映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ねことじいちゃん(2018年)

2019-10-03 | 【ね】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv64868/

 

 高齢者率が高いとある島に暮らす大吉(立川志の輔)は、2年前に妻(田中裕子)に先立たれ、その妻が可愛がっていたキジトラのオス猫タマと2人(?)暮らし。

 島ではゆったり時間が流れているように見えるが、実はいろんなことがあちらこちらで起きていて、、、。

 

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 何だか、最近、お疲れ気味。こういうときに、あんまし小難しい映画とか見たくない。だから、公開時に見に行こうとは思わなかったけれども、一応気にはなっていた本作を見ることにした。岩合さんのネコ映画なら、ハズレはないだろうから。

 

◆私がネコ好きになった理由。

 岩合光昭氏と言えば、もう昔っから動物写真家で有名。私が彼の名を初めて知ったのは、多分まだ20代だった頃、、、「スノーモンキー」の写真で。猿は好きな動物じゃないけれど、あのモンキーは文句なしに可愛かったし、何より美しく、奇蹟的な写真だと思った。

 その後、98年くらいだったと思うけど、『ニッポンの犬』っていう写真集を出して、これがまたすごく好きになってしまい、、、。ちょうどその数年前から柴犬を飼いだしたこともあって、とにかく柴犬を始め日本犬が魅力的に撮られている写真集だった。あれ以来、私が部屋に掛けているカレンダーは、平凡社の「ニッポンの犬カレンダー」。たまにネコバージョンにしたこともあったけど。やっぱし、犬は日本犬だしょ!!!

 いかんいかん。話が逸れまくりだ。

 で、wikiによれば、2013年に始まったあの「世界ネコ歩き」だ。BSでオンエアしているんだけれど、私は多分、放送開始時からほぼ全部見ていて、それは初回のネコ歩きを見てすっかり気に入ってしまい、その後、自動録画に設定したから。通常1時間番組だけど、30分版、15分版のミニも全部録画されるので、つい全部見てしまうのよ。寝る前の15分ほどの歯磨きタイムにネコ歩きを見て癒やされるのが、ここ何年かの私の日課。

 元々、犬もネコも好きだったけれど、犬を飼いだしてからは犬にばっかし興味が行っていた。ネコに会えば積極的に挨拶していたけど、柴犬に会えばプチ・ストーカーになっていた。でも、岩合さんのネコ歩きを見るようになってから、ネコにもプチ・ストーカーになってしまった。今住んでいるところにはネコが少ないのだけれど、ちょっと歩くと、ネコ名所があるので、ときどきその辺りにプチ・ストーカーになりに行っている。それくらい、ネコ歩きはネコの魅力を伝えてくれる番組なのだ。

 本作も、だから、ネコ歩きとカメラワークがよく似ている、、、というか、同じ。ネコ歩きを見ているのかと錯覚しそうなくらい。

 一応、ストーリーはあるけど、まぁ、、、これはネコを見る映画と言ってよいでしょう。だからイマイチだと言うつもりは毛頭なく、さすが岩合さんだ、と思った次第。ネコを魅力的に撮ることにかけては、どんな映画監督でもかなわないだろう。ストーリーとネコが互いにムダに干渉することなく、かと言って無意味に並列することなく、実に良い塩梅に構成されているのもgoo。

 飼い主に先立たれるネコの話が出てくるが、この辺は、島ならではの環境で、悲壮感がないのが良い。主のいなくなった家の前から離れようとしないネコに、島の人たちが優しく接している光景は、きっと映画の中だけじゃないだろう。

 主人公の大吉に可愛がられているタマは、ボテッとしたキジトラで、ネコ歩きを見ている人なら、岩合さんが好きそうなネコだと一目で分かる。デカくて丸い顔。あんなネコ飼いたい、、、。

 

◆出演者とかロケ地とか、、、

 ……というわけで、ゼンゼン映画の感想文になっておらずにすみません。一応、映画のことにも触れておきますと、、、。

 出演者が豪華役者陣でビックリです。志の輔さんって、なかなか演技お上手。さすが落語家さんだけあって、器用だなぁ、、、と感心。彼もかなりのネコ好きと見た。小林薫はネコ嫌いの設定だったけど、どう見たってネコ好きでしょ、、、、って感じで微笑ましい。

 そう、彼のセリフにチラッと出てくる方言で、ん??となっていたのだけど、エンドクレジットでロケ地が“佐久島”と出ていて納得。佐久島は、愛知県の三河湾三島(篠島・日間賀島、佐久島)の一つ。

 佐久島には私は行ったことはないのだが、篠島と日間賀島には行ったことがある。篠島に行ったのは幼少期なのであんまし覚えていないが、一番大きい日間賀島には社会人になってから島に住む知人に「是非来て」と言われて行ったのだけど、まぁ、海の幸の美味しかったこと、、、。名古屋から電車と船を乗り継いで、1時間ちょっとだったと思う。

 佐久島って、あんなにキレイな所なんだ、、、と、ちょっぴり感動。映画のロケなんて、きっと島は大騒ぎだったに違いない。

 並み居る俳優陣とネコたちを見事に差配した岩合さん。今度は、私の好きな『きつねと私の12か月』みたいな映画を撮っていただきたい。

 

 

 

 

癒やされます。

 

 

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ネットワーク(1976年)

2019-06-22 | 【ね】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv6850/

 

 大手TV局の看板番組で15年間メインキャスターを務めてきたハワード・ビール(ピーター・フィンチ)だったが、かつては28%もあった視聴率が、今や12%と低迷していることから、クビが決まる。しかし、ビールは辞めたくないと主張し、なんと翌日の番組本番でTV局の裏側をあることないことぶちまけた挙げ句「この番組を辞めることになった、明日のこの時間、この番組内で自殺する」と宣言してしまう。スタッフ一同慌てるが、これが視聴者には受けたのか視聴率が跳ね上がる。

 その状況を知ったエンタメ担当プロデューサーのダイアナ・クリステンセン(フェイ・ダナウェイ)は、これはチャンスだとばかり、ビールを“時代の預言者”に仕立て上げたワイドショーで儲けようと画策する。

 実際、ビールを預言者としたエンタメ番組は人気を博し、視聴率はうなぎ上り。おかげで報道担当プロデューサーであるマックス・シューマッカー(ウィリアム・ホールデン)がお払い箱となる。その一方で自分を追い落としたダイアナに、マックスは惹かれて2人は不倫関係に陥る。

 しかし、ある日、ビールが喚き散らしながら発した言葉がスポンサーの不興を買ったことを切っ掛けに、ビールは局のオーナーに脅迫まがいの洗脳をされて、翌日からはオーナーの信条を番組内で預言として喚き散らすようになる。それとともに、視聴率はどんどん低下していく。

 ダイアナは、いよいよビールを辞めさせなければならないと考えるが、オーナーはビールを降ろしたくない意向であるらしく、悩む。そうして、ダイアナは一計を思い付くのであったが、、、。

 

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  どうしてこの作品をレンタルリストに入れたのか覚えていないのだけど、恐らくシドニー・ルメット監督作品ということで見てみようと思ったんだと思われる、、、。出演者も何気に豪華だしね。まあ、面白くなくはなかったけれども、ううむ、、、という部分もイロイロありました。

 

◆本題よりも気になったことが、、、

 TV局って、ネットがここまで普及した今でこそ存在価値が薄れてきた感があるけれど、本作が撮られた当時は、そりゃもう、影響力で言えば他に追随を許さぬ圧倒的な存在だったわけで。こんなにTV局が落ちぶれた今だって、仁義なき視聴率戦争は続いているのだから、当時は推して知るべしである。

 視聴率=カネさえ稼げれば、モラルも法もあったもんじゃない、、、そんな話を本作は描いている。監督のルメットはTV出身の人だそうなので、内幕を描くのはお手の物だったろう。実情はこんなもんじゃないだろうけれども、まあ、えげつなさは十分伝わってくる。

 で、この本題よりも、私が本作を見ていて気になっていたのは、フェイ・ダナウェイ演ずるダイアナと、ウィリアム・ホールデン演ずるマックスが不倫関係になるエピソードの必要性である。

 まぁ、こう言っちゃ悪いが、このエピソードいらなくない? と思う。一応、本作でのただ1人の良心的存在が、このマックスなんだが、しかし、訳の分からない不倫に走ることで、見ている方としてはマックスもただの薄汚いオヤジにしか思えなくなる。だいたい、ダイアナみたいな女性が、マックスのような会社を追われたヨボヨボの爺ぃと恋愛関係になるなんて、あまりにもリアリティがなさ過ぎる。百歩譲って、そういうこともあるかもね、、、と思ってみたところで、マックスが長年寄り添ってきた妻を傷つけるロクデナシであることに変わりはなく、結局、本作におけるキャラの配置が意味をなさなくなってしまっているのである。

 もし、どうしても不倫関係を描きたいのなら、もう少し、ダイアナという女性の人物像を掘り下げるためのものとすべきだったんじゃないかしらん。ダイアナがなんであそこまで、男とセックス中に仕事絡みのセリフを喘いで言うほどまで、24時間1秒の隙もなく仕事人間になったのか、、、という彼女のバックグラウンドを描けば、もう少し本作にも奥行きが出たかも知れない。でも、本作では、マックスはそんなダイアナの無機質さに引いてしまって、ただ去って行くのである。もちろん、妻の下へ帰るのだ。なんじゃそら、、、と思うでしょ、フツー。

 ……まあ、でもダイアナの背景なんてくどくど描写する必要性もあんまりなさそうだし、……やっぱり不倫の話はいらんだろう、という結論にしかならない。

 それに(こっちの方が私的には重要)、申し訳ないが、ウィリアム・ホールデンはあんまり知的に見えないし、年齢的にもちょっと不倫の描写に耐えられるルックスではなくなっている。ダイアナがなんであんな爺ぃによろめいたのか、ダイアナより年上のおばちゃんから見ても全く理解できん。まあ、うんと年上が好き、という人もいるけどね、世の中には。

 正直な話、人間、50も過ぎると、やっぱりガタがあちこち来ていて、それがモロに表面化してきて、見た目的にも“キレイじゃない”のだよ。もちろん、自分も含めて。だから、同年代の素敵な男性であっても、あの人とキスしたいとかセックスしたいとか、まるで思えないのだよ。歯周病やないん?とか、老人斑の出た皮膚とか、加齢臭??とか、こっちだってたるんだ腹とか、、、、もういいです、って感じ。死ぬまでしたい、と思う人もいるんだろうけど、私はゴメンだわ。スキンシップで十分。

 もしかして、ルメットか、脚本のパディ・チャイエフスキーの願望かしらん……?

 

◆ピーター・フィンチの演技が圧巻。

 本作では、一応、主役はフェイ・ダナウェイになるんだろうけど、真の主役は、ピーター・フィンチだろう。それくらい、彼の演ずるビールが強烈だ。

 最初にキャスターをクビになった後、彼はメンタルを病んでしまう感じで、どんどん病的な言動になっていく。しかし、それを面白いからと言ってダイアナは見世物にするわけだ。

 ピーター・フィンチは、そのイッちゃっているビールを、もしかしてそれが“地”なんじゃないの? というくらい乗り移ったかのように演じている。彼のあの狂った演技が、この作品の印象を決めているといってもいいくらい。彼が、死後にオスカーを受賞したのも納得。

 フェイ・ダナウェイは、ものすごい美人というわけじゃないけど、知的だし品があるし、こういうバリバリの仕事人間の役には向いている。カネのためだったら手段を問わない、人間性の欠落したキャラが、あの冷たい大理石のような肌の彼女にピッタリ。

 あと、ロバート・デュヴァルが若い! つーかカッコイイ、と思った。頭髪はもう後退しているけれど、ちょっとエキセントリックで自己チューな役がハマっていた。

 個人的には、出番が少なかったけれど、マックスの妻を演じたベアトリス・ストレイトが素敵だなぁ、と思った。……ら、なんと彼女、これでオスカー受賞していたのねぇ、ビックリ。あと、マックスの自宅がすごく素敵だった。本棚が一杯あって、グリーンもさりげなくあちこちに置かれて、、、あんな家にほんの数日で良いから暮らしてみたいわぁ。  

 

 

 

今でいう“炎上狙い”ですね、これは。 

 

 

 

 

 

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猫が教えてくれたこと(2016年)

2018-01-05 | 【ね】



 トルコ・イスタンブールに暮らす猫たちと人々の暮らしを追った、ゆるドキュメンタリー。
   
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 早いもので、新年も、もう5日も過ぎちゃいましたとさ。

 2018年、一体どんな年になるのやら。どっちを向いても良いニュースは少なく、世情は不安な要素の方が圧倒的に多く、……かといって、個人的には相変わらず馬齢を重ねる日々が続き、、、。この、世界の切迫感と、日本の閉塞感と、私自身の脳天気ぶりのギャップに、どうしようもない違和感が、、、。

 まあ、そんなことを考えていても仕方がないけど、この違和感から来る言いようのない心重たさを癒やされようと、元日早々から猫映画を見てまいりました。1日で映画の日だから1,000円だしね。

 何でも、今、空前の猫ブームだとか。
 
 ペットでも、犬の頭数より、猫のそれが上回ったという統計が出たと、新聞にかなりデカい記事で出ていました。まあ、猫の方が犬よりは飼うのは手間が掛からないからかしらん。毎日必ず散歩に連れて行かなくても良いだけ、猫の方が飼いやすいのかも。

 個人的には、この猫ブームに一役買っているのが、BSで放映中の「岩合光昭の世界ネコ歩き」だと思っているんだけど。この番組、wikiによれば2012年から始まったのだとか。もっと長いような気もするけれど、5年ちょっとか、、、。私は初期からこの番組を見ていて、多分、ほぼ全部録画してあるんだけれども、この番組を見てから、それまで完全に犬派だったのが、“ネコも可愛いなぁ”と感じるようになったのよね。

 だから、本作の予告編を別の映画を見に行った際に何度も見せられて、劇場で見るほどか、、、? と思いつつも、せっかくだからイスタンブールの美しい街並みや、猫のしなやかな動きをスクリーンで見てみたくなってしまった次第。

 ……で、まあ、案の定というか、やっぱりというか、別にわざわざ劇場で見るほどのものではなかったかな、という気もする半面、こういうなーんにも考えずにボケ~ッとスクリーンを眺めているだけでいい映画ってのも、たまにはエエのぅ、、、などとも感じたのでありました。

 猫たちはみんな可愛いし、取り巻く人たちもみんないい人たちだし、街並みは美しいし、平和そのもの。「ネコ歩き」でもインスタンブール編があったけど、あの中で映っていたインスタンブールの街並みも美しかった。その後、何度もテロに見舞われているトルコ。トルコから聞こえてくるニュースは不穏なものも少なくないけど、この映画だけ見ている分には、ゼンゼンそんなの分からない。

 本作でフォーカスされている猫は、7匹。みんな個性的だけど、私が気に入ったのは、ベンギュ(雌のトラ)、ガムシズ(雄の黒白)、デュマン(雄のグレー)の3匹かな。ベンギュは人間でいえば、ちょっと男を惑わせるタイプかしらん。ガムシズは孤高の自由人、デュマンは本能のままに生きる愛嬌あるヤツ、って感じかなぁ。

 もちろん、他の猫も可愛かったです。

 ……というわけで、見事に(いつも以上に)中身のないレビューで今年は始まりました。一体、この先どうなることやら、ごーん、、、。

 

 




生まれ変わったら、南欧の日当たりの良い海沿いの丘に暮らす野良猫になりたい。
そして海岸で魚のおこぼれをもらうのさ。ニ゛ャ~




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眠れる美女(2012年)

2015-06-30 | 【ね】



 2009年、17年間植物状態で眠り続けたエルアーナ・エングラーロの延命措置停止が裁判所によって認められた。が、これにカトリックが激しく反発。当時の首相ベルルスコーニが、延命措置続行法案を議会に提出、強行採決を目論んでいた。

 一方、市井の人々の間にも生と死を巡るドラマが展開されていた、、、。

 3つの物語を並行して見せることで、実際に起きた事件への、監督の立ち位置を明確にし、見る者への問いを投げかける作品。

 
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 このエルアーナ・エングラーロのニュースは日本でも結構報道されていたので覚えていましたが、ベルルスコーニがこんなことをしていたことまでは知りませんでした。というか、ニュースで恐らく言っていたんだろうけど右から左だったんだわ、きっと。

 しかし、まあ、このブログでも何度か書いていると思うけれども、宗教ってホントに理解できません、私。信者の方には先に謝っておきます、不敬なことばかり書きますがすみません。でも特に、映画でよくネタになるカトリックは、ホントに意味不明にさえ思えます。救いどころか人々の対立を生んで、苦しみの種にさえなっている様に見えますが。

 家族が延命措置を停止したいと、きっと相当に苦しみ悩んだ末に出した結論のはずで、その結論をやっと司法が認めて合法としたにもかかわらず、国がそれをひっくり返そうってんだから、オソロシイです。個人の意思より国家の指示に従えと。カトリックってそんな教えじゃないんじゃないの? どうすればそういう風に歪むんでしょうか。

 しかも、その張本人はあのベルルスコーニ。私、嫌いなんです、あのオッサン。もう、いかにも成り上がりの下品オヤジ丸出しで、彼が首相になった時は、イタリア国民の民度を疑いたくなりました。、、、今や、日本国民が世界中から民度を疑われているかも、ですが。トホホ。

 それはともかく、ベルルスコーニが本当にカトリック信者として純粋な思いからあんな法案を提出したとは、到底思えませぬ。自分が権力の座に居続けられるなら何だって利用しよう、みたいな風にしか見えないんですけど、、、。これって、私の色眼鏡?

 ベロッキオの意図は明確です。それは、だから良いんです。私が、本作に対してあんまし良い感情を抱けなかったのはテーマがテーマだからってのもあるけど、なんつーか、3つのエピソードがちょっと“安っぽい”感じがしてしまったからですかね。強いていえば、イザベル・ユペール版でしょうか、ドラマとして見られたのは。あとの2つはちょっと、見ていて寒かったです、ハイ。

 何故か、、、。ん~、多分、ベロッキオが抱いたテーマに沿ったストーリーを紡ぎ出したからでしょう。ストーリーからテーマが浮かび上がるのではなく、この場合、テーマありきだから、どうしても話がそっちに寄ってしまう。「生と死」を描くということは、リアルに生死をさまよう事態を描かないと描けないんでしょーか。ここまで直截的な話を3本揃えられると、ちょっとウソ臭さが漂ってしまい、私はダメでした。

 しかも2本はエルアーナと同じように、生命維持装置を外すか外さないかで生死が分かれるというお話で、あとの1本は自殺願望の強いヤク漬け女のお話。生きる意味を問うために、対比として置かれた設定だとは思いますが、同じ“生きながら死んでいるに等しい”状態の3本であっても、1本だけは自らの意思で再生可能である話なのは、狙い過ぎというか、、、。

 ベロッキオは何で3本のストーリーを用意したのかな。2本でも良かったのではないか。“自殺願望の女編”と、“生命維持装置編”2本のうちの1本。どうして3本なのだろう。“生命維持装置編”2本のうち1本は外し、1本は意地でも外さない、というお話だからかな。、、、まあそうなんだろうな。だから、ちょっと用意し過ぎな感じがして、嫌なんだろうな、、、。

 しかし、やっぱり、カトリックというのは、信者に思考停止を促す宗教である、という私の見方が本作でますます強まってしまった気がします。私の身近にいるクリスチャンはみな、プロテスタントなんだよな、、、。彼らにカトリックのことを少し教えてもらおうかな。それって不謹慎なことなんだろうか。

 宗教関係の本を読んで、私が一番腑に落ちたのは、お釈迦様=ブッダの教えでした。身近に見聞きする○○宗とかの大乗仏教とは違って、ブッダの言葉。(小乗)仏教とは自己救済のための、いわば病院みたいなものだ、という言葉に納得がいった気がしました。自分を救えるものは自分だけ、という身も蓋もない教えなんですが、一番、私には心に響く話でしたねぇ。ブッダなら、エルアーナのような事態を見た時、何と言うのでしょうか。もっと色々本を読めば、どこかに答えを見つけられますかね。

 映画としては、見どころはイロイロ。何と言ってもやっぱり特筆事項は、イザベル・ユペールでしょうね。こういうイッちゃった女性を演じるのがこの人は本当に上手いです。別に普通にしているだけなのに、狂っているのが分かるという、、、。終盤の寝言でマクベスのセリフを言うシーンとか。彼女の真骨頂じゃないでしょうか。

 ベロッキオ作品は、多分初めてなんですが、これは劇場公開時に行きたかったのに見逃してしまい、ようやっとDVD鑑賞に漕ぎ着けましたとさ。でもって、明日は、1日の映画の日! この日のために、私は夏休みをゲットしたのだ。映画館ハシゴしようと思いまして。、、、お天気はあいにくの雨らしいですが。たとえ嵐でも全身カッパ着こんでハシゴ鑑賞してやるのだ! だから今日は早く寝るぞ!!

 




  

自分の生命維持装置なんて外してもらいたいけど
あなたの生命維持装置だったら外せない、、、かも。




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