映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

RHEINGOLD ラインゴールド(2022年)

2024-04-28 | 【ら】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85157/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 イスラム革命により迫害された音楽家の両親にもとに生まれたジワ。最初の記憶は刑務所の中だ。

 数年後、父が有名な音楽家であることから保護され、ドイツのボンへ亡命する。9歳の時にジワはピアノを習い出す。

 10年後、父は愛人を作って家を出ていき、ジワは反発してピアノを弾かなくなる。その頃、歌がうまい友人・サミーと出会ってHIPHOPに興味を持つようになる。さらにストリートでのし上がるためにボクシングジムで鍛え、「Xatar(カター:クルド語で“危険”)」として有名になっていく。

 ラッパー・カナコンダやDJ・マエストロと出会い、音楽の楽しさを知っていくものの、クスリの密売容疑で捕まる。

 出所後、音楽マネジメントを学び始めるジワだが、稼ぎのために闇組織に入り、なんと金塊強盗を実行!ジワは8年の禁固刑が言い渡されたものの、見張りの目を盗んでレコーディングを行い、アルバムを完成させる。獄中から発売したアルバムはヒット、“ギャングスタ・ラッパー”として、さらに音楽プロデューサーとしても、その名を轟かせていく……。

=====ここまで。

 ファティ・アキン監督作。


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 何かの映画を見に行った際に、予告編を見て、アキン監督作品かぁ、、、面白そうかも?と、公開されたら見に行こう♪と思っていたのに、延び延びになって、先週ようやく見に行きました。

 TCG会員サービスデーだったんだが、観客6名、、、ごーん。これ、マジで面白いです。何でこんなに良い映画が、こんなに入りが悪いの?? 哀しいよ~。


◆あっという間の2時間超

 とにかく、幕開けから波乱万丈、、、というか、あれこれいろんなことが起き過ぎて、目も耳も脳みそもスクリーンに釘付けになる。えー、わー、うっそー、、、みたいな声が脳内で響く。

 イスラム革命下のイランの物語というと、マルジャン・サトラピのマンガ(というかバンド・デシネか)『ペルセポリス』が浮かぶ。アニメ映画化もされて、映画版も結構好きなんだが、本作の主人公ジワは、革命中に生まれている。しかも、ジワはクルド人なので、サトラピ家(上流階級)とは境遇が異なるが、ジワの父親・エグバルは高名な音楽家で、イスラム革命が起きるまでは恵まれた環境にいた様子。

 革命で突然、環境が激変する様子が序盤に描かれるのだが、これが劇画チックでありながら、おそらくカリカチュアされたものとも言えない(つまり、割とリアルな)んじゃないのか、、、と思いながら見ていた。ある日を境に、180度日常がひっくり返るというのは、想像するだけで怖ろしい。

 母親・ラサルがジワを産み落とすシーンも壮絶。映画用に書かれたシーンだと思うが、だとしても、実際に厳しい環境で出産したのだろうことは想像に難くない。

 が、フランスを経てボンに落ち着いてからは、別の映画かと思うくらいに、雰囲気も一変。ジワが危険野郎になっていくまでがスピーディに描かれる。これもまた、ホンマかいな、、、というようなことの連続である。

 家庭環境から言えば、想定外な方向へと才覚を発揮するジワである。実際、彼の妹は勉学に秀でて医者になっている。どちらが良いかとかいう問題よりも、ジワがなぜあそこまで暴力的な道へと自ら身を投じて行ったのかが、、、見ていて疑問ではあった。

 正直、ラストまで見てその疑問は解けないが、無理やり解釈すれば、父親への反発心というところか。愛人を作って、母親と自分たちを捨てた父親。生活に困窮する家族を、とにかく即時的に救いたいという思いが強かったのかな、と。勉学に励んで、それなりの地位を得て、、、ってのは時間が掛かり過ぎるもんね。

 あとは、元来の本人の気質だろう。負けず嫌いが、ああいうベクトルに働くと、ああいう状況になるわな、、、と。かと言って、脊髄反射という感じでもなく、知力も感じる。その知力があったおかげで、彼はただのチンピラで終わらなかった、、、とも言えるのか? まあ、結果オーライではあるが。

 ネットの感想で“そうは言っても、所詮は犯罪者。そういう側面をも賞賛しているようで不愉快”みたいなのもあったが、一理あるけど、だから映画になったわけで。裏社会に足を踏み入れて抜け出せないのがお決まりコースな中で、レアケースだから、映画になったのよ。一応、映画の中ではジワは人は殺していないようだし。


◆多彩な音楽

 ラップがあんまし好きじゃない人間にとって、ジワのラップの何がそんなにウケたのか分からないのだが、本作内での数々の音楽(もちろんラップ含む)が実に良かった。

 ドイツはヒップホップが非常に人気なんだとか。トルコ移民が多いというのも、その理由の一つだと、パンフにはある。へぇー。

 ジワの父親は、息子に音楽をスパルタ式で教育するが、愛人を作って出て行ったことで、ジワは父親の属するクラシック音楽からは遠ざかる。でも、ラップに興味を持って、そこから才能を発揮していく過程を見ていると、やっぱし、蛙の子は蛙だなぁ、と感じる。スパルタ教育されたピアノが少なからず生きているし、音感やリズム感は父親の教育による部分も大きいだろう。

 とはいえ、芸術分野では、努力で補えない才能は絶対的にあると感じるので、ジワには才能もあったということだ、、、多分。

 タイトルの「ラインゴールド」は、ワーグナーの「ラインの黄金」から。ジワ少年が父親とボンのオペラハウスに行った際に、流れていたのがこの「ラインの黄金」だった。この曲を、この物語に絡めてくるあたり、アキン監督の巧さを感じる。ワーグナー嫌いな私にとっては、どーでも良いのだけど、本作内でかかっていたこの曲が“ええ曲やん”と感じてしまったのが、なぜかちょっと悔しいのだよね、、、。マーラーもそうだったけど、映画の中で流れているのを聴くと、イイ曲だと感じるの、何なんだろうか、、、。音楽だけ聴いていると、あんましそうは感じないのに。……不思議だ。

 ジワ役のエミリオ・ザクラヤの演技が素晴らしかった。ジワの幼馴染で、彼を折々に助けるミラン役のアルマン・カジャニが若い頃のアンディ・ガルシアにちょっと似ていて、なかなか良かった。

 アキン監督、やっぱし良い。

 

 

 

 

実物のカターの方がはるかに“ヤバそう”に見えます。

 

 

 

 

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落下の解剖学(2023年)

2024-03-02 | 【ら】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85076/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 視覚障がいを持つ息子は、ある日、父親が血を流し倒れているのを発見する。

 息子の悲鳴を聞いた母親が救助要請を行うも、すでに男は息絶えていた。当初は転落事故かと思われたが、その死には不審点が多く、しだいに被害者の妻でベストセラー作家のサンドラに殺人容疑が向けられていく。

 無実を必死に訴えるサンドラだったが、事件の真相を追うなかで、夫婦の嘘や秘密が明らかになる。

=====ここまで。

 2023年、カンヌパルムドール受賞作。


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 興味ある新作がいくつかありながらも、何となく劇場に行くのが面倒で、今年に入って劇場での新作鑑賞は元日以来。昨年から話題になっていた本作、公開を楽しみにしていたので、これは面倒に思うことなく行けました。このメンドクサイ症候群、いつまで続くんかなぁ、、、。

 それはともかく。期待値上げ過ぎだったかも。以下、ネタバレしておりますのでよろしくお願いします。


◆殺人か事故・自殺か

 上記あらすじからも分かる様に、見る者としては、事件の真相は何か?に関心が集中するんだけど、案の定、本作ではそこは分からないままである。で、本作を見れば分かる様に、事件の真相などはどうでも良いのである。

 ……と書いておきながら、敢えて、私の個人的な見解を先に述べておくと、これは殺人ではなく、自殺(or事故)でほぼ間違いないと思う。何でかって? あんな夫、殺すに値します?? 殺すことで、サンドラに何のメリットが?? 他にもそう思った理由はあるけど(後述)、ほぼこの一点において、私はサンドラはあの夫を殺していないと思った。

 でも、ネットの感想を拾い読みすると、殺された夫・サミュエルに同情的な人の方が多い印象。へぇ、、、。

 このブログでも時々書いているけど、男から女への嫉妬は本当に質が悪い。サミュエルは、自分が小説を書けないのを妻サンドラのせいにして罵り八つ当たりして、サンドラの客が来れば大音量で音楽を鳴らして邪魔をするような男である。もう、この描写だけで、サミュエルの人間性が大体察せられる。妻が社会的に成功しているのが気に入らないのだ。これで、妻も同じように小説家として鳴かず飛ばずだったら、サンドラが家事に積極的でない妻だったとしてもサミュエルはサンドラにあんな風に突っかかったり嫌がらせをしたりはしないだろう。言ってみれば“小っちぇ”んである。小っちぇければ小っちぇえほど嫉妬心がデカくなる。しかもネチネチ、グチグチ、、、、知るかそんなもん!と、そらキレるわな、サンドラも。

 中盤から法廷での応酬になるんだけど、本作の趣旨は、真相を暴いて白黒つけるというものではない。この事件(というか事故)では物証がほとんどなく、関係者の証言だけが頼りなので、真相なんてものは、サンドラにしか分からない。そして、本作は“実はこうでした”的なサンドラの回想シーンなどは全くない。むしろ、真相は分かりませんけど、どうします? という問いかけだ。

 まあ、本作はフランスの法廷が舞台だけど、日本の法廷モノでも物証がなければ似たような感じの話になるだろう。で、疑わしきは罰せずが一応の原則なわけだから、本作でも、サンドラは無罪になる。

 が、本作では、サンドラには不利な証言もあって土壇場まで、下手すると有罪になりそうな雰囲気で進行する。終盤、無罪への決定打になったのが、被害者と加害者の息子・ダニエルの証言である。この展開をどう受け止めるか、、、なんだが、私はあんまし好きじゃないな~、と感じたクチ。事実関係を争っている状況で、トドメを刺すのが、当事者たち子供の極めて情緒的な証言、てのは法廷モノとしてどうなのか?とね。まあでも、法廷モノに擬態した人間ドラマだと考えれば、これもアリなのか。

 いずれにしても、あの状況でサンドラに有罪の判断がくだされたら、フランスは「推定有罪」をやらかすかなりヤバい司法ということになるから(日本も言えた義理ではないんだが)、ストーリーとしては当然の結論だろう。


◆似たもの夫婦
 
 ……と、ここまでサンドラに肩を持つようなことを書いた来たのだが、ちゃぶ台返しをするようだけど、私はサンドラのことは好きではない。

 ダニエルは視覚障害があって(この描写も、序盤は全盲かと思わせるのだが、中盤以降に全盲ではないと分かる)、その原因が、夫・サミュエルの不注意による事故(詳細は分からない)だってことなんだが、それによって、夫婦間に深刻な亀裂が入り、セックスレスカップルになったというんだが、それで寂しくなって女性と不倫した、、、と法廷で本人が証言する(ダニエルはそれを傍聴席で聞いている)。

 別に不倫したから好きじゃない、と言っているのではなくて、つまり、このサンドラとサミュエルの夫婦は、互いに他罰思考で似た者同士なんである。割れ鍋に綴じ蓋とはよく言ったもんで、この夫婦も然り。どちらかが善良なんてことにはなり得ない。

 大体、この夫婦、息子のことを互いに押し付け合っており、しかも視覚障害のことを殊更ネガティブに捉えた発言が多く、ちょっといかがなものかと感じた。

 この夫婦の悲劇は、サミュエルにサンドラほど才能がなかったことよりも、サンドラの方がサミュエルより自身の欲望に忠実な人だった、ってことだろう。

 不倫の件もそうだが、折角のアイディアを作品化できないサミュエルを見ていて、じゃあアタシが!と小説に仕上げてしまったり、視覚障害を負った息子の世話を自分より時間に余裕があるサミュエルに任せっきりにしても何ら疑問に感じなかったり、、、。

 互いに相手のために自分が譲歩していると勝手に拗らせているのは同じだが、それを鬱鬱と溜め込んでいるのはむしろ夫のサミュエルであり、この夫婦間で殺人が起きるなら、殺すのはサミュエルで、殺されるのはサンドラじゃない?

 私が“サンドラは殺していない”と感じた所以はココであり、夫婦間で心理的に抑圧されているのはサミュエルだからである。サンドラは夫に殺意を抱くまでの抑圧はないと思う。

 あんな嫌がらせをするような夫だから、殺人に見せかけた自殺を図った、、、と考えてもおかしくないんじゃないか、とさえ思っている。
 

◆パルム・ドッグ賞

 本作では、ワンコが大活躍するのだが、終盤で、私にはちょっと理解できないシーンがあって、、、これが今も引っ掛かっている。

 というのも、ダニエルがワンコにある実験をするんだが、この意味がよく分からない。サミュエルが自殺未遂を起こしたことがある、、、というサンドラの証言の中で、サミュエルの吐しゃ物が云々というのがあるんだが、そのときのことを思い出したダニエルが再現実験(?)をする。ワンコにアスピリンを多量に服用させて、その反応を見るというもの。

 結果的に、この実験でダニエルは、母親サンドラの言っていることが事実だと考えて(?)最終的な証言をすることになったのだが、つじつまが合わない気がするというか。

 ワンコは人間の吐しゃ物でも平気で食べてしまう動物なので、そうすると、サンドラが、サミュエルの吐しゃ物を処理したってのは??である。ダニエルが泣きながらその状況を話している内容も、イマイチ??である。

 あのシーンは、もう一回見れば理解できるのかしらん??

 まあ、とにかく、あのワンちゃんは実に素晴らしい役者でありました。パルム・ドッグ賞だったとか。納得です。

 あと、サンドラの弁護人役のスワン・アルローがなかなか渋い中年男だった。誰かに似ている、、、と気になっているんだけど、誰だかピンと来ない。あの「女の一生」のジュリアン役だったとは、、、!! 本作の方が、ゼンゼン魅力的だったよ。

 

 

 

 

 

 

150分の長さは感じなかったけど疲れた、、、。

 

 

 

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LAMB/ラム(2021年)

2022-10-14 | 【ら】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv77135/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 アイスランドの山間で暮らす羊飼いの夫婦、イングヴァルとマリアは、ある日、羊の出産に立ち会った際に羊ではない“なにか”が生まれてくるのを目撃する。子どもを亡くした経験を持つ2人は、その“なにか”にアダという名前を付けて育てることに。

 アダとの生活は幸せそのものであったが、やがてアダは彼らを破滅へと導いていく。

=====ここまで。

 
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 1日の「映画の日」に見ました。その日は夕方に用があって、“そのためだけに出掛けるのもなぁ、、、1日だから映画でも見るか、、、、うーん、あんましそそられるのないなー、いっそのこと「ベルばら展」見に行くか、、、え、2,200円もすんの??どーすっかなぁ、、、やっぱ映画にするか。”という脳内作用の結果、本作を見ることに。

 何でこの映画か、、、というと、Twitterで公開前から結構ガンガンに宣伝が流れてきていて、それが勿体つけた感じので、なんか食傷気味だったんですよね。食傷気味なら見に行くか?と思われるでしょうが、私自身もそう思ったんですが、ましてやA24制作というとあの『ヘレディタリー~』とか『ミッドサマー』とかでしょ? ……想像つくやん、やめとけやめとけ! と、私の脳みそからも指令が出ていたんだけど、夕方の用のためだけに出掛けるのも(貧乏性ゆえ)もったいない気がしてしまったのですヨ。

 裏を返せば、それくらい、他に見たいものがなかったんですが。最近は映画の日でも1,200円も取られるのだけど、映画館はコロナもあって経営が厳しいだろうから、ささやかでもお手伝いしようと思った次第です。

 前置きが長くなりましたが、ようやく感想です。やめとけ! という私の脳みそ指令は正しかった。


~~以下、ネタバレバレです。本作は、予備知識ナシで見た方が良いと思います。~~


 結論から言うと、キライです、こういうの。

 じゃあ、面白くなかったか、、、というと、面白かったです。セリフは極端に少なく、アイスランドの灰色がかった美しい自然がふんだんに映像に盛り込まれ、全体に不穏さが漂う、、、私の好きな要素が揃っているのです。

 こういうスリラー映画ってのは、不条理な要素があってこそ面白いわけで、本作の不条理なんかは、もう究極の不条理なんですよ。本作のキャッチコピーは「禁断(タブー)が産まれる」。タブーって? はい、羊頭人間(名前はアダ)が産まれて来たのです。本作のポスターで主人公の女性が子羊を抱えていますが、隠れている身体は人間の赤ん坊のそれです。お尻が可愛かった。

 でも、申し訳ないけど、本作は“それだけ”だった、、、、ごーん。

 それだけ、ってどういうことかと言いますと、その要素がなければ、映画として何も残らない、ってことです。ワン・アイデア一点突破映画ですね。

 ネットでは聖書絡みでイロイロ解釈を考えている人もいたけど、残念ながら、それらはハズレだと思います。いや、アタリかも知れませんが、少なくとも、そういう深淵さをこの映画(脚本)からは全く感じられなかった、ということ。

 ツッコミ所というか、齟齬が多いのもそうだけど、色々あざといんだよね。

 例えば、羊頭人間が産まれて来た瞬間のシーン。まず、何が産まれて来たのか全く映さない。それはいいんだが、羊の出産を手伝っていたイングヴァルとマリアは、産まれて来た(はずの)羊を見て、一瞬動きが止まって、その後、ごく普通の羊が産まれたのと同じような感じで作業を続ける。明らかに、羊ではないヘンなものが産まれたと観客に分からせておいて、スクリーンの中のイングヴァルとマリアは平然としている、っていう対比を際立たせることで、異様さを演出する、、、とかさ。

 そりゃ、映画はエンタメだから、そういう“面白がらせ”は作る方にもあっていいけど、一歩間違えると、上記のような“クサい演出”になるよね。

 大体、あんなこの世ならぬものが産まれてきたら、ギョッとなるのが人の脳の働きってもんでしょ。それを平然と受けとめる夫婦という設定にすることで、映画としてのアブノーマルさをアピールしたかったのかもだけど、いささか安易と感じざるを得ない。あそこで、夫婦でギョッとしたって、別にスリラーにはなり得るのであって、問題は、あの夫婦がどうしてあの羊頭人間を受け入れて、我が子同様に愛情を注ぐことになったか、なのであって、そこを深掘りしてこそのスリラーじゃないのか?……ってこと。

 そりゃ、マッドサイエンティストみたいな設定ならアリですよ、あれも。でも、あの夫婦は、別にそんな風な描写ではなかった。強いて好意的に解釈すれば、あんな人里離れた所で、牧羊しているとはいえ、それでどうやって生計立てているのか(羊にまつわる経済的な描写は一切ない)もイマイチ不明な夫婦、、、それ自体がマッドなんだよ、ってことかも知らんが、、、そんなん、いくらなんでも無理があり過ぎでしょ。

 正直言って、私は本作を見ながら、結構笑ってしまっていた。笑ってはいけないのかも知れなかったけど、笑うしかないやろ、これ、、、みたいな画が多過ぎた。アダの身体が露わになったシーンとか、わざとサラッと描いているのだろうが、いきなり赤ちゃんのお尻どアップってのもねぇ。

 トドメは終盤。アダの父親が登場する。それが、、、もう、出て来た瞬間、ぷっっ!!!って小さく吹いちゃいまして。マスクしてたんで周囲に気付かれなくて良かった。もうね、、、ギャグかよ、と思いました。何アレ、、、。

 いやでも、本作は面白いですよ。真面目に言っています。決して茶化しているのではありません。ただ、これをスリラー映画とか言って、あんな勿体つけてカルト系・アート系みたいに宣伝しているのが何かね、、、詐欺的な感じがするのです。

 アダが可愛い、と書いている人も結構いたのだけど、どこが、、、?? そもそも羊って、可愛いですかね? 私は全然可愛いと思えないのだけれど。あの顔、よく見たら、可愛くないどころか、むしろ不気味。子羊は小ささで可愛いと錯覚するけど、顔は、、、可愛くないです。いえ、私の目には、そう映るってことですが。

 

 

 

 

 

 

 

 


A24とは相性が悪い。

 

 

 

 

 

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ラストナイト・イン・ソーホー(2021年)

2022-01-08 | 【ら】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74351/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ファッションデザイナーを夢見るエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、ロンドンのデザイン学校に入学する。しかし同級生たちとの寮生活に馴染めず、ソーホー地区の片隅で一人暮らしを始めることに。

 新居のアパートで眠りに着くと、夢の中で60年代のソーホーにいた。そこで歌手を夢見る魅惑的なサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)に出会うと、身体も感覚も彼女とシンクロしていく。夢の中の体験が現実にも影響を与え、充実した毎日を送れるようになったエロイーズは、タイムリープを繰り返していく。

 だがある日、夢の中でサンディが殺されるところを目撃してしまう。その日を境に現実で謎の亡霊が現れ始め、徐々に精神を蝕まれるエロイーズ。

 そんな中、サンディを殺した殺人鬼が現代にも生きている可能性に気づき、エロイーズはたった一人で事件の真相を追いかけるのだが……。

 果たして、殺人鬼は一体誰なのか?そして亡霊の目的とは-!?

=====ここまで。

 本作は、予備知識ナシでご覧になることをオススメします。
 

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 本作も元日に見ました。意外に人が入っていましたね。やはり話題作は、元日からでも入るのですね。夕方だったせいか、初詣帰りと思しき方々もチラホラ、、、。

~~以下、ネタバレバレなので、よろしくお願いいたします。~~


◆これはホラーか?

 序盤から前半にかけては、ホントにこれホラー??と思うほどにガーリーな雰囲気で、夢を叶えるために学校に入り、女子寮へ、、、という設定からして、『サスペリア』か!?と思ったけれど、まあ、ちょっと違いましたね。途中で女子寮出ちゃうしね。

 というか、本作は公式HPにも「サイコ・ホラー」とあり、ホラーにカテゴライズされているのだが、見終わってみて、ホラーというよりは、オカルト・サスペンスじゃないか、という気がする。

 女子寮を出て、一人暮らしを始めるアパートの部屋を見に行った時に、大家のおば(あ)さんミス・コリンズが「いろいろ思い入れがあるから改装していないし、売らない」と言うあたりで、こりゃ家モノのホラーか!とときめいたが、家モノともちょっと違って、ラストのオチは結構意外だった。

~~以下、結末に触れています!!~~

 エロイーズが借りた部屋は、まんま、多くの死体が遺棄されていた部屋だったのだ。だから、ミス・コリンズは改装することも売ることもしなかったのだ。もちろん、その多くの死体を遺棄したのはミス・コリンズその人。

 いやー、ラストのラストで、ミス・コリンズが打ち明け話をするところは、え?え??って感じで、怖いというより、スリリングであった。考えてみれば、「午後8時以降男子禁制」ってのも伏線だったのだね。

 つまり、夢の中のサンディは、若き日のミス・コリンズだったということ。エロイーズの夢の中でサンディは男に殺されたけど、実際は、サンディは自分を弄ぶ男たちを片っ端から殺していたのだ。若い娘である自分を、性の対象としか見ない世の男たち、そのことに何の後ろめたさも感じずに欲望をむき出しにしてくる男たち、食い物にすることしか考えていない男たち、、、お前ら一人残らず成敗してくれるっ!!……というところでしょうか。

 エロイーズにそんな怖ろしい夢を見させたのは、ミス・コリンズの怨恨と、数多の男たちの怨念だろうか。

 最終的に、ミス・コリンズは本性を露わにし、夢を通して過去の自分を垣間見たエロイーズを亡き者にしようと襲い掛かってくるが、絶体絶命のところで、エロイーズは命拾いをする。一応はハッピーエンディングである。ラストのラストで、おっ!というシーンがあるけどね。まあ、こういうラストは想定内です。


◆フェミコード的にはダメダメですけど、それがなにか??
 
 昨年見た『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020)と、テーマは被る。見せ方はちょっと違うが、ラストで男たちに鉄槌が下る展開は同じ。……と言う意味で、フェミやジェンダー界隈が注目しているみたい。

 そういう切り口で見ると、この映画はダメダメでしょう。そもそも、女性に対する暴力の告発にはなりきっていない。途中まではそう見えるが、エロイーズに襲い掛かるのは、被害者本人であったはずのミス・コリンズと、加害者だった男たちの怨念であり、これでは何が何だか、、、メチャクチャである。

 また、女性たちの描き方がすごく類型的なのも気になる。田舎から出てきたエロイーズはおぼこ娘、都会育ちの同じ寮生たちはオシャレ、、、とか。エロイーズが寮を早々に出るのは、寮生たちの嫌がらせ・イジメによるものだが、女同士なんてこんなもん的な視線が感じられるのは否めない。

 私が、え゛ー-っとなったのは、サンディがポン引きのジャックと結ばれるシーンで、その時点でジャックのことをポン引きとは認識していないサンディが「私、遊びは嫌なの」とか言うわけよ、ベッドインする際に。そもそも、出会って数日で簡単に店の男と寝るサンディに、本当の野心が感じられなくてガックシ(まあ、だから食い物にされるんだが)だし、このセリフは「結婚前提でなきゃセックスはしない主義なの」とかと同じで、結局、セックスを武器にしているんだよね。

 別にセックスを武器にしてもかまわないけど、本人がそのことに無自覚なのが痛々しい。セックスが武器になる時点でアウトという構造的な問題もあるが、そこまで映画に求めてもね。

 何より、結局、本作の終盤は、女性に対する暴力をエンタメに仕立ててしまっており、アニャ・テイラー=ジョイという“カワイ子ちゃん”がいたぶられている様の描き方は、控えめに言っても“男性目線”を否定できない。

 ……だけれども、私はあまりそこを突っ込もうとは思わない。もちろん、そこをしっかり突っ込んでいる評はいくつか目にしたし、それを否定はしない。けれど、本作は、映画として面白いか否かで見れば、私はまあまあ面白いと思ったし、少なくとも女性への性暴力に対し、明らかに鉄槌が下されており、そこは大目に見て良いのではないかと思う。

 あるフェミニストの批評家氏は、本作に否定的で、おおむね指摘はその通りだとは思うが、エロイーズが(もちろん夢の中でだけど)サンディがセクシーショーに出ているのを見てビビッて驚いているのはあり得ないとかなり批判しているのは違うだろうと思ったなぁ。あれは、サンディが歌手ではなく、安っぽいストリッパーみたいなショーで、しかも何人もいるバックダンサーの1人に過ぎない存在だったことにショックを受けて驚いていたのだと思う(私も驚いたもん)。歌手になる夢を実現させていくサンディに憧れていたのに、ゼンゼン違う!!何コレ!!みたいな感じだったんじゃないかね。

 という具合に、いろんな見方ができるように作られているという意味でも、本作はそれなりによくできた映画と言って良いと思う。少なくとも、この監督にとっては意欲作だろう。それは伝わってくる。全方位に気を配った映画なんて、そもそもムリだろう。

 

 

 

 

 

 

 


60年代のファッション・音楽が楽しめます。

 

 

 

 

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ライトハウス(2019年)

2021-07-15 | 【ら】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72778/

 

以下、上記サイトよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 1890年代、ニューイングランドの孤島に2人の灯台守がやって来る。彼らにはこれから4週間にわたって、灯台と島の管理を行う仕事が任されていた。だが、年かさのベテラン、トーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)と未経験の若者イーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)は、そりが合わずに初日から衝突を繰り返す。険悪な雰囲気の中、やってきた嵐のせいで2人は島に閉じ込められてしまう。

=====ここまで。


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 なかなか劇場へ足が向かない昨今ですが、ちょっと時間ができたので久しぶりに行ってまいりました。なんと、ほぼ満席、、、と言っても、一席開けだから満席でも通常の半分なのですが、、、。

 本作のロバート・エガース監督の前作『ウィッチ』が評判になっていたのは何となく知っていたのですが、あんまし興味がなく、、、。本作は、灯台で閉じ込められた男2人の話、というのに惹かれて見てみました。

 以下、本作及びエガース監督ファンの方はあまりお読みにならない方が良いです(悪意はありませんが悪口になっているので)。あと、これから本作を見る方も、ネタバレしていますので、以下は自己責任でお願いいたします。


◆これって、、、

 事前情報はほとんど見ないで行ったんだが、モノクロなのもあるが、終始画面が暗いので、こんなジャンルの映画なのに途中で睡魔に襲われそうになることが何度かあった。……ま、そのくらい、あんまし面白く感じられなかったってことです。

 なぜか。……うーん、途中から“これ、シャイニングやん、、、”と思っちゃったのよね。絶海の孤島(or陸の孤島)に閉じ込められてオカシクなっちゃうパターン。本作は男2人だけど、まあ、2人だからこそ、余計にヤバいということはあると思うケド。でも、映画としては圧倒的にシャイニングの方がヤバさを感じる、私は。

 本作は、正直言って、虚仮威しに近いという印象を受けたのよねぇ。怖さを出そうとしているのは分かるが、それが、効果音と音楽、あとは動物虐待でのみ表現されていて、肝心のオジサン2人がヤバくなっていく感じの描写が甘いと思う。まあ、ジャック・ニコルソンと比較するのはフェアじゃないかもだが、 ウィレム・デフォーもロバート・パティンソンも頑張っているけど、別に全然ヤバくないのだ。ただ、怒っているだけ、イライラしているだけ、八つ当たりしているだけ、怒鳴り合っているだけ、、、、という感じ。ヤバさって、そういうことじゃないじゃん、、、ね。

 例えば、中盤で、ウィンズローがカモメを岩に何回も叩き付けて殺すシーンがあるんだけど、見た目の衝撃度の割にヤバくないのよ。何やってんのこの兄ちゃん、、、って感じ。同じことをジャック・ニコルソンがやったら、多分、相当ヤバいはずなのだが、、、。だから、見ていて怖くない、全く。というか、動物をああいう扱いする演出は、そもそもあんまし好きじゃない。本作では、カモメが不気味さのアイコン的に使われているんだけど、明らかにフェイクと分かる(技術的にという意味じゃなく)映像なので、白けるってのもある。実際のカモメを使っていたら白けるどころの話じゃないが、、、。

 熱演=好演ではないのだよなぁ、残念ながら。これは、役者の力量もあるだろうが、演出がマズいんだと思う。そうしてみると、やはりキューブリックはスゴい、ということになるのか。


◆究極の○○○○映画(胸焼け)

 あと、どうにも乗れなかった理由として、本作がマッチョエキスを煮詰めたようなマチズモ映画だってのもある。いきなり灯台をペニスに見立てたような映像が序盤で映し出されたりとか、なんだかなぁ、、、って感じになる。灯台の灯りを2人の男が取り合うことになるんだが、これなんか象徴的。つまり、灯り守以外の雑用は若造・ウィンズローにやらせて灯りを譲らないトーマス。ウィンズローも灯り守に執着し、灯りを扱ってなんぼ、、、という話になる。女が出て来ても、それはセックスの対象としての妄想のみであり、ウィンズローはしょっちゅう自慰行為に耽っている、、、とか。もうゲップが出そうになる。

 まあ、こういうのはスポ根モノとか、軍隊・戦争モノとかにありがちなんだが、灯台とか船乗り系もそうだよね、確かに。セリフにあの『白鯨』に関連するものも出てくるし。やっぱし、ここまでマチズモ全開にされると、スリラー映画としての怖さはかき消されちゃうよね。だって、マッチョなんてスリラーの対極だもん。ペニスに支配されている男たちの話なんか、どこが怖いねん、、、、って。いろいろ凝った演出を見せてはくれるが、そこに話は矮小化されていると言っても良いくらい。だから、虚仮威しに見えるのよ。

 男の世界の話なんだから当たり前やん、と言われるだろうが、本作の元ネタとなった実話(ご興味のある方はHPをご覧ください)を素直に映像化した方が、よっぽどスリラーになったと思うなぁ、男だけの話でも。ペニス支配なんか出してこなければ、十分怖い話になったのに、……残念。


◆その他もろもろ

 登場人物は、ほぼ2人だけ。

 ウィレム・デフォー、私は『スパイダーマン』の印象がキョーレツなんだけれども、本作では、何かただ喚いているだけのヘンな爺さん、、、って感じで彼の良さをあまり上手く引き出せていない感じがしたなぁ。

  ロバート・パティンソンの出演作は、これが初めてだと思うが、彼は今や大スターなのですね。知らなかった。話題の『TENET テネット』も見ていないし。制作は本作の方が先みたい。頑張っていたけど、ううむ、前述の通り、イマイチな感じだったが、終盤からラストにかけて体当たり演技で大変だっただろうなぁ、、、と思った。

 そのラストだが、ゾロアスター教かよ、、、と思ってしまった。このラストのための、あのカモメ虐待シーンだったのか、、、? 何か、そんな謎解きも虚しいが。今、『シャイニング』を午前十時の映画祭で上映しているから、口直しじゃないが、見に行ってこよう。

 

~~以下追記(21.07.16)~~

 今日の某紙夕刊に本作の記事が出ていて、エガース監督のインタビューも載っていた。それを読んで思わず笑っちゃったのでこちらに追記。

 何で笑ったかというと、演出面での説明でこんなことを言っているから。

「人間の頭の中で悪夢と記憶は一体になる。観ている人にもそういう感覚を味わってほしかった。それを狙って、自然音と音楽が混然一体となって観客を包囲するような音響にした。ちょっとやり過ぎたかも知れない」

 ハハハ。やり過ぎだよ、ホントに。むしろ、それ以外が“お留守”になっちゃったんじゃ、、、。苦笑したのが次の言葉。

「灯台は男性のシンボル。男らしさとアイデンティティーを巡る闘争の舞台にふさわしい」

 ……やはり、狙ってのペニス合戦だったのだ。ま、分かってはいたけど、こうもハッキリ言葉で言われると苦笑するしかない。

 闘争の舞台とあるけれども、(昨日書き忘れたんだけど)狂っていくのはウィンズローだけなんだよね。トーマスは最初からおかしかったのではなく、最後まで正気だったのだ、多分。まあ、確かにラストにかけては監督の言うとおり「悪夢と記憶は一体になる」がそのまま描かれているってことだろう。

 次作は、吸血鬼だって。……嫌な予感しかない。

~~追記ここまで~~

 

 

 

 

 

 

 


A24映画、どーなの?

  

 

 

 


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ラ・ラ・ランド(2016年)

2021-01-16 | 【ら】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv61139/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。

 ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン)、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。

 やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる……。

=====ここまで。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 正月のTVは騒々しいだけでつまらんので、基本見ないのだが、2日の夜はNHKの総合テレビで若冲のドラマとか、ヨーロッパの紀行番組とかを放送していて、ながら鑑賞だったけれど何となく見てしまい、ついでにそのままつけっぱなしにしていたら、この映画が始まったのでした。

 何で、正月に、NHKの地上波で、この映画? 確か、始まる前に「ミュージカル映画の傑作をご覧ください」みたいなテロップが出ていた。劇場公開時に話題になっていたのは知っていたし、映画友も見に行ったそうで「まあまあ良かった」みたいな感想を言っていたけれど、私は劇場には足が向かず(理由は後述)、DVD借りてまで見る気にもならず、、、で、今まで見ないままでいたんだけど、TVでタダで(受信料払っているから厳密にはタダじゃないけど)見られるんなら見てみるか……、と思って見始めて、結局最後まで見た次第。

 以下、本作をお好きな方は、どうぞお読みにならないでください。悪意はないのですが、悪口になっちゃっていますので。


◆デイミアン・チャゼル

 歌以外は日本語吹き替え。鑑賞料金を払っていないからか、何となくダラ~ッと見ていたせいもあるかも知らんが、見終わっての正直な心の声は、「あーあ、、、」だった。

 ミュージカルと言われているが、肝心の音楽は悪くないけどインパクトないし、主演2人の歌はビミョーだし、踊りなんかハッキリ言って切れが悪いし、ストーリーに至ってはほとんどどーでもエエやん的な話だった。こんだけ、ネガティブな要素が詰まっているのに、なぜかオスカーの主要部門を受賞している。……謎。

 wikiによれば、制作費は3,000万ドルだそうで、ざっと30億円というところか。ハリウッド的に言えば、もの凄いカネをかけている、というわけでもなさそう。ヴェネツィア映画祭のオープニングで上映されて話題になったのかしら。

 でも、日本でのプロモーションは結構派手にやっていたような気がするなぁ。すごいぞすごいぞ、、、と煽っていたような。私も、監督が別の人だったら、煽られて劇場に行っていたかも。

 本作の監督デイミアン・チャゼルが、私は好きじゃないのだ。好きじゃないというか、信用できないというかね。彼の前作『セッション』(2014)には嫌悪感を抱いたし、脚本を書いている『グランド・ピアノ 狙われた黒鍵』(2013)は見ていて腹が立った。2本しか見ていないで決め付けるのもアレだが、でも、2本ともに感じたのは、“音楽をナメ過ぎ”ってことで、それは2本見れば十分という気もする。

 どうして、“音楽をナメ過ぎ”と感じたかというのは、それぞれ感想に書いたからここでは割愛するが、監督自身は音楽好きを自称しているみたいだけど、そりゃ好きかも知らんが、音楽を愛してもいなければ、音楽家に対する敬意もないんだよね。だから、あんな風に音楽をタダのネタ扱いして冒涜するような映画を撮れるのよ。だから、映画監督としてというよりも、クリエイターとして信用ならんのよね、この人は。

 ……で、本作ではその辺りをどう感じたか、、、なんだが、まあ、冒涜しているとまでは言わないが、やはり、この人は音楽を愛していないな、というのはもの凄く感じたね。結局、この人にとって、音楽は(何のジャンルであっても)、ツールでしかない、ってこと。これはもう、確信した。3本目だからね。

 どこでそう感じたかというと、ジャズの扱い。ジャズを廃れ行くジャンルとして描いているからではなく、結局、ジャズピアニストになりたいと言っているセブが“売れないこと”にしか悩んでいないこと。売れてなんぼの世界、、、それは分かる。けれど、なぜ売れないか、という理由が、“ジャズだから”なんだよね。自身の技術や音楽性についてゼンゼン悩んでいない。多分、音楽を愛している人なら、悩むポイントをもっと深掘りすると思うのよ。けれど、そうじゃないんだよなぁ、この監督は。だから、ツールでしかない、と感じたのだ。

 さらに言えば、セブを演じたライアン・ゴズリングだが、確かにピアノの特訓をしたんだとは思うが、申し訳ないけど、その弾きっぷりは、全くジャズピアニストには見えなかった。その辺の演出が甘いところも、監督の指向が現れていて、音楽家に対する敬意が感じられない。前2作から感じていたものもあったから、本作はダメ押し。


◆その他モロモロ

 ……というわけで、監督に対する先入観が影響したのか、本作を純粋に鑑賞できなかった。でもまぁ、他にも感じたことはあるので、一応、書き留めておくことにする。

 そのルックスの評判がイマイチっぽいエマ・ストーンだが、確かにクセのある顔というか、ファニーフェイスというか、正統派美人ではないけど、キレイだと思ったなぁ。オーディションのシーンとか、なかなか良かったと思う。

 ルックスが、、、というなら、私はライアン君のほうがイマイチだった。まあ、これは完全な好みの問題です。私、ああいう猿系のお顔があんまし好きじゃないもので、、、すみません。

 話題の、冒頭の歌って踊るシーンだけど、、、。ゼンゼン話の筋に関係ないのね、あれ。まあでも、楽しい場面だと思うし、スクリーンで見れば迫力たっぷりだったんじゃないかしらん。フランスの有名ミュージカルのオマージュとか言われているけど、ふーん、、、って感じだわ。

 あと、ラストの“もしもあの時、、、”の映像だけど、あれはなかなか面白かった。今はもう離れてしまった2人の心象風景としてはグッとくる映像よね。私には甘過ぎる砂糖菓子みたいなもんだけど、本作はラブストーリーなんだから、あれはあれで良いと思う。あそこで涙腺崩壊した人も多いのでは? 私も、セブがライアン君じゃなかったら、ウルッと来たかも。

 何か、ゼンゼン感想になっていなくてすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルが語呂が良くてインパクトあってよろし。
 

 


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ラブレス(2017年)

2018-04-15 | 【ら】



 モスクワで暮らすジェーニャとボリス夫婦は、そこそこ裕福だが、夫婦関係はとっくに破綻していた。お互い離婚の意思は一致しているものの、一つだけ問題があった。

 それは12歳になった息子のアレクセイをどうするか、ということ。なぜなら、ジェーニャにもボリスにも、もう恋人がおり、2人とも新しいパートナーと人生仕切り直したいと考えているからだ。新生活にアレクセイは、邪魔なのだ。そんな、自分を押し付け合い罵り合っている両親の大喧嘩を、アレクセイは聞いてしまう。

 一人哀しみ泣いていたアレクセイは、ある日、夫婦の前から姿を忽然と消してしまう。慌ててアレクセイを探す夫婦だが、息子の行方は杳として知れない。果たしてアレクセイはどこへ行ったのか、、、。 
   
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 衝撃的な予告編の映像にKOされて、迷わず劇場へ。……見ているのが辛かった、、、がーん。


◆顔も見たくない、声も聞きたくない、同じ空気吸いたくない!!!

 予告編を見てそそられたのもあるけど、本作の監督が、あの『裁かれるは善人のみ』と同じ人だと知ったから、ってのも見たいと思った一因。アンドレイ・ズビャギンツェフ、、、と、絶対覚えられないお名前。『裁かれる~』も、結構、見ていてしんどかったけど、本作はしんどいというより、辛い、キツい、という感じだった。

 というのも、内容が本作は子どもがいなくなっちゃう話だから、ってのが大きい。どちらの作品も、人間のエゴを描いているけど、本作の方がより直截的で辛辣。しかも、そのしわ寄せが幼い子どもに向かうという、最悪の展開。嗚呼、、、。

 寒々とした風景の描写とか、全体に暗い画面とか、でもとても美しい映像なのは前作と同じだった。前作は朴訥な語り口だったけれど、本作は淡々としていて、しかし、実にエグい描写が続くので辛いのよ。なんか、容赦がない、ここまで醜い描写って、怖い。まあ、確実に誰もが持ち合わせている嫌な一面を抉っていて、ある意味、破壊的な説得力を持っている。誰も、こんなことただの映画での話、なんて言えないはず。

 とにかく、ジェーニャとボリス夫婦が、互いにその存在がストレスの要因としかなっていないという、悲惨な関係で、それをまあ、これでもかこれでもかと描く。しかも、実にリアリティがある描写の連続。私も、実態のまるでない結婚生活数ヶ月での離婚を経験したが、この夫婦の、というかジェーニャの心理が手に取るように分かってしまうのが苦笑ものだった。同じ空間にいると衝突しか起きない関係。同じ空気を吸っているのも不快、相手のあらゆる言動が不快、もう理屈じゃない。とにかく、物理的に離れるしか解決策はない。

 夫婦関係がこじれたことのない人から見ると、何でジェーニャはあんなにボリスにすぐに突っかかった物言いをするのか、と不思議に思うだろうけど、あれはねぇ、ああなるのよ、マジで。しかも、このボリスという夫、ジェーニャ以上に身勝手。なぜなら、自分はアレクセイを引き取る気など1ミリもないくせに、ジェーニャには「母親が引き取るのが普通だ。施設なんかに入れたら母親が責められるぞ」とかほざくわけだ。こんな男だったら、穏やかに口をきく気にもなれないのはよく分かる。

 そして、夫婦が破綻して一番犠牲になるのは子どもだ。仮面夫婦を続けるにしろ、離婚するにしろ、子どもは計り知れない影響を受ける。

 序盤、ジェーニャのアレクセイへの態度は非常に憤りを覚えるものがある。いくら、夫が嫌いでも、思いがけず授かった息子でも、あれは母親としてはサイテーだ。

 ジェーニャがそんな風になったのは、ジェーニャ自身が母親と関係が悪かったから、ということになっている。母娘関係が悪いのは、確かに、娘の子育てに影を落とすだろうと思う。しかし、それはジェーニャの言動を正当化する理由には全くならない。

 作中、夫婦とアレクセイのそれなりに仲良さげな家族写真も出てくるので、恐らく、年中ジェーニャがあのようにアレクセイに接していたのではないだろうけれど、少なくとも、息子を押し付け合う夫婦の詰り合いを、息子に聞かれるかも知れない状況でしてしまうジェーニャとボリスは、親としてサイテーであることだけは間違いない。

 とはいえ、アレクセイは、夫婦が破綻していることをとっくに知っている。両親の仲が悪い家庭で育つ子どもは、早く大人になることを余儀なくされるのだ。アレクセイは少年だけれど、恐らく、相当に悩み、考え、精神的には両親よりも大人になっていただろうと思う。だからこそ、両親を早々に見限ったのだ。


◆ロクでもない大人たちと、ボランティアの人々。

 本作に出てくる大人は、ボランティアでアレクセイを捜索してくれる人たちを除いて、皆例外なくロクでもない人間ばかり。

 特に、私が嫌いだと思ったのが、ジェーニャの恋人であるオッサン。このオッサン、ジェーニャが、アレクセイを愛せない理由(母親に愛されずに育ち、ボリスなんて好きでもないけどたまたま妊娠したから産んじゃっただけで、妊娠さえしなきゃ良かった!!みたいな内容)を寝物語で語るわけだが、それをヘラヘラ笑って聞いている。そして、ジェーニャが「私ってモンスターかしら?」と言うと、そのオッサンは「世界一素敵なモンスターだ」とか言うんだよね。

 私がこのオッサンだったら、母親と仲が悪かろうが、夫を嫌っていようが、それはゼンゼン構わないが、我が子を産まなきゃ良かったと堂々と言う女のことは信用できないと思う。あまりにも無責任すぎるから。こういう女は、結局、どういう状況でも不満を探して文句ばかり言う女と相場が決まっている。そんなことに、イイ歳こいたオヤジ面下げて気がつきもしないなんて、頭が悪すぎると思ってしまう。

 まあ、そんなオッサンだから、ジェーニャなんぞに引っ掛かるんだろうけれども。

 ボリスの若い恋人も、ちょっとなぁ、、、という感じではあるけれど、まあ、ああいう女性は一杯いそうな気もする。ジェーニャの母親は、ロクでもないけど、ジェーニャが妊娠したときに「堕ろせ」と言ったというのは、ある意味、親として真っ当な対応だとも思う。子育ては綺麗事では済まないからね。

 『裁かれる~』に出て来ていた大人たちも、確かみんな自己チューだった。あちらは宗教がらみで余計に胡散臭さがあったけれど、こっちは、醜い人間性が全開になってこれでもかと描写し、こっちとしては自分の姿を見せつけられているような感じで、おぞましさに襲われる。

 監督のズビャギンツェフは、パンフのインタビューでこんなことを言っている。

 「私は悲観的なのではありません、現実的なのです。もし、このストーリーをもっと楽観的なものにしていたら、観客はきっと、悪いのは相手や状況の方で、自分が変わる必要はないと思うでしょう。私は、“これではいけない、自分こそが変わらなきゃいけないんだ”と思って欲しいのです」

 「他人への思いやり、共感、尊敬がいかに大事なことか。これこそが、人間性が失われつつある現代人への警告なのです」


 ……“人間性が失われつつある現代人”ってのは???だけど、確かに本作は現実的だし、周囲への思いやり・尊敬が欠けると、こうなるという悲劇の典型を描いている。

 本作で、アレクセイをボランティアで探索する人たちがいて、これは、実際にロシアにあるボランティア団体をモデルにしているそう。よくぞここまで赤の他人のために、、、と思うほど、その捜索ぶりは徹底している。そして、本作でもロシアの警察がいかに無能かが描かれており、このようなボランティアが生まれる背景となっている、ということらしい。

 監督の言葉は、自分のことしか考えないロクでもない両親やその恋人と、無私で他人のために動く、まさしく思いやりとを、対照的に物語っている。


◆アレクセイは帰ってくるのか?

 以下、盛大なネタバレなので、未見の方はご注意を。

 そう、見る人が全員気になる、“果たしてアレクセイはいずこへ?”である。

 結論から言うと、アレクセイは不明のまま、本作は終わる。アレクセイがいなくなったのが2012年、本作のエンディングが2015年だから、3年経っても行方知れずのまま、ということだ。

 私は、アレクセイは、最初から、もう戻ってこないつもりで家を出たのだろうと思う。だから、きっと、どこかでサバイバルしているはずだと、見終わってから思った。明確な根拠はないけれど、家を出る日の朝の、ジェーニャとの会話や、防犯カメラに映らないルートで行方をくらましていることなどから、帰らぬ意思を持っていたと感じたし、結果的に発見されなかったことで、さらにその感を強く抱いた次第。

 アレクセイという我が息子が不明となったことで、ジェーニャとボリスには、計り知れない罪悪感がのし掛かったのか、互いに新生活を始めてはいるが、どちらも決して幸せそうでない描写で本作は終わる。

 では、このアレクセイ失踪事件がなく、当初の予定通りアレクセイを寄宿舎に入れていれば、2人の新生活は幸せなものになっていたのだろうか?

 まあ、なっていたかも知れないが、多分、結果は同じだったろうと思う。何か上手く行かないときに、周りのせいにして環境を変えてみたところで、監督の言葉通り、自分が以前と同じ自分であれば、同じ結果しか得られないのだろう、と思う。

 アレクセイは、こんな愚かな両親から離れて正解だったのだ。きっと、どこかで逞しく自分の人生を切り開いているに違いない。そう思わなければ、あまりにも本作は報われない。


  






ラブレスというより、ナルシシズムだろうね、これは。




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ラブ・ザ・ハード・ウェイ~疑惑の男~(2001年)

2017-01-16 | 【ら】



 ジャック(エイドリアン・ブロディ)は、仲間とケチな詐欺を働いて巻き上げた金で生活していた。ある日、暇つぶしに入った映画館で、カウンターでアルバイトしていた女子大生のクレア(シャーロット・アヤナ)と偶然出会い恋に落ちるのだが、、、。

 割と王道なラブストーリー映画でそこそこ悪くない、、、んだけど、このサイアクな副題のせいでかなり損していると思われる。疑惑の男って誰よ!?
 
 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 もともとエイドリアン・ブロディって、ゼニアのモデルをしていた頃から苦手な俳優だったんですが(あの顔がどうも、、、)、2年ほど前に『戦場のピアニスト』を見て、見方が180度変わり、さらに、昨年「午前十時の映画祭」で、スクリーンで3度も同作品を見たら、なぜかものすごくイイ男に見えてきて、“もしかして私、惚れたかも、、、”状態になり、突如、彼の出演作をイロイロ見たくなったという次第。

 で、なぜ本作からか、というと、特に理由はないけど、オスカー受賞する前の作品を見たいなぁと思いまして。本作とほぼ同時期の作品『ブレッド&ローズ』も良かったしね。

 まあ、オープニングからラストまで、ブロディは出ずっぱりなので、彼を鑑賞するには最適な作品でした。


◆不良青年と優等生女子、というテッパンな組合せ。

 ブロディ扮するジャックは、もう、言ってみれば、どうしようもないチンピラなんだけど、なにしろ、ジャックはカッコイイのですよ。

 いつも着ているのがヘビ皮のジャケットなんだけど、あんなジャケット着ている時点で、フツーじゃないのが一目瞭然。でも、恐ろしく似合っていて絵になるのだなぁ、これが。さすがブロディ、ゼニアのモデルやってただけのことはある。

 で、このジャック、実は、詐欺稼業の合間に、小説なんかも書いていたりする、、、ただのバカ一色のチンピラじゃないところがニクい。

 暇つぶしに入った映画館では、前の座席の背もたれに足を乗せて映画を見ているジャック。携帯が鳴ると、上映中なのに出る! 周囲に白い目で見られても平気。少し喋って、仕事の打ち合わせになったところでようやくロビーへ、、、とかいうこの辺の描写は、ジャックがどういう男なのかがサラリと、でも印象的かつ分かりやすく伝わってくる。

 そしてクレアに出会うんだけど、出会いの会話は、定石通り、喧嘩(というか罵り合い)で終わる。ここでこの2人は先行きはキマりだわね。

 昔の少女マンガとかでよくあったような。こういう、ワルい男と優等生女子が惹かれ合う物語。大抵、男はクールを装って、女が積極的だったり、おせっかいだったりして2人の距離があっという間に縮まるパターン。本作もまさにそれ。クレアちゃんは、初めて出会ったであろう不良イケメンにイチコロだったのですね。

 2人は、一応(?)付き合い始めて、なかなか良い雰囲気になるのですが、ジャックは不遇な生い立ちのせいもあって、多分、特定の女性と長く深く関係を築いたことがないのだと思われ、クレアが学会の発表でしばらく離れている間に、詐欺仲間の女性と寝ちゃって、その現場をクレアに目撃され、、、。

 ……等々というあれこれが2人の間には起きまして、果ては、クレアが自殺未遂まで起こしたりしますけれども、ラストは元のさやに収まることを暗示するような終わり方で、ハッピーエンディングなんだと思います、多分。

 正直言って、ストーリー的には特筆事項はないような、、、。 


◆大した役者だったのだ、やはり彼は。

 本作がありきたりなストーリーな割に、さほど陳腐さを感じずにいられるのは、やっぱし、ジャックの描写が良いからじゃないでしょうか。つまり、ブロディの演技が素晴らしいってことです。

 ジャックも、不遇な生い立ち、特定の女と深入りしない、クールなチンピラ、イケメン、、、と、人物造形としてはありがちで、多分、大根が演じていたら見るに堪えない映画になっていた可能性が高いと思う。でも、やっぱりブロディはこの頃から大した役者だったんだなぁ、、、としみじみ思います。

 クレアに惹かれつつも、クレアを冷たく突き放したり、仲間が詐欺グループにクレアを引きこもうとするのを絶対に阻止したり、傷ついたクレアを自分もボロボロになりながら抱きしめたり、硬軟演じ分けが実に巧みです。

 これはもちろん、演出が良いというのもあって、ジャックのファッションもそうだけど、髪型も同様で、時々ものすごい寝癖が付いてるんだけど、それがまた実にジャックのキャラやその時の気持ちを表していて上手いなぁ、、、と思います。

 また、クレアを演じたシャーロット・アヤナがとても可愛く魅力的。大胆に脱いで、美しい裸体を惜しげもなく晒しているのもアッパレ。ラブシーンも独特の撮り方をしていて印象的です。美男美女のラブシーンは美しくて良いですなぁ、、、。

 まあ、とにもかくにも、本作は、ブロディあっての映画で、彼がジャックを演じたからこそ見るに堪える作品になったのだと思われます。

 余談ですが、ブロディは、『戦場のピアニスト』でも思ったけど、ものすごい痩せているように見えるけど、かなり鍛えられた体をしています。マッチョとまではいかないけど、腕もガッシリしているし。ま、マッチョは私嫌いなんで、あんくらいがちょうど見ていてもイイ感じです。


◆ブロディは詐欺常習犯には向いていないと思う。

 ところで、ジャックのやっている“ケチな詐欺”ってのは、ホテルの一室に仲間の女性がテキトーな客をみつくろって売春を手引きし、行為が始まる前に、警察官の扮装をしたジャックと親友チャーリーが乗り込んで、客のカネや貴重品を巻き上げる、、、という、実に実にみみっちいものです。

 そもそも、ブロディみたいな特徴のある顔の人間は、詐欺常習者には向いていないよなぁ。だって、被害者に顔を覚えられやすいから、すぐアゲられちゃうと思う。せめてメガネをかけるとか、付け髭つけるとかするならまだ分かるけど、警察官の制服着るだけじゃダメでしょ。プロとは思えぬ杜撰な手法。

 まあ、映画でさすがにそんなに早くは捕まりませんが、終盤でおとり捜査にハマってジャックとチャーリーは2人ともお縄となります。ま、トーゼンでしょう。

 ジャックやチャーリーが商売道具を入れて持ち歩いている大きい黒い鞄があるんですが、その鞄に何故か、「千 金 室」っていう漢字三文字が書かれているのが笑えました。何で、「室」なわけ? なーんて、日本人がヘンな横文字のTシャツ着ているのと同じですね。

 いやぁ、本作を見て、さらに、ブロディ君がイイ男に見えてしまいましたヨ。何でかしらん? 『グランド・ブダペスト・ホテル』ではゼンゼン気にも留まらなかったのに。

 この次は『ミッドナイト・イン・パリ』を見る予定です。またさらに赤マル急上昇(って死語?)するんでしょーか? 楽しみ
 







こないだまでイマイチだったのに最近どんどんイイ男に見えてくる




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ランジェ公爵夫人(2006年)

2016-05-09 | 【ら】



 以下、amazonよりコピペです。=====

 ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠、ジャック・リヴェット監督が文豪・バルザックの名作を映画化。19世紀初頭、パリの貴族社会を舞台に繰り広げられる残酷な愛の駆け引きを描く。ジャンヌ・バリバール、ギョーム・ドパルデューら豪華キャストが共演。(「キネマ旬報社」データベースより)

 文豪バルザックの名作を巨匠ジャック・リヴェットが完全映画化! 19世紀初頭、パリの貴族社会を舞台に繰り広げられる命懸けのラブストーリー。時は1823年。ナポレオン軍の英雄モンリヴォー将軍は、スペインの修道院で一人の修道女との再会を果たす。それはかつて愛したランジェ公爵夫人だった…。(「Oricon」データベースより)

 =====コピペ終わり。

 もっと古い映画かと思ったら、10年前のだったのですね。 ジャック・リヴェットといえば『美しき諍い女』が有名ですが、これも、男と女の心理的葛藤物語という点では共通している、、、のか。

 
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 またしても、記憶にないDVDが到着。リストに入れた時は、間違いなく“見たい”と思ったから入れたはずなのに。何を見て、“見たい”と思ったのかが、まるで思い出せません、、、ごーん。

 ちなみに原作は未読です。『美しき諍い女』がダメだった私には、本作もイマイチでした。


◆親父より100倍イケメンなギョーム

 モンリヴォー将軍を演じているのは、ギョーム・ドパルデュー。そう、あのジェラール・ドパルデューはお父上。

 それにしても、瓢箪から駒と言っては失礼かもしれないけれど、あのお父上からは想像もできない美男子なギョーム。美人薄命じゃないけど、やはり美男子も早く神に召されてしまうのですかね……。亡くなったニュースを聞いたときは、かなり衝撃を受けました。だって、37歳ですよ? 若すぎます。子の葬式に出なければいけない親の気持ちはいかばかりか。お父上のことは俳優としては正直、好きじゃないけれど、ギョームを失った時の気持ちは想像を絶します。

 ギョームは若い頃にバイク事故が原因で足を片方切断していたそうですが、本作でのモンリヴォー将軍は、戦闘で負傷し義足という設定のようで、わずかに足を引き摺るその様が、なんとも言えない色気を醸し出してもいます。原作ではどうなのか知りませんが……。

 とにかく、お父上のようなあか抜けない醜男ではなく、多少のゴツさに遺伝を感じるものの、品があって知性を感じるイイ男です。ネットで見たら、お母様がやはり美女でした。、、、すごく納得。


◆これがコケットリーなんだ?

 で、本作は、いわゆる19世紀の貴族社会における恋愛を描いたものだそうなんですけれども、現代の超速スピード文化に慣れ切った者としては、このモンリヴォー将軍とランジェ公爵夫人のやりとりは、ハッキリ言って“何やっとるん、この人たち、、、??”という素朴な疑問を抱いてしまうのです。

 ランジェ公爵夫人は、“コケットリー”を知り抜いている貴婦人だそうです。コケットリーとは、広辞苑(第5版)によると、「嬌態、媚態、あだっぽさ」。では、嬌態とは何かというと、「なまめきこびる色っぽい態度・様子」とあります。

 ですが、、、。本作でランジェ公爵夫人が、モンリヴォー将軍にしていることは、ただの「意地悪」じゃん? 自分に気があると知っていて、自分も憎からず思っているけれども、すんなり相手のモノになっては下品(?)だから焦らす、、、とにかく焦らしまくる、という作戦で、その焦らし方がこの当時の上流社会における“コケットリー”なんだとか。

 その焦らしの場面での2人の会話が面白いかというと、別にそうでもなく、、、。これがバルザックの描くコケットリーなんですかねぇ。

 確かに、公爵夫人は、胸が大きく開いたドレスを着てソファにしなだれかかったり、胸を突き出すようにして将軍に接近したりするので、色っぽい態度といえばまあ、それはそうでしょう。

 どちらかというと、コケットリーというよりは、単に“恋の駆け引き”を楽しむ、スリルを味わう、みたいな感じでしょうか。ただ、何度も何度も公爵夫人の下へ通ってはいなされてばかりの将軍で、2人のダラダラとしたスリルのスの字も感じられない会話ややりとりを見ていると、大変下品で恐縮ですが、「さっさとやることやっちゃえば?」と思っちゃうんですよねー。

 実際、そんなダラダラを繰り返したばかりに、2人は大後悔をするハメになるのですよ? それのどこがコケットリーじゃ。男と女なんて、寝て何ぼじゃないでしょーかねぇ。寝ないで何が分かるか、っての。寝てもいないのに、「心底愛した」とか言ってるのは、ハッキリ言ってすご~く陳腐に聞こえます。


◆ジャンヌ・バリバールが痩せ過ぎで色気ゼロなのがイタい

 コケットリーとか言うわりに、肝心のランジェ公爵夫人を演じたジャンヌ・バリバールがとてもじゃないけれど、嬌態・媚態には程遠いルックスってのも、本作に入り込めない大きな要因の一つですかね。これを、イザベル・アジャーニが演じていたら、ゼンゼン違っていたと思うし、アジャーニの方が合っていたと思います。彼女の場合、そこにいるだけでコケットリーでしょ。コケットリーを具現化した役者が、イザベル・アジャーニその人です。

 ジャンヌ・バリバールは、美しいとは思うけれど、剣のある顔で、ちょっと、、、。体も細過ぎて、胸を強調しているけど、あまり豊かなバストには見えず、、、。どっちかというと、美しい割に男運が悪い、だからイライラしていて神経質な女、みたいな役の方が合っている気がします。

 でもこのジャンヌ・バリバールさんは、あのマチュー・アマルリックとの間にお子さんがいるのだとか! へぇ~!!


◆修道院の陰惨さ

 冒頭のシーンが強烈です。いきなり、修道女となった公爵夫人と将軍が再会するのですが、それが鉄格子越しです。鉄格子の向こうに薄暗い空間があり、おっきな黒い十字架が壁に掛けられ、その前に公爵夫人と付添いのシスターが立っています。何とも言えない陰惨な雰囲気で、いわゆる性の悦びを厳禁するカトリックの過剰な抑圧空間という感じ。

 そしてラストもまた修道院。公爵夫人は、青ざめた顔をして横たわっています。、、、自死してしまったのです。なぜか?、、、分かりません。何の説明もありません。


◆原作は連作モノの一篇

 さて、原作を書いたのはあのバルザックなんですが、私はバルザックの小説で読んだものといえば「従妹ベット」だけでして、それも同タイトルの映画を見て読んでみようと思ったワケですが、あまりの小さな字と古めかしい訳文と分厚い1冊ずつの全2巻に、内心ひぃひぃ言いながらどうにか読破したものの、読み終えたときに、一体どんなストーリーだったっけ、、、? てなザマでした。今読んだら、もう少しマシなんでしょうかね、、、。

 ただ、そのようにストーリーがすんなり頭に入ってこなかった理由は、小説にも原因があり、というか、ハッキリ言ってものすごいヘンなんですよ。もう詳細は忘れましたけれども、バルザックという人について私はほとんど無知ですが、「従妹ベット」を読んでいるときに感じたのは、こんな小説を書く人は変人に違いない、ということでした。

 本作の原作は、「十三人組」という連作モノで、そのうちの一つが、この「ランジェ公爵夫人」だそうです。「十三人組」は、いわゆる13人からなる秘密組織のお話で、本作中でも、何の説明もなく、その秘密組織の一味と思われる男たちが現れて、公爵夫人を拉致したり、修道院から公爵夫人の遺体を盗み出したりという描写があります。ハッキリ言って見ているときは???なんですが、原作の成り立ちを知れば、なるほど、というところでしょうか。







『美しき諍い女』が好きな方は合うかも、、、。




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ラ・ピラート(1984年)

2015-03-17 | 【ら】



 人妻アルマは、夫との関係は事実上破たんしており、以前から関係のあった女性キャロルとの三角関係に陥っている。そこへ、夫にアルマを連れ戻すよう依頼を受けた男“ナンバー5”が加わり、さらに、謎の少女も加わり、あり得ない五角関係(?)に、、、。

 ジェーン・バーキンの痩身ヌードがイタい、、、。
  

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 
 ドワイヨンって名前は聞いたことあったけれど、ほとんど何も知りませんでした。ただ、十何年ぶりだか何十年ぶりだかの日本で新作『ラブバトル』が公開されるというのがちょっとしたニュースになっているようで、それほど見てみたい~! とそそられる感じでもないんだけれども、公開期間が短いみたいで、そうすると、何だか見ておかないともったいないような気持ちにさせられて、今、見に行こうかどうしようか、迷っているところであります。

 まあ、とりあえず、そのドワイヨンたらの作品を1つでも見てみようじゃないの、と思ったけれども、私はあんまりおフランスものが得意じゃないので、これまた躊躇したんだけれども、時間が90分に満たない短さなんで、意を決して(ってほどのことか、と自分でも思うが)見てみた次第です。

 、、、まあ、なんというか、これは、私の理解を超えたところにある世界のオハナシという感じもしますが、よくよく考えると、単なる三角関係の泥沼ラブストーリーと言っちゃっても良いのかも。・・・え? 読みが浅い? はい、そーでしょうとも、浅くて結構。

 だってねぇ、私は、アルマみたいな人間が、正直キライなんですよ。本作の解説を見ると、アルマは誰からも愛されてしまう女性で、それゆえ、アルマ自身は誰も愛せない女性なのである、だそーな。こういう人って、現実にいるんですかねえ。、、、ま、いるんでしょうねぇ、私の周囲にいないだけで。いるかも知れないけど、私が気付いていないだけかも知れませんが。

 これは、私の勝手な持論ですが、愛される人間は、愛することのできる人間だと思うわけ。なので、人を愛せない人間が、人から愛されて仕方がない、ということって、あり得ないと思うんですよ。

 事実、アルマの夫も、“ナンバー5”も、アルマを愛しているとは思えないよね。特に夫は、ただ彼女に執着しているだけ。それを愛という人もいるだろうけど、私はそうは思わないのだ。

 そもそも、愛する、ってどういうことなんでしょーか。ま、ここでいう愛は、恋愛、つまりエロスを伴うものです。

 好きだとか、寝たいだとか、そういうのは愛じゃないでしょう。それは、ただの恋心、性欲、ですね。愛ってのは、結局、そういう恋心とか性欲とかをさんざん消費した後に、ようやく見えてくる、到達できそうな心境のような気がするのです。つまり、動物だった2人が、人間同士になってふと気づく気持ち、とでも言いましょうか。

 割とぼんやりしたもので、感触はないんだけれども、肌で感じている温かみ、みたいな、、、。いや、物理的に常にくっついているという意味ではもちろんなく、その人がこの世にいると分かっているから、自分がここに存在していられる、みたいな感覚ですかねぇ、、、。何のことやら分かりませんか? すみません。

 少なくとも、相手を独占しようとすることが愛ではない、ということだけは力説しておきたいかな。手放す愛も、近づかない愛もあるってこと。そういう意味では、キャロルは、強いて言えば、まだしもアルマを愛していたと言えるかもですね。

 でもまあ、アルマとキャロルも、まだまだ動物レベルですから、この2人は愛し合っているのとは違うよね。求め合っているだけ、欲の赴くままに。特に、アルマなんか、肉欲なのか、孤独を埋め合わせたいだけなのか、どっちもなのか、もはや、相手がキャロルである必要性すら疑問。キレイな男でも良かったんじゃない?

 ちなみに、2人のラブシーンは、ゼンゼン美しくありません。キャロルを演じるマルーシュカ・デートメルスは素敵ですよ、美しいですしセクシーです。問題は、ジェーン・バーキンです。首から下だけ見ていると、張りと艶のなくなった少年のような体で、視覚的にイヤです。かと言って、男性の体とはやはり明らかに違う。なんというか、ちょっと病的な感じのする裸身に、思わず眉間に皺が寄りました。

 あっちでもこっちでも愛されちゃって、アタシ、どーすればよいのよぉぉぉっ!!って感じでしょうかね、ジェーン・バーキン演じるアルマは。とにかく、本作の登場人物は、誰も、誰をも愛していないと言えましょう。自己愛の強い輩が、勝手にくんずほずれつしているだけのようにしか、私には見えませんでした。

 カンヌじゃ大不評だったようですが。おフランスでは大好評だったとか。フランス人ってこういう作品の、どこに共感しているんですかね。正直、是非、聞いてみたいです。愛=性欲、ってのは、陳腐すぎやしませんかね。それとも、私の見方が単純化しすぎなんですかね。まあ、それでも良いですが。この作品の深みとか教えてもらっても、納得できる自信もないし。

 『ラブバトル』、どーすっかなぁ。また、愛=性欲、だったら、腹立つなぁ。でも、見てみないと分かんないもんなぁ。うーん、、、。

  



ドワイヨンでドヨ~~ン




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ラルジャン(1983年)

2014-11-07 | 【ら】



 ちょっと裕福な家の少年がやらかした「偽札使用」という犯罪。その偽札が巡り巡って貧しい労働者イヴォンを人生の谷底に突き落とすという不条理極まる話。

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 ブレッソンの遺作で知られた本作です。ブレッソン作品を見たのは、これが2作目。最初はあの『スリ』。本作も、やはり、『スリ』とタッチは似ています。ムダな描写やセリフが一切ないところとか。最初から最後まで目が離せません・・・。

 不条理も、ここまで来ると、もうなんというか、虚脱状態になります。特に、本作は冤罪による不条理なので、もう、見ていてドキドキしっぱなしで疲れます。そう、冤罪ものは本当に見るだけでもの凄く体力というか、エネルギーを消耗します。あまりに不条理すぎて動悸が止まらないのです。

 『スリ』はドストエフスキーの「罪と罰」が下敷きにあるということだけれど、あの映画はそんな哲学を見ている者に全く感じさせない、ひたすら「スリというお仕事」にフォーカスした作品だったので、見ている方も、ドキドキはしながらも、やるせなさに襲われるということはなかった気がする、、、。と思って、みんシネで『スリ』に何を書いたか見たけれど、やっぱり消耗した形跡はナシ・・・。

 でも、本作は・・・、とにかく見ていて、く、苦しい。ブレッソンの怒りなのか、これって。厳然と横たわる“格差”。その前にあまりにも無力なイヴォン。これでもかと不運と不幸が続き、彼は、遂に“殺し”に手を染めてしまう。本人に責任のないことが引き金となって、人間とはここまで堕ちて行くものなのだ、しかも、いとも簡単に堕ちて行くものなのだ、ということを、一切の無駄を省いた描写でえげつないほど見せつける。何が彼をここまでの創作に駆り立てたのだろう、と思うと、これまたドキドキしてしまうのです。

 本作にしても、『スリ』にしても、要は金、カネ、money、そう、ラルジャンなわけです、人生を狂わせしもの。

 よく、借金がらみで殺人事件が起きていますよね。金を貸してくれないから殺した、金を返してくれないから殺した、どっちも、正直なところ動機としては分からない。痴情のもつれの方がよっぽど分かります。でも、本作を見ると、何となく少し「カネで殺し」が分かってしまう気がします。

 イヴォンの殺しを見ていると、殺しに対し得るにしてはあまりにも“はした金”です。でも、イヴォンに躊躇は一切ない。そこが怖い。こうなっちゃうんだよ、人間は、と言われているようで。そして実際に起きている、カネで殺しが、あちこちで。

 お金って、額の多寡にかかわらず、持つ人の人間性を露出させてしまう、実に恐ろしいツールです。お金って人間にとって、最悪の発明品だと常日頃ぼんやり思ってはいましたが、ブレッソンにここまでダメ押しされると、そうはいっても必要悪なのよ、と反論したくもなってくるような、、、。

 途中、イヴォンに優しさを見せる人もいるのですが、最早、彼にとってそんな程度の善意は何の救いにもならなかった、ということなんでしょう。最初に偽札を使った少年は、まさか、自分の行為が一人の見知らぬ人の人生を完全に破壊しているだなんて、思ってもいないであろうことが、究極の不条理です。

 恐るべし、ブレッソン、、、。


恐ろしきモノ、それは「お金」




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ラガーン(2001年)

2014-05-26 | 【ら】

★★★★★☆☆☆☆☆

 リンクの作品情報にはあらすじがないので、簡単に書きますと「植民地時代のインドで、重税に喘ぐ村を救うべく、クリケットでイギリスの軍人チームと闘った勇敢な青年と村人たちのお話」ってなところでしょうか。amazonさんの商品紹介にはもう少しマシな内容紹介があります。

 何しろ、本作は、224分もありますからね。3時間44分ですよ。インターミッション挟んで2日に分けて見ました。

 昨年、『きっと、うまくいく』にハマって、アーミル・カーンという俳優さんが、ほかの作品ではどんな感じなのかしら、と思って見てみたわけです。なんつったって、制作が彼のプロダクションなんですからね、美味しいところはぜーんぶ彼が持っていっております。でもまあ、彼は、やはりそれだけのオーラのある俳優さんでした。一応、納得。

 とはいえ、まあ、結末は分かっているようなもんだし、いかに過程を面白おかしく見せてくれるかというのがミソなんだけれども、いかんせん、長過ぎるので、ダレてしまいました、私は。山場であるはずのクリケットの試合も延々・・・。まあ、面白くなくはないけれども、基本、長い映画が苦手な私としては、早送りしたくなるのをグッとこらえました。クリケットの魅力もよく分からず。

 本作を見て1番感じたこと、それは、彼の地はめちゃめちゃ暑いんだろうな、ということでした。登場人物、皆、汗だくなんですよ、これが。イギリス人たちも、脇汗の凄いこと・・・。臭いそう。もう、見ているだけでうんざりしてくる暑さです。そして、土埃。あー、なんか、のど乾いてきます、マジで。

 てなわけで、映画に対する感想は、ほとんど書きたいこともなく、ただただ、長さと暑さを感じた作品でありました。見終わった後、全部見たぞぉー、という達成感は味わえます、多分、、、。
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