映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

レ・ミゼラブル(2012年)

2020-05-15 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv50703/

 

 ご存知、世界的大ヒットミュージカル「レ・ミゼラブル」の映画版。原作は、もちろんユーゴーの同名長編小説。ジャン・バルジャンをヒュー・ジャックマン、ジャベールをラッセル・クロウがそれぞれ演じる。


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 先日までNHKで放映していたイギリスのドラマ版がなかなか見応えがあって良かったので、何となく他のレミゼも見てみたくなったというわけで、ミュージカルは苦手だけれど、とりあえずは一番メジャーであろう本作から見てみることに。


◆嗚呼、ミュージカル。

 最初から最後までセリフも全部歌っているらしい、とは聞いていたが、本当だった。ヒュー・ジャックマン演ずるジャン・バルジャンが、自分の囚人番号まで“トゥーフォーシックスオーワン~~~♫”とか歌っているのを見ているのは、かなりキツい、、、。後でwikiを見たら、これ、日本版でもあるらしく、しかも、最後が「イチ」で、ものすごくカッコ悪い響きだからだろうが、番号が変えられているんだとか。「にーよんろくごーさん~~♫」って歌ってんだろうなぁ、、、。

 ミュージカルが苦手な理由は、やっぱり、こういうところかなぁ。それ、歌う必要あるの??みたいな感じになってしまう。オペラもそうだけど、だからあんまし好きじゃないのよね。オペラは高いしねぇ。

 ……とはいえ、ミュージカルでも、昨年の午前十時の映画祭で見た『サウンド・オブ・ミュージック』はとても感動したし、『マイ・フェア・レディ』もまあまあ楽しい。『オズの魔法使い』『メリー・ポピンズ』とかも嫌いじゃない。

 ミュージカルのキモは何と言っても音楽だろうが、正直なところ、本作には、『サウンド・オブ・ミュージック』に匹敵する“胸に迫る音楽”があるとは思えなかった。まあ、テレビ画面で見るのとスクリーンで見るのじゃ大違いだから、そこを割り引いたとしても、このミュージカルを愛している方々には申し訳ないのだけれど、私の心にはあんまし響かなかった。特に有名な「夢やぶれて」とか「オン・マイ・オウン」とか、良い曲だとは思うのだけど、、、。

 ……と書いてきて思ったのだが、哀しい歌があんまり好きじゃないのかも。本作の場合、基本、みんな眉間に皺を寄せたような顔で哀しい歌を歌っている場面が多い。「夢やぶれて」なんか聴いてるだけでウツになりそうな歌詞だしね……。実際、それを歌うときのファンテーヌの置かれた状況は悲惨そのものだし。

 これは飽くまで私の感覚だけど、絶望しているときとか、哀し過ぎて涙も出ないときとか、歌うエネルギーってないと思うのよね。歌うってものすごいエネルギーを消耗する行動なわけで、、、。だから、怒りの歌は、まだ分かる。怒りもある意味ポジティブな感情だもんね。なんか、絶望とか哀しみを渾身の力を込めて歌われても、その違和感が、私には受け容れ難いのだと思う、、、多分。いやだから、これ、ミュージカルなんだってば、、、ってことはもちろん分かってるんですが。


◆イギリス人はレミゼ好き♪

 で、ストーリーは、割と原作に沿っているっぽいし、長編を2時間半にうまく収めていると思う。基が長編小説だから、これくらいの長さは仕方ないでしょう。歌ってるしね。ただまあ、TV版を見た後だから、どうしたって浅い感じは否めないけれど。

 それにしても、このミュージカルといい、NHKのドラマといい、制作はイギリス。過去の映像化作品の制作国を見ても、本国フランスに負けず劣らずイギリスが多い。どんだけレミゼが好きなん、イギリス人。

 日本人から見ると、なんか不思議。日本が、韓国や中国が原作の、しかもその国の歴史を舞台にしたドラマや実写映画を日本資本で日本人キャストをメインに制作するって、、、(例えば「三国志」とか、、、?)かなりあり得ないことだと思うのだが。共同制作ならアリだろうけど。フランス人には、イギリスが作ったフランスを代表する小説が原作の映画って、どういう風に見えるのかな~、と。

 ただ、アニメだったら、いっぱいそういうのはあるもんなぁ。ハイジなんて、ヨーロッパで放映された際、それが日本のアニメだと知らなかった人も多かったとか。「キャンディ・キャンディ」でも似たようなエピソードは聞いたことあるし。キャンディなんて原作者も日本人だしね。

 イギリスは、ソ連ものやナチスものも自国資本&制作で映画にしているし、やっぱりその辺は、英語という世界市場に通用する言語を母語にしているお国だからかしらん??プロパガンダ映画でなく、娯楽映画として作っちゃうところは、アメリカもそうだけど、何か凄いなぁ、、、といつも思う。


◆その他もろもろ

 俳優さんたちもみんな頑張って歌っていた。ただ、ラッセル・クロウの歌唱力は、どーなの? 彼は上手いのだろうか? 正直、あまり上手いと思えなかったんだが。だいたい、ジャン・バルジャンとジャベールの配役、逆じゃないか?と感じたのは私だけ?? まあ別に目くじらを立てるほど違和感があったわけじゃないんだけど。

 アン・ハサウェイは、これでオスカーを獲っているんだね。確かに重要な役どころで、体当たり演技だったと思うが、、、ううむ。死にそうになってベッドに横たわりながら、やっぱりそこでも歌うんかい! と突っ込みを入れてしまった。

 愛するヘレナは、マダム・テナルディエを楽しそうに演じていた。サシャ・バロン・コーエンと、なかなか良いコンビだった。

 ただ、本作全般に感じたんだけれど、歌っているときの俳優の顔アップが多くて、それが結構ストレスだった。ずーーーっと歌っている俳優の顔だけ見せられるのって、ちょっと困る。もっと引きの映像も入れて欲しいところ。せっかく映像化するんだったら、もう少し工夫の余地があったのでは? マリウスとコゼットの逢瀬のシーンも、交互にアップの画像が切り替わるだけで、2人が門を挟んで気持ちを確かめ合うという肝心の雰囲気ぶち壊しだった。あれじゃぁ、いくら俳優陣が熱演・熱唱したところで、台無しでしょ。

 本作は、俳優がライブで歌ったことがウリになっているが、メイキングの映像を見て、それがホントに大変だったことがよく分かる。せっかく、そんな大変なことをクリアして制作したのだから、もう少し、カメラワークは工夫して欲しかったなぁ。

 まあ、ミュージカルだからあまり期待はしていなかったけれど、思っていたよりは楽しめたかな。他のレミゼ映画もこれから見ていく予定です。


 
 

 

 

 

ラッセル・クロウのジャベールは最後まで違和感バリバリだった。

 

 

 

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ハワーズ・エンド (1992年)

2019-09-19 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv16408/

 

 20世紀初頭のイギリス、ウィルコックス家の別荘ハワーズ・エンド邸に招かれたシュレーゲル家の二女ヘレン(ヘレナ・ボナム・カーター)は、ウィルコックス家の二男ポールと束の間の恋に落ち、ロンドンにいる姉マーガレット(エマ・トンプソン)に「婚約しました」と手紙を送ったことから、シュレーゲル家は大騒ぎに。姉妹の叔母が慌ててハワーズ・エンドに訪ねてきたときには、しかし、ヘレンの恋は終わっていたのだった。

 その後、ロンドンのシュレーゲル家の真向かいにウィルコックス家が引っ越して来たことで、マーガレットとウィルコックス夫人(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)は親しくなり、亡くなる直前、「ハワーズ・エンドをマーガレットに」と遺書を残すが、当主ヘンリー(アンソニー・ホプキンズ)や長男チャールズ(ジェームズ・ウィルビー)らは同意しかねるとして、その遺書を破り捨て燃やしてしまう。

 ヘレンがレナード・バスト(サミュエル・ウェスト)の長傘を間違えて持ち帰ってきてしまったことが切っ掛けで、シュレーゲル姉妹はレナードのことがお気に入りに。ある日、ヘンリーが、レナードの勤務先である保険会社の経営状態が悪いと姉妹に話したことに端を発し、レナードは転職したが、結果的に転職先が経営悪化し、レナードは失業してしまう。

 一方、ウィルコックス家では、夫人亡き後、ヘンリーは密かにマーガレットに惹かれており、後にマーガレットに求婚、2人は婚約する。しかし、レナードの一件があったことで、責任を感じていたヘレンは、マーガレットがヘンリーと婚約することに反対だった。婚約式に、腹いせのつもりかレナード夫妻を連れて行くヘレン。しかしそこで、実はレナードの妻が若い頃ヘンリーの愛人だったことが図らずも明るみになってしまう。衝撃を受けるマーガレットだが、ヘンリーを許すことに。

 いたたまれなくなって婚約式を飛び出したヘレンとレナードは、思いがけず関係を持ってしまう。直後にヘレンはレナードに多額の小切手を残してドイツに旅立ってしまい、マーガレットには愛想のない葉書を時々送ってくるだけだった。マーガレットは数か月後、病を口実にヘレンを呼び戻すと、ヘレンは何と妊娠していたのだった――。

 

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 4Kデジタルリマスターでリバイバル上映です。公開時には劇場で見逃していた本作、美しい映像をスクリーンで見ることができる日が来ようとは……! 感謝・感激・雨あられ。

 

◆いろいろ疑問が、、、

 まぁ、オハナシ自体は他愛ないといえば他愛ないけど、よくよく考えると、え、、、?と思うとこともあるなぁ……、と今回再見して感じた次第。

 例えば、、、。

 ヘンリーがマーガレットに求婚するのは、妻が亡くなってまだ大して時間が経っていないと思われる頃。マーガレットもすんなり求婚を受け入れるし。しかも、ヘンリーは素敵な紳士、、、とは到底言えない(だって、アンソニー・ホプキンズ、、、)お爺さんだし、性格もイマイチだし。まあ、マーガレットもイイ歳で、結婚しないとモロモロ面倒くさいってのもあったんだろうけどね。お金のこともあるだろう。

 ヘレンがレナードと関係を持っちゃうところも、まぁ、ヘレンの性格なら有りだろうとは思うものの、しかしやっぱりちょっと飛躍が過ぎるような気もするというか。あのシチュエーションならキス止まりでもええんちゃう??などと下世話なことを考えてしまったりして、、、すんません。

 ウィルコックス夫人が、ハワーズ・エンド邸をマーガレットに遺そうとしたのも、イマイチよく分からない。いくら親しくなったからといっても、アカの他人。ヘンリーを見ていれば、愛のあった夫婦ではなかったんだろうと想像はつくけれども。おまけにあの長男、、、ジェームズ・ウィルビー演じるチャールズが、まぁ、ハッキリ言って最低だから、夫人としてみりゃアカの他人に譲りたくなる気持ちにもなるのかなぁ、、、とか。

 レナードも、シュレーゲル姉妹に言われたからって、あっさり転職するのもナゾだ。姉妹との信頼関係だって大して築けていないのに、なぜ?? 「一度失業したら、再び職を得るのはほぼ不可能」とセリフにあったが、そんな状況で、昨日今日知り合った世間知らず姉妹に言われたくらいで簡単に転職するかなぁ?? いや、そんな社会だからこそ、少しでもリスク回避しようとするのかも、、、と思ったり。

 ……てな具合に、内容については色々と???が浮かびながらも、美しい風景と衣裳と美術と音楽、そして何より美しく甦ったデジタル映像で、そんなチマチマしたことどーでもええわ!! と湧き上がる???を脳内で蹴散らしながらうっとり2時間半、スクリーンに吸い込まれておりました。

 

◆どーでもよい話とか……

 それにしても。我が愛するヘレナの、何と可愛らしいことよ。もう、可愛すぎて、ヘレナが出てくるだけで、デレ~~ッとなってしまう。何であんなに可愛くて、アバンギャルドで、賢い女性が、あんなバートンなんかと、、、と(私はバートンがあんまし好きじゃないから)思ってしまうけど、お門違いだわね。

 ヘレンという女性のキャラと、ヘレナの持つ魅力が共鳴し合い、適役だったと思う。後半、あんまし出て来なくなるのが残念だけど。

 あと、エマ・トンプソンと姉妹、ってのはちょっとムリがあるかなぁ。2人とも素敵な女性だけれども、雰囲気がゼンゼン違うもんね。こんな2人の心を奪った(?)ケネス・ブラナーって、ホントにそんなにイイ男なのかねぇ?? そうは見えないところが辛いとこ。ま、どっちも破局しているけれど。ヘレナが破局した遠因が、エマだとも聞いたことがあるのだが、、、。

 レナードを演じたサミュエル・ウェスト、なかなかキレイでした。今まで、何度も見たのにほとんど眼中に入ってこなかったんだけど、今回、結構キレイなお兄ちゃんではないか、と思った。彼に、あの妻はないだろう、、、とは前から思ってはいたが。レナードはお金はなくても知性はある人に見えるが、あの妻は、お世辞にも知的には見えないもんなぁ。レナード自身、彼女をあんまり愛しているようにも見えず、何で親の反対を押し切ってまで彼女を結婚したのかも、イマイチ分からない。

 今回、ある意味、一番印象に残ったのは、ジェームズ・ウィルビーだったかも。いつも、ヘレナばっかし見ていて、他の部分はちゃんと頭働かせて見ていなかったんだと思うけど、ジェームズ・ウィルビーの演じたチャールズって、ホントにどーしようもないんだわよ、ホントに。お金持ちだけどバカで強欲で軽率、、、っていう、良いとこなしなんだもん。チャールズの妻も、いかにも、、、で、夫婦揃って感じ悪い。ウィルコックス家が、そもそも知的階級でいうとそんなに高くなさそうだもんね。だからこそ、夫人は夫や息子よりも、マーガレットに救いを見出したってことだろうけど。

 それにしても、『モーリス』では可愛かったジェームズ・ウィルビーが、なんだか頭の悪そうなオッサンに見えたのがちょっと哀しかったかも。終盤、刑務所送りになっても、ゼンゼン可哀想とも思えなかった。

 マーガレットは結局、財産狙いだったのかなぁ、、、などと、ラストを見ると思わざるを得ず。何だかんだと、結局、ハワーズ・エンド邸をしっかり手にして、自分はもちろん、妹とその息子の居場所を確保しているところを見ると、一番賢いのは、やはりマーガレットだった、ということだろう。

 やっぱり、世の中、“お金”なんである。それを露骨に見せずに、しっかり手中にするのが賢い人間だ、ってことかな。これって、何も20世紀初頭のイギリスだけの話じゃなくて、現代でも言えることだわね。

 お金は大事。でも、金カネ金カネ、、、っていう人は、やっぱりいつの世でも下品。何事もほどほどって難しいわね。

 

 

 

 

 

『眺めのいい部屋』のデジタル・リバイバル上映もよろしくお願いします!

 

 

 

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大いなる遺産(2012年)

2019-04-06 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)

作品情報⇒https://eiga.com/movie/89244/

 

 

以下、DVD販売元竹書房HPよりストーリーのコピペです。

 =====ここから。

 19世紀イギリスの地方の村。母親や兄たちを失った少年ピップは姉とその夫ジョーの家に引き取られ、貧しい生活を送っていた。ある日墓地で、脱走した受刑者マグウイッチと遭遇、食べ物を持ってこいと恫喝する彼を憐れんだピップは家の大事な食事を盗んで彼に与える。

 その後、裕福なミス・ハヴィシャムの屋敷に招かれ、そこでエステラという美しくも冷酷な少女と出会って好意を抱くが身分違いのためそれ以上の関係には進めない。

 成長し鍛冶職人になったピップのもとに突然、謎の人物から莫大な遺産を受け取れるという申し出が舞い込んでくる。しかしそれにはある条件がついていた。それに従い、田舎からロンドンに出てきたピップを怒涛のように襲う、数奇な運命。

 果たして遺産の持ち主の正体は、そしてその目的は何なのか……?

=====ここまで。

チャールズ・ディケンズの同名長編小説が原作。これまで何度も映像化されている。

 

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 日本では劇場未公開。原作も未読で、過去の映像作品もいずれも未見。お話だけは何となく知っているけど、、、という程度で、HBCの出演作という理由のみで見ました。意外にも豪華キャストでビックリ。

 

◆ヘレナを見るために見たんだからね、、、。

 まぁ、名作と言われる小説が原作なので、恐らく原作はきっと面白いのだと思うが、本作は、残念ながらあんまし面白いとは思えなかった。ヘレナが出ていなければ、感想を書く気にもならなかったかも。

 面白くない理由はいろいろあるんだろうけど、個人的には、大人になったエステラが全然魅力的じゃなかったから。これに尽きる。

 ホリデイ・グレインジャーという人が演じているが、この人、『ジェーン・エア』(2011)や『アンナ・カレーニナ』(2012)にも出ていたらしいけれども、全く記憶にない、、、。ということは、あまり印象に残らない役者さんなんだよな、多分。そもそも、ピップの心を奪い生涯にわたってその心を捕え続けるという魅力的な美女という設定ながら、ホリデイさんはちょっとその器ではない感じ。まあ、キレイだけどね、、、引力は感じないよね、残念ながら。

 なので、見ていてちっとも心躍らず、ヘレナが出てくるシーンだけが楽しみだった。やっぱし、映画では、特にこのようなラブストーリーが絡んでくる話では、非現実的なくらいに魅惑的な美女とかにご登場願いたい訳よ、見ている方としてはさぁ。美女と言っても、別に正統派の誰もが認める美女でなきゃダメと言っているのではなく、普通に美人でも圧倒的な“何か”が備わっていて欲しいのよね。原作でのエステラはどんななんだろうか。この映画と同じようなキャラなのかしらん。

 まあ、でも、本作の陰の主役は、ヘレナが演じたミス・ハヴィシャムと言っても良いかも知れない。そう思えば、エステラが残念でも、まぁいいのか、、、。

 ヘレナ演ずるミス・ハヴィシャムは、エステラがかすむほどにインパクト大。結婚式当日の姿のまま何十年も屋敷に籠りっきりの生活をしているというちょっとイッちゃってるおばさん役がハマっていた。彼女はヘンな役を多く演じてきたけれど、同じヘンな役でも、こういうミス・ハヴィシャムみたいなヘンさだったら彼女の持ち味が上手く出ると思う(もちろんこれは、ティム・バートンへのイヤミです)。

 一応の主役ピップは、金持ちになった途端にアッと言う間に自堕落になり、あまりにも類型的でなんだかなぁ、、、という感じ。原作でもそうなんですかね?? まぁ、原作は、金持ち批判的な背景があるということだから、ピップのこういう描写もそれの一環なのかな。

 原作がそうなのだとしたら、本作のラストは、かなり原作とはテイストが異なるということになる。金持ちじゃなくなったピップの愛の力でエステラの凍った心を氷解させるという、一応のハッピーエンディングになっている。

 後半でいろんな謎解きが一気にされていく辺りはテンポも良く、それなりに見せてはくれるけれども、心にグッとくるモノは何もないといってもよい。

 

◆レイフ・ファインズ&ヘレナ

 鍵になる人物マグウイッチを演じていたのが、レイフ・ファインズなんだけど、こんなに汚い(見た目が)役を演じているのを見たのは、『嵐が丘』(1992)以来かな。何と、本作の20年前!! ヒースクリフより、大分髪の毛が後退していた。まぁ、正直、ヒースクリフもちょっと???という感じだったけれども、本作でもマグウイッチはちょっと彼には合っていない感じもした。もちろん、彼は上手いし、十分素晴らしかったのだけど。

 ピップの姉役はサリー・ホーキンス。どうも私は彼女を見ると、松金よね子さんを思い出しちゃうんだよなぁ。似てませんか、お二人。役柄も結構通じるところがあるように思うし。欲求不満なヒスおばさんを実に上手に演じておられました。はまり役。

 それにしても、ヘレナはやっぱりイイなぁ。ミス・ハヴィシャムには若すぎるのでは、という指摘もあるらしいが、原作はどうなのか知らんが、原作を知らない私にはゼンゼン若すぎるなんてことはなく、過去のショッキングな出来事から逃れられない病的な女性を、そのまんま体現していたように感じた。こういう“いるだけで演じてしまえる”役者さんって、やっぱりなかなかいないと思うのよね。雰囲気というか、オーラというか、、、。役に合ったそういうものを醸し出せるのが、それが役者の能力なんだろうけど。『シンデレラ』(2015)のフェアリー・ゴッドマザーも素敵だったし。

 彼女が出演していた『オーシャンズ8』(2018)はバートン作品じゃないのに劇場に見に行かなかった。見たかったといえば見たかったのだけど、サンドラ・ブロックとかアン・ハサウェイとか、イマイチね、、、。 ケイト・ブランシェットは好きだけど。まあ、DVDは見よっかな。

 ……というわけで、映画の中身についてはほとんど何も書く気になれず、いつも以上にどーでもよいレビューとなってしまいました、、、ごーん。

 

 

 

 

原作を読んでみよう!

 

 

 

 

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未来を花束にして(2015年)

2017-02-21 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)



 洗濯女の娘は、また、洗濯女として生きるしか道はなし。

 ……という時代だった、1912年のイギリス・ロンドン。モード・ワッツ(キャリー・マリガン)は、7歳から洗濯工場で働き始め、21歳の現在は、同じ工場で働く夫サニー(ベン・ウィショー)と幼い息子ジョージの3人で、貧しいながらも幸せを感じられる生活をどうにか送っていた。

 ある日、工場主に言いつけられた届け物をするために街中へ出たモードは、女性参政権運動をしているWSPU(女性社会政治同盟)のメンバーが石を店のショーウィンドウに投げ付けるという運動の現場に出くわした。逃げ帰るようにその場を離れたモードだったが、それを機に、“サフラジェット”への仲間へと誘(いざな)われるように入って行くことに、、、。

 イギリスで女性参政権が条件付きながらも法制化される契機となるに至った“サフラジェット”の行動を描く。ちなみに、原題はまさしく“SUFFRAGETTE”=20世紀初頭にミリタンシーと呼ばれる女性参政権活動家を指す蔑称としてデイリー・メイル紙が名づけたもの。
 
 
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 HBCの出演作はティム・バートンもの以外は一応劇場で見る主義なので、やっとこさ行ってまいりました。豪華キャストなのに、劇場はガラガラ、、、。このダッサい邦題のせいだね、多分。


◆気付いちゃったら戻れない。

 まあ、、、正直な感想としましては、80年代以降に社会人になる年代に日本人の女として生まれて来たことは、極めてラッキーだったのだなぁ、ということです。

 そりゃ、もっと良い環境はあるかも知れないけれど、少なくとも、生まれた家庭の階級で生きる道が(良くも悪くも)ほぼ一つの道に限定されることはないわけで、格差はあれど、選択肢は複数提示されているのが私が過ごしてきた20代以降の社会だったから。

 洗濯工場の労働環境は、そらもう、劣悪そのもの。作中でもセリフにあるけど、洗濯女は寿命が短いと。あの環境ならば、納得です。その上、今で言う、セクハラ、パワハラが横行し、それに女たちが耐えるのが当たり前な環境。私が社会人になったバブル崩壊直後でさえ、セクハラ、パワハラはしぶとくかつ強固にはびこっていたのですから、本作の時代ならばそれは想像を絶するレベルのものだったに相違ない。

 モードも、サフラジェットの運動に接触しなければ、自分の置かれた環境を変えられるかもしれない、などという考えそのものが浮かばなかったと思う。現状はツラい、嫌だと思いつつも、これが当たり前と思ってしまっている人間に、「今の状況はおかしい!」という声を上げることはそもそも不可能。でも、一度、そこに気付いてしまったら、もう引き返せないのだよね。知らなかった頃には戻れないのさ。

 モードも、夫も仕事も子どもも失っても、運動から身を引くことはしなかった。それはもう、必然なのです。


◆クソ真面目映画

 本作は、とても真面目な映画です。女性たちが権利を勝ち取るために闘った歴史を、真正面から忠実に映像化しようという思いが伝わってきます。

 よく言われることだけど、今、我々が手にしている権利は、当たり前のように昔からあったものではないのだ、ということを主張している映画です。

 でもまあ、正直言って、私はそういうところは割とどーでも良いというか、そんなの「今さら」だし、当たり前すぎて鬱陶しいだけ。見る前から、TVでもちょっと取り上げられたりしていたのを見ていたこともあるけど、そんな感じなのは十分予想できたし。モードの生きる環境がサイアクなものだとは思っても、最初に書いたとおり、あの時代に生まれなくて良かった、としか思えない。もっと言っちゃえば「あー、はいはい」という感じ。

 それよりも、むしろ、「人権蹂躙」ってのは、普通にそこらへんに転がっているんだなぁ、、、ということを頭の中では巡っていました。本作で描かれるほどあからさまなセクハラやパワハラは少なくなっているかもしれないけれど、一向になくならない、ってことは、結局、人間という生き物はエゴイストなんだよなぁ、とか。自分がされたら嫌なことでも、平気で他人にはできちゃう。自分さえ良ければ良い、ってやつ。私自身の中にも、当然そういうのはあるし。もちろん、剥き出しにしないだけで。

 だからこそ、まあ、こういう類の映画などで、継続的に啓発していかないとダメ、ってことなんでしょーか、、、。

 それくらい、本作は、真面目すぎる映画で、裏を返せば面白味があんましないですね。こういう作品だからって、別にユーモアとか入れたって良いと思うんだけど、クスッと笑えるシーンが1コもないってのが凄すぎる。中学の社会の授業とかで見せてもノープロブレムです。というより、文科省推薦でも良いんじゃない? それくらい、教科書的な映画です。

 リアリティを追求しているので、画面も全般に暗め。女性たちの着ている衣装もモノトーン系のものばかりで暗いしね。でもこれが、当時の風俗に近いんだろうなあと感じました。


◆そうは言っても、見どころは多い。

 とはいえ、見どころがゼンゼンないかというと、もちろんそんなことはないんですよ。

 本作の白眉は、後半ではなく、前半の、モードが図らずも下院の公聴会で証言をするシーンでしょう。「あなたにとって選挙権とは?」と聞かれ、彼女は「ないと思っていたので、意見もありません」と答えると、失笑が漏れる。「では、なぜここに?」とさらに聞かれたモードは「もしかしたら……他の生き方があるのでは、と」と答える。そこで場内は一転静まり返る、、、。

 このシーンだけで、本作は見る価値があると思います。そう、「他の生き方がある」と知ってしまったモードの顔は、凛々しいのです。

 あと、思わず涙がこぼれたのは、サニーがジョージを養子に出してモードと別れるシーン、、、。運動に身を投じる妻を恥じたサニーはモードを家に入れないようになり、ジョージとも会わせなくなる。ジョージの面倒をサニーは一人で見きれなくなって、中産階級風の夫婦に養子に出してしまうんだけど、ジョージが「ママ……」と呼ぶと、モードが「あなたのママの名前はモード・ワッツ。忘れないで。大きくなったら探しに来て!」と涙ながらに言い聞かせる、、、。一緒に見に行った子持ちの映画友は「あの歳じゃ、多分忘れちゃうな、、、」と寂しそうに言っておりました。切ないシーンです。

 その後、サフラジェットのメンバーたちが、郵便ポストに爆発物を放り込んだり、電線を切断したり、空き家に爆弾を投げ込んだり、という過激な行動に出るところもなかなかスリリングですが、投獄されたモードがハンストし、餓死しないように強制食餌させられるシーンもおぞましいです。

 そして、あのダービーでの事件。史実を知っていても、映像で見せられるとショッキングです。

 というわけで、終始緊張感が貫かれた作品ですので、息つく暇はありません。「あー、はいはい」等と内心で思いつつも、スクリーンから目が離せません。


◆その他もろもろ

 まあ、私の主たる目的は、HBCだったので、そこそこ出番もあり、アラフィフになっても相変わらずキュートなヘレナを鑑賞できて、そういう意味ではまあまあ満足できました。何で彼女はあんなに可愛いのかしらん。品があるし、やっぱし好きだわ~~。

 そうそう、本作の中で、サフラジェットの運動を弾圧していた当時の首相ハーバート・ヘンリー・アスキス伯爵は、ヘレナの曾おじいさんなんだけれど、それゆえに、彼女にイーディス(中産階級の活動家)の役を依頼するのはスタッフも覚悟が要ったとパンフに書かれていました。冒頭で「アスキス首相」と誰かのセリフにありました。

 彼女のお祖母さんが、アスキス伯爵の娘だそうで。お祖母さんは、自立した女性で差別された経験がないので、サフラジェットの活動に共感できなかった、とヘレナは言っている、、、。ふうむ、そういうものなのかなぁ。まあ、ドラマ「ダウントン・アビー」を見ていると、貴族階級の人々って、労働者階級の人の鬱屈した気持ちとか、ゼンゼン理解できないし、しようともしていないのがよく分かるから、ヘレナの言葉もそのまんまなんでしょうなぁ、多分。

 サフラジェットを率いたWSPUの設立者であるエメリン・パンクハーストを演じたのは、あのメリル・ストリープさまでございますよ。もう、ハッキリ言って見飽きた、、、。彼女のファンの方、すみません。でも、あれにもこれにも出過ぎでしょう。素晴らしい俳優だということは分かりますが、、、。まあ、出番はほんの5分くらいですけどね。でもポスターにはしっかり一翼を担っていらっしゃるんだから、さすがはメリルさま。、、、嘆息。

 サニーを演じたベン・ウィショーは、出番が少なく、ちょっと寂しかったですねぇ。モードを理解できない夫なんだけど、そんなサニーを責めることはできません。なにせ、あの時代なんですから、むしろ多数派の男性像だと思います。というか、そういう気質の男性を演じているベン・ウィショーってのが、ある意味、新鮮かも知れません。モードとジョージを引き離すシーンでは、ろくでなし! って感じでしたけど。

 モードを演じたキャリー・マリガンは素晴らしい好演です。『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』では、ゼンゼン違うキャラを演じていたので、同じ人とは思えないくらい。童顔なので、21歳の役でも違和感なしでした。ますます活躍しそうですなぁ。

 パンフの最後のページに、メインスタッフ一同の集合写真があるんだけど、これがすっごいステキな写真!! キャリー・マリガンはもちろん、ヘレナもステキ。うう~ん、これ、ポスターにしてほしいわぁ。





ヘレナが好きなことを改めて自覚いたしました。




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シンデレラ(2015年)

2015-05-18 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)



 内容を書くまでもない、メジャーおとぎ話を忠実に映画化。

 優しさと勇気があれば、いつかきっと~~♪ あまりの王道バリバリ乙女路線まっしぐらで、オバサンにとってはほとんど拷問映画。トホホ。 

 
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 ケネス・ブラナー+ディズニー、なんて、本来なら全然食指が動かないパターンなんだけれど、本作は、なんと、我が愛するH・B・Cがご出演とあっては、劇場まで行かないわけにはいきませぬ。、、、というわけで、行ってきましたよ、場違いな所へ。

 なんといいましょうか、この居心地の悪さ。周り一帯、女子ばっか。99%女性。ま、レディースデイだったから仕方ないんですけど、、、。しかも、かなり若い子からご老人まで幅広く、かつ、各層とも結構な数。う~、こういう雰囲気の劇場、初めてかも。しかも、ポップコーンやらホットドックやらジュースのにおいが混ざった何とも言えない臭いが劇場中に充満し、ちょっと気持ち悪い、、、。お隣の若い子2人連れももれなくポップコーン族。うっ、、、。

 それもこれもレディースデイで1100円で見ているのだから仕方ない、と言い聞かせ、ようやく本編開始となって、ちょっとホッとする。

 はて、、、H・B・Cの登場シーンは中盤、多分、5分くらい。短いのは分かっていたけれど、こんだけ? と、かなりガックシ。もうちょっと出てくるかと思っていたんだけれど・・・。

 と、ネガティブなことばかり書いてしまったけれども、さすがケネス・ブラナー、衣装&美術、音楽、そして演出は素晴らしいです。ビジュアル的に飽きません。シンデレラと王子様の出会うシーンで馬上の二人がぐるぐる回っているところとか、なかなか素敵です。ケイト・ブランシェットの真っ赤な口紅が印象的。肝心のガラスの靴もすごく素敵。スワロフスキー制作と聞いて、納得です。そして、あのお城。どうやって撮影したのか。パンフによれば、セット+CGとのこと。

 フェアリーゴットマザーのH・B・Cは、最初は老婆メイクでギョッとしましたが、途中で可愛らしい妖精に変身。アラフィフにしては可愛いヘレナ。衣装もキラキラでなかなか楽しい。キャラもちょっとヘンで、たった5分だけれど存在感はバッチリでした。

 どーでもいいけど、ティム・バートンと破局直後に元彼の映画に出演なんて、ただの巡り合わせだと思うけど、因果な業界ですねぇ。どちらの監督も、私はあんまし好きじゃないので、どーでも良いんですが。彼女が素晴らしい作品に出てくれればそれで良いのです。

 さっき演出を素晴らしいと書いたけれど、最後に王子様が、継母に幽閉されているシンデレラを見付けるシーンは、イマイチですね。シンデレラの歌声が聞こえてきて、、、というのですが、伏線がないのです、この歌声に関して。これは、例えば出会いのシーンとか、途中の舞踏会のシーンとかできちんとシンデレラが歌うシーンを入れるべきでした。でないと、説得力がないでしょう。

 あと、王子様のルックスがねぇ。イケメンには違いないけど、あれじゃ、どっかのイケメンな農民にしか見えません、健康的&ナチュラル過ぎて。もう少し、高貴さが欲しいです。

 シンデレラはなるほど美女ですが、もう、イイ子過ぎて嫌味です。ま、おとぎ話なんで良いんですけど。見ていてむず痒くなってくる、、、。

 同じシンデレラなら、かなり前の映画『エバー・アフター』の方が内容的には百倍面白いです。ドリュー・バリモアのシンデレラが非常に魅力的だし、ダグレイ・スコットの王子様も(本作よりは)品があってかつ人間臭くて共感できるので。

 なぜ、今、こんな王道お姫様ワールドの映画なのか。パンフにケネス・ブラナーのインタビューが載っていますが、イマイチ上っ面な内容で面白くない。「新たなストーリーを作り出す」と意気込んだらしいが、新しさはあんまし感じなかったよなぁ。

 それにしても何なんだ、このパンフは。後ろ半分はディズニーの広告オンパレード!! だったらパンフ代下げろよ。すんごい興醒め。

 と、ほとんど文句になってしまいましたが、ヘレナ「だけ」を目当てに見たわけだから、仕方がないというか、十分予想できる結果なのでした。何を今さらなことばかり書いてしまいました、、、ごーん。





これぞ、キラキラ映画。




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トースト ~幸せになるためのレシピ~(2010年)

2015-01-05 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)



 料理ができない母親の後釜に座った継母ポッター夫人を、主人公のナイジェルは徹底的に嫌い、認めない。彼女の料理の腕を除いては、、、。

 イギリスで活躍する料理家のナイジェル・スレイター(本作を見て初めて知った)の自伝が原作だとか。

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 料理が上手い、下手、というのは、一体、何なのだろうか。

 私自身は、腕が良いとは言えないが、料理自体は好きである。余談だが、パートナー(以下Mr.P)が家にいるときは料理をしたがるため、私はもっぱら片付け役(Mr.Pには片付けという概念とセンスと能力がもともとない)なのだが、正直、腹立たしくなることもしばしば。私が料理をしても、ヤツは片付けをしないのだ(というか、できないし、教える気にもならないレベル、、、。私はそこまで根気良い人間ではない)。せいぜい、コンロ周りをガシガシ拭かせることくらいしか、ヤツができることはないのだ。ま、それだけでも助かるが、、、。

 で、好きである料理だが、いくら好きとはいえ、他人様にふるまっても恥ずかしくないレベルとは、到底言い難い。Mr.Pは美味しいと(お約束のように要求もしていないのに必ず言う)食べているし、私自身も、まあ、悪くないとは思うが・・・。他人様にふるまっても恥ずかしくないと言えるのは、定番レシピがあるお菓子の数種類だけだ。

 正直、要は、訓練(=頻度)だと思っていた、料理の腕の良し悪しは。もちろん、それには限度があるし、本当にセンスのある人は味だけでなく、創造性のあるものに発展させられるのだと思う。でも、他人様に出せるものレベル、であれば、訓練というか、とにかく回数をこなすことだと。だから、誰でも、ある程度こなせば、それなりになると思っていた。

 が、、、。本作の主人公ナイジェルの実母は、そもそも、「料理ができない人」なのである。材料を切ったり、計ったり、ということさえできない。生野菜を「汚い」という。フレッシュチーズも彼女にとっては「汚い」のである。だから、缶詰ばかりの食卓。あとは、トースト。この人には、食事を作る、という概念がないし、能力もないのだ。こういう人がいるのか、、、と正直驚いた。
 
 ・・・でも、良く考えれば、Mr.Pに片付けの概念も能力もないのと同じだ、、、。う~、絶望的。

 しかしナイジェルは、そんな実母が大好きで、心から愛していた。哀しいことに、この実母は、ナイジェルが小学生の時に病死する。

 同じく不器用な、でも、そこそこ金持ちの父親は、早速、家政婦を雇う。その家政婦ポッター夫人が、グラマー(というかデブ)で父親に色目を使い、見るからに品のない女性。ナイジェル、彼女を徹底的に嫌い抜く。ま、当然の反応だよな、、、。

 ただ、ナイジェルが彼女から多大な影響を受けたものが一つ。それが「料理」だった。彼女の作るものはどれもすごく美味しい。食事ってこういうものなのか、と、ナイジェルは思ったことだろう。

 そして、彼女の作るレモンパイを超えるレモンパイを作ろうと奮闘する。ここが、本作の核心部かな。

 ここで、彼女のレモンパイに負けないレモンパイを作ったことで、ナイジェルとポッター夫人の間には、決定的な、埋め難い溝ができてしまったのだと思う。ナイジェルが、ポッター夫人に教えを請えばそうはならなかったし、教えを請わずとも彼女のレモンパイに並ぶものを作れずに終わってもそうはならなかったはず。ここで、2人は完全にライバル同士として存在することになってしまったのだ、、、。

 思うに、2人とも、もの凄い意地っ張りの頑固者である。でもって、その間に立つ、ナイジェルの父親がもの凄く立ち回り下手。自分のことしか考えていない。2人が仲良く出来ない最大の原因は、父親がその緩衝剤に積極的になろうとしなかったことだ。その自覚がまるでない、子どもみたいな父親である。

 でも、そんな父親も、ナイジェルが実母を亡くした直後に、なけなしの貯金をはたいて買ってきたタラを真っ黒に焦がしてしまった夕飯のおかずを「うん、美味しい」といって、帰宅するなり嬉しそうに食べるのである。この瞬間だけ、ちょっとこの父親をイイ人だと思った、、、。

 この父親、ポッター夫人の作る美味しい料理を食べすぎたせいか、早死にする。もともと相容れないポッター夫人とナイジェルは、唯一の接点を失い、ナイジェルは早々に独り立ちする。・・・ま、当然の成り行きか。

 ちなみに、成長した青年ナイジェルがゲイであることを思わせる描写があり、その伏線として、少年期の彼が庭師のジョシュの裸を盗み見る、というシーンがあるんだけど。あんまし必要なかったのでは、、、。ゲイであるかないかなんて関係ないだろ。別にあっても良いけど、本作では何の意味もないと思う。

 本作を見て、「男は胃袋で捕まえろ」が真理だなんて思うのは、ちと違うと思うね。ナイジェルの父親は、現実主義者だった、ってこと。ポッター夫人があそこまで料理が上手くなくても、あの父親は結婚していたよ。そういう男、あの人は。

 幼いナイジェルが、亡き実母のドレスを持って踊るシーンが切ない。あの母親もどんな思いで亡くなったのか・・・。
 
 ま、当然、私が本作を見たのは、ヘレナ・ボナム=カーター出演作だからなんですが・・・。この年、彼女はあの『英国王のスピーチ』に出演しており、あっちでは王妃役、こっちでは下品な後妻役、と、さすが!なところを見せてくれています。彼女のファンとしては、どっちのH・B・Cもチャーミングで好きですが。

 映画としては、まあ、キライじゃないです。



レモンパイは大嫌いな継母の味




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天才スピヴェット(2013年)

2014-11-18 | ヘレナ・ボナム=カーター(H・B・C)



 科学の才能に恵まれた10歳のT・S・スピヴェット(テカムセ・スパロウ・スピヴェット)は、自分の発明がスミソニアンで表彰されることを知らされる。その少し前に双子の弟レイトンを銃の暴発事故で亡くし喪失感に覆われていたスピヴェット家から、T・Sはこっそり抜け出し、一人スミソニアンを目指す!

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 天才児が主人公のハートウォーミング映画は結構あって、まあ、嫌いじゃないのだけれど、本作については、ただただヘレナ・ボナム=カーターが出演しているので見たかったのでした。その後、監督が『アメリ』の人だと知り、あれは私はダメだったので、正直どうかなー、と思いながら公開初日に劇場へ行きましたが、これは、一応アタリかな。

 3D初体験でございました。この映画で3D? と思ったけれど、なるほどね、という感じでした。何というか、飛び出す絵本的な3D。心配したほど目も疲れませんでした。全編、とにかく映像が美しい。

 さて、タイトルからもお分かりの通り、主人公は天才のスピヴェットなのですが、スピヴェットというのはラストネームでして、天才児のファースト&ミドルネームは、T・S(テカムセ・スパロウ)なのよね。ちなみにお父さんであるカウボーイ親父はテカムセ・エリヤ。天才児はスピヴェット家の長男なのです。

 そもそも、天才児に一人旅を決意させたのは、二卵性双生児の弟レイトンを亡くして意気消沈する両親の姿。なんたって、レイトンは天才児とはキャラが全然違って活発な野生児で、カウボーイ親父のお気に入りだったのだから。

 そんな両親の喪失感を、自分はどうしても埋められないと強く感じた天才児は、タイミングよくかかってきたスミソニアンからの電話での招待に応じることにしたのです。たった一人で、、、。う~、泣けるよ、このいじらしさ。

 始まります、天才児の一人旅。まあ、この辺はありがちな、無賃乗車&ヒッチハイクで、無事スミソニアン着。、、、でもって、いよいよ授賞式でのスピーチです。

 このスピーチが、、、。泣けます。いえ、見ている間は泣きませんでしたが、今、思い出すと泣けるのです。レイトンの亡くなった事故の責任が自分にあると、天才児は深く自分を責め続けてきたことが、ここで分かるからです。ちがうちがう、事故の最大の原因は、レイトンに銃を与えたカウボーイ親父なのよ、と、見ている大人たちは心の中で叫びます。私も叫んでいました、心の中で。

 この天才児のスピーチを、どういう訳か、ヘレナ・ボナム=カーター演じる母親のクレアが会場で聴いています。この辺、描写がないので、どういういきさつで何時の間に彼女がワシントンに来ていたのか(カウボーイ親父も来ているんだけど)がナゾ。まあ、でもそんなことは気にならない。

 最終的に、両親はT・Sが一人自分を責めながら心を痛めていたことを知り、家族再生でハッピーエンド、という、言ってみれば結構単純なストーリーです。

 ただ、まあ、スピヴェット家の人々がみんなもの凄く愛すべき変人たちで、その変人ぶりを見事に飛び出す絵本的に描いてくれていますので、非常に楽しめます。T・Sが一人旅で出会う人々ももれなく愛すべき変人です。

 天才児とはいえ、やっぱり子どもは子ども。恐ろしく知恵が回るかと思う半面、短絡的というか単純というか。親の愛情に飢えている、一人の男の子なのです。そして、天才児でもコンプレックスを抱くという当たり前の事実。自分よりゼンゼン勉強なんかできないけど、両親の愛情を自分より一杯受けているレイトンは、彼にとって、どうにもこうにも乗り越えがたい存在なのです。天才児はつらいよ、トホホ・・・。

 天才という峰が高いだけに、恐らく彼のこれからの人生、谷も深いに違いない・・・。けれども、彼はきっと、あの愛すべき変人家族に囲まれて、それを乗り越えていってくれるだろうな、と期待させてくれる作品です。

 ま~、何と言っても、特筆すべきは、T・Sを演じたカイル・キャトレットくんの可愛さ。撮影時11歳だというけど、7~8歳くらいにしか見えない・・・。なんつーか、個人的に秘かなお気に入りのマイケル・ヴァルタンの子ども時代はきっとこんなだったんじゃないか、と思わせるようなイケメンぶりで、おまけに演技もバッチリと、もう、彼に尽きるでしょう、本作は。

 我が愛するヘレナも、ステキな変人お母さんを演じておられまして、久々のハマリ役ではないでしょうか。こういう知的なぶっ飛んだ役は、彼女にピッタリです。
 
 見に行って良かった!


天才児も楽じゃない・・・。




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