映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ある男(2022年)

2023-05-27 | 【あ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74754/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 弁護士の城戸(妻夫木聡)は、ある女性から亡くなった夫、大祐(窪田正孝)の身辺調査を依頼される。

 依頼者である里枝(安藤サクラ)は、離婚を機に子どもと故郷へ戻った際に大祐と出会い、再婚して幸せに暮らしていたが、不慮の事故で彼を亡くしてしまう。悲しみに暮れるなか、法要に訪れた大祐の兄、恭一(眞島秀和)が遺影に写る男を見て、「これは弟ではない」と告げたことで、夫がまったくの別人であったことが判明。

 依頼を受けて亡くなった男の正体を追う城戸は、衝撃の真実を知る。

=====ここまで。


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 先日、3泊4日で台湾へ行ってまいりました。めっちゃ過密スケジュールで体力使いましたが、楽しかったです。……で、行き帰りの飛行機の中で、この映画を見ました。機内であんまし集中力を要する映画は見られないタチだし、本作は、原作者の平野啓一郎氏のTwitterで存在を知っていたので、まぁ見てみるか、、、という感じで選んだ次第。

 原作未読ですが、これ、日本アカデミー賞(賞価値の是非はともかく)で何部門も賞を獲っているらしく(平野氏もTwitterでお喜びだった)、その時点で邦画界のレベルの低さを如実に物語っていると頭が痛くなりそうです。

 ……というわけで、本作をお好きな方は、この後お読みにならない方が良いです(読まれる場合は自己責任でお願いします)。悪意はありませんが、かなり悪口になっていますので。


◆小説と映画は別物と考えられない監督なのか。

 見終わってから知ったのだが、本作の監督は、あの『蜜蜂と遠雷』の石川慶で、その名前を見てちょっと納得したというか、あぁ、、、と思った。というのは、本作の監督は、原作モノを映像化するのがかなり下手くそだという印象で、『蜜蜂と遠雷』も同じだったからである。

 私が一番??と思ったのは、ヘイトスピーチの映像が何か所か挟まれていたところ。これ、多分、原作はきちんと意味のある話になっているのだと思うが、本作では完全に浮いていて、まったく意味のないシーンとなっている。城戸が在日三世であることに絡めて、、、だろうが、だから何だ?である。というか、在日三世として被差別者である、という城戸のアイデンティティは、本作全般に全く活かされていない。

 なので、それに絡む柄本明の怪演も、全然生きておらず、ただただゲームのラスボス的な印象ばかりが目立ってしまっている。

 さらに、ヘンと言えば、城戸のような人権派弁護士が、ああいう女性を妻にするだろうか?ということにメチャクチャ違和感があった。ああいう女性というのは、簡単にいうと、チャラい外見まんまのちょっと頭悪い、、、というか、想像力の乏しい女である(演じているのは真木よう子でハマっているのだが、妻夫木と夫婦役ってのも、単純に違和感がある)。この妻・香織は、成金の娘のようで、苦労知らずっぽいが、あまりにも城戸とは人間としての素地が違い過ぎる。こういうキャラ設定、原作でもそうだとしたら、、、ちょっと平野氏、いろんな意味でヤバいと思う。

 というわけで、意味深なラストシーンも、城戸のアイデンティティがゼンゼン効いていない、ただの妻の浮気問題に矮小化されてしまい、オチになっておらず、シナリオとしては非常に稚拙であると感じた次第。平野氏はこんなシナリオでホントに納得しているのかね?……まあ、原作者の本音など知る由もないことだが。

 結局、人間のアイデンティティって何なんだ、、、ってのが本作のテーマなんだろうが、残念ながらそれはほとんど見る者に伝わってこないよね。見る側も、これはミステリー? 社会派ドラマ? 何映画?? という感じの戸惑いはずーーーっと感じながら見ることになったんじゃないかしらん。

 原作モノを映像化する場合、やはり、思い切って削ぎ落とすところを決めて、縦糸をきちんと決めないと、こういうヘンテコで薄っぺらい作品になりますよ、、、という典型的な映画になっている。


◆その他もろもろ

 日本人は、戸籍で人となりが定義付けられているわけだが、戸籍が別人と入れ替わったら、その人は別人になっちゃうのか、、、?と言えば、ならないわけで、人間って何なんでしょうね?……ということなんだろうけど、結局、人間は一人一人ラベリングせざるを得ないわけで、名前だってその一つ。

 親が犯罪者で、その消しがたい汚点を消すためならば戸籍さえ誰かと交換したいと思うのも、、、まぁ、ありなのかね。むしろ、仲野太賀が演じていた本物の大祐みたいに、借金取りから逃げるため、、、とかの方が分かる気がするなぁ、私は。戸籍で親の存在を消したところで、自身の中にその血が流れているのは変えられない。それが身体全体を搔きむしりたくなるほど嫌だと言っていた窪田正孝演ずる偽大祐の行動として、どうもね、、、。

 役者さんたちは皆さん熱演で頑張っておられたが、妻夫木くんは、こういう反骨・知的職業の役には向いていないような。演技力の問題ではなく、顔に険しさやピリッとした感じがないもんね。もうちょっとソフトな路線の方が合っていると思うなー。童顔だし、大人の男の役はかなりハードルが高いと見た(妻夫木くんのファンの皆様すみません)。

 あと、どうでもよいことだけど、小籔千豊の役って必要? 尺に制限のある映像作品においては、いなくて良いキャラはいない方が良い。原作でどういう役目を与えられていたのか分からないけど、少なくとも本作内では何ら存在意義のない、いなくてよい役だった。

 

 

 

 

 

 


もっとシナリオをブラッシュアップすべき。

 

 

 

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聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年)

2023-05-13 | 【せ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79820/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 聖地マシュハドで起きた娼婦連続殺人事件。「街を浄化する」という犯行声明のもと殺人を繰り返す“スパイダー・キラー”に街は震撼していた。だが一部の市民は犯人を英雄視していく。事件を覆い隠そうとする不穏な圧力のもと、女性ジャーナリストのラヒミは危険を顧みずに果敢に事件を追う。

 ある夜、彼女は、家族と暮らす平凡な一人の男の心の深淵に潜んでいた狂気を目撃し、戦慄する——。

=====ここまで。


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 何かの映画を見に行った際に、チラシを見て「こりゃ見たい、、、」と思って、監督名を見たら、あの『ボーダー 二つの世界』アリ・アッバシ。これは見るしかないでしょ、、、と、内容に気が滅入りながらも(じゃあ見るなよ、、、というツッコミはナシで)劇場まで行ってまいりました。


◆戦慄のラストシーン

 娼婦は汚れた女だから抹殺して街を浄化することが神の意志である、、、って文字で書いているだけで気が狂っていると感じるのだが、そう感じない人々がいるらしい。

 だいたい、娼婦が汚れた女って言うけど、娼婦だって相手が居なきゃ商売が成り立たないわけで、つまり、娼婦を買う「男たち」がいるから、彼女たちの身体はその男たちに消費され続けているわけなんだが。そんなに娼婦を一掃したいなら、買う男たちを一掃しろよって話。需要供給曲線なんだよ。何で売る方ばっかし罰することしか頭にないのか。

 日本の売春防止法も、売春する側(=女)は犯罪者扱い、買う側は不問、、、という長いことえらく非対称な法律であった(一昨年改正されて、「困難な問題を抱える女性支援法」として今年4月施行)。これも、本作の背景にある思想と、根っこは同じだろう。

 売春防止法が改正された背景は、売春に至る理由として、貧困やDV等があって、売春する側は生きるための最終手段として身体を酷使する労働に着かざるを得ない、、、ということがあるからだ。それは、本作で殺された娼婦たちもまったく同じであり、おそらく古今東西共通のものだろう。そういう根本的な問題を解消せずに、事象だけ追ったところで、世の中から娼婦はいなくなりませんよ、、、ってことが、ようやく日本でも認識され始めたようである。

 本作はミステリー要素はなく、犯人は早い段階で分かるのだが、殺す場面をストレートに描いておりグロくはないが残虐である。犯人サイードは、殺す相手をバイクで物色して探し、ターゲットを定めるとその女性をバイクの後部席に乗せて、何と自宅に連れて来る。隙を見て、女性が被ることを義務付けられているヒジャブを奪い取って、それで娼婦たちの首を絞めて殺すという方法を繰り返す。

 ある女性のときは、殺した後に予定より早く妻が帰宅してしまうのだが、サイードは絨毯に女性をくるむという雑な方法で女性の遺体を隠し、その横で、妻とセックスに及ぶという、、、まさにグロテスクなシーンもある。

 警察の捜査も杜撰なのかなかなか犯人は捕まらないが、あまりにも同じパターンで殺人が繰り返されると、世間の注目度も下がって来る。新聞で事件の扱いが小さくなると、サイードは売店の店主に「何で事件の記事が載ってないんだ!」とかイチャモンつけてるんだが、文句言う相手違うやろ、、、と内心ツッコミ。結局、サイードは、神の意志なんか関係なく、自己顕示欲を満たすために娼婦殺しを繰り返していただけってことだ。

 そういうサイードの内面もじわじわと描かれていくが、イラン・イラク戦争での従軍経験が背景にあるとされている。そこでも大した働きをすることができず、国はよくならなかったし、自分の暮らし向きも良くならない。自身の存在意義を否定されたような感情に、動機の根っこがあるということらしい。

 ……何であれ、結局、自分より弱い者を暴力で黙らせるしかできない、小心者の卑劣漢でしかないのだが、それが如実に描かれるのが終盤。どういうシーンかは敢えて書かないけど、こんな風に描くなんて、やはり、アッバシ監督はメチャクチャ意地悪である。判決どおりに死刑になっても、誰も救われないし、見ている者も全くカタルシスは得られない。

 しかも、その後のラストシーンで、さらにアッバシ監督の曲者ぶりを見せつけられる。彼は、おそらく、故国イランを愛憎半ば、どちらかと言えば嫌悪しているのだろう。公式HPの彼のインタビューで「連続殺人犯の映画を作りたかったわけではない。私が作ろうと思ったのは、連続殺人犯も同然の社会についての映画だった」と言っている。ラストシーンは、まさにこの言葉通りのものとなっていて、何とも後味が悪い。


◆「連続殺人犯な社会」に生きるということ。

 で、私が気になったのは、これだと、本作を見た人たちはイランを嫌いになってしまうんじゃないか、、、ってこと。特にラストシーン。

 確かに、ヒジャブがきっかけで殺人事件まで起きている国であるから、正直なところ、あまり良いイメージはない。けれども、歴史を見れば、何もネガティブな感情ばかりに支配されるものではないし、宗教や文化、社会風習等というものは、外からはなかなか理解できない部分も多いのが当たり前である。

 そうはいっても、実際にあった事件を元ネタにした映画、、、という宣伝文句では、これがリアルだと思ってしまう観客は少なからずいるはずだ。

 アッバシ監督は、某全国紙のインタビュー記事で「この映画がイラン社会そのものを象徴していると受け止めないで。フィルムノワールだ」と言っているが、それはなかなか難しいだろう。イスラーム映画祭のTwitter(リンクは貼りませんのでご興味ある方は検索してください)でも、懸念のツイートがされていて、そらそーだよな、、、と思ったもんね。

 ミソジニーは、何もイスラム社会に見られる特徴ではなく、世界中に程度の差はあれ存在するのであって、むしろ、潜在化している一見リベラルな社会の方がタチが悪いかも知れないわけで。

 ただ、アッバシ監督が言うとおり、「社会」が「連続殺人犯も同然」というのは、本作でよく描かれており、その辺は受け止め方で賛否も分かれるところだろう。先のイスラーム映画祭のTwitterも「露悪的」と書いていたけれど、、、。

 サイードが犯人であることを突き止める女性ジャーナリスト・ラヒミを演じたザーラ・アミール・エブラヒミが素晴らしかった。現実にはあんなことは難しいと思うが、イランでも多くの女性たちが闘っているのも事実。日本で声を上げるのだって、とんでもない風当たりなのに、ラヒミはその象徴として描かれてもいたのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 


イラン、一度は行ってみたい国。

 

 

 

 

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私、オルガ・ヘプナロヴァー(2016年)

2023-05-10 | 【わ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv80342/


以下、イメージフォーラムHPより本作紹介のコピペです。

=====ここから。
 
 1973年、22歳のオルガはチェコの首都であるプラハの中心地で、路面電車を待つ群衆の間へトラックで突っ込む。この事故で8人が死亡、12人が負傷する。オルガは逮捕後も全く反省の色も見せず、チェコスロバキア最後の女性死刑囚として絞首刑に処された。

 犯行前、オルガは新聞社に犯行声明文を送った。自分の行為は、多くの人々から受けた虐待に対する復讐であり、社会に罰を与えたと示す。

 自らを「性的障害者」と呼ぶオルガは、酒とタバコに溺れ、女たちと次々、肌を重ねる。しかし、苦悩と疎外感を抱えたままの精神状態は、ヤスリで削られていくかのように悪化の一途をたどる・・・。

=====ここまで。


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 2016年制作の映画が、2023年になってようやく日本で公開されました。……ということは、私が再見を願ってやまない『執事の人生』(2018)もまだ日本での公開を期待して良いのでしょうか、、、。

 それはともかく、上記の文を読めば、日本人なら誰もがあの秋葉原事件を思い出すと思うのですが。連休合間の平日サービスデーに見に行ってまいりました。満席でした、、、ひょ~。


◆他人を意図せず不快にさせてしまう人。

 セリフ極端に少ない、音楽なし、モノクロ、、、という、ドキュメンタリーっぽいテイストで、淡々とオルガが犯行に至るまでが描かれる。モノクロがいかにも当時のチェコの世相を表しているみたいに思える。

 冒頭の母親とのシーンがいきなりのハイブロー。オルガが薬物過剰摂取による自殺未遂を起こすのだが、病院から帰るなり母親は彼女に言う。

 「自殺するには強い意志がいる。お前には無理、諦めなさい」

 なんかもう、これだけでどよよ~~~~んとなって、最後まで(予想どおりではあるが)復活することなく、鑑賞後はめっちゃ重い足取りで帰路についたのだった、、、ごーん。

 我が子が自殺するほど生きることに絶望している状況で、その本人に向かってこのセリフが言える母親って、怖い。まあ、私の母親も似たような感じなので、驚きはしなかったけど、やっぱし言われた方の気持ちになってかなり落ち込だ。オルガがこれを言われてどう感じたのかは、正直、スクリーンからは分からない。もしかすると、私と同じで「あー、やっぱね」くらいに受けとめたかもしれない。それくらい、オルガは無表情なので感情が読み取れないのである。

 しかしながら、オルガという女性、気の毒なんだけど、本人にはほぼ罪はないのだが、ただ本人が普通に行動しているだけで周囲に敵意を抱かせる人って、、、、実はいるんだよね。オルガはまさにそれだと思う。

 私はイイ歳になって、初めてそういう人に職場で遭遇した。私自身も彼女・N子(当時30歳くらい)のことは好きではなかったものの、関わらなければ別に何も感じなかった。が、N子が言うには、満員の通勤電車に“ただ乗っているだけ”で、隣に立っていた若い男性にいきなり傘の持ち方が悪いと怒鳴られたり、駅のホームを“ただ歩いているだけ”で見ず知らずのオジサンに因縁を付けられたり、、、ということが割とよくあると。通勤途上で起きることが多く、相手は100%男。出社してグチを聞かされることが何度かあった。「私は何もしていないのに、、、」が口癖で、確かにそうなんだろうなと思った。

 けれども、私はN子がそういう目に遭う理由が、何となく分かっていた。オルガの独特の直線的な歩き方を見ていてN子を思い出したくらいなんだが、N子も脇目も振らずにズンズン歩いて、途中で見かけて「おはよう」とか声を掛けても聞こえないのか返事がない。かと思うと、これもオルガと同じで、ちょっと話を聞いてくれたり優しくしてくれたりする人には距離感がおかしくなる一方で、その人に少しでも拒絶的な言動をされると、その人とはもう一切関わろうとしなくなるのである。

 ……まあ、ぶっちゃけて言うと、失礼なヤツと誤解されやすい、クセが強くて可愛げがない、、、って感じですかね。こういうのは、人に指摘されて直せるものじゃない。

 だから、私はオルガに「ほぼ」罪はない、と書いた。罪はないが、周囲はオルガの意志に関係なく不快感を覚えさせられるという意味。

 オルガには、友人もできる。けど、長続きしない。相手に嫌われて終わる。これは、本人にしてみればキツいだろう。傍目にはその理由が何となく分かるのだが、肝心の本人がまったく理解できないのは、悲劇としか言いようがない。

 オルガの母親は娘を嫌ってこそいないものの、多分、、、やっぱりどうしようもなくイラっとする存在だったのだと思う。で、オルガは家を出て、掘立て小屋のようなところで独り暮らしを始める。冬は寒いだろうと、母親はストーブを運び入れ「これでも寒いだろうから、冬の間だけでも帰って来たら」と言うが、オルガは頑として独り暮らしを貫く。

 ちなみに、N子は父親とは険悪だったみたいだが、母親とは仲良しで、祖母のことも慕っていた。まあ、だからオルガみたいに世間を恨むことにまではならずに済んでいたのかも、、、知らんけど。


◆オルガのマニフェスト

 オルガは自殺未遂をするものの、その後は、思考を拗らせて、最終的に事件を起こす前に、“マニフェスト”を書いて新聞社に送る。そこには、こう書かれていた。

「私は破壊された女だ。人によって破壊された女……私には選択肢がある……自分を殺すか、他人を殺すか。私は自分の憎しみに報いることを選択する。無名の自殺者としてこの世を去るのは、あまりにも簡単なことだ。社会はあまりにも無関心だ。当然だろう。私の評決はこうだ。私、オルガ・ヘプナロヴァーは、あなたの残虐性の被害者として、お前たちに、そして自分自身へ死刑を宣告する」

 人知れず死んで行ってなるものか、、、というところか。確かに、事件を起こしたことで彼女は映画として描かれ、歴史に名を刻んだとも言える。ひっそり自殺していたら、そうはならなかった。

 で、思い出すのが秋葉原事件なのだが、大分前に中島岳志著『秋葉原事件―加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を読んだのだが、詳細は忘れてしまったけど、やはり母親が強烈な人だったと記憶している。オルガの母親とはちょっとベクトルの向きが違うが、大きさで言えば負けず劣らずと言ったところではないか。加藤も、事件を起こすまでのことをネット上で言葉に残しており、オルガとはレベチではあるものの、彼なりに思考を拗らせて行った様が伝わって来たのは覚えている。行き着くのは、世間への憎しみで、オルガと同じだ。

 オルガにしろ、加藤にしろ、彼らの承認欲求がもうほんの少しでも満たされていたら、、、。ただ、オルガの場合は、70年代でなく、現代に生まれていれば、もう少し生き易かったのではないか。ロシアに蹂躙されたチェコで“あるべき姿”という鋳型に嵌められることがなければ、ここまで彼女は自身を拗らせる必要もなかったし、今のヨーロッパならば彼女を受け入れる場所はあったはず。時代のせいにしてしまえばそこで話は終わってしまうが、オルガの場合は、70年代の独裁政権下だったというのは二重の不運であったことは確かだと思う。

 オルガを演じていたのは、『ゆれる人魚』(2015)『マチルダ 禁断の恋』(2017)のポーランド出身、ミハリナ・オルシャンニスカ。チェコ語をマスターしたのかと思いきや、彼女のセリフは吹き替えとのこと。全然分からなかった、、、。


 

 

 

 

 

 


ミハリナの眼の演技が素晴らしい。

 

 

 

 

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セデック・バレ(2011年)

2023-05-07 | 【せ】

作品情報⇒第一部 太陽旗https://moviewalker.jp/mv50313/
第二部 虹の橋https://moviewalker.jp/mv50314/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
《第一部》台湾中部の山岳地帯で暮らす狩猟民族のセデック族は、自然と共存する一方、戦った相手の首を狩るという風習を持っていた。1895年に日清戦争で清が敗れると、台湾に日本軍が押し寄せ、彼らは独自の風習や文化を捨て、日本人として生きる事を余儀なくされる。それから35年、日本人警官との衝突を機に、彼らは武装蜂起を決意する。

《第二部》セデック族が連合運動会が行われていた霧社公学校を襲撃した。突然の出来事に多くの日本人が命を落とし、日本政府はすぐさま鎮圧にかかる。セデックの人々と友好関係を築いていた警察官の小島は妻子を殺されて激怒する。一方、優秀な成績で学校を卒業し、日本名を与えられたセデック出身の花岡一郎と二郎は両者の間で葛藤する事に。

=====ここまで。


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 最近、胃腸の調子がイマイチで、かかりつけ医に薬出してもらってのんでいるのですが、かれこれ1か月以上も続いていて、先日足してもらった薬がここに来てちょっと効いているみたいです。早く治して、好きなものを躊躇なく食べられるようになりた~い! ……というのも、もうすぐ台湾に行く予定だからです。弾丸ツアーですけど、、、。美味しいものがいっぱいある台湾に行くのに、胃腸が、、、とか言ってられない。

 というわけで、行く前に泥縄予習中でして、その一環として本作を見ました。大東和重著『台湾の歴史と文化 六つの時代が織りなす「美麗島」』(中央公論新社)という本を読んだら、その中で本作のことが書かれており、TSUTAYAにあったのでDVDを借りて見てみました。

 ……想像以上にエグい事件で、ちょっと見た後落ち込みました。


◆霧社事件

 本作のベースとなっているのは、霧社事件(むしゃじけん)という、日本が台湾を統治していた1930年(昭和5年)に実際にあった事件。先住民族であるセデック族が起こした抗日反乱事件で、前述の書籍にも簡単な概略の説明があったので、かなり凄惨な事件だということは知った上で見たのだけど、想像以上で愕然とした。

 一部・二部と合わせて4時間半くらいあり、もちろん、一気に見たわけではない(精神的に一気に見るのはキツ過ぎる)。内容は上記あらすじのとおりで、霧社事件の複雑さがよく分かるように作られていた。

 台湾は親日だとか耳にすることもあるが、本作などを見れば、それはもの凄く一面的であることが改めてよく分かる。どこの国の民が、よそから来た者たちに統治されて喜ぶだろうか。そんなことは少し考えれば分かることである。ましてや、セデック族は、首狩りの風習があることから“野蛮だ”と決めつけられて、台湾人以上に差別されたというから、このような蜂起が起きるのも道理というもの。

 首謀者とされるモーナ・ルダオは、族の中のある部落の長で、部落の者たちが耐えかねて日本に対する蜂起を訴えても「放棄した後殲滅されてもいいのか?」と言って皆を鎮めていたのだが、ある日、部落で行われていた結婚式の場で、日本人の警察官とトラブルが起き、暴動の一歩手前の状態になってしまったことを機に、日本の報復を恐れて「ここに至っては、もう蜂起するしかない」となる。

 事件の始まりの描写は凄惨そのもので、日本人たちの運動会が行われている場に、ルダオ率いる族の一団がなだれ込み、日本人を片っ端から容赦なく斬殺していく。女も子どもも容赦ない。いきなり首を刎ねてしまうシーンもあり、グロさはなかなかのものだった。

 第一部は蜂起が一段落し、ルダオがこの後のことを思い天を仰ぐシーンで終わる。


◆死を覚悟の蜂起ではあったが、、、

 第二部は、日本による徹底掃討作戦が描かれるが、セデック族の奮闘ぶりが凄まじく、映画なのでデフォルメがあるだろうが、あの身体能力に、日本の軍隊がかなうはずはないだろうな、、、と見ていて思った。

 族にしてみれば、日常の生活圏であるジャングルを縦横無尽に裸足で自在に駆け回り飛び回る。一方の日本軍は、けものみちを辛うじてよたよた進むのが精いっぱい。当然、樹上から矢や銃弾の嵐を浴びて、部隊は全滅する。また、峡谷にかかる吊り橋を、日本軍が渡ってこられないように落とすシーンがあるが、その力強さに圧倒される。

 業を煮やした日本軍は毒ガスを使用するなどして、最終的には制圧するものの、日本人や軍の損失も甚大なものとなった。

 首謀者ルダオは、部落民らに「あとは好きにしろ」と言い残して、自らは姿を消してしまう。まあ、捕まれば拷問・虐殺だろうから、尊厳ある最期を、、、ということだったのか。どのような最期だったのか明確な描写ないが、自決したのだと思われる。遺体も、死後かなり経ってから見つかっているらしい。

 ルダオ以外の戦闘で生き残った者たちの多くは、自決して果てて行く様が執拗に描かれる。逃亡の途中で女性たちが一斉に首を吊るシーンは、ちょっと見ていられなかった。その場所に、戦闘後の男たちもやって来て首を括る、、、とか、もう言葉もない状況。

 本作は、台湾制作で(日本人俳優も結構出演している)あり、日本人の描写に容赦ないが、これが実態だったのだろう。

 こういう映画を見るまでもないが、いかに、他国を力で押さえつけることが理不尽で命の無駄遣いであるか、無力感に襲われるばかり。これも歴史の一幕に過ぎないと言えばそれまでだけど、前述の書籍を読むまで私はこの事件のことを知らなかったので、台湾に行く前に知って良かったと、つくづく思った次第。

 

 

 

 


セデック族の入れ墨(成人の証)の模様が印象的。

 

 

 

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地獄愛(2014年)

2023-05-05 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv62744/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 シングルマザーのグロリア(ロラ・ドゥエニャス)は、友人に勧められ出会い系サイトで知り合ったミシェル(ローラン・リュカ)と会うことに。すぐに激しく恋に落ちるが、彼は寂しい女性を夢中にさせて欲求不満を満たし生計を立てる結婚詐欺師だった。

 ミシェルの正体を知ってもなお彼を愛し、きょうだいと偽って彼のそばで詐欺の手助けをしていくグロリア。しかし募らせた嫉妬心が暴走し、グロリアは女性を殺してしまう。

 さらにグロリアとミシェルはとどまることなく狂気をエスカレートさせていき……。 

=====ここまで。


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 前回の「変態村」に続き、“ベルギーの闇3部作”の第2弾。 

 これ、元ネタがあったということを、本作を見るに当たって初めて知った次第。“ロンリー・ハーツ・キラー事件”と言われているらしいが、これをネタにした映画は既にいくつか作られていて、1970年制作の『ハネムーン・キラーズ』、2006年制作の『ロンリーハート』が知られているみたい。『ロンリーハート』では、この狂気のカップルを、トラボルタとサルマ・ハエックが演じているというのだから、面白そうかも、、、。

 で、本作は、それらのリメイクではなく、元ネタが同じというだけの別作品。

 「変態村」でも受難の男を演じていたローラン・リュカが、本作でも巻き込まれ結婚詐欺師役。本来なら、結婚詐欺師は巻き込む側のはずだが、この事件の場合は、巻き込まれちゃったというのがこの元ネタの異常さ。相手が結婚詐欺師と分かっても、なお、その男に着いて行く女、、、。

 グロリアは、ミシェルと出会う前は、友人に出会い系サイトを勧められても気乗りしない様子だったのに、ミシェルに会って一晩寝たら激変。その激変っぷりが、ちょっと見ている方の想像を超えるレベルで着いていけない。

 いや、詐欺師なのに何で?というツッコミもあるだろうが、まあ、そこは詐欺師でも好きになっちゃったなら仕方がないかな、、、と一応、想像の範囲内なんだが、それにしたってあそこまで熱狂的に一人の男に惚れるって、正直、スゴいなぁ、、、と感嘆してしまう。そこまでハマれる男に出会ったこと、、、ないもんね。

 ミシェルは詐欺以外に能がない男なので、生きるために詐欺師を続けざるを得ない。真っ当な仕事などいまさら出来ないわね、あれじゃ。で、詐欺師なので、口が上手い。だから、全然本心じゃなくても、カモの女に甘い言葉のシャワーを浴びせることなど朝飯前である。ミシェル自身が「セックスも仕事のうち」と言っているとおり、それは、あくまで“お仕事”なんであるが、グロリアはそれを頭では理解できても、感情のセーブが効かないのである。ミシェルがカモの女とイイ雰囲気になると、我慢できなくなってカモを殺しちゃう。

 最初の殺人の後、遺体処理シーンがなかなかの衝撃である。グロリアは哀しそうな顔をして歌を歌い終えたかと思うと、でっかい解体用の糸鋸をニュッと振りかざして、ギーコギーコと遺体の足を切断し始めるという、、、シュールかつ悪趣味な画であった。切断箇所にはボカシが入っていたけど、、、。

 一度殺しちゃうと、後はもう歯止めが利かなくなるのか、簡単に殺してしまう。

 正直、なんだかなぁ、、、と思いながら呆れて見ていたが、最後の被害者を殺しちゃうシーンは、ハッキリ言って凄く嫌悪感を抱くものだった。今、思い出しても胸クソ悪い、、、。ミシェルが少女を逃がしたのがせめてもの救い。

 もちろん、2人は最終的に捕まることを予感させる終わり方なのだが、後味はかなり悪い作品だと思う。

 元ネタのカップルは分からんけど、本作のグロリアはミシェルを愛していたというよりは、ひたすら独占したかったんじゃないのかね。……というか、失うのが怖くてたまらなかったのだろうね。一度夫を失う経験をしているからか、ミシェルを失ったら、、、と考えると発狂しそうになるくらい怖かったんだと思う。実際、発狂してるしね、、、あんなおぞましいこと何度も、、、。

 一方のミシェルはというと、グロリアが殺人を犯すたびにパニくるのだが、一時的で、とにかく先のことを考えることが出来ない人なんだと思う。人を騙すことには長けていても、場当たり的で、グロリアと一緒に行動を続けるとどうなるか、、、ってことを考えられない。考えるのがメンドクサイ。成り行きに任せればいっか、、、みたいな思考の人。グロリアが荒れ狂っていると、“いないいないばぁ”みたいな子供だましでなだめようとする辺り、この男の底の浅さが知れる。

 ラストの被害者になる女性には、ミシェルはかなり本気になっていたように見受けられ、グロリアに何かを入れた飲み物をしきりに飲ませるシーンがあったので、私はてっきり少量ずつ毒を盛って自然死に見せかけてグロリアを始末しようとしているのだと思って見ていた。……が、結果的には、グロリアに飲ませたのは一時しのぎ的な睡眠薬で、女性とセックスする時間稼ぎをしたかっただけのようであるし、グロリアに脅されて自ら女性を手に掛けるという、、、あんまし好きな言葉じゃないけどほかに思いつかないから使っちゃうけど、“クズ”である。

 ある意味、お似合いのカップルとも言えるが、殺された女性たちにしてみれば、ひどい災難である。

 まあ、ごちゃごちゃ考えることを拒絶するようなオハナシではあるが、こんなカップル、どう見ても狂っているし、理解はできんけど、本人たちとしては確かに“どうしようもない愛”なのかも知れない。そういう意味では、このタイトル「地獄愛」は、まさに的を射たものであると、またまたこの邦題に感心してしまった次第。

 

 

 

 

 


第3弾の「依存魔」は、ちょっと時間をおいてから見ようかな。

 

 

 

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コメント (6)
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