映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男(2019年)

2021-12-28 | 【た】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv73099/


  以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 1998年、名門法律事務所に勤める企業弁護士のロブ・ビロット(マーク・ラファロ)は、農場を営む男ウィルバー・テナント(ビル・キャンプ)が、大手化学メーカー・デュポンの工場からの廃棄物汚染により、190頭もの牛を病死させられたという被害の調査依頼を受ける。

 廃棄物について調べるうちに“PFOA”というなじみのない単語を知ったロブは事態の深刻さを悟る。発ガン性のある有害物質の危険性を40年間にもわたり隠蔽してきた企業に対して、彼は7万人の住民を原告団とした集団訴訟に踏み切る。
 
=====ここまで。
 

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 クリスマスが終わったと思ったら、週明けのオフィス街は、玄関に門松が飾られたビルがたくさん。この切り替えの早さよ! で、正月が過ぎれば、次は節分の恵方巻、その次はバレンタインのチョコ、次はひな祭りの??、次はホワイトデーの??、、、とイベントエンドレスの日本です。

 そのクリスマス直前に、本作を見に行ってまいりました。不正暴き系の映画も、そろそろ見飽きてきました、、、。


◆有害物質を長年摂取していました。

 テフロン加工のフライパン、、、私が子どものころ、親が喜んで買っていた。以来、私も特に何も考えずに、テフロン加工(フッ素樹脂加工ともいう)のフライパンをせっせと使って来た。けれど、このテフロン加工が、実は人体に有害なものだった……がーん、、、そんなこと今さら言われても。

 ……という内容の映画です。

 テフロンは、アメリカの化学メーカー・デュポン社の商標。デュポン社により開発され、一般家庭にも広く使用されるフライパンに使用されたもの。このフライパンのフッ素樹脂コーティングや撥水加工の原料として使用されていた「有機フッ素化合物」=PFOA(あるいはPFOS)と呼ばれる物質に発がん性が認められ、排出されると自然環境下では分解されず、生物の中に蓄積される危険性が指摘されている。

 デュポン社は早い時期からこのPFOAの危険性を認識していたにもかかわらず、隠蔽、一般商材として広く売り出し、巨額の利益を得た、、、というわけ。

 はぁ、、、私もいっぱいこのPFOAとやらを摂取してきたんでしょうなぁ。テフロン加工のフライパンは、一定期間を経ると表面が剥げてきますよね? 表面が剥げる=食材にPFOAが混入して人の口に入ってきた、、、ということですね。テフロンが剥げれば、また新しいテフロン加工のフライパンを買い、またPFOAを摂取し続けていた、ってことね。

 しかし、怖ろしいのは、このPFOAが危険物質だと認識されたのは割と最近で、国際的にストックホルム条約で規制されるようになったのはPFOSが2009年、PFOAが2019年だそう。テフロン加工のフライパンは、それより以前から広く出回っていたはずだから、世界中の人たちが何も知らずに有害物質を摂取していたということになる。

 一応、現在このPFOAを使用したフライパンは製造されていないと説明されている(こちら)けれど、例えばあのT-falのフライパンでも「PFOAフリー」と明示されたものは輸入品。公式HPでは「使用していない」とあるけれど、、、。まあ、信用するしかないわね。

 ……というわけで、フッ素樹脂加工のフライパンを使用している方は、PFOAフリーかどうかを気にされた方が良いかもです。


◆また“デュポン”かよ。

 デュポン社と聞いて、たしか『フォックスキャッチャー』(2014)のヤバい人もデュポン社絡みじゃなかったっけ?? と思って見直したら、やっぱりそうだった。何度も映画のネタに(しかも良くないネタに)されて、デュポン社の広報の人も大変ですね(華麗に無視でしょうが)。

 『フォックス~』の方はそれでも創業者一族の個人的な問題だったから、へぇー、で済んだけれど、本作の話は世界中の人々に実害を及ぼした話だから、へぇーじゃ済まない。

 しかも、隠蔽の悪質さは、どこぞのソーリがやらかした泥縄ですぐバレる様な改竄、、、なんていう稚拙なやり方ではなく、極めて巧妙かつ卑劣。徹底的に隠蔽するし、バレたらバレたで、徹底した嫌がらせで対峙してくる。営利目的企業とはいえ、アンタらに倫理観とか良心とか1ミクロンもないんかい??と言いたくなるようなザマ。見ていて、日本の水俣病を思い出してしまった。

 本作では、マーク・ラファロ演ずる弁護士ロブがほとんど一人でこの巨大企業に立ち向かう。途中から事務所の理解も得られるようになったが、実態解明は、ロブがひらすらコツコツと積み上げた証拠によるもの。

 どうにか、地域住民の検査にまでたどり着いたものの、あまりに検査数が多くて分析に7年もかかり、ロブは窮地に追い込まれる。デュポンを訴えた住民の代表の家には放火までされる。

 7年経ってでも、PFOAと人体への影響の関連性が証明されたから良かったものの、その後もデュポンの嫌がらせは続き、何だかんだと今でもデュポンとの係争は続いているらしい。


◆その他もろもろ

 孤独に闘う弁護士ロブを演じたのはマーク・ラファロ。マーク・ラファロは『フォックス~』ではデュポンに殺される役でしたね、、、。デュポンと因縁がありますな。不正を暴く系だと、『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)でも熱血新聞記者役だった。

 こういう系の映画は、大体主役が、弁護士か記者だよね。……まぁ、そういう職業だから仕方ないんだが。

 ロブの妻はアン・ハサウェイだが、存在感なし。あんまし賢い女性ではないような、、、。実際のロブの妻は、最後にちょこっと出てくるが、見た感じはもっと知的に見えたなぁ。……ってこれ、私のアン・ハサウェイに対する偏見ですね、多分。すみません。

 ロブを途中から援護射撃する事務所の所長を演じていたのが、ティム・ロビンスなんだが、これが最後にクレジットで見るまでゼンゼン気が付かなかった。ちょっと容貌が私の知っているティム・ロビンスと違い過ぎで、、、。私が知っているのは『ショーシャンク~』で止まっているからかな、、、? いや、それにしてもすごい変わり様でビックリ。

 テフロン加工のヤバさとか、デュポンの卑劣さとか、イロイロ教えてもらっておいて言うのもナンだが、正直なところ、冒頭に書いた通り、不正暴き系の映画はちょっと食傷気味になってきました。今さらだけど、何か、ワンパターンなのよね。不正の内容が巨悪であればあるほどスリリングではあるけど、ストーリーは定番・類型的そのものだもんね、、、。しかも実話ネタばっかだし。実話ネタだからこそ面白いとも言えるけど、実話=実際にあったこと、ではないもんね。

 こういうのは嫌いじゃないけど(というか好んで見ている方だと思うが)、なぜか、本作を見終わった後は、ちょっとウンザリ感を禁じ得ませんでした。何でかな、、、??

 

 

 

 

 

 

そのフライパン、PFOAフリーですか?

 

 

 

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去年の夏突然に(1959年)

2021-12-25 | 【き】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv2301/


  以下、Amazonよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 1973年。南部ニューオリンズの州立病院外科医クックロウィッツ(モンゴメリー・クリフト)は、ビネブル夫人(キャサリン・ヘプバーン)から莫大な資金の提供を条件に、夫人の姪であるキャサリン(エリザベス・テーラー)にロボトミー手術を施すことを依頼される。

 キャサリンは、ビネブル夫人の息子セバスチャンが“謎の死”を遂げて以来、記憶をなくしてしまったというのだ。

 しかし、クックロウイッツは彼女と接していくうちに手術の必要がないと判断し、そして次第に彼女の忘れ去った記憶を甦らせることに成功するが・・・。
 
=====ここまで。
 

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 もう年末。オミクロン株とやらは市中感染しまくっている模様で、しかも年末年始の民族大移動により、きっと年明けはまた感染爆発……なんでしょうねぇ。あとどのくらい続くのやら。

 さて、本作は、あのテネシー・ウィリアムズの戯曲が原作の映画です。なぜ本作を見る気になったかというと、先日、岡田将生主演の舞台「ガラスの動物園」を見たときに購入したパンフのコラムで、本作について“ロボトミー手術”つながりでチラッと触れていたからです。

 テネシー・ウィリアムズというと、私の中では『欲望という名の電車』なんですが、私、この『欲望~』が嫌いでして。嫌いな理由は、ストーリーとか何とかよりも、マーロン・ブランドに負うところが大きいのですが、、、。なので、テネシー・ウィリアムズ作品にはあまり食指が動かないのですよね。ただ、「ガラスの動物園」は、戯曲を本で読んでいて、歪んだ母子関係の話が他人事とは思えず、、、。

 テネシー・ウィリアムズの実姉ローラもロボトミー手術を受けて、術後は亡くなるまで施設で過ごしたとのことですが、この手術には問題が多くて、短い期間で廃止になっている、、、というようなことを、BSの「フランケンシュタインの誘惑」でも紹介されていましたね。

 「ガラスの動物園」は、ローラをモデルにしたといわれるローズの話が縦糸となっています。今回初めて舞台を見たのですが、文字で読んでも十分痛い話なんだけれど、演劇として見せられるとさらに痛い、、、というより、心臓を掴まれるような苦しさを覚えるものでした。

 本作も、そういう系の映画だろうとは想像していましたが、想像をはるかに超えるエグくてグロい、怖ろしい映画でした。


◆タブー事項満載

 本作は、ジャンルでいえばサスペンスになるのかな。セバスチャンが何で亡くなったのかが明かされていくという。みんシネでもサスペンスになっている。みんシネでの評価は低くて、レビューもごもっともな意見なんだけど、私は割と面白く見た次第。

 とにかく、キャサリン・ヘプバーン演ずるビネブル夫人が登場シーンからもう異様過ぎで、一見してヤバい人だと知れる。そして、案の定、息子のセバスチャンとの関係がマザコンを超えた、疑似近親相姦ではないかと思わせるものであることが徐々に分かってくる。

 けれど、本作のおぞましいのは、実はセバスチャンは、そんな母親との関係を、自分のある目的のために利用していただけであり、それが結果的に彼を陰惨な死に追いやる原因となっていた、、、ということ。これが終盤に明かされる。

~~~以下ネタバレです。~~~

 本作が制作されたのは1959年だけど、よくこの時代に、こんな内容の映画が作れたな、、、と思う。今でもちょっと描き方を考えてしまう内容だろう。

 つまり、セバスチャンは(はっきりとは明かされないが)同性愛者であり、その死因は、旅先の男達に“食い殺された”(つまりカニバリ=人肉食)のである。

 これが、終盤、リズ演ずるキャサリンの告白で明かされる。そのものズバリではなく、匂わせるセリフと描写なので、理解するのに少々時間を要する。

 セバスチャンがそれまで母親のビネブル夫人と母子密着で度々外国に旅行していたのは、美しいビネブル夫人に釣られて寄ってくる男たちを狩るのが目的だったから。今回は、もはや中年になったビネブル夫人ではその役割を期待できなくなり、セバスチャンは、姪の若い女性キャサリンをお供に選んだというわけだ。

 当の夫人は、息子のそんな性癖には気付いておらず、クックロウィッツの問いかけにも、セバスチャンについて「あの子は童貞だった」などと言う。ヘプバーンの異様な外見とエキセントリックな演技が、セバスチャンがキャサリンと旅行に出たのは、母親である夫人との距離が近すぎて逃れたくなったからだ、、、と観客をミスリードする。

 さらに、ビネブル夫人がキャサリンにロボトミー手術をするようクックロウィッツに頼んだのは、キャサリンがセバスチャンの死に接したショックで精神に異常を来したからであり、あくまでキャサリンのためと思わせる。

 ……が。

 夫人はセバスチャンの性癖に、実は気付いていたのでしょ。まさか息子がカニバリで殺されたとは知らなかったけれど、ゲイであることが死の遠因であることは察しており、それをキャサリンに知られたことを夫人は分かっていた。息子が同性愛者であることが公になるのを恐れていたのだろう。だから、ロボトミーでキャサリンを廃人にしたかった、、、と私は見た。

 けれど、さしものビネブル夫人にとっても、我が息子が、男たちに食い殺されたことの衝撃が大きすぎたのか、夫人の方が本当に発狂してしまう。

 ……なんと怖ろしい話だ。


◆その他もろもろ

 終盤、おぞましい告白をするキャサリン役のリズは頑張っているんだろうけど、演技は単調で芝居がかっており、正直なところ怖さは半減。その告白シーンに、リズが透け透けの水着を着せられ海から上がって来たり、セバスチャンが男たちに襲われたりする回想シーンが被るという演出がなされており、リズの肉感的な映像とあまりにえげつない話の内容に鼻白む感じもありつつ、おぞましさにウゲゲ、、、となって、正直なところ、鑑賞後感はかなり悪い。

 セバスチャンが襲われるシーンはあのオカルト映画『ザ・チャイルド』を思い出してしまった、、、。

 一方、医師クックロウィッツを演ずるモンゴメリー・クリフトも、病んだキャサリンを救う有能な精神科医(脳外科医?)という感じには見えず、これは演出がイマイチなのではないかという気がする。

 とはいえ、ヘプバーンの演ずるイッちゃっているビネブル夫人は圧巻。屋敷内のエレベーターに乗って現れる冒頭の登場シーンからして異様だが、あまりに異様でむしろ笑える。

 キーパーソンであるセバスチャンは後ろ姿とか、足だけしか映らず、顔は映らない。でも、私のイメージするセバスチャンより、ちょっとゴツそうな感じだった。すね毛が結構モジャモジャやったし、、、。

 テネシー・ウィリアムズ自身が同性愛者であり、実の姉がロボトミー手術を受けることを止められなかったことを生涯悔やんでいたというが、本作を見ると、そのことが彼自身の創作活動にいかに大きく影響しているかが分かる。

 

 

 

 

 


本作の邦訳戯曲は出ていないみたい、、、残念。

 

 

 

 

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パーフェクト・ケア(2020年)

2021-12-17 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74671/

 

  以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 判断力の衰えた高齢者を守り、完璧にケアする法定後見人のマーラ。裁判所からの信頼も厚い彼女だが、実は合法的に高齢者の資産を搾り取る悪徳後見人だった。

 “アメリカン・ドリーム”を手に入れたマーラは、新たに資産家の老女ジェニファーにねらいを定める。しかし、身寄りのないはずのジェニファーの裏にはロシアンマフィアが関係しており、マーラは命の危機にさらされる。
 

=====ここまで。
 

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 新聞に本作の映画評が出ていて、何となく興味が湧いたので劇場まで見に行ってまいりました。角川シネマ有楽町、、、かなり久しぶりな気がしたが、ここの劇場は結構好きだ。bicカメラカードで割引もしてくれるし。


◆欲しいのは“お金”です。

 老人を食い物にする犯罪ってのは、どこにでもあるんだねぇ。本作では小金持ち老人が狙われるが、貧困ビジネスってのもあるから、金持ってなきゃ犯罪者のターゲットになんかならんわ、と油断は禁物。どこでどんな犯罪者たちの罠に嵌るか、分かったもんじゃない。いずれにしろ、とことんまでむしり取られてポイされるのがオチである。

 マーラは、老人の身元を調べ上げ、安全パイにしか手を出さない。けれども、安全だと思っていたターゲットにとんでもない組織が絡んでいまして、さぁ大変!ってのが本作のお話のキモです。

 正直なところ、後半のやるかやられるかのバイオレンス描写は息を吞むものの、ストーリーの展開自体はオーソドックスで、あまり意外性はない。ただ、驚かされるのは、マーラの文字通りの“強さ”である。ロシアンマフィアの脅しを屁とも思わず突っ走る。当然、殺されかけるが、それでもゼンゼン怖れず突き進み続ける。あの胆力と体力は、これまでの映画のサバイバル・ヒロインの中でも最強だろう。

 マーラのセリフがなかなか頼もしい。「男は女を脅すことしかできない。今まで何人もの男が脅迫してきたけど、実際に直接手を出してきた男は2人だけだ。男の武器は虚勢を張ることだけ」(セリフ正確じゃありません)……これ、案外、的を射たセリフだよなぁと唸った。体力で相対的に勝る男に脅されれば、女は大抵の場合怯むもんね。これだけで男は女を黙らせることができるわけよ、ほとんどの場合。マーラみたいな女は現実にはそうはいないだろうから。

 あー、私もこんな怖ろしいセリフ吐いてみたいもんだ。私だったら、そういった舌の根も乾かぬうちに「でもやっぱやめておこう」とか言ってそうだけど。

 そうは言っても、マーラに1ミリも共感などできないし、痛快さも感じない。後見人制度のヤバさはチラホラ見聞きするけど、こういう、法の穴を利用して人のモノを収奪し、人の人生を破壊し尽くすような金儲けに、痛快さを感じろって方がムリでしょ。

 ここまでカネに執着する人って、おそらく、生い立ちに何らかの背景があるんだろうと思う。単純に貧しかったとかではなく、その人の元々持っている性質とか思考回路とかに作用する何かが生い立ちの過程であったに違いない。まあ、一言でいうと、“育ちが悪い”ってやつだけど、育ちの悪さもピンキリで、みみっちい育ちの悪さなら実際にイロイロ見てきたが、ここまでピンの育ちの悪さは、私の身近にはいない。そりゃ私自身がみみっちい世界にいるからねぇ。こんなマーラみたいな極悪な育ちの人間、リアルでは絶対に関わりたくないですね。

 ラストは、まあ予想どおりです。ああなったら、そうなるしかないよね、、、、みたいなオチ。ちょっと詰まんないよね、こういうのは。これも一種のポリコレなんでしょうか??


◆ジェンダーを意識しすぎな脚本。

 この映画は、マーラ側の人間はほとんど女なのよね。で、ロシアンマフィア側の人間はほとんど男。しかも、このロシアンマフィア側の人間のうち、マーラに直接手を下したのは女なのよ。つまり、前述のマーラのセリフ「男は直接手を出してこない」ってやつ。

 もちろん、これは制作側が意図して設定しているのだが、私が一番イケてないと思ったのは、ロシアンマフィアがいくらなんでもショボ過ぎるってこと。ボスの男は小人で、いつも側に大男を数人従えていて、……まあ、それは別に構わないにしても、マーラの追い詰め方がめちゃくちゃ甘い。あんなの、マフィアじゃねーだろ、、、って。日本のヤクザでももっとえげつないことすると思うよ。

 こういう悪VS巨悪という構図のお話の場合、巨悪が巨悪でなかったら、作品が締まらないよね。敵の設定をもう少し詰めるべきだった、、、と思う。

 しかも、このロシアンマフィアにマーラは見込まれて、後見人ビジネスで手を組むのだ。なんだかなぁ、、、。カネが目的の人間の限界を見せられた感じだったわ。つまんねぇ、、、。

 マーラを演じたのはロザムンド・パイク。序盤の彼女の髪型がめっちゃヘン。彼女、まあ美人の範疇に入るとは思うけど、ものすごく額が狭いのね。なので、どうもクールさ、理知的さがあんまし感じられない(あくまで私の感覚です。科学的根拠は何もありません)。度胸だけはある向こう見ずな女、って感じでしかないので、途中までは頼もしく見ていたが、終盤はちょっとウンザリしていた。水没した車の中から脱出するシーンもスタントなしでこなしたとか、根性ありますね。

 ロシアンマフィアが絡んだ老女の貸金庫にあったあのダイヤ、、、イマイチ、話にあまり有効に絡んでいなかったような。ロシアンマフィアの描き方が、とにかく拙い。敵役はもっと丁寧に、魅力的に描いてほしいものですね。

 

 

 

 

 

 

背後霊より怖い後見人。

 

 

 

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にんじん(1932年)

2021-12-15 | 【に】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv14979/


 
 夫婦間の愛情が冷めてしまった時期に生まれた少年フランソワは、その髪の色から家族にも“にんじん”と呼ばれていた。口うるさい母親は、にんじんの兄や姉は可愛がり、にんじんにだけ意地悪く辛く当たるのだった。父親は、とっくにそんな母親に対する愛情は消え失せており、家ではほとんどしゃべらなかった。

 にんじんは、家の中で居場所がなく、「家とは憎み合う同士が住むところ」と考え、納屋で自殺を図るのだが、、、。

 ご存じジュール・ルナールの小説『にんじん』の映画化。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が6年前の1925年に公開したサイレント映画のリメイクだそうです。
 

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 みんシネの本作のレビューを読んだら見てみたくなったのでDVDを借りて見てみました。実は原作は(多分)未読で、話の筋も何となくしか知らなかったけど、見てビックリ、なかなかシビアな少年映画でござんした。


◆家庭の空気は親次第。

 とにかく、にんじんの母親が酷い人で、母親が出てくるだけでウンザリする気分になった。上記のあらすじには「口うるさい」と書いたけど、そんなのは超えている。悪意の塊みたいな言動をするんだよね。その母親に可愛がられている兄姉の性格も捻じくれているのは道理ですな。

 そして、もっとヘンなのが父親。妻の性格の悪さに、とうに愛想を尽かしており、家では全くしゃべらないのだ。にんじんに妻が酷いことを言ったりしたりしていても放置。釣竿を持って一人で出かけて行ってしまう。夫に完全無視されている妻は、ますます拗らせてにんじんに辛く当たるという悪循環が、にんじんの家の中では日常の光景と化していたのだ。

 子どもからしてみれば、この構図は、まさに地獄。にんじんが自殺を図るのも無理はない。

 自分の妻(夫)が、我が子に理不尽なことを言ったりしたりしている場合、自分がその理不尽から子どもを守らなければ、我が子はただただ傷つき続けるしかないのである。自らを守るすべもなければ、傷を癒すすべもない。傷の上にさらに傷ができ、抉られる。子の気持ちを考えただけで胸が苦しくなる。

 DV夫が子どもにも暴力をふるい、妻はDV夫が恐ろしくて子どもをかばうことができない、、、という話はよく聞くし、確かに、DVに遭っていると恐怖心は相当のものだろうという想像はできる。逃げるのも怖いだろうし、ましてや子どもをかばうなんてもっと怖ろしいのだろう。DV夫に怯える母子を描いた映画『ジュリアン』(2017)を思い出す。まあ、あの母親は逃げて我が子を守ろうとしたけど、案の定DV夫が追いかけてきたわけだが、、、。

 でも、本作での父親は、そういう恐怖感を妻に抱く必要などなく、現に抱いてもおらず、ただただ“ウザい”から、完全無視しているだけなのだ。

 親による子の虐待では、その背景は千差万別だろうが、母親の過干渉等の精神的虐待の場合は、その根本が夫婦仲に問題があることが多いと思う。母親の関心が子どもに集中してしまうのだよね。夫にしてみりゃ、うるせぇ妻が子どもに掛かりっきりでちょうどいいんだろうけど、父親としての責務を完全放棄しているわけで、もっと言うと、夫としての責務も放棄しているわけで、この父親が諸悪の根源といっても過言じゃないだろう。

 外面ばかりよくて、家では夫としても父親としても全く機能していない男。欲求不満で他罰的な母親。こんな2人が夫婦でいる家庭が、子どもにとって安らげる場所であるはずがない。


◆出演者のその後、、、

 フランソワが納屋で首を吊ろうとしていたところへ、父親が助けに来るんだけど、ここでようやく父と息子は心が通じ合う。父親は初めて息子を名前で「フランソワ」と呼び、フランソワもそれまで父親をルピック氏と呼んでいたのを「モン・パパ」と呼ぶ。

 このとき、フランソワが「母親が大嫌い」とパパに意を決して告白すると、父親は「わしがママを好きだと思っているのか?」なんて言う。で、この後、父親とフランソワは同志みたいになるのだよね。

 この父親の言い草を見て、もう呆れて、開いた口が塞がらなかった。この父親は、この後も基本的にはダメだろうと確信したね、このセリフを聞いて。お前、反省してないやろ!! フランソワの将来は、、、、暗い、と思う。

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作というと、大昔に『舞踏会の手帖』(1937)を見たことがあるけど、ほぼ覚えておらず、何となくイマイチだった記憶しかない。というか、あんましよく分からなかったような、、、いや、あれは別の映画だったかな。とにかく、古いモノクロ映画は、よく分からんものも結構あるので、、、。

 でも本作は、制作されてから90年、ほぼ100年前の映画なんだけれども、今見ても十分面白い。

 にんじんこと、フランソワを演じたロベール・リナンがなかなか可愛い。近所の女の子と結婚式ごっこをするシーンとか、微笑まし過ぎて、彼の家庭で置かれた状況との対比を思うと、何とも胸が痛くなる。フランソワは、ちょっとでも父親に構ってもらえると、それだけで生きる元気が湧くのだが、当の父親がそれを全く分かっていないところが見ていて非常にイラつく。

 ロベール・リナンは、DVDの特典映像での紹介で知ったのだが、その後の第二次大戦中にレジスタンスに参加し、ナチスに殺されたとのこと。子役として結構活躍してデュヴィヴィエ監督作にも数本起用されているようですね。

 にんじんの父親役を演じていたアリ・ボールもナチスに捕らえられた上に拷問され、後に釈放されたものの、その拷問が原因で亡くなったとあった。

 映画の内容もなかなかシビアだが、現実はもっと酷いと知り、何とも言えない気持ちになりました。原作を読んで、また何年か後に見直してみたい。

 

 

 

 

 

 

 

「少女ムシェット」よりラストは悲劇じゃないけれど、、、

 

 

 

 

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聖なる犯罪者(2019年)

2021-12-06 | 【せ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv71769/


 
 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 少年院で神父と出会った20歳のダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)は、熱心なキリスト教徒となる。前科者は聖職者になれないとわかっておりながら、神父になることを夢見ていた。

 仮釈放が決まったダニエルは、少年院から遠く離れた田舎の製材所に就職することに。製材所へ向かう道中、偶然立ち寄った教会でマルタという少女に冗談で自分は司祭であると言ったところ、新任の司祭と勘違いされ、そのまま司祭の代わりを任されてしまう。

 村人たちは言動も行動も司祭らしからぬ様子に戸惑うものの、ダニエルは若者たちとも交流し、やがて親しみやすい司祭として信頼されていった。一年前にこの村で七人が亡くなる凄惨な事故が起き、事故が村人たちに深い傷を負わせたことを知ったダニエルは、残された家族を癒してあげたいと模索。

 そんな彼のもとに同じ少年院にいた男が現れ、すべてを暴くと脅す……。

=====ここまで。
 

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 この映画は、公開前から楽しみにしていて、今年の1月に公開されて喜んで劇場まで見に行ったのに、不覚にも途中で度々ウトウトしたらしく、終わってみれば何だかよく分からなかったという、、、。まあ、当たり前ですが。

 あんまし劇場に見に行って睡魔に襲われることってないのですが、大抵、睡魔に隙を与えている場合は、その映画が(私にとって)ひどくツマンナイか、前日かなり寝不足かのどちらかですね。本作の場合は、後者でした。中盤までは結構しっかり見ていたのになぁ、、、。

 で、DVDで再見しました。やっぱし、肝心なシーンを見落としていた、、、。


◆司祭の適性はあっても暴力的な彼。

 本作はポーランド映画なんだが、ポーランドといえばカトリックのお国。パンフによると、ポーランドではニセ司祭ってのは割とよくある事件らしい(へぇ、、、)。

 ダニエルは前科者ゆえに司祭になれないのだが、何の前科かといえば、喧嘩の挙句の“殺人”である。ダニエルが司祭になりたいと思ったのは、別にキリスト教に心酔したからという感じではなかった。少年院に来ていたトマシュという司祭の説教やその振る舞いに対する憧れからくるものではなかったか。

 前科者が聖職に就けないことの是非はともかく、せっかく“これだ!”ってのが見つかったのに、絶対的にその道が自分には閉ざされていると知れば、やはり絶望的な気持ちになるだろう。“これだ!”という道に進むことは、更生の可能性が高いもんね。

 でも、成り行きで臨時の司祭になってみると、ますます“これだ!”と体感するダニエル。憧れの“トマシュ”の名を勝手に名乗り、型破りな説教をしたり振舞ったりして、村人からも信頼を得ていく、、、。

 まあ、結果的には、そんな偽りの姿は長く続くはずもなく、本物のトマシュ司祭にバレて、少年院に送り返されるハメになり、ラストシーンは壮絶な暴力の応酬が繰り広げられる。ちょっと正視に堪えない。あんな司祭の真似事をして人々の心を捉えていたダニエルだが、彼の持つ暴力性はゼンゼン変わっていなかったということなんだろう、、、、ごーん。


◆聖職、、、このいかがわしきもの。

 本作で考えさせられるのは、そんなダニエルが、司祭としては前任者の正式な司祭よりもよほど有能で、人々の心の救済の役に立っていたってこと。人を殺したことのある人間が、一方では、傷ついて亀裂ができた村人たちを癒して和解に導くということができてしまう。前任の正式な司祭はしようと努力すらしなかったことを、ダニエルは敢えてやってのけたのだ。

 ダニエルがトマシュ司祭に村から追い立てられる際、ダニエルと親しくなったマルタがトマシュ司祭に「トマシュ(ダニエルのことね)司祭がいなくなったら、教会はどうなるんですか?」と聞くシーンがある。そこで本物のトマシュ司祭は「すぐに次の司祭が来ます」と答えるんだが、そのときのマルタの表情がすごく印象的。本物のトマシュ司祭に対する不信感を隠さないのだ。

 マルタはダニエルがニセ司祭と薄々分かっているが、それでもダニエルを信頼していて、村人たちも同じなのに、本物かなんか知らんが、村の人たちの気持ちも考えずにダニエルを辞めさせるトマシュ司祭は、正しいけどイヤな奴でしかない。

 ……こうして見ると、人の心を救う仕事って何なのかねぇ、、、というのが、本作の主たるテーマなのかな、と思う。

 ちなみに、ダニエルの前任者である正式な司祭はアル中でまともに司祭の仕事がこなせなくなっていた。だから、ダニエルが新任の司祭と勘違いされたのよね。アル中と殺人の前科者と、どっちが司祭にふさわしいか、、、というわけでもないが、なかなかアイロニカルな設定ではある。

 本作を見ていて思ったけど、司祭ってのは、教会のプロデューサー的な役回りなのかなと。ありがたいお説教もいいけど、信者たちをいかに満足させ、納得させるか。正しいことをしていたからって、信者たちが喜ぶとは限らないもんね。田舎の保守的な人たちとはいえ、アル中なくせに四角四面の面白みのない司祭よりは、破天荒でも人間的な魅力のある司祭の方が良いに決まっている。

 ダニエルは、司祭を演じる一方で、ヤクも酒もセックスも俗人と変わらずやっていたわけだが、ホント、じゃあ“良い聖職者”って何?ってなるよね。

 パンフのインタビューで監督は「彼のこの一連の行いというのは、もしもう一度チャンスを与えられれば自分はこのように応えられると社会に訴える絶望的な試みだ」と言っている。また、「もしダニエルが罪を犯さなかったとしたら、そもそもそこまで聖職や教会というものに惹かれていただろうか? そうでないということは容易に想像がついた」とも語っている。

 こうしてみると、前科者は聖職者になれない、という掟は果たして妥当なのか疑問になってくる。罪を犯していない人間なんているのか? という問いも成立するしね。法的な罪を犯していない人間は汚れていないとでも?? かといって、過去に人を殺したことがある人に、心の在り様を解かれても、それも大いに違和感あるしね。まあ、私は今さら宗教に救いを求めようとは思わないけれど。

 ダニエルを演じたバルトシュ・ビィエレニア(またも難しいポーランド人のお名前、、、)は、ポーランドでは名の知れた舞台俳優さんのようだ。シェイクスピア劇もかなりの数出演しているみたい。彼が暗闇でラリッているときの表情が異様で怖い。あのアニメ『ファンタスティック・プラネット』に出てくる巨人ドラーグ族とイメージが被る。でも、司祭の服を着ると、司祭に見えるんだから、さすが俳優、大したものだ。

 なかなかの秀作だけど、劇場で寝てしまったということは、いくら寝不足だったとはいえ、そこまで圧倒的に引き込まれる感じではなかったということだから、は少なめです。どんなに寝不足でも、まったく眠くならない映画もいっぱいあるので。

 

 

 

 

 

 


原題は「キリストの体」という意味だそうです。意味深だ、、、。

 

 

 

 

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ほんとうのピノッキオ(2019年)

2021-12-05 | 【ほ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74354/


 
 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 木工職人のジェペット爺さんは貧しい生活を送っていた。

 そんなある日、彼が丸太で作った人形が命を持ったかのように話し始める。彼はその人形に「ピノッキオ」と名前をつけるが、やんちゃなピノッキオはジェペットのもとを飛び出していってしまう。

 「人間の子どもになりたい」という願いを叶えたいピノッキオは、心優しい妖精やおしゃべりなコオロギの忠告に耳を貸さず、誘われるまま森の奥深くへ進んでいく。

=====ここまで。
 

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 原題は“PINOCCHIO”のところを、邦題でわざわざ「ほんとうの」と入れたくなる配給会社の気持ちは、おそらく、“ディズニーのあんなんはピノキオやない!”ってところですかね。まあ、ディズニーのピノキオは、私は知りませんが(見ていないので)、子どもの頃に絵本で読んだイメージからして、あの“When you wish upon a star”の雰囲気とはだいぶ違うんじゃないのか、、、という違和感はあったので、「ほんとうの」と入れたくなったのも分かる気がする。

 ……という個人的な感覚があり、また監督がガローネなので、さぞやダークファンタジーの世界が繰り広げられるに違いないと期待して、わざわざ劇場まで行った次第。


◆人間になったピノッキオは幸せになるのか?

 結論から言うと、思ったほどダークじゃなかったけれど、十分楽しめました。

 ピノッキオは子役の男の子(フェデリコ・エラピ)に特殊メイクを施している(詳細は公式HPをご覧ください)。最初は異様な見た目だと思ったが、見ているうちに慣れてきて、そこそこ可愛さも感じるように、、、。CGももちろん使っているが、基本、フェデリコ君という人間の子どもがピノッキオを演じているので、動きは人間そのもの。ただ効果音としてカクカク木のぶつかるような音が入っていて、それが意外に違和感がないというか、見ていて「ああ、この子は木の人形なんだな」なんて脳内補正してしまう効果がある。まさに効果音。

 ピノッキオは悪いことを悪いことと認識してやっているという感じではなく、好奇心の赴くまま、楽な方に流された結果、悪事を働いたことになる。嘘はつくし、誘惑には弱いし、何度言われても同じ間違いを犯す。“悪童”なんて言われてもいるが、子どもなんて大なり小なりそういう要素を持っているもんだろう。原作でのピノッキオはどれくらい悪童なんだろう??

 原作は未読だけど、絵本のほかにも少年少女文学全集かなんかでダイジェスト版を読んだ記憶があるが、子ども心に「木でできた人形がしゃべって動き回るなんて怖い」と思ったし、何よりラストで人間になって、それがハッピーエンディングというのがものすごーく違和感があった。人間になることがなぜ良いことなんだ??と。

 絵本ならではの教訓臭さがあったのかもだけど、本作の良さはそういう臭いは全くなくて、ピノッキオのまさに“冒険”を描いているところ。子どもだって純真無垢なわけじゃなく、狡猾さも当然あるし、心優しいところもある。騙されたり、殺されそうになったり、ものすごい不条理な目にも遭ったりもして、ピノッキオなりに色々考えるようになる、、、けれどもやっぱりまた間違えちゃう。

 冒険を続けていくうちに、ピノッキオの顔に傷が増えていくのも妙にリアル。特殊メイクの技術の凄さに感嘆してしまった。

 本作を見ても、私が子ども心に抱いた違和感が解消されることはなかったが、人間になったピノッキオがジェペット爺さんと抱き合って喜んでいるシーンを見れば、まあ良かったな、とは思いました。でも、あんなに貧しい、しかも高齢な爺さんの家で、果たして少年ピノッキオの行く末はどうなるのだろう、、、と心配もしちゃいますね。教科書を買うお金もない爺さんなんですから。……まあ、私が心配することもないんだが。


◆その他もろもろ

 『五日物語 ―3つの王国と3人の女―』(2015)といい、本作といい、ガローネの世界観はやはり好きだわぁ。基本的にとても美しく、少しダークさもあり、ファンタジーなんだけどリアルさもあるという、、、。彼の出世作『ゴモラ』(2008)は未見なんだが、『ドッグマン』(2018)も良かったけど、童話(といってよいのか、、、)原作を映像にするセンスが素晴らしい。

 ピノッキオが助けられる妖精の館とか、ホラーチックな感じで良いわ~。あの“かたつむり”はちょっと気持ち悪かったけど。

 本作を見て初めて知ったんだけど、妖精って、成長するのね? 原作でもそうらしい。最初にピノッキオを助けてくれたときは少女だったんだが、後半に再び助けられたときは大人の女性になっていた。それだけ、実は長い年月が過ぎていたということなのか? よく分からないけど、原作をちゃんと読んでみたくなった。

 ロベルト・ベニーニは、自身がピノッキオを演じた映画(『ピノッキオ』(2002))があるけど(未見)、本作ではジェペット爺さんを演じている。私はあんまし彼のこと好きじゃないんだが、序盤でジェペット爺さんがいかに貧しいかを描くシーンがあって、これがまた、ものすごくイラ~ッとさせられるシーンで、別にロベルト・ベニーニのせいでも何でもないけど、やっぱり彼のこと苦手だわ~、と思ってしまった。

 ピノッキオの映画化はこれまでもいくつかあって、ベニーニの02年の映画は、ピノッキオが老けすぎで評判がイマイチみたい。96年版のスティーヴ・バロン監督作は、劇場までわざわざ見に行ったんだけど、まるで覚えていない、、、ごーん。ビジョルドが出ていたから見に行ったんだと思うが、ここまでまるで覚えていないというのもちょっと哀しいなぁ。みんシネではえらく評判が悪いけど、画像とか見ると結構面白そうなんだよな。どんなだったか見たいと思っても、そもそもDVD化されていないみたいだしなぁ。パンフを買った形跡もないし。

 でも、スティーヴ・バロン作品を検索していたら、『アラビアン・ナイト』なんていう珍品を発見! 出演者も何気に個性派ぞろい!! 見てみよう♪
 
 
 

 

 

 


星に願いを、、、って感じじゃないよね、やっぱり。

 

 

 

 

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魔術師(1958年)

2021-12-01 | 【ま】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv12490/


 
 以下、映画.comよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンが、魔術師の旅芸人一座と彼らのトリックを暴こうとする役人たちが繰り広げる騒動を描き、ベルイマン初期の到達点とされる傑作喜劇。

 19世紀スウェーデン。魔術師フォーグラー率いる旅芸人一座が、ある町にたどり着く。暇を持て余していた領事エガーマンは彼らを屋敷に拘束し、警察署長や医師らの前で芸を披露させてそのトリックを見破ろうとするが……。

=====ここまで。
 

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 ベルイマンというと、どうも難解というイメージがあるのだけれど、映画友が言うには、初期の頃のは結構面白いのだそうな。初期っていつ頃のことまでをいうのか分からないけど、本作は、初期になるのか? まあともかく、見終わって、これはコメディだな、と思いました。

 のっけから、シドー演ずるフォーグラー博士と名乗る魔術師は“口がきけない”とかってことになっていて声一つ発しない。マックス・フォン・シドー、めっちゃ怪しい風体をしていて、これだけで、この博士とやらはイカサマとバレバレ。

 この博士を含む魔術師一団は馬車に乗って移動中なんだが、そこでの会話がなんとも可笑しい。通りすがりに死にかけている自称役者の男を拾って、死にそうとか言っている割によく話すその男を交えて、「未来になんて過去同様興味がない」とか「真実が存在すると思っているのか」とかいう会話をしている。これはベルイマンの宗教観の表れなのかもしれないけど、単純にやりとりがヘンで笑える。

 とある街で領事館に招かれて、領事は口のきけないフォーグラー博士に向かって「魔術を見せろ」と言う。この領事は、本当に魔術が存在するのか、知り合いの医師と賭けをしている、、、とか、もう話がヘンすぎて……。死にかけの自称役者も本当に死んじゃうし。

 もちろん、魔術もインチキなんだが、その領事館にいる人たちも変人ばかり。中でも、領事の妻は、「夫とはもう冷めた関係で一人で寝ているから、夜中の2時に寝室に来て」とか言ってフォーグラー博士を誘惑しに来る。で、待っている妻の部屋に現れたのは、フォーグラーではなくて夫の領事だった、、、とか。

 フォーグラーには、一座の中に妻がいるのよね。その妻は男装しているから、領事の妻には分からなかったのです、お気の毒に。

 領事館には当地の警察署長夫婦もいて、一座がインチキ魔術を披露している場に冷やかしに来ていたんだが、フォーグラーが催眠術をこの署長の妻にかけると、なぜか署長妻は夫の悪口をペラペラと喋りだす。しかも催眠が解けると本人は自分が何を言っていたかケロッと忘れている。インチキ魔術やなかったんかい! と、そらみんな思うわね。署長の面目も丸つぶれ。

 で、催眠術が本物かどうか、領事館の夜警の大男に催眠をかけさせるんだが、大男は見事に催眠にかかって身動きがとれなくなる。どうやらインチキではないらしい。しかもこの大男、催眠が解けた瞬間にフォーグラーに飛び掛かって、フォーグラーを絞め殺してしまうのだ! 賭けをしていた医者が死亡を確認する。

 この医者は、医師という職業に懸けてこの魔術師の遺体を解剖する。すると、その解剖の部屋に、フォーグラーの幽霊が現れるんである!!

 ……というのも、もちろんトリックありで、医者が解剖していたのは、途中で死んだ自称役者の男で、フォーグラーは死んだと見せかけてこの自称役者の男と入れ替わっていたのでした。

 この、フォーグラーの幽霊が医者を追い回すシーンも、なかなかシュール。医者は本気で怖がっていて、それを見てフォーグラーは留飲を下げるのだ。映像的にもなかなか凝っていて面白い。

 口のきけないはずだったフォーグラーは、領事館の連中にインチキのネタバレをぶちまけ、領事や医者に金を無心するものの失敗に終わり、一座の人々もちりぢりになって、無一文で再び放浪の旅に出ることとなる。

 失意のうちに旅立とうとするフォーグラーとその妻だったが、何とここで、、、というラストのどんでん返しで終わる。ラストのオチは、大したオチじゃないけど、書くのはやめておきます。……は?? みたいなオチです。ベルイマンの宗教に対する批判的な視線の表れなんでしょうかね。

 あれほどフォーグラーに色目を使っていた領事妻、フォーグラーが正体を露わにしたとたん、冷めた関係のはずの夫にしがみついてフォーグラーを化け物を見るみたいに見ていたのが、これまた可笑しい。とにかく、ベルイマンのアイロニカルな視線があちこちに感じられます。

 宗教に詳しい人が見れば、もっと知的な楽しみ方ができるのかもしれないけど、単純に映画としても十分面白いです。テイストはシリアスそうだけど、実はゼンゼン、、、という。『第七の封印』と、そういう意味では似ているなー、と思いました。あれもブラックコメディだもんね。本作よりキリスト教観が強いけど。

 マックス・フォン・シドーのインチキ博士っぷりがなかなかサマになっていて良かった。男装の妻を演じていたのは、イングリッド・チューリン。『地獄に堕ちた勇者ども』での彼女とあまりにも違いすぎてビックリ。
 
 

 

 

 

 

 


未見のベルイマン作品を見てみます。

 

 

 

 

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