映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~モスクワ(ロシア)その⑩~

2020-04-25 | 旅行記(海外)

**赤い首都**

関連映画:『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』(1999)

『ラブレス』(2017)

その⑨につづき

 いよいよ最終日。旅に出るといつも思うが、過ぎてみればあっという間。

 

朝7:20のモスクワ。ホテルの窓から

 

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 【6日目のスケジュール】~クレムリンとグム百貨店、帰国の途

(前日行けなかった)ノボデヴィッチ修道院 → クレムリン(ウスペンスキー寺院 → 大砲の皇帝 → 鐘の皇帝 → 武器庫)→ 赤の広場 → グム百貨店(&昼食)→ 空港


 
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 最終日の朝食。パンケーキが美味しかった。ジャムはアプリコット。この日のジュースはこけももジュースはやめて、オレンジジュースに。シリアルも美味しかった。……嗚呼、もう遠い昔みたいな気がするなぁ。

 


ホテルのロビー

 

ホテル全景(バスの中から)

 

 出発は8:30。まずは、前日、大渋滞で予定が変更になり行けなかったノボデヴィッチ修道院へ。ホテルからはバスで15分くらい。

 

修道院そばの発電所

 

 こちらは、モスクワ市の暖房にかかる集中発電所とのこと。このおかげで、どの建物も中はとても暖かいのね、、、。

 この近くでバスを降り、歩いてすぐのところに池があり、その対岸に修道院が。1524年にスモレンスクがモスクワ大公国に併合されたのを記念して建てられた女子修道院。ここの墓地には、チェーホフやショスタコの墓もあるという。

 


ノボデヴィッチ修道院

 

 池は薄く凍っている様子。例年の冬なら、もっと厚く氷が張っているんだろうなぁ。こちらは入館予定はないので外から眺めるだけだったのだが、工事中で全景が見られないかも、と言われていたのだけれど、十分美しい外観を眺められただけでもラッキーだったのかも。

 再び、バスに乗って、いよいよクレムリンへ。子供の頃、ソ連からのニュースっていうと「ハイ、こちら、モスクワのクレムリン前です!」などと、特派員(今はあんまり言わないですね、これ)という人が言っていて、それが耳にこびりついているんだが、クレムリンとは固有名詞ではなく、城・城塞の意味で、ロシアのあちこちにクレムリンはあるということ。でも、私の中では、クレムリン=モスクワ(というか赤の広場)、なんだよねぇ。

 バスを降り、国立図書館の脇を通り、、、

 

国立図書館。銅像はドストエフスキー

 

 セキュリティチェックを受けて、メインの出入り口である、クタフィア塔~トロイツカヤ塔へと向かう。

 

トロイツカヤ塔

 

城壁の隙間から、、、

 

兵器庫の前に並ぶ大砲(ナポレオンから奪取したものらしい)

 

国立クレムリン宮殿(中には大きなイベントホールがあるらしい)

 

国立クレムリン宮殿前から聖ワシリー寺院を臨む(左の黄色い建物は大統領府)

 

大統領府(元老院)

 国旗が揚がっているからと言って、プーチンがいるとは限らないのだそうだ。
 

ウスペンスキー大聖堂と大砲の皇帝

 

大砲の皇帝とパトリアーシェ宮殿。弾の方が大砲の筒より大きい、、、

 

 この大砲は、1586年に作られたブロンズ製で重さは40トン。もちろん、これまで一度も発砲されたことはない。

 

大クレムリン宮殿

 

 こちらは、1894年に焼失した歴代皇帝の宮殿跡に建てられたもの。一般公開はされておらず、現在は、外国要人等との会見に使われているとのこと。

 

クレムリンからモスクワ川を臨む

 

 で、この後、ウスペンスキー寺院内へと向かう。

 

 

 

 

フレスコ画の数々

 

 ウスペンスキー寺院(大聖堂)は、地震により倒壊した後、1479年に再建されたという。地震……?? ロシアでも、大聖堂が倒壊するような大地震があるの??とビックリ。サンクト・ペテルブルクでは、絶対に地震はないから、塔が土台に固定されていない、ってナターシャさんは言っていたのに!

 皇帝の戴冠式や総主教の葬儀にも利用されたそうで、クレムリンの中心に建っている。イタリア人の建築家が設計したとのこと。

 この後、武器庫へ。この武器庫とダイヤモンド庫は、特別の予約が必要なんだそうで、元々は、ダイヤモンド庫を見学する予定だったのだけれど、昨年末くらいに旅行会社から「ダイヤモンド庫はツアー見学禁止になった」とのお知らせが、、、。で、代わりに武器庫へご案内します、ということになったわけ。

 武器庫というから、武器が一杯陳列してある博物館かと思うが、そうではなくて、全部で9室からなる歴史博物館である。ロマノフ朝時代の衣裳や馬車、王冠などの宝飾品、中でもインペリアル・イースターエッグがウリ。エカテリーナ2世が実際に着用していたドレスなども展示されていた。

 宝飾品など、贅を尽くした品の数々は目の保養になるのは確かだが、……まあ、これでもか、っていう展示品の数々で、ハッキリ言ってかなり疲れる。おまけに撮影厳禁なので、画像は1枚もない。武器庫だけで、1時間半くらい見学していたのではないかしらん、、、。

 

イワン大帝の鐘楼

 

鐘の皇帝

 

 1735年に作られた、高さ6.14メートル、重さ200トンの「世界最大」の鐘。鋳造中の事故で割れてしまったんだとか。

 

アレハンゲルスキー大聖堂

 

 

 

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 この後、グム百貨店に行く途中で、土産物屋に立ち寄り。まだマトリョーシカをゲットしていないから、良いのはないかなぁ~と物色。あんまり大きくなくて、でも一番小さいマトリョーシカにもちゃんと丁寧に絵付けされているもの、、、と思って探すと、意外に顔が気に入らなかったり、模様が気に入らなかったりで、見付からない。

 でも、パッと見て一目で気に入ったのに出会いました!

 

 

 正確な値段を忘れてしまったんだけど、確か、5,000円弱くらい。ちょっと高いなー、と思ったけど、他に似たようなのもないし、色もちょっと珍しいし、何より、この子に呼ばれた気がしたので、これはご縁だと思ってゲットしました。

 ちなみに、お店の方にもらった案内によると、一番小さいマトリョーシカに願いを込めながら行きを吹きかけ閉じ込めておくと、願いが叶うと言われているのだって。ただし、願いが叶うまで開けてはいけないと。願い事なんて、、、、この歳になるともうそんなもんないんだけど、今なら、早くコロナが収まりますように、、、とかかしら。

 

グム百貨店外観

 

グム百貨店内部、吹き抜けが明るくて素敵

 

 実は、グム百貨店では、あまり時間がなく、昼食込みで自由時間が1時間弱だった。本当は、いろいろお店を見て回りたかったんだけど(別に買いたい物があったわけじゃないが)、お昼を食べて、ちょっと見て回って集合時間になってしまった。

 

 

 バイキング式のお店で、あれこれ欲張ってしまったのも時間がなくなった要因の一つかな。これで、555ルーブルだから、1,000円ちょっと。白い飲み物は牛乳ではなく、ヨーグルトドリンク。濃厚すぎて、食事のお供には向いていない。でも、その他は全て、すごく美味しかった。デザートのフルーツも。

 

 

 ワシリー寺院に別れを告げて、バスへ。

 嗚呼、楽しかった、ロシア!! 大好きになったよ、ロシア!!! ありがとう、ロシア!

 

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 帰りの飛行機は、17:00発のJAL422便。時期が時期だったせいか、やや空いている感じだった。行きと同じく、隣はいなくてラッキー。

 

 

 このご飯にチキンカツの乗ったメインは、ハッキリ言って、イマイチだった、、、。味がない、というか、塩忘れたんじゃないの?という代物。まぁ、あんまりお腹空いていなかったから別に良いのだが。お味噌汁は、やっぱり美味しかった。

 映画は、『ドクター・スリープ』を見たんだけど、なんかもう、全然キューブリックの『シャイニング』とは別物の思いっきりB級な、しかも全く怖くない“なんちゃってホラー映画”になっていて、疲れているのも手伝ってか、ボーゼンとしてしまった。ユアン・マクレガーって、どうしてこうB級映画ばっかし出てるの?? 原作者のキングは、こういう方がお気に入りなのかね? 私は、断然キューブリック版が好きだわ。

 

 

 到着2時間前に出た朝食。ハムチーズサンド。ビックリするぐらい、パンが美味しくない。大丈夫か、JAL、、、。

 定刻(8:35)より大分早く、8時過ぎに成田に到着するが、行きのモスクワでの機内検疫もなく、さっさと降ろされる。それはまあ良いのだが、驚いたのは、入国審査の前にも後にも、サーモカメラも何もなく、完全にフリーだったこと。呼び掛けすらない。まるで警戒心がないこの入国審査体制に、こっちの方が怖くなる。大丈夫か、日本、、、。

 ……と危惧したとおり、あれから一月後には、オーバーシュートだなんだと騒ぎ出した。その後の展開も含め、今の状況があるのも当たり前だろ、、、としか思えない。

 

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 というわけで、稚拙なロシア旅行記はこれで終わりです。長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~モスクワ(ロシア)その⑨~

2020-04-19 | 旅行記(海外)

**赤い首都**

関連映画:『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』(1999)

『ラブレス』(2017)

その⑧につづき

 ちょっとザワつく中、パンとスープが出て来たんだが、落ち着かない感じで食べたせいか、パンは美味しかったんだけど、何のスープだったかあんまし記憶にない、、、。

 

 

 で、10分も経っていないくらいだったと思うけれど、アンドレさんが入ってきて、続いて迷子のご姉妹が現れ、皆、おぉ……!って感じで拍手が、、、。妹さんの方が「どうもお騒がせしてすみません」とおっしゃって、お姉さん共々、深々頭を下げておられたけれど、まあ、ともあれご無事で良かった。

 ……ってことで、メインのロールキャベツをいただく。

 

 

 ご覧のとおり、野菜たっぷりで、中身の肉はみっちりだったけど、味もさっぱりで美味しかった。かなりボリュームがあったけど、さっぱり味のおかげで完食。

 

 

 デザートは、砂糖たっぷりのドーナツ。中にはクリームとかは何も入っていなくて、見た目よりしっとりしていて美味しいのだが、甘い上に、既にロールキャベツで結構お腹がいっぱいだったこともあり、1つは残してしまった。

 で、この後、店を出てバスに戻りながら、例のご姉妹が、迷子の顛末を教えてくれた。

 修道院を出るときに、お姉さんがどうしても買いたい物があるということで、売店でほんの1~2分買い物をしたので、ちょっとツアーの列から遅れてしまった。けれど、列の最後尾の男性はちゃんと見えていたので、大丈夫と思っていたらしい。でも、そこでお姉さんが何かに躓いて転びそうになり、妹さんが支えて、やれやれと顔を上げたところ、最後尾の男性の姿が影も形も見えなくなっていた!! 小走りで行けば何とかなると思って、急いで最後に男性の姿を見た辺りまで来たけれど、もう誰も何も見えなくなっていて、完全にはぐれてしまった、、、ということらしい。

 困ってウロウロしていたら、パトカーとおまわりさんが見えたので、ロールキャベツが美味しいことで有名なお店なら、きっと聞けば教えてくれるに違いないと思い、妹さんは(ロシア語は話せないのでやむなく)英語(?)で「ロールキャベツ! ジャパニーズツーリスト!!」と連呼したんだとか。……ま、当然まるで通じなくて、心当たりの旅行会社に電話して問い合わせてくれたらしい。……ということをしているところに、アンドレさんとL子さんが探しに来て、事なきを得た、、、んだとか。

 妹さんの話し方が面白くて、笑ってしまった。「ロールキャベツ! ジャパニーズツーリスト!!」を連呼したってのが、みんな爆笑だった。ロールキャベツって、そもそも(多分)和製英語だろうし。そう言われたロシアのおまわりさんが困惑する様子が何となく目に浮かぶ。でも、ちゃんと旅行会社に問い合わせてくれるなんて、なかなか親切ではないか。

 そう、今回の旅行ですれ違ったロシアの方々は、皆、親切だったなぁ。愛想はないんだけど、聞けば、ちゃんと説明してくれるし、分からないなりに伝えようとしてくれる。スマホの翻訳機能を使って教えてくれた店員さんもいたし。怖いオバサンもいるにはいたけど。私も、旅行中の外国人には親切に応対しよう、と改めて思った。


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 この後、モスクワへバスで戻ったのだけれど、途中、ものすごい渋滞していて、モスクワに着くのが予定より大分遅れてしまった。私は、途中まで爆睡していたのだけど、目が覚めたら、全然バスが動かないのでびっくり。抜けてみて分かったけど、工事による渋滞だったみたい。

 予定より1時間以上遅れてしまった様なので、当初の予定にあったノボデヴィッチ修道院は明日訪れることになり、赤の広場へ向かうことに。

 「赤の広場」は、共産主義の「赤」ではもちろんなく、もっと古い時代から「赤の広場」と呼ばれていて、「美しい広場」という意味。ロシア語では「赤い」は「美しい」の意味だと、アンドレさん。

 

モスクワ中心部。高級店が立ち並ぶ(バスの中から)

 

 

劇場と老舗ホテルメトロポール

 

赤の広場前。まだ、クリスマスの仕様

 

こちらは翌日訪れる予定のグム百貨店

 

クレムリン。こちらも明日訪れる予定

 

 

 いざ、世界遺産の聖ワシリー寺院へ。対モンゴルの勝利を記念して1560年にイワン雷帝によって建てられた。中心の塔の高さは46メートル。9つの塔からなり、別名ボクロフスキー聖堂とも呼ばれる。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 中は、思った以上に狭くて、階段も人一人がやっと上れる幅しかない感じ。上階まで行くと、こちらの方々が、、、。言ってみれば、聖歌隊のおじ様たち。前回の記事で書いたとおり、ロシア正教は音楽に楽器を使用せず、全て声楽でアカペラ。このおじ様たちも、この後、その美しい歌声を披露してくれた。

 で、いたく気に入ってしまって買ったのが、こちらのCD。

 

 

 1,550ルーブルだから、3,000円ちょっとくらいなら、まあそんなに高くないし、こういうのはここでしか手に入らないから即買い。帰ってから早速聞いたんだけど、宗教音楽だけじゃなくて、あの有名な「カリンカ」を始めとしたロシア民謡や舞曲、チャイコの曲など、21曲も収録されていてなかなか聴き応えがある。今のように、暗いニュースばかりで気が滅入る夜など、ボリュームを抑えて聴くには癒やされてちょうど良い。 

 次に訪れたのは、救世主キリスト教会

 

 1883年にナポレオンのロシア侵攻を阻止した祖国戦争勝利を記念して建てられたのだが、革命後、スターリンによって1931年に爆破(!!)された。この建物は、それ崩壊後の2000年に再建されたもの。高さ103メートルという偉容は昔のままらしい。内部の撮影は禁止。

 

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 夕食は、宮殿レストラン。……なんだが、せっかくの宮殿といわれるその建物、もう着いた頃には真っ暗で、写真を撮ったものの、全然使いものにならないものばかり。

 

 

 食べかけの美しくない皿画像でスミマセン。こちらは、サラダ代わりなのか、冷たい野菜ピラフ、って感じだった。味は悪くないけど、かなりボリューミィ。

 


 

 

 鶏のカツ。ちょっとお疲れ気味で、あんまし覚えていないんだが、デザートもあったはずなのに、なぜか画像がない。撮り忘れたみたい。

 たまたま、迷子のご姉妹と同じテーブルになって、いろいろお話を聞いた。お姉さんからのお誘いで、ロシアなんか全然興味なかったんだけど、エルミタージュの「大使の階段」の画像に一瞬で心奪われて来てしまった! んだとか。お姉さんは、これまでアジア各地やモンゴル、南米などにも行かれていて、かなりの上級ツーリストらしい。「迷子なんて不覚だわ!!」とおっしゃっていたのが可愛かった。

 この後、バスでホテルへ戻って、明日はいよいよ帰国日ってことで荷物をまとめるなどして、早めにベッドへ。

 

ホテルの窓から

 

 いよいよ明日は最終日。

 

 

その⑩へつづく

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復讐するは我にあり(1979年)

2020-04-16 | 【ふ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv18777/

 

 榎津巌(緒形拳)は、金欲しさから2人の男を殺し、そのことで指名手配をされたと知ると、逃亡中のフェリーから投身自殺を偽装する。さらに、詐欺を働きながら逃亡を続ける途中で、3人の男女を殺した挙げ句に逮捕され、当然のごとく死刑を宣告される。

 5人を殺害した西口彰事件を題材にした佐木隆三の同名小説の映画化。

 

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◆緒形拳の主演映画を見たくて、、、

 見ている最中から、もうとにかく、濃くて熱くて、酔っ払いそうだった。緒形拳は言うに及ばず、出ている役者さんは漏れなく印象的で存在感を発揮し、最初から最後まで画面にエネルギーが満ちあふれ、その熱気に当てられて、我を忘れて見入ってしまう。 

 今村昌平監督作は、『赤い橋の下のぬるい水』『うなぎ』の2本しか見ていないが、正直なところ、あんまり好きじゃない。まとわりつく空気感というか、登場人物たちがみんなじっとり汗をかいている(実際汗をかいているという意味じゃなく)ようで、見ていて息苦しくなってくる感じがする。だから、積極的に見ようと思わなかった。

 でも、『おろしや国酔夢譚』『火宅の人』といった緒形拳の映画を最近見て、他の緒形拳出演映画が見たくなった。本作は、TVで見ていると思っていたのだが、ちょっと記憶と違う気がしたのでネットで検索してみたら、NHKのドラマ「破獄」と混同しているっぽい。ドラマでは、何度も脱獄する囚人を緒形拳が演じているが、そのときのオレンジ色の囚人服がかなり記憶に残っていて、今回、本作を見てそんなシーンは全くなかったので、ハレ、、、?と思ったのだった。西口彰事件は何度もドラマ化されているし、そういうのと記憶がごちゃ混ぜになっていたのかも知れませぬ。

 本作は、私が抱いている西口彰事件のイメージとはかなり違っていて、それもそのはず、私の事件に対するイメージは西口彰がどうやって掴まったかに焦点を当てたドラマによって形成されており、本作とはそもそも切り口が全く異なっているのだから。巌が犯した罪を描きながら、巌を取り巻く人々を始めとした背景をねっとりと描いている本作は、事件の再現ドラマよりも遙かに陰惨で恐ろしかった。


◆巌と鎮雄の父子関係

 巌は、本作の中でも5人の男女を殺害しているが、男3人の殺害動機は単純で金欲しさか口封じ(というか存在が邪魔になったから)であり、女2人に関しては恐らく、成り行きだろう。殺された女2人というのが、小川真由美演ずる連れ込み旅館の女将・ハルと、清川虹子演ずる殺人の前科があるひさ乃。ハルを何となく殺したくなって絞め殺した結果、ひさ乃も殺さざるを得なくなったというところではないか。

 殺された方からすれば、こんな理由で命を奪われちゃたまらんのだが、巌は警察に対する供述にもあるとおり「結局、殺す方が面倒じゃない」っていう程度の認識でしかない。

 実際、最初の2人の男性を殺すときの巌の様子は、確かに必死で凄まじいのだが、何というか、、、例えが悪いのは承知だが、部屋に現れたG(夏場に現れる黒光りする虫)を私が殺すときのそれに近いというか、、、。とにかく今ここでこいつを亡きものにしなければダメなんだ!という信念めいたものに突き動かされていて、必死でどうにかGを仕留めた後、ゼイゼイしているのも同じ。

 当然、そこには殺生をしていることの罪悪感など微塵もない。むしろ、仕留めた後は、「あー、やれやれ。これでGが部屋をウロウロしないから枕高くして寝られるゼ!」という達成感すらある。そして、男たちの殺害を果たした後の巌にも、その達成感に似たものを見て取れる気がした。何しろ、殺害するときに手に着いた被害者の血を、自分の小便で洗い落とすのである。あまりにも衝撃的なシーンで、唖然となった。

 巌がこういうことをするに至った背景の一つに、父親・鎮雄(三國連太郎)との確執があるという描かれ方がされているが、どうしてここまで拗れたのかは、正直なところ今一つ分からない。ただ、鎮雄が中盤、巌に言う「お前のようなクズには父親は殺せん。そんなことは端から分かってる」の言葉に2人の関係性は集約されている。つまり、男ならば誰もが通る“精神的な父殺し”が出来ないまま、巌は大人になってしまったってことだ。

 終盤にも、刑務所の面会室で父子の壮絶なやりとりがある。

巌 「あんたはおいを許さんか知れんが、おいもあんたを許さん。どうせ殺すなら、あんたを殺しゃよかったと思うたい」
鎮雄 「ぬしはわしば、殺せんたい。親殺しのでくる男じゃなか」
巌 「それほどの男じゃなかっちゅう訳か」
鎮雄 「恨みもなか人しか、殺せん種類たい(巌の顔面に向けて唾を吐く)」
巌「ちきしょう。殺したか。あんたを!」 

 結局、巌は5人も殺しておきながら、父親を精神的に殺すことさえ出来ない、かなり気弱で小心な男なのだ。このシーンとは別に、中盤でも父子が巌の妻・加津子(倍賞美津子)の前で言い争いになる。このときに、鎮雄に言われたのが「お前のようなクズには父親は殺せん」であり、殺せるものなら殺してみろと、巌は鎮雄から斧を手渡されるのだが、その際の緒形拳演ずる巌は明らかに鎮雄に気圧されており、斧を手にして怯んでいるのが隠せないほど性根が据わっていない。まあ、親にそんな風に出られたら、大抵の子は怯むだろうが、、、。しかし、大抵の子は人を5人も、どころか1人だって殺さない。……ようやく気を取り直して斧を鎮雄に振り上げようとしたものの、それを自分より非力なはずの加津子に制される。このシーンは、象徴的である。

 こういう巌の性質を見抜いていたのが、最後は巌に殺されてしまうひさ乃だ。ひさ乃自身、人を殺したことがあるから、、、だろうが、「本当に殺したい奴、殺してねぇんかね?……意気地なしだに、あんた。そんじゃ、死刑ずら」と、巌に言っている。自身は、殺したいヤツを殺したから悔いはないとまで言っている。恐ろしい会話だが、このシーンは、本作でも印象的なシーンの一つ。

 巌が“精神的な父殺し”を出来なかったのは何故なのか、それは知る由もないが、この父子の関係は、一般的な男親と息子の関係よりも、女親と娘の関係に似ている気がした。娘はどんなに母親を“精神的に”棄てたいと思っても、なかなか棄てられないものなのは、私自身が経験しているからよく分かる。精神科医の斎藤環氏によれば、息子は父でも母でも案外あっさり“精神的に”棄てられるものらしい。

 まあ、それが真実かどうかはさておき、鎮雄と巌の父子に関しては、クリスチャンという信仰も大きく影を落としている。鎮雄は敬虔なクリスチャンで、巌は信仰に生理的な拒絶感があったか、あるいは父親ほどの信仰心を持てないことで劣等感を植え付けられたか、、、あるいは、鎮雄の信心と言動の矛盾(加津子に抱く欲望)を目の当たりにして信仰の欺瞞に耐えられなかったか、、、まあ、そのどれもあるのかも知れないが、信仰のない父子関係よりかなり屈折しているのは間違いない。

 巌が東大の教授を騙ったり、弁護士を騙ったりするところを見ると、相当のコンプレックスも感じられる。そういう肩書きを身に纏うことで、かりそめに承認欲求を満たし、自己愛を慰めていたのだろうか。巌には、何人殺しを重ねても、決して自暴自棄な感じは見受けられないのも、何とも薄ら寒いものを感じる。実際、死刑になることを「不公平だ」と巌は言っており、生への執着もかなり強いのだ。

 緒形拳の演技が凄すぎて、見ているときは納得させられた気になるが、後から考えると、色々と分からないことだらけである。


◆その他もろもろ

 緒形拳が凄いことについては、繰り返しになるから書かないが、やっぱり凄い。

 鎮雄を演じた三國連太郎が、正直言って、気持ちワルイと感じた。それくらい三國も凄かったということなんだけれど、何考えているか分からない感じがして、非常に不気味でキモい爺さんにしか見えなかった。加津子が鎮雄に惹かれる理由が、私にはゼンゼン理解できなかった。いくら夫がああだからって、、、そういう気持ちになるもんだろうか??

 フランキー堺とか、北村和夫、火野正平、河原崎長一郎といった、アクの強い俳優陣も大勢ご出演。

 小川真由美も倍賞美津子もアッパレな脱ぎっぷりで、さすがだと感動した。もちろん、脱いだシーンだけでなく、2人ともかなり厳しい環境に置かれている女性なんだが、小川真由美演ずるハルと、倍賞美津子演ずる加津子は対照的なキャラで、流されるままのハルと強い意志で生きる加津子のキャラの違いが、巌との関係性の違いに繋がっている。

 それにしても、このお2人を始め、若尾文子、岡田茉莉子、加藤治子、加賀まりこ、梶芽衣子、大原麗子、松坂慶子、、、挙げればキリがないけど、昭和の女優さんたちには、ホントに素晴らしく魅力的な人が多かったなぁ、、、。最近の女優さんとは、もう顔つきも雰囲気もゼンゼン違うもんねぇ。最近の女優さん(の多く)は、女優というよりタレントだもんね。顔はキレイだけど、どうも似たような顔つきのような。小川真由美と倍賞美津子なんて、ルックスも雰囲気もまるで違って、似ても似つかぬけれど。

 でも、私が一番印象に残ったのは、何といっても、清川虹子とミヤコ蝶々のお2人。清川虹子は前述のとおり、殺人の前科持ちで、娘を旅館のオーナーの妾にして、その娘に寄生して生きているという、凄まじいオバサンを、凄まじい演技で見せてくれる。いやぁ、、、もう、圧倒されます。緒形拳も真っ青な存在感。ミヤコ蝶々は、嫁に気もそぞろな夫に対し、密かに嫉妬心を燃やすという複雑な役どころ。一方では、息子の巌を溺愛していて、女としても母親としても満たされない老女を実に巧みに演じておられました。出番は少ないのに、存在感たっぷり。

 その後、何度かドラマ化されたのも見たが、やっぱり迫力不足なのは否めないが、この俳優陣を見れば、そりゃしょうがないよね、と思った次第。

 

 

 

 

 

 小川真由美と清川虹子の浜松弁がイイ。「~だに」って自然に言ってるのが味わい深い

 

 

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~モスクワ(ロシア)その⑧~

2020-04-11 | 旅行記(海外)

**赤い首都**

関連映画:『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』(1999)

『ラブレス』(2017)

その⑦につづき

 このツアーも残すところ、あと2日。モスクワに移動したので、関連映画も変更しようと思ったのだけれど、モスクワ舞台の映画というと、『ラブレス』くらいしか思い付かないので、やはり、ロシアに興味を持った切っ掛けになったであろう『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』を挙げておきます。

 

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 【5日目のスケジュール】~セルギエフ・ポサート、赤の広場

セルギエフ・ポサート 世界遺産トロイツェ・セルギエフ大修道院 → 昼食 → モスクワへ戻る → ノボデヴィッチ修道院 → 聖ワシリー寺院 → 救世主キリスト教会 → 宮殿レストランにて夕食


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 こちらのホテルの朝食も、サンクト・ペテルブルクのホテルと同じくらいの充実ぶり。グラスのオレンジ色のジュースは、もちろん、こけももジュース。ハムやサーモンに隠れて見えにくいのだが、チーズが美味しかった。

 L子さんとたまたま同じテーブルになり、話題はやはり新型コロナウイルスのことに。L子さんが言うには、このツアー出発直前に、すわロシア入国拒否!!というデマが旅行業界に流れたらしく、慌ててL子さんも大使館に確認の電話を入れたという。すると、拍子抜けするほど普通の様子で「そんな話はありません」と、にべもなかったとか。

 でも、正直なところ、私もその可能性は大いにあると思っていたし、そうなっても仕方がないなー、くらいに諦めモードではあった。今振り返ってみれば、あの時期(2月最終週)はもう本当にぎりぎりのタイミングだったのだと、改めて思う。L子さんとの会話も、まだ余裕があった。


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 セルギエフ・ポサートまではバスで1時間半ほどあるということで、この日の集合は7:45と少し早め。

 

ホテルを出発したところ(バスの中から)

 

 ご覧の通りの曇天。サンクト・ペテルブルクよりは、やはり少し寒い。中央の建物はスターリン様式の、今は確か博物館だとアンドレさんは言っていたような気がする。こういうスターリン様式の建物を見ると、ワルシャワを思い出す、、、。

 評判の悪いスターリンだが、スターリン様式の建物は、壁がものすごく厚くて、夏涼しくて冬暖かいように出来ているらしい。

 

モスクワ方面渋滞中(バスの中から)

 

 スターリンといえば、共産主義時代、モスクワやサンクト・ペテルブルク市民たちは郊外に皆、“別荘”をタダで国からもらったんだとか。この話については、サンクト・ペテルブルクでナターシャさんからも聞いた。

 別荘といっても色々で、アンドレさん曰く、多くは“小屋”みたいなものだとか。共産主義時代に、農民たちの不満をかわすために、郊外に結構広い土地を与え、そこで野菜等を作って自給自足が可能になるようにしたという。大戦後の食糧難をどうにか乗り切ることが出来たのは、多くの国民が自給自足していて辛うじて飢えをしのぐことができたからだと。

 今のロシア人たちは、平日をモスクワやサンクト・ペテルブルク等の都会で過ごし、週末は郊外の別荘に行って、田舎暮らしを楽しむという。この別荘のことを「ダーチャ」といい、詳しくはwikiに解説があるので、ご興味のある方はそちらをどうぞ。

 

視界狭し、、、

 

 雪は降っていないのだけれど、霧がかっている道をひたすら行き、9時過ぎに、目的地セルギエフ・ポサートの世界遺産トロイツェ・セルギエフ大修道院に到着。
 

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 このセルギエフ・ポサート(ガイドブックによっては、ポサードと表記されている)は、「黄金の環」の一つ。黄金の環とは、ガイドブックによれば……

「モスクワ北東に点在する古都群で、首飾りのように円を描いて点在することから“黄金の環”と呼ばれる。黄金に輝く教会を中心の城塞(クレムリン)が築かれ、イワン雷帝(4世)が中央集権体制を構築するまでロシア諸公国の首都として栄えた。ロシアにおける精神文化、芸術、建築等の源が形成された地域として知られている」

とある。黄金の環の中で最もモスクワに近く、城壁に囲まれたトロイツェ・セルギエフ大修道院をはじめ、教会、聖堂が建ち並ぶ宗教都市。つまり、トロイツェ・セルギエフ大修道院は、この町の中心的な場所なのだ。

 


修道院の入口へ

 

 バスを降り、少し歩く。少しだけど雪が残っていて、ようやく冬のロシアに来たんだ~~、と視覚的にも実感できた。このトロイツェ・セルギエフ大修道院は、正式には「至聖三者聖セルギイ大修道院」と日本語訳されるようで、至聖三者とは「三位一体」のこと。1425年、聖セルギイによって設立されたロシア正教でも重要な修道院だ。

 

修道院入口

 

入口通路壁画には聖セルギイの生涯が描かれる

 

トロイツキー聖堂

 

 中には入れたけれど、賛美歌が歌われお祈りが行われている最中だったので、ちょっと撮影できなかった。聖セルギイの墓所の上に建てられ、棺が安置されている。棺に額を付けた後キスして信者の方たちが次々お祈りしていた。このお祈りは、多分、今は禁止されているのかも、、、。というか、外出禁止なのだろうか、今は彼の地も。

 そういえば。ロシア正教の音楽は、楽器を使用しないのだって。全て、アカペラの歌のみ。

 上の画像の左隅に映っている幾何学模様の壁の建物は、トラペザ聖堂で、トラペザとは食堂の意味。こちらの建物には、画像のトロイツキー聖堂の間に見える階段(人がいるの分かりますかねぇ、、、?)から上がって入る。

 


トラペザ聖堂内部

 

 ちょっとアングルがヘンなのは、この横でお葬式が行われていたから。そちらが入らないように、静かに、、、。男性は脱帽、女性は頭部をスカーフで覆うか着帽。

 とても美しい内部で、やはり金ピカ。正面上部の壁画は、最後の審判。

 


最後の審判

 

ウスペンスキー大聖堂

 

 イワン雷帝の命により、モスクワのウスペンスキー大聖堂(この翌日に訪れた)を模して1585年に建てられたのだという。手前のピンクの建物は、聖水の管理をしている建物小聖堂だとか。アンドレさん曰く、飲めるけど、日本人は飲まない方がよい(お腹壊す可能性アリ)とのことだった。その左側に見える青い天蓋の所には聖水の湧き出る泉があるのだけど、この季節だから当然水は出ていない。観光シーズンは人だかりになるそうな。

 

大鐘楼

 

 1740年に建てられたロシアで最も高い鐘楼。高さは88メートル。ロシア革命によって鐘が取り外され破壊されたが、2004年に修復された。

 で、トラペザ聖堂に入れてもらう時間まで、少し時間があったので(といっても20分くらいだが)自由行動となって、入口に近いところにショップがあったので覗いてみる。さすが、修道院のショップだけあって、イコンやら書物がたくさんあったが、日本語のガイドブックを発見。

 

 

 狭いショップの隣の部屋に行ってみると、少し広めの部屋に民芸品がたくさんあって、琥珀のアクセサリーなども色々あったが、私はこちらの絵皿を記念に。

 

 

 確か、470ルーブルくらいだったから、1,000円しないのかー、と思って購入。ちゃんと皿立てもセットでお姉さんが袋に入れてくれた。愛想はないけど親切なお姉さんだった。

 このガイドブックにあった大修道院の俯瞰画像が素晴らしかったのでスキャンして拝借。

 


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 さて、この後、まだ11時前だったけれど、この町でロールキャベツが美味しくて有名といわれている(?)お店へランチに向かう。

 

修道院から歩いて5分ほどのこちらのお店へ

 

 思っていたほどではないにせよ、外はやはり寒いので、建物の中は暖かくてホッとなる。皆それぞれ適当な席に着き、ランチョンマットを見ると、、、


 

ひらがなが、、、

 

 

 そして、飲み物はやっぱりこけももジュース。これはもちろん、それぞれ好きな飲み物を頼むんだけれど。私は何となくつい、こけももジュースを頼んでしまう。……で、ホッと一息ついてたら、突然、背後のテーブルが騒がしくなる。

「2人いない!!」

 え゛ーーー、いないって、どなたが?? 見れば、添乗員のL子さんもアンドレさんも探しに行ったのか、いない。

 ツアーと言っても皆が皆、ちゃんと名前を認識しているわけじゃない(名札つけてるわけじゃないし)。で、誰がいないの??と皆で顔を見合わせる。あのご夫婦? ゛いや、あそこにいらっしゃる。……えぇ、、じゃあ誰だろう?? 

 あ、分かった。あの姉妹のお二人じゃない?? と。そうだそうだ、、、となり。歩いてほんの少しの距離とはいえ、確かにメインの通りからちょっと入った所にあるお店だから、はぐれてしまったのかも知れない。

 ランチ、どーなる!?


その⑨へつづく

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ハッピーエンド(1999年)

2020-04-03 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv33764/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 リストラされた夫ミンギに代わって、キャリア・ウーマンとして家庭を支える妻ボラ。その一方で彼女は、大学時代の元恋人イルボムとの情事に夢中だった。妻の不倫に気づいたミンギは、屈折した殺意を抱き始める。
 
=====ここまで。

 ただの不倫映画と侮ることなかれ。


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◆ストレスフルな日々を癒やしてくれるのは、やっぱり映画(や本や音楽)。

 毎日毎日コロナコロナコロナコロナ、、、、3分に1回はコロナという単語を聞く日々。「コロナ疲れ」なんて言葉も出るくらい。

 あれよあれよという間に東京は“オーバーシュート”寸前だとか。というか、それより深刻なのは、ピークを迎える前から既に医療体制が逼迫している、ってこと。大体、「ピークを急にしないよう、その間に医療体制を整えるため」という大義名分の下に、必要と思われる検査もそこそこに感染者数を抑えてきたのに、この2ヶ月間、行政は一体何をしてたんだ??というくらいに、病床数が少ない。軽症者用の隔離施設や重症者用の病床も確保していないってこの期に及んで聞かされて、都民は唖然ボーゼンだわよ。

 んで、庶民が心身共にあっぷあっぷしているところへ出たのが、「布マスク2枚郵送してあげる」。そりゃアベノマスクなんて言われても仕方ないね。そもそも、いらんわ、そんなもん。

 ……などなど、いらんストレスを抱え、すっかり映画館へも足が遠のく今日この頃。ロシアに行く1週間前から劇場には行っておらず、帰ってきてからも1度も行っていない。というか、帰ってきてから1ヶ月間、毎日自宅と職場の往復のみという、今までのパターンからはあり得ない生活をしているのだ。あんなに見たい作品がいっぱいあったのに。まったく行く気がしないのが、自分でも不思議。映画館は、今でこそ週末閉館しているが、先月は一部を除いてほぼ通常通り営業していたにもかかわらず、まるで見に行きたいと思わなかった。こんなことで劇場へ行く気がまったくなくなるだなんて、アタシって、実はそれほど映画好きじゃないんじゃないか??とさえ思う。ホントに好きなら、コロナだろうが何だろうが、居ても立ってもいられないはずじゃない??とか。

 とはいえ、自宅に籠る生活は、もともと出不精な人間としては全く苦にならないし、むしろ、出社制限もかかり籠ることを命じられて堂々と引きこもれるので、不謹慎だけど、何だかちょっとワクワク気分にさえなっている。積読も録画も貯まりに貯まっているので、いくらでも引きこもり生活が出来そうだ。

 と、前振りが異常に長くなってしまったけれど、本作は、そんな巣籠もり生活に入るちょっと前にレンタルDVD見たのだけれど、いやぁ、、、なかなかハード&ヘヴィな不倫映画でござんした。不倫映画も、描き様によっては十分見応えのある大人の映画になるのだと見せつけられた感じ。韓国映画、恐るべし。

~~以下、ネタバレしています~~


◆女の一生

 ボラは、不倫を知った夫に滅多刺しにされて殺されるんだけど、私は、彼女の人生はそれこそ“ハッピーエンド”だと思った。こんな殺され方をされるほど、夫に愛され、愛人にも愛された。……まあ、これを“愛された”といって良いのかどうかというのは異論もあるだろうけど、愛されたんだと思うなぁ、彼女の場合。

 妻である女は、夫が不倫をすると、その怒りの矛先を不倫相手の女に向けるというが、男は、自分の伴侶が不倫すると、不倫相手の男よりも伴侶である女に怒りが向かうと、聞いたことがある。本作の場合、夫のミンギは、ボラだけでなく、不倫相手のイルボムも社会的に葬っており、まぁ、両方共に制裁を下したわけだ。しかも、ボラは我が手で滅多刺しである。不倫相手のイルボムを殺して、その罪を妻ボラになすりつける、、、というんじゃないところがミソだろう。

 我が手で滅多刺しにしたいと、、、、私は思わないだろうなぁ、もし、ウチの人が不倫しても。そんなエネルギーないわ。もちろん、精神的なダメージはあるだろうし、怒りを覚えるだろうけど、ウチの人を殺したいとまでは思えないだろうね。だって、そんなことで人生棒に振りたくないし。不倫相手に罪をなすりつけるための周到な準備をするのも正直言ってメンドクサイ。せいぜい、信頼できなくなるから、一緒に居るのは難しいってことでサヨウナラ、、、だと思うわ。

 ミンギがボラを殺したのには、裏切られたことへの激しい怒りと、独占欲が大きかったと思う。“オレの妻”なんだ!!っていう。だから、オレの手で殺してやる!と。そうすることで、永久にオレのものだ!!みたいな。でも、そうじゃないことを思い知るのが、ラストシーンなんだろうね。ボラが居ないってこと。オレのものにしたはずなのに、不存在の大きさを、殺した後に初めて実感するという、、、。それでも、自分は現実を生きていかなきゃいけない、日々は続き、次の日は容赦なく来る。来る日も来る日も、ボラの不存在が続くのだ。あの時、ミンギはボラを殺したことを後悔していたのだろうか??

 一方、ボラの一生は、男に執着された終わり方であったが、果たしてそれを羨ましいと思うか? 今の私は、正直なところ、そういうのもうどーでもいい、、、って感じだから羨ましくないけど、若い頃だったら、ちょっとは羨ましかったかも。あんな痛い死に方は嫌だけどサ。……いや、確か“好きな男の腕の中で死にたい”と若い頃は思っていたから、やっぱし羨ましくないか。ボラはミンギのこと好きじゃなかっただろうから。好きでもない男に執着されて、命まで奪われたら、むしろ化けて出たくなるかも、、、。


◆濡れ場をちゃんと演じる役者は素晴らしい。

 本作は、ボラを演じたチョン・ドヨンと、愛人役チュ・ジンモのSEXシーンが話題だったのだが、まぁ、想像を超える描写で、唖然としました。まあ、不倫劇で、SEX抜きには描けないだろうから、非常に重要なシーンであり、それだけに、気合いの入った熱量MAXな描写に脱帽。こういう、ちゃんとした濡れ場って、大事だよね。

 SEXを臭わせる描写でごまかしたり、SEXを描いているのに下着付けたまんまの中途半端な描写でお茶を濁したりする映画が多いけれども、本作は、両役者が、文字通りの体当たり演技で、本作に説得力を持たせている。今の邦画界では、こういうシーンを演じられる女優・男優がほとんどいないだろうなぁ、、、。特に、女優さんが思い浮かばないのが残念。

 韓国はどうだか知らないが、日本だと、こういう濡れ場に、ただの好奇心で大騒ぎする手合いがいるが、役者にしてみればこれも他のシーンと同じく、“お仕事”なわけで。汚れ役とか言うけど、それもヘンだと思うなぁ。濡れ場を演じられるのは、むしろ女優として力量が問われるのに。清純派女優とか、、、むしろ有り難くない称号だと、私が女優なら思うけどね。昭和の女優たちは、そういう好奇の目にもめげずに、それこそ身体を張って演じていた。そして、その演技に説得力があったから、その女優たちは着実にキャリアアップしていったのだ。……というのは、最近、『復讐するは我にあり』を見たから、余計にそう思うのでありました。

 いずれにしても、チョン・ドヨンという女優は素晴らしい。彼女が、特典映像で「私は、デビュー当時から思っていることですが、見ている人に信頼してもらえる女優になりたいと思って、この仕事をしています」と言っていたのが印象的だ。実際、そのとおりになっているのがまた凄い。
 
 一方のチュ・ジンモも、この頃は、まだ売り出し中だったようだけど、そんな感じは微塵もなく、堂々たる演技でアッパレ。彼も、特典映像で「この役を演じて、自分に足りないものがたくさんあることがよく分かった。この役を演じることが出来て、本当によかった」というようなことを言っていた。だから、今の彼があるのだと、非常に納得させられた。

 役者は大変な仕事だ。良い映画を作ってくれた役者さんたちには、映画ファンとしてもっと感謝しないとなぁ、、、と、2人の熱演を見て、なんだか少し反省させられた。
 

 

 

 

 

 


ボラのモノの食べ方に、彼女の貪欲な性格がよく出ている。

 

 

 

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