映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

愛する映画の舞台を巡る旅Ⅱ ~ハノイ(ベトナム)~その①

2018-07-28 | 旅行記(海外)
**美しいエリアーヌの愛した仏領インドシナ** vol.1
 




 本当は、国内のとあるツアー(前からどうしても行きたかった所)に申し込んでいたのだけれど、敢えなく「催行中止」のお知らせが、、、がーん。行く気満々だったからか、催行中止で、自分でも思った以上にガックシ、、、。このままじゃ、どうにも私の心は回復しない、、、と、PCの旅行サイトをしょんぼり見ていたところ、ふと目についたのが、「ハノイ~ハロン湾クルーズ2泊3日ツアー」だったのよ。ハロン湾といえば、あの『インドシナ』の美しい光景が脳裏に浮かんだ私。えーい、申し込んじゃえ!! と勢いで、、、。

 申し込んだのは、おひとりさまツアー。私、こういう旅行会社のツアーで旅行するの初めてで、でも急に行くことを決めたので、やっぱり旅行のプロがお膳立てしてくれるのは、何より気が楽だし、安心感が高い! しかも、意外にお安くて、これはかなりお得だろう~~、と思って、さっきまでの催行中止でどよよ~んだった気分はどこへやら。一転、心ウキウキ・ワクワク、なんちゅう現金なヤツでしょうか、私。

 ……てなわけで、前振りが長くなりましたが、思い立って突然行ってまいりました、ハノイの旅行記です。


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 出発は、羽田。羽田からの国際便利用は初めてなのでワクワク。出発時刻が8:55なので、集合が6:55。自宅から羽田まで1時間あれば十分だけど、ここは余裕を持って、、、などと考えたら、4時起き必須!!

 で、家を出たのは5時半前くらいだったかしらん、、、。きっと電車もガラ空きだろうから、電車の中で寝よう、、、などと考えていたのは甘かった。結構混んでいるのは、さすが都心の電車。通勤時間帯ほど激混みではないけど、少なくとも座れない。京急なんかはもっと混んでいる! どーなってんの、東京!! 6時前でこの人混みって、、、。皆さん、こんな早くからお仕事行かれるんですか??? ……などと、いらんお世話なことを考えながら、無事羽田に到着。

 カウンターで添乗員のお姉さんのF子さんと挨拶&受付&チェックイン。eチケットとやらでセルフチェックインを初めて経験する。昨夏ヨーロッパへ行ったときは、セルフチェックインではなかったので、何やらドキドキだったけど、割とあっさり完了。

 その後、ツアー参加者全員が集まって、F子さんからご挨拶。ツアー参加者は16名で、男女比はほぼ半々くらいだったかな。年齢層はやはり高めだけど、若い方もちらほら。

 一旦解散となり(次の集合はハノイの空港の降り口)、8:20から搭乗で少し時間があるので、空港内を探索。羽田は国内線で6年前くらいに広島に行ったとき以来なので、ほとんど記憶がなかったけど、まあ、正直言って「ふ~ん」という感じで、あまり面白いものもなく、一巡りして搭乗ゲートへさっさと行ってしまい、そこでボーッと飛行機を眺めながらうたた寝。

 今回は往復ともANA。JALは広島へ行った際の国内線と、大昔にヨーロッパに行った際スイスエアーとのシェアで乗ったことがあるけど、ANAは初めてなので、サービスの評判も良いと言うし、楽しみ!

 ツアーの皆さんがどこに座っているのかまったく分からないけど、出発前にF子さんが機内を確認して回っていた。座席は、3-3-3の並びで、幸い、通路側の座席でホッとする。お隣は、(多分)ベトナムの女性と男性だった(お二人とも、約6時間の飛行中一度もトイレに立たず。しかも、お二人とも結構ビールやらジュースを飲んでいた、、、。ちょっと驚いた)。



 離陸して、1時間半ほどして出て来たのがこの機内食。エビ天とかき揚げの卵とじ丼(メニュー名は忘れました!)で、味は、まぁ、、、普通かな。そこそこお腹空いていたので完食。この後、プラスチックのスプーンが折れそうなほどガチガチのハーゲンダッツのバニラアイスがデザートに出され、まあまあ満足。

 映画のリストを見たら『シェイプ・オブ・ウォーター』があったので見始めたんだけど、最初の10分くらいで何だか気分的に乗れずにギブアップ。飛行機で見るのは、もう少し軽めが良いわ、私の場合。でも、その後も、他に見る気がせずボ~~ッとしていたら、ハノイに着いてしまった!


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ハノイ・ノイバイ国際空港のターミナル外観(裏から見た)


空港内ターミナル(これは実は帰りに撮りました)


 この空港は新しく、2015年に日本のODAにより建設された(と、現地ガイドの方がおっしゃっていた)んだとか。日の丸とベトナム国旗の記念碑もあった、そういえば(そういう写真を撮って来いよ、と帰ってきてから気付くおバカ、、、)。
 
 着いたのは、現地時間で12時半過ぎ(日本より2時間遅れ)だったかなぁ。到着ロビーを出ると、、、とにかく、すごい蒸し暑い! 羽田を発ったときは肌寒かったくらいなのに、いきなり真夏に。……とはいえ、先週くらいからの東京の酷暑に比べりゃ全然マシだけど。

 で、到着ロビーから出たところで、現地ガイドの男性がお出迎えしてくださる。この現地ガイドの男性、高校時代の英語の先生にどことなく似ていたんだけど、ツアー参加者の女性が、“(お笑いの)タカアンドトシのタカに似ている!”と言うので(私はあまりそうは思わなかったけど)、便宜上、この現地ガイドの男性をタカさんと呼ぶことに。

 タカさんの先導のもと、バスに乗り、いざハノイ市内の観光へ。

 バスは、2人掛けに1人ずつ利用でき、これもこのツアーでは良いところだったなぁ。やはり、バスの中で初対面の人と気を遣って話をしなけりゃいけないのは少々ツラい。

 空港から市内まで、バスで約40分くらい。途中でソンホン川という大きな川を渡り……


ニャッタン橋からソンホン川を見る


ニャッタン橋


 この橋も、日本の円借款で出来た、と、タカさんは流暢な日本語で教えてくださる。「皆さんのおかげです」などと、タカさん、普通にガイドしながら可笑しいことをサラッと言うので、え??となる。

 ちなみに、このソンホン川(タカさんは「ホン川」と言っていた。そもそも、ソン=川のことらしい)がこのように茶色いのは、鉄分が多い泥を中国から川が運んできているから、とのこと。このツアー中、この説明をタカさんは5~6回してくれたので、さすがに覚えた!


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 ……さて、ようやくハノイ市内に着き、まず連れて行かれたのは、一柱寺ホーチミン博物館の建物をぐるりと回って、、、


ホーチミン博物館


 目指す一柱寺の広場(?)へ。さすがにハノイで一番有名なお寺とあって、結構な人。


一柱寺の広場(?)。お祭りとかではないとのこと


この階段を上がってお参りする



この時期は蓮の花が多く咲いているとのことでここでも供えられていた


 一柱寺という名の通り、池の中の一本の柱で支えられてお堂が建っている。1049年に建立されたときは木造だったけど、今のものは何度か建て替えられてコンクリートで出来ているとのこと。本堂は別にあるらしいけど、こちらの方がメインになっちゃっているみたい。本堂の方へ我々も案内されなかったし。

 子宝に恵まれる、という御利益があるらしく、まあ、私にはいらない御利益だけど、せっかくはるばる来たのだからお参りしておく。不届き者ですみません。

 お次は、ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会)へ。……というわけで、少しバスに乗る。というか、本当はホーチミン廟に行きたかったらしいけど、国会(?)が開かれていて警備の関係でバスが入れないから、それじゃぁ先に教会へ、ってことになったらしい。

 教会へ向かうバスの中から、国旗掲揚塔を横目に見ながら、、、、


国旗掲揚塔を走るバスから瞬撮!


 そうそう、ベトナム国旗の赤地に黄色の大きな星一つの柄について。赤は、革命で流れた血の色、黄色の星は黄色ではなく金色で革命自体を表わすものだ、とタカさんが説明してくれた。赤は社会主義国の国旗ににやはり多い色だと思うが、他の国の国旗も、血の色を表わす赤なんだろうか。

 そうこうしているうちにすぐにバスを降ろされ、少し歩くと、見えて来た古く歴史を感じる大きな建物が、、、。


ハノイ大教会

 
 フランス占領時代の建物。元は仏教寺院があった場所らしい。なかなか威厳あるゴシック様式で、しかも思っていたよりかなり大きくてビックリ。やっぱし、ヨーロッパの人の作る建物はデカいわ。


ハノイ大教会の内部。ステンドグラスが美しかったんだけど上手く撮れず残念


 この大教会は、旧市街のメインスポットらしく、周囲にはカフェやら店舗がたくさんあって賑わっていた。 

 そして、またバスに戻って、今度こそは、ホーチミン廟へ。


ホーチミン廟、中央に聳えるのが廟


 外から見ただけだったけど、中には、防腐加工をし、24時間温度管理された部屋にホーチミンさんのご遺体が安置されているとか。社会主義国家ではよく聞く話。タカさんが言うには、ベトナム人にとってホーチミンさんは神様みたいなものだそうだ。生涯独身を貫き、国家と民のために身を捧げた、偉い偉い人、ということで、こうしてご遺体が大事に大事に奉られているということのようだ。とはいえ、こういう奉られ方はホーチミンさんの遺志ではないらしい。まぁ、偉大な方は、その意に反して死後、崇め奉られることはよくあるけれども、あの世でホーチミンさんは、どう思っているのやら、、、。

 この廟の両脇に赤字で何か書かれているのだけど(見えますかね?)、これは、左右にそれぞれ「ベトナム社会主義国万歳」「偉大なるホーチミン主席は、永遠に我々のなかで生きている」という意味だとか。


ホーチミン廟


 この“HO-CHIーMINH”という文字、この写真じゃよく分からないけど、タカさんは、たしか、ベトナム名産のスタールビーで書かれていると説明していたような。ベトナムはスタールビーの産地でもあるとか。ツアー中、スタールビーの土産物屋に連れて行かれ、まんまとペンダントトップを買わされた私。まあ、それはこの次の日のことなんだけど。いきさつはまた後ほど、、、。


政府系の建物と広大な広場


 そして、この廟の脇には政府の建物が並んでいるらしい。ずいぶん広大な広場だけれど、タカさんがこの広場で何かの記念日には行事が行われてかなりの人で溢れる、、、というようなことを説明してくれていたような気がするんだけど、暑くて頭がボーッとしており記憶が、、、。


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 と、ここで、旧市街散策は終わり、宿のホテルへ。チェックイン後、夜のイベントのためにしばし休息をとることに。ホテルは、旧市街からはバスで20分以上のちょっと外れにあるバオソンホテル。


ホテル外観


 もちろん、一人一部屋で、ツインを一人で使える。クーラーがガンガンに効いていて、暑さでグッタリした身体には大助かり。


居心地良さそうなキレイな部屋!


 夜のイベントは、オプショナルツアー「水上人形劇とベトナム料理の夕食」。水上人形劇ってどんなん?? と、ろくに予習もせずに来た私。楽しみだわ~、と思っていたけど、見てビックリ、ある意味、期待に違わぬもので、書いたら長くなるので、次回に。

 なかなか『インドシナ』が関係した話が出てこない、、、。





その②につづく
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エヴァ(2018年)

2018-07-21 | 【え】



 以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 ベルトラン(ギャスパー・ウリエル)は他人の戯曲を盗んで発表し、一躍成功を掴んだ。しかし2作目を期待されるがペンは進まず、パトロンから矢の催促を受ける。

 ベルトランが執筆のための別荘に着くと、吹雪で立ち往生した男女が窓ガラスを割って家の中に入り、くつろいでいた。ベルトランは文句を言おうと、バスタブに浸かっていた娼婦エヴァ(イザベル・ユペール)に近寄るが、一瞬で彼女に心を奪われる。次作の題材という名目でエヴァに近づくが、冷たくあしらわれる。

 思うようにならない関係に苛立ちを募らせると、周囲の人間を巻き込み、官能と破滅の道に向かっていく……。

=====ここまで。

 このあらすじは、、、正しいのか??


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 毎日暑くてゲンナリ、、、。正直、映画を見に行くのさえ面倒くさく感じるほどの暑さでウンザリ。私は、寒いのは割と平気だけど、暑いのは本当に、ホントウに、ほんっとにダメなんです。職場の人に“白くま”と呼ばれております。そんな白くまが、敢えて劇場に足を運んでまで本作を見に行ったのは、そらなんつったって、主演がユペール様だからですよ。しかも、娼婦役で、予告編を見たら、「謎の娼婦“エヴァ”」とか「彼女は男を破滅させる」とかの宣伝文句が出てくるし、何せ、タイトルに付いているキャッチコピーが「官能と誘惑」「すべての男たちが、この女に狂わされる」とかって煽っているので、どらどら、どんな映画だろ、、、、とユペールが好きなら思うわけよ。相手はギャスパー・ウリエルだしね。

 が、しかし……。白くまは、暑さを克服できぬまま、うなだれて帰ってきたのでした、、、ごーん。
 

◆キャッチコピーに偽りあり。

 時々、、、というか、割としょっちゅう、作品のキャッチコピーがあまりにもズレまくっているのではないか、と疑問に思うことがある。本作もそう。フランスでどんなキャッチコピーが付いたのか知らんが、一体、エヴァのどこが、“謎の娼婦”で、本作のどこが“官能と誘惑”で、誰がエヴァに“狂わされ”ているというのだ??? まったくのトンチンカンもいいとこだろ。

 ……と、私はこの映画を見ながら、途中で思ったわけよ。だって、別にエヴァに謎なんてないし、誰も官能を体現などしていない上に誘惑などもしていない。まして、ベルトランが破滅したのはエヴァのせいではなく、彼が盗作したからであり、完全なる自業自得で、本作のどこにもサスペンス色などなかったから。……はぁ? ともやもやを抱いたまま劇場を後にした。そして、パンフを開くと、目に飛び込んできたのが「ファム・ファタールという男の幻想」と題して仏文学者の鹿島茂氏が書いていたコラム。コレを読んで、私のもやもやは一気に晴れた。

 もう、このコラムが本作の全てを語っており、これ以上、私が駄文を書く必要などないとさえ思える。けれども、ちょこっと駄を承知で感想を書いてしまう。

 以下、ネタバレなんでよろしくお願いします。

 つまり、鹿島氏は「エヴァに謎はない。それは、ベルトランの主観を排して、客観的にエヴァの言動を検討してみれば即座に明らかになることである」と書いている。そうなのよ。観客は、客観的にエヴァを見ているから、このキャッチコピーがトンチンカンに思えるわけ。そして、じゃあ、何でベルトランはそんな“謎のない”エヴァを謎めいた女と感じたのか。鹿島氏はこう断ずる。

 「ベルトランの未熟さ、いいかえれば作家ではなく、「盗作家」であることからくる眼力のなさゆえなのだ」

 、、、、、もうね、これ以上ないっていう解説。

 そう、ベルトランは、そもそもバカなのであります。それも、可愛げのあるバカとか、共感できるバカではなく、もう、同情の余地の全くない、イライラして怒りさえ覚える“真正バカ”ってヤツ。何でこんなバカに、婚約者のカロリーヌが執着しているのかさっぱり分からん、と、恋は盲目とは言うものの彼女までバカに見えて困ってしまった。しかも、彼女はベルトランのバカさ故に死んでしまうしね、、、。浮かばれないったらありゃしない。こういう真正バカにだけは惚れてはいかん。

 冒頭、ベルトランが盗作に及ぶ過程が、結構長く描かれる。この長い描写が鍵だろう。ここで、ベルトランは、作家として、自らの内面と向き合わなければならない、という苦労をすっ飛ばしたばかりに、自らの内面から物語を創出することができない、致命的な“作家”になっちまったわけだ。もちろん、そもそも作家になる能力や才能があったかどうかは分からない。分からないが、デビュー作でこれをやっちまったら、次作以降、自らの内面と向き合うなどという苦行ができるわけがない。

 私がベルトランだったら、デビュー作が売れたとしても「これはたまたま良いアイデアが思い付いただけだから」とか何とか言ってごまかし、職業作家になどなる気はありません、と宣言して雲隠れするなぁ、、、と思った。そうすれば、盗作自体もバレなかった可能性が高いし、美味しい思いだけして、後はテキトーに生きていったって良いのだから。もともと、ベルトランが作家になりたかったのかどうかさえ分からないが、本作を見る限り、作家志望だったようには思えなかった。それならばなおのこと、一発屋の称号を自ら掲げて、後は悠々自適でいいじゃないの、と思うんだけど。

 大体、自分が盗作以上の次作を書けるか否か、なんて自分が一番よく分かるってものでしょう。ベルトランは、だからバカなんだよ。分かっていなければ本物のバカだし、分かっていても作家を続けようと思ったのならば、もちろんこっちも本物のバカだ。


◆ユペール主演だから、、、

 ……というわけで、ユペールの謎の娼婦っぷりを堪能することは出来なかったけれども、相変わらず、ユペールらしさ全開で、それは大いに楽しめた。

 彼女は、謎のある女としてエヴァを演じてはいないと感じる。娼婦としての身の上話で、彼女は、「夫は美術商」とベルトランに嘘をつくものの、それは謎を演出していたのではないだろう。夫が刑務所にいるとは言いたくなかっただけだ。彼女が偽っているのはそれくらいで、後は、別にベルトランに嘘はついていないし、娼婦なんだから敢えて多くを語らないのは当たり前だ。そういう、割り切った現実的な女性を、淡々と彼女は演じている。

 娼婦に変身したときの、ブルネットのボブに真っ赤な唇、という顔が、何とも言えずイイ感じだ。御年65歳のユペールだが、若い女性とはまるで違う美しさがある。ある方のレビューをネットで拝読したが、「どう見てもお婆さんにしか見えない」と書いてあり、その方は恐らく男性だろうが、そういう風に見る人もいるんだなぁ、とビックリ。高齢の娼婦は実際にいるし、需要があるからいるわけで。まあ、見る人がどう受け止めようが自由と言えば自由だが、、、。別に、性的魅力や美しさというのは歳には関係ないというのは当たり前だけど、あのユペールのエヴァを見て「お婆さんにしか見えない」なんて、こう言っては失礼だが、ずいぶん人を見る目が幼稚なんだなぁ、と感じてしまう。ハッキリ言ってベルトラン以下だよねぇ、残念ながら。

 ウリ坊は、ん~~~、彼に責任はないと思うが、あまりパッとしていない感じだった。とにかく、バカすぎるベルトランで、ウリ坊の魅力があまり感じられないキャラだったってのも大きいかも。

 大体、あらすじにある、「次作の題材という名目でエヴァに近づくが」ってあるけど、名目じゃなくて、まさに題材のため、それが目的そのものだったんじゃない? ベルトランは、次作をせっつかれて焦っていて、これはネタに使えそう! と思ったのであって、そら少しはエヴァにセクシャルな魅力を感じたかも知らんが、ただただ次作のネタが出てこないか、それを期待してエヴァに会っていたようにしか、私には見えなかった。

 だから、「官能と破滅の道に向かっていく」なんて、大嘘だろう、と思っちゃう。ベルトランは、盗作した時点で破滅の道を自らまっしぐらに走り始めたのであって、その途中、たまたまエヴァに出会っただけのことだ。ただ、それだけ。

 だから、ベルトランとエヴァの関係はあくまで一方通行であり、それが証拠に、あのラストシーンなのではないか、と思うのだが、、、。

 ……と、文句を一杯書いてきたけど、それは宣伝のキャッチコピーとあらすじの書き方に対してであって、本作自体は、あんまし世間の評価は高くないみたいだけど、私はそこそこ面白かったと思うわ。主演がユペールでなければ、そうは思えなかったかも、だけど。というか、そもそも劇場に見に行っていなかったと思うけど。

  






エヴァが商売しているお屋敷がスゴい!!




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マンチェスター・バイ・ザ・シー(2016年)

2018-07-16 | 【ま】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 アメリカ・ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)。ある日、一本の電話で、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄のジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたことを知る。

 リーは車を飛ばして病院に到着するが、ジョーは1時間前に息を引き取っていた。冷たくなった兄の遺体を抱き締めお別れをしたリーは、医師や友人ジョージと共に今後の相談をする。ジョーの16歳の息子で、リーの甥にあたるパトリック(ルーカス・ヘッジズ)にも父親の死を知らせるため、ホッケーの練習をしている彼を迎えに行く。見知った街並みを横目に車を走らせながら、リーの脳裏に仲間や家族と笑い合って過ごした日々や、美しい思い出の数々が浮かび上がる。

 リーは兄の遺言を聞くため、パトリックを連れて弁護士の元を訪れる。ジョーがパトリックの後見人にリーを指名していたことを知ったリーは絶句する。弁護士は遺言の内容をリーが知らなかったことに驚きつつ、この町に移り住んでほしいと告げる。弁護士の言葉でこの町で過ごした記憶が鮮明によみがえり、リーは過去の悲劇と向き合わなくてはならなくなる。

 なぜリーはこの町を出ていったのか? なぜ誰にも心を開かずに孤独に生きるのか? リーはこの町で、パトリックと共に新たな一歩を踏み出すことができるのだろうか?

=====ここまで。

 ケイシー・アフレックが本作でオスカーを受賞したけれど、セクハラで訴えられてケチがついたのが話題に、、、。


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 ブログ更新がだんだん緩慢になっていて、この間、映画を全く見ていないわけではなく、ただただ怠慢なだけで、今月は色々書きたいことも溜まっており、またちゃんと更新しよー、と思っていた矢先、先週の西日本豪雨、、、。遠く離れた東京にいる身でもショックが大きく(正直なところ、311と同じくらい精神的に堪えた感じさえある)、PCに向かう気持ちになかなかなれず、、、。私が唯一コメントを書込みさせていただいているたけ子さんのブログ「まつたけ秘帖」の更新も4日からない今、気が気でないのだけれど、とにかく、自分の気持ちを建て直す取っ掛かりが欲しくて、また更新することにしました。

~~~~~~~

 これも公開時に見に行きそびれたのであった、、、。


◆粗暴な男になったリー。

 マンチェスター、というから、てっきりイギリスのお話かと思っていたら、アメリカの話でビックリ。画面も全体に灰色がかっていて、いかにもイギリスみたいな風情だったのに、ボストン郊外の港町だと、、、。

 とにかく、ケイシー・アフレックが終始、暗い。現在と過去が入り交じって描かれているけど、過去のシーンも、対比にしてはあまり“陽気なリー”という感じでもない。確かに、友人達と遊んだり、酔っ払って妻にムリヤリ覆い被さったりしているけれども、ちょっと屈折している感がある。

 どうやら、亡くなった兄のジョーは、いわゆる優等生タイプだったらしく、リーとしてはどことなく劣等感を抱いていたんだろう、という過去のシーンの描写だったように思う。二人の両親の話があまり出てこなかったように思うが(見逃しただけかもだけど)、リーが屈折していたんだとしたら、恐らく両親の兄弟への接し方に遠因があったのだろうという気がする。でも、ジョー自身はイイ奴だったから、リーは救われていたのかな。……そんな印象を受ける、過去の兄弟の描写と、リーの雰囲気だった。

 しかし、現在パートのリーは、もう100%真っ暗で、屈折とかそういうもんじゃない。何なの、この人、、、と思って見ていると、中盤でその理由が明かされる。

 つまり、自分の不注意で家を全焼させてしまい、娘2人と生まれたばかりの息子1人を焼死させてしまったってこと。不注意ってのも、酔っ払って、夜中にさらに飲もうと、暖炉の火が危ないと分かりつつ放置してビールを買いに行った、、、という、もう言い訳のしようもないレベル。この一件が、リーをここまで暗く、人を寄せ付けない男にした、ということらしい。それで、妻とは離婚し、マンチェスターの街からも去ったのだ。

 否応なく、その忌まわしい記憶の消えない街に戻ってきたリーは、喧嘩っ早く、人に因縁付けては殴り掛かるという、割と分かりやすい荒れ方の描写で、なんだかなぁ、、、という気もするが、まあ、自分が逃げ出した街に嫌々戻ってきて、昔みたいに友人知人と接することなど出来るわけはないのは、当然と言えば当然だろう。

 甥っ子の行く末を決める過程で、リーも、自分の過去と強制的に向き合わされることとなり、リーの人間としての変化が、終盤にかけて描かれていく。


◆哀しみを抱えて生きること。

 ある映画評で、リーは、結局、甥っ子を知り合いの養子にして、マンチェスターに残らず、元の生活に戻るという決断をしたことについて、“結局、彼は何も成長しなかった、逃げるだけの人生を選んだ”みたいなことを書いているものがあった。

 果たしてそうだろうか。確かに、彼はマンチェスターに残ることはできなかった。だからといって、それを、成長しない、逃げている、と断じて良いのか。

 人間、そんなに強い生き物だろうか。強い人もいるだろうけど、そこまで強くない人がいたっていいだろう、と思う。リーは、そこまで強くなかったのだ、ということ。そして、それは非難されることではない。

 いつまで引きずってんだよ、いい大人がしっかりしろよ、……そんな上っ面な言葉は、ここでは意味がない。哀しみとは、その人にしか、その哀しみの深さは分からないし、それが一生続く哀しみであったとしても、一生哀しみを持ち続けたとしても、それを他者が、“愚かだ”“逃げてばかりだ”“現実を見ろ”と言うのはお門違いも甚だしい。その人にとって、その哀しみに浸ることが哀しみを和らげることだって、あってもいいでしょ。そういう哀しみの癒やし方があったっていいでしょ。

 前出の映画評はプロの評論家が書いていたものだけど、本作を見終わって改めて、ずいぶんと浅いモノの見方で呆れてしまった。というか、その評論家氏には、哀しみは乗り越えるべきものでしかないのだろうね、きっと。乗り越えられない、乗り越えたくない哀しみもあるんだ、ってことを、肌感覚で分からないなんて、それこそ可哀想な人だと思う。

 本作は、味わい深い良い映画だと思う。特に、終盤、元妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)と偶然会ったときのシーンが、胸が詰まった。事故直後、ランディはリーを激しく責め詰ったけれども、今はとてもそれを後悔していると涙ながらに打ち明け、ほとんど号泣しながら「今もあなたを愛している」と告白するのだ。今、こうしてそのシーンを思い出すだけでも涙が浮かんでしまうが、ここでも、リーは涙を流すことはなく「その一言で救われた」とだけ言い残し、立ち去る。

 リーにとって、あの一件は、生涯背負っていきたいことなのだ。忘れられない、のではなく、忘れたくないのだと、私はそのシーンを見て強く感じた。それでいいじゃないの。その生き方は、間違っていないと思う。


◆セクハラ騒動雑感。

 それにしても。折角の良い作品なのに、主演のケイシーにセクハラ騒動なんて、とんだミソが着いたもんである。本作とは関係ないが、セクハラについて少し。

 ケイシーと被害者の間で示談が成立した、ということは、恐らく、セクハラと認定される事実はあったのだろう。それを、ケイシー自身がセクハラと認識した上での示談成立かどうかは分からないが。ただ、今年のアカデミー賞授賞式で、プレゼンターを辞退したときの「セクハラ騒動で注目が自分に集まるのは不利益になると考えた」とのコメントを読むと、まあ、セクハラと認定されたことを不満に思っている、あるいは、否定しているのだろう。

 事実はどうなのか分からないが、恐らく、世間の男性の多くは、「女たちが騒ぎすぎ」と感じているのではないか。そして、女性の中にも同様に感じている人たちは少なくないだろう。

 セクハラは、受け手の主観で決まるので、訴えられた方にしてみれば、こっちこそ被害者、と言いたくなるのは、まあ、分からないではない。

 が。

 少なくとも、相手が「明らかなOKの意思表示」をしていないのにもかかわらず、「勝手に」相手の言動を自分に対する「好意」と脳内変換し、そこまでならまだ良いとして、挙げ句に、一気に飛躍して、性的な発言をしたり、相手の身体に許可なく触れたりするのは、これは、もう客観的に見てもセクハラなんですよ。「明らかなOKの意思表示」って何だよ? と思うかも知れないが、それは、相手が「あなたのことを好きです」「スキンシップorキスorセックスしてもOK」と、ハッキリ言葉にして伝えてくれることである。この、互いの意思確認をすっ飛ばして、「多分……だろう」という手前勝手な勘違いで、いきなり行動に移す人たちが多いのなんの。

 「イヤよイヤよも好きのうち」なんてのは、根拠のない伝説なのよ。「イヤよイヤよはホントにイヤなの」ってこと。

 とにかく、セクハラは、パワハラの一種で、自分より“重い存在”の人間には絶対に起きない現象。相手をナメているから生じる言動なわけだ。被害者は女とは限らないし、加害者が男とは限らない。皆が、他者に対し尊重する気持ちを持てば防げることなんだけどねぇ。簡単そうだけど、、、、まあ、なくならないだろうね、多分。人間は、それだけ、自分を相対化して生きているってことだわね。一種のマウンティングってヤツでしょう。

 そんなつもりはなくとも、自分も陥る可能性はあるのだから、気をつけねば。

  






人生は、哀しみでできている。




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エル・クラン(2015年)

2018-07-01 | 【え】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1983年アルゼンチン。裕福なプッチオ家は父と母、5人の子どもたちと幸せに暮らしていた。

 ある日、二男が通う学校の友達が誘拐され、姿を消す。以降、金持ちだけを狙った身代金事件が多発し、近所の住民たちが不安な毎日を送っていた。

 そんな中、プッチオ家の主のアルキメデスは、妻の作った夕食をなぜか2階にある鍵のかけられた部屋に運ぶという不審な動きをしていた。

=====ここまで。

 実話が元ネタで、アルゼンチンでは知らない人はいない事件らしい、、、。


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 公開当時、見に行きたかったんだけど行きそびれた本作。まあ、DVD鑑賞で正解だったかな、、、。でも、アルゼンチンでは大ヒットしたらしい。予告編は異様に明るい仕立てだけど、内容は陰惨そのもの。ぎょえ~、、、。


◆ものすごい杜撰な犯行に唖然、、、。

 プッチオ家は、つまり、ほぼ一家総出で身代金目的の誘拐をしていたのです。誘拐に関わらなかったのは、三男のギジェと、二女のアドリアナだけ。実際の事件では、アドリアナも関わっていたっぽいが、よく分からない。

 本作で描かれている誘拐事件は、3件+未遂1件。実際はもっとやっていたのかどうか、それもイマイチ分からないけど、まあ、そんだけやってりゃ十分でしょ。

 この誘拐を主導していたのは、一家の主、アルキメデス・プッチオ。退役軍人らしい。……というか、この話は、アルゼンチンの独裁政治が終焉を迎え、曲がりなりにも民主国家に移行したことが大きな背景にある。つまり、アルキメデスは、軍人としてお役御免になることを見越して、生きる術として“誘拐事業”を思い付いた、ということのようだ。そこで、誘拐を思い付く、ってのがもう尋常じゃないんだけど、まあ、だからこそ全国民が知る事件にもなり、こうして映画にもなったわけだ。

 で、アルキメデスは、長男でラグビーのスター選手であるアレハンドロと共謀し、アレハンドロのチームメイトで金持ちの息子を誘拐し、なんと自宅の2階にあるゲスト用(?)バスルームに監禁する。上記あらすじにある「アルキメデスは、妻の作った夕食をなぜか2階にある鍵のかけられた部屋に運ぶという不審な動き」ってのは、人質に食事を運んでいたってこと。

 そこで人質に自筆の手紙を書かせ、生きている証拠として身代金を巻き上げると、あっさり人質を殺してしまってビックリ。確かに、あんな誘拐の仕方をしたら、生きて返せば絶対にアレハンドロが疑われるわなぁ、、、と思って見てはいたのだが、あそこまであっさり殺してしまうとは思わなかったから、唖然としてしまった。もとより、最初から殺すつもりだったわけだ。

 ほかにも、地声で脅迫電話掛けちゃったり、身代金を堂々と取りに行ったり、、、まあ、大胆というのか、杜撰というのか、こんなんで捕まらないのか? と、日本に暮らす我々は一様に不思議に思うが、これも、軍事独裁政権の名残が濃い社会だからこそ、なのかも知れない。実際、終盤には、アルキメデスの元上司と思しき大佐とかいうオッサンから電話があり「もう庇いきれん」とか言われているシーンがある。つまり、プッチオ家がやっていることはこの大佐によって隠蔽されていた、ってことかしらね。

 とにかく、どれもこれも、荒っぽく人質を拉致してきて、地声で脅迫電話を掛け、大金を巻き上げたら、人質を殺して捨てる、、、というやり方を繰り返していたプッチオ家の人々。本作では、妻(学校の先生!!)や、娘達の関与はあまり描かれていないが、実際はバッチリ関与していたらしい。

 プッチオ家が割と絵に描いたような良き家庭だったから、誘拐事業とのギャップがニュースになったんだろうけど、当時のアルゼンチンでは誘拐はゴマンとあったらしい。


◆卑劣漢アルキメデス

 それにしても、私が本作を見て驚いたのは、家族で誘拐という犯罪を生業にしていたことではない。そんな映画は、他にもたくさんある。

 何が驚いたって、アルキメデスのその人と成りである。中盤までは、家族を守るため(養うための責任感から)の誘拐ビジネスか、と思われたのだが、大間違いだった。このオッサン、もう、トンデモ爺ィなんである。

 どうトンデモかというと、家族のためでも何でもない、ただただ、自分の生きるため、自分の身を守るために、一連のことをやっていたのである。こんな自己チュー爺ィ、あんまり映画でもお目に掛かった記憶がない。犯罪を生業にしている家族の長は、概ね浪花節で、家族のために自己犠牲的な感じが多いという印象があるんだけど、このアルキメデスは違う。

 長男のアレハンドロが、もう誘拐なんかしたくないと、次の計画から抜けると宣言する。で、アレハンドロ抜きで誘拐を実行したところ、見事に失敗する。すると、アルキメデスは、アレハンドロの所に殴り込みに行って、首を窒息寸前まで締め上げて「てめぇのせいで失敗した! 白昼失敗した! 父親に対してなんてことしやがったんだてめぇ!!」みたいな(もっと酷い罵り方で)ことを吠え立てるのである。そこには、父親としての顔などなく、ただただ、自己チューな爺ィの顔があった。

 終盤、遂にプッチオ家は御用となる。アルキメデスは、弁護士や判事に「私はゲリラに脅されてやっただけだ」等と言って飽くまで潔白を主張するが、何しろ地声の脅迫電話やら証拠が満載なので、そんな言い分は認められるはずもない。判事にも「お前が罪を認めれば家族は救える」と言われ、普通のゴッドファーザーならば、一身に罪を被って家族を解放させる、というものだろうが、アルキメデスは違う。

 留置場でのアルキメデスとアレハンドロのシーンが、もうおぞましいというか、不快指数100%。アレハンドロにアルキメデスは「明日の公判では否認する。看守に殴られて仕方なく自供したと言う。殴られた証拠の傷を作るために、お前、オレを殴れ」と言うが、当然アレハンドロは拒む。すると、そこでアルキメデスがアレハンドロに浴びせる言葉が、もう、卑劣極まりないのである。

 言ってみれば、自己保身のためなら、どんな卑劣なことでも平気で実行するのである。息子に恩に着せまくり、脅迫し、思考停止させて、自分の言いなりにさせるためなら手段を選ばない。自分の身が安泰になれば、息子に嘘をつかせようが、さらなる罪を重ねさせようが一蓮托生、構わないのである。

 ……なんか、どっかの国のソーリダイジンを見ているようであった、、、ごーん。

 というか、私の母親そっくりで嫌になった。もちろん、私の母親はこんな大それた犯罪をやらかすことはないが、我が娘を思い通りに支配するため、恩に着せ、脅迫し、思考停止させるというのは、全く同じ手法なのである。だから、アレハンドロが、その後、アルキメデスをボコボコにしてしまった気持ちは痛いほど分かる。そして、恐らくそう仕向けるためのアルキメデスの罵詈雑言であったのだろうことも、また不快指数が上がる要素だ。


◆その他もろもろ

 アルキメデスは、軍の会計士であり、外交官であったようで、きっと頭は非常に良い人なんだと思う。実際、この事件で刑務所に入っている間に弁護士資格を取得し、刑期を終えたら、弁護士として活躍した、ってんだから、、、、ボーゼン、、である。再婚もして、出獄後はそれなりの生活をしていたみたいだ。

 アルキメデスを演じたギレルモ・フランチェラという人は、アルゼンチンのコメディ俳優らしい。このアルキメデス、瞬きをしないのである。ブルーの瞳なんだけど、見開いたような目で、相手や状況をじっと凝視するのが、ものすごく不気味というか、気持ち悪いし、不自然。でも、その演技が、この爺ィのイカれっぷりを表わしていて素晴らしい。

 本作では、長男のアレハンドロは、嫌々アルキメデスに協力していた、という感じだったが、実際には積極的に関わっていた様である。ただ、捕まってから精神的に異常を来したのは事実らしく、それはそれで気の毒ではある。……が、被害者のことを思えば、それも自業自得といったところか。

 アレハンドロに可愛い彼女が出来て結婚しようとして、アレハンドロ自身の人生を送ろうとすると、アルキメデスは「親を捨てるのか!」と息子を締め上げ、牙を剥いた。結局の所、頭は良いが、卑劣極まりない一人の男のせいで、家族みんなが犠牲になったというプッチオ家の悲劇を描いていたのだと思うと、コメディタッチの演出ではあるが、その根底に流れるのは極めて陰惨で、切ないものである。

 アレハンドロは、49歳で亡くなっている。アルキメデスは弁護士になって再婚して長生きしたけれど。








プッチオ家の一員に生まれたことがアレハンドロの悲劇だった。




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