから、こういう素晴らしい映画を、何でこんなヘンテコなプロモーションして貶めるのか、訳が分からない。もちろん、日本に持って来てくれたのだから、それは感謝するけれども、折角お金かけて持って来てくれたのなら、プロモーションまで責任もってキッチリしていただきたいなぁ。そんなにムリな願いでもないと思うのだが、、、。

 だって、見てよ、本作のこのジャケット。

 この銃構えてる男誰?? ヤンとは似ても似つかぬナゾ人物。さらにナゾなのは、隣の女性。これ、ゲシュタポのスパイの美女ではありません。スパイの美女はブロンドの、いかにもアーリア系。何なん、この人、、、、??? しかも、こんな感じのシーンはどこにもなかったし。大体、雰囲気が全く違うんですけど。

 ……まぁ、プロモーションというほどのものでもないんだろうけどさ。日本では“マイナー作品”扱いだしね。そら、ポーランド制作のワルシャワ蜂起の映画なんて、日本じゃ馴染みがないもんね。私も、ポーランド好きになってなかったら、視界にも入っていなかっただろうし。

 で、本作らしいジャケットはこちら。

 この男性が、ヤンを演じたフィリップ・トロキンスキー。女性が、美人スパイ・ドロシーを演じたジュリー・エンゲルブレヒト。ドイツ人ですね。英語もキレイな発音で話していました。

 この画像よりもフィリップくんはキレイです。ネットで画像を探してみたので貼っておきます(クドいけど、私の好みじゃありません)。

 

 

 監督はヴワディスワフ・パシコフスキで、脚本も書いている。この人は、あの『カティンの森』の脚本を書いているんだが、『ワルシャワ、二つの顔を持つ男』の脚本も書いていると知って、納得。『二つの顔~』も、実に面白く、確かにちょっと本作と作風が似ている。歴史ものが巧い人なんだねぇ。今後が楽しみだ。

 

 

 

 

 

ワルシャワ蜂起は、1944年8月1日、午後5時発生。

 

 




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八甲田山(1977年)

2020-08-10 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv18506/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペ(長いので一部編集、青字は筆者加筆)です。

=====ここから。

 「冬の八甲田山を歩いてみたいと思わないか」と友田旅団長から声をかけられた2人の大尉、青森第五連隊の神田(北大路欣也)と弘前第三十一連隊の徳島(高倉健)は全身を硬直させた。日露戦争開戦を目前にした明治34年末。第四旅団指令部での会議で、露軍と戦うためには、雪、寒さについて寒地訓練が必要であると決り、冬の八甲田山がその場所に選ばれた。

 2人の大尉は責任の重さに慄然とした。雪中行軍は、双方が青森と弘前から出発、八甲田山ですれ違うという大筋で決った。

 年が明けて1月20日。徳島隊は、わずか27名の編成部隊で弘前を出発。行軍計画は、徳島の意見が全面的に採用され、隊員は皆雪に慣れている者が選ばれた。一方、神田大尉も小数精鋭部隊の編成を申し出たが、大隊長山田少佐(三国連太郎)に拒否され210名という大部隊で青森を出発。神田の用意した案内人を山田が断り、いつのまにか随行のはずの山田に隊の実権は移っていた。

 神田隊は次第にその人数が減り、辛うじて命を保った者は50名でしかなかった。しかし、この残った者に対しても雪はとどめなく襲った。神田は、薄れゆく意識の中で徳島に逢いたいと思った。

 27日、徳島隊はついに八甲田に入った。天と地が咆え狂う凄まじさの中で、神田大尉の従卒の遺体を発見。神田隊の遭難は疑う余地はなかった。徳島は、吹雪きの中で永遠の眠りにつく神田と再会。その唇から一筋の血。それは、気力をふりしぼって舌を噛んで果てたものと思われた。

 全身凍りつくような徳島隊の者もやっとのことで神田隊の救助隊に救われた。第五連隊の生存者は山田少佐以下12名。のちに山田少佐は拳銃自殺。徳島隊は全員生還。しかし、2年後の日露戦争で、全員が戦死。

=====ここまで。

 
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 NHKのBSは、結構面白い番組を放映しているんだけど、「ダークサイドミステリー」もそのうちの一つで、毎回自動録画設定しているお気に入り番組。この番組で、自粛期間中の4月に放映されたのが「八甲田山遭難事件 運命の100時間 ~兵士たちは何に敗れたのか~」で、これを見て、俄然、「八甲田雪中行軍遭難事件」に興味を持ったのでした。

 で、本作を見てみようと思ったのだけれど、本作は、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」が原作。この原作小説は読んでいないのだが、同じ遭難事故を取材したルポである伊藤薫著「八甲田山 消された真実」(山と渓谷社)を本作を見た後に読んでみました。……これが、かなり衝撃的な内容で、この本を読み終えるまで本作の感想はちょっと書けないな、、、、と思って、結果的に本作を見てから1か月以上たって感想を書くことになってしまったのでした。


◆トップがダメだと組織は全滅する。

 実際に八甲田でロケをしたらしいのだが、まあ、とにかくほとんど全編が雪の中でのシーンで、画面が白いか(夜間の)黒いかで、非常に画的には面白味がない。吹雪の中では人の姿も見にくくて、おまけに重装備だから役者の顔がイマイチ分かりにくい。

 ……などという、映画としての難点はあるけれども、制作陣の意気込みは十分伝わって来る。『アラビアのロレンス』を見たときは、喉が渇いて仕方がなかったけれど、本作は、見ているこっちが凍死しそうな気がしてくるくらいに寒さを感じた。

 北大路欣也演ずる神田隊員が、本来この五連隊の司令官として機能するはずだったのに、三国演ずる山田少佐が階級としては上位で、横槍を入れるがために、司令系統が一本化せずに統制がとれなくなる。しかも、山田少佐の節目節目の判断は、すべて裏目に出るという悲劇。ド素人の私でも、あんな状況の雪山で動き回るのはNGだろうと分かるのに、なぜか山田少佐は、動き回る指示ばかり出すのである。当然、隊員たちは体力をひたすら奪われる。

 軍隊なんてのは、階級が絶対だろうから、神田隊員としても山田少佐に何も言えなかったのだろう、、、というのは分かるが、それにしたって、210名の人命を預っている立場として、もう少し何とかならなかったのか、という気もする。

 一方の健さん演ずる徳島大尉率いる三十一連隊は行軍を成功させ、健さんは、やっぱりここでも渋くてかっこいいヒーロー扱いだ。遭難死した神田大尉の死を悼む姿をヒロイックに描いている。しかし、この徳島大尉は、現地の案内人に対し、用が済むと「見聞きしたことを一切口外するな」と箝口令を敷いて、はした金を渡して帰らせるのだ。案内を務めた地元民は怯えきった様子で、猛吹雪の中を案内してくれた人たちに対して、それはねーだろう、、、と思ったんだけど、当時の軍なんてのはそういうもんなのか??とムリヤリ自分を納得させた。……が、その後に読んだ「八甲田山 消された真実」で、実態はもっとトンデモだったと書かれていて、さもありなん、、、と腑に落ちた。

 まあ、原作小説は、飽くまで小説であり、やはりイロイロ脚色がされているのだろう。もちろん、新田次郎のことだから綿密な取材はしているに違いない。また、小笠原孤酒という元新聞記者がこの遭難事故を取材しており、それらの取材資料を新田にほぼ全て提供しているということだ。

 それに、映画化に当たって、さらに事実からはかけ離れた筋書きになっているのだろうし。

 いずれにしても、愚かなる将を戴く兵卒たちの悲劇、、、と言ってしまえばそれまでだが、混乱の原因となった山田少佐は、本作では拳銃で自決したことになっているが、実際には、心臓麻痺で亡くなっているそうだ。まあ、自決した方が映画的には画になるけれど、現実はそうドラマチックではないのだ。


◆健さん=ヒーロー、で良いのか。

 私は、本作を見る前に「ダークサイドミステリー」を見ていて、本作の元ネタとなった遭難事故の実態を多少知っていたこともあり、あまり素直に本作を鑑賞することは出来なかった。「ダークサイドミステリー」では、第五連隊(つまり、神田隊員の部隊)のことしか描かれていなかったので、三十一連隊についての話は本作を見て初めて知った次第だが、その後に読んだ「八甲田山 消された真実」に書かれた内容から、この三十一連隊にも相当問題があったことが推察できる。 
 
 神田大尉、徳島大尉、山田少佐らには、もちろん実際のモデルがおり、少しずつ名前も変えられている。「八甲田山 消された真実」には、他にもこの行軍に関わった主要な人物が多く言及されており、それぞれの人物像が詳細に書かれている。著者の伊藤薫氏は、おおむね彼らに対して非常に辛辣で、氏自身も自衛隊出身ということもあってか、かなり憤っておられるのがよく分かる。確かに、若い200名以上の隊員の命を何だと思っているんだ??と、そのあまりにも杜撰な行軍に、怒りを通り超えて呆れてしまう。

 前述のように、箝口令を敷かれたことで、案内をした地元民たちは、事故後、調査に当たった関係者たちにも詳細を語りたがらなかったとか。それくらい、徳島大尉のモデルとなった福島泰蔵という大尉を恐れていたということらしい。

 本作は、結果的に、世界的な山岳遭難事故を、美談にしてしまっている感が否めず、正直言ってこの制作姿勢はかなり疑問を感じる。つまり、健さん演ずる徳島大尉をヒーローにしてしまっている、ということだ。まあ、映画はエンタメであるのだから、実話に忠実に作ったところで、面白くなければしょーがない、、、っていうのは分かる。でも、本来失われなくても済んだ199名の命が失われたことの重みを考えると、この徳島大尉のキャラは、果たして本当にこれで良かったのか。


◆その他もろもろ

 まあ、とにかく、豪華出演陣です。

 健さんら3人のほかにも、緒形拳、丹波哲郎、加山雄三、大滝秀治などなど。緒形拳でさえ、かなりのチョイ役。若~い加賀まりこが、健さんの妻役で、夫に三つ指ついて傅くという、らしくないキャラを可愛らしく演じていらっしゃいました。

 「八甲田山 消された真実」の著者・伊藤薫氏が、この遭難事故の最大の責任者として名前を挙げている人がモデルになっている津村中佐を小林桂樹が演じているのだけれど、かなりのチョイ役で、出番も少ない。伊藤氏は、とにかくこの人物を糾弾している。

 本作では分からないが、この行軍に参加した第五連隊で、目的地の“田代”に実際に行ったことがある人が一人もいなかった、誰もその場所を知らなかった、という事実が、「八甲田山 消された真実」を読んで、一番衝撃的なことだった。

 原作小説で有名と言われている、神田大尉の「天は我らを見放したか!」と叫ぶシーンは、本作でももちろん描かれているが、実際には「皆で枕を並べて死のう」という続きがあったそうだ。この一言で、それまで生き残っていた隊員たちの士気が一気に堕ち、皆がバタバタと倒れて行った、、、という。本作でも、バタバタと人が倒れて行くシーンがある。

 山岳遭難ではよく「引き返す」ことの重要性が言われるが、何事も“リタイア”することは難しい。そこには“敗北感”がつきまとうからか。途中まで手を付けてしまって、それが無駄になることの抵抗か。いずれにせよ、引き返す、撤回する、変更する、、、これらを臨機応変に判断することの難しさを、TV番組や本作、ルポを読んで改めて感じた次第。
 

 

 

 

 

 

低体温症の恐ろしさがよく分かる。

 




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はちどり(2018年)

2020-07-11 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70609/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 1994年、空前の経済成長を遂げる韓国のソウル。

 両親、姉、兄と共に集合団地に暮らす14歳のウニは、学校に馴染めず、違う学校に通う親友と遊んだり、男子学生や後輩の女子とデートをしたりして過ごしていた。小さな餅屋を切り盛りする両親には子供たちと向き合う余裕はなく、父は長男である兄に期待。しかしその兄は親の目を盗みウニに暴力を振るっていた。

 そんな中、ウニが通っている漢文塾に、どこか不思議な雰囲気を漂わせる女性教師ヨンジがやってくる。ウニは自分の話に耳を傾けてくれるヨンジに心を開くように。入院したウニの見舞いに訪れたヨンジは、誰かに殴られたら黙っていてはいけないと静かに励ました。

 ある朝、ソンス大橋が崩落。いつも姉が乗るバスが橋を通過する時間帯での出来事だった。

 まもなく、ヨンジから一通の手紙と小包がウニの元に届き……。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 某全国紙の評でベタ誉めしていたのと、他に見たい映画との時間の兼ね合いで見てみることに。何しろ、韓国で最も権威のあるといわれる青龍賞とやらを、あの『パラサイト半地下の家族』をおさえてゲットしたとのことで、新聞でも激賞していた。

 ……で、見終わってみての感想だけれど、何とも感想の書きにくい映画だなぁ、、、ってのが正直な第一印象。

 良い映画だとは思う。こういう、ある人物からの目線で身の回りのことを丁寧に描写する作品は好きなので、2時間ちょっとと短くはない作品ながら全くダレることなくエンドマークまで見ることができた。ネットの感想をいくつか見たところ、「狭い世界の話に終始していて云々」と批判的に書いているものがあったが、14歳の少女の視点で描かれているんだから、それがむしろ前提の映画だろう、、、と思うんだけど。このお方は何を本作に期待して見たのかしらん??

 とはいえ、この手の映画がみな感想が書きにくいわけじゃないのに、本作は何でそう感じたのかなぁ、、、と色々考えてみたのだが、イマイチ自分でもよく分からない。とりたててツッコミ所もない代わりに、グッとくる所もないというか、、、。

 だったら、記事を書くまでもないかとも思ったんだが、ちょっとだけ気になったことがあるので、備忘録的に敢えて書いておくことにした。

 ウニの家族の男たち、つまり父親と兄だが、喧嘩したり怒りをぶちまけたりする際に、女性たちに向かって「このクソアマ!」という接尾語が必ずといっていいほど付くのである。これがこの家族だけの特徴なのか何なのか分からないが、これまで見た韓国映画でも、ここまで安易に男性が女性に向かって「クソアマ」と言うシーンはそんなに頻繁にはなかった気はするが、本作ではまだまだ男性優位社会であることが、これでもかってくらいに描かれているので、その一環としての描写なのかも知れない。

 ……だとしても、「クソアマ」である。韓国語で何と言うのか分からないが、妻や娘や姉妹に、ここまで頻繁に「クソアマ」を吐く男たちってどうなのか。男性優位とか、そういう問題を超えている気がした。まだ、反抗期の高校生が母親に「うるせぇ、ババァ」とか言っている方が下劣度で言えばマシな気がする。いい歳したオッサンが、自分の妻や娘に「クソアマ、クソアマ」と連呼しているのは、不快極まりない。こんなこと、もし自分が夫に言われたら、即離婚案件になるね、私なら。

 もはや蔑称ですらない、「クソアマ」と言われた人間よりも、その言葉を吐く本人の人間性を著しく貶めるものだと思う。……だとすると、監督は、この言葉を多用することで、ウニの家族の男たちをとことんマッチョで下劣な男に描こうとしたのだろうか、、、と邪推したくなる。

 「クソアマ」って、実生活において私自身の周辺では、ほぼ耳にすることのない言葉なんだが、ほかではどうなんだろうか? 割とよく使われる言葉なのか? 韓国ではフツーに飛び交っている言葉なのか? それとも、字幕の翻訳がちょっと意訳だったんだろうか。

 クソアマの反対語って、何だろう、、、? クソ爺ぃ?? クソヤロー?? ま、よく分からないけど、見ていて嫌な気持ちになるシーンではあった。

 

 

 

 

   

 

 

ウニの家族が住む家は半地下ではなく、地上9階です。

 

 



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ハッピーエンド(1999年)

2020-04-03 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv33764/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 リストラされた夫ミンギに代わって、キャリア・ウーマンとして家庭を支える妻ボラ。その一方で彼女は、大学時代の元恋人イルボムとの情事に夢中だった。妻の不倫に気づいたミンギは、屈折した殺意を抱き始める。
 
=====ここまで。

 ただの不倫映画と侮ることなかれ。


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◆ストレスフルな日々を癒やしてくれるのは、やっぱり映画(や本や音楽)。

 毎日毎日コロナコロナコロナコロナ、、、、3分に1回はコロナという単語を聞く日々。「コロナ疲れ」なんて言葉も出るくらい。

 あれよあれよという間に東京は“オーバーシュート”寸前だとか。というか、それより深刻なのは、ピークを迎える前から既に医療体制が逼迫している、ってこと。大体、「ピークを急にしないよう、その間に医療体制を整えるため」という大義名分の下に、必要と思われる検査もそこそこに感染者数を抑えてきたのに、この2ヶ月間、行政は一体何をしてたんだ??というくらいに、病床数が少ない。軽症者用の隔離施設や重症者用の病床も確保していないってこの期に及んで聞かされて、都民は唖然ボーゼンだわよ。

 んで、庶民が心身共にあっぷあっぷしているところへ出たのが、「布マスク2枚郵送してあげる」。そりゃアベノマスクなんて言われても仕方ないね。そもそも、いらんわ、そんなもん。

 ……などなど、いらんストレスを抱え、すっかり映画館へも足が遠のく今日この頃。ロシアに行く1週間前から劇場には行っておらず、帰ってきてからも1度も行っていない。というか、帰ってきてから1ヶ月間、毎日自宅と職場の往復のみという、今までのパターンからはあり得ない生活をしているのだ。あんなに見たい作品がいっぱいあったのに。まったく行く気がしないのが、自分でも不思議。映画館は、今でこそ週末閉館しているが、先月は一部を除いてほぼ通常通り営業していたにもかかわらず、まるで見に行きたいと思わなかった。こんなことで劇場へ行く気がまったくなくなるだなんて、アタシって、実はそれほど映画好きじゃないんじゃないか??とさえ思う。ホントに好きなら、コロナだろうが何だろうが、居ても立ってもいられないはずじゃない??とか。

 とはいえ、自宅に籠る生活は、もともと出不精な人間としては全く苦にならないし、むしろ、出社制限もかかり籠ることを命じられて堂々と引きこもれるので、不謹慎だけど、何だかちょっとワクワク気分にさえなっている。積読も録画も貯まりに貯まっているので、いくらでも引きこもり生活が出来そうだ。

 と、前振りが異常に長くなってしまったけれど、本作は、そんな巣籠もり生活に入るちょっと前にレンタルDVD見たのだけれど、いやぁ、、、なかなかハード&ヘヴィな不倫映画でござんした。不倫映画も、描き様によっては十分見応えのある大人の映画になるのだと見せつけられた感じ。韓国映画、恐るべし。

~~以下、ネタバレしています~~


◆女の一生

 ボラは、不倫を知った夫に滅多刺しにされて殺されるんだけど、私は、彼女の人生はそれこそ“ハッピーエンド”だと思った。こんな殺され方をされるほど、夫に愛され、愛人にも愛された。……まあ、これを“愛された”といって良いのかどうかというのは異論もあるだろうけど、愛されたんだと思うなぁ、彼女の場合。

 妻である女は、夫が不倫をすると、その怒りの矛先を不倫相手の女に向けるというが、男は、自分の伴侶が不倫すると、不倫相手の男よりも伴侶である女に怒りが向かうと、聞いたことがある。本作の場合、夫のミンギは、ボラだけでなく、不倫相手のイルボムも社会的に葬っており、まぁ、両方共に制裁を下したわけだ。しかも、ボラは我が手で滅多刺しである。不倫相手のイルボムを殺して、その罪を妻ボラになすりつける、、、というんじゃないところがミソだろう。

 我が手で滅多刺しにしたいと、、、、私は思わないだろうなぁ、もし、ウチの人が不倫しても。そんなエネルギーないわ。もちろん、精神的なダメージはあるだろうし、怒りを覚えるだろうけど、ウチの人を殺したいとまでは思えないだろうね。だって、そんなことで人生棒に振りたくないし。不倫相手に罪をなすりつけるための周到な準備をするのも正直言ってメンドクサイ。せいぜい、信頼できなくなるから、一緒に居るのは難しいってことでサヨウナラ、、、だと思うわ。

 ミンギがボラを殺したのには、裏切られたことへの激しい怒りと、独占欲が大きかったと思う。“オレの妻”なんだ!!っていう。だから、オレの手で殺してやる!と。そうすることで、永久にオレのものだ!!みたいな。でも、そうじゃないことを思い知るのが、ラストシーンなんだろうね。ボラが居ないってこと。オレのものにしたはずなのに、不存在の大きさを、殺した後に初めて実感するという、、、。それでも、自分は現実を生きていかなきゃいけない、日々は続き、次の日は容赦なく来る。来る日も来る日も、ボラの不存在が続くのだ。あの時、ミンギはボラを殺したことを後悔していたのだろうか??

 一方、ボラの一生は、男に執着された終わり方であったが、果たしてそれを羨ましいと思うか? 今の私は、正直なところ、そういうのもうどーでもいい、、、って感じだから羨ましくないけど、若い頃だったら、ちょっとは羨ましかったかも。あんな痛い死に方は嫌だけどサ。……いや、確か“好きな男の腕の中で死にたい”と若い頃は思っていたから、やっぱし羨ましくないか。ボラはミンギのこと好きじゃなかっただろうから。好きでもない男に執着されて、命まで奪われたら、むしろ化けて出たくなるかも、、、。


◆濡れ場をちゃんと演じる役者は素晴らしい。

 本作は、ボラを演じたチョン・ドヨンと、愛人役チュ・ジンモのSEXシーンが話題だったのだが、まぁ、想像を超える描写で、唖然としました。まあ、不倫劇で、SEX抜きには描けないだろうから、非常に重要なシーンであり、それだけに、気合いの入った熱量MAXな描写に脱帽。こういう、ちゃんとした濡れ場って、大事だよね。

 SEXを臭わせる描写でごまかしたり、SEXを描いているのに下着付けたまんまの中途半端な描写でお茶を濁したりする映画が多いけれども、本作は、両役者が、文字通りの体当たり演技で、本作に説得力を持たせている。今の邦画界では、こういうシーンを演じられる女優・男優がほとんどいないだろうなぁ、、、。特に、女優さんが思い浮かばないのが残念。

 韓国はどうだか知らないが、日本だと、こういう濡れ場に、ただの好奇心で大騒ぎする手合いがいるが、役者にしてみればこれも他のシーンと同じく、“お仕事”なわけで。汚れ役とか言うけど、それもヘンだと思うなぁ。濡れ場を演じられるのは、むしろ女優として力量が問われるのに。清純派女優とか、、、むしろ有り難くない称号だと、私が女優なら思うけどね。昭和の女優たちは、そういう好奇の目にもめげずに、それこそ身体を張って演じていた。そして、その演技に説得力があったから、その女優たちは着実にキャリアアップしていったのだ。……というのは、最近、『復讐するは我にあり』を見たから、余計にそう思うのでありました。

 いずれにしても、チョン・ドヨンという女優は素晴らしい。彼女が、特典映像で「私は、デビュー当時から思っていることですが、見ている人に信頼してもらえる女優になりたいと思って、この仕事をしています」と言っていたのが印象的だ。実際、そのとおりになっているのがまた凄い。
 
 一方のチュ・ジンモも、この頃は、まだ売り出し中だったようだけど、そんな感じは微塵もなく、堂々たる演技でアッパレ。彼も、特典映像で「この役を演じて、自分に足りないものがたくさんあることがよく分かった。この役を演じることが出来て、本当によかった」というようなことを言っていた。だから、今の彼があるのだと、非常に納得させられた。

 役者は大変な仕事だ。良い映画を作ってくれた役者さんたちには、映画ファンとしてもっと感謝しないとなぁ、、、と、2人の熱演を見て、なんだか少し反省させられた。
 

 

 

 

 

 


ボラのモノの食べ方に、彼女の貪欲な性格がよく出ている。

 

 

 

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母との約束、250通の手紙(2017年)

2020-02-08 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68578/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 思い込みが激しく負けん気の強いシングルマザーのニーナ。彼女は息子のロマンがフランス軍で勲章を受けて外交官になり、大作家になると信じてその才能を引き出すことに命を懸けていた。

 母と共にロシア、ポーランド、ニースに移り住んだロマンは、その溺愛の重圧にあえぎながらも、幼い頃に母と取り交わした「約束」を果たすべく、いよいよ努力を惜しまないようになっていく。

 ニーナは、自由フランス軍に身を投じ病に倒れ生死の境目を漂うロマンの下へも、激励の手紙を送り続けた。

 ついにロマンはパイロットとして活躍し、同時に念願の小説が出版されることに。しかし相変わらず届き続けるニーナの手紙には、なぜか息子の作家デビューを喜ぶ様子はなくー。

=====ここまで。

 「フランスの三島由紀夫」(?)といわれるフランスの作家ロマン・ガリの、強烈な母親との波乱万丈な人生を描いた自伝『夜明けの約束』を映画化。
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 フランスの三島由紀夫って、、、。三島の方が大分若いけど。ロマン・ガリという名は本作で初めて知ったくらいで、当然読んだことないから何とも言えないけど、三島みたいな小説書いているってことなのか? 三島のは、エッセイの方が好き。

 ……まぁ、でも本作を鑑賞するにあたって、それは関係ないです。公開初日だってのに、劇場(シネスイッチ銀座)はガラガラ、、、。大丈夫か? かなり面白いし良い映画なのに、あんまし評判になっていないのは、この邦題のせいじゃないかねぇ。


◆孟母もビックリの猛母見参。

 序盤、ポーランド語のセリフが出てくるので、ん??となる。見ているうちに分かってきたが、このロマン・ガリ氏は生粋のフランス人じゃないのだね。ロシアにルーツを持つユダヤ人で、フランスに移住したと。プログラムの年表を見ると、現在のリトアニアの首都ヴィリニュスで生まれたんだが、このヴィリニュスはロシア領になったり、ドイツに占領されたり、ポーランドに侵攻されたりと、いろいろ複雑な歴史があるらしい。その後、12歳ごろにワルシャワに移って2年ほど暮らしているみたい。本作では、そのワルシャワ時代から描かれるので、ポーランド語が出てくるんだね。

 ……まぁ、とにかく、本作はロマンの母親ニナに尽きる。孟母ならぬ“猛母”。このニナ(実際の名はミナだったらしい)は、なぜかフランスという国家を尊敬し愛しており、ワルシャワで暮らしているときからロマンに「フランスで成功しろ!」と言い聞かせているのである。やはり、フランスはヨーロッパの中心、、、という認識が当時のヨーロッパではあったんだろうか。この、過剰とも思えるフランスへの憧れが、そのままロマンへの教育に投影されるわけだ。予告編にもあるが「男が戦うべき理由は3つ。女、名誉、フランス!」などと少年ロマンに叫ぶように言って聞かせる様は、まさに狂気。

 さらに、「生きている間に成功しろ、死んだ後有名になっても意味がない」と言って、成功の象徴が「作家」であり「外交官」なんである。近隣の住民に「この子は有名な作家になる!外交官になるんだ!!」と宣言するのだから凄まじい情熱だ。

 ちなみに、当然のことながら、画家はダメ。生きている間に成功する画家なんて稀だから、だろう。少年ロマンが絵を描いていると「ダメダメ」と言って絵を取り上げる(これも予告編にあるね)。

 フランスに移住してからも、ロマンが作家になるため苦労を惜しまないニナ。ユダヤ人ということもあったんだろうが、ロマンが空軍に入隊することを手放しで喜んでおり、フランスのために戦え!ということなんだろう。しかし、ユダヤ人だからこそ、ロマンは1人だけ任官されないという憂き目にも遭っている。だが、任官されなかった理由を偽ってニナに報告すると、ニナはむしろ「偉い!よくやった!!」みたいにロマンを称えるのだ。ロマンがニナに語ったウソの理由は、敢えてココには書かないケド。

 ものすごい波瀾万丈な母子の歴史を描いているのだが、ユーモアもあり、……というか、あまりにもニナが激しすぎるからだが、度が過ぎる情は時に滑稽でもあり、結構笑えるシーンが多い。

 ワルシャワでは、元女優だったことを活かして(?)、旧知の俳優仲間と共に一芝居打って、さも一流ブランドの支店であるかのごとく装い仕立屋を経営する。一時的に成功するが破綻し、フランスへ移ってからは、ホテル経営に。このホテル経営に至るまでのいきさつも、なかなかユニークで、ニナの人柄というか、性質というか、まあ、とにかく一筋縄ではない人間だったことがよく分かる。それもこれも、彼女にしてみれば、ロマンがフランスで有名人になって成功するため!!だったのだろう。

 正直言って、こういう“子の人生で自分の人生のリベンジを図る親”ってのは好きじゃないが、ニナを見ていると、嫌悪感はあまり湧かず、ここまで徹することができるのか、、、とむしろ感嘆する。

 ニナのことを近所の悪ガキにからかわれて、泣いて帰宅した少年ロマンに対し、ニナは言う。「今度母さんが侮辱されたら、担架に乗って帰ってきなさい! 母さんを守ることに命を懸けなさい!!」……絶句した。「こんなお母さんでゴメンね」などと、この母親は口が裂けても言わないだろう。ここまで我が息子に言えるというのは、天晴れだと思う。


◆親の期待に応え続ける息子だが、、、。

 で、こんな猛母に育てられたロマンなんだが、もう、泣きたくなるくらいに健気に母親の期待に応えようと頑張るのである。一応、反抗もするが、可愛いモノ。よくぞ、あんな好青年に育ったもんである。

 彼があそこまで頑張れたのは、やっぱりあの母親のため、、、というのが大きかったからなんだろうか。彼自身が何をどう考えていたのか、本作からは今一つ伝わってこなかった。葛藤があるのは分かるが、あそこまで抑圧されて、ほとんど反発しないのがちょっと不思議なのだよね。物心ついたころから、母一人子一人で、母親の苦労を目の当たりにして育ってきたから、、、ってのはあるだろうが、それにしたって、、、である。

 印象的なのは、ニナが糖尿病を悪化させて入院したとき。医者が忙しくて、ロマンの問いにぞんざいに答えていると、ブチ切れたロマンは医者を張り倒して「お前の母親だと思って診療に当たれ!」と怒鳴りつける。このロマンの言動は、ニナそのもの。そして、「今度母さんが侮辱されたら、担架に乗って帰ってきなさい! 母さんを守ることに命を懸けなさい!!」というニナのセリフの裏返しでもある。

 実際、ロマンは母親の宣言どおり、その後、戦場で功績を挙げてユダヤ人であることの負い目を払拭したかのごとく、それが戦後の外交官への道を開くことになる。そして、作家としても着実に功績を挙げていく。

 一応、本作では、ニナの過激な息子への情は実を結んだ、、、ということになっている(んだと思う)。

 しかし、ロマン・ガリの実人生の最後は、拳銃自殺で終わっている。この自殺の背景は全く分からないが、私自身、親のリベンジ願望に自分の人生を利用された子として、ロマンが自殺を選択したことが意外ではないのだ。共感は出来ないが、何となく、自己矛盾を抱え続けた人生だったのではないかという気がする。自分の中に“芯”が一本通らないというか。母親が生きている間はともかく、この世から母親の存在がなくなると、寄る辺ない感じは常にあったのではないか。

 ……まぁ、ゼンゼン違うかもだけど。

 ただ、本作の評で、多くがニナの言動を「激しい愛情」みたいに言うのが引っ掛かってしまうのだ。正直なところ、ニナという人のことは、本作でもよく分からない。彼女がロマンを産む前にどんな人生を歩んできたのかも分からないし、本作中でも彼女が何を考えているのか、分かる様で実はゼンゼン分からない。ただただ、ロマンに自分の理想を押し付けているだけなのだから。

 あれを「愛情」と言って良いのか。私は、敢えてこの文章の中で「愛情」とは書かなかった。愛情がゼロではもちろんないだろうけど、手放しで“無償の愛”と賞賛する気にはなれない。

 
◆邦題とか、その他もろもろ。

 ヒドい邦題ってのはたくさんあるが、本作もその一つだなぁ。原題は、原作と同じ「夜明けの約束」である。実際、原作には「母親の愛のせいで、人生はその始まりの夜明けに、かなわない約束をしてしまう……」という一文があるようで、ここから考えれば、約束の相手は「母親」ではなく「自分自身」であることは明白だ。つまり、この邦題は“誤読”であるということ。別に誤読が一概に悪いとは言えないと思うけど、本作の場合、ゼンゼン制作意図が違って伝わってしまう可能性があり、しかも、「250通の手紙」などという語呂の悪い副題まで付いている。センスが悪すぎてイヤになる。

 これじゃぁ、お客さんが入らないのもムリからぬ。明らかにプロモーションのミスだろう。配給会社は、猛省すべし。

 主役の猛母を演じたシャルロット・ゲンズブールが素晴らしかった。あんまし好きじゃなかったんだけど、本作で見方が変わったかも。ロシア移民の父方の祖母をイメージして演じたとのことだが、とにかく、凄まじかった。

 ロマンは、少年~大人まで3人登場するが、14歳~16歳までを演じた少年だけちょっと異質な感じだったかな。少年ロマンは可愛い感じ。

 大人になったロマンを演じたのは、ピエール・ニネ。『婚約者の友人』で初めてイイ男だと感じたけど、本作でもやっぱりイイ男だった。実際のロマン・ガリよりゼンゼン素敵。空中戦のシーンは手に汗握る。空軍の飛行機と一緒に映ると、よりイイ男に見えた、、、気がする。

 ニナの手紙の秘密が明かされるオチを、イイ話と思えるかどうかで、本作への印象が決まるかな。私は、イマイチ、、、と思っちゃったクチだけど。それまでが良かったから、まあ、そんなに減点対象ではないけれど。あんな、いかにも作り話っぽいオチにしなくても良かったんじゃないかな~、と思うわ。

 

 

 

 

 

 


ロマン・ガリは、日本ではもっぱら“ジーン・セバーグの夫”として有名だったみたい。

 

 

 

 

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パラサイト 半地下の家族(2019年)

2020-01-21 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68173/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

 “半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。 
 
 「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった??。

 パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく??。

=====ここまで。

 昨年のパルムドール受賞作。作品賞でのオスカーゲットも現実になるか?!
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 公開前から話題沸騰の本作。もう既に、あちこちで批評・レヴューが溢れている上、監督もネタバレ厳禁!と言っているらしいので、なるべく本作の核心には触れずに、感想(?)を書こうと思います。


◆半地下のユーウツ

 貧乏=半地下、金持ち=高台、、、ってものすごい分かりやすい舞台設定で、思わず笑ってしまった。

 まぁ、でも、普通、建物を建てる際に、地面を掘る(地下を作る)のはそれだけで工費がグンと上がってしまうものなんだが。韓国では違うのかな。よく分からないけど、日本じゃ地下掘ってあるマンション(に限らないが)は割高になります。

 ちなみに、私の知り合いで小金持ちな方がおりまして、老朽化した自宅を建て替えた際に地下を掘って、それこそ半地下を作り、そこをホームシアターになさいました。半地下というより、天井近くに辛うじて窓があるという感じの、ほぼ地下でしたけど、それはそれでなかなか贅沢な作りになっていて、ホームシアターが夢の私にとっては羨ましい空間がありました。

 そんな非日常空間を敢えて半地下にするのは贅沢のうちだろうが、日常の空間が半地下ってのは、なかなかユーウツなもんです。これは私自身が経験アリなのでよく分かる。

 新卒で入社した会社の借り上げマンション、割り当てられた部屋は1階の一番奥。その1階が、まさしく半地下だったのだ。ベランダの手摺りが地面の高さ。部屋の床が地面より下にある、部屋で床に座ると地面が目線より高いところにある、、、本作のキム家よりは浅めだったと思うが、何とも言えない感じだった。

 部屋は中庭に面していて通りから丸見えではないから、キム家の人々みたいに部屋の中から外で立ちションしている人を見上げることはなかったけれど、生け垣の向こうには別のマンションが建っており、そこの1階よりも低いところで寝起きしているのは、あまり気持ちの良いものではない。時折中庭にネコが入ってきて、部屋でボケーッと座り込んでTVを見ていて、ふと外を見ると、ネコがこっちを見下ろしている、、、なんてこともあった。何より一番イヤだったのは、大して風のない日でも窓を開けておくとアッと言う間に部屋の床が土埃だらけになること。まともに地面から土が入ってくるのだ。布団はもちろん、洗濯物もベランダに干せないし、日当たりも悪いし、おまけに私の部屋の前には何かのモーターみたいな大きな箱が設置されており、間欠的にそれがもの凄い音を立てるという、まさに最低な部屋だったのである。

 昔から出不精の私は、部屋が快適な空間でないともの凄くストレスが溜まる。実際、私は、あの部屋にいるとき(部屋だけが原因ではないが)拒食症になり、かなり精神的に病んでしまった。どんなにストレスを感じる出来事が外であっても、自分の部屋に帰ってくればリセットできるのが本来の私なのだが、あの部屋に住んでいたときはリセットできず、どんどん溜まる一方だったのだ。

 その後、半年もしないうちに1階の別の部屋に空き巣が入るという事件が起きて、女子専用マンションだったのが、半地下1階は男子に割り当てられ、1階の女子たちは2階以上に強制移住させられたので、半地下から図らずも脱出できたのは有り難かった。4階に移ったら、心が健康に戻ったかというと、そんな簡単なモンじゃなく、一度病んでしまうとなかなか回復に時間がかかり、結局4階にも2年弱しかいなかった(退職したってこと)。

 ただ、忌まわしい土埃からは解放され、布団も洗濯物も日光の下に干せるようになり、それだけでも少し気持ちが軽くなったのは実感した。やはり居住空間というのは精神衛生上ものすごく大事だと思い知った経験だった。

 だから、本作でのキム一家は、あそこまで深い半地下の部屋で、あれだけ家族皆が仲良く明るさを保って生活していることは凄いと思ったのだ。夫婦二人とも楽観的だし、子どもたちも決して悲観的ではない。というか、一家揃って皆、たくましい。それが、私の半地下経験の実感とはかけ離れており、序盤は少し違和感があった。

 スルスルと芋づる式に金持ち一家に食い込んでいくキム家の人々。要領良すぎで、なんか想定内の展開だなぁ、、、期待ハズレか?? と思って見ていたところへ、思いもよらぬ「転」が訪れ、一気に面白くなる。

 半地下は、確かに貧乏の象徴だが、人間にとって耐えがたいことは貧乏ではない、もっと下には下があるということを、この映画は皮肉たっぷりに描いているのだ。


◆その他もろもろ

 印象的なのは、階段、坂、、、。特に、豪雨のシーン。滝のような雨が階段を勢いよく流れ落ちていく様は、天国から地獄に落とされたキム家の人々の気持ちを象徴していて、見ていて切なかった。おまけに、その後、帰った半地下の自宅は水没しているのだから。

 その直前の、金持ちの豪邸内での描写も笑えるけど、屈託なくは笑えない。ソファを挟んで、下にはキム家の人々が息を潜めて隠れている、上では金持ち夫婦がセックスしている。嗚呼、、、。

 ただ、終盤、誕生日のガーデンパーティでの惨劇は、展開が予想できちゃった人も多いのでは? でもそこは、ポン・ジュノ監督、それで安易に終わらせない。あのラストのオチがあったおかげで、私は本作は格段に面白くなったと思っている。内容は書かないけれど、ああやって、ゴキブリみたいにしぶとく格差社会なんかモノともせずにしたたかに生き延びてやろう、というのは嫌いじゃない。社会の現実の前に呆然として絶望するようなラストだったり、一発逆転して勝ち誇るだけのラストだったりしたら、むしろ白けただろうな、と思う。

 こういう面白い映画は、落としどころが難しいと思うが、本作はオチが秀逸だからこそ、評価が高いのではないかと感じた次第。

 個人的に、一番印象に残ったのは、家政婦役のイ・ジョンウンさま。面白すぎる。階段から落っこちたときに死んだのかと思ったら、どっこいしぶとく生きていたのもビックリだった。金持ち奥様のチョ・ヨジョンは『後宮の秘密』よりも魅力的に見えた。「時計回りで!」が笑える、、、。金持ち夫婦もお人好しで、騙されやす過ぎなのが可笑しい。

 長男のチェ・ウシクくんは童顔でとても大学受験生には見えないけど、彼も途中で死んじゃったのか??と思ったら生きていて、良かった……。長女のパク・ソダムちゃんも、可愛いかったなぁ。

 まあ、日本じゃこんなパンチのある映画は、当面作れないでしょうなぁ。やっぱり、韓国映画の方が何歩も先を行っていると思う。危機感もっと持って欲しいですね、邦画界は。

 
 

 

 

 


基本悪人は出て来ないけど、、、

 

 

 

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運び屋 (2018年)

2019-11-16 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66413/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 孤独な90歳の老人アールは、商売に失敗し、自宅も差し押さえられそうになった時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。

 簡単な仕事ならと引き受けたものの、それはメキシコの麻薬カルテルの“運び屋”という危険な仕事で、アールはそうとは知らずに仕事を始める。

=====ここまで。

 

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 俳優引退!と言っていたイーストウッド。そんなの寂しいヨ、、、と思う半面、いや、あのじーさんならまたいつか表に出てくるはず、、、と思っていた。……ら、ホントに出て来たよ、表に!! 劇場に行こうか迷っているうちに終映してしまったので、このほどDVDでようやっと見ましたとさ。

 

◆イースドウッド自身の懺悔映画

 イーストウッドの監督作はおおむねダメなんだが、本作は珍しく“抵抗なく”見ることが出来た気がする。麻薬犯罪が背景になっているけど、まあ、主眼は“家族”だからね。いつ、麻薬組織がアール爺さんに牙を剥くかと思って冷や冷やしながら見ていたけど、杞憂に終わった。

 実に実に平和な犯罪映画。……って何かヘンだけど、でもそうだったんだから仕方がない。安易な感じもするけど、まあ、こういうのも良いんじゃないのかしら、って感じ。

 アール爺さんが何回運び屋やっているのか、その度に字幕が出るんだけど、フツーなら、運び屋稼業に飽き足らなくなって何かよからぬことをやっちまって、、、っていう展開になるかと想像するけど、10回超えても、基本的にアール爺さんは余計なことはしない。せいぜい、砂漠の真ん中でタイヤがパンクした家族の車のタイヤ交換を手伝ってやるくらいなもん。非常に業務に忠実かつ確実なんである。そりゃ、麻薬組織の信用が高くなるのも理解できる。

 しかし、、、やっぱしイーストウッドってマッチョよね。まぁ、ダーティハリーなんかからしてマチズモ全開だったんだから、彼の人生をマッチョが貫いている、とも言えるが。前回の『グラン・トリノ』でもそうだったが、平気で差別的発言を、その当事者に向かってしてしまう辺り、トランプとイイ勝負。あんなヨボヨボになっても、女たちとお楽しみシーンを外さないところも、イーストウッドの素じゃないかね、あれは。

 彼自身の懺悔映画みたいなものかな~、と思いながら見ていた。本作が公開時に、新聞にイーストウッドのインタビュー記事が出ていたんだが、自身のプライベートを振り返って「反省していることもある」なーんて言っていて、むしろビックリ。反省するんだ!? みたいな。何を反省しているのかしらん。

 家庭を顧みなかったアールは、死の床にある元妻を看取るために、麻薬組織の鉄壁の掟を破って元妻のところへ駆けつける。ここでの元夫婦の会話が結構イイ。あのくらいの歳になれば、過去のあれやこれやも“そんなこともあったねぇ~”って感じになれるのか。元妻は、アールのことを今でも愛している、という設定になっていたけど、どうにもこうにもアールに都合良過ぎじゃない?と思っちゃうのは私だけしらん。命の危険と引き換えに、妻への罪滅ぼしをしたんだから、許されても良いだろう、、、と世の多くの人は思うんだろうか? 私も、あれくらいまで長生きしたら、色んなことを達観できるようになるんだろうか????? 

 でも、イーストウッド自身は過去の女性たちに許されたんですかね? 彼を訴えていたソンドラ・ロックは亡くなってしまったし。最初の奥様はご存命なのかな?? ソンドラ・ロックには相当ヒドいことをしていたみたいだから、現実はそんな甘くないと思うけどねぇ。

 一つ疑問だったのは、アールが死にそうな元妻の所へ行っている間、麻薬組織は彼のことを血眼になって探しているんだが、そんなもん、車かケータイかブツにGPS仕込んどくモンじゃないの?フツー、、、と思ったんだけど、どーなの?? あんなことあり得るのか、イマドキ。30年前なら分かるけど、、、。

 

◆ヨボヨボイーストウッドとかいろいろ。

 それにしても、さすがのイーストウッドも、もう“歳取った”なんてもんじゃなくて、“ヨボヨボ”だった。曲がった背中の後ろ姿は、ハリー・キャラハンを愛している者にとってはかなり切ないものがある。とはいえ、スーツを着れば、やっぱりそれなりにキマッているし、あんな90歳、まぁそんじょそこらにはいないことは確か。

 あと、音楽が良かった。彼の映画は音楽が良いのが多い。さすが、マニアを自称するだけのことはある。

 なんだかんだ言っても、彼は、非常に恵まれた老人なのではないだろうか。悠々自適に過ごせるだけの資力もあり、ヨボヨボになったとはいえ健康だし(多分)、何より必要としてくれる人々がいて、彼の出ている映画を喜んで見ている人たちがいて、皆に尊敬されて、、、。それで彼が幸せなのかどうかは分からんが、あんな年寄りにならなっても良い、、、と思うんじゃないかしらね、多くの人は。

 特典映像で出演者たちのインタビューを見たけど、みんなイーストウッドを褒めちぎっていて、ちょっと不気味ですらあった。あんな場面で悪口なんか言うはずはないが、それにしたって、みんな褒めると言うより、崇めている感じなんだもんね。

 まあ、彼はこの後にも監督した作品が公開待ちみたいだから、恐るべき90歳である。

 ブラッドリー・クーパーは、相変わらず男前だし、重要な役どころではあるけど、ほとんど見せ場のないまま終わってしまった感じ。強いて言えば、朝のダイナーでアールと偶然会ってしみじみ会話を交わすシーンくらいかな。あとはラストと。

 麻薬組織のドンで、途中で子分に殺されちゃうラトンを演じていたのが、アンディ・ガルシアだったのがビックリ。エンディングの字幕見て、初めて知ったわ。ゼンゼン分からなかったよ、、、。彼は私の中では、『アンタッチャブル』『ゴッドファーザーPART3』のままで止まっている、、、。実際、彼のその後の出演作、1本も見ていない気がする。

 ラストとかもかなり甘いので、ちょっとなぁ、、、という感じはかなりあるけど、まあ、イーストウッドだからいっか……! と思っちゃう私は、やっぱしまだ彼を愛しているってことかしらね。

 

 

 

 

 

イーストウッド、100歳まで生きると思う。

 

 

 

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パリに見出されたピアニスト(2018年)

2019-10-11 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67838/

 

 以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。 

 忙しなく人が行き交う、パリの主要ターミナル 北駅。耳を澄ますと、喧騒の中に美しいピアノの音色が聴こえる。

 ご自由に演奏を!

 そう書かれたピアノに向かうのは、おおよそピアニストとは思えない、ラフな格好をした一人の青年だった。彼の名はマチュー・マリンスキー。パリ郊外の団地で母親と妹、弟と暮らしている。決して裕福とは言えない家庭で育ったマチューは、幼い頃にふとしたきっかけでピアノと出会い、誰にも内緒で練習していた。クラシックは時代遅れだと思い、ラップを聴いている地元の仲間にバレたら、とんだお笑い草だ。

 ある日、マチューが駅でピアノを弾いていると、その演奏に足を止めた男が一人。パリの名門音楽学校コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)でディレクターを務めるピエール・ゲイトナーだった。マチューの才能に強く惹かれたピエールは、声をかけ名刺を渡すが、マチューは逃げるように去ってしまう。

 その夜、仲間と盗みに入った家でグランドピアノを見つけたマチューは弾きたい衝動を抑えきれず、警察に捕まってしまう。実刑を免れないと言われたマチューに手を差し伸べたのは、ピエールだった。コンセルヴァトワールでの清掃の公益奉仕を条件に釈放されたマチューは、ピエールからもう一つ条件を言い渡される。それは、女伯爵との異名を持つピアノ教師エリザベスのレッスンを受けることだった。ピエールは、マチューをピアニストに育て上げる夢を持ったのだった。

 望まないレッスンに、マチューは反抗的な態度。エリザベスも匙を投げかけたが、ピエールの進退を賭しての熱意に動かされてレッスンを続けることに。

 そして、ピエールは国際ピアノコンクールの学院代表にマチューを選ぶのだった。課題曲はラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調」。コンクールまで4か月。3人の人生をかけた戦いが、いま、始まるーー。

=====ここまで。

 

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 この秋は、やたらクラシック音楽がメインディッシュにのった映画が目に付くんだが、何で? そして、前回の『レディ・マエストロ』の記事でも書いたが、その手の映画は大抵ハズレなので、わざわざお金払って見に行って文句タラタラの感想を書くのがオチ。だったら見に行かなきゃ良いものを、やっぱり気になってしまうってのが我ながら困ったもんだと思う。

 ただ、本作は、ホントにハナから見に行く気はなかったんである。予告編からしてハズレの匂いがぷんぷんしていたから。

 だったら何で見に行ったの?? と言われそうだが、その理由は単純。某全国紙の映画評で、映画ジャーナリストの林瑞絵さんというお方が、こんなことを書いていたからだ。

 「炭鉱町の少年がダンサーを目指す英国映画「リトル・ダンサー」の影響下にある本作は、芸術に献身することの崇高さを思い出させる」

 この一文で、私は迷うことなく劇場行きを決めた。こんなこと書かれては見ないわけにはいかないのだ、私にとっては。『リトル・ダンサー』のタイトルを出した以上、それに見合った作品かどうかチェックされることは承知の上なんでしょうよ。

 ……というわけで、見に行って参りました。そして、予想どおり、、、というか、その遙か上を行くハズレ映画で憤りを超えて泣きなくなった。『リトル・ダンサー』の影響下、ってどこが?? 貧しい少年が才能を見出されて、未来が変わったってとこ? だとしたら、あまりにもお粗末。安易に、映画史に残る珠玉の作品のタイトルを語って欲しくないわ、マジで。

 

◆超自己チュー男、その名はピエール。

 まあ、文句を言いたいところはいっぱいあるけど、私が一番気に入らないのは、ピエールだね。こいつが本当に嫌だ。何でこんな人物設定にしたのか、理解が出来ない。

 ピエールってのは、主人公の不良青年マチューの才能を見出す音楽学校のディレクターなんだが、駅で一心不乱にバッハを弾くマチューを見付け、彼を名のあるコンクールに出そうと早々に決める。で、この決める理由がふるっている。普通に考えれば、それくらいマチューの才能に惚れたから、ってことだと思うでしょ?

 違うんだよね。

 このピエールって男は、自分の立場が危うくなっているどん詰まり状態を切り抜けるために、特異な経歴のピアニストとしてマチューを仕立て上げ、その話題性を狙い、ディレクターとしての名声を上げることを企んだのよ。……サイテー。

 まあ、結果的に天才を発掘したのだったらええやん、という結果オーライの見方もあるでしょう。でも、『リトル・ダンサー』云々というのなら、それはダメです。私が許さん。

 上司に、何年もコンクールの優勝者をこの学校から出していないことを責められ「クビだ」と言われたピエールは、臆面もなく「マチューを優勝させたら注目されるはずだから見ててくれ!」等と言うのである。んでもって、マチューが結果的にそのコンクールで優勝すると、ラストシーンではピエールのその後として、NYで出世を果たしている姿が描かれている。……この映画は、マチューが主役ではないのかね?

 『リトル・ダンサー』で、ピエールの存在に該当するのは、恐らくウィルキンソン先生だろう。でも、思い出して欲しい。ビリーがオーディションに合格してロンドンへ旅立つときのウィルキンソン先生との別れのシーンを。彼女は、ビリーの才能を伸ばすことだけを考えていたのでは? 自らは、再び炭鉱街のバレエ教室の先生にひっそり戻っていったではないか。「あなたの人生はこれからだ」とビリーにはなむけの言葉を贈って。だから、見ている方は感動するのでは?

 

◆音楽を何だと思っているのか。

 しかも、本作のタテ糸であるはずの“マチューの成長譚”としては、あまりにも平坦過ぎで、こんなんでコンクール優勝できるほど、プロの世界は甘くない。

 平坦にならないようにシナリオ的に苦心した跡は見られるが、とってつけたようなエピソードをいくつか継ぎ足した感じで、却って映画としての質を下げている。どんなエピソードかは、書くのもメンドクサイほどどれもこれもくだらない。しかもそれらをどうやって克服したのかも描かれていない。全て何となくスルーだなんて、観客をバカにしているとしか思えない。

 ……というか、本作全体に言えるのは、音楽に対する敬意が感じられないってこと。

 それが最も顕著に出ているシーンは、マチューがコンクールに遅れてきたシーンだろう。遅れてくるのも、まあ、現実には論外だが、それは百歩譲って良いとして、マチュー自身の行動ではなく、ここでもやはりピエールなのだよ、問題は。

 時間になっても会場に表れなかったマチューに代わり、本来コンクールに学校が出そうと考えていた男子生徒を代打で出すことになる。男子生徒は舞台に上がり、ピアノの前に座る。しかし、そこでマチューが会場に着いた、ってんで、ピエールが「出場するのはマチューだ!」とか叫んで、ピアノの前に座っている男子生徒は、満員の聴衆の前でマチューと交代させられるのである。

 こんな暴挙を許すコンテスト主催者も映画とは言えいかがなものかだが、そもそも、こんなシーンを書く制作陣こそクソ喰らえ、である。コンテスタントに、こんな屈辱を強いるシーンを描くということは、音楽家に対する敬意など微塵もないどころか、冒涜だ。もっと言えば、音楽を、ただの感動物語の道具としてしか考えていないから、こんな馬鹿げたシーンだ書けるのだ。

 一昨日見た『蜜蜂と遠雷』の終盤でも、盛り上げるためだと思うが、有力なコンテスタントが出場時間に間に合わないかも……! というシーンがあったけど、ああいうのはハッキリ言って邪魔なだけだからやめた方が良い(原作にもあるのか?)。そんな安っぽい仕掛けをしなくても、観客に手に汗握らせるストーリーなんていくらでもあるだろうよ、と思う。(映画としては『蜜蜂~』の方がマシだったと思います、念のため。感想はまた後日)

 

◆その他もろもろ

 マチューを演じていたのは、ジュール・ベンシェトリ。あの『アスファルト』でユペールと共演していて強烈な印象を残していた子が、青年になっていた。『アスファルト』では可愛かったけど、本作では、まあ、カワイイっちゃカワイイけど、役柄的にもあんまし好きじゃないのもあって、イマイチな印象だった。何でこんな駄作に出演したのか、不思議だ。

 というか、そういう意味ではもっと不思議なのが、クリスティン・スコット・トーマスが出ていること。彼女の役は、まあ、本作の中では一番マトモな役だと思うが、それにしても、、、である。相変わらず流暢なフランス語はさすがだし、演技もさすがなんだけど、なんかもったいない。

 ランベール・ウィルソンは、いい役者さんだけど、本作では役がちょっとね、、、。彼は、ピエールの人物造形に納得していたのかねぇ? 不思議だわ。

 あと、マチューは音楽学校で恋愛もするんだけど、ハッキリ言ってマチューの色恋なんかは本作ではいらんと思う。少なくとも、本作でのマチューの恋愛は、まったく存在意味がない。こういう、意味のないエピソードを入れている点でも、本作のシナリオはダメダメだ。

 ホントは、3つだったんだけど、クリスティン・スコット・トーマス好きだし、エリザベスは魅力的な女性だったから、1個プラスしました。

 ところで、監督のルドヴィク・バーナードというお方は、本作を“おとぎ話”として撮ったと言っている。おとぎ話ねぇ、、、。他力本願で成功を手に入れられるお話のことですか、おとぎ話って?

 

 

 

 

 

少なくとも私は、本作を見て「芸術に献身することの崇高さ」なんぞ思い出しませんでした。

 

 

 

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パッドマン 5億人の女性を救った男 (2018年)

2019-09-15 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66126/

 

 以下、公式HPよりあらすじのコピペです(青字は筆者による加筆)。

=====ここから。 

 インドの小さな村で新婚生活を送る主人公の男ラクシュミ(アクシャイ・クマール)は、貧しくて生理用ナプキンが買えずに不衛生な布で処置をしている最愛の妻ガヤトリを救うため、清潔で安価なナプキンを手作りすることを思いつく。

 研究とリサーチに日々明け暮れるラクシュミの行動は、村の人々から奇異な目で見られ、数々の誤解や困難に直面し、ついには村を離れるまでの事態に…。

 それでも諦めることのなかったラクシュミは、彼の熱意に賛同した女性パリー(ソーナム・カプール)との出会いと協力もあり、ついに低コストでナプキンを大量生産できる機械を発明する。農村の女性たちにナプキンだけでなく、製造機を使ってナプキンを作る仕事の機会をも与えようと奮闘する最中、彼の運命を大きく変える出来事が訪れる――。

=====ここまで。

 

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 こちらも、公開中に劇場に行きたかったのだけれども、行けずじまいになってしまった。やっとDVDで見ました。

 

◆生理、、、この不快なるモノ。

 まあ、想像はしていたけれども、それ以上にインドにおける女性の生理の扱いが非科学的すぎて、見ていてどよよ~んとなってしまった。映画だからデフォルメされているかも、とも思うが、案外あれが実態に近い描写なんじゃ、と思ったり。……確かに、日本でも女性は生理があるから“不浄”だなどと言われる風習があるけどねぇ。

 しかし、やっぱり、この話は“男性が”生理用ナプキンの製造に執念を燃やしたことが最大の問題なんだろう。もし、ラクシュミが女性だったら、ここまで変人扱いされることもなかったかと。タブーに触れることで白眼視されることは同じだとしても、“ヘンタイ”呼ばわりされることはなかったと思われる。しかし、だからこそ、男性がそこまで女性の厄介な“生理問題”に真剣に向き合ってくれたことに、頭が下がる思いだ。

 生理――。このウザさは、男には分かるまい。旅行に行くにも、着る服を選ぶにも、、、、まぁとにかく付いて回るのだ、女には、この生理ってモンが。おまけに、生理前後には体調に変化が起きて、これは個人差が激しいが、私の場合は、生理前になると激しい睡魔に襲われて困ったことが多々あった。生理痛もヒドいときは結構ヒドくて、私の場合は特に腰痛。こんなモンが毎月来るのだゾ、女には。生理が重い人は、寝込むケースもあるというし、本当に、本当に厄介なんである。

 そして、本作のテーマでもあるナプキン。今の日本ではそこそこお安く手に入るが、それでも、大体1か月で300円~500円くらいは絶対的にかかる。1年で3,600円、生理がある期間が長くて40年として、生涯ナプキン費用14万4,000円ナリ。昔は、もう少し高かったと思うし、人によってはもっとかかっているかも知れないし、いずれにしても、女であるがために問答無用で必要となる費用である。最近は、布ナプキンなるものが普及し、私は使ったことがないけれども、使ってみて「良い」と言う人も結構いるようだ。布ナプキンならエコだし、費用も紙より抑えられるのかも知れないが、私はどうも布ナプキンは試してみる気になれなかったなぁ。

 それに、本作でもちょこっと描かれていたが、経血トラブルが一番の悩みだ。気を付けていても、服を汚してしまうことはあり得る。だから、生理中は着る服にも気を遣わざるを得ない。白いスカートやパンツなど論外。

 ……こんなメンドクサイ問題を女たちが抱えていることなど、男は知らんだろう。興味本位で生理を知りたがっても、真剣に真面目に、女の生理の悩みを知ろうとする人が、一体何パーセントいるのやら。

 大体これは、女性が出産するための必要不可欠な身体の機能なのだ。子を産めと言うくせに、生理は“不浄”だなんて、よく言ったもんだと憤りを覚える。しかも、そういうことを言うのは男だけじゃないのよね。女自身が言うことも少なくないのよ。本作でも、ラクシュミの母親は何の疑問もなく、生理中の嫁を家から出している。自分もそうされてきたしね。

 だから、むしろ、そんな環境にあって、ラクシュミという若い男性が「妻のために清潔なナプキンを!!」などという発想を持つこと自体が、不思議でさえある。多くの人たちは、何の疑問も抱いていないのに。彼の育った家庭環境が特別リベラルとか先進的とかいうことは全くないし、一体、彼にどのようにしてそんな素地が備わったのか、、、それがとても興味深い。

 

◆女性の自立のために、、、。

 ラクシュミのモデルとなったムルガナンダム氏、公式HPに写真が載っているけど、なかなかの強面でナプキンづくりに奔走した人にあんまし見えない。その画像にはナプキン製造の作業場が映っているのだが、彼以外にも男性が働いている。あれほどタブーだった生理にまつわる仕事に、男性も参加できるようになったのだろうか。

 このムルガナンダム氏をモデルにしたラクシュミは、手先が器用だし、何でも“自分でやって(作って)みよう!”という思想の人なんだよね。学校には行っていなくても、きっと頭の良い、思考の柔軟な人なんだと思われる。こういうのって、やっぱし生まれつきなのかなぁ。

 本作は、男が生理ナプキンを必死に作ったオハナシ、、、という触れ込みなんだけど、私が感動したのは、彼がこのように簡便に安価なナプキンが作れるシステムを考案したことで、インドの多くの女性の自立を促すことにつながった、という事実。

 彼はこの一連の機械について、特許を取ろうとはせず、敢えて全て公開し、だれでもこのシステムを利用することが出来るようにした。インドで女性が自立することがいかに難しいかは、インド映画にもよく描かれているが、このシステムのおかげで、女性たちが、それも田舎の貧しい家庭の主婦たちが自分で稼げることを覚えた、というのは非常に大きな変革だろう。

 ムルガナンダム氏があの「TED」でプレゼンしている実際の動画をYouTubeで見たんだけれど、本作でのラクシュミが言っていたこととほぼ同じことをやはり言っていた。つまり、「自分だけが儲けたって意味がない。みんなに還元したい」ということ。実際は、もっとユーモアたっぷりに面白く話していたけれど。世の中、金・カネ・金!!って感じだけど、こういう人って本当にいるんだなぁ。

 ムルガナンダム氏、「女の人を追っ掛けたって逃げられるだけ。女性のために良いことをしていたら向こうから追い掛けてきた」みたいなことも言っていて会場の爆笑を誘っていた。本作内で、ラクシュミが実際にナプキンを身に着けた実験をしていたが、ムルガナンダム氏は5日間実験を続けてみたんだそうな。「あの不快さは忘れられない。全ての女性に頭が下がる」と言っていたけれど、本当に、男性がそんな風に女性の生理に向き合ってくれるなんて、嬉しいことだ。

 本作の白眉は、やはり、ラクシュミが国連でスピーチをするシーンだろう。あのシーンは、ワンテイクで撮ったということだが、演じたアクシャイ・クマールがとにかく圧巻だった。 「TED」でムルガナンダム氏が話していたことと被る部分も多いが、さすがは俳優アクシャイ・クマール。ちょっと、伊吹吾郎を細く若くした感じ?? 笑顔や話し方、間の取り方、身振り手振りは、魅力的な人物像を浮き彫りにする素晴らしさ。実際のムルガナンダム氏の朴訥とした感じも好感度高いが、俳優の優れた演技はやっぱりただもんじゃないと改めて思う次第。

 パリーの存在が実在するのかどうかは分からないが、微妙な恋愛感情に至る辺りは脚色だろう。演じたソーナム・カプールは美女で、都会の学のある自立した女性というイメージにピッタリだった。ラクシュミの妻ガヤトリのキャラと対照的に描いている。まあ、パリーとラクシュミの成り行きも、予想どおりの結果となる。

 

◆日本はインドを笑えない。

 生理に対する人々のリアクションについて、インドは確かにタブー感が過剰だと思うが、前述した生理の不快さ、辛さについて、男性がきちんと理解していないのは、インドと日本は大して違わない。

 今の教育現場を知らないけれど、私が小学生の頃は、4年生になると、「女子だけ授業」ってのが放課後にあって、生理について通り一遍のレクチャーをされた。男子は興味津々で、それこそコソコソとイケナイ話をしている感が漂う、私は女子として何とも言えない嫌な気持ちになったものだった。

 ああいう話こそ、ちゃんと男子にも聞かせて、興味本位ではない、科学としての性教育をきちんとするべきだと思う。大人が恥ずかしそうにしたり、タブー感を出したりするから子供は敏感に反応するのであって、動物の身体の仕組みを説明するように、人間の身体の仕組みを教えれば良いのだ。

 今どき、4年生では遅いくらいかも知れないが、とにかく、性教育を子供たちに正しくしてほしい。それが子供たちの身を守ることにもなるのだからね。

 

 

 

 

 

インドのヒーロー、パッドマン!!

 

 

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