映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ハッピーエンド(2017年)

2018-03-26 | 【は】



 13歳の少女エヴは、うつ病(?)の母親と二人で暮らしていたが、母親が薬物中毒で意識不明となり入院することに。そこで、エヴは、母親と離婚し、フランス北部の街カレーで既に別の家庭を築いている父親・トマ(マチュー・カソヴィッツ)の家に引き取られる。

 その家・ロラン家は建設業を営むブルジョワの富豪で、父とその妻、生まれたばかりの子ども、父の姉・アンヌ(イザベル・ユペール)、父の父親・ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が一緒に暮らしていた。建設業を興したのは祖父のジョルジュだが、今は高齢で引退しており、トマは家業を継ぐことなく医師となり、継いだのはアンヌであった。

 エヴが加わったロラン家の食卓は、どこか冷たくよそよそしく、ロラン家の人々の会話はまるで噛み合っておらず、でもそれは決して、エヴが加わったからではないらしい。果たしてこのブルジョワ一家は一体、、、??

 『愛、アムール』ではヒューマンドラマを描いたハネケの5年ぶり新作。待ってました!!
 
   
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 ハネケの新作、その名も『ハッピーエンド』だなんて、見ないわけにはいかないでしょ。

 ……てなわけで、ようやく見てまいりました、、、。ちなみに、主演のはずのイザベル・ユペールだが、本作ではいたって影が薄い。相変わらずエキセントリック・マザーを演じておられるけれど、やはり本作のキーマンは、ジョルジュとエヴであって、彼女ではないんだよね。


◆5年ぶりだってのに、私のM気を満足させてはくれなかった、、、。

 『愛、アムール』では、らしからぬ作風にショックを受け、これが遺作だなんて絶対イヤだ! と思っていたら、案の定、やってくれました。そう、ハネケ節が戻ってきたのだ。それ自体は嬉しい、、、というよりは、ホッとしたんだけれども、これまで見てきたどのハネケ作品よりも、ある意味、衝撃度が低く、それが何とも寂しく感じてしまった。

 なんか普通、、、みたいな。これがハネケではない人の監督作であれば、別の感想を抱いたと思うけれど、『セブンス・コンチネント』とか『タイム・オブ・ザ・ウルフ』とかを撮っている人の作品だと思うと、かなり普通だよなぁ、と思っちゃう。毒が薄い(もちろん、ないわけじゃない)というか。私がハネケ作品を見るのに期待するのは、やはりその毒性の強さなわけで、強力な毒気に当てられたいのヨ。そういう意味ではかなり本作はスカされた、というのが正直な感覚。

 だって、ブルジョワ一家の崩壊(というか、すでに崩壊しているんだけど)なんて、その辺に転がっているネタ。そんな壊れた家族は自分の半径1メートル以内のことにしか興味がなく、当然、移民等の社会で問題になっていることなんぞどーでもよくて、おまけに、精神的に病んでいて自殺を繰り返す爺さんとか、人を殺しちゃう子どもとか、別に、素材としては驚かないレベル。もちろん、奇をてらった素材を期待しているわけじゃないけど、本作は描写も、あんましギリギリ来なかった。ハネケ作品は見ていると、心臓を抉られるようなギリギリ来るものがあるけれど、それがないのが不満なわけ。……あたしゃMか? まあ、ハネケ作品鑑賞に当たっては大いにMだと思いますね。

 ……でもまあ、『白いリボン』辺りから毒性が弱くなってきたのは感じていたので、これもハネケの加齢によるモノなのか、、、と信じたくはないけど、思わざるを得ないかも。彼も丸くなっちまったのかなぁ、、、。

 とはいえ、世間の評価は、やっぱりハネケだね! って感じだし、藤原帰一氏は、「なんとも禍々しい映画」「表面をなでまわすのでなく虚ろな心のなかに入り込む力があるので、陳腐にならない」などと絶賛している。やっぱし私が受けた感覚は、私の期待が大きすぎたが故のものなんだな、きっと。……嗚呼、でも寂しい。


◆老人と少女

 ……そんなわけで、あんまし色々書く気が起きないんだけれども、これまでのハネケ作品になくて本作でフォーカスされていたのが、ネット社会&SNS。例えば、エヴは、自分が母親を殺す過程を詳細にスマホで画像に記録している、とか。トマは、再婚した妻以外の女性とチャットセックスに耽っている、とか。

 でもまあ、映像にフォーカスした作品なら『隠された記憶』みたいに、監視カメラ映像がカギになる作品が既にあって、それがネットになっただけ、とも言えるわけで、さほどの特筆事項でもないような。

 エヴが母親を毒殺する、というネタについては、どうやら日本で実際に起きた事件からインスピレーションを得たらしいけれど、親殺しってそんなに珍しいネタではない。本作の場合、それが特に若干13歳の可愛らしい少女によるもので、なおかつスマホで撮影しながらチャットで中継している画は衝撃的かも知れないが。スマホ画面というフィルターを通すことで、エヴにとっては遠い出来事になるという、その視点の置き方、移動が特色かも。

 もう一人のキーマンは年老いたジョルジュで、老人と少女、という視点が対になっているのも面白いと言えば面白い。未来ある子どもと、人生の黄昏時である老人が、現役世代の有象無象のあれこれを眺めている。しかも、この少女も老人も自殺未遂を起こすのよね。2人とも、人生を儚んでいる。良くも悪くも足掻いているのは現役世代だけ、、、。

 おまけに、2人とも大切な(はずの)人を手に掛けている。ジョルジュは、介護していた妻を。ジョルジュがそのいきさつをエヴに話すシーンを見ていて、誰もが『愛、アムール』の続きか、と思うかも知れないし、私も一瞬そう思った(けれど、まあ、多分それは違うんだろう)。しかも、この夫はそのことを微塵も後悔していない(エヴも母親殺しを悔いている様子がない)。長く連れ添った夫婦の行き着く先が「どちらかがどちらかの人生を強制終了させる」。そして、それは現実にもたくさん起きている。そして、会話の噛み合わない家族の中で、この老人と少女の会話だけが噛み合っている、、、。

 、、、ううむ、こうして書いていると、やっぱりこの辺りの描写は強烈なアイロニーが効いているのかも、という気もしてくる。ただ、見ている間、スクリーンからはそれを感じ取ることが私には出来なかったわけだけれど、、、。


◆これで終わりなんですかねぇ……?(by観客の男性)

 少女と老人の究極のシーンは、ラストにやってくる。ここからは結末に触れますので、本作を未見の方はご注意を。

 自殺願望に取り憑かれているジョルジュは、アンヌと恋人の婚約披露パーティを、エヴに車椅子を押させて抜け出す。そして、パーティ会場のそばにある海の方へ行き、埠頭からそのまま車椅子をエヴに押させ、入水自殺を図ろうとする。エヴは、ジョルジュが腰辺りまで水に浸かったところで、車椅子から離れ、ジョルジュが海に入っていく様を、これまたスマホで撮影し始める。……なんとシュールな、、、。

 ……とそこへ、慌てた様子で駆けて行くアンヌとトマが、エヴの方を一瞬振り返って、暗転。ジ・エンド。

 ゲゲ~ッ、これで終わりなんて、なんてイジワル。……と思っていたら後方から初老の男性の声が。

 「これで終わりなんですかねぇ……?」

 うんうん、そうそう、そう思うよね、そう思うよ! と、私は心の中で思わず大きく頷いていましたよ!! その一方で、やっぱしハネケだよなぁ、とも思っていました。これは、ものすごくイジワルなんですよ、とにかく。

 その後どうなるかってことは、結局観客に考えておくれ、っていう、いつものハネケのパターン。考えたくねーよ!! と言いたくなるけど、考えちゃう作りになっているところが憎ったらしいというか。

 思うに、少女と老人には共通項が多いが、決定的な違いが一つある(と思う)。

 それは、エヴは、あくまで自己本位な視点でしか物事を見ていない。対してジョルジュも自己チューっぽいけど、一応、他者視点を持っている。ジョルジュがここまで死にたがっているのは、自分がもう“用済みの人間”だからと勝手に思っているからでもあるけれど、私は、自分が手に掛けた妻のことを思ってのことだという気がする。後悔はないと言っていて、後悔は本当にしていないんだろうけど、『愛、アムール』のラストで、亡き妻が、ジョルジュに「コート着ないの?」と言うシーンが、私にはダブるのだ。それが、彼を自殺に駆り立てているとしか思えない。つまり、彼の他者視点は、亡き妻の視点ということ。エヴにそんな他者はいない。

 ……というのが、私なりの感想。本作を見た方々は、一体どんな感想を抱いたんだろうか、、、?



 

 



次作こそ、毒大盛りでお願いします、ハネケ様




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RAW 少女のめざめ(2016年)

2018-03-19 | 【ろ】



 16歳のジュスティーヌは、厳格なベジタリアン。超優秀で、姉のアレックスも在籍している獣医学部に入学することになった。学生寮に入ったジュスティーヌだが、なぜが同部屋の学生は男性のアドリアンで、「俺、ゲイだから」と彼は言う、、、。

 別の日、新入生に対し、恒例の手荒い歓迎行事~動物の血を頭から掛けられたり、ウサギの生の腎臓を食べさせられたり~が行われ、ベジタリアンのジュスティーヌはウサギの腎臓を食べることに抵抗するが、アレックスがやって来て強引に食べさせる。

 すると、その直後から、ジュスティーヌの身体に異変が起き、さらには肉食に目覚める。学食のハンバーグをこっそり万引きしようとしたり、部屋の冷蔵庫に入っている生の鶏肉にむしゃぶりついたり、、、、。だんだん、カニバリへの誘惑にかられるジュスティーヌ。一方で、ルームメイトのアドリアンには男性として惹かれていく。

 そんなある日、ジュスティーヌは、アレックスと部屋で脱毛処理をしている際に、ふとした弾みでアレックスの指をハサミで切断するという事故を起こしてしまう。失神し倒れるアレックスを見て動転するジュスティーヌだったが、アレックスの切り落とされた指を見て、誘惑がついに抑えられなくなって来て、、、。

 嗚呼、、、超えてしまったよ、ジュスティーヌちゃん……。ジュスティーヌの行き着く果ては、、、。
 
   
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 これも予告編を見て、うわっ、、、と思いつつもそそられてしまい、『ゆれる人魚』とハシゴして見てしまった。何かちょっと、似ているものがある気がするわ、この2作品。


◆思ったほどグロくない。

 アメリカで公開されたときには、グロ過ぎるからってことでゲロ用袋が配られたらしいけど、グロいというより、ちょっと汚いというか不潔というか、そんな映像は結構あったから、私的にはそっちのほうがちょっとイヤだったかな。とはいえ、目を背けるほどじゃなかったけれど。

 一番イヤだったのは、動物の血を浴びせられるシーンかなぁ。あれは生理的にちょっと、、、。しかも、そのままの姿で新入生たちはゴハン食べたりしているし。とにかく、この執拗な手荒い新入生歓迎行事の数々が不快度数高し。

 でも、このイジメみたいな描写があるからこそ、ジュスティーヌがカニバリに目覚めちゃったことに対して、あまり抵抗なく受け容れられるのだわね。ただ何となく誤って肉を食べちゃって、、、という切っ掛けでは弱いし、見ている者もカニバリへの抵抗感は払拭できない。

 笑っちゃったのが、アレックスの指が切断されてしまったシーン。何でそーなるの??というような経緯で指が切断されるし、何より、ジュスティーヌがためらいながら、アレックスの千切れた指をそ~っと口に運ぶのが、ほとんどコメディ、、、。いやもちろん、これは重要なシーンで、マジメに撮られているんだけど、だからこそ可笑しい。

 その後、病院に担ぎ込まれたアレックスが、駆けつけた両親に対し「切り落とされた指はクイック(アレックスの飼い犬)が食べちゃったの」とウソの説明をするのが???だったんだけど、アレックスもカニバリストだったと、その後間もなく分かって納得。

 その後、この姉妹は学内で大騒ぎを起こし、互いに互いの身体に齧り付き傷つけ合うという、仰天の展開になるんだけど、極めつけはその後。ジュスティーヌは好きになってしまったアドリアンを、、、、。まあ、これ以上書くのは止めておきます。


◆少女から大人の女へ、、、脱皮&セックス

 カニバリがフォーカスされがちだけど、印象的なシーンが多い。

 オープニングのシーンもそう。長回しの遠景、まっすぐ伸びる道路を車が走っていって、その前に人が走り出てきたと思うと、車は避けようとして街路樹に激突、走り出てきた人はしばらくすると立ち上がって、、、。という不穏な出だし。

 ジュスティーヌが鏡の前で音楽に合わせて陶酔するように踊るシーンも、ある意味象徴的。次第に鏡に近付いて鏡の自分と口づけする、、、。まあちょっとこれはありがちな感じがしないでもないけど。

 ジュスティーヌとアレックス姉妹が、立ちションするシーンもある。そして、アレックスはジュスティーヌをオープニングのシーンで映されていた道路に連れて来て、、、。そう、当たり屋をやっていたのはアレックスで、それも、カニバリの対象を得るため。ここでも動転するジュスティーヌだけど、血の味に悦に浸ってしまう。

 監督は、カニバリはセックスを象徴する、と言っているけど、まあ、それはそーだわね、と分かる。印象的なシーンが多く、面白いけど、あんまし深みはない作品だと思う、そういう意味では。

 ジュスティーヌが初めてウサギの腎臓を食した後、全身に湿疹が出来て、処方された薬をつけたら、皮膚がかさぶたいみたいにペロリンチョと剥ける描写なんかは、まさしく、大人の女への脱皮ってことだわね。

 少女から大人になるのって、脱皮、ってイメージより、私はむしろ、何かを身に“まとう”感じなんだよなぁ。なんだろう、、、“女”という着ぐるみを身に着けるみたいな。少なくとも“剥ける”んじゃないのよね。だから、皮が剥けて大人になる、って描写は、なんか共感しにくいモノがあるなぁ、、、。

 ……ともあれ、そんなわけで、『ゆれる人魚』同様、本作は、少女が大人になる物語、なのでありました。しかも、姉妹モノってのも、人間を食べるってのも同じ。違うのはラスト。

 結局、この姉妹、アレックスは(詳細は書けないけど)刑務所に入れられ、ジュスティーヌは獣医学部を退学して自宅療養となるんだけれども、、、、。この、ラスト近くで、これまたビックリな展開が待っている。ちなみに、私は中盤でもしや、、、と思っていたので、このラストは、やっぱり、、、とちょっと絶望的な気持ちと、一方で出来過ぎなブラックコメディみたいで笑える気持ちがないまぜになっておりました。


◆その他もろもろ

 ジュスティーヌを演じたギャランス・マリリエちゃんは、ちょっと満島ひかりに似ている?個性的な美少女。かなりの難役だったと思われるけれども、よく演じていたと思う。顔中血だらけにしたり、アレックスに囓られてほっぺにでっかい生傷が出来たりと、なかなか激しいです。

 ルームメイトでゲイのアドリアンを演じたラバ・ナイト・ウフェラくん(名前が覚えられそうにない)は、注目の若手のようです。私的にはあんまし好きなタイプじゃないけど、濃いイケメンで、何となく特異体質のジュスティーヌが彼を好きになってしまうのが分かる気がする、そんなルックスです。

 でも、私が一番気に入ったのは、姉・アレックスを演じたエラ・ルンプラ。すげぇ迫力、というか、存在感。カニバリである自分を完全に受け容れていて(そこまでの葛藤は多分あったのだろうけど本作では描かれていない)、非常に生命力を感じるキャラ。強い。ある意味、ジュスティーヌより魅力的。

 ……まあ、大してグロくない、と書いたけれども、人によってはかなりダメかも知れない可能性はあります。ただ、痛いシーンは(ほとんど)ありません。

 『ゆれる人魚』といい、本作といい、何だかとっても個性的な作品を立て続けに見て、かなりお腹一杯になりました。

 





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ゆれる人魚(2015年)

2018-03-13 | 【ゆ】



 80年代のポーランド。美しい人魚の姉妹、シルバー(マルタ・マズレク)とゴールド(ミハリーナ・オルシャンスカ)は、その美しい歌声で人間の男たちを惑わせると捕えて食べてしまう。

 ある日、例によって美しい歌声で男を惑わせると陸に上がり、ワルシャワにやって来る。その美しい容姿と歌声をもって、とあるストリップ・ナイトクラブに辿り着く。たちまち店の人気者になる人魚姉妹。

 毎晩ステージで歌って踊るうち、バンドのベーシストの青年ミーテク(ヤーコブ・ジェルシャル)と姉のシルバーは次第に惹かれ合い、恋に落ちてしまう。そんな姉を見て、妹のゴールドはイラつき、しばしば言い合いになる。人魚にとって人間の男は餌であり、人間の男との恋を成就させることなど出来ないのだ。もし、シルバーがミーテクとの恋を成就せんがために人間になっても、ミーテクに愛されなければ、シルバーは海の泡となって消滅する運命なのである。

 しかし、シルバーは美しい声を失うことと引き換えに、人間になる道を選び、手術を受ける。そして、腹部に大きな傷を伴って真の人間の下半身を手に入れ、いざミーテクとセックス行為に及ぼうとするが、シルバーの腹部から激しく出血する様を見て、ミーテクは引いてしまう。そして、人間の美しい女性と恋に落ち、あっけなく結婚してしまう。

 結婚披露のバーティーに招待されたシルバーとゴールド。このパーティーが終わる明け方までに、シルバーがミーテクを殺せなければ、シルバーは海の泡と消えてしまう、、、。

 
   
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 ポーランドによるボーランドが舞台のボーランド語での映画。しかも、予告編で見たところ、なんかちょっとアブノーマルっぽい、、、。これは見なくては! と劇場まで行ってまいりました。ところどころ意味不明ながらも、なかなか面白かったです。


◆ギョギョッ!となる面白さ。

 いわゆる、アンデルセンの「人魚姫」と終盤の設定は同じで、愛する人を殺すか、自分が死ぬか、ということになるんだけれども、そこに至るまでは、結構なエログロワールド全開で、これは好みが分かれるところだと思うけれども、私は好きだわ~、こういうの。

 とにかく、オープニングのアニメからして怪しげでイイ感じ、これは期待できそう、、、となる。でもって、冒頭の人魚姉妹が海から陸に上がるシーン。美しい歌声で、陸にいる男たちに“私を陸に揚げて~”と懇願するように歌うのね。吸い寄せられるように人魚姉妹に近付く男たち、、、、ぎゃーー。

 この人魚の造形が、かなりグロテスクで、下半身の尾ひれなど非常にリアル。人間の姿で、ストリップ・ナイトクラブのオーナーの所に連れてこられるんだけど、オーナーに向かって、澁澤龍彦じゃないけど、まさしく“大跨びらき”すると、彼女らを連れてきたオッサンが「見てください、穴がないんです、まったく」などと彼女らの股間を指して言うわけ。……ぎゃはは、笑える。でも、尾ひれにはちゃんと性器があって、それもしっかり映るんだけど、これがまたちょいグロ、つーか気持ち悪い。

 しかも、この人魚たち、店のバックヤードにいるのに、店にいるオーナーが「何か臭うぞ、何だこの臭いは!?」ってくらいキョーレツな魚臭を放っているらしい。あんまし嗅ぎたくない、、、。

 さらに、人魚姉妹は生きていくために人間の男をかっ喰らう。そのときの姉妹の口元は、まさにドラキュラ張りの鋭い犬歯が光る歯に変わっていて、男の身体にかぶりつく様はちょっとエグい。まあ、そこまでグロくはないけれど。

 ストリップ・ナイトクラブでの歌って踊るシーンが結構あるのだけど、ちょっとしたミュージカルっぽくて、これも楽しい。ワルシャワのスーパー(あの時代のスーパーだからゼンゼン物が少ないってのがミソ)での群舞シーンもあるし、エンタメとしてもよく出来ている。

 てな具合に、共産主義時代のポーランドを背景に、ダークな世界をなかなか上手く演出していて、雰囲気だけでも十分楽しめる。


◆皮肉、、、。

 大してグロくない、と書いたけど、シルバーが人間になるための手術シーンは、結構グロい。シルバーと人間の少女を並べて、それぞれの胴体を切断し(切断シーンももろに映る)、その下半身と尾びれを入れ替えて縫合する、、、、という、なんともはや痛い描写。しかも結構、血もドバドバ、、、。ここまでリアルに描く必要あったのかなぁ、、、という気もするが。

 おまけに、手術後のシルバーの腹部は、それはそれはひどい傷跡で、これもグロい。そんな身体でミーテクと合体しようとするなんて、まあ、無謀もいいとこなわけだけど、ミーテクがそんなシルバーの身体に萎えちゃうのもムリはない。つーか、“しよう”と思っただけでもミーテクは偉い。

 そこまでしてでもシルバーは恋を成就させたかった、愛する人と人間と人間の交わりを持ちたかった、ということで、これが“少女から大人への物語だ”という、あまりにも見たまんまの解説がパンフにも書かれていたけれど、、、。

 まあねぇ、それは誰でも分かることなわけよね。

 人魚姫の話もそうだけど、愛ってのは大きな代償が伴うものである、ってことは、人間は皆、大人になる過程で学ぶことである。でもって、大人になるってことは、人魚が大切な尾びれをなくすがごとく、何かとても大切なものを自ら捨て去ることでもある、みたいなことを読み取る向きもあるようだ。

 そういう解釈も良いけれど、私は割と単純に、人間を喰って生きている人魚が、人間の掟に従った途端に滅びてしまった、というアイロニーを感じた次第。子どもの頃は、人魚姫のお話は“心美しい人魚の悲恋”みたいに受け止めていたけど、本作を見ても思ったんだけれども、どんなに好きでも、自分のアイデンティティーを捨てなきゃならない恋やら愛なんてのは、結局自分を滅ぼすものである、ということだわね。

 若い頃は、それでも好きなんだから、愛しているんだから!! と思って突き進むものなんだろうけど、それって自分のかなりコアな部分が変化してしまうわけだから、相手にとっても愛した人間とは違ってしまっている、ということになるわけよ。だからお互いにとってダメになる。そんな恋愛は、消耗するだけだし、そもそも続かない。

 私にはそこまで自分を捨てて恋愛に猛進したことがない、というか、自分が自分でいられなくなる相手などそもそも好きにもならなかったのだが、人を好きになるということは理屈ではないから、私はたまたまそんな機会がなかっただけだとも思う。

 おそらく、人魚姉妹の妹・ゴールドは、きっと私と同じ思考回路なんだろうな~。何で餌でしかない人間の男のためにこの姉は、、、アホか?? って感じだったよなぁ。でも、ゴールドはシルバーのことが基本的には大好きだから、イラついてケンカになったのだよね。

 そんなゴールドの思いが、ラストシーンで爆発するんだけど、これが結構ビックリでありました。人魚姫同様、悲恋譚で終わるのかと思ったら、トンデモナイ!! ぎょえ~~、な展開が待っておりました。内容は敢えて書きません、ムフフ。


◆その他もろもろ。

 ワルシャワの街並みとか風景とか、もっと出てくるかな~、と期待していたんだけど、ほとんど出て来なかった、、、ショボ~ン。ちょっと出て来た外の景色は、夜だったからほとんど見えないし、、、がーん。

 姉のシルバーを演じたマルタ・マズレクが、決して美人ではないんだけど、蠱惑的というか、ちょっと抜けている可愛い感じを上手く演じていたのが印象的。ミーテクのことをどんどん好きになっていく様とか、なんか微笑ましいというか。あまり人魚であるがための葛藤とかは感じられなかったかなぁ。ぽわ~んとした姉キャラがよく出ていました。

 ゴールデンのミハリーナ・オルシャンスカは、ちょっとキリッとした美人。人魚になって歯が鋭くなった顔がかなり怖い。ラストシーンが、その怖さを発揮しています。

 人魚姉妹を可愛がるストリップ・ナイトクラブの歌姫クリシアを演じたクンガ・プレイスが、なかなか見せてくれる。歌も踊りもかなり上手い。あの『アンナと過ごした4日間』に出演していたなんて、、、。あのストーカーされちゃう女性役だったのかしらん?? クリシアは、自分が人魚になってしまう夢まで見るという、、、、。その夢のシーンがまた何とも言えずグロ面白い、、、。

 ミーテクを演じたヤーコブ・ジェルシャル君は、まあまあイケメンだけど、正直言って好みじゃないので、イマイチ。透き通るように白くて細いのよ。

 でも、パンフを見てビックリしたのは、人魚姉妹の臭いがクサいと言っていたストリップ・ナイトクラブの経営者を演じていたおじさんが、なんとあの『水の中のナイフ』で夫婦の前に現れた青年を演じていた男性だったこと!! え~~! そういえばこんな顔だったような、、、。いやー、ビックリ。

 まあ、人間を餌にしている人魚姉妹が主人公ですから、それなりにグロいシーンもあるけど、いろんな意味でなかなか面白い作品です。誰にでもはオススメできませんが、予告編を見て、“面白そう”と感じた人なら、多分楽しめると思いますヨ。

 







そもそも、なぜ人魚姉妹は陸に上がりたがったのか、、、が謎。




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ぼくの名前はズッキーニ(2016年)

2018-03-08 | 【ほ】



 絵を描くことが大好きなイカールは、大好きなママと暮らしていた。ママは、イカールのことをなぜか“ズッキーニ”と呼んでいて、イカールはその呼び名が大のお気に入りだった。でも、ママが好きなのは、ビールを飲むことで、ママがビールをたくさん飲むようになったのは、パパが“若い雌鶏”のもとに去ってしまったからだ。でも、ズッキーニは、ときどきママの癇癪に恐れおののきながらも、ママとの暮らしに満足していた。

 が、そんなある日、ハプニングでズッキーニのママは死んでしまう。そして、ズッキーニは、フォンテーヌ園という施設に預けられることになったのだが、、、。

   
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 予告編を見て、ちょっと不気味な人形が脳裏に焼き付いて気になっていたんだけれども、なかなかタイミングが合わず、どうしたものか、、、と思っていたところ、ようやっと先週、見に行くことが出来た次第。とはいえ、さほど期待していなかったんだけど、思いのほかグッときてしまった、、、。


◆嗚呼、ズッキーニ、、、。

 いきなり、ズッキーニのママが死んじゃうんだけれども、上記あらすじに書いた「ハプニング」ってのは、ズッキーニのしたことに原因があって、つまりは、ズッキーニがママを(もちろん故意ではなく)殺しちゃった、ってこと。がーん、、、。なんちゅう出だし。さすが、スイス・フランス制作、非常に毒のある展開。

 なので、ズッキーニはほんのちょっとだけど警察のお世話にもなるわけで、施設に連れてきてくれたのは、警察官のレイモン。このレイモンがイイ味出しているのよ。車中、寂しそうに、パパの絵を描いた凧を大事に抱えているズッキーニを見て、レイモンが「凧、上げて良いよ」というのね。すると、ズッキーニがちょっとこわごわ、車の窓から凧を出すわけ。短く持った糸の先に泳ぐパパの絵が描かれた凧。ううむ、、、もうここで既に涙腺が緩む。

 施設に着くと、先輩の子どもたちがお出迎え。ボス的存在がシモンで、いかにも一癖ありそうなキャラだけど、イイ奴だとすぐに分かる。その数日後に今度はカミーユという女の子が施設にやってくる。このカミーユが少し大人びたキャラでなかなかイケている。案の定、ズッキーニはカミーユに恋をするわけね。まあ、子どもたちのキャラ配置は、割とお約束に近いかも。

 でも、決して類型的ではない。

 とにかく、子どもたちの抱えている背景が、予想を上回る壮絶さ。父親が母親殺しちゃったり、親に性的虐待受けていたり、遺棄されちゃったり、親が移民で強制送還されて置き去りにされちゃったり、、、まあ、何でもありに近い。

 施設での描写がストーリーのほとんどを占めるんだけど、特段、何か事件らしい事件が起きるわけでなく、日常の生活の風景が丁寧に描かれ、その中で子どもたちが感受性豊かに成長していく様が実に素晴らしい。割と、性(セックス)についてのセリフや会話も多く、さすが、ヨーロッパだとその辺りは若干文化の違いを感じるが、でもそれがまたカギにもなっている。

 施設で働く大人たちの中に、一組の新婚夫婦がいて、彼らの愛情表現や妊娠・出産が、子どもたちの織りなすストーリーに寄り添うように語られる。これらを通して、子どもたちは、人間が生まれるということの神秘を知り、生まれたての赤ちゃんに触れることで、愛しく守りたい存在を実感するわけだ。自分たちは、親に必ずしもたくさんの愛情を注がれなかったけれども、愛しいという感情を抱くことで、少しずつ人を愛し愛されることも実体験していくということだろう。

 子どもの話だからといって、性をタブー視しないところはむしろ好ましく、日本でも今や小学生からあれくらいオープンな性教育をした方が子どもたちのためではないかとさえ感じさせられた。 

 強いて事件というと、カミーユが、叔母に養育費目当てにムリヤリ連れ帰られてしまうところ。ここで、子どもたちが協力し合って、カミーユを奪還するのだけど、なんとも微笑ましい。このときのキーマンが、実はレイモンだったりするのもツボ。この出来事を通じて、レイモンは、ズッキーニにとってカミーユが特別な存在であることを知り、その後、ズッキーニだけでなく、カミーユも一緒に引き取り、育てるという決断に至るわけだ。

 そのほか、施設でスキー合宿に行き、そのときの子どもたちの生き生きとした描写も素晴らしい。

 とにかく、ズッキーニの成長というタテ糸に、幾重にもヨコ糸が編まれていて、実に滋味深い、奥行きのある作品になっている。


◆ちょい不気味なのに愛くるしい。

 本作の特徴は、なんと言ってもその人形にある。特徴的な顔、……というより、とりわけ目が特徴的で、一見するとかなりヘンな目である。どの人形も、まん丸な目をしていて、目の回りをぐるりとラインが囲んでいて、瞳が完全にまん丸な状態で剥き出しであり、これ、かなり異様な造形である。おまけに、まぶたがまん丸な目の上側にちょっと重たく被さっていて、眠たそうな目になりそうなんだけれども、これがこの特徴的な目を怖くないようにしているんじゃないかなぁ、と感じた次第。

 あと、耳と鼻がちょっと赤い。これはキャラによって色も濃さも違うんだけれど。ズッキーニが一番赤いかな、耳も鼻も。

 パンフには、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のティム・バートンのキャラを思わせる、と書かれていたけど、私的には見ているうちに、どことなく、シュワンクマイエルのアニメと雰囲気が似ていると感じたのもツボだったかも、、、、。シュワンクマイエルほどぶっ飛んでいないし変態でももちろんないけれども、ちょっとグロテスクなところとか、世界観とか、通じるものがある気がしたんだよなぁ。

 何より、人形の動きがとっても繊細で感動的。手足の動きもだけど、やっぱりこちらも、目がポイント。この目(特に瞳)のちょっとした動きで、その心情まで見事に表現してしまう。これは素晴らしい。ズッキーニが絵を描くシーンがいくつも出てくるんだけど、これが何とも心に沁みる、、、。絵も可愛いしね。

 難癖を敢えて付けるとすれば、終盤の展開がやや甘いかな、というところ。一種のファンタジーになっているとも言える。……まあ、でも、私はそれでも十分、鑑賞後に幸福感に浸れたし、登場する子どもたち皆に愛着を感じられたので、ゼンゼンOKである。


◆トークイベント付きだった。

 見に行った回は、たまたま、上映後にトークイベントがあるとのことだった。エンドロールが終わって早々に、『この世界の片隅に』の監督・片渕須直氏と、アニメ特撮研究家・氷川竜介氏が登場。

 片渕氏は、本作のクロード・バラス監督とも対談されたそうで、その際のエピソードなどが披露された。ただ、トークを主導する氷川氏の合いの手を入れるタイミングがあまり良くなくて、片渕氏の話を途中で遮る形になるところが多々あり、本作に対する片渕氏の思いや視点など、もっと聞きたかったなぁ、というのが正直な感想。なので、トークの中身はハッキリ言って薄かった(残念)。

 劇場のホールに、ズッキーニの本物の人形が展示されていて、思わず写真撮っちゃったわよ。何かっていうとスマホ構えるの、正直言って嫌いなんだけど、こればかりは迷わず撮影。後ろ姿もキュートだったわ。思いのほか小さくて、ホント、繊細な扱いが求められそうな、、、。人間の子どもと同じだな、と思ったり。

 


 66分の作品。制作に2年を要したとか。むしろ、よく2年で作れたな、と思うほどの完成度。公式HPには、パイロットフィルも公開されていて、これがまたgoo。

 押しつけるのは主義に反するのだけど、多分、見て損はない映画だと思います。


 






施設に残ったシモンのその後がすごく気になる、、、。




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