映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

RHEINGOLD ラインゴールド(2022年)

2024-04-28 | 【ら】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85157/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 イスラム革命により迫害された音楽家の両親にもとに生まれたジワ。最初の記憶は刑務所の中だ。

 数年後、父が有名な音楽家であることから保護され、ドイツのボンへ亡命する。9歳の時にジワはピアノを習い出す。

 10年後、父は愛人を作って家を出ていき、ジワは反発してピアノを弾かなくなる。その頃、歌がうまい友人・サミーと出会ってHIPHOPに興味を持つようになる。さらにストリートでのし上がるためにボクシングジムで鍛え、「Xatar(カター:クルド語で“危険”)」として有名になっていく。

 ラッパー・カナコンダやDJ・マエストロと出会い、音楽の楽しさを知っていくものの、クスリの密売容疑で捕まる。

 出所後、音楽マネジメントを学び始めるジワだが、稼ぎのために闇組織に入り、なんと金塊強盗を実行!ジワは8年の禁固刑が言い渡されたものの、見張りの目を盗んでレコーディングを行い、アルバムを完成させる。獄中から発売したアルバムはヒット、“ギャングスタ・ラッパー”として、さらに音楽プロデューサーとしても、その名を轟かせていく……。

=====ここまで。

 ファティ・アキン監督作。


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 何かの映画を見に行った際に、予告編を見て、アキン監督作品かぁ、、、面白そうかも?と、公開されたら見に行こう♪と思っていたのに、延び延びになって、先週ようやく見に行きました。

 TCG会員サービスデーだったんだが、観客6名、、、ごーん。これ、マジで面白いです。何でこんなに良い映画が、こんなに入りが悪いの?? 哀しいよ~。


◆あっという間の2時間超

 とにかく、幕開けから波乱万丈、、、というか、あれこれいろんなことが起き過ぎて、目も耳も脳みそもスクリーンに釘付けになる。えー、わー、うっそー、、、みたいな声が脳内で響く。

 イスラム革命下のイランの物語というと、マルジャン・サトラピのマンガ(というかバンド・デシネか)『ペルセポリス』が浮かぶ。アニメ映画化もされて、映画版も結構好きなんだが、本作の主人公ジワは、革命中に生まれている。しかも、ジワはクルド人なので、サトラピ家(上流階級)とは境遇が異なるが、ジワの父親・エグバルは高名な音楽家で、イスラム革命が起きるまでは恵まれた環境にいた様子。

 革命で突然、環境が激変する様子が序盤に描かれるのだが、これが劇画チックでありながら、おそらくカリカチュアされたものとも言えない(つまり、割とリアルな)んじゃないのか、、、と思いながら見ていた。ある日を境に、180度日常がひっくり返るというのは、想像するだけで怖ろしい。

 母親・ラサルがジワを産み落とすシーンも壮絶。映画用に書かれたシーンだと思うが、だとしても、実際に厳しい環境で出産したのだろうことは想像に難くない。

 が、フランスを経てボンに落ち着いてからは、別の映画かと思うくらいに、雰囲気も一変。ジワが危険野郎になっていくまでがスピーディに描かれる。これもまた、ホンマかいな、、、というようなことの連続である。

 家庭環境から言えば、想定外な方向へと才覚を発揮するジワである。実際、彼の妹は勉学に秀でて医者になっている。どちらが良いかとかいう問題よりも、ジワがなぜあそこまで暴力的な道へと自ら身を投じて行ったのかが、、、見ていて疑問ではあった。

 正直、ラストまで見てその疑問は解けないが、無理やり解釈すれば、父親への反発心というところか。愛人を作って、母親と自分たちを捨てた父親。生活に困窮する家族を、とにかく即時的に救いたいという思いが強かったのかな、と。勉学に励んで、それなりの地位を得て、、、ってのは時間が掛かり過ぎるもんね。

 あとは、元来の本人の気質だろう。負けず嫌いが、ああいうベクトルに働くと、ああいう状況になるわな、、、と。かと言って、脊髄反射という感じでもなく、知力も感じる。その知力があったおかげで、彼はただのチンピラで終わらなかった、、、とも言えるのか? まあ、結果オーライではあるが。

 ネットの感想で“そうは言っても、所詮は犯罪者。そういう側面をも賞賛しているようで不愉快”みたいなのもあったが、一理あるけど、だから映画になったわけで。裏社会に足を踏み入れて抜け出せないのがお決まりコースな中で、レアケースだから、映画になったのよ。一応、映画の中ではジワは人は殺していないようだし。


◆多彩な音楽

 ラップがあんまし好きじゃない人間にとって、ジワのラップの何がそんなにウケたのか分からないのだが、本作内での数々の音楽(もちろんラップ含む)が実に良かった。

 ドイツはヒップホップが非常に人気なんだとか。トルコ移民が多いというのも、その理由の一つだと、パンフにはある。へぇー。

 ジワの父親は、息子に音楽をスパルタ式で教育するが、愛人を作って出て行ったことで、ジワは父親の属するクラシック音楽からは遠ざかる。でも、ラップに興味を持って、そこから才能を発揮していく過程を見ていると、やっぱし、蛙の子は蛙だなぁ、と感じる。スパルタ教育されたピアノが少なからず生きているし、音感やリズム感は父親の教育による部分も大きいだろう。

 とはいえ、芸術分野では、努力で補えない才能は絶対的にあると感じるので、ジワには才能もあったということだ、、、多分。

 タイトルの「ラインゴールド」は、ワーグナーの「ラインの黄金」から。ジワ少年が父親とボンのオペラハウスに行った際に、流れていたのがこの「ラインの黄金」だった。この曲を、この物語に絡めてくるあたり、アキン監督の巧さを感じる。ワーグナー嫌いな私にとっては、どーでも良いのだけど、本作内でかかっていたこの曲が“ええ曲やん”と感じてしまったのが、なぜかちょっと悔しいのだよね、、、。マーラーもそうだったけど、映画の中で流れているのを聴くと、イイ曲だと感じるの、何なんだろうか、、、。音楽だけ聴いていると、あんましそうは感じないのに。……不思議だ。

 ジワ役のエミリオ・ザクラヤの演技が素晴らしかった。ジワの幼馴染で、彼を折々に助けるミラン役のアルマン・カジャニが若い頃のアンディ・ガルシアにちょっと似ていて、なかなか良かった。

 アキン監督、やっぱし良い。

 

 

 

 

実物のカターの方がはるかに“ヤバそう”に見えます。

 

 

 

 

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ゴッドランド/GODLAND(2022年)

2024-04-20 | 【こ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85163/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 デンマーク人の牧師ルーカスは、植民地アイスランドで布教の旅に出る。任務は、辺境の村に教会を建てること。

 しかし、アイスランドの浜辺から馬に乗り、陸路ではるか遠くの目的地を目指す旅は想像を絶する厳しさだった。

 デンマーク嫌いでアイスランド人の年老いたガイド・ラグナルとは対立し、さらに予期せぬアクシデントに見舞われたルーカスは、やがて狂気の淵に落ちていく。瀕死の状態で村にたどり着くが……

=====ここまで。

 アイスランドが舞台。制作は、デンマーク、アイスランド、フランス、スウェーデン。


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 アイスランド映画、、、というと、『LAMB/ラム』(2021)とか、『隣の影』(2017)とか、よく言えば個性的、ぶっちゃけヘンな映画しか思い浮かばないのだけれども、もちろん、ヘンな映画は誉め言葉です。大・好・物!!

 なので、アイスランド映画と聞くと、とにかく見てみよう!という気になってしまい、本作もチラシを見たときから「ゼッタイ見るぜ!」と思っていたので、公開直後に劇場まで行ってまいりました。予想を超えるヘンっぷりでありました♪


◆ヤなヤツでも聖職者になれる。

 ルーカスがね、、、ゼンゼン応援出来ないんだよね、見ていて。困難続きのアイスランドの道行なんだけど、あんだけ困難続きの主人公だったら、大抵は「頑張れ!」って思うじゃない、観客としては。……思えないんだ、これが。

 いや、ルーカス君は、かなり真面目に使命感に燃えている。死にそうになりながらも、「もう帰りてぇ~」とか神に祈りを捧げつつ弱音を吐きながらも、でも、教会建設をしなければ!という気持ちは伝わって来る。それなのに、どうも“いけ好かない”んである。

 というのも、な~んか感じ悪いんです、ルーカス君。明らかに植民地を見下しているのが端々に感じられ、アイスランド語を覚えようともしないで通訳頼み。んで、やたら大荷物の中に積んであるカメラを時々取り出しては、アイスランドの荒涼とした風景を写真に撮ることを繰り返す。

 が、悪いことに、この頼みの綱の通訳が、ルーカス君自身の無謀な決断により溺れ死んでしまい、彼は現地の人たちとのコミュニケーション手段を失うのだ。色々アホやなー、、、としか、、、。

 いくらガイドのラグナルとはソリが合わないとはいえ、あんな上から目線の人間じゃあ、植民地とか関係なくダメでしょう。

 ルーカス君は通訳を亡くした後も、基本姿勢は変わらないまま、挙句の果てには衰弱して死にかける。いっそ、あのまま死んだ方が彼は幸せだったかも。

 一命をとりとめ、いざ教会を建てよう!!となって、現地の人たちが工事をしていても、ルーカス君、一切手伝おうとしない。傍観者。その間に、彼を敷地内の小屋に寝泊まりさせてくれているデンマーク人(入植者ね)の娘と寝ちゃうし、何だかなぁ、、、である。

 トドメは、ソリが合わなかったガイドのラグナルを殺しちゃうんだよー。おいおい、、、。

 その前にラグナルに執拗に「自分の写真を撮ってくれ」と言われたことにイラついて、ラグナルがデンマーク語を話せないのをいいことに「そんな見苦しい顔は撮りたくない!能無しのブタめ!!」とデンマーク語で暴言を吐いた挙句、実はラグナルがデンマーク語を解していたと知り慄然とする小心者振りをさらけ出す。しかも、ルーカスの馬をラグナルが殺したと知り、カッとなって、、、って感じで、およそ聖職者にあるまじき行動。

 教会は建ったのか? ええ、ええ、建ちましたよ。でもね、、、ルーカス君、自身の行いのツケを払うときがやって来てしまったわけよ。残念!


◆傲慢な人間の末路は、、、

 竣工したばかりの教会でミサを行うルーカス君。しかし、その最中に赤ん坊が泣きだすわ、外では犬が執拗に吠えるわで、まったくミサに集中できない。すると、ルーカス君、なんとミサの祈りを勝手にやめて、犬を追い払おうとしたのか教会の扉を乱暴に開けて外に出る。で、犬を追い払おうと足を踏み出した途端、ぬかるみに足を取られてすっ転ぶルーカス君、、、その顔には、真っ黒な泥がべっとり、、、。

 その泥まみれの顔は、さながら、ルーカスの徳の無さを映しているかのよう、、、なんと皮肉な。

 そんな姿ではミサは続けられないと悟ったのか、ルーカス君、そのままミサをすっぽかして出奔! なんなんだ、コイツ、、、。

 結末は、、、、ここには敢えて書かないけれど、私としては納得でしたね。唐突な感じもあるけれど、彼には似合いの末路だと思った。

 こんな冷徹なシナリオを書いたのは、監督でもあるフリーヌル・パルマソンというお方でアイスランド人。でも、映画製作の勉強はデンマークでしている。本作を撮った動機としては、自身の2国間に股裂き状態となったアイデンティティに根差して、「2つの国を対峙させたときに、それらがどのように姿を現すのか、探りたかったのです」と語っている。なるほどね、、、。

 日本語話者が本作を見ても、デンマーク語とアイスランド語の違いはほとんど分からない。字幕は、区別して表示されている。
 
 そんなわけで、ルーカスという、聖職者としては致命的に想像力を欠いた人間の酷過ぎる話なんだが、アイスランドの風景と相まって胸に迫る。

 

 

 

 

 


アイスランド、一度は行ってみたい。

 

 

 

 

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ゴーストワールド(2001年)

2024-04-14 | 【こ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv32002/


以下、早稲田松竹のHPよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

バカなクラスメイト、つまらない大人たち――死んだ町をぶらぶら彷徨い歩く ふたりの少女の分かれ道

 1990年代、アメリカ都市郊外の名もなき町。幼馴染で親友のイーニド(ソーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)は、高校卒業後も進路を決めず、町をぶらついては面白いことを探して過ごしている。

 ある日、二人はモテないレコードマニアの中年男・シーモア(スティーヴ・ブシェミ)に出会う。ダサくても自分の世界を持っているシーモアに興味を持ったイーニドは、アウトサイダーとして生きる彼の“理解者”として交流を深め、奇妙な友情関係を築いていく。

 一方、アパートを借りるために地元のコーヒーショップに就職し、社会と折り合いをつけて自立しようとするレベッカ。同居生活を計画していた二人の間には次第に距離が生まれ…。

=====ここまで。

 原作はコミックらしい。


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 ちょっと前に、リバイバル上映があるとTwitterのタイムラインで流れて来て、見たいな~、と思いつつ結局行けず仕舞い、、、。TSUTAYAでDVDレンタルできるみたいだし、まあいっか、、、と思っていたところ、早稲田で上映してくれたので見に行ってまいりました。


◆誰もが通る道

 映画友も本作を早稲田に見に行ったらしく、感想を長文メールしてきた。そこには「すべてのサブカル女子は“イーニドはわたしだ”と思ったのでは」と書かれていて、彼女の10代の頃の話をイロイロ聞いて来た者としては、「まあそーだろうね」と納得したが、私はどちらかと言うまでもなく、完璧にレベッカタイプの人間なので、映画友ほどイーニドに入り込むことは出来なかったのだった。

 でもね。あの頃の女子独特の冷笑的気質、空虚感、残酷さ、、、等々は、ある意味、誰もが通る道という感じもして、大いに共感する部分でもあった……のだが、私が本作を見て感じたことは別のことであった。んで、上記の映画友のメールを見て、さらにそれを強く感じさせられたのだった。

 つまり、私の10代(大学で家を出るまで)は、なーんにも考えていなかったのだなー、、、ということ。別に親のせいにするわけじゃないが、とにかく、支配されることに慣れてしまっていて、思考停止だったような気がするのだ。

 4歳上の姉がメチャクチャ優秀で、私は足元にも及ばない成績だったんだが、それ故、本人としては頑張ったつもりでも、母親の眼には「まるでダメ子」にしか見えなかったらしく、とにかく勉強机の前に座っていないと怒られた。本を読むのもダメ、当然マンガもダメ、音楽聞くのもダメ、、、。小学生のとき、名古屋まで塾に通わされていたのだが、マリー・ローランサンの展覧会が塾から駅までの帰り道で開催されているから行きたいと言ったら「こんな成績で絵見に行きたいって、あんたアホと違う??」と路上で罵られたんだけど、私が憮然として断固「行きたい!」と訴えたら、ウンザリした顔で辛うじて見に行かせてくれた。が、その帰り道、電車に乗っている間中、家に着くまでずーーーーーーーっと、お説教だった。もう、いつも言われていることで、私にとってはご利益の無い念仏みたいなもんだったから、脳内でさっき見たローランサンの絵を思い浮かべてぼんやりしていたのだった。そういう私の態度がますます母親の癪に触り、家に帰ってから怒鳴り散らされた。

 ある時は、学校で休憩時間中にお絵描きしようと思って、お絵描き帳を出そうとノートに触ったら、やけにノートの厚みがない。はれ??と思ってよく見ると、絵が描いてあったページは全部破り取られていて、残り真っ白な数ページが辛うじて残っていた、、、なんてこともあった。家に帰って「ノート破った?」って母親に聞いたら「もう○年生にもなってあんなくだらん絵描いとったらあかんの!!」と言われて終わりだった。

 ……というようなことが幼少期から日常茶飯事であると、だんだん感性が麻痺するというか、学校へ行っている時間は辛うじて自身を取り戻すのだが、家に帰ると“無”になるしかなかったような気がする。中学で自分の部屋を与えられると、多少、親の目を盗んで、本を読んだり、マンガを読んだり、日記を書いたり、、、していたけど、見つかって激高されると、絶望するんだよね。あーあ、、、って。高校生になっても、机の中を漁られたり、本棚を調べられたりはしょっちゅう、友人との電話を別の電話で聞かれたり、なんてこともあったが、さすがに高校は通学時間という学校でも家でもない空間があり、そこで本を読んだりマンガ読んだり友人と駄弁ったりはできたが、所詮知れている。

 なので、イーニドのように、世間に対し不貞腐れることさえ思いが及ばない、、、というか、ところてんのように押し出されるがまま、、みたいに生きていた10代だった。

 ただ、私の本質的な気質として、イーニドのように思いっ切りレールを外れる勇気もなく、レベッカ同様、世間というものに自ら馴染んでいく常識人なので、イーニドのぶっ飛んだ言動は面白い半面、正直言ってヒヤヒヤするばかり。自分の小心者っぷりを改めて思い知る。

 さらに言えば、拗らせることのできるイーニドがちょっぴり羨ましくもなった。イーニドはイーニドなりに悩み苦しんでいるのだろうが、それは、私のような思考停止少女からみれば、それだけ“余裕”があるのであり、自分らしく居られているのではないか、、、と思えてしまう。……これってヒガミかしらん。


◆あのバスは何処へ、、、。

 ラストシーンが、見方が分かれているらしい。

 前述の映画友は、メールに「哀しいラスト」と書いてあった。ネットを見ると、あのバスに乗ってどこかへ行くのは、自死の暗示だという解釈があるらしく、ビックリ。

 私は、イーニドが拗らせにケリをつけるべく、ここではないどこかへ旅立つ、割と前向きなシーンと捉えたのだけど。

 監督自身はインタビューで、見る人の心に委ねたいと言っているようだけど、若い子たちのモラトリアム映画の結末が自死だなんて、私としては好きじゃないので、その解釈は好きじゃないなぁ、、、という感じだ。

 ただ、ちょっとなぁ、、、と思っちゃったのは、オタクのブシェミとイーニドが、終盤男女の関係になっちゃうこと。ああなっちゃったら、ブシェミはただのキモオタに成り下がってしまうではないか。私はブシェミが好きなので、余計にそれは受け入れがたい(と、飽くまで個人的感情)。

 あと、気に入らなかったのが、あの美術の教師。イーニドが出したあの絵を見抜けない時点で、教師としてマズいんでないの? あの美術の授業シーンは、何がかは自分でもイマイチ言語化できないけど、どうもイヤな感じを受けた。結局、彼女の指導がいい加減だったことで、イーニドは余計にドツボにハマってしまったわけだし。教師である以上、生徒の人生に影響を与えていることに自覚的になって欲しいよなぁ。

 スカヨハはおもったより出番が少なかったけれど、今もあまり変わらないなー、という印象。ソーラ・バーチの拗らせ演技が実に良かった。スカヨハと逆の配役は、、、あり得んなー、と思いながら見ていた。

 

 

 

 

 

 

世間もバカだが、自分はもっとバカ。

 

 

 

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現実逃避の旅 ~ベトナム中部でのんびりしたい~ その⑨

2024-04-09 | 旅行記(海外)


その⑧につづき


 ダナンのミーケビーチに、夕方到着~。

 夕食まで1時間弱のフリータイム。浜辺をプラプラ、、、お土産屋さんを覗いたり、通り沿いの店を見ながら歩いたり、、、。

 

 

 で、集合時間が近くなったので集合場所のお店前に行くと、すごい数の水槽がずらり、、、。

 

 

 最後のディナー(?)は、シーフードレストランで。

 正直なところ、疲れていたし、あんましお腹も空いてなかったってのもあって、この夕食については印象が薄い。ただ、メインの白身魚のあんかけ(?)みたいのが温かくなかったことに文句言っている人がいて、他にも、ちょっとお店側の手際が悪かったのも確かにあるのだが、アンさんにクレームめいたことを言っている人もいて、何となく気分が下がり気味だった。

 ちなみに、スープはアスパラガスとカニのスープで、これはすごい美味しかった!

  

 

 ……まあ、お金払ってんだからそれに見合ったもん提供してくれよ、というのは分かるけど、所詮ツアーだし、お店の人たちも別に感じが悪いわけじゃないし。あと、ビールが冷えてないことに文句言っている人が結構いたんだけど、アンさんがツアー中何度も「ベトナムではビールは冷やして飲む習慣がない」って説明していたのに、なんだかなぁ、、、と思ってしまった。

 

 という感じで、(私が勝手に)どよ~んとなっていたのだけど、デザートで不思議なものが出現。食べたら、梨のような食感??ん?これは何だ??とアンさんに聞いたところ、「青りんごです!」とのこと。皮ごと丸かじり。

 お店の中にもでっかい水槽があって、こちらは熱帯魚かな、すごくキレイ。


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 空港へ向かう途中で、ライトアップされたドラゴン・ブリッジへ。

 

 ライトの色が変わってブリッジも青や黄色に。マーライオン(実物見たことないけど)みたいな噴水もあり。

 夜になるとライトアップされるところは、万国共通デートスポットなのかしらん。若者たちがたくさんいて、やはり若い国は活気を感じるな~。


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 20時過ぎに空港へ到着したのだが、出発3時間前の21:20にならないとチェックインが始まらないので、それまで待つ。

 搭乗は2手に分かれてバスでタラップまで移動し、後ろの入り口から上がる。行きは席に余裕が少しあったけど、帰りはほぼ満席っぽかった。定時より40分遅れでようやく離陸。

 疲れてほとんどウトウトしていただけだったが、到着1時間前に出た食事は、あんまし美味しくなくて、クロワッサンとサラダと牛乳だけいただいた。

 成田にはほぼ定刻に到着。Visit Japan Webに登録してあるおかげで入国手続きもサクサク済んで、無事に旅を終えました~。

 

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 以上で、旅行記終了です。のんびり・ゆっくりしたい……と思って選んだツアーの割に、今回もまあまあの盛りだくさんでした。本当にのんびりするには、完全なフリーツアーを選ぶのが良いんでしょうね。

 ダラダラ続けてきてしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

 

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12日の殺人(2022年)

2024-04-01 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv84664/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 2016年の10月12日の夜、グルノーブル署で、引退する殺人捜査班の班長の壮行会が開かれていた頃、山あいのサン=ジャン=ド=モーリエンヌの町で、21歳の女性クララが、友人たちとのパーティの帰り道、突如何者かにガソリンをかけられ火を放たれた。そして、無残にも彼女は翌朝焼死体で発見される。すぐに後任の班長ヨアン(バスティアン・ブイヨン)率いる新たな捜査チームが現場に駆けつける。クララが所持していたスマートフォンから、彼女の素性はすぐに明らかになった。

 クララの親友のナニーの協力などもあり、クララと交際歴のあったバイト先のウェズリー、ボルダリングジムで知り合ったジュール。そしてあろうことか彼女を「燃やしてやる」というラップを自作していた元カレのギャビなどが捜査線に上がっては消えていった。だが、クララと関係を持っていた男たちは、一様にして彼女が奔放な女性だったことを示唆していた。 懸命な捜査が続いたが、事件を解決まで導く確信的な証拠もないまま捜査班は解散となってしまう。

 それから3年後。ヨアンは女性判事(アヌーク・グランベール)に呼び出され、新たなチームを作り再捜査に乗り出すことになった。今度は女性捜査官のナディア(ムーナ・スアレム)も加わり、クララの三周忌に彼女の墓で張り込みをすることになった。果たして、仕掛けていた隠しカメラに写っていたのは…。

=====ここまで。

 冒頭で「未解決事件」とハッキリ字幕が出る。よって、本作はサスペンス映画ではない。


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 本作のこと、何で知ったんだろう、、、思い出せないけれど、多分、チラシかな。監督ドミニク・モルの前作『悪なき殺人』はちょっと興味があったのだが、気付いたら終映していて、その後忘れていた。で、本作の監督が彼だと知って、ちょっと見てみようかなと思った次第。

 未解決事件というのは見に行く前から知っていたのだけど、サスペンス映画だと思って見に行くと肩透かしを喰らうでしょう。これから見に行く方はお気を付けください♪

~~以下、もしかすると男性はお読みにならない方が良いかもです。男性を貶める意図はありませんが、ちょっと悪口になっていますので。~~


◆男の加害性を自覚せよ。

 最初に言っておいた方が良いと思うので書いちゃうが、本作は、フェミ映画です。なので、マッチョな事件捜査モノが好きな人が見に行くと、期待外れなだけでなく、不快な思いをする可能性が高い、、、と思う。

 このブログでも時々書いているが、女は“女”というだけで男が怖いんですよ。私はもう50代のオバチャンなので、昔に比べりゃ大分楽になったけど、若い頃は、やっぱしセクシャルな面でそれなりに嫌な思いもしたし、多分男が思っている以上に警戒して生活していたと思う。

 夜道を一人で歩いているだけで、女は警戒心Maxになる。これ、男にはなかなか分かんないみたいだけど、ほとんどの女はもの凄く警戒して歩いている。「自意識過剰だろ!」とバカな男どもは笑うけど、運悪く性被害に遭えば、そういう男どもは「お前に隙があったんだろ!」とか平気で言うんだよな、これが。ふざけんなよ。

 ……ということを、この映画は描いているのだ。ね、男の人たち、何か居心地悪いでしょ?

 男からしてみれば、男っていうだけで変態扱いされたり殺人犯扱いされるのは心外だろうけど、実際、変態はほとんどが男だし殺人犯の大半は男なので、そう言われることについては甘んじて受け入れてください。

 んでもって、おかしなことに、これらの頭のネジが外れた男たちを検挙しようと必死に追い掛けているのも、ほとんど男だってこと。男の世界で完結しているのだよ、被害者以外。んで、被害者の女は、そこでは大抵が“ヤリマン”“アバズレ”扱いされてしまう。そんな犯罪の被害者になる女はそんなもんだろ、っていう男たちの思考回路。

 百歩譲って、被害者の女が“ヤリマン”だったら? “アバズレ”だったら? 男からしたら、そりゃ殺されるのも仕方ないとか言うわけ? それって、前述の「お前に隙があったんだろ!」と言って被害者女を責め立てる男たちとどこが違うんだ?って話。

 つまり、加害者だろうが、警察官だろうが、男たちの思考回路、おかしいだろ!? ってのが、この映画の主たるテーマです。

 どーですか? 男性の方々、それでもこの映画見たいですか??


◆被害者は女のコだもんね。

 でね、私は本作のお話、割と序盤からヘンだと思ったのだ。

 どこがって、警察の人たち、みんな犯人を端から“男”と決め打ちしてるわけ。……ね、ヘンでしょ? そら、あんな真夜中に、人通りのない所で、あんな残虐な方法で若い女性を焼殺するなんて、確かに男の仕業っぽい。ぽいけど、捜査機関として決め打ちはマズいだろ、、、と。

 あの犯行、女性でも十分できるでしょ。ガソリン掛けて、火をつけたライターを投げるだけ。絞殺とか刺殺とかに比べて、ゼンゼン力業いらないですもん。

 でも警察の人たちは、被害者が「若い女性」で「派手め」ってので、大方犯人を男だと思っている。その先入観を持って、聞き込みに当たる。女友達にも聴取するけど、それは被害者が亡くなる直前まで一緒にいたという親友のみ。あとは、みーんな男、男、男、、、。で、その内容から、被害者がさらに「男出入りが激しく」て「肉食系」でってので、殺された理由がほぼ「痴情のもつれ」へと収束して行っちゃう。

 そら、統計的に殺人犯の大半は男だけどさ、、、。あの決め付け方は、被害者の親友が言っていた通り「彼女が女のコだから」である。

 被害者が若いイケメンだったら、多分、犯人は男と女の両面から考えただろう。でも、被害者がイケイケのギャルだと、警察の理屈では、犯人は男なんである。

 結果的に未解決事件だから犯人は分からないまま。ほとんど犯人は男であるという前提でエンドマークとなるが、女かもよ? と、私はまだ思っている。……いや、多分男だろうと私も考えているが、女の可能性もアリだということである。


◆その他もろもろ

 というわけで、本作は捜査員たちがひたすら容疑者を追う姿を描いているのだが、事件の影響を受けて、捜査員たちにもちょっと精神的に変調を来してしまう者が出てくる。

 まあ、あんな凄惨な現場に接したら、いくら警察官でも人の子、ダメージを受けるのも無理からぬ。

 主役の捜査員ヨアンを演じたバスティアン・ブイヨンは、良くも悪くもクセがなく、インパクトが薄いのだが、ほとんど出ずっぱり。表情はあまり変化がない(笑顔がない)けど、演技は確かで、被害者の自宅を初めて訪れた際に、被害者の少女時代のあどけなさの残る写真を目にして、不覚にも固まってしまったときの演技が素晴らしかった。

 未解決事件を追うというストーリーを象徴して、ヨアンがバンクを自転車でグルグル回っている映像が時折挟まれる。そして、終盤ではバンクから峠の上り坂へと移り、その峠を超えられるだろうか、、、みたいなヨアンの独白が入る。そのシーンの背景に映る山岳地帯の風景が美しいのだが寒々しく、本作は終始心和む画は一つもなかったな、、、と感じた。

 本作は、あの『落下の解剖学』(2023)と同じ、グルノーブルが舞台となっており、未解決事件であることも同じだが、『落下~』はアカデミー賞とか海外で評価を受けた一方、本作はセザール賞の主要部門を受賞している。どっちがどうというのもないけど、個人的には、本作の方が何となく好感を持てた気がする。

 

 

 

 

 

 

マッチョ絶滅すべし!!

 

 

 

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