映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

魂のゆくえ(2017年)

2019-05-28 | 【た】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67241/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ニューヨーク州北部にある小さな教会ファースト・リフォームドの牧師トラーは、戦争で失った息子への罪悪感を背負っていた。

 ある日トラーは礼拝に来たメアリーに、環境活動家の夫マイケルの悩みを聞いてほしいと頼まれる。仕方なくメアリーの家に出向きマイケルの話を聞くと、彼は地球の未来を悲観し、メアリーのお腹の子が産まれてくることに後ろ向きにいた。

 説得にあたる反面、内心マイケルに共感し、自分の説明に納得できないトラー。さらに所属する教会が環境汚染の原因を作っている大企業から巨額の支援を受けていることを知り、次第にトラーの信仰心は揺らぎ、怒りにも似た感情が彼を蝕んでいく。

=====ここまで。

  

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 実は、見てからもう2週間近く経っているので、本当は感想を書くのもやめておこうかと思ったんだけれど、、、一応、思ったことをつらつらと書き留めておくことに。

 ……まあ、何となく格調高そうな脚本と演出にごまかされそうになるんだけれど、この映画は、牧師の男トラー(イーサン・ホーク)が、一人で勝手に拗らせに拗らせた挙げ句、自爆テロに突っ走る、、、というだけのお話。

 正直言って、信仰を持たない人間……というより、宗教に懐疑的、いやもっと言っちゃうと、胡散臭いとさえ思っている人間にとって、“トラーが悩んでいるの図”がどれほどの重みのあることなのか理解が及ばず、なんか気持ち的にかなり引いていた。

 セドリック・カイルズ演ずるメガチャーチの生臭牧師は、トラーと対照的に描かれているんだが、むしろこの生臭牧師の方が、まだ理解できる気がする。教義と現実と割り切って生きれば良い、、、というのは、神に仕える者(?)としてはあるまじきことかも知れないが、裏を返せば、それくらい神の教えなんてものは建前論だってことじゃないのか。

 だから、まったく笑顔のない、四六時中眉間に皺の寄った顔のイーサン・ホークを見ていて、彼が何にそこまで苦悩しているのか、頭では分かる様な気がしても、気持ち的についていけなくなっていた。

 挙げ句、神よクソ喰らえ!! となるのなら分かるけど、まあ、ある意味そうなんだろうけど、教会に自爆テロしに行こうとするなんてのは、いい加減にしてくれ!と言いたくなる。

 本作は『タクシードライバー』との相似性が言われているが、確かに終盤のトラーは、デ・ニーロ演ずるトラヴィスと同じこと(武装)をしている。私は、『タクシードライバー』もトラヴィスも好きじゃないけど、トラーよりはマシかも。だって、トラヴィスが武装に至る過程は、どこにでもありそうな話で、人間臭さ全開だけど、トラーの場合、神との対話が行き詰まったんだもんね。知るかそんなん、って感じだわ。

 特に、アメリカのキリスト教(福音派)の異様さを日頃ニュースなどで目の当たりにしているだけに、宗教のネガティブな部分が、また私の中に刷り込まれた感じ。

 信仰は自由だし、尊重されるべきものだけれど、信仰を振りかざして横車を押しまくり、常識を非常識と決めつけ、無理を通して道理を引っ込めるのはやめてもらいたいわ。科学的に正しいことは正しいと認めることも大事でしょうよ。

 ……というようなことを、終盤、有刺鉄線を身体にグルグル巻き付けているイーサン・ホークの姿を見ながら、ボーッと思っておりました。

 『タクシードライバー』と違うのは、トラーは、実行に移さなかったってところ。で、あのラストシーンの意味は、、、? となるのだけど、私にとってはもうどーでもよいことでありました、、、ごーん。

 

 

 

 

 

宗教が腐りきっているなんて、何を今さら、、、な感じ。

 

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主戦場(2018年)

2019-05-22 | 【し】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67510/

 

以下、上記リンクより内容紹介のコピペです。

=====ここから。

 映像作家、YouTuberとして活動する日系アメリカ人のミキ・デザキが、日本と韓国の間に横たわる従軍慰安婦問題に迫ったドキュメンタリー。ネトウヨの主張に好奇心を掻き立てられたデザキは、数々の疑問を胸に、日米韓で論争の中心にいる人物を訪ねる。

 ジャーナリストの櫻井よしこ、弁護士・タレントのケント・ギルバートなどが作中に登場。

=====ここまで。

 濃いメンバーが続々スクリーンに現れるドキュメンタリー映画。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 10連休中の終盤、ラ・フォル・ジュルネのコンサートの合間を縫って見に行って参りました。連日満席の盛況ぶりだそうで、この日のこの回も満席で、立ち見の方々も。やっぱりネット予約って便利。

 さて、こういう映画の感想を書く以上、自分の立ち位置をあらかじめ書いておくべきでしょう。私自身は、従軍慰安婦について、軍の強制はあったと判断しているし、櫻井某や杉田某らは歴史修正主義者だと認識している。

 ……という前提で本作の感想を述べます。

 

◆世間の評価と、私の感想との乖離は激しい。

 本作は、この従軍慰安婦問題における問題点を挙げ、それについて一つずつ、否定論者、肯定論者双方の言い分を述べている箇所を切り貼りして編集し、まあ、バーチャル討論のような形式で見せている。実際、パンフを読むと、誰のどの発言をどこで使うかということについて、付箋をあちこち貼りまくってチームで考えたというようなことを監督は語っている。

 そして、ドキュメンタリーとはいえ、ドキュメンタリーだから、やはり制作者の意図は明確で、その結論に持って行くための作りになっている。つまり、軍の強制性はあり、否定論者は歴史修正主義者である、という結論。そして、そのこと自体に別に異論はない。

 なので、私の立ち位置と本作の制作意図は同じなのだけれども、鑑賞後、溜飲を下げることもなければ、賞賛する気にもなれなかった。なぜか、、、。

 まあ、やっぱり何よりも、自国の恥ずべき歴史を見せつけられた不快感というのはイヤでも感じざるを得ない。しかもそれを、監督による早口英語のナレーションで展開していく。これが日本人の手によるものなら、そんな気持ちにならなかったのかも知れないが。

 また序盤から、櫻井某等、否定論者たちを「歴史修正主義者」と呼んでいるのも、引っ掛かった。確かに彼らは修正主義者だと私も認識しているが、この映画を通して、慰安婦問題の何が問題なのかを洗い出して検証するというのなら、最初から「歴史修正主義者」とレッテルを貼るのはいかがなものか。やっぱり「否定論者」とかにすべきだったんじゃないか。

 そして何より、本作は確かに意欲作であり力作だが、申し訳ないが、これで何がどうなるわけでもないだろう、、、、という虚しさが一番大きかったかも。だって、本作は、これまで慰安婦論争で否定論者VS肯定論者がさんざんやり合ってきたことを、結果的になぞっただけだもの。否定論者の言うことはいつも同じ、と肯定論者は言うが、肯定論者だってそういう意味では同じだろう。つまり、この問題は、これまでも、本作でも(そして恐らくこれからも)、両者は平行線のままなのだ。

 話題になったことで、無関心だった人が本作を切っ掛けに問題意識を持つことがあるだろうし、それだけで本作の意義があるというのも否定はしない。何事も、どこから風穴が空くかは分からない。チリツモで、コツコツと活動を続けることの意味は確かに大きいと思う。

 ただ、こういう映画は、否定論者たちの多くは見ないだろうし、見ずに平気で批判をするだろう。まさに、本作内でも語られていた「(自分と立場が)反対派の書いた物など読まない」というのは、世間一般にもそのまま当てはまる。人は、見たいことを見るし、聞きたいことを聞く。

 本作の感想を、Twitter上でジャーナリストの江川紹子氏が述べていたが、それが、本作への批判であったことから、肯定論者やリベラル派から猛烈なバッシングを浴びていた。江川さんはその一つ一つには対応していないが、彼女を「極右の片棒担ぎ」とか「ネトウヨの味方」などとこき下ろしているコメントも少なくない。江川さんの普段の言動を見ていれば、そんな思想の人じゃないことなど明らかだし、自分とモノの見方がある部分で違うからといってその相手を全否定する言動は、リベラルが毛嫌いしているネトウヨのそれと全く同じで、ここにこの問題の根っこを見る思いだ。

 確かに江川さんの本作へのツイートには??という部分もあったが、彼女の言いたいことは私でも何となく分かる気がした。彼女の「アンフェア」という言葉は、中立性を保っていないことを指したのではないと思う。ドキュメンタリー=中立じゃないことはジャーナリストとして弁えているはず。彼女が感じたのは、本作の作り方の“意地悪さ”に対する不快感ではなかろうか。

 例えば、江川さん自身がツイートしているが、「国家が過去を謝罪する問題について、米国の戦時中の日系人強制収容問題という国内問題を対比させて、日本を批判するのはアンフェアの一例」とあるように、否定論者が謝罪不要と喋っている映像とレーガンが謝罪のスピーチをしている映像を交互に見せるところなどは、それは同じレベルで語ること??と私も感じた。原爆を落としたことをレーガンが謝罪している映像なら、それはアリだろうが。そう言えば、きっとアメリカは「こっちは戦勝国だぞ」と言うのだろう。しかも本作の監督は、日系とは言えアメリカ人である。アメリカが正義と言われているみたいで、苦笑したのは私だけじゃないはずだ。じゃあ、アメリカが負けたベトナム戦争のあれやこれや、、、一つでもアメリカが外国に謝罪したことあるの??とかね。ああいう映像の見せ方は、肯定論者からでさえ、そういう余計な反感を誘発する、あまり賢くない作りだと思うんだけどなぁ、、、。それを指摘したら、ネトウヨなんでしょーかね??

 あと、意地悪の最たるものは、否定論者の人選。まあ、確かに否定論者たちに、あんましマトモに話せる人はいないかもだけど、秦郁彦氏には取材を断られたそうだから、そうなると、ああいうメンツになってしまうのか、、、。とにかく、選ばれた否定論者たちの論調のお粗末さは、肯定論者から見れば隙だらけなのである。ケント・ギルバートはその中では割とロジカルな物言いだったと思うが、その他の方々は精神論とかただの妄言(「日本軍がそんなことするはずないと直感で分かった」とか「日本人は嘘を言うことがいけないと教えられているから嘘は言わない」とか「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たち。見た目も心も汚い人たちだ」とか、、、アタマ大丈夫??と思わざるを得ない)が続き、こんなことしか言えないような人たちばかりを選び、ラスボスに加瀬英明氏を出してきて、彼のトンチンカンな受け答えを嘲笑う、、、、。陣営の人材不足を差し引いても、そしてそれが陣営の実態を表しているとしても、その構成には底意地の悪さを感じてしまった。加瀬英明氏の喋っているシーンでは、劇場内で笑いが起きていたが、私は到底笑える気分じゃなかった。彼らが安倍首相を先頭にした日本の主流派だと世界に思われるのだとしたら、日本人として恥ずかし過ぎる。……こういう思考回路もネトウヨと同じとか言われちゃうんでしょーか?  

 

◆何と闘っているの??

 否定論者たちの話を聞いていて、途中から思っていたことは「この人たちは一体、何と闘っているんだろう?」ということ。

 彼らも慰安婦がいて慰安所があったことは認めているが、それが、日本軍(or日本政府)の管轄下にあったことを頑なに否定している。

 そもそも、肝心の強制性について、否定論者は、安倍首相が国会で答弁したように「身体的拘束」を伴うことを強制と定義しており、肯定論者は身体的な拘束がなくても、そうせざるを得ない「精神的な抵抗抑制」「物質面からの誘導」を強制としている。定義が違えば、両者の議論が噛み合わないのも当たり前。ただ、彼らの言う「強制じゃなきゃ良い」というのは、昨今、世間を賑わせている性犯罪無罪判決で抵抗できたか否かに焦点が当たるのと同じで、性暴力の事実を矮小化したいだけにしか見えず、他国には卑劣そのものに映ると、なぜ気付かない?

 彼らは、現在の価値観で当時のことを裁くのはオカシイとも言う。確かにそういうこともあるだろうが、少なくともこの問題(女性の人権侵害)で、戦時下であることや、女性の地位が世界的に(現在より)低かったことを理由に、慰安婦・慰安所の存在を肯定し、「それのどこに問題が??」と全世界に向かって開き直るのは、彼らが死守したい、日本という国の尊厳を著しく傷つけていることに、なぜ気付かないのか。否定論者が反論すればするほど、人権侵害を肯定しているのよ? だって、彼らは、慰安婦や慰安所の存在自体は認めちゃっているのだから。それすらなかったと言い張るのならまだ分かるが、、、。戦争自体が人権侵害そのものだ、とか言うのは、論理のすり替えでしょ。

 そしてまた、彼らは、慰安婦や慰安所などは日本だけじゃなく、他国でも有ったと言う。有ったかも知れない。しかし、例え戦時下でも、当時から国際的に表向きは人道に背くものとして対処されていたのであり、「他でもやってたのに何でウチだけ……?!」というのは、「だってアイツもやってたもん!」とダダをこねるガキンチョのセリフと同じで、これも、言えば言うほど、言う者たちの幼稚さ・愚かさを露呈する論理であることに、なぜ気付かないのか。

 認めることは彼らにとって何だというのだろう。屈辱? 自尊心の問題? でも、戦争も慰安婦問題も、現在に生きる私たちのとった行動ではないし、そういう史実に対して私たちは為す術もないのだから、恥ずかしさは否めないにしても、過剰な屈辱を感じる必要はないのでは? 自尊心は大事だが、少なくとも彼らの自尊心は、日本という国の尊厳を守ることに貢献していない。

 つまり、彼らが闘えば闘うほど、彼らの意図とは反対に、日本の尊厳を貶め、国際的地位も低下することになっている、、、のだけれど?? 彼らの言動が、相手を悪い意味で刺激し、頑なにさせ、過剰な反応を誘発しているのだけれど? ……彼らは何と闘っているのか? もしかして、日本では彼らはその闘いに勝ったとでも思っているのか??

 何と闘っているのか分からないが、自分たちの主義主張や自尊心を守ることに血道を上げる前に、もう少し、“国益”とか“日本にとって損か得か”といった現実的な判断力が欲しいよね。この問題を否定することは、慰安婦=女性の人権蹂躙を肯定していることになる、その損失の大きさをもう少し冷静に考えてもらいたいのだが。当時の価値観なんて、時間が経てば経つほど現代人からは見えなくなり、現在の価値観がますます優先されていくことに、いい加減気付けよ、と言いたい。

 潔さって大事よね。多分、否定論者たちの誇る、日本人の精神性(?)の一つに「潔さ」はあると思うが、彼らの言動には、その潔さがまるでないのが皮肉。

 かと言って、本作を絶賛している肯定論者たちも短絡的だと思う。

 日韓双方の肯定論者と否定論者が、同じ土俵に上がって、何が事実で何がデマなのか、一つ一つ検証することから始めるしかないと思うのだけど、両者の姿勢を見るに、まあムリだろうね、、、と絶望的な気持ちになって劇場を後にしたのだった、、、ごーん。

 

 

 

 

 

「終わりなき論争に、この映画が終止符を打つ」という予告編の惹句は、ほとんど詐欺。

 

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・バニシング ― 消失 ―(1988年)

2019-05-20 | 【さ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67230/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 7月、オランダからフランスへと車で小旅行に出掛けていたレックスとサスキア。立ち寄ったドライブインで、サスキアは忽然と姿を消してしまう。

 必死に彼女を捜すも手掛かりは得られず、3年の歳月が経過。

 依然として捜索を続けるレックスの元へ、犯人らしき人物からの手紙が何通も届き始め…。

=====ここまで。

 本邦劇場初公開。1993年に監督自身の手により、ハリウッドでジェフ・ブリッジズ、キーファー・サザーランド、サンドラ・ブロックの顔ぶれでリメイクされ、こちらは日本で公開された模様。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 何かの映画の予告編で見て、そそられたので見に行って参りました。久しぶりに、ゾッとする映画を見た、、、という感じ。

 

◆おぞましい、、、

 いわゆる“失踪モノ”は結構好きで、まあ、大抵は何らかのオチが最後までに明かされる。自発的であったり、誘拐であったり、イロイロだが、導入の思わせぶりなのに比べてオチは尻すぼみ、、、ってのが多いのがこのジャンルの特徴でもある。

 けれども本作は、最後の最後に、ドッカーーンと打ちのめされる。……というか、正確に言うと、オチはある程度想像はつくのだが、その遙か斜め上を行く展開なのである。想像通りの結末なのに、打ちのめされる、、、、こんな映画、そうそうないんじゃないか??

 サスキアを連れ去った犯人の男レイモンが、その風貌といい、行動といい、おぞましいの一言。まさにエドワード・ゴーリーの絵本『おぞましい二人』から出て来たみたいなんである。ちょっと、ウィリアム・ワイラー『コレクター』をも彷彿とさせる。つまり、女性を拉致するために別荘を借り、車に乗せるために予行演習を何度も行い、自分の脈を測り、クロロホルムを自分で吸って気を失っている時間を測り、、、、という具合に、レイモンの異常ぶりがこれでもかと描写される。一方で、レイモンは妻と娘が2人いる家庭持ちであり、高校(or大学?)で化学の教師をしていて、リアルでは極々マトモで社会的信用のある人間でもあるのだ。この二重人格っぷりに、ゾッとなる。

 しかも、さらにゾッとなるのは、レイモン自身、自分が反社会的であることに自覚的であるところ。自身のことを「境界性人格障害」とハッキリ言っている。分かっていてやっているのだ。それも、反社会的でパーソナリティ障害である自分が“正しい人間”であることを証明するために、、、という気の狂った彼自身の論理に基づき、一連の行動を起こしている。

 こんな人間に目を付けられたら、もう、ただただ不運としか言い様がない。おぞましい。

 

◆好奇心に負けて、、、

 以下、ネタバレになります。

 本作のもう一つのキーワードは、好奇心。本当のことが知りたい、真実を見極めたい、という探究心。レイモンは、レックスのこの好奇心につけ込んでくるのである。

 「サスキアに何があったか、知りたければ私の言うとおりにしろ」とレイモンは言う。そして、「睡眠薬が入っているコーヒーだ」とハッキリ言ってレックスに飲ませる。レックスも最初は躊躇するが、結局、好奇心に負けてコーヒーを飲んでしまうのだ。

 私だったら、あそこでコーヒーは絶対飲まないと思う。ちょうど、レックスがコーヒーを飲むシーンは、雨が降っている外でのシーンだから、私だったら、どうせ頭から雨でずぶ濡れなんだし、コーヒーを飲んだように見せかけて口には入れずに胸にこぼし、眠った振りをして、真相に迫ろうとすると思うなぁ、、、などと考えながら見ていたんだけど、……まぁ、それじゃあこの映画の面白味も半減しちゃうよね。

 オカシイのは、レイモンがさんざん予行演習したやり方では、誰一人として女性を自分の車に誘い込むことが出来なかったこと。全て失敗だったのだ。ようやく上手く行きそうになったケースも、くしゃみが出そうになって、思わずクロロを染みこませたハンカチで自分の口元を押さえてしまったばかりに、、、という具合でマヌケそのもの。レイモン自身も、自分のマヌケぶりに呆れて諦めた直後に、サスキアとの会話の流れで、思いがけずチャンスが転がり込んできたのである。

 ……と言う具合に、異常な人間を描いていながら、やたらリアルなシーンが続き、いかにも有りそうな現実的な話に終始していて、それがまたゾッとさせられる要素でもある。

 現実世界でも、ある日、忽然と姿を消してしまう人はいる。それを思うと、こういうことがあっても不思議じゃないと思わせる強烈な説得力が、この映画にはあるように思う。

 ラスト、レックスも行方不明になったことを伝える新聞記事がスクリーン一杯に出るが、そこに載っている、サスキアとレックスの顔写真が丸くトリミングされている。この丸の形が、本作で度々サスキアの夢として語られる“卵”の形。序盤で、サスキアは、レックスと「金の卵に閉じ込められて永遠に彷徨う夢を見た」と話すのだけど、まさに暗示的な夢だったというわけだ。

 ストーリーもさることながら、演出や細かい伏線などもよく考えられており、地味ながら秀作だと思う。集中力が一瞬たりとも途切れず最後まで見てしまった。強いて難点を上げるとすれば、2度目以降の鑑賞は、ちょっと厳しいかな、というところか。

 まあ、でも良く出来た面白くて怖い映画です。

 

 

 

知らない方が良い真相もある、、、。

 

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男と女、モントーク岬で(2017年)

2019-05-19 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64513/

 

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 新作のプロモーションのため、ベルリンからニューヨークにやって来た作家のマックス(ステラン・スカルスガルド)。その小説は、実らなかった恋の思い出を綴ったものだった。

 かつての恋人レベッカ(ニーナ・ホス)と再会を果たすマックスだったが、別れてから何があったのか彼女は何ひとつ語ろうとしない。だが失意のマックスがニューヨークを発つ3日前、レベッカからロングアイランド、モントーク岬への旅の誘いが舞い込む。そこは、幸福だった頃の二人が訪れた場所であった……。

=====ここまで。

 監督は、『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフ。78歳にして「どうしても撮りたかった」んだとか。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 『あの日のように抱きしめて』(2014)を見て以来、ニーナ・ホスのファンになってしまい、昨年公開時に見に行きたかったのだけど行きそびれ、このほどようやくDVDにて鑑賞。やっぱりニーナ・ホスは素敵だった……が、、、。

 

◆フォルカー・シュレンドルフよ、お前もか。

 フォルカー・シュレンドルフ監督作品では、『ブリキの太鼓』は何度か見ているが、数年前に『シャトーブリアンからの手紙』(2011)をDVDで見たけれども、正直言ってあんましピンとこなかった。『スワンの恋』(1984)も、ジェレミー・アイアンズが出ているので、BSでオンエアしていたのを大分前に録画してあるのだけどまだ見ていないし、、、。なので、どうしても『ブリキの太鼓』のイメージが、監督の名前を聞くと浮かんでしまう。

 けれども、この映画は、そんなイメージとは全然違う。ホントに同じ監督の作品??と思うくらいに違う。

 監督のインタビュー動画を見たら、本作は“ただのラブストーリーであって内容はない”みたいなことを言っていたが、内容がないというより、……まあ、言っちゃ悪いが男のエゴとロマンチシズム全開の鼻持ちならない映画、、、だと私は思った。しかも、監督が言うには、これは自身の体験でもあるとのことで、あんまり男だ女だと言い立てるのは好きじゃないが、やっぱり男性ってこういうのを人生の黄昏時になると振り返って遺したくなるものなのかねぇ、とちょっと鼻白む。

 ネット上で感想をいくつか見たんだけど、「女性なら共感できる映画」みたいなことを書いている人(いずれも恐らく女性)が複数いて、へぇ~~!? と思った。多分、レベッカに共感できる、という意味だと思うけど、私はゼンゼンだった。むしろ、こっちは別の人生を歩んでいるところへ、昔の(勝手に美化した)思い出引っさげてのこのこ訪ねて来た男と寝る女なんて、理解できない。私だったら、訪ねてきた時点で、どんなに好きだった男でも一気に軽蔑の対象になると思うわ。この程度の男だったのかと、自己嫌悪にも陥るだろうな。

 レベッカを演じるニーナ・ホスが、いきなり訪ねてきたマックスを見る表情には、驚きと嫌悪感みたいなものを私は見て取ったので、そらそーでしょうよ、と思ったんだけど、その後、レベッカがマックスを誘ってモントーク岬まで一緒に行くという展開になって、???となり、挙げ句、セックスまでしちゃうなんて、これは男の妄想世界の話でしょ~、、、うげげ、って感じだった。にべもなくあしらわれて終わり、っていう話にはできないんだろうね、たとえフィクションであっても。やっぱり“寝る”ところまでは既定路線なんだろうな、、、と思うと、つくづく男ってオメデタイ生き物だと呆れる。

 大抵の男は、寝て欲しいんだよね、過去の女に、今の自分と。そうやって、“今でもイケてるオレ”を確かめたいんだろうけど。特に、小説家とか映画監督みたいなクリエイターにはナル男が多いと思うので、こういう自己陶酔型の話を書いたり作ったりしちゃうんじゃないかしらん。

 ま、勝手な妄想してオ〇ニーするだけにしておいてください、としか言い様がない。

 

◆ニーナ・ホスは素敵だが、、、

 ニーナ・ホスが、やっぱり魅力的。年相応に皺もあるし、役柄ほとんど笑顔を見せないんだけど、すごく美しい。何か、やっぱりヨーロッパの人だよなぁ、、、と思っちゃう。ハリウッド女優には、こういう印象の人はいない。

 肝心のマックスを演じるステラン・スカルスガルドが、どうも私は苦手で、それもこの作品への良い印象を持てない理由の一つかも。若い頃はイケメンだったんだろうなぁ、、、と思わせる感じでもないし(実際若い頃の画像を見ても、まぁ、、、イケメンとは違う)、レベッカとのベッドシーンでは、彼の顔のアップが結構長いこと続くんだが、これはキツい。映画なんだから、やっぱり、ビジュアルも大切だと思うわけよ。ベッドシーンのアップに耐えられる初老の俳優なんてそうそういないと思うが、せめて、あのアップのシーンはやめて欲しかったなぁ。

 マックスは、そんなわけで、見た目も中身もかなり???な爺さんなのに、なぜか若い(と言っても彼の年齢から見てという意味)女性にモテモテなんである。これも監督の願望か? いや~~、妄想もここまで来ると天晴れだね。

 マックスが朗読するシーンで「行動してする後悔と、行動せずにする後悔が云々、、、」というような一節があるんだけど、まあ、そういうことを言いたいんだよね、本作は。それで、マックスは行動したと。

 ラストで、事実婚の妻に「モントークで誰と会っていたの?」と聞かれたマックスは「幽霊だ」と言っていたが、その程度には自覚もあったのかと、ほんの少しホッとした。

 

 

 

 

モントーク岬が美しい。ニーナ・ホスも美しい。

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョーズ(1975年)

2019-05-17 | 【し】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv4428/

 

以下、“午前十時の映画祭10”のHPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 アミティ海水浴場の浜辺に女子大生の死体がうちあげられた。

 現場に赴いた警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)は、切り刻まれた死体の断片を目にし、死因欄に「サメの襲撃」と記す。ブロディは海岸を遊泳禁止にしようとするが、海岸を閉鎖すれば町にとって死活問題、死因は漁船のスクリューによるものという市長ボーン(マーレイ・ハミルトン)の主張に屈してしまう。

 だがブロディの心配は的中し、第2の犠牲者が海中に消えた―。

=====ここまで。

 今年で最後となる“午前十時の映画祭10”にて鑑賞。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 “午前十時の映画祭”の今年のラインナップは、王道過ぎてあんまし見たい作品がないんだけど、本作は見に行こうと決めていました。何しろ、連休中だった上に、劇場の席数が少ないもんだから、ネット予約も秒速プレーが要求されるという、、、。何で映画の予約でこんなに気合い入れなきゃいけないんだ! と思いながらも、どうにかTOHOシネマズ新宿で席をゲットできました。新宿がダメなら、錦糸町かなぁ、と思っていたけど、、、。まあ、どちらへ行くのもそれほど遠いわけじゃないから良いんだけどね。

 本作は、泣く子も黙る、サメ映画の金字塔。あまりにも名作なので、内容についてよりも、あくまでも感じたことを思い付くまま書きます。

 

◆父親と劇場に見に行った唯一の映画。

 ……というわけで、公開時以来の再見。公開時に、「ジョーズ見たいなぁ」と、ふと小学生の私がつぶやいたところ、父親が「行こか!」と言ってくれて、姉と3人で見に行った。父親と映画を映画館で見たなんて、後にも先にもこれっきり。

 映画館で映画を見ることもあんまりなかったから(というか、母親はディズニーの白雪姫とかダンボとかを見せに映画館へ連れて行ってくれていたそうだが、私はことごとく寝ていたらしい。ほとんど記憶にないが)、わくわく、でも前評判で怖いと聞いていたからドキドキしながらだった。見終わってどう思ったかとかはゼンゼン覚えていないのだが、見ている間は緊張しっぱなしだったように思う。

 40年ぶりに見た感想は……。

 いや、これ、40年経った今でも、ゼンゼン古さを感じさせない素晴らしい映画でしょう。サメは作り物だが、今見ても違和感はほとんどないし。とにかく、中盤以降までサメが姿を現さないのに、十分怖いっていう作りがスゴイと思う。

 その怖さに貢献しているのが、やっぱりジョン・ウィリアムズの音楽。あの迫ってくる恐怖を音で表わしたBGMは、本当に素晴らしい。あれは、元ネタがストラヴィンスキーの「春の祭典」だそうだが、見事にジョーズの代名詞になっている。

 あと、やっぱり、“サメ目線”っていうのが斬新だったのだと思う。あれで、サメの姿を見せなくても、人間が襲われることを予感させる恐怖が演出できている。

 また、ただのサメ映画ではなく、人間ドラマもとてもよく描かれていると感心した。ロイ・シャイダー演じる弱っちい警察署長、喰われフラグが最初から立っている漁師のクィント(ロバート・ショウ)、若い海洋学者フーパー(リチャード・ドレイファス)のキャラや関係などは、この映画を単なるサメ退治話に終わらせない、冒険モノに仕立て上げることに成功している。

 要は、非常に奥の深い映画なのだ。これを弱冠28歳で撮ったというのだから、何だかんだ言っても、スピルバーグはやはり天才。

 

◆椅子から飛び上がりそうになったシーン2つ。

 劇場の大きなスクリーンで見ると、やっぱり楽しい、こういう映画は特に。

 思わず「ぅわっ!」と小さく声を上げてしまったシーンが2か所。1か所は、所長が船上からエサを撒きながら「お前なんかとツラつき合わせてるよりサメの方がマシだよ」と言って振り返った瞬間、巨大サメがクチを開いて海面から顔を出すシーン。そのときの、ロイ・シャイダーの顔が、演技とは思えない凍り付き方で素晴らしい。もう1か所は、、、ナイショ。是非、見てみてギョッとなって欲しいから、敢えて書きません。

 スピルバーグは、見る者をビックリさせるのが実に巧い。

 サメに樽を引っ張らせて弱らせる作戦に出ても、ゼンゼン効果がないんだが、樽が水面に現れると“ヤツ”が来たと分かる様な演出になっているとか。観客をふと油断させておいて、突然、巨大サメを出現させたりとか。

 途中で、クイントが無線を壊しちゃうのが意味不明だと思ったんだけど、あれはサメ獲り名人の漁師としてのプライドなんだろうなぁ、多分。ラストで巨大サメの口の中に呑み込まれていくシーンも圧巻。

 この後、続編やらバッタもんがイロイロ作られたというのも、本作があまりにもよく出来ている証拠。やたらグロいシーンや、美女が出て来なくても、十分面白い映画は作れることを改めて実感させてくれた。スピルバーグは好きな監督ではないけれど、やっぱりその才能は素晴らしい。

 

 

 

 

心臓に悪い映画。

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~アグラ(インド)その⑧~

2019-05-11 | 旅行記(海外)

**タージ・マハルの街**vol.3

 

関連映画:『その名にちなんで』(2006)

 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)

 

 

その⑦につづき

 アッと言う間に女子ツアーも最終日。

【4日目のスケジュール】

 ①アグラ城→②象嵌細工工場見学→③昼食(ターリー料理)→④デリーへ移動(バスで約6時間予定)→⑤デリー空港着→⑥JAL740便(20:20発)にて帰国の途

 希望者のみ早朝ヨガ体験なるメニューがあったけれど、私は興味ないのでパス。何だかんだで前日のアーユルヴェーダが堪えたのか、事前に申し込んでいたのは5名だったけれど、参加したのは3名だったそう。

 6時には目が覚めてしまったので、とっとと起きて身支度し、朝食へ。前日夕食をとったレストランに再び行くが、やはり混んでいた。

 ホテルの中庭

 

 集合時刻の8時半に皆さん集合し、バスに乗って、いざアグラ城へ。

 

 アグラの街は、やはり中心はタージ・マハルで、街のどこからでもタージ・マハルを見ることが出来るように、建物も高さ制限があるんだとか。確かに、アグラ城へ行く途中の道からもチラッとタージ・マハルが見えた。

 で、15分ほどバスに乗ったところで到着。

 入り口。何ともいかつい城壁が長々と連なる。まさしく要塞

  まだ朝早いからか、人が少ない。空気もちょっとひんやりしていて気持ち良い。このアグラ城は、シャー・ジャハーンがタージ・マハルを建設後に、皇位継承争いに負けて、息子に幽閉された場所として有名。1666年に74歳で亡くなるまでの7年間を過ごしたんだとか。

 

堀が、、、。深くて広い

  建てられたのは、1565年。高さが20メートルの城壁が2.5キロメートルも築かれている。第3代皇帝から5代シャー・ジャハーンまでがこの城を拠点としていたらしい。

 

 チケット売り場。アラームさんがチケット購入してくれている上に猿が、、、

  猿がとても多くて。反対側を見ると野良ワンコ。

このワンコは、私の後ろ、アラームさんの頭上にいる猿に反応しているのです

 

 ここをくぐっていざ入場

 

ジャハーンギール宮殿

 ちなみに、手前に見える囲いのような所には、シャー・ジャハーンが使用していた石造りの浴槽が置かれている。

 

 イスラム様式の建物に、ヒンドゥー様式の装飾が施されているんだとか

 

皇帝の居室。ハーレムだったらしい、、、

 

ハーレムの中庭。ここに皇帝の女性がたくさんいた

 

暑いときは水を通して、上部に見える穴(5つの)から水が出てくる仕組みになっているんだとか

 

 

北部ラジャスターンの民族衣装だそう

  カラミさんはイケメン探索に余念がなかったけれど、さすがに最終日となればあまり期待できないと思って諦めていたのだが、こちらの方々が「写真撮りたい?」と声を掛けてきてくれる。物欲しそうにしていたのかしら、私たち。

 すかさず、是非是非! と、撮らせてもらう。アラームさん曰く、この方々は、ラジャスターンから来た人たちだろうとのこと。この衣裳がそうだという。

 

うっすらタージ・マハルが見える(中央やや下。見えます?)

  ここからタージ・マハルを眺めていたシャー・ジャハーンはどんな気持ちだったのか、、、。

 

シャー・ジャハーンが幽閉されていたというムサンマン・ブルジュ内部。噴水まである、、、

 

 皇帝謁見の間ディワニ・アーム

  奥に玉座があるんだが、外から見ても柱に遮られてバッチリは見えないように設計されているとのこと。でも、現代人の観光客たちは玉座のすぐそばまで入れちゃう。

 

高いところが玉座。下に囲いがある台は、書記官のためのもの

 

  最後も猿に挨拶して、アグラ城を後にする。

 

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 

 日程表にはなかったのだが、お昼の前に象嵌細工の工場へ見学に。 

工程を見せてくれる

ラピスラズリ、マラカイト、アメジスト等の石を

このように細かくして、、、

模様に併せて嵌めていく

 

 案の定、ここでも観光客用の売店があり、素敵なテーブル(の天板)などもあり魅力的だが、高いし、冴えない我が家には到底似つかわしくないので、何か記念に小物でも、、、と物色するが、どれもそこそこ良いお値段。ここはパスかな~、と思っていたら、可愛いコースターを発見。マダムも見付けて、早速値段交渉。

 1枚、1,000ルピー(1,600円くらい)というので、私は、現金を使い切りたいというのもあって「まあ、それならいっか……」と思ったが、マダムは「高い! 900なら買う!」と強気。え、、、と思ったが、ことの成り行きを見届けたくなる。店員さんもなかなか引かない上に、私が1,000で良いという顔をしていたからか、梱包し始めてしまう。すると、マダムは「いや、900、900にしてくれないなら買わない!!」と飽くまでも引かない。すると、店員さん、観念したのか笑いながら「じゃあ900でいいよいいよ!」と、私まで100ルピーの値引きにあずかる。ありがとう、マダム!

 というわけで、ゲットした大理石のコースターがこれ。……まあ、確かに、1,600円はちょっと高いかなぁ。でも、旅の記念だし。コースターとして使うのはもったいないので、部屋に飾ってあります。

 

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 

 お腹も空いたところで、ランチ。インドに来たからには、ターリーを食べなければ。最後の食事にターリーがあって良かった!

ランチのお店。ドアの横に立っているのはリアルおじさんです

ちょっとスカスカなターリー。こんなもん?

  ナンはお代わり自由。ベジタリアンなイメージがあったが、チキンカレーもあって、味はとても美味しかった。量が少ないように思ったけれど、全部食べたら結構お腹一杯になるものだ。

 ちなみに、一番左の茶色い丸いのは、グラーブ・ジャムンという激甘お菓子。揚げドーナツをさらに甘いシロップに浸してある感じ。この大きさなのでどうにか食べられた。

 皆さんと、「イチローは毎日、朝からカレー食べるんだって!」「そうそう、奥さんが留守にするときは留守の間分のカレー作って冷凍しておくらしいよ!?」「はぁ?? 自分で作りゃイイじゃん……」などとワイワイ喋っていたところ、アラームさんが男性を連れてやって来る。何かと思えば、、、。 「この人、昨日のアーユル・ヴェーダのお店のオーナーです。皆さんにお詫びに来ました」と言うではないか。

 その男性は、両手を合わせて「皆さんに寒い思いをさせてしまってゴメンナサイ」と流暢な日本語で謝罪の弁。やはり移転したばかりで、まだ改装が終わっていない部分もあって、ちょっと室温調整が上手く行かなかったんだとか。だから、昨日いただいたお金は全部お返しします、、、とのことで、昨日支払ったそのお札そのものが返ってきた。円で払った人は円で、ドルで払った人はドルで、ユーロで払った人もユーロで。さらに、お詫びということで、有名な“medimix”というソープとローズウォーターが配られた。

 ……まあ、今どき、ネットなどでネガティブなレビューでも書かれれば、そのまま営業危機になりかねない。この対応は、まあ妥当だろう。

 でも、ここでオバサンたちは終わらない。気に入らなかった点をイロイロとオーナーに言う人も。「もっと良いオイル使って欲しい」「せめてベッドとベッドの間にカーテン付けて欲しい」……etc。オーナーは分かっているのかいないのか、ニコニコ。

 

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 

 お腹も満たされ、後は帰るのみ。

 ……とその前に、少し時間があるから、スーパーに寄ってみよう、とアラームさん。スーパーはそもそもインドには少ないと言っていたアラームさんだが、この近所にあるという。で、行ってみたら(写真をすっかり撮り忘れたのが残念なんだけど)、1階は服や電化製品、2階は食料品や雑貨が所狭しと並んでいる。皆さん、ばらまき用のお土産やら何やら、イロイロ買い漁る。私も、レトルトカレーをゲット。

実はまだ食べていないという、、、

 

 で、今度こそ、バスで一路デリーを目指す。予定では6時間となっていたけど、もう少し早く着くだろうとR子さん。

 途中、トイレ休憩で、昔のドライブインみたいな所に立ち寄る。トイレのことを書いてこなかったが、今回、ホテルかお店しかトイレは使用してこなかったけれど、ホテルはもちろん、お店のトイレも結構キレイだった。そして、このドライブインのトイレも、思っていたよりゼンゼン清潔だった。ここのトイレを出るときに、約30年前に行った中国は、北京はそうでもなかったが、内陸に行くと場所によってはトイレの周辺が悪臭立ちこめて到底近寄れたモンじゃなかったが、今はどうなんだろう、、、などと思った。

 そして、このバスの中で、またまたアーユル・ヴェーダの話題が。R子さんが「先ほどのお店のオーナーが、ツアー代金に元々入っていた料金もお返ししたいということで、ただしドルでの返金になります、、、」と言って、現金で25ドルずつ返金された。そっか、、、やっぱりシロダーラのオプションが目玉で併せて1万円くらいのコースだったわけね。

 

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 

 何だかんだと、5時過ぎには空港に到着する。かなり早く着いた感じ。

 ここで、ヨーロッパから参加のロスバゲのお姉さんとアラームさんとお別れ。結局、最後までロスバゲの荷物は出てこなかった、、、。しかも、彼女の飛行機は夜中発で、出発の3時間以上前には空港に入っちゃダメと言われ、入り口でさようなら、、、。実際、入り口できっちりパスポートとeチケットをチェックされた。

 チェックインカウンターへ行くと、張り紙が、、、。成田空港周辺、積雪のため、出発が遅れる見込み……というようなことが書いてあった。まあ、それは良いとして、来るときはビジネスにアップグレードだったけれど、帰りはどうかなぁ~、なんてムシの良いことを期待していたが、案の定アップグレードなどなく、予定どおりのプレミアムエコノミー。

 出発まで各自過ごすということで、ラウンジへ。

 お昼が結構お腹一杯だったため、食欲もあまりなく、、、、

 

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 

 で、いよいよ搭乗。

これがプレミアムエコノミーの席

  座るなり、いきなりCAのお姉さんが「お待たせして申し訳ございません。お待ちしておりました」と会釈して挨拶してくれるので、ふと顔をよく見たら、ビックリするような美人! ひゃぁ~~、これはラッキー! 聞かなくても分かっているのに「荷物、足下に置いても良いですか?」等とどーでも良いことを聞いてお話したいのがバレバレ。これまた美しい笑顔で「はい、どうぞ、こちらへ」と座席の下に置いてくれる。一瞬疲れも吹っ飛ぶ。芸能人などにもいない、いわゆる正統派の確かな美人、、、という感じ。いるんだなぁ、、、こんな美しい人が、と惚れ惚れしてしまう。 

 

アメニティは、袋はビジネスよりグレードが下がるけど、中身はまったく同じ

 

 予定時刻より20分くらい遅れて離陸したが、何だか疲れていてグッタリ。1時間ほどで夕食が配られる。

 

海老と茸のキッシュ、スモークサーモン、そば、フレッシュフルーツ、ブラックカラントケーキ

  何というか、そばが一番美味しいと感じた。やはり胃も多少は疲れていたのだろうか、、、。

 映画も、あまり見る気がしなかったが、とりあえず、往路で見た『泣き虫しょったんの奇跡』が途中だったから、それを最後まで見て、ううむ、、、何だかなぁと思ってしまった。瀬川晶司氏がプロになれずに大学へ進学してサラリーマンになり、その後、特例のプロ入り試験を経て、見事異例のプロ入りを果たすというところが駆け足で終盤に描かれていた。が、正直言って、どちらかというと、この話はこちらの方がメインになるのではないだろうか。だって、異例中の異例の出来事は後半なのであって、奨励会からプロ入り出来ない挫折譚なんて別に珍しくもなんともないわけで。バランスがオカシイと思ったんだけどね。……まあ、でももう疲れていたし、どうでも良くなっていた、そんなこと。

 かと言って、ウトウトはすれども眠れない。でも美人のCAさんが飲み物を持って歩いてきてくれるだけで、喉など渇いていなくてもコーヒーを入れてもらったりして、ちょっと良い気分になれたのだった。やっぱり美人は良いなぁ、、、人を幸せな気持ちにしてくれる。例えオシゴトとはいえ、ニッコリ笑顔を向けられると、疲れも忘れてしまう。ずっと見ていたい美人っているのね。

 でも、アッと言う間に朝食の時間になって、配られたのがこちら。 

昆布佃煮おにぎり、五目おにぎり、鶏の七味焼き、筍手火山煮、卵焼き、青高菜

  おにぎり2コはちょっとキツい。お持ち帰りしないで、みたいなことが書いてあったけど、持ち帰ってきました。

 プレミアムエコノミー、確かに、座席幅は広めだし、足下も少し余裕があるけれど、これならエコノミーでも大差ないなぁ、と思った。差額を考えると、エコノミーで十分だろうと思う。ビジネスは確かに、差額を出す意味はあるかも知れないが、大事な仕事ならともかく、所詮観光旅行ならエコノミーで良いのかな、、、と。

 

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 

 何だか、帰路はアッと言う間だった。行きは長く感じたのに。揺れも帰りはほとんどなく、行きでまあまあ揺れた東シナ海上空で若干揺れたかな、、、というくらい。

 そして定刻通り、午前7時前に着陸。

 この日の1週間ほど前に、同じ、デリーからのJAL740便が成田で、滑走路の凍結で滑走路からはみ出しちゃった、、、という事故(?)があったんだけど、雪は多少降ったらしいが、この日は何事もなくゲートに到着。

 入国手続きもスルスル済んで、R子さんと挨拶して、旅は終了。

 初めてのインド。思った以上に面白かった! 是非また行きたい!!

 これにて、拙いインド旅行記は完結です。長らくのお付き合い、ありがとうございました。 

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

判決、ふたつの希望(2017年)

2019-05-07 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64736/

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 レバノンの首都ベイルート。自動車修理工場を営む、キリスト教徒のレバノン人トニー(アデル・カラム)と、住宅補修の現場で働くパレスチナ難民のヤーセル(カメル・エル=バシャ)。そんな二人の間に起きた些細な口論が、ある侮辱的な言動をきっかけに法廷へと持ち込まれる。

 両者の弁護士が論戦を繰り広げるなか、メディアはこの衝突を大々的に報道。事態は国全土を巻き込む騒乱へと発展していく……。

=====ここまで。

 監督は、クエンティン・タランティーノ監督のアシスタント・カメラマンという経歴を持つレバノン出身のジアド・ドゥエイリというお方。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 公開時、劇場に行きたかったんだけど、結局行けずじまい、、、。まぁ、DVDでも問題なかったけど。

 

◆トラブルの原因を作って大きくしている困ったオジサンの話。

 本作の山場は、やっぱり法廷シーンだろう。私はヤーセルの立場で見てしまったが、まぁ、トニーのねじくれた感情も分かってしまい、複雑な気分だった。

 元はと言えば、トニーが、自宅ベランダの下の工事現場にいるヤーセル(パレスチナ難民だと分かったから)に向かってわざと水を掛けたことに端を発しているのだけど、これがわざとだったということは終盤にトニー自身の口で語られる。最初はわざとかどうかは判別できなかったので、わざとと分かって、正直引いた。……けれども、そういう“水を掛けたくなるほど嫌い”という感情も、分からないではないのだよね(私も、かつて日本人の男にそういう感情を抱いたことがあるから。水は掛けなかったけど、テレビのリモコンを投げつけたことはあるので。まあ、絶対当たらないように投げるんだから、感情に任せてついやってしまった、、、というより何倍も悪質かも知れぬ)。

 水をわざと掛けておいて(トラブルの種を撒いておいて)、そのことで相手が怒りを感じ暴言を吐いたことに謝罪を要求するってのは、どう考えてもトニーがおかしいでしょ。その場で謝罪しなかったヤーセルも、まあ、悪いっちゃ悪いけど、その後、わざわざ謝罪に行ったのに、口を開く前にトニーに罵詈雑言浴びせられたら、そら殴りたくもなるわ。つまり、この揉め事を起こし、大きくしたのは、ひとえにトニーの言動によるものなわけ。ただ、トニーは殴られて怪我したので、これが有罪か無罪かが争われる。

 ここで双方の代理人としてついた弁護士が、父と娘。パレスチナ人を嫌悪するトニーの弁護士は、レバノン内戦の記憶が生々しい父親。被告ヤーセルの弁護士は、内戦などよく知らない娘。父と娘の確執が法廷に持ち込まれ、さらに宗教観対立が煽られ、代理闘争の様相を呈して行く。謝罪して欲しかっただけ、というトニーの言い分は吹っ飛んでしまう。

 何かもう、グチャグチャ。見ていて正直なところ、ウンザリしてしまった。だから宗教って面倒くさくてイヤなのよ。理屈が通じない。とはいえ、そこは法廷だから、まあ、一応、映画を見ている者にも納得のいく判決が下されるわけだが。

 話としては面白いと思うけれども、背景が背景だけに素直にエンタメとして見るのは難しいわね、やっぱり。

 

◆お隣さんとの関係はいずこも難しい。

  レバノンが舞台で、パレスチナ難民が主役の1人となれば、どうしたって政治色を帯びた映画というイメージになるが、見てみれば、そこがメインテーマではないことが分かる。監督も、インタビューで「僕はそもそも政治的主張の強い人間じゃないし、それほどインテリでもないから、この映画について政治的な話をされると困ってしまう」などと言っている。

 実際、レバノン人のトニーは、パレスチナ難民のヤーセルが、ただただ“気にくわない”のだ、パレスチナ人だという理由だけで。もちろん、そこには一応トニーなりの理屈もあるんだろうが、多分、もう生理的な感覚に近いのでは? 〇〇人だから嫌い、ってのは、今、私の身近にもかなりはびこっているし。

 大体、地理的に近い国同士ってのはあんまし仲良くないんじゃないかね。2年前にベルリンに行ったときに現地ガイドの女性(日本人)が言っていたけど、フランス人はドイツ人が大嫌いなんだって。ドイツ人はそこまでじゃないだろうけど、でもフランス人のこと良く思っていない人が多いとも言っていた。そして、ドイツ人とポーランド人の微妙な感情の関係も(ここではあんまり書けない内容)。どこでもあるんだよ、そういうの。

 でも、本作の中でも、このレバノン人とパレスチナ人、2人のオジサンたちは、個人対個人として顔を合わせると、嫌悪感が和らぐんだよね。出自とか属性を取っ払ってしまうと、案外、良い付き合いが出来るものなのに、人間とは実に厄介な生き物だ。……という普遍的なテーマを描いている。

 監督は、ヤーセルを演じたカメル・エル=バシャというパレスチナ人俳優さんに非常に手を焼いたんだとか。元は舞台俳優だそうで、映画は初めてだからか、どうしても演技がオーバーになってしまって困ったと。彼のおかげでこの作品は失敗だとさえ思ったらしいが、蓋を開ければ、彼がヴェネツィア国際映画祭で主演男優賞を受賞したという、、、。実際見ていて、決して彼の演技はそんなにオーバーだと思わなかったし、……というより、非常に上手い俳優さんだと感じたけれども。撮影中、監督は彼の何が気に入らなかったのだろう。1シーン15テイクくらいしたと言っているので、相当大変だったことは確かみたいだけど。

 ちなみに、レバノンでの公開時は、本作を見てもいない上映反対派に上映を妨害されたんだとか。……どこにでもいるのね、そういう人たち。せめて見てから文句言えば良いのに。

 

 

 

トニーの奥さん役の女優さんが可愛い。

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2019

2019-05-05 | 番外編

 

 毎年、GWに有楽町の国際フォーラムで行われている“ラ・フォル・ジュルネ”。2005年から始まったというから今年で15回目だけど、実は一度も行ったことがない。毎年じゃないけど、一応プログラムはチェックしたりしていたんだが、GWに人混みにわざわざ出掛けることを考えると、出不精としては何となく足が向かなかった。

 が、今年は何しろ休みが10日もあって、巣穴に籠っているのにも限界があると思い、良い機会だと思って行ってみた。

 行ったのは、2日目の4日(土)。せっかく行くのだからと、欲張って4公演。

 ① 11:15 ~ 12:00 「さすらいの音楽:ロマ&クレズマー×バラライカ!」  ② 17:00 ~ 17:55 「フランス ~優美と官能の音楽」  ③ 19:30 ~ 20:15 「“Cor di memoria” 地中海のポリフォニー」  ④ 21:30 ~ 22:30 「ショパンの青春 ~パリでの門出」

 ①と②の間が結構あるので、その間に渋谷まで行って映画を見てきた。外出した以上は精一杯時間を有効に使いたい貧乏根性を発揮する。何故この4公演を選んだかというと、①と③は面白そうだから、②と④は普通のクラシックコンサートではあんましかからないプログラムが入っているから(④のPコンは除く、だけど)。

 で、感想だけど、④はハズレ、③は面白いけどイマイチ、①②は大当たり、って感じだった。ま、簡単にその理由を。

 

◆① 「さすらいの音楽:ロマ&クレズマー×バラライカ!」

 映画『アンダー・グラウンド』(1995)を見て以来、ジプシー音楽の魅力に目覚めたんだけど、なかなかライブで聴く機会ってあるようでないこともあり、このプログラムでは主にロシア音楽が組まれているということだったけど、是非ライブで聴いてみたいと思った次第。

 実際ライブでシルバ・オクテットの演奏を聴いて、大正解。シルバ・オクテットは、パリ管のメンバーが中心になって結成されているとのことで、なるほど腕は確か。『アンダー・グラウンド』ではブラスが中心だったが、こちらは弦楽。最後の「カリンカ」なんて、超メジャーなロシアの曲。ノリノリで終わった。

 

◆② 「フランス ~優美と官能の音楽」

 プログラムは、フォーレの「パヴァーヌ」「ピアノと管弦楽のためのバラード」、ドビュッシーの「ピアノと管弦楽のための幻想曲」の3曲。ソリストは、2曲目がジャン=クロード・ペヌティエ、3曲目がジョナス・ヴィトーとどちらも初めて聴くピアニスト(CD等でも未聴)。

 特にドビュッシーが良かったなぁ。まあ、ドビュッシーが好きだというのもあるけど、この曲はあんまりコンサートではプログラムされないから、ライブで聴けるのは貴重。ピアニストのヴィトー氏、80年生まれの39歳だけど、身体も大きくて、ものすごい貫禄。顔写真を見ると童顔だけど、2階の客席から見ていると顔まではっきりは分からないのよね。

 フォーレももちろん良かったので、このオケはフランスのオケかと思いきや、メニューインがポーランド室内管をもとに設立したオケで、ワルシャワが本拠地なのかな? とにかく、ポーランドのオケらしい。弦楽も素晴らしいけど、木管陣が手練れ揃いと見た。

 

◆③ 「“Cor di memoria” 地中海のポリフォニー」

 ポリフォニーについては、結構wikiが詳しく説明してくれているけれど、まあ、分かりやすく言うと、主旋律+伴奏、ではなくて、主旋律+主旋律がハモって一つの音楽に聞こえる、というふうな理解で大きくは間違っていないと思う(きちんと学んだわけじゃないので、すみません)。前に見た映画『放浪の画家 ピロスマニ』 (1969)の中で、結婚式のシーンがあって、そこでポリフォニーが歌われていたのが印象的だった。

 というわけで、このポリフォニーは結構面白いんだけれども、これもなかなかライブで聴く機会がない(というか、ちゃんとライブ情報をチェックしていないってのもあるんだけど)。ので、今回、楽しみにしていたのだけれども、聴いてみて思ったのは、割と、どの曲も同じような曲調で、12曲演奏されたんだけど、正直言って途中で飽きてきてしまった(すんません)。宗教歌と世俗歌とでは確かに違うんだけれども、どれもテンポはゆったりしていて、同じフレーズが繰り返される上に長い、、、。最初の3曲目くらいまでは面白がって聴いていたんだけど、、、。

 歌ってくれたのはタヴァーニャというコルシカ島のオジサンばっかし9人のアンサンブル。思わずイケメンを探す私、、、。ううむ、渋いオジサンはいらっしゃったがイケメンは、、、。でも、皆さん、楽しそうに歌っていらっしゃいました。……いや、ホント、歌は良かったんですよ。私の感性が途中で着いていけなくなっただけです。  

 

◆④ 「ショパンの青春 ~パリでの門出」

 これがハズレと思った最大の理由は、会場。デカ過ぎる。国際フォーラムでも一番大きいホールだと思うけど、5000席以上あるんだもんね。ショパンを演奏する会場じゃないよ、そもそも。

 プログラムは、「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 」と「ピアノ協奏曲第1番」で、私の目当ては1曲目のアンスピ。映画『戦場のピアニスト』(2002)でラストのクレジットにかかっていたのがこの曲。あのエンドクレジットは、途中で席を立てない人が多いんじゃないかしらん。この曲は、ピアノ独奏で演奏されることは割とあるけど、オケ付きで演奏されることは非常に珍しい。

 けれども、せっかくのアンスピのライブなのに、そんな会場だから、音がわんわん反響して速いパッセージなんか何弾いているか分からないような有様。もう少し、演目と会場を考えた方が良い。申し込みの段階で大きすぎる会場だとは思っていたけど、ここまでヒドいと思わなかった私も甘かった。

 あと、ソリストのネルソン・ゲルナーのピアノ演奏も、正直なところ、あんまり好きじゃなかった。アンスピが終わったところで帰ろうかと思ったくらい。ああいう、軽いタッチで弾くピアノは好きじゃないのだ。会場を抜きにしても、一音一音の輪郭のないピアノはピンとこない。曲の解釈もちょっとなぁ、、、。ポロネーズって何かとか、もう少し研究した方が良いのでは? コンチェルトも2楽章まではまあまあだったけど、3楽章はやっぱり違うと思った。……まあ、好みだとは思うが。

 ちょっとアルゲリッチに似ている? と思って、後でプロフィール見たら、アルゼンチン出身でアルゲリッチとも縁のある人だった。偶然だろうけど。アルゲリッチは日本でも人気が高くファンも多いが、私には彼女の演奏の良さがイマイチ分からないので、、、。

 しかも、このソリストはかなりオケが伴奏しづらかったんじゃないかと感じた。アンスピのフィナーレもズレてたし。そういう意味では、指揮はよくコントロールしていてさすがだった。ま、プロだから当たり前だけど。

 

◆来年からも行きたいか?

 今回初めて行ってみて、それなりに良かったとは思うけれども、来年からも是非! って感じではないかな。テーマ次第かも。ちなみに今年のテーマは「Carnets de voyage ―ボヤージュ 旅から生まれた音楽」だそうだ。

 あと、ホールAの公演は、よほど大編成のオケとかじゃない限り、ちょっとキツいと思った。てか、クラシック演奏向きのホールじゃない。もうホールAの公演は聴かない。

 ①のシルバ・オクテットはCDも出しているそうなので、買ってみたいなぁ。というか、ジプシーミュージックってやっぱりすごく面白いし奥が深い。もっといろんなジプシーミュージックを探検して行きたいと、改めて思った次第。

 まあ、あんまりゴタゴタ言わずに、1公演3,000円前後だし、無料コンサートもたくさん企画されているから、思い立ってふらりと行ってみるのも良いかもネ。良い気分転換にもなるし、知らなかった音楽への扉を開いてくれるきっかけになるかも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バイス(2018年)

2019-05-03 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66965/

 

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 酒癖の悪い青年チェイニーは、1960年代半ば頃、才女であり後に結婚する恋人リンに尻を叩かれ、政界を目指した。後に国防長官となるドナルド・ラムズフェルドのもとで政治の表と裏を学び、次第に権力の虜に。

 大統領主席補佐官、国務長官を経て、2001年ジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領に就任。大統領の影に隠れる地位を逆手に取り、入念な下準備をし大統領を操って強大な権力をふるうように。

 2001年9月11日に同時多発テロ事件が起こると、ジョージ・W・ブッシュ大統領を差し置いて危機対応にあたり、イラク戦争へと導く。

 幽霊のように自らの存在感を消したまま、意のままに法をねじ曲げ国民への情報操作をし、チェイニーはその後のアメリカと世界情勢に多大な影響を与えていく。

=====ここまで。

 黒幕モノ。軽くてパーな神輿を担ぐ黒幕は、さぞや賢く切れ者と思いきや、、、。

 

゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜'・:*:.。。.:*:・'゜

 

 大迷惑な10連休はほぼ引きこもりなので、たまに出掛ける用事があるときは、せいぜい時間を有効に使おうと、朝っぱらから劇場へ。意外にも満席!

 

◆凡庸なチェイニーが出世した訳。

 Cheneyって、チェイニーって読むの?? とちょっと不思議に思ってwikiを見たら、ご本人は['tʃi:ni]と発音しているらしい。こっちの方が綴りからはピンとくる感じ。

 息子ブッシュのバカッぷりは『ブッシュ』(2008)で見せつけられていたけれども、あの映画では、イラク戦争は息子ブッシュのパパブッシュへのリベンジだ、みたいな描かれ方をしていた。あの映画は何となく監督(オリバー・ストーン)の悪意を感じたが、本作で描かれたように、チェイニーの“悪魔のささやき”によって、息子ブッシュのリベンジ心が刺激された、、、ってのは大いにあり得るかも知れぬ、と思った次第。

 黒幕ってのは、普通は権謀術数に長けた切れ者っていう役どころだと思うのだが、チェイニーを見ていると、あんまり切れ者というイメージではない。それに、脇を固めるパウエルやライスは、それこそ切れ者のはずで、いくらチェイニーが意のままに糸を引こうとしたって、そうそう簡単にはいかないんじゃない??とも思うのだけど、どうなんだろう?

 ここでキーワードになっているのが、「一元的執政府論」というもの。大統領の権限が議会に干渉されずに行使できるという、かなり怖ろしい理論だ。一応、憲法にも根拠があるが、解釈が分かれているらしい。つまり、解釈が微妙なモノを、非常時だってことをふりかざして行使したのがチェイニーなんだそうな。しかも怖いのが、この理論の推進派の一人は、後に最高裁の判事になっているってこと。いやぁ、、、どーなんでしょ、これ。

 もう一つ、序盤のシーンで出てくる「UNODIR(Unless otherwise directed)」(上層部の許可なしに現場判断が優先される特別な命令権)って言葉があって、軍の用語らしいんだが、チェイニーがこれを切り札に、不在のブッシュを無視して勝手に命令を出している。911の際に、民間機を撃墜しても良い、という許可を、ブッシュの承諾なしに出していたってんだから、これまたビックリである。

 つまり、「一元的執政府論」と「UNODIR」を組み合わせることで、チェイニーはやりたい放題出来たってことのようだ。これじゃあ、パウエルもライスも出る幕なしだったに違いない。

 ……という具合に、息子ブッシュはとことんチェイニーに虚仮にされていたのだけれど、さすがに2期目の後半、シリア攻撃に踏み切ろうとするチェイニーを息子ブッシュは止めたという。このとき、チェイニーの実効支配が終わったとされているらしいけれども、いささか息子ブッシュの覚醒が遅すぎる。

 だから、チェイニーは、切れ者というよりは、嗅覚の優れた“勘のイイ人”という印象を受けた。頭はフツーでも、やたら立ち回りが上手い人ってのは現実にいるが、そんな感じ。そんな彼がどうして出世できたのか、、、ってのは、ラムズフェルドに仕えたことと、リンという女性を妻に持ったが故だろう。その辺りがこの映画の主たるテーマになっている。

 ラムズフェルドにはホワイトハウスの力学を徹底的に教え込まれ、リンには上昇志向を徹底的に叩き込まれた。この2人との出会いがなければ、チェイニーは全然別の人生を送っていたように思う。

 

◆リンは悪妻か?

 それにしても、リンという女性はスゴい。もの凄く優秀だったらしいんだけれど、時代的に女性が出世する可能性が極めて低いから、ってんで夫に期待をかけるわけ。そして、夫も実にこれによく応える。まあ、リンのことをそれだけ愛していたとも言えるのかもね。

 リンを、夫を裏で操る妻として本作では描いていたけれども、この夫婦はそれが良い方に作用したから良かったけれど、上手く行かない方が多いと思うなぁ、こういうの。私は、同じ女として、リンは嫌いだわ。悪妻とまでは言わないが、自分の野望を誰かに託す、、、っていう生き様がイヤだね。しかもそれを時代のせいにするところがさ。

 一方で、チェイニーの人間らしさを見せるシーンもある。二女が同性愛者であることが分かるのだけど、共和党の支持基盤を考えると、これは致命的なわけで、でもチェイニーはそれで二女に同性愛をやめさせようとか隠そうとかせずに、しばらく政界から遠ざかるのだ。その間、オイルマネーでがっぽり儲けるんだけど、悠々自適な暮らしをして、もし息子ブッシュから副大統領の依頼をされなければ、あのまま政界に戻ってくることもなかったのでは? チェイニーはもちろん、妻リンも、娘を犠牲にしてまで自分たちの野望を遂げよう、、、というモンスターではなく、割と親としてはまっとうな感覚を持った人たちだったのだと感じた次第。

 実際、本作でも、この悠々自適な暮らしをしている場面で、エンドクレジットらしきものが流れ、「こうしてチェイニーは穏やかな余生を過ごしました、、、チャンチャン」な終わり方をするかに見せる。……なわけないだろ、と、その直後になるのだが。

 チェイニーも、決して、ただの悪代官じゃない、ってことはちゃんと描かれています。

 

◆役者と実在の人物の適切な距離感とは、、、

 チェイニーを演じたのは、クリスチャン・ベール。何だか、素顔が分からないくらいに変貌していてビックリ。実は、クリスチャン・ベールの出演作はほとんど見ていなくて『真夏の夜の夢』(1999)くらいかしらん。だからあんまりよく知らないんだけど、顔が私の記憶している顔と全然違っていたので、ホントにこれがクリスチャン・ベールなのか??って感じだった。

 でも、役のために、何度も急激に太ったり痩せたりしているみたいだけど、こういうのって、ものすごい肝臓に負担がかかるからちょっとヤバいと思うんだよねぇ。いくら仕事とは言え、今回はドクターが着いたみたいだけど、若い頃はかなり暴飲暴食したり極端なダイエットしたりしていたみたいだから、いささか心配。あんまり極端なこと、役者にさせないで欲しいなぁ。身体を変える必要があるのなら、きちんと、医学的なケア付きでやるべきで、人権にうるさいアメリカのくせに、そういうことはちゃんとしないのかねぇ?

 ハリウッド的にも、こういう“そっくりさんなりきり&演技”を評価する傾向があり(アカデミー賞とかさ)、それがそもそもいかがなものかと思うよね。実在の人物を演じる場合、特にその人物が広く現代人に知られている場合、あまりにも容姿が違いすぎる役者が演じると興醒めするのは分かる。しかし、だからといって、そっくりさんになりきるのが素晴らしい役者なのかというと、それもちょっと違う気がする。DDLもリンカーンでなりきっていたのが話題だったが、まあ、リンカーンをリアルタイムで知っている現代人はいないから、あくまで写真からのイメージだけで容貌を似せていたが、今回は、そういうわけにもいかないから、演じる方は大変だ。

 政治的な実話モノを、実在の人物が存命中に作ってしまうアメリカはスゴいと思う半面、こういう役者に無理を強いることには反対だ。日本では『太陽の蓋』(2016年)という、原発事故を扱った映画があったが、あれも実在の人物がたくさん出て来たが、役者さんたちはそこそこ本人の特徴を押さえつつも、決して過度なそっくりさんなりきり&演技をしてはいなかったし、それでも十分見ている方は違和感なく見られた。内容の善し悪しはともかく、あの程度で、役者の実在の人物に対する距離感は十分なのではないかと思うのだが、どうなんだろう。

 ……と、あまりにもクリスチャン・ベールの風貌が変わりすぎていたので、いらん心配をしてしまったのでした。

 

 

 

 

 

息子ブッシュは、あと何作くらい映画にされ(てバカにされ)るのだろうか?

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする