映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

逆転のトライアングル(2022年)

2023-03-28 | 【き】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79377/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 人気インフルエンサーでもあるモデルのヤヤと男性モデルのカールは、豪華客船クルーズの旅に招待される。客船には一筋縄ではいかないセレブたちと、彼らからの高額なチップのために乗務員たちが笑顔を振りまいていた。

 しかしある晩、船が突然難破し、無人島へ漂着。食べ物も水もSNSもない極限状態に陥るが、生き残りを懸けた人々のヒエラルキーの頂点に立ったのは、優れたサバイバル能力を持つ船のトイレ清掃係だった。

=====ここまで。


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 『フレンチアルプスで起きたこと』『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のリューベン・オストルンド監督作で、カンヌのパルムドールだったとかって聞いたので、どうしようかなぁ、、、と思ったけど、一応劇場まで見に行った次第。前2作には遠く及ばない、かつ、超絶汚い映画で、見終わって不快度Maxになりました。

 これがカンヌのパルムドールって、、、。あの『アンダーグラウンド』とか『戦場のピアニスト』とかと並列に語られるのは、ハッキリ言って納得いかんなー。


◆男は奢るべきか論争
 
 上記のあらすじの前に、第一幕的なものがあり、そこで、ヤヤとカールのしょうもない性別役割分担論争が繰り広げられる。……んだけど、これが、なんだかもうグダグダでどーでもよい感じである。要は、男が奢るのがアタリマエってのはおかしいやろ、って話なんだが、ああでもないこうでもないとやり取りした挙句に、意外にも、ヤヤが結構本質を突いたことを言って唸った。

 つまり、「女は妊娠・出産すればどうしたって仕事ができなくなり収入が途絶える。それをカバーできる経済力のある男かどうかを女は見極める必要がある」といった趣旨のことを言うのだよ。

 これね、男性からすると??かも知らんが、女性にとっては割と切実な問題なんだよね。たかだか食事代を奢るか奢らないかで、そんなの見極められるか、というのは、まあそうなんだが、詰まるところ、自分の稼いだ金を自分以外のものに惜しみなく使える男かどうか、ってのを女性は見たいってことなんだよね、、、、多分。

 やはり、夫となる男が、「オレの稼いだ金だ!オレの自由に使って何が悪い!何で妻や子どものためにオレの稼いだ金が消えていくんだ!!」とか言うようでは困るわけよ、女としては。女は、絶対的に出産前後は働けませんので。さらに、子どもが小さいうちは働こうと思えばどこかに預けにゃいかんわけで、それには金がかかるわけで、それは夫にも払う義務があるわけよ。育児は妻の役目、預けるなら妻の蓄えだけで賄え!!とか言う夫なんか持った日にゃ、女としては安心して子供作れないでしょ。

 まあ、それ以前に男女の賃金格差という厳然とした現実もあるしねぇ。女が子供を産むってのは、肉体的にも物理的にも、割とリスキーなことなんです。

 で、問題は。デートで金払いの良い男=育児や妻のケアに惜しみなく金を使う男、かどうかである。これね、多分、まあまあ“イコール”じゃないかね、という気がします。統計とったわけじゃないし、私はそもそも出産も育児もしていないので、ただの肌感覚だけど。飽くまで、私の貧弱な経験則から、、、という意味。私の戸籍上の元夫が、私から見ると超吝嗇家だったんだけど、これは結婚前から想像ついたもんね。具体的エピソードは敢えて書かないけど、そこそこ稼いでいるくせに、そんな使い方してるから、そういう人間性になるんだよ、けっ、、、って感じやった。

 話を戻して。だから、ヤヤはイイ線を突いている。妻のケアと育児に金を使える男かどうか、見極めは大事。男も女を見極めればよいのだ。お互い品定めするのが、結婚の現実、、、ごーん。


◆後半、、、陳腐過ぎ(呆)。

 第一幕の後、上記あらすじの内容が展開されるのだが、、、言っちゃ悪いが、面白くなかった。

 豪華クルーズ船が遭難する前の第二幕で、リッチを戯画化したような船客たちが嵐で船酔いしてゲロ吐きまくる、、、というシーンが延々続いて、もう汚過ぎてとてもじゃないが正視できなかった。すんごい長いんだ、これが。もういいって、、、と言いたくなるくらい。

 レストランが阿鼻叫喚の地獄絵図と化している時に、船長は、客の一人と船長室で酒を飲みながら、マルクスだの共産主義だのとカードゲームをしながら騒いでいる。こういうのも、金持ちを揶揄しているんだろうけど、ちょっと安易過ぎて、鼻白む。

 もっと白けるのは、第三幕で、クルーズ船でトイレ掃除をしていた中年女性アビゲイルが、そのサバイバル力をもってして、遭難して漂着した島で女王様になるっていう展開。これ、私は原作も読んでいないし映画も見ていないが、桐野夏生の『東京島』と通底するものがあるじゃないか? 日常では歯牙にもかけられない存在が、特殊環境で能力を発揮して一発逆転!という、、、。

 ……てなわけで、まあ、どうしてこんな陳腐なストーリーかつ描写の作品がカンヌで最高賞となったのか、分からん。審査員長がヴァンサン・ランドン、審査員にはアスガー・ファルハディもいたらしい。ヴァンサン・ランドンは単に好みじゃないというだけだが、アスガー・ファルハディはクリエイターとしてあんまし信用できない気がするので、何でこんな作品選んだんだよ!というガッカリ感もないけど、でも、本作を見ると、ホントにこの人たちに審査するだけの眼があったのかどうか、疑いたくはなる。

 でも、ネットの感想をざっと見たところ、絶賛している人も少ないながらいるので、刺さる人には刺さる作品、ということかも知れぬ。私にはまったく、、、だったけど。

 というわけで、ゼンゼン映画の感想になっていなくてスミマセン。

 

 

 

 

 

 


とにかく、汚い!!!もう、ホントに汚いです。

 

 

 

 

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最近見た映画あれこれ③

2023-03-26 | 映画雑感

 最近流行り(?)の“推し”ですが。

 実は、私も昨年から“推し”ができまして、、、うふふ。あ、イケメンとかではありません。私の推しは女性です。……で、本日(いや昨日か)も“推し活”して来ました! 私の推しは、期待を決して裏切らないのです。もう、素晴らしい。近々、記事に書くかも知れません(書く気マンマンなのだが、行動が伴わない)。

 それにしても、推しがいると、日々の生活に楽しみが出来て良いですね。私の場合は、実にささやかな推し活ですが。


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◆ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(2019年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv70243/

 《あらすじ》 19世紀のアメリカ。母になる夢を持つ長女メグ、音楽が好きな三女ベス、画家に憧れる四女エイミーら個性豊かな姉妹とともに育った次女ジョーは、小説家として自立すべく執筆に励んでいた。近所に住む資産家の一人息子で幼なじみのローリーと互いに惹かれ合い、ある日ジョーは彼からプロポーズされる。だが、結婚したら小説家になる夢が消えると思ったジョーは、彼のプロポーズを断ってしまう。 

~上記リンクよりコピペ~

 公開時に話題になっていたけど、あまりそそられなかったので、劇場までは行く気にはならなかった。そそられなかった理由は、主演がシアーシャ・ローナンであることや、グレタ・ガーウィグ監督作であることなどもあるけど、フェミ界隈からもかなり絶賛するコメントがTwitterで流れて来ていて、ちょっと引いてしまった、、、ってのがある。でも、話題になったから一応見ておこうかな、というミーハー好奇心により、DVD借りて見ました。

 なるほど、ラストにひねりがあるわけね、、、と。あとは、ローリーをティモシー・シャラメが演じているのも、本作が話題になった大きな要素の一つかもね。

 まあでも、、、申し訳ないけど、(本作が好きな方々、ごめんなさい)ふ~ん、、、でしかなかったのだった。

 本作内でのジョーのあの結婚の拒否り方はちょっと異様に見えた。確かに、女性の自立、、、は、21世紀になった今でもまだまだ課題なわけだが、自分の考えに固執し過ぎて、柔軟性を欠く生き様は、あんまり見ていて感心しない。ま、ローリーもあんなに熱心に(一生ものの愛だとかなんだとか言ってなかった?)ジョーにプロポーズしたのに、数年後、あっさりその妹と結婚しちゃうのを見ると、頑として拒否したのは正解だったのだと思うけどさ。

 で、監督のグレタ・ガーウィグは、現代性を持たせるためにラストをパラレルワールドに描いたわけだが、そのアイデアは面白いと思うが、そもそも何で今さら「若草物語」なんだ、という気もするしね。そういう意味では、先日見た「めぐりあう時間たち」の方が私は好きだなぁ、、、と感じた次第。


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◆若草物語(1994年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv10931/

 《あらすじ》 名作「若草物語」の4度目の映画化。戦地に赴いた父が不在のマーチ家で、母のもとで暮らす四人の姉妹。物語は彼女達のときめき、戸惑い、夢に生きる毎日、そしてやがてそれぞれの人生に翻弄されてゆく姿を、叙情的に、かつ新鮮に描いてゆく。

TUTAYAの作品紹介よりコピペ~

 上記の「ストーリー~」を見た後、原作に忠実と言われている本作を見て、見比べてみようと思ったのでDVDを借りて見た。

 「ストーリー~」でシアーシャ・ローナンが演じていたジョーを、こちらはウィノナ・ライダーが演じている。私は、ウィノナがまあまあ好きなので、こっちのジョーの方が好きかな。演技の良し悪しではなく。

 本作は極めてオーソドックスな作りで、「ストーリー~」のような時系列の行き来はない(もちろん、「ストーリー~」には意図があってそうしていたわけだが)。だから、見ていて分かりやすいけれど、まあ、こちらも見終わっての感想は、ふ~ん、、、だったなぁ。

 4姉妹モノでは「高慢と偏見」があるけど、私はBBCドラマ版の「高慢と偏見」の方が、今回見た「若草物語」2作より断然好きだなあ。

 なぜか。

 まあ、主人公のキャラの違いかな。「高慢~」のエリザベスは、ジョーみたいに女の自立など考えていなさそうだが、自己主張はちゃんとできるし、芯は強い。私は、恋愛を描いているドラマでは、好きな人のことを好きだとちゃんと認識して正直に行動できる人が好きなんだと思う。ジョーみたいに、自身のポリシーに固執して、好きな気持ちを封印しようとするのは嫌いなんだな、多分。

 恋愛に限らず、人との出会いは貴重だ。ましてや、恋愛で、自分が好きだと思っている相手も、自分を好きでいてくれることなど、まあ言ってみれば奇跡に近い話である。そんな、人生で一度あるかないかの事態に直面し、自分の気持ちに正直に行動しない人間の心理が、私には理解できないのだ。

 これは正解のない話だから、別に、ジョー式の生き方でも良いけど、私はゼンゼン共感できないわ、ってこと。なので、そもそも『若草物語』を好きになれないのだと思う。ローリーもローリーだしね。若い頃の恋愛なんてそんなもん、、、と言えばそれまでだが、言葉が軽すぎて信用できん男だ。

 話戻って、本作ではベアをガブリエル・バーンが演じていて、ウィノナといかにも釣り合わない気がしたのだが、、、。親子と言っても良いくらいの年齢差では?? 「ストーリー~」のルイ・ガレルの方が良かった。ガブリエル・バーンは好きな俳優だけど。

 まあ、見比べてはみたものの、あまり大した感想はなかった、、、ということでした。すみません。

 

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最近見た映画あれこれ②

2023-03-20 | 映画雑感

 先月、5年半(!)使用したスマホを遂に変えました。バッテリーがもうどうしようもなくなりまして。あと、docomoのユーザーを25年続けて来たんですが、ヘヴィユーザーに何の恩恵もない殿様商売っぷりに、正直愛想を尽かしたってのもあり、格安スマホに乗り換えました。

 すると、、、何ということでしょう!! 月額、約5,000円(!!)もお安くなりました。ちなみに機種はiPhoneのまま(6s→SE第三世代)です。さらば、ボッタクリdocomoよ~~、サヨウナラ!

 んで、iPhoneはだいぶ前の機種からイヤフォンジャックがなくなって、仕方がないのでワイヤレスイヤフォンをクレカのポイントで交換しました。Bose Sport Earbuds。いや~~(ダジャレではありません)、マジで、素晴らしいです。高音から低音までクリアで、特に低音の響きがgoo。私が聴くのはほぼクラシック(たまに、明菜とかみゆきも、、、あゝ昭和)なので、低音がダメだとホントにガックシなんですが、これはアタリです。しかも、ポイントで交換したので、ちょっと得した気分ですね。きっと、もっと高性能なイヤフォンはあるんでしょうけど、値も張るだろうし、私にはこれで十二分でございます。

 というわけで、最近見た映画のまとめ感想第2弾。邦画2本でございます(ネタバレしていますので、よろしくお願いします)


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◆流浪の月(2022年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv74413/

 《あらすじ》 雨の夕方の公園で出会った、19歳大学生の佐伯文と10歳の家内更紗。引き取られている伯母の家に帰りたがらない更紗の意向を汲んで、文は自分の家で更紗を2か月間かくまうことに。しかし、文は更紗を誘拐した罪で逮捕されてしまう。秘密を誰にも打ち明けられず、“被害女児”とその“加害者”という烙印を押されて15年の月日を過ごした2人は再会を果たす。 

~上記リンクよりコピペ~

 昨年公開時に話題になっていたときに、ほんのちょっぴり劇場まで行こうか、、、という気になったものの、結局行かなかった。行かなかった理由は、原作があんまり好きな話だと思えなかったから。何だかんだと読ませる小説ではあったのだけど。好みの問題ですね。で、DVD化されたので借りて見た次第。

 まあ、邦画にしては完成度は高い方だと感じたけど、やっぱし、ストーリーがどうもね、、、という感じで、1本の記事として感想を書くには至らなかった。

 もう、原作を読んで大分経っているので、小説の内容はほとんど記憶から抜け落ちているんだが、私が原作に対してイマイチだと感じたのは更紗に好感を持てなかったから。ハッキリしない、フニャフニャした感じがちょっと気持ち悪いな、と。特異な環境で育ったことが、彼女の人格形成に大きく影響したのは分かるが、一方でヘンにしたたかでもあり、ああいう風にナヨナヨと柳のように生きなければ生きて来られなかったんだろう、、、というのを差し引いても、やっぱりちょっと気味が悪い。

 一番違和感を抱いたのは、自分が文の人生を大きく変えてしまった原因であると知っていて、世間が事件を忘れた後になって、自分からまた文に近づいて行ったこと。そんなことをすれば、文がどうなるか、少し考えれば分かるだろ、って。文に対して贖罪の気持ちがあるのなら、あんな軽率なことはできないよなぁ、、、と。頭が相当悪いか、自分のことしか考えていないか、、、何か知らんが、とにかく、更紗という女性が、私には気持ち悪い存在にしか感じられなかった。

 それは、映画でもやっぱり同じで、広瀬すずちゃんは可愛いけど、更紗は嫌いだ。ああいう女性がヘンな男ばっかり吸い寄せてしまうの、全然気の毒と思えない。ルイトモでしょ。

 とはいえ、更紗と文は、この世で、お互いが“この人でなければならない”という関係になるのであり、まあ、究極のイタいカップルである。2人は今後は外国で暮らせばいいんじゃない?と思ったんですが。小児性愛者の烙印を押された文は、どの国でも入国お断りかしらね。まあ、フィクションだからマジメに気にする必要もないけどさ。


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◆花束みたいな恋をした(2021年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv70752/

 《あらすじ》 大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然出会う。音楽や映画の趣味がほぼ一緒で、二人は瞬く間に恋に落ち、大学卒業後フリーターをしながら同棲を始める。お気に入りのベーカリーを見つけ、猫を拾い二人で名前をつけ、渋谷のパルコが閉店し、長年続いた番組が最終回を迎えても、二人は日々の現状維持を目標に就職活動を続けるが……。

~上記リンクよりコピペ~

 雑誌だったか新聞だったかの評が褒めていたのと、やたらTSUTAYAがオススメしてくるので、ウザいからポチッてしまって見た次第。

 いやもう、、、「流浪の月」を見た後にコレを見ると、どんだけノー天気なんだよ、コイツら、、、とちょっと頭引っ叩きたくなるね。勝手にやってろよ、って。

 本作の脚本は、ドラマ「カルテット」の脚本を書いた坂元裕二なんだが、私、「東京ラブストーリー」は好きだけど「カルテット」はまるでダメだったので、本作も、どうかなぁ、、、と心配していた。……ら、思いっきり予感的中。

 2人の関係性を描くのに、本やら映画やら音楽やらを多用し、そこに共通性があることで2人が一気に盛り上がるという筋書きなんだが、それ、人物を描いたことになってないからね、言っとくけど。確かに、どんな本を読んでいるか、どんな映画や音楽が好きかは、その人の人となりを知る一助にはなるが、それ以上でもそれ以下でもない。だから何だ?って話。

 こういうので、2人があっという間に惹かれ合うのも分かる~、、、とか、まあ、若い子たちが共感するのはアリだと思うが、プロの評論家までがそうでは、ちょっと大丈夫か?と思うわ。

 ……という感じで、感想文を書くには至らなかった次第であります。あとはお察しください。悪口しか書けないんですよ、要するに。

 

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最近見た映画あれこれ①

2023-03-18 | 映画雑感

 このブログでは、原則として1本の映画について1本の記事、としているのですが、映画によっては1本の記事にするまでもないと感じるものがあったり、1本書けそうだけどメンドクサイと思っちゃったり、、、。まあ、要するに、最近結構見ている割には書くペースが追い付かないのには、時間的な問題もあるけど、気持ち的にどうもね、、、ってのが大きいんですよね。

 でもせっかく見たので、自分用に、見たときに何を感じたのかくらいはメモっておきたいというのもあり、今回から3回に分けて記録しておきます。今回は3本。あとの2回は、邦画2本、外国映画2本の予定。ネタバレしているので、よろしくお願いします。


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◆蛇の穴(1948年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv8053/

 《あらすじ》 精神病院に入院し、担当医の努力で快方に向かったある女性ヴァージニア(オリヴィア・デ・ハヴィランド)。しかし、嫉妬した看護師によって凶暴な患者ばかりを収容する雑居房に入られてしまい……。 

~TSUTAYA紹介ページよりコピペ(青字は筆者加筆)~

 これは、映画友がオススメしてくれたので昨年末に見たのだが、何かあんましピンと来なかったので、結局記事にできなかった。

 精神疾患を抱えるヴァージニアを演ずるオリヴィア・デ・ハヴィランドは熱演で、なかなか挑戦的な内容の作品だとは思うが、デ・ハヴィランドが熱演過ぎて、ちょっと私にはついていけなかった。まあ、怖い、、、というのとは違うが、あんまし“映画を鑑賞する”という気分になれないというか。

 精神病院が舞台の映画は「カッコーの巣の上で」があるが、「カッコー~」も私は苦手で、、、。「まぼろしの市街戦」は、唯一、精神病院が重要な舞台装置になっている映画で好きな作品かも知れない。精神病院のシビアな現実をリアルに描かれても、私には受けとめ切れないのだと思う。

 ラストは救いがあるし、「カッコー~」よりは毒のない作品だとは思うが、あまり人にオススメしたくなる映画でないことは確か。デ・ハヴィランドのファンにとっても、ちょっと微妙かも知れない。


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◆秘密の森の、その向こう(2021年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv77852/

 《あらすじ》 8歳のネリー(ジョセフィーヌ・サンス)は両親と共に、森の中にぽつんと佇む祖母の家を訪れる。祖母が亡くなり、母(ニナ・ミュリス)が少女時代を過ごしたこの家を整理することになったのだ。だが、何を見ても思い出に胸をしめつけられる母は、突然ひとり家から出て行ってしまう。残されたネリーは、かつて母が遊んだ森を探索するうちに、自分と同じ年の少女(ガブリエル・サンス)と出会う。母と同じ名“マリオン”と名乗るその少女の家に招かれるネリーだったが、そこは、祖母の家であった……。

~上記リンクよりコピペ~

 「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマ監督作品。早稲田松竹で、「スペンサー ダイアナの決意」と2本立てで、「スペンサー~」は半分くらい寝てしてしまった(でも大体の内容は分かっちゃう映画だった)んだが、本作はなかなか興味深く見た。

 上記あらすじからも分かる様に、ネリーが森で会った少女は、幼い頃の自分の母親だった、、、というお話。2人の少女はリアルでは姉妹だそうだが、双子かと思うくらいにソックリで、とっても愛らしい。

 自身の親の若い頃に出会うという話は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とかでもあるし、さほど珍しい設定ではないけれども、女三代の微妙な関係性がファンタジーな設定によって見事に投影されていて、巧みなシナリオに感心した。

 とはいえ、ネリーの母マリオンの心象風景を、ネリーの目を通して描いているだけに終始しているので、まあ、ヤマなしオチなしではある。そういう映画も嫌いじゃないから良いのだが、何というか、感想をグダグダ書きたくなる“何か”がなかったんだよなぁ。マリオンが、急に出て行っちゃうのもイマイチ??だし。少女マリオンと会わなくなったら、母マリオンが帰って来て、母と娘のハグ、、、みたいな感じで終わり、正直、ふ~ん、、、という感じしか抱けなかった。

 まあでも、もう一度、時間が経ったらDVDとかで見てみても良いかな、とは思う。そうすると、また感じ方も違うような気がする、そんな映画だった。


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◆対峙(2021年)

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79520/ 

 《あらすじ》 アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が発生する。多くの生徒が殺され、犯人の少年も校内で自ら命を絶った。6年後、ジェイ(ジェイソン・アイザックス)とゲイル(マーサ・プリンプトン)の夫妻はいまだに息子の死を受け入れられず、事件の背景にどういう真実があったのか、何か予兆はなかったのかという思いを募らせていた。夫妻はセラピストの勧めで、加害者の両親であるリチャード(リード・バーニー)とリンダ(アン・ダウド)に会って話をする機会を得る。教会の奥の小さな個室で、立会人もなく顔を合わせた4人はぎこちなく挨拶を交わす。そして、ゲイルの「息子さんについて何もかも話してください」という言葉から、誰も結末が予測できない対話が始まる……。

~上記リンクよりコピペ~

 本作は、チラシを見て気になったのと、新聞の評を読んで、まあ見ておこうかな、、、くらいの気持ちで劇場まで見に行った。

 上記のあらすじにあるとおり、被害者と加害者の双方の親同士の対話、ということで、当然、終始深刻である。意外に、加害者の親が普通な感じで接していて、、、つまり、過剰に謝罪や反省の言葉を口にすることなく、「息子は思いやりのある良い子だった」という感じのことを普通に言っていた。

 本作について記事にしなかったというより、できなかったと言った方が正しい。劇場で見ている間も、安易に感想なんか書けないな、、、と思いながら見ていた。というのも、正直なところ、どちらの側の言っていることにも、あんまり気持ちが寄り添えなかったというか、ハッキリ言っちゃえば「分からない」のだった。

 あんまし「経験してないから分からないよ」とか安易に言うのは嫌いなんだが、こればっかりは、どうもリアルに想像するのが難しい。憤りや後悔や哀しさは、想像はできるが、それは通り一遍の想像でしかなく、リアルには感じられない気がする。そんなんで、感想なんか1本の記事として書きようがないよなぁ、、、と。

 また、信仰を持っているか否かも大きく影響すると感じた。この“対峙”が設定された場所は教会なんだが、その場所にそもそも意味付けがされている。これも、前述と同じで、想像はできるけど、信仰を持たない者にしてみればリアルには「分からない」のである、神の存在を信じてすがる、という感覚が。

 あと、これは会話劇なので、字幕を追うのがなかなかキツい。これは、DVDが出たら吹き替えでもう一度見た方が分かる部分も多いかな、、、という気がしている。もう一度見る気になれば、の話だけど。

 

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めぐりあう時間たち(2002年)

2023-03-15 | 【め】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv32492/


以下、TSUTAYAの紹介ページよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。
 
 1923年、ロンドン郊外。作家ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は病気療養のためこの地に移り住み、『ダロウェイ夫人』を執筆していた。午後にはティー・パーティが控えている…。

 1951年、ロサンジェルス。『ダロウェイ夫人』を愛読する妊娠中の主婦ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、夫の望む理想の妻を演じることに疲れながらも、夫の誕生パーティを開くためケーキを作り始める…。

 2001年、ニューヨーク。『ダロウェイ夫人』と同じ名前の編集者クラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)は、親しい友人でエイズ患者の作家リチャードが栄えある賞を受賞したことを祝うパーティの準備に取りかかっていた…。

=====ここまで。


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 本作は、公開時に劇場には行かなかったが、DVDで見るのは2回目。前に見たのは、DVDリリース直後だったので、多分、20年ぶりくらいに見たのだけど、今回改めて見ようと思ったのは、METライブビューイング(後述)で上映されていたから、予習のためと思いまして。何しろ、内容ほとんど覚えていなかったもので、、、。

~~以下、ネタバレしています(結末に触れています)。~~


◆いつの時代も女はメンドクサイ。ええ、ええ、そーでしょうとも。

 そもそもヴァージニア・ウルフにあまり良いイメージがなく、最初に見たときもピンと来なかったのだが、今回は、感動した、、、というのとはちょっと違うが、ものすごくグッと来た。これって、私が年とったからですね、間違いなく。

 最初に見たときは、鬱映画というか、救いがない感じがしたが、それは私の理解力の低さの問題だったのだなと感じた次第。

 肝心のヴァージニア・ウルフ本人のエピソードは一番印象が薄く、ローラの巻はひたすら辛い。クラリッサの巻では、リチャードが見ていて苦しく、一番哀しかった。で、最後の最後に、リチャードの実母がローラだと分かり、トドメを刺された感じであった。

 ネットの感想を見ると、3人の女性たちが何をあんなに悩んでいるのかがよく分からん、というのが結構目に付いた。いつの時代も女はメンドクサイ、とか書いている人(男)もいた。悪かったね、メンドクサくて。

 特にローラについては、あんなに恵まれた環境で生活できているのに、何が不満なのか?と。

 しかし、これは、30代以降の女性ならかなり分かるんじゃないだろうか。ただ、今回の“分かる”は、初回のときのそれとは全然レベルが違う。正確に言えば、前回は、分かるというより“想像できる”だったが、今回はもう、肌感覚でリアルに分かる。嗚呼、、、ツラい、、、見ていて胸抉られる感じで分かる。

 ローラは、おそらく、一般的に女性に求められるケア能力というか、そういう適性がものすごく低い人なんだよね。そもそも好きじゃないんだと思うが、世間は(夫も)女はそんなもんとしか見ない中で、自分の在り様に強い違和感を抱きながら日々を生きて行かなくてはならない辛さ。時代の要請に従わざるを得ないがために、まったく自分に合わない鋳型に嵌められる。こんな苦しみってあるだろうか。そら、死にたくもなるわ、、、と。

 子供を捨てることで、辛うじて自死を免れたわけだが、こういう人を世間は“母性本能がない”とか言って責めるんですよ。捨てられた子からすればトンデモな話に違いないけど、そもそも母性本能をみんな信じ過ぎ。母性とか母性本能とか、科学的な確からしさをもって世間は言うけれど、それで苦しんでいる母親は世界中にごまんといるのだ。出産を経験した女でも、母親でいることが苦しいと感じるのは、別に不思議でも何でもないと思うのだが、なぜ世間は母親にばかり家族のケアの役割を負わせようとするのか。

 ローラは、むしろ、子を捨てることで、自分だけでなく、子も守ったと言えるかも知れない。結果的に息子のリチャードは自死したが、自死の直接的な原因はエイズの進行であり、遠因として母親の喪失はあるに違いないが、ローラが我慢してあのまま母親を続けていたら、もっと歪な親子関係が形成されて、リチャードの人生はもっと悲惨だった可能性もある。ローラは、最善ではないが、最悪ではない“マシな”選択をしたのだ、多分。

 私の母親も、結局のところ、あまり母親に向いていない人だったのだと思うが(実際、自分は生まれ変わったら結婚なんか絶対しないとしょっちゅう言っていた)、それでも周囲の圧力に反発する気力も能力もないから母親で居続けざるを得ず、引き換えに娘二人を過剰に支配・抑圧することで辛うじて自分を保っていたのだろうと、娘の私はこの歳になってようやく冷静に分析できるようになってきた。


◆オペラ化された「めぐりあう時間たち」
 
 で、今回、本作を見た後に、METライブビューイングの同タイトルを見たのだが、このお話は、圧倒的に舞台向き、しかも、オペラ向き(あるいはミュージカルでも良いのだろうが)だということを見せつけられた感じだった。

 つまり、本作は、3つの時代に生きるそれぞれのダロウェイ夫人(orウルフ)を描いているのだけど、映像だとそれをうまく表現する演出が難しい。画面を3分割して3人の女優たちに語らせるなんてのは、かなり違和感があるし、陳腐になるだろうから。本作について難解だとか、訳が分からんとかいう感想が並ぶのも、ココに理由があるのだろう。

 けど、舞台だと、それが容易に表現できる。同じ舞台上に3人を配し、それぞれが別の時空にいると設定しながら、同じアリアを歌うことで融合させることが出来るのだよ。すげー!

 ここで大事なのは、“歌う”ということ。3人の心情をそれぞれが独白で表現する演劇よりも、同じ歌を3人が歌うことで、時代を超えて共通の苦悩を抱えながら生きるというテーマが、見る者にダイレクトに伝わることがよく分かった。これこそ、歌で表現する意味があるのだなあ、、、と。

 いつもは、突然歌い出すミュージカルはヘンだ、と書いているのだけど、それはオペラでもまあ似たような感じを持っていたのだが、今回、初めてオペラがオペラでなければならない理由がちょっと分かった気がする。

 今シーズンのMETライブビューイングの演目の中に「めぐりあう時間たち」とあるのを見て、正直驚いた。あの話をオペラでどーやって??と。けれど、今は、オペラ化した人の英断に驚くばかり。世界初演とのことだが、これは定番で今後も度々上演されてほしい。世界初演だからだろうけど、主演3人はルネ・フレミング、ケリー・オハラ、ジョイス・ディドナートと、豪華そのもの。映画では一番印象の薄かったウルフだが、オペラではディドナート演ずるウルフが一番印象に残った。

 映画を見て、オペラを見て、相乗効果で感激。こういうのって、滅多にないことだから、幸せな時間でございました。
  
 

 

 

 

 

 

 

 

『ダロウェイ夫人』と原作を読んでみるか、、、。

 

 

 

 

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すべてうまくいきますように(2022年)

2023-03-04 | 【す】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79186/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 小説家のエマニュエル(ソフィー・マルソー)は、85歳の父アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が脳卒中で倒れたという報せを受け病院へと駆けつける。

 意識を取り戻した父は、身体の自由がきかないという現実が受け入れられず、人生を終わらせるのを手伝ってほしいとエマニュエルに頼む。愛する父からの思わぬ発言に困惑するエマニュエル。つい「悪い父親よ。友達ならよかった」と嘆くが、「なら友達として手を貸すのよ」と友人から背中を押され、妹・パスカル(ジェラルディーヌ・ペラス)とともに父の最後の願いに寄り添うことを決意する。

 そして、フランスの法律では安楽死の選択は難しいため、スイスの安楽死を支援する協会を頼る。一方で、リハビリが功を奏して日に日に回復する父は、孫の発表会やお気に入りのレストランへ出かけ、生きる喜びを取り戻したかのように見えた。

 だが、父はまるで楽しい旅行の日を決めるかのように、娘たちにその日を告げる。

=====ここまで。


☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆


 オゾン監督作品で、ソフィー・マルソーなんて懐かしい名前を見て、おまけにシャーロット・ランプリングもご出演ということで、劇場まで行ってまいりました。昨年、ゴダールが尊厳死したことが話題になりましたが、本作も、話のメインテーマは尊厳死です。


◆尊厳死における最大の問題は、、、

 描かれているテーマが重い割に、鑑賞後感は悪くない。同じ尊厳死映画『母の身終い』(2012)よりも、全編明るく、軽快でさえある。

 尊厳死は、いずれ法制化なり何なり、国民的な議論が必要になる時がくるだろうけれども、今のところ、私が思うには、尊厳死を選択する本人よりも、その周囲の人の心理的な負担が大きいことについて、どう対処するかが非常に難しいのではないか、ということである。尊厳死を選択する本人の心理的負担が軽いといいたいわけでは、もちろんない。

 これは、『母の身終い』でも感じたが、尊厳死を選ぶ人は、意志が固い。周囲の説得くらいでは、まったく揺るがない。尊厳死を選択する決断も早ければ、決断後の葛藤も少ない感じである。少なくとも、本作のアンドレに葛藤はまったく感じられないし、死への意志も揺るぎない。葛藤し、悩み戸惑いまくるのは、飽くまで周囲の人間たちなのだ。

 アンドレは元気なときからかなり奔放な生き方をしてきた人らしく、家族は振り回されて、妻は鬱になってしまっている。尊厳死を選択するにあたっても、正直言って、自分のことしか考えていないように見える。自分の人生、自分で決めて何が悪い!という感じ。『母の身終い』で尊厳死を選んだイヴェットは、アンドレに比べると実直に生きて来た人で、尊厳死を選ぶことへの葛藤も多少見られたが、決断後の意志は固かった。

 『母の身終い』もフランスでの話で、スイスへ行って実行するというのは同じである。違うのは、身内が立ち会うか、立ち会わないか。『母の身終い』では息子が立ち会うのだが、これが立ち会わなければならなかったのか、母親が立ち会いを希望したのか、記憶が定かでないのだが、立ち会わされる身内としては精神的虐待(拷問と言ってもよいかも)に近い。ただ、薬を自身で飲む、というのはやはり同じで、詰まるところは、自殺である。親が自殺するところを眺めていなければならない息子の気持ちは、察するに余りある。

 本作が『母の身終い』よりも重くなかったのは、本人を取り巻く子どものバックグラウンドの差にあるように思う。『母の身終い』での息子は前科者で、自立できていない典型的ダメンズだが、本作では、ソフィー・マルソー演ずる長女エマニュエルは作家、妹もちゃんと生活している人、妻は鬱だが芸術家で娘二人との関係は悪くない。『母の身終い』の場合、母親が死ぬということは、母親に依存しきってきたダメ息子にとって、この世で孤立無援になることと同義であり、なおかつ、母親の自殺の後ろ盾とならなければならないという、ダメ息子と母との立場が逆転せざるを得ないところに悲壮感が溢れた。けれども、本作の場合、特に長女のエマニュエルはしっかり者なので、放蕩父が最後の最期でまたトンデモなわがままを言い出した、、、という感じで、立場の逆転がない。だから、まったくこの父は!という娘たち認識の延長上にこの尊厳死問題が起きたということになる。

 そんなしっかり者のエマニュエルの視点で本作は描かれるが、どんなにしっかり者だろうが、やはり、親の自殺を幇助するためにあれこれ手続をする、その心理的負担は重過ぎることに変わりない。仮に合法化するとして、手続面については、きっちり厳格な法整備をすることは可能かと思うが、尊厳死における一番の問題は、やっぱりこの「周囲の者の精神的負担」をどうするかだと思う。これは、法律でどうこうできるものではない。


◆その他もろもろ

 ソフィー・マルソーを見るの、ものすごい久しぶりな気がするのだが、調べたら2009年に『真夏の夜の夢』(1999)の感想を書いているので、多分それ以来ではないか、、、。そもそも、私は彼女の代表作である『ラ・ブーム』も見ていないし、彼女のことは別に好きでも嫌いでも何でもないのだが、本作の予告編でイイ歳の取り方をしているように感じたので、見てみる気になったのだった。

 そして、本作でのエマニュエルとしての演技はとても良かった。全編通して、着ている物はシンプルなパンツルック、化粧っ気もなく、髪も無造作な感じで、ボクサザイズで汗を流し、ゴア映画大好きというキャラ。半面、歳相応に美しくて、素敵な中高年女性という人物像になっていた。父にウンザリしながらも、愛してやまないという感情の襞をうまく演じていて、演出も良かった。さすがオゾン監督。

 尊厳死を選ぶ本人アンドレを演じるアンドレ・デュソリエが、実に味わい深くて良かった。脳梗塞で身体の自由が利かなくなった演技が自然で、なおかつ、元気な頃に相当な自由人だったことがよく分かる佇まいというのは、なかなか出来る芸当ではないと思うので、素晴らしい。

 孫の音楽発表会を何としても見届けたいと言って、一旦、自殺の日程を延期するのだが、それでエマニュエルもアンドレが心変わりしてくれるかも、、、と一瞬期待する。けれども、アンドレの意志はゼンゼン変わっていない、という辺りがエマニュエルの心理的にはかなりツラい展開ではないか。まあ、ここまで本人の意思が固いと、却って遺される方も覚悟が決まる気もするが。

 最後の最後で、アンドレの軽挙によって、警察沙汰になりかけて決行の予定が狂いそうになる。このひと騒動があったおかげで、予定通りに事を運ばせようと、図らずもエマニュエルは父の決行に積極的に加担することになり、どさくさで悲嘆にくれる暇もなく、却って良かったのかも知れない、、、と感じた次第。

 ラストは、もちろん予定通りにスイスへ向かい、アンドレの意志は完遂される。

 

 

 

 

 

 


尊厳死の合法化は、やはりかなり難しいと思う。

 

 

 

 

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