映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

眠れる美女(2012年)

2015-06-30 | 【ね】



 2009年、17年間植物状態で眠り続けたエルアーナ・エングラーロの延命措置停止が裁判所によって認められた。が、これにカトリックが激しく反発。当時の首相ベルルスコーニが、延命措置続行法案を議会に提出、強行採決を目論んでいた。

 一方、市井の人々の間にも生と死を巡るドラマが展開されていた、、、。

 3つの物語を並行して見せることで、実際に起きた事件への、監督の立ち位置を明確にし、見る者への問いを投げかける作品。

 
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 このエルアーナ・エングラーロのニュースは日本でも結構報道されていたので覚えていましたが、ベルルスコーニがこんなことをしていたことまでは知りませんでした。というか、ニュースで恐らく言っていたんだろうけど右から左だったんだわ、きっと。

 しかし、まあ、このブログでも何度か書いていると思うけれども、宗教ってホントに理解できません、私。信者の方には先に謝っておきます、不敬なことばかり書きますがすみません。でも特に、映画でよくネタになるカトリックは、ホントに意味不明にさえ思えます。救いどころか人々の対立を生んで、苦しみの種にさえなっている様に見えますが。

 家族が延命措置を停止したいと、きっと相当に苦しみ悩んだ末に出した結論のはずで、その結論をやっと司法が認めて合法としたにもかかわらず、国がそれをひっくり返そうってんだから、オソロシイです。個人の意思より国家の指示に従えと。カトリックってそんな教えじゃないんじゃないの? どうすればそういう風に歪むんでしょうか。

 しかも、その張本人はあのベルルスコーニ。私、嫌いなんです、あのオッサン。もう、いかにも成り上がりの下品オヤジ丸出しで、彼が首相になった時は、イタリア国民の民度を疑いたくなりました。、、、今や、日本国民が世界中から民度を疑われているかも、ですが。トホホ。

 それはともかく、ベルルスコーニが本当にカトリック信者として純粋な思いからあんな法案を提出したとは、到底思えませぬ。自分が権力の座に居続けられるなら何だって利用しよう、みたいな風にしか見えないんですけど、、、。これって、私の色眼鏡?

 ベロッキオの意図は明確です。それは、だから良いんです。私が、本作に対してあんまし良い感情を抱けなかったのはテーマがテーマだからってのもあるけど、なんつーか、3つのエピソードがちょっと“安っぽい”感じがしてしまったからですかね。強いていえば、イザベル・ユペール版でしょうか、ドラマとして見られたのは。あとの2つはちょっと、見ていて寒かったです、ハイ。

 何故か、、、。ん~、多分、ベロッキオが抱いたテーマに沿ったストーリーを紡ぎ出したからでしょう。ストーリーからテーマが浮かび上がるのではなく、この場合、テーマありきだから、どうしても話がそっちに寄ってしまう。「生と死」を描くということは、リアルに生死をさまよう事態を描かないと描けないんでしょーか。ここまで直截的な話を3本揃えられると、ちょっとウソ臭さが漂ってしまい、私はダメでした。

 しかも2本はエルアーナと同じように、生命維持装置を外すか外さないかで生死が分かれるというお話で、あとの1本は自殺願望の強いヤク漬け女のお話。生きる意味を問うために、対比として置かれた設定だとは思いますが、同じ“生きながら死んでいるに等しい”状態の3本であっても、1本だけは自らの意思で再生可能である話なのは、狙い過ぎというか、、、。

 ベロッキオは何で3本のストーリーを用意したのかな。2本でも良かったのではないか。“自殺願望の女編”と、“生命維持装置編”2本のうちの1本。どうして3本なのだろう。“生命維持装置編”2本のうち1本は外し、1本は意地でも外さない、というお話だからかな。、、、まあそうなんだろうな。だから、ちょっと用意し過ぎな感じがして、嫌なんだろうな、、、。

 しかし、やっぱり、カトリックというのは、信者に思考停止を促す宗教である、という私の見方が本作でますます強まってしまった気がします。私の身近にいるクリスチャンはみな、プロテスタントなんだよな、、、。彼らにカトリックのことを少し教えてもらおうかな。それって不謹慎なことなんだろうか。

 宗教関係の本を読んで、私が一番腑に落ちたのは、お釈迦様=ブッダの教えでした。身近に見聞きする○○宗とかの大乗仏教とは違って、ブッダの言葉。(小乗)仏教とは自己救済のための、いわば病院みたいなものだ、という言葉に納得がいった気がしました。自分を救えるものは自分だけ、という身も蓋もない教えなんですが、一番、私には心に響く話でしたねぇ。ブッダなら、エルアーナのような事態を見た時、何と言うのでしょうか。もっと色々本を読めば、どこかに答えを見つけられますかね。

 映画としては、見どころはイロイロ。何と言ってもやっぱり特筆事項は、イザベル・ユペールでしょうね。こういうイッちゃった女性を演じるのがこの人は本当に上手いです。別に普通にしているだけなのに、狂っているのが分かるという、、、。終盤の寝言でマクベスのセリフを言うシーンとか。彼女の真骨頂じゃないでしょうか。

 ベロッキオ作品は、多分初めてなんですが、これは劇場公開時に行きたかったのに見逃してしまい、ようやっとDVD鑑賞に漕ぎ着けましたとさ。でもって、明日は、1日の映画の日! この日のために、私は夏休みをゲットしたのだ。映画館ハシゴしようと思いまして。、、、お天気はあいにくの雨らしいですが。たとえ嵐でも全身カッパ着こんでハシゴ鑑賞してやるのだ! だから今日は早く寝るぞ!!

 




  

自分の生命維持装置なんて外してもらいたいけど
あなたの生命維持装置だったら外せない、、、かも。




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終着駅 トルストイ最後の旅(2009年)

2015-06-25 | 【し】



 20世紀初頭のロシアで、既に文豪として国民的英雄となっていたレフ・トルストイは、トルストイ主義なる思想主義を掲げて実践する集団生活の主宰となって、私財まで全てなげうとうとしていた。

 世界史上3大悪妻に名を連ねるトルストイの妻ソフィヤは、何とか夫を思いとどまらせようとするが、トルストイが全幅の信頼を寄せていたトルストイ主義の活動家チェルトコフと対立し、トルストイの心はますますソフィヤから離れていくばかり。

 そんないざこざが嫌になったトルストイは家出をする。齢82歳。そして、家出した途中の駅で病死する。、、、が、ソフィヤとチェルトコフの対立はトルストイが死んでも収まらなかった。嗚呼。

 
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 映画としての良し悪しを言えば、まあまあだと思うのだけれど、これほど見ていて気分の悪い映画も少ないですわ。

 トルストイ、文豪だか何だか知りませんが、えらく自分勝手な爺ぃです。夫がこんなんになったら、そら、妻はおかしくなってアタリマエ。夫がそもそもおかしいんだからね。この爺ぃのタチが悪いのは、自分を尊敬し慕ってくる男チェルトコフを溺愛して配下に従え、好き勝手やっているところです。しかも、本作ではトルストイは妻思いのイイ人に描かれているけど、かなり偽善臭プンプンで酸欠になりそう。

 このチェルトコフを演じるポール・ジアマッティという俳優さんが、また、本当に見るからに憎ったらしい面構えなんだよな~。マジで一発かましてやりたい、と見ている者に思わせるなんて素晴らしい。どこかで見た顔だなー、と思ったけど、『幻影師アイゼンハイム』で警官やっていた人なのね。ちょっとオーソン・ウェルズに似ている気がする。

 そして、悪妻で名高いソフィヤを演じるのはヘレン・ミレン様でございますよ。いまさらコメントするのも無駄な気がしますね。トルストイが家出したのを知って、池に自ら落っこちるシーンが、見ていて苦しかったです。彼女があそこまで夫に執着したのは、もはや、愛でも物欲でもなく、確かに病んでしまっていたからでしょう。そうとしか思えない描写です。もちろん、ヘレン・ミレン様は正気そのものを演じておられるのですが。でも、もう病んでいるとしか言いようのない状況、、、。

 大体、夫婦でどっちか一方だけがとんでもなくオカシイ、ってことは、ほとんどないと思う。人間と人間の“つがい”な訳だから。互いに影響を受けざるを得ないんだから、良くも悪くも相乗効果なのよ。それなのに、トルストイが国家的英雄だからって、妻だけがモーレツにおかしい女みたいに言い伝えられるのは、歴史はやはり男が作って来たから、、、なんて書くと、フェミだ何だと怒られそうですが。ま、そこまで断言する気はないけど、でも、恣意的なモノは感じますよね。誰の、あるいは何の意図が強く働いたのか知りませんが、トルストイもソフィヤに負けず劣らず“悪夫”(そんな言葉あるのか?)だよ。破れ鍋に綴蓋とは、まさにこの夫婦のことです。

 狂言回しはジェームズ・マカヴォイ演じるワレンチン。トルストイ主義に心酔した童貞くん。むりやりマーシャに上に乗られて1秒であっけなく、、、。「すごく素敵だった! ホントよ!」とマーシャ。ホント!? ま、いっか。

 私、このジェームズ・マカヴォイのルックスがどうしても好きになれません。『つぐない』でも激しくそう感じたのですが、今回もやっぱりそうでした。何だろう、きっとイケメンの部類に入る顔だと思うんだけど、なんかこう、、、ダメなんだよなぁ。ファンの方、ごめんなさい。理屈じゃないんです、ただの好みの問題で。、、、なので、ワレンチン(という名前も何だかな、、、という感じ)がトルストイとチェルトコフとソフィヤの三角関係に巻き込まれて右往左往して困っていても「あなた、ウザいです」という悪魔の囁きが心の中でコダマする・・・。ま、若いからね、ワレンチン君は。致し方ないとは思うし、そういう役なんだから仕方ないのも分かっているんですが、、、。

 トルストイの小説、ちゃんと読んだもの1つもないんです、恥ずかしながら。『クロイツェル・ソナタ』を、今度、じっくり腰を落ち着けて読んでみたいなー。おかしな爺ぃになりかけの時期の作品だし。あそこまで禁欲を説くってことは、セックスにバリバリ翻弄されていることの裏返しだと思うし。ま、まずは読んでみよう! と思いました。



  

世間の大抵の夫婦は破れ鍋に綴蓋です。
どっちかがもったいない、なんての見たことないです、はい。




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美しき獣(2012年)

2015-06-22 | 【う】



 とある田舎町の豪邸に住む美女(?)ジュナは、ある夜、レンタルビデオ屋で出会った男パオロと成り行きで一夜を過ごす、、、かと思いきや、何だか顔つきが変わったかと思うと「ダメ……!」と拒絶し、パオロを強引に追い返す。宙ぶらりんのパオロは悶絶し、ジュナを追い回す。

 ジュナには重大な秘密があったのだ。その秘密とは、、、そう、ジュナはヴァンパイアだったのさ!

 あのカサヴェテスの娘さんの監督作だって。名前につられてレンタルリストにホイホイ入れたアタシがアホでした、、、ごーん。

 
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 (本作をお好きな方は、以下、不快になるかもしれませんので悪しからず)
 
 非凡な親の子だからって、当然のように非凡とは限らず、その辺にいる凡才である、なんてことはよくある話。本作の監督、カサヴェテス娘は凡才とは言わないが(こうしてたとえこれっきりになったとしても作品を撮って1本でも世に送ることができたわけだから)、あまり才能があるとは思えないな~、残念ながら。ちょっと、蜷川実花さんとダブりますね、存在と言い、印象と言い、、、。

 ストーリーはというと、ヴァンパイアの女ジュナに心を奪われた男パオロが、自らも望んでヴァンパイアになり、ラブラブ生活だった所へ、ジュナの妹ミミが現れたことで生活が引っ掻き回され苦悩するんだけれど、結果的にミミは滅び、ヴァンパイアのカップルは晴れて二人で異国の地へ旅立った、、、という、他愛もない話です。

 見せ方は凝っているんだろうけど、なんだかヘンなカット割りが多く(突然不自然にカットが入るんだよな)、は??みたいなところがあちこちに、、、。また、美術や音楽も凝っているんだけれども、どうにもこうにも脚本的に幼稚すぎて、ちょっと見ていて恥ずかしくなってくるというか。全編そうなんだから、これはかなりキビシイ。

 何がこんなに幼稚さを感じさせるんだろうと考えてみたんですけど、まあ、それはイロイロあるんでしょうが、最大の要因は、人物描写の薄っぺらさでしょうか。一応、キャラ的には、ジュナは良いヴァンパイア、ミミは悪いヴァンパイア、という色分けはしていますが、どうしてこんなに姉妹の確執が深まってしまったのかとか、何でミミは平気で人間を襲って生き血を吸い続けることをやめないのかとか、そういう背景が全く描かれていないわけです。

 そして、人物紹介も全部セリフ(セリフは正確ではないです、ゼンゼン)。
「あなたがパオロね、ステキな人ってジュネから聴いてるわ」
「あなたも○○○(なんか相手を褒めるセリフだった、忘れたけど)だってジュネが言ってますよ」
……みたいな。学芸会かよ、と突っ込みを入れたくなるシーンが盛りだくさん。

 それに、ヴァンパイアとしての苦悩があんましないんだよね。人間が食べるものと同じものも普通に食べられるし、夜であれば街中で普通に行動していてもゼンゼン問題なしだし。まあ、人間を見るとムラムラする、という描写はちょこっとありますが、それが決定的なネックとはなっていない。

 つまり、ドラマとして成立していないのよ、ほとんど。

 うーん、何か、目指したい方向性は分かる。しかし、それ以前の問題じゃないか、という難点があり過ぎで、そのギャップが見ていて辛くなるんだな、多分。

 ヴァンパイア界のパーティーがあるんだけど、そこでヴァンパイア界の女ボスみたいな亭主が「前菜よ!」とふるまうのが、どす黒赤の人口血なんだけど、なんかさー、こういうシーンがもう、笑っちゃうわけですヨ。コントじゃないんだからさ、前菜よって、食前酒入れるみたいなグラスに血はないだろうって、、、。

 でもって、さらに可笑しいのが、この女ボスは世間的には人気女優として生活しているんだけど、ミミがある企みを持って、この女ボスの所へ彼女の熱烈なファンという若い女性を連れてくるんです。女ボスは良いヴァンパイアなんだけど、その若い女性を見て急にわなわなし始める。??と思って見ていると、その女ボス、ミミを廊下へ呼び出してヒソヒソ声でこう言います。「あの子、処女じゃないの! 私が処女の血を最後に吸ったのはもう60年(40年だったかな)も前なのよ!」、、、処女ですか、そーですか。

 この世界観には、私はどうも入って行けませんでした。

 ヴァンパイアものはイロイロあると思うけれども、よくよく考えてみると、あんまし見たことないかも。他の吸血鬼モノも、こんなんなんでしょーかね。こんな風に、おバカっぽくなっちゃうんでしょうか。本作など、かなり気取った雰囲気なんで、余計にバカっぽさが際立ってしまって、ダメでした。

 本作を気に入った方々には大変失礼なことばかり書いてしまいましたが、ま、こんな風に思った人もいるんだなー、と受け流してくださいませ。

 カサヴェテスの子どもというと、息子のニック・カサヴェテスは結構活躍していますよね。『ミルドレッド』は、母親のジーナ・ローランズも出演していて、私もまあまあ好きな作品の一つです。『私の中のあなた』はイマイチでしたが……。

 娘さんはゾーイ・カサヴェテスという人がいるみたいですが、この人と、本作の監督ザン・カサヴェテスってのは、同じ人なんですかね? よく分かりません。まあ、どっちでもいいんですが。長編初作品とのことですが、次も撮るんでしょうか。なんだかんだとこき下ろしておきながら、怖いもの見たさで、見ちゃうかもです。


  

監督の目指すものと、現実に見せられる映画
のギャップがハッキリ目に見えてしまう辛さよ、、、。




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ジュリエットからの手紙(2010年)

2015-06-20 | 【し】



 NY在住のソフィは、婚約者のヴィクターと、ハネムーンと同じつもりの婚前旅行にイタリア・ヴェローナまでやって来た。

 が、料理人のヴィクターは、これから新規オープンする店で出す料理のための素材巡りに精を出し、ソフィとの時間を楽しむ感じはまるでナシ。ソフィも、ライターとして自立したいと思っていたところ、ヴェローナの観光名所であるジュリエットの家に貼られている手紙に、一つ一つ返事を出している人たちがいることを知り、取材欲を刺激される。こうして、ハネムーンもどきだったはずの婚前旅行は、二人まったく別々の行動となることに。

 そして、ソフィがジュリエットの家に貼られていた手紙の一つに出した返信に勇気づけられた老女クレアが、ソフィを訪ねてイギリスからはるばるやって来た。孫のイケメンを同伴して。そして、クレアがかつて将来を誓い合いながら結ばれなかったイタリア男を探す旅に出ることに。イケメンの孫も一緒に3人で。

 果たして、ジュリエットとヴィクターの行く末は、、、。もう想像つきますね。そう、多分その通りです。

 乙女チックな恋愛ロードムービー。甘すぎてげっぷが出そうでございます。

 
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 昨年末にBSでオンエアしていたのを録画してあったので見てみました。映画友が劇場に見に行って、結構良かった、などと言っていたので、、、。

 まあ、悪くはないと思いますが、なんつーか、こう、スイスイと物語が進行していきまして、見ている方が1ミリたりとも裏切られることなく、ハッピーエンディングを迎えます。

 なんだかなぁ、、、と、思わないではないですが、本作はそういうジャンル――激甘乙女チック劇画――として割り切って見れば良いのです。こういう場合の最大の鑑賞ポイントは、そう、相手の王子様のルックスですね。これでロマンス度が上がりも下がりもする訳です。

 で、本作での王子様は、婚約者のヴィクターでは当然ありませんで、クレアが連れてきた孫のチャーリーなんです。これが、まあ、冒頭の紹介文ではイケメンと書きましたが、イケメンはイケメンでも、微妙なイケメンです。ロマンス度(満点10点)で言えば、6点くらいでしょーか。

 しかし! ここで、ガックシ来るのはオコチャマです。例えば、チャーリーがロマンス度8点以上の、正真正銘のイケメンだった場合、この物語はそこで終わってしまうわけね。だって、そーでしょ。ヴィクターは、ガエル・ガルシア・ベルナルで、正直チャーリーより美男子ですが、いかんせん、背が低い。王子様要素として、これは致命的。その点、チャーリーは背がすらりと高く、顔は二の次でも王子様度はこっちの方が高いわけです。とはいえ、顔だけで言えば、決してロマンス度は十分とは言えない。このビミョーな配役がイイじゃないですか。絶妙な人選です。ナイス!!

 しかも、乙女チック劇画のお約束を踏襲しております。いずれ結ばれる2人の出会いはサイアク、ってヤツです。ソフィとチャーリーは最初はいがみ合っているのですが、旅を一緒にするうちに、あっという間に、、、、。でも、ソフィには婚約者がいるという枷。もう、定石過ぎて、見ていてかなり引きますね、これは。

 惜しむらくは、ヒロインですねぇ。アマンダ・セイフライドは、確かに美人ですが、正統派美人ではないと思う。ちょっとクセのある美人。私的には、どうせ激甘乙女チック劇画にするなら、ここは、目に星が入っていそうなカワイイ系のリリー・ジェイムズ(『シンデレラ』のヒロインね)の方が合っているような。まあ、好みの問題ですが。あんまし正統派美人でも、これまた、乙女チック劇画には似合わないですし。可愛いけどちょっと、、、って感じが良いのだから。

 とか言う具合に見ると、まあまあ楽しめますヨ。

 そうそう、なんつってもクレアが探し求めたイタリア男、最後の最後に姿を現すんですが、なんとあの、フランコ・ネロ!! うぉー、棺桶引きずってたあのジャンゴだよ! 相変わらず、かっけぇ~。まあねぇ、ヴァネッサ・レッドグレイヴと釣り合う俳優となると、人選も難しいわな。

 これ、原題は『Letters to Juliet』で、ジュリエットへの手紙、なんだねぇ。どうして邦題は、からの、にしたんでしょうか。確かに、クレアの人生が激変したのは、ジュリエットからの手紙によるものでした。そういうことなのかな。でも、クレアが、かつて、ジュリエットへの手紙を書いていなければ、このドラマは起き得なかったのです。はてさて、、、。ニワトリが先が卵が先か。

 二十歳そこそこで見ていたら、もっと素直に感動できたのかしらん。ま、残念ながら時計の針は巻き戻せません、、、ごーん。 

  

ロマンスの神様を信じられる方にはおススメ。




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テナント/恐怖を借りた男(1976年)

2015-06-18 | 【て】



 そのアパートのその部屋の住人である女性・シモーヌは投身自殺を図り、今、瀕死の状態で、彼女がこのまま死んだら、その部屋を貸してあげよう・・・。

 果たして、彼女は死んだ。そして、トレルコフスキー(ポランスキー)は約束通り、その部屋を借りた。死んだ彼女の持ち物がそのまんまの部屋に入居するトレルコフスキー。彼女が着ていた黒地に花柄のワンピースがクローゼットに掛かったままだ。

 住んでみると、アパートの他の部屋の住人達は一風変わった人ばかり。しかも、異様に音を気にする連中だ。トレルコフスキーも大きい音を出さないよう神経を使うようになる。また、向かいのカフェに行ってみると、シモーヌは生前毎日その店に来て、今、トレルコフスキーが座っているその席に必ず座っていた、と店主に言われる。その上、そのカフェにはトレルコフスキー愛用の銘柄のタバコは置いておらず、シモーヌが愛用していたというマルボロを必ず出され、次第にトレルコフスキー自身マルボロを進んで吸うようになるのだった。

 こんな些細なことが積み重なるうちに、トレルコフスキーは、次第に、シモーヌは住民たちによって精神的に追い詰められ自殺に追い込まれたのだと思い込むようになり、それが高じて、アパートの住民が自分をシモーヌに仕立て上げようとしていると妄想が暴走してしまうようになる。

 ポランスキーが実に巧みに妄想に絡め取られる男を演じている、ブラックコメディとも思えるスリラー映画。

 
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 本作は、1976年制作ということで、あの『チャイナタウン』と『テス』の間に作られたのですね。『戦場のピアニスト』のパンフによると、淫行容疑で逮捕・有罪とされたのは本作を撮った後の77年とのことなので、彼にとっては微妙な時期の作品ということでしょうか・・・。

 ここでのポランスキーは、気弱で真面目そうな独身男を、素晴らしくナチュラルに演じています。ほとんど、トレルコフスキー=ポランスキーじゃないの、って感じです。トレルコフスキー自身も、ポーランド移民ですし。

 『反撥』や『ローズマリーの赤ちゃん』に通じる作品ですが、前2作に比べて、本作はどこか滑稽さというか、可笑しさがつきまといます。アパートの住人らが自分をシモーヌに仕立て上げようとしていると妄想スイッチが入ってからの彼は、もう、ヤバいを通り越して、本当に滑稽なのです。10センチくらいありそうなパンプスを買ってくると、シモーヌの黒地に花柄のワンピースを身に着け、パンプスを履き、ドギツイ化粧をして、シモーヌに自らなり切ろうとするのです。ポランスキーの女装姿、なかなかハマっています。美しくはないけど、あまり違和感もない。

 こういう、最初は、何かおかしい、何かヘンだ、という些細なことの描写がいくつかあり、次第に本当に狂っていく様を描くのが、ポランスキーは実に巧いです。どうしてこんなに巧いんだろう。こういう描写って、ものすごくチープかつ陳腐になりがちだと思うんですが、、、。ポランスキー自身が、やはり、こういう「不条理なもの」に対する感度がもの凄く高いのだと思います。理屈じゃないこと、あり得ないようなこと、違和感としか言いようのないこと、そういうことに対して、彼は非常に敏感で、なおかつ真面目に向き合う人なのだろうな、、、と。「考えすぎだよ、バカだな~」で済まさない人。、、、でなきゃ、映画なんて撮れませんよねぇ。

 私はある意味、極めて常識人なので「考えすぎだよ、バカだな~」の部類です。でも、人間には、理屈では割り切れない、不条理そのものの感覚があることもまた、認識はしています。だから、こういう話を見聞きして、大真面目に怖いと思っちゃうのですね。人間、いつ狂ってしまってもおかしくない、そんな風に思います。

 ただ、本作は、先にも書いたように、 『反撥』や『ローズマリーの赤ちゃん』にはなかった滑稽さがかなり強調されています。もちろん、その滑稽さはポランスキー自身が体当たりで演じているのですが、本人は真に妄想にとらわれて苦しんでいるのに、その妄想の暴走ぶりがぶっ飛び過ぎなので、ちょっと苦笑さえ浮かんでしまうという、、、。この辺も、もちろん、ポランスキーの計算のうちなんでしょうが、だからこそ、巧いなーと。

 ラストに至っては、ほとんどブラックコメディと言っても良いのでは。女装したまま、シモーヌがしたように、窓から飛び降りるのですが、1度目は意識もはっきりしたままで、アパートの住人に囲まれ、妄想は極限まで暴走し、足を引きずったまま自室に戻ると、再度窓から飛び降りるのです。そう、つまり、トレルコフスキーは2度、ダイブするのです、、、。その姿はもう、怖いというより、ひたすら滑稽で、ここまで来ると、もう可哀想という感情さえなくなります。もう死ななきゃ、その妄想からは逃れられないよ、、、。

 イザベル・アジャーニがシモーヌの親友ステラとして出演しています。出番は少なめですが、インパクトはさすがです。シモーヌを見舞ったトレルコフスキーと病院で出会い、その帰り道に2人で映画を見に行き、映画館でトレルコフスキーの股間に手をやるステラ、その挑発に乗り、ステラの胸を鷲掴みにしながらディープキスをするトレルコフスキー、、、。このシーンだけで、十分異様でしょ。この後は、何をかいわんやでございます。彼女も『アデルの恋の物語』で狂っていく美女を演じていたのでしたねぇ。最強タッグですな、、、。恐れ入ります。

 あと、特筆事項としては、トレルコフスキーと同じアパートの住人で、他の住人から迫害されている女性の娘を演じていたのが、あのエヴァ・イオネスコということです。『ヴィオレッタ』で自伝的映画を撮ったけれど、彼女がまさに実母に商売道具とされていた頃の出演となりますね。なるほど、怪しげな美少女です。

 本作のポランスキーは、どこか翳があるというか、それが役の上でそのように演じている、というより、彼自身にまとわりついている翳みたいに見えるのです。彼の経歴を知っていて見ているから、そう見えるだけかも知れませんが、でも、やはりそう見えてしまうものは仕方がない。どこか寂しげで、孤独で、不器用な感じ、、、。

 劇場公開はされず、日本でもこのたび待望のDVD化とのこと。早速見てみて正解でした。ますますポランスキーの才能に惚れました。

 
 

  

少しずつ、少しずつ、、、狂っていく男。




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ハモンハモン(1992年)

2015-06-12 | 【は】



 シルヴィア(ペネロペ・クルス)は、パンツ製造会社の御曹司ホセ・ルイスと恋仲で妊娠している。ホセ・ルイスは結婚しようというが、彼の母親コンチータが、あんな娘は許さん! と猛反対。が、ホセ・ルイスの意思が固そうだと見てとったコンチータは、パンツの広告モデルに応募してきたラウルに接近、シルヴィアを誘惑し弄んで捨ててくれ、とけしかける。

 しかし、シルヴィアが思わぬ魅力的な女性だったことからラウルは本気で惚れてしまい、母親を捨てきれないホセ・ルイスに頼りなさを感じていたシルヴィアもラウルに惹かれ・・・。

 シルヴィアとホセ・ルイスの家族の男女とラウルが相互かつ複雑に絡み合う訳分からんラブコメ。ストーリーも風景も暑いが、出ている人間の顔は(男女問わず)さらに暑苦しい。、、、スペイン版男女6人灼熱夏物語。

 
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 石川三千花の『ラブシーンの掟』を読んで、面白かったんで見てみました。これって、こんな前の映画だったのですね。タイトルは知っていましたけど、もう少し最近のかと思っていました。

 さてさて、本作は、メインキャラ6人の男女が、それぞれに男女間で関係があるというメチャメチャなお話です。どうメチャメチャか具体的に書こうと思ったけれど、とてもムリ。みんながみんな、それぞれに関係しているんですよ、もう。

 ただ、本作は、オープニングからはとても予測のつかないラストが待っている、ということだけは特筆事項です。このラストを予想できる人がいたら、まあ、スゴイです。

 オープニングで、何やら丸くておっきな黒い看板のようなものが出てくるんですが、これが何だか分からない。でも、これが中盤、実は大事な背景になるんです。へー、あれって、あれだったんだ、、、と。

 まあ、徹頭徹尾、性愛を描いている作品です。親子愛もまあ、あるにはあるけど、あまりにもほかの印象が強すぎて吹っ飛んでますね。老いも若きもあっちこっちでセックスしまくり。スペイン人って、こんななんだ、と思っちゃいそう。そんなはずはないだろうけど。

 石川三千花は面白いと書いていたけど、私は、大して面白いとも思えなかったかな。なーんか、あまりに何でもありすぎで、ちょっとウゲゲッって感じでした。別にグロくないですけどね。バカバカし過ぎて笑えるシーンはありましたけど、面白いってのとはちょっと違うかな。

 終盤、ホセ・ルイスの父親マヌエルがシルヴィアにキスするシーンで、ハエがマヌエルの瞼からこめかみあたりに這い回っているのが、あまりにマヌケでウケました。

 ハビエル・バルデムの顔って、やっぱりコワいですよねぇ。デカいし。スペインでは、彼はイイ男の部類にはいるんですかね? 3分見てたら熱中症になっておう吐しそうですけど、、、。ちょうど、本作を見た晩にNHKでスペインドラマを放映していて、そこに出てくるスペイン人もみんなメチャクチャ顔が濃くて暑苦しいんですよ、マジで。スペイン人の人たちにとっては、あれが標準なんだろうね。彼らから見たら、日本人なんてどこが顔だか分かんないんじゃないかしらん。え、それ目なの? 鼻なの? みたいな。

 古い知り合いが大分前にスペイン人男性と駆け落ちしたことがあるんですけど、相手の顔は見たことないんですけど、きっと、その男性も、あんな感じで見た目も中身もアッツい人だったんだろうなぁ、と、駆け落ちに妙に納得した次第です。そんなことくらい、朝飯前な人々のお国なのでしょう。さすが、情熱の国、といわれるだけのことはある、、、。

 ・・・それでも、スペイン人にもきっとクールでシニカルで見た目も涼しい人がいるに違いない。いや、いて欲しい(切に願う)。
 

  

こんな結末、誰が予想できましょうか。




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家族という名の他人(1997年)

2015-06-10 | マイケル・ヴァルタン



 以下、上記リンクに掲載の紹介文(ママ)====

 家族の崩壊を描き、サンダンス映画祭で話題となった人間ドラマ。

 感謝祭の週末、ウォーレン、ミア、ジェイク、リーの4人兄妹が3年ぶりに両親の家に帰って来る。兄妹はそれぞれ悩みを抱え、父ハルは自分の独善的な態度が子供たちとの間の溝を深めたことを感じている。

 しかし、久しぶりに再会した家族はわだかまりを抱えたまま、やがて時間は過ぎていき……。
 
 ===引用終わり。以下補足。

 家族の崩壊、、、ってほどの話か、これ。確かに、親父はヘンな男ですが。


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 ヴァルタン出演作ってことで、VHSをアマゾンにて1円で購入し、見てみました。何気に豪華キャストだし。

 冒頭の内容紹介の補足にも書いたけれど、家族の崩壊ってほどのことではなく、単にみんな勝手にバラバラなだけ(な気がする)。いや、それ以前かも。子が大人になって自立していけばどこの家庭も似たり寄ったりじゃ? こんなんで「崩壊」とか言っていたら、世の中、崩壊家庭だらけだと思うんですけど。

 まず、この4人の兄弟姉妹の構成がハッキリ分からないんです。多分、ミアが長女で1番上、ウォーレンが長男で2番目、ジェイクが二男で3番目、リーが二女で4番目、なんではないかと。ミアだけがえらく年の離れた姉みたいに見えましたが・・・。もしかすると、ウォーレンとジェイクは反対かも・・・。ま、どっちでも大勢に影響はありませんが。でもって、ウォーレンとジェイクは学生かな? ミアは研究者っぽい。リーは不明です。

 序盤から、この兄弟姉妹は皆ちょっとヘンだというのが分かります。比較的マトモになのはリーかなぁ。ミアとジェイクにはそれぞれ恋人がいて連れてくるのですが、それを知った父親は渋い顔で「サンクス・ギビングくらい家族水入らずで過ごしたかった」などと言ってヘソを曲げている。家族水入らずでないと、息子や娘たちと向き合うことができない「何か」があるらしい。

 しかも、ミアもジェイクも、実家に帰ってくる途中で恋人とセックスしてるんですよね。ミアは電車の中で、ジェイクは野外で。ミアなんか真っ最中のところを、リーに車窓の外からしっかり見られているという、、、。なんじゃこりゃ、な序盤。

 なんつーか、こう、奥歯に物が挟まったみたいな映画です。この家族は誰もが皆、言いたいことをストレートに言わずに探り合っている感じがするのです。でも、間違いなく傷つけ合っている。傷つけないように探り合っているんじゃなくて、探り合いながら傷つけ合っているのが、何とも気持ち悪い感じです。

 ただ、ウォーレンと父親の間には決定的な軋轢があるので、この2人については、父子関係が崩壊しかかっているとは言えるかも。序盤からそれを匂わせるセリフ「ダフネのことがあってから3年・・・」というのが何度か出てきます。その軋轢とは、、、

 ダフネは、ウォーレンの元カノです。3年前、ウォーレンの親父は、ホームパーティの最中に成り行きでダフネと一瞬2人きりになったんだけど、なんと! 酔っぱらった勢いで拒むダフネを抱きしめてキスしたんですね。しかも、ウォーレンはその現場を見てしまった。見たのに、自分は驚いて固まってしまって、親父とその直後に顔を合わせたのに何もしなかった、出来なかったことを悔いていた、、、。

 それが原因でウォーレンとダフネはお別れしたけど、2人とも互いに未練タラタラ。で、3年ぶりに会って、ダフネはまたウォーレン宅のパーティにやって来ます。そして、親父さんはダフネとダンスを踊り出し、ウォーレンに代われと言われてもダフネを離そうとしない(キモッ!)。で、ウォーレンに突き飛ばされる、、、。ま、当たり前だわね。今度こそ、ウォーレンは親父にしっかり制裁を加える(?)ことができたのでした。

 本作の中で、家族の間の確執が明確に描かれていたのはこのエピソードくらいです。長女のミアは最初から壊れているのが分かり、その壊れた原因が、恐らくこの家族だということらしい。実家にあった本を読み始めたミアだけど、結末部の何十ページかが破かれていて、それを破いたのは親父さんだった、そしてその結末をミアは幼馴染に教えてもらうことで、少しだけ心穏やかになる、みたいな話がありまして、、、。つまり、いつも子どもたちの心を踏みにじる親父、ということなのかな、、、と。ま、分かりませんけど。

 ジェイクとリーに関しては、親とは大して確執もないような、、、。母親がジェイクが進学で家を出てからなかなか帰って来ないことを悲しむシーンがあるけど、そんなの別によくある話でしょ。

 親父さんが独善的って、、、ああいうのは独善的じゃなくて、ただの勝手な人、っていうんだよ。独善的な人ってのは、良くも悪くも信念があるから。あの親父にはそんなの感じられない。父権にしがみついているだけのオコチャマ親父です。

 しかし、もっと謎なのは、母親です。どういう女性なのか、本作の描写ではさっぱりわからん。ただいるだけ。家族を描くのに、母親の描写が弱くては面白くないでしょ~。家族の肖像なんて、ある意味、母親のカラーがそのまんま出るんだから。ま、そういう母親の影が薄い家族、ってことなんでしょうけどね。映画としては失敗ですよね、その設定は。

 それなりの作品ぽく思ったのに、ここまで世間で認知されていない理由は、見てみてよく分かりました。なんちゃら映画祭で話題になったとかですが、そんなのただの宣伝文句でしょう。壊れた長女と、父と長男の葛藤、というそれっぽいネタを配置しただけの、雰囲気映画です。心に迫るセリフも映像もありません、残念ながら。

 しょうもない親父を演じていたのはロイ・シャイダー。『ジョーズ』のインパクトが強いですが、本作ではキモいオッサンでした。影の薄い母親はブライス・ダナー。グウィネス・パルトローのお母さん。よく似ていますが、お母さんの方が断然美人です。壊れた姉はジュリアン・ムーアでピッタリ。壊れているだけの魅力のない役だったのがもったいないかな。

 肝心のヴァルタンはジェイク君。恋人とセックスばかりしていました。この恋人がかなり性格悪そうな肉食系で、、、。ジェイクは「本気で愛していないかも」なーんてウォーレンとしみじみ語っているシーンもありましたが、終盤、結局「I love you」なんつってましたけどね、ベッドの中で。まあ、出番は結構多かったけど、役どころとしてはイマイチですね。こっちとしては、その美貌を拝みたかっただけなので、ゼンゼン良いんですけど。

 なんか、文学作品気取りのヘンな映画でした、、、ハイ。




ヴァルタンさえ見られたらそれでいいのさ~




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この庭に死す(1956年)

2015-06-06 | 【こ】



 以下、昨年開催されていた「三大映画祭週間2014」オフィシャルサイト(上記リンク。そのうちリンク切れしそうですが)より===

 山師のクラークは金の採鉱者たちが集まるキャンプ近くの村にやってくるが、地元の警察に拘束されてしまう。彼が近隣で起きた銀行強盗に絡んでいるというのだ。

 しかも、今度は警察が金鉱を州のために没収してしまったので、採鉱者たちが暴動を起こすが、それも平定されてしまう。

 クラーク、リザルディ神父、キャスティンとその娘、そしてキャスティンの情婦であるジンの5人はこの機に乗じてジャングルに逃げ込むが、それは彼らの命がけのサバイバルの始まりだった。

 ===引用終わり。以下補足。

 舞台は南米と思しき所。「金」の採鉱者ではなく、ダイヤモンドです。

 クラークは、シャークとあだ名され、相当ヤバそうな男(でも一応イケメン)。キャスティン(字幕ではカスタンになっていたと思うので、以下カスタン)はフランスに帰国し料理人として店を持ちたいと夢見ている人畜無害な爺さん。その娘マリアは、聾唖者。

 そして、シモーヌ・シニョレ演じるジンは娼婦で、カスタンの「情婦」ではない。カスタンが勝手に思いを寄せており、気持ちを伝えてはいたが相手にされていない状態。だが、カスタンがひと財産貯めこんでいるようだと知り、カスタンの申し出に乗ってフランスに行く気になっていたわけ。

 リザルディ神父(ミシェル・ピコリ)は、どこまでも布教に熱心な神の使者。

 ・・・この5人のキャラが、ジャングルでのサバイバルで激変し、物語はバッサリと幕切れへ。ブニュエルらしいというか、、、らしくないというか。エンタメ度高し。

 
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 ブニュエル作品+シモーヌ・シニョレ出演、ってことで見てみました。ブニュエルのメキシコ時代の作品だそうですが、その時代の作品というと、『忘れられた人々』の印象がキョーレツ過ぎて、本作もそんな感じのものかと思っていたら、これが全然違いました。

 本作は、前半と後半でガラッと話が変わります。前半は、ダイヤの鉱山が舞台で、一攫千金を夢見る採鉱男たちと、鉱山を管轄する支配者の横暴ぶりが描かれます。後半は、ジャングルが舞台で絶望的なサバイバルが延々描かれます。どっちも人間の欲望と欲望がぶつかり合うという点では通じています。

 前半もまあ、面白いんですが、圧倒的に後半の方が面白かったです、私は。

 シャークがものすごく生きることに貪欲な男です。前半はかなりの極悪人的な描かれ方だったのに、サバイバルの後半になったら、仲間と共に生きることに貪欲な「頼もしい男」になっているんです。でもって、ジンとラブラブになったりして、あの前半のヤバさはどこへやら・・・。同じ人間なのに、こうも置かれた状況で違うように見えるとはねぇ。

 そのジンも、計算高い娼婦で、常に自分の利になるようにしか動かない。だから、ジャングルでシャークに「初めて見た時から好きだった」なんて言ってたのも、どこまで本当なのか、怪しいもんです。ジャングルではこいつに着いて行った方が良さそう、という鼻を利かせた言動だったと思えなくもないです。

 以下、ネタバレバレですので、本作を見る予定のある方はそのおつもりでお願いします。

 問題は、善人そのものだったカスタンの変貌ぶりです。彼が、いわば、一番、想定外の変わり方をしてしまったがために、思わぬ顛末に至ったのですが、、、。私には、カスタンが変わった理由が、イマイチ分かりません。

 彼がその変貌ぶりを発揮する前に、一行は、絶望的な状況から少し救いのある状況へと移っていたのです。ジャングルに小型旅客機が墜落していて、食料や衣類、宝石類等が手に入ったからです。ジンは高価なドレスに着替え、カスタンの娘マリアも、それまでは素朴そのものだった娘なのに、急に宝石類に執着するようになります。皆、生きる力が戻るわけ。でも、カスタンは、、、これがあまりよく分からない。描写がほとんどないからです。

 そして、突然、高価なドレスを身にまとったジンを猟銃で殺害するという、、、。

 私なりの解釈では、高価なドレスに着替えたジンが、シャークと親しげに会話しているのを見て(恐らく、その前にもシャークとイイ感じだった現場を目撃していたのだろうと思われる)、カスタンは、そっちの方が生きる力を奪われたのかも知れないな、と。ジンがほかの男のものになってしまうことに耐えられない、、、のではないか。また、不釣り合いな高価なドレスを纏っているジンの姿がイヤだったのかも知れない。

 でも、カスタンは、その後、神父も射殺しちゃうし、自分の娘マリアを助けようとしているシャークにも銃をぶっ放します。これがよく分からない。もう、皆殺しで自分も死んでやる! って感じだったんですかねぇ、、、。ヤケッパチっていうやつですか。頭のネジが外れちゃった感じです。

 あんな鉱山での暴動さえなければ、カスタンはフランスに帰って(ジンにはあっさり振られていただろうけど)、穏やかな料理人としての人生を送れていたかも知れないのに。、、、いや、ジンを妻に、などと考えてしまう思考回路では、結局、破滅が待っていたかも。

 サバイバルものは、どっちかっていうと、苦手な方なんだけれど、本作は、そこまで徹底的に登場人物を追い詰め過ぎず(って、十分過酷な状況ではありますが)、カニバリなどの極限状態にまでは至らないので、むしろ、見入ってしまいました。

 『忘れられた人々』の方が、本作より、百倍キツいです。本作は十分楽しめる映画でした。




シモーヌ・シニョレの悪女ぶりはいつ見ても嘆息モノ。




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デッドマンズ・カーブ(1998年)

2015-06-02 | マイケル・ヴァルタン



 以下、VHSビデオパッケージに掲載の紹介文(ママ)====

 “デッドマンズ・カーブ”[Dead Man's Curve] もしも学生が自殺したら、同室のルームメイト全員に精神的ショックを考慮して自動的にオールAを与える

 アメリカの多くの大学で本当に採用されているこの極秘措置を悪用してハーバード大学院に行こうと企んだ学生、ティム(マシュー・リラード)は、成績不振で悩むクリス(マイケル・ヴァルタン)を唆してルームメイトであるランド(ランダル・ベイティンコフ)の殺人を企てる。

 ところが、自殺に見せかけて殺したはずのランドの死体が見つからない。それとともに次々と起こる怪事件、ランドの恋人ナタリーの突然の自殺。ティムとクリスの間を揺れ動くクリスの恋人エマ。ナタリーとエマもまた、ルームメイトであった。

 完璧なはずの殺人ゲームは、それぞれの思惑と全く違った方向へ進んで行く・・・。本当に共謀しているのは誰と誰なのか? 最後に笑うのは誰か?

 ===紹介文終わり。

 ・・・「次々と起こる怪事件」? そんなんあったか?

 
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 またまた、ヴァルタン目当てで見ました。なんつったって、数少ない主演作ですからね~。

(ここからは、ネタバレバレなので、これから本作を見る可能性がある方(ま、極少数でしょうが、、、)は、そのおつもりでお願いします。)

 ヴァルタン扮するクリスは、一言でいうと、一見ヘタレなんですが、一緒に悪事を企てるティムがほとんどサイコパスのトンデモ野郎なんで、こういう2人組での犯行の場合は、よくある組み合わせです。

 で、ストーリーはティム主導で進みます。どう見てもティム主犯です。

 ただ、終盤まで引っ掛かるのはランドの遺体が上がっていないことですよねぇ。ここに何かあると、まあ、誰もが思うわけです。実際あるんですけど・・・。

 そう、実は生きていたんです、ランド。

 確かに、ティムがランドを崖下に落とす瞬間を、クリスは見ていないし、映像にも出ません。つまり、ティムとランドはグルだった、というわけです。

 で、終盤、死んだはずのランドが現れて、ティムとランドにクリスは追い詰められ、ついにはクリス、拳銃をこめかみに当てて本当に自殺か・・・! というシーンなんだけれども、どこかこう、、、緊迫感がない。このままじゃどう考えてもクリスは絶体絶命、のはずなんだが。

 と思っていたら、案の定、実は実は、本当の共謀者はクリスとランドで、本当のターゲットは、これまで飽くまでも首謀者として描かれてきたティムだった、、、。今度こそ、本当に、クリスとランドによってティムは崖下へ葬られてしまいました・・・。ごーん、、、。

 というわけで、一応、ラストに二転三転が用意されております。・・・おりますんですが、大したカタルシスはなく、「なんじゃそら、、、」という感じで・・・。うーん。最終的に、実は本当の黒幕は最初からクリスだった、ということなんですよね、多分。

 冒頭のVHSビデオの紹介文にある「次々と起こる怪事件」というのが、よく分からないんだよなぁ。ナタリーが自殺したくらいで、ほかに事件らしい事件なんぞ起きていなかったと思うんですけれど。、、、ま、いいか、そんなことは。

 しかし、メンドクサイ計画ですよねぇ。なんでこんな回りくどい方法とったんでしょうか。ティムがああいうイカレ野郎だったからでしょうか。一筋縄じゃやっつけられないだろうから、やっつける側だと思い込ませておいて、最後に葬ってやる、ということですかねぇ。言いだしっぺが誰か分からないんですが、多分、クリスでしょう。それっぽいセリフもありますし。

 恐らく、クリスは、ティムが嫌いだったんでしょう。それも、すげぇ大嫌いだったのね、多分。そしてまた、ティムがいかに危険なヤツかも分かっていた。だから、消すならティムしかいないと思ったけれど、、、ってとこでしょうか。ランドもすごい役者ですよね~。まあ、この役者っぷりがラストのオチのセリフの伏線にもなっていますが。

 これは、3人部屋だから成立する話ですよね。2人部屋だったら、こういうターゲットがコロコロ入れ替わる、なんてことはあり得ません。3人だからこそ、誰が共謀し、本当のターゲットは誰なのか、という疑心暗鬼が生まれるのです。

 まあ面白くないわけじゃないけれども、サスペンスのキレとしてはあんまし、、、という感じですかね。なんか無理矢理どんでん返しを作ったというか。上手いなー、とは少なくとも思えない。

 とにかく、ティムを演じたマシュー・リラードがキョーレツです。イッちゃってる演技が、すご~くナチュラルで怖いです。こういう人、実際にいそうですもんね。笑い方とか、マジでヤバいです。私がクリスでも、こんなヤツいなくなってほしい、と思うなあ。ついでにオールAもゲットできるなら一石二鳥どころか三鳥、四鳥ですもんねぇ、、、。

 ヴァルタンはこの頃、30歳くらいですかね。3人のうちでちょっと浮いてますよね、老けてて。もちろん美しいですけど、あの3人の中では1人だけかなり毛色の違う人種に見えます。なんか、ハイエナ集団の中にたたずむ孤高の銀狼、みたいな。・・・意味分からん? すみません。いずれにしても、ちょっと配役に難ありじゃない?

 それに、本当の黒幕にしては、あまり悪人に見えないというか。本物の黒幕は、見るからに悪人じゃダメだけど、本性を現した後は、やはり美しい悪魔に見えてほしいんだよなぁ。ヴァルタンは育ちが良過ぎるのか邪気がなさ過ぎ、そういう雰囲気ないです、はっきり言って。それも、ラストのカタルシスのなさにつながっているような気がします。

 こういう、学生ドラマを見ると、アメリカに生まれなくてホント良かったと思いますね。学業だけでなく、あれこれメンドクサ過ぎです、アメリカの学生。学生生活くらい、もっと気ままにマイペースに過ごしたいよ、アタシは。社会に出たら避けては通れぬメンドクサイこと山積なのに。ここまでしがらみの多い社会って、ちょっとストレスフルですね。こないだの『ソーシャル・ネットワーク』じゃないけど、自己紹介サイトが必要な訳だよ、こんなんじゃ。あー、ヤだヤだ。 





サスペンスは3級、ヴァルタンの美貌は1級。




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