映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

痴人の愛(1934年)

2022-09-24 | 【ち】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv5884/


以下、TSUTAYAよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 医学生フィリップ(レスリー・ハワード)は男遍歴も華やかなウェイトレス、ミルドレッド(ベティ・デイヴィス)と愛欲に溺れて翻弄され、人生の目的を失う。やがて未婚の母になった彼女が転がり込み、悪女の本性をあらわす。

 さまざまな人生経験を重ねた彼は人間の絆やハンディから解放されてゆく。

=====ここまで。

 サマセット・モームの小説『人間の絆』の映画化。ベティ・デイヴィスの出世作。

 
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 モームがマイブームな映画友が、「映画は面白い」と激推ししてくるので、ベティ・デイヴィスも出ていることだし、と思って期待せずに見てみました。


◆また出た、“振り回されたい人”

 モームの原作は、岩波文庫だと上中下巻の長編なのだが、本作は90分足らずの尺で、ストーリーだけ見れば、この話を上中下巻でどうやって書いているのだろう??と不思議に思うくらいに、面白みはない。映画友は原作については何も言っていなかったと思うけど、、、、。

 ミルドレッドは、“悪女”と言われているけど、私の目には、ただの性悪にしか映らなかった。公開当時はこういう女性を映像で見せるってのは、やはり先鋭的なことだったのかしらね、、、? そもそも、ミルドレッド役を演じる女優が見つからなかったとか。オファーする人に端から断られ、ベティ・デイヴィスが名乗りを上げてようやく制作に漕ぎつけたらしい。

 お勉強ばかりして来た秀才が訳知りのねーちゃんに振り回された挙句、身の丈に合った女性と無事出会い、幸せになりましたとさ、、、ってな感じですかね。

 そう、振り回される男の話。もう、古今東西、掃いて捨てるほどあるオハナシ。だから、別に話自体は面白くもなんともない。バカだなぁ、としか、、、。ま、これってある意味、多くの人の持つ願望みたいだからね。惚れた男(女)に振り回されたいっ!!ってやつ。

 それに、私の好みの問題だが、レスリー・ハワードがあんまし好きじゃないのだ。アシュレーのイメージが強いのかも知れないけど、優男過ぎて、見ていてイライラするというか、、、。ファンの方、すみません。線の細すぎる男は、ちょっとね。

 驚いたのは、フィリップが、一旦ミルドレッドに小切手を燃やされて大学を止めざるを得なくなって医者の道を諦めるのだけど、その後、叔父さんが亡くなって遺産が入ると、難なく復学したのか、医師の試験に合格して、あっさり医者になっていたところ。どういうシステムなのかしらん?? 医学部を卒業していなくても試験受けられるの?とか。……ま、どうでもいいことですが。

 ただ、こういうオハナシにしては珍しく、振り回された方がちゃんと良い人と一緒になって幸せになる、というラストなのが唯一面白いと思った。こういう展開の場合、大抵は振り回された方も悲劇的な末路を辿るパターンだもんね。


◆ベティ・デイヴィスに尽きる。

 で、なり手のいなかったミルドレッド役を自ら志願して引き受けたベティ・デイヴィスだが、さすがベティ様、役者根性を見せてくれております。

 本作は、クレジットを見ると主演はレスリー・ハワードになっているのだけど、どう見ても、ベティ主演でしょ、これ。

 まず、フィリップがミルドレッドに初めて出会うシーンで、ベティ様、めっちゃ太々しい。しかも彼女はすごい美人とか可愛いとかいうタイプではない。これで一体ミルドレッドの何に惹かれて一目ぼれしちゃったのか、フィリップ君の感性は謎。

 まあでも、人を好きになるのは理屈じゃないのでそれは良いとして、、、。

 何度ミルドレッドに虚仮にされても、彼女が弱った姿て再び目の前に現れると、やっぱしミルドレッドに優しくしてしまい、惚れ直してしまうフィリップ君。アホや~~~。

 が、さすがのフィリップ君も、三度目の正直、親友と駆け落ちして棄てられた後に再び頼って来たミルドレッドには「お前の顔を見ると反吐が出る!」と言い放った!! 偉い! よく言った!!

 で、ここからがベティ様の本領発揮でございますよ。

 ミルドレッド、しばらくはしおらしく下手に出ていたが、フィリップにウザがられ「反吐が出る」とまで言われると、豹変する。その前と後の豹変ぶりがもう、マンガみたいに凄い。弱々しそうな顔が、文楽の人形みたいにパカッと夜叉の様な顔になり、「アンタとキスするのなんか吐きそうだった、キスした後、口を拭った」とまで言って激しくフィリップを罵るのだ。

 しかもその後、フィリップの部屋を荒らしまくり、フィリップが叔父さんから送られた学費の小切手に火をつけて燃やしちゃうんだもんね、、、。これは、悪女とかなんかじゃなくて、ただの性悪、もっと言えば犯罪者です。悪女はもう少し頭が良い。

 ラストは、病魔に侵されて死んでしまうミルドレッド。けれど、「反吐が出る」とまで言ったものの、フィリップは、ミルドレッドが死んでようやく、別の女性に結婚を申し込んだんだよね。何だかんだと、ミルドレッドに精神的に囚われていたってことかもね。ここまでくると、もはや、好きだの愛だのとかではなく、ただの執着でしょうねぇ。不謹慎だけど、フィリップ君にとっては、ミルドレッドが死んでくれて良かったと思うわ。

 本作が、ベティ様の出世作になったというのも納得の怪演でございました。

 

 


 

 

 

 

一体どんな小説なのか、原作を読んでみようかな。

 

 

 

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TITANE/チタン(2021年)

2022-04-16 | 【ち】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv75833/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 幼い頃に遭った交通事故が原因で、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込んで生きるアレクシアは、車に対して異常な執着心を持っており、やがて危険な衝動に駆られるようになっていた。

 犯罪を犯し行き場を失った彼女はある日、消防士のヴァンサンと出会う。息子が10年前に行方不明となり、孤独に暮しているヴァンサンに引き取られ、奇妙な生活を始めるアレクシアだったが、彼女は自らの身体に大きな秘密を隠していた。

=====ここまで。

 『RAW~少女のめざめ~』のジュリア・デュクルノー監督作。2021年カンヌのパルムドール受賞作。

 
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 さんざん前評判で“グロい”と聞いていたので、どーしよっかなぁ、、、とちょこっと悩んだのですが、何と言っても『RAW~少女のめざめ~』と同じ監督の作品なので、見たい気持ちが勝ってしまい、見に行ってまいりました。ぎょえ~~~。

 『RAW~』もそうだったけど、本作も、確かにグロいといえばグロいんだが、むしろ汚い、、、んだよね、見た目が。ヒロインの乳首や陰部から黒いオイルみたいなのが滴り落ちて来たり、ヒロインに殺される人が口から泡というか白い粘液みたいの吐いたり、、、という感じで。まあ、汚さでいえば『RAW~』の方が酷かったとは思うけど。

 ……というわけで、以下、ネタバレしておりますのでよろしくお願いします。


◆初めて劇場で途中退席しようかと思った。

 冒頭、少女のアレクシアが父親の運転する車の後部座席に乗っているシーンから本作は始まる。少女アレクシア、車のエンジン音みたいな唸り声を上げている。運転する父親が、その声をかき消そうと、音楽のボリュームを上げると、さらにアレクシアちゃんの唸り声もボリュームが上がる。ボリュームで叶わなくなると、今度はアレクシアちゃん、後部座席から父親の座る運転席を蹴りまくる。

 ……もう、この冒頭シーンだけで、本作は相当ヤバそうだという予想はつくわね。でも、その予想のはるか斜め上を行くヤバさが待っていた。

 いや、正直なところ、冒頭15分くらいで、もう見るの止めようかと思ったくらい。こんなの100分も続いたら到底耐えられん、、、と。実際、途中退出者が結構いるらしい。私が見た回では途中退出者はいなかったように思うが、いてもゼンゼン不思議じゃない。

 でも、グロいと言われるシーンは前半30分くらいに集中していて、あとはそれほどでも、、、。グロいというよりは、私の苦手な“痛い”シーンの連続で、正視できなかった。ヒロインのアレクシアは、髪をアップにしていて箸みたいなスティック状のものを髪留めにしているのだが、それが凶器になるのだ。それで、グサッ、グサッ、、、と刺しまくる。うげげぇ、、、、、、。

 まぁ、でも、そこは正視しなくても多分問題ないと思う。音はばっちり聞こえていたので想像はつくし。

 冒頭シーンの続き。少女アレクシアの行動がエスカレートしたことで、父親はハンドル操作を誤り事故を起こし、アレクシアちゃんは怪我をする。で、頭部にチタンを埋め込まれるんだが、この埋め込まれた部分がまた何とも言えない形状で不気味。

 その後、大人になったアレクシアは、モーターショーみたいな風俗店のダンサーをしていて、ド派手な車の上でセクシーダンスを踊っている。ストーカーみたいなファンに追いかけられた挙句、第一の殺人を犯すのだが、その後、自宅でシャワーを浴びていると外で物音がして、素っ裸のアレクシアはドアを開けてみる。……と、そこにはなぜか店のあのド派手な車が。

 ふらふらと吸い寄せられるように車に乗るアレクシア。……で、その車に強姦されるのである。

 この“車にレイプされるシーン”が、一歩間違えるとギャグ映画に成り下がりそうな、かなりぶっ飛んでいる映像だった。正直、ちょっと笑ってしまったくらい。

 その後も、アレクシアは行きずりの人たちを男女問わず殺しまくる。殺そうと思って殺すというのではなく、反射的に殺しちゃう、、、って感じかなぁ。……何で??という感じだが、彼女はある種の対人恐怖症なんじゃないかね。父親は明らかにネグレクトで、アレクシアを疎んじているし、母親はイマイチ存在感がないという描写で、親の愛情を受けていないのは明らか。なので、人との距離感をうまく取れないのだろう。

 そのお父さんはどうやら医者と思われる。体調がすぐれないアレクシアに、お母さんが「お父さんに診てもらいなさい」と言って、ネグレクト父さんがアレクシアの腹をさすったりして診るんだが、それもいかにも面倒くさそうに通り一遍で「なんともない」みたいな感じで、このネグレクト父さん自身も、対人関係構築が下手な人なんじゃないか。そんなんでよく医者やってるなぁ、、と思うが、仕事はまた別なのか。

 ともあれ、アレクシアは妊娠するのだ。


◆結局、最後まで見た!!

 殺人鬼アレクシアだけど、小細工はしないから、あっという間に公開手配される。

 顔がバレるとマズいってんで、アレクシア、公衆トイレで髪をジョキジョキ切った上、洗面台に顔を激突させて鼻骨を折って人相を変えるという荒業に出る。このシーンがまた痛いんだ、、、。でも、痛いシーンはこの後、ほぼ出てこなかった、、、、と思う(ほかにも正視できない“激痛シーン”があったけど、この顔激突シーンの前だったと思う)。

 で、息子が行方不明になったおじさんヴァンサンに、自分が行方不明の息子アドリアンだと名乗り出る。……この辺が、私には今一つピンと来ない展開だった。一人で生きていけないから、生きる手段としてそういう方法を選んだ、、、ということだろうが、うぅむ。

 まあ、でもそれはスルーするとして、このヴァンサンは、老いに抵抗してステロイドをしょっちゅう自分の尻に注射しているという、アレクシアと同類の身体改造派。

 恐らく、最初からアレクシアは自分の息子でないと気付いていたが、ヴァンサンもちょっと病んでいるので、彼女をアドリアンだと信じたいという気持ちから、互いに傷を舐め合うかのようにだんだん心を通わせていく、、、という展開になる。

 で、最終的にはアレクシアは、車との間にできた子供を産み落として死に、ヴァンサンがその子を取り上げるというシーンで終わる。生まれて来た赤ちゃんの背中は金属みたいな背骨があり、頭にもアレクシアと同じような不気味な金属埋め込み跡みたいなものがある。

 エンドロールが流れ出したとき、あー--、最後まで見たぞぉ、、、という感じだった。


◆終わってみれば、、、

 結構面白かったじゃん! と思ったのだった。もう一度見ようとは思わないが(少なくとも今は)。

 一見、奇想天外なストーリーだけど、実は普遍的なことを描いている。

 つまり、親の愛情を知らない女性が、対人関係をうまく築けず、同類の他人と出会うことで人に愛されることや人を愛することを知る、、、という。こう書くと陳腐だけど、それを陳腐に見せないところは、やはりこの監督の力量だろう。

 ヴァンサンにとっても、アレクシアと出会ったことで、長年の悪夢(息子が行方不明であること)から解放されたとも言える。途中、ヴァンサンの別れた妻が出てきて、彼女にアレクシアは妊婦の裸体を見られてしまうのだが、妻はあまり驚かない。つまり、ハナから、アレクシアが行方不明の我が息子だとは思っていないということで、自分の夫が病んでいることも分かっているのだろう。アレクシアの出現で、夫の心の闇が少しでも晴れるなら、それも良し、という感じなのだと思われる。

 本作はちょっと宗教色もあり、ヴァンサンは男ばっかしの消防署の部下たちに、アレクシアを紹介する際「オレはお前たちの神だ。その子はイエス・キリストだ」などと言う。ラストでアレクシアが産んだ子供を抱き上げているヴァンサンは、それこそ、自分を神だとでも思っているかのよう。

 思えば、アレクシアの妊娠も、処女懐胎、、、ともいえる。

 ネットレビューで、実はアレクシアは父親に性的虐待を受けており、車にレイプされ妊娠、というのは、父親の性的虐待のメタファーだと書いている方がいた。へぇー-と思った。私は、あの父親はネグレクトだと思って見ていたので。そういう見方もあるのね、、、と。

 確かに、車にレイプされて妊娠、、、なんて、リアルでは説明がつかないので、メタファーなのか。

 私はどちらかというと、ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』を連想していた。訳の分からないモノを妊娠しているという恐怖。自分の身体なのにコントロールができない怖ろしさ。パンフにも同映画に言及があって、やはりそういう連想をする人もいるのだ、、、と思った。

 パンフには、他にもギリシャ神話との関連について言及されていた。チタンはギリシャ神話に登場する巨神のことで、チタニウム(金属名)の語源だとか。

 ちなみに、本作には『RAW~』で主演していたギャランス・マリリエも出演している。アレクシアに乳首を嚙み切られた上に殺されちゃいますが。

 あと、私はヴァンサンを演じた、ヴァンサン・ランドンが苦手だったんだけど、本作ではあまりそういう感じはしなかった。しなかったけど、好感を持ったというわけでもない。

 ちょっとあまりにも内容が濃過ぎて、長くなってしまった、、、けれど、最後に1つだけ。

 本作はジェンダーの面からも論じられているようなんだが、確かに、性の境界が意図的に曖昧に描かれていると思う。アレクシアは身体は間違いなく女性だが、パッと見はどちらか分らない中性的だ。女性そのものの身体も、テープでぐるぐる巻きにして性を分からなくしている。アレクシアが女性と分かっても、ヴァンサンは「お前はオレの息子だ!」と彼女に言う。とにかく、ボーダーレスである。

 今後、こういうボーダーレスな描かれ方は増えるだろうし、それは全然かまわないが、セクシャリティを否定しがちな昨今の風潮も、正直なところいかがなものかと思っている。男と女の異性愛をメロドラマとして描く作品も、私は見たいと思う。多様化というのなら、あらゆる選択肢が提供されていいはずで、特定のジャンルを否定したり排除したりすることにならないことを願う。

 

 

 

 

 


見る人を選ぶ、、、とは思うが、面白いです。

 

 

 

 

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乳房よ永遠なれ(1955年)

2022-01-14 | 【ち】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv24413/


以下、早稲田松竹のHPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 下城茂との不幸な結婚生活に終止符を打つため、ふみ子は子供二人を抱えて実家に戻った。実家に戻ってからのふみ子は、母親たつ子と弟・義夫の許で幸福だった。ひと月ほど経った頃、仲人の杉本夫人がやって来て、離婚手続きが済んだが昇とあい子の二人を引き取ることは駄目だったと伝えた。断腸の想いで昇を下城の許に去らせてからというもの、ふみ子は母性の苦汁をなめさせられる日が多かった。

 下城家から昇をこっそり連れ戻し、親子水入らずて東京に職を見つけようと決意したふみ子は、この頃から自分の乳房が疼き始めるのを知った。その痛みはやがて激痛へと変わり、彼女はその痛みが乳癌からであることを知った…。

 31歳で夭逝した女流歌人・中城ふみ子の過酷な人生を綴った評伝を映画化。女心の機微に触れる女性監督ならではの演出が光り、哀しきヒロイン役・月丘夢路の熱演が胸に響く。

=====ここまで。


 どうでもよいが、上記リンクmoviewalkerのあらすじの最後の部分「支忽湖のほとりに昇やあい子と立った大月は、ふみ子のノートを(中略)湖面に投げるのだった」ってあるけど、支笏湖じゃなくて、洞爺湖だと思うよ??


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 邦画の古い作品はほとんど見ていなくて、小津作品とかもTVでオンエアしているのをながら見したことがあるくらいで、まともに見た作品は1本もないと思う。……と思って、みんシネの小津リストを見たら、『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(1932)は見たなぁ、、、大分前だけど。でもそれだけだった!

 なので、田中絹代というお名前を聞いても、もちろん知ってはいるが、どんな女優さんなのかは知らなかった。で、少し前に『雨月物語』(1953)を見たときに、すごく印象に残ったのですよね。その後も、古い邦画はあまり見ていないけれど、田中絹代の印象はずっと残っており、この特集を早稲田が企画したと聞いたので、1本はぜひ見たいと思い、中でも評価が高いらしい本作をたまたま元日に上映していたので見てみた次第。

 本作の舞台は、戦後10年くらいの北海道。主人公のふみ子は、実在の歌人中城ふみ子がモデルとのことだが、中城ふみ子というお名前、本作で初めて知った次第。検索すると、wikiにはずいぶん詳しい記述があった。wikiを読む限りでは、割と実際のふみ子さんの人生をなぞって描かれていたみたい。

 まあ、戦後とはいえ昭和前半のオハナシなんで、女性にとってはなかなか厳しい時代。あんな使えないくせに横暴な夫でも、一応、夫である以上は妻としてかしずいているふみ子が痛々しい。でも、さすがに浮気の現場(こともあろうに自宅で)を目撃してしまったら、キレていたふみ子。そらそーでしょう。

 短歌の会の男性に恋したり、東京から来た若い新聞記者・大月に恋したり、恋多きふみ子。実際の中城ふみ子さんも、恋多き女性だったらしい。

 乳がんを患い、死期を悟って、もっと生きたい、、、というふみ子の苦悩、葛藤がよく描けていて、終盤はなんともやるせない。でも、決してふみ子を可哀そうな人として描いてはおらず、そのあたりに監督・田中絹代の意思を感じる。生前「女流監督と言われるのは嫌」「監督に女性も男性もない」と語っていたらしいが、本作を撮るときは「女性として感じることを女性として表現したい」とも言っていたそうで、なるほどなぁ、と思う。

 けれども、私はあんましふみ子に感情移入はできなかったのよね。一生懸命生きた女性だと思うし、子供がいても恋したって全然イイと思うし、あんましネガティブ要素はないのだけど、演じた月丘夢路の演技が私にはちょっとヘヴィでした。どうも芝居がかっていて、嘆き方、苦しみ方etc、、、が大げさに感じてしまい、大月に「抱いて……!」とか言う病院でのシーンは、ちょっとなぁ、、、という感じだった。私が大月だったら逃げたくなるな、、、というか。本作がお好きな方、すみません。

 シナリオ的には良いと思うので、このイメージは多分に月丘夢路に負うところ大ですね。

 余談だけど、wikiで読む限りでは、中城ふみ子さん、映画で描かれていたあのだめんず夫と親に見合いさせられて仕方なく結婚していたみたいで、まあ、ホントにお気の毒としか言いようがない。しかもその前には歯医者さんと婚約破棄しているらしいし。映画のふみ子もなかなか奔放だったが、中城ふみ子さんは相当の奔放ぶりだったようだから、そんな女性を、親の価値観で結婚させようとしたって、そりゃムリでしょう。それくらいの情熱がないと、あの抑圧された時代に、表現者として生きるのは難しかっただろうから。
 
 森雅之、大坂志郎、織本順吉とか、ものすごく若くて、特に大坂さんと織本さんは、ゼンゼン分からなかった。ふみ子が思いを寄せる堀卓(森雅之)の妻を演じたのが杉葉子さんというお方で、私は月丘夢路より、杉さんが素敵だな~と思った。当時としてはかなりの長身と思われるスラリとして涼やかな美しさが印象的。

 もう早稲田でのこの特集は終わってしまっているが、監督・田中絹代は今、再評価されているようなので、これからこういう特集は企画される機会が増えるかも。そうしたら、ほかの作品も見に行こうと思う。


 

 

 

 

 


田中絹代は日本の2人目の女性監督だそうです。

 

 

 

 

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ちいさな独裁者(2017年)

2019-03-24 | 【ち】



以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 第二次世界大戦末期の1945年4月、敗色濃厚なドイツでは軍規違反を犯す兵士が増えていた。

 命からがら部隊を脱走したヘロルト(マックス・フーバッヒャー)は、道端に打ち捨てられた車両のなかで大尉の軍服を発見する。それを着てナチス将校に成りすますと、ヒトラー総統からの命令と称する架空の任務をでっちあげるなど言葉巧みに、道中で出会った兵士たちを次々と服従させていく。

 “ヘロルド親衛隊”のリーダーとなり強大な権力に酔いしれる彼は、傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついには大量殺戮へと暴走を始めるが……。
 
=====ここまで。
 

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 どうやら、日本公開版はカラーだったようですが、私が見たのはドイツ公開版のモノクロでした。予告編はカラーですね。私が見に行ったのは、1週間限定のモノクロ上映期間中だったみたい。そうとは知らなかったけど、なかなか面白かったです。こんなことが実際あったなんて、唖然、、、。


◆制服脱げばタダの人。

 制服の持つ力は、思いのほか怖ろしい。本作のストーリーの前提は、この“制服の威力”にある。

 制服って独特の魅力があると思う。個人的に制服にまつわる思い出と言えば、高校進学の際、その学校の制服にちょっと憧れていたので、実際に着ることが出来たときは嬉しかったなぁ、、、くらいのささやかなもの。そんな具合に、自分自身は制服には高校卒業後まるで縁のない生活をしてきたが、身近なところで制服の威圧感を覚えると言えば、そらなんつったって「警察官」の制服でしょう。あれこそ、日常的に目にする“権力”の象徴だ。

 つまり、着ている“人”がどんな人であれ、着ている“モノ”がモノを言う、それが制服。

 ヘロルトも一兵卒でありながら、大尉の制服を着ただけで、周囲が一変してしてしまう。制服の怖ろしいところは、それを着ることで、周囲だけでなく、自分自身もその制服を着る人間になったような錯覚に陥ることではないか。ヘロルトも、何やらしぐさや佇まいがちょっと偉い人っぽくなるのである。脱走兵だったときは背を丸めてこそこそちまちま動いていたのに、大尉の制服を着た後は胸を張って堂々とした動きになるのだ。しゃべり方まで偉そうになる。この変貌ぶりがかなりリアルで気味悪い。

 とはいえ、制服に騙されない人もいる。大尉の制服のズボン丈がヘロルトの脚より長いことを見逃さず、ヘロルトがニセ将校だと見抜きながらも、敢えて自分の身を守るために行動を共にする輩もいるのだ。というのも、脱走が横行していたこの頃、単独で行動していると脱走兵とみなされるリスクが高く、皆、脱走兵でなくとも兵士たちは必ず複数で行動したがったという。また、脱走兵が複数で行動していても、ただの雑魚兵の塊よりは、上官がいる塊の方が脱走兵に見えなくて良かったということだろう。それで、ヘロルトがニセ将校と分かっても、こいつと同じ塊にいた方が安全だという判断が働いたということらしい。いずれにしても、“制服の威力”を利用しているということに違いはない。

 ヘロルトは実に巧みにウソをついて、身元がバレそうになる危機をいくつも回避するのだけど、このウソの巧さは天性のものかも。制服を着たからウソも巧くなるってもんじゃないだろうし。見ている方は、いつバレるかと冷や冷やもの。特に、ヘロルトが脱走したとき追い掛けてきていたのがアレクサンダー・フェーリング演ずる将校ユンカーなんだけど、このユンカーと、ニセ大尉ヘロルトが顔を合わせ、同じ車に乗り合わせるシーンがある。ユンカーがヘロルトの顔をマジマジと見て「前にどこかで会ったな」と言うところなどは緊迫感MAX。ヘロルトはしどろもどろになることなく適当に答えてその場をしのぎ、結局ユンカーはヘロルトが誰だったか思い出さずに去って行くのだけど。

 調子づいたヘロルトは、遂に、同志であるドイツ兵を大量に虐殺した後、ベルリンに戻ってやりたい放題しているところを見つかって捕えられる。

 本作はナチ映画だけど、ナチス内部での虐殺を描いているところが、他のナチ映画と異なる。というか、こういう題材のナチ映画って、あまりお目に掛かったことがないような。ドイツ軍内部でも様々に対立があったのは知られているし、ヒトラー暗殺の企ても多かったと聞いているから、内部抗争はイロイロあったと想像するけど、ここまでエグい虐殺があったというのも正直ショッキングだった。

 実在したヘロルトについては、本作の公式HPに結構詳しく説明がされているし、wikiにも載っているので、ご興味のある方はそちらを読まれることをオススメします。


◆人間だもの。

 この映画でおかしいのは、ヘロルトが制服以外に何ら身分を証明できるものを示さない(示せない)のに、(前述した一部の者を除き)誰もがヘロルトが大尉であると信じ込んでしまうことだ。ヘロルトがあまりに堂々としていることや、簡単にヒトラーの名を口にすることで、よほど偉い将校だと相手に思い込ませてしまう。

 これって、今、社会問題になっているオレオレ詐欺と、人間心理としては同じなのかなという気がした。人間は、どうしても合理的にモノを考えようとする生き物だと思うから、Aという事象とBという事象が、冷静に考えればつながるはずがなくても、特異な場面に置かれているときは脳内でムリヤリAとBを結びつける合理的な理由を探して自分を納得させる、ということをしているのだと思う。だからこそ、詐欺は古今東西横行し、永久不滅な犯罪なのではないか。騙す方が巧いのもあるかも知れないが、人間の心理の働きが、そもそも“騙されやすい”ように出来ているのではないか。

 ヒトラーが独裁者になれたのだって、結局、詐欺みたいなもんで、みんな脳内で都合良く物事を解釈しているうちに、現実がおかしな方向へ行っていた、、、ということだと思うのだよね。詐欺の被害者のほとんどは「自分だけは騙されないと思っていた」と言うそうだが、つまりはそういうことだ。自分は騙されやすいのだ、と思っていた方が良いということ。“人を見たら泥棒と思え”とは世知辛いかも知れないが、それくらい“とりあえず疑え”というのは大事なことかも知れぬ。

 もっと厄介なのは、おかしいと思いながらも、敢えてそれに乗っかることで身の安全を図ろうとする者もいるってこと。本作でも、ヘロルトの気の狂った虐殺行為に、安易に加担してしまう者たちが大勢いる。戦時下だから、、、ってのとはちょっと違うような気がする。これは、イジメの構造と同じだろう。自分もイジメる側にいないとイジメられるから、、、ってやつ。ヤるかヤられるか、の場面で、どれだけ正義に基づいた行動ができるのか。

 騙されやすく、流されやすい、、、。それが人間の本質なのだ。本作が描いているのは、そういうことだと思う。

 “ヘロルトは特異な人間”と安易に断じるのは、その時点で既に、騙されているのかも。脳内で都合良く解釈して納得している、、、のだから。

 







途中からかなりエグい描写の連続です。




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沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇(1995年)

2017-09-19 | 【ち】



 ソフィ(サンドリーヌ・ボネール)は、街外れの邸宅に住むルリエーブル家に住み込みの家政婦として雇われる。

 ルリエーブル家は、夫妻は再婚で、主のジョルジュ(ジャン=ピエール・カッセル)は娘のメリンダ(ヴィルジニー・ルドワイヤン)を、妻のカトリーヌ(ジャクリーン・ビセット)は息子のジルをそれぞれ連れてのステップファミリーだが、4人の仲はそれぞれ良く、ソフィにも節度ある雇い主一家であった。

 ソフィは、家政婦として家事は完璧だが、誰にも言えない“秘密”を抱えており、この秘密がバレないようにありとあらゆる策を講じるのであった。しかし、それが元で主のジョルジュと次第に関係が悪くなっていく。

 そんなソフィと唯一親しくなったのが、街の郵便局に勤めるジャンヌ(イザベル・ユペール)。ジャンヌにはよからぬ噂があり、ジョルジュは彼女を毛嫌いしていたため、ソフィと親しくしているのを知り、さらに2人の間の空気は悪化する。一方のジャンヌも、ルリエーブル家に対し、裕福さへの羨望が高じた嫉妬と憎悪を抱いていた。

 だが、ある日、ソフィが死んでも知られたくない秘密をメリンダに見破られる。メリンダに悪意はなかったのだが、ソフィは、メリンダの秘密を盾に脅迫行為に出たことで、ジョルジュの怒りを買い、解雇を言い渡される。これを機に、ソフィとジャンヌの行動は常軌を逸していくのであった、、、。 

    
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 『エル ELLE』を見て、ユペール作品を見てみたくなりまして、、、。前から興味のあった本作を見ることに。シャブロル監督作って、、、うーむ、という感じで期待値低めだったんだけど、これは面白かった!


◆ソフィの秘密の正体は、、、

 上記のあらすじで書いた“秘密”とは、“文字が読めない”こと。作中では、メリンダが「難読症なの?」と聞いており、いわゆる教育を受けていないことによる文盲ではなく、障害の1つとして描かれている様子。

 ソフィがこの秘密を隠す様が、もうそれはそれは涙ぐましいというか、痛々しいというか、、、。そこまでして隠さねばならないことなのか? と、見ている方としては他人事なので思うけれど、『愛を読むひと』のハンナも、命と引き換えに字が読めないことを隠し通したことを考えると、これは本人にとってはよほどのことなのだろうと、本作を見て感じた次第。ハンナの、秘密を守り通す言動と、ソフィのそれには非常に相似点が多い。

 ハリウッドスターなどが、自身がこの障害を持っていることを公表しているが、それは、彼らだからこそでき、またする意味があることなのだろうが、なかなか一般市民として生きる者にとっては公にすることに相当の勇気を要するものだということを、よく認識した方が良さそうだということを学んだ気がする。

 そういう前提で見なければ、ソフィの終盤に掛けての行動は全く唐突すぎて理解不能なものになってしまう。しかし、ハンナと同様、命がけで守るべき秘密であるものならば、あの行動は、当然の成り行きとも言える。それでソフィへの同情を抱くこともないし、ソフィの行動が正当化できるものではないけれど、ソフィにとってはそれが正義であったことは理解できると思う。


◆ジャンヌとソフィ、運命の出会い

 こんなに笑顔の多いユペールを1つの作品の中で見るのは初めてかも。しかも、下品な笑い。とにかく、ユペール演じるジャンヌは、どう見てもワケアリの下品な女。

 彼女のよからぬ噂ってのは、実の娘を殺したんじゃないか、、、という疑惑が持たれていること。裁判で無罪になったけれども、ソフィに話したその経緯を聞くと、耳を疑うようなもの。

 「買い物から家に帰って、真っ暗な部屋の入り口で何かにつまずいた。怖くなって蹴飛ばした。暖炉に火が付いていて、買ってきたものを棚に入れたりした後、気付いたら、娘の顔が暖炉に。慌てて娘を抱き上げたら顔が黒焦げだった、、、、」

 ……つまずいて蹴飛ばしたって、4歳の子につまずいたら、瞬時に分かりそうなもんだけど。しかも、蹴飛ばした後に、買ってきたものを棚に入れたりしている、、、。こんなこと言う中年女、かなりヤバいでしょ、フツーに考えて。こりゃ、殺したんじゃないか、と思われるわね、そりゃ。私も、限りなくクロだという印象を受けた。

 でも、実は、ソフィにも怪しい過去があったのよね。介護していた病身の実父を火災で亡くしているんだけど、この火災、放火なんだって。ソフィは外出中で犯人から外れたけど、こちらも限りないクロ。ジャンヌに「殺したの?」と聞かれたソフィは「証拠はない」と答えているんだから、、、。

 この2人は、出会うべくして出会ったとも言える。互いの共通する匂いを嗅ぎ分けて、意気投合したということだろう。

 本作の解説やレビューをいくつか見たところ、この2人が出会ってしまったからこそ、本作のタイトルにもある“惨劇”は起きたということが書かれていたが、果たしてそうだろうか、、、?

 そうかも知れないが、私は、ソフィはジャンヌがいなくても、惨劇=ルリエーブル一家皆殺しを起こしていたんじゃないかという気がしている。ただ、ジャンヌがいたことでそれが容易になったことは間違いないだろうけど。何しろ、ソフィは、秘密を一家に知られているのだ。これが、仮にジャンヌに知られたとしたら、恐らくジャンヌにも殺意を向けたんじゃないだろうかと思うのだが、どうだろうか、、、。


◆ルリエーブル家は、本当に“善意”の人たちか?

 また、いくつかの解説やレビューには、ルリエーブル家のことを“善意の”人たちと書いていたが、果たしてそうだろうか?

 確かに、一見、この一家は善意の人たちに見える。ソフィが車の免許を持っていないといえば「取れば良い、費用はウチが持つ」と言い、またソフィが目が悪いと言えば「眼鏡を買えば良い。費用はこちらで持つ」と言って、眼科に送っていくなど、、、ソフィには概ね親切なのだ。

 厄介なのは、この“一見善意の人に見える”ということだ。よくよく考えると、ソフィが免許を持っていないから取れ、と勧めるのは、その方が自分たちにとって都合が良いからであり、免許を取るためには眼鏡が必要だから買えと言っているのである。何より、ソフィが免許を持っているかいないかを、この一家は、食後のリビングで大声で推測しながら話し合っており、それはソフィが夕食の後片付けをしているキッチンまで丸聞こえなのである。つまり、ソフィに聞こえたら失礼だという意識がまるでない。

 また、作品冒頭で、家政婦の呼び方について、カトリーヌとジルが「女中」と言っているところを、メリンダが「それは差別的だ」とたしなめ、「家政婦さんは?」と提案する。ジョルジュは一旦「名前で呼べば?」と言うものの結局「メイドで良いだろう」などと言っている。この会話は、一見、メリンダの意識が先進的なもので良いことのように見えるが、この家族の根底にある意識が浮き彫りになっている意地悪なシーンだと思う。この一家は、これから来ることになるソフィを「ソフィ」と名前で呼ぶ意識が最初からない。つまり、一人の人間として見ているのではなく、あくまでも自分たちの生活の中で面倒なことをさせるための人、として徹頭徹尾扱っているのである。

 まあ、コレは別に、ルリエーブル家に限ったことではなく、家政婦を雇うような階層の家庭にとっては、ごくごく普通のことだろう。

 そして、ジョルジュとジルの男たちは「美人? こないだのデブとは違う?」「男が美しい女を求めるのは自然の摂理だ」とかいって、そこにメリンダがジルに「童貞を捧げる?」などと返すという、非常にふざけた会話に及ぶ。こういう階層の人々にとって、本音ベースでは家政婦ごときの人格は無視なのである。

 こういう意識が根底にある一家の“善意”は、それを向けられる者には、“偽善”であることが一瞬で分かるのである。

 そして、本作は、ルリエーブル家の人々の言動の端々に偽善が溢れていることを、徹底的に描いていると思う。ここに、偽善を読み取るか否かは、ハッキリ言って見る側の意識によって変わってくると思う。偽善を全く読み取らない人は、きっと根っからの“善い人”なんだと思う。が、私のような屈折した人間には、ルリエーブル家は選民意識を無自覚に持った、偽善臭漂う厄介な人々に見えてしまうのである。

 ソフィには、彼らの一言一言が、上から目線に感じたことだろう。そして、それがますますジャンヌとの距離を縮めることにつながったのだと思う。惨劇は、ある意味、起きるべくして起きたのだ。


◆その他もろもろ

 本作は、タイトルがネタバレであり、つまり、サスペンスにカテゴライズされているが、惨劇が起きるまでの経緯を事細かに見せているのが特徴だ。しかも、説明的ではなく、惨劇に至るまでの登場人物たちの心理劇を描いている。

 ジャンヌとソフィが、教会の慈善活動で、リサイクル品を回収するシーンが面白い。中には、リサイクルなど到底できないようなゴミ同然のものを出す者がおり、ジャンヌはそれを“偽善”と見抜いて暴く。ゴミ同然のモノは、その場でより分け、出品者に突き返すのだ。しかし、教会はそんなジャンヌたちを許さない。なぜなら、許せばそれが偽善であることを教会自身が認めることになるからだ。

 こういう、意地の悪い、しかし、一見ただのジャンヌの粗忽者ぶりを描いただけのようなシーンがあちこちに挟まれ、本作がより面白いものになっている。

 その一番の貢献者は、やはり、イザベル・ユペールだろう。サンドリーヌ・ボネールも素晴らしいが、ユペールの下品さ、捻くれた性格を表わす演技が嘆息モノ。よくぞここまで嫌らしい女を演じられるものである。さすが、ユペール。数々の賞を獲ったのも納得。

 ルリエーブル家の主ジョルジュを演じた ジャン=ピエール・カッセル、息子のヴァンサン・カッセルとあんまし似ていないような気がしたんだけど、、、。私は、息子よりお父さんの方が好きだわ~。カトリーヌのジャクリーン・ビセットも色っぽくて素敵。

 ジャンヌが、森で茸を採って、それを料理してソフィと食べるシーンが好きだなぁ。茸が美味しそうだし、ジャンヌのパンのちぎり方とか、実にジャンヌのキャラをよく表わしていて、なんとなく笑える。あと、リサイクル品を回収しているときの、ジャンヌのスカートが風に捲られて、ジャンヌのパンツ丸出しの姿とか、、、まあ、とにかく、シャブロル監督の演出がいたるところで実に冴えている逸品です。
 

 






ソフィはあの後どうなるのだろうか、、、。




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沈黙の官能(1976年)

2016-01-25 | 【ち】



 19世紀のローマ。フェラモンティ家は、家長の父親が吝嗇に励んで貯め込んだ甲斐あってかローマでも結構な金持ちになったのだが、2人の息子と1人の娘とは非常に折り合いが悪く、そこを、虎視眈々と金を得て成り上がることを狙っていた美女につけ込まれ、一家は崩壊に追い込まれる。

 そうして、美女は当初の目論見通り、フェラモンティ家の全財産を得ることになるのだが、、、。

 ドミニク・サンダ28歳の時の作品。美しいなぁ~~。、、、にしても、この邦題は何なのかねぇ。
  

  
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 もちろん、美女がドミニク・サンダ演じるイレーネです。先日の『サンローラン』が衝撃的だったんで、ちょっと、口直し、というか目直ししようと思って見ました。

 話としてはどーってことない話です。イレーネにフェラモンティ家の男どもは全員骨抜きにされ、結果的に、財産も全部持って行かれそうになったところへ、ただ一人の娘テータがその夫パオロとともに一発逆転、裁判で勝ち、テータ夫妻が全財産の相続人と認められる、というオチ。

 二男のピッポと結婚しながら、長男マリオとも関係し、挙句、父親のグレゴリオとも、、、。それもこれも全て、この家の財産をいただくためよ、ってことです。よーやるわ、、、と、関心というより呆れて開いた口が塞がらない、という感じ。まあでも、ピッポよりマリオの方がイケメンで、マリオと浮気するのはまだ分かる。いくら金が欲しいからって、老人の父親と、、、うぅ、、、。

 とはいえ、世の中、こういう女性も確かにいるでしょうし、別にそういう生き方ももちろんアリだと思います。私も、母親にしたくもない見合いを無理矢理させられていた頃、こんなことが続くのなら、いっそ出家して尼になるか、棺桶に首まで入っている死にそうな大金持ちの爺さんとペーパー結婚するか、どっちかしかもう生きる道はないかも、、、などと真剣に考えたものです。今思えば、なぜ「大金持ちの爺さん」でなきゃならんのか自分でも分からないのですが。わざわざ死にそうな貧乏爺さんとペーパー婚する意味なんかない、という発想でしょうね、多分。

 だから、イレーネのような生き方を、積極的に非難する気にはなれないのですが、ただ、本当に爺さんとセックスしちゃうのが、やっぱし信じられんのですね、オバハンになった今の私でも。、、、だったら、そこまでお金なくてもピッポと2人で楽しく生活した方がよっぽど良いわ! と思っちゃう私は、所詮、成り上がる器じゃない、ってことですな。

 本作を見て思ったんですが、ドミニク・サンダって、女優として演技力という点から見てどーなんでしょうか? 私は、正直、イマイチな気がしました。その現実離れした美しさで周囲を色んな意味で圧倒しているから、何となく見れてしまうけれど、どうもこう、、、日本で言うと、吉永小百合的な感じがしちゃいました。

 終盤、マリオに本音を吐いて罵倒するシーンがあるんですけど、あんまし迫力ないんですよね。あそこは見せ場の一つだと思うんですが。笑顔のシーンもちょっとありますけれど、全般に表情が同じで能面みたいな感じ。

 ファム・ファタールと言ってもイロイロで、イレーネは一見美しく可憐だけど見る人が見ればバレバレの性悪女で、そうと分かっていても騙される、というキャラだと思うんですが、イレーネを演じているドミニク・サンダはもう、どう見ても男を惑わす性悪女の面構えで、二面性というのがあまり感じられない。これって私が女だからそう見えるのかな? 男性には彼女が一見上品で可憐に見えるのか? いえ、決して彼女が品がないとか下品とかは思わないんですよ。ただ、品があるとも知性美があるとも見えないだけで。

 実はこれを感じたのは本作が初めてではなく『暗殺の森』でもちょっとそう思ったのでした。あの作品の方が、本作よりよほど難しかったと思いますけれども。

 でも、この作品で彼女はカンヌの女優賞を獲っているみたいなんですよね~。まあ、脱ぎっぷりは小百合さんなどお呼びでないくらい大胆だし、悪女の雰囲気は十分出ていましたが、それはだから、彼女にもともと備わっている雰囲気だと思うのですよね、私は。『やさしい女』でも、彼女の演じたのはやはり悪女だったと思うし。悪女を地で演じられるんでしょうね。小百合さんにそもそも悪女はムリでしょう。

 まあ、他の作品も見てみないとね。見ればまた見方も変わるかもだし。





悪女の条件=絶世の美女であること




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築城せよ!(2009年)

2015-11-20 | 【ち】



 21世紀の愛知県豊田市猿投町に、なぜか武将たち3人が突如現れる。彼らは、遡ること400年前の戦国時代、猿投城を築いている途中に無念の死を遂げた武将たちの怨霊が、現代人の体を借りて現れたのだった。

 殿様・恩大寺隼人将は、うだつの上がらない町役場の役人・石崎祐一(片岡愛之助2役)に、恩大寺の家臣・猿渡勘鉄斎は大工・井原勘助(阿藤快2役)に、家来・権太夫はホームレス(?)の男・ゴンに、それぞれ憑依した。しかし、彼らには時間がない。すると、殿はゴンが段ボールハウスで暮らしているのを目にし、「何じゃこれは!」と段ボールに目を付ける。そして、段ボールで城を作ることを思い付く。

 かくして、現代に生きる猿投町民を巻き込んでの築城が始まるのであった、、、ごーん。
 
 
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 大分前に、ネットで本作の存在を知り、げげっ!! となりました。なぜって、猿投は、私が大昔の一時期を過ごした隣町だったのでございます。猿投温泉が舞台と聞き、しかも戦国武将が出てくるとなれば、そりゃぁ、あーた、きっと猿投山も、猿投神社も出てくるだろう! こりゃ、見なくっちゃ、と思ったものの、まぁ、正直見るのが怖かった、ってのもありまして長らくレンタルリストの下位に沈ませていたのでございました。

 まずは、ガッカリした点を。

その1:猿投山も猿投神社も出てこないじゃん、、、ガックシ
 いやぁ、これはかなりガックシ度が高いです。正確には知らないのですが、猿投神社は日本武尊の双子の兄だかが祀られている、それなりの神社ですし、猿投山はその日本武尊の双子の兄だかが葬られた山だそうで、地元ではどちらも結構崇められていたのです。あの辺りの人々は、初詣と言えば猿投神社、遠足と言えば猿投山、みたいに、とてもとても土着のものなのに、それが本作ではかすってもいないってのは、ちょっとねぇ、、、。戦国時代なら、もうどちらもあったわけで、現代人よりはよほどその存在は大きかったはずなのに。城からの眺めをCGにするんなら、猿投山を入れないでどーするよ、、、と言いたい。もうちょっと地元の地理を研究していただきたかったですねぇ、、、。

その2:三河弁がほとんど出てこないんですけど!!!
 こりゃ、ガッカリいうより怒りだわ。猿投で生まれて育った殿さまが、家来まで、何で標準語喋っとんの? たわけぇ~。ウソ演ったらかんわ。馬場町長も、猿投の人間でしょう? ぜーんぜん三河弁話しとらんがや。おかしいでかんわ。愛工大の学生も、何気取っとるの、標準語なんか喋ってまって。ちゃんと三河弁でやらなかんじゃん!! ぜーんぜんリアリティなんありゃせんわ!!!

その3:あの猿投玉って何?
 私には柿に見えたんですけれども、あの辺の名産品として、あまり柿は順位は高くないと思うのですが、、、。梨か桃なら分かるんですけど。何で柿なんでしょーか? 、、、謎。

 ……というわけで、いきなり文句を並べ立てましたが、映画としては、結構面白かったですよ。ヘタにその場所をよく知っているもんだから、つい文句が言いたくなるだけで、知らなければ上記3つのことはゼンゼン気にならないことです。

 過疎の村という設定ですが、過疎っていうほど過疎じゃないと思いますけれど、、、。まあ、私は、もう少なくとも10年は足を踏み入れていない地なので、今現在の状況は分かりませんが、本作の制作年は2009年でしょ? 私が知っているのは2005年くらいまでなんで、4年後にいきなり過疎になっているとは思えないんですよねぇ、、、。

 なぜなら、あそこは「豊田市」だからです。そう、企業城下町。トヨタのおかげで豊田市は超お金持ちなんですよ。だから、過疎で困っている、というのはあり得ない、、、と思うんですけれど。確かに、高齢化は進んでいるでしょう。しかし、それは猿投だけの問題じゃありませんからねぇ。“ド”のつく田舎であることは間違いないですが、あの辺一帯は(トヨタ)車社会。田舎だろうが、ド田舎だろうが、ゼンゼン問題ないのですよ。

 ……と、またまた地元のリアルな話をしてしまいました、、、。

 本作の成功(?)のポイントは、殿に愛之助さんを起用したことですね。昨今お騒がせの君ですが、さすが歌舞伎役者、殿に憑依されてからの演技は堂に入っていました。「築城せよ~~!」と軍配を掲げたシーンは、素晴らしかったです。本物のトノに見えましたもん。段ボールに目を付け、近隣に段ボール探しに殿自ら行くのですが、ある場所で山積みの段ボールを見つけた殿のセリフ「このダンボ、どれくらい集められる」(だったかな、正確じゃありません)の、「ダンボ」が笑えました。愛之助氏が大真面目に言っているのが余計に可笑しい。

 そして、脇を芸達者が固めたのも良かったです。敵役の馬場は江守徹さんでなかなかピッタリ。彼、お歳のせいでしょうか、ちょっと滑舌悪いです。今の大河ドラマでも感じますので、多分、さしもの江守氏も寄る年波には勝てぬ、ということでしょうか。それはそれで味わいがありますが、かつての姿を知っているとつい比べてしまって寂しいです。

 さらに、阿藤快さんです、、、。本作を見た翌日に急死されてしまい、ものすごく驚きました。つい最近も、「下町ロケット」に出ていたし、確かちょっと前には「ケータイ大喜利」にも出ていたような。本作でも、アクの強い家臣を大真面目に演じていらっしゃいました。悪役が上手い役者は素晴らしいと常々思っているんですが、阿藤さんは悪役がよく似合って、でも善人演じたら本当に善人に見えて、、、惜しい人がいなくなってしまわれました。

 あと、ストーリー的にも、なかなかよく出来ていると思います。馬場町長も、ちゃんとご先祖が殿とつながりがあったり、建築史が専門の大学教授を戦国時代の人間と現代人をつなぐ存在にしていたり、、、上手いなぁと思います。

 何より段ボールで、本当に城を作ったってんですから、凄いです。メイキングも見ましたけど、かなり大変だったようで。そらそーだよなぁ。

 まあ、そこかしこで低予算作品というのは隠せませんけれども、アイデア次第で面白い映画は作れるんだ、ということを実践して見せてくれた意欲作だと思います。もう少し、地元をよく知る人間も納得できる、猿投の描き方をしてくれていれば、あと2つくらいを献上したのですが、、、。





“猿投”は足助と並んで愛知県でも田舎の代名詞です。
でも良いところよ




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チャイルド44 森に消えた子供たち(2015年)

2015-07-18 | 【ち】



 スターリン政権下のソ連、孤児のレオは大人になり、秘密警察MGBの捜査官(トム・ハーディ)というエリートになっていた。ある日、レオの親友の子ども(男児)が線路脇で遺体で発見される。「殺人は資本主義の弊害。楽園(ソ連のこと)にこの種の犯罪は存在しない」という当局の公式見解により、その一件は事故死扱いされるが、親友は「これは殺人だ!」とレオに訴える。親友の話を聞き、レオの中でも疑問が生じ、捜査に着手する。

 しかし、そんなある日、レオの妻ライーザにスパイ容疑がかかる・・・。レオは妻をかばい、僻地への左遷に甘んじる。が、その左遷先で、また男児殺害事件に遭遇し、いよいよレオは真実を求めて動き出す。そして、同時に当局に追い詰められて行く、、、。

 終始、薄暗い画面で、話の内容も実に暗いが、最後まで目が離せない展開。

 
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 原作は読んでおりません。予備知識もあんまりなく見に行きましたが、なかなか面白かったです。タイトルの44人の連続殺害事件を当て込んで見に行くと、肩すかしを喰らうでしょう。本作は、そこがメインフォーカスではありませんでした。

 では、何を描いている映画なのか。メインフォーカスその1は、夫婦愛でしょう。そして、その2はスターリン時代というまさにその時代。その3、その4はなくて、その5くらいに連続殺人事件の真相、といったところでしょうか。

 本作は、ソ連が舞台なのにセリフは全部英語なんですが、まあ、それはよくあることなんで目を瞑るとして、役者さんたちの喋る英語が揃いも揃って「ロシア語っぽい英語」なのです。ちょっと英語か何語か分からないところも多々あります。どうやらこれは、ソ連の話だからってことで、こういう演出にしたらしいのですが、英語圏ではこれがもの凄い不評だったらしいです。そらそーだよなぁ。日本語ネイティブの人間が、日本語を中国語っぽく話してたら、バカっぽく見えるもんなぁ。この演出は、ものすごーく疑問です。トム・ハーディがなんかへんちくりんな英語をボソボソ喋るシーンが一杯あるんだけど、とてもヘンでした。

 そういう余計な演出が鼻にはついたけれども、その他は概ねとてもよく出来ている作品だと思います。何より、レオとライーザという夫婦が実によく描けています。一旦は破綻しかけた夫婦だけれど、夫の真の愛情を見せつけられた妻は、夫とともに危機を乗り越える道を選びます。この流れが、見ている者にもとても説得力があり、感動的です。

 レオは、ちょっと粗野な男だけれど、根は優しく器も大きなイイ男です。トム・ハーディはこの役のためにかなり体重増やしたんですかねぇ。顔が変わって見えました。本来イケメンのはずなんですが、、、。ロシアつながりで、ちょっとヒョードルっぽいなぁと思っちゃいましたが。でも、やはりところどころケヴィン・コスナー似の表情も見られ、おぉ、やっぱしトム・ハーディなんだ、と再認識しました。レオにはハマリ役だったのではないでしょうか。夫がこれほどまでに命懸けで自分を守ってくれる男だと見せつけられたら、妻の心が動かないはずありませんわ。もともと、心底嫌ってたんでなければ、惚れちゃうでしょ、そりゃ。

 そして、何といっても、これでもかと徹頭徹尾、悪し様に描かれるスターリン時代のソ連というお国。もう、“親の仇”みたいに容赦がないのです。しかも、大飢饉が起こっていたという、、、。実際にこんなだったのか、これよりひどかったのかは分からないけど、もうとにかく、こんな社会に生まれてきただけで不幸としか言いようがない描かれ様です。これじゃ、ロシアが本作を上映中止にするのも納得です。

 でもでも、パンフを見ると、これらの描写はあながち過剰なデフォルメではなさそうだってんだから、それの方が怖い。今のロシアも相当な独裁国家に見えるんだけど、多少はあの頃よりはマシなんでしょうか。指導者にカリスマ性や、即決性や、明解さを求めると、その成れの果ては、こうなのだと言われているみたいで、背筋がゾッとなりました。

 で、タイトルにもなった、44人の連続殺人事件ですが、真相はというと、知ってしまえば割とあっけないものです。が、ここがクセモノというか、この犯人は医師であり、軍医として国家に貢献したにもかかわらず、あらぬ疑いを掛けられ不遇に追いやられた挙句の犯行ということらしい。そして、大飢饉という背景と、被害者の内臓が切り取られていたことから、この辺は見る人の解釈によるけど、カニバリを想像させます。

 自由のない社会、慢性的な食糧不足、人権蹂躙が当たり前の日々、、、こんな国に生まれたいですか? 私だったら、多分、結婚しても子ども作りませんね。まあ、子ども産まないと、それだけで犯罪者扱いされるんでしょうけれど、こういう国では。でも、我が子をそんな世界に送り出す方がもっとイヤです。

 それにしても、ヴァンサン・カッセル、いつのまにこんなに歳とっちゃったんでしょう。なんか、水分が抜けちゃったみたいな風貌で、少なからずショック。別に好きでも何でもないですが。モニカ・ヴェルッチとの離婚が堪えたんでしょうか。・・・あと、レオを執拗に嫌らしく追い詰める元レオの部下であるワシーリーを演じていたジョエル・キナマンがなかなかイイ感じでした。インテリ系のサイコパスとか演じさせたらハマりそう。・・・そうそう、ゲイリー・オールドマンも相変わらず存在感あるイイ味出していました。が、なんというか、本作に限ってですが、どことなくスターリンに似ているように思えたのですが、、、。気のせいかしら。

 というわけで、原作が「このミス」に選ばれたからってんで、ミステリー映画とかサスペンス映画を期待していくと、多分ガッカリします。これは、飽くまでヒューマニズム映画です。ラストが甘いのがちょっと、、、ですけれども、エンタメとしてもなかなか良いのではないでしょうか。






夫婦愛を描いた映画ですよ。




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チョコレートドーナツ(2012年)

2015-04-30 | 【ち】



 ゲイバーでショーダンサーとして生活しているルディと、地方検事のポールが、ルディの店で出会い、速攻デキちゃう。このカップル、ルディの隣に住んでいるダウン症の男の子マルコを、薬中のその母親が逮捕されたことを機に、保護・監督することに。

 しかし、当時、まだまだ同性愛に世間の偏見が激しかったことから、二人は、ゲイカップルであることを隠し「いとこ同士」としてマルコの保護者となったのだった。案の定、これがアダになるのだが、、、。

 前半のおバカなノリが一転、後半は、心を掻き毟られる法廷劇が展開される。

 そして、思わぬ結末に呆然。

 実話ベースらしいけど、本作の話自体はかなり作られたもののよう。でも、こういう類のハナシは現実には一杯あるのだろうな、と思わせられる作品。


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 基本的に、私は障がい者モノがダメなんで、積極的に見ないのですが、本作は、長々と劇場公開されていてしばしば新聞でも広告が載っていたのと、なんとなくですが、あんまし見るからにダメっぽい感じがしなかったので、DVD鑑賞してみることにしました。

 まあ、ゲイカップルが、障がいのある男の子の保護・監督権を得るために、なりふり構わず闘う訳ですが、、、。世間はそんなに甘くなかった、、、。

 ストーリーの詳細は、別のサイトにお任せするとして、これ『ゴーン・ベイビー・ゴーン』と似ています。そして、もの凄く不条理な結末も同じ。こういう話を見聞きすると、法律って、ゼンゼン人に優しくない、心が通っていない、とつくづく思います。

 仕事柄、法律に多少は関わることがあるんだけれども、なんつーか、木で鼻を括ったような判例って、結構あるんですよ。はぁ~~~? みたいな。判事さんよぉ、アンタ、本当にちゃんと当事者たちの話聞いてんの? みたいな。これじゃ、敗訴した側はハラワタ煮えくり返るだろうな、と。そら、法治国家ですけれども、解釈の仕方でいくらでも法律なんて現実的に運用できるでしょーが、と突っ込みたくなるような(もちろん、人の心にかなり寄り添った判例もありますけどね)。

 本作でも、一審の判事はルディとポールが愛情あふれる保護者であると認識しながら、当時の社会風潮を重視した理由で決定を下しています。法律以前の話だよなぁ、これって。

 ゲイカップルが何でここまでマルコに拘るのかが分からない、という批判を結構目にしたけれど、私は、そこはゼンゼン違和感なかったなぁ。なんか、理屈でなく、どうしてもそうしたい!! と思うことって、人生に一度や二度くらいあっても不思議じゃないでしょ。それが赤の他人の子どもを保護することだとしても、何かその子に感じるものがあった、この子をどうしても手放したくないと思う本能的な感じがあった、と、私はすんなり思えちゃいました。

 男と女のマジョリティの夫婦が、不妊だから養子をとる、っていうのは世間に普通に受け入れられて、ゲイカップルが直感的にこの子を守りたい! と思ってその子の養育に拘るのに、まっとうな理由が必要ってのは、それこそもう、差別そのものという気がするんですが、、、。

 もちろん、人一人、養育するには大変な責任が伴うので、軽い話ではないけれど、そういう意味では、マルコを手放したくないというルディの気持ちに、最初からすんなり寄り添えるポールがスゴイと、私は思っちゃいました。私ならかなり躊躇すると思うので。ポールも、本当に献身的にルディの気持ちを支えるのです。

 あと、マイノリティが「完全善」に描かれている、という批判もちらほら見ました。そーですかねぇ、、、。善悪という色分けは、本作はしていないと思いましたが。差別=悪、とすれば、そら、ゲイカップルに保護・監督権を認めない、あるいは妨害した人々は悪ってことになるでしょう。でも、ゲイカップルも決して善じゃないでしょ。そもそも、マルコの保護・監督権を取得するとき、二人はゲイカップルであることを隠して「いとこ同士」と偽っているのですからね。偽証です。

 私が、障がい者モノがダメという理由も、まあ、上記の批判と被るんですが、誤解を恐れずに書くと、「障がい者=純粋で可哀想な人」みたいな描かれ方をしているからイヤなんだと思います。健常者が当たり前にできることを障がい者ができるようになっただけで、感涙ドラマに仕立て上げる、、、こういう思考回路がね。「感動の!!」とかキャッチフレーズを付けて。もちろん、障がい者の人は、健常者よりはるかに努力したり訓練したりしなければならないことは多々あるでしょう。でも、それを健常者が見て、素晴らしい素晴らしいと滂沱の涙とともに喝采を送るのは、かなり「見世物」的な感じがするのです。その最たるもんは「24時間テレビ」ね。あれこそ偽善臭で失神しそうだゼ。

 まあ、本作も「感動の」だの「涙の」だのの宣伝文句は使っていたと記憶しています。これは配給会社のセンスの悪さですね。でも、作中では、そういった善悪という単純な物差しは感じられませんでした、私には。

 そもそも、あらゆる偏見を全く持たない人って存在するんでしょーか。そんな人、地球上に多分いないでしょう。だから、本作でもゲイカップルが直面する偏見の分厚い壁を、「これが現実」って描いていただけだと思います。

 本作の原題は“Any day now”で、これが、セリフでも出てきます。被差別側が、差別を「今すぐにでも」克服したい、ということですかね。ラストでルディが熱唱する歌の歌詞のワンフレーズです。

 ルディを演じるアラン・カミング、ちょっと髭が濃いけど、イイ味出していました。実生活でも彼はバイセクシャルだそーです。ポール役のギャレット・ディラハントが素晴らしい。社会的ステイタスのある地方検事という職業柄、カミングアウトを躊躇し、世間体を気にして、色々と苦悩する姿を実に巧みに演じていたと思います。二人のラブシーンでエグイのがなかったのもgoo!

 ちなみに、邦題は、マルコの大好物がチョコレートドーナツだから、ってことみたい。かなりイマイチ、、、



子どもの幸せって何なんでしょう?




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チャイナタウン(1974年)

2015-02-26 | 【ち】



 元警察官で、今は探偵事務所を開いているギテス(ジャック・ニコルソン)は、ある女性から夫の浮気調査を頼まれる。難なく依頼に応える仕事をしたギテスだが、浮気現場を写した写真が、なぜか新聞一面を飾ったことから、自分が嵌められたことを知る。

 真相を探り始めたギテスは、思わぬ巨悪の存在を知り、その泥沼から這い出そうとしている美しい未亡人イヴリン(フェイ・ダナウェイ)を救おうとするが・・・。

 ポランスキーが手掛けたハードボイルド作品。 

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 書き記すことが一杯あって、何から書けば良いのやら。

 まずは、ジャック・ニコルソンですね。若くて、かなりのイイ男です。それも、どこか胡散臭さのする、、、。役どころが私立探偵だから、ってだけじゃなく、彼は絶対的にアッパークラス的なインテリ風イイ男ではないです。どこか野卑た、、、しかし、不思議と下品でないのです。これは、美貌を誇りながら下品さが滲み出てしまってどうしようもないアラン・ドロンとは、ある種、対極にあります。ジャック・ニコルソン、この時、37歳ですかね。いやぁ、、、37歳でこの仕事。スゴイ、としか言いようがありません。

 主役について書いたので、流れ的には、やはりお相手、フェイ・ダナウェイでしょうか。彼女は、逆に、翳のある上品な女性が似合いますねぇ。イヴリン、ぴったりです。線状の眉毛が印象的。

 でもって、監督のポランスキーです。今回、本作を見たのは、ポランスキー作品をできるだけ見ようと思ったからですが、何の予備知識もなく見たせいか、こんなんも撮るんだ、この人は、、、と、半ば口あんぐり状態でした。『戦場のピアニスト』撮った人と同一人物ですよ? 『ローズマリーの赤ちゃん』撮った人でもあるんですよ? そして、『毛皮のヴィーナス』も、、、。なんちゅう守備範囲の広さ。作風というか、作品に流れる雰囲気も、全部バラバラ。大抵、同じ監督の作品って、どこか通じるものがあるでしょ? でも、この作品たちにそういうものはないと思うんだよなぁ。すごいわ、この人、やっぱり。

  というわけで、名作の誉れ高い本作、ハードボイルドの雰囲気を堪能させていただきました。一言で言うと、「セクシーな映画」ですね。

 ただ、かなり話は複雑で、ちゃんと頭働かせながら見ていないと分からない作品ですよね。水の利権が絡む、トンデモ爺ぃとの対決、という思わぬ展開に目が離せませんでした。

 なので、都合、2回見たんですよ。そしたら、イロイロと疑問が、、、。

疑問① 夫の浮気写真が新聞に出た時、イヴリンは、なぜギテスを告訴したのか?
 だって、そーでしょ? ただの覗き趣味的な話じゃない、って、イヴリンには容易に察しが付くはずです。イヴリンは、実父のノア・クロスが街のフィクサーであり、トンデモ爺ぃであることを知っています。その実父が夫と対立していたことも、夫が浮気していたことも、その浮気相手のことも知っていた。実父の差し金と、容易に察しが付くはずではありませんか。仮に、告訴がパフォーマンスだとしても、実父を刺激するようなこと、わざわざするでしょうか? 夫がますます追いつめられる、果ては殺されることくらい、分かりそうなもんです。

疑問② 夫が死亡したとき、イヴリンは、コトの背景が分かったのではないか?
 つまり、実父が殺したということを、です。理由は、疑問①に同じです。水の利権の詳細は分からなくても、察しがつくはずです。このまま、ロスにいては我が身と娘の身も危ないと分かりそうなもんです。なぜ、早々に逃げなかったのか。

疑問③ ギテスは、なぜ、イヴリンが身を隠す前に警察に電話したのか?
 警察の目をくらますため? とも思ったのですが、イヴリンに夫の浮気相手が誰なのかを正す前に電話しています。「大至急来い」と言っています。イヴリンが夫殺しの真犯人と確信していたから? でも、この時、二人はもう男女の関係になった後です。イヴリンを少なからず愛し始めていたはずのギテスなのに、なぜ、わざわざそんな危険なことを?

疑問④ ギテスは、なぜ、イヴリンがチャイナタウンを抜け出す前に、ノア・クロスと接触したのか?
 だって、絶対にノアのことだから、イヴリンのいるところへ連れていけ、って言うに決まっているじゃないのサ。ギテスは非常に洞察力の鋭い探偵なのに、どーしてイヴリンの身に危険が及びそうなことを敢えてしたのでしょうか? ノアのヤバさに気付いていたはずなのに。まさか、チャイナタウンまでノアを連れて行くことになるなんて思っていなかったんでしょうか?

、、、とまあ、こんな具合ですが。どなたか、お分かりになる方、教えてください~~。

 とはいえ、水の利権にまつわる話は非常に面白く見ました。「水」って、ちょっと、、、ね。日本でも「水」関係は、、、。

 そもそも、水利権ってのは、ものすごく複雑かつ強固なものの様なので、こういう因縁めいた話のネタにはもってこいの材料かも知れません(脚本を書く方も勉強しないといけないので大変そうだけれど)。ましてや、開拓の名残り色濃いロスが舞台となりゃ、なおのこと。まさに、ハードボイルドです。
 


ジャック・ニコルソンにもセクシーな時代があったのね。




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