映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

美しい絵の崩壊(2013年)

2020-11-29 | 【う】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv55444/

 

 幼馴染みで無二の親友であるロズ(ロビン・ライト)とリル(ナオミ・ワッツ)は、長じて、二人とも結婚し、相前後して息子に恵まれた。リルはその後夫を事故で亡くすが、近所に暮らすロズの支えもあって、海を見下ろす家で暮らしていた。

 成長した双方の息子たちも幼い頃から親しく、ロズとリルは互いに第二の母親のような存在だった。

 リルの息子イアン(ゼイヴィア・サミュエル)は、以前からロズに思いを寄せていたと言って、ある晩、ロズに迫る。ロズは驚きながらも受け容れる。しかし、それをロズの息子トム(ジェームズ・フレッシュヴィル)に見られてしまう。トムは仕返しとばかりに、リルに強引に迫る。リルは最初は拒絶するものの、ロズとイアンが深い仲になったとトムから聞かされると、そのままトムを受け容れる。

 それから、互いの母親と息子が恋愛関係になるのだが、、、。


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 何かの予告編で見てDVDをリストに入れたらしい、、、。これ、2014年に公開されていたんですねぇ。知りませんでした。


◆親友というよりも、、、

 本作を見た後に知ったのだけど、監督がアンヌ・フォンテーヌという女性なんだが、私、この人の作品を見たの、これで3本目だったみたい。これまで見たのは『夜明けの祈り』(2016)『ボヴァリー夫人とパン屋』(2014)。どちらも、まあまあ悪くない印象の映画だった。

 でも、本作は、ちょっとね、、、という感じ。そもそも、親友同士が、互いの息子と恋愛関係になる、、、ってのが、あんましグッとこないお話よね(だったら見るな、って話なんだが)。まあ、実の息子と近親相姦じゃないだけマシだけど。

 ……ただ、その辺は、見ている過程で、ちょっと印象が変化していった。なんというか、ロズもリルも、息子たちを男性として愛している、というよりも、“親友の息子だから”好きなんだな、と。つまり、ロズもリルも、全然関係のない、例えば職場の若い男の子とかだったら、相手にしていなかったんじゃないか、ということ。

 オープニングは、子どもの頃のロズとリルの描写なんだが、少女の友情にありがちな同性愛的な印象があり、実際、大人になった2人も同性愛の疑いをかけられるシーンがある。ロズとリルが実際に肉体関係を結ぶことはないんだけれども、十分、プラトニックな恋愛関係が成立していると思う。

 それを一番感じたのは、リルが、ロズの息子トムに去られて悲しんで涙にくれるシーン。セリフよりも、その身体的な描写にね、、、。ロズが、リルを背後から優しく抱きしめるのだけど、もうほとんどそれは恋人同士のハグシーンだろ、って感じだった。このシーンを見て、私は、この2人は息子のことを愛しているんじゃなくて、その向こうに、互いの存在を感じているから恋愛関係を続けてきたんだな~、と感じたのだった、、、。

 しかし。それでもやっぱり、私の感覚では息子と同じくらいの年齢の男の子と深い仲になるってのは、ちょっと気持ちワルイので、この2人の女性にはゼンゼン共感できなかった。

 そこまで深くて強い友情ってのは、スゴいよね。私なんて、子どもの頃仲の良かった友人は、今や名前も思い出せないくらい。そもそも、協調性のない子どもだったので、親友と呼べる人はおろか、友人も少なかった。今も関係が辛うじて続いているのは、高校時代以降の友人ばかり。ロズとリルみたいに、ずーーーっと近所で住んで、同じくらいの時期に結婚して出産して、、、っていうのは、かなりレアでしょう。というか、そういう設定自体がもう、神秘的ですらある。この2人が分かちがたい、それこそ、魂の片割れみたいな存在、ということなのかもね。

 だとしても、それで息子や夫を巻き込むのは小説や映画だけの世界にしておいてほしい。友人に限らず、親子、兄弟姉妹でも、あまりにも結びつきが強すぎる関係ってのは、周囲に悪影響を及ぼすと思うなぁ。人間、やっぱり適度な距離が必要なのでは。プライベートでも、ソーシャルディスタンスは大事でしょ。


◆その他もろもろ

 ロビン・ライトもナオミ・ワッツも、40代半ばで、おキレイです。お腹も出てないし、お胸もお尻も下がっていない。あんなキレイな母親がいたら、息子たちからしてみれば、その辺のギャルがつまんないガキに見えるのも仕方がないかもねぇ。

 イアンを演じたゼイヴィア・サミュエルくんは、なかなかイケメンだった。トムのジェームズ・フレッシュヴィルくんは、まあ、、、好みの問題かな。一番可哀想なのは、ロズの夫だよねぇ。折角、お仕事で栄転なのに、家族は着いてきてくれないどころか、閉じた関係でよろしくやってるんだから。夫は完全に蚊帳の外。離婚して正解です。

 本作の邦題は『美しい絵の崩壊』なんだけど、この4人の関係は、結局崩壊していない気がするんだよね。ネットでは、この「崩壊」は、イアンのことだと書いている人がいたが、なるほどなぁ、、、と思った。確かに、この4人の中で、一番傷ついたのはイアンだろうから。そして、イアンは美しい(トムに比べると、、、という意味だが)。

 しかし、この4人はこれからどうなるんだろうか、、、。もういっそ、4人で楽しく暮らしたら?と言ってやりたくなる。だって、誰かが入っても、弾き飛ばされるだけなんだから。夫や、息子たちが結婚した相手の女性たちのように。誰も巻き込まないでください、って感じ。

 原作は、ドリス・レッシングの短編集『グランド・マザーズ』だそうだ。ドリス・レッシングなんて、初めて聞いた名前だが、ノーベル文学賞を2007年に受賞している。その経歴をざっとネットで読んだら、俄然興味が湧いてしまって、原作本を通販で早速ポチってしまった。おそらく原作小説の方が面白いとみた。もうすぐ本が届くと思うけど、読むのが楽しみ~♪

 
 

 

 

 

 

海辺の家が素敵。1週間くらいなら住んでみたい。

 

 

 


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ブルジョワジーの秘かな愉しみ(1972年)

2020-11-24 | 【ふ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv12392/

 

 まあまあリッチな男女6人が、なかなか食事にありつけない、ようやく食事を始めたかと思うと邪魔が入る。そして、6人は田舎の一本道をひたすら歩き続ける、、、。

 ブルジョワを虚仮にしまくる……ブニュエルさまならではの作品。


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 あらすじを書こうにも、書きようがないのでヘンな紹介文になってしまい、すみません。

 本作は『皆殺しの天使』(1962)のコメディ版とも言われているらしいのだが、言われてみればそうなのかな、、、という気もする。不条理度で言えば、確かにイイ勝負。

 この映画は、あれこれ小難しいことを考えるよりも、はぁ? という感じの笑いを素直に受け止めて、ブニュエル節に流されるがままに見ていた方が楽しいと思う。それくらい、ストーリーを追うことに意味がない。

 『皆殺しの天使』では、色々考えさせられたけれど、本作の場合、あまりにもバカバカしすぎて、むしろ、ブニュエルがよくこんなヘンテコなシナリオを書いたもんだと、呆れるような感心するような、、、。

 で、この脚本をブニュエルと共同で書いているのがジャン=クロード・カリエールなんだが、この人は、いろんな監督の脚本を書いている(しかも共同で)。ハネケの『白いリボン』から、ミロス・フォアマンの『宮廷画家ゴヤは見た』まで、実に守備範囲が広い。『存在の耐えられない軽さ』も、監督と書いている。そして、その大半が傑作・名作なんだから、スゴいとしか言い様がない。戯曲も書いているようで、なるほど、、、という感じ。

 主役カップルの夫・セネシャルを演じたジャン=ピエール・カッセルが若くて、ヴァンサン・カッセルとそっくり。いや、ヴァンサン・カッセルがそっくり、、、なんだが。そして、セネシャルの妻を演じたステファーヌ・オードランが非常に魅力的。このカップルが素敵だったなぁ。テブノ夫人の デルフィーヌ・セイリグも美人。

 密かに別の相手と浮気していたり、客を待たせてセックスしていたり、、、と、食欲と性欲がメインだけど、終盤はなぜかテロリストとかも出て来て、不条理な暴力も描かれる。そういえば、『皆殺しの天使』でもそうだった、、、。

 ブニュエル作品は、本作を始め、メキシコから戻ってからの作品に話題作が多いみたいだけど、私が衝撃を受けたのは何と言っても『忘れられた人々』。ショックで見た後1週間くらい、引きずったというか、立ち直れなかった、、、。かと思うと、変態映画『小間使の日記』もあるし、『愛なき女』なんていう安っぽいメロドラマも撮っているし、かなり振れ幅があるのが面白い。ジェラール・フィリップの『熱狂はエル・パオに達す』、昔BSで放映していたのをVHSに録画したんだけど、そのビデオが行方不明になってしまって今に至るまで見られずじまい、、、。どこ行ったんだ、、、。

 ……と、感想を書きようがない作品だったんで、余計なことを書いてしまいましたが、本作は面白いので見て損はないと思います。
 

 

 

 

 

 


ブニュエル版『嵐が丘』が見たい。

 

 


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おもかげ(2019年)

2020-11-23 | 【お】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71343/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 離婚した元夫と旅行中の6歳の息子イバンから、パパが戻ってこないという電話がエレナ(マルタ・ニエト)にかかってくる。フランスの海辺からの電話が息子の声を聞いた最後となり、息子は行方知れずになってしまった。

 それから10年後、海辺のレストランで働くエレナだったが、その場所で失踪事件のことを知らない者はいなかった。

 ある日エレナはフランス人の少年ジャン(ジュール・ポリエ)と出会う。ジャンにはイバンの面影があり、ジャンはエレナを慕って彼女の元を頻繁に訪れるようになっていった。しかしそんな二人の関係は周囲に戸惑いと混乱の波紋を広げていき……。
  
=====ここまで。


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 またまたコロナの感染者数が急増していますねぇ。この三連休はポーランド映画祭に通う予定だったけれど、やめました。実際、劇場が混んでいたかどうか分からないけど、これだけ増えているということは、無症状の潜在感染者数はその数倍はいるだろうと思われ、医療現場が大変なことになっていると医師会のオジサンの嘆き節を聞いていたら、とてもじゃないけど、行く気が失せました。

 しかし、ニュース映像で見た連休初日の空港や駅や観光地の人混み、、、。正直なところ、来月から年末年始にかけてが怖ろしい。この惨状に、ようやく政府はGOTOキャンペーンの見直しに舵を切るようだが、経済を停滞させたくないのなら、きちんと検査体制&医療体制を整えるのが必須だろうに、コロナが蔓延してからもうすぐ1年だってのに、いまだに体制づくりは無策のままで、今さら「国民の命を守るため」とか、どの面下げて、、、って感じなんだが、ハナからスガなんぞには期待もしていないから想定内といえば想定内。これで支持率60%近くあるって、一体どなたが支持していらっしゃるのかしら。

 ……とまあ、グチはこれくらいにして。

 この映画、予告編を何度も見せられていたので、何となく見ておこうかな、、、という感じで見に行った次第。サービスデーだってのに、200人は入る劇場に、私を含めて恐らく20人も入っていなかったんじゃないかしらん。密を避けるにはいいけど、劇場運営が心配、、、。


◆10年前の謎は謎のまま。

 本作の冒頭15分くらいの導入部が短編として2017年に発表され、その後に続く物語は、短編が公開されて2年後に制作・公開されたというもの。短編がいろんな賞を受けるほど評価が高かったらしく、監督がその後の物語を作りたくなったんだとか。

 で、見る人は、冒頭の15分で起きた話が、10年後にどう展開するかが気になるのだけれども、ストーリー的には息子イバンがどうなったのかは分からないまま。実際、エレナ自身も分からないみたいなんだが。イバンの件について、真相が明らかには、最後までならない。

 この、“どうなったか分からない”という状況って、人間にとってはものすごく嫌な状況よね。ましてや、自分の息子がいなくなって、行方が杳として知れない、、、なんてのは、想像を絶する。いっそ、亡くなったとハッキリ分かった方が、遺された者にとって、精神衛生上まだマシだろう。

 10年後のエレナには、恋人ヨセバもいて、一見、どうにかマトモに暮らしている様に見えるが、当然ながら、全然エレナはマトモな精神状態ではない。そりゃそうでしょう。何がどうなったのか分からないまま、、、多分もうイバンは生きていないだろう、と思いながら、イバンがいなくなった海岸を毎日見ながら過ごしているのだ。10年なんて、彼女にとっては、心の整理をするには短すぎる時間でしょう。

 このヨセバが、なかなか出来た人で、イイ男(中身が)なんである。でも、いくらイイ男が側にいようが、エレナの精神状態を良い方に向かわせる助けには全然ならないのだよね。

 ネットで感想を拾い読みしたんだけど、“ヨセバと一緒に暮らせば幸せになれるのに。子どもにも恵まれるかも知れないし”……みたいなことを書いている人がいて、なんだかなぁ、、、と思ってしまった。確かに、私も、ヨセバとだったらエレナも幸せになれるかもね、、、と見ていて思ったが、エレナがそう思えないんだからしょーがない。それに、子どもに恵まれるとか、そういうことじゃないだろう、エレナの本質的な苦しみは。イバンがいなくなったこと、が全てなんだから。他に子どもが出来るとか出来ないとか、関係ないんじゃない?

 問題は、エレナが、イバンの“おもかげ”を持つ少年ジャンと、色々と交流を持つこと。エレナのジャンへの接し方が、私にはちょっと理解できなかった。最初は、イバンに似ている、、、というところから、ジャンの後を付けてしまうんだが、マセガキのジャンは、事情を知らずに年上女性に興味を抱いてエレナに積極的に近付いてくる。私がエレナなら、「いなくなった息子に似ているから後付けちゃった、ゴメン」と言って、それ以上の関わりを持とうとは思わない。でも、エレナはジャンを自宅に招いたり、一緒に食事したり、夜の海岸で泳いだり、、、と、ジャンとの関わりを続ける。でも、ジャンをイバンの代わりに……という風でもないんだよね、これが。かと言って、恋愛対象として見ている風でもない。その辺、エレナ自身も曖昧なのかも知れない。

 ……と思って終盤まで見ていたもんだから、ラスト近くで、車の中でジャンとエレナがキスして抱擁するに至って、はぁ?となり、ラストシーンは、元夫ラモンに電話をして「話せる?」と言うところで終わって、ますます、はぁぁ???となって、帰路は悶々と考えてしまうことになってしまった、、、。

 
◆ふと、、、ある瞬間に。

 エレナは中盤で、10年前にイバンを置き去りにした元夫ラモンと再会し、ラモンが現在再婚して8か月の子どもがいると知ると、「あんたは私の宝物を奪った役立たずのくせに! 二度と近付くな、近付いたら本気で破滅させてやる!」(セリフ正確じゃありません)とか激昂するんだけれど、確かに、そこまで言わんでも、、、とは思うが、言いたくなる気持ちもよく分かるのよね。だって、お前が目を離さなければ、イバンが行方不明になることはなかったんだから、、、って思わないわけないもんね。そんなヤツが、また、誰かと結婚して人の親になろうだなんて、図々しい恥知らずの人でナシ!、、、って、私なら絶対思うし、言わずにいられないに決まっている。

 で、そんなラモンに、ラストシーンで電話をかけて対話をしようと試みる、、、つまり、エレナはラモンを許す気になったってこと? 何故? ということなんだが。

 ジャンとキスして(もしかするとその先まであったのかも知れん)一線を越えたことで、ジャンに対する“曖昧な感覚が吹っ切れて、“ちゃんと現実(イバンの行方不明事件)に向き合おう”と思えるようになった、、、ってことなのかしらん。……と思うに至った。

 きっと、エレナは、どこかでイバンはまだ生きていると漠然と信じたい思いがあったんだが、ジャンに出会って、ジャンと一線を越えたことで、そういう自分のモヤモヤした気持ちがクリアになった、ジャンは(当たり前だが)イバンじゃない、イバンはもういない(=死んでいる)と腑に落ちたのかな、と。

 そういう感覚が、急にふっと降りてくる、、、というのは、すごくよく分かる。私も、何年も引きずる辛いことがあったけれど、ある日、ふと「……あ、私、もう大丈夫かも」と思った瞬間があって、その情景は今でも鮮明に覚えている。五月晴れの真っ青な空だった。だから、エレナは「もう大丈夫」とまでは思っていなかったかも知れないが、少し心が軽くなったのだと思う。そうなるきっかけって、ホントにささやかでセンシティブなもので、他人から見て理解できるものとは限らない。

 ……というか、そう解釈しないと、あの終盤からラストはまったく意味が分からない。

 でも、エレナがジャンにあんな風に接したのは何故なのか、、、。ムリヤリ解釈すれば、息子のような感覚と、恋人のような感覚と、両方を抱いていたから、ってことですかね。私には、あんなガキに異性を感じること自体が理解を超えているんだけど。いくらマセガキでも、ガキはガキだからなぁ。上でも下でも、年の差恋愛、私にはムリ。

 

◆その他もろもろ

 エレナを演じたマルタ・ニエトというスペイン人の女優さんが、すごくキレイだった。スタイルも抜群で、手足がすんごい長い。ジーンズ脱ぐのも大変そう、、、。

 ジャンの少年は、まあ、可愛いっちゃ可愛いけど、もう少し美青年が良かったなぁ。現在公開中の『PLAY 25年分のラストシーン』にも出演しているらしい(見る予定ないけど)。

 ジャンの母親レアをアンヌ・コンシニが演じていたんだけど、なんかすごく老けて見えてビックリ。エレナが息子に執着しているのを知って、エレナの店に牽制に来るシーンがあるんだが、そこで、「なんで、スペイン人なのに10年も住んでるの?」とか「お子さんはいるの?」とか「(子どもは)生まない主義?」とかエレナに聞く。これって、イバンの事件を知った上で聞いているのかが、私には分からなかったんだが、、、。どうなんだろう? 知っていて聞いているのだとすれば、あまりにも意地が悪すぎるよなぁ、、、と。いくら息子に近付くなという警告でも、「生まない主義?」はナイだろう、、、と。だったら、ストレートにそう言えば良いのだし、、、。

 でも、前述のネットの感想を書いていた方は、これは知っていて聞いていると断定していた。しかも、(同じ母親として)言いたくなる気持ちが分かると。……そういうもんかねぇ?

 まあ、こんなことを言っちゃうと身も蓋もないんだが、どうもこの作品は、ものすごく“観念的な”映画だと感じた。つまり、監督や脚本家が“頭で考えた”ストーリーね、ってこと。実感が伴っていない、、、というか。肌感覚がない、、、というか。だから、こういうヘンなオチになっているんじゃないかという気がする。

 ……と長々書いてきたくせに、ものすごいちゃぶ台返しをしてしまい、失礼しました。

 

 

 

 

 

 

マルタ・ニエトの他の出演作、見たい。

 

 


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異端の鳥(2018年)

2020-11-18 | 【い】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv70516/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 東欧のどこか。

 ナチスのホロコーストを逃れて田舎に疎開した少年は、預かり先である一人暮らしの老婆と生活している。しかし、のちに老婆が病死したうえに火事で家が消失したことで、身寄りをなくした少年はたった一人で旅に出ることに。

 行く先々で周囲の人間たちの心ない仕打ちに遭いながらも、少年は生き延びようと必死にもがき続ける。
  
=====ここまで。


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 チラシや予告編を見たときから、これは劇場で見たいと思っていた映画。作品自体に興味を引かれたのもあるけれど、ジュリアン・サンズが出ているのも理由の一つ。若い頃は美しかったし、独特の妖しさもあって好きだったんだけど、その後、割とパッとしないから、あんまし彼の出演作は見ていなかったのでした。でもまあ、本作ではそれなりに重要な役を演じているようだったので、久しぶりにスクリーンで見たいかも、、、と思ったのでした。

 で、見てみたら、あまりの衝撃に、ジュリアン・サンズがどーのこーのというのは一瞬、吹っ飛んでしまったのでした、、、ごーん。


◆モノクロの意義を知る。

 本作は、全編モノクロなんだが、モノクロである意義をこれほど納得させられる現代の映画も珍しい。『シンドラーのリスト』もモノクロだったが、あちらはどうも映像の向こう側から“あざとさ”が時々顔を覗かせる気がしたけれども、本作は、モノクロでしか撮れないだろ、、、と見ている者が思う説得力があった。

 まあ、一つには“残酷だから”ということもある。カラーだったら、もうシャレにならないようなシーンが多々あるが、それをいうなら、『シンドラー~』も同じだろう。それに、『戦場のピアニスト』は、残虐シーンが多くてもカラーで撮った名作だ。

 本作の原題は「ベインティッド・バード」=色を塗られた鳥、である。それはとりもなおさず、主人公の少年のことなんだが、この少年は、肌と髪の色が独特だから、という理由で、ユダヤ人と周囲から認定されてありとあらゆる迫害を受ける。しかし、モノクロだと、その色の違いが曖昧になる。本作がモノクロで撮られた最大の理由だろう。

 監督自身は、「これは、基本的な物語のラインを正確に補強するためのモノクロだ。カラーで撮影していたら、まったく説得力も、真実味もない、商業的作品に見えてしまい、大惨事になっていただろう」とインタビューで答えている。

 とにかく、冒頭からエンディングまで、目も心もスクリーンに釘付けで一瞬たりとも油断ならぬ恐るべき映画。もう、見終わってグッタリ。しばらく椅子から立ち上がれなかった。

 構成として、「○○の章」というミニタイトルが何度か出てくる。この○○に入るのが、少年と成り行き上、深く関わることになる大人たちの名前。まあ、ヒドい大人たちが多いんだが、少年を助けたり、助けようとしてくれたりする大人も一応いる。いるんだが、結果として、少年が心安らげることにはならないから辛い。

 ちなみにジュリアン・サンズは、ガルボスという少年性愛者の役だった。一見、優しい良さそうな大人に見えて、実はトンデモ、、、ってやつ。この章は「司祭とガルボスの章」というミニタイトルで、司祭はハーヴェイ・カイテル。この司祭は、本心から少年を救おうとするんだが、ガルボスの正体を見破れず(というか、薄々気が付いてはいる)に、却って少年を悲惨な目に遭わせることに。しかも、司祭は途中で死んでしまい、少年は逃げ場がなくなる。もう、見ていて絶望的な気持ちになる。

 ある日、偶然にもガルボスから逃れることが出来るんだけど、その顛末ももう、、、ゾッとするような展開。なんだけれど、少年が無事に助かって、一瞬だけホッとなる。

 それまでも、その後も、少年にはこれでもかと過酷な出来事が降りかかる。序盤ではまだ表情のあった少年だが、中盤から終盤にかけて、どんどん無表情になっていく。しまいには、少年自身が無表情なまま、怖ろしく残酷なことをしたりもする。

 一体これ、どうやって収拾付けるんだ、、、? と見ていて思っていたら、唐突に終わりが訪れる。

 終章は「ニコデムとヨスカの章」というミニタイトルなんだが、この2人の名前の大人が一体どういう人なのか、、、は、敢えて書かないけれど、ここで、少年がこのような放浪を続けなければならなくなった理由が分かる。

 断片的な展開に見えて、実は全てがつながっていた、、、という見事な構成に脱帽。分かりにくそうな雰囲気だが、無駄なシーンが一つもない、実に緻密に計算されたシナリオだと思う。いやぁ、、、こんな素晴らしいシナリオの映画は、なかなかお目にかかれないだろう。

 ラストは、ハッピーとまでは言わないが、一応、心落ち着くエンディングとなっている。


◆遠くない昔、あるところに、、、。

 本作は、東欧のどこか、という設定で、どの国かは特定されていない。なので、セリフは、「スラヴィック・エスペラント語」という人工語を使用している。パンフに沼野充義氏の解説が載っているが、いくつかのスラヴ語を知っている氏には、この人工語は「聞いただけでもかなりよく分かる」と書いてある。もちろん、私にはまったく分からないが、英語話者であるジュリアン・サンズやハーヴェイ・カイテルが不思議な言葉を喋っているのは、何となく違和感があった。

 原作も国は特定されていないとのこと。原作者のイェジー・コシンスキ自身は亡命ポーランド・ユダヤ人で、この原作本は長らくポーランドでは発禁本だったそうである。著者自身も故国ポーランドに帰れない時期が長かったらしい。本作を見た後、すぐに、私は原作本をネットで予約してしまった(重版中だったので)。

 また、本作はモノクロの映像が実に美しい。水墨画のような画ではなく、輪郭がどれもクッキリと鮮明な、とってもクリアな映像。残虐なシーンと美しい映像、映画好きにはたまらない。

 私が一番印象に残ったのは、まさに“ペインティッド・バード”が描かれているエピソードとシーン。文字通り、鳥の羽に色を付けて、それを空に放つのだが、同じ仲間の鳥たちに“異端”とみなされ空中で仲間の鳥たちから総攻撃を受けて突き回され、しまいには地面にボトリと落ちてくる。これは、もちろん、少年の比喩だが、その後に出てくる、村人たちにある理由で惨殺される女性の姿でもある。動物も人間も行動原理が同じなんである。

 ジュリアン・サンズ演ずる性的虐待者からようやく逃れた少年が出会った女性ラビーナとのエピソードもまた、強烈。この経験で、少年は完全に人間性を失ってしまったかに見えた。……が、その後に出会うバリー・ペッパー演ずるミートカという軍人に出会うことで、少年の心に変化が見える。

 とにかく、本作に通底しているのは「差別(異端排除)と暴力と性」である。どれも、人間の本質的な性質に係るものだ。社会的性質と本能。これらが、一番醜い形で表出する様を、少年は大人たちに見せつけられ続けるのだ。ラストで救われなければ、あまりにも悲惨すぎる話でやり切れない。

 バリー・ペッパーが実に渋くて良かった。ステラン・スカルスガルドは苦手なんだが、セリフがほとんどない役で、表情だけの演技だったんだけど、さすがに巧かった。

 まあ、とにかく、いろんな意味で凄い映画です。今年のベストかも。

 

 


 

 

 

 

 

エンドロールの音楽が良い(サントラ欲しい)。

 

 

 

 


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悪い種子(1957年)

2020-11-15 | 【わ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv10051/

 

 イケメンの夫に8歳の可愛い娘ローダに恵まれ、クリスティーンは幸せな毎日を送っていた、、、はずだった。ローダに違和感を抱いたことをきっかけに、自身の出生の秘密を知るまでは。

 ローダは、自分の呪われた遺伝子を受け継ぎ、その怖ろしい性質は治るものではないと悟ったクリスティーンは、、、。

 これぞ、元祖モンチャイ(モンスター・チャイルド)映画。
  

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 モンチャイ映画は、不条理すぎて見ていてキツいのですが、本作を敢えて見たのには理由がありまして、、、。私の大好きな少女マンガ「聖ロザリンド」は、わたなべまさこ氏が本作にインスパイアされて描いたそうなんですよね。

 なので、おおまかな内容は想定内だったんですが、終盤の展開はかなり意外でした。ま、総じて、ロザリンドの方が数倍面白いし、好きですけどね。


◆アットホームなモンチャイ映画

 ローダちゃんは、可愛い顔をして、やることはえげつない。彼女の行動原理は至ってシンプルだ。「欲しいものは必ず手に入れる」

 だから、手段は選ばない。欲しいものを持っている人に「それちょーだい」と、一応頼むけれども、大抵の場合はそんなに簡単にくれるわけはない。そうすると、「持ち主がいなくなればいい」となるわけだ。

 あるいは、「それちょーだい」と言って、相手が「自分が死んだらあげる」等と言えば、「じゃあ、死んでもらおう」になる。

 しかし、ローダちゃんは、他人を亡き者にすることが、一応社会的には“悪いこと”だという認識はある。だから、自分の行いを暴かれそうになると、取り繕ってウソを並べたり、証拠隠滅を図ったりする。

 とはいえ、所詮は子どものやること。どうしたってお粗末なのである。

 ……というわけで、こういう類いのお話は、今ではたくさん映画になっているが、本作が制作されたのは1957年。当時にしてみれば、割と衝撃的な話だったのではないか。本作はもともと戯曲であり、舞台がヒットしたため、同じ配役で映像化したということだ。

 バックのセットはいかにもアットホームな雰囲気で、グロいシーンなど一切なく、それでも“怖い”映画は撮れるということを見せてくれた、モンチャイものの嚆矢といってよい映画だろう。

 監督はマーヴィン・ルロイで、エンディングの後に、出演者の紹介シーンが付け足しのようにあって、ビックリ。これは、内容の衝撃を緩和するためのものだったのかしらん?? いずれにしても、余韻という意味では台無しである。


◆ローダ VS ロザリンド

 で、なぜ、ロザリンドの方が面白いか。答えは簡単で、ローダちゃんとロザリンドのキャラ設定の違いにある。

 ローダちゃんは、前述の通り、他人を亡き者にすることが“悪いこと”だと分かっている。

 しかし、ロザリンドは、そもそも“悪いこと”だと分かっていない。ロザリンドにとって悪いことは、“ウソをつくこと”あるいは“大好きな人を悲しませること”なんである。だから、ロザリンド自身もウソはつかないし、ウソをつく人を許しもしない。人を殺しておいて「あなたがやったの?」と聞かれれば「ええそうよ!」と笑顔で答えるのがロザリンドなんである。

 ちなみに、ロザリンドはこんな子です。

 

(画像お借りしました)

 

 共通点は、「欲しいものは何としてでも手に入れたい!」というところ。しかし、ロザリンドには悪意はまるでないのがホラーなんだよねぇ。そういう意味では、ローダちゃんの方が、見ていて憎ったらしい。対してロザリンドには、憎らしさは全く感じない代わりに、怖ろしさ倍増なんである。ロザリンドは、作中何十人も殺しているが、無邪気な欲求か、善意から行動している。悪いことをしたという意識はゼンゼンない。

 まぁ、本作は見ていてもローダちゃんにイラッとすることの連続で、怖いという感覚はないんだよね。断然、ロザリンドの方が怖いです。

 本作の終盤の展開はかなりヘンで、クリスティーンが実父だと思っていた人が、実は養父だった、、、ということから始まり、彼女の母親がサイコパスで、クリスティーン自身は違ったけれど、ローダちゃんにサイコパスが隔世遺伝してしまった、ということが判明する。その事実に絶望したクリスティーンは、ローダと心中することを決意し、ローダには致死量の薬を飲ませ、自分はピストル自殺を図る。

 ……で、これはロザリンドにも似たような描写があり、ロザリンドでは、母親は死んでしまっている。しかし、本作では、ローダちゃんはもちろんだが、クリスティーンも助かるのだ。ピストル自殺を図って助かるって、、、かなり希有な例ではないだろうか。

 父親は??というと、ローダちゃんのお父さんは軍人で単身赴任。なので、家にはクリスティーンとローダちゃんの2人。ただ、大家さんのおせっかいオバハンがしょっちゅう出入りしている。ロザリンドのお父さんはイギリスで博物館の館長を務めていて、母親がロザリンドと心中を図ったときは、確か母娘だけでギリシャにいた。執事が一緒にいたんだけど、不幸な亡くなり方をする(ロザリンドに殺されたんじゃありません)。

 つまり、どちらも母と娘の2人の関係が軸となっている。ただ、ラストもロザリンドの方が哀しく、父親が大きな役割を果たしていて、本作よりも味わい深いし、読者も切ないながらも納得の終わり方だと思う。しかし、本作の場合、ローダちゃんはピンピンしていて、何も知らない父親と、自殺未遂に終わった母親がどうやってローダちゃんみたいなサイコ娘と向き合っていくのか、、、という絶望的な将来を暗示させたかと思うと、唐突にローダちゃんだけに天罰が下るかのようなラストシーン。……で、何となくいや~な感じだけが残る。

 それをそのまま残さないための、あのヘンテコな登場人物紹介シーンなんだろうけれども、、、。時代のせいなのかしらね。ちなみに、元の戯曲のラストとは違うらしいです。


  

 

 

 


オリジナル(本作)より、後発の「聖ロザリンド」に軍配!

 

 

 

 


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少女ムシェット(1974年)

2020-11-12 | 【し】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv12423/

 

 ろくに働かない父親と、同じく生活力のない兄、病気の母親、そして乳飲み子の妹と暮らす少女ムシェット。

 わずかばかりのバイト代も、もらった先から父親が奪っていく。学校でも先生に辛く当たられ、友人もおらず、正門前の草むらに身を潜めてクラスメイトに土塊を投げつけるのが、せめてものムシェットの憂さ晴らし。

 もうこんな生活イヤだ!! と家出して行った森の中で密猟師に出会い、雨をしのげる小屋に入れてもらう。優しいおじさんかと思いきや、案の定、犯される。逃げるように家に帰ると、母親は亡くなり、父親には怒鳴られ、赤ん坊のミルクを買いに行った店の女主人には亡き母のことを慰められるものの、胸の傷を見咎められ、罵られる。

 どこへ行っても、ムシェットが心落ち着く場所が、この世にはないのだ。そう気が付いた彼女は……。

 ブレッソン監督作品の中では恐らく『ラルジャン』と双璧な、“ザ・救いのない映画”。 


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 先日、シネマ・カリテで組まれていたブレッソン特集にて鑑賞。本作と、『バルタザールどこへ行く』の2本同時上映。1日の「映画の日」だったから、満員でした。満員の劇場はイヤだったけど、ブレッソン作品をスクリーンで見られる機会などそうそうないので意を決して行ってまいりました。


◆相変わらずのブレッソン節炸裂

 ブレッソン作品は、好き嫌いがかなり分かれると思うが、私は、こういう一見愛想のない、見る者を突き放すような作品は嫌いじゃない。

 「見る者を」と書いたけれど、本当に突き放されるのは、映画の中の主人公なんだよね。もう、とことん突き放す。これ、創作者としてはかなり難しいことだと思うんだが、ホントにブレッソン監督は容赦がない。

 ブレッソン映画に通底しているものは、私は“お金”だといつも感じるのだけれど、本作もそうだった。

 ムシェットの家の極度の貧しさは、本来ムシェットには何の責任もないのに、ムシェットは貧しさ故に周囲から“粗末に”扱われる。まるで、貧しいことが罪であるかのように。そして、貧しさがムシェットをさらなる不幸に誘うのだ。

 ブレッソンは、こういう、どうしようもない絶望的な状況に静かな怒りを抱いていたんだと思う。ローチみたいに、怒りを前面に出すことはないけれど、やはりローチと同じように「こんなことがあっていいのか?」という思いがあったに違いない。

 こういう映画を見ると、同じく貧困や格差を描く是枝作品は、シビアさを回避した“貧乏ファンタジー”に思えてしまう。

 『万引き家族』にしろ、『誰も知らない』にしろ、貧乏と絶望を描いてはいるが、そこに“人情”を入れるのを忘れないのが是枝作品だと思う。けれど、やっぱり「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、貧しさって(程度によるが)自分以外の誰かを思いやる余裕を決定的に奪うモノだと思うのよね。だから、貧しくても人情を忘れずに、っていう理想を描きたいのは分かるけれども、それは理想を超えた妄想なんじゃないか? 現実は、『ラルジャン』だったり、『少女ムシェット』だったりするんじゃないか、、、と。

 そりゃ、見る方にしてみれば、ブレッソン映画の方が心がヒリヒリするし、眉間に皺が寄るし、見終わってグッタリするしで、精神的にも美容的にもよろしくない。でも、私はやはりこっちの方がグッとくるのだよね。辛いシーンが続いても涙も出ないが、安っぽい涙を拒絶する、そんなシビア感が響くんだと思う。


◆ムシェットよ、どうして、、、

 本作では、印象的なシーンが色々あるが、辛いシーンが多い中、ムシェットが唯一笑顔を見せるシーンがある。

 移動遊園地のバンパーカーで楽しそうに遊ぶムシェット。ある少年に何度もカートをぶつけられるが、それが学校のイジワル男子の下品なイタズラなんかと違って、彼女に対する好奇心(もっと言えば一種の好意)からくるものだと、ムシェットも何となく感じている。だから、嬉しそうなのだ。ムシェットも負けじと少年のカートにぶつけたりもする。

 カートが終わると、少年と一緒に射的に向かうが、そこでいきなり横から父親が現れたかと思うと、少年の目の前でムシェットの横面を張るという、、、。こんな、束の間のささやかな天国から、一気に現実の地獄に突き落とされる描写が、実に痛いのである。

 密猟師の小屋で陵辱されるときは、ムシェットは逃げ回るが、最終的には密猟師の背に手を回し、彼を受け容れたかのような描写になっている。……ハレ??と思って見ていたら、その後に、雑貨屋の女主人に胸の傷のことで罵られた際、何とムシェットは「私はアルセーヌ(密猟師の名前)の愛人よ!」と言い返すのだ。

 これをどう見ればよいのか、、、。彼女の精一杯の存在アピールだったのか。あんな男でも、自分を必要としてくれる人がいるんだ! と言いたかったのか。

 しかし、それに続くラストシーンでは、彼女はその女主人がくれたヒラヒラのドレスを身体に巻き付けて、池に向かってゴロゴロと転がり落ちるのである。一度目では、池の手前で止まってしまう。するとまた土手を上って、再度ゴロゴロと転がる。また止まる。また転がる、、、。そして遂に、転がった挙げ句ドボ~ンと音がして、画面が切り替わると、波紋の広がる水面が映っている、、、で、ジ・エンド。

 ムシェットの自殺だと書いてあるものが多いが、果たして自殺なのか。もちろん、そこは見る者の判断に委ねられているのだが、明確に自殺の意思を持って転がったのではないだろう。何度も転がったのは、遊び心もあっただろう。もちろん、どれくらい加速すれば池に落ちるか、という試みもあったに違いない。その先に死を見ていたかどうかは分からない。死んでもイイ、くらいには思っていたかも知れない。

 いずれにせよ、自殺がタブーとされるキリスト教の地で、この結末というのは、神に対する問い掛けもあるだろう、という気がする。宗教的な素養がまるでない私には、この結末の意味することをこれ以上、考察することは難しいが、本作は、お金だけではなく、“神”も感じたのは確か。

 ……あの後、普通に泳いで池からムシェットが上がってきたら、、、それはそれで、もの凄いシビアなサバイバル物語でもあるけれど。そういう展開も見てみたい気はするが、ムシェットにとっては、過酷すぎるよね。
 

 

 

 

 

 

 


授業では音を外してしか歌えないのに、同じ曲を密猟師には美しく歌うムシェットだが、、、。嗚呼、無情。

 

 

 

 


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中国地方縦横断の旅 ④

2020-11-10 | 旅行記(国内)

 

につづき 

 足立美術館のすぐ脇には、安来節の演芸館があり(写真撮り忘れました)、それを見ながら再びバスに揺られて……。ガイドさんの優しい声に誘われてうとうとしながらも

宍道湖を右手に見ながら……

 気が付けば出雲大社の近くまで来ていたみたい。13:00前に出雲大社に到着し、15:00まで自由行動。

これが「さざれ石」らしい

 さざれ石に迎えられ……

巨大な日章旗が、、、

 この日の丸、75畳分の大きさだって! 重すぎて人力では揚げられないから、動力で揚げているんだとか。ポールの高さも、47メートルって。ひゃ~。まあ、良い目印になりました。

 

 手水はあるものの、さすがにこのご時世、柄杓はなし、口をすすぐのもなし(すすいでいる人もいたが)。手を洗うだけ。

 

 拝殿で手を合わせ、、、。二礼四拍手一礼がここでのお参りの作法だというので、そのとおりに。特段、お願いすることもないので、「私とウチの人が健康で平穏に暮らせますように」とだけ心の中で唱える。ここまで来て言うのもナンだが、あまり神頼みというのが性に合わなくて、、、。

 

 八足門。“大国主大神に最も近づける門”とのこと。

 

右下には“因幡の白ウサギ”

 本殿をぐるりと一周。

 

 こちらは、十九社といって、10月の神在月には“神々のお宿となる社”。東西に2つあって、こちらは、確か西側。

 

 巨大注連縄がシンボリックな神楽殿。とにかく大きい、、、。長さ13.5メートル、重さ4.4トンだそうな。

 

 こちらが、本殿に祀られている大国主大神の正面(南向き)に当たるそうで、ここ(お兄さんがお参りしている所)でお参りすると良いらしい。

 神頼みなんてガラじゃないと思いつつ、せっかくここまで来たのだからと、都合の良いときだけ神頼み、、、。神様も呆れていることでしょう、、、。

 

 さらに、ガラにもなくお守りなど買ってみる。ちょうどこの旅の少し前にウチの人が帯状疱疹になって(一応、出発前には治っていた)いたので、健康祈願のお守りを、色違いで自分の分と。

 

 お約束のおみくじも引いてみた。良いことばかり書いてある。信じる者は救われる、、、と、素直に思って、結んできました。


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 ぐるぐる歩き回って、お腹が空いたので、遅めの昼食をとることに。添乗員のJ子さんが、「出雲に来たんだから、是非お蕎麦を食べてくださいね!!!」とバスの中で強力に推していらしたんだが、そこまで言われると蕎麦を食べないといけない気分になっていたので、迷わずお社の真ん前にある蕎麦屋へ。

 天ぷら蕎麦を食べたかったが、売切れだそうで、とろろ蕎麦を。だしも濃すぎず、美味しかったけど、ううむ、そこまで美味い!!ってほどでも、、、。いや、美味しかったんですけどね。

 ただ、このお蕎麦屋さんではクーポンが使えないので、とにかく残りのクーポンを使い切らねば、、、ということで、お土産屋さんへ。クーポンを1枚使い、残り1枚に。

 2時間なんて、アッと言う間。バスに戻って、いざ、広島空港へ。

 途中、三次ワイナリーという、観光客用と思われるワイナリー&お土産屋さんで、トイレ休憩&買い物タイム。

 

 ここで、またもやJ子さん強力推し。それは「ピオーネソフトクリーム」。オススメされると、とりあえず食べてみるのが信条なので。

 色と香りは、確かにピオーネ。食べてみれば、普通のソフトクリームやね、という感じだった。もちろん美味しい。運転手さんとガイドさんも食べていらっしゃいました。

 クーポンを使い切りたいので、お土産売り場を物色し、無事に使い切ることが出来てホッとなる。何というか、お金(というか金券だが)を使うことを強いられるってのもヘンな気分。これって、有効な使い方なのかなぁ、、、などと疑問に思いながら、バスに戻る。

 日が暮れるのも早くて、途中、電灯もない真っ暗な山道を縫うようにひたすら走る。さすがプロのドライバー、あんな道でもスイスイ(当たり前だが)と進み、やはりここでもガイドさんの優しいお話を聞きながらウトウトしている間に、無事、18:00過ぎに到着。

 

 10年ぶりの広島空港。何かキレイになった……??

 出発まで時間があったので、夕食を食べて、売店でカープグッズを物色し、無事に帰京いたしました。

 
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 今回の旅、とにかく、ほとんど誰とも喋りませんでした。もちろん、コロナで、バスの中では会話はなるべくしないようにと言われていたし、もともと私はひとり参加だし。でも、ツアーの場合、食事は(特に夕飯は)皆でとるというパターンだった気がするんですが、今回は、会食は最もリスクが高いシチュエーションなわけで、もちろんそれもナシ。

 ……となると、ほかの参加者の方々とお話する場面がそもそも無いんですよ。せいぜい、おはようございます、くらいで。別に見知らぬ人との交流を求めて参加していないので、それはそれで問題ないんだけど、なんか不自然な感じはしました。

 しかし、それが“コロナ禍での旅”ってことなんですね。とはいえ、旅の仕方次第では現地の人とおしゃべりくらいはするだろうし、まあ、今回はそういう旅だった、ということで、これはこれで、ある意味忘れられない旅になりそうです。


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 で、この旅での戦利品を、、、。

 まずは、岡山のお土産屋さんで、、、

 千屋牛って、私、初めて聞きまして、、、。この地方では有名なんでしょうね。クーポンがなければ買わなかったかもだけど、牛肉大好きなので、買ってみました。実はまだ食べていない……(^^;)。最近、夕飯では“お米”を食べないので、なかなか食べる機会がなく、、、。楽しみです♪

 続いて、鳥取砂丘でゲットしたもの。

 

 二十世紀梨紅茶(ティーバッグ)は、二十世紀梨のチップが入っているとのことだったんだけど、見た目も味もあんまし分からなかったな~。フツーの紅茶でした。もう一つのは、コロナ禍で脚光を浴びた“アマビエ”(甘エビと間違えるよね)の緑茶(こちらもディーバッグ)。水出し緑茶(だけど、私は水出しは苦手なので、お湯を沸かしてから冷まして淹れましたが)。もちろん、フツーの緑茶でした。

 この地ではらっきょうも名産らしく、らっきょうが二十世紀梨と同じくらい一杯売られていました。が、私、らっきょうは(食べられるけど)あまり得意ではないので、でも、折角だから何からっきょう関係のもの、、、と思って、このバジルとあわせたドレッシングを買ってみました。これ、美味しい! ちょっとバジルが強めだけど、らっきょうとなぜかケンカせずに共存していて、実に美味しいです。

 キャラメルはお土産用。鳥取だから、鬼太郎&二十世紀梨:-)

 

 これらは、足立美術館の前のお土産屋さんで。宍道湖といえば、しじみ。……というわけで、お湯を入れるだけでしじみを味わえる2品。ウマし!! タオルはんかちは記念に。

 

 

 出雲大社の前のお土産屋さんで購入したのは、お醤油。その名も「古代柱醤油」。古代柱とは、平成12年4月に出雲大社の境内から発見された、柱3本を束ねた巨大な柱の根元のことだそう。この発見は、「古代には社の高さが32丈、あるいは16丈(48メートル)あった」という古くからの言い伝えを裏付けることとなったんだって。……というわけで、3本セットなのね。発売元も「有限会社古代柱醤油醸造元」。実はまだ賞味していないのだけれど、しじみだししょうゆが楽しみ。煮物料理に合いそう。

 

 

 食べ物ばっか、、、ってのも芸がないかなぁ、と思って店内を物色していたら一輪挿しを発見。お安いし、色が織部みたい(?)なので、出雲大社の文字入りだけど、裏は何も書いていないのでいいかな、と。コロンとしていてなかなか可愛いです。

 

 

 三次ワイナリーで、最後のクーポン使用して購入したのは、こちら。これも、J子さん推し商品。

 賞味期限が短めだったので、早々に食したのだけど、見た目からクリームではないので、ちょっと一六タルトっぽいのかな? と思っていたら、もちろん味はゼンゼン違うけど、やはり白あんみたい。独特の香り(でもピオーネの香りじゃない気がする)がして、かなりヘヴィ。厚さ1.5センチくらいで一切れ食べると、お腹ふくれます。3時のおやつに食べると、夕飯は7時では早いかも、、、。

 

 最後、広島空港では、カープグッズを思わず購入。

 

 このカープ消しゴム、トンボ製品。この裏に書いてある文が、今年のカープファンには沁みるわ~。チロルチョコはハッサク味で、まあ、、、チロルチョコでした。

 

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 以上で「コロナの時代の旅」日記は終わりです~♪

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中国地方縦横断の旅 ③

2020-11-07 | 旅行記(国内)

 

につづき 

 2日目。

 いつもの習慣で、6時前に起きてしまう、、、。ウダウダしたり身支度したりしているうちに外も明るくなってきて……

 大山がキレイに見える。

 朝食は、7:30から。団体さんがいて、その方たちが捌けてから、、、ということらしい。前夜の食事と同じ会場へ行き、やはり同じようにソーシャル・ディスタンスが保たれた机の配置。

 ……しかし、どうやら弁当を各自で持って行って、好きな席で食べろと言うことらしいが、係の人がいないので勝手が分からない。どうしようか、、、と困っていたら、しばらくして奥から係の人が出て来たので「セルフですか?」と聞くと、「お好きな席どうぞ」と言われ、後からご飯と汁物を持って来てくれた。

 やはり、食事はかなりイマイチ。お味噌汁はまあまあだったが、、、。お昼までにお腹が空くのもナンなので、納豆以外は大体いただいたけれど、もう少し何とかならないものだろうか。食事に不満を持ったツアーって、初めてかも。

 

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 元々の予定を10分繰り上げ(美術館滞在時間を少しでも長くするため)、8:30に宿を出発。

 この旅では、バスで移動中、ほとんどず~っとガイドさんが色んな土地の話をしてくれていたんだが、その口調が実に優しくて穏やかなので、聞いていると眠くなるという、、、。

 しかし、まだ朝だったので、美術館までは起きていたんだが、この辺りは竹林が多いらしい(ガイドさんの話)。人為的に竹を植えたそうだが、それを積極的に推進した人のことをガイドさんが丁寧に話してくれていたが、どんな人が何故植えたのか、、、という肝心の部分を忘れてしまった。

こんな竹林がず~っと続いていました

 9時過ぎに足立美術館に到着。

 11:30出発でそれまで自由行動となる。

 この美術館は、何と言ってもその日本庭園が有名で、私が見たかったのも収蔵品より庭園。

創設者・足立全康氏の銅像。クラーク博士のポーズに似てる?

 

 

 

 

 なるほど、手入れの行き届いた庭園で、日本庭園ランキングとやらで何度も日本一の日本庭園に選ばれているのも納得。

 ……だけれども、どうも私の期待していたのとはちょっと違ったというか。行く前からネットで画像は見ていたので予想はしていたが、私が好きな“枯れた感”があまりなくて、明るくて華やかな日本庭園のように感じた。

 じゃあ、どこかお気に入りの日本庭園があるのか、と言われると、メジャーなところでは思い浮かばないけど、都内だと、六義園とか桂離宮とかの方が好きかな~。足立美術館の庭園は、あまりにも整然としていて、洋風庭園に近い感じを受けた。まあ、好みの問題だけど。

 

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 収蔵品では、横山大観が有名らしいのだが、私はあんまし好きじゃない。大観について詳しいわけじゃないけど、絵そのものよりも、彼の策士ぶりがね、、、。でも、今回、彼の富士山画をいくつか初めて直接見たんだが、特に戦前~戦中にかけてのそれがもう、いかにも、、、で、嫌悪感を抱いてしまった。まさに、“酔っている”。

 戦争画と言えば、フジタもたくさん描いていて、フジタの戦争画はいくつか実際に見たが、大観の富士山から抱く嫌悪感とはまた別の感覚だった。フジタも積極的に描いていたし、2人とも戦争責任を公式に問われていないという点では同じだけど、戦後のフジタは大観とは対照的で寂しい晩年だったことを思うと、戦後の大観は、あまりにも葛藤が感じられず、、、というより、むしろ日和見を決め込むあたり、さらに嫌悪感を催す。

 まあ、フジタが葛藤していたかどうかも分からないけど。少なくとも日本だけでなく、パリでも冷遇されたようだから、結果的に制裁は受けているのでは。大観は勲章もらっているもんねぇ。

 絵の方も、あんまりピンとこなかった。伊東深水の美人画とかもあったけど、ううむ、、、という感じ。強いて言えば川端龍子は少しいいなぁと思う絵もあり、「獻華」はやはり美しかった。

 展示数がそこそこ多いので、全部見るだけでも時間はかかる。もともと絵はお目当てじゃなかったので、ふ~んという感じで、ミュージアムショップにも寄ったが、全然買いたいと思うモノがなくて、私にしては珍しく何も買わなかった。

 美しい庭園は見られて良かったけど、もう一度行きたいかと問われれば、「一度見れば十分」であります。
 
 ミュージアムショップでは何も買わなかったので、美術館前にあるお土産屋さんに寄って、クーポンを何とか1枚使い、バスに戻る。

こちらは新館。トイレの案内板が出ている方がお土産屋さん

 

 ここから、次は出雲大社へ向かいます。


につづく

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ダウントン・アビー(2019年)

2020-11-05 | 【た】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv68386/

 

 以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 20世紀初頭、グランサム伯爵家が暮らすダウントン・アビーに、ジョージ5世国王とメアリー王妃が訪れることに。

 邸宅を切り盛りする長女メアリーは、引退した元執事カーソンに助けを求め、晩餐会の準備に追われる。だが、下見に来た従者たちは、夫妻の世話や給仕はすべて自分たちが行うと告げ、使用人たちを落胆させる。

 一方、何十年も音信不通だったメアリー王妃の侍女モードと、先代伯爵夫人バイオレットの間では、屋敷や財産の相続問題が勃発する。

=====ここまで。

 世界的大ヒットとなったドラマの映画化。ドラマの後日談。


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 もうあちこちで本作について書かれているし、あまり内容について書くべきことも思い付かないので、感じたことをつらつらと。

 NHK総合の日曜夜は、海外ドラマが放映されるんだが、「ダウントン・アビー」もその枠だった。開始当初は、アルトマン『ゴスフォード・パーク』を思わせる雰囲気もあったけれど、『ゴスフォード・パーク』よりも陰険というか、長女メアリーと二女イーディスの仲が悪いのを始め、登場人物たちのアクが強すぎて、ちょっとなぁ、、、という感じだったので、割とテキトーに見ていたんだけど、シーズン3くらいから面白いと思うようになり(つまり、それまでも何だかんだと見ていたってことだけど)、結局最後まで欠かさず見た次第。

 後で知ったんだが、『ゴスフォード・パーク』を思わせる雰囲気があったのも当然、脚本を書いた人が同じだった。ジュリアン・フェロウズ氏。なんと、あの『ダメージ』にも出ていたとか。

 当初感じていた陰険さも、ドラマ性はそのままにシーズンを重ねるごとに薄まり、途中からは次回が楽しみなドラマになった。日曜の夜遅くに楽しみなドラマがあるというだけで、週末が終わることの憂鬱さはかなり緩和されていたような気がする。

 映画化は、ドラマが終了した時点で既に言われていたけど、何故かあまり興味はなく、、、。まあ、ドラマがちゃんと完結していたので、それ以上はちょっと蛇足になりかねないんじゃない?という感じがしていたから。日本で公開されても、劇場まで行く気には到底ならず、……とはいえ、レンタルできるんだったら、あんましイロイロ考えずに見られる映画を見たいときにはいいかな~、と思って、Blu-rayを借りて見てみることに。

 結論から言うと、まあ、無難に面白かった、、、、という感じ。主要メンバーはほとんど揃い踏みだし、美術・衣裳は相変わらず目を楽しませてくれるし、ストーリーもあれだけたくさんの登場人物それぞれにスポットを当てつつ破綻していないし、安心して見ていられる映画だった。

 そういう意味では、ドラマの方が何倍も波乱に富んでいたとは思うが、まあ、これはこれで良いのでは。多分、映画化も、ドラマファン向けに、ガッカリさせないような作りにしなきゃいけなかったわけだし、かなり高いハードルを最初から設定されていたことを思うと、実に見事にクリアしていると思う。さすが、イギリス。

 で、こういう秀逸な海外ドラマ(これは映画だけど)を見て思うのは、日本のドラマの安っぽさである。本作と同様の時代劇でいえば、大河ドラマでさえ安っぽく感じる。何でだろうね、、、と映画友とも先日話題になった。大河ドラマは、やはり民放の時代劇に比べると、衣裳はかなりお金がかかっているのが分かるし、セットや小道具などの美術もすごく頑張っているとは思うのだが、、、。「麒麟が来る」のCGとか、もうあまりにも稚拙で目を覆いたくなるシーンもある。

 時代劇だけでなく、現代モノでもそう。アメリカのTVドラマなど、それほど大ヒットしたものじゃなくても、セットや衣裳は日本のドラマより格段に上だな、、、と感じるものが多い。やはり予算の問題だろうか?? 

 本質的にはシナリオの差だとは思うけど、何というかもう、全般的に日本のドラマ界は沈んでいる感じがしてしまう。大ヒットだった半沢直樹も、シーズン2はほとんど水戸黄門か遠山の金さん化していたしなぁ。

 大河ドラマといえば、昨年の「いだてん」は、期待していなかったけど、終わってみれば結構面白かった。やはり、セットは安っぽさが否めなかったが、ストーリーは決して安易ではなかったし、クドカン氏のドラマは苦手だったけど、「いだてん」はさすがだと思ったわ。「麒麟が来る」も、まあまあ面白いけどね、、、。役者の演技の質も大きいよなぁ。

 ……等々という、とりとめもないことを感じてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 


トーマスに春が来て良かったよ、、、。

 

 

 


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中国地方縦横断の旅 ②

2020-11-03 | 旅行記(国内)

 

につづき 

 桃太郎空港からバスで1時間ほどしたところで、トイレ休憩の名目でお土産屋さんに立ち寄り。地域共通クーポンを2日間で使き切らないと、、、と、お土産コーナーを物色。……でも、今回は岡山はほとんど通過するだけだしなぁ、などと思いながらも、クーポンを早速1枚使う。

西の屋 美作店(いくつか店舗があるみたい)

 その後、またバスに揺られて、、、、

いいお天気♪

 

 

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 1時間ちょっとウトウトか爆睡か、ちょっと記憶にないけど、13時頃に鳥取砂丘に到着。15:30まで自由時間ということで、とりあえず砂丘を見に行く。

 やはり日曜日だからか結構人が多い。驚いたのは、犬連れの人が割と多かったこと。しかも柴犬率高し! 柴犬好きとしてはちょっと嬉しいが。

この階段を上がると……

 

砂丘が開ける

 大分前に、鳥取砂丘の緑地化が進んでいるという話は聞いていたが、思ったほどではなかったけれど、まあ、それでも緑が結構目立つ。中程の尾根部分が「馬の背」と呼ばれる部分。

 思ったより狭いなー、というのが正直なところ。

 皆さん、砂丘の方へどんどん降りて行く。思ったより狭いとは言え、砂地を降りたり上ったりするしんどさは、ウン十年前に中国の敦煌でイヤというほど味わったので、私はパス。ここからの長めだけで十分。日本海もちゃんと望めるし。

 実は、ここから市の中心部までタクシーで行って、昔愛していた川口(元カープの、その後Gに行ったけど)の母校でもある鳥取城北高校とか、仁風閣とか、鳥取城跡とかを見たかったんだけど、添乗員のJ子さんから砂丘周辺に居てくださいと解散前にアナウンスがあり、ガックシ、、、と断念。

 ……そんなこともあろうかと、それならばと、砂丘からほど近いところにある多鯰ヶ池に行ってみることに。が、その前に砂丘の資料館があったので覗いてみる。

 砂丘の成り立ちなどが結構詳しく展示されていて、、、

 

 

砂といえば“アリジゴク”

 

 

砂丘の変遷がよく分かる

 これが意外に面白くて、結構長居してしまった。さて、多鯰ヶ池に行ってみよう、、、と砂丘から歩く。砂丘から50メートルも離れれば、もう人もまばらになり、車が通るだけ。歩いて5分ほどで鳥居が見えてくる。

 

 鳥居をくぐって行くと、案内板がある。一周するのに1時間くらいだというから、歩いてみようかなと思って辺りを見回すが、それらしいルートが全然分からない。池の方に降りる道もイマイチ分からないが、とりあえず、奥にもある鳥居をくぐって進んでみると、山道に。

 ほんの10メートルほど入っただけなのに、木々が鬱蒼としていて薄暗い。歩いて暑かったから、ちょうど涼しくて気持ち良い。で、看板のルートを画像でよく見ると、周遊コースは池のほとりじゃなくて、道路沿いか山の中だと分かり、一気に気分が萎える。ううむ、、、水辺を歩きたいのに。

 まぁ、でも資料館で思いのほか時間を喰ってしまったので、1時間も歩くと集合時間に間に合わないのは必至。お種弁天という祠でお参りして、ちょっと山道を歩いて池をボケ~~ッとしばらく眺めていた。


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 汗も引いたところで、元来た道を引き返す。

 で、お腹が空いているので、海のものを食べようと砂丘フレンドというお土産屋さん兼お食事処へ。その手前にも海鮮モノのお店があったんだけど、人がまあまあ多かったのと、お座敷みたいなので、コロナ下ではちょっとなぁ、、、と躊躇したのだった。

 海鮮丼は売り切れだったので、サーモン丼の食券を購入。ここではクーポンは使えないので現金で。確か、980円だった。

 お好きな席にどうぞ~とのことで窓際へ。人も少ないし有り難い。お茶やお水はセルフだと言われたけれど、やはりここでもちょっと抵抗を感じたので、申し訳ないが、持参の水で間に合わさせていただいた。何だかんだ言っても、案外私気にしているんだな、、、などと自覚する。

 数分待って出て来たのがこちら。

 美味しかったです。量も多過ぎず、少なくなくでちょうど良いし。空腹が満たされ、一息つきました。食べ終わってくつろいで気が付けば、もう15時前。えぇ~~、となって、慌てて砂丘前の土産物屋へ。

 二十世紀梨が一杯売られていて、私は、梨の中では一番二十世紀梨が好きなので、是非買いたかったんだけど、この旅行に来る前に、何年かぶりに親から新高という梨(1コがものすごく大きいのです。赤ちゃんの頭くらいある)が一箱送られてきていたので、購入は見送り。とにかくクーポンを使わねば、と強迫観念にかられて、2枚使用。1日のノルマは達成かな。 


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 皆さん、時間厳守で、ここから大山の宿まで再びバスで移動。

日本海が美しい

 学生時代に、サークル仲間と城崎温泉に行ったんだけど、冬だったこともあり、電車から見えた日本海の表情は、黒々として険しく、太平洋とは全然違う……、とすごく印象深かった。で、帰ってからそれを母親に話したら、「はぁ? 海なんかどこも同じやわ!!」とにべもなくあしらわれ、まぁ、母親の性格を知ってはいたけれど、ここまで即物的な人だったのかと唖然となったことが、この美しい青々とした日本海を見ながら思い出されて、苦笑してしまった。秋の日本海、意外にも明るかった。

 17時前に、大山の宿に到着。1人なのに、えらく広い和室をあてがわれる。

 でも、部屋の窓からは大山がキレイに見えて、、、


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 夕飯は18時からだというので、温泉は夕飯の後にすることに。18時過ぎに夕飯の会場に行くと、ものすごい広~~いホールに、人が点々、、、。

 まあ、ここまで距離をとってくれたら安心ではある。席に案内され、当然、広いテーブルに1人。

 ただ、、、残念ながら、食事はイマイチ。お昼のサーモン丼が結構効いていたのもあって、少し残してしまった。

 食後少し休憩してから、温泉へ。大浴場の隣に、露天風呂があるとのことだったので、行ってみた。

露天風呂(画像、お借りしました)

 外気はひんやりしていて、実に気持ちの良い露天風呂。泉質は普通っぽいけど、疲れた身体には沁みる。

 気持ち良く温まったところで、広すぎる部屋で落ち着かないが、NHKのドラマ「アンという名の少女」を見ながら眠りにつきました。

 

につづく

 

 

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中国地方縦横断の旅 ①

2020-11-01 | 旅行記(国内)

 

 ロシアから帰ってきてから、世の中一変。もはや旅行どころじゃない空気が世間を覆い尽くし、気持ちも下がる一方。さすがに、3~4月に比べると、緊迫感が薄れているけれど、感染者数は全く減らないまま。もう、一日の都内の感染者数を聞いても、「ふ~ん」な日々。

 そんな風に感覚が鈍くなってはいるとはいえ、旅に出る気はしばらく失せていたのだけれど、夏の酷暑が過ぎた辺りから「気候の良い時季にどこかへ行きたいなぁ」と、旅気分が再燃。9月に入ってから旅行会社のHPを頻繁に覗きに行くようになったら、あちらからお誘いのPRがしょっちゅう画面に出るように。その中で目についたのが、今回行ったツアー。かねてから、その庭園の美しさを噂に聞いていた足立美術館がコースに含まれているのと、日本海側にあまり行ったことがないってのと、おひとりさま同料金、ってことで、とりあえず申し込んでみました。

 申し込んだときは、例の Go To トラベルキャンペーンは都民対象外だったんだけれど、その後、何故か急に都民も対象となることとなり、10月1日以降の出発でキャンペーン適用となりました。

 「Go To トラベル利用者は、富裕層だ!」などと批判もされているけれど、この私のどこが富裕層やねん!?と片腹痛いことこの上なし。まあ、確かにこのご時世で収入が減っていないのは有り難いことですが、もともとこれ以上減りようがないくらいの薄給なんですよ。業界自体が、一部大手を除けば“やり甲斐搾取”されているみたいな業界で、皆さん、薄給でも好きだからやっている、、、みたいな人ばかりで成り立っているんです。今はとりあえず失業していない、というだけ。この業界で、倒産・廃業なんて、コロナ以前から日常茶飯事なんです。

 コロナに対し無策なお上にウンザリしているし、この期に及んでまだ来年オリンピックやるとか妄言を宣うソーリに呆れているけど、納税者として、日頃まったく実感できない税金の“還元感”を、たまには実感しても罰は当たるまい。これで、疲弊して乾ききっている観光業に、ほんの一滴でも潤いとなるならば堂々とキャンペーン利用させていただきます! というわけで、簡単な旅行記、行きま~す!!


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【ツアーのスケジュール】

《1日目》  羽田空港08:05発 → 岡山空港09:20着 → 鳥取砂丘 → 大山泊

《2日目》  大山発 → 足立美術館 → 出雲大社 → 広島空港19:55発 → 羽田空港21:20着


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《1日目》
 
 羽田集合が 7:15なので、自宅を朝6時10分くらい前に出る。7時前に無事羽田に着いて、待ち合わせ場所へ行くと、既に添乗員のJ子さんがいらして、旅の手引きと「地域共通クーポン」なるものを渡される。金券だから「受取証は岡山空港で回収しますが、ちゃんと6,000円分あるか、ここで確認してください」と言われ、ゴソゴソと確認。

Go To トラベルの「地域共通クーポン」

 このクーポンの額には、もちろん規定があって(詳細は調べていませんが)、今回の私が選んだツアーでは、2日間で6,000円だということ。しかし、2日間で、しかも限定されたお店で6,000円を使い切らねばならないというのは、なかなかタイヘンだった。おつり出ないから、1枚使うなら1,000円以上買わないといけないしね。

 それはともかく、、、。その後、預け荷物もないので、すぐに保安検査場を通過し、出発ゲートまで行ってしまった。日曜日出発だから、もっと閑散としているかと思ったら、意外に人が多い。 

 この便は、満席だったらしい。私の席は、後ろの方、3席の真ん中。まあ、フライト時間は短いので真ん中でも全然OK。

CAさんのあの手袋は必要なんだろうか、、、?

 ちなみに、私の左隣は添乗員のJ子さん、右隣は私同様おひとりさま参加の女性D子さん。フライトは1時間ちょっとで、機内ではなるべくおしゃべりは控えるようにと言われていたので、ほとんど寝ていたんだが、到着10分くらい前になってJ子さんのマシンガントークが始まる。

 J子さんは海外ツアーを主に担当していらっしゃるそうで、2月にはタンザニアのツアーに行き、帰国した翌日から自宅勤務になった、とか。今回のツアーがそれ以来の久々の仕事だそうで、前日に添乗員の制服であるベストを試着したら、キツくなっていてボタンが弾けそう!!と。自宅勤務の間に10キロ体重が増えたんだとか。10キロって、、、スゴい。そりゃキツくなるでしょう、服も。

 J子さんの誘導尋問で、D子さんはツアー参加の動機を言わされる。D子さんはパワースポット巡りが趣味だそうで、今回も出雲大社が彼女のメイン目的だとか。するとJ子さん「私もパワースポット、好きなんですよ! 行く度に“男運が上がりますように!”ってお祈りしてたんだけど、いまだに一人で行き遅れで~~!(^^)!」……D子さんも私もリアクションに困る。

 ……そうこうするうちに、飛行機は岡山空港(桃太郎空港)に到着。

桃太郎空港

 ここからバスで鳥取砂丘へ向かいます。

 

につづく
 

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