映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

変態村(2013年)

2023-04-29 | 【へ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv35597/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 山中で車のトラブルに見舞われ、孤独な初老の男バルテルが営むペンションに立ち寄った巡業歌手のマルク。親しげに接してくるバルテルは次第に異様な言動を見せるようになり、マルクは監禁されてしまう。 

=====ここまで。


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 以前から気になっていた本作だけど、ちょっと手を出しづらく(だってタイトルが、、、)。でも、同じ監督の映画で昨年公開された「依存魔」が面白いとの感想がTwitterでいっぱい流れて来て劇場に行きたかったのだけど、なかなか都合がつかぬまま終映。

 で、「依存魔」だけでなく、「変態村」「地獄愛」と併せて、“ベルギーの闇3部作”と言われているのだと知り、やっぱり制作年順に見た方が良さそうじゃない?と思い、いざ、DVDをレンタル。

 というわけで、まずは第一弾の「変態村」から。


◆変態というよりは、、、

 これは、変態村というよりは「狂人村」とかの方が内容的には合っていると思う。バルテルは、イッちゃってるおっさんだし、ここの村の人たち(なぜか男しかいないんだ、これが)も漏れなくヤバい。変態というと、嗜好の問題という感じだが、バルテルにしろ村人にしろ、頭のネジが外れている系。

 とはいえ、そんな村人たちの中でも、バルテルのヤバさは頭一つリードしており、そんな男の営む宿に宿泊してしまったのが運の尽き。マルクが途中で逃げ出すチャンスは、、、まぁ、なかっただろうなぁ。道に迷い&車の故障、ってのは、こういうホラー(と言って良いのか)では定番だけど、その後の受難の酷さはなかなかのレベルだった。殺人鬼みたいなのも怖いけど、こういう監禁&性暴力もおぞましい。古くは、「コレクター」とかがあるけど、本作はそれともちょっと路線が違うような。

 途中、村人たちが豚と交わっている(しかも集団で)シーンとか、居酒屋みたいな店で一斉にダンスを始めるシーンとか、、、ヘンなシーンがいっぱい。特にダンスのシーンは、あまりにも異様で可笑しく、声を上げて笑ってしまった。

 どこまで行ってもマルクは救われず、ラストも何とも言えない異様な終わり方。あれは、一応マルクにとっては救いのある終わり方なのか? 自分を追いかけて来たおっさんは底なし沼に沈んで行ったけど、ふと見上げれば十字架に干乾びた人間の死骸が、、、。あれは、マルクの前の犠牲者だったのでは、、、。

 ……というか、バルテルは、妻グロリアに逃げられた、と言っていて、マルクをグロリアだと思い込んでいる、、、という描写なんだが、それが終盤になると村人たちもマルクをグロリアだと思っていて、ラストで底なし沼に沈んでいくおっさんは、マルクに「なぜ戻って来た? オレのことを愛していたか?」とか言うんだよね。しかも、その前には、マルクは村人たちに輪姦されるシーンまである。

 つまり、グロリア(が実在していたのかどうかも謎だが)は、村人の共有だったのか? では、あの豚と交わっていたシーンは、もしや、、、??とか、良からぬ妄想をしてウゲゲ、、、となったり。

 まあ、あんまし突き詰めて考える必要のない映画なんだが、考えちゃいました。


◆邦題がナイス。

 本作は、何と言ってもその邦題のインパクトがなかなか良いと思う。原題は「Calvaire」で、ゴルゴタの丘。そこから派生して受難とか苦難という意味もあるらしい。

 これ、そんな邦題つけていたら、絶対誰の目にも止まらなかったと思うのだが、敢えて「変態村」という、かなりタブーに近い邦題を付けたのが奏功したと言えるかも。どんなん??と思うじゃない、とりあえず。内容に忠実に「狂人村」とかにしていたら、やっぱしインパクトとしては弱くなっていただろうなぁ。なんかC級下らん映画、って感じしかしないもんね。

 こんなタイトル、一昔前だったら、例えば窓口で「「変態村」1枚ください」とか言うのって、まあ、結構心理的ハードル高いけど、今ならネットでチケット買えるし。DVDも、カウンターに持って行くのは憚られるけど、ネット宅配レンタルならノー・プロブレムだし。

 監督のインタビューを特典映像で見たけど、この人、かなり面白い。もう、ヤバい系の映画大好き!!っていう愛が溢れていて、ちょっと笑ってしまった。けど、好感持ちましたよ。やっぱし、これくらいの思い入れがないと、面白い映画なんて撮れないだろうから。

 前述の、居酒屋のダンスシーンは、ネット情報によれば「イヴ・モンタンの深夜列車」のオマージュだとか!!! 「イヴ・モンタンの深夜列車」未見だけど、絶対あんなヘンなシーンじゃないと思うなぁ。

 ……というわけで、第二弾の「地獄愛」へと続きます。

 

 

 

 

 

 

 

グロリアは果たして実在したのか、、、

 

 

 

 

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“推し”について

2023-04-23 | 推し活

 以前にも書いたのですが、昨年から“推し活”に励んでおります。おかげで、日常にハリとツヤ、、、じゃなく、ハリと楽しみができました。以下、私の“推し”の紹介をさせてくださいまし。


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◆ヴァイオリニスト金川真弓さん

 私の推しは、ヴァイオリニストの金川真弓さん。

 金川さんの演奏を初めて聞いたのは、昨年の2月、N響の定期でヒラリー・ハーンの代役で、だった。代役が立った理由は、もちろん、コロナの“まん延防止措置”。このときは指揮者のパーヴォ・ヤルヴィも入国できなくなり、代わりに尾高忠明さんが振ることに。

 ヒラリー・ハーンは、世界的に実力・人気ともにあるヴァイオリニストなので彼女を目当てにしていた人は多かったんじゃないかなぁ。私は、もう何年も前になるけど、彼女の演奏(チャイコだった)を聴いて、確かに凄かったけど、ゼンゼン感動はしなかったので、彼女に代役が立ったことについては何とも思わなかった。

 ただ、彼女の代役を務めなければならないというのは、結構プレッシャーだろうな、大変だなぁ、、、と心配していた。しかも、曲はバーバーのコンチェルトで、難易度が高い。代役が決まってから本番まではあまり日数もなかっただろうし、こりゃタイヘンだ、、、と。

 金川真弓さんのお名前は、もちろん聞いたことはあった。2019年のチャイコフスキー国際コンクールで入賞(4位)してニュースになっていたので(ちなみに、金川さんのプロフィールはこちら)。ただ、このコンクールでは、ピアニストの藤田真央氏がピアノ部門で2位になって、こっちの方が大々的に報じられていた。その後、藤田さんの演奏は、都響とのシューマンのコンチェルトを聴く機会があったけど、こちらもスゴいとは思ったけど、感動はしなかった(ファンの方スミマセン)。私、なかなか感動しないんです、、、ハイ。

 で、昨年の2月17日、金川さん登場のバーバーのヴァイオリンコンチェルトは2曲目。

 ……いやもう、、、、最初の1音でKOされました。

 何という美しい音、、、。もう、圧倒されて、あっという間に曲が終わっていました。それくらい、引き込まれ、息をするのも忘れていたような気がします。曲自体もとても美しくメロディアスなのだけど、それだけに歌い方も個性が出る。金川さんの奏でるバーバーは、実に艶やかでのびやか、表情豊かで、何より歌心のセンスが抜群に素晴らしい。さらに格別の美音。もう、夢のように美しいバーバーでした。

 私は、ギル・シャハムの同曲のCDを持っていて、大好きな演奏なんだけど、シャハムには悪いが、金川さんの演奏はそれを圧倒していたと思う。

 演奏が終わった瞬間、うわ~~っと込み上げるものがあり、一瞬拍手するのも忘れていたほど。ライヴで感動することは本当に少ないので、これは貴重な貴重なコンサートでした。ギル・シャハムも大好きなヴァイオリニストで、何度もライヴで聴いているけど、こんな感覚になったことは一度もない。ブレハッチのライヴを初めて聴いたときもメチャクチャ感動したけど、比じゃなかった気がする。

 正直、この日の他のプログラムの演奏、ゼンゼン記憶にない、、、ごーん。


◆2回目で完全にハマる。

 その日を境に、私の日常は大激変! ……いや、大げさでなく、ホントに。

 まず、金川さんの出演情報を検索しまくる。で、5月に都響と共演すると知り、すぐチケットを買う。でも、結果的に、私が決定的に金川さんの追っ掛けをすることになったのは、このコンサートだった。

 曲は、バーンスタインの「セレナード」(プラトン『饗宴』による)。あんまり演奏機会は多くない曲だと思うけど、五嶋みどりが生前のバースタイン自身の指揮で演奏し、一躍有名になった曲だったはず。難易度はよく分からんけど、多分、かなり難しいと思う。バーンスタインらしく、曲想がコロコロ変わり、実に面白い曲なんですが。

 で、楽しみに聴きに行って、私はここで、滅多打ちにされた。もちろん良い意味で。

 バーバーとは全く趣の異なる曲で、スコアを見ていないから分かんないけど、おそらく変拍子もかなりありそうだし、技術と音楽性をかなり問われる曲だろうけれど、金川さんは当然暗譜で、あまりにも颯爽と弾ききってしまった。難曲を難曲と聴衆に感じさせないその弾きっぷりに唖然、、、。この人、何者、、、??

 アンコールは確かバッハだったけど、これもねぇ、、、もう凄過ぎで口あんぐり状態。魂を抜かれた感じだった。

 以来、私はゾンビのように彼女の追っ掛けをすることに。

 ……いや、ちゃんと意志を持って楽しく追っ掛けしております。

 Twitterでも、前述のバーバーの演奏はもちろん、バーンスタインの演奏も、絶賛のものがいっぱいあり、やはり皆さん、その完成度の高さに驚愕していらっしゃる様子。……分かるわぁ、、、驚愕するよ、あれは。


◆裏切らない“推し”
 
 そんなわけで、昨夏以来、金川さんのコンサートやリサイタルに、既に7回ほど通いました。

 こんだけ通えば、一度くらい“裏切られる”こともあってもおかしくないのに、これがウソ偽りなく、一度も無いのだ。ホントに、毎回毎回、あの美音と美しい音楽に酔いしれている。今後も、いくつか既にチケット購入済み。ドイツ在住でありながら、日本でも演奏の機会を増やしてくれているのは嬉しい限り。先日は、初のCDも発売になり(もちろん買いました)、今後、さらなるレコーディングも期待したいところ。

 世界中にスゴいヴァイオリニストはゴマンといらっしゃいますが、あの美音に勝る音を奏でるヴァイオリニストは世界広しと言えども、そう多くはないだろうと思いますね。

 演奏のほかに私が良いな、と思うのは、演奏スタイルにもある。無駄な身体の動きがほとんどないし、姿勢がとても良い。人気ヴァイオリニストの中には、パフォーマンス過剰な人は結構いるが、ああいうのは好きじゃない。金川さんは、そういう部分でもとても知性と品性が感じられて好感度高し。

 あと、衣装も。シンプルだけどハイセンスなドレスばかり。同じ衣装を別の演奏会でもサラッと着ていて、そういうところも好きだ。衣装って、やっぱりその人の感性とか如実に表れると思うのよね。

 ……というわけで、最後に、彼女のライヴ演奏動画を貼っておきます。

 これは、昨年9月、サントリーホールで行われた「明電舎presents N響名曲コンサート2022」での、ブルッフのスコットランド幻想曲。もちろん、ライヴで聴きましたが、この動画も何度も聴いてます(全視聴回数のうち200回くらいは私が稼いでいるかも)。特に「Ⅲ アンダンテ・ソステヌート」(15:49~)が有名かな。映画「北京ヴァイオリン」でも使われていた曲です。

 この演奏会のリハの模様を、Cl首席の松本氏がツイートしていたのが印象的でした。「リハーサル2日目は2コマ目にに金川真弓さんをお迎えして「スコットランド幻想曲」を練習しました。あまりの素晴らしさに聴き入ってしまって仕事になりません」……そうでしょうとも。松本氏は、バーバーの際も絶賛ツイートされていました。

 では、どうぞ、この素晴らしい演奏をご堪能あれ!! 

 

 

 

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テレーズ 情欲に溺れて(2013年)

2023-04-18 | 【て】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/94405/


以下、wikiよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 1860年代、パリの下層社会。テレーズ・ラカン(エリザベス・オルセン)はその卓越した美貌にも拘らず、何の刺激もない、息苦しいだけの生活を送ることを余儀なくされていた。その最大の原因は叔母マダム・ラカン(ジェシカ・ラング)にあった。マダム・ラカンはテレーズに対して高圧的に振る舞い、彼女を無理矢理従兄カミーユ(トム・フェルトン)と結婚させたのである。

そんなある日、テレーズはカミーユの友人、ローラン(オスカー・アイザック)と知り合いになった。何の取り柄もない凡庸なカミーユとは違い、ローランは男性的な魅力に溢れていたため、テレーズはあっという間に彼の虜になってしまった。ローランと肉体を重ねる度、テレーズは女としての喜びを全身で感じるのだった。やがて、2人は邪魔者でしかなくなったカミーユの暗殺を決意する。 

=====ここまで。


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 どうしてリストに入れたのか全く覚えていないDVDが送られてきたのだけれど、これはおそらく、エリザベス・オルセンの出演作を検索してポチったんだと思われます。「ウインド・リバー」が良かったので、、、っていつの話だ??と思って調べたら、もう5年も前の話だった、、、ごーん。

 本作は、日本では公開されていない様ですね。原作は、エミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』。本作を見終わってから知ったのだけど、シモーヌ・シニョレ主演の「嘆きのテレーズ」も同じ原作の映画。こっちも見たいわ。

 なんかB級感漂う邦題ですが、なかなか雰囲気のある、でもちょい惜しい文芸作品でした。

 無理矢理、好きでもない、、、どころか、むしろ男としてはまったく魅力を感じない、苦手な相手と結婚させられてしまうテレーズ。しかも、幼い頃から抑圧され続け、ろくに人との関りも持たず、当然、恋愛もせずに育ってきてしまった彼女にとって、突然現れたイケメン・ローランは、もうそれこそ、おとぎ話から飛び出して来た王子様に思えたに違いない。

 しかも、このローラン、割といいヤツで、世間知らず・男見る目ナシ子のテレーズをもてあそぶでなく、テレーズの相手をちゃんとしているのだ。原作ではどうなのか知らんが、こんなメンドクサイ人妻、普通の遊び人だったらテキトーに相手してポイ、、、でもゼンゼンおかしくない。ラカン夫人にさほど財産があるでもないのに、ローランはわざわざ「殺人」という重罪を犯してまでテレーズと一緒になろうとするのだから、誠実な男認定してもイイんじゃない?

 で、実行してしまった後。当然のことながら、テレーズとローランが思い描いたような愛に満ちた生活が待っているはずもない。罪悪感からテレーズは不安定になるわ、ローランは浮気するわ、ショックからかマダム・ラカンは脳溢血で倒れるわ、、、。でも、マダム・ラカンは倒れる前に、財産をテレーズとローランに相続させると遺言を書き換えてくれているし、介護は必要になったものの、立場的には圧倒的にテレーズ有利のはずなんだが、マダム・ラカンにカミーユ殺しがバレてしまい、、、。

 この後のマダム・ラカンの執念が凄まじい。そりゃそうだよね、可愛い可愛い息子を殺されたんだから。自由の利かない身体と発語で、必死に事実を友人らに伝えようとするが、伝わらない。

 ……まあ、結果的に全部露見するんだけれども。そして、ローランは、テレーズと心中するんだよね。何だかんだ言っても、ローラン、根はそんなに悪人じゃなかったんだと思う。カミーユを殺した証拠はないのだから、いくらでも言い逃れできるわけで、本当の悪人ならば心中なんか選択しないだろう。

 見終わって、割と良かったな、とは思ったのだけど、惜しいのは、あまりにもストーリーが予定調和で全く意外性がなかったことですね。別に、不倫の王道映画で良いのだけど、多少は、おぉ、、、とか思いたいわけですよ、見ている方としては。結末が予想はついても、過程を楽しみたいわけで。そういう意味で、惜しい。

 トム・フェルトンの情けないカミーユが実に上手くて良かった。こんな男、誰が見ても願い下げ、、、と見ている者に思わせる演技は素晴らしい。エリザベス・オルセンとオスカー・アイザックの濡れ場は極めて健全。NHKのドラマ「大奥」の濡れ場の方がよっぽど激しかったよ。

 でも、私が一番印象に残ったのは、マダム・ラカンを演じたジェシカ・ラングかな。息子を溺愛するイカレ母親っぷりがリアル過ぎて怖かった。倒れて後遺症で動けなくなった後は、顔の演技だけなんだが、さらに凄みが増して、こんな姑と一緒に生活するだけでホラーだわ、、、と思ってしまった。

 ゾラの小説は『居酒屋』とか『ナナ』くらいしか読んだことないけど、『テレーズ・ラカン』も読んでみようかな。

 

 

 

 

 

 

なかなかの豪華キャストです。

 

 

 

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅴ ~函館から八甲田へ~ ④

2023-04-08 | 旅行記(国内)

関連映画:『八甲田山』(1977)
 

につづき


 三内丸山遺跡でプチ雪山体験をして、お次は、本来の予定に戻って弘前津軽藩ねぷた村へ。三内丸山遺跡を出たのが既にお昼近くでかなりの空腹、、、。

 小一時間バスに揺られて、弘前津軽藩ねぷた村に到着。こちらの2階で昼食。

一番左は「陸奥湾産ホタテの貝焼き味噌」。真ん中の丸い器の黒い物体は清水森ナンバ(とうがらし)で美味しかった!

 

 お味は、まあ普通でした。ご飯は店内の竈で炊いた「つがるロマン」だそうで、清水森ナンバと一緒にいただいて美味しい。

 食事の後は、津軽三味線の生演奏があるというので聴きに行く。 

 

 本日の演奏者は福士千加子さん。こんなに間近で三味線の音色をじっくり聴くのは多分初めてなので、興味深かった。すごい迫力でびっくり。

 その後は、展示を見て回り、、、

 金魚と干支のねぷたがズラリ

 

 

 こちらのねぷたは、青森のワラッセのとは形状が異なり扇型。間近で見るとかなり大きくて、裏と表で絵柄も異なり面白い。ちなみに、右の写真の青いねぷたの裏側が左側の画像。

 扇型のねぷたは、リサイクルできるしエコで経済的だとのこと。へぇ~。

棟方志功画のねぷたはワラッセにもあった

 

 

 かつてのねぷた祭りでは、山車ごとに派手なケンカもあったらしく、負傷者や死者まで出たんだとか。喧嘩が当たり前みたいな時期もあったそうで、相手を威嚇するために、こんな物騒な生首ねぷたも作られていたとのこと。まあ、あんまし怖くはないけど、良い気もしない。

 この後、実演販売所で、ねぷた制作を見学したのだが、ツアーで一緒の女性が「どうして金魚のねぷたが多いんですか?」と質問したところ、実演のお姉さんが説明してくれたところによると、昔は金魚が高くて庶民は到底飼えないので、ねぷたで代用したのだ、、、、とか。へぇ~~。

 お土産屋さんでイロイロ物色した後、外に出ると、、、

雪景色、、、

 
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 この後、新青森駅まで移動し、新幹線に乗るまでに時間があるので、再び買い物。新幹線の中で夕食をとろうと海鮮丼をゲット。

  

 肝心の海鮮丼は撮影し忘れ、、、。⑥のまぐろとねぎとろ丼にしました

 

 駅の売店はかなりの人込みで、当然、新幹線のホームもまた混雑。

進入して来たはやぶさ

 これに乗って無事帰京いたしました~。


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 この旅でゲットした物。

 

とりあえず限定物

 

 北海道限定スープセットは、“毛ガニとホタテチャウダー”以外は、あんまし東京のスーパーで買う粉末スープとの違いが分からず。アポロとキットカットはばらまき用。ホワイトチョコが苦手な私は、食しておりません。はちみつカフェオレは濃厚な甘みで、意外に美味しかった!

 

 善知鳥神社で、健康祈願のお守り。コロナにもう感染しませんように!

 

 

 弘前津軽藩ねぷた村ではこちら。清水森ナンバは、昼食で美味しかったので。スープとして食しても美味しいけど、料理の味付けにちょうど良い。炒め物とか。

 りんごの羊羹は、りんご物のちょっと変わったのを、と思いゲット。甘みもさっぱりしていて美味しかったです。

お約束の金魚ねぷたも

 

 

 新青森駅では、わけありのサンふじを。葉付きの方が、糖分が多くて甘いのだって。ちょっと傷んでいたけど、確かに酸味より甘味を感じたような。

 シャイニーアップルジュース「金のねぶた」「銀のねぶた」は、バスガイドさん曰く、金はふじを、銀はサンふじをメインに使っている、、、と言っていたような(でもネットの説明だとちょっと違うんだよな、、、)。ふじとサンふじの違いは、袋を掛けずに育てた方が「サンふじ」、袋を掛けた方が「ふじ」。飲み比べてみたけど、どっちも美味しくて、あんまし違いは分からなったかなぁ、、、。箱買いすればよかった。まあ、ネット通販でも買えるみたいだけど。

 以上で、八甲田(行ってないけど)旅行記は終了です。あー、もっとサクサク書くつもりだったのに、3か月も掛かってしまった、、、。長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

 

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The Son/息子(2022年)

2023-04-02 | 【さ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv80345/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 高名な政治家にも頼りにされる優秀な弁護士のピーター(ヒュー・ジャックマン)は、再婚した妻のベス(ヴァネッサ・カービー)と生まれたばかりの子供と充実した日々を生きていた。

 そんな時、前妻のケイト(ローラ・ダーン)と同居している17歳の息子ニコラス(ゼン・マクグラス)から、「父さんといたい」と懇願される。初めは戸惑っていたベスも同意し、ニコラスを加えた新生活が始まる。ところが、ニコラスが転校したはずの高校に登校していないことがわかり、父と息子は激しく言い争う。なぜ、人生に向き合わないのか? 父の問いに息子が出した答えとは──? 

=====ここまで。


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 フロリアン・ゼレール監督の『ファーザー』は、オスカーゲットで話題になっていたけれど、何しろアンソニー・ホプキンス苦手だし、認知症映画なんてあんまし見る気しないし、、、ってんで放置しておりました。が、本作は父子モノで、かなりシビアそうではあったけど、親子の確執モノに吸い寄せられる私は、劇場まで行って見に行ってまいりました。

~~以下、ネタバレしておりますので、よろしくお願いします。~~


◆誰もが逃れられない“生育環境”

 父子の確執映画かと思ったが、終わってみればそうではなかった。この父子に確執があるわけではない。もちろん、ピーターの離婚をニコラスが罵るシーンはあるものの、基本的に父子は互いに信頼し合い、尊重し合っている。葛藤はあっても、確執はない。

 確執があるのは、ピーターとその父親アンソニー(アンソニー・ホプキンス)だ。アンソニーは典型的な強権的な父親で、今は疎遠である。ピーターは父親を嫌悪していたはずなのに、不登校の息子に向けて、アンソニーにかつて言われたのと同じ言葉を吐いていることに気付いて愕然となる。で、ピーターは、ニコラスと向き合うためにも疎遠になっていた父親に、敢えて、仕事を口実に会いに行くのだが、結局そこでも確執は確執のまま提示され、ピーターはニコラスに対する身の処し方がますます分からなくなって行く、、、という展開。

 これは、かなりリアルな話だろう。嫌悪していたはずの親の価値観や物言いを、自分も共有していることに気づかされる瞬間がある、っての。私もあるもんね、、、。ホント、それはものすごい自己嫌悪に陥るわけだけど、だから、私は子を持たなくて正解だったとその度にホッとするのだが、ピーターがますます苦悩するのはよく分かる。そして、親が永遠に不変であることを突き付けられて絶望的な気分になるのも、分かり過ぎてツラい。

 結局、人間は育った環境がベースになるのだ。育てられたように育ててしまう、、、とまでは言わないが、身体にも心にも沁みついているものがあるのは間違いない。親を反面教師にしようと努力しても、ついつい同じような言動が顔を覗かせることは、絶対的にあるだろう。

 あるブロガーさん(男女不明)は、本作のことを「現実感の薄い観念的な映画」と批判していた。ピーターがほとんど交流のないアンソニーに会いに行くシーンもわざとらしく、結局、アンソニーの価値観がピーターに連鎖していると言いたいだけだ、と書いているが、それはまさにそのとおりであって、連鎖するのを回避したいからこそ、ピーターはアンソニーと交流を断っており、それを回避しきれないから苦悩しているのだ。そして、それに向き合う必要性をピーターは感じたから、わざわざ口実を作って会いに行ったのではないか。だから、この展開は観念的でも何でもなく、めちゃくちゃリアルなんである。


◆情か理性か、、、

 ニコラスは、急性うつ病と病院で診断されるが、まあ、どう見たって病んでいるのは間違いない。

 本作の最大のヤマ場は終盤。自殺未遂を犯したニコラスが入院していた病院で、退院するか、入院を継続するか、医師とニコラスと両親が話し合うシーン。このシーンは、見ているのが辛かった。

 いかに病院の環境が劣悪で医師が酷い人間かを涙ながらに訴えるニコラス。退院は危険すぎる、入院継続すれば我々プロは対処できる、と言う医師。間に挟まれる両親。

~~以下、結末に触れています。~~

 ピーターとケイトは、ニコラスに「ごめん、期待に応えられない」(セリフ正確じゃありません)と、一旦は入院継続を決める。けれど、病院を出るときにそれを翻し、ニコラスを退院させる書類にサインして、ピーターの家に連れ帰る。もう、この展開でラストは大体想像がついてしまうのだが、、、。

 見ていて不思議だったのは、医師に選択を迫られた時に、ピーターもケイトも「(夫婦)2人で話をさせてほしい」と言わないこと。医者も「2人で話し合ってみて」と、たとえ5分でも時間を与えないこと。やっぱり、あの場ですぐ結論を出せ、というのは酷ではないか。だから、あの夫婦は帰り際に決断を覆すことになったように思うのだが、、、。

 監督のインタビューが某紙に載っていたのだが、そこでゼレール監督は「罪悪感は正解を導かない、ということを伝えたかった」「罪悪感が目の前のものを見えなくしているんです」と言っている。さらに「私は、観客にもピーターと同じステップをたどってもらい、『さあ、あなたならどうしますか』と問いかけたかった」とも言っている。

 私が親ならどうするかな、、、心を鬼にして入院継続させられるだろうか。アメリカの精神医療の事情はよく知らないけど、少なくとも、日本のそれよりはかなりマシだと思われる。私がアメリカ人の親なら、やはり自殺未遂の前科があるので、怖ろしいから入院継続を選ぶかな、、、。本作内では、案の定、ニコラスは発作的に自殺を図ってしまう。 

 前述のブロガーさんは、ニコラスの人生に対する漠とした苦悩は、ピーターの父権主義的価値観と対照的に描かれており、そのピーターの価値観がニコラスを自殺に追い込んだと書いていた。また、本作は、“The Son” と言いながら、描いているのは “The Father”のエクスキューズだけだとも。……まあ、そういう見方もあるだろうが、私はゼンゼンそうは思わなかった。ニコラスの自死は、急性うつ病の症状であり、だからこそ、医者は入院継続を強く勧めたのである。発作的な希死念慮という症状に、素人は対処できないからだ。それに、息子に自殺された父親が、エクスキューズしたくなるのなんて、アタリマエではないか。後悔、後悔、後悔、、、の連続だろう。全否定されたような気分になる父親が、エクスキューズ一つしちゃいかんのか、、、と思う私は、甘いんですかね?


◆その他もろもろ

 ヒュー・ジャックマン、ローラ・ダーン、ゼン・マクグラス、みんな素晴らしい演技だったが、ゼン・マクグラスくんは、瑞々しさと、思春期特有の拗らせ感を併せ持つ複雑な人物を的確に演じていた。美形、、、て感じじゃないけど、演技派でこれからの注目株じゃないですかね。

 ……と、割と褒めて来た割にの数が少なめなのは、結末がね、、、。結局、ニコラスが自殺しちゃうという最悪な終わり方で、もう救いがなさ過ぎる。

 ラストシーンは、ピーターが、うつ病を乗り越えて作家デビューしたニコラスを家に迎える、という妄想から我に返って泣き崩れる、、、という、あまりにも辛過ぎる終わり方で、鑑賞後感はかなり悪い。しかも泣き崩れるピーターを、ベスが「それでも人生は続いていくのよ」と言って慰めるというか励ますのだが、ハッキリ言ってそれは励ましにならんだろう、、、と。

 前述のブロガーさんと、この点だけは意見が合うのだが、やはり終盤の展開は、ピーターとケイトが心を鬼にしてニコラスを継続入院させ、ウツから快方に向かう、、、という方が好かったのではないか、と思う。その方が救いがあるから、というだけでなく、ピーターが本作中でずーーーっと苦悩し続けた意味があるし、それでこそ、息子を見守る父親としてのピーター自身の成長の物語にもなると思うからだけど、、、。

 ま、これは賛否分かれるラストでしょうな。
 

◆以下、余談 

 本作を見て一番感じたことは、「子育てって難しい」である。親も、初めての子であれば、初めて親になるのであり、2人目だから親として熟達するかと言えば、子のキャラはまさにバラバラであり、上の子で上手く行った手法が下の子には全く通用しないなんてことはザラだろう。

 本作で言えば、ニコラスは感受性が強くて、適応力が低い上、読書好きで自分の世界があるので、まあ、親からすればちょっと扱いにくい(or分かりにくい)子ではあるだろう。でも、親との会話もあるし、そら親子の口論くらいはあるけど、思いやりもあるし、気遣いもできる、特に問題のない子だ。けれど、学校に行かない、、、ってのは、親からすると最大の問題児になるのである。

 私は母親とドロ沼確執を経て、今は断絶しているが、そんな母親にも感謝していることはたくさんある。そのうちの一つが、私が中学生の頃、学校に行きたくないときに「学校なんか行かんでええ」と言ってくれていたことだ。

 ちなみに、学校に行きたくない理由はこれと言って具体的にはなく、ただただ、めんどくせぇ、、、だりぃ、、、って感じだっただけである。特に、中学3年生の秋以降は、部活が夏休みで終わってしまって、急に学校に行く意味がないように思え、休みがちになったのだった。まあ、それが不登校になっていたら、また対応が変わっただろうが、週に1日とか2日とか行きたくない日があっても、ムリに学校に行けとは言わなかった。ものすごい教育ママゴンだった半面、学校教育には不信感を抱いていたらしく、成績が悪いと激怒されたが、学校行きたくないと言っても「ほな休んだら。学校電話したるわ」と率先して電話してくれる人だった。学校から早退したこともしょっちゅうあるが、早退すると学校から連絡が行くので車で迎えに来てくれ、私は親が学校に迎えに着く前にいつも学校を出てしまうので、トボトボ帰り道を歩いている途中で拾われて帰る、、、なんてこともよくあった。学校から家まで歩いて30分近くあったんだよね、、、。

 で、本作を見ながら、もしあのとき、母親が強引に私を学校に行かせようとしたら、どうなっていたかなぁ、、、ということが頭の中に浮かんでいた。多分、私は母親が怖かったので学校に行っただろうし、不登校にまではならなかっただろう。行きたくない理由が、ニコラスほど哲学的ではなかったし、学校という場所に居心地の悪さを感じていたわけでもなかったから。だけど、無理強いされれば、学校へ行くことに抵抗感が強くなったのは間違いなく、何らかの悪影響は出たかもしれない、とも思う。

 あと、私自身はニコラスと違ってもっと俗物の打算的な人間で、あんまし学校に行かないのが過ぎれば、先々(受験とか進学とか)不利になり、それがさらに先の自身の人生に良い影響をもたらさないと理解していたから、結局は自分のために、嫌でも学校に行ったと思う。

 ……というか、そんなことはニコラスだって分かっていたはずで、それでも学校に気持ちも足も向かなくなってしまっていた、ということだろう。でも、親は、そんな子供の事情を、頭では理解できても、気持ち的に受け入れにくいのだ。我が子がレールを外れてしまう!落伍者になってしまう!!ヤバい!!!って感じなのでは。でも、そんな親の焦る気持ちを、安易に責められないよなぁ。ピーターが何とかニコラスを学校に行かせよう、行かせたい!と思う気持ちは、親として当然だろう。

 だから、私は、あのとき「行かんでええ」と、迷いなく本心から言えた母親はスゴい、と今でも思っているのである。ピーターが同じように「学校なんか行かなくていい」とニコラスに言っていたら、、、。ニコラスはそれだけで気持ちが大分楽になったのではないか。追い詰められ感が緩和されたのではないか、、、。正解は分からないけど、そんな気もする。

 

 

 

 

 

 

 

ピーターの実家(アンソニーの家)のお屋敷がスゴい、、、。

 

 

 

 

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