映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ぼくのエリ 200歳の少女 (2008年)

2019-11-27 | 【ほ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv46441/

 

 12歳のいじめられっ子、オスカー少年。隣に引っ越してきたエリと、モールス信号で、壁越しに会話をするうち、オスカーはエリを好きになる。オスカーは、エリに思いを打ち明ける。

 それに対して、「私、女の子じゃないから……」とエリ。「別にいいよ」と返すオスカーだが、だんだんエリの様子が普通じゃないことに気付き始め……。 

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 先日見た『ボーダー 二つの世界』をすっかり気に入ってしまったので、同じ原作者である本作を見てみることに。“吸血鬼モノ”はなぁ……、という私の心配を吹っ飛ばしてくれる作品でありました。

 

◆バカ映画ではない吸血鬼モノを初めて見た。

 エリはヴァンパイア。つまり“吸血鬼”なんだが、吸血鬼モノで、私がこれまで見てきた映画は、どれもこれもバカっぽい、というかバカ映画ばかりだったので、本作の評判は耳にしていたものの、「でも、吸血鬼なんでしょ? つまりバカ映画でしょ??」と思って、手を出す気になれなかったのだ。

 バカ映画、というとアレだけど、中には作っている人たちはきっと大真面目で作ったんだろうと思う作品も、もちろんあるわけで、そういうクリエイターたちの汗と涙を無視して、バカ映画などと呼んでしまうことに多少なりとも罪悪感はないではないが、でも、「やっぱ、バカだもんなぁーーー」という感想が勝ってしまうのだから仕方がない。

 で。

 正直なところ、驚いた。なんだ、、、、吸血鬼モノでもバカ映画にならないこともあるんだ!!! と。

 とはいえ、本作は吸血鬼モノのお約束はちゃんと押さえている。①人間の生き血を吸わないと生きていけない、②歳をとらない、③日光を浴びると死ぬ、④血を吸われた人間は感染して吸血鬼になる、、、、etc。

 でもバカ映画になっていない。いや、それどころかヴァンパイアの悲哀とか苦しみとかがちゃんと描かれており、そういうことを描いていてもゼンゼン嘘くさくなっていないところがスゴい!!

 ……というか、むしろ、今までの吸血鬼モノがバカ映画になってしまっていた要因を探った方が良さそうだが、今はちょっとそういうのメンドクサイのでそれはまたいずれ機会があったら書いてみようと思う。

 まー、とにかく。エリは、ちょっと見た目がオスカーたちと違って、北欧というより、中東系の混じったような風貌なんだが、この風貌が本作では効いている気がする。つまり、“なんとなく周りと違う”というのが画的に印象づけられる。実際、違うしね。なんたって、ヴァンパイアなんだから。これは演じているリーナ・レアンデションちゃんがそうなのか分からないが、エリの瞳の色が何とも言えないエメラルドグリーンのようなパステルグリーンのような、、、複雑で美しい色をしているのだ。終盤、絶体絶命の窮地にあるオスカーを救った直後にアップで映るエリの瞳の美しさは、あらゆる理屈をねじ伏せる説得力がある。

 あんな瞳で射貫くように見られたら、、、、。オスカーがエリと二人で旅立ってしまったのも致し方なし、、、と思う。

 

◆エリの選択

 このラストシーンを見た私の脳内を簡単に言語化すると。

 恋物語が成就して良かったねぇ、、、、え、……いや、これってさぁ、、、つまりは、オスカーくん、エリのパパと同じ運命? 無限ループってこと???

 となり、エンドロールを見ながら、エリに対する感じが変わってしまった気がした。エリがオスカーを庇護者にしたのか、それとも結果的にオスカーがエリの庇護者になったのか。

 まあ、どっちも考えられる。エリは書き置きに「ここを去って生き延びるか、残って死ぬか」と書いているから、逡巡した挙げ句、オスカーに庇護者に“なってもらうことにした”のかも知れないし、逡巡している間にオスカーの方から庇護者になりに来てくれたのかも知れない。どちらにしても、この場合のエリは受動的だ。

 が、エリは少なくとも何回か庇護者を変えて、これまで生き延びてきたわけだから、“庇護者の代替わり”に起きることについては熟知しているはずである。そして、庇護者の末路も分かっている。

 ということを考えると、庇護者にふさわしい人間を物色し、オスカーが自分に好意を見せたことで狙いを定めた、、、という見方も出来る。つまり、能動的なエリである。

 ここで考えさせられるのは、エリに噛まれてヴァンパイア化してしまった女性が、自ら日の光を浴びて死を迎えたシーンがあったこと。こういう選択がヴァンパイアにはあるのだと、敢えて見せつけられる。それくらい、その瞬間のシーンは衝撃的な描写だった。

 でも、エリはそれを選択しないで、オスカーを庇護者に選んだ。自分が生きるために、オスカーが犠牲になることを是としたわけだ。つまり、やっぱり能動的だったんじゃないか、という気がする。

 エリが、オスカーをロックオンした瞬間は、そうするとどこなのか、、、と考えてみたが、多分、オスカーがいじめっ子に逆襲したシーンだろう。その前に、エリはオスカーに「やられたらやり返せ」と言っていて、それをオスカーは忠実に実行に移したということになる。あれこそが、エリのオスカーに対するリトマス試験紙だったのだ、、、。コイツは私の言いなりにできる人間だ、と。

 原作を読めば、この辺りのことはもう少し分かりやすく書いてあるのかしらね?

 まあ、どっちでも良いけど、エリは決して運命に翻弄されて人間界に漂う哀しいヴァンパイアではなく、生きるために人間を襲って生き血を吸うしたたかなヴァンパイアなんだと、私には見えた。

 

◆その他もろもろ

 オスカーを演じたカーレ・ヘーデブラント君、時折女の子みたいに見えたけど、なかなか可愛かった。白すぎる肌が、いかにも北欧。その真っ白ですべすべな頬に、ピシッと細い棒で叩かれた跡が残るのが、痛々しいが、肌の白さと赤い筋のコントラストが美しかった。……私もヴァンパイアの素質アリ?

 オスカーの離婚した両親だが、、、。父親はどうやらゲイらしい。なかなかイケメンで、オスカーにも優しいお父さんなのに、男友達が現れた途端、豹変するんだもんね。ああいう場面を経験することで、オスカーは、エリが「私、女の子じゃないから」と言っても、あまり違和感なく「それでもいいよ」となるのかなぁ、、、などと思ったり。

 エリの性別については、映倫の判断がネットでは不評だが、あの“ボカシ”は、あんまり私には影響はなかった気がする。だって、エリ自身が「女の子じゃない」と、何度も言っているし、何しろ、人間じゃないんだから、男か女かなんてもはや超越しているんじゃねーの??って感じなんですけど。何でみんなそんなにボカシに憤慨しているの? と逆に疑問。

 ただね、邦題の“200歳の少女”はダメでしょう。これはミスリードだし、本作の趣旨を歪めている。ヒドい邦題なんてわんさかあるから、これもその一つだと思えば、あーハイハイ、って感じだけど。何度も書いているが、邦題をつける人たちは、もう少し作品に対する敬意と愛を持っていただきたいものだ。

 ちなみに、原題は「正しき者を招き入れよ」という意味だそうな。これ、、、もの凄く意味深。そのまんま邦題にしてもよかったくらいじゃない? ずっと哲学的で大人な映画というイメージになる気がするんだけど。

 

 

 

 

 

 

ヴァンパイア映画としては稀なる逸品

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

執事の人生(2018年)

2019-11-23 | 【し】

作品情報⇒https://www.imdb.com/title/tt6712374/?ref_=ttmi_tt

 

以下、ポーランド映画祭HPより紹介記事のコピペです。

=====ここから。

 20世紀初頭の激動の時代、運命に振り回される男女のラブストーリーを中心に、45年にわたる家族のドラマが壮大に綴られる。またポーランド北部のポメラニア地方に生きるドイツ人、ポーランド人、カシューブ人の複雑な民族関係も鮮明に描かれる。監督は『王者のためのアリア』(79)のフィリプ・バヨン。

=====ここまで。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

◆ポーランド映画祭2019

 今年で8回目を迎えるという、ポーランド映画祭。昨年に引き続き、また『戦場のピアニスト』がかからないかなぁ~、と期待していたけど、やっぱりかからなかったね、、、。まあ仕方なし。でも、今年公開された『COLD WAR』や同じ監督の『イーダ』、ワイダの『灰とダイヤモンド』他、かなりマニアックそうなものまでプログラムはかなり魅力的。

 ……なんだが、いかんせん、ほとんど平日の昼間上映、、、ってことで、これだけは見たい!!と思った2作品『人形』『執事の人生』を見に行って参りました。

 『人形』は1968年制作で、今回は、デジタルリマスターによるリバイバル上映。原作本は、厚さが10センチくらいはあろうかという大著。本屋で何度も手に取ったり棚に戻したりを繰り返したけど、やっぱり棚に戻した、、、。映画祭のHPには「美しい令嬢に心奪われた貿易商の旅を描く幻想的な物語」と紹介されているとおり、ある男の成り上がり人生を悲哀を交えて描いている映画。19世紀後半のワルシャワの光景を再現していて、衣裳、美術などビジュアルでも楽しめる。

 でも、今回の映画祭で個人的にツボだったのは、何と言っても『執事の人生』。上記作品情報のリンク先はIMDbのもの。今回は、プレミア上映ということだったんだけど、これは絶対に日本で公開して欲しい!!

 

◆執事の人生

 1900年、ポーランド北部に暮らすドイツ人貴族クラウスが当主の屋敷で働くカシューブ人の女性マリアが男の子を産み落とし、死んでしまったため、クラウスの妻ゲルダが引き取り、マテウシュと名付けられる。

 マテウシュの父親は分からないが、同じ屋敷で働く馬番の男ではないか、と使用人たちは言う。しかし、クラウスは女癖が悪く、マリアもお手つきだった可能性が高い。ゲルダは夫と愛人の子かも知れないと承知の上で引き取ったのだ。

 マテウシュは、クラウスの息子や娘マリタときょうだい同然に育つが、マリタと相思相愛になる。貴族と使用人の恋など、認められるわけがないのは当然だが、この2人の場合、もしかすると異母きょうだいかも知れず、近親相姦の可能性さえあるわけで、ゲルダはマリタをドイツへ留学させる。一方、ポーランドが独立したことでドイツ人貴族のクラウスは土地を取り上げられ経済的に厳しくなったこともあり、マテウシュに「明日からお前は執事になれ」と唐突に命じる、、、。

 その後、マテウシュとマリタの許されぬ恋を軸に、クラウスたちが時代に翻弄されて行く様を壮大なスケールで描いている映画なんだけど、監督がビスコンティやフェリーニを崇拝しているというのも納得の、非常に素晴らしい歴史大河ドラマとなっていて、2時間半なんてアッと言う間だった。

 三国による分割統治でポーランドが地図から消えていた時代に始まり、ポーランド独立、ナチスの侵攻、第二次大戦、ソ連による統治、、、と、時代の荒波が容赦なくマテウシュたちにも襲い掛かる。本作は、ナチスによるカシューブ人の虐殺「ピアシニツァの虐殺」が描かれた初めての映画だそうだ。そもそも、カシューブ人も、ピアシニツァの虐殺も、今回、本作を見て初めて知った次第、、、。

 ちなみに、ドイツのメルケル首相、EUのトゥスク大統領もカシューブ人とのこと。「ピアシニツァの虐殺」では、主に知識人を中心に殺されたという(カティンの森と同じ理由。こっちはソ連による虐殺だけど)。本作では終盤に虐殺シーンが淡々と描かれる。

 この虐殺を辛うじて逃れたマテウシュだが、ドイツ人だったクラウスやゲルダは、戦後、ソ連軍により呆気なく殺される。この辺りの悲惨なシーンは、ビスコンティというより、クストリッツァの『アンダーグラウンド』のワンシーンとダブってしまった。

 とにかく、150分にあれもこれもとメチャメチャ盛りだくさんな内容なのに、ほとんど破綻もなく、いくつか謎のままの伏線もあるけど、この壮大なるドラマの前には些末なことにしか感じない。

 何より、軸となる許されぬ恋の主役、マテウシュとマリタを演じる俳優さんたちが、2人ともすんごく魅力的。普段、私は作品内の画像は貼らない(メンドクサイから)んだけど、今回はいくつか貼っちゃいます。今後、公開されるかどうかも分からないので、IMDbの画像サイトのリンクも。

 絶対的な美男美女、、、という感じでもないんだけど、とにかく素晴らしく美しく魅力的な2人。2人ともポーランド人ぽいお名前な気がするが、ポーランドでは有名な俳優さんたちなんだろうか。

 衣裳や美術、音楽も良くて、まあ、これぞ映画!!って感じの映画でありました。

 あーーー、配給会社様、どうか来年、日本で公開してください。お願いします。必ず劇場に行きます。お願いします!!

 

 

 

 

どうしても、もう一度見たいっ!!!

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレタ GRETA (2018年)

2019-11-20 | 【く】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68148/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 ニューヨークの高級レストランでウェイトレスとして働くフランシス(クロエ・グレース・モレッツ)は帰宅途中、地下鉄で置き忘れられたバッグを見つける。

 持ち主は、都会の片隅でひっそりと孤独に暮らす未亡人グレタ(イザベル・ユペール)。自宅までバッグを届けたフランシスは、グレタに亡き母の面影を重ね、年の離れた友人として親密に付き合うようになる。

 しかしその絆は、やがてグレタのストーカーまがいの行為へと発展し、フランシスは友人のエリカ(マイカ・モンロー)とともに、恐るべき事態に巻き込まれていく……。

=====ここまで。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 ユペールの新作ならば、とりあえず見ておこう、、、と劇場へ。

 

◆サイコ・コメディ?

 まぁ、話自体は想像の範囲を超えないし、ストーカーものとしては大人しい部類だと思う。グロいシーンもほとんどないしね。

 見どころは、そらなんつっても、ユペールのサイコBBAっぷりですよ。ていうか、ほとんどそれに尽きる、といっても良いくらい。BBAって言葉も表記もあんまし好きじゃないし、ユペールをそんな風に称するのも不本意だけど、グレタという女性は、どこをどう切ってもBBA以外にピッタリくる言葉がないのだよ。

 とにかく楽しそうだった、ユペールさま。特に、探偵がフランシスを探しに来たところ。フランシスが監禁されていることに気付いて、その場所を探し当てそうになった瞬間、背後からユペール演じるグレタBBAが踊りながら注射器で探偵のクビ元をブスリ、、、。探偵がドサリと床に倒れた横で、楽しそうに踊っている彼女には、もう、笑いがこみあげる、、、。

 こういうジャンルの映画だと、展開としては、中盤くらいまで被害者がストーカーの本性に気付くのを引っ張ることもあるけど、本作は、割と早い段階でフランシスはグレタのヤバさを知る。予告編にもあるように、フランシスが戸棚を開けたら、同じ鞄がいっぱい並んでいる、、、ってシーンは、確かにゾゾゾ、、、ではある。実際、こんな戸棚を見たら、かなり怖いだろうねぇ。

 多分これ、ちょっとコメディとしても撮っているんだと思う。でなきゃ、フランシスがグレタに逆襲するシーンで、あんな逆襲の仕方しねーだろ、、、という気がするから。まあ、どんなだったかは、敢えて書かないケド、、、今思い出しても笑えるもんね。

 ただ、フランシスも甘ちゃんで、逆襲も中途半端。私なら、あの後すかさずグレタの手足を縛っちゃうかな、とりあえずは。でも、ただ右往左往するだけのフランシスちゃんの場合、結局、逆襲は失敗に終わって、ますますヒドい状況に追い詰められるわけだが……。

 グレタの人物造形が、実の娘を自殺に追いやった、母親としてもヤバい人、ということになっていて、要は彼女はサイコパスってことなんだろうけど、サイコパスものも世間には溢れているから、あんましパンチはないですね、正直なところ。

 ま、BBA版“青髯”ってところでしょーか。フランシスの前に犠牲になったのは、一体何人くらいいたのかがイマイチ分かりませんが。日本でも、一昨年だったか、何人も殺して遺体を部屋に置いていた男がいたもんねぇ、、、。映画では、少なくとも1人の女性がフランシスの前に餌食になっていたようだったけれども。

 

◆その他もろもろ

 歳を重ねても美しいユペールだけど、今回は、さすがに、かなり歳をとったなぁ、、、と実感させられた気がする。ほんの数年前の『エヴァ』では感じなかったんだけれど。とはいえ、相変わらずイカレっぷりを淡々と演じていていらっしゃいましたが。

 グレタの餌食になりそうになったフランシスちゃんを演じたのはクロエ・グレース・モレッツで、頑張っていたけど、ユペールさまの前ではやっぱし霞んでしまうよねぇ。むしろ、ルームメイトのエリカを演じたマイカ・モンローの方が、私にはインパクトが強かった。エリカの方が一人の女性としても魅力的だし、友人としても非常に素晴らしい人。彼女みたいな親友を持てたフランシスちゃんは幸せだ。

 それにしても親友の名前がエリカ、、、って。彼女の名前がセリフに出てくる度に、『ピアニスト』のエリカ様が頭をよぎってしまったよ。

 探偵が探しに来た時点で、ああ、、、このオジサン殺されちゃうんだろうなぁ、、って分かるよね。そんな具合に、とにかくストーリーが想定内なもんだから、ちょっと物足りないといえば、物足りないかな。序盤で、グレタがピアノを弾くシーンがあるんだけど、どう見ても本当に弾いてないだろ、、、と思って見ていたら、ラストの方で、グレタはストーリー上でも本当に弾いていないのだということが分かって、ある意味、えぇ~~~っ、とはなったが……。レコードをかけて、それに合わせて弾いているフリをしていた、、、ってことらしいんだけど、いくらなんでもそりゃないんじゃないの??と思ったのは、私だけ???

 まぁ、ユペールが好きな人は劇場で見ても良いけど、別にDVDでも良いかな、というレベルではないでしょーか。

 

 

 

 

 

 

グレタはハンガリー人だそうです。

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブレハッチ&ワルシャワ・フィル @東京芸術劇場 2019.11.02

2019-11-17 | 番外編

 

 今年は、日本とポーランドが国交を樹立して100周年だそうで。その記念事業の1つとしてのコンサート。ブレハッチがコンチェルトを弾くのをライブで聴くのは初めてなので半年前のチケット発売日から首を長くして待っておりました。

 プログラムは、ポーランドの作曲家モニューシュコの歌劇の序曲が前プロで、メインはショパンのコンチェルト2曲。当初は、1番・2番の順番だったけど、当日、曲順を入れ替えると発表があった。……まあ、曲想から行けばそうなるわね。

 2年ぶりに見るブレハッチ君は、なんだかちょっと痩せたんじゃない?という感じ。いや、もともと細身で小柄だけど。地味なスーツでお出まし。若い頃のポリーニみたいに颯爽とステージに現れる、、、という風ではゼンゼンなく、後ろに続く指揮者を気遣いながらソロソロ歩いてきた。リサイタルの時はもう少しサッサと歩いていたように思うが、、、。やっぱしオケ付きだと多少違うのかしらん。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 まずは2番から。1番より華がなく地味だけど、私はどっちかというと、2番の方が好きかな。で、圧巻は2楽章。まあ、元々美しい曲なんだが、彼が弾くと、なんというかこう、、、キラキラではない、薄くベールのかかったような光がフワ~~~ッと見えるような神々しさを感じるのでありました。気がついたら、目尻から涙が出てた、、、。嗚呼、もうこれを聴けただけでこのコンサートに来た甲斐があったというもの。やはり彼の素晴らしさは、p、ppだよねぇ。どうしたらあんなppが出せるのか。

 まあ、それは1番の2楽章にも言えることなんだけど、とにかく、pやppでの表現力は、聴いているこちらの呼吸を止めさせるほど。あんなppを出せるピアニストは、多分世界広しといえども、そうそういないだろう。

 3楽章はマズルカを基にしているだけあって、民族舞踊音楽っぽくて土着な感じが好きなんだけど、彼の弾く3楽章を聴いていたら、映画『COLD WAR』での舞踊シーンが目に浮かんで来た。

 嗚呼、、、もう2番だけで胸がいっぱいになる。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 お次はメジャーな1番。ショパンコンクール以来のワルシャワ・フィルとの1番協演とのこと。

 もう、何かイロイロ書くのも野暮に思えるくらいなんだが、ppの表現力も圧巻ながら、彼のffは非常に品がある。どんなにfの数が増えようが、絶対に音が壊れないというか。私の表現が稚拙なんでどうにも書きようがないんだけど、とにかく楽器が叫ばないというか。鳴るんだよね。

 ポリーニのfは豪腕さを感じるし、実際彼のffの弾き方は全身を使って楽器に力を伝えているように見える。ピアノという楽器を征服している感じ。

 でも、ブレハッチはそんな風に見えないの、ゼンゼン。生き物みたいなのよ、ピアノという楽器が、彼の手にかかると。ffを弾いていても、全身の力を込めて、、、って感じじゃない。でも、楽器はもの凄く鳴っている、、、みたいな。ああ、、、なんという下手くそな文章表現。我ながらガックシ。

 とはいえ、彼も汗をかくらしく、楽章間では汗をハンカチで拭っていた。確か3楽章が始まる前に、鍵盤に落ちた汗を拭いた拍子に、ポロンと音が鳴ってしまって客席から笑いが少し起きるという、コンサートではかなり珍しい光景もあった。ブレハッチも、ちょっとはにかんだようにしていたのが、何となく彼の人柄が垣間見えた気がした。

 3楽章のラストの超絶アルペジオとかも、サラサラと弾いているように見えて、音は実に艶やかで、、、何かもう、人間じゃないな……って思ってしまった。

 いやもう、、、この演奏を聴いて、今年の残り、多少のことがあっても何とか生きていけそうだと思いました、マジで。

 ちなみに、アンコールもショパンのマズルカであった。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 それにしても、芸劇のホールなんて一体何年ぶりに行ったことやら。地下にある劇場には2、3年前に舞台を見に行ったことがあるけど、ホールの方は、もしかすると開館直後に一度行ったきりかも。その頃に比べると、池袋の西口もかなりキレイになったもんだ。

 ステージの後ろに、バルタン星人みたいなパイプオルガンがあった記憶があるんだけど、この日はステージの後ろは全面音響板になっていた。変えられるようになっているのかしら? 音響もあんまし良いイメージなかったけど、なかなかどうして、結構よく鳴っていたし残響もキレイだったと思う。サントリーホールのS席とか、ピアノコンチェルトでピアノがゼンゼン聴こえなかったりするんだが、ブレハッチの美音が非常にキレイに、私の席には聞こえてきました。

 そうそう、始まる前に、ふと後ろを見たら、すぐ後ろの列の左側にツィンマーマン氏が座っていた。思わず、あれ、、、?と思って一瞬見直してしまったが、その後色んな方と挨拶していたので、まあ、間違いないでしょう。彼のピアノは私はあんまり好みじゃないけど、日本にはよく来てくれているし、長年世界の第一線で精力的に活躍しているスゴいお方です。

 ワルシャワ・フィルも、ショパンの伴奏なんてコンクールで何度も演奏しているだろうけど、まあ、ソリストを邪魔することなく(ホルンがちょっと、、、の箇所もあった気がするけど)素晴らしい演奏だった。

 とにかく、幸せな2時間でありました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運び屋 (2018年)

2019-11-16 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66413/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 孤独な90歳の老人アールは、商売に失敗し、自宅も差し押さえられそうになった時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。

 簡単な仕事ならと引き受けたものの、それはメキシコの麻薬カルテルの“運び屋”という危険な仕事で、アールはそうとは知らずに仕事を始める。

=====ここまで。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 俳優引退!と言っていたイーストウッド。そんなの寂しいヨ、、、と思う半面、いや、あのじーさんならまたいつか表に出てくるはず、、、と思っていた。……ら、ホントに出て来たよ、表に!! 劇場に行こうか迷っているうちに終映してしまったので、このほどDVDでようやっと見ましたとさ。

 

◆イースドウッド自身の懺悔映画

 イーストウッドの監督作はおおむねダメなんだが、本作は珍しく“抵抗なく”見ることが出来た気がする。麻薬犯罪が背景になっているけど、まあ、主眼は“家族”だからね。いつ、麻薬組織がアール爺さんに牙を剥くかと思って冷や冷やしながら見ていたけど、杞憂に終わった。

 実に実に平和な犯罪映画。……って何かヘンだけど、でもそうだったんだから仕方がない。安易な感じもするけど、まあ、こういうのも良いんじゃないのかしら、って感じ。

 アール爺さんが何回運び屋やっているのか、その度に字幕が出るんだけど、フツーなら、運び屋稼業に飽き足らなくなって何かよからぬことをやっちまって、、、っていう展開になるかと想像するけど、10回超えても、基本的にアール爺さんは余計なことはしない。せいぜい、砂漠の真ん中でタイヤがパンクした家族の車のタイヤ交換を手伝ってやるくらいなもん。非常に業務に忠実かつ確実なんである。そりゃ、麻薬組織の信用が高くなるのも理解できる。

 しかし、、、やっぱしイーストウッドってマッチョよね。まぁ、ダーティハリーなんかからしてマチズモ全開だったんだから、彼の人生をマッチョが貫いている、とも言えるが。前回の『グラン・トリノ』でもそうだったが、平気で差別的発言を、その当事者に向かってしてしまう辺り、トランプとイイ勝負。あんなヨボヨボになっても、女たちとお楽しみシーンを外さないところも、イーストウッドの素じゃないかね、あれは。

 彼自身の懺悔映画みたいなものかな~、と思いながら見ていた。本作が公開時に、新聞にイーストウッドのインタビュー記事が出ていたんだが、自身のプライベートを振り返って「反省していることもある」なーんて言っていて、むしろビックリ。反省するんだ!? みたいな。何を反省しているのかしらん。

 家庭を顧みなかったアールは、死の床にある元妻を看取るために、麻薬組織の鉄壁の掟を破って元妻のところへ駆けつける。ここでの元夫婦の会話が結構イイ。あのくらいの歳になれば、過去のあれやこれやも“そんなこともあったねぇ~”って感じになれるのか。元妻は、アールのことを今でも愛している、という設定になっていたけど、どうにもこうにもアールに都合良過ぎじゃない?と思っちゃうのは私だけしらん。命の危険と引き換えに、妻への罪滅ぼしをしたんだから、許されても良いだろう、、、と世の多くの人は思うんだろうか? 私も、あれくらいまで長生きしたら、色んなことを達観できるようになるんだろうか????? 

 でも、イーストウッド自身は過去の女性たちに許されたんですかね? 彼を訴えていたソンドラ・ロックは亡くなってしまったし。最初の奥様はご存命なのかな?? ソンドラ・ロックには相当ヒドいことをしていたみたいだから、現実はそんな甘くないと思うけどねぇ。

 一つ疑問だったのは、アールが死にそうな元妻の所へ行っている間、麻薬組織は彼のことを血眼になって探しているんだが、そんなもん、車かケータイかブツにGPS仕込んどくモンじゃないの?フツー、、、と思ったんだけど、どーなの?? あんなことあり得るのか、イマドキ。30年前なら分かるけど、、、。

 

◆ヨボヨボイーストウッドとかいろいろ。

 それにしても、さすがのイーストウッドも、もう“歳取った”なんてもんじゃなくて、“ヨボヨボ”だった。曲がった背中の後ろ姿は、ハリー・キャラハンを愛している者にとってはかなり切ないものがある。とはいえ、スーツを着れば、やっぱりそれなりにキマッているし、あんな90歳、まぁそんじょそこらにはいないことは確か。

 あと、音楽が良かった。彼の映画は音楽が良いのが多い。さすが、マニアを自称するだけのことはある。

 なんだかんだ言っても、彼は、非常に恵まれた老人なのではないだろうか。悠々自適に過ごせるだけの資力もあり、ヨボヨボになったとはいえ健康だし(多分)、何より必要としてくれる人々がいて、彼の出ている映画を喜んで見ている人たちがいて、皆に尊敬されて、、、。それで彼が幸せなのかどうかは分からんが、あんな年寄りにならなっても良い、、、と思うんじゃないかしらね、多くの人は。

 特典映像で出演者たちのインタビューを見たけど、みんなイーストウッドを褒めちぎっていて、ちょっと不気味ですらあった。あんな場面で悪口なんか言うはずはないが、それにしたって、みんな褒めると言うより、崇めている感じなんだもんね。

 まあ、彼はこの後にも監督した作品が公開待ちみたいだから、恐るべき90歳である。

 ブラッドリー・クーパーは、相変わらず男前だし、重要な役どころではあるけど、ほとんど見せ場のないまま終わってしまった感じ。強いて言えば、朝のダイナーでアールと偶然会ってしみじみ会話を交わすシーンくらいかな。あとはラストと。

 麻薬組織のドンで、途中で子分に殺されちゃうラトンを演じていたのが、アンディ・ガルシアだったのがビックリ。エンディングの字幕見て、初めて知ったわ。ゼンゼン分からなかったよ、、、。彼は私の中では、『アンタッチャブル』『ゴッドファーザーPART3』のままで止まっている、、、。実際、彼のその後の出演作、1本も見ていない気がする。

 ラストとかもかなり甘いので、ちょっとなぁ、、、という感じはかなりあるけど、まあ、イーストウッドだからいっか……! と思っちゃう私は、やっぱしまだ彼を愛しているってことかしらね。

 

 

 

 

 

イーストウッド、100歳まで生きると思う。

 

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョーカー (2019年)

2019-11-06 | 【し】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67961/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 アーサー・フレックはコメディアンを夢見る心優しい男。母親から「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」と教わった彼は、大都会で大道芸人として暮らしながら、いつの日か世界中に笑顔を届けようと心に誓う。

 しかし、周囲から冷たい反応や暴力を受け、しだいに精神を病んでいった彼は、自ら施したピエロメイクの悪“ジョーカー”へ変貌を遂げる。

=====ここまで。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 映画友に誘われ、気乗りしないものの話題作みたいだし……、と思って見て参りました。気乗りしないとか言いながら、事前に『ダークナイト』で予習までしたんですけどね。ゼンゼン予習になっていなかったという、、、ごーん。

 ちなみに、バットマンシリーズ系はほとんど見ていないし、知識もありません。

 

◆アーサーがモンスター化したお話なのか?

 何で気乗りしなかったかというと、『タクシードライバー』に通じるものがあるという事前情報を小耳に挟んでいたから。アレ、嫌いなんです、私。“こんなオレに誰がした!? おまいらだ!!”みたいなの。ぼくちゃん、顔洗って出直してらっしゃい!!って気分になるのよ。トラウマでモンスター化って、まあ、日本では『八つ墓村』の元ネタとかあるけど、トラウマとモンスター化の間に乖離がありすぎで、それで共感する人も多いらしいけど、私からすると、処女懐胎と同じくらい因果関係があべこべなわけよ。

 だから、ジョーカーはこうして生まれましたっっ!!とドヤ顔で描かれていたら吐くかも、、、と思っていたのだけど、本作の場合、ゼンゼンそういうのとは向きの違うベクトルの映画だった。

 まあ、本作の解釈は既にあちこちで書かれているので、以下、感じたことをつらつらと書きます。

 なんか、アーサーを見ていたら、可哀想で、いたたまれなくなってしまった。あんまし人に“可哀想”と安易に言うのは好きじゃないんだが、アーサーにはほかに適当な単語が浮かんでこない。

 あんなに自分のことを差し置いて面倒見てきた母親が、実は何の血縁もないアカの他人だった……!!とか。いや、その前に、仕事仲間で“良いヤツ”と思っていた男に、ものすごく分かりやすく裏切られたりとか。そのせいで失業しちゃうとか。もう、小児病棟で、ピエロに扮するアーサーのポケットから拳銃がボロッと床に落ちたときは、あまりのことに思わず苦笑さえしてしまったよ、私は。なんでそこで落とすかな、拳銃、、、。

 本作内でアーサーは何人も人を殺しているけど、最初は正当防衛から始まり、復讐、制裁と、だんだん社会性を帯びていくんだよね。有名人殺しの生中継とか、、、。でも、自己顕示のための無差別殺人とは意味合いが違うような。一緒だとみなす向きもあるだろうが、私には、一連の殺人は、アーサーにとって地続きのものに思えた。つまり、最後までアーサーがモンスターになったようには見えなかった、ってこと。

 『ダークナイト』のジョーカーと、アーサーのジョーカーは、別物だろうね。『ダークナイト』のジョーカーはもともとモンスターというか、サイコパスにしか見えない。でも、アーサーは少なくとも、サイコパスではないと思う。この後、彼が快楽殺人鬼になるとは、やっぱり思えないし。それに、アーサーのジョーカー、口裂けじゃなかったし。いつ口裂きシーンが出るかとビビっていたけど、最後までそんなシーンもなかった。

 病気で精神的に不安定だった中年男が、リンチに遭って身を守るために銃を発砲して殺人を犯したことで、“人殺し”に対するタガが外れて、自分を嵌めたヤツや笑いものにしたヤツに復讐し制裁をするために殺した、そして病院送りになった、、、、という、ストーリーだけ追えば、割とフツーのお話だと感じた次第。

 

◆その他もろもろ

 ホアキン・フェニックスは、『ゴールデン・リバー』のときとゼンゼン別人みたいでビックリ。かなり減量したのかしらん? 本作のトッド・フィリップス監督とのツーショット写真がネットに出てたけど、アーサーよりも大分丸くなっていて顔もちょっと違っていたゾ。

 あの急な階段で、赤いスーツにピエロメイクしたアーサーが踊るシーンが、非常にインパクト大だった。映像的にもだけど、あんな狭い階段で、あんなことしてよく落っこちないなぁ、、、と冷や冷やしてしまって。

 そもそも、バットマンに限らず、アメコミのキャラ全般に無知なので(アベンジャーズとか当然訳分からん)、ジョーカーのバットマンにおける位置づけとか知らないんだけど、ジャック・ニコルソンもジョーカーを演じていたようだし、これを機に、ちょっくらバットマンものを見てみようかと興味を持ったのが、本作を見た収穫かな。

 あと、イカレた養母のペニーを演じていたフランセス・コンロイがホアキンに勝るとも劣らず印象的だった。一見、ヤバそうに見えないけど、やっぱりかなりヤバいオーラを発散していて、ああいうのって演技で出来るものなのか、、、と。ジャック・ニコルソンじゃないけど、あれが素じゃないの??と思うくらい。いやはや、すごい役者さんだ、、、。

 監督のインタビューを読むと、何年も経ったら、本作について詳細を話したい、というようなことを言っている。今はそれを知りたいと思っているけど、そのときになったらすっかり忘れてるんだろうな、という気がする。でも、ラストの赤い足跡ペタペタは、なかなか忘れがたいシーンだった。見に行って、まぁ、良かったかな。

 

 

 

 

 

 

あのアパートのエレベーターも地下鉄も、絶対、乗りたくない!!

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第三夫人と髪飾り(2018年)

2019-11-03 | 【た】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68260/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 19世紀の北ベトナム。絹の里を治める大地主(レ・ヴー・ロン)のもとに、14歳のメイ(グエン・フオン・チャー・ミー)が3番目の妻として嫁いでくる。

 一族が暮らす大邸宅には、穏やかでエレガントな第一夫人のハ(トラン・ヌー・イエン・ケー)とその息子ソン(グエン・タイン・タム)、美しく魅惑的な第二夫人のスアン(マイ・トゥー・フオン)と3人の娘たちがいた。そして、若き第三夫人メイには、さらなる世継ぎの誕生が期待されているのであった。

 まだ無邪気さの残るメイは、ふたりの夫人に見守られながら穏やかな毎日を送っていたが、やがて、ここでは世継ぎとなる男児を産んでこそ“奥様”と呼ばれることを知る。  ほどなくしてメイは妊娠。出産に向けて季節が移りゆくなか、第一夫人も妊娠していることが発覚する。そんな折、メイは第二夫人のある秘密を知ってしまい……。

=====ここまで。

 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆

 

 昨年初めてベトナムに行ったせいか、美しい北ベトナムの風景が出てくる予告編を見て、興味をそそられ見に行って参りました。

 と言っても、見たのは先月半ば。早く感想を書こうと思っていたんだけど、風邪を引いて鼻づまりが続き、ブログどころではない日々。といっても不調なのは鼻だけで、喉も痛くないし、頭痛もほとんどないし、当然熱はないし、でもダルい、頭もボーッとする(……これはいつもだが)、何かヘン、、、。……というわけで、先週1週間はほとんど健康優良児並みの早寝をする毎日。体調が悪いときは寝るに限る。

 がしかし。早寝を続けたにもかかわらず、一向に鼻づまりは改善せず。かんでもかんでも出てくる鼻水は一体どこから来ているのか? 脳ミソ溶けてんじゃねーの??と自分でツッコミを入れたくなる。今回、鼻が詰まって困ったのは、嗅覚がまるでダメになり、とにかく味が分からない!! 食欲はゼンゼン衰えないから、フツーに食べるのだが、せっかく食べても味が分からない。辛いのと苦いのは一応分かるが、甘いのはイマイチ分からない。目をつぶって食べたら、きっと今自分が何を食べているのか分からないに違いない。それくらい味が全く分からない。鼻が詰まったことなどこれまで何度もあるはずだけど、ここまで味が全く分からなくなったのは初めてな気がする、、、。

 相変わらず、何となくボーッとしたのが続いていたけど、昨日は半年前から待っていたブレハッチ&ワルシャワフィルの演奏会で、これが期待以上に良かった!(感想はいずれ書きたい、、、)ので、良い気分で調子に乗って帰りにデメルでエクレアとか買いこんで来たんだが、帰宅して早速エクレア食べたら、何と!! 嗅覚が復活したんである! 良い音楽聴いて美味しいもの食べたら、味が分かるようになった、という、、、私の体調は非常に現金なものだと分かった次第。

 デメルのエクレアは、シュー生地の下にもチョコが敷かれていて、いやはや良いお値段の訳だ。

 と、前振りが長くなりすぎましたが、本題へ。

 

◆監督自身が上映中止の判断をすることに……。

 監督は、ベトナム出身で欧米育ちの女性アッシュ・メイフェアというお方なんだが、ベトナムで本作が公開されて数日後、上映中止を決断せざるを得ない状況になったらしい。

 内容もだが、主役である第三夫人のメイを演じたグエン・フォー・チャー・ミーとその母親に対する批難・中傷が激しくなったためだとか。公開前から炎上状態だったというから、中には本作を見てもいない人たちが多くいたのだろうことは想像に難くない。14歳で第三夫人に、、、というストーリーから、この母親に対し「娘を金のために売った」という中傷まであったらしい。

 日本でもR指定になっていたみたいだけど、性的な描写は一応あるが、そんな指定は必要ないくらいに全編抑制の効いた描写だったと思う。児童婚がいまでも行われているインドなどの現実の方がよっぽどマズいでしょ、、、なんて真っ当な意見はかき消されるんだわね、こういう場合。

 昨年行ったときにガイドさんが話してくれたことを聞く限り、ベトナムの女性たちもかなり社会進出している様だったが、まだまだ抑圧されている部分はあるだろうね、そりゃ。日本だっていまだに、、、なんだから。そして、そういう歴史に蓋をしよう、いやそれどころか抹消しようという人々は、ベトナムにもやっぱりいるらしい。本作は上映中止に追い込まれたが、まあ、これからもっと直截的な作品は多く出てくるだろう。メイフェア監督も、これからの若い女性アーティストのためにも、ベトナムでの上映に拘ったと言っている。

 

◆男たちはいずこ、、、?

 本作は、全体にセリフは少なく、メイの目線で日常が丁寧に描かれていくので、一見単調な感じがするが、実はそこにはそれぞれの立場での葛藤が静かに描かれており、淡々としながらも埋み火がチロチロと見え隠れする、、、そんな映画。

 ……といっても、夫人たち同士は一応仲が良く、協力し合って生活していて、表向き“大奥”みたいな陰謀渦巻くドロドロはない。けれど、メイは、第二夫人に恋愛感情を抱いたり、自分と同時期に第一夫人が妊娠したと知ると「どうか私にこの家で最後の男の子をお授けください」と祈ったり、、、と、複雑な心の内を見せる。いくら抑圧された状況とは言え、人間なら当たり前だと感じる。

 印象的なのは、とにかく男たちがほとんど出て来ないこと。家事はもちろん、家業の養蚕、農作業を始め、牛の出産や鶏の解体といったことまで、ほとんど全て夫人たちと下働きの女性たちが担っているのである。一体、男たちは何やってんの??という感じで、この家の主も若旦那も、おそらく仕事らしい仕事はしていないと思われる。取引や商談の場に、“顔”として出ていくのが彼らの仕事なんだろう。実際に手を動かし作業をするのは、ほとんど女たちだった、ということのようだ。

 しかし、そんな女たちは主体的に生きることは禁じられており、女たちの人生を決定するのは“普段は何もしない”男たちなのである。メイもそうやって第三夫人になるべく、嫁いできたわけだし、第一夫人、第二夫人もそうだった。そしてそんな理不尽が最悪の形で表出するのが、第一夫人の息子(長男)にトゥエットという少女が嫁いでくるエピソード。

 この長男、なんと、第二夫人と不倫しているのである。長男は第二夫人を本気で愛しており、結婚などしたくないと泣いて訴えるが、トゥエットは何も知らずに嫁がされてくる。初夜に新郎に拒絶されたことで、彼女自身に何の罪もないのに、実の父親さえトゥエットを家の名を汚す娘と貶める。立つ瀬のないトゥエットは、結局、自ら首を吊る。……なんという不条理。

 こういう現実を不条理と明確に認識し、NOと意思表示するのが、第二夫人の娘というのも皮肉である。この娘は、「男になりたい」とも言う。そして、ラストでは、女性の象徴である長い髪をジョキジョキとハサミで切って川に流すというシーンで終わる。

 この時代、女性たちは何となく理不尽さを感じながらも“そういうもの”と受け止めていた人が多かっただろうが、その中で、その理不尽にNOと声を上げ、自覚的に行動に移す女性というのは珍しかったに違いなく、本作でもシンボリックに描かれる。こうして希望を抱かせるラストではあるけれど、その後のベトナムの歴史(植民地化、ベトナム戦争)を知る身としては、複雑でもある。

 

 

 

 

 

 

またベトナムに行きたくなった!

 

 

 ★★ランキング参加中★★

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする